2017年6月27日 (火)

流す 外す 消す(人間が心身ともに健康になるためのメソッド)

 

人間の本質とは、肉体(物体)ではない、天地を貫く光の波動体であるということがわからないと人間は健康にも、幸せにもならないのです。

つまり真理(我即神也)がわからないとさ迷った状態で肉体を去ることになります。

そしてまた生まれ変わっても同じところ(境地)、または後退したところからスタートすることになる。(記憶を消されているので)

人間はどうして生きていられるかというと、宇宙からのエネルギー(霊要素)を頭のてっぺん(百会)で受け取り、血管の中をエネルギーが通り、60兆の細胞に命を吹き込み、足の裏(湧泉)から地球の中心に向けてエネルギーを流しているのです。

この流れが綺麗な川や滝のようにスムーズに流れている状態が本来の人間の健全な、健康な姿です。

エネルギーとは気のことなので、病気とは気(エネルギー)がスムーズに流れず滞った状態なのです。

流れを邪魔するのが想いです。

「ああだ、こうだ」「どうしよう」「どうなるのかな?」というマイナスの想い(プラスの想いでも)は川の流れに大きな石を置いた状態です。

だから肉体から意識を外すことが大切なのです。(調和波動気功法では肉体に付いたマイナスのエネルギーを外すために動功をしています)

今、人間がなにかのわけがあってもなくても

“しんどい” “魂が喜んでいない” “お金があっても充実感、幸せ感がない”

というのは、エネルギーがスッキリと流れていないからです。理屈ではないのです。

そして最後の消すですが、マイナスの想念エネルギーは消さないことには無くなりません。

ずっと周辺、地球の周りを漂っているだけです。

そしてあなたがマイナスを想うとそれに共鳴して増幅し余計しんどくなるのです。

マイナスの想念エネルギーは自分、そして地球人類がつくってしまったものです。

だから自分たちで消してしまわなければなりません。(自己責任)

でないとマイナスの想念エネルギーが充満したままでは、人間はしんどいままだし、アセンションは失敗するのです。

どこかの国が潰れ、人間もすべてが救われることはありません。

神様(宇宙)はすべての地球人類を救おうとなさっています。


それは、これからの人間の意識にかかっているのです。

人間が真剣に世界平和の祈りを祈るかどうかにかかっているのです。

世界平和の強いプラスのエネルギーしかマイナスの想念エネルギーは消せないからです。

世界平和の祈りしか、個人も人類も救われる方法がないからです。

最後の“消す方法”が世界平和の祈りです。

「流す、外す、消す」これが自分も地球人類も幸せになるためのキーワードだと思ってください。

言葉に発するだけでもエネルギーが調って善くなって行きます。


「自分は光の波動体(エネルギースポット・光の柱)なんだ!」

「流す、外す、消す」。「流す、外す、消す」。「流す、外す、消す」。「流す、外す、消す」・・・・。




 

肉体から意識を外す、ワン・ツー



“肉体から意識を外す”について同じタイトルで違う時期に書いていました。

私たちは、頭を使ってどうでもいいことを考えているからベクトルがおかしな方向へ行ってしまう、ならば考えなきゃいいんだという内容なのですが、比較してみると面白いのです。

べつの観点から述べている、よかったらみなさんもお付き合いください。


2008年5月28日投稿


1、「肉体から意識を外すのです」


私のメンター(人生の師匠)
がレッスンのときによくおっしゃっていました。
 
どういうことかと申しますと、人間はインターネットに繋がったパソコンのようなもので頭の中を色んな想い、想念が交錯しているのです。
 
だから一日の中でも躁になったり鬱になったり、元気になったり元気でなくなったり、落ち着いていたり不安になったり、情緒が不安定で安定しません。

気分が上ったり、下がったりしている、わけがわからない

・・・・そして、その違い、落差に振り回されて疲れ切ってしまう。
 
「助けてくれ、なんとかしてくれ~」 と叫びたくなる
 
でも誰も自分の心の中に入って助けてくれる人はいない
 
このしんどさは何なんだろう?

・・・・・・・
 
それは肉体に意識があるから・・・・

・・・・・・・・・・・・・
 
不思議なことに寝ているときは苦しいことはない
 
起きているときのあの頭を駆け巡る想念、雑念が消えている
 
それは寝ているときは肉体から意識が外れて心の奥へ入っていっているからなのです。
 
心の奥(霊界、神界)には穏やかな落ち着いた、不動心の自分がいるのです。
 
そこが本当の自分の居場所なのです。
 
 台風の目 ってご存知ですか?
  
