2019年1月 6日 (日)

五井先生の生き方

 

 

人生のため、人間の世界のために何か役立つ仕事をしないではいられない、と心の底から思いこんでいる私だったので、人助けができるのなら、なんでもやってみたかった。

理論をもてあそんで楽しんだり、慰めたりしている気持は私には毛頭なかった。

実践だけが私の生き方であったのだった。

その頃の短歌に “天と地をつなぐ絲目のひとすぢとならむ願ひに生命燃やしつ” といったようなものがあった。

私の心は只々、日本のため、人類のために自分の生命を燃やしつづけたい、捧げつくしたい、と思いこんでいた。

どんな仕事、という願いはない。

ただ、人の世のために自分の天命を完うしたい、と強く思いつめていたのであった。

(五井昌久著・高橋英雄編『日々の祈り』10頁)

 

感想・・・この文章を読むと初めに五井先生の強い人類愛があって、それが宇宙神と共鳴し、『世界平和の祈り』を授かり、世に広めるようになったことがわかります。

「思いがカタチ、現実を創る」・・・日頃何を思っていたか、いるか、が今の自分や未来の自分、そして集合意識が未来の地球を創るのです。

『世界平和の祈り』、『神聖復活目覚めの印』は想念を浄めるのです。

過去世から何千、何万回と輪廻転生した想念行為の積み重ねが潜在意識から次々に湧いて来る。

雑念が湧いて来るのはそのためです。

スッキリ爽やかに、心の中に神様(本心)だけを住まわすためには、『世界平和の祈り』のような光り輝く宇宙の言霊が必要なのです。

祈っていると次々に業想念は消えてゆきスカッと晴れた青空のような心境になって行きます。しばらくするとまた曇って来る、祈る、曇る、祈る、の繰り返しですが、確実に青空は広がっています。

完全に青空になったとき(素晴らしい)、地球は完成します。大人の星🌟になります。

3次元を突き抜け4次元を通過し、5次元、多次元になるそうです。

私たちは、生活の中に祈りを入れるのではなく、祈りの中に生活を入れる時期に来ています。

なぜなら私たち人間は祈ることを目的に地球🌏に降り立ったからです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


 



2018年12月 1日 (土)

五井先生随聞記(山崎 多嘉子さん)

 

 

1.むかし、統一会におけるある男性の発言に対して、五井先生がめずらしく一喝されたことがあった。
 その翌日のことである。新田道場のお浄めのお部屋から出ていらした先生が、つかつかと私の前に立たれた。午前十時のお祈りの直前だったので、誰も居合わせず、私一人だった。
 先生は笑顔で話しかけて下さった。
 「ねえ、人間の想いの習慣を変えようというのは大変なこと。例えばネ、水の流れを変えようとする時は、土手を造ったり、土嚢(のう)を積み上げたりして、水を堰きとめてから、別の方へ流すでしょ。ましてや人間の想念の流れを変えるのは、容易なことではない。大きな力がいるのです。だから私は叱るんですよ。
 私の"叱(しか)る"は"光(しか)る"だからね。相手にうんと光(しかり)を入れるんです」
 私はしっかり肝に銘じたのであった。


※五井先生は江戸ッ子で「し」「ひ」の区別がつかない。それで叱るが光るになったかもしれない。――高橋英雄注――


2. 「私は人間が好きだね。花や草木でも、動物たちでもみんな好きだし、自然はみな勿論、すぱらしくて好きだけど、人間ほど面白いものはない。人間は本当にすばらしい」


3. 「ああ神さまは公平だねえ。なんであの人が……と思ってみることもあるけれど、ズーッとよく見ると、やっぱりそうなんだねえ、神さまは実に公平だ」
 ある日のこと、まるで独り言のように話していらっしゃったことがある。


