2018年9月21日 (金)

私たち人間は肉体の他に3つのボディを持っています!

 


 

肉体→幽体→霊体→神体

 

肉体界→幽界→霊界→神界(天国)

 

私たち人間は目に見えないものは無いと思っているので、まさか目に見えない幽体、霊体、神体という他にも3つの体があり、そしてその体が存在する幽界、霊界、神界という世界があるなんて思ってもみないのです。

 

守護霊さん、守護神さんは霊界、神界に住む神霊であり、悟った私たちの先祖です。

 

そして自分自身でもあります。

 

霊性の高い人、愛深い人、聖者などは意識が霊界の高いところや神界におられるのです。

 

ところが幽界という肉体界にくっついている低い世界(潜在意識、悟っていない魂の住む世界)があって、そこの生物が人間に悪さをするのです。

 

自我欲望の強い人、お金に目が無い人、性欲、食欲が強い人、つまり自分の感情を喜ばすことが大好きな人は、幽界の生物と波長が合いやすく、すぐに憑依されてしまうのです。

 

また、最近占いに凝りだしたとか、商売にタロットを用いだしたとか、変な霊能者のところへ行きだしたとか、スピリチュアルな世界に興味を持ちだすとかなりの確率で魂を乗っ取られてしまいます。

 

つまり憑依されてコントロールされてしまうのです。人生をめちゃめちゃにされます。

 

これが「人が変わった」「以前はあんな人ではなかったのに・・・・と」になるのです。

 

今は特にアセンションの前で、幽界が消えて行こうとしているのです。幽界は消えてゆく姿です。

 

近未来には無くなります。

 

・・・・しかしそうなっては自分たちの居場所が無くなると、生物たちが必死で喰いとめようとしています。

 

憑依して生き延びようとしているのです。

 

「世界平和の祈り」を一生懸命にしていれば大丈夫なのですが、それでも魔が差します。入ります。

 

かなりの人格者でもさらわれることもあるのです。

 

今は十分気をつけないといけない時期です。

 

夜明け前が一番暗くなる。

 

闇の勢力がまだ残っています。

 

気を付けてください。

 

 

■『常に祈れ』

(『日々の祈り』 五井昌久著 高橋英雄編 白光出版)

 人間は肉体の他に幽体とか霊体とか神体とかいう体をもっていて、想念波動が常にどの体の中に一番多くの時間を巡っているかということによって、その人の人格が定まり、運命が定まってくるのであります。

 その人の想念波動が常に神体の中を巡っている人は、高い人格者であり、神人合一の境地のいわゆる霊覚者にもなり得るのです。そこで、いつでも守護霊守護神さんに感謝を捧げつつ、世界平和の祈りをしていなさい、と私は教えているのです。

いつでも守護の神霊の加護に感謝の想いを向けていれば、その人の想念はいつも霊界神界に往っていて、肉体界に神界霊界の光明波動を導き入れ易くなってくるわけです。ですからその人の人格は自然と高くなってくるし、その人の運命もよくなってくるのです。

 

 
世界人類が平和でありますように

 日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 

 

 

 

 

2018年9月20日 (木)

一生懸命に生きている人は歳をとらない

 

 

 

地底人 いい? すべてあなたが認識したときに、その存在ができるの。
すべてはあなたが信じるかどうか。
でも、数百年生きるということが不可能だと思う?
あなたたちは、私たち(地底人)に似せてつくられたんだから、それも可能。

Q ということは、長寿の人たちは、「長生きできる」と信じるから、それが叶っているんですね?

地底人 というよりも、すべてを忘れているから長生きできている。

あなたたちが肉体を持っているということは、これまで生きてきた思考を常に保持しているということになる。

でもそれは、ある種とても辛い状態でもある。

あなたたちは、たかだか20年、30年生きただけですぐに死にたくなってしまうでしょ?
それを100年、200年続けてみなさいよ。

どう? 普通だったら辛くないかしら?

なぜ、それができているのか、考えないと。

Q なるほど。長寿の人たちは考えていない、というか悩んでいないんですね。
すると、そういう状態を〝悟り〟と言うんですか?

地底人 あなたは、すぐに枠に入れたがるわね。
もし、彼らが本当に存在したいと願うなら、ただ、そこにいられるの。
それに悟りを開いた人は全員、死なないとでも思うの?
死にたいときは死ぬ。人は見たいものを見て、信じたいものを信じるだけ。

Q この一般社会で生きている私たちは、人生70〜80年を迎えると、ほとんどの人は衰えてきます。
多少の年齢差はあったとしても、100歳を前にほとんどの人は寿命を迎えてしまうわけです。

地底人 あのね、細胞は常に再生しているの。
あなたの10年前の細胞と今の細胞では、ひとつとして同じ細胞はない。
常に新しく生まれ変わっているんだ。
それなのに、自分を愛さないエネルギー、つまりストレスを与えるからこそ、そうなってしまう。

