2017年3月22日 (水)

波動とはなにか?最終章

 
 
 

みなさんももう薄々お気づきだとは思うのですが地球並びに私たちの波動が細かくなってきて人々が発している波動(エネルギー)がどんなものなのかがわかるようになってきているのです。


「あっこの人は、今イライラしているな」

「この人は人の話を聞いていないな」(笑)

「嘘を言っているな」(テレビ等を観ていてわかります)

それは、大まかにいえば

なんとなく雰囲気(オーラ)でわかるということなのかもしれません。

以前だったら

誤魔化せたものだったのかもしれません。


しかし目には見えないのですが

確実にその波動は伝わって来て、識別できるようになっているのです。

本当のことが直観でわかる

ピュア(純粋)なものなのか、そうではない不純なものなのか

本物なのか、にせものなのか?

等がたくさんの人にわかるようになってきたのです。

だから本物しか認められないようになります。

嘘から出たものは気持ちが悪いのです。

本心から出たものでないと

信用されなくなるのです。

アセンションとは本物の時代が来るということなんですね。

本物の時代とは波動がわかるようになるということです。

自分が何者であるのかがはっきりとわかるということです。

何十年も前にはほとんど理解されずにいたものが

今の時代になって、波動が上昇してわかるようになってきた。

以前は、10人のうち3人の人しか理解出来なかったことが

今は10人中7人の人が真理(我即神也・人類即神也)を理解出来るようになったのだそうです。

先日、于先生はそうおっしゃっておられました。



 




宇宙子波動生命物理学から生まれた印



宇宙子波動生命物理学においては、すべての源は波動です。

しかもその波動は宇宙神の究極の波動が直接に絵図面に到達し、その波動が地球上の核に吸い込まれてゆくのです。

この絵図面こそすべての波動を創造し調和させて、今生に究極の真理、そして究極の科学をもたらすのです。

この宇宙子波動生命物理学によりますと、波動は七を中心に幾千、幾万の組み合わせにより、あらゆる波動を創造してゆくのです。

宇宙子波動生命物理学という名の通り、この究極の科学は、宇宙子という、現在、地球上で発見されている最極小の粒子(クォーク)よりもっともっと極小の存在から成り立っています。

そもそも宇宙子とは宇宙の中心(宇宙神)より発せられた直接のヴァイブレーションです。

この宇宙子波動生命物理学は、我々の生命を明らかにし、かつまた究極の真理を物理や化学の分野にまで展開してゆきます。

人間は神そのものである

“人類即神也” という究極の真理を明らかにする科学です。

人類は本来、神そのものであるため、神を全く似せられて創られているのです。

無限なる創造と無限なる自由と無限なる能力を自己の内に包含しているのです。

そしてその無限なる神の生命のひびき、ヴァイブレーションを肉体に生かし永遠の進化を遂げてゆくのです。

常に新しき進化、向上を目指して肉体そのものを神の姿に顕現してゆくのです。

それゆえ、人類全体が一人残らず神の姿を顕現する時が必ず来るのです。


そのために、宇宙子波動生命物理学では、印をいう究極の方法を教えているのであります。

印は、宇宙神の波動(ヴァイブレーション)を発します。


宇宙神のヴァイブレーションは、高く細かく微妙でパワー、エネルギーに満ち溢れたものです。


この印を組むことによって、人類は無限に神に近づいてゆくのです。

そして一個の肉体は、決して単なる一個の生命体ではなく、宇宙神と全く一つのものであり、宇宙の永遠の進化への共同体として、すべてに共鳴し影響し、無限に膨張する大宇宙の生命への一助として貢献しているのです。
 






高く広く微妙な波動の素晴らしさ



 
 
このように人類はすべて、ヴァイブレーションによって成り立っているのであります。

人類が究極の真理に目覚めれば目覚めるほど、ヴァイブレーションは高く細かく微妙になり、力強いものとなってゆきます。

そして無限に広がってゆきます。

そのため、未来を見通すことも出来れば、事故や病気を未然に防ぐことも出来ます。

さらに時間・空間を超えて、この肉体を持ったまま、どこにでも移動することも出来ます。

なぜならば、人間は究極は波動だからです。

もう少し判りやすく説明いたしますと、我々が普段使っている物の長さ、重さ、大きさ・・・・・・・等を測る単位は、粗い波動に対してのものなのです。(天文学や顕微鏡下の世界の単位は別といたします)


一センチより小さいミリの単位、そしてもっと小さいミクロン(0.001ミリ)の単位、さらに小さいオングストーム(0.0000001ミリ)の単位などがありますが、ここまで来ると、途方もなく小さく我々の頭では理解できません。

