2017年4月29日 (土)

如是我聞9(99%はにせものだと思ったほうがいい)

 


霊的な人にはつねに注意をはらえ。

 

                 五井昌久

解釈
 
これを書いている私、グッドムーンが霊的だと思われているかもしれませんが(笑)

私は、友達にもなっておらず、そしてフォローもせず、ただ読みに来てくださる人がおられるだけでもいいと思っているのです。

その中で、真理がわかっていただけ、生きることが苦痛で無くなり、もしかしたら世界平和の祈りを密かに祈ってくださる方が出てくれば、それで十分です。

そのつもりで書いています。(多くを期待していません)

だから私に近づくのも慎重にしてください(笑)

ご縁があれば、守護霊さんが繋げてくださいます。
 
それだけ巷にもネットにも、Facebookにも邪なものが多いということです。

私が見るところ99%ニセモノです。

お金をむしり取ろうとしています。

後ろに幽界のお化けちゃんが付いています。
 
ほんものはほとんどお金がかかりません。(必要経費はかかりますが基本ただです)

どうしたら惑わされないか?

それはつねに守護霊に感謝をして守ってもらうこと
 
そしてスッキリしない、気持ちが悪くなったら偽物だと思うこと

守護霊が気分を悪くさせて知らせてくれているのです。
 

でも一番いい方法は霊的な人には近づかないことです。


  

数字は真理を現わしています(稼ぐと儲けるの違い)

 

稼ぐは、相手のために準備をしたり、勉強をしたり額に汗して自分の出した汗をお金というエネルギーに換えるのです。

エネルギーがスッキリしています。

儲けるとは、汗を流さずお金を得ようとするので正常な交換が出来ないのです(横取りしているだけ)

以下の数字の意味には、人間として正常に稼ぐための段階、段取り、心構えも書かれています。

「一」 イコール 位置確認、立ち位置を決める。

「二」 イコール荷役を負う

「三」 イコール参じる(参加)

「四」 イコール仕える(仕事をする)

「五」 イコール伍する(進める)

「六」 イコール禄を食む(稼ぎを得る)

「七」 イコール質が決まる

で始めて社会に打って出るところに立つ。

 

この後「十二」まであるのですが、ここで一旦区切ります。

 

私はこの中で「六」の禄、稼ぎを得るに興味を持ちました。(禄は給与のこと)

儲けることと稼ぐことの違い

仕事に対する姿勢などに悩んでいたからです。

どうも仕事(自営業)に身が入らない

他のことに価値観や興味を持ってしまう(気が散る)

こんなことではいけない!

そう思っていたときでした

この記事を読んだのは・・・・

「六」の数字の意味? なぜ稼ぎを得ることが「六」なんだろう?

首をひねっていると、

しばらくして、ある人が教えてくださいました。

稼げない、稼がない男は

「ろくでなし」 「ろくでもない」 「宿六」

「四の五の言わず、黙って働いて、稼いで来い!」

であることを・・・・。

能書きや理屈はいいから

とにかく

お金を稼いで来る (しかし、まっとうなやり方で)

そして

子どもや奥さん、周りを楽にさせる

それが「六」の真理だと思いました。

「八」 イコール発心する

「九」 イコール究める

「十」 イコール充分に満ちる

「十一」 イコール士(武士、サムライ)

「十二」 イコール十二分

以上です。

あなたは、「一」~「十二」のどの立ち位置に居ますか?

私は位置 「一」 から出直します(笑)

ところで感想ですが、「八」の発心は、発信と同意語ですよね。

自分が言葉であれ、文章であれ、もちろんSNSでも発信しているのは、心の中を出しているということです。

いいかげんなことは書けないと思います。

あとは、「十一」が士(サムライ)であることに驚きました。

ほんとうの武士とは、戦い争う士ではない

戈=戦を止める人であると聴いたことがあります。

数字は奥が深いですね。


  

2017年4月10日 (月)

取り越し苦労はやめよう!




