2017年6月24日 (土)

世界平和の祈りはなぜ、素晴らしいのか?




  
悪い言葉や想念。


これは相手に向けるものだけではなく、自分に向けるものもあると思います。

自分は駄目だ。 自分には能力がない。 自分は落ちこぼれだ。

自分は何をしても駄目だ・・・・と思いつづけている人は、そのように自分を創造していっているのです。

瞬間的に思い、平気でそれを言葉にすると、それは自分が忘れてしまってもエネルギーが残っているのです。

それを手放していかなければ。

そのために 「世界人類が平和でありますように」 という祈りがあります。

想いを消さなければそれは実現します。

原因はやがて結果になる。

これはどんな宗教でも言われていることです。

原因は結果になる。

自分が撒いた種は自分で刈り取る。

これは真理です。

では、なぜ 「世界人類が平和でありますように」 という祈りが自分自身と人類の救いになるのか。

祈りというものは、誰でも始めは自分が幸せであるように祈ります。

健康であるように祈ります。

それから自分の愛する家族を祈ります。 夫が幸せであり、子どもたちが幸せであるようにと。

そして自分の好きな人たちも祈ります。

お祖父様やお祖母様も、親戚も。

そうすると、時間がいくらあっても足りません。

朝から晩までずーっと、名前を連ねていかなくてはならなくなります。

「世界人類が平和でありますように」、 この一言の中には、自分を含め、愛する家族を含め、全人類の幸せが入っているのです。 と同時に、嫌いな人、絶対に自分では

「あんな奴祈ってやらない。俺をここまで追い詰めた奴。 あいつが幸せになるなんてとんでもない。 あいつは地獄へ行けばいいんだ」 と憎しみを持っている人も含まれています。

「私の夫を奪った愛人」 など、嫉妬心と怒りでその人の幸せなど到底祈れないと思っている人も含まれています。

自分が絶対に祈れない、許すことも出来ない、認めることも出来ないと思っている人も

「世界人類が平和でありますように」 の中に含まれているのです。

愛する人も愛せない人も、善人も悪人もテロリストも・・・・人類すべてが入っているのです。

本来の光輝いた自分、どんな想いにも動じない自分は、すべての人の幸せを願っています。

その本来の自分の願いと一つになれる祈り、大真理に基づいた祈りだからこそ、素晴らしいのです。
 



    

        
「人生と選択」 西園寺昌美 白光出版




   

2017年6月21日 (水)

なぜ、今世界平和の祈りが個人にも人類にも必要なのでしょうか?

 
実は、地球のアセンション(次元上昇)は人類の多くが世界平和の祈りを祈ることによって完成すると決まっているのです。

それは宇宙神と五井先生と言われる聖者との約束事なのですが、多くの人はそのことを知りません。

そこで私がブログ、FacebookというSNSを使ってみなさんにお伝えしているのです。

世界平和の祈りはただの願い事ではない、

進化した星の宇宙人(神様)たちも祈っているもの凄いエネルギーの言霊なのだ

どんな強いマイナスも消してプラスに換えてゆくんだ

だから地球は浄化されて神界(天国)が地上に現れて来るのだ、
と先日述べましたが

まだ、なぜ世界平和の祈りを祈ると個人も3次元的なことが整い、精神も安定し、地球人類も平和になってゆくのか?

ピンと来ていない人もいらっしゃると思います。

読み進んでいくうちにきっと腑に落ちてゆくと思います。

本文 

地球世界の人類は、今いったい幸福なのでしょうか不幸なのでしょうか。

こういう問を出された大半の人は、地球世界は今不幸な状態です、と答られることでしょう。

何故地球人類は不幸なのでしょう。 

それはこの世が争いの想いに充ち、不調和、不完全な状態にあるからです。

地球は今では全く狭くなって、米ソ、西欧諸国の政治政策はすぐさまアジア、アフリカ諸国にその影響を及ぼし、アジア、アフリカ諸国の出来事は、直ちに西欧や米ソに反響を与えます。

今日の個人の生活は、それがどうしても個人だけに止まっていることができず、国家や人類の動向に必然的に影響されてゆくのです。

ですから、今日の個人には単に個人としての生活はなく、個人の生活の浮き沈みは、国家や人類の動きに左右されざるを得ないのです。

いかに有能な個人がただ単独でどのような働きをしたとしても、それで国家や人類が幸福になるということはできないので、国家や人類全体が、争いの想念や不調和、不完全の環境からぬけ出さないことには、個人個人の真実の幸福はあり得ない、ということになってきます。

