2018年11月25日 (日)

なぜ、「世界人類が平和でありますように」 なのか?

 


 

感想・・・西園寺昌美先生の「果因説」から言うと良い結果をイメージするのならそして*神社仏閣で神様、仏様頼みをするのなら、「世界人類は平和であります」と言い切ったほうが言葉のエネルギーとして強いと思われます。

 

そして日本の元号の「昭和」は平和を照らす、であり「平成」は平和に成る、という意味からしても「平和であります」ではないか?とある人から言われたことがあったのです。


しかし、平和の様相がまったく見えていない現代において言い切るのは不自然であり、その段階ではない、と気づいたのです。

人間はもっと神様に対して謙虚であるべきですね^_^


*神社仏閣はお願いをしに行くところではなく、結果のお礼を言いに行くところである、だから「神様、ありがとうございました」が正しい唱え言である。


 
【「ある日の五井先生」清水 勇 著より】

世界平和の祈り

(その一)
 ある日の統一会のことです。青年が手を挙げて質問しました。「『世界人類が平和でありますように』では何か弱い気がするんです。『世界人類が平和だ』と言い切ったほうが力強いと思うのですが」と言う質問でした。

 五井先生は青年に向ってやさしくお答えになりました。「あんたに訊くけど、今の世界を見渡して見て平和だと思う? 平和でないのに『平和だ』と言い切るのは、ちょっと無理があるんじゃないかしら。

神様は『世界人類よ平和であれ!』とおっしゃっているので、それを受けて私たちが『世界人類が平和でありますように』と唱えるほうが自然じゃないかしら?」

(その二)
 今は亡き瀨木理事長から直接お伺いした話。
 瀨木庸介さんは、日本では電通に次ぐ大手広告会社博報堂の社長でした。

昌美先生が神命により富士山頂まで登られるという一九七二年(昭和四十七年)七月の富士大神業の折に、登山メンバーの一員に選ばれて宇宙子科学メンバーの仲間入りをした時、あの人はいったい誰だろう? と我々青年メンバーは不思議に思ったものでした。

当時、一会員の身分だった瀨木さんを神様が大抜擢なさったのです。(昌美先生の過去世のお兄様だったとか)

 大神業が大成功に終わった直後に五井先生から、「庸介さん、職員にならないかい?」と声をかけられたのですが、その時は、「先生、私は博報堂の社長ですよ」ということでお断りしたそうです。

しかし考えてみれば五井先生からお声をかけて頂くということは滅多にないことだと思い直し、後日、「庭掃除でも結構ですから職員にして下さい」とお願いして、一九七三年(昭和四十八年)一月から職員として聖ヶ丘道場に勤務されました。

 コマーシャルで有名な「スカッと爽やかコカコーラ」というキャッチフレーズは博報堂で作ったそうです。そのことが頭にあったからでしょうか、瀨木さんはある日、五井先生に一つのことを進言しました。

「先生、『世界人類が平和でありますように』の祈り言葉の前に、何かパンチの効(き)いた一言(ひとこと)を付け加えたらいかがでしょうか?」
 すると先生は、「何か良い文句を考えといてね」とおっしゃったそうです。

 それから瀬木さんは「世界平和の祈り」の頭につける「パンチの効いた言葉」を一生懸命に考え続けました。

しかしある時、瀨木さんはハタと気がついたのです。世界平和の祈りは五井先生と神界との約束事であって、しかも大神様の作品です。人間側が小智才覚で余計なものを付け加える何ものもありません。

 そこで瀨木さんは、五井先生にお詫びすべく昱修庵に参上したところ、先生のほうから先に、「瀨木さん、何か良い文句が見つかったかい?」と言われ、穴があったら入りたかったと述懐しておられました。

 瀨木さんが進言した時に、「何を戯(たわ)けたことを言うか!」と一喝されてもおかしくない、み教えの根本にかかわることですが、五井先生はきわめて常識的で、しかも愛深くやさしいお方でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年11月19日 (月)

日々祈りの時間を持とう━仕事の成果を上げるために 2

 

 

 

 

世界平和の祈り

 

 

