2019年1月17日 (木)

モーパッサンの「首飾り」から真理を学ぶ

モーパッサンの首飾り

 

安月給の家庭などに案外垢ぬけした美しい娘さんがいるものだが、彼女もそんな一人だった。

持参金もなければ、遺産の目当てもあるわけではない。

いわんや、金持ちの立派な男性に近づき、理解され、愛され、求婚される、そんな手づるのある筈もなかった。

結局、文部省の小役人と結婚してしまった。

もとより着飾ることなど出来ようもなく、簡単な服装で間に合わせていたものの、内心では、零落(れいらく)でもしたような気がして、自分が可哀想でならなかった。

彼女は自分がどんな贅沢をしても、どんな洗練された生活をしてもいいように生れついているのに、と思うにつけ、いつもいつも寂しくて仕方なかった。

今の自分の住まい、環境、一切が気にいらなかった。

彼女には晴れ着もなければ、装身具もなかった。

実際、何一つ持っていなかったのだ。

そのくせそんなものばかりが好きだった。

自分はそんなものをつけるために生まれついているような気さえしていた。

それ程までに彼女は人に喜ばれたり、羨まれたりしたかったのだ。

人を惹きつけ皆からちやほやされたかったのだ。

ところがある日の夕方、夫は妻を喜ばせるために意気揚々と帰ってきた。

手には大きな角封筒を握っている。

それは大臣官邸で行なわれるパーティの招待状であったのだ。

だが夫の期待に反して、彼女は、喜ぶどころか、さもいまいましいげにその招待状を放り投げ、不平そうに言った。

「これ、あたしにどうしろとおっしゃるの! 私に何を着て行けとおっしゃるの!あたしにはよそ行きがないでしょう。だからそんなおよばれには行けないわ」

夫は、途方にくれ、それでもなお妻が喜ぶことを考え、彼の貯めてあった貯金を全部はたいて新しい洋服を買ってあげたのであった。

ところが、喜んでいた妻が、パーティが近づくにつれて浮かない顔になってきた。

夫は妻にそのわけをきいてみた。

「だって、あたしつらいわ、装身具ひとつないなんて、宝石ひとつないなんて、身につけるものが一つもないなんて、あんまりだわ、考えたってみっともないじゃないの。あたし、いっそそんな宴会なんて行きたくない」

と応えたのであった。

夫はきらびやかな宝石よりも、美しく咲いている本物の花でも差すように言ったが、彼女は聞かなかった。

そこで思案した揚句、彼女のお金持ちの友達から借りることに気がついた。

早速彼女は友達の家へ行き、事情を話した。

友達は、大きな宝石箱を取り出すとそれを彼女のところへ持ってきて、蓋を開け、

「さあ、好きなものを選んで」

と言った。

彼女は見た、まずいくつかの腕輪を、つぎに真珠の首飾りを。 それについで金と宝石をちりばめた見事な細工のヴェネチア製の十字架を。

そして彼女はダイヤをちりばめた首飾りを選んだのであった。

宴会の当日になった。 彼女は大成功だった。

彼女は他の誰よりも美しかった。 上品で、優雅で、愛嬌があり、歓喜に上気していた。

男という男が彼女に眼をつけ名前を尋ね、紹介してもらいたがった。

大臣官房のお歴々も彼女と踊りたがった。

彼女は快楽に酔いしれながら、男たちから受けるお世辞、賞讃、彼女の身うちに目ざめてきた欲情、女心にとってはこの上もなく甘美なこの勝利、こうしたものから生まれた一種の至福につつまれながら、彼女は夢うつつで踊るのだった。

