2017年4月24日 (月)

自信を持ち、強くなるにはどうしたらいいか?




自信のある人ってどんなことがあっても絶対に大丈夫なんだという確信のある人だと思うのです。

絶対に大丈夫とは、明るい未来は必ずやって来る。

そのプロセスにおいていろんな障害があったとしてもそれは一過性のもの(消えてゆく)であって、光を消すものではない。

その未来の姿がハッキリクッキリと見えているから大安心しているのです。

しかし自信のない人は未来だけでなく今も不安であり、おまけに過去まで引きずっている。(無限なる光)

自信のない人が自信をつけるには

自信のある人(光の、真理の伝道師)が未来が明るいことを伝えてゆくしかないと思うのです。

そしてそのメソッドを伝えてゆく。

自分が神の子だと思いたくても思えない人は、我即神也の印を組んでいけば、自分は神であったことを想い出すのです。 (神であることを確信できたなら絶対に大丈夫だとわかる)

光明思想徹底行をすれば、自分が光輝いている存在であることがわかる。

感謝行をすれば、どんなことがあっても感謝の気持ちが湧いてくるようになる。(すべてのことに感謝出来るようになる)

神様は、人間が不幸になることを望んでなどおられない。

地球人類を含めた宇宙全部が幸せ、平和になることを望んでおられます。

その神様の願いに波長を合わせたのが

世界平和の祈りなのです。

宇宙の波長に意識を合わせると

肉体意識を超えて宇宙意識(神意識)へと宇宙大に拡がってゆきます。

宇宙の中に自分がいるのではない、自分の中に宇宙があるのです。

すべてのものは自分の中に入っているのです。



 
世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 

2017年4月16日 (日)

常に祈れ!(祈れば祈るほど現象面が整って来る)

                
                 『常に祈れ!』


 
人間は肉体の他に幽体とか霊体とか神体とかいう体をもっていて、想念波動が常にどの体の中に一番多く時間を巡っているかということによって、その人の人格が定まり、運命が定まってくるのであります。

その人の想念波動が常に神体の中を巡っている人は、高い人格者であり、神人合一の境地のいわゆる霊覚者にもなり得るのです。

そこで、いつでも守護霊守護神さんに感謝を捧げつつ、世界平和の祈りをしていなさい、と私は教えているのです。

いつでも守護の神霊の加護に感謝の想いを向けていれば、その人の想念はいつも霊界神界に往っていて、肉体界に神界霊界の光明波動を導き入れ易くなってくるわけです。

ですからその人の人格は自然と高くなってくるし、その人の運命もよくなってくるのです。



   

           日々の祈り』より 五井昌久 白光出版






感想
 

私たちはなぜ眠るのかというと寝ている間に肉体界を離れて、幽界、霊界、神界に行っているのです。

なぜ行けるかというと、文章にあるように肉体の他に幽体、霊体、神体という体をもっているからです。

そして寝ている間に守護霊さん守護神さんが必死になって汚れた魂を洗ってくださっています。

夜、疲れ果てていても朝目覚めてスッキリしているのは、肉体から魂を離して霊界神界で浄化していただいているからです。

私たちは起きているときは色んなことを考えて悩み苦しんでいます。

しかし寝ているときはその悩みや苦しみはないですよね。

つまり起きているときは肉体に意識があるから悩み苦しむのです。

怪我などをして

「痛い!」 という意識があるのは、肉体に意識があるからです。

寝てしまえば、不思議と痛みはなくなっています。

意識が肉体から離れるからです。

つまり寝ている間に私たちは守護霊守護神によって軌道修正され正常に戻していただいている。

霊界、神界につながっているのです。

寝ているときだけまとも?

霊覚者になっている?

お釈迦様やキリスト意識になっている?