取り越し苦労ほど無駄なエネルギーの使い方はない。
   
心配のし過ぎが取り越し苦労につながっていく。
   
ものごとを悪い方悪い方に考えていくと想いはエネルギーなので実現されるようになっていく。
   
海外へ旅行に行った子供たちが親の心配のし過ぎで体調を崩して、つまらない旅になってしまったと聴いたことがある。
   
付き添った人がエネルギーのわかる人だったので、それはもう大変だったそうだ。
   
親の心配するマイナスのエネルギーはすさまじかったらしい。
   
エネルギーは目にみえないので過度の心配が体調と関係があるだなんて思いもしないだろう。

それも親自身の体調だけでなく子供に影響しているとは・・・
  
心配するのは親の愛情、当たり前だと思っている。
  

心配とは心を配る、つまり思いやりという意味でマイナスのエネルギーをばら撒くことではない。

人はもっと、目にみえないもの、目にみえない力に意識を向けて、自覚を待っていかなければならない。


マイナスのエネルギーは自分、家族だけでなく、あらゆる人たちにも影響している。

心配だ、心配だの言霊(ことだま)をだいじょうぶ、だいじょうぶ、良くなる、良くなるに変えよう。


  

2017年4月 5日 (水)

親、兄弟は分かり合えないと思え!




なんか偉そうなことをタイトルで書きましたが、親子とは?兄弟とはお互いに理解するために存在しているのではないのです。

それはどういうことかと申しますと人間として生まれて来るときに、親子、きょうだいは、お互いの因縁生を消しやすくするために、近い場所にいたり、血縁関係でつながっているわけです。

もっと詳しくいえば、前世では、一番仲の悪かった犬猿の仲であっただりとか恨みを持って殺し合いをしたような関係の人が現世では親子になるのです。

なぜそうなるか?

それは因縁生が深ければ深いほど、過去世での摩擦が多ければ多いほど魂が磨かれやすいからです。

ダイヤモンドの原石を磨くのにそれよりも硬い(厳しい)ダイヤで削るようなものなのです。

親や子やきょうだいが、自分のことを理解してくれて支持をしてくれる人ばかりであれば居心地は良いのでしょうが、そこで摩擦がなければ、魂の成長は少ないのです。

そしてその相手とは、過去世で恨みを持っているのでいつかは想い出し、そのときの恨みつらみをぶつけて来るのです。(初めは仲が良い関係でも後から悪くなることがあります)

それが反抗期になることもあるでしょうし、ちょっとしたことがきっかけで断絶したりもします。

しかしそこでかわいさ余って憎さ百倍になったりだとか目には目をなどの仕返しをしたのでは、魂を磨くことにはならないのです。




*愛のキャッチボール* という文章から
抜粋してみます。


肉体を持った人間から愛されなくては心がすまない、というのではなく、そうした想いは捨てきらなくてはいけません。



実に厳しい文章ですが、その通りなのです。

他人に自分のことを愛して欲しい、わかってもらいたい、と望むことは真理から外れているのです。

人と人とは愛していくことはもちろん大切なことなのですが、自分の方から愛してもらうことを望むのは間違っているのです。

それは、本当の愛とは、因縁生を超えたところにあるからです。

因縁生、つまり過去世で起こったことのお互いのあらゆる出来事、もつれあい、恨みつらみ、どろどろとした感情、それらのことをすべて許して、おまけに相手に尽して、過去世であったことを大きな包み込むような慈愛にかえてしまわなければ因縁生は消えていかないのです。


