2017年8月 4日 (金)

霊的な人は甘えるな!





ちょっと厳しいことを書きます。 (2008年8月某日のブログより)

霊的な人、つまり目に見えないエネルギーの影響を受けやすい人は確かにいます。

器の大きい人、波動の細かい人、繊細な人、エネルギーの弱い人、強い人、つまりほとんどの人は多かれ少なかれ他人のエネルギーを受けています。

オーラ写真を撮ると実感するのですが、自分の肉体を自分が放ったエネルギーが覆っています。

そのエネルギーが写っているのです。

人間は肉体の他に幽体、霊体、神体があるのです。

オーラはその幽体の部分が写っているのです。

幽体の大きい人はビル一棟分の大きさがあるそうです。

だからこの人はビルの中に100人の人がいたら100人分のエネルギーと重なっているのです。

人のエネルギーをまともに受けてしまうのです。

人ゴミに行くと疲れるのはこのエネルギーをもらってしまうからです。

疲れるとは取り憑かれるという意味です。

だから疲れるのはわかります。

しんどくて何もしたくなくなるのもわかります。

でも甘えてはいけないのです。

自分は受けやすいからと3次元でのこの世での責任から逃げてはダメです。

それは業(ごう)に負けたことになるのです。


業(ごう)とはたくさんの人の想いのエネルギーです。 (自分の過去からの間違った想念もあります)

 

マイナスの集合意識です。


人間がつくってしまったものとは言え、凄まじい力があります。

でも、やっぱりそこで萎えてしまってはダメなのです。

それは甘えです。

だって神様は本人に耐えられないような試練は与えないからです。

耐えられないと思っているのは本当のあなたではないのです。

本心を覆っているマイナスの想いが

「耐えられない」 と決めつけているのです。

どれだけしんどくても辛くても必死で頑張って生きている人はたくさんいます。

業を受けやすいとか、マイナスのエネルギーが強いからとかは関係ないのです。

3次元のやるべきことは、人として任されたことや自分でやると宣言したことは一生懸命にしなければならないのです。

その姿を見て、神様は助けたり、メッセージを送ってくださるのです。

霊的な人は3次元でこの世のすべきことに甘えています。

甘えている人が多いのです。

3次元の仕事が出来なくて、自分に霊的要素がある人が、スピリチュアルな職業?に就くことがあります。

占いは、百害あって一利なし

占う人も占ってもらっている人も不幸になります。(過去世を知っても何の解決にもならないからです)



3次元のことをキチンとやり遂げて

始めて

4次元、多次元のことを語ることが出来るのです。


業に甘えてはいけないのです。


マイナスのエネルギーなんて認めてはならないのです。


業に甘えること、負けることを怠惰というのだそうです。


  
追伸・・・自分が何者か?(我即l神也)に気づいたとき、すべてのことは解決します。業やマイナスのエネルギーは人間が作った有限なもの、宇宙(ほんとうの自分)と一体になったら無限のプラスのエネルギーが無尽蔵に入って来るのです。自然と予知能力が付いてきます。占い等しなくていいのです。


 
  

2017年4月20日 (木)

オーラ写真(幽体)など取ってはいけない!




私の日記で肉体とか幽体、霊体、神体とかをよく書いていますが、ほとんどの人は肉体しかないと思っています。


空気は見えないけどあるとわかっているのに、なぜか自分のこと(見えないボディのこと)になると信じられなくなるのですね。

別に、あると信じなくてもいいのですが、あるかもしれない・・・くらいの大らかな気持ちで目にみえない世界をイメージしていけばいいのではないかと思います。


という私も霊的なものは見えないのです。


でも神さまとか守護霊さま、守護神さまの存在は、 ある と確信しているのです。




では、質問コーナーに移ります。


   



 人間には、肉体の他に幽体があるといわれてますが、幽体はどのような役をしているのでしょう。







幽体とは、人間の想念(おもい)や、行為の記録体とでもいうべき体で、肉体に重なり合って、肉体のような形をもったガス体である。


このガス体の大きさや、色によって、その人の霊性の高低や、性格、運命がよくわかるのである。


よく魂を見たというが、それは、霊を見たのではなく、この幽体(念体を含めた)を見たので、魂とは、幽体に分霊が乗っている状態、いわゆる、分霊が幽界にいる状態をいうのである。


