2018年8月14日 (火)

我は五井先生のお話を是のように聞いた(如是我聞)

 

 

【如是我聞】(五井先生のお言葉)

1.欠点を掘じくりかえして、人間はよくなるものではない。 また、自分の欠点を取ろう、抜こうとしても、なかなか出来るものでもない。 抜こう取ろうと自分で思うことよりも、神さまのみ心の中に深く入り込んでいくと、知らないうちに抜けてゆく。 それが遅いようだけれど、一番早い方法である。

2.現われてくるのは、すべて過去世からの因縁で現われてくる。 今の自分はその人になんにもひどいことをしていないけれど、過去世からの想いの中には、相手にひどくしたことがあったわけ。 そうでなければ、相手にひどいことをされるわけがない。 それは因縁因果の法則なんだ。 けれど、それをいつまでも繰り返していたのでは、輪廻転生して、いつまでも争いの波がおさまらないわけです。 いかに自分の立場が悪かろうと、自分の心を乱すことはいけないこと。 相手を傷つけることはいけないこと。 ということがわからないと、本当の世界平和はこの地球界に出来ないし、本当の安心立命が得られないのです。

3.五井先生の修練時代、頭の中で霊の声がささやいた。

「あなたは、釈迦もキリストも出来ぬことをするのだ、それがあなたに出来るのだ、あなたは地上唯一の大菩薩なのだ」

五井先生は、そうした声にのりはしなかった。 そうした声にのったが最後、ガラガラと今迄の清らかな精進もむなしく失せてしまう。 ということは、自分の心の中に、微塵の汚れ、高慢の想いがあってもいけないということだ。

「私はそんなものではありません。大菩薩であろうと小菩薩であろうと結構です。私はただ神のみ心を実行するのみです」

と五井先生はあらゆるそうした囁きを否定しつくされた。

「霊能力が出はじめた頃、こうした霊の声にうかうかとのせられないように、それが守護神のテストであったとしても、のったら失敗なのだ。落第したことなのだ。慎むべきは自我高慢の心である」

と五井先生はおっしゃっている。

『如是我聞』五井先生の言葉 高橋英雄編著

 

感想・・・・1.真面目な人は、自分の長所を認めるよりも欠点探しをして自分を責めていることのほうが多いようです。それが自分を愛せない原因になっているのではないでしょうか?そこで「自分のことをもっと認めなさい、良い所を見つけなさい、自分を愛しなさい」と言ってもなかなかその通りにはなりません。そこで五井先生の教えがあるのです。自分のことを責める想いも、相手の人を憎む恨む妬む想いもすべて『世界平和の祈り』の中に入れてしまうのです。これは理屈ではありません。マイナスのエネルギーを超プラスのエネルギー(世界平和の祈り)の中に入れてしまえば、いつの間にかマイナスの想い、闇は消えてしまうのです。そして一緒に短所も消えてしまう。こんな有り難いことはありません。

2.江戸時代まで「あだ討ち」がありました。自分の身内が殺された場合、その家族は仕返しをしても罪にならないという法律?があったのです。

しかしその後あだ討ちが禁止されたのは、殺された家族も殺した本人とその家族もいつまでもそのことに捉われたまま、恨みと恐怖を抱えたまま生きていかなければならなかったからです。調和・平和を重んずる日本らしい法改正だったと思います。精神的な重荷は人間を歪んだ状態(エネルギー体)にします。人間の本来の姿は調和した姿です。人間とは一つの光から分かれた分霊(わけみたま)なのです。あなたも私もない。貴方は私であり、私は貴方です。そのことがわかったとき、自分や他人を責めることは終わりを迎えるのです。