Q なるほど、そうすると、年齢のわりに若々しい人たちは、自分を愛しているということですね。

地底人 そう。簡単にいえば、生きることに夢中になっているの。
夢中になれば時間は存在していないのと同じ。

Q 究極のアンチエイジングは、自分を愛することですね。

地底人 そう。自分を愛すれば、好きなことしかしないから。
その瞬間、瞬間に生きている人は若い。
例えば、その瞬間に勝負を掛けているスポーツ選手とかね。

あなたたちは、連続した過去を錘(おもり)のように身体にくっつけて、一緒に引きずりながら前に向かって生きている。

でも、瞬間に生きている人にはその錘はない。

極論を言えば、すべてを忘れれば、あなたたちは新しいものを生み出す力を持っているということ。
そして、あなたたちが持ちたいものは、すべてあなたの思考によってつくられる。
もし、忘れたい過去があれば、忘れたいと思っているうちは、忘れたくないんだ。

Q そうか、いつまでも健康でいるためには、ストレスをためず、過去を引きずらないこと。
そして、結局は、好きなことに夢中になること。
それが究極のアンチエイジングの方法なんですね。
私もそうしよう!


地底人 言葉だけじゃダメよ!

Q はい。

『地底人に怒られたい』町田真知子著





 

2018年9月19日 (水)

無為になせ(〇〇のためにしようとするな)


 


老子のことばのなかで「無為を為せ」があります。

 

今の人間にとって無為に生きる(超自然体)ことがどれだけ大切なことか、潜在意識の奥の自分は誰でもこんな生き方をしたがっているのです。

 

無為を為しが判りやすく解説している文章です。

 
無為とは一言にして申しますと、為にしない、ということなのです。

 

何をしよう、かにをしよう、というように、肉体人間の頭脳でとやかく想いめぐらさないことが無為なのです。

 

そう致しますと、無為を為すとは一体どんなことをするのかという疑問が当然起こってまいります。

 

頭脳で考えないで一体なにができるのであろう、普通の人はこう考えるのが当たり前であります。

 

ここが凡夫と聖者との違いであり、道に乗った人と外れている人との相違なのであります。

 
凡夫は当然のように、この肉体をもった人間を」唯一無二の人間と想っています。
 
  かし聖人は、人間とは生命そのものであって、肉体は一つの生命の道具であり、生命の現れる一つの場所であることを知っています。それは頭で知っているのではなく、事実として承知しているのです。
 
 そして自己という一つの生命の流れは、奥深いところから、浅い狭いところまで、無限の段階において働きつづけていることも知っているのであります。
 
 ですから、浅い狭い肉体頭脳という場所だけを駆け巡っているような想念や知識をいくら振りまわしていても、大宇宙の法則に乗り切ることはできない。
 
 大宇宙の法則に乗って生きてゆかなければ、この狭い肉体世界での生き方さえ正しく行じてはゆけない。
 
 と自らの体験で昔からの聖者たちは知っていたのです。
 
 そこで、老子は無為と説き、釈尊(お釈迦様)は空(くう)と説き、イエスは神のみ心のごとく、といって全托と説いていたのであります。
 
無為を為し、空になり、全托の境地になりますと、肉体頭脳と奥深い大宇宙の根源の心、つまり宇宙のみ心が一つにすっきりとつながりまして、宇宙の智慧や能力が、そのまま肉体頭脳の智慧能力となってまいりまして、超越的な力を発揮してくるのです。
 
 聖人とか達人とかいう人たちは、皆こうした超越能力をもっていたのであります。
 
 それ程にならぬとも、人間が真剣に物事にぶつかった時には、瞬間的に想念が統一して、日頃は出もしない力がでてきたり、超越した能力がでたりしてくるのです。
 
 これも無為や空の境地に瞬間だけでもなったことになります。地球人間がいつまでも宇宙の法則に乗らずにいたら、いつかは滅び去ってしまいます。
 
 ですから、出来るも出来ぬもない、絶対に宇宙法則に乗らねばならぬ時がくるのです。
 
 その為に古来から各聖者が肉体頭脳の小智才覚に溺れずに、奥深い神のみ心に波長を合わせろと説きつづけていたのであります

 
つい長い文章になってしまいましたが、省略する部分が全くない内容です。宗教ができる前の基の説明がありました。進化した星の人類は皆、無為の生き方をしています。
 
 老子講義 五井昌久 白光出版





 

 

 

 

心が鎮まっていなければ、正しい判断ができない



 