・・・・・・・・・・・・・・そうなんです。

私たちは寝ている間にみそぎをして、また起きてドロドロに汚れ

寝て、きれいにしてもらい、起きて汚れ、寝てきれいになり・・・・・・・を繰り返しているのです。


私たちはお気楽に寝ますが、守護霊守護神さまは寝ずに私たちを守りに守り、守り通してくださっています。


ですから五井先生は、常に私たちを守ってくださっている守護霊守護神に意識を向けて感謝しなさいとおっしゃっておられるのです。


感謝は光なので、守護霊守護神はとても守りやすくなるのです。


肉体の頭で考えなくても、霊界神界とつながっているので守護霊守護神からのメッセージが届くのです。

マンガ一休さんが、座禅観法をして意識を神界(本心のあるところ)に合わせてピンチを乗り越えていたのは守護霊守護神からのメッセージを受取っていたのです。


だから私たちは守護霊守護神の加護がなければまともには生きていけないのです。




世界平和の祈りを祈っていると、そして守護霊守護神に感謝していると天と地を結ぶ光の柱の中に入ってることになります。

光のバリヤが私たちをマイナスのエネルギー(業想念)から守ってくれるのです。

神界、霊界と真っ直ぐにつながっているので自然(頭でどうのこうのと考えなくても)とやるべきことが出来て行くのです。

それが本来の人間の姿です。

進化した宇宙人はみんなそうなっている(笑)



でも私たちには、世界平和に祈りを祈るというツール(道具)がいるのです。

幸せになるためのパスポートです。


世界平和の祈りを祈ると意識が変わります。


想念も変わっていきます。



人間の想念が奇跡をも起こすのです。


宇宙意識、神意識が奇跡を起こすのです。


祈り、印、マンダラによって早く地上天国を顕すことが出来るのです。


祈れば祈るほど早く天国は現われる。


そして、当然、私たち自身にも奇跡は起こるのです。
(現象面が整って来る)


 


世界人類が平和でありますように 

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 

2017年4月 9日 (日)

自分自身が光る観光地になりましょう




斎藤一人さんの 「観光旅行の話」 というのがある。 この観光旅行とは、名所や史跡を観にいくことではない。

では、なにか。 文字通りである。

つまり 「光」 を観るための旅行なのだ。

光とは、光り輝いている人のことを指す。 みずから輝き、光を発している人だ。

こういう人は、まわりの人々に元気を与える。 そのエネルギーが欲しいから、その人に会いにいくということなのだ。

会社にそういう人がいれば、所属するチームは明るく、楽しい。 そして成功する。

お店にいれば、お客さまがどんどん来店する。 明るいところに人が集まるのは当然のこと。

お店は繁盛になっていく。

人間には、太陽タイプと、月タイプがいる。太陽タイプは、みずから光り輝き、みんなを照らしだす人である。

一方、月タイプは、太陽の光に照らされることによって輝くことができる人をいう。

この人たちは太陽タイプがいることで、はじめて輝くことができる。

残念なことに、太陽タイプの人は圧倒的に少ない。 多くは月タイプである。

みんな輝きたい。そのためには太陽タイプが必要だ。

だからそんな人のまわりに観光旅行に出かける、ということなのだ。

 

斎藤一人さんが教える驚くほど「ツキ」をよぶ魔法の言葉ノート 池田光 [著]



 



感想

観光地というのは、昔の聖者や悟った人がその場所にいて、その地を浄めていたのです。

悟った人は、天につながっているので天地を貫く “光の柱” shine になっていました。

そしてその地は素晴らしい光の波動体になっていた

人が行くと、光のシャワーを浴びたように、汚れた想念(業・カルマ)が浄化されたのです。

“生命(いのち)の洗濯” が出来たんですね。

観光地とは、光を観に行く地という意味なのです。

ところで

観光地に行かないと私たちは、いのちの洗濯が出来ないのか?

心を清くすることは出来ないのか? 光り輝くことは出来ないのか?