台風の渦の真ん中はほとんど動いていない
 
外側がどれだけ荒れ狂っていても真ん中は静かでいる
 
肉体から意識を外すとは、その中に近づいていることになるのです。
 
肉体から意識を外す簡単な方法があります。

 
運動をする、ストレッチをするといいです。
 
運動をすると意識は肉体から離れています。

ボール競技ならばボールを必死で見、追いかけているので、ボール(外の物)に意識が移るのです。
 
結果的に肉体から意識を外したことになる(ストレスという石が無くなるのでエネルギーが流れる)
 
雑念をシャットアウトしたことになる

・・・・・・・・・・・・・・・・
 
そして身体には色んな人の想いがこびり付いています。
 
人ゴミに行くと疲れるのは色んな人のエネルギーをもらってしまっているのです。
 
疲れるとは、とり憑かれるという意味なのです。
 
運動、ストレッチはそのエネルギーをとり払うことが出来ます。
  
調和波動気功ではストレッチのことを動功(どうこう)と言います。
 
運動とは運が動くって書きますよね
 
マイナスの想念から離れて、運気が上がるって意味だと思います。
 


だから動功をすると訳もなく(本当はあるのだけど)うれしくなる、幸せな気分になるのです♪




2009年7月14日の投稿



2.みなさんは色んなことを考え、悩み、迷っています。

問題を解決することが大切だと思っています。

解決しないとスッキリしない

解決することが一番大事だと思っています。

でもね、問題は考えたら解決するのではないのです。

人生は映画を上映しているのと同じなのです。

結果は必ずハッピーエンドになるに決まっているのです。

なぜなら私たちは創造主で完璧な存在だから無限なる成功しかないのです。

じゃあなんで早く成功しないか?

病気とかが治らないか?

仕事が上手くいかないのか?

思い通りにいかないのか?

というと想いが邪魔をしているのです。

絶対に大丈夫だと信じていればいいのに

ああだ、こうだ、大丈夫だろうか?

ダメなんじゃないか?

心配だ!

・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちは創造主なので想った通りになるのです。

つまり疑いをつかんだ通りになるのです。

疑ったぶんだけ成就しないのです。

幸せにはならないのです。

映画はいくつかのプロセスを経てハッピーエンドにになろうとしています。

経験することが私たちの魂を成長させるからです。

だから病気にもなります、事業にも失敗します。

でも最後には神さまが善いようになるように、しあわせになるようにされているのです。

・・・・・・・・・・・・

なのにマイナスの想念エネルギーを入れてストップをかけているのです。

ブレーキを踏んでいるのです。

考えるということはマイナスをつかんでしまうのでブレーキをかけたことになります。

いいですか、ここが肝腎、大切なところです。

考えるということは想うということ、想うということは相手の心、思いをもらってしまうのです。

ほとんどの人はマイナスを思っているので、考えるといつの間にかネガティブになるのです。

だから余計なことを考えなければ自然と上手くいくのです。


果報(かほう)は寝て待て!


のことわざは

考えないで寝ていろ!

そうすれば上手く行くんだ

ということです。

お釈迦様の 空 も同じことです。

キリストの

「幼子のようになりなさい」

も、幼い子どもは余計なことを考えないからです。

人間は自分で自分の首を絞めているんです (上手くいかなく自分でしている)


だから考えない努力が必要なのです。

私たちは寝ているときは考えていません。

肉体から意識が外れているからです。

肉体から意識が外れるとどんな苦しみも悲しみも無くなるのです。


立っているときは足の裏を意識してください。

座っているときはお尻の穴

これで肉体から意識が外れ、マイナスの想念、マイナスの集合意識を受けなくなります。

後は、プラスのエネルギーをココロの中に入れて行くだけです。

それが祈りなのです。

すっごくシンプルでしょ わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)


追伸・・・・まず「考えない努力をする」しかしどうしても考えてしまうので、そんなときは、立っているときは足の裏、座っているときはお尻の肛門に頭があるとイメージする、そして下丹田(へそ下3.5センチ)を意識するなど、自分でいろいろとやってみるといいです。

要は、頭から、肉体から意識を外すことが大切です。

そして外した先で(足の裏、肛門、下丹田)で世界平和の祈りを祈る(光明思想徹底行もいいですね)と体と魂に憑いたマイナスのエネルギーが取れて行くのです。

それがスッキリ感につながります。

スッキリ感とは幸せ感のことです。

人間はスッキリ爽やかなエネルギー体にならないと幸せにならないのです。

なぜならば人間の本体はは光の波動体だからです。




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


  

お薦め図書

「調和波動気功法」・「無限なる癒し」・「無限次元への誘い」・「無限なる幸せを体得する方法」・「無限なる勇気」・「気功の達人」 于 寿明著

「果因説」西園寺昌美著


調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/


追伸の追伸

ただ単に考えることをやめるのではありません。どうでもいいことを考える代わりに素晴らしいこと、善いことを強くイメージするのです。これが果因説です。明るい未来をイメージすると未来から今に向かってエネルギーが流れて来ます。時間は過去から現在、未来に流れるのではなく、未来から現在へ流れるのです。宇宙は時空を越えているからです。肉体(頭)から意識を外す、マイナスを入れない、そしてプラスのエネルギーを入れてゆく、明るい未来をイメージする。これで完璧、パーフェクトなのです。すべては完璧欠けたるものなし、大成就!🤣








  
  

2017年6月19日 (月)