3.スピリチュアル系の人たちは、瞑想している時に何らかの声を聴いたり、聴こえたような気がしていると思います。
それを神様や守護霊、守護神の声だと想ってしまっているのです。
これは大きな間違いで、大変危険です。
それは守護霊守護神、本心(神界にある)に届く前に、幽界という迷いの世界と繋がってしまうからです。
幽界には霊界や神界に行けずにさ迷っている魂たちがうごめいいているのです。
今、肉体界がおかしくなってしまっているのは、幽界(潜在意識の世界)が汚れているからなのです。
五井先生のように神界まで突き抜けていないとほんとうの世界にはつながっていないのです。
ほとんどの霊能者(スピリチュアルな人たち)は幽界とつながっています。
霊能者ではなく霊覚者(天と地を貫いた)がほんものです。
少しでも自慢したい、尊敬されたい、金儲けがしたいなどという想念があったのなら、自分と自分を頼ってくる他の人をも不幸にしてしまいます。
それは宇宙の法則を外れてしまうからです。(人間のミッションは天のほんとうの自分を肉体界に顕わすことだから)



 

 

 

 

2018年8月13日 (月)

五井先生のお言葉 68


 


感想・・・・あなたは、初めて来た場所なのに「あれっこれ以前に来たことがあるぞ」とか「昔住んでいたような気がする」「懐かしいなあ」と思ったことはありませんか?

私の場合は妻の実家がそうなのです。

奈良のド田舎(かあちゃんごめん)なのですが、結婚の申し込みに行ったとき(30年前)からその土地は私を温かく迎えてくれました。

今でも月に一度は訪れ、英気を養っています。

このように今起きていることは、過去世の影絵を見せられているのです。

すべて終わったこと、だから辛いこと、悲しいことがあったとしてもそれは過去のことなんだ、消えていって後は良いことが起こるんだと信じる?というよりもある意味傍観者になって見守っていればいいのです。

心を静めて、不動心で・・・・・・・。

追伸・・・そのとき「世界平和の祈り」を祈ってください、世界平和の祈りは宇宙の言霊なので時空を超えています。大難が小難になり、奇跡が起こるやもしれません!

 

五井先生の言葉

 

■私は子供のことを心配するな、とはいわない。心配するのがあたりまえ。私にも子供がいたら心配しますよ。心配することによって、子供も立派に育ててゆくことができるのだし、育ってゆくのです。

 

■表面上のおきれいごとでは、この世の人は救われませんね。

たとえば宗教家の死刑廃止論というもの、あんなきれいな心になったものを、死刑にしてはかわいそうだという。

真理からみれば死刑にしないほうがかえってかわいそうなのです。

自分の犯した罪を死刑で払ったほうが、死刑を受けるということで罪業が消えますから、あちらの世界へ行って、そんなに苦しまなくてすむのです。

死刑を受けないで赦されたら、また悪いことをするかもしれない。

悪いことをしないまでも、心の中はいつまで犯かした罪業感が晴れやしません。

魂の奥は納得していません。

だから幽界へ行ってさんざん罪滅しをしなければならない。

浄まるために苦業をさせられたりする。

現在の人間の段階においては、死刑はあったほうがいい。

ただ本当に殺人したことがわかった場合である。

誤審はさけなければいけない。

それがわからない宗教者は、まだ浅薄なる宗教論、人間論に把われているんじゃないかナ。
 

■私にとって、現在のすべてのことは遠い遠い昔にすんでしまったことのように思える。

 

 

 

 

 

2018年8月12日 (日)

五井先生のお言葉 67

 



 

感想・・・人が病気で亡くなるとき、特に身内が亡くなるときは、苦しくなります。

あの時にああしてあげればよかった、もっと優しくしてあげればよかった、もっと一緒に過ごす時間を取るべきだった、良い医者、病院を探し出すべきだった・・・・

そしてそうしてあげれば

「もっと元気で長生きできたのに・・・・」「幸せだったかもしれない・・・」と思うのです。

そして自分を責める、「私は至らなかった」「私は冷たい人間なんだ」と責めるのです。

しかし死とは他人である自分が決めるのではなく、その人の守護霊さんが決めているのです。

一番よい時期に、霊界、神界へ導くように連れて行く、魂が生きたまま(だから仏教では往生といいます)

私たちは病気で死んだと思っていますが、決してそうではない寿命なんです。

それも寿(ことぶき)の命、霊界、神界への転生は喜ばしいことなんです。(肉体界→霊界・神界)