今日の世界状勢は、どの国家間の状態を見ても、大戦争へのきざしを含んだ、不調和な無気味な雰囲気をもっています。

ただ、いまだその雰囲気に火がつけられていない、ということにすぎません。

いつ戦争が起こるかわからない。 

いつ天変地異があるかわからない。

そういう地球世界の雰囲気の中で、真実の幸福生活をつかんでゆくことは、なかなか大変なことです。

この世における個人の幸福は、どうしても世界人類の幸福と結びつかなければ生まれ出ないものなら、いっそこの際、個人と人類というものを一つに考えてみて、そういう観点から一切の行動をしていったらどうであろう、と私はこう考えたのです。

そこから、私の提唱している世界平和の祈りが生まれ出たのです。

世界人類が平和であること、それは取りもなおさず、個人個人が平和な環境におられることであり、

個人個人が平和な環境に生活できることは、世界人類の平和が成り立っているからであるということになります。

ところが現在は全くこの反対で、真実の平和は個人の心にも、世界人類の中にもまだ生まれでてはいないのです。

この事実は、皆さんがこの世の姿や自分の心を見つめてみればすぐにわかることです。

個人も世界も、常に不安動揺しています。

現在の個人の幸福は、それは一瞬一瞬の起伏の一コマであって、永遠の生命につながる安定した幸福ではありません。

真実の幸福は、これから私たちが協力してつくりあげてゆかねばならないのです。

永遠の生命に立脚しない、虚偽の幸福感などでは、この地球世界に真実の平和は打ち立てられません。

この地球人類を不幸にしている最大の原因は、自分たちが、一なる神(大生命)から分かれてきている兄弟姉妹であることを忘れ果てて、自分と他人とは別のもの、という神のいのちを引き裂くような、人類愛にもとった生活をしはじめたことなのです。

そうした生活が今日では、習性となって、自他の差別観がぬきさしならぬ業(カルマ)の波動となり、人類全体を蔽ってしまって、自我欲望の想念となり、自分や自国の利益に反する他人や他国を敵視してしまうことになってしまったのです。

ですから、今日の社会生活、国際関係の中で、5人や10人の偉人が出て、真理にそった政治をしようとしても、業想念(カルマ)の波動が烈しすぎて、その真理を実行できずに終ってしまうのです。

どうしてかと申しますと、今日の世界は、もはや、少数の人々の動きではどうにもならぬ時代となって来ているので、どうしても、多くの大衆の力が必要になってくるのです。

人間誰しも世界平和を願わないものはないのですが、いったいどうしたら世界平和が実現するかは、この混迷した世界状勢の中での一般大衆にはわかりようがありません。

そこで、なんらの苦労も伴わずにやさしく入れる世界平和への道が、絶対に必要になってくるのであります。

人間の心が、労せず巧まずして一つになる方法、自他の利害を区別せず、自然に自他一体観が確立できる方法、その方法が必要なのです。

それには、各人の利害得失を想う想念を、一度どこかに投げ出させてしまわねばなりません。

それが世界平和の祈りなのです。

私は人間とその生き方については、次のように思っており、実行しております。

━ 人間の真実の姿は、業生(ごうしょう)ではなく、神の分生命(分霊)であって、

常に祖先の悟った霊である守護霊と守護神(天使)によって守られているものである。

この世の中のすべての苦悩は、人間の過去世から現在に至る誤った想念が、

その運命と現われて消えてゆく時に起こる姿である。

いかなる苦悩といえど、現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と

今からよくなるのであるという善念を起こし、どんな困難の中にあっても、自分を赦し、人を赦し、自分を愛し、人を愛す、

愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくと共に、守護霊、守護神への感謝の心を常に想い、世界平和の祈りをつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得できるものである

━とこのように想っているのです。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さん、守護神さん、有難うございます

こうしたやさしい唱え言の中に、自分たちのあらゆる想念を投げ入れて、その祈りの中から改めて、自分たちの生活をつづけてゆきますと、いつの間にか、個人的な排他的な気持ちが薄れて、世界人類の幸福を願う、人類愛の気持ちが湧きあがってきて、いつとはなく、その個人の人格も完成してゆき、世界平和への個人の最大の行為である、個人生活での調和なしらべが奏でられてゆくのです。

個人の生活が平和になると共に、人類世界の平和達成に大きな役割を果す、世界平和の祈りこそ、現在世界中において最も必要なる善事であろうと思います。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  

2017年6月10日 (土)

世界平和の祈りの原理(ただの願い言葉ではありません)

