2017年4月28日 (金)

人間はエネルギーが変わってから、意識が変わる(私が一番言いたいこと)



少し個人的で、神秘的な話をします。

今から20年ほど前の話なのですが、私の友人を通して「オーラ診断」をして戴いたことがありました。

その頃の私は、神秘的なことなど全く興味は無く、巷にある占いやましてや「オーラ診断」などには嫌悪感さえ持っていました。

しかしその診断をしてくださる方(女性)は、以前から知っていて、なんの私心もなく

「世の中にこんなに爽やかでエネルギーが澄んでいる人がいる人がいるのだろうか?」と感じていたのです。

その方が、友人に「グッドムーンさんに私の診断を受けてもらいたい」と言っておられたと聞いて

「それならば」

と思ったのです。

その方の診断でなければ受けなかったと思います。

そしてそのオーラ診断は衝撃的でした。

前世のこと、そしてその結果として今の自分がいること、など、今まで自分で知らなかったこと、不思議だったことを次々に語ってくださったのです。

それもオーラ写真を通してではなく、霊視をされていました。

その方は写真が無くてもわかるのですが、それでは相手の人が客観視できない

そのためのツールとしての写真でした。(写真を見ての診断はほとんどなかったと思います)

その人は、ただの霊能者ではなく、守護霊守護神とつながった、ほんものの人(霊止)だったのです。

今までの?????がすっかりクリアになった私はスッキリとして

紹介してくれた友人(一緒にオーラ診断を聞いてくれていました)とその方(これからA子さんと呼びます)と3人で喫茶店に行きました。

その頃の私は、金融関係の仕事をしていて勘定(感情)まみれになっていました。

そして一日にタバコを2~3箱も吸っていました。

すごいストレスの中にいました。

喫茶店について、座るとすぐにタバコを吸いたくなり

「吸ってもよろしいでしょうか?」

と言ったところ

A子さんはなんのためらいもなく

笑顔を浮かべて

「どうぞ」

と言ってくださったのです。

喫茶店ではとりとめのない、雑談をしていたと思います。

そして次の日ですが

私は、妻の実家に遊びに来ていました。

 

そしていつものようにタバコに火をつけると

なんと不味過ぎて吸えないのです。

まるで毒を食しているようでした。

そのときの顔は、鬼の形相だったと思います。

そしてその場で残ったタバコの箱をねじり曲げ

ゴミ箱に捨ててしまいました。

 

その日以来、タバコは一本も吸っていません。

 

驚いたのは、周りです。

ヘビースモーカーだった私が

あれほど妻に止めるように言われても

まったく聞く耳を持たなかった私が

いとも簡単に

それも突然止めてしまった

 

そのときには

「なぜ止めれたのだろう?」

と不思議でしたが

今はハッキリとわかります。

A子さんが、オーラ診断、そして喫茶店にいる間に

私を浄めてくださっていたのです。(どうやってかは割愛します)

 

そして次の日には

 

全く違う波動体(エネルギー)になっていた

 

意識が変わったのではなく

エネルギーが変わったので

意識が変わったのです。

 

今、ネットでは人々の意識を変えるために、変える必要があるために

様々な記事や投稿があります。

 

特に、健康については

発がん性のある食品を食べるな!

糖(炭水化物)が人類をダメにする

薬は毒である

医療界は腐っている

テレビや新聞ではほんとうのこと(真実)は語られない

・・・・・・・

これだけたくさんの人が声を挙げれば

徐々に意識は変わって行き

いつかは、大変革が起こると思っていたのです。

だがしかし

人間の潜在意識はそう簡単に変わるものではありません

病気などになって痛い目に遭った人でも

喉元過ぎれば

「そんなこと言っても疲れたときにはやっぱり自分にご褒美をあげないとね」

「なるべく気をつけるで、良しとしよう」

になるのです。

そして痛い目に遭っていない人はなおさらです。

「健康になるためにはお金がかかる」

「お腹を満たすには、ジャンクフードで十分だ」

「そんなに体に悪いものを売るはずがないじゃないか!」

・・・・・・・・・・・・

これの繰り返しです。

・・・・・・・・・・・・

では、どうすれば人間の意識は変わるのか?

それは私が経験したように

光を浴びて、浄化されて

悪い波動(私の場合はタバコ)と共鳴しない、出来ないようになるしかないと思ったのです。

身体に悪いものは、巷に溢れかえっています。

コンビニ、スーパーには9割が口に入れてはいけない食品ばかりです。(発がん性、防腐剤・・・)

エネルギーが変わると

口に入れた途端

「わぁ不味い」

「こんなもの食べれるか!」

になるのです。

頭で理解しているうちはダメです。

エネルギーが変わって

始めて意識が付いてくるのです。

10万人の人が真理を知って

神人になって(神人になるための課題があります)

光の柱になって

光を降ろせる器になって

宇宙から、神界から無限のプラスのエネルギーを降ろせるようになって

地球上のエネルギーが変わって(ほんとうは既に5次元のエネルギーに変わっているのですが)