そうではありません、そのために祈りがあるのです。

祈りとは、いのちがのり出すという意味です。

祈ると自分が光の柱になります。

聖者や悟った人と同じような波動体になるのです。

 



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 

 

2017年4月 5日 (水)

すべての人の救われの道


【 すべての人の救われの道 】

どうして世界平和の祈りが、すべての人の救われの道かといいますと、世界平和の祈りの教の中には、何人をも責め裁くところがない、自分の心も責め裁かないと同時に何人の想念行為をも、消えてゆく姿として、責め裁かない、という重要な教があるのです。悪いことをしている人を、そのまま神の子として拝めというのではない。神の子の現われるための、業想念の消えてゆく姿として、その人の不都合な想念行為をみてやる、そういう想いでみようとしても、自己の心に憎しみや妬みや怒りの想いが強くて消えてゆく姿と思うことが出来なかったら、そうしたすべての想いのままで、世界平和の祈りをなさい、というのです。

この世界平和の祈りは、祈り言そのものが業想念を浄める大光明を放っているので、信じようと信じまいと、その大光明によって、その人は浄められているのです。そして、この祈りをつづけていますと、知らぬうちに、祈りに真が入ってくるし、真が入ってくるに従って、自己の性癖や運命が知らぬ間に善くなってくる。これは多くの人々の体験ですから科学的な立証なのです。

自己の為にも人の為にも、その業想念を把えてとやかくいうより、まず世界平和の祈りの中に、そのような業想念をそのまま投げ入れてしまう日常生活にしてゆくことが第一です、と私は説いているのであります。

( 五井昌久著『生きている念仏』、白光出版 )

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

人 間 と 真 実 の 生 き 方

人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。

HOW MAN SHOULD REVEAL HIS INNER SELF

Man is originally a spirit from God, / and not a karmic existence. /
He lives under the constant guidance and protection / provided by his Guardian Deities and Guardian Spirits. / 
All of man 's sufferings are caused / when his wrong thoughts / conceived during his past lives up to the present / manifest in this world / in the process of fading away. / 
Any affliction, / once it has taken shape / in this phenomenal world, / is destined to vanish into nothingness. / Therefore, / you should be absolutely convinced / that your sufferings will fade away / and that from now on / your life will be happier. / Even in any difficulty, / you should forgive yourself / and forgive others ; / love yourself / and love others. / You should always perform / the acts of love, / sincerity and forgiveness / and thank your Guardian Deities and Guardian Spirits / for their protection / and pray for the peace of the world. / This will enable you / as well as mankind / to realize enlightenment.

世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます

PRAYER FOR THE PEACE OF THE WORLD

May peace prevail on earth.
May peace be in our homes and countries.
May our missions be accomplished.
We thank you, Guardian Deities and Guardian Spirits.


 

2017年3月26日 (日)

平和に暮らすことと、平和に生きることは違うのです。


感想


個人的に平和に暮らそうとしたのなら、たくさんのお金があってセキュリティーを万全にすればある程度は安全に暮らせるし、不自由することもない。

しかしそれは物質的、表面的なものであって、心が平和を感じること、幸せを感じるのとは違うのです。

反対にお金は少ししか持っていなくても、心が通い合う家族や友人にたくさん囲まれていたり、周りから慕われ、尊敬されていて、自分自身も常に感謝の気持ちを持って生きている人は、平和に生きている人だと思うのです。

要は、心が何に満たされているかです。

心がどこまで真理を体得しているか? 真理(真実)を識っているかです。

心の琴線に触れる経験(感動)をどれだけしているか?です。


ちいさな出来事にどれだけ喜びを見出すことが出来るかです。

私は、人の幸せとはどれだけ自分自身のことを

「僕(私)は幸せだなぁ」 と思えるかだと思うのです(笑)

それが平和に生きることなのではないでしょうか?

私たち人間は、幸せになるために生まれてきました。

平和に生きるために地球に降り立ったのです。

神さまはそうなるように、人間を導いてくださっています。

神さまの願いは人間を平和に、幸せにすることなのです。

自分の分身である人間を幸せにしたくないと思う人(神)なんてどこにいるでしょう?

