2017年3月23日 (木)

心の持ち方が大切



【五井先生のご指導】

■或る日こういう質問をした人がいた。

「先生、何故この世に迷いがあり、悪があり、苦しみがあるのでしょう。神が完全であれば、何故人間を迷わない、苦しまないように造らなかったのでしょう?」

この質問はよくされるものであるが、その時、五井先生は次のように答えられた。

「それは心の持ち方ですよ。登山者は山に登る苦しみをへて頂上にたどり着く。その喜びはそれは大変なものです。その場合、苦しみは悪いことだろうか?その人にとってただ単に苦しいことか?あるいは喜びであろうか?楽しみであろうか?

或る人がお酒を止めようと思ってもお酒を止めることが出来なかった。その人はついに病気になってしまった。それが動機となって信仰の道に入り、病気も治るし、お酒ものむなんてコリゴリだと思い、ピタリと止まり、清らかな生活に入っていった。

この場合、この人にとって病気は悪いものでしょうか?その人にとって善なるものでしょうか?その人にとってよかったわけですね。

よいからこそ守護霊さんがそう導いたわけです。赤ん坊が最初から大人のように大きかったら、育てる楽しみがなくなってしまいますね。

赤ん坊がだんだん大きく生長して、完全になっていく、というところに人生の妙味があるのだし、よいところがあるのです」

■「青年指導のキーポイントは?」という質問に、こう答えられた。

「①人間は肉体のみの存在ではなく、永遠の生命である。これに目覚めさせ、人間の真の価値を教えること。

②正義であろうとも調和が乱れたら正義ではないということ。

③愛、人を痛めない心をもつこと。

④指導者は本当に純粋であれ。

この四つでしょうね。そして青年指導をする場合には、指導一本にならなければいけないですよ」


 

2017年3月11日 (土)

思わんとあきまへんなぁ





私事ですが、私はこれから今までの自分の在り方を一新して、まったく新しい仕事や生活

に変えてゆこうと思っているのです。

新しい仕事を自分で始める、自営業者から起業家になる、

それに伴い生活も一変します。

そこで大切なことは何か?を考えたときに、これからどうするか?を考えるのではなく、

その前に自分がどうなりたいか?を強くイメージすることが重要だとわかったのです。

プロセスではなく、ゴールを強くイメージする

映像になるまでイメージし、夢(イメージ)か現実かわからなくなるくらいまで思いつづける。

すると、イメージは潜在意識にインプットされるのです。

潜在意識というものは、時間を経て必ず顕在意識となって現実世界に顕われてくるのです。

そしてイメージをすると、現われてくるまでにどうしたらいいかというやり方が見えてくるのです。

ほとんどの人は、やり方を先に考えます。

しかし、自分の夢(目標)をしっかりと持って、イメージすることの方がずっとずっと大事なことなのです。

何をすればいいか? ではなく どうなりたいか?

想いが形をつくるのです。

『思わんとあきまへんなあ』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そこで松下幸之助さんは有名なダム式経営の話をされた。ダムを持たない川というのは大

雨が降れば大水が出て洪水を起こす一方、日照りが続けば枯れて水不足を生じてしまう。

だからダムをつくって水をため、天候や環境に左右されることなく水量をつねに一定にコン

トロールする。

それと同じように、経営も景気のよいときこそ景気の悪いときに備えて蓄えをしておく、そう

いう余裕のある経営をすべきだという話をされたのです。

それを聞いて、何百人という中小の経営者が詰めかけた会場に不満の声がさざ波のよう

に広がっていくのが、後方の席にいた私にはよくわかりました。

「何をいっているのか。その余裕がないからこそ、みんな汗水たらして悪戦苦闘しているの

ではないか。余裕があったら、だれもこんな苦労はしない。

われわれが聞きたいのは、どうしたらそのダムがつくれるのかということであって、ダムの

大切さについていまさらあらためて念を押されても、どうにもならない」

そんなつぶやきやささやきが、あちこちで交わされているのです。

やがて講演が終わって質疑応答の時間になったとき、一人の男性が立ち、こう不満を

ぶつけました。

「ダム式経営ができれば、たしかに理想です。 しかし現実にはそれができない。

どうしたらそれができるのか、その方法を教えてくれないことには話にならないじゃない

ですか」

これに対し、松下さんはその温和な顔に苦笑いを浮かべて、しばらく黙っておられました。

それからポツリと

「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけども、ダムをつくろうと思わんとあきま

へんなあ」 とつぶやかれたのです。

今度は会場に失笑が広がりました。

答になったとも思えない松下さんの言葉に、ほとんどの人は失望したようでした。

しかし私は失笑もしなければ失望もしませんでした。

それどころか、体に電流が走るような大きな衝撃を受けて、なかば茫然と顔色を失って

いました。

松下さんのその言葉は、私にとても重要な真理をつきつけていると思えたからです。

 