今日(今から10年ほど前に書いたブログです)、調和波動気功のセミナーがあったのですが、そこで于先生が気を鎮めることの大切さをおっしゃっておられました。

気が鎮まっていないと人間はまともな精神状態ではないのです。

常軌を逸してるのです。

以前から言っておりますように正しいという字は

真理を現わしています。

漢字の一は、天と地を現わしています。

正しいとは天に止まった状態

宇宙とつながって心が止まった、つまり不動心の状態をいうのです。

不動心になるためには、目の前に起きているあらゆる現象に振り回されず、そして頭脳を駆け巡るいろいろな想いを止めなければ、そうはならないのです。

心があっちにいったりこっちにいったりして動き回っている状態では、正しい判断は出来ないのです。

私たちは正しい判断は、あれやこれや頭をこねくり回したときに生れるものだと思っています。

頭を使って熟考したのちに出るものだと信じています。

しかし真実は違うのです。

アセンションとは、心が不動心になって正しい判断が出来る、精神的に大人の星になるということです。

そのための準備として、出来る人から心を鎮めるという習慣を身に付けていくことが大切です。

于先生は、五井先生の書かれた「老子講義」という本の中の一節を紹介してくださいました。(これは白光誌11月号にも書かれています)

気を鎮めることの大切さがわかりやすく書かれています。

抜粋しますのでよかったらお付き合いください。


老子は中国の人?なので漢詩で書かれています。

 


躁勝てば寒、静勝てば熱。 清静なれば、天下の正と為る。



五井先生の解説


躁勝てば寒というのは、人の真性というものは、表面静かであってしかも生命生き生きと働いているという状態なのでありまして、いたずらに躁がしく騒いでいる、躁騒しく踊り廻り、走り廻り、主義主張を喧伝し合っているという状態は、人の真性の現われていない状態である。

つまり、生命の光が輝いていない状態であって、寒々とした空虚なものを感じる。黒々とした影が踊り廻っているようなものである、というのであります。

実際に、いたずらに自己主張をしたり、大言壮語した後のむなしさ、騒がしく遊び廻った後の寒々とした心境などは、多くの人が味わったり、味わされたりしていることです。


その逆が、静勝てば熱でありまして、人間の頭脳を駆け巡っている様々な想念(おもい)の波動を鎮めて、静寂そのものの心になると、神道的にいえば、鎮魂致しますと、生命そのものの働きが非常に活発になりまして、光明燦然としてくるのです。 静勝てば熱なのであります。


どうして静が勝つと光明が輝き出るのかといいますと、生命の本質は光そのものであり、熱でもあるのです。

生命の働きは光の波動なのであります。

私たちの宇宙子科学では、生命の最初の波動(ひびき)を宇宙子の働きといっているのです。

生命は生き生きとしています。

その生命の働きを生き生きと光そのものとして活動せしめるためには、人間の頭脳を駆け巡る想念波動を静め、生命の働きを業想念波動で蔽わぬようにしなければなりません。

その為に、宗教では、空になることの修行をしたり、鎮魂の為の行をしたりするのであります。

想念を鎮めるということは実に大事なことなのです。

清静なれば天下の正となる。

清というのは勿論、清いということですが、清は清いという意味だけではなく、本質そのものという意味があるのです。

何故かと申しますと、さんずいは水です。

水が青である、と書かれているのが清です。

水の色が青であることは、水の本質です。そして水が青く澄んでいるのは清い姿です。

そこで本質が静かに澄みきって現われていれば、これはまさしく天下の正となるのであります。

ですから、世界中の民族がそして個人個人が自己の本質を現わして生活をしていさえすれば、世界は平和になるにきまっているのです。

ところが、個人の本質も民族の本質もそのまま現われているというわけにはゆかないのであります。

どうして、個人も民族もその本質を現わすことができないのでしょうか、それは、本質を隠してしまう業想念波動が、頭脳を駆け巡っているからなのであります。

個人個人の頭脳を駈け巡る、肉体身の自己を防衛しようとする動物的本能は、各民族の動きに影響し合いまして、躁勝てば寒、という寒々とした心の状態を各国家民族が味わいつづけているのです。


そこでどうしても、清静ならざれば、世界平和は成り立たぬということになるのであります。

清静なるためにはどうしたらよいか。

それは祈り心で日常生活をしつづけるより方法はないのです。

祈りとは業想念波動を静めて、神のみ心の光明波動の中に自己が入ってゆくことであります。

自己の神の子としての本質を光輝かす為の方法であります。

静を勝たせるための方法です。

そして、その方法の最高の在り方が、世界人類の平和を祈願する世界平和の祈りであるのです。

 
追伸

私は無人島に流れ着いてあるいは牢屋?に入って、たった一冊本を持ち込んでもいいと言われたら

迷うことなくこの 「老子講義」 を選びます。

老子という方は、お釈迦さまやキリストとは全く違ったお方?なのです。

人というより聖者というより神というより宇宙の法則の人?と言った方がよいでしょうか

とにかく宇宙を感じるとてつもなく、途方もなく無限の大きさがあるのです。

読んでいると私自身が宇宙に溶けていく感覚を覚えるのです。

その老子様と一体となった五井先生というお方?そして于先生・・・・・。

地球の完成はもう約束されています。

 

 

 
 

笑い飛ばされてこそ、本物なのだ!


