2017年10月25日 (水)

人間はいつの間にか瞬間移動している



感想・・・「心ここにあらず」とは、肉体はここにあるけれど心は他のことを想っており、魂が抜けた状態を言います。

他人の話を聞かず、自分のしゃべることばかりを考えている人は、心がこもっておらず、ただスピーカーのように頭にひっかかってくる言葉を並べているだけと言ったら言い過ぎでしょうか?(笑)
 
人の話は心から相手の人と一体になって聞かなければならない、でないとほんとうのコミュニケーション(対話)は出来ないと思うのです。

そして大事なことは、人間とは光のエネルギー体(波動体)であり、肉体の中に魂や心が宿っているのではない、ということです。

これってどうでもいいことだと思っている人がほとんどだと思います。

しかし自分が幸せになる意味でも、人類が平和になってゆく上でも、とてもとても大切な、重要なポイントになるのです。

今、読まれていてピンと来なくても、なんとなくでもわかってもらえれば嬉しいです。

私はこれからも真理を書き続けてゆきます。




『人間はひびきである』


人間の存在というものは、その場所に肉体がいなければ、その人が存在しない、というものではなく、そこにその人の肉体身がいるから存在しているというものでもなく、そこにその人の心のひびきが伝わってきているか、きていないかによって、その人がそこに存在する存在しないということになるのです。

これは普通の人には難しい言い方になりましたが、その人の心がそこに無ければ、その人の肉体身がそこにいてもその人がそこにいないとのと同じことである、ということなのであります。

もっといいかえて申しますと、多勢の人が同じ部屋にいたとしまして、その各自が、お互いの家人や知人のことを思いつめている時に、その人の心はその家人や知人の人のところにいるのでありまして、その部屋には単に形だけが存在しているわけで、その人の実体は、家人や知人のところにいることになるのです。

こういうことは、科学面の発達によっても次第にわかっては参りますが、人間の本質は心そのものにあるので、心が生命を自由自在に働かせて真実の人間世界を創りあげてゆくわけなのです。

現在の地球人類というものは、まだ真実の人間が現われきっていない姿でありまして、人間とは肉体身というような固定したものではない、ということが、電波や光波の発見発達によりまして、段々と判らされてゆく過渡的な存在なのであります。

そこで私たち宗教者の役目としては、そうした科学の面からでなく、直覚的な面から、人間は単なる肉体身ではないのだ、ということを人々に知らせてゆかなければならないのです。



『肉体人間観から永遠の生命観へ』


人間は肉体身だという観念をいち早く超えなければ、人類は必ず滅びてしまうからなのです。

何故ならば、相対界に住んでいる限りは争いは尽きぬし、永遠の生命から離れた人間界は、その想念の通り、限りある年限で終ってしまうからなのです。

人間はどうしても、肉体身という限りある人間観でいてはならないのです。

肉体人間観では、自己を滅ぼすと同時に地球人類をも、永遠の生命から切り離してしまうことになって、地球人類は滅亡してしまうのです。

自己を救い、地球人類を救うもの、それは、人間観の転換による他はありません。

有限の世界観から無限の世界観に、肉体人間から永遠の人間観に、地球人類の心を向け変えなければいけなのです。

自分だけが善ければよい、自国だけがよければ、自民族だけが、というような想念は、すべて肉体人間観からくるのであって、永遠の生命の流れとして、働きとしての人類なのだ、という観点にたった人々には、そうした利己的な想いはないのであります。

現在の日本国は、単なる一小国の日本ではありません。

地球人類に永遠の生命を輝かせる為の大きな一つの役目を持った日本国なのであります。

そうした真理を心身に感じた愛国心で事に当たらないと、日本を四分五裂してしまいます。

人間は、神の分霊であり、大生命の分生命であります。

宇宙に充ち充ちている生命の光が、お互いに交流し合い和合し合って、神の大交響楽が、この地球界にも誤りなく演奏せられるのであります。

七十年八十年で死んでしまうような肉体人間観では、この神のオーケストラの素晴らしい大光明に接することはできません。

大神様は現在各守護神と分れ、そしてまた、救世の大光明として、一つの働きに結集され、地球人類に永遠の生命を輝かし出そうとしておられるのです。


世界人類が平和でありますように


私たちの世界平和の祈りは、こうした大神様のみ心の下にはじめられた祈りなのです。

病気も不幸も災難も、自他の想念行為の誤りも、みんな、神のみ心を離れていた想いの消えてゆく姿として、改めて神のみ心に感謝しつつ、世界平和の祈りの大光明の中に入れてしまうのです。