何か人類のために役に立っていきたい、人類のために自分を捧げたいという心はどんな人間にも潜んでいるのです。


たとえどんな殺人者、どんな悪魔のような心を持つ人でも心の奥にはそういう人類愛的な心を持って生まれてきているのです。

みんな神の子として生まれてきているわけですから、本来みんな素晴らしく輝いて、自分自身を磨き神の姿に近づけて生きていくことはできるのです。

けれどもそのようにできる人とできない人との差があまりにも激し過ぎる。

できる人がほんの少数であとは殆どできない。 多くの人が生まれてから死ぬまで、人生の目的が何であるかを一回も考えてみたことがないという人もいます。

それが現実なのです。

昔の人達のほうがはるかに、人間は何のために生きていくのか、何のために自分は生まれてきたのかと疑問を持ち、哲学書を読み漁ったり、宗教に心を向けて自分自身の存在価値を確かめていました。

けれども現代においては哲学書をひもとく暇もないというのに、それに反比例してかつてないほど新興宗教が流行っているのです。

それも生まれてきた存在価値を解くために宗教に心を向けるのではなく、いかにして早く容易に成功を自分の手に入れられるか、いかにしたら苦しまず悩まず、うまくやっていかれるかと、この世の生き方の方便を宗教の門をくぐる人がたくさんいるのです。

現代を輝かしく生きていくためにはやはり、子供の頃から死ぬ瞬間まで何らかの祈りを捧げなければいけないのです。 何の祈りでもいいのです。

それぞれ自分の心の波長と合った祈りをすべきなのです。

私はここで絶対に五井先生が提唱された “世界人類が平和でありますように” という祈りをしなさいということは言いません。

人それぞれ何の祈りでもよいと、私は思っております。

けれども世界平和の祈りというのは、一番わかり易く一番神様と一直線に結ばれる祈りとして、この世に現われて出たものなのです。

ですから私個人としましては、“世界人類が平和でありますように” という祈りは、どんな祈りにもまして素晴らしい祈りであるという確信は持っております。

人々の雑然とした心の中に “世界人類が平和でありますように” というこの祈りの響きが入った時に、自分のことのみに把われていた小さな人間観が崩れ去ります。

この祈り言を唱えた瞬間はその把われから自分を放つ瞬間でもあるわけです。

今までは自分のことのみ、自分の欲望のみ、自分の家族のみに時間を使い、自分のエネルギーを使い果たしていた、その中に、この祈り言が刻み込まれた瞬間、自分は人類のために平和を祈っている公の自分に転換するのです。
 

人類のために奉仕するとは
 


人間は “世界人類が平和でありますように” と祈る以外でも、一つ一つ自分の生かされていることに感謝して生きていかなければならないのです。

人類のために奉仕することは大きなことをすることではないのです。

何億円を寄付することでもなければ、大成功を収めてそれを人類に還元することでもないのです。

日常生活の小さな小さな取るに足らない出来事を、繰り返し繰り返し感謝で受け止めていくことが人類のために役立つことなのです。

日常生活の中において、慈しみ、愛、思いやりや感謝の心を日々瞬々忘れずに、どんな些細なっことでも感謝の心で受け止めてゆくことです。

どんな人の言葉、たとえ子供の訴えであっても、それを叱るのではなく、思いやりに満ちた優しい愛の言葉で返してあげることです。

夫から罵られたその瞬間、それを愛で受け止めて優しい言葉で夫に返してあげる。

友人知人が自分に向けた嫉妬の言葉、非難の言葉を、そういう非難、差別を持って生きていかなければならない彼らの心の哀れさ、その言葉を受ける自分よりも却ってそういうふうに思わなければならない彼らの苦しみを思って、優しい言葉で返してあげる。

そして彼らのそういう暗黒的な、マイナスの心を、“世界人類が平和でありますように” という祈りで消してあげる。

彼らを愛の光りで、神の光りで包んであげる。

そうすることが人間として一番大事なことなのです。

何も有名になることが人類のために奉仕することではないのです。

偉大なことをすることが人類のために役立つことではないのです。

勿論大金持ちがお金を寄付して貧しい人々を救う、それも人類奉仕の一つですが、それは微々たるものです。

本当に人類のために役立つことは、一人一人の小さな小さな出来事から始まっていくのです。

人類の一人一人が心から感謝の心を持ってすべてを受け入れた時には、金持ちが大金をばら撒き、どんな科学をもって救うよりも、遥かにまさる人類の幸せが訪れるのです。

それは一人一人の心が神の心に変わるからです。

いくら物質的なものを与えても本当の救いにはならないのです。

一番大事なことは一人一人が自分の生き方に対し、自分の生活に対し、それを心から感謝で受け止めていくことです。

それができれば、あなたが生まれてきた今生の意義 ━ 何のために生まれてきて、何のために死んでいくか、何のための人生かがはっきりとわかるはずです。

日頃の小さな取るに足らない事柄に対して何でも感謝でき、すべてを感謝で受け止めていく。そういう愛の心を響かせていく、それが最大の生き方です。



仕事の前に、祈りと感謝を! 