地球人類が光のシャワーを十分に浴びて

そこで始めて

ほんとうの意識改革が起きるのです。

化学反応が起きるのです。

・・・・・・・・・・

ですから

祈りしかないのです。

印、マンダラが必要なのです。

 

祈り、因を組むことで自分のエネルギーが変わります。

エネルギーが変わると意識が変わるのです。

そのエネルギーは宇宙に充満します。

地球人類に影響を及ぼします。

これが真理の真理です。

地球人類が目覚めてゆくプロセスです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  
 

如是我聞5





苦しみが多ければ多いほど、深ければ深いほど、のちにくる喜びも多くまた深い。

 

 
解釈

 

人は 「何事もないのが一番、平凡なのが幸せ」 と云っているが、あまりに何も無さ過ぎると 「何か起こらないかなぁ」 と勝手なことを思ってしまうものです。
 
 
同じ経験をしていてもある人にとってはたいしたことでもないのに、違う人には苦しい耐え難い経験になるのかもしれない。
  
 
そして、耐え難い経験をした人はそのことに免疫がついて心が強くなっていく。
 
 
決して、無駄な経験はない。

 
心が強くなると少々のことでは苦しまなくなる、動揺しなくなる。

 
人の幸せは平常心になることなので、強くなればなるほど喜びになっていく。

 
苦しみの多さは喜びに比例する。

 
自分や家族、人の苦しみを嘆き悲しむことは違う、ということがわかる。


如是我聞4


  


自己をじっと見つめなさい。
  
澄み切っている自分が真の自分。
 
汚れているもの、不安動揺しているもの、不明朗なものは、すべて真の自分の前を通り過ぎてゆく雲である。



 

解釈


 
牢獄に入れられた人が長い期間ずっと一人でいることで真の自分と出会い、自分と対話して悟る人がいる。
 
忙しさに振り回されて自分を見失っている人がほとんどのなかで、しっかりと自分と向き合うのは難しいのかもしれない。

でも、それをしなければ本当のことや本当の幸せがわかることは出来ない。
  
自分をずっと見つめていると偽者の自分と本物の自分がわかるようになる。
 
忙しいとは心を亡くすという意味だそうです。
 
いくら忙しくても、一日に一回は自分を省(かえり)みることが大切です。
 
 
このことを反省という。


追伸・・・しかし反省ばかりをして反省し過ぎる人がいます。もう終わってしまって消えたものをいつまでも追っかけていたら、潜在意識の中にまたインプットされて再現されてしまいます。

反省の省は少な目とも書きます。

漢字って凄いですね!

 

如是我聞3





思う通りに生きようと思うのなら、まず想いをなくすことだ。


 

解釈

 

私のメンター(人生の師匠)は

私が想いから言葉を発すると
 
「思うのはいくらでも思えるのです。思いは重いのです」 とおっしゃっていた。
 
確かに人がしゃべっているのでも、

「私はこう思います」、「思うのですけど」、「思ったからです」

そして私が嫌いな言い方(笑)

「・・・したいと思います」等を連発しているのを聴くとこちらまで重たくなってきます。
 

心から出ている言(ことば)は爽やかだけど、頭で混乱した中から出た枝葉の言葉(ことば)は同じようで全然違うものになっている。

 
想いをなくした 「空」 の状態が本心から出た、真(まこと)の言であり、姿であり、行動なのです。
 
 
人は普通想ってから行動する。

 
しかし本当は直観で行動してから、後から考えが付いてくるのです。
 

少し難しいですよね?

 
でも、近い将来、人間はこうなっていきます。


如是我聞2





現れて来た事柄、想いをつかまえて、いい悪いと分別しているうちは、心の平和は得られない。



 
解釈

もしかしたら私が調和波動気功を学び始めたのはこのことだったのかもしれない。
 
どんなときにも平常心でいたかった、不動心になりたかった。
 
正義感のようなものが良い悪いを分別して自分で勝手に苦しんでいた。
 
W先生は 「ジャッジしないこと、分別心をなくすこと」 を教えてくださいました。
 

おっしゃられる通り、分別する気持ちが少なくなってから幸せを感じることが多くなりました。

2017年4月27日 (木)

“見ざる 聞かざる 言わざる” の意味とは?



