2018年11月 9日 (金)

五井先生のお言葉

 

■まず自分の調和が大事である。

■神様は魂の親である。だから何かある時は子供が親に向っていうように、無邪気に素直に「神さま、教えて下さい」と神さまにきくことである。するとスパッと答えが出てくるものである。

■「私たちの使命は祈りの使命です。それぞれが世界人類の平和を祈ることによって光の柱となり、天と地をつなぐ使命を持っているのです。現世の仕事は第二で、まず第一は祈りです」とある講師の質問に先生は答えられていた。

■仕事がある時は一生懸命にやり 仕事がない時はのんびりとゆったりとして 金がなくとも 米がなくとも すべてを天に任せて悠々と生きたいものである。

■えらいとほめて認めてくれるのは他人。うまいですね、といってくれるのも他人。

■あせるのは我(が)があるからだ。すべては神がなさっているのである。なすべきことは、なすべき時にするようになっている。神様にすべてをまかせて、今、与えられている仕事をしていればよい。


感想・・・私は最近までこの世の仕事や日常がまず第一で、「世界平和の祈り」や印はその合間にやればいいと思っていたのです。
しかし、それは反対であることがわかりました。
この世の仕事は第二で祈りが第一と書いてあるように祈りが主なのです。

目に見えないエネルギーが調ってからでないと目に見えるエネルギー体(肉体界・3次元)、波動は整わないのです。
自分のエネルギーは肉体よりも先に、現場に行っています。
行く前に波動調整をしていないと現場の現象が整うことはないのです。
波動が悪いとトラブルに巻き込まれます。

そのことがわかると自分のエネルギーを調える波動調整を疎かにできないのです。

祈りが第一という理由はここにあります!

波動調整のメソッドは言うまでもなく

「世界平和の祈り」「我即神也」「人類即神也」「神聖復活目覚め」の印、「光明思想徹底行」「地球感謝行」などです。
祈り、印を組めば組むほどエネルギー、波動が細かくなり、やがて3次元も整ってゆくのです。

2018年10月30日 (火)

働くということ(五井昌久)


 


■『日々の祈り』から

 


(五井昌久著、高橋英雄編)白光出版

 

「働くということ」

 

 物質を得るために働くのではない。楽をするために働くのではない。子供のために働くのではない。妻のために働くのではない。自己の神の“いのち”を働いていられることが有難いから働くのだ。働けることが有難いのだ。いのちを生かしていることが有難いのだ。

 このように思える人はなんと幸福な人でしょう。この世で一番の幸福者だと私は思うのです。神様有難うございます、神様有難うございます、すべての皆さん有難うございます。

心の底からこうした感謝の心で働きつづけ、生きつづけている人が多くなったら、どんなに世の中は明るく温かく、和やかになることでしょう。

 天国はその人たちのものなのです。

 

 

 

 

  

2018年10月16日 (火)

如是我聞(五井先生のお言葉)



 

 

1.欠点を掘じくりかえして、人間はよくなるものではない。 また、自分の欠点を取ろう、抜こうとしても、なかなか出来るものでもない。 抜こう取ろうと自分で思うことよりも、神さまのみ心の中に深く入り込んでいくと、知らないうちに抜けてゆく。 それが遅いようだけれど、一番早い方法である。


2.現われてくるのは、すべて過去世からの因縁で現われてくる。 今の自分はその人になんにもひどいことをしていないけれど、過去世からの想いの中には、相手にひどくしたことがあったわけ。 そうでなければ、相手にひどいことをされるわけがない。 それは因縁因果の法則なんだ。 けれど、それをいつまでも繰り返していたのでは、輪廻転生して、いつまでも争いの波がおさまらないわけです。 いかに自分の立場が悪かろうと、自分の心を乱すことはいけないこと。 相手を傷つけることはいけないこと。 ということがわからないと、本当の世界平和はこの地球界に出来ないし、本当の安心立命が得られないのです。


3.五井先生の修練時代、頭の中で霊の声がささやいた。

「あなたは、釈迦もキリストも出来ぬことをするのだ、それがあなたに出来るのだ、あなたは地上唯一の大菩薩なのだ」

五井先生は、そうした声にのりはしなかった。 そうした声にのったが最後、ガラガラと今迄の清らかな精進もむなしく失せてしまう。 ということは、自分の心の中に、微塵の汚れ、高慢の想いがあってもいけないということだ。