ですからますます忙しくなっていくこの現代社会で、祈りの時間を持ち、自分自身が毎日の出来事に対して感謝で受け止めているかどうかを知ることは大事なことなのです。

これまでいかに自分は非難に対して非難の言葉を返してきたか。 憎しみの言葉に対してどれほどの大きな憎しみで返していたか。 冷たい言葉に対して更に残酷な言葉で返していたか。 

感謝するどころかその倍も憎しみ怒り、不平不満を返していたか・・・・・。

それはとんでもない間違いです。

時間に追われ、時間との競争のような生き方を強いられる現代、忘れてはならないことは日々祈りの時間を持つこと、自分の心を反省する時間を持つことです。

その祈りの時間になさなければならないことは、神の子としての人間の光り輝く原点である愛、慈しみ、奉仕、感謝を認識し、それを改めて自分の心に深く刻むことです。

それによって時間をうまく使うことができるのです。

一刻も早く一瞬も早くその仕事にとりかかることによってその仕事の成功が約束されるわけではないのです。

仕事に取りかかる前に、この仕事がうまくいきますように、この仕事を通して人類が平和へと転換されますように、自分がこの仕事に全エネルギーを注げますようにと、ただそれだけを祈る。

その仕事を与えられたことを神に感謝する。 その仕事に自分を使っていただけることに感謝する。

その感謝の心を植えつける祈りを捧げることによって、五分、十分と仕事にとりかかるのが遅れたとしても、先に始めた人以上の素晴らしい成果を、しかも短い時間で成し遂げることができるのです。

なぜならば、その仕事に必要な素晴らしいエネルギーが迸(ほとばし)り出るからです。

ただ時間に追われ仕事をする人と比べれば、祈った人の仕事というものは、どれだけ濃縮され、どれだけ成果が上がり、どれだけ自分もまた周りも素晴らしい仕事ぶりを見せるか、格段の違いが出てくるものなのです。


『光明思想に徹しよう』 西園寺昌美 白光出版

 

 

 

 

 

日々祈りの時間を持とう━仕事の成果を上げるために 1



 

時間に追われる現代人


現代人ほど人々が時間に追われる時代はありません。 そして今後ますます時間との戦い、時間を気にかけながら生きていかなければならない時代になってまいります。 そういたしますと、私たちにとって時間は貴重な財産となってくるのです。 昔の人々は実にのんびりと生きていかれたので、今ほど難しい病気や難しい問題、残酷な事件が起こり得なかったのです。 

なぜならば、のんびりと過ごすことができ、今日のように忙しくなかったから、その人なりのペースで自分をゆっくり見つめ観察しながら、自分の健康なり自分の心なりをよく見分け、一日一日を過ごすことができたからです。

また仕事も現代人のように複雑多岐にわたっていなかったので、単純作業をそのまま繰り返していけば生きていくことができました。


 

けれども現代はますます仕事の厳しいノルマを果たさなければならないので、人々は更に忙しく慌しく、心のゆとりを失いつつ生きているのです。

 

 

昔と比べて解決しがたい複雑な問題が次々に起こり、病気一つをとってみても医学で解決できない病気がたくさん噴出しています。

 

 

現代の人々の心の病の凄まじさは、昔の人が考えられないような状態なのです。 そしてそれが一人一人の庶民の生活にも如実に反映してきております。


それはなぜか。 人類全体が忙しいからです。 朝から晩まで何かに追われ、常に何かを心に抱きつづけ、その解決がなされないままに明日を迎える。 

そしてまた何かに追われ、何かに責任を感じ、何かに不安を感じ、何かに恐れを抱きながら、その問題は解決されずにまた明日を迎える・・・・・・・。

 

 

そういう毎日の繰り返しで、自分はこれだけしなければ、これを果たさなければと、心の中にいつも自分が果たさなければならない大きな課題を抱え、それを引きずりながら日を重ねてしまうのです。

 

 