  

すごく長い文章なんですが、私の心に響いた素晴しい内容です。


この内容を理解出来れば、人生の達人?になれると思います。(笑)

そして大切なことは、実践することですね!(世界平和の祈りを祈る)

 


五井昌久  把われないこと
 

昔からいわれていることですが、見ざる聞かざる言わざるということはどういうことかというと、見た想いに把われず、聞いた想いにとらわれず、いった言葉に把われず、すべてのものにとらわれないのがいいのだ、ということです。

大体、道とか宗教の教えというものは、すべて想いがとらわれないということを主としているわけです。

想いがとらわれなくなると、神さまからそのままくる行いが出来る。

この世の中では、テレビ、ラジオはいつもいろんなニュースを報道している。

どこどこで強盗があった、火事があった、殺人があった、と嫌なこと暗いことを聞くまいと思ったって聞こえてくる。

新聞を見れば、誘拐があった、事故があった、アメリカがどうだこうだ、見まいと思ったって見えてしまう。

ともかく、見ざるも聞かざるもありゃしない。

今は、文明文化が発達して、マスコミというものが発達してますと、こちらが好むと好まざるとにかかわらず、強制的に見せられる、聞かされる、いわされる。

だから見ざる聞かざるいわざるというのは、本当はいいかもしれないけれど、実際問題としては適用しないわけです。

そこで、私は見てもいい、聞いてもしかたがない、いってもしかたがない。

しかし、あらゆるものはいいことであれ、悪いことであれ、それは消えてゆく姿なんだから、その想いにとらわれてはいけない。

いくらいい言葉をいって、それに人が感動したとしても、それにいつまでもとらわれていたんじゃ進歩がないんだし、また悪い言葉をいっても、しまったと思って

「しまったしまった、私はなんて悪い人間だろう、何でこんなことをいったんだろう」といつまでもとらわれていたんでは、それはかえって業が積もるんだから、いってもしまった悪いことはしかたがないから

「あー悪かったな、これは消えていく姿なんだ、もう再びいいますまい、ああこれで業が一つ減ったんだ」という風に思いながら

“世界人類が平和でありますように、あの人の天命がまっとうされますように” というようにいいなさい。

そういうように想いが出た時、想いにとらわれそうになる時に、それを消えてゆく姿として、平和の祈りの中に入れさせてしまうような教えに転換させたんです。

それはどうしてかというと、私は昔とても短気でしてね、ものすごい感情家だったんです。

私は大体、本質は芸術家ですから、いいものはいい、悪いものは悪い、嫌いなものはもう我慢が出来ないように嫌だったりね。

青年の頃はそういう性質をもっていました。

だから、これじゃいけないな、こういうことじゃいけない、なんとかしてこの短気を押え、この感情に負けないようにしなきゃいけない、というような気持ちが随分強くありました。

なんとかして立派になりたい、感情にとらわれない人間になりたい、愛一念の人間になりたい、と思い続けていたわけです。

それで聖書も読めば、仏教の経典も読んだり、宗教の書、修養書など手当たり次第に読んだり、座禅観法をしたりいろんなことをやったのです。




とらわれを消してくれるもの


そのうちに、とらわれまいとらわれまいとしたんじゃ、かえってとらわれるんだなということがわかったのです。

短気だから短気をなおそうだけじゃだめなんだ。

感情にとらわれちゃいけない、とらわれちゃいけないというと恐怖心が起ってしまう。

それではだめなんだから、どうしたらいいかというと、とらわれを消してくれる何かがなければいけない、それを見つけることだと思った。

それは神さまだと思ったのです。

短気が出たら出たでいい、臆病が出たら出たでしかたがない。

感情が出たらしかたがない。

その時はどうしようもないんだから、そういう時に、ああこれは消えてゆく姿だな、ああこの世に現れているものは、みんな変化変減していく。

常時そのまま変わらないものは一つもない。 みんな変っていく。

自分はだめだ、だめだと思っているうちはだめだいけないという業がまた入ってくるわけですから、いたずらにだめだだめだと思うより、いけなかったな、しまったな、と思ったら

『あッこれは消えてゆく姿だ、どうか神さま消してください、一日も早く消して下さい、どうかあの人の天命がまっとうされますように、私の天命がまっとうされますように、世界人類が平和でありますように』

順序はどうでもよいから、そういう祈り言にして、神様のみ心のなかへ、想いをどんどん送りこんでしまうのです。

神さまは完全円満なんだし、善なんだし、大光明なんですから神様に消せないものはないわけです。

善いものは善いものでそのまま生きるし、悪いものはそのまま消えていく。

だから善悪ともども神さまの中に送りこんで、消してもらう。

そういう風に自然に教わったわけです。

それで消えてゆく姿で世界平和の祈りという教えが出来たわけです。

ああ消えてゆく姿んだなあ、ありがとうございます、世界人類が平和でありますように、私がますます立派になりますように、愛深き私にならしめたまえとか、いろんな言葉で自分の願望をつけ加えてもいいから、みんな神さまの中に入れてしまうわけです。

すると、神さまのほうで、その人に一番適当な生き方をさせるのです。





肉体人間は無力なもの




肉体を持っている人間というものは、罪悪甚重(ざいあくじんじゅう)の凡夫(ぼんぷ)でして、親鸞がつくづく、心は蛇蝎(だかつ)の如くなり、罪悪甚重の凡夫だ、と嘆いていたのがよくわかる。

