2019年1月22日 (火)

スピリチュアルは2割でいい 2

 

 

【斎藤一人さんのお話】

私の元には、いろんな質問が来ます。

不思議な質問もたくさん来ます。

「不思議」という字は、思ってもいけない、議論してもいけないというふうに書きます。

それなのに、不思議なことやスピリチュアルなこと、宗教的なことが大好きで、はまり込んでしまっている人がいる。

これはよくありません。

不思議なこともいいけれど、生活の8割は仕事をしっかりして、人生をしっかり生きて、日常的なことをしっかりやらないといけない。

残りの2割ならば、不思議に割いて、楽しみながらやってもいい。

だけど、不思議なほうに8割も頭がいっているような人がよくいます。

それはとんでもないこと、本末転倒です。

崖から下をのぞくことを想像してください。

体の8割は陸地のほうに置いて、2割くらい身を乗り出して下をのぞくのはいい。

これが、8割身を乗り出して下をのぞいたら、落っこちてしまいます。

「ああ、不思議なこともあるんだな」と、不思議なことはその程度の楽しみにして、自分はしっかり今世を生きないといけません。

仕事をきちんとこなして、お給料をもらわないことには生きられないのだから。

不思議なほうばかりに頭がいってしまうと、仕事を忘れてしまいます。

不思議な話を聞いたり、見たりすると、そこに捕らわれてしまう人が多い。

バランスが悪くなってしまう。

でも、こんな不思議なことを言っている私だって、そうしたことに割いている時間は2割です。

仕事をきちんとやって、税金を払って、家賃を払って、お給料をみんなに払って、きちっとやっているのです。

そうしたことをちゃんとしてはじめて、「世の中って不思議なことがあって、ほんとに幸せだな」と楽しめるでしょう。

人生は心のフィルムを替えるだけで、幸せになれる。 ツイてることが起こる。

そういうことは、ほんとうにあるのです。

それを、「どうして変わるんだろう?」と疑問を持つ前に、まず行動すればいいのです。

日常の生活を、仕事をやる。

その後に、不思議なことを楽しめばいいのです。

8対2の比率を忘れてはいけない。

不思議に興味を持つと、日常のことをきちんとやらないで、ほったらかしにする人がよくいます。

だから、不思議系に興味を持つ人は、いつまでも怪しまれたり、変な目で見られたりするのです。 これは非常に残念です。

不思議に興味を持っていても、しっかり仕事をして、ちゃんと生活して、人間関係を大事にしていたら、とても魅力的だと思います。

仕事もきちんとやっていて、その人に悩みを相談したら、この世のことだけではなく、魂のことについての知識も持っていて答えてくれる。

そういうのは、すごく楽しいと思いませんか?

それも仕事もしないで、生活が不思議ばっかりに占拠されてしまって、お金もなくて、では誰にも相手にされません。

そういう人は、現実から不思議に逃げ込んでいるのです。

私が言いたいのは、心のフィルムを入れ替えれば、チャンスが来るのだということ。

不思議に頼って、願っていても、なんにも起こりません。

ちゃんと行動して働かないとだめなのです。

かけそば一杯だって、きちんと頼んで、お金を払わなければ食べられない。ずっと思っていたって、いちばん安いかけそばだって出てこない。

それが、この世なのです。


『普通はつらいよ』斎藤一人(著)



 


スピリチュアルは2割でいい 1


グッドムーンは宗教的なことや神秘的なことをよく書いているので、スピリチュアルなことが好きなんだろうな!と思われていると思いますが(苦笑)、誤解です。大嫌いです!

私は3次元、肉体界を大切にしています。

他に足が着く、普通の生活をする、ちゃんと稼ぐ、家族や友人、知人たちと良好な人間関係を保つ、健康を維持する・・・これらを一生懸命にしていたらスピリチュアルなことに意識が行くことは、ほとんどないと思うのです。

その日常生活を送った中で神秘的な不思議な体験、経験をした、そこで

「世の中には不思議なことが起こるのだなぁ」「目に見える世界の他に違う世界があるのかもしれない」と思うのは、自然なのかもしれません。

しかしタイトルにあるように2割は神秘的なことに意識が行ってもいいのですが、8割はこの世のことに意識を向けていなければなりません。

仕事や日常生活に占いを利用?するのはとんでもないことです。

なぜ、いけないかというと初めはなんとなく始めても心が捉われるようになることが多いからです。

地に足が着かなくなるからです

自分で決めれなくなる

占いに依存してしまう

良い予想?だとしても悪い予想が出ても 努力をしなくなる

そして、幽界の生物に魂をもてあそばれることになるからです。

一度取り憑かれると一生をめちゃくちゃにされることにもなります。

極道の世界と同じ、麻薬のように抜けるに抜けられなくなる。

魂をコントロールされるのですから、もっとタチが悪いかもしれません。

私は、スピリチュアルなもの、人には一切近寄らない方が良いと思います。

そのような人がいたら止めてあげてください!