私たちは遠慮することはないのです。

幸せに暮らすなんてちっぽけな生き方です。

幸せに生きる生き方をしましょう

その方がずっとずっと素晴らしい人生になります。

私はそう思います。



                『次元上昇』から


五井先生が提唱した “世界人類が平和でありますように” のスローガンは、世界人類が平和に暮らせることではないのです。

世界人類が平和に生きることです。

平和に暮らせることとは、戦争がなく、人種差別がなく、病なく、貧なく、飢餓なく、すべてが充分に調って安定した状態で暮らせることを言います。

だが、世界人類が平和に暮らすことは即、平和に生きられることでしょうか?

否です。 平和に暮らせるということは、あくまでも物質的、表面的に安定した状態を指しています。

平和に生きるということは、精神的、内面的な生き方を指しています。

人類はたとえ平和に暮らせても、人類一人一人の心の中に不平不満がなくならなければ、決して平和には生きられません。

心の中に憎しみ、憤り、悲しみ、怒りがあれば、決して平和には生きられません。

平和に暮らすことは出来ても、平和に生きることは出来ません。

このように平和に暮らすことと、平和に生きることとは、大きな違いがあるのです。

そして多くの人類はみな、世界平和を望み、平和に暮らすことを望んでいますが、それは平和に生きることへの熱望ではありません。

平和に暮らせることへの切望です。

しかし心の何ら平和を望まない生き方よりはまだ積極的な望みと言えるでしょう。

人類の大半は、人類の平和よりも個人の平和、個人の幸せ、個人の成功、個人の繁栄、個人の健康のみを探究しているのです。

世界の平和を望んでいるのはわずかの人々ですが、それさえも世界人類が平和に暮らせることであります。

この平和に生きることこそ、真の個人人類同時成道の道であります。

     「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版


 

  

世界平和の祈りが個人と人類を救う 下


 
 
さて世界人類が平和でありますようにという祈り言には、さらにもう一つの奥義があります。

それは、人間というものの全体に向って、祈り言をしているということであります。

人間というものは、この肉体だけではありません。

幽・霊・神・大きく分けて、肉体以外にさらに三つの世界に生きているものであります。

この人間の本質、本体と申しましょうか、それぞれの世界に呼びかけ、霊界神界から光の放射をしやすくする働きを、自然と持っているのが、世界人類が平和でありますようにという祈り言なのであります。

個人と人類の同時救済という性質を、この祈りは持っております。

さらにこの祈りは、人間の本体である光に向って愛と調和を放っている祈りなのであります。

ですから、心の中に 「世界」 と思い浮かべただけで、直ちにそれは、宇宙と人間の本体である光につながり、大光明を発揮することとなるのであります。

ちなみに宇宙人達は、こうした光体が自己の本質であることを熟知して、日々我々を助けてくれているのであります。

こうした世界平和の祈りを我々はたゆみなく祈って、宇宙人類と光と愛の世界建設のために邁進致しましょう。

 

      「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎






感想

私たちは、肉体(物質)が本体なのではなく、光の波動体(エネルギー体)であることを知らねばなりません。

そして光の光子を浴びることで、魂が喜び、進化してゆくのです。

そして、「印と祈りはこの地上最高のエネルギー」 なのです。

今、人知れず隠れたところで密かに印を組み、祈っている人たちがいるのですが、最高の陰徳を積んでいるのです。

汚れた人が千人集まっても一人の浄まった人の救済力にかなわない。(五井昌久)