4.世界平和の祈りが打ち出された時のことである。
 その頃の私は、自分の心をよく見つめると、世界のことより、自分と自分の周辺の平穏だけが念頭にあることに気づいた。
 頭では世界の平和の大切さがわかっているのに、感情は自分の域を脱していないことが情けなかった。
 「私は世界平和の祈りを、そらぞらしく、口先だけでしているような気がしますけれど、そんな状態でもお祈りつづけてよろしいものでしょうか?」
 と先生に質問した。
 「気持をこめていなくても、口先だけだと思ってもいいから、祈っていらっしゃい。そのうち自然に本気になってくるから」
 とおっしゃったが、そこには何か大きな強い広がりのようなものを私は感じ、安心して祈って行こうと思った。今では、
 "先生のおっしゃった通り、本当に本気になれました。本気どころか、今は、世界人類が平和でありますように、がすべてです"と私は五井先生に申し上げ、心から感謝申しあげている。

※五井先生が「世界平和の祈り」を提唱したのは昭和30年(1955年)。この年、宗教法人が設立された。


5. 五井先生のまわりには、いつも自然と人が大勢集まっていた。当時はまだ真理がほとんどわかっていない私たちなので、女性の中には、五井先生に憧れ、敬愛するあまり、まるで恋人に対するように、なれなれしい態度をとる人もあった。またそれを見て、むらむらと嫉妬心をかき立てられる人もあった。
 そんな日々の中で、あるとき五井先生は、少人数の集まりでおっしゃった。
 「わたしはね、全く自分が無いから済んでいるんですよ。いろんな人があるからね。純情で妖艶な人なんていうと、たいていの男はひっかかるだろうね。
 私はネ、時には川岸の草なんかにつかまって、流れに身をのり出して、流れてゆきそうな人を救い上げる――というような場面もある人です。捨て身だからね。そんなとき、私にちょっとでも私心があったら、一緒に川に流されてしまって、いのちはないのです。
 私はこの通りに生きているでしょ。だから絶対心配いりません。どんな女性が近づいてきても私は大丈夫です。
 大体ね、一人の人間を救えないようなら、世界を救うことは出来ないからね」


6. 先生のお賞(ほ)めの言葉について。
 「本人に向ってではなく、私が他の人に"あの人はいい人だね"って言うときは、それは本当なのです。
 本人に向って言うときは嘘かというと、決してそうではないが、励ましの気持が多分に入っている場合が多い。けれど私は無責任に賞めっ放しにはしない。必要があって一時賞め上げても、本人が錯覚して、あとで困るようなことにはしない。時を見て、必ず正しく受けとれるように納めておく」


7.「何事も水の流れるようにサラサラと流しているのがいいね。たとえ善いことであっても、溜(た)めておかないで、すぐ流すのです。水でも溜めると淀むでしょ。そうすると汚れてくるんです。善いことも悪いことも、何もつかまないで、サラサラと生きることだね」











 

2018年11月28日 (水)

五井先生とお金のお話(心が洗われます!)

 

 
五井先生は金銭に対して淡白であり、潔癖なお方でした。 宗教家というお立場からも特に厳しかったのだと思います。

「宗教家は清貧に甘んじよ。 これは宗教家の心すべき一つの生き方である」(如是我聞)

「富んでいる、貧しいは、お金の多寡(多い少ない)ではなく、お金をいかによく生かして使うか使わないかにある」(如是我聞)

とお示しになっております。

お若い頃のこと。 お礼をいただくのを固辞したけれど、後で気付いたら洋服のポケットにいつの間にかお札が入っていた、というお話を伺ったことがあります。 

後年、「わたしも最近はだいぶ頂くのが上手になった」とおっしゃり、お礼への照れが以前より少なくなられたようでした。

とにかくお金に付着している人間の業想念波動の恐ろしさがお判りなるだけに、安易に頂くことを特に気をつけておられたのです。

 かつて笹川良一さん(日本船舶振興会会長)と永野重雄さん(富士製鉄社長)のお二人が、五井先生を訪ねて聖ヶ丘道場にいらしたことがありました。

体育館のようながらんとした質素な造りの道場を見た笹川さんが、五井先生に多額の寄付を申し出ました。

莫大な資産を持つ笹川財団は、ボートレースの収益の一部を社会のために惜しみなく寄附していました。

ちなみに「天然痘」は笹川財団のお陰でこの地球上から姿を消したと言われています。

また、ある時期、統一会を定期的に開催したことのある東京原宿の明治神宮会館は、笹川財団の寄附によって建立されたものである、という趣旨を記したブロンズの銘板が会館内の壁に掲示してあったのを見たことがあります。