「私はそんなものではありません。大菩薩であろうと小菩薩であろうと結構です。私はただ神のみ心を実行するのみです」

と五井先生はあらゆるそうした囁きを否定しつくされた。

「霊能力が出はじめた頃、こうした霊の声にうかうかとのせられないように、それが守護神のテストであったとしても、のったら失敗なのだ。落第したことなのだ。慎むべきは自我高慢の心である」

と五井先生はおっしゃっている。




『如是我聞』五井先生の言葉 高橋英雄編著



感想・・・・1.真面目な人は、自分の長所を認めるよりも欠点探しをして自分を責めていることのほうが多いようです。それが自分を愛せない原因になっているのではないでしょうか?そこで「自分のことをもっと認めなさい、良い所を見つけなさい、自分を愛しなさい」と言ってもなかなかその通りにはなりません。そこで五井先生の教えがあるのです。自分のことを責める想いも、相手の人を憎む恨む妬む想いもすべて『世界平和の祈り』の中に入れてしまうのです。これは理屈ではありません。マイナスのエネルギーを超プラスのエネルギー(世界平和の祈り)の中に入れてしまえば、いつの間にかマイナスの想い、闇は消えてしまうのです。そして一緒に短所も消えてしまう。こんな有り難いことはありません。


2.江戸時代まで「あだ討ち」がありました。自分の身内が殺された場合、その家族は仕返しをしても罪にならないという法律?があったのです。

しかしその後あだ討ちが禁止されたのは、殺された家族も殺した本人とその家族もいつまでもそのことに捉われたまま、恨みと恐怖を抱えたまま生きていかなければならなかったからです。調和・平和を重んずる日本らしい法改正だったと思います。精神的な重荷は人間を歪んだ状態(エネルギー体)にします。人間の本来の姿は調和した姿です。人間とは一つの光から分かれた分霊(わけみたま)なのです。あなたも私もない。貴方は私であり、私は貴方です。そのことがわかったとき、自分や他人を責めることは終わりを迎えるのです。

 

 

 

3.スピリチュアル系の人たちは、瞑想している時に何らかの声を聴いたり、聴こえたような気がしていると思います。

それを神様や守護霊、守護神の声だと想ってしまっているのです。

これは大きな間違いで、大変危険です。

それは守護霊守護神、本心(神界にある)に届く前に、幽界という迷いの世界と繋がってしまうからです。

幽界には霊界や神界に行けずにさ迷っている魂たちがうごめいいているのです。

今、肉体界がおかしくなってしまっているのは、幽界(潜在意識の世界)が汚れているからなのです。

五井先生のように神界まで突き抜けていないとほんとうの世界にはつながっていないのです。

ほとんどの霊能者(スピリチュアルな人たち)は幽界とつながっています。

霊能者ではなく霊覚者(天と地を貫いた)がほんものです。

少しでも自慢したい、尊敬されたい、金儲けがしたいなどという想念があったのなら、自分と自分を頼ってくる他の人をも不幸にしてしまいます。

それは宇宙の法則を外れてしまうからです。(人間のミッションは天のほんとうの自分を肉体界に顕わすことだから)


  

2018年10月10日 (水)

これから人類は不動心になっていく



 
■『日々の祈り』から

 
(五井昌久著、高橋英雄編)白光出版
 
 
「不動心」
 
 人間の不幸というものは、本心が業想念、誤った想念、つまり悲哀、憎悪、妬み、怒り、恐怖などにつつまれて現われ出ることの出来ない姿をいうのですが、不動心になりますと、本心が明かに光を放っていまして、業の想念がこの本心をいつまでもつつんでいることが出来なくなるのです。
 
どうしてかといいますと、肉体人間の中にあります分霊の心が、天の直霊(神の心)としっかりつながってゆるぎない状態でいるからです。
 
 この心を不動心というのです。いかなる悲哀も、憎悪も、恐怖も、本心(直霊)としっかりつながっていさえすれば、必ず消え去ってゆくものなのです。こうした業想念は、神仏からの実在の心ではなく、三界をへめぐって、消えてゆく幻想のようなものなのです。
 

 

2018年8月14日 (火)

我は五井先生のお話を是のように聞いた(如是我聞)

 

 

【如是我聞】(五井先生のお言葉)

1.欠点を掘じくりかえして、人間はよくなるものではない。 また、自分の欠点を取ろう、抜こうとしても、なかなか出来るものでもない。 抜こう取ろうと自分で思うことよりも、神さまのみ心の中に深く入り込んでいくと、知らないうちに抜けてゆく。 それが遅いようだけれど、一番早い方法である。