家に帰って、首飾りが失くなっているのに気づき、二人は驚愕した。

彼女が行ったあらゆる所を二人で探しまわったが、とうとう首飾りは見つからなかった。

二人は女友達から借りた首飾りと同じものを見つけ出すため、あらゆる宝石店を探し廻った。

ついに、同じ首飾りがみつかった。 値段は三万六千フランだった。

彼女は手紙を書き、ありったけの品物を担保に入れ、高利貸をはじめあらゆる金融業者と関係を結んだ。

こうしておのれの余生を台なしにし、果ては自分たちの身に襲いかかる暗たんたる生活を思うにつけ、今更ながら空恐ろしい気分になるのであった。

彼女が首飾りを返しに行くと、金持ちの女友達は、

「困りますわ、もっと早く返していただなくては。だって、あたし入用だったかもしれないでしょう」

だが、彼女はその首飾りが替え玉であることに気づかなかった。

二人は住まいも屋根裏に間借りをし、貧乏暮らしの辛さを思い知らされるのであった。

美しかった肌も爪も荒れ放題、長屋のおかみさんみたいな格好で、どこへでも出かけ、そのつど恥ずかしい思いをしても、なるべく値切っては、苦しい財布から一銭でも守ろうとした。

かくしてこのような生活が十年間続いた。

十年目に高利の利息から利に利を積んだ借財まで一切合財返済した。

美しかった彼女はまるでおばあさんみたいに変身してしまった。

貧乏所帯が身について、骨節の強い頑固なおかみさんになっていた。

髪もろくろくとかさず、スカートがゆがんでいようが平気であった。

さて、ある日曜日のこと、彼女がシャンゼリゼを散歩していると、相変わらず若くて美しい子どもづれの金持ちの女友達に出会った。

彼女が声をかけると、昔の美しい面影をまるで失ったその変わりように、友達は初めは真実、彼女とは気づかなかった。

「貴女ずいぶん変わったわね」

それから彼女は、借金も返し終わったことだし、思いきって今までのいきさつを一切友達に話した。

すると友達は、

「貴女は新規にダイヤの首飾りを買ってわたしのとかわりにしたとおっしゃるのね。まあ、どうしましょう、わたしのは模造品(まがいもの)だったのよ、せいぜい五百フランくらいのものだったのよ・・・・」

モーパッサン『首飾り』より

 


西園寺昌美さんの感想


誤解と錯覚のために人生を無駄にしていないか


ここでモーパッサンの意図としては、女の内に潜んでいる虚栄心とか見栄の醜さ、いやらしさをいやというほど描きたかったのに違いありません。

もし彼女がその時貧しい夫から新しい洋服を買ってもらった唯そのことだけに満足し、感謝してさえいれば、こんなにみじめて耐えられないほどの不幸な一生を辿ることはなかった筈です。

だが彼女は新しい服にもう一つ自分をさらに美しく飾りたてる宝石が欲しいと願った、その時から二人の人生は全く予期しない暗い道へと転落していったのです。

モーパッサンは、誰の心の中にも潜む心の弱さと同時に、この虚栄心のもつ破壊力のすごさを表現したのだと、以前の私はそう理解していました。

しかし今の私の感じ方は昔とは少し違ってきています。

私がこの作品で把えたのは、誰しもが簡単に陥ってしまう誤解と錯覚というテーマです。

金持ちの女友達が宝石を彼女の前にとり出し、どれでもよいからあなたの好きなものを持っていってよいといった時、彼女はダイヤモンドの首飾りを手にしました。

その時、彼女の頭の中には、あの金持ちの女友達がまさか偽りの宝石を自分の前に出してくれたのだとは、思いもよらなかったのです。

考えも及ばないのです。

頭から本物であると誤解してしまっていたのです。

本物に違いないと錯覚を起こしてしまっていたのです。

このように事実とは全く違ったように見たり聞いたり、感じたり思い込んだりしてしまうことによって、引き起こされる不幸なことは実にこの世には多いものです。

読者の皆様方も誰しもが一度や二度は誤解や錯覚による過ちを犯してしまったり、感情を害したり害されたりしてしまった経験をお持ちになっているに違いありません。

蜃気楼もまた錯覚の一種です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

我々はこのようにして我々の尊い一生を、誤解と錯覚のために無駄に送ってしまっているのです。

自分の中にすでに内在している輝かしい全知全能なるものを見ようとせず、蜃気楼のようにそれを、外にはるか遠くのほうに自分の欲するものが存在すると信じ込み、追い求めようとしているのです。