笹川さんの好意的な申し入れに対して、五井先生が鄭重にお断りしたことは言うまでもありません。

「笹川さんのポケットマネーなら有り難く頂くけれどね」と五井先生はおっしゃいました。

宗教法人・白光真宏会がギャンブルの収益から寄附を頂くことを神様はお許しにならなかったのです。

新田道場での個人相談の時のこと、ある会員さんが土地の売却のことでお訊ねしました。

先生のお答えは、売却の時期をもう少し先に延ばしたほうが高く売れるということでした。

先生のご指導に従って売却を見合わせたところ、後日とても高く売れたそうです。

「その人がお礼に来たよ。文明堂のカステラを一箱持ってね。うんと高く売れたんだから、平和運動のために使って下さいって百万円ぐらい寄附したっていいのにねえ。 

「わたしは損な性分だね」と笑いながらおっしゃいました。(神様の本音です)

年末に会員の有志が五井先生へのお礼ということで、それぞれの方が分相応のお礼のお金を祝儀袋などに入れたものを、代表の人が纏めて先生のところに届けにきた時のことです。

先生は感謝をこめてひとつひとつの祝儀袋を手にしておりましたが、ある祝儀袋を手にした時、「これはこの人に戻しなさい」と代表の人にお返しになりました。

「この人は無理をしているからね」とおっしゃいました。 祝儀袋を見ただけで中身の金額とその人の経済状態がお判りになってしまうのです。

巷の宗教家の中には、信者からのお布施を遠慮なくせっせと頂戴している人もいるというのに、五井先生は逆に、困った人には座布団の下から惜しみなくお金を出して、与えて下さっていたのです。

母子家庭三人の住むアパートの部屋代を出していただいたKさん、毎月の生活費を現金書留で送金していただいたĀ県のTさん、赤ちゃんのミルク代を毎月送っていただいたT県のSさん・・・・まだまだどれほどの人たちが五井先生によって救われたことでしょう。

新田道場に本部があった頃の会費は月額700円で、それも道場に来た月だけ払えばよいという会費制度でした。

職員の数もまだ少なかったのですが、給料を払うのがやっとで、いわゆるボーナスと称するものは五井先生個人から頂くという状態でした。

「白光誌が5万部出るようになるといいね。 白光誌の売り上げで職員の給料が払えるようになるとねえ」とおっしゃっておりました。

当時の白光真宏会は、映画の題名ではないけれど、「名もなく貧しく美しく」といったところでした。

「これもみんなわたしが悪いのよ」と先生は恥ずかしそうにつぶやかれました。


* 「名もなく貧しく美しく」 1961年の作品。 最初、木下恵介監督の予定だったが、病気のために松山善三監督に代わった。
聾者同士で結婚した夫婦の戦中から戦後の労苦を描いている。

 

2018年11月27日 (火)

間違いないからおやりなさい(五井先生『大決意』より)




 

間違いないからおやりなさい


                          五井昌久

(一)


人間は神の分霊であり

神そのものであるのです

昔 常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という人がいました

すべての人にむかって 

あなたは仏さまです 菩薩さまです

と拝んで歩きました

すると拝まれた人たちが

何 オレが仏菩薩であるものか!