 

寝ても覚めても強烈に思いつづけることが大切

 

思わんとあきまへんなあ━この松下さんのつぶやきっは私に、

「まず思うこと(イメージすること)」の大切さを伝えていたのです。

ダムをつくる方法は人それぞれだから、こうしろと一律に教えられるものではない。

しかし、まずダムをつくりたいと思わなくてはならない。

その思いがすべての始まりなのだ。

松下さんはそういいたかったにちがいありません。

つまり、心が呼ばなければ、やり方も見えてこないし、成功も近づいてこない。

だからまず強くしっかりと願望することが重要である。

そうすればその思いが起点となって、最後には必ず成就する。

だれの人生もその人が心に描いたとおりのものである。

思いはいわば種であり、人生という庭に根を張り、幹を伸ばし、花を咲かせ、

実をつけるための、もっとも最初の、そしてもっとも重要な要因なのである━。・・・・・・・・・
 




    
         
「生き方」 稲盛和夫  サンマーク出版





  

2017年3月 6日 (月)

人として生れてくる確率とは?

 

人の生命は地球より重たいっていうけど

人としてこうして肉体を持って地球に生まれてくる確率ってどれくらいなんだろう?

この無限の宇宙の中で目にみえないものが圧倒的に大きい中で、

肉体と精神を備えた私たちとは、いったいどんな存在なんだろう?

時々、自分の存在そのものが不思議に思えてくることってありますよね。

 
人として肉体を持って生まれてくる確率は,


な、なんと


3億円の宝くじを何千回も連続して当たるよりも少ない確率だそうです。

 

まさしく天文学的な数字ですよね 


なのにわたしたちは宝くじを買って幸せになろうとする。


でも自分はそんなものよりももっと桁違いにすごい


素晴しい存在なのです。


嫌~な人を見ていても

「あ~この人は、ものすごい確率で奇跡的に生まれてきた人なんだなぁ」

と思うとなんだかいとおしくなったりします。

人や自分が生まれてきたすごい意味ってきっとあるんですね。
 

追伸・・・肉体を持って今の地球に降り立ちたかった魂たち(競争に負けた)がそれこそ、無限に近いほどあったそうです。

私たちはその魂たちの代表でもあるのです。


 
  



  



  

2017年3月 5日 (日)

心配するな なんとかなる



一休和尚の説話の一つに、遺言の話があります。

一休さんは、亡くなるときに一通の封書を寺の弟子たちに残しました。

「この先、ほんとうに困ることがあったら、これを開けなさい」

と言い遺しました。

何年かたって、寺に大変な難問題が持ち上がり、どうしようもないので、弟子たちが集まって、その封書を開いてみると、そこには

「 しんぱいするな なんとかなる 」

と書いてありました。

とたんに弟子たちは一同、大笑いの内に落ち着きと勇気と明るさを取り戻し、難しい問題を解決できたという話です。


小坊主の一休さんは、大人たちが次々と突きつけてくる難題を少しも騒がず、抜群の集中力とトンチで切り抜けます。

彼は今から約600年前に生まれ、88歳という当時としては、ケタ外れの長息きをしました。

さすがの一休さんも「平常心でいられない」 「楽しめない」 「ばく然とした不安がある」 「なんとなく無気力で元気が出ない」 等など、人生の苦しみ、悩みにさいなまれた時がありました。