誕生と同じく転生です。(霊界→肉体界)

人の生き死に、関わり過ぎるのはお互いにあまりよくないのです。

そして人の生命は永遠です。

私たちの住んでいる世界は肉体界だけではありません。

そのことを知ると寿命の意味がわかるようになります。



■自己をきびしくかえりみて、神さまの前に立っても恥ずかしいところがない、という人はほとんどないだろう。

そこで恥ずかしいところは守護霊、守護神にかんべんしてもらって、ひたすら守護霊守護神に感謝してゆくといい。

親鸞は肉体は罪悪深重の凡夫なり、とハッキリ見きわめられて、安心して念仏一念になれたんです。

 

■病気と寿命とは違う。人間は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬのである。

 

■人間は表面に現われた言葉や行いで計れるものではない。守護霊、守護神さんが嫌なものをワザワザ出しているかもしれないのである。だから人はつねにスーッと澄んだ、上べのものにとらわれぬ真実の目を養うことが必要である。

 

■愛して愛して愛しぬこう。どんなものをも受け入れる大きな大きな心を持とう。

 

■人間生きるも死ぬるも神のみ心のままであるが、親が子供のことを心配するのは当りまえのことである。そのことで信仰が足りないなどといって責める気など私には毛頭ない。かえって親のその心に同情して涙する。そして改めて、私はその人と共に祈るのである。

 

■まず同悲同喜せよ。すべては消えてゆく姿なんですよ、という言葉はそのあとで出てきて、自他を救うのである。

 

 
 
 

2018年8月 7日 (火)

五井先生のお言葉 65

 

人生、目の前の損得だけにとらわれてはいけない。そこで損をしたがために、後になって大変よかった、ということを経験したことがあるだろう。損をすれば損をしたでいいのである。

これからよくなるのだ、これで悪いことは帳消しになったのだ、と善いほうに良いほうに解釈することである。未来は必ず開ける。

■人間には各自の波動圏がある。空間的には離れている人でも、縁が深い人がある。これは肉体智ではわからない。そこで守護霊の存在を認め、守護霊に感謝していると、守護霊が必要な時、必要な人につなげてくれる。各自の波動圏をひろげてくれるのは、各自の守護霊である。

■神に素直になれ。素直な心になれば、過去世で修行してきたものが現われてくる。

■あまり自分を卑下してはいけない。中味はすばらしい自分なのだ。

■”世界人類が平和でありますように”という一言を心の中で思い浮べた時には、その人は神さまとつながっている。

■われわれの役目はまず業を浄めることです。人間の心を浄めてからでなくては何も出来ない。

■息を吸うのも神さまがさせて下さっている。足を動かすのも神さまが動かして下さっている。神さまが、この世にもう用がない、と思われれば、今日は健康であっても、明日天に召されることがある。自分が生きているのではない。神さまに生かされているのだ。





 

 

2018年8月 6日 (月)

五井先生のお言葉 64

 

 

■肉体人間というものはわずかな年限。しかし本当の人間は永遠の生命なのです。肉体の人間なんか一生苦労したって、たいしたことはありません。苦労があればあるほど、魂が磨かれるのです。永遠の生命のことを考えれば、そんなものはほんの一瞬です。

悪いこと、悪い想いはすべて消えてゆく姿と思い、つねに世界平和の祈りをしていれば、必ず世界人類もあなたも平和になるのです。

■自分を責めさばいている人は、ほんとうに善い人とはいえない。

■自分の感情で人を叱るな。心臓をドキドキさせずに、人を叱れるようになれ。

■祈りとは自分の本体が開くことである。神と一体になることである。

■自分の事業といえど事業は自分だけのものではない。日本のものであり、世界のものである。

 

 

2018年8月 5日 (日)

五井先生のお言葉 63


1.統一している時、雑念が出てきて、雑念に流されそうになったら、ゆっくりと、”せーかーいー……”と世界平和の祈りを順序だてて祈りなさい。

2.お祈りをしているのは肉体の自分ばかりではない。霊体の自分、神体の自分も祈っているのである。肉体の自分が霊体の自分、神体の自分とピタリと一つになると、真の知恵や力がわいてくるのである。