一人の人が聖者(世界平和の祈りを祈ると)になると九族(九代)救われると言われています。

それくらい人間が光を放つというのは素晴らしいことなのです。

祈っている人たち、印を組んでいる人たちはもっと誇りを持ちましょう

今自分が人のことをかまっている状況ではない

人は人、自分は自分という人たちがほとんどの中で

自分以外のどんな人たちのことも、地球人類だけではなく宇宙人類全体の幸せを祈ることの出来る器なのです。

とてつもなく素晴らしいことをしているのです。

自分を尊敬し、誇りに思い、自分を大好きになってください

大げさではなく 世界平和の祈りを祈ることは人間のミッション(使命)、天命だったのです。

自分の素晴らしさを実感したならば、他人からのどんな誹謗中傷にも動じなくなります。

マイナスのエネルギーよりも自分を愛する無限のプラスのエネルギーの方がずっとずっと勝るからです。

真に自分を愛し誇りに思えないと、他人を愛すること、称えることは出来ないのです。

世界平和の祈りは、自分を愛し、人を愛することが出来る最高の祈りなのです。



  
 

世界平和の祈りが個人と人類を救う 上




言葉というのはエネルギーであり、言霊とも言われていることはみなさんご存知のことと思います。

だから言葉によって光が強いもの、弱いものがあることも理解出来ます。

感謝の言葉を心から語ると相手の人の心が熱くなるのは、感謝の言葉にはエネルギーがあるからです。

では、世界平和の祈りはどの程度のエネルギーがあるのでしょう。

「世界人類が平和でありますように」

ただ聞いているだけだと

「うんいい言葉だね、平和であればいいよね」

くらいのもので、普通は、一般の人は、余程世界で戦争のような紛争が起こり悲惨な状況をメディア等で見ないことには浮かんでは来ないのではないでしょうか?

地球人類みんなが望んでいることなのに

それが言霊という大きなエネルギーになっていない

そこに地球が素晴らしい星になり切れていない様に思うのです。 無限なる光!

ただそれも時期があって

これからたくさんの人が、世界平和の祈りを祈るようになるのです。

そのためには、祈りの根源、原点、奥義を知っておかなければなりません。

世界平和の祈りを祈ればどうなるのか?

個人的にはどうなり、地球や宇宙にどのくらいの影響を与えるものなのか?

それを于先生のご著書 「無限なる幸せを体得する方法」から抜粋致します。

 

世界平和の祈りについて

 

私どもが唱えております世界平和の祈り、特に最初の世界人類が平和でありますようにという祈り言について述べてみたいと思います。

世界人類が平和でありますようにという祈り言を心に思い浮かべた時、その人は神様のチャンネルをひねったのと同じであります。

人類すべての悲願が結集し、祈り言となったこの言葉には、どんな人間の個我をも消してしまう大きな光がこめられ、放射されているのでありまして、この祈り言を、思い浮かべるだけで私どもは大光明霊団の中に参加しているのであります。

ところで、この祈りの世界人類とは、どの程度の世界でありましょうか。勿論直接的には、私どもが住んでおりますこの地球を指しているのであります。

我々人間のいのちを細かくみて参りますと、それは光子という宇宙子から成っており、いのちの源はすべて波動から複雑に構成されているのであります。

宇宙に浮かんだ小さな星、この地球人類達は、こうしたいのちの成り立ち、いのちの仕組みというものにまだ気がついておりませんので、そのために宇宙人達から 「幼い兄弟達」 と呼ばれているのであります。

私は今、宇宙人と申しましたが、実際この地球以上に、心も科学も数百倍も進んだ星々と人類が存在することは、事実でありますし、それのみならず、我々はこうした宇宙のすぐれた兄弟達から様々な援助を得て、一日一日を無事に過ごしているのであります。

世界平和の祈りはここに至って、地球人類のみならず、宇宙に生きるすべての我々の仲間、兄弟、宇宙人類が平和であるようにという、宇宙の大調和をも目指した祈りであることが理解されるのであります。

この地球上には多くの国々があり、そのそれぞれの国は国交を結んでおります。

これからの政治家は、世界平和を根底に据えてかかなければ、一日たりとも政治がとれなくなってくるでありましょう。

しかし、もっと真理を見極める眼を持ちますなら、単に地球という星の地上の国々との交わりというばかりではなく、星と星との交わり、星交というところまで進まなければ本当の宇宙全体の調和というものは完成されないのであります。