だがしかし、宇宙子波動生命物理学では実際に出てくる単位です。

数式上ではオングストームのさらに10のマイナス49乗という単位で表わされる微小な波長の波さえ存在します。

そうなりますとその波動はどこまでもどこまでも小さく微妙ですので、何でも突き抜けて浸透してしまいます。

岩も水も空気も肉体も大地も・・・・・・。

実際に我々の目に見えない、感じられない宇宙線という波動もその一部です。

実際にこの地球上で未だ発見されていないたくさんの宇宙線が我々の身体を自由自在に通り抜けています。

そのように人類一人一人のヴァイブレーションが高まり広がり微妙になれば、物事を自由自在にコントロールすることが可能になるのであります。


先ほどの窓際の花瓶の花にしても、もしこの私が高い広い微妙なヴァイブレーションを放っているとしますと、子供が入ってくる瞬間、もうこの私は花瓶に近づき、花瓶を支えて、花瓶が倒れるのを未然に防ぎます。


子供が走ってくる。

それ以前に私が立ち上がる。

子供がどこを通るかそれ以前にキャッチできる。

子供とぶつからないで、花瓶に近づいてゆく。

そして子供が通り過ぎてゆく瞬間、もうすでに私の手は花瓶を支えている。

これらの情報を一つ一つ把握することによって、未然に防ぐことが可能になるのです。

これは日常生活の当り前のことです。

もっともっと極めてゆきますと、事故も失敗も不幸も防げます。


ヴァイブレーションの粗い人は全く不可能です。

何事も予測できないからです。

事が起こったあとに行動を起こすのです。

これが人類の一般であります。

真理に目覚めていない人たちです。

これらの人々はヴァイブレーションが遅鈍なのです。

もっともっと真理を求め、自分自身を磨き高め上げる必要があります。

だからこそ、自分のことは未だ何一つ判らないので、不幸や苦悩や挫折が続くのであります。

だがしかし、毎日、世界平和の祈りを祈り、印を組みつづけておりますと、一人一人のヴァイブレーションが高く広く微妙になってゆくのです。

そして人類一人一人がもっと真理に目覚めれば、祈りで印で、天変地変も未然に防ぐことが可能になるのであります。



 
ヴァイブレーションについてはおしまいです。


     「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版



 





 

波動とはなにか? 4

 

今、私はリビングルームのドアを開けた瞬間、窓際に花瓶に活けられた美しい花が飾ってあるのを見ます。

花瓶は色とりどりの花で一杯で、誰の目から見ても感動するくらいです。

一つ一つの花は美しく色鮮やかで、他の花々と見事に調和し、素晴らしい雰囲気を醸し出しています。

私はリビングルームのソファーに腰かけ、周りの様子を見回しながら、見るともなしに花瓶のほうに目を移します。

改めて花瓶をじっと見ると、先ほど一見した時よりはもっと正確に私の目に映し出されます。

なぜかバランスが悪いのです。

花瓶の大きさの割には花が多過ぎるのです。

さらに中心より右に花が多く入り過ぎて、右に傾き過ぎている感じがするのです。

そこへ急にドアが開いて子供が二人ふざけ合いながら走ってきました。

さぁどうなるでしょうか!

窓際の花瓶は今にも倒れそうになっています。

その際、ヴァイブレーションが粗雑で荒々しい人は、たった二つか三つの情報しか伝達されません。

花瓶が倒れた。

花々が周りに飛び散った。

花瓶が割れた。

だがしかし、ヴァイブレーションが細かく微妙であると、花瓶が倒れる以前にすでにたくさんの情報を受け取っているのです。

安定していない花と花瓶。

左ではなく右に倒れそうな感じ。

子供が窓際の花瓶までかけれゆく時間。

子供の動作。

子供が何に集中しているか・・・・・。

ヴァイブレーションが細かく微妙であるということは、すべてに余裕とゆとりを持って物事を正確に的確に把えられるということです。

そのため、事が起こる前に、余裕ともって未然に防ぐことが出来るのです。

それに反して、ヴァイブレーションが荒々しく粗雑であると物事を大まかにしか見られず、行動を起こすことに全く無頓着です。

荒々しいヴァイブレーションは、たった二つか三つの情報でしかないので、物事があっと言う間に起こってしまうのです。

すべての事柄があまりにも早く起こり過ぎます。

何をすべきか判断を下す前に、もうすでに事は終わってしまっているのです。




    
         「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版



 

 
感想


波動が細かくなるというのは、一つの場面、出来事に対して自分のヴァイブレーション(波動)が細部に渡って入り込むことだと思うのです。

だから内容が濃くなる、深くなる。

よって相手をみる力が強くなる。

これが洞察力だと思うのです。

人と付き合っていく上でこの洞察力はとても大切なものなのです。

観察力ではない

もっと深い、相手の本心を観る力です。



 



 

 

波動とはなにか? 3

 
 