幽体はその人、その人によって、大きさや色(想念、行為の集積が色になる)が違うので、幽体の大きな人が、主に宗教に熱心になったり、やたらに神詣りしたりするのである。


人の想念を受けやすかったり、幽界からの念波に感応しやすい人は、おおむね幽体の大きな人で、その幽体に蓄積されている想念の汚れている人は、低級な想いに憑かれやすく、幽体が浄まっている人は、高級な霊の感応を受けることができる。


幽体の色は軽い色ほど、澄み浄まっていることになるので、金色に輝いている時は、すでに幽体はなく、神の光、そのものが、輝いていることになる。


そして重い色になるとほど、汚れが多いということになる。


紫や青系統の色をもった幽体などは、高級な人格といえるのである。


普通会っていて、その雰囲気が澄み切ったように感じられる人は、大体高級な人格者であると思って間違いあるまい。


とにかく、常に、善なる想念、愛の行いをすることを心掛けていれば、ついには、特別に心掛けなくとも、自然な素直な形で、愛行のできる人間になってゆくのである。


人間は肉体生活が、すべてでなく、幽界の生活、霊界の生活が、肉体生活の後に待っていることを、よくよく考えて、肉体生活のうちに、自己の想念を浄め、行ないを直しておかなくてはいけない。




               おしまい





『神と人間』より 問答篇 五井昌久 白光出版



 



感想


この幽体を特殊なカメラでキャッチしたものがオーラ写真なのです。

でも巷で行われているものは

「あなたのオーラは濁っています」

「形が崩れています」

「この先、身体の具合が悪くなります」

または

「綺麗なオーラですね、良かったですね」

「大丈夫、普通の人より綺麗ですよ」

と良い意味でも悪い意味でも

ただ写した結果を教えてくれるだけで

アフターフォローがないのです。

お医者さんに身体を診てもらって

「あなたは癌です」

「えッ先生どうしたらいいんでしょう?」

と聞いても

「さぁ、私は検査をしただけですから」

と言われても困りますよね。(笑)


オーラも近未来のことはわかるのです。

潜在意識に溜まったものが顕在意識に出て来るからです。(オーラは潜在意識が写る)

幽界が肉体界に写って来るのです。

だからかなりの確率で当るのです。(占いよりは)

でも良い事だったらいいけど、悪いことを言われてもどうしようもないのです。(実は良い事を言われたら安心して努力をしなくなるのです、だから占いと同じくオーラ診断なんてしない方がいいのです)

なぜなら、幽界の汚れたエネルギーを浄化する方法を知らないからです。(写真を撮る人が)

せいぜい、インチキの石や壺を売りつけられて少しは気が休まるかもしれません。

でも近未来のことがわかってもちっとも良い事ではないのです。

悪いことを言われると気にします。

「そうなったらどうしよう」 と動揺します。

そしてそこにエネルギーが注がれるのでイメージした通りになりやすいのです。

自分のエネルギーは他人や物に浄化してもらうものではないのです。 (自分で波動調整することが正解です)

念力で多少はエネルギーが動いて改善されたように思えることもあるのですが、それは宇宙(神)からのものではなく、肉体界や幽界の念力だからです。


治療する人が宇宙に通じている人なら治りますが、そんな人はこの世ではいないと思ってください。


宇宙に通じる人とは神と一体となった人です。


愛そのものの人です。ぴかぴか(新しい)


キリストやお釈迦様の意識を持った人を言うのです。


あなたを治療してくれるという人(お医者様以外)でそんな聖者、霊覚者の人がいますか?

病気を治すのでも本当にその人にとって、病気を治した方がいい場合だけ治ることがあるのです。

その人の守護霊、守護神に

「助けてやってくれ!」

と頼まれた場合だけ

霊覚者の人は治すのです。(霊覚者とは、霊能者ではなく宇宙に通じていて悟った人のこと)


そして、誰でも彼でも治すことはしないのです。


それは病気になることがその人にとって必要なこともあるからです。


深い、深~い洞察力がなければ人の運命を変えることをしてはいけないのです。




これから時代が混沌としてくると、自分ではどうしようもないと思ってしまって、目に見えない力に頼ろうとする人が増えてきます。

占いやオーラ診断等がもてはやされることも増えて来るでしょう。

しかしそんなところへ行ってしまうと多かれ少なかれ影響を受けます。

そんなところでは、何の解決にもならないどころか

取り返しのつかない事態になる可能性があることを知ってください。

今はそんなことをしている時ではないのです。

世界平和の祈りを祈って、本心、守護霊、守護神、宇宙神に通じていれば、何の心配もいならいことをつけ加えておきます。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます




2017年3月25日 (土)