除霊と浄霊はまったく違うのです

  
霊能者の人、宗教者の人で除霊をするのが上手な人はいると思うのです。

除霊とは字の通り、霊(悪霊)を取り除くことです。ほとんどが念力でやっています。

幽界のオバケちゃんが取り憑いた悪霊を、幽界に取り憑かれた霊能者もしくは、少しばかりの霊力(浄化力)があるお坊さんが祓うのですが、幽界や肉体に意識がある人が取り除こうとしても無理があります。

それは、こびりついた汚れを取るだけの洗浄力がないからです。

汚れたものを汚れた水で綺麗にしようとするのと同じです。

一時的に綺麗になったと見えたり、思っても、またすぐに返ってきます。

または別の人にその汚れは憑くのです。

本人は楽になるかもしれませんが、他人や家族に憑くとしたらそれは浄めたことにはならないのです。

ほんとうに綺麗にしようとするのなら除霊ではなく浄霊(マイナスを消してプラスに変える)をしなければなりません。

除霊と浄霊はまったく違うのです。

幽界を浄められるのは、神界と同じ意識を持った、霊覚者(お釈迦様、キリスト様、完全に悟った人)でなければ浄化することは出来ません。

そんな人は今の日本には、3人と居ないのです。(守護霊、守護神は肉体を持っていないので人ではありません)

そのクラスの人たちも浄霊するのは命がけです。

なぜならば、おかしくなった(業をたくさん被った)人間に憑いた業、カルマ、マイナスの想念エネルギーは凄まじいくらいの量なのです。

人間は何千回、何万回も輪廻転生している、そのたびに汚れがついている、その上に悪霊(幽界のオバケ)が憑いているわけですから、大変なのです。

霊覚者以外の人には、浄霊は絶対に無理だと思ってください。

そして除霊はまったく意味がないことをわかってください。

では、どうしたらいいのか?

それは自分に憑いた悪霊、業、カルマ、マイナスの想念エネルギーは自分で取るのです。

どこかの国のことわざで、「自分に刺さったトゲは自分で抜け!」があります。

厳しいようですが、自分で抜かないと自分のためにならないのです。

そして取るだけではなく浄化するのです。(浄化できて初めて世界人類に貢献出来る)

みなさん甘えています。

病気はお医者さん、薬が治してくれると思っている。

お金は誰かが応援してくれて、寝てる間に儲けてくれて自分を養ってくれると思っている。

幸せは誰かが運んでくれると思っている。

そして自分の魂は誰かが磨いて守ってくれると思っている。

そうではないのです。

自分のエネルギー・波動・気は自分自身で調えるのです。

他人から取ってもらうのと自分で取るのとでは意識が違います。

自分でやるほうが簡単に取れるのです。

気を調えるようになることがほんとうの自立です。

なぜならば波動調整が出来るようになると目に見えることは自然に整って来るからです。

自分が発するエネルギーが爽やかでスッキリしたものであれば、それに共鳴して仕事やお金、人間関係も調和してゆくのです。

目に見えることは目にみえないエネルギーを調えることどで整ってゆくのです。

これが真理です。

これが宇宙法則に乗るということなのです。


宇宙法則に乗るメソッドが世界平和の祈りです。(世界平和の祈りを祈っていると悪霊に取り憑かれることは絶対にありません)

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

  

 

2017年6月13日 (火)

我即神也は理屈ではない


  
今、いろんなところで人間は神であった(過去形ではなく)、神の子なんだ、宇宙そのものなんだと言っているようです。

もしかしたら自分(人間)は、とてつもないサムシング・グレート(なにか偉大なもの)なのかもしれない。

なぜならば、ものを考え(想像)し創造する力があるのだから・・・。

そしてもしそうだとしたら自分の内面(秘めた神性)を高めていけばもの凄い力を発揮するかもしれない。

だがしかし、そんなことみんなが言っているわけでないし、人に言ったら笑われそうだ、気が狂ったと思われそうだ(笑)、そんな段階ではないかと思います。

これからアセンションに向けて人類は次々と神性を顕わしてゆくのですが、そのツールになるのが、世界平和の祈りと印です。

「世界(宇宙)人類が平和でありますように」の祈り言霊は、宇宙神の理念であり、本心のある神界と共鳴するのです。

祈れば祈るほど自分を覆った業、カルマ、マイナスの想念エネルギーが取れて行き、本来の素晴らしい自分(神)になっていきます。

また我即神也の印は、「自分は神であった」ことを思い出すためにするのです。

組んでいると「神であった」が「神なんだ」という確信に変わっていきます。

これは理屈ではないのです。

頭で「自分は神なのだろうか?」と100万回自問自答するよりも、たった1回でもいいから組んでしまえばいいのです。

印はエネルギーです。科学です。

真っ暗い部屋を明るくしたかったら、

「どうしたら明るくなるのだろう」「どうして暗いのだろう」

と悩み、考えるより、明かりのスイッチを入れればいいですよね。

だがしかし、人間はそんなことを悩むのです。

自分の中で腑に落ちてから組もう、他の人が言い出してからにしよう、時間のあるときに考えてみよう。

面倒くさいですね(笑)

ただ(無料)だから、面白そうだから、やってみないとわからないからやってみようでいいのです。

これからは素直な人、目にみえないエネルギー(昨日、エネルギー、気、波動は神さまだと書きました)に意識を向ける人が人間の本来持っている素晴らしいパワーを発揮し活躍してゆくのです。

そしてその人たちは次々に奇跡を起こす姿を見て(我は神を見たる)、次々に連鎖してゆくのだと思います。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


お薦め本


『我即神也』 西園寺昌美著 白光出版



  
  

2017年6月12日 (月)

波動とは?