それがそもそもの錯覚なのです。

自分の不幸や苦しみを他のもので癒せるとそう思い込んでいる錯覚。

また神に願いごとをかなえてもらったり、病気を治してもらったり、自分の欲することは何でもきいてもらえると信じ込んでいる錯覚。

また自分の前に起こってくるあらゆる不幸や災難、苦しみや悲しみなどの一切を自分の責任だとは認めずに、すべては他人のせいだと思い込んでいる錯覚です。

またこの世は名声や栄誉、お金や権力が絶対と思い込んでいる誤解、一流校を出なければ一流人でないと思い込んでいる錯覚。

神に仕える人や聖職についている人が清き立派な人と信じきっている誤解。

このようにして例をあげればきりがないほど我々一人一人の心の中に、さまざまな誤解に惑わされ、あらゆる錯覚に陥った生活を、自然とまわりから強いられて生きているのです。

人類全体がここで一気に真理に目覚めない限りこの生き方はさらに、子から孫へ孫から曾孫へと永遠に続いてゆくことでしょう。

 「果因説」 西園寺昌美 白光出版

これからの考え方「果因説」

 

私たちは、時間とは過去から現在、そして未来へと流れていくものだと思い込んでいます。

それは、人間が勝手に考え出した時間の流れの概念です。

私たちが住んでいる宇宙には、時間はないのです。

過去も未来も現在もない(時空を超えています)

だとしたら時間を未来から現在へと自由に流すことができるのではないか?

・・・・

イメージトレーニングがあります。

スキーなどで自分がうまく滑っている姿をイメージし続けて

現地に着く、そしてそのイメージのまま滑ると、イメージ通りに滑れている

格段に上達しているのです。

これは、上手に滑っているという未来の形を先に創ってしまうということです。

これからは時間の概念が変わっていきます。

それによって、みんなすばらしい未来を想像(創造)するようになります。

病気の人は、健康をイメージし、貧困の人は豊かさをイメージし、人間関係がうまくいっていない人は、みんなが調和している姿をイメージする

みんなが当たり前のように「果因説」を実践するようになる。

そんな素晴らしい世の中がやってくるのです。

果因説については、もう何度もここに掲載しましたが、今回も載せることにしました。

人間がこれから明るく生きていくためには、絶対に必要な考え方だからです。

みなさんも是非、明るい未来をイメージしてください。

時間は未来から今へとやって来るのです。

因果律と果因説の違い

過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か

次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを持って)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

 

 「果因説」 西園寺昌美 白光出版

 

 

2018年9月13日 (木)

自分で明るい未来を創造してゆく方法、果因説!





 

時間は過去から現在、未来へと流れるものなのだと私たちは思っています。

しかし、真実は宇宙は時空を超えているので時間は存在しないのです。

であれば、

未来から現在へと時間を流すことが出来るのではないか?

イメージ(想像)したことを、創造させる力を人間は持っていると、私は思うのです。(既に気づいている人もたくさんおられますが)

今までは過去の原因が現在に結果として現われるという因果律が主流でした。

だから過去から現在へと時間は流れていた。

だがしかし、これからは未来から現在へ時間を流す

『果因説』という考え方が主流になっていきます。

するとほんとうに未来から時間がやってくることになります。

 

 『未来→現在→過去』

次にあげる因果律と果因説の違いは、
「過去→現在→未来」
という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、
「未来→現在→過去」
であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、
「未来→現在」
という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるよう
に書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを見て)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだそ の希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」

 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」

・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来につい て思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、

過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

「果因説」 西園寺昌美 白光出版

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年7月19日 (木)

意識の転換で未来は変わる 2


 

未来→現在→過去

 
次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

 

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

 

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

 

これが因果律の流れです。

 