霊力と霊能力の違いについて教えてください




霊力と霊能力とを間違える人がいますが、人の心がわかったり、当てものをしたり、運命の予言をしたりするのを、霊力と解釈していますけれど、それは霊能力なのです。

一つの能力なのです。

霊能力がすぐれている人が人格が高いかというと、そうでないのです。

ところが霊力のすぐれた人は人格が高いのです。

霊力というのはいいかえれば、霊の光、根源の光です。

神のみ心の光が強い人がやっぱり人格が高いのです。

たとえあてものをしたりすることがうまくたって、それが偉いということにはならない。

そんじょそこらの行者はみんな当てものがうまいですよ。

財布の中にいくら持っているか、なんてチャンとわかるんです。

なぜわかるかというと、肉体波動のそばにいる幽界の生物が、幽界と肉体界と波動が近いから、透して見えるのです。

ところがズーッと高い所にいる神さまは、わざわざそんな低い所を見ない。

その人がいかに生きるべきか、どうしたらその人を立派に出来るかということを見るわけです。

わざわざ降りれば見えますよ。

けれどそんなことは必要ないから、高いところからその人に光を当ててやる。

そしてその人に力をつけてやる。

ところが低級の霊能者というのは、力をつけてあげるのではなく、その人に出来ないことをチョコチョコと教えて、相手を屈服させて、自分の支配下におく、子分にしているのです。

霊力が強くて、霊能力の素晴らしい人もあります。

霊力が強くても当てものなどわからない人もあります。

ですからこういうことがいえるのです。

信者が一杯いる教祖があながち偉いとはいえない。

普通の人でいい影響を社会的に或いは周囲に与えている人がいます。

その人は霊力があるわけです。

霊力というのは要するに人格の立派なということで、そういう人が偉いのです。

いくら当てものがうまく、これをこうやれば儲かるといって当たって儲かったとしても、それを教えた人は神さまでもなんでもない、偉いのでもない、勿論そういう当てもののようなことが出来て偉い人があります。

祈りつづけていて、霊能力が出て、人の心が分かったり、予感、予知力が出来たりする人があるとします。

そうした神秘力が得られたといって、いばってしまってはだめなのです。

そういうことではない。

人間の立派さというのは何かというと、人格が立派になることなのです。

いつもいいますが、おのずから和んでくる。

おのずから人の心が優しくなってくる。

その人と一緒にいると、おのずから勇気が湧いてくる。

何か親しい懐かしい気持ちが出てくる。

そういう力を持つことが霊力が強いということなのです。

人に与える好影響が強ければ強い程霊力が強いんです。

「お前の息子さん、三年先に大病するよ、気をつけろ」 といわれて、二年たった、あと一年だ、どうしようどうしようと私にききにくる人が随分います。

これはいい影響を与えていません。

三年間脅しつづけたんだから、悪い影響しか与えません。

わかっていたって、いわないで知らん顔していて、しらないうちに霊力で光を与えていて、大病でなくなるようにやっておいて、やがて現われた時に救ってあげる、という人のほう

がいちいち予言して、おどかして自分の力を示そうなんていう人より、ずっと立派ですね。

「神と人間」(五井昌久著 白光出版)には簡単に書いてありますけれど、

よくわかるように書いてあります。

皆さんは霊能力のある人よりも、霊力の立派な人格のすぐれた人になることです。

人格がすぐれていると同時に、霊能力があればそれに越したことはないのです。

それを間違えてはいけない。

だから霊能力だけを磨こうとして、統一などしてはいけない。

人格を立派にするために祈るわけです。

人格が立派というのはどういうことかというと、愛が深いこと、調和した人間であること、勇気があること、簡単にいったらそういうことです。

そうなるように全力をもって近づかなければいけませんね。

 

 

 「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版



 



2014年9月26日 (金)

霊障というものを知ってください

 

 

すいません、ここ最近ずっとブログをサボっていました(笑)。

しかし怠けていたわけではなく、ツイッターの方に行っていたのです。

ツイッターはショートブログ、短い文章で真理を伝える

いろんな方面から真理とつながっていただければいいと思うのです。

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ところでどうしてもここで(ブログ)書きたいことがありました。

それは、病気というのは、西洋医学、東洋医学だけでは解決出来ないということです。

霊障(れいしょう)というのですが、亡くなった人がさ迷って、肉体界にいる人に憑依する現象です。

病気になっている人でこういう人は結構おられるのです。

しかし、簡単に

「あなたの病気は、霊障かもしれませんよ」

なんて言えません。

それは、心が把われてしまうからです。

恐怖心を植え付けることにもなるからです。

変な霊媒師のところへ行ってしまう可能性もあるからです。

よほど、ひどい霊障でなければ、今なら祈りで取れるのではないかと思います。

病気は、人に治してもらうものではなく

自らの波動調整によって治すのです。

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その前に霊障というものがどういうもの(こと)なのかを知ってください。