このような状態が起こると、人間はいつか自分の許容量以上のことを課せられて自然爆発のような状況に追い込まれていくものです。

 

 

これからはますます、今以上に時間の厳しさを一般の人々が感じないではいられないようになっていくと思いますが、そのような状況に置かれた時、人々は何に価値観を置いて生きていかなければならないのか、一人一人がはっきりとした目的意識を持たない限り、皆挫折してしまいます。

 

 

その結果、何らかのトラブルに巻き込まれていく、病気になっていく、考え方が残忍になり孤独になっていくのです。

 

 

時間が貴重になればなるほど心にゆとりを持って生きていかなければ、人々はいたずらに時間に追い廻され、忙しさに追い廻され、肝腎要の一番大事な根本を見失い、枝葉のものに重点を置くようになるのです。

 

 

 

 

忙しくても、祈る時間をもとう



一番大事なことは、時間がどんなに速く自分の前を通り過ぎようとも、自分を見つめる時間、神に心を向ける時間、祈る時間を持つことが必要なのです。 けれども現代はそれと逆行しているのです。 

忙しければ忙しいほど自分を見つめる時間を見失い、自分を反省する時間を見失い、祈りの時間がなくなっていく。


だからこそ、苦しみや悲しみや病気が絶えずふりかかってくるのです。

我々がある一定の枠内にこなさなければならない任務を負わされ、一分一秒も惜しいという忙しさの中で、まずやらなければならないことは、祈ること、自分を見つめることです。

その仕事に対してどういう工程を踏んでいくかという心構え、そして頭の中でそれを整理し自分のエネルギーを集中させる、そういう時間を持つことが、与えられた仕事をものの見事にこなしていく原点なのです。

それを逆に、一分でも早く仕事に手をつけよう、早くいい結果を現わそうとし、自分の心を見つめ考えを練り、神と対座する時間を惜しんで仕事に没頭しつづけると、必ず何らかのトラブルが生じるものです。

他人が一刻も早く仕事にとりかかり、成果を上げようと必死で努力している様子をみると、自分がとり残されてはいけないと惑わされます。

しかし自分を見つめる時間、神と対座する時間を持たず、祈りを忘れて仕事にとりかかる時には、必ず何らかの問題が生じてくるのです。

人は人、自分は自分です。 常に心がけなければならないことは、朝昼晩、神と対座し神に感謝し神に心を向けることです。


そして正しい生き方、正しい仕事のあり方、何が目的であるかということを自分自身納得し、それを完全に掌握しない限り、すべての成就というのはあり得ないのです。

忙しければ忙しいほど、人類は心して神と対座する時間を持つべきであり、自分をその中に組み入れるように努力しなければなりません。

現代の人々は美しい心、思いやりの心、優しい心、愛に満ちた心、献身的な心、奉仕の心、正しい心、慈しみの心を失いつつあります。

もっと優しくすべきところを、もっと人に手を貸さなければいけないところを、自分の忙しさにかまけてしまう。

周りの人々のために、もっと尽くさなければ、思いやりを持たなければと思いつつも、時間に追われるためにそれができない、常に矛盾を感じながら生きていかなければならない。

何のために生きていくのか、お金のためか、仕事の成功のためか、名誉のためか、権力のためか。 それを得るために人間としての心を失っていくことのほうが、どれほど自分自身をそこない、自分自身の目的を狂わしていくかということがみんな分かっていない。

だからこそ人生半ばにして挫折感を持ち、健康を失い、孤独を味わって、いったい何のために自分自身を鞭打って働いてきたのか、その目的は何だったのか、自分が求めていたものは何だったのかを多くの人が感じることになるのです。