世界平和の祈り、言霊の光の強さは、どんなマイナス想念エネルギーも一瞬にしてプラスに換えてしまいます。

なぜそんなことが出来るかというと

まず、世界とは地球世界のことだけではありません、宇宙全体の世界のことをいうのです。

そして宇宙には、地球と同じように精神的に幼い、争い事が絶えない星もあるのです。

宇宙神の理念とは、「宇宙よ平和であれ、調和であれ、愛そのものであれ」なのです。

その宇宙神の理念に合わせた祈りごとが

宇宙(世界)人類が平和でありますように なのです。

ただの願い事だと思ったら大間違いです。

この祈りの中には、キリスト様をはじめ、お釈迦様、その他大勢の聖者たちの意思(本心)も入っているのです。

宇宙神の意思、今まで地球に降り立った聖者たちの意思、進化した先輩宇宙人たちの意思(金星など進化した星の人?たちは必死になって応援してくださっています)、そして私たち地球人の意思が全部統合された祈りごとが、世界平和の祈りなのです。

だから、「世界が平和になるといいな」「でも今のままだと難しいよな」

というような、いい加減な、あまっちょろい気持ちで祈るものではないのです(笑)

そんな祈りでは効果は薄いです。

「地球世界は必ず平和になる」「宇宙の理念なのだからならないはずがない」「救世の大光明がついてくれているから絶対に大丈夫なんだ」

という確信、自信を持って、正々堂々と祈る祈りなのです。

本文

世界が平和だとよい、戦争がないとよい、天変地変がないように、自分たちが幸福であるように、とは、正気の人である限りは想っているに違いありません。

そして中には、世界人類が平和でありますように、戦争がありませんように、と時折は神に祈っている人もあるでしょう。

しかし、そうした想いや、そうした祈りと、私の提唱している世界平和の祈りとは、根底的にまるで違っているのであります。

世界平和の祈りとは、そのような力弱い希望的想いや、懇願的祈りではないのです。

私の世界平和の祈りは、この地上人類の今日の苦難を知っておられた、大神様の分れであり守護の神霊の集いである救世の大光明に、私共人類の業想念、迷いの想念をすべて投入してしまって、救世の大光明と、地上人類の分霊的光明とを一つにつなげる祈りなのであります。

ただいたずらに、願望的に世界平和を想ったりするぐらいで、この業想念に満ちている地上世界が平和になるわけがありません。

また真剣に、真摯に世界平和の祈りをする人々があったとしても、その祈りが、この地上世界の悪想念、悪行為を認めながらの祈りであっては、とうていこの世界が平和になりっこはないのであります。

私の提唱する世界平和の祈りは、業想念世界に生活し、業想念の行為で生活する人間がする祈りではないのです。

業想念とは、この世には善もあり、真もあり、迷いもあるというふつう一般の人々の考え方ではありますが、私の祈りは、そうした考えを基にして神に祈るというような祈り方ではありません。
 
 神様の世界には不和や闘争などない、平和そのものなのだ、人間はそうした神さまの世界に自分の生命根源をおいているもので、神の分霊そのものなのだ、だから、人間各自が自己が神の分霊であることを悟りさえすれば、自然に神の世界がこの地上界にもひらけてくるのだ、ということを根底にして、世界平和の祈りをするのであります。
  

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

我即神也

人類即神也

2017年6月 6日 (火)

消えてゆく姿とは?(悪いものが消えてから善くなる)

 

ここのブログで世界平和の祈りの素晴らしさを書きまくっているのでたくさんの人が祈り秘かに陰徳を積まれていると思います。嬉しい限りです。

ところで一つ重要な注意点があります。

それは世界平和の祈りを祈り続けて行くと必ず個人も人類も素晴らしい状態になってゆくのですが、その前にマイナスのエネルギーが吹き出るのです。

体で言えば、デトックス(解毒)ですね。

ここで大きくわかれることになります。

業の少ない人は、すぐに善くなり、奇跡が起こったりします。(宇宙法則に乗るのだから当然です)

マイナスが少ないのですぐにプラスに転じるのです。

中くらいの人は、善くも悪くもなく、しばらくは変化がありません。(しかし必ず善くなります)

そこで一番困る?(ほんとは嬉しいことだけれど)のは、業が多い人、役割や器の大きい人は、祈っているのに善くなるどころか悪い状態、不都合な状態に見えることが起きるのです。

今の地球と同じです。

地上天国が顕われるために今の個人の状況、企業、組織、日本、世界では様々な状態になっています。

マイナスという膿が多いので圧倒的に地獄図が焙り出ています。

それと同じように個人でも善くなるためのプロセスとして悪いことも起きるのです。

しかしそれは大難が小難、かなり小さく消して戴いています。(神様の愛で)

死ぬところが病気やケガで済むとか、倒産するところが借金で済むとか、会社を首になったとしても、それは次のステージに進むためたったとか?