 

今、私は真理のこと、世界平和の祈りのこと、そして水素のことを毎日のように発信しているのですが、正直なところ、思ったように伝わりません。


「人間が神様、そんなバカな話があるか」 「祈りがなんになる」 「水素で病気が治ったら医者はいらないだろう」とそんなところだと思うのです。

しかしわかってもらおうと試行錯誤をする(そうでもありませんが)


「しんどいな」「嫌になるな」「疲れるな」・・・・そう思ったとき、以前自分が投稿した老子講義の文章が目に飛び込んで来たのです。


すごく楽になりました(笑)


みなさんも志を持って何かを伝えようとしている人、是非読んでみてください!



老子講義より

 

上士は道を聞いては、勤めて之を行わんとし、中士は道を開いては、存するがごとく亡きがごとく、下士は道を聞いては、大いに之を笑う。 笑わざれば、以て道と為すに足らず。

 

上士というのは勿論上等の人、上位の心の人という意味ですが、そういう人は、道を聞くと、どのようなむずかしい行為でも、勤めてこれを自己の行為に現わそうとするが、中士は道を聞いても、判らないところでも、判ったような顔をしてみたり、頭では理解しながらも、なかなか行為に現わそうとする努力をしなかったりする。

 

それは道に対する信というものがあまり深くないからで、この人たちにとっては、道というものが、自分の都合次第では存在するようにも思えたり、存在しないものに思えたりするのである。

 

ところで下位の人になると、道を聞いては、そんな道がなどというものが存在するものかというように、大笑いに笑とばしてしまう、というのであります。

 

そして老子は、そういう下級の人に大笑いされないようでは、道というには足りない、といっているのです。

 

こういうところは、老子時代も今日の時代でも少しも変っていません。

 

今日の宗教者がいくら口をすっぱくして神の存在を説き、神の道を説いても

 

「そんなものがあるものか、神様があるのなら、何故こんな不公平な世の中を造ったんだ。口惜しかったら、こんな苦労しなくとも楽に食えるような世界をつくってくれ、あなたたちのいうような、神の道なんていうのは、私たちには用はないよ」

 

などという人々がかなり多いのであります。

 

老子は神の存在ということと、神のみ心の在り方というものを、ここでは道という言葉だけで説いております。

 

そして、この道ということが判るのはむずかしいことなので、そうやすやすと理解できるものはない。

 

だから、現象世界の利害損失のみに追われているような、下級な志の者には理解しがたく、そんな話を聞いたって、一文の得にもならない、と馬鹿にされて大笑いされるものなのだ、道というものはそんなものなのだ、といっているわけです。

 

実際この世の大半の人々は、利害損得ということが、先ずその想念の先に立つのでありまして、宗教信仰しているような人々でも、自己の現世的な利益を保証して貰いが為の信心であったりすることが、多いのであります。

 

ですから老子のいうような上志の人は実に少ない人数しかないのではないかと思われます。

 

しかし信仰の最初は中志であっても、その信心をつづけてゆくうちに、いつの間にか上志の人と同じレベルの心境に到達している人々が、世界平和の祈りの同信には非常に多く存在するのです。

 

神などあるものか、それよりは飯だ、というような下級な想いの人々でも、医者に見放された病気などのなると、溺れるものは藁をも掴む、というように、神信心の想いをむけることもあるのですから、現在下級のように見えている人でも馬鹿にしてはならない。

 

人はみな神の光のひとすじなのだ、と私は常にいっているのであります。

 

   「老子講義」 五井昌久 白光出版


 

 

2018年9月18日 (火)

祈りの中から最善の知恵が授かる

 
 
 

祈りの中から最善の知恵が授かる” (五井昌久)

これはどういうことかと申しますと、祈っている自分は神と一体になっているのでありまして、守護霊さま、守護神さまの素晴らしい叡智、知恵、能力、可能性・・・を受け取ることになるのです。

祈っていない自分は肉体の限られた力(170センチ、65キロ)しか発揮することが出来ませんが、守護霊、守護神とつながると、霊力、神力を得ることになり、肉体意識の何万倍もの知恵を受け取ることが出来るのです。

人間は潜在能力の100万分の3か5しか出せていないというのは、肉体の知恵だけで頑張ろうとしているからです。

一生懸命に努力し、頑張ることは大切です、しかし自分の本体を肉体だけだと思っているのと、自分は神の子なんだ、無限の可能性があるのだと知っていることは雲泥万里の差があります。

このことをもったいないというのです。

「世界平和の祈り」を祈っているといつの間にか次元を超えているのです。

3次元の知恵から4次元、多次元の知恵へと昇格するのです。

それはもちろん守護霊さま守護神さまのご加護があるからなのですが、守護霊さま守護神さまとは自分自身なのです。

なぜならば私たち人間は神の子だからです。(他力ではありません、自力です)

肉体人間がいくら頭をひねっても解決できない問題が、祈っているといとも簡単に答えが湧いて来る(最善の知恵が授かる)、まるでアニメの一休さんのようですが(笑)、祈っている私たちは、聖者、賢者なのです。

お釈迦様、キリスト様と同じ境地になれるのです。

 

 
世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 

 

 

 

 

 

 

 

スピリチュアルなものは一切必要ない!