と怒って 石をぶつけたり 棒で打ったりした

石をぶつけられ 棒でなぐられ 逃げながらも

あなたは仏さまです

あなたは菩薩さまです

と本当の人間の姿を拝んだということです

お釈迦様の前生だということになっています

ほんとうはこのように

人間を神さま! と拝めるようにならなければいけない

ところがそんな奴を神さまと拝めるか というのが多い

顔をまともに見ては 神さまと思えない

それは相手の消えてゆく姿の部分を見ているんです

それを見ていてはいつまでたっても神さまには見えない

そこで私はどうさせるかというと

人間を見る場合

その人の肉体を見ない

肉体のうしろにいる守護霊さん守護神さんを見させる

息子が不良でしようがない とすれば

息子のうしろの守護霊さんに

“守護霊さん有難うございます

息子の天命をまっとうせしめ給え” とやる

夫が道楽者だとすれば

“夫の守護霊さん ああご苦労さまですね

こういう業の固まりをよく守って下さいまして

有難うございます

どうか夫の天命をまっとうせしめ給え” とやるんです

そうすると 知らないうちに

相手の守護霊と自分の守護霊と一つになり

守護霊の力が 夫なり子供なりに働いて

業を消してゆくのです

夫が祈らず

子が祈らず 

妻が祈らないとするならば

自分だけでいいから

世界平和の祈りをするんです

その時に

迷っている夫

迷っている子供の名を呼んで

そのうしろの守護霊さんに頼むのです

それをつづけることです

そうしますと いつの間にか立派になります

必ず立派になりますよ

私のやり方は易行道(いぎょうどう)なんです

むずかしいっていう人があるけれど

むずかしいといえば何だってむずかしい

人間悟ろうとするのはなかなかむずかしいです

むずかしいけれど私のやり方は一番やさしいんです

何故かというと

悩みをとってから拝め というのではない

悲しみをとってから拝め というのではない

汚れを清めてから拝め というのではないのです

汚れたままでいいんだ

悩んでいるままでいいんだ

そのままで世界平和の祈りの中に飛びこめば

世界平和の大光明がそんなもの問題にしなくて

消してくれるのだ

そう信じておやりなさい と教えているのです

 

神の子の人間なのだから

神さまが絶対に救わなきゃいけない

全部救うために

守護霊を遣わし 守護神を遣わしているんだから

救うのは当り前

救われるのは当り前なんです

ただ、消えてゆく姿ということが本当にわかれば

みんな救われちゃうのです



(二)


“世界平和祈る忽ち祈り人の姿光につつまれてあり”

という私の歌があります

どんなに悪いことを想っていても

自分がどんな業想念につつまれていても

あいつ嫌いな奴だ 死んでしまえばいい と思っていても

世界人類が平和でありますように といったらば

自分は光につつまれているのか

という質問がありました

どんなに悪い想いが片方に出て来ても

世界人類が平和でありますように

という想いがあれば

それは光につつまれているのです

光につつまれているけれども

自分の中の光と

外の守護霊守護神の光 救世の大光明と

ぴたっと一つにならないと安心しないのです

やっぱり揺れているような気がするのです

ところが

世界平和の祈りをやっていると

中のものが世界平和をやるんだから

外の救世の大光明と合体してゆくわけ

合体してゆくうちに

だんだん光がひろがってゆく とともに

業想念がだんだんへってゆくのです

へってゆけば

なんか安心立命した

心から ああ私は救われているんだなァ

ということが

貧乏なら貧乏なりに 病気なら病気の中で

ああ私は神の子なんだな

ということがハッキリわかってくるのです

だからやらなければだめです

どんな悩みの中にあっても

どんないやな想いの中にあっても

貧乏の中にあっても

病気の中にあっても

世界平和の祈りをしていれば

その人の周囲はズーッと光につつまれているのです

これは間違いもないことです

だから安心して世界平和の祈りをやればいいのです
 

 

『大決意』 五井昌久著 白光出版

 

 

感想・・・昨年、2017年11月26日(日)、調和波動気功法のセミナー(『健・美・食の会』)が行なわれまして、于先生が五井先生著『大決意』の本の最後の文章に「とても大切なことが書かれています」とおっしゃったのです。

五井先生の教えの中で自分は神である、そして自分以外の他の人も皆神である、があります。

「なるほど、確かにそうだ」と頭でわかっていても、現実に目の前に現われた自分、他人を見ると「神様どころか、動物以下だ」と思ってしまうこともあるのです。(動物さんごめんなさい)

そんなとき一呼吸おいて、その人の頭の上にいらっしゃる守護霊さんに意識を向けていると不思議なことにその方の本質、ほんとうの姿、光が見えるような気がするのです。

そしてその人の肉体に話すのではなく、守護霊さんに語りかけるようにするとやがて肉体のその人にも通じるようになる。

すぐには無理だと思います。 時間はかかります。

だから「愛は忍耐だ」と五井先生はおっしゃいます。 焦ってはいけません。

焦ると余計なことをしてしまうからです。 時を待つのです。

目にみえないエネルギー(気・神様)を信じることが大切だと思います。

 

 

2018年11月25日 (日)

私たちには過去世の因縁性はわからない、相手の天命を祈ることが大切です!