人間の頭で考えては、不調和なことにしか思えないこと、理解しがたいことが起きるのです。

ここが肝心です。

病気、ケガ、借金、首になるをどう捉えるかです。

真理がわかっている人は、どんなことがあっても必ず善くなることがわかっているので、「これは悪いものが善くなるために現われて消えてゆくんだ、消えてゆく姿なんだ」

とわかっているので、呑気です。平然と堂々としています。不安になりません。

それどころか消えてゆく姿に感謝しています。

 

しかし、消えてゆく姿を理解していない人は、「世界平和の祈りを祈っているのになぜ、自分には善い事が起こらないのか?逆に悪いことが起きるのか?」

 

「えぇい、やめてしまえ!」

になってしまいます。(絶対に焦らないでください)

なんともったいないことか!

せっかく真理につながったのに

みなさん是非、消えてゆく姿を知ってください、そしてそれがわかった上で世界平和の祈りを祈ってください。

消えてゆく姿にも把われないでください。目的は早く消えて善くなることではなく、祈りつづけることです。

無限のプラスのエネルギーを発信し続けることです。

宇宙に陰徳を積み続けることです。

結果は忘れた頃、必ずやって来ます。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 

 

2017年6月 5日 (月)

世界人類が平和でありますように

 

世界人類が平和でありますように

そう祈る時

自分の想いが世界人類の中にひろがってゆく

個人を通し 家庭を通し

社会を通し 国を通し

ズーッと人類に広がってゆく

愛の光が世界中に 宇宙中にひろがってゆく

するとその光が

自分に返ってくるのです


善い事をしなければ

と焦らなくても

世界の平和を願う祈りを重ねていると

いつの間にか

小さな小さな固まった人間じゃなく

個人の縛られた中で暮らしているんじゃなく

大きな 自由な世界

宇宙という中で

ひとりでに善いことをしている

という状態になるのです

人のために尽くすことはいいことです

徳を積むことになります

しかし

自分がやっているんだ

自分はこんなに働いているんだ

と思っていると

徳を積みながら

その徳をけずっていることになります


何故かというと

自分自分といって

神様から自分を離すからです

自分自分といわなくても

自然にいいことをし

自然に徳を積んでいれば

自然と積み重なってゆくので

神さまのほうでちゃんと徳を積ませて下さるわけです

・・・・・・・・・・・

『大決意』 五井昌久 白光出版

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



  


  
  

2017年5月31日 (水)

世界平和の祈りの素晴らしさがわかります 

  

私の母は今、82歳です。最近ボケが始まりました。

そしてボケだけではなく感情的にもなっているのです。

若い頃、夫である父に随分酷いことをされたようで、今では気弱になり大人しくなった父を昔の恨みとばかり激しく責め続けています。

ボケて穏やかになってくれたらいいのですが、内に秘めた(潜在意識に残っている)過去、過去世の想念が溢れ出ているのです。

このままだと感情に振り回され、感情が抑えられなくなって、感情に埋もれたまま、真理(我即神也・人即神也)を知らないまま、人生を誤解したまま、天命をまっとうしないまま肉体の死を迎えてしまいます。

私は、嫌がられようと、拒絶されようと心を込めて、真理と、世界平和の祈りを伝えようと決心しました。(母は私が変な宗教、変な思想に影響を受けていると思っているのです)

ただ、伝え方が難しいですね。

求めている人と違って、反発しているわけですから(笑)

ただ母の本心は必ず知りたがっているのです。

真理を知り、世界平和の祈りを祈ることは、人間の天命なのです。(どんな人であろうと)

人間は祈るために生れてきたからです。

みなさんにも是非、真理の真髄を知っていただきたいのですが、今回のタイトルにぴったりな五井先生のご講話をYoutubeで見つけました。

このご講話は非常に、非常にわかりやすいです。

母に聴かせたいくらいです(笑)

みなさん是非、お聴きください。

聴き終わったとき、みなさんはかなりの達人(真理の)になっていると思います(笑)

 

https://www.youtube.com/watch?v=9NK8Ru723oA


  

2017年5月29日 (月)