そこで相手は因縁生を消してもらおうとあなたにぶつかって来る。

感情的になって怒りを露わにしてくる。

他人にはみせない潜在意識に溜まった面をあなただけに見せてくる。

それはあなたがその因縁生を受け止めて消してくれることが本能的にわかっているからです。

それは、あなたの方が魂が古いからです。

立派だからです。

真理がわかっているので、精神的に強いのです。

だから相手の業想念を受け止めることが出来るのです。


時々会う友人や知り合いなら業をぶつけることが少ない

親子やきょうだいなら毎日、魂のぶつけ合い、磨き合いができる。

だからそのようになるよう、守護霊様、守護神様が組み合わせて天界から降ろして下さったのです。

ですから、親子とはきょうだいとは

お互いを理解するために生まれてきたのではないのです。

魂の磨き合い、削り合いと言った方がいいのかもしれません。

それも正確にはお互いではなくどちらかが一方的にぶつけて、ぶつけられた方はそれに耐えて、そこから真理を学んで、それから相手を赦すというのが真実なのです。

真理を理解した人は、神さまの心境、つまり菩薩心になるので、光輝いてくる。

その光を浴びて相手も真理に目覚めてくるのです。(覚醒する)

キリストのように自分が張り付けになっても相手は真理をしらないのだから許してやってくれという心境になってはじめて、本当の愛になるのです。

自分がこんなに愛しているのにあの人は私を愛してくれない

などは、厳しいようですが、本当の愛ではないのです。

テレビのニュースなどを観ると親子で殺し合いがあったりだとか、きょうだいのいさかいが絶えません。

それくらい肉親の関係は因縁生が深いのです。

現世だけでは、理解できないことがたくさんあるのです。

親子、きょうだいが仲良くやっていけることに越したことはありません。

もちろんその方がいいに決まっています。

でもそれは真理を理解した上でのことです。

親子、きょうだいは因縁生を消すために、魂を磨くために生まれあわせてきた。

だから・・・・

お互いを理解しなければならない

仲良くならなければならない

分かり合えるようになりたいとか

は違うのです。

それは、無理なことなんだ (自分とは違う人格者だと思うことです) と一旦、あきらめてしまうことです。 (あきらめるとあきらかになる)

一旦、あきらめてしまうと、不思議と楽になっていきます。

 

 

ねばならないが無くなるからです。

それよりも相手を赦す

相手を大きな愛で包み込むことに意識を持って行った方がよいのです。

あなたを本当に理解してくれるのは肉体の人間ではないのです。

あなたの守護霊、守護神様だけなのです。

なぜなら守護霊、守護神様は本当の魂の親だからです。

肉体界(この世)の親子やきょうだいは仮の親子であり、仮のきょうだいなのです。


 

 

2017年4月 4日 (火)

自分の発するエネルギーに責任を持ちましょう



ある科学者が実験をしました。

平静な人、笑っている人の息を凍らせ、その息を液体にしてモルモットに注射しても何ともなかったが、

怒っている人の息を凍らせ、その息を注射すると

即死してしまったとのことです。
 
怒っている人の息は毒を含むとのことでした。

さわやかな息を吐いている人が繁盛店をつくり、

毒を含んでいる息を吐く人が不採算店をつくるということがわかりました。

お客さまは、敏感に空気の良し悪しを察せられるのでしょう。

当然、毒を含んだ空気を吸えば、もう一度その場所へ行こうとはだれも思わないでしょう。



  

この文章は私が今読んでいる本から一部抜粋したものです。

目にみえないエネルギーのことがわかり易く書かれています。

自分の発しているエネルギーに責任を持つこと、とても大切なことだと思います。




  
思いをカタチに変えよ! 渡辺 美樹 PHP研究所


調和波動気功法 http://www.harmony-wave.jp/



   

2017年4月 2日 (日)

孤独になりたくなければ・・・


 

久しぶりに『日々の指針』 という本を読んでみました。

なんだか心がスッキリしていなかったので読み始めると 「ドキッ」とすることや「ハッ」とすることの連続です。

心が洗われる想いがしました。

いくつか書いてみますね、よかったらお付き合いください。






・ 一人でいるから孤独なのでない。家族の中にあっても友人の中にあって、恋人といてさえも孤独な人は結構いる。 孤独とは心が充たされない状態をいう。一人で住んでいても何らかの人の為に役立っている人々は、心にいささかの孤独感もない。孤独になりたくなければ、どんなことでもよい、人の為に尽すことだ。