自らの波動を神域に高め上げる祈りと印


 
真理は、自分たちが意識しようがしまいが、いかなる人も皆、“我即神也” “人類即神也” そのものなのです。

そしてすべての人は絶対なる存在者として同じヴァイブレーションを共有しているのであり、無限なる愛、無限なる叡智を共有しているのであります。

故に人類はもともと、高い次元のヴァイブレーションに属しているのであり、その神域こそもっとも安定した本来あるべき人類の世界なのであります。

だがしかし、人類個々人が発しているヴァイブレーションは、それぞれの意識レベルによってみな違うのです。

自分の発しているヴァイブレーションが一体、どんなレベルなのか知っておくことも大事なことでしょう。

なぜ自分はこんなに不幸ばかりが続くのであろうか?

あるいは、なぜこのように幸せが続くのであろうか?

一番高次なるヴァイブレーションとは、高い波動であると共にエネルギー、パワーが強くて微妙なのです。

それが最も素晴らしいヴァイブレーションです。

世界平和の祈りを祈る人、または印を組んでいる人は、もちろん一番高次元レベルの強くて微妙なる波動を発しているので、今生において最良の人生を歩んでいくことが保証されます。

どんな人も自分が波動を発しますと、その波動は必ずある対象物に当たって再び戻ってきます。

低い次元のヴァイブレーション(例えば、憎しみ、嫉妬、苦しみ、痛み、不幸、不満、不完全・・・・・)を発すると、その波動は必ず対象物に当って再び自分のところへ戻ってきます。

それは法則です。

自分が常に不幸だと思っている人、悩みみが多いと信じている人、病気や悲しみが続く人は自分のヴァイブレーションが低く粗いのです。

ですから、自分のヴァイブレーションを高め上げれば、それらの否定的ヴァイブレーション(憎しみ、苦悩、不幸、悲しみ・・・・)の領域に入り込まないで済み、その結果、少しずつ自分の生活や人生が安定し善いほうへ、幸せなほうへ、楽しいほうへと導かれ、展開してゆくのです。


そのためには、自分の発するヴァイブレーションを常に高次元レベルへと高め上げる努力をしなければなりません。

その方法こそ世界平和の祈りと印です。

これをしている人々は、必ず自分のヴァイブレーションが高め上げられていっているのです。

そして自分の発するヴァイブレーションが高次元レベルの神域に達し、また再び自分のところに戻ってくる、その法則から言いますと、自分の人生は無限なる幸せ、無限なる健康、無限なる発展、無限なる生命そのものになることは間違いのない事実です。

なぜならば、神域とは神々の世界であり、神々の世界には一切の否定的姿、形、物、現象が存在せず、無限なる愛、無限なる幸せ、無限なる歓喜、無限なる健康そのものなので、当然と言えば当然なのです。






微妙な波動と粗雑な波動との違い


 

ヴァイブレーションについてもう少し詳しく説明してみましょう。

ヴァイブレーションが低いよりは高い次元のほうが勿論よいことは言わずもがなのことです。

と同時に、荒く粗雑なものよりは細かく微妙なほうがどれほどよいか計り知れません。

微妙な波動を発している人は、未然にいかなる不幸も事故も病気も最小限に防ぐことが出来ます。

あるいは、そのような現象が生じる前に、直観的に全く何事もなく防ぐことも可能なわけです。


譬えて言いますと、漫画がとてもよい例です。


ディズニーの動物アニメ(漫画)のように、常に優れた最高の作品は、観客に感動と感激をもたらしてくれます。

画面の美しさ、リアリティー、迫力、正確さ、細かい微妙なところまで行き届いた神経、観察力は傑出しています。

現実との区別がつかないくらい素晴らしいものです。

それに比べて三流、または低いレベルの映画会社が作り出す映画は、同じ動物のアニメであっても余りの違いに驚くばかりです。


ディズニーが描くアニメは、ライオンの物語にしても、そのライオンの動く動作、表情、獲物をとる時の緊張感、獲物を見つけた瞬間、目的達成のためにすべての神経、エネルギーを集中してほえながら飛びかかってゆくその雄々しい姿・・・・・・・等、一つ一つの動作が実に細かく微妙なのです。

それは一コマ一コマの描写が動作をわずかに変化させただけのものだからです。

ライオンが獲物を見つけ、獲物を目がけて一気に飛びかかってゆくその瞬間、その時の口の開く様子、口の筋肉、牙のむき出し方、口だけではなく、髭の揺れ方、鼻の周辺、目の色、輝き、目の開き具合、目の力と焦点、皺のより方・・・・・・等、ライオンの一瞬の出来事を何百コマに描きつづけるのです。