 


【「ある日の五井先生」清水 勇 著より】

 

赦す! 

この話は今は亡き○○講師にまつわるもので、私と私の母だけが知っている事実、いや正確に言えば、もちろん五井先生もご存知のことだったのです。

 ○○講師には、白光真宏会につながる以前の某宗教教団の頃に、奥さんのほかに生活を共にする一人の女性がおりました。

白光真宏会に入信してからも、縁を切ることができないまま関係が続いていました。

私はこのことを母から聞いて初めて知ったのですが、母はある仕事関係の人から偶然、耳にしたということでした。 

白光真宏会の講師を拝命した○○さんにとって、道を説く立場の講師として心の葛藤はいかばかりだったでしょうか。 

ある日の講師会のことです。

午後一時開始、統一が終わってから五井先生のお出ましです。

五井先生は全講師を見渡した直後、たった一言「赦す!」とおっしゃいました。

講師一同にとっては、いったい何を赦したものやら、誰を赦したものやら判るはずもありません。

このことに関しては五井先生は何も触れずにご法話を始めました。

 講師会が終わってから、先生のお言葉について講師同士が言及することもありませんでした。

後日、この日のことを五井先生にお訊ねしたところ、「赦された人」は○○さんその人でした。

講師会の場で五井先生のお顔をまともに見ることもできず、心の中でひたすら謝り続けていたに違いありません。

五井先生は○○さんの自分を責める想いを浄め、そして赦して下さったのです。

 「その女性は○○さんの奥さんよりも縁が深く、過去世でとてもお世話になり、今生その恩返しのために生活の面倒をみているんだよ」というお言葉でした。

そういえば母から、「ふつう愛人といえば奥さんより美人だけど、そういうタイプじゃないんだよ」ということを聞いたことがありました。

母から○○さんのことを責める言葉を聞いたことはありませんでしたが、五井先生のこと、教えの素晴らしさが判っていただけに、多少のひっかかりはあったようでした。

しかし過去世からの経緯を知って納得したことと思いますが、その母もすでに他界しております。

 私たちは、とかく表面に現われた事実だけを見て人の善悪を簡単に判断しがちです。

人それぞれに何十生、何百生、いやそれ以上の過去世の歴史というものがあります。

因縁因果によって様々な「消えてゆく姿」を体験しながら、限りなく「神」に近づいて行くのです。

 「宗教信仰をしている人は、人を決して責めるべきではない。大きい広い心が大切だ。自分を赦し人を赦し、消えてゆく姿で平和の祈り」 『如是我聞』

 

 

 

 

感想・・・私には中学生時代から付き合いのある友人(A)がいるのですが、今ダブル不倫をしているのです。(7年近くになります)

相手の彼女(B子)も高校生の頃から知っているのですが、かなりの性悪です。

自分の家庭がうまくいっていないときに昔の元彼Aが現われこれ幸いと乗り移ったのです。

そしてAは妻子を捨てました。私はなぜ性悪のB子を見破ることができないのか?

もう長い間、一緒に暮らしているのに「利用されている自分の愚かさに気づかないのか?わからないのか?」どうしても不可解でした。

そして友人Aを手玉に取っている?B子に腹が立っていたのです。

しかし五井先生の“赦す”を読んだとき、真理に外れて人を批判、非難、評価してしまっている自分に気が付いたのです。

私は友人Aに対してもB子に関しても何も関わってはいけない、ただ二人の天命がまっとうすることを祈っていればいいんだ、と気づいたのでした。

 

 

 

2018年11月 9日 (金)

五井先生のお言葉

 

■まず自分の調和が大事である。

■神様は魂の親である。だから何かある時は子供が親に向っていうように、無邪気に素直に「神さま、教えて下さい」と神さまにきくことである。するとスパッと答えが出てくるものである。

■「私たちの使命は祈りの使命です。それぞれが世界人類の平和を祈ることによって光の柱となり、天と地をつなぐ使命を持っているのです。現世の仕事は第二で、まず第一は祈りです」とある講師の質問に先生は答えられていた。