そして現在、我々にコンタクトを求めてきております宇宙の兄弟達は、この宇宙の大調和の中に、我々地球人類が一日も早く溶け込むよう、最大の助力を日々行ってくれているのであります。

世界人類が平和でありますようにという祈り言は、宇宙神のみ心、愛の中に溶け入り、宇宙人類の一人として、全宇宙と宇宙人類全員の平和を祈り、又その愛念を彼らに送って、我々が日々彼らから受けております援助にも、応える形となっているものであります。

宇宙は玄妙であります。

そしてその玄妙な宇宙の運行を支えているものは、一点のわたくしなき、宇宙神の愛であります。


                    つづく



    「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎

2017年3月25日 (土)

『富士宣言』を世界中に広めましょう!

【富士宣言】

神聖なる精神の復活とすべての生命が

一つにつながる文明へ向けて

地球人類の文明は新たな進化の段階を迎えつつある。

様々な危機的状況により、世界中で混乱や不安が絶えない今、私たちは考え方や生き方の根本的な変革を迫られている。

絶滅に向けて危機の深みに陥ってゆくのか、それともすべてのものが生かされる尊厳ある世界を切り開いてゆくのか、今こそ一人一人の選択と決断に委ねられている。

これまで人類は、主として唯物的な意識に導かれてきた。

欠乏を恐れ、必要以上に物質を求めて奪い合い、地球の自然資源を枯渇させてきた。

このまま人間の願望が有限な物質の追求にのみ向けられ続けたならば、世界が破滅に至ることは不可避である。

<人間の本質とは何なのか>

人類が賢明な選択によって明るい未来へと方向転換するには、生命に関する根本的な問題に立ち返らなければならない。

一人一人が真剣に人間の本質を問い、明確な答えを見出さなければならない。

世界の偉大な宗教や思想は、私たちの生命が宇宙の源と密接につながっていることを語り継いできた。

最先端の物理科学と生命科学においても、この古くからの洞察が見直されつつある。

人は自らの生命と自然や宇宙とのつながりを再発見することにより、多様性を持ちながらすべてが統一と調和へと向かう宇宙の流れに沿った生き方が可能となる。

神聖なる精神を呼び覚まし、自らに内在する愛、思いやり、英知、喜びといった善なる心を顕現し、輝かしい生き方ができるのである。今こそ、一人一人が魂の中の神聖なる生命を復活させる時である。