  

霊障というもの

 

もう一つの質問 「霊障(れいしょう)の病いと長いこといわれてきましたが、どういうものなのでしょう」 という」問いに答えましょう。

霊障というのは、迷った想念が肉体にかかり、おぶさっている状態をいうのです。

余計に荷物(迷った人の想い)を背負ったようで、そこだけ重いわけです。

それが頭に来れば頭が変になるでしょう。 肺へ来れば肺病になるでしょう、というようにさわっている。 それが霊障というのです。

どうしてそのようなことがあるかというと、自分の肉体などない、死んだ後の世界などあるものか、人間は肉体があるうちが生きているので、肉体がなくなれば死んでしまうのだ無になるのだ、死んだ者に魂などあるものか、と思って死にます。

要するに、いかにも仏教を説いているようだけれど、そういう人は唯物論者で、実は何も知らない。 

本当のことは何も知らない人が死にますと、死んだら生命(いのち)がないと
思っているのに、実際に生命があるでしょう。 

想いが返ってくるのだから。

そうするとああ俺は死ななかったのかと思うわけです。

じゃ生きかえったのかナと思う。 

けれどももう肉体はないわけです。

幽体があるけれど肉体はない。 

だから体は肉体感覚とは違うわけです。

なんだかしっかりしないんだナ。

そうすると思い出すのはどこかといと、自分が昔住んでいた所とか、親しい人とかを思い出すのです。

それでスーッと親しい人の所へ来るわけです。

自分の妻なり夫なり、子孫なりの所へ来るのです。

そして一緒にくっついてしまうわけです。

くっつかれた人は重くなってしまう。 

そういうのが何人もあれば大変です。

重態になるわけです。

私たちがそれを見ますと、ああ誰々がいるな、というので気合をかけたり、拍手を打ったりして浄めるわけです。

ところが執念深く何十年来もついているのは、一遍や二偏ではとれない。

うっかりすると、その人まであの世へ逝ってしまうことになるのです。

だから少しずつ少しずつはなし浄めてゆくのです。

新しくついたものなら、パッと浄まります。

そういうものなんですよ。

 

あの世のためにもなる生き方

 

だから私はよくいうのです。 

この肉体に生きている間は何もしなくてもいいから、あの世
へ行ってまで人の世話かけるな。

あの世へ行ってまで世話かけるのが一番いけないことです。

この世でなんにもしなくていいから、せめてあの世にも生命があるんだナ、死んでも生命があるんだナ、という気持ちをもって、守護霊さん守護神さんにすがっていなさい、

というのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「空即是色」 五井昌久 白光出版



  

 

2014年9月15日 (月)

霊能力を得たいという欲望を捨てることが大切です。




「お医者さんが頼りにならない」

「西洋医学では、限界がある、病気を治せない」

などと言われて、神秘的なもの、霊的なものに頼ろうとする人が増えていると思うのです。

そして、幽界のおばけちゃんに取り憑かれた、明らかに “変な人” を先生と呼び

頼り、人生を狂わせてしまった人たちがいます。

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「人生指導にあたる人というのは、聖者(霊覚者)でなければいけない」

というのは私の持論なのですが

他人の人生を預かるというのは大変なことなのです。

なぜならばその人の人生とは、今生で生きてきた30年や50年ではないからです。

前世から見ると何万年、何十万年という輪廻転生して来た人生を観なければならない

俯瞰的に宇宙的に診ないと口を出すことは出来ないのです。

その人の守護霊守護神が

「この子にこう言ってやってください」 と言われても

もう一度自分の本心(神)の中から出てくる言葉を審神(さにわ)して

そこで初めて人生指導が始まるのです。

私は、巷であまりにも多くの人が・・・、いい加減な人が・・・、幽界のおばけちゃんに

取り憑かれた人が・・・・

占いであるとか、相談を受けたりだとか、指導者になったりだとかしているのを見て

恐ろしくなっているのです。

しかし、頼るほうにももちろん責任があるわけです。

自分の人生を簡単に相手に引き渡しているからです。

「自分の人生は自分で切り開け!」

厳しいかもしれませんが

私はそう思うのです。

ある人が先生のところに来て、「どうしたら先生のように、なんでもわかる力を早く得られますか?