■仕事がある時は一生懸命にやり 仕事がない時はのんびりとゆったりとして 金がなくとも 米がなくとも すべてを天に任せて悠々と生きたいものである。

■えらいとほめて認めてくれるのは他人。うまいですね、といってくれるのも他人。

■あせるのは我(が)があるからだ。すべては神がなさっているのである。なすべきことは、なすべき時にするようになっている。神様にすべてをまかせて、今、与えられている仕事をしていればよい。


感想・・・私は最近までこの世の仕事や日常がまず第一で、「世界平和の祈り」や印はその合間にやればいいと思っていたのです。
しかし、それは反対であることがわかりました。
この世の仕事は第二で祈りが第一と書いてあるように祈りが主なのです。

目に見えないエネルギーが調ってからでないと目に見えるエネルギー体(肉体界・3次元)、波動は整わないのです。
自分のエネルギーは肉体よりも先に、現場に行っています。
行く前に波動調整をしていないと現場の現象が整うことはないのです。
波動が悪いとトラブルに巻き込まれます。

そのことがわかると自分のエネルギーを調える波動調整を疎かにできないのです。

祈りが第一という理由はここにあります!

波動調整のメソッドは言うまでもなく

「世界平和の祈り」「我即神也」「人類即神也」「神聖復活目覚め」の印、「光明思想徹底行」「地球感謝行」などです。
祈り、印を組めば組むほどエネルギー、波動が細かくなり、やがて3次元も整ってゆくのです。

2018年10月30日 (火)

働くということ(五井昌久)


 


■『日々の祈り』から

 


(五井昌久著、高橋英雄編)白光出版

 

「働くということ」

 

 物質を得るために働くのではない。楽をするために働くのではない。子供のために働くのではない。妻のために働くのではない。自己の神の“いのち”を働いていられることが有難いから働くのだ。働けることが有難いのだ。いのちを生かしていることが有難いのだ。

 このように思える人はなんと幸福な人でしょう。この世で一番の幸福者だと私は思うのです。神様有難うございます、神様有難うございます、すべての皆さん有難うございます。

心の底からこうした感謝の心で働きつづけ、生きつづけている人が多くなったら、どんなに世の中は明るく温かく、和やかになることでしょう。

 天国はその人たちのものなのです。

 

 

 

 

  

2018年10月16日 (火)

如是我聞(五井先生のお言葉)



 

 

1.欠点を掘じくりかえして、人間はよくなるものではない。 また、自分の欠点を取ろう、抜こうとしても、なかなか出来るものでもない。 抜こう取ろうと自分で思うことよりも、神さまのみ心の中に深く入り込んでいくと、知らないうちに抜けてゆく。 それが遅いようだけれど、一番早い方法である。


2.現われてくるのは、すべて過去世からの因縁で現われてくる。 今の自分はその人になんにもひどいことをしていないけれど、過去世からの想いの中には、相手にひどくしたことがあったわけ。 そうでなければ、相手にひどいことをされるわけがない。 それは因縁因果の法則なんだ。 けれど、それをいつまでも繰り返していたのでは、輪廻転生して、いつまでも争いの波がおさまらないわけです。 いかに自分の立場が悪かろうと、自分の心を乱すことはいけないこと。 相手を傷つけることはいけないこと。 ということがわからないと、本当の世界平和はこの地球界に出来ないし、本当の安心立命が得られないのです。


3.五井先生の修練時代、頭の中で霊の声がささやいた。

「あなたは、釈迦もキリストも出来ぬことをするのだ、それがあなたに出来るのだ、あなたは地上唯一の大菩薩なのだ」

五井先生は、そうした声にのりはしなかった。 そうした声にのったが最後、ガラガラと今迄の清らかな精進もむなしく失せてしまう。 ということは、自分の心の中に、微塵の汚れ、高慢の想いがあってもいけないということだ。

「私はそんなものではありません。大菩薩であろうと小菩薩であろうと結構です。私はただ神のみ心を実行するのみです」

と五井先生はあらゆるそうした囁きを否定しつくされた。

「霊能力が出はじめた頃、こうした霊の声にうかうかとのせられないように、それが守護神のテストであったとしても、のったら失敗なのだ。落第したことなのだ。慎むべきは自我高慢の心である」