そして、その何百のコマを映写することによって、ライオンが獲物を見つけ飛びかかってゆく瞬間が実に見事に映し出され、あたかも本物そっくりのリアリティーに迫るのです。

これこそ粗い波動ではなく、細かい微妙な波動と言えます。

要するに一瞬の間にたくさんの情報(コマ)が入っているのです。

ところが引くレベルのフィルムになりますと、ライオンが飛びかかる瞬間は、二コマか三コマの動作で終りにしてしまいます。

最初の一コマはライオンが土を蹴り、宙に舞い上がる瞬間。

二つ目はライオンが大きな口を開き切っているところです。

そして三つ目はライオンがもう獲物をくわえている動作です。

これは荒々しい粗雑な波動としか言えません。

このように、二つのフィルムは、ライオンが同じ獲物をくわえるまでの動作に関して、微妙なヴァイブレーションと粗々しいヴァイブレーションとの差を示しています。

その違いに驚きを禁じ得ないのです。

微妙なヴァイブレーションには、一瞬の出来事に百コマ以上の微妙な動き、変化、権威、集中、輝き、感情、威厳、周りの風景、他との関係等の情報がたくさん盛り込まれております。


ヴァイブレーションが細かく微妙なほど現実的にすべての状況を適格に判断できるのです。


ヴァイブレーションが荒く粗雑ですと、動作のみに終り、周りの状況を把えることが出来ません。


なぜ、我々にとっても細かい微妙な波動がよいのか、もっとわかりやすいように、我々の日常生活を通して例を挙げてみましょう。




                  つづく





      
          「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版










感想


私たちの周りには気配りの出来る人がいます。

そして気がつき過ぎる人もいる。(笑)

それは全体を観ているか、どこかに部分的に集中し過ぎているかの違いだと思うのです。

全体を観ている人は全体の調和を考える

だからその動きが自然でその後の全体の流れを善くする

しかし何かに捉われてこだわっている人は

自分中心に場面を見ているのです。

だから

「そんなことどうでもいいのに・・・・」

ということになります。

波動が細かくなるというのは

調和を保つためのものなのです。

みんなが気持ち良く過ごしていく為のものなのです。

私がしている調和波動気功法

そのものですね。(笑)

すいません

自画自賛してしまいました。わーい(嬉しい顔)



 



波動とはなにか? 2




  
自分と相手の波長が違う場合




親子であれ、夫婦であれ、兄弟姉妹であれ、いかなる関係であるにせよ、人の自由を縛ることは絶対に許されるべきことではありません。

なぜそういうことが起こるかと言いますと、もともとは自分自身が自らの存在価値を無視したり、自分の能力を否定したり、自分の崇高さや自分の尊さを見失ってしまったために生じているのです。

自分の意識レベルが低く重く鈍感で否定的であるため、相手に対しても自分と同じことを強いるのです。

なぜならば、自分の心が信頼できず不安でならないからです。

自分が他との遊離を恐れるあまり、相手を強制的に自分と同じ波長にすることによってそこに一時的にしろ安定感が生ずるのです。

このように人間は、常に自分と波長の似通っている人と関わっていないと、孤独感や挫折感、敗北感を味わい、生きてはいられないのです。

そのため、自分のヴァイブレーションと違う人に出会うと、お互いが無意識に反発し合ったり、抵抗し合ったり、拒絶し合ったりして、不安定な雰囲気や場をつくり出してゆくのであります。

昔からのことわざで “類は友を呼ぶ” “朱に交われば赤くなる” と言われておりますが、全く真理をついているのです。

人間は自分が相手と共通のヴァイブレーションを持っているのを感じて安心するのです。

そのため、異なったヴァイブレーションの人とは、なかなか親しくなれなかったり、閉鎖的になったり、オープン・マインドで接することが出来ないのです。

お互いが余りにも極端にヴァイブレーションが違った場合には無視を装います。

お互いの意識がずれて相反するばかりだからです。

人間は、自分と異なったヴァイブレーションの人といると、必ずどちらか強い人が相手のヴァイブレーションにモーションをかけて自分のレベルまで引き下げようとしたり、あるいは引き上げようとしたりします。