 どうしたら霊能力がパッと開けますか?」ときいていました。

「それには得たい得たいという欲望と、あせりを捨てなければだめです。

そういうことより先に、あなたがまず浄まって立派になることです。

日常生活において、愛と真の行いを現わしてゆくことです。

世界平和の祈りを日常生活の中に行じてゆくことだけですよ。

それ以外の特別なものはありません」と先生は答えていらっしゃいました。

...

「肉体人間の想いなどというものは、しょうもないもんですなア」と或る時、

村田正雄さんがしみじみといった。

「そうですよ、肉体人間は罪悪深重の凡夫なんです」五井先生はうなづきながらいわれた。

「肉体の想い、痛いとか苦しいとかいうのは、修行によってなくすことが出来る。

しかし、そのために人々の苦しみ痛みというものがわからなくなってしまうということがある。

例えば病気をして苦しんでいる人、痛がっている人にも

『なんだそのくらい』と全然同情がなくなってしまう。相手の立場になってあげることが出来ない。

私の場合は、あゝかわいそうだな、とその人にすぐ同情してしまう。といって、

その人の業の渦の中に巻きこまれることは絶対ない。

業の渦のしんがりにぴったりついて、相手の渦の通り動きながら、その業を浄めているのです。

その姿は業にふりまわされているように見える時があるかもしれない。

しかし私は業の渦の中にまきこまれることはないのです。

ちょっとでも渦にまきこまれたら、私は一瞬として生きていられませんよ」

一人一人の指導に、五井先生は本当に命をはっていらっしゃるわけだ。

人を真実に指導することの、なんとむずかしいことよ。






  

2013年12月13日 (金)

霊能力を持った人には気をつけましょう

 

 
私のブログを読んでくださっている人は、神様であるとか、霊であるとか宇宙であるとか、神秘的なことを書いているので、グッドムーンという奴は、きっと不思議な霊能力を持ったあやしいヤツなんだろう? と思っている人も少なからずおられると思います(笑)

しかし、残念ながら私は霊(神)もみえないし、幽界も霊界も神界という世界も垣間見たこともないのです。

人の心もみえないしわからない(推測は出来ますが)ごく普通の人間です。

ただ、目にはみえないけれど、神様はおられると思っていますし、守護霊守護神からも守られていると信じています。

その信じる度合いがみなさんよりもほんのちょっと強いだけだと思います。

そして、霊能力に対して興味もまったくありませんし、持ちたいとも思ってもみないのです。

そういう力があっては、そのことに振り回されてしんどいと思うからです。

普通でいいのです(笑)

だがしかし、目に見えない力(神の存在)があることを信じるのはいいのですが、霊能力を持った人を信じるのは大変危険だと思います。

人の心が読めたところで何になるでしょう?

当て物を当てるのがうまくて、万馬券を教えてもらって金持ちになったところで何になるでしょう?

医者が治せない病気を、幽界(低い世界、迷いの世界)の邪な力を使った人に一時期に治してもらったところで何になるでしょう?

病気になって、医者にも見放され、藁(わら)をもすがる人は

「近くにいい霊能者がいるよ、どんな難病も治してくれるよ」

と聞くと、普段そのようなあやしげなものは大嫌い信じないという人でも

「ダメ元で試してみるか」 と頼って、治ったような症状になると(根本的には治っていない)今度は信じ過ぎて(過信)

「あの人は素晴らしい人だ、凄い力を持っている」 と絶賛しマインドコントロールされることになるのです。

病気を治すのは、ほんとうの魂の親である守護霊守護神が望んだことでない限り、許可を
もらったことでない限りやってはいけないことなのです。

病気になるのは、守護霊守護神がその人の魂の成長を慮って、計画してなっている場合があるからです。

病気になることによって、今までの生き方を反省し、心を入れ替えることもあります。

暴飲暴食をやめて、体を大切にするようになることもあります。

それまで冷酷、冷徹だった人が、迷惑を掛けた家族に対して感謝の気持ちを持つようになり人が違ったように愛深い温厚な人に生まれ変わることもあります。

病気そのものが悪いものではないのです。

病気になるには必ず原因があるのです、意味があるのです。

それを神様(守護霊)の意図を邪魔をして、勝手なことをする・・・・

とんでもないことです。

本当に病気を治す霊能者とは、守護霊守護神と対話の出来る霊覚者でなければならないのです。

お釈迦さまやキリストさまのような聖者でなければ許されないことなのです。(聖者であっても病気を治すことはめったにしません)

それは、お釈迦さまやキリストさまは、神そのものだからです。

人間の生命は神様に委ねられているからです。

ですから、神と直接つながった霊覚者でなければ肉体人間の私たちは間違った方向へ導かれてしまうのです。

今は、スピリチュアルブームで神秘的なもの、不思議な力を持った人に魅かれ、興味を持つ人が多いのです。

しかし危険なものが非常に多い

危険なものだらけです。

人格が伴った霊能者であるのか?