と五井先生はおっしゃっている。




『如是我聞』五井先生の言葉 高橋英雄編著



感想・・・・1.真面目な人は、自分の長所を認めるよりも欠点探しをして自分を責めていることのほうが多いようです。それが自分を愛せない原因になっているのではないでしょうか?そこで「自分のことをもっと認めなさい、良い所を見つけなさい、自分を愛しなさい」と言ってもなかなかその通りにはなりません。そこで五井先生の教えがあるのです。自分のことを責める想いも、相手の人を憎む恨む妬む想いもすべて『世界平和の祈り』の中に入れてしまうのです。これは理屈ではありません。マイナスのエネルギーを超プラスのエネルギー(世界平和の祈り)の中に入れてしまえば、いつの間にかマイナスの想い、闇は消えてしまうのです。そして一緒に短所も消えてしまう。こんな有り難いことはありません。


2.江戸時代まで「あだ討ち」がありました。自分の身内が殺された場合、その家族は仕返しをしても罪にならないという法律?があったのです。

しかしその後あだ討ちが禁止されたのは、殺された家族も殺した本人とその家族もいつまでもそのことに捉われたまま、恨みと恐怖を抱えたまま生きていかなければならなかったからです。調和・平和を重んずる日本らしい法改正だったと思います。精神的な重荷は人間を歪んだ状態(エネルギー体)にします。人間の本来の姿は調和した姿です。人間とは一つの光から分かれた分霊(わけみたま)なのです。あなたも私もない。貴方は私であり、私は貴方です。そのことがわかったとき、自分や他人を責めることは終わりを迎えるのです。

 

 

 

3.スピリチュアル系の人たちは、瞑想している時に何らかの声を聴いたり、聴こえたような気がしていると思います。

それを神様や守護霊、守護神の声だと想ってしまっているのです。

これは大きな間違いで、大変危険です。

それは守護霊守護神、本心(神界にある)に届く前に、幽界という迷いの世界と繋がってしまうからです。

幽界には霊界や神界に行けずにさ迷っている魂たちがうごめいいているのです。

今、肉体界がおかしくなってしまっているのは、幽界(潜在意識の世界)が汚れているからなのです。

五井先生のように神界まで突き抜けていないとほんとうの世界にはつながっていないのです。

ほとんどの霊能者(スピリチュアルな人たち)は幽界とつながっています。

霊能者ではなく霊覚者(天と地を貫いた)がほんものです。

少しでも自慢したい、尊敬されたい、金儲けがしたいなどという想念があったのなら、自分と自分を頼ってくる他の人をも不幸にしてしまいます。

それは宇宙の法則を外れてしまうからです。(人間のミッションは天のほんとうの自分を肉体界に顕わすことだから)


  

2018年10月10日 (水)

これから人類は不動心になっていく



 
■『日々の祈り』から

 
(五井昌久著、高橋英雄編)白光出版
 
 
「不動心」
 
 人間の不幸というものは、本心が業想念、誤った想念、つまり悲哀、憎悪、妬み、怒り、恐怖などにつつまれて現われ出ることの出来ない姿をいうのですが、不動心になりますと、本心が明かに光を放っていまして、業の想念がこの本心をいつまでもつつんでいることが出来なくなるのです。
 
どうしてかといいますと、肉体人間の中にあります分霊の心が、天の直霊(神の心)としっかりつながってゆるぎない状態でいるからです。
 
 この心を不動心というのです。いかなる悲哀も、憎悪も、恐怖も、本心(直霊)としっかりつながっていさえすれば、必ず消え去ってゆくものなのです。こうした業想念は、神仏からの実在の心ではなく、三界をへめぐって、消えてゆく幻想のようなものなのです。
 

 

2018年8月14日 (火)

我は五井先生のお話を是のように聞いた(如是我聞)

 

 

【如是我聞】(五井先生のお言葉)

1.欠点を掘じくりかえして、人間はよくなるものではない。 また、自分の欠点を取ろう、抜こうとしても、なかなか出来るものでもない。 抜こう取ろうと自分で思うことよりも、神さまのみ心の中に深く入り込んでいくと、知らないうちに抜けてゆく。 それが遅いようだけれど、一番早い方法である。