そして、どちらか一方が無意識に自分のエネルギーを相手に奪い取られてしまうのです。

相手も知らないうちに奪い取っているのです。

そのため、この二人の関係は緊張し、不調和な状態を生み出します。

そして奪い取ったほうは相手より優位な立場に立ち、なぜか相手に対して勝ち誇ったような態度に出るのです。

このように、お互いのヴァイブレーションによって、人間関係はいかようにも変わってゆきます。





 
ヴァイブレーションの高い人・低い人
 



ヴァイブレーションと一口に言っても様々なレベルがあります。

最も一般に判りやすく大別すると、ヴァイブレーションには 高━低、強━弱、粗━細 があります。

その他にも様々な段階、働きが存在していますが、それは専門的分野に入りますので、ここでは省きます。

ヴァイブレーションが高い人は、宇宙の他のすべての存在と一体となることが出来ます。

自らの放つヴァイブレーションを自由に上げたり下げたりして常にいかなるものにも逆らわず、すべてを在るがままに抱擁し調和させてゆくのです。

常に無限なる愛を相手に放ちつづけているのです。

ヴァイブレーションの高い人は、自分の人生の上に悪いこと、苦しむこと、不幸なこと等一切の否定的な現象が生じないのです。

いやヴァイブレーションが高いため、他のいかなる低次元レベルの否定的業想念波動を自らに引きつけないのです。


こういったレベルの人々とは、究極の真理を知り得ている人であり、世界平和の祈りを祈り、印を組みつづけている人たちであります。

彼らは皆、無意識のうちにこの高いヴァイブレーションを放出しているのです。

そして彼らはついには超意識レベルまで達し、自ら神人としての姿を顕現してゆくのです。

世界平和の祈りを祈り、印を組みつづける人たちは一人残らずこの域に達するのです。

これは五井先生によって約束されていることです。


高いヴァイブレーションを発している人々とは、常に “我即神也”“人類即神也” の究極の真理を理解し実行している人たちです。

そのため、いかなる人々に対しても差別することもなく愛をもって平等に接することが出来るのです。

なぜなら、人類はすべて神そのものであるということを知っているからです。

自分たちの目に映る人々の表面的な状態が貧乏、苦悩、失敗、不幸、病であったにせよ、彼らに対して差別や軽蔑、哀れみ等といったような特別な目で見ることは決してないのです。

また、天才、秀才、成功者、有識者といった、この世的に自分たちよりも優れた人たちであったにせよ、彼らに対してへりくだったり、おもねったり、特別に崇拝したりはしません。

現象的な差異で判断するのではなく、もっと深いところで真理そのものを基準にして見ているのです。

そのため、人類一人一人がいかなる姿形、いかなる態度で生きていても、今現われている在るがままの姿を受容し、人類即神也に至るまでのプロセスとして認識しているのです。

高次元ヴァイブレーションの人たちは低次元ヴァイブレーションの人たちよりは自由に気楽に生きています。

しかも自分たちの欲するものは次々と手に入り、欠けたるもの、不足なるものが何一つなく平安な安定した日々を送っています。

これは高次元レベルの人々の日常の生活であります。

なぜならば、彼らは自分の内にある無限なる創造力を大いに発揮し無限なる叡智、無限なる能力、無限なる直観を働かせ、自由自在に生きられるからです。

ところが低次元レベルに属する人々は自分のヴァイブレーション・レベルに必死にしがみついて生きているのです。

自分の固定観念に縛られ、自由に生きられないのです。

常に自分と気楽に付き合える仲間と共に過ごすことによって自分に安定感を求めているのです。

自分を高め上げることに対して、また、自分が変わることに対して不安を抱いているのです。

自分より高い次元に生きている人々を見ては羨ましくもあり、彼らと付き合いたい、彼らの世界に溶け込みたいと思い、自分を高め上げることを望むのですが、なぜか自分で自分を規制してしまうのです。

皆、今の自分を変えることに用心深く、自分を必要以上に守り過ぎているのです。

自分が変わることに一種の恐怖を感じるのです。

今までの自分なりに築き上げてきた安定した家庭、グループ、社会から離れることが恐ろしいのです。

異なったヴァイブレーションに対して抵抗を感じるのです。

それは、自分の凝り固まった思考、感情、仕事、肉体に執着し、今の安定した状態を手放したらもっと低いレベルに落ち込むのではないかという不安恐怖から来ているのです。



                
つづく



      「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版






感想

  ヴァイブレーション(波動)について 2を読まれていて、確かにそうだと納得する部分と本当のことだろうけど結構痛烈だなぁと感じられる部分があると思います。

私も書き写していてマイナスに受取ってしまいそうな箇所もありました。

しかし当り障りのないことを羅列してもプラスのことばかりを書いても

それでいいのか?という疑問もあったのです。

包み込むような愛もあれば、ハッとするような厳しい愛もある。

昌美先生はあえて憎まれ役をされているのだと思います。

しかし、厳しいばかりではない。

この後の包み込むような愛にご期待ください。




 


 

波動とはなにか?1



みなさんは波動と言葉を聞かれたことがあると思います。

「あの人は波動が良い」

「素晴らしい波動だ!」

とか言いますが

ほとんどの人はその実態はわかっていません。

宇宙は波動で出来ています。

すべては波動で出来ている

私たちの肉体も心も

そして死んでからも(肉体が無くなってからも)

ヴァイブレーション(波動)は永遠に生きつづけるのです。


では、いったい波動とは何なのか?