もう相当悟りすましたような立場にいても、何やかやといろんなことがひっかかってくる。

まして一般の人はひっかかり通しなんです。

何かしらに心がとらわれている。

だから肉体を持っている人間というものは罪悪甚重の凡夫だ、ダメなものだ、ということがわからないとだめなのです。

いつもいっていることですが、心臓を動かすことも、肺臓を動かすことも、肉体の頭では出来得ない。

心臓の止まった死骸に向かって、心臓よ動けといったって動かない。

肉体から魂がぬけたら、どうしようもない。

自分のことも人のことも何事もなし得ない。だから肉体をもった人間というものは無力なものだなあ、ということがハッキリわからないと、悟りにはいかないのです。

自分でなんとか出来るんだ、という想いがあるところからは、本当の悟りも生まれてこないし、安心立命も生まれてきません。

肉体は不完全だからです。不完全なものがいくら力んだって、完全になりっこはないのです。

だから不完全な肉体というものを、一度、肉体人間じゃどうしようもないんだな、とあきらめる。

さてそれでは、なし得るのはどなたかというと、守護霊さんであり、守護神さんで、大神様であるわけです。

そこで、守護霊さん守護神さんお願いいたします。

世界人類が平和でありますように、私共の天命がまっとうされますように、と素直に自分では出来ないことを、みんな神さまに差し上げてしまう。

それがいいことも悪いこともですよ。

よいことは俺がしたんだ。悪いことは人のせいだというのじゃない。

善いことも悪いことも自分ではなし得ない。

肉体人間として生まれてきたその前から、分け生命(いのち)として分かれてきたその時からの因縁、想念や行為がまわりまわって、今日ある肉体の生活として現われている。

ですから、今日ある姿は、今つくったものではなく、今の自分が作ったものでもないのです。

今食べたものが今すぐ栄養になるのではなく、ある時間がたって栄養になってくる。

それと同じように、あらゆるものは、過去世からズーッとつながってきて、今現われてくるんで、今いいことを想えば将来に現われるんです。




今のあなたが悪いのではない



今自分の想念が悪いとする、自分の生活が悪いとする、環境が悪いとする、体が悪いとする。

それは過去世からつながってきた、原因結果がそこに現われて、病弱に現われているのかもしれない。

気が弱く現われているいるのかもしれない。

短気に現われているかもしれない。

貧乏な環境に現われ、不幸な環境に現われているかもしれない。

しかし、それは今の自分そのものじゃないのです。

過去世からの自分の想いがそこに現われて、消えていこうとしているんですよ。

それを掴まえて、私がいい悪いとか、立派だとか立派じゃないとか、悲しいとか憎らしい、とやっているわけです。

過去世のものが流れて来て、現われてくるんだから、いくら掴まったって、現われてくるものは現われてくるんです。

結果として現われてくる。だから現われた結果にとらわれたってしょうがない。

今の自分はどうしたらいいかというと、今思ったこと、今やったことが後の自分の運命を良くするか悪くするかなんですから、今までの悪いくせ、悪い環境があるその上に、私はダメなもんだ、私の環境はなんて不幸なんだろう、私は病弱だ、とつかんでいたら、また悪い同じ波が重なってしまう。

その想いの波からぬけなければならない。

ぬけるためには、それにとらわれてはいけない。

想いにとらわれてはいけないわけです。

そこで、空とか無為とかいうのです。

見ざる聞かざる言わざるもそうなんです。

  
しかし、そういうことをいっても、なかなか普通の人には出来ないから、ここに現われてきたものは、過去世の因縁の結果として出てきたもので、現われたら消えるんだから、今消えてゆこうとしているのです。

そして神さまが処理をして消してくれるんですよ。

だから、現われたら、ああこれは消えていくんだな、と消す先を神さまのなかへ持っていく。

神さまといってもどこにあるかわからないから、人類の一番の目的であり、願いである

“世界人類が平和でありますように”

 という言葉に働く大光明圏、救世の大光明のなかに、祈り言葉とともに持っていってしまうのです。

守護霊さん守護神さんお願いします、と持っていってしまう。

すると、ハイヨ引き受けたと、もともと人は完全円満なんだから、その悪いと思っている想いを、みんな消してくれるわけです。

そうすると、それだけ消えちゃうわけです。

それだけ消えると未来に現われる悪いものが減ってくるのです。

ああこれは消えてゆく姿だな、自分はこんな悪い想いのくせがあるけれども、こんなわがまま、こんな怒り心があるけれども、それはみんな消えていったんだな、あ、出てきた、けれど消えたんだな、また出た。消えたんだな、と世界平和の祈りと共にやっていくうちに、どんどん減って、未来に向かっては悪いものが出て来ない。