そこに自ずから新しい生命観が湧きあがり、知らぬ間に、肉体人間観を永遠の生命観に切り替え、各自の本心が自然と開発されてゆき、日常生活がそのまま生き生きとしてくるという、最も容易なる世界人類救済の道が開かれてゆくのであります。




『神は沈黙していない』 五井昌久 白光出版

   

2017年10月13日 (金)

死をハッキリと説く

 

 
先日、義父の七回忌があったのですが、その時にお経を唱えてくださったお坊さんは唱え終わると遺族(6名)が残り正座をしているにもかかわらず、お天気のよもやま話をしたのち足早に帰ってしまったのです。

私たちは何か為になる説法でも聞けるのかと少し期待していたのですが、あれでは「お布施だけが目的だったのか?」と思われてもしかたがありません。

「義父は今どこへ行っているのか?」「元気で暮らしているのか?」「人間は死んだらどうなるのか?」「私たちを見守ってくれているのか?」など、お坊さんであれば知っていて当然だと思うし、またそれを伝えるのが役目だと思うのです。

少しおかしな表現かもしれませんが、お坊さんのような宗教者には、死後の世界を説く、プロであって欲しいのです。

そして死に携わる仕事をしているお医者様、看護師さんなども患者さん、それも子どもに肉体の死後には別の世界があり、生命は生き続けることを語り伝えることが出来たらどれだけ安心出来るでしょう。 死後の世界(他界)に恐怖心を持つことなく旅立てるでしょう。

私は、それが自分の体験したことでなくてもかまわないと思うのです。知識だけでもいいのです。


「嘘も方便」でもいいと思うのです。

他人の死だけではなく肝腎な自分の死に対して、真剣に考える、そして知ることが、今を真剣に生きることだと思います。

五井先生のお弟子さんだった高橋英雄さんが五井先生の死観をハッキリと述べてくださっています。

今は、あやふやになっていること、縁起でもないなどと封印されていること、人間として知っていて当然だったことをハッキリとハッキリさせる時に来ていると思うのです。




本文

 

五井先生は輪廻転生を認めています。

したがって、死後の世界があることも確認していらっしゃるし、死後の世界の様相も教えてくれています。

死が迫った病人に、「死んだらどうなるのか?」と質問され、家人や医師や看護婦が、あるいは僧侶などが 「死んでみなければわからない」 とか、死後の世界のこと、人間の生命の行方のことについて、何の知識も持ち合わせていないがゆえに、曖昧にしか答えられない、あるいは質問をはぐらかしてしまったりすることは、五井先生の説いていることを学んでいる人にはあり得ないことです。

これから死に赴こうとする人の真剣にして真摯なる問いに、少なくとも宗教家が答えられないとは、まことに情けないことです。

五井先生や他の霊覚者のように、死後の世界を見聞し、体験として知っていなくとも、人間の魂の問題、安心立命を扱う宗教者は、神霊について、死後の世界について、知識として学んでおくべきだと私は思います。

死んだら死後の世界がある。

自分という意識がなくなることは、決してなく、魂として生きつづける、と知っていれば、それが本から得た知識だとしても、質問を受けたときに伝えられます。

伝えられた人は、安心して彼の世に旅立つことができるでしょう。

死にゆく人が大人でもなく、子どもの場合、その効果は大きいものです。

死後も生きている、親しい人に囲まれて、という指導のもと、新しい世界で生きるのだ、と知ることは、どんなに子どもの心を明るくし、安らかにするかわかりません。

私は五井先生から耳で聴き、本で読み、死後の世界のことを知りました。

「死んだらどこへゆくのか?」「死んだらどうなるのか?」という真剣なる質問にも答えられます。

真剣にして真摯なる質問をはぐらかして、そのまま放置して平気でいるのは、宗教者として怠惰でありましょう。

お釈迦様は、お経の中でたびたび「これこれこういう前世の因縁で、今、こうなっている」ということをおっしゃっています。

ご自分の過去世のこと、前世のことにもしばしば言及なさっています。

前世、過去世のあることをお釈迦さまは知っていたからこそ、そうおっしゃったわけです。

前世、過去世を認めるということは、来世つまり人間の死後の世界と次の世の存在もご存知であったわけで、お釈迦さまにとってそれはごくあたり前のこと、常識であったでしょう。