人間の幸せの原点は、家族がお互いに愛し合い、いたわり合い、慈しみ合い、そして思いやりと愛の心で調和し合いながら、子供たちを立派に育てることにあるのです。


そういう家族関係であるべきなのに、父親も母親も子供たちもみんな時間に追われ、調和した家族の時間を持つこともできない。

夫は夫で仕事に励むだけ、妻は妻で家事に追われ、あるいは社交と自分の楽しみに追われ、子供たちは塾だ、勉強だ、スマホだ、遊びだと忙しくみんなバラバラに生きていく。

バラバラに生きざるを得なくなっているのが現代の家族です。

ですから昔のように、家族がいるから自分は安心だ、夫がいるから、子供がいるから将来自分は大丈夫だなんて思うことは、もはや現代においては通用しません。

みんな一人一人が自分のことのみに生きているこの世の中です。

一人一人が自分の果たすべき目的、使命を見失い、何が何だか分からずただただ時間に追われつづけ、心に何のゆとりもなく慌しい毎日を繰り返し生きているだけなのです。

こういう家族であり、こういう社会であり、こういう世の中では、未来がよくなるはずはないのです。

神のような慈しみ深い、愛ある人間が育つわけがないのです。

自分だけが幸せであればいい、自分だけが豊かで成功すればいい、自分だけが繁栄すればいいという世界観に自ずとなっていってしまうわけです。

ですから忙しい時こそ、自分自身と対話しなければならない。 

忙しければ忙しいほど、一日一回でもよい。 一日に十分でもいい、三十分でもいい、静かに座り瞑想し、神に心を向けて祈らなければならない。

どんな人も、自分はなぜここに存在しているのか、何のために生きているのか、何をしなければならないのか、一番大事なことは何なのか、それを絶えず心に刻んでおかなければ自分自身を見失っていくことになるのです。





『光明思想に徹しよう』 西園寺昌美 白光出版






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祈りが主、祈り以外のことはすべて従

 


 

感想・・・まず、自分の生活があってそれから家族や他人、会社、学校、地域、日本、世界、地球、宇宙と拡がって行くのですが、私たちは自分のことでいっぱいいっぱいで、スマホ📱を片手に他人のことですら眼中に無いのです。

これでは意識は肉体界(私たちは同時に幽界、霊界、神界にも住んでいる)だけに留まり、自分さえ良ければそれで良いと、いうような自我欲望だけで生きてしまう、それでは神の子、愛の子としての本来の姿を顕わさずに生きてしまう

これでは本心、魂が決して満足しないのです。

自分本来、人間の本来の姿ではないからです。

人間は何のために生まれて来たのか?

それは本当の姿である神を顕わすためです。

そのために〝世界平和の祈り〟を祈る

祈りが主の主、祈りしかないのです!(私たちは祈ることを目的に生まれて来たのです)

祈りを主にすると自分や周りの環境は整って来ます。

神の姿を顕わしている人、器、パワースポットを神さまが応援しない訳がないからです。


 


「白光」誌から

【祈り方は】

病気や不幸でも

・自分の身の回りのことを思うより、まず平和の祈りをただひたすらにすれば、身の回りのことも良くなって来るのですね。そういうふうに、逆に考えておやりになると力がうんと付きます。

病気を治したい、不幸を直したいを先に思っているとなかなか直りません。それは世界平和の中へ入れてしまえばいいのです。

【祈り方は】

病気や不幸でも

・自分の生活を助けたい為だけに平和の祈りをやっていると、あまり大きくなりません。
本当は、自分というものを世界人類の中に投げ出した方が、自分は生きるのです。

自分の想いを、自分の全生活を神さまのみ心の中に投げ出して、そういう気持ちで個人個人のものは捨ててしまう位な、そういう気合いがあると運命は余計に早く開く。思いもかけないようなことが開くに決まっている。

 

 

世界人類が平和でありますように

 

日本が平和でありますように

 

 私たちの天命がまっとうされますように

 

守護霊さまありがとうございます

 

守護神さまありがとうございます

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年11月17日 (土)

自分を卑下するなかれ!

「白光」誌から

【守護霊・守護神】

5.人間をカバーする

・肉体という波動をまとうと、生命が働きにくくなるから、それで守護霊守護神がいて守る。そのマイナス分だけを穴埋めするように出来ているわけなのですよ。

【守護霊・守護神】

5.人間をカバーする

・地球界に渦まいている業の波を、守護霊守護神がよけてくれていて、それでわずかに入って来る業の波でさえも、オタオタして人間は生きているわけです。

だから守護霊守護神として働いている力が90%、分霊の肉体側の力というのは、わずか10%というところなのです。

【守護霊・守護神】
5.人間をカバーする
・いつも長所と短所が混って、この世は出来ているわけなのです。それは何故かというと、この地球世界、物質世界というものは、本当のものが出来てしまったら、存続しないように出来ているわけなのです。

それで足りない所は、足りないでいいのです。欠点は欠点で仕方がない。出来るだけ長所を伸ばして、欠点を無くするようにすることです。
その欠点を補って余りあるものが、守護霊守護神の加護なのですよ。