輝く未来が約束されている
 



未来へ向かってこんど出てくるものは、何かといったら

“世界人類が平和でありますように” というような尊い人類愛の想いが、そこにいっぱい、溢れ出てくるわけです。

愛の想いは完全円満なのだから、完全円満な姿がだんだん出てくるわけです。

消えてゆく姿で世界平和の祈り というのを、つづけて実行していればいるほど、その人の現在の心も明るく輝いてくるし、未来も完全になってきます。

しまいには絶対完全な人間になるのです。

たいがいの場合、それをいくら教わっても自分はだめなものだ、しゃくにさわる、とか、こんな不幸になって、こんな貧乏になって、こんな病弱になって、とこういうように思う。

思うなといっても、思ってしまうのだから、しかたがない。

思うのも因縁因果なので、思うように出来ているのだから。

だから、思ったら、すぐその場で、ああ先生に教わったのはここだな、と、消えてゆく姿だ、世界人類が平和でありますように、神さまお願い致します、と素直にやると、それだけ減ってゆくのです。

この教えは実にやさしくて、人をとがめるわけでもなければ、自分をとがめるわけでもない。

人間を自然の姿に還そうというわけです。

自然の姿は何かというと、春になれば芽がふき花が開き、夏になれば緑しげり、明るく太陽に照りはえる、というように自然に運行しているんです。

その運行を自然にさせないものは何かというと、神さまから離れた想いなんです。
 

その想いが勝手に自分の運命を作っている、神さまの次元としての運命と、自分の想いで作った運命とが、別々になっちゃってる。
 

だからみんな神さまにまかせて、消えてゆく姿で、世界人類が平和でありますように、とやっていけば、だんだん自分勝手な想いが消えてしまって、光一元の生命そのものの自分と、生まれかわってくるわけです。


生命一元の自分になりきってしまえば、なんにも悪いことは出てこない。

とらわれることもなくなってくる。
 

そうすれば、その人は平和になります。
 

一人の人間が本当に平和になれば、その影響は地球界に及ぼします。
 

宇宙に及ぼすのです。
 

そういう人が多くなれば、世界はいやでも平和になるんです。
 

その先達として、皆さんが世界平和の祈りを一生懸命やっていらっしゃるわけなんですね。
 

だから、皆さん一人一人が平和な気持ちになれば、それだけ世界平和に役立っているんです。
 

自分が平和な気持ちにならなければ、世界平和に役立っていないのです。
 

もし平和な気持ちがなかったら、ますます、一生かけて、二生かけてもいいから、消えてゆく姿で世界平和の祈りをやり続けるのです。
 

必ず平和な気持ち、平和な心が得られます。




                  おしまいです わーい(嬉しい顔)


  

2017年4月26日 (水)

老子の “無為に為せ” (正しい軌道に乗るメソッド)

  


無為とは一言にして申しますと、為にしない、ということなのです。何をしよう、かにをしよう、というように、肉体人間の頭脳でとやかく想いめぐらさないことが無為なのです。
  
そう致しますと、無為を為すとは一体どんなことをするのかという疑問が当然起こってまいります。
 
頭脳で考えないで一体なにができるのであろう、普通の人はこう考えるのが当たり前であります。
 
ここが凡夫と聖者との違いであり、道に乗った人と外れている人との相違なのであります。
 
凡夫は当然のように、この肉体をもった人間を、唯一無二の人間と想っています。
 
しかし聖人は、人間とは生命そのものであって、肉体は一つの生命の道具であり、生命の現れる一つの場所であることを知っています。
 
それは頭で知っているのではなく、事実として承知しているのです。
 
そして自己という一つの生命の流れは、奥深いところから、浅い狭いところまで、無限の段階において働きつづけていることも知っているのであります。
 
ですから、浅い狭い肉体頭脳という場所だけを駆け巡っているような想念や知識をいくら振りまわしていても、大宇宙の法則に乗り切ることはできない。
 
大宇宙の法則に乗って生きてゆかなければ、この狭い肉体世界での生き方さえ正しく行じてはゆけない。と自らの体験で昔からの聖者たちは知っていたのです。
 
そこで、老子は無為と説き、釈尊(お釈迦様)は空(くう)と説き、イエスは神のみ心のごとく、といって全托を説いていたのであります。
 
無為を為し、空になり、全托の境地になりますと、肉体頭脳と奥深い大宇宙の根源の心、つまり宇宙のみ心が一つにすっきりとつながりまして、宇宙の智慧や能力が、そのまま肉体頭脳の智慧能力となってまいりまして、超越的な力を発揮してくるのです。
 
聖人とか達人とかいう人たちは、皆こうした超越能力をもっていたのであります。
 
それ程にならぬとも、人間が真剣に物事にぶつかった時には、瞬間的に想念が統一して、日頃は出もしない力がでてきたり、超越した能力がでたりしてくるのです。
 
これも無為や空の境地に瞬間だけでもなったことになります。
 
地球人間がいつまでも宇宙の法則に乗らずにいたら、いつかは滅び去ってしまいます。
 
ですから、出来るも出来ぬもない、絶対に宇宙法則に乗らねばならぬ時がくるのです。
 
その為に古来から各聖者が肉体頭脳の小智才覚に溺れずに、奥深い神のみ心に波長を合わせろと説きつづけていたのであります。


                    「老子講義」 五井昌久 

 