 

 

 

スピリチュアルと一括りにしてしまいましたが、

 

  「私はスピリチュアルなこと、霊的なこと、目に見えない神秘的なことに興味があり、スピリチュアルな話が大好きです」

 

と言っている人には、どこか異様な雰囲気、違和感を感じるのです。

それは、興味を持ったとほぼ同時に、幽界の生物に憑依されているからです。

ほとんどの人(まともな人)は、何か怪しげな、妖気を感じ、遠ざかって行くのですが、「類は友を呼ぶ」という言葉の通り、依存心の強い人、感情に流されやすい人、お金が誰よりも好きな人、褒められることが好きな人は、占いを含めた霊能者(幽界の生物)と波長が合ってしまうのです。

その世界(幽界)に入っては絶対にダメなのですが(お釈迦様は断罪しておられます)

人間は「自由に生きる」ことが許されており、守護霊さん、守護神さんも頭を抱えるながらも、無理やり止めようとはしません。

落ちるところまで落とさせてそこ(地獄)で猛省させるのですが、この苦しみは半端ではありません。

とんでもなく遠回りになるのです。

地球は今、アセンションを迎え、最高の幸せを手に入れようとしていますが、巷の霊能者は一番最後に回されます。騙された人もそうです。

なぜならば、3次元の一番低い「我欲」「感情=勘定=お金」をまだ追い続けているからです。

 

我欲を捨てて愛に目覚めてゆくこの時期に真逆のことをやってしまうからです。


人間界でも一番低い意識の世界です。

スピリチュアル、占いとはそんな世界なんです。

五井先生も厳しく説いておられます。

五井先生のご著書『本もの贋物』の中から霊能がいかにいかがわしいか、そして危険であるかを抜粋します。くれぐれもお気をつけください。

 

 

1.いかなる悪因縁といえど、消え去るのである、という想いを持ちつづけ、守護の神霊としっかり心を通じて、つまり守護の神霊の加護に感謝をしつづけ、世界平和の祈りという人類愛の祈りをつづけてゆけば、神の光明は永遠無限のものであり、悪因縁は有限のものでありますから、世界平和の祈りのような善念、光明念波で魂が洗われて、いつかは、晴れやかな、明るい生活を迎えることが出来るのです。


これは守護の神霊の存在と、その働きを体験として経験しつづけている私にとっては、はっきりわかっていることなのです。

そういう自分自身を絶え間なく守りつづけていてくださる肝腎かなめの守護神さん、守護霊さんを忘れてしまって、人の心をちょっと見抜く霊能や、自分の周囲の人に霊動を起こさせたり、異言をしゃべらせたりするインドの昔のバラモン行者のような外道者の幻術に迷わされている人をみると、気の毒になってきます。

人間は誰も彼も、神の子なのであり、誰にも彼にも、専属の守護の神霊の守りがあるのに、何を好んで、自己の本体から離れた、外道の道に迷い込んでしまうのか、ちょっと不可解に想えますが、そういう人たちの想いをみますと、自己の心や現在の環境に不平不満の想いが蓄積されている人や、霊能というもの、普通人にない能力というものに、常に憧れている人、絶えず想念の揺れ動いている人が、そういう形で迷いの道に入ってゆくことになっているようです。

 

2.人格高潔で調和した人が、霊能力を備えている、というようなら、これは実に結構なことなのですが、霊能者には得てして、人格の常人より低劣な、常識外れの人が多いので、余程気をつけて近づかぬと、霊能者には危険性があるのだ、ということを知らねばなりません。

なんにしても人間は、一人一人がすべて神の子であり、神の分生命であることを知らねばなりません。

そして神が愛であることを知らねばなりません。

どんな不幸災難にしても、現在起こったようにみえましょうが、それらはすべて、過去世から今日までのその人の想念所業が集積の現われでありまして、そうした業の集積が現われて消えてゆくことによって、その人の本心が開き、その人の神の子の姿が輝き出すのですから、消えてゆく業を抑えようとして、神詣でをしても、行者詣りをしても、それは根本の考えが誤っているので、どうにもなりません。

一時は行者や霊能者の力で、その不幸や病気の症状を抑えてもらえたようにみえましょうとも、それは一時だけのことで業は消え去ってしまったのではなく、内にこもっただけなので、機をみてまた現われてまいります。

ですから、消えてゆく業を他人の力で抑えようなどとはしないで、ひたすら自己の守護の神霊を心で呼びつづけるのです。

そして守護の神霊の加護によって、自己の本心の光明を表面に導き出してもらうのです。

本心の開発こそ、この世もあの世を通して、最も大事な人間のなすべきことなのです。

 