けれどハッキリとお経の中で言及なさっていないので、お坊さんもハッキリとおっしゃらないだけで、ご自分の経験として魂の行方、死後の世界のことをご存知のお坊さんがたくさんいらっしゃると思います。

その経験をぜひ表に出して、人々の迷い、不安、恐怖を取り払っていただきたい、と切に思います。

現在は心の時代、と言われますが、その心も肉体に付随する心のことであって、肉体の死滅とともになくなってしまうような、はかない心です。

人間死んだらゴミになるなんて、とんでもない誤解です。

まだまだ物質思想に人は把われております。

人間は死んだあとも生き続けるわけですから、宗教者が導師となって、魂の行くべき世界へ導いていただきたい。

葬式というのはそのための大事なセレモニーだと私は思います。

ただ生きつづけるだけでなく、進化向上している、ということを、五井先生の著書(特に『神と人間』)より学んでいただきたい、と切に思います。



『神の満ちる星の話』 (五井先生が語った地球と人類の未来図)高橋英雄著 白光出版



 

2017年9月20日 (水)

霊能についてわかりやすく教えてください



私たちは肉体が自分だと思っていますが、真実は肉体(物質)は消えてゆく仮の姿であり、私たちの本体は霊(神霊、神)なのです。

ですから誰にでも霊能があって当然であり、お釈迦様やキリスト様のような奇跡を起こすような神通力や神秘力があることもまた当然なのです。

しかしその力を得たいと思っても、神様が「おまえは神そのものの意識である、愛そのものである(か~あ み~い)、だから神と同等の力を授ける」と認めてくれない限りは与えられないのです。

それ以外は霊力ではなく、幽界のおばけちゃんによる邪な念力、幽力なのです。

そのことがわかりやすく書かれている五井先生の文章をご紹介します。

霊力、霊能に興味がない普通の人にも読んでいただきたいです。




『誤った霊能』


真の霊能と魔境的、迷いの心の幻覚、幻聴とは違います。

魔境とは、まず最初に自己の力を誇示したいとか、自己の都合のよいようにその力を使いたいとかいう想念でなった霊眼、霊聴、霊言のすべてを言います。

そうした想念が魔境的想念なのでありますから、そうした想念統一でなった霊能は、全部一度打ち消してもとの普通人に還らなければいけません。

それは例えば霊眼に仏菩薩の姿がみえ、霊聴に神と称しキリストと名乗って聴こえてきても、これはダメなのです。

何故かというと、自己利益的欲望では、絶対に神仏の真の力をいただく境地にはなれないからです。

魂の開発向上に少しも役立たぬばかりか、ついには自己の身を滅ぼし、他人の魂を傷つけ、歪めてしまうようにもなるのです。



『真の霊能の条件』


愛が深いということは、魂の清さ高さを端的に現わしているからです。

自己を深めたい、人を救いたい、人のために働きたい、人の世のために全力を挙げたい等など、常に自己の力を他に捧げたい、という愛の心が根本になって、開発された霊能であることが第一です。

だがいかに深い愛をもっていても、霊視、霊聴、霊言を審判もせず、ただやたらに信ずるようではいけないのです。

霊能があるからといってすぐ有頂天になったり、すぐに人に告げてみたりする軽率さでは、守護神はその人に及第点を下さらないのです。

もしその人に深い洞察力がなければ、出てくる霊能を否定し尽くすことです。

否定して否定して否定し尽しても、どうしても消えぬ霊視であり、霊聴であり、霊言だったら、それは真実のものと判断すべきです。

  

 

『守護神の指導にまかせよ』


もっと危険性のないことは、出てくる霊視、霊聴、霊言に把われず、わが天命をまっとうせしめ給えの祈りと、守護霊、守護神の加護を念じつづけることです。

そうしていさえすれば、霊能になる天命のものなら、必ず善き霊能者として社会人類のために働かせて下さるのです。

もしそうしているうちに霊能が消えてしまったとすれば、その人の素質が外に現われる霊能ではなく、内部からの直感的働きとして、職業生活を通して、天命を完全に遂げてゆく素質であるということになるのです。

真の霊能はすべて守護神の指導によるものであり、魔境的、外道的霊能は、幽界の悟らざる霊魂たちの興味本位の肉体界への働きかけによるのです。




【日々の祈り】 五井昌久 白光出版



 





 

2017年8月 7日 (月)

ほんとうの自分はどこにいる?