 

波動とか、気とか、エネルギーだとか言いますが、そもそも何なのか?

簡潔に言いますとこれらみえないものの正体は、神様の働きなのです。

この3つは同じものなので気を掘り下げて説明しますと、目にみえないものを漢字で表すと気になるのです。

元気、天気、陽気、電気、やる気、本気、勇気、気持ち、気配、・・・・・・

気のつく字は、ほんとにたくさんありますね。


日本語の 「気を付けて」は英語で「Good bye」=「God by you」であり、

スペイン語で「Adio's」の「dio's」は神の意味である。

気とは神の意味である。(調和波動気功法より)



では、同意語である波動をもっと詳しく言いますと

「波動が悪い」 「波動が粗い」 「波動が厳しい」 に対し

「波動が良い」 「波動が細かい」 「波動が優しい」 があるのです。

波動は神様なわけですから波動が良いとは、神様がたくさん働いているということであり、波動が悪いとは、神様から離れているということです。

では神様とは一体なんなのか?

神様はいろんな言い方があります。

大自然でもあり、宇宙神でもあり、最近の科学では「サムシング・グレート」、なにか偉大なものと言われているようです。

神を一言で言うと愛なのです。

か~あ

み~い

私たちは神の愛によって生かされてるのであり、神の愛を顕わすために地球上に降り立ったのです。

波動、波動って言いますけれど

人間が神様に近い状態が波動がいいであり、神様がきめ細やかに働いておられる姿が波動が細かいであり、神様の愛が顕われている姿を波動が優しいというのです。

逆に、波動が悪いとは、自分のことばかりを考え、愛や思い遣りを忘れてしまった状態をいうのです。

波動が粗いとは、意識が肉体や物質的なことばかり向いていて、心が雑な状態です。

波動が厳しいとは、神様(愛)から離れ、マイナスの想念エネルギーの多い、本来の姿(神の姿)に戻りにくい状態を言います。

私が外国や東京の波動が悪いと言ったのは、この“厳しい”の方だったのかもしれません。

真理を正確に伝えるのは、つくづく難しいなぁと思います。

波動のニュアンス、少しでもわかっていただけたら幸いです。

追伸・・・・波動を善くする要素がすべて詰まった言霊が世界平和の祈りです。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

 

2017年6月11日 (日)

光明思想徹底行

今、地球はカルマ、業、マイナスの想念エネルギーで覆われています。

今晴れていたかと思えばいつの間にか太陽は雲に覆われ今にも雨が降りそうな天気になっている。

それが心の中で起こっています。

人間の集合意識想念がプラスよりもマイナスの方がずっと多いので笑顔よりも沈んだ顔の人のほうが多くなってしまう。

カラ元気でもいいので元気を装うとするのですが、内から元気を出すのは、難しい、特に日曜日の夕方は

「明日から又、会社か、学校か」とため息が出ます。

そんなときは、宇宙のプラスのエネルギーがすべて入った言霊を唱えるといいのです。

人間の本体(心)は光の波動体、肉体(物資)ではありません。

元気になるには、プラスの言霊を唱えればいいのです。

それも宇宙の無限のプラスのエネルギーがすべて詰まった49個の言霊です。

宇宙の完成された数字は7、それが7つのグループになっています。(完成×完成=パーフェクト)

心の中でいいので、7回唱えてみてください。

唱え終わった瞬間からなんだかスッキリ、心が晴れたような心境になります。

理屈ではないのです。


人間は光の波動体、パワースポットなのです。





『光明思想徹底行』

 

世界人類が平和でありますように

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

無限なる光

無限なる力

無限なる叡智(えいち)

無限なるいのち


世界人類が平和でありますように

無限なる幸福(こうふく)

無限なる繁栄

無限なる富(とみ)

無限なる供給

無限なる成功

無限なる能力

無限なる可能性


世界人類が平和でありますように

無限なる健康

無限なる快活(かいかつ)

無限なるいやし

無限なる新鮮

無限なるさわやか

無限なる活力

無限なる希望
 

世界人類が平和でありますように

無限なる自由

無限なる創造

無限なるひろがり

無限なる大きさ

無限なる発展

無限なるエネルギー

無限なる感謝
 

世界人類が平和でありますように

無限なる喜び

無限なる美

無限なる若さ

無限なる善(ぜん)

無限なるまこと

無限なるきよらか

無限なる正しさ
 

世界人類が平和でありますように

無限なる勝利

無限なる勇気

無限なる進歩

無限なる向上

無限なる強さ

無限なる直感

無限なる無邪気


世界人類が平和でありますように

無限なるゆるし

無限なる栄光

無限なる気高さ

無限なる威厳

無限なる恵み

無限なる輝き

無限なる包容力



  

2017年6月 3日 (土)

霊的なパワーなどに興味を持つと危険です!