  
3.ところが、人間の肉体生活にふりかかってきている不幸災難があまりに辛過ぎると人間はつい焦ってまいりまして、自分には専属の守護の神霊が存在することを知っている人でも、ふいとそうした存在を忘れてしまって、巷間の行者や霊能者に頼っていってしまうのです。

これは守護の神霊の許可を受けて行なったわけではないのでたとえ一時お陰があったようにみえても、後で必ず、その行者や霊能者の背後霊に負い目を受けて、返礼しなければならなくなります。

それはその行者や霊能者の背後の憑依霊魂の業を背負わされるとか、金銭的に相当の額のものを取られるとか、なんにしても、自己が背負っていた業の一時引受料を、必ず取られるのです。

それが金銭的な時はまだしもよいのですが、憑依霊魂の業を背負わされるなどは、とてもたまりません。

それなら自分がはじめから払わねばならなかった、本来の業因縁を自然に現わして消し去ったほうが余程、自己の霊魂の修行のためになるのです。

ですから、自己の行動は常に心の中で、守護の神霊に相談しながらやってください。・・・・・・・



『本もの 贋物』五井昌久 白光出版








 

2018年9月17日 (月)

地球には、本来、雲も雨も存在しなかったのです!

 
 
 
私たちは今の地球の姿が大昔にあった本来の地球とそんなに大差はないと思っているし、当然のごとく雲があり、そこから雨が地上に降り注ぐことになんの疑問も持っていません。
 
しかし最近の台風、大雨などの異常気象には、
 
「こんなことばかりが続いていいのだろうか?」「私たち人間に対する警鐘を鳴らしているのではないか?」とほとんどの人が感じていると思います。
 
私は今、『ついに実現した地下存在との対話』を読んでいるのですが、いかに平和ボケしていたか!見たものだけを正常だと思い込んでいたか!を痛感したのです。
 
例えば、今は海と地上との割合が約7対3ですが、一万年前は逆だったのです。
 
地上の割合は7分の6だった。
 
ということは今現在は、すでに大洪水が起きている状態にあるのです。(前文明は海に沈んだ)
 
だから自然の指令系統が崩れ、水が異常に発生し、大雨や台風が発生しているのです。
 
正常な頃の地球の環境はどうだったのか? 
 
それは水がどのように存在していたか?でわかるのです。
 
 
文中から抜粋
 
かつて地球には、上空遥か遠い高いところに、太陽からの放射線を遮断する透明な氷の粒子からなる天空(層)があり、地球全体を包み込んでいました。
 
そして惑星全体は完璧に統制された「グリーン・ハウス(温室)」で自然と人間の両者に最適量の酸素と湿度を与えていました。
 
アトランティスとレムリアの戦争中にそれが破壊されると、自然の自己調整システムも崩壊。
 
自然は自己を再定義して、土壌に水を与えるための、別のシステムを作らざるを得なくなったのです。
 
それで海から上がってくる水分を保つために雲が形成されるようになり、それを土壌に運ぶようになりました。
 
これは上手く機能しましたが、人間の思考を含めた地上の汚染は、自然の自己調整システムの回復を阻み続け、水が本来持っている意識も衰弱させました。
 
水が自己のアンテナを失って、どこで水が必要とされているのか、指揮を得られなくなったがために、降雨は気まぐれとなったのです。
 
・・・・・・・・・・・
 
インナーアースやテロスでも雨は降ります。(おそらくスコールのような)
 
しかし、それは地上とは異なった種類の雨です。
 
あなた方が早朝の芝生に結露を見出すように、水分は降下する雨ではなく、空気中に蓄積されて、すべてをやわらかく包み込むとでもいったらいいでしょうか。
 
空気中に蓄積された 「露」 が、絶えず自然を養うのです。
 
これは決まった時間帯に起こるわけではなく、ただ起こります。
 
自然は必要な時に必要なだけの水を空気中から引き出すことができるのです。
 
・・・・・・・・・・
 
地上における問題は、自然の内部指揮系統に人間が干渉して、自然の営みを乱したことにあります。
 
それで、植物や木が求めることに反応しようにもブロックされ、自然は自己調整できなくなったのです。
 
あなた方は自然な水の流れを変えて、それを妨げるダムを建設してきました。
 
水は生きています。 どこで水が必要とされ、どこに水が流れるべきか、水自体が知っています。
 
しかし人間による干渉が、自然の本能や土壌とのコミュニケーションを妨げているのです。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
訳者コメント
 
ノアの大洪水前には、地上の陸地は全体の7分の6を占めていたが、ある時、上空に存在した氷の層が落ちてきて、それまで穏やかであった気候が崩れ、地球は大量の水で覆われるようになったという聖書における記述と符合する。
 
また聖書に登場する人物が過去に遡るほど寿命が長いのは、氷の層が存在した時代、地上の人間は宇宙からの有害な放射線から守られていた背景があると、古くから多くの研究家が指摘している。
 