 
大昔の人で、浦島太郎のように急に現代にやって来て、もっとも驚くものの一つにテレビがあると思うのです。

四角い箱の中に人間が映っている、それも自分の知っている人が映っていたとしたら、その箱の中に人間が入っているのか?と思うかもしれません。

しかし本人はテレビ局に居たり、テレビカメラの前に居たりするのです。

それと同じように肉体人間とは、人間の現われのほんの先っぽであってほんとうの自分(本心)は、幽界、霊界、神界を超えてもっと奥の世界に居るのです。(神界よりも奥です)

人間が迷い苦しみ、病気、貧乏など不調和な状態にあるのは、本心イコール肉体の自分になっていないからです。

頭のてっぺんを百会(ひゃくえ)というのですが、ここには、本心からの光が真っ直ぐに降りて来ているのです。

この光、エネルギーのことを霊要素というのですが、この霊要素が入らなくなると人間は肉体界を離れ、幽界、霊界、神界へと往生(生きて往く)するのです。(つまり肉体の死)

神界の美しい光がそのまま映っていれば、覚者、聖者、悟った人、まともな人なのですが、霊界の低い層で少し汚れ、幽界で業想念にまみれ、肉体の百会に映って来たときにはすっかり汚れ切っているのです。

それが「ああだこうだ」であり「あいつは嫌いだ、好きだ」「あんな奴死んでしまえばいいんだ」であり「どうしていいかわからない」・・・・等の迷いの元凶となるのです。

人間が愛に溢れ、本来の素晴らしい姿を顕わすには、幽体、幽界(幽体は個人、幽界は人類)を浄めなければなりません。

世界平和の祈りは、宇宙神の理念であり、宇宙最高の祈り言霊であり、人間が肉体界を去ってもずっと祈り続ける宇宙共通の祈りなのです。

そんなもの凄い祈りが、人間が作った業想念を消せないわけがないのです。

祈っていると今まで気にしていたことがどうでも良くなります。安心感が湧いて来ます。今までどうしても許せなかった人を許せるようになります。

それは業想念が消えたのです。心が晴れたのです。浄まったのです。

物事は、目に見えない心のエネルギーが変化してから目に見える現象が起きるのです。

心が主で肉体(物資)が従です。

世界平和の祈りを祈ったからと言ってすぐに奇跡が起きるかどうかはわかりません。

人によって幽体の汚れ具合が違うのです。

しかし光が入ることによって闇は小さくなるのです。大難が小難になるのです。

これが消えてゆく姿です。最後に残るのは神さまの光だけです。

白光以外のくすんだ光は、世界平和の祈りで消されてゆき、益々綺麗になって行きます。

人間のミッション(使命、天命)とはほんとうの自分(神)を肉体界に現わすことです。

それしかありません。

「医者になりたい」「大統領になりたい」「大金持ちになりたい」・・・・などはほんとうのミッションではありません。

そこに人類愛があったとしても、すべての個人的なミッションは「世界(宇宙)人類が平和でありますように」の祈りの中に入ってしまいます。

五井先生が「世界平和の祈りを基盤として日常生活を送りなさい」とおっしゃっているのはそういうことです。

世界平和の祈りを祈っていると個人の願い事はすべて整うことになります。

話が逸れてしまいましたが(笑)ほんとうの自分は肉体というちっぽけな存在ではない、宇宙大に拡がっているとてつもなく大きな存在なんだということを知ってください。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 

2017年7月27日 (木)