高慢でないか?

お金への執着が強くないか?

色欲が強くないか?

感情的ではないか?

嫌な雰囲気を漂わせていないか?

目がうつろでないか?

「自分は神様から力を戴いた」 などと言っていないか?

観察力でおかしなものは見極めることが出来ます。


自分は騙されないと過信してはいけません。

頼ってはいけません。

それよりも何よりも怪しいものには近づかないことです。

そんなものに興味を持つということは現実逃避をしているのです。

そのためには霊能とはどういうものなのか?を知っておいてよいと思います。

そしてそのようなものに興味を持っている人、持ちそうな人にアドバイスをしてあげてください。



霊能はどういう状態になると現われるか

 
 

それでは一体霊能というのは、どういう状態になると現われてくるのか、ということについて説明しましょう。

人間はいつも私が説いておりますように、肉体の他に幽体とか霊体とか神体とかいう体をもっているのであります。

そして、人間の想念波動が、常にどの体の中に一番多くの時間を巡っているかということによって、その人の人格が定まり、運命が定まってくるのであります。

その人の想念波動が常に神体の中を巡っている人は、高い人格者であり、神人合一の境地のいわゆる霊覚者にもなり得るのです。

そこで私は、いつでも守護霊さん守護神さんに感謝を捧げつつ、世界平和の祈りをしていなさい、と教えているのです。

守護霊さんは霊界にいて、肉体界にまでその光の波動を伸ばしてきているのであり、守護神さんは神界にいて、光明波動を肉体人間の波動に合わせてきているのであります。

そうして肉体人間の業想念を常に常に浄めているのであります。

そこで、浄められ守られている肉体側では、いつでもそうした守護の神霊の加護に感謝の想いを向けていれば、その人の想念はいつも霊界神界に往っていて、肉体界に、神界霊界の光明波動を導き入れやすくなってくるわけです。

ですから、その人の人格は自然と高くなってくるし、その人の運命もよくなってくるのです。

霊能者といわれる人は、自己が意識するとかしないとにかかわらず、幽界の波動や霊界(霊界でも低いところ)の波動を受けやすい肉体に生まれついているのであります。

そして、自己の霊能に気づきはじめますと、今度は、その想念そのものも、幽界や霊界にむかうことが多くなり、本格的に霊能者となってくるわけなのです。

そうした霊能があると気づいた場合には、いち早く、真の秀れた宗教者のところへ行って、自己の想念波動が、常に神霊の世界のみに集中されてゆくような指導を受けることが必要なのです。

一般の人の見えぬ世界が見えたり、運命の予見ができたり、病気を治すことができたりすることだけで、自分の人格が立派になったように思ったり、神様が自分にのりうつったように思って、高慢になったりする霊能者は、いつかは自分をも人をも傷つけ損ねてしまうのです。

一人の人間が生きているということだけでも神様の力が働いていることは事実なのですが、そういう意味でなく、神様が特別に自分に力を与えている、特別に神様の愛を得ている、ということを、単に霊能力があるということだけで思ってしまうことは実に危険なことなのです。

霊能力のあるということが、即、神様の力ということではありません。

霊能力があるということは、その人の肉体波動が幽質に近いので、幽界や霊界(の低いところ)の波動を受けやすい、ということなのであります。

幽界や霊界の波動の中には、人間各自の過去世の意識層(想念波動)や未来に起こってくる運命の波動もあるのであります。

そうした種々の波動を、自己のもつ幽質的機関がキャッチすることのできるのが霊能力となるのです。

そうした人々にはその背後には肉体界と幽界或いは霊界との交流を計ることを役目としている霊魂(人)や、単にそうしたことに興味を持っている霊魂(人)がおりまして、その交流を助けているのであります。

そうした背後の霊人の住んでいる世界の高低によって、その霊能者の人格の高さが定まってくるのであります。

これを逆にいえば、霊能者の人格の高低によって、その背後に働く霊人の高低が定まってくる、ともいえるのです。

ですから、霊能者が、その霊能力を誇りに思うだけでなく、常に人格の練磨に心掛け、常に神霊界へ自己の想念波動を向けているようにすれば、霊覚者にまでなり得ることもできるのです。