 
パワースポットの場所に行って、そこでジンジンに感じた(2013年9月のブログより)

身体が震えた、感動して涙が溢れてきた、神様の声が聞えた・・・・・

これらはすべてにせものなのです。

神界から来ているものではないのです。

本心から来ているものとは違うのです。

ほんものはそんなに簡単にわかるものではないのです。

どういうことかと申しますと

人間は、肉体というボディ(体)の他に幽体、霊体、神体を纏っています。

そして肉体界にも幽界にも霊界、神界にも同時に住んでいるのです。

だけれど、肉体しか目には見えないのでその他の体、世界はないと思っています。

そして肉体と幽体はくっついていて常に幽界の影響を強く受けています。

幽界は潜在意識の世界でもあり、迷った霊たちが霊界や神界に行けずにさ迷っている世界でもあるのです。

この幽界の霊魂たちが肉体界の人間たちに悪さをするのです。(動物霊、感情霊、不良霊)

自分たちには、器(体)がないので肉体界の人間の体に乗り移って(憑依して)その人間をコントロールしようとしている。

だから感じるのは幽体であり、幽界がうつって来てるのです。

幽界のおばけちゃんの仕業です。

肉体界→幽界→霊界→神界(本心)

霊界や神界(本ものの世界)は、波動(エネルギー)が細かいので肉体人間には感じないのです。

本当の自分がいる神界は幽界からずっと奥の感じない世界にあるのです。

ですからほとんどの人がパワースポットなどに行ってまたは、霊的なもの(石やアクセサリーの類い)に触って感じるものなどは全部違うのです。

五感に感じるものはすべて幽体、幽界です。(だから目に見えるUFOもすべて幽界のおばけのいたずらです)

ほんものはずっと奥にあります。

だから、まともな人、常識的な人は

「パワースポットに行って来た」

「霊的なパワーを感じた」

「あそこには、神様が住んでいる」

といった類いの言葉にはすごい違和感を感じているのです。(正解です)

 

幽界のおばけちゃんの気配を感じているのです。(言っている本人は真剣ですが)

それは、聞いた人が幽界の重苦しい、嫌な雰囲気のエネルギーを受けるからです。

全然爽やかな感じを受けていないのです。

だから変な奴と思われています。(人は人を雰囲気で判断するのです、これはかなり正しいのです)

中にはほんとに波動(エネルギー)が善くて、浄まったところもあります。

しかし、感じるのではないのです。

わかるのです。

感じるのは五感です。

わかるのは、本心です。

わかるのは、感じることではないのです。

本物とにせもの(幽界)を区別することを審神(さにわ)というのですが

これが出来る人は、ほとんどいません。(悟った人だけです)

だから面白半分で、パワースポットなどに行ってはいけないのです。

パワーのある石などに関わってはいけないのです。

オバケちゃんの餌食になって面白いように遊ばれるだけです。

憑依されると取り返しのつかないことにもなりかねません。

まともな人(普通の人)から敬遠されるだけです。

霊的なパワーなんて持とうとするのが間違っているのです。
 

霊的なことに興味のある人は是非読んでみてください。
 


 

誤った霊能


 

真の霊能と魔境的、迷い心の幻覚、幻聴とは違います。

魔境とは、まず最初に自己の力を誇示したいとか、自己の都合のよいようにその力をつかいたいとかいう想念でなった霊眼、霊聴、霊言のすべてをいいます。

そうした想念が魔境的想念なのでありますから、そうした想念、統一でなった霊能は、全部一度打ち消してもとの普通人に還らなければいけません。

それは例えば霊眼に仏菩薩の姿がみえ、霊聴に神と称しキリストと名のってきこえてきても、これはダメなのです。

何故かというと、自己利益的欲望では、絶対に神仏の真の力をいただく境地にはなれないからです。

魂の開発向上には少しも役に立たぬばかりか、ついに自己の身を滅ぼし、他人の魂を傷つけ、ゆがめてしまうようにもなるのです。

           「日々の祈り」 五井昌久 白光出版


  

2017年5月18日 (木)

肉体も心も宇宙もすべては波動です


  

波動といってもよくわからないですよね。

宇宙も人間も肉体も心もすべては波動なのだ

と言われてもわかりません。

人間とは一体何なのか?

死んだらどうなるのか?