けれども 「不思善悪(ふしぜんあく)」

つまり、もの事の善し悪しにあまり厳しくこだわり過ぎない、ありのままをありのままに見て、認めてしまう、常に気を楽にする。

という事を悟ったようです。

気分を楽にすると必ず同時に元気が身体に湧いて来ます。

不安や心配や焦りの中では決して生まれない知恵や創造力が気分を楽にした時に湧き出て来ます。

難問が難問にみえなくなります。

しんぱいをやめたとたんに健康がもたらされます。

みなさん、厳しい状況が続きますが、こんな時ほど、物やお金がなくても平常心でいることが大切なのではないでしょうか。

日本人の誇るべき清潔意識


 
長男が二歳のときのことです。里帰り先のハワイでブランチを食べていました。

あのボリュームたっぷりな「アメリカ式ブランチ」です。

実家があるオアフ島・パールリッジの円形レストラン、「アンナミラーズ」のパンケーキブランチは最高です。

シロップとバターでどろどろのパンケーキに、ベーコン・カリカリハッシュブラウンと美味しいコーヒー・・・・。



さて、気持ちよく食事を終え、子供の散らかしたテーブルを整え、お皿を重ねていると、それまでざわざわしていたレストランが、突然静まり返りました。

ふと周囲を見回して、ほかのお客さんたちやウェイトレスの視線を浴びていることに気がつきました。

ウェイトレスがやってきて、こう言います。

「10年間ウェイトレスをやっているが、自分たちで後片づけをしているお客様は初めて! GREAT!

「日本では普通ですよ。大丈夫、こちらでやります!」

このやり取りが日本の 「常識」と、世界の 「常識」 の差なのです。


帰国するたびに、「日本人ってすごく清潔らしいですね」と言われます。

外国から来る人にとっても、日本の清潔さが大きな印象ポイントになっているのです。

海外のどの国に行っても、日本ほどの 「清潔感」 を保っている街はとても少ない気がします。

海外のホテルのフィットネスなどに行くと、ときどきスリッパがなければ床を踏みたくないときがあります。

見た目がよくても、不潔に感じる場所がたくさんあります。

それは日本以外の国では、他の利用者のために気配りをする、ということがほとんどないからです。


清潔な施設を維持するには、施設の責任者や担当者だけでなく、利用者一人ひとりの協力がないとできないことです。

喫煙者が吸殻をきちんとマナーバックに入れる。

自分の家の前の道路だけでなく、隣の家の前まで、掃除する。

人に迷惑がかからないように、レストランで食べ終わった食器の後片づけをやっておく。

究極の 「気遣い」 は傘だと思います。

雨で濡れた傘をハンカチで拭いてから畳むなどという行為を、日本以外のところで見たことがありません。

電車が込み合っているとき、濡れた傘がまわりの人に触れて迷惑をかけたくない、という気持ちなのでしょう。


清潔感へのこだわりは、日本人ほぼ全員が共有している「気遣いやおもてなし」精神です。

ワイシャツの白さ、靴の磨き方、手先の手入れなど、自分自身の体から始まって、やがて街や国家にまで定着した「清潔感」。

日本の誇るべきものは、伝統や歴史だけでなく、あらゆる場所で習慣化した「清潔な気遣い」と「衛生的なおもてなし」なのです。





  日本人が誇れる33のこと ルース・ジャーマン・白石 あさ出版




 


感謝の言葉が豊かな日本人





わたしが日本の文化の中で特に尊敬をしているのは、感謝の気持ちを表す表現が豊かであることです。

「ありがとう」の気持ちを忘れずに相手に表現する必要性は、どの国でも母親や父親が子どもに言って聞かせます。

わたし自身、両親に教えられ、「Thank You」という言葉の意味の深さについてよく考えていました。

しかし、日本の日常生活にある豊かな「ありがとう」の感謝表現は、他の国とは異なります。

実にさまざまな、感謝を表すことばがあるのです。

「すいません」

「ありがとう」

「恐縮です」

「おそれいります」

「助かりました」

「お世話になりました」

「ご馳走さまでした」

「お疲れ様でした」

長年日本にいても、その場その場で使い分けられる 「感謝の表現」の複雑なニュアンスに戸惑うことがあります。

ちょっとしたおじきなど、感謝を表すジェスチャーもたくさんありますし、お土産やギフトの文化に含まれる 「感謝の心を表す行為」にも、深い意味や歴史があるようです。

日本の社会では、ビジネスでもプライベートでも、感謝の気持ちを表すことが基本的な習慣となっています。

「お礼の気持ち」 をどのように表すべきかという「課題」を、無意識のうちにこなしてしまっているのです。

もちろん他の国にも、「家族を大切にする」「社会活動を行う」などのすばらしい共通認識がありますが、「ありがとう」をここまで極めている文化はありません。

言うまでもないのですが、「ありがとう」を中心に考えると、必然的に「我」ではなく、「相手」がフォーカスされます。

相手のためにどのように言えばいいか、どのように動けばいいか、何を差し上げればいいかを日常的に考えるようになると、自己的ではなく外向きな視点をもつようになるでしょう。