世界平和の祈りは宇宙最高の祈り言霊です


   

言葉というのはエネルギーであり、言霊とも言われていることはみなさんご存知のことと思います。

だから言葉によって光が強いもの、弱いものがあることも理解出来ます。

感謝の言葉を心から語ると相手の人の心が熱くなるのは、感謝の言葉にはエネルギーがあるからです。

では、世界平和の祈りはどの程度のエネルギーがあるのでしょう。

「世界人類が平和でありますように」

ただ聞いているだけだと

「うんいい言葉だね、平和であればいいよね」

くらいのもので、普通は、一般の人は、余程世界で戦争のような紛争が起こり悲惨な状況をメディア等で見ないことには浮かんでは来ないのではないでしょうか?

地球人類みんなが望んでいることなのに

それが言霊という大きなエネルギーになっていない

そこに地球が素晴らしい星になり切れていない様に思うのです。 無限なる光!

ただそれも時期があって

これからたくさんの人が、世界平和の祈りを祈るようになるのです。

そのためには、祈りの根源、原点、奥義を知っておかなければなりません。

世界平和の祈りを祈ればどうなるのか?

個人的にはどうなり、地球や宇宙にどのくらいの影響を与えるものなのか?

それを于先生のご著書 「無限なる幸せを体得する方法」から抜粋致します。

 

世界平和の祈りについて

 

私どもが唱えております世界平和の祈り、特に最初の世界人類が平和でありますようにという祈り言について述べてみたいと思います。

世界人類が平和でありますようにという祈り言を心に思い浮かべた時、その人は神様のチャンネルをひねったのと同じであります。

人類すべての悲願が結集し、祈り言となったこの言葉には、どんな人間の個我をも消してしまう大きな光がこめられ、放射されているのでありまして、この祈り言を、思い浮かべるだけで私どもは大光明霊団の中に参加しているのであります。

ところで、この祈りの世界人類とは、どの程度の世界でありましょうか。勿論直接的には、私どもが住んでおりますこの地球を指しているのであります。

我々人間のいのちを細かくみて参りますと、それは光子という宇宙子から成っており、いのちの源はすべて波動から複雑に構成されているのであります。

宇宙に浮かんだ小さな星、この地球人類達は、こうしたいのちの成り立ち、いのちの仕組みというものにまだ気がついておりませんので、そのために宇宙人達から 「幼い兄弟達」 と呼ばれているのであります。

私は今、宇宙人と申しましたが、実際この地球以上に、心も科学も数百倍も進んだ星々と人類が存在することは、事実でありますし、それのみならず、我々はこうした宇宙のすぐれた兄弟達から様々な援助を得て、一日一日を無事に過ごしているのであります。

世界平和の祈りはここに至って、地球人類のみならず、宇宙に生きるすべての我々の仲間、兄弟、宇宙人類が平和であるようにという、宇宙の大調和をも目指した祈りであることが理解されるのであります。

この地球上には多くの国々があり、そのそれぞれの国は国交を結んでおります。

これからの政治家は、世界平和を根底に据えてかかなければ、一日たりとも政治がとれなくなってくるでありましょう。

しかし、もっと真理を見極める眼を持ちますなら、単に地球という星の地上の国々との交わりというばかりではなく、星と星との交わり、星交というところまで進まなければ本当の宇宙全体の調和というものは完成されないのであります。

そして現在、我々にコンタクトを求めてきております宇宙の兄弟達は、この宇宙の大調和の中に、我々地球人類が一日も早く溶け込むよう、最大の助力を日々行ってくれているのであります。

世界人類が平和でありますようにという祈り言は、宇宙神のみ心、愛の中に溶け入り、宇宙人類の一人として、全宇宙と宇宙人類全員の平和を祈り、又その愛念を彼らに送って、我々が日々彼らから受けております援助にも、応える形となっているものであります。

宇宙は玄妙であります。

そしてその玄妙な宇宙の運行を支えているものは、一点のわたくしなき、宇宙神の愛であります。

さて世界人類が平和でありますようにという祈り言には、さらにもう一つの奥義があります。

それは、人間というものの全体に向って、祈り言をしているということであります。

人間というものは、この肉体だけではありません。

幽・霊・神・大きく分けて、肉体以外にさらに三つの世界に生きているものであります。

この人間の本質、本体と申しましょうか、それぞれの世界に呼びかけ、霊界神界から光の放射をしやすくする働きを、自然と持っているのが、世界人類が平和でありますようにという祈り言なのであります。