学校でもテレビでも教えてくれない

そんな大切なことをわかりやすく五井先生が答えてくださいます。

「質問ありませんか?」という本から抜粋したものなのですが、人間という本質が少しでもわかれば生きる力が湧いて来ます。

よかったら読んでみてください。





 
問 44


人間が神によって生かされている、という尊さと、人間が肉体界における義務をおわりまして昇天するその意義深さをお話し願いたいと思います。










肉体は一つの現れなんだ、とか、本当の人間性、人間の生命が現われた一つの形が肉体なのであって、肉体は実在じゃないんだ、といくら説いてもなかなかわからない。

何故かといいますと、肉体という衣をピッタリとまとっていまして、肉体の中にすっかり入りこみ、肉体の中で考え、肉体の中でものを食べ、働いている感じですね。

ところが実はこれは粗雑な一つの波にすぎないんです。

万事はみんな波動なのです。

ここに机があります。 これは木で出来ています。木はいろいろな元素で構成されています。元素は原子で出来ています。 原子は電子と陽子で出来ていますね。

陽子は素粒子によって構成されています。素粒子は字の通り粒子であると同時に、波動でもある。

結局波動の現れがこの形になっているわけです。 

みなさんの肉体も波動なのです。 心もやはり波なのです。

噂をすれば影とやらで、誰々がなんとか、というとその人が来たりするでしょ。

それはその人の波を感じるわけですよ。 万物はすべて波動なのです。

ただ精神波動と物質波動があるわけです。 簡単にいえば微妙な波動が精神波動で、粗い波動が物質波動なのです。

肉体というものは粗い波動なのです。 幽体は肉体より微妙になり、霊波動はそれよりもっと微妙、神霊波動というものはもっと精妙微妙です。

人間というものは、微妙な波動から粗い波動まで広い範囲で現われてくる。

微妙な体を何重にもまとって、肉体界にいるわけです。

今、肉体肉体と肉体ばかりのことを思っているけれども、実は肉体の波動の現れを終えますと、今度は幽体なら幽体に、霊体なら霊体にゆく。

いいかえると、神さまの世界があって、神さまのみ心から生命の光が流れてきている。

それが肉体界まで届いて、肉体の波動を作っているわけです。

その光が肉体をはなれて幽体まで行っちゃうと 「死」 ということになる。

また幽界から霊界のほうへゆくと、幽界もなくなってしまう。

霊界から神界のほうへゆくと霊界もなくなっちゃう。

というふうに光が来ている所、光が停まっている所があるわけです。

今、みなさん方は光が肉体に停まっているわけです。

生命の光が肉体にとまっている。

そこで働いているわけです。

だから肉体の自分が自分だと思っているわけです。

肉体の人間が死んでしまうということは、生命の光が肉体をはなれることです。

霊線というのが後頭部にありまして、その霊線がきれて、光がはなれてしまうと肉体がバタッと倒れて死んでしまう。

そうなると、肉体の自分がまずなくなっちゃう。

しかしなくなったんじゃなくて、本体は天のほうにあるわけですね。

他の微妙な体のほうに移動してゆくわけです。

今度は霊体の中で生きている。だから肉体が死んだからって 「人間」 が死んでいるわけじゃないんです。

永遠に生きているわけです。

無限に進歩して生きているのです。

それを肉体だけと思う癖が長い間ついているのです。

毎朝おみおつけを食べなきゃいられない人は、おみおつけを食べなきゃいられない。

タバコをのんでいる人は知らないうちに、パッパッとすっている。

全然無意識にのんでいますよね。 あきらかに癖です。

そのように人間は肉体だという想いの癖がついているわけです。

それをお釈迦さまやイエスさんという聖者は 

「人間は肉体じゃないんだ、神のみ心なんだ、生命なんだ、光なんだ」 というわけです。

それで説明するんだけれどわからない。 私たちだとよくわかる。

そういう世界をよく知っているわけ。 村田さんも霊界通信に書いています。

肉体をはなれたけれど、霊界で生きている人を書いています。

あのように霊界には霊界の生活があって生きているわけ。 それでこちらの世界でもってあらゆる苦しみをなめたり、修行したりして、魂がきれいになっていると、いい所へいくわけです。

肉体をぬけて幽界へ行ったり、霊界へ行ったりします。

それも輪廻転生(りんねてんしょう)の世界なんです。

しかし輪廻転生しない、生き通しに生きている本当の世界があるのです。

それはどこにあるかというと、神さまのみ心の中にある、自分の本心が神さまの生き通しの生命にありながら、肉体波動はグルグル廻っていることを知っているということになれば、これは菩薩。

ある時は肉体へ行って人のためにつくす。

ある時は幽体へいって迷っている人を救い、ある時は、霊体へ行って光を放つ、というふうに、尽している自分を知っている人になれば菩薩さま、あるいは仏さまになるわけね。

皆さんも今は気がつかない、あるいは気がついている人もあるけれども、知らない間に世界のためにつくしているのです。

世界人類が平和でありますように、といつもいつも世界のことを思い、人類が平和であるようにと祈っている。

それは大勢の人のことを思っているわけですね。

それは愛の行為です。

愛の行為をすることを菩薩行というのであり、常に人のためにつくしているひとを菩薩というのです。

皆さんは、いつも世界平和の祈りをして菩薩行をしているわけですね。

だからこの肉体の小さな自分にいるように思うけれども、知らない間に、実は人類という大きな広い世界に生きているわけです。

だからそういう広い心を持っていれば、肉体をはなれても霊界のいい所へ行くわけです。

想いが常にどこにあるか、どこに住んでいるか、肉体界のみに住んでいるのか、あるいは神さまのみ心の中に住んでいるのか。

神さまのみ心の中に住んでいれば、自由自在に生きられる。

生きて肉体にいても自由自在、死んであちらへいっても自由自在。

肉体にこびりついていれば、肉体にいても自由自在じゃないし、死んだ世界ではまた不自由な波の中に閉じこめられてしまう。

すべてが自分の想いによってきまりますね。

だから、想いをいつも神さまのみ心において、明るく人のために尽して生きていれば、その人は自由に生きられる。

これはお話でなくて事実がそうなんです。






   「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版


  

肉体も心も宇宙もすべては波動なのです



 

波動といってもよくわからないですよね。

宇宙も人間も肉体も心もすべては波動なのだ

と言われてもわかりません。

人間とは一体何なのか?