時には、組織のチームワークやグループシンキングが上達します。



わたしの子供たちが小さいころ、よく横浜の市営バスを利用していました。

わたしたちが定期的に乗るバスが日野墓地を通る関係で、お墓参りをされるご年配の方が多くいらっしゃいました。

それらのお年寄りたちのほとんどが、バスを降りる前に運転手さんに向って「ありがとうございます」と声をかけていました。

目的地まで無事につれていってくれた運転手さんへの、「お礼」 の気持ちを、当り前のように、何気なく言葉にしていることに心を打たれました。

そうした文化が、子供たちにも根づいていることを、わたしは誇りに思います。

先日、子供とタクシーに乗り、十歳になった娘が下車する際に、無意識に運転手さんにちょっとしたおじきをし、「ありがとうございます」と丁寧に言ったのです。

その瞬間、母親としてとても穏やかな気持ちになりました。

これからも日本人のお礼の心を、親子ともども、どの国に行っても、大切にしていきたいと思います。

「日本で暮らせて、ありがとう・・・・・・」



 

『日本人が世界に誇れる33のこと』ルース・ジャーマン・白石 あさ出版




2017年3月 4日 (土)

ぞうのはな子さん



自己犠牲ではないけれど、自分のことを顧みず

他人や動物や何かのために命がけで

一生懸命になる。

これほど美しい姿があるでしょうか

私は正直に申しますと

自分以外の人のために

自分というものをすっかり忘れて

無私になって

愛を注いだという経験がありません。

だから今からご紹介するゾウのはな子の物語は

感動するのです。


自分がどう想われてるとか

想われたいだとか

そんなことには、一切とらわれない

ただ、自分の本心に忠実に、エネルギーを、愛を、惜しみなく相手の人に注いでいるのです。

だから相手の人はそれをストレートに感じ取って

心があたたかくなる。

理屈ではないんですよね。

“人間って素晴らしい!” 

って思うのは

このような実話を聞いたときです。









山川宏治さん(掲載当時:東京都多摩動物公園主任飼育員)

『致知』2007年5月号「致知随想」より


■「殺人ゾウ」の汚名
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武蔵野の面影を残す雑木林に囲まれた