4次元、5次元とは



本当の親、真実の親とは自分の子を私物と見るのではなく、木の上に立って見れるようになれる人だと以前のブログに書きました。

自分中に子があるのではなく、放して観るのです。

すると大きな目で俯瞰的に観れるようになる。

他人の子と自分の子が分け隔てなく観れるようになる。

自分の子、他人の子という意識が無くなる。我が無くなる。

悟るとは、自分が勝手に作っている壁の差を取ることだとどこかで聴いたことがあります。

そして、肉体人間の自分を少し離れたところから観ている自分がいる。これが4次元です。

そしてその観ている自分をまた、離れたところから観ている自分がいる。これが5次元です。

恐らく、4次元から観た自分は今までの自分(3次元、肉体界)とはまったく違うと思うのです。

そして5次元になった自分が観る景色もまったく違うのだと思います。

私は時々、シュミレーションしています。

自分でイメージして多次元へ行くのです。宇宙旅行をしているのです。

世界平和の祈りをしていると意識は神界(宇宙)にあるので、4次元に繋がりやすいのです。

今、私たちは肉体意識から神意識へ宇宙意識へ、人間が大きくシフトする時期に来ています。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます





  

2017年7月 2日 (日)

人間には無限の神秘力がある

  
 

現役大リーガーのイチローは、前世では忍者だったそうです。

あの守備、身のこなしはただ者ではないですね。

そして背番号の51は五井先生を表わしているそうです。

五井先生もイチロー選手も天に通じていた天才だったことは共通しているようです。

しかし五井先生もイチローも、とっぴょうしもないことを言うのではなく当たり前のことを言っておられます。

私はイチロー語録が好きでよく読んでいたのですがその中で、

「目標は低いほうがいい」 があります。

目標は低く設定してそれを何度も毎日クリアしていくことで自分に自信を付ける、小さな自信の積み重ねが大きな自信、そして目標につながる。

気づいたときは人間智では考えられないくらいのことが出来るようになっている。

天才は、努力によって生まれるということなのですが、今、嵐の大野くんが映画でやっている忍者は、何メートルもの高さを、鳥のように飛んでいます。

オリンピックの走り高跳びに参加したら絶対に金メダルでしょう(笑)

どうして忍者は飛べたのか?

それは幼い頃からの訓練がありました。

3歳くらいの小さい時に、3センチくらいに育った苗木を飛び越えさせるそうです。

3歳でもそれくらいだったら簡単に飛べる。

そして次の日もまた次の日も簡単に飛べるのです。

それはあたり前でもあるのですが、自信につながります。

「絶対に飛べるんだ」 と心にインプットされます。

そして苗木はいつの間にか樹になり、50センチになり、1メートルになり2メートルになり、5メートルにもなる。

幼子も少年期を迎えるが、気が付いたときには、5メートルを飛べるようになっているのです。

イチローはこの頃(忍者だった頃)を覚えていたのかもしれません。

だから「目標は低いほうがいい」 という発想が生まれたのだと思います。

世界平和の祈りも毎日の積み重ねです。瞬々刻々の祈りが大切なのです。

目にはみえないけれど確実に世の中に役立っています。

人類がつくってしまったマイナスの想念エネルギーを消してプラスに変えています。

世界を平和に導いています。

宇宙に刻印しています。

そのエネルギー(言霊)が臨界点を超えたとき、アセンションを迎えるのです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



  
 

2017年6月 3日 (土)

霊能者と霊覚者は違うのです



   

日々の祈りから

  

霊能者とは一般の人々には見えもしない姿や声を聞いたり、人の想いがわかったり、運命がわかったり、過去世における状態がわかったり、医薬を使わないで人の病気を直したりする人をいうのです。

そうした人々はその人の人格の高い低いにかかわらず、霊能者といわれます。

だから運命の予言や病気直しは上手だが、人格としては頂きかねるという人もあるわけです。

人の想いがわかったり、運命の予言ができたり、病気を直すことが上手だったり、肉眼で見えない世界が見えたり、という能力があったとしても、その能力がかえって相手の本心開発を遅らせる、自我欲望達成の具となるだけだったら、その霊能者も相手の人も不幸であるばかりでなく人類の進歩にもよくないことになるのです。



  