2.現われてくるのは、すべて過去世からの因縁で現われてくる。 今の自分はその人になんにもひどいことをしていないけれど、過去世からの想いの中には、相手にひどくしたことがあったわけ。 そうでなければ、相手にひどいことをされるわけがない。 それは因縁因果の法則なんだ。 けれど、それをいつまでも繰り返していたのでは、輪廻転生して、いつまでも争いの波がおさまらないわけです。 いかに自分の立場が悪かろうと、自分の心を乱すことはいけないこと。 相手を傷つけることはいけないこと。 ということがわからないと、本当の世界平和はこの地球界に出来ないし、本当の安心立命が得られないのです。

3.五井先生の修練時代、頭の中で霊の声がささやいた。

「あなたは、釈迦もキリストも出来ぬことをするのだ、それがあなたに出来るのだ、あなたは地上唯一の大菩薩なのだ」

五井先生は、そうした声にのりはしなかった。 そうした声にのったが最後、ガラガラと今迄の清らかな精進もむなしく失せてしまう。 ということは、自分の心の中に、微塵の汚れ、高慢の想いがあってもいけないということだ。

「私はそんなものではありません。大菩薩であろうと小菩薩であろうと結構です。私はただ神のみ心を実行するのみです」

と五井先生はあらゆるそうした囁きを否定しつくされた。

「霊能力が出はじめた頃、こうした霊の声にうかうかとのせられないように、それが守護神のテストであったとしても、のったら失敗なのだ。落第したことなのだ。慎むべきは自我高慢の心である」

と五井先生はおっしゃっている。

『如是我聞』五井先生の言葉 高橋英雄編著

 

感想・・・・1.真面目な人は、自分の長所を認めるよりも欠点探しをして自分を責めていることのほうが多いようです。それが自分を愛せない原因になっているのではないでしょうか?そこで「自分のことをもっと認めなさい、良い所を見つけなさい、自分を愛しなさい」と言ってもなかなかその通りにはなりません。そこで五井先生の教えがあるのです。自分のことを責める想いも、相手の人を憎む恨む妬む想いもすべて『世界平和の祈り』の中に入れてしまうのです。これは理屈ではありません。マイナスのエネルギーを超プラスのエネルギー(世界平和の祈り)の中に入れてしまえば、いつの間にかマイナスの想い、闇は消えてしまうのです。そして一緒に短所も消えてしまう。こんな有り難いことはありません。

2.江戸時代まで「あだ討ち」がありました。自分の身内が殺された場合、その家族は仕返しをしても罪にならないという法律?があったのです。

しかしその後あだ討ちが禁止されたのは、殺された家族も殺した本人とその家族もいつまでもそのことに捉われたまま、恨みと恐怖を抱えたまま生きていかなければならなかったからです。調和・平和を重んずる日本らしい法改正だったと思います。精神的な重荷は人間を歪んだ状態(エネルギー体)にします。人間の本来の姿は調和した姿です。人間とは一つの光から分かれた分霊(わけみたま)なのです。あなたも私もない。貴方は私であり、私は貴方です。そのことがわかったとき、自分や他人を責めることは終わりを迎えるのです。


3.スピリチュアル系の人たちは、瞑想している時に何らかの声を聴いたり、聴こえたような気がしていると思います。
それを神様や守護霊、守護神の声だと想ってしまっているのです。
これは大きな間違いで、大変危険です。
それは守護霊守護神、本心(神界にある)に届く前に、幽界という迷いの世界と繋がってしまうからです。
幽界には霊界や神界に行けずにさ迷っている魂たちがうごめいいているのです。
今、肉体界がおかしくなってしまっているのは、幽界(潜在意識の世界)が汚れているからなのです。
五井先生のように神界まで突き抜けていないとほんとうの世界にはつながっていないのです。
ほとんどの霊能者(スピリチュアルな人たち)は幽界とつながっています。
霊能者ではなく霊覚者(天と地を貫いた)がほんものです。
少しでも自慢したい、尊敬されたい、金儲けがしたいなどという想念があったのなら、自分と自分を頼ってくる他の人をも不幸にしてしまいます。
それは宇宙の法則を外れてしまうからです。(人間のミッションは天のほんとうの自分を肉体界に顕わすことだから)



 

 

 

 

2018年8月13日 (月)

五井先生のお言葉 68


 


感想・・・・あなたは、初めて来た場所なのに「あれっこれ以前に来たことがあるぞ」とか「昔住んでいたような気がする」「懐かしいなあ」と思ったことはありませんか?