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

 

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

 

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

 

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

 

例えば、川は川上から川下へと流れています。

 

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

 

それを放り投げます。

 

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

 

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

 

結果、その希望は自分の手には戻りません。

 

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを見て)、投げるのです。

 

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

 

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

 

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

 

時間は未来から現在へとやってくるのです。

 

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

 

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

 

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」

 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

 

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

 

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

 

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

 

これが果因説です。

 

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ、上り詰めてゆくやり方は、

過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

 

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

 

 

 

 「果因説」 西園寺昌美 白光出版

2017年12月24日 (日)

消えてゆく姿で世界平和の祈りと果因説 2






未来→現在→過去





次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを見て)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」

 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ、上り詰めてゆくやり方は、

過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

 

 「果因説」 西園寺昌美 白光出版



感想・・・祈り、印も大切ですが、やはり日頃の想念が大切なのです。

『世界平和の祈り』は祈ってはいるけれどいつもの想いの癖で、どうしてもマイナスを摑んでしまう、マイナスの現象に振り回され、落ち込んでしまい、気持ちの切り替えがなかなか出来ないのであれば、せっかくの祈りの効果も半減です。

今現われている出来事は過去、過去世の自分の想念行為が映画のフィルムのように映し出されているだけなんだ、

映画(フィクション・イルージョン・錯覚)であり実際のものではないのだ、

そしてまた、そのフィクションも守護霊さん守護神さんによって大難が小難になっているんだ、

過去は無い、現在もすぐに過去になる、現在も無いんだ、

あるのは未来だけなんだ、未来は今の自分の思いが創るんだ、

だから明るい未来をイメージ、想像するんだ、

その想像が創造になってゆくんだ、と自分に言い聞かせ、自分で宣言するのです。

これから実体の無いマイナスの現象は一切摑まない、

そして

明るい未来を自分の心のキャンパスに描くんだ、と・・・・・・。

痴呆症の親が正気に戻って元気でいる様子、

問題児のわが子が良い子になっている姿、

自分や家族の健康な姿、

世界中のみんなが幸せそうに笑っている姿を何度も何度もイメージする。

すると『果因説』のように未来から現実がやって来ます。

その現象がアセンションでもあるのです。

今はもう3次元ではありません。

4次元を超えて

5次元になっているのです。

ほんとうはアセンションは終っているのです。(言っちゃった)

過去や現在を摑まず、未来を創造するだけなのです。

 

 




 

2017年9月 8日 (金)

運命を好転させるには、未来から現在へと時間を流せばいいのです。




私たちは、時間とは過去から現在、そして未来へと流れていくものだと思い込んでいます。

それは、人間が勝手に考え出した時間の流れの概念なのです。

私たちが住んでいる宇宙には、時間はないのです。

過去も未来も現在もない(時空を超えています)

だとしたら時間を未来から現在へと自由に流すことができるのです。

イメージトレーニングがあります。

スキーなどで自分がうまく滑っている姿をイメージし続けて

現地に着く、そしてそのイメージのまま滑ると、イメージ通りに滑れている

格段に上達しているのです。

これは、上手に滑っているという未来の形を先に創ってしまうということです。

宇宙は、人間の想像した通りに創造されていくという法則があります。

人間は創造主(神)であるからです。

思った通りの自分になれるのです。(マイナスなど邪魔をするものを入れなければ)

これからは時間の概念が変わっていきます。

それによって、みんなすばらしい未来を想像(創造)するようになります。

病気の人は、健康をイメージし、貧困の人は豊かさをイメージし、人間関係がうまくいっていない人は、みんなが調和している姿をイメージする

そんな素晴らしい世の中がやってくるのです。

果因説については、もう何度もここに掲載しましたが、今回も載せることにしました。

人間がこれから明るく生きていくためには、絶対に必要な考え方だからです。

みなさんも是非、明るい未来をイメージしてください。

時間は未来から今へとやって来るのです。

 

世界人類が平和でありますように
 

 