               『日々の祈り』 五井昌久  白光出版



 
感想
 

私たちは現世利益にこだわります。

すぐにお金持ちになりたい、すぐに病気が治って欲しい、すぐに善い事が起って欲しい

そして魂の成長よりも、今(現世)の利益を追ってしまうのです。

でも、私たちの本当の親である守護霊、守護神たちはそんなもの(現世利益)などはどうでもいいと思っておられます。

かえって魂の成長には、邪魔なものだと思っておられるのです。

なぜなら、魂は永遠だから、現世のほんの一瞬の出来事なんて問題にしていない。

そんなものが一時的に善くなったところで、永遠の生命からみれば取るに足らないことなんです。

それよりも魂が進化していくことの方がずっとずっと大切なことなんです。

しかし私たちは違う

そこで肉体人間の浅はかさと守護霊様、守護神様との考えの違い、ギャップが出て来るのです。(それが病気、貧乏、不調和な出来事など)

なんにもわかっていない肉体人間は、魂の成長を放っておいて現世利益ばかりを求める

守護霊、守護神は時期を観て本心(神)の方を向かそうとしている。

真理に目覚めさせようとしておられる。

肉体人間と守護霊、守護神の間に入って、絶妙のさじ加減でバランスを取ることの出来る人が、霊覚者です。

このような人は今の日本に3人もいません、後はすべて霊能者です。

しかし低い意識の霊能者は、ただ現れて来た現象を表面的なものだけを良くしようとしている。

除霊を浄霊といつわり、悪霊は取り除いたと豪語する(消したわけではないのですぐに戻って来ます)

一時的に病気を治したフリをする(守護神がすぐに元に戻します)

それでも肉体人間にとっては、ありがたいことなのかもしれません。

しかし永遠の生命からすると余計なことをされてしまっているケースが多いのです。

病気や貧乏は大切なことに気づかせるためにわざと守護霊、守護神がさせているのです。

やろうと思えば、守護霊守護神は肉体人間の病気なんて一瞬で治すことが出来るのです。

でもそんなことをしても魂の成長にはならない・・・・。

守護霊、守護神様が本当に伝えたいことは、

「お前の中に神がいるんだよ」

なのです。

自立させようとしておられるのです。

「お前の中に神があってどんなことでも出来る力を持っているんだ」

それが究極の真理なのです。

それがわかるために何回も何十回も何百、何千、何万回も輪廻転生をしてきている。

それが台無しになってしまう。

病気を治すのは、お医者様の仕事だし、自分の中の自然治癒力(自分が神であることを知って)、波動調整で治していくものです。

霊能者の使命(ミッション)ではないのです。

霊覚者であれば、魂の成長を推し量りながら、守護霊守護神と相談しながら、指導を受けながら治すこともあるのです。


ただ、お金儲けのためだけに治すのとは、雲泥の差なのです。


「医者なんかになにが出来る」

「俺は人の病気を治すことが出来るんだ」

という浅はかな霊能者は自分自身も滅ぼすし、相手の魂の成長も遅らせることになる。

これは大変な罪作りです。

そのことを知ることはとても大切なことだと思うのです。

私たちがそんなものに頼らず自立することが大切です。

霊能者や霊覚者(居たとしても)にも頼るのではない

自己責任だと思います。

 



  

2017年4月23日 (日)

私たちの本質は『霊体』である

 

またまた、宇宙が味方する経営からの抜粋です。

この本は正しい経営のあり方も教えてくれるのですが同時に人間とは何かについてもすごいヒントを示してくれています。

私たちは自分をこの肉体だけだと思っています。

心も肉体の一部であって肉体の死はイコール心の死であると 本当にそうでしょうか?


本文


私たちの祖先は、けっして物質偏重の価値観を持っていたわけではありません。

むしろ、大昔の人々は、霊的な感受性に優れていました。

古代の人は自然現象やことばといった目に見えないものに霊的な存在を見出していましたし、世の中のすべてのものに魂が宿っていると認識していました。

それと霊的交流をして感動を覚えていたのです。

しかし、今の時代はこの感動を失い、ものがすべてであると考え、お金や地位といった物質社会における価値観にとらわれるようになってしまいました。

とはいえ、少し発想を変えるだけで、たとえ物質世界に生きていても、物質を超えた価値観を持って生きることができるのです。

それにはどうすればいいかというと、次のように悟ることです。


「私たちの本質は『肉体』ではない。

私たちの本質は『霊体』である」

つまり私たち自身においてもっとも重要なのは、形ある「肉体」ではなく、形のない魂や精神である「霊体」であるということです。

すなわち私たちの実在は見えない「心」であるということです。・・・終



私たちの実在は見えない「心」であるといわれてもすぐにそうかとは思えません。

でもそう思ったほうが自然に自由に生きられます。♪

肉体は心を纏(まと)っている器であって服のようなものです。

服がボロボロになってもこころ(生命)は永遠に生き続けます。

2017年4月21日 (金)