3.人の幸せ、自分の向上、社会国家とかの平和を少しも考えず、ただ自分の楽しみだけのレジャーにふけっていると、自分はおろか、国をも滅ぼしてしまう。

4.無心ということは、あらゆる面に通ずることである。

5.まず何よりもあなた方の守護霊様とピタリと一つになることである。あなたの肉体がしているのではない、守護霊がすべてなさしめて下さるのである、と想いこむ練習をする必要がある。

6.神は無限の進歩であり、向上である。その神のみ心が現われてくる課程が、人間の進歩ということになる。

7.人間に純粋なところがなければいけない。いかなる組織の中においても、純粋なるものを持っている人は伸びる。


感想・・・1.今、日本中が猛暑に覆われれいて、へたに動くと倒れてしまいます。世の中が本格的に動き出すのはお盆過ぎてから、だから焦ってはいけない、焦ると焦げ付く「世界平和の祈り」をゆったりと祈っていると「それでいいのだ」という守護様からの心の声が聞こえてくるのです。

2.肉体人間の頭で「ああだ、こうだ」と思案していることなんてゼロに等しい、守護霊さんは仕事、人生のエキスパートである。心を静めて、下丹田(へそ下3.5センチ)に意識を集中させて「世界平和の祈り」を祈りましょう。きっと守護霊さんが幸せになる方向に導いてくださいます。

3.それは自分さえ良ければいい、という集合意識が他の人にも波及するからです。
心の中の威力、影響力をあなどってはいけません。星⭐️一つを吹っ飛ばすくらいのパワーがあるのです。

4.無心には「世界平和の祈り」を祈っていないとならないと思います。

5.何ごとも一足飛びに行くことなどありません。何度も何度も「守護霊さんと一体なんだ」と言い聞かせることが大切です。

6.人間は無限次元に進化向上できるから素晴らしい! 「唯一持ってよい欲は向上心である」とメンターから教えていただきました。

7.純粋とは心が晴れ晴れ、スッキリした境地だと思います。油断をしていると雑念が入って来ます。やっぱり祈りしかないですね(^^)


世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます

2018年8月 4日 (土)

五井先生のお言葉 62


■人間には現れの自分と現わす自分とがある。すべて消えてゆく姿として、現れの自分を離して見ている自分にならなければいけない。

■私はネ、皆さんが歩いていても、寝ていても、茶碗を洗っていても、ご飯をたいていても、お香こをきざんでいても、世界人類が平和でありますように、というこころが出てくることを願っているのです。お祈りといいますと、ただ座ってやらなきゃいけないものと思うのは間違いです。

ひまがある時は、ちゃんと座って祈り統一することはいいけれど、ひまがない時には、自分の仕事をしながらお祈りしていればいいのですよ。日常茶飯事、二十四時間プラスアルファお祈りができるわけです。

■人間は自分の利害関係に敏感である。そこから不平不満が生れる。不平不満をなくすのは祈りより他にない。

■もし会社の中に、会社の経営方針、やり方について不平不満があるものがいたならば、その者をいつまでも会社においてはいけない。会社の調和を乱すからである。

■私はお互いの心がハッキリとわかり合えるのが不思議でもなんでもなく、当り前であると思う。未来の新しい世界というのはそのような世界である。

■体は病むことがあっても、心まで病気になってはいけない。

■運勢は時には衰え、時に上昇する。しかし信仰が深くなり、つねに守護霊守護神とつながっていると、その人は運勢をこえて運勢に支配されなくなる。

2018年8月 2日 (木)

五井先生のお言葉 61


■私は体を全部霊界の都合にまかせてしまうような霊媒をつくりたいと絶対思わない。また会員の人々をそういう霊媒には絶対させない。そういう能力、体(器(うつわ))をもった人があっても、私はそれを消すようにしている。