私の場合は妻の実家がそうなのです。

奈良のド田舎(かあちゃんごめん)なのですが、結婚の申し込みに行ったとき(30年前)からその土地は私を温かく迎えてくれました。

今でも月に一度は訪れ、英気を養っています。

このように今起きていることは、過去世の影絵を見せられているのです。

すべて終わったこと、だから辛いこと、悲しいことがあったとしてもそれは過去のことなんだ、消えていって後は良いことが起こるんだと信じる?というよりもある意味傍観者になって見守っていればいいのです。

心を静めて、不動心で・・・・・・・。

追伸・・・そのとき「世界平和の祈り」を祈ってください、世界平和の祈りは宇宙の言霊なので時空を超えています。大難が小難になり、奇跡が起こるやもしれません!

 

五井先生の言葉

 

■私は子供のことを心配するな、とはいわない。心配するのがあたりまえ。私にも子供がいたら心配しますよ。心配することによって、子供も立派に育ててゆくことができるのだし、育ってゆくのです。

 

■表面上のおきれいごとでは、この世の人は救われませんね。

たとえば宗教家の死刑廃止論というもの、あんなきれいな心になったものを、死刑にしてはかわいそうだという。

真理からみれば死刑にしないほうがかえってかわいそうなのです。

自分の犯した罪を死刑で払ったほうが、死刑を受けるということで罪業が消えますから、あちらの世界へ行って、そんなに苦しまなくてすむのです。

死刑を受けないで赦されたら、また悪いことをするかもしれない。

悪いことをしないまでも、心の中はいつまで犯かした罪業感が晴れやしません。

魂の奥は納得していません。

だから幽界へ行ってさんざん罪滅しをしなければならない。

浄まるために苦業をさせられたりする。

現在の人間の段階においては、死刑はあったほうがいい。

ただ本当に殺人したことがわかった場合である。

誤審はさけなければいけない。

それがわからない宗教者は、まだ浅薄なる宗教論、人間論に把われているんじゃないかナ。
 

■私にとって、現在のすべてのことは遠い遠い昔にすんでしまったことのように思える。

 

 

 

 

 

2018年8月12日 (日)

五井先生のお言葉 67

 



 

感想・・・人が病気で亡くなるとき、特に身内が亡くなるときは、苦しくなります。

あの時にああしてあげればよかった、もっと優しくしてあげればよかった、もっと一緒に過ごす時間を取るべきだった、良い医者、病院を探し出すべきだった・・・・

そしてそうしてあげれば

「もっと元気で長生きできたのに・・・・」「幸せだったかもしれない・・・」と思うのです。

そして自分を責める、「私は至らなかった」「私は冷たい人間なんだ」と責めるのです。

しかし死とは他人である自分が決めるのではなく、その人の守護霊さんが決めているのです。

一番よい時期に、霊界、神界へ導くように連れて行く、魂が生きたまま(だから仏教では往生といいます)

私たちは病気で死んだと思っていますが、決してそうではない寿命なんです。

それも寿(ことぶき)の命、霊界、神界への転生は喜ばしいことなんです。(肉体界→霊界・神界)

誕生と同じく転生です。(霊界→肉体界)

人の生き死に、関わり過ぎるのはお互いにあまりよくないのです。

そして人の生命は永遠です。

私たちの住んでいる世界は肉体界だけではありません。

そのことを知ると寿命の意味がわかるようになります。



■自己をきびしくかえりみて、神さまの前に立っても恥ずかしいところがない、という人はほとんどないだろう。

そこで恥ずかしいところは守護霊、守護神にかんべんしてもらって、ひたすら守護霊守護神に感謝してゆくといい。

親鸞は肉体は罪悪深重の凡夫なり、とハッキリ見きわめられて、安心して念仏一念になれたんです。

 

■病気と寿命とは違う。人間は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬのである。

 

■人間は表面に現われた言葉や行いで計れるものではない。守護霊、守護神さんが嫌なものをワザワザ出しているかもしれないのである。だから人はつねにスーッと澄んだ、上べのものにとらわれぬ真実の目を養うことが必要である。

 

■愛して愛して愛しぬこう。どんなものをも受け入れる大きな大きな心を持とう。

 

■人間生きるも死ぬるも神のみ心のままであるが、親が子供のことを心配するのは当りまえのことである。そのことで信仰が足りないなどといって責める気など私には毛頭ない。かえって親のその心に同情して涙する。そして改めて、私はその人と共に祈るのである。

 

■まず同悲同喜せよ。すべては消えてゆく姿なんですよ、という言葉はそのあとで出てきて、自他を救うのである。

 

 
 
 

2018年8月 7日 (火)

五井先生のお言葉 65

 