人間とは実に神秘的です。




夢はなぜみるのかといいますと、実はみているのではなく、みせられているのだそうです。

実は私は今朝方、車を運転していて、人を轢いてしまった夢をみたのです。

ハッとして目が覚めたのですが、そのとき感じたのは

「ああよかった現実でなくて、これは多分夢で消してもらっていなければ本当に起きていただろう」

だったのです。

そして、消していただいたから(守護霊守護神によって)と安心するのではなく、警告と受け取り、運転には十分気をつけようと思ったのでした。

だから夢をみたのではなく、みせられたのであります。

夢をみているときの人間は、肉体から意識が離れ幽界、霊界、神界へと行っているそうです。

そしてそれらの世界で働いている、寝ている間にも魂は働いていて、起きると肉体に意識が戻ってくる。

しかし起きたからといって、魂(生命)は肉体だけにあるのではなく、やっぱり幽界にも霊界にも神界にもいるのです。

だけど、私たちは肉体界だけしかないと思っているから、他の世界のことがほとんどわかっていないのです。

私は、これから大事なこととは、私たち人間は、肉体だけではない、肉体界だけに生きているのではない、幽体、霊体、神体という体があるんだ、幽界、霊界、神界という世界があるんだ、本当の自分は神界にいて、そこから霊界、幽界を経て、肉体界に移って来ているんだ、ということをハッキリと知らなければいけない時期に来ていると思うのです。

もちろん3次元的なことも大切です。

仕事のこと、家庭のこと、人間関係のこと、お金のこと・・・・・・

しかしこれら目にみえることは、目にみえない世界の影絵なのです。

目にみえないものが見えるという形になって現われているのです。

みえないものが主で、見えるものが従なのです。

だから目にみえない世界が整えば、自然と見える世界は自然と整ってくるのです。

だから、目にみえない世界、本当の世界、未来永劫に消えない世界のことを知らなければならないのです。

目に見える世界だけを知ったところで、それは幻をみているようなものです。

消えてゆく泡をみているようなものです。

目に見えるものはすべて消えてゆきます。(肉体もあらゆる物質も)

今まで私たちは、目に見えるものだけを信じてきた

目に見えるものだけが実在しているもの、本物だと思ってきた

しかし、それは違うのです。

目にみえるものだけをみていたら必ずゆき詰まります。

説明がつかなくなる

わけがわからなくなる

それは宇宙全体のほんの一部を見ているにすぎないからです。

しかし、下記の文章にあるように

人間を形と考えないで、波動体、意志、意識、想念であると考えるとすべてのつじつまが合ってくるのです。

先に意志(心)があって、肉体があることがわかります。

意志がなければ肉体は動かないからです。

ちょっと難しいですか?(笑)

でも、とても大切なことだと思うのです。

 




人間は肉体だけのものではない

 
 

人間は神の分生命であり、太陽のような光そのものなのであります。

その光のエネルギー波動が、様々な階層をつくりなしていったのであり、その世界は神界と呼ばれる界もあり、霊界と呼ばれる世界もあり、幽界という波動の世界もあるのです。

そして、皆さんご存知のこの肉体界があるのです。

ですから、私共は肉体の世界に住んでいると同時に霊界にも神界にも住んでいることのなるのであります。

人間を形と考えないで、意志であり、意識であり、想念であると考えてみてください。

肉体自身は、意志をもち想念波動によって、動かされてゆくことは事実でありまして、意志も想念も無く、活動するということはありません。

人間はあくまで生命そのものであり、生命の働きが光の波になり、想念の波動となって、形の世界や運命をつくってゆくのであって、肉体はあくまで、光の波や想念波動によってつくられたものなのです。