読んでいてわからない部分が出てくるかもしれません。(絵図面など)

その部分は読み流して先に進んで行ってください。(後日わかるようになると思います)





 
 
ヴァイブレーションについて


宇宙はすべて波動で成り立っている


私はよくヴァイブレーション(波動)という語を使います。

三十数年前、五井先生と共に宇宙子波動物理学を始めた時、この宇宙はすべて波動から成り立っているという原理を教わりました。

宇宙子科学の大絵図面に最初の最初に宇宙神より天地を貫いて響いてきたものがヴァイブレーション(波動)であったのです。

そのヴァイブレーションは、宇宙神から直接、絵図面に降ろされ、その降ろされた部分は、絵図面の中心点となり、現実にすべてのものを生み出すエネルギーのスポットとして、今でも神域となっています。

特別に許された者以外、その中心に立つことも、触れることさえも出来ません。

なぜならば、三十数年経った今でも、絵図面の中心点は、宇宙神と直接に交流し、物凄いエネルギーを今生に放ちつづけ、偉大なる働きを為しているからです。

この中心から七つの異なった波動に分れ、その一つ一つほ波動はさらに七つずつの波動に枝分かれしてゆきます。

そしてその波動は様々な異なった波動となって、大いなる宇宙の法則のもとに結びついたり離れたりし、その過程において、新しい波動を創造し、この地球上を大進化、大調和させているのであります。

この宇宙子科学の絵図面は、一般の目から見れば、ただの紙の上に描かれた数式であり、幾何学模様であり、図面ですが、その奥に究極の無限なるエネルギーが蔵された、宇宙神そのものの働きなのです。

この絵図面は、今生において、宇宙神と時間、空間を超えて直結する唯一の場であり、宇宙神が直接、働かれる場でもあるわけです。

私は三十数年も前からこの地球上を構成しているすべてのものは波動から成り立っていることを知っていました。

この肉体も動物も植物も水も空気もこの世に存在する生きとし生けるものすべては、究極は波動なのです。

ですから、人類は他のものと決して遊離しているものではなく、すべてのものと全く一つに結ばれているのです。

人類は無限なる創造の過程において、先程も述べましたように、あらゆる波動と結びあったり(融合)、離れたり(遊離)、混ざり合ったり(混合)して自分独自の波動を創り上げているものなのです。

この世に起きるあらゆる現象もすべて波動として把えてゆきますと、よく理解できるし、納得できるのです。






他との一体感と遊離




人類は皆一人ずつ波動が異なっています。

誰一人同じ波動ではありません。

指紋と同じです。

似通った波動は存在するかも知れませんが、それでも同じであることは決して有り得ません。

宇宙は無限であり、すべては一体であり、神聖であります。

その上、宇宙は意識に満ち溢れ、存在するすべてのものはそれ自身が完璧であり、調和し、愛そのものであります。

我々が発したり、表わすすべての想念、言葉、行為は、我々がどんな世界に住み、どんな人生を送るかを決定づけるものです。

我々が他のすべての存在を包み込み、すべてのものに抵抗せず、また遊離せず、常に一体感を感ずる愛の波動を放っているのであれば、我々は一切迷いのない、幸せで平安で自由な一生を送れるのです。

だが、そのような状態に至るのはまれでして、多くの人々は、あらゆるものに対して抵抗したり、差別したり、反発したり、拒絶したりして、一体感とはほど遠い生き方をしているのが現状であります。

なぜ我々は他との一体感を持てないのでしょうか。

それは、我々の意識が自分のことのみに執着し把われているからです。

我々の意識がもっともっと広がり、愛に満ち溢れていたならば、いかなるものとも相反せず、対立せず、調和してゆけるものなのです。

自らの愛が広がるほど、自らの人生は大きく変わって安定してゆきます。

すべての固定観念を捨てて、執着もこだわりも捨てて、自分の欲することを思い切って自由自在に為しつづけてゆくならば、そこに自ずと他との一体感が芽生えてくるのです。

自分自身が自分そのものに執着し把われるほど、本来の自由性は失われてゆきます。

自由を失えば、他との遊離が始まります。

まず自分自身がすべての事や物から自由になってこそ、相手の自由を縛らず、相手の自由を尊重し認めることが出来るのです。

相手に対して何かを押しつけたり強制したりして相手の自由を縛ることは、もうそこにお互いの一体感が失われ、遊離の状態へと追い込んでいっているのであります。



                   つづく


2017年3月19日 (日)

意識がどこにつながっているかが大切です



お金がふんだんにあって、美味しいものが食べれて、時間もあって

豪華な客船や列車の旅をしている人をテレビなどで観ると

「幸せそうだなあ」 と一瞬思ってしまいます(笑)

しかし、いくら目に見える世界が整っているように見えても

幸せそうに見えても、なんの苦労もないように見えても

その人の意識(心)がどこにつながっているか?