個人と人類の同時救済という性質を、この祈りは持っております。

さらにこの祈りは、人間の本体である光に向って愛と調和を放っている祈りなのであります。

ですから、心の中に 「世界」 と思い浮かべただけで、直ちにそれは、宇宙と人間の本体である光につながり、大光明を発揮することとなるのであります。

ちなみに宇宙人達は、こうした光体が自己の本質であることを熟知して、日々我々を助けてくれているのであります。

こうした世界平和の祈りを我々はたゆみなく祈って、宇宙人類と光と愛の世界建設のために邁進致しましょう。

 

      「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎






感想

私たちは、肉体(物質)が本体なのではなく、光の波動体(エネルギー体)であることを知らねばなりません。

そして光の光子を浴びることで、魂が喜び、進化してゆくのです。

そして、「印と祈りはこの地上最高のエネルギー」 なのです。

今、人知れず隠れたところで密かに印を組み、祈っている人たちがいるのですが、最高の陰徳を積んでいるのです。

汚れた人が千人集まっても一人の浄まった人の救済力にかなわない。(五井昌久)

一人の人が聖者(世界平和の祈りを祈ると)になると九族(九代)救われると言われています。

それくらい人間が光を放つというのは素晴らしいことです。

祈っている人たち、印を組んでいる人たちはもっと誇りを持ちましょう

今自分が人のことをかまっている状況ではない

人は人、自分は自分という人たちがほとんどの中で

自分以外のどんな人たちのことも、地球人類だけではなく宇宙人類全体の幸せを祈ることの出来る器なのです。

とてつもなく素晴らしいことをしているのです。

自分を尊敬し、誇りに思い、自分を大好きになってください

大げさではなく 世界平和の祈りを祈ることは人間のミッション(使命)、天命だったのです。

自分の素晴らしさを実感したならば、他人からのどんな誹謗中傷にも動じなくなります。

マイナスのエネルギーよりも自分を愛する無限のプラスのエネルギーの方がずっとずっと勝るからです。

真に自分を愛し誇りに思えないと、他人を愛すること、称えることは出来ないのです。

世界平和の祈りは、自分を愛し、人を愛することが出来る最高の祈りなのです。


  
  

世界平和の祈りは過去世を浄めるので現在、未来が善くなるのです




プラスの言葉を何度も何度も繰り返すことは素晴らしいことです。

マイナスの想念エネルギーで今の世の中つくってしまっているので、幽界や肉体界を浄めることになります。

しかし、それで自分の運命や世の中を変えるには、少し弱いことも確かです。

それは、過去や過去世までをも変える強い言霊(エネルギー)ではないからです。

過去や過去世で自分が散々マイナスの想念を発していたり悪行為を繰り返していたのなら、今生で少しぐらいのプラスを放ってもそれを打ち消し、プラスに転じることは難しい。(無限なる可能性!)

では、どうすればいいのか?

それを西園寺昌美先生が教えてくださっています。




本文


人間は誰でも等しく、20年前、10年前、数年前に為してきた行動にたいしては、今日もまたその責任を持たねばならない。

時がすでに過ぎ去ったとしても、過去のその行動は、決して消え去ったわけではない。

が、もうすでに過ぎ去ってしまった過去の行動に対して、一体どのようにして責任を持てばよいのであろうか。

タイムトンネルの如く、過去の時代にもどり、そこで改めて犯した言葉や行動を悔い改め、反省し、新しく作り変えて現在にもどって来られれば一番よい方法なのではあるが、今の時代ではそうもゆかない。

それでは、本当に過去の罪を消し去る方法がこの世にあるものだろうか?

それはある。 それは祈ることである。

過去の消えてゆく姿として世界平和の祈りの中に、すべてを投げ入れ、徹底的に祈れば、タイムトンネルで過去にもどり、自らの手で罪を消し、新しく出発出来ると同じように、祈りの力で、祈りの光で、祈りのエネルギーで過去の罪や行動はすべて消すことが可能なのである。

その効果は絶大である。 驚くほどである。 祈らなければ永遠に過去の罪や行動は消えず、現在、未来までもなおその尾は引きつづいてゆく。

世界平和の祈りはすべてのすべてである。

 



     
「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版


 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 感想

 