死んだらどうなるのか?

学校でもテレビでも教えてくれない

そんな大切なことをわかりやすく五井先生が答えてくださいます。

「質問ありませんか?」という本から抜粋したものなのですが、人間という本質が少しでもわかれば生きる力が湧いて来ます。

よかったら読んでみてください。





 
問 44


人間が神によって生かされている、という尊さと、人間が肉体界における義務をおわりまして昇天するその意義深さをお話し願いたいと思います。










肉体は一つの現れなんだ、とか、本当の人間性、人間の生命が現われた一つの形が肉体なのであって、肉体は実在じゃないんだ、といくら説いてもなかなかわからない。

何故かといいますと、肉体という衣をピッタリとまとっていまして、肉体の中にすっかり入りこみ、肉体の中で考え、肉体の中でものを食べ、働いている感じですね。

ところが実はこれは粗雑な一つの波にすぎないんです。

万事はみんな波動なのです。

ここに机があります。 これは木で出来ています。木はいろいろな元素で構成されています。元素は原子で出来ています。 原子は電子と陽子で出来ていますね。

陽子は素粒子によって構成されています。素粒子は字の通り粒子であると同時に、波動でもある。

結局波動の現れがこの形になっているわけです。 

みなさんの肉体も波動なのです。 心もやはり波なのです。

噂をすれば影とやらで、誰々がなんとか、というとその人が来たりするでしょ。

それはその人の波を感じるわけですよ。 万物はすべて波動なのです。

ただ精神波動と物質波動があるわけです。 簡単にいえば微妙な波動が精神波動で、粗い波動が物質波動なのです。

肉体というものは粗い波動なのです。 幽体は肉体より微妙になり、霊波動はそれよりもっと微妙、神霊波動というものはもっと精妙微妙です。

人間というものは、微妙な波動から粗い波動まで広い範囲で現われてくる。

微妙な体を何重にもまとって、肉体界にいるわけです。

今、肉体肉体と肉体ばかりのことを思っているけれども、実は肉体の波動の現れを終えますと、今度は幽体なら幽体に、霊体なら霊体にゆく。

いいかえると、神さまの世界があって、神さまのみ心から生命の光が流れてきている。

それが肉体界まで届いて、肉体の波動を作っているわけです。

その光が肉体をはなれて幽体まで行っちゃうと 「死」 ということになる。

また幽界から霊界のほうへゆくと、幽界もなくなってしまう。

霊界から神界のほうへゆくと霊界もなくなっちゃう。

というふうに光が来ている所、光が停まっている所があるわけです。

今、みなさん方は光が肉体に停まっているわけです。

生命の光が肉体にとまっている。

そこで働いているわけです。

だから肉体の自分が自分だと思っているわけです。

肉体の人間が死んでしまうということは、生命の光が肉体をはなれることです。

霊線というのが後頭部にありまして、その霊線がきれて、光がはなれてしまうと肉体がバタッと倒れて死んでしまう。

そうなると、肉体の自分がまずなくなっちゃう。

しかしなくなったんじゃなくて、本体は天のほうにあるわけですね。

他の微妙な体のほうに移動してゆくわけです。

今度は霊体の中で生きている。だから肉体が死んだからって 「人間」 が死んでいるわけじゃないんです。

永遠に生きているわけです。

無限に進歩して生きているのです。

それを肉体だけと思う癖が長い間ついているのです。

毎朝おみおつけを食べなきゃいられない人は、おみおつけを食べなきゃいられない。

タバコをのんでいる人は知らないうちに、パッパッとすっている。

全然無意識にのんでいますよね。 あきらかに癖です。

そのように人間は肉体だという想いの癖がついているわけです。

それをお釈迦さまやイエスさんという聖者は 

「人間は肉体じゃないんだ、神のみ心なんだ、生命なんだ、光なんだ」 というわけです。

それで説明するんだけれどわからない。 私たちだとよくわかる。

そういう世界をよく知っているわけ。 村田さんも霊界通信に書いています。

肉体をはなれたけれど、霊界で生きている人を書いています。

あのように霊界には霊界の生活があって生きているわけ。 それでこちらの世界でもってあらゆる苦しみをなめたり、修行したりして、魂がきれいになっていると、いい所へいくわけです。

肉体をぬけて幽界へ行ったり、霊界へ行ったりします。

それも輪廻転生(りんねてんしょう)の世界なんです。

しかし輪廻転生しない、生き通しに生きている本当の世界があるのです。

それはどこにあるかというと、神さまのみ心の中にある、自分の本心が神さまの生き通しの生命にありながら、肉体波動はグルグル廻っていることを知っているということになれば、これは菩薩。