ところが巷間の霊能者と称する人には、人格的には問題のあるような人が多くて、高慢そのものであったり、怒りっぽかったり、心が狭かったり、物質欲や権力欲が旺盛であったり、女色に溺れやすかったり、というような、普通人よりも低い行為をみせる人が意外な程多いのです。

 

      「神は沈黙していない」 五井昌久 白光出版



 
  

2013年8月14日 (水)

霊能者と霊覚者とは違う

 
霊能者によって奇跡的に病気が治ったとしても、それが自分の中の心の変化から来るものでなければ、また同じ病気をくり返します。

病気というものは、読んで字のごとく、気(エネルギー)が病んでいる状態なのです。

人間とは光の波動体(エネルギー体)なので、きれいな川の流れのようにエネルギーが滞ることなくスムーズに流れている状態が健康であり正常なのです。

それがなにかに把われて、想いで煩っている(これをストレスという)とエネルギーの流れが悪くなるのです。

ちょうど川の流れの中に大きな石を置くのと同じです。

流れは次第に悪くなり、せき止められた川の水は汚れ腐ってきます。

霊能者はその石を外したり、一時的に流れを良くしたりする(出来る)ので、スッキリした気分になったり、一時的に病気が治ったような状態にもなるのです。

しかし時間が経つと、想いの把われ(根本原因)がなくなったわけではないので、また同じことが繰り返されるわけです。

ここで霊能者の人が

「私に頼ってはいけない、病気は自分の気(エネルギー)で直すものです」

「そのためには、光を放たなければならない、天地を貫く光の波動体にならなければならない、だから祈らなければならないのです」・・・・・と

一時的に症状が治ったことの理由(わけ)を説明し、

後は「自分でやりなさい」 と言えば申し分ないのですが

ほとんどの霊能者は

自分の力を誇示し、自分に頼らせるのです。(そしてお金をむしり取る)

五井先生がご生存のときに

たくさんの人の病気を治したのですが

それは、決して自分に頼らせたのではなく

世界平和の祈りを祈り続けることでやがて不調和な状態(病気)が治っていくことを教えていたはずなのです。

でなければ、病気を治すことは、お医者様の範疇(テリトリー)であり、神様は認めておられないからです。

インターネットの時代になって

「霊能力なんて信じない」 という人がほとんどだと思っていたのですが

案外、霊的なことを信じる人も多いのです。

今を一生懸命に真剣に生きている人は、このようなあやしい霊的なものには興味を示さないのです。

安直に、何でもいいから

「治りさえすればいいんだ」 と考えている人は、ひっかかりやすく

「なにかあやしいな、おかしいな」 と思っても自分に自信がないために

ずるずると通ってしまうのです。

大切なのは目的意識だと思います。

霊能者の人に

「なんの目的があって病気直しをされているのですか?」

と聞いてみればいいのです。

病気とは不調和な原因となっているものに気づくために与えられた

守護霊守護神からのメッセージです。

だから、守護霊守護神の許可がなければ

勝手に無責任に治してはいけないのです。(本心開発、魂の成長が遅れる)

神の意思に反したことをしてしまっているのです。

神の願いとは

「世界平和の祈りを祈ることです」

だから祈り(真理)を教えない病気直しはあくまでも邪道なのです。


  

 

霊能者と霊覚者とは違う
 



霊能者とは一般の人々には見えもしない聞こえもしない姿や声を聞いたり、人の想いがわかったり、運命がわかったり、過去世における状態がわかったり、医薬を使わないで人の病気を治したりする人々をいうのです。

そうした人々はその人の人格の高い低いにかかわらず、霊能者といわれます。

だから運命の予言や病気治しは上手だが、人格としては頂きかねるという人もあるわけです。

人の想いがわかったり、運命の予言ができたり、病気治しが上手だったり、肉眼で見えない世界が見えたり、という能力があったとしても、その能力がかえって相手の本心開発を遅らせる、自我欲望達成の具となるだけだったら、その霊能者も相手の人も不幸であるばかりでなく人類の進歩にもよくないことになるのです。

 

     「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



  


 



 

 

2013年6月10日 (月)

霊力と霊能力の違いについて教えてください。 1

 
 