私が大好きな本「老子講義」の一節です。

本当の人間の壮大さ、奥の深さ、素晴らしさが書かれています。

私たちは肉体が自分じゃない、宇宙そのもの、神そのものなんだってお釈迦様もキリストも聖者たちは言っていたんですね。

それを人間が知ってしまっては民衆を統制しにくい、コントロール出来ない。

だから神は外にあると言った、私の言うことに従っていればいいのだという人に服従してしまっていた。

従っていればいいのだから、楽だから、そこに甘えていた
 

でも、それは違っていたのです。


五感に感じない、奥の世界に入っていくと本当の自分に出会えるのです。

五感に、感じる世界に惑わされてはいけません。

これからは師匠もいらない、宗教もいらない、お金もいらない、自分だけで気づいていけるのです。

向上していけるのです。


  

地上天国は成るに決まっている



 
最近、また五井先生のご著書を書き写しているのですが(2013年9月21日のブログより)、私の感覚としては、

「こんなに凄いことを、世の中のほとんどの人が知らないことを、サラッと文章にしている本は他にはない。 これが世の中に広まっていないのはあまりにも勿体ない、自分がこれらの本の存在を伝える役割にあるとしたら喜んでその役割を果たしたい」 なのです。

人間の潜在意識の奥の奥で眠っている真理(宇宙の摂理)をひも解いた本があるのに、多くの人はその本に手を延ばして取ろうとはしない。(大きな本屋さんにも置いてあります)

それは、五井先生のご著書は、神界の波動なので、肉体人間波動には合いにくいからなのです。無限なる愛!

真理が高過ぎて、シンクロ(共鳴)しないのです。

あと数年もすれば、肉体人間の波動(エネルギー)が細かくなって「五井先生ブーム」 がやってくるそうなのですが、今は時期尚々なのです。

では、ブームが来るのを待っていればいいかといえばそうではなく、このブログで真理に慣れ親しんでもらって


本を手に取りやすくなったり、いざ本を読んだときにストンと腑に落ちるように準備が必要です。

「こんなにわかりやすく今まで謎に想っていたことを教えてくれる本はないですよ」

「これを読めば、目からウロコ??????あらゆる不安が無くなりますよ」

「自分が何者で何処から来てどこへ行くのかがわかりますよ」

「いのちが永遠であることがわかりますよ」

「死が怖いことではなくなる」

「今までマイナスに思っていたことが実はプラスであったことがわかりますよ」・・・・・・・・・・・・・・・

言いたいことはたくさんあるのだけれど

こうしてみなさんに私が本を読んで特に響いた箇所のダイジェスト版を掲載することで、五井先生や真理に興味を持って頂けたなら幸いです。

今回も凄いことが書かれています。

地球はもうすぐ素晴らしい星に生まれ変わろうとしているのです。(かなり近未来に)

しかし、安倍総理も宗教家も学者も誰も言ってはいません。(マスコミには出ていない)

だからみんなそんなことが起るとは思ってもみないのです。

しかしみなさん夜空に浮かぶ星を見てください。

宇宙(人間も)が進化し続けているのはわかりますよね。

無数にある星の中には、地球よりもずっと進化している星がある。

地球が今、なんらかの節目を迎えていることも感じておられる人も多いと思うのです。(天変地異などで)

自分の目を意識を自分や家族など狭い範疇で向けないでください。

自分や家族の幸せだけではなく、日本や世界が平和になること

そして地球だけではなく宇宙にも目を向けてください。

そうすれば、いろんなことがわかってくるのです。

意識を拡げるだけで、人間は無限大に大きくなれるのです。

そのことがわかる五井先生の文章をご紹介します。


 

 

 地上天国は成るに決まっている 


 

今、世界を見渡しますと、私たちが出てこないで、世界平和の祈りもやらないで、なんにもやらないでこのままいけば、二年ともちません。

この地上世界は武力と武力との争いとなり、あらゆる兵器を使っての戦いとなるでしょう。

平和の祈りもなく、守護霊守護神が働かなくて、そのまま放っておけば大国同士の戦いとなり、終りです。

ところが、一巻の終わりになるようには出来てないんです。

過去世、何べんも何べんも地球界は滅びているのです。

天変地異や戦争で滅びて、今、七劫まで来ているんです。

七というのは完成の意味ですからね。 七劫で完成して、地球が天国になることになっているのです。

これは神さまのみ心では成っているんです。

そのために守護神が働いていて、地球に働きかける訓練を重ねて、今日に至っているんですね。

それで私たちも何べんも何べんも生まれ変わって、神様に楽に使えるような、一番使いやすいような肉体要素を作らされているわけです。

私ばかりじゃないですよ。

いろんな人が何べんも生まれ変わって、肉体要素が霊要素とピタッと合致するように、微妙に働けるように、細かい神様の光と同化するような、そういう想いの人たちが随分出来ているんです。