また将来的に、地球環境が回復して天空に氷の層が再生されれば、自ずと人類の寿命が延び、地球全体が穏やかな気候(夏と冬がない)に戻る可能性がある。
 
その際、大気が水分を吸収して、海水面が後退し、海中に没した文明の跡が地上に現れるかもしれない。
 
このような将来像は、「アセンション(次元上昇、地上天国の完成)」の概念と酷似する。
 
しかし人類が自力で地球環境を回復させるには、気が遠くなるような年月を要するはずだ。
 
これが、近未来に実現するとなると、外部からの干渉でも想定するか、人間が地下都市を発見し、そこに移り住んで地上を無人化しない限りは、説明困難である。
 
そのようなことが将来的に起こるかどうかはわからないが、ノアの大洪水の際に最初の大規模な環境破壊が起こった可能性があり、現代においても、環境破壊に比例するかのように異常気象が起こってることを考えれば、人類は環境意識を大幅に高めるべきであることは間違いない。
 
 
 『ついに実現した地下存在との対話』 ダイアン・ロビンス著 ケイ・ミズモリ訳
 
 
 
 
 
 
 

2018年9月15日 (土)

お金は今、必要な分だけあればいいんじゃないの?(地底人)




 

地底人さんが地上にいた約1万年前は今の地球のようにお金は存在していたそうです。

しかしマグニチュード15クラスの地震が300回以上も続きその頃の高度な建物、文明は海の底にすべて沈んで行ったのだそうです。

なぜ、破滅したのか?

それは当時栄えた2大文明が敵対し壮絶な戦争が起こったからだそうです。

そのキッカケ、元になったのは感情のもつれだった

感情は勘定、お金のことです。

損得勘定が大戦争になった!

私たちはお金への欲望を断ち切る、振り回されることから卒業の時期に来ていると思うのです。

ちなみに地底世界には、お金は存在しないそうです(^^)

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地底人 お金持ちになりたいの?
 
Q お金はあったほうがいいと思います。
 
地底人 なぜなの?
 
Q お金があると、物質的にも豊かな生活が送れるし、いろいろな体験をすることができる。
そしていろいろな場所へも行ける。

   
地底人 でも、たくさん持つ必要はないでしょ?
あなたに必要な分だけもらえればいい。 あなたたちは、お金はたくさんあればあるほどいいと思っている。
でもそうじゃない。
あなたたちが、お金というものを持てば持つほどいいという概念をこの世界でつくり上げたから、今のような消費社会ができてしまった。
じゃあ、こちらから訊くけど、お金持ちの人は皆が “豊か” なの?
すべの人がそうではないはずよ。
あなたたちが必要なポジションにいて、必要な量を自分でわかっていれば、常に豊かでいられるはず。
それなのに、あなたたちの意識は、いつも外へ外へと向かっていく。
目に見えるもの、形のあるもの、物質的なものへとね。
それらはうつろいやすいものなのに、それが確実なものだと思っている。
あなたたちは眠っているのと同じよ。

 
Q2 でも僕らは、ご飯を食べないと生きていけないでしょ?
最低限のお金はないと生活できないからね。


地底人 今、食べられないの?

 
Q2 今は食べられますけれど・・・・・・。
例えば、突然不意に怪我をして、働けなくなってお金も尽きてしまった、というようなケースだってあるでしょ。
そうすると、食べることさえもままならなくなる。


地底人 まず、「怪我をする」ということは、自分自身に価値を置いていないから怪我をするの。

あなたがあなた自身を愛していないと病気にもなってしまう。

それは自分を満たしていないということ。

でも今、あなたには蓄えがないわけじゃないでしょ?

あなたたちには、必要なものは入ってくるの。

それをあなたたちは信じていない。自分を信じていないから。でも、お金があったとしても、もし災害などがくれば、お金はただの紙きれよ。何の価値がある?

 
Q 理想的な社会は、本来なら物々交換なのかもしれませんね。例えば、自分のつくったお米を隣の家でとれた野菜と交換するとか。

 
地底人 もし、あなたが自分自身に価値を見出せないのなら、その物々交換でさえも価値判断になってしまうから意味はないわ。

だからこそ、あなたは、自分自身を認めることが大事なの。

自分をどこまで満たすことができるのか、自分にどれだけのものが必要なのかがわかれば、たくさんのものは必要ない。

それはお金であれ、他のモノであってもいっしょ。

あなたの世界は物質でできているから、あなたたちはすぐに何かを欲する。

そして、自分の価値がわからないからこそ、お金やモノで自分を満たし、安心しようとする。

あなたたちは、常に不安を感じている。でも、お金を持つと、それはそれであなたたちは不安になる。

もちろん、お金がなくても不安なわけだけれどね。

本来なら必要なものは入ってくるということを知っていると、すべてのことが円滑にまわりはじめるのに。

あなたたちは、たくさんのものを持っているのに、常に飢餓状態だ。

自分にとって必要なものは何であるか知らなくちゃ。
・・・・

感想・・・食べ物もお金も同じですね、私たちは食欲を満たそうとして自分の体を壊し地球の生態系を壊す、又、お金を集めようとしてありとあらゆる争いを起こす

地底人さんたちもそれをしてしまったから今、地底に住んでいるのだろうけれど(笑)
その時の反省を込めて、同じことを繰り返して欲しくない、とメッセージを送ってくださっています‼️