・あなたはどんな人から侮られ、馬鹿にされても平気です。人は皆勝手気ままなもの、いつも自分のご都合次第に、機敏に動くものということを知っています。人がどう思おうと、自分自身が信念をもって生きていさえすれば、どんな些細なことにでも心を動かされることはありません。世界平和の祈りこそ、どんな人も絶対に文句のつけようのない素晴らしい生き方です。誇りをもって生きることです。



・神さまはこうおっしゃっている。

「何故あなたは一人でそんなに嘆き苦しんでいるのか。あなたの小さな心では到底その重荷を背負いきれるものではない。あなたの器が大きくなり、自分一人で背負いきれるようになるまで、私が肩代わりしてあげよう。
さあ、すべてを私に任せなさい。 あなたはもうその悩みについて、その悲しみについて、その苦しみについて一切忘れなさい。
考えることを一切放棄しなさい。私がみんな背負ってあげよう。その代わり必死で真剣に世界平和の祈りを祈りつづけなさい。
朝から晩まで今日一日、心の中に迷いが生じないように一所懸命祈りつづけなさい。 明日は大分楽になっている筈である。一筋の光があなたの行く手を照らし始めたのです。 安心なさい。」




・心の中を全開せよ。 一分の隙もなく全開せよ。 隠し事は一切認めるな。汚い心も、醜い心も、憎しみの心も卑しい心も、すべて持ったまま大きく全開せよ。 そうそれでいいのだ。 安心するがよい。 他の人の心をみてみよ。あんなによい人だと思っていた人が、あんなに立派な人だと思っていた人が、あんなに多くの人から尊敬され慕われていた人々が、心のすべてをオープンにしたら、皆どうということはない。
多かれ少なかれ、誰しも同じ醜い心を持っているものだ。
どんぐりの背くらべだ。
貴君だけが劣等感にさいなまれる必要もない。 人間はみなそんなもの。
強いていうならば、自信のない人達のほうが善人なのかもしれない。



・あなたはあなたの持てる全エネルギーを、くだらない競争心や野心などに浪費せず、自己完成にむかって全面的に使用すべきである。あえて人の上に立とうとせず、自らの才能を磨き、それを完成させるようにもってゆくべきである。



・いくら素晴らしいからといっても、他人の脱ぎ捨てた衣服を着て、果たして自分にピッタリと似合うであろうか? やはり自分自身の体型にあった衣服を着るのが一番好ましい。物真似は愚の骨頂である。自分の心からしたいこと、好きなことをやる。それでよいのである。何故、他人の目を意識しなければならないのか。自分自身に確固たる自信を持て!
自分に自信がないから、人の物真似をしたり、他人の目を恐れるようになるのである。自分とはこの世にたった一人しかいない存在なのである。神様が降してくださった尊い生命なのである。本来の自分自身にもどろう。





  

             『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版




2017年3月24日 (金)

おかしな霊に取り憑かれないためにも幽界のことを知っておきましょう


 
雰囲気はなにかというと、その人の肉体にくっついている幽体というものが
感じられるということです。

オーラと言ったほうがわかりやすいでしょうか

肉体は目に見えるけれども幽体は肉体よりも波動が細かいので見えないのです。

私たちは目に見える肉体や肉体界のことはまだ認識出来ていますが、非常に影響を受けている幽体、幽界についてはまったくの無知であり無頓着なのです。

学校でも教えてくれない、親も知らない

・・・・・・・

私もまったく知りませんでした。

私は、幽体や幽界が見えるわけではありませんが、真理を学んでいくうちに自然と知ることとなりました

頭で理解することで腑に落ちることがあります。

「そうかそんな世界があるんだ」

「だからあのときそうだったんだ」

「少し気をつけた方がいいな」

それくらいでいいと思うのです。

しかしまったく知らなかったら闇の中を灯りもなしに歩くのと同じです。

昔は、霊的な人が周りに何人か居て、その人の話を怖がりながら聞くうちに不思議な世界の存在を知り、恐れたものです。

だから

昔は、むやみやたらに神社仏閣、お墓などに行かなかったように思うのです。

荒れた神社やお寺などは、妖気が漂っています。

幽界のオバケちゃんの棲家(すみか)になっているのです。

無意識に近づくと取り憑かれることもあるのです。

取り憑かれると幽界の動物霊、感情霊たちにコントロールされてしまいます。

一生を棒に振るようなことにもなりかねません

そうならないようにするには、どうしたらいいか?は、以下の文章に書いてあります。

私たちはいつまでも真理に対して無知ではいけない

そして、真理ではないですが、幽界などみえない世界にも少しは精通しておく必要が

あると思うのであります。

 