2.現われてくるのは、すべて過去世からの因縁で現われてくる。 今の自分はその人になんにもひどいことをしていないけれど、過去世からの想いの中には、相手にひどくしたことがあったわけ。 そうでなければ、相手にひどいことをされるわけがない。 それは因縁因果の法則なんだ。 けれど、それをいつまでも繰り返していたのでは、輪廻転生して、いつまでも争いの波がおさまらないわけです。 いかに自分の立場が悪かろうと、自分の心を乱すことはいけないこと。 相手を傷つけることはいけないこと。 ということがわからないと、本当の世界平和はこの地球界に出来ないし、本当の安心立命が得られないのです。

3.五井先生の修練時代、頭の中で霊の声がささやいた。

「あなたは、釈迦もキリストも出来ぬことをするのだ、それがあなたに出来るのだ、あなたは地上唯一の大菩薩なのだ」

五井先生は、そうした声にのりはしなかった。 そうした声にのったが最後、ガラガラと今迄の清らかな精進もむなしく失せてしまう。 ということは、自分の心の中に、微塵の汚れ、高慢の想いがあってもいけないということだ。

「私はそんなものではありません。大菩薩であろうと小菩薩であろうと結構です。私はただ神のみ心を実行するのみです」

と五井先生はあらゆるそうした囁きを否定しつくされた。

「霊能力が出はじめた頃、こうした霊の声にうかうかとのせられないように、それが守護神のテストであったとしても、のったら失敗なのだ。落第したことなのだ。慎むべきは自我高慢の心である」

と五井先生はおっしゃっている。

『如是我聞』五井先生の言葉 高橋英雄編著

 

感想・・・・1.真面目な人は、自分の長所を認めるよりも欠点探しをして自分を責めていることのほうが多いようです。それが自分を愛せない原因になっているのではないでしょうか?そこで「自分のことをもっと認めなさい、良い所を見つけなさい、自分を愛しなさい」と言ってもなかなかその通りにはなりません。そこで五井先生の教えがあるのです。自分のことを責める想いも、相手の人を憎む恨む妬む想いもすべて『世界平和の祈り』の中に入れてしまうのです。これは理屈ではありません。マイナスのエネルギーを超プラスのエネルギー(世界平和の祈り)の中に入れてしまえば、いつの間にかマイナスの想い、闇は消えてしまうのです。そして一緒に短所も消えてしまう。こんな有り難いことはありません。

2.江戸時代まで「あだ討ち」がありました。自分の身内が殺された場合、その家族は仕返しをしても罪にならないという法律?があったのです。

しかしその後あだ討ちが禁止されたのは、殺された家族も殺した本人とその家族もいつまでもそのことに捉われたまま、恨みと恐怖を抱えたまま生きていかなければならなかったからです。調和・平和を重んずる日本らしい法改正だったと思います。精神的な重荷は人間を歪んだ状態(エネルギー体)にします。人間の本来の姿は調和した姿です。人間とは一つの光から分かれた分霊(わけみたま)なのです。あなたも私もない。貴方は私であり、私は貴方です。そのことがわかったとき、自分や他人を責めることは終わりを迎えるのです。


3.スピリチュアル系の人たちは、瞑想している時に何らかの声を聴いたり、聴こえたような気がしていると思います。
それを神様や守護霊、守護神の声だと想ってしまっているのです。
これは大きな間違いで、大変危険です。
それは守護霊守護神、本心(神界にある)に届く前に、幽界という迷いの世界と繋がってしまうからです。
幽界には霊界や神界に行けずにさ迷っている魂たちがうごめいいているのです。
今、肉体界がおかしくなってしまっているのは、幽界(潜在意識の世界)が汚れているからなのです。
五井先生のように神界まで突き抜けていないとほんとうの世界にはつながっていないのです。
ほとんどの霊能者(スピリチュアルな人たち)は幽界とつながっています。
霊能者ではなく霊覚者(天と地を貫いた)がほんものです。
少しでも自慢したい、尊敬されたい、金儲けがしたいなどという想念があったのなら、自分と自分を頼ってくる他の人をも不幸にしてしまいます。
それは宇宙の法則を外れてしまうからです。(人間のミッションは天のほんとうの自分を肉体界に顕わすことだから)



 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2019年1月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