東京・井の頭自然文化園に、

今年還暦を迎えるおばあちゃんゾウがいます。

彼女の名前は「はな子」。

私が生まれる以前の昭和24年に、

戦後初めてのゾウとして日本にやってきました。

当時まだ2歳半、体重も1トンにも満たない

小さくかわいい彼女は、

子どもたちの大歓声で迎えられました。

遠い南の国、タイからやって来たはな子は

たちまち上野動物園のアイドルとなりました。

ところが、引っ越し先の井の頭自然文化園で、

はな子は思いがけない事故を起こします。

深夜、酔ってゾウ舎に忍び込んだ男性を、

その数年後には飼育員を、踏み殺してしまったのです。

「殺人ゾウ」──。

皆からそう呼ばれるようになったはな子は、

暗いゾウ舎に4つの足を鎖で繋がれ、

身動きひとつ取れなくなりました。

餌をほとんど口にしなくなり、

背骨や肋骨が露になるほど身体は痩せこけ、

かわいく優しかった目は人間不信で

ギラギラしたものに変わってしまいました。

飼育員の間でも人を殺したゾウの世話を

希望する者は誰もいなくなりました。

空席になっていたはな子の飼育係に、

当時多摩動物公園で子ゾウを担当していた

私の父・山川清蔵が決まったのは昭和35年6月。

それからはな子と父の30年間が始まりました。

「鼻の届くところに来てみろ、叩いてやるぞ!」

と睨みつけてくるはな子に怯むことなく

父はそれまでの経験と勘をもとに何度も考え抜いた結果、

着任して4日後には1か月以上

繋がれていたはな子の鎖を外してしまうのです。

そこには

「閉ざされた心をもう一度開いてあげたい」、

「信頼されるにはまず、はな子を信頼しなければ」

という気持ちがあったのでしょう。

父はいつもはな子のそばにいました。

出勤してまずゾウ舎に向かう。

朝ご飯をたっぷりあげ、身体についた藁を払い、

外へ出るおめかしをしてあげる。

それから兼任している他の動物たちの世話をし、

休憩もとらずに、暇を見つけては

バナナやリンゴを手にゾウ舎へ足を運ぶ。

話し掛け、触れる……。

「人殺し!」とお客さんに罵られた時も、

その言葉に興奮するはな子にそっと寄り添い、

はな子の楯になりました。

そんな父の思いが通じたのか、

徐々に父の手を舐めるほど心を開き、

元の体重に戻りつつありました。

ある日、若い頃の絶食と栄養失調が祟って歯が抜け落ち、

はな子は餌を食べることができなくなりました。

自然界では歯がなくなることは死を意味します。

なんとか食べさせなければという、

父の試行錯誤の毎日が始まりました。

どうしたら餌を食べてくれるだろうか……。

考えた結果、父はバナナやリンゴ、サツマイモなど

100キロ近くの餌を細かく刻み、

丸めたものをはな子に差し出しました。

それまで何も食べようとしなかったはな子は、

喜んで口にしました。

食事は1日に4回。1回分の餌を刻むだけで何時間もかかります。

それを苦と思わず、いつでも必要とする時に

そばにいた父に、はな子も心を許したのだと思います。

定年を迎えるまで、父の心はひと時も離れず

はな子に寄り添ってきました。

自分の身体ががんという病に

蝕まれていることにも気づかずに……。

はな子と別れた5年後に父は亡くなりました。

後任への心遣い、はな子へのけじめだったのでしょう。

動物園を去ってから、父はあれだけ愛していたはな子に

一度も会いに行きませんでした。

■亡き父と語り合う
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思えば父の最期の5年間は、

はな子の飼育に完全燃焼した後の

余熱のような期間だったと思います。

飼育員としての父の人生は、

はな子のためにあったと言っていいかもしれません。

残念なことに、私には父と一緒に遊んだ思い出がありません。

キャッチボールすらしたことがないのです。

家にじっとしていることもなく、

自分の子どもよりゾウと一緒にいる父に、

「なんだ、この親父」と

反感を持つこともありました。

ところが家庭を顧みずに働く父と同じ道は

絶対に歩まないと思っていたはずの私が、

気がつけば飼育員としての道を歩いています。

高校卒業後、都庁に入り動物園に配属になった私は、

父が亡くなった後にあのはな子の担当になったのです。

それまでは父と比べられるのがいやで、

父の話題を意識的に避けていた私でしたが、

はな子と接していくうちにゾウの心、

そして私の知らなかった父の姿に出会いました。

人間との信頼関係が壊れ、敵意をむき出しにした

ゾウに再び人間への信頼を取り戻す。

その難しい仕事のために、

父はいつもはな子に寄り添い、

愛情深く話し掛けていたのです。

だからこそ、はな子はこちらの働きかけに

素直に応えてくれるようになったのだと思います。

一人息子とはほとんど話もせず、

いったい何を考え、何を思って生きてきたのか、

生前はさっぱり分かりませんでしたが、

はな子を通じて初めて亡き父と語り合えた気がします。

私は「父が心を開かせたはな子をもう1度スターに」と、

お客様が直接おやつをあげるなど、

それまでタブーとされてきた

はな子との触れ合いの機会を設けました。

父、そして私の見てきた

本来の優しいはな子の姿を多くの方々に

知ってほしかったのです。

人々の笑顔に包まれたはな子の姿を

父にも見てほしいと思います。




  

2017年3月 1日 (水)

罪を憎んで人を憎まず



警官の涙】


明治26年(1893)6月7日正午、四年前に熊本で警察官を殺害して逃亡した強盗犯が、福岡で捕えられて熊本へ護送されてきた。

殺された警察官は、地元の人々からの人望がとても厚い人物だったという。

そのためだろう、熊本駅前には多数の群衆が押し寄せ、一帯はきわめて穏やかではない雰囲気に満ちていた。

その群衆の中に、当時、第五高等学校(現・熊本大学)で教鞭をとっていたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の姿があった。