そしてどのような心境にあるのか?によって幸せは決まるのです

反対に

お金が無くても、病気で寝たきりであっても

周りに親しい人が誰一人としていなかったとしても

肉体界の自分がほんとうの自分(本心)とつながっていれば次元、空間、時空を超えて

最高の至福感があるのです。

その心境とは、どう例えればいいでしょうか

人間には一生のうちで一度は

「あの頃の自分は最高に幸せだった」

というときがあったと思うのです

ある人は

無条件で愛されていた幼少の頃

何も考えていなかった無邪気な少年の頃

ある人は

初恋をした頃

またある人は

やることなすことがすべてうまく行っていた頃

そしてある人は

最高にモテていた頃

たぶんその頃とは自分ではほとんど意識していなくても

最高の心境や状況になっていたと思うのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だがしかし

「もっと良くなりたい」

と欲を出したところからガタガタと崩れしまった

・・・・・・・・・・・・・・

それは自然体ではなくなったからです

自分と無欲の自分が離れてしまったからなのです

肉体人間と本心の自分が離れてしまった

そのときから何をやっても面白くない、うまくいかない

充実感がない

感動がない

という気持ちになっていったのです

本心から離れてしまったので

魂が喜ばないのです

ほんとうの幸せとは

宇宙(神界)にいるほんとうの自分(本心)と肉体の自分(吾)が一体となることなのです。

そのことを悟ると言います

神我一体(しんがいったい)

と言います

そしてその状態を

統一した状態というのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

肉体界に居ながら

意識は宇宙にある

本心とつながっている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お釈迦様がそうでした

キリスト様がそうでした

地球に降り立った

聖者たちがそうでした

・・・・・・・・・・・・・・・

特別な人たちだけが神我一体になれるのではないのです

悟るのは聖者だけではないのです

・・・・・・・・・・・・・・

私たちも同じ境地になれるのです

そしてほんとうの幸せを会得することが出来るのです

どれだけお金があっても

3次元的に環境に恵まれていても

意識が幽界にあっては決して幸せではないのです

それは、迷いの世界に居るからです

感情の世界に居るからです

幽界のおばけちゃんにもてあそばれているからです

ほんとうの世界とつながっていないからです

無意識にただ感情を喜ばせることだけを目標にしている人は

一生のうちでほんとうの至福感を味あうのは

一度から多くて2度くらいだと思います

しかし、意識して本心とつながろうとしている人は

何度も何度も至福感を味わうことが出来るのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、肉体を持っているうちにどれだけ多くの至福感(神との一体感)を味わうかが

地球に降り立った目的だと思うのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は今、下丹田(かたんでん)を意識出来ています

宇宙とつながっています

だからずっと至福感を味わっています

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この至福感を是非、たくさんの人にも味わってもらいたい

それが私の願いでありミッションなのです。


「無限なる幸せを体得する方法」 う寿明著 星湖舎




  

 

2017年3月15日 (水)

こんな人こそ

 
人の幸せを自分のことのように喜び

人の悲しみを自分の悲しみのように悲しむ

それでいてその喜びに把われる想いをもたず

その悲しみに沈みこむ愚かさもない

自分のしたどんな善いことにも

他人のしたどんな悪いことにも

いつまでも想いがとどまらずに

何んでも可でも神様が善いようにして下さると信んじきっている

それでいながら

善い事柄ならどんな小さなことでもおろそかにせず

少しの悪い行為をも即座に消し去ろうと努める

心はいつでも青空のように澄んでいて

体中から温かいほほえみが一杯溢ふれている

その心にはいささかの誇る想いもなければ人をさげすむ想いも無い

ただ心の奥底から湧きあがってくる世界平和の祈りの中で

生命(いのち)生き生きと生きている

そんな人々が世界中から沢山育ぐくまれてくることを

私は

平和の祈りをしつづけながら願っている

( 五井昌久詩集『純 白』 生誕100周年新装版、白光出版より )

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

人 間 と 真 実 の 生 き 方

人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。

2017年3月13日 (月)

宇宙神の真理の一節

“地球人類よ 目覚めよ

心して目覚めよ

汝らは聖なる人々である

宇宙神の光の一筋そのものである

宇宙神の無限能力、可能性、叡智、直観力が内在しているのである

ゆえに

汝らが真に究極の真理に目覚めた時

他のいかなるものにも依存する必要はない

外なる神にも宗教にも物質にも

すべては自らの内にある

それを自覚し信じ実行に移すことにより

汝らの希望はすべて成就されるのである

世界平和樹立のために立ちあがるのだ”




『つながり合う世界』 西園寺昌美 白光出版




  

 

2017年3月 8日 (水)

肉体の死後も魂は生きつづける

 

人間は真面目に生きて、努力し、忍耐をしていれば、立派な生き方で誰も文句を言わない、それで十分だろうと思っている人は多いと思うのです。

それが1回こっきりの永眠であれば、何の問題もないのかもしれない。

だがしかし、それで終わりどころか肉体の死は、プロセスに過ぎない。

「あの世でゆっくりと休んでください」

などということはないのです。

だったらどんな死に様だったらよいのかというと、真理を知って理解して肉体を放れることが大切なのです。

自分は何者であったのか?