次のブログで斎藤一人さんが詳しく教えてくれます。

 

2018年12月16日 (日)

死んでも想念は無くならない

 

 

感想・・・五井先生の文章はなかなか難解のときがあるのですが、人間の生命は永遠である、想念は肉体を去っても無くならない、を頭に入れてから下記の文章をお読みください。
だから想念は、肉体界にいる間に綺麗にしておかないと他界(幽界、霊界、神界)に行ったときに非常に苦しむのです。これを地獄といいます。肉体界の苦しみなんて比ではないのです。

 

本文

永遠の生命を説く場合には、どうしても二通りに説かねばなりません。
一つは、神そのものとしての無始無終に生きつづけ輝きつづけている生命と、その生命の働きとしての光線的働きである個々の生命の光、一つは、因縁因果的に、肉体界、幽界、霊界、神界と輪廻転生しながら、その輪廻の世界を貫いて、ついには神のみ心と直結している自覚をもつに至った人間。
いいかえれば、実在界に在って輝きわたっている生命と、現象界にあって、実在界につらなって働いている自己を認識することによって、永遠を自覚し得た霊魂魄(こんぱく)的人間の二通りであります。
人間は死んでも、個性的に永遠に生きつづけてゆくものである。
死んでも想念はなくならない。

(五井昌久著・高橋英雄編『日々の祈り』355頁 )

  

2018年11月20日 (火)

人間は肉体(物質)ではない、光の波動体なのだ!

 

 

夢はなぜみるのかといいますと、実はみているのではなく、みせられているのだそうです。

実は私は今朝方、車を運転していて、人を轢いてしまった夢をみたのです。

ハッとして目が覚めたのですが、そのとき感じたのは

「ああよかった現実でなくて、これは多分夢で消してもらっていなければ本当に起きていただろう」

だったのです。

そして、消していただいたから(守護霊守護神によって)と安心するのではなく、警告と受け取り、運転には十分気をつけようと思ったのでした。

だから夢をみたのではなく、みせられたのであります。

夢をみているときの人間は、肉体から意識が離れ幽界、霊界、神界へと行っているそうです。

そしてそれらの世界で働いている、寝ている間にも魂は働いていて、起きると肉体に意識が戻ってくる。

しかし起きたからといって、魂(生命)は肉体だけにあるのではなく、やっぱり幽界にも霊界にも神界にもいるのです。

だけど、私たちは肉体界だけしかないと思っているから、他の世界のことがほとんどわかっていないのです。

私は、これから大事なこととは、私たち人間は、肉体だけではない、肉体界だけに生きているのではない、幽体、霊体、神体という体があるんだ、幽界、霊界、神界という世界があるんだ、本当の自分は神界にいて、そこから霊界、幽界を経て、肉体界に移って来ているんだ、ということをハッキリと知らなければいけない時期に来ていると思うのです。

もちろん3次元的なことも大切です。

仕事のこと、家庭のこと、人間関係のこと、お金のこと・・・・・・

しかしこれら目にみえることは、目にみえない世界の影絵なのです。

目にみえないものが見えるという形になって現われているのです。

みえないものが主で、見えるものが従なのです。

だから目にみえない世界が整えば、自然と見える世界は自然と整ってくるのです。

だから、目にみえない世界、本当の世界、未来永劫に消えない世界のことを知らなければならないのです。

目に見える世界だけを知ったところで、それは幻をみているようなものです。

消えてゆく泡をみているようなものです。

目に見えるものはすべて消えてゆきます。(肉体もあらゆる物質も)

今まで私たちは、目に見えるものだけを信じてきた

目に見えるものだけが実在しているもの、本物だと思ってきた

しかし、それは違うのです。

目にみえるものだけをみていたら必ずゆき詰まります。

説明がつかなくなる

わけがわからなくなる

それは宇宙全体のほんの一部を見ているにすぎないからです。

しかし、下記の文章にあるように

人間を形と考えないで、波動体、意志、意識、想念であると考えるとすべてのつじつまが合ってくるのです。

先に意志(心)があって、肉体があることがわかります。

意志がなければ肉体は動かないからです。

ちょっと難しいですか?(笑)

でも、とても大切なことだと思うのです。

 




人間は肉体だけのものではない

 
 