因果律と果因説の違い


過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か

 

次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを持って)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

    

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版

2017年6月 1日 (木)

愛は地球人類を救う、あなたは未来を変えられる




私はノンフェクション(真実)の感動する話を聞いたときに魂が震えるような気持ちになります。 (2011年12月1日のブログより)

これが幸せ感だと思うのですが、それはどういう内容なのかと申しますと利害関係を超えた人類愛や肉体人間の常識を超えた奇蹟の出来事などです。

そこには人間の素晴らしさ、神性が顕われているから・・・

「人間って凄いなぁ、素晴らしいなぁ、神そのものだなぁ、捨てたものではないなぁ」

と希望が湧いてくるんですよね。

では、私が感動したノンフェクション(真実)の話、白光誌の中から抜粋します。







永田勝太郎博士と鎌田實博士との対談から



鎌田 僕は最近 『アハメドくんのいのちのリレー』という絵本を出しました。

どんな話かというと、六年前に12歳のパレスチナの少年がイスラエル兵に撃ち殺された。

ところがその後、兵士に殺された息子の臓器を、敵国の心筋症の子供を救うためにそのお父さんが差し出したんですね。

僕は去年現地へ行って、そのお父さんに直接聞いてみたんです。

「何十年間も憎み合ってきた民族同士で、しかもあなたは大切なお子様の命を奪われた。それなのに、なぜそんなことができるんですか」。

するとこんな答が返ってきたんです。

「海で溺れている人がいたら、泳げる人間は飛び込むだろう。その前に溺れている人の国籍や宗教は何かなんて聞かないだろう」と。


永田  それをさらりと言えるのが、また凄いですね。




この下りに、私は感動を覚えた。

人は、高い意識が現われた真実(ノンフェクション)の本を読むことにより、知らないうちに理屈を超えて感動できるものなのである。

真理の本ばかりでは、難解でなかなか心の中に浸透しにくいが、そうした真理の本や哲学書、倫理や道徳の本と同時に、ノンフェクションの本をひもといてゆくと、自然に心が開けてきて、ついに崇高な真理が魂に響いてくるものである。

真理の本のみでは、知性で理解できても、感情的になかなか受容しにくいものである。


同じく永田博士と鎌田博士の対談からもう一つ、V・Eフランクル博士の素晴らしい果因説(かいんせつ)の生き方を示した実話を、皆様方とシェアしたいと思う。


ドイツのナチス政権下に生きたフランクリン博士は、家族と共にアウシュビッツ収容所に連れてゆかれたという。

そこで愛する妻と子どもたちと両親は、ガス室に連行され、あるいは飢餓で命を失ったが、彼はどんな過酷で悲惨な状況に置かれても、決して生きることをあきらめることなく、常に希望を失わなかった。


・・・・・


またアウシュビッツでチフスに罹った先生は高熱を発しました。

本人は医者だから自分の予後(よご)が分かる。

今夜寝てしまったら、私は明日の朝、死体になっているだろう、 と。

だから自分の脚をつねりながら、眠らないようにしていたというんです。

 一方、頭の中では何を考えていたかというと、自分は米軍に救出されてウィーンへ帰る。

そして『一精神医学者の収容所体験』という本を書き上げ、それが世界的なベストセラーになってカーネギーホールに呼ばれると考えた。

そのホールを埋め尽くす聴衆を前に講演を終え、大喝采を受けている自分の姿を想像していたというんです(笑)。


今夜死ぬかもしれないという、その最中にですよ。

・・・・・・




その後、彼はどうなったか。

彼はついにアウシュビッツを出て、自分の果因説の通りに生き抜いたのである。

人間は自分が思い描いたり、計画していることは、本来、何でも実現、成就できるものである。

ただし自分自身で疑わなくばのことであるが・・・・・。

人はみな、常に自らの思考想念をある明確なる目的達成のために注ぎ、自らの生命エネルギーを使用すべきなのである。

枝葉の諸々の想いに把われたり、苦悩や哀楽に執着したりして、無駄なエネルギーを使用すべきではない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