感想・・・「この人素晴らしいなぁ」「立派だなぁ」と思う人が案外、ご自分に自信を持っていなくて「私なんてダメな者なのです」「まだまだ精進が足りません」と卑下されているのです。
卑下が過ぎる人を卑下慢(ひげまん)と言うそうですが、自慢ではないのだけれど神さまから言わせると同じようなのです。

それはご自分をあまりにも過小評価されている、現われてくる現象に振り回されている、他人の目を気にし過ぎている、自分を愛せていない、のです。
肉体を纏った時点で、どんなに頑張ったところで10%も上手く行くはずがないのです。
人間は50歩100歩です。
神様は肉体界での活躍なんて何にも期待していないのです。
不完全であることは百も承知です。
その代わり、宇宙最高の言霊である「世界平和の祈りだけを一生懸命に祈りなさい」とおっしゃっておられます。
そして代わりに、「3次元は時期が来れば、しっかりと整えてやる」と約束してくださっています。

私たちは、宇宙神のエネルギーを降ろす 〝光の柱〟になればいいのです。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます

2018年11月 4日 (日)

世界平和の祈りをしていると

 

 

1.安心して世界平和の祈りをし、五井先生!と言っていると、守護霊守護神さんがちゃんと働いて、うまくやってくれます。

でもこういうこともあります。

何時に誰かと会わなければいけない、と会う仕度をしていたけれど、どうしても行かせない場合もあるんですよ。

お腹が急に痛くなって行かれない場合もあるでしょう。

またはどうしても気が進まないで行かれない場合もあるでしょう。

そういう場合は、守護霊さんが止めているんです。

会ってはいけない場合は会わせないように、会わなければいけない場合は自然に会わせるような、そういうことを守護霊さん、守護神さんがすべてやってくれるんです。

神界、霊界の仕組みというのはそれは大したものですよ。


2.病気というのは、本当はないんです。

ただ想いが現われているにすぎない。

家系にガンをやった人が多いと、自分もまたガンにならなきゃならないような気がしている。

そう思うでしょう。いつも思うと潜在意識に入ってゆくんです。

それが知らないうちに恐怖になってゆく。

その想いがガン細胞をつくってゆくわけです。

それを破るためにはどうしたらいいか?

それを忘れることです。

神様の中に入れば、神様がきれいになくしてくれます。

○○さんの場合は、霊界から医者が来て治しちゃったわけです。

霊界には医者がたくさんいますから、パッと手術してしまった。

そういう人が大分いるんですね。

知らないうちになくなっている。


3.人間というものは、私もあなたも皆さんも、神界で光り輝いている。

なんの悪も不幸もなく完全円満で働いているわけなんです。

その姿がまだ地上界に写っていないんです。

そこでこの世界にいち早く現わすためにどうしたらいいかというと、自分の想いをいっぺん自分たちの本体に還元して、本心の中に入れてしまうことです。

〝世界人類が平和でありますように〟といって神界の中に入る。

すると、自分本来の光がパーッと流れてくる。

そうすると自分の肉体の波動も速くなるわけです。

肉体はこれは波なんです。

実は波が集まってきて、ここに現われているんです。

光の波と業想念の波とがまじって現われている。

神界の光の波がパーッと流れてくることによって、業想念の波がどんどんきれいになってゆく。

それを続けてゆけば、ついには人間神の子本来の姿になってくる、というわけです。

 
『みんな救われている』五井昌久著 白光出版

 

 

 

 

 

 

 

2018年11月 1日 (木)

午前3時に印を組むのがベストです!


午前3時は丑四つ刻というそうですが、人間が一番眠りについている時間帯だそうです。

人間は起きていると何だかんだと考えます。想います。プラスのポジティブなことを考え、想えばいいのですが、ほとんどの人は暗い、ネガティブなことを考え想っている。

だから人間が起きている時間帯に「世界平和の祈り」を祈り、印を組むと邪魔が入ります。

頭がボーっとして雑念がたくさん入って来るのです。

どこまで印を組んだのかわからなくなる・・・

集中出来なくなって途中でやめてしまうことがある。

それに比べ、午前3時前後は非常に祈りやすく組みやすいのです。(すごく気持ち良く組めます)