俗に、キツネとかタヌキとが憑くといわれているが事実あるこでしょうか。



答 


狐、狸といっても、動物の狐狸のことをいうのではないので、幽界に住む、感情霊、動物霊ともいう、霊魂のことなのである。


医学でいう精神病や、行者の一部には、こうした感情霊に憑依されている場合がたくさんある。


神詣りばかりしている人が、突然、種々の予言をするようになったりすることがあるが、この場合にも、この感情霊の作用が多い。


この感情霊は、霊と普通にいわれているが、実は魂(因縁の波の集り)つまり、迷いの念の波の中に生まれたもので、迷いの念の一つの現われともいえる。


すべて、興味本意、感情本意に行動していて、人間のように、愛(神)を内部に持っている霊魂ではないのである。


従って、人間の本体(本性)とは、まるで違った生物なのである。


いいかえれば、人間にとって一番大事な心、愛と知性を取り除いた、その他の念(おも)いでできているものである、といっても間違いではない。


人間の中にも、愛も知性もなく、利害や、感情のみで、敵になったり、味方になったり、やたら褒めたり、けなりしたりする徒輩(やから)があるが、こうした人たちは、人間というよりは、動物霊に近いというべきで、こうした念の人が、幽界に行くと、今度は、これらの動物霊と、一つになって、迷信家や、低い念の行者に憑依して、肉体の人間を面白半分に迷わせるのである。


形の世界は、すべて、想いが写ってできているので、狐のような想いは、そのような形に、蛇のような想いは、蛇のような形に霊眼に見えたりするのである。(心霊家や、研究家の一部では、天狗、狐、狸などを、自然霊と呼んでいるが、私はただたんに感情霊と呼んでおく。何故ならば、私の説明は自然霊と呼ぶ広範囲の説明ではないからである)



こうした感情霊の憑依を受けぬためには、私の最も主張する、守護霊、守護神への感謝と、愛と真心の行動をしていればよいので、いたずらに奇を好み、霊力を欲するような態度は、厳に戒むべきである。



懸命に信仰をしているように、自分も思い、人にも思われていながら、不幸が絶えぬ人や、信仰していることが、かえって家庭の調和を乱している人や、信仰しているその信仰のしかたや、日常の行動が、奇矯に流れているようでは、その信仰のしかたのどこか誤りがあるので、そうした家庭には憑依霊作用が多いのである。



興味本位の神廻りや、ご利益本位の信仰は、実に危ない気がするのである。


まず、よく自己の本心を顧みて、一生はおろか、神と真に一体になるまで、導いてくれる良い師に出会うよう、守護霊、守護神に祈るべきである。


守護霊は、自己と全く一つの者であるともいえるので、心の中で、常に守護霊、守護神を念じていれば、必ず、その人を邪道から引き出してくれるのである。


そうした心で、入った信仰や、集まりなら、たとえ、その入会の動機が、ご利益からであっても、ついには、真の浄まりにまで、その人を高めてくれるに違いない。


そうなれば、憑依霊の心配は勿論ないのである。




 

    『神と人間』  問答篇 五井昌久

2017年3月15日 (水)

へそ下3.5センチに凄いパワーが宿っている





最近、私は下丹田(かたんでん)のことを頻繁に書いていますが

 

武道でも、学問でも、仕事・・・すべての物事の真髄はこのへそした3.5センチ


のところにあるのだと言っても過言ではないのです。

 

例えば、自分の想念(意識)があっちに行ったりこっちに行ったりと

 

堂々巡りをしていては、正しい判断は出来ません。

  