人間は神の分生命であり、太陽のような光そのものなのであります。

その光のエネルギー波動が、様々な階層をつくりなしていったのであり、その世界は神界と呼ばれる界もあり、霊界と呼ばれる世界もあり、幽界という波動の世界もあるのです。

そして、皆さんご存知のこの肉体界があるのです。

ですから、私共は肉体の世界に住んでいると同時に霊界にも神界にも住んでいることのなるのであります。

人間を形と考えないで、意志であり、意識であり、想念であると考えてみてください。

肉体自身は、意志をもち想念波動によって、動かされてゆくことは事実でありまして、意志も想念も無く、活動するということはありません。

人間はあくまで生命そのものであり、生命の働きが光の波になり、想念の波動となって、形の世界や運命をつくってゆくのであって、肉体はあくまで、光の波や想念波動によってつくられたものなのです。

それをどう間違えたか、肉体が人間だと思うようになってしまったのです。

 

 「神は沈黙していない」 五井昌久 白光出版

 

  

2018年9月30日 (日)

すべては波動で出来ている

 



 

以前、メンターからのレッスンを受けているときに

先生が

「世界平和の祈りを祈って、印を組んでいれば、毒を飲んでもその中の良いもの(例えばビタミン)とだけ共鳴して後(毒)は外へ出るのよ」


とおっしゃったことがあるのですが、そのお言葉がずっと私の心に残っていました。


そして先日、ある人から相談を受けたのです。


「今、薬を飲んでいるのですが、副作用があるのです、止めたいのですが、止めると先生から怒られるし、私も不安なのでどうしたらいいのかわからないのです」


そうなのです、薬とは基本的には毒です、副作用は毒だから起こる。


ある機能を整える?抑える?ためには何か(細胞)を犠牲にしなければならない、良くなる?箇所もあれば悪くなる箇所もある。


プラス?を得ようとしたらマイナスが伴う。


癌治療がその典型です。


癌細胞を殺そうとすれば、それに付随している細胞まで殺したり、抵抗力を弱くしてしまう。


でも、本当の治療とは、真の医療とは、マイナスもプラスもすべてプラスに変えてしまうのなのです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

その前に、私たちの体も目にみえるものも、目にみえないものも


すべては波動で出来ています。


目にみえるものは波動が荒いのです、反対にみえないものは波動が細かい。


見えるものも、分析していくと分子、原子、電子、素粒子、そしてもっと細かい波動から出来ています。


そしてその波動が共鳴し合って宇宙は構成されています。


つまり自分の発した波動(エネルギー)に共鳴して色々なことが起こるのです。


よい言葉や思いを発したり、心の中に秘めていれば、それと共鳴して善いことが起こるようになるのです。
 

悪いものが近寄ってきても、波長が合わないものとは決して同調することはないのです。(平行線をたどる)
 

だから、毒(悪いもの)を飲んだところで、決してその影響を受けることはないのです。


世界平和の祈り、印、マンダラは宇宙の波動から出来たものです。


宇宙は、愛と調和と平和の波動で出来ています。


そこと共鳴していれば悪いもの(体に不調和をもたらすもの)とは絶対に交わることはないのです。


守護霊、守護神に代わってあなたに語るの26番目に次のような文章があります。



26、 私は “神の子” であるという徹底的なる自覚がいかなる災いからもあなたを防ぎ、いかなる不幸からもあなたを脱出させる。
 
災いにも不幸にも絶対に波長が合わないからだ。




この通りなのです。


だから徹底させてください。


“自分は神の子なんだ”


と信じ切ることです。


それしか自分を救う道はありません。

自分で自分を救うのです。

自分が神の子であることを信じるために

世界平和の祈りを祈り

印を組み

マンダラを書くのです。

潜在意識の中に“神の子” をたたき込むのです。

やればやるほど、わかってきます。

理屈ではないのです。

やらない人はいくら本を読んで頭でわかろうとしても

腑に落ちない。

実感がないからです。

素直な人は一番先に救われます。

やる人はどんどん変わっていきます。

いや、本来の素晴らしい自分に戻っていくのです。

それを見て、頭で考える人が

「ほんとだったんだ」

と気づくのです。


素直な人は人を救う役割りがあるのです。


素直とは素(もと、つまり宇宙)に直と書きます。


宇宙とつながっている人、真理につながっている人のことです。

 

素直とは最高の才能なのですよ。
 

調和とは


静かで 穏やかで 爽やかな 平和の心をあらわすものである。


波動とは

海の流れ 風の流れ 水の流れ すべての流れの調和のとれた動きをあらわすものである。


気功とは

宇宙根源のエネルギーを源と発し 調和のとれた すばらしい働きをあらわしたものである。


人間とは

小宇宙であり 大宇宙のこどもである。