  白光誌 12月号より 西園寺昌美


 

2017年5月29日 (月)

明るい未来をイメージすればその通りになってゆく(果因説)




世界平和の祈りが過去、過去世を浄め、現在や未来が善くなってゆくと書きましたが、祈りつつも暗い気持ちで、ただやみくもに祈りを繰り返しているだけではなかなか未来は明るく、善くなりません。

それは気持ちがまだ、過去を向いているからです。

今、明日のことより、昨日、過去のことを想い後悔しているからです。

想念エネルギーが過去に向いているので未来に希望がカタチになって現われて来ないのです。(無限なる光!)

想いがカタチ(現実)をつくるのです。

そのためには、明るい未来を心に刻印する必要があります。

これまでは、過去の原因が現在に現われる因縁因果説(因果律)があたり前のように言われていました。

しかし、因果律に把われているとエネルギーが前に流れないのです。

過去を引きずるからです。

これからは果因説です。(明るい未来を心に刻印する)

過去のことは忘れましょう。

過去に向けていたエネルギーを未来に注ぎましょう。

世界平和の祈りと果因説でアセンションは完成へと向かいます。




因果律と果因説の違い


過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か

 

次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを持って)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

    

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版





 
 

2017年4月10日 (月)

時間は未来からやって来る(果因説)

 

私たちは、時間とは過去から現在、そして未来へと流れていくものだと思い込んでいます。

それは、人間が勝手に考え出した時間の流れの概念なのです。

私たちが住んでいる宇宙には、時間はないのです。

過去も未来も現在もない(時空を超えています)

だとしたら時間を未来から現在へと自由に流すことができるのです。

イメージトレーニングがあります。

スキーなどで自分がうまく滑っている姿をイメージし続けて

現地に着く、そしてそのイメージのまま滑ると、イメージ通りに滑れている

格段に上達しているのです。

これは、上手に滑っているという未来の形を先に創ってしまうということです。

宇宙は、人間の想像した通りに創造されていくという法則があります。

人間は創造主(神)であるからです。

思った通りの自分になれるのです。(マイナスなど邪魔をするものを入れなければ)

これからは時間の概念が変わっていきます。

それによって、みんなすばらしい未来を想像(創造)するようになります。

病気の人は、健康をイメージし、貧困の人は豊かさをイメージし、人間関係がうまくいっていない人は、みんなが調和している姿をイメージする

そんな素晴らしい世の中がやってくるのです。

果因説については、もう何度もここに掲載しましたが、今回も載せることにしました。

人間がこれから明るく生きていくためには、絶対に必要な考え方だからです。

みなさんも是非、明るい未来をイメージしてください。

時間は未来から今へとやって来るのです。

 

世界人類が平和でありますように
 

 

因果律と果因説の違い


過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か

 

次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを持って)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

    

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版


  

2017年3月11日 (土)

未来→現在→過去へと時間は流れる



時間は過去から現在未来へと流れると私たちは思っています。

しかし宇宙は時空を超えているので時間は存在しないのです。

であれば、

未来から現在へと時間を流すことが出来るのではないか?

イメージ(想像)したことを、創造させる力を人間は持っていると、私は思うのです。

今までは過去の結果が現在という因果律が主流でした。

だから過去から現在へと時間は流れた

だが、しかしこれからは未来から現在へ時間を流す

『果因説』 という考え方が主流になっていきます。

するとほんとうに未来から時間がやってくることになります。



 未来→現在→過去





次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対し
て、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体
の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決
まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結
果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結
果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ
手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれ
ば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来な
い以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが
出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるよう
に書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていって
しまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを見て)、投げる
のです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだそ
の希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千
枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、
必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い
描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」

 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すこと
により、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来につい
て思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、

それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、

過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に
向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質
が目覚め、人生は好転するのです。

 「果因説」 西園寺昌美 白光出版


 

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