巷にもインタネットの世界にも、スピリチュアルなものが結構あります。

スピリチュアルとは精神的な。霊的な。宗教的な。という意味だそうですが、人間が目にみえない世界に興味を持つことはいいことだと思うのです。

目にみえるもの(こと)は目にみえないものの影絵である。

目にみえないもの(魂や心)を美しく立派にしてゆくことで目に見える世界を素晴らしいものにしてゆく。

という純粋な気持ちでスピリチュアルなものを求めていけばいいのですが

途中から、「人々の称賛を得たい」 「いい生活をしたい」 「権力を得たい」 などと邪な想いが出てくると、幽界の低俗な霊(幽霊)が感応してきて、いつの間にか憑依されることになるのです。

巷にある、ネットにあるスピリチュアル系のほとんどがそうだとはいいませんが、近づかない方が無難だと思うのです。

それよりも3次元(目にみえる世界)を一生懸命に生きてゆく。

その方が余程、よっぽど尊いことなのです。

そして、3次元と4次元、つまり目に見える世界とみえない世界はつながっているのです。

3次元を一生懸命に生きていると、自然と4次元がわかるようになるのです。

相手の心を察するようになってくる、わかってくる(洞察力)

直観力が冴えてくる (神智、インスピレーション)

人の魂(精神的な)の成長が自分の喜びになる (愛が深くなる)


これらは人間の持っている素晴らしい叡智であり、霊力といわれている力です。

霊とは神さまのことであり、霊能力とは違うのです。

霊能者と霊覚者が違うようにどう違うのかを五井先生の本の中から抜粋してみます。

私たちは、元々神の子なので、霊力はどんな人にも備わっているのです。

ただそれをどう顕わし、どう使ってゆくかが大切なんですね。


 

 

2009年8月12日 (水)

霊的な人は甘えるな!

  
   
ちょっと厳しいことを書きます。

霊的な人、つまり目に見えないエネルギーの影響を受けやすい人は確かにいます。

器の大きい人、波動の細かい人、繊細な人、エネルギーの弱い人、強い人、つまりほとんどの人は多かれ少なかれ他人のエネルギーを受けています。

オーラ写真を撮ると実感するのですが、自分の肉体を自分が放ったエネルギーが覆っています。

そのエネルギーが写っているのです。

人間は肉体の他に幽体、霊体、神体があるのです。

オーラはその幽体の部分が写っているのです。

幽体の大きい人はビル一棟分の大きさがあるそうです。

だからこの人はビルの中に100人の人がいたら100人分のエネルギーと重なっているのです。

人のエネルギーをまともに受けてしまうのです。

人ゴミに行くと疲れるのはこのエネルギーをもらってしまうからです。

疲れるとは取り憑かれるという意味です。

だから疲れるのはわかります。

しんどくて何もしたくなくなるのもわかります。

でも甘えてはいけないのです。

自分は受けやすいからと3次元でのこの世での責任から逃げてはダメです。

それは業(ごう)に負けたことになるのです。


業(ごう)とはたくさんの人の想いのエネルギーです。 (自分の過去からの間違った想念もあります)

 

マイナスの集合意識です。


人間がつくってしまったものとは言え、凄まじい力があります。

でも、やっぱりそこで萎えてしまってはダメなのです。

それは甘えです。

だって神様は本人に耐えられないような試練は与えないからです。

耐えられないと思っているのは本当のあなたではないのです。

本心を覆っているマイナスの想いが

「耐えられない」 と決めつけているのです。

どれだけしんどくても辛くても必死で頑張って生きている人はたくさんいます。

業を受けやすいとか、マイナスのエネルギーが強いからとかは関係ないのです。

3次元のやるべきことは、人として任されたことや自分でやると宣言したことは一生懸命にしなければならないのです。

その姿を見て、神様は助けたり、メッセージを送ってくださるのです。

霊的な人は3次元でこの世のすべきことに甘えています。

甘えている人が多いのです。

3次元の仕事が出来なくて、自分に霊的要素がある人が、スピリチュアルな職業?に就くことがあります。

占いは、百害あって一利なし

占う人も占ってもらっている人も不幸になります。(過去世を知っても何の解決にもならないからです)



3次元のことをキチンとやり遂げて

始めて

4次元、多次元のことを語ることが出来るのです。


業に甘えてはいけないのです。


マイナスのエネルギーなんて認めてはならないのです。


業に甘えることを怠惰というのだそうです。



  


  



追伸



オーラ・オーラはオーラを撮るだけでなく大切なことを教えてくれます。

3次元と目にみえないエネルギーのバランスを取ることを教えてくださるのです。



http://auraaura7.com/





  

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