なぜ過去の想念行為、潜在意識が消えるかというと、それは世界平和の祈りは宇宙神、宇宙のエネルギーと共鳴するからです。

宇宙のエネルギーは時空を超えています。

宇宙には地球のように過去、現在、未来というような時間と空間がないのです。

境目がない、だから浄化するのみ、消し去るのみです。

祈っている自分の肉体エネルギーと宇宙の無限のプラスのエネルギーが共鳴し、自分の汚れた想念、過去世までもが浄化されてゆくのです。

祈っているとなんだか軽くなってスッキリしてくるのはそのためです。

過去の悪因が消えるので、現実にその悪因が現われることがないのです。

過去の悪因は、祈りでしか消すことはできません。

未来を素晴らしくしようとしたら果因説で明るい未来をイメージすることと

祈りや印によって過去世を浄めることが必要です。

この2つがあって、オセロのように挟み撃ちにして、悪因はきれいさっぱりと消えてゆくのです。


  
   

2017年5月22日 (月)

世界平和の祈りは神様との約束事 2



世界平和の祈りを祈る人は、みんな神我一体になる




そして、“世界人類が平和でありますように” という祈りは誰も彼もが反対できないものなんですよ。

例えば、左翼の人は自分が自覚していないかもしれないけれども、世界人類が平和であることを願っている。

革命を起こすにしても、革命を起こした後で世界が平和になると思っている。

あるいは右翼の人たちでも、武力でもって悪いものを叩き潰して、それで世界が平和になると思っている。

ところがうちの教えは敵を武力で叩き潰すわけでもなければ、イデオロギーで叩き潰すわけでもなく、ただ必然的に神様の中から流れてくる

「世界人類が平和であれ」 というひびきを受けて、「世界人類が平和でありますように」 というひびきをこちらから出して、神様の世界と肉体の世界が、まっすぐに繋がっているんです。

そうすると神我一体となるということです。

本当は私だけが神我一体になっているのではなくて、世界平和の祈りを祈る人はみんな神我一体になっている。

ただ過去世からの業がそれを邪魔したりしているけれども、根本としては、世界平和の祈りを祈れば中心の神様と繋がっているわけです。



 
 
五井先生の働きとは

  

また神様というのは、一神であって多神なんです。

宇宙神としては一つであるけれども、さまざまな働きに分かれて、いろんな神々があるわけです。

だからAの神様からAの教祖が出来、Bの神様からBの宗祖が出来て、それぞれに道を説いているわけです。

しかしやがて、最後はみんなが世界平和の祈りを祈るようになってくるわけです。

何故なってくるかというと、すべての神々が救世の大光明の中に入ってしまっていて、そこから流れてくるのは

“世界人類が平和でありますように” というひびきだからです。

これは私が説かされただけなんです。

この肉体の五井昌久という人は、中心の神様から

“世界人類が平和でありますように” という教えを説かされているわけです。

器なんですね。

器でもあり、ラッパでもあり、場でもあり、そういう立場にあるわけね。

だから、みなさんが世界平和の祈りをする時は、神様と直にピッタリとくっついているんですよ。

それを固く信じさえすれば、自分の力がますます強くなってゆくし、不安、混迷する想いがどんどん消えてしまうわけね。

そして私は、世界平和の祈りの前に “消えてゆく姿” を持ってくる。

いくら世界平和の祈りをしていても、煩悩が起こってくるし、もやもやの想いも起こってくる。

しかし、それは今起こっているのではなくて、過去世からの業想念が、もやもやの想いとして現われて、そして “消えてゆく姿” になるんです。

消えてゆくに従ってそれだけ減るのだから、かまわず世界平和の祈りを祈っていれば、世界平和の光がどんどん広がって、もやもやの想いはどんどん消えてしまう。


神様の世界では、すでに地上天国が出来上がっているんです。


出来ているのが、ただ現われてくればいいだけなんです。


それはどういう姿かというと、みんなが平和を祈って、みんなが平和な心境になっている姿です。


それがやがては現われる。現われるけれど、時間がかかります。


そのかかる間に、過去世からの相対的な想い、排他的な想い、自分だけが良ければいいんだ、自分の国だけが幸せであればいいんだ、というような、間違った想いが、どんどん現われては消えてゆくわけ。


だから、どんなものが現われてきても、かまわず平和の祈りの中に入っていればいい。

 
救世の大光明の中に入ってさえいれば、やがては個人も人類も、平和になるに決まっている。


それを私が神様から教わって、皆さんに教えているわけです。


              (昭和43年5月)


  



世界平和の祈りは、神様との約束事 1


  

世界平和の祈りは神界との約束事

 