正しいとは、天(一)に止まると書くのです。

 

止まるとは不動心のことです。

 

周りがどれだけ騒ついていても、動揺していたとしても

 

たった一人でも心を落ち着かせていなければならないのです。

 

と言っても不動心なんてそう簡単になれるものではありません。


不動心とは

 

現れているものすべてが、過去(過去世)の消えてゆく姿だとわかり

 

静かに見守ることによって悪いものが消え(祈ることで早く消え)

 

善くなってゆくんだという強い信念を持つことで初めて得られるからです。



ほんとうの真理がわかっていないとすぐに目の前に現れる現象に

 

一喜一憂してしまうからです。

 

不動心になるためにはどうしたらいいか?

 

正しい判断が出来るようになるにはどうしたらいいか?

 

直観力を得るのはどうしたらいいか?

昔の人は偉かったと思います。

 

真理を自然に実践していました。

 

「あの人は肝が座っている」

 

「あの人は肝っ玉が大きい」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

この肝とは、下丹田のことです。

 

武道の達人(聖者・賢者)などは、自然と下丹田を会得していました。

 

下丹田は、天からの宇宙のエネルギーと、自己のエネルギーが交錯するところです。

 

交錯して、すべてが光に変わってゆく場所なのです。

 

だから下丹田を意識をすると通常の何倍もの速さで物事が進んでいきます。

一ヶ月掛かるところが一週間で出来たりします。

 

それは、下丹田を意識をすることで邪魔をしていたマイナスのエネルギー

 

も消えていったからです。

 

大難が小難に変わったのです。


下丹田を意識し、宇宙の言霊(世界平和の祈り)を唱えると心がみるみるうちに

スッキリとし崇高になってゆくのがわかります。

 

マイナスが消えて、プラスのみの思考になっているのがわかります。

 

それは、下丹田には、マイナスが一切ないからです。

 

マイナスを消して、唯一宇宙意識(本来の自分)になれるのが

 

下丹田なんです。(凄いんです下丹田って)

 

きっと下丹田(肝)の効能などが

 

これから読もうと思っている本に書かれていると思うのです(笑)

みなさん、下丹田を制するものが


自由自在心になれるのだということを知ってください。

 

これから幸せになるための “キーワード” は、肝、腹脳、つまり下丹田です。

 

覚えていてくださいね。

 

おススメ図書

 

「女は胆力」 園田天光光




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


  

 

2017年2月19日 (日)

話し上手より聴き上手になろう 2



 

インタビュア 阿川佐和子さん・・・


私は単なる聞き手です。 相手の心の悩みを聞くことが仕事ではありません。

しかし、インタビューの仕事をしていると、ときどき、

「あー、なんかアガワさんに話したら、自分の頭の中の整理がついた」 と言われることがあります。

あるいは、「こんなこと、ずっと忘れていたのに、今日思い出した」 と驚かれることもあります。

決して私が相手の頭の中を整理してあげようと意図したわけではありません。

「ほらほら、他にもなんか思い出すことがあるでしょう、ええ?」 なんて、無理やり思い出させたりしたこともないはずです。

にもかかわらず、お相手は、最後にふっと、そんな言葉を吐いてくださる。

「今、気がついた。 私って、そう考えていたんですね」

話を聞く、親身になって話を聞く。

それは、自分の意見を伝えようとか、自分がどうにかしてあげようとか、そういう欲を捨てて、ただひたすら 「聞く」 ことなのです。

相手の話の間に入れるのは、 「ちゃんと聞いていますよ」 という合図。

あるいは、「もっと聞きたいですねえ」 という促しのサインだけ。

そうすれば、人は自ずと、内に秘めた想いが言葉となって出てくるのではないでしょうか。

冒頭にお話しした通り、私は週刊文春の対談ページを始めるにあたって、城山三郎さんのような、『名相づち打ち』 になることを目指してきました。

でもときおり、それだけでは大事な話を引き出すことができないのではと、迷ったこともあります。

しかし、文春対談を始めて4年後、河合隼雄さんに出会い、

「ただ聞くこと、それが相手の心を開く鍵なのです」

そう教えられ、後ろ盾を得た気持ちになりました。

 