人生、目の前の損得だけにとらわれてはいけない。そこで損をしたがために、後になって大変よかった、ということを経験したことがあるだろう。損をすれば損をしたでいいのである。

これからよくなるのだ、これで悪いことは帳消しになったのだ、と善いほうに良いほうに解釈することである。未来は必ず開ける。

■人間には各自の波動圏がある。空間的には離れている人でも、縁が深い人がある。これは肉体智ではわからない。そこで守護霊の存在を認め、守護霊に感謝していると、守護霊が必要な時、必要な人につなげてくれる。各自の波動圏をひろげてくれるのは、各自の守護霊である。

■神に素直になれ。素直な心になれば、過去世で修行してきたものが現われてくる。

■あまり自分を卑下してはいけない。中味はすばらしい自分なのだ。

■”世界人類が平和でありますように”という一言を心の中で思い浮べた時には、その人は神さまとつながっている。

■われわれの役目はまず業を浄めることです。人間の心を浄めてからでなくては何も出来ない。

■息を吸うのも神さまがさせて下さっている。足を動かすのも神さまが動かして下さっている。神さまが、この世にもう用がない、と思われれば、今日は健康であっても、明日天に召されることがある。自分が生きているのではない。神さまに生かされているのだ。





 

 

2018年8月 6日 (月)

五井先生のお言葉 64

 

 

■肉体人間というものはわずかな年限。しかし本当の人間は永遠の生命なのです。肉体の人間なんか一生苦労したって、たいしたことはありません。苦労があればあるほど、魂が磨かれるのです。永遠の生命のことを考えれば、そんなものはほんの一瞬です。

悪いこと、悪い想いはすべて消えてゆく姿と思い、つねに世界平和の祈りをしていれば、必ず世界人類もあなたも平和になるのです。

■自分を責めさばいている人は、ほんとうに善い人とはいえない。

■自分の感情で人を叱るな。心臓をドキドキさせずに、人を叱れるようになれ。

■祈りとは自分の本体が開くことである。神と一体になることである。

■自分の事業といえど事業は自分だけのものではない。日本のものであり、世界のものである。

 

 

2018年8月 5日 (日)

五井先生のお言葉 63


1.統一している時、雑念が出てきて、雑念に流されそうになったら、ゆっくりと、”せーかーいー……”と世界平和の祈りを順序だてて祈りなさい。

2.お祈りをしているのは肉体の自分ばかりではない。霊体の自分、神体の自分も祈っているのである。肉体の自分が霊体の自分、神体の自分とピタリと一つになると、真の知恵や力がわいてくるのである。

3.人の幸せ、自分の向上、社会国家とかの平和を少しも考えず、ただ自分の楽しみだけのレジャーにふけっていると、自分はおろか、国をも滅ぼしてしまう。

4.無心ということは、あらゆる面に通ずることである。

5.まず何よりもあなた方の守護霊様とピタリと一つになることである。あなたの肉体がしているのではない、守護霊がすべてなさしめて下さるのである、と想いこむ練習をする必要がある。

6.神は無限の進歩であり、向上である。その神のみ心が現われてくる課程が、人間の進歩ということになる。

7.人間に純粋なところがなければいけない。いかなる組織の中においても、純粋なるものを持っている人は伸びる。


感想・・・1.今、日本中が猛暑に覆われれいて、へたに動くと倒れてしまいます。世の中が本格的に動き出すのはお盆過ぎてから、だから焦ってはいけない、焦ると焦げ付く「世界平和の祈り」をゆったりと祈っていると「それでいいのだ」という守護様からの心の声が聞こえてくるのです。

2.肉体人間の頭で「ああだ、こうだ」と思案していることなんてゼロに等しい、守護霊さんは仕事、人生のエキスパートである。心を静めて、下丹田(へそ下3.5センチ)に意識を集中させて「世界平和の祈り」を祈りましょう。きっと守護霊さんが幸せになる方向に導いてくださいます。

3.それは自分さえ良ければいい、という集合意識が他の人にも波及するからです。
心の中の威力、影響力をあなどってはいけません。星⭐️一つを吹っ飛ばすくらいのパワーがあるのです。

4.無心には「世界平和の祈り」を祈っていないとならないと思います。

5.何ごとも一足飛びに行くことなどありません。何度も何度も「守護霊さんと一体なんだ」と言い聞かせることが大切です。

6.人間は無限次元に進化向上できるから素晴らしい! 「唯一持ってよい欲は向上心である」とメンターから教えていただきました。

7.純粋とは心が晴れ晴れ、スッキリした境地だと思います。油断をしていると雑念が入って来ます。やっぱり祈りしかないですね(^^)


世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