皆さんも世界平和の祈りを毎日重ねてやっていますと、知らないうちに霊化していって、神様の心がすぐわかる、あるいは知らなくとも神様のみ心の中へ入ってゆくんです。

たとえば自動車が来ても、フッとよけてしまうとか、災いを自然に避けられるような動きになってくるのです。

その一番の達人が植芝盛平先生です。

合気道は宗教の極意です。 先生が言っていることで、いい言葉があるんです。

「私は相手の目を見ない。 なぜなら見ると相手に吸収されてしまうから。 私は相手の身体を見ない。 身体に想いがとらわれるから。 私は相手の剣を見ない。 見るとその中に吸収されてしまうから」 というのです。

では何をしているのかというと

「私は相手を見ない。ただ後ろをむいて立っているだけだ。 相手が私の中にみんな吸収されてしまうんだ」 というんです。

大変な、すごい言葉ですよ。

それを実際にやっているでしょ。 相手がエイッとやっただけで、相手がすっ飛んでしまう。

なんのことはない。 それは何故かというと、自分の中にみんな同化してしまうからです。

敵なんかないんですよ。 自分の中にすべてが入ってしまうんです。 向こうは相手と見てやってくるでしょ。 ところが、こっちは大きくなって宇宙大に拡がってしまうわけなんです。

拡がってしまう、ということは問題にならないというわけでしょ。

けし粒がいくらぶつかってきたって、なんでもないでしょ。

あなたにホコリの小さいのが一つぶつかってきたって、なんでもないでしょ。

ホコリがついて倒れちゃう人はないです。

それと同じことです。いくら押したって、突いたって、何にもならない。

片方は宇宙大に拡がっちゃっているから、みんな吸収しちゃうわけです。

そして天地一体になって、宇宙一杯に拡がっちゃうわけですから。

宇宙一杯に拡がるというのは、想いがない、ということなんです。

この世は相対的でしょ。

陰陽に分かれて相対的です。

この地球界はその相対がさらに細かい相対に分かれたわけです。

それが元の相対、イザナギ、イザナミの昔に還ると二つだけです。

それをもっと昔に還れば大神様一つになるでしょ。

それと同じように、地球界において要するに絶対者になれるわけです。

それは全部想いをなくしてしまう。

空になってしまう。

神様の中に入れてしまうということです。

植芝先生はそれが出来たんです。

だから相手がかかってきた時に、後ろを向いていたって、どこを向いていたって同じことです。

私がこうやっていて、向こうから誰が来ても 「ああ誰が来た」 とわかります。 後ろも前もありゃしない。

遠くのほうにいるタロベエさんはどんな人か、わかっちゃうでしょう。

アメリカにいる人のことを見るのに、目で見ているわけじゃない。

何も見ていない。 それからあなたの後ろについている人は、こういう人だ、とすぐにわかります。

何故わかるかというと、宇宙全体に拡がるという意味と同じなんです。

時間、空間がなくなってしまう。 それはどういうことかというと、元の世界に還っているということです。

神様の中に入っている。 神道的に言えば天御中主大神の中に入っているわけですね。

大神様の中に入ってしまうわけです。

大神様からいろいろ分かれた神々があります。 神々があって、要するに金星の長老のように、地球界の救済のためにいろんな聖者を送っている元締めがいます。

その元締めと、この地球界で働いている人と差があるか、というとないんです。

差があるようでないんです。

金星の長老と五井先生とには差があるかというと、ないんです。

同じものなんです。

金星の長老と大神様と違うかというと、同じものなのです。 わかりますね。

難しいみたいだけれど、難しくないですよ。

五井先生と斎藤さんと違うか、といったら違わない。

斎藤さんとあなた方が違うかといったら違わない。 全く違わない。 みんな神々なんです。

これが真理なんですよ。

神々というものはそういうものなんです。 私とあなた方と違いやしない。

一つも違わない。 違うのは何かというと、想いだけなんです。

想いが勝手に 「違う」 と思っているんです。

その想いを全部、世界平和の祈りの中へ投げ出してしまえば、同じになってしまいます。

全部、五井先生になっちゃう。 全部、金星の長老になっちゃう。

全部、天之御中主大神になるんです。 それが神道の極意なんです。

それを私が一生懸命説くわけです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

  
     
 「神様にまかせきる」 五井昌久 白光出版


  

如是我聞(にょぜがもん)1

 

仏教の経文の最初は如是我聞で始まっているそうです。
 
つまり悟りを開いた仏様のお言葉らしいのですが、先日のセミナーでこの如是我聞という本を読むように先生に言われました。
  
言葉は言霊(ことだま)と云って、エネルギーがあり、
真実、真理を語っているものは人の心を打ちます。
 
私が心に響いた言葉を書き写して、私なりの解釈をしてみたいと思います。
 
文章にすることは、文の意味を理解する上で非常に有効なので、どうかお付き合いください。
 


自分の立場から見て行動するを 「我」 といい、他人の立場をのみ想って行動するを   「愛」 という。それさえも超越してすべて神さままかせにするを 「空(くう)」 という。