印を組むと光輝くので闇を引きつけ、しんどくなる、という人がいます。

まったくの間違いです。

印は科学です、宇宙科学です。

疲れとは人間の想念が作り出した物質波動であり、宇宙、神界には存在しません。

だから組めば組むほど肉体は浄化し、疲れは取れて行く

こんな素晴らしいものはありません

しかも無料でいくらでも組めるのです(笑)

昌美先生は

「理屈はいいから、能書きはいいから数多く組みなさい!」とおっしゃっています。

そうなんです。一般常識、3次元を超えたところに真理、真実、ほんもの、神界、ほんとうの自分がいるのです。

ほんとうの自分に繋がるには、ほんとうの幸せを掴むには、祈り、印をただひたすら組み続けるしかないのです。

それは午前3時くらいがベストです‼️

 

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます

 

 

2018年9月14日 (金)

世界平和の祈りは肉体界以外の世界にも響き渡る!

 

 

先日、パラレルワールド(平行世界)があって自分が認識している世界以外に交わることのない平行して存在する世界があることを述べました。

AとBのどちらかを選ぶ選択肢があり、Aを選んだとしてもBを選んだ自分も存在している。

周波数をあげて行けば(あげなくても)、いくらでもパラレルワールドは広がり、その世界には無数の、無限の自分が存在している。

そして、私たちは肉体界以外にも幽界、霊界、神界にも同時に住んでおり(本当はもっと細かい層がある)、自分(人間)というのは、とてつもなく大きな、偉大な存在であることがわかります。

目に見える肉体しかない、目に見える肉体界しかないということが、とんでもない思い違いであることがわかります。

すると「世界平和の祈り」を祈っている自分というのは肉体界の自分だけでなく、パラレルワールドの自分、幽界、霊界、神界に住んでいる自分も同時に祈っていることになる。

それにも増して、「世界平和の祈り」は宇宙の言霊なので時空を超え、レイヤー(層)を超え無数の分身が祈っているのです。

これって凄くないですが、とてつもないことではないですか?

肉体界ではそんなに動いていないとしても、祈っている自分はいろんな世界で活躍している。

 

寝ている間にも、もちろん働いているのです!

肉体界は目に見えるほんの小さな世界です。

それは宇宙に浮かぶ星は、宇宙空間に比べるとほんの微々たるものであることからわかります。

それくらい目に見えない存在は無限大です。

「世界平和の祈り」はそこに鳴り響くのです。

自信を持って祈りましょう!

確信を持って祈り続けましょう!

 


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


 
 

2018年9月11日 (火)

「世界平和の祈り」を祈っていると個人のことも整ってきます!

 



 
「白光」誌から

【祈り方は】
 
病気や不幸でも
 
・自分の身の回りのことを思うより、まず平和の祈りをただひたすらにすれば、身の回りのことも良くなって来るのですね。そういうふうに、逆に考えておやりになると力がうんと付きます。
 
病気を治したい、不幸を直したいを先に思っているとなかなか直りません。それは世界平和の中へ入れてしまえばいいのです。
 
【祈り方は】
 
病気や不幸でも
 
・自分の生活を助けたい為だけに平和の祈りをやっていると、あまり大きくなりません。
本当は、自分というものを世界人類の中に投げ出した方が、自分は生きるのです。
 
自分の想いを、自分の全生活を神さまのみ心の中に投げ出して、そういう気持ちで個人個人のものは捨ててしまう位な、そういう気合いがあると運命は余計に早く開く。思いもかけないようなことが開くに決まっている。

 
 
 

2018年8月30日 (木)

幸せになるには、祈りしかないのです

 

 

 

【個人も人類も救われる(幸せになる)には祈りしかないのです】(蚊は殺生してもいいのです蚊?)

2014年5月14日のブログより
  
今、3次元で成功するための本を読んでいるのですが、いくら素晴らしいスキルを身につけても

行動を変えようとしても、モチベーションを上げようとしても

襲って来るマイナスの想念エネルギーを浄めなければ、どうしようもないのです。

私たちは、何かをしようとする前に目にみえないマイナスのエネルギーに勝たなければならない。

さっきまでやる気になっていたのに、急にやる気を失いネガティブになってしまう

自信に溢れていたのに、「やっぱりダメだ」 と想ってしまう
 

たとえば、あなたは引っ越しをした家の部屋に居るとします。

ある日、近所で蚊が大量発生しました。

その家は大きなボロ屋なので、あちこちに穴が開いていて塞いでも塞いでもどこからか蚊が入って来る。(もしかしたら家のどこかで蚊が発生しているのかもしれない)