消すといっても只消すのではなく、その霊能力、体(器)というものを、その人自身の才能、或は直感力、判断力--つまり他の霊魂に己れの体を明け渡して、その霊魂のままに動かされるということではない--というものに変えることにしている。

そのほうがその人自身を幸福にするし、人類のためにもなる。人として、一般社会の人々とつきあいの出来ぬようなタイプの人間を、私は好まない。

■肉体は過去の影にすぎない。現象に現われてきたものは、すべて”済んでしまったもの”なのである。

■本ものというのは、文章や言葉ではない。その人自身が問題なのである。

■何事も予言にむすびつけて解釈する人がいるが、予言など私にいわせればどうでもよいことだ。悪い予言ならば人を恐怖させるし、善い予言にしても、現実の生活に足をつけなくさせる。だから、今をいかに一生懸命生きるか、現在の自分をいかに生かすか、よくするか、これが一番大切なことだ。

■本当のご利益が与えられる時は、目先は悪いように見えることがあるけれども、結果において必ずよくなるものである。このことを信じて、感謝して時機を待つ者は賢者である。

■男は若いうちに苦労しておくものだ。


2018年8月 1日 (水)

五井先生のお言葉(霊的な人には気をつけろ)

■霊的な人はとかく霊的でない人をバカにするような傾向がある。しかし、霊的でもなんでもない人でも立派な人はいくらでもいる。今更、霊的な自分と肉体的な自分とを分けなくとも、一つになって行いとして立派な行いをしている人がいる。

ただ霊の自分というものをハッキリ自覚して、日常生活の行いの中に現わしている人を、霊覚者というのである。

■昔からいわれていることだけど、謙虚というのが一番いい。

■富んでいる、貧しいは、お金の多寡ではなく、お金をいかによく生かして使うか、使わないかにある。

■非凡になろうとするからいけない。平凡に極まればいいのだ。

■つねにたゆみなく平和の祈りの心の中に入っている人は、業から超越しているのである。

■何事も、有難うございます、と思える人は幸せな人である。


感想・・・上記の五井先生のお言葉には直接関係ないのですが、霊的な人、今で言うスピリチュアル系の人たちは危険です。五井先生も「霊的な人には気をつけなさい」とおっしゃっておられます。
霊的な人は、霊能者と霊覚者に分かれます。
霊能者とは、幽界のお化けちゃんに取り憑かれた輩です。霊能者と名乗っている人のほとんどは取り憑かれたおかしな人たちです。
残念なことに私たちの周りにたくさんいます。ほとんどがそうです。
一方、霊覚者とは、宇宙神と繋がった悟った人、キリスト様、お釈迦様、五井先生です。
全く違うのです。
世の中がおかしくなっているのは、霊能者がはびこっているからです。
そして、そこに群がっているからです。
霊的なものなどに興味を持ってはいけません。占いなどに頼ってはいけません!

2018年7月31日 (火)

五井先生のお言葉 60

■悟りというのはむずかしいものじゃない。よけいなことを思わなきゃいいんだ。

■どんなに疲れていても、不機嫌になるということは、私にはまずないね。自分が疲れていることと、相手とはなんの関係もないことだからね。君はそんなことはしないかな?自分が疲れていようが、具合が悪かろうが、相手の心を痛めるようなことをしては、およそ神さまの愛にもとるね。

愛というのは、自分がどうあろうと、人のことばかり思ってしまうことなのですよ。機嫌がいい時とか、自分が好きな人を愛するということは、これは当然のことです。自分のご都合で優しかったり、不機嫌であったりするのは、それはごく薄っぺらな感情。それは愛じゃない。

■怪我をする因縁がなければ怪我をしない、という。これはたしかに真理である。しかし肉体の頭脳では、怪我をする因縁などあるかどうかわからない。だから子供なら、まわりの者が怪我をさせないような縁をつくってやることが必要だし、自分自身は気をつけることだ。

つまり何事も根本に、注意力と思いやりという心が必要なのである。

■運命がどん底についている時は、ジタバタせず、ジーッと耐えていると、自然に浮き上ってゆく。



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