     「聞く力」 阿川佐和子 文春新書

 
 

感想
 

自分の意見を伝えようとか、自分がどうにかしてあげようとか、そういう欲を捨てて、ただひたすら 「聞く」 ことなのです。

ここが一番大切な部分だと思うのです。

聞くというのは、気(エネルギー)が来るという意味、気来(きく)です。

だからそのエネルギーをどうやって受けとめるのかが肝心です。

自分がスッキリ、爽やかでいればいるほど、綺麗な鏡になれる

自分が綺麗な鏡になることに徹すると相手の心がそのまま鏡に写って

その人は答が見つけやすくなるのです。

自分がスッキリして鏡のような存在になる

それが調和波動気功法なのです。

話上手より聴き上手になろう 1



人から相談を受けたときに、私たちは自分の中から出した答を相手に伝えようとします。

自分の経験や本を読んで知った知識などでアドバイスをしようとします。

そしてそのアドバイス(ヒント)が適切で、相手の人の役に立ったと知ったとき

感謝されたときに、無上の喜びに浸るのです。

しかし、それがとんでもない思い上がりだったことに気がつきました。

答というものは、外から見つけるものではなく

その人本人が、自分の心の中から見つけ出してゆくものなのです。

どんなに素晴らしいアドバイスであっても、どれほど的を得た完璧な答を言ったとしても

それは違うのです。

まったく違うのです。


これから私は、聴き上手な真理カウンセラーになることを誓います。

 

 

相づちの極意

臨床心理学者の河合隼雄さんにお話を伺ったときは、人の話を 「聞く」 ことの大切さを改めて認識させられました。

河合さんは文化庁長官も経験なさいましたが、基本的には 「セラピスト」 のような仕事がご本業。

心にさまざまな傷を抱えるたくさんの方々のカウンセリングをしておいででした。

そこで私はさっそく、

「患者さんに、どんなアドバイスをなさるのですか」

と伺いました。 すると河合さん、

「アドバイスはいっさいしません」

え、アドバイスをしないの? 意外でした。

じゃ、カウンセラーは何をするのかしら。

「僕はね、ただ相手の話を聞くだけ。 聞いて、うんうん、そうか、つらかったねえ、そうかそうか、それで? って相づちを打ったり、話を促したりするだけ」

とおっしゃる。

「どうしてアドバイスをなさらないんですか」

それには理由がありました。

かつて河合さんはある若者の悩みを聞いて、それに対して、「こうしたらどうだろう」 という提案をなさったことがあるそうです。

若者は素直に河合さんのアドバイスを受け入れて、その後、実行した。

それからしばらくのち、若者は再び河合さんのところに訪ねてきて、

「だいぶ元気になりました。 先生のアドバイスのおかげです」

よかったよかった。 じゃ、また何か心配なことが起こったら、いつでも相談にいらっしゃい。

河合さんは安堵して若者を見送ったのですが、さらにしばらくのち、若者が河合さんのところへ、今度は怒ってやってきた。

「先生の言う通りにしたら、ひどいことになった。どうしてくれる」 と。

「つまり、他人のアドバイスが有効に働いたときはいいのですが、何かがうまくいかなくなったとき、そのアドバイスが間違っていたのだと思い込んでしまう。 すべての不幸をアドバイスのせいにして、他の原因を探さなくなってしまうのです」

カウンセラーの責任逃れのように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではない。

本当に心の病を治そうとするならば、地道にその原因となるものを探し出さなければならない。

にもかかわらず、他人の指示に頼ってしまうと、うまくいかないのは全部、そこに原因がある、こうしろと言ったアイツのせいだと勘違いしてしまう恐れがあるのです。

だから僕はアドバイスをしない。

病気の治療には役立たないからですと、河合さんはそんなふうにおっしゃいました。






     
          
「聞く力」 阿川佐和子 文春新書



  

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