<私たちが存在する目的は何なのか>

私たちは地球人類にとって重大な移行期に生を受け、平和に向けて大きく前進する可能性を与えられている。

この地上に真の平和を築くことこそ、私たちすべての人間の究極の目的である。

そしてそれは個々人の生き方、あり方を通して達成できるのである。

自らの責任において意識的に生きることにより、人は誰でも生まれ持った自由と能力を使い、自分の運命と世界の未来を創り上げることができるのである。

私たちが成すべきことは、人間の精神の持つ力を最大限に発揮し、人類家族と地上のすべての生命のために奉仕する、思いやりと尊厳ある世界を共に創ることである。

<新しい文明に向けて>

科学者、芸術家、政治家、実業家など、様々な分野の人々が今こそ力を合わせ、歴史的な転換を引き起こすための確固たる基礎を築くことが急務である。

あらゆる人々が勇気ある先駆者となり、個人・文化・国家の利害や専門分野の枠をこえ、全人類のためにその英知と魂と意思を結集すべき時が来たのである。

そうすることにより、今日の持続不可能な世界を支配している固定観念や時代遅れな行動様式を覆し、未来世代のために調和と繁栄の文明を設計することができるのである。

<新しい文明のパラダイム>

新しい文明のパラダイムとなるのは、すべては多様性の中で一つにつながっているという価値観である。

身体の無数の細胞や器官が相互につながり、調和して働くことにより生命を維持しているように、生あるものはすべて地球が奏でる生命交響曲の本質的な一部である。

宇宙は多様性と統一性を併せ持ちながら生きているのである。

私たちはその一部であることをはっきり認識して、人間同士、そして自然との共創的なつながりの中で進化を遂げてゆくのである。

<一人一人の宣言>

私たちは未来世代に対して、責任ある個として、

・人間の本質である神聖なる精神と善なる心を復活させ、自らの上に顕現すること。

・地球上に真の平和を築くという人類共通の使命を、自らの生き方と行動を通して果たしてゆくこと。

・生きとし生けるものは多様でありながら一つにつながっていることを認識し、すべての生命を尊重しいきいきと活かすこと。

・人間の精神の限りない創造性を発揮し、経済、科学、医療、政治、教育、宗教、芸術、メディア等あらゆる分野に必要な変容をもたらすために尽力すること。

・調和した精神文明を実現するために、一人一人が内在する素晴らしさを顕現し、人類の進化に向けた大きな一歩を共に踏み出すことを、ここに宣言するものである。

※『「富士宣言」事務局からのお知らせ』を、ご紹介いたします。


http://fujideclaration.org/ja/spread-the-word/



  
  

2017年3月23日 (木)

愛はすべてを癒す


 

感想

私は、小学3年生まで九州の大分県のある町で過ごし、そこから父の転勤で大阪に移り、大阪の小学校に転校しました。

大分にいる頃の私の生活はなんの不満も不足もなく仲の良い友達が毎日のように私の家に遊びに来て、夕方遅くまで楽しい時を過ごしていました。

ところが大阪に拠点が移ったとたん魔のような日々が待っていたのです。

クラスメートたちによる言葉に出来ないような陰湿ないじめです。

嫌がらせは6年生の卒業式まで続き、それまで後ろの方に並んでいた背が最後の学年にはほぼ最前列になっていたのです。

精神的なことによる発達障害だったと思います。

私はいじめられる所以(ゆえん)が子ども心に

 「方言にあったのだ」 と思っていたのですが、そうではなかったのです。

随分大人になって、W先生にその頃にいじめられていたことを話すと、

「あたり前です、あなたが前世で散々その人たちを痛めつけていたからです」

と言われたとき、私の中のトラウマがスーッと消えてゆくのがわかりました。

「そうだったんだ、私が酷いことをしていたことが返ってきていたんだ」・・・・

それからしばらくして「誰が行くものか!」と頑なに拒否していた小学校の同窓会に参加することにしました。

そこに来ていた元いじめっこ達は、私を不思議そうな目で見ていたことを覚えています。

という私も喧嘩両成敗のような心境で彼らを見ていました(笑)

「逃げないでここに来て良かった」 と思いながら・・・・。








本文

 


幽界や霊界においては、その想念は直ちに現われ、その念は、すぐに自分自身にかえってくるので、どういう念が、どういう風に自分にかえるのかが体験としてわかるのであるが、それでさえも、なかなか、その業因縁の念を消すことができがたいのである。


まして非常に粗い波の体をもつ肉体世界の人間の、

しかも、その人間と相手の間にある業因縁の種類さえも知らず、ただたんに一般論の心の法則だけを利用して、指導しようとすることは実に危険なことであって、かえって相手の進化を妨げ、浄化を乱すことになるのである。

 

“人を審(さば)くなかれ”

“愛はすべてを癒す”

“神は愛なり”




私はキリストのこれらの言葉をその人びとに与えたい。


自己の功名心の満足や、知識に偏した愛薄き人びとによる人間指導ほど逆効果なものはないのである。


愛深き人のみ、人間心理の指導者たり得るのである、と私は強くいいたい。


業想念は過去世の過去世から流れつづいている波の連続である。


この五十年、六十年の肉体にのみあるものではない。


まして、各人の肉体的環境(病気や幸、不幸)がその間の二年や三年に起こした念(おもい)の現われとして、できあがったり現われたりしたものではない。


誰が見ても立派な心の人が不幸になっており、どこから見ても悪いように見える人が、人も羨む幸福を得ている例は枚挙にいとまがない。


だから簡単に人を責めたり、審(さば)いたりすることはできないのである。


人間はそれぞれ、各種各様の因縁の心を持っていて、Aの善なる生き方を、Bが必ずしも真似られるものではなく、Bが何気なくできる善行為をAがその通りにできるものでもない。