それをどう間違えたか、肉体が人間だと思うようになってしまったのです。

    「神は沈黙していない」 五井昌久 白光出版

 

2017年4月20日 (木)

生まれ変わり


 

 



男性が、女性に生まれたり、女性が男性に生まれ変わったりすることが、あるものでしょうか、お教え下さい。








そういうことは随分多い。


それは、前世において、女性としての苦しみを味わいつくし、男に生まれてくればよかった、と固く思いこんだ人、または、その反対の場合、あるいは、因縁解脱への経験を積みやすくするために、守護神が、性別を変えて再生させる。


男性でいて女性らしい人や、女性でいて男性の性格をもっている人などはほとんど前世と今生との性別が変っている人たちである。


霊そのものには男女の別はないので、男女の別のあるのは、魂魄の世界だけである。


観世音菩薩は男か女か、とよく問われるが、観世音菩薩、すなわち神の化身、男女を綜合した現れで、陰陽合体の絶対身である。






  『神と人間』 問答篇 五井昌久 白光出版 






 
感想


霊そのものには男女の別はないので、男女の別のあるのは、魂魄の世界だけである。


とありますが


魂とは幽体のことであり、魄(ぱく)とは肉体のことなのでつまり男女という陰陽にわかれているのは幽界、肉体界だけなのです。


もうすぐ地球は次元上昇して、幽界が無くなって、神界(天国)が現われて来るので、男女というものも無くなるのです。



 

 神界(天国)
 ↓
 霊界
 ↓
 幽界(迷いの世界)
 ↓
 肉体界





あと数年で男女というものが無くなる?


ちょっと信じられないですよね。


アセンション(次元上昇)を別の角度で観てみると、2元対立していたものが、つまり陰と陽に分れていたものが一つになることなのです。


セパレート(分離)されていたものがユニティー(合一)される。


あなたと私は別のもの、敵と味方に分れていたものが統一されるのです。


そのことを 愛(合い)といいます。


地球はセパレートとユニティーを13000年毎に繰り返してきました。


宇宙は、集合離反(しゅうごうりはん)、波動が交わり、離れていったり、またくっついたりしているのです。


その繰り返しで成長していくのです。(前回の集合離反よりも進化している)


男女も同じなのです。


地球上で男と女に神様は分けられました。


でもそれはいつかは合一するためのご計画だったのです。


その時期が来ているのです。


私ごとですが、私は今、高校の同窓会の幹事をしています。


そこで男女が集まっているのですが

お互いに異性を意識しない、相手を人として接していることがあるのです。

そのときには、なにかしら不思議なエネルギーが流れるのです。


心が一つになったような感動を覚えます。

エネルギーが対立、陰陽、壁、2元を超えて融合しているのです。


私はこの融合が 愛 だと思うのです。


今、巷では草食系男子とか肉食系女子とか言ってますよね(笑)

この傾向は、融合するための前段階、プロセスなのです。

男の動物性が無くなって、つまり男女関係の感情が少なくなってきている。(性を意識しなくなっている)

狭い空間に二人で居ても何もしようとしない(笑) (もちろん、その人の前世での経験や意識の段階によってかなりの個人差がありますが)


これは一昔前では、無かったことなのです。


アセンションとは感情が無くなるということです。


感情とは欲のことです。


金銭欲、物欲、食欲、そして性欲


段々と欲が無くなって行くのです。


その中で一番やっかいなのが性欲、色欲と言われています。


最後まで残るのがこの欲なのだそうです。


この欲を超えて地球が完成します。


とりとめのないことを書いてきましたが


男女の垣根を超えて人(霊止、つまり神)として尊敬できる関係が本当の真実の世界なのです。


そんな時代がもうそこにやってきている


なんだか嬉しくなりませんか わーい(嬉しい顔)









補足


近未来にはセックスもしなくなるのです。


そしたら、赤ちゃんはどうやって生まれるんだ?


という疑問が湧きますよね?


それは男女関係なく3人寄って子どもが欲しいと唱えれば


生まれるようになるそうです。


イメージしたことが形になる世界になるのです。(人間は創造主)




わけがわからないですか?


でも、それがもうすぐ現実になるのです。




  

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