ハーンはいったい何が起きるのだろうかと不安な気持ちを抱いていたようだった。

列車が到着すると間もなく、一人の警部に背中を押されるようにして、後ろ手に縛られ首をうなだれた犯人が改札口から出てきた。

警部が犯人を改札口の前に立ち止まらせると、群衆はいっせいに前の方へ押し出てきたが、しかし静かに見守るような様子であった。

そのとき警部が大声で呼んだ

━ と、ハーンはそこで見た光景を次のように書いている。

「 『杉原さん、杉原おきび、来ていますか?』

背中に子供を負うて私のそばに立っていたほっそりとした小さい女が

『はい』

と答えて人込みの中をおしわけて進んだ。

これが殺された人の寡婦(未亡人)であった、負うていた子供はその人の息子であった。

役人の手の合図で群衆は引き下がって囚人とその護衛と周囲に場所をあけた。

その場所に子供をつれた女が殺人犯人と面して立った。

その静かさは死の静かさであった」

警部はその子に向かって、低いがはっきりした声で話しかけた。

「坊ちゃん、これが四年前にお父さんを殺した男です。

あなたは未だ生まれていなかった。

あなたはお母さんのおなかにいました。

今あなたを可愛がってくれるお父さんがないのはこの人の仕業です。

御覧なさい、(ここで役人は罪人の顎に手をやって厳かに彼の眼を上げさせた)よく御覧なさ い、坊ちゃん、恐ろしがるには及ばない、厭でしょうがあなたのつとめです。よく御覧なさい」

ハーンが見ていると、その男の子は母親の肩越しに犯人の顔を恐れるように見やった。

それからすすり泣き、涙を流しながら、恐れを追い払うようにしてしっかりと、眼をそらすまいと力を込めているかのように犯人の顔を見つめ続けた。

そのとき「群衆の息は止まったようであった」とハーンは記す。

犯人はみるみる顔をゆがませると、突然身体の力が抜けたかのように倒れこみ、地面に顔を打ちつけ、声を震わせて叫ぶように言葉を放った。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんして下さい、坊ちゃん。

そんな事をしたのは怨みがあってしたのではありません。

逃げたさの余り恐ろしくて気が狂ったのです。

大変悪うございました。何とも申し訳もない悪い事を致しました。

しかし私の罪のために私は死にます。

死にたいです。喜んで死にます。

だから坊ちゃん、憐れんで下さい、堪忍して下さい」

子供は無言のまま泣き続け、警部は犯人を引き起こし、二人が歩きはじめると群衆は左右へ分かれて道をあけた。

すると突然に 「全体の群衆」がいっせいにすすり泣きをはじめた。

と同時にハーンは、犯人をつれて歩く警部の顔に涙を認めて大きな驚きをもった。

「私は前に一度も見た事のない物、めったに人の見ない物、恐らく再び見る事のない物、即ち日本の警官の涙を見た」

群衆が引き上げていくなか、ハーンは

「この光景の不思議な教訓を黙想しながら」一人その場に立ち続けていた。

ハーンは、この場には「罪悪の最も簡単なる結果を悲痛に示す事によって罪悪を知らしめた容赦をしないが同情のある正義」があった。

犯人には 「死の前に只容赦を希(ねが)う絶望の悔恨があった。

・・・・・中略・・・・

大いなる罪を犯した者がまちがいを悟り後悔しているんだなと、反省してみずからの行為を恥ずかしく思っているんだなと心から理解できたとき、人道にもとる凶悪犯人への怒りが消え て、その代わりに罪に対する悲しく哀れな気持ちでいっぱいになる

 ━ ハーンが目撃したのは、まさしくそうした日本人の心情倫理が息づくさまであった。


日本人がしばしば口にする

 「罪を憎んで人を憎まず」 の言葉が、単によき理念を表す格言としてあったのではなく、日 常の実際的な状況のなかに生きる倫理観としてあったことが、ハーンが語ったこの明治期の一エピソードからひしひしと伝わってくる。