世界平和の祈りが、五井先生との神界との約束事だというのはどういう意味か、ということについて話しましょう。

私と神界との約束事というのは、私の直霊と神界と約束事と言っても同じことなんです。

約束というのはひびきが伝わるということです。

神様のひびきが、肉体のほうへ伝わってくるということなんです。

五井の“五”というのは中心という意味です。

一から十までのまん中が五ですね。

それから易(えき)なんかでも中心が五です。

すべて中心は五というんですね。

そうすると、神様の光が集まっている所が 五 なんですよね。

五井の “井”は井戸ですべてが湧き上がってくる所、中心の光、知恵や力が湧き上がってくる所という意味です。

五井という固有名詞にはなっているけど、実は固有名詞ではなく、そういう役目を表わしているんですね。

お釈迦様も神界との約束があるし、イエスさんも、法然さんも、弘法大師も神界との約束事があります。

そういういろんな約束事があるわけですね。

宗祖というものは、ひびきの世界で神界との約束事をして、それぞれの宗教が出来るわけです。

そして私には、中心の神様の光が伝わってきて、私が知らないうちに “世界人類が平和でありますように” という教えをすることになったわけです。

もちろん私の肉体がやったんではあるけれども、実は神々の中心の働きの場からこちらへ伝わってきた、ということなんです。

 





やがて世界中が世界平和の祈りのひびきを体得する




もっと言い換えるならば、神々が時と場所を選んで、肉体の人間を通していろんな教え方をするわけですね。

神様の知恵や力が流れてきて教えを開く人を、宗祖、教祖と言うわけです。

そういう人はたくさんいるわけです。

たくさんいていいわけです。

しかし、それがやがては統合されて、ひとつの世界平和の祈りのような形に統合されてゆくわけです。

そういう時代になってきている。

昔は他の国との交通や関わりもあまりなくて、自分の国だけのような形だった。

そういう時代に日本なら日本、インドならインド、ユダヤならユダヤ、それぞれの場所でもっていろんな宗教が興ったわけです。

しかし、それがだんだん広がってくると、それぞれの場所で興ったような宗教では、みんな自分のほうがいい、自分のほうがいい、ということになりますね。

お互いが自分の宗教のほうがいいんだ、自分の唱え言のほうがいいんだ、というようになって、宗教があるために、却って争いや何かが起こることになる。

ヒンズー教だけがいいんだ、仏教だけがいいんだ、キリスト教だけがいいんだ、というふうに争っていたのでは仕方がない。

そこで、マホメットも、お釈迦様も、イエスさんもみんな集まって、救世の大光明となり、そこから生まれてきたのが世界平和の祈りなんです。

それが五井昌久という肉体を伝わって、この世に現われたんです。

だからこういう祈りはやがて必ず広まって、世界中がこの祈りの主旨を体得して、その元のひびきを体得して、みんな世界平和の祈りのもとに集まってくる。

こちらでどうしようというのではなくて、自然に広がってゆくのですね。



            つづく






感想

“ 名は体を表わす ” といいますが、私の場合は名字ではなく名前の方に特に その役割り?特徴があるようなのです。


朗(あきら)というのですが、ほがらか、明朗のように明るく朗らかな様は、神様の姿を表わしているのです。


私は以前、于先生のレッスンを受けているときに

「あなたは月が良いいのです。ついているんです。ラッキー(幸運)なんです」

とおっしゃって頂いたことがありました。


そのレッスンの後

「そうなのか私は月がいいんだ月がいいんだ」わーい(嬉しい顔) 手(チョキ)

と何回も嬉しくて繰り返し言っていたのを覚えています。(オメデタイ奴ですよね)わーい(嬉しい顔)


そしてブログを書こうと決意したときに何の躊躇もなく

ペンネームは

グッドムーン(月がよい)にしようと決まったのです。三日月

だから、五井先生のお名前が宇宙の中心を表わしている、光が集まっているという意味がとてもよくわかるのです。


みなさんも偶然付けられた名前だとか名字だと思っておられるかもしれませんが

必ず名前が付く(生まれてくる)前にあなたの天命をまっとうするために神様からその名前が付くようにされているのです。

親や祖父母、知り合いの叔父さんが何気なく、思いつきで付けたのではないのです。

易でも姓名学があります。

姓名学よりももっと深いところ(神界)にその源(みなもと)はあるのです。

人間の運命は想念が変わることによっていくらでも変わっていくのです。

だからほとんどあてになりません。

それよりも心を鎮めて、心の奥深く入っていくと(統一をすると)

本当の自分に出逢えるのです。


その本心を信じることの方がずっとずっーと、素晴らしく、尊いことなのです。

アセンションとは本心との遭遇なのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




 

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