 

『地底人に怒られたい』 町田真知子 VOICE

『ついに実現した地下存在との対話』ダイアン・ロビンス著 徳間書店

 

 

 

 

 
 

 

自動代替テキストはありません。

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心が主、肉体が従

 

 

【人間とは、実に神秘的です】(肉体界は消えてゆく、未来永劫消えないのは神界)

夢はなぜみるのかといいますと、実はみているのではなく、みせられているのだそうです。

実は今朝方、私は車を運転していて、人を轢いてしまった夢をみたのです。

ハッとして目が覚めたのですが、そのとき感じたのは

「ああよかった現実でなくて、これは多分夢で消してもらっていなければ本当に起きていただろう」

だったのです。

そして、消していただいたから(守護霊守護神によって)と安心するのではなく、警告と受け取り、運転には十分気をつけようと思ったのでした。

だから夢をみたのではなく、みせられたのであります。

夢をみているときの人間は、肉体から意識が離れ幽界、霊界、神界へと行っているそうです。

そしてそれらの世界で働いている、寝ている間にも魂は働いていて、起きると肉体に意識が戻ってくる。

しかし起きたからといって、魂(生命)は肉体だけにあるのではなく、やっぱり幽界にも霊界にも神界にもいるのです。

だけど、私たちは肉体界だけしかないと思っているから、他の世界のことがほとんどわかっていないのです。

私は、これから大事なこととは、人間は、肉体だけではない、肉体界だけに生きているのではない、幽体、霊体、神体というボディを纏っているんだ、幽界、霊界、神界という世界にも同時に住んでいるんだ、本当の自分は神界にいて、そこから霊界、幽界を経て、肉体界に移って来ているんだ、ということをハッキリと知らなければいけない時期に来ていると思うのです。

もちろん3次元的なことも大切です。

仕事のこと、家庭のこと、人間関係のこと、お金のこと・・・・・・

しかしこれら目にみえていることは、目にみえない世界の影絵なのです。

目にみえないものが見えるという形になって現われているのです。

みえないものが主で、見えるものが従なのです。

だから目にみえない世界(特に汚れている幽界)が浄まり、整えば、見える世界は自然と整ってくるのです。

だから、目にみえない世界、本当の世界、未来永劫に消えない世界のことを知らなければならないのです。

目に見える世界だけを知ったところで、それは幻をみているようなものです。

消えてゆく泡をみているようなものです。

目に見えるものはすべて消えてゆきます。(肉体もあらゆる物質も)

今まで私たちは、目に見えるものだけを信じてきた

目に見えるものだけが実在しているもの、本物だと思ってきた

しかし、それは違うのです。

目にみえるものだけをみていたら必ずゆき詰まります。

説明がつかなくなる

わけがわからなくなる

それは宇宙全体のほんの一部を見ているにすぎないからです。(薄っぺらい人間になってしまう)

しかし、下記の文章にあるように

人間を肉体、物体と考えないで、波動体、意志、意識、想念であると考えるとすべてのつじつまが合ってくるのです。

先に意志(心)があって、肉体があることがわかります。

意志がなければ肉体は動かないからです。

ちょっと難しいですか?(笑)

でも、とても大切なことだと思うのです。

 


『人間は肉体だけのものではない』

 

人間は神の分生命であり、太陽のような光そのものなのであります。

その光のエネルギー波動が、様々な階層をつくりなしていったのであり、その世界は神界と呼ばれる界もあり、霊界と呼ばれる世界もあり、幽界という波動の世界もあるのです。

そして、皆さんご存知のこの肉体界があるのです。

ですから、私共は肉体の世界に住んでいると同時に霊界にも神界にも住んでいることのなるのであります。

人間を形と考えないで、意志であり、意識であり、想念であると考えてみてください。

肉体自身は、意志をもち想念波動によって、動かされてゆくことは事実でありまして、意志も想念も無く、活動するということはありません。

人間はあくまで生命そのものであり、生命の働きが光の波になり、想念の波動となって、形の世界や運命をつくってゆくのであって、肉体はあくまで、光の波や想念波動によってつくられたものなのです。

それをどう間違えたか、肉体が人間だと思うようになってしまったのです。


「神は沈黙していない」 五井昌久 白光出版

補足・・・個人も地球人類も運命を良くして行こうとするのなら、幽界(潜在意識の世界)を浄めなければなりません。
幽界が浄化されなければ、いくら3次元、肉体界で努力をしても遠い未来にしか、あるいは強いカルマに消されて現われて来ないのです。
明るい未来は、未だ来ずになってしまう(笑)
祈りは今を、未来を変えるために祈るのです。祈りは、いのちがのりだす。生命が光り輝いて来るのです。


世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

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