何のために肉体を纏って生まれて来たのか?

天命(ミッション)はなんだったのか?

少なくともこの3つは真理として知っておかなければ話にならない。

いくらこの世で名声を得たとしても、そんなものあの世では何の足しにもならないのです。

もうそのことがわかってよい時期に来ていると思うのです。






1.人間は生まれ、そして成長し、体験し、老い病み死する。これの繰り返しである。人間は永遠に行きつづけてゆかねばならない。

肉体が変減しても、その奥にある魂はなお継続して生きつづけてゆくのである。

個人にやどる不死の生命は偉大である。

肉体が消滅したならば、これで何もかもすべてが終わると思ったら大間違いである。

過去に積み上げてきた想念、言語、行動すべてを背負って、未来にむかって歩み出すのである。

真理を知って生きないと、これは大変なことになる。

真理を知らないで、真面目に努力し忍耐し、生きている人がいるが、それは報われない生き方である。

何よりも先に、真理を知ることが大事である。

2.動物は苦痛はあっても、死への恐怖というものは何もない。

死への恐怖は人間のみに与えられた特別な感情であろう。

だが同じ人間でも、死を恐れをもって迎える人と、喜んで迎え入れようとする人とでは、自ずと苦痛と恐怖の度合いが違ってくる。

死とは不自由な住みにくい肉体を脱ぎ去って、自由で輝いた明るい世界へと移行してゆく、一つのプロセスにすぎない。

死は恐いものではない。

        『日々の指針』 西園寺昌美著



  

2017年3月 3日 (金)

自分の中に神を見出す



地球の次元は、なんと5次元に上った、だから自分(人類)の意識を5次元の波動に合わせれば、心の中は即、神界(天界・天国)になる。

そして、神界とは宇宙の完璧なエネルギーの世界なので、肉体に神の姿が現われ、そのエネルギーのカタチは縦、横、十字の真理(キリスト・十字架・光の柱・パワースポット)になっているのです。

その世界は自由自在心です。

どんなものでも創造でき、どんな奇跡でも起こせる。

キリスト様やお釈迦様だけが聖者ではなかったのです。

人間即神也、人類皆即神也なのです。

ただ肝心なのは、意識がどこにあるかだけです。

地球の波動は調った、後は私たちの意識を5次元(宇宙・我即神也)に合わせるだけなのです。



自分の中に神を見出してこそ



今までの私は、他の人の中に神を見、それを信じ、その神を通して自分自身を安心へと導
き、納得させていたのです。

神を外に見たのです。

神を自分以外に、例えば、イエス、釈迦、聖者賢者、偉大なことを成し遂げた人、人類の犠牲になった人、死んで神に祭られた人、先祖・・・・

等の中に神を認め、それを絶対なる神と信じていたのです。

彼ら中の神々が自分たちを救ってくれると信じていたのです。

そのような低次元の段階においては、私が自分の中に神を見出すことなど、到底考えも及ばなかったのです。

自らの内にある力を信じることが出来ずに、かつまた自らが自らを余りにも低いレベルに置くことによって、自らの機能を他の聖者賢者に与えることによって、自らを導いてもらっていたのです。

しかし、いつまでもそんなことを繰り返していたのでは、自分の人生は始まりません。

何も事は起こりません。

このような低次元レベルから上昇してゆかねばならないのです。

わずか数人の聖者、賢者の教えに今なお、数億の人々が従い導かれ、コントロールされて
いるのです。

そのうちのどれだけの人々が真理に目覚めてゆくことでしょうか。

地球そのものの次元が高まり、ヴァイブレーションが微妙になってゆくその時に、未だなお、かつての修行のやり方、真理を学んだとて何になりましょう。

その時代、その時代に即して真理への道、方法が違ってきて当然であります。

・・・・だがしかし、いつまでも彼ら(聖者賢者)の中に神を見出し、それに従っていたのでは自分自身の内なる神は一体、どうなってしまうのでしょうか。

永遠に見出せぬままに終わってしまうのでしょうか?

その通りです。

人類すべての人々が自分自身の内に神を見出すまで、神と出会う時まで輪廻転生(生ま
れ変わり死に変わり)は続くのです。・・・・・・



『つながり合う世界』西園寺昌美著 白光出版



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