このような日本人の心情倫理は今なお健在だろうか。

昨今のテレビ報道でしばしば耳に入るのは、

「どうか犯人を死刑にしてください」

「生涯、けっして許すことはできません」

といった犯罪被害者遺族たちの声である。

もし私が親兄弟姉妹を殺害されたとすれば、同じような言葉を吐くかもしれないと思う。

それは、現在の社会ではハーンが目撃したような場面を体験することが、

「けっしてない」とすらいえる現実と深くかかわっているのではないだろうか。

今では、犯罪者(の思い)と被害者遺族(の思い)が接点をもつことは許されない。

犯人に心からの「反省と悔恨」があると人づてに聞いても、身体で感じ取れる直接性を得るこ とはできない。

言葉だけ・・・・との思いから、いっそう受け入れられない気持ちが強くなるばかりだ。 

とすれば、遺族たちはどのようにすれば、罪人への憤怒の情から罪への悲哀の情へと移り変わることができるのであろうか。

また罪人はどのようにすれば、自らの「容赦を希う絶望の悔恨」を被害者遺族に伝えられる のだろうか。


ハーンが目撃した明治期の警部の 「はからい」 のような実際的な契機はなくとも、

「罪を憎んで人を憎まず」 の気持ちは今なお日本群衆のものであり、当事者もまた、やがて は日本群衆の気持ちに同化していく ━ 私にはそう信じられる。


犯人が死刑になろうが恨み続けようが、亡くなった者は帰ってこないけれども、人は死ぬと神となり仏となり、この世の一切の善悪を超えた存在となる。

こうした鎮魂への思いが強ければそれだけ

 「罪を憎んで人を憎まず」

 の平穏なる気持ちへ至ろうとするのではないだろうか。

死者の供養に一切を許していこうとする日本人は今も健在だと私は思う。




 なぜ世界の人々は「日本の心」の惹かれるのか 呉 善花 PHP




  


2017年2月28日 (火)

教育の原点


 

ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。

その先生が五年生の担任になった時

一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり

皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。

先生はどうしてもその少年を好きになれず

いつからかその少年を

毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを

記入するようになっていた。


ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。

そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。

勉強もよくでき、将来楽しみ」とある。

間違いだ。他の子に違いない。

先生はそう思った。

二年生になると

「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」

と書かれていた。

三年生では

「母親の病気が悪くなり、疲れていて、

教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には

「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると

「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、

深い悲しみを生き抜いている

生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?

わからないところは教えてあげるから」。

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。

おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから

感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださ

った先生を、神様のように感じます。

大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。

届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母親の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。

先生は嬉しくて涙が止まらなかった。


僕は、このお話を日本中の先生に読んでもらいたいです。

日本中の大人に読んでもらいたいです。

ダメな人なんていない。

可能性のない人なんていない。

僕たち大人が、ダメだと決めつけてしまう考え方があるだけで…。



  

2017年2月25日 (土)

宇宙法則に乗った生き方



今、私が楽しみに観ているテレビドラマは、「就活家族」ーきっとうまくいくーです。

三浦友和、黒木瞳、前田敦子、工藤阿須加、の4人家族全員がいきなり同時に職を失ってしまう。

毎回めまぐるしい展開で、みんながそれぞれ何度も危機に立たされる・・・

けれど職を失っても決してマイナスばかりではなく、新しい発見や生きがい、そして今までとは違った愛が生れる。

『人間万事塞翁が馬』はもう使い果たされていますが、

う~ん神様は私たちに人生というゲームをさせながら修業をさせ、成長させてくださっているのだなあと思うのであります。

私たちはいったい何を基準に、何を物差しに生きて行けばよいのでしょうか?




1.人は自分の都合のよいことを “善” と考え、自分にとって都合の悪いことを “悪” と考える傾向を持っている。

が宇宙の法則にのっとっておれば、悪でさえ良しと見なされるし、またそれと反対に善でさえ許されない場合もある。

要するに肉体をもった我々が善だの悪だのと批判するものではないのだ。

 

2.世の中の人々のすること、なすことに対して、いちいち気にするな。

あなたが今、一番気にしなくてはならないことは、神に対して己のとっている態度が善いか悪いかのみである。

神に対して、宇宙真理に照らしてみて、今自分がとっている態度が正しいと思えば、人が何と思おうと、人が何と言おうと気にすることはない。

自信を持って堂々と生きてゆくことだ。


自分に自信がないからこそ、人の言うこと、なすことがいちいち気になるのである。

 

               『日々の指針』 西園寺昌美



  



 

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