あなたは殺虫剤で対抗しようとする、何匹かは退治出来たけれども無数の穴が開いてるのでいくらでも入ってきます。

そして抵抗力が付いた蚊は、殺虫剤に慣れてしまって効き目が無くなっていく

それと同じように

襲って来るマイナスの想念エネルギーは地球人類の莫大な量の集積された業(カルマ)なので簡単には退治出来ないのです。

それに加えて過去世からの自分の想念(潜在意識)が輪をかけて襲って来ます。

払いのけようとしてもマイナスを思わないようにしようとしても次々に浮かんで来るのです。

消しても消しても浮かんで来る

そして消せない想いはまた潜在意識にインプットされてしまう。

人の想念を受けやすい人や過去世からの因縁生の強い人、霊的な人は目にみえない世界(幽界)のことに気づいているのでなんとかしようとするのです。

霊力のある人のところや巷にある占いの館などは、そのような人が集まっているのだと思うのです。

しかし出来ることと言えば、対処療法(除霊)がほとんどです。

先ほどの蚊のように追っ払ってもまた戻って来るのです。

それは、そのやり方がほんものではないからです。

蚊は一時的に退散したように見えても、また現われて来ます。

それは、根本的に何も解決していないからです。

蚊はなんのために現われているか?

それは、近くに汚れた場所があることを知らせるためです。

人間にとってなんの有益にもなっていないけれど

この世に、必要なものではないのだけれど

人間に気づかせるためだけに存在してくれているのです。(だから蚊の殺生は許されるそうです)

しかし

無駄な殺生をしない方法といえば

根本原因になっている水溜まりや河川が汚れていないかを探して浄化すればいいのです。(除霊ではなく浄霊です)

すると蚊はやがて無くなっていきます。

人間の頭の中にもいろんな想念が入りこんでいます。

過去世からのものもあれば、人類の想念エネルギーもあります。

無意識に生きていると、どんどん汚染されていくのです。

それなのに、テクニック(殺虫剤)だけを磨いても、またそれに負けないだけの進化?した蚊が出てくるのです。

いたちごっこです。

私たち人間がつくってしまった環境(蚊)は、有限のものです。

有限なものに、人間が頭で考えた対処療法(殺虫剤)で対抗してもダメなのです。

地球人類がつくってしまったマイナスの想念エネルギー、そして汚れた幽体(幽界)は、肉体人間では消せません。

私たちは気づいていませんが、守護霊様、守護神様は神界と霊界から24時間プラスα、必死で人間に代わってこの幽界を浄めておられるのです。

だからまだ地球は滅亡しないで持っている。

しかしそれにも限界があります。

守護霊様守護神様の霊力、神力ももってしても、浄め切れないのです。

それくらい人類が作ってしまったマイナスエネルギーは強烈なのです。

幽界の汚れたエネルギーは、守護霊守護神、そして肉体人間が三位一体になって共同で浄めて行かないと完全に消えないようになっています。

それが宇宙神のご計画です。

同じ次元のもの

人間智で考え出したものには限界があります。(念力では浮かんで来るマイナス想念は消えません)

人間智を超えるもの、次元を超えるもの・・・・・・

それが、祈りなのです。

根本的に浄化するには祈りしかありません。

世界平和の祈りは、宇宙神の祈願なので、無限のプラスエネルギーなのです。

どんな業、カルマ、想いをも浄めることができる

最高のエネルギーです。

その宇宙最高のエネルギーを使わないことには、個人も人類も浄化出来ないようになっているのです。

今、祈らないと、どんどん苦しくなっていきます。

私は、祈っているのでなんとかやっていますが

みなさんはしんどくないですか?

ほんとうに元気ですか?

幸せ感はありますか?

祈っている人は反対に、どんどん楽になっていきます。

宇宙の波長に合っているからです。

これから祈っている人と祈っていない人の差が歴然と現われてきます。

3次元的な成功も大切だし、健康も、人間関係も大切です。

しかしそれらを実現させるためにも根本(幽界)を浄めることが大切なのです。

だから私たちは、肉体にくっついている幽体も浄めなければならないのです。

幽体とは魂のことです。

魂が浄まって、幽界が浄まって、はじめて肉体(肉体界)が調ってくるのです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 

 

 

 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2019年2月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28    
無料ブログはココログ