人間において美しい行為は2番目の 「愛」 だと思いますが、最初は純粋な愛であっても、見返りを期待したり、執着の愛、情が絡んだ愛情になると人の心を苦しめる、醜いものへと変化していきます。

最初の 「我」 へ戻ってしまうこともよくあることです。
 
そこが愛の難しさであり、本物の愛とは一切、相手に期待しない(ありがとうの言葉さえも)チャリティー、慈愛だと云われています。
  
しかし愛がもっと深くなると自分が愛を行っていることさえ意識をしていない、つまり 
「空」の状態がそうです。
 
まったく自然に何も考えていない状態で、知らない間に愛の行為をしていた。
 
 
そしてたとえ、感謝されたとしてもそのことにも把(とら)われない。 
 
 
そんな人になれたら、どんなにか素晴らしいだろうなぁと思います。


  

お粗末な政界の姿



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

政界をごらんなさい。 与党と野党に分かれていますが、野党がダメだダメだとさかんに突ついています。


どうして人のアラばかり突ついて、人の足を引っぱらなきゃいけないんでしょう。

そうしなきゃ自分が偉くならないと思うんでしょうかね。

自分の政権がとれないと思うんでしょうかね。

人間のみじめな低劣な姿を現わしています。

足ばかりを引っぱらなくて、自分たちのいい政策をかかげて、これでどうかって出せばいい。

人間はもっと立派になって、お互いにほめ讃(たた)えあって、お互いに尊敬し合って生きるべきものなんです。

それが国会を見ているとまるで引っぱりあいです。

長々と国会の討議をやっているのをテレビでみていますと、時間の浪費だし、国民の税金の浪費だなあと思います。

ああいう姿をだんだん改めるためにも、われわれ一人一人が立派になって、本心の世界の、神の救う姿をわれわれ自身が現わして見せなければならないわけです。

その先達として皆さんがあるんです。

世界平和の祈りの同志というのは、神さまの光の柱の中に入っているわけです。

神さまの光の柱の中に入って、永遠の生命の道にすっかり乗り切った人が、平和の祈りのあなた方なんですよ。

皆さんは他の人より立派で輝いています。

中には一般大衆の中に立派な人がいます。

けれどお粗末という人も随分あります。

何がお粗末かというと、心が我欲に満ちている。 自分のことばかり、自分の肉体生活のことばかり、損得勘定ばかりしか考えられない、そういう想いがお粗末というのです。





  

          「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版




いつもでしたら、私の思想を書いてそれから五井先生のご著書を抜粋した文章を載せるのが今までのパターンだったのですが、今回は先に五井先生の文章を読んでいただくことにしました。

この文章は今から40年から50年前のものですが、驚くことに今の国会、政治の姿となんら変わっていないのです。

国民の代表と言われる人たち、公僕でなくてはならない人たち、自分の損得勘定(感情)があってはならないひとたち、自分の保身よりも国民のことを想う人たち、日本のことだけではなく地球世界を俯瞰的に観て、宇宙的視野に立って物事を決めて行ける人たちでなければならない人たちなのに、国民は真逆なひとたちばかりを選んでしまっている。

それは政治家だけではなく、私たち一人一人に責任でもあるのです。

どうすれば日本は善くなるのか? 他国のお手本として、リーダーとして立派な国民になり国になってゆくのかは、私たち一人一人にかかっているのです。

政治家に期待してもだめなのです。

国民の中から、一般大衆の中から天と地を結ぶ光の柱になる人が現われて、その光(無限のプラスのエネルギー)を日本中に、世界中に、いや宇宙中に流してゆけるような人が、本当のリーダーなのです。

まさしく、お釈迦様やキリスト様のような人です。

そのためには、我欲を捨て、宇宙と一体とならなければなりません。

宇宙と一体となるということは、万物と調和するということです。

愛に溢れた人になるということです。

そのような人が現われると周りは一変します。

その人が放つ光でみんなが目覚めるからです。

光を浴びた人々は、我欲くを剥ぎ取られるからです。

地球上に、たくさんのお釈迦様、キリスト様が現われれば、たくさんの光の柱が立つのです。

お釈迦様、キリスト様が現われるというのは、ある日突然、宇宙天使が降り立つと言う意味ではないのです。

一人一人普通の人間が真理に目覚めて、世界平和に祈りを祈り、印を組み

本来の自分の姿に近づいてゆくということです。

人間は本来、神の子なのです。

その姿に戻るだけなのです。

そうなれば自然と政治も善くなってゆきます。

経済も人間関係も、他国との関係も善くなってゆきます。

だから目に見えることに意識を向けるのではなく、目にみえない心を調えることに意識を集中することが大切です。(調和波動気功法)

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


 





 

調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/



  

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