一字、一線においてさえ百人百様、千人千様なのである。


ただ、非常に似通った心の人とはなはだ異なる心を持つ人とがある。


これを想念の類似、あるいは因縁が合う、合わぬ、ということになるので、こんなためになる本をあの人は何故読まぬか、といって、その人が、自分の薦める本を読まぬ、という理由で、その人を低級視する人があるが、それは低級視するほうが間違っている。


バッハや、ベートーベンの曲は素晴らしい音楽である、と思う人が、それらの音楽に無関心で、流行歌謡に熱中している人を、ただそれだけのことで軽蔑したら、これも誤りである。
 

宗教に入って現在熱心な人であっても、その熱心さが利己心から発している人もあれば、今、宗教に無関心のように見えている人の心が純粋な愛に燃えている場合もある。


現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


それ故私は、その人、その人に最も適切なる指導をしているものであるが、その指導は次に説明するような原理、法則を元としているのである。


                   

                      つづく





 『神と人間』 因縁因果を超える法 五井昌久 白光出版


追伸・・・『神と人間』の本文と感想 は連載になっています。

ご興味のある方は、2015年の12月中頃までさかのぼってご覧ください。



  

2017年2月28日 (火)

世界平和の祈りで過去の悪因は消えてゆく




人間は誰でも等しく、20年前、10年前、数年前に為してきた行動にたいしては、今日もま

たその責任を持たねばならない。

時がすでに過ぎ去ったとしても、過去のその行動は、決して消え去ったわけではない。

がもうすでに過ぎ去ってしまった過去の行動に対して、一体どのようにして責任を持てばよ

いのであろうか。

タイムトンネルの如く、過去の時代にもどり、そこで改めて犯した言葉や行動を悔い改め、

反省し、新しく作り変えて現在にもどって来られれば一番よい方法なのではあるが、今の

時代ではそうもゆかない。

それでは、本当に過去の罪を消し去る方法がこの世にあるものだろうか?

それはある。 それは祈ることである。

過去の消えてゆく姿として世界平和の祈りの中に、すべてを投げ入れ、徹底的に祈れば、

タイムトンネルで過去にもどり、自らの手で罪を消し、新しく出発出来ると同じように、祈り

の力で、祈りの光で、祈りのエネルギーで過去の罪や行動はすべて消すことが可能なの

である。

その効果は絶大である。

 驚くほどである。 

祈らなければ永遠に過去の罪や行動は消えず、現在、未来までもなおその尾は引きつづ

いてゆく。

世界平和の祈りはすべてのすべてである。



     
「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版

 

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 

 感想

 

なぜ過去の想念行為、潜在意識が消えるかというと、それは世界平和の祈りは宇宙神、

宇宙のエネルギーと共鳴するからです。

宇宙のエネルギーは時空を超えています。

宇宙には地球のように過去、現在、未来というような時間と空間がないのです。

境目がない、だから浄化するのみ、消し去るのみです。

祈っている自分と宇宙の無限のプラスのエネルギーが共鳴し、祈っている自分の汚れた

想 念、過去世までが浄化されてゆくのです。

祈っているとなんだか軽くなってスッキリしてくるのはそのためです。

過去の悪因が消えるので、現実にその悪因が現われることがないのです。

過去の悪因は、祈りでしか消すことはできません。

未来を素晴らしくしようとしたら果因説で明るい未来をイメージすることと

祈りや印によって過去世を浄めることが必要なのです。

この2つがあって、オセロのように挟み撃ちにして、悪因はきれいさっぱりと消えてゆくのです。

 
  

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