ある時は肉体へ行って人のためにつくす。

ある時は幽体へいって迷っている人を救い、ある時は、霊体へ行って光を放つ、というふうに、尽している自分を知っている人になれば菩薩さま、あるいは仏さまになるわけね。

皆さんも今は気がつかない、あるいは気がついている人もあるけれども、知らない間に世界のためにつくしているのです。

世界人類が平和でありますように、といつもいつも世界のことを思い、人類が平和であるようにと祈っている。

それは大勢の人のことを思っているわけですね。

それは愛の行為です。

愛の行為をすることを菩薩行というのであり、常に人のためにつくしているひとを菩薩というのです。

皆さんは、いつも世界平和の祈りをして菩薩行をしているわけですね。

だからこの肉体の小さな自分にいるように思うけれども、知らない間に、実は人類という大きな広い世界に生きているわけです。

だからそういう広い心を持っていれば、肉体をはなれても霊界のいい所へ行くわけです。

想いが常にどこにあるか、どこに住んでいるか、肉体界のみに住んでいるのか、あるいは神さまのみ心の中に住んでいるのか。

神さまのみ心の中に住んでいれば、自由自在に生きられる。

生きて肉体にいても自由自在、死んであちらへいっても自由自在。

肉体にこびりついていれば、肉体にいても自由自在じゃないし、死んだ世界ではまた不自由な波の中に閉じこめられてしまう。

すべてが自分の想いによってきまりますね。

だから、想いをいつも神さまのみ心において、明るく人のために尽して生きていれば、その人は自由に生きられる。

これはお話でなくて事実がそうなんです。






   「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版

どんなときにも感謝出来る光の波動体になりましょう


 
かなり前のことですが、私は中央卸売市場で働いていたことがありました。

その前職は保険の営業です。

まったく畑違いの仕事だったのですが、それまでの数字を追いかける仕事に耐えられなくなり、体を使った健康的?な仕事をしたくなったのです。

当初は新鮮でした。仕事を覚えるのが楽しく「こんなに良い仕事が世の中にはあったんだ、自分は幸せ者だ」とまで思っていました。

がしかし(笑)仕事を覚えるにつれ、時間が経つにつれ、いろんな人と接触するにつれ当初の感動は薄れ、逆にストレスが溜まってきました。

「市場の人たちの波動が粗い」「マイナスの言葉が飛び交っている」「人を傷つけるような言葉を平気で言ってくる」

これらのエネルギーに振り回され、仕事でも失敗したこともありました。

そしていつの間にか感謝出来ない自分になっていました。

人は感謝が出来ないと、少ないとそれに比例して不幸になっていきます。

当初の幸せ感はなんだったのか?

あのときの感動はどこへ行ったのか?

「もう一度あのときの心境に戻りたい」と思った私はメンターに「感謝出来ない自分がいるのです。情けないです」と打ち明けました。

するとメンターは私の心を責めることは一切せず、あっさりと「感謝行をしたらいいんですよ」とおっしゃったのです。

目からウロコでした。

「そうだ、感謝の出来る波動体(エネルギー体)になればいいんだ」とわかったのです。

私たち人間の本体は光の波動体です。

そして感謝は光です。

だから光を増やせばいいのです。

感謝の言霊をエネルギー体にインプットしてやればいい。

感謝(光)のエネルギー体そのものになってしまえばいい。

そうすればどこを押しても感謝の気持ちしか出て来なくなる。(笑)

それまで感謝行はしていたのですが、気合が入っていませんでした。

「感謝出来る自分になるんだ」という気持ちが足りなかったのです。

私たちは感謝が足りません。

大自然にこれだけお世話になっているのに、無償の愛を注いで戴いているのに、生きとし生けるものの恩恵を受けているのに不平不満ばかりを言っています。

その不平不満が集合意識となって、想いの輪となってマイナスのエネルギーを増幅させてしまっているのです。

不平不満の気持ちを持った人がたくさんいる、感謝出来ない人が多過ぎる、だから地球や大自然(宇宙)が怒って?波動調整のために地震等の天変地変を起こすのです。

地球世界感謝行はそんな人類に代わって地球上の大自然、生きとし生けるものに感謝を捧げる行です。

この印を組み言霊を唱えると、感謝が出来る自分に調っていきます。

そして感謝(光)のエネルギーは地球や宇宙に響き渡り、地球や宇宙の波動調整も行なわれるのです。(天変地変も収まるのです)

こんなに素晴らしいことはありません。

みなさんも是非、行なってみてください。

感謝出来る自分は幸せな自分です。



 白光真宏会(地球世界感謝行)


http://byakko.or.jp/method/chikyu/


感謝行の印の組み方は

一冊目の調和波動気功法以外のすべての本に掲載されています。



 
1冊目  調和波動気功法 于寿明 三晃書房

2冊目  無限なる癒し 于寿明 星湖舎 (以下同じです)

3冊目  無限次元への誘い  

4冊目  無限なる幸せを体得する方法  

5冊目  無限なる勇気  




調和波動気功法とは


http://www.harmony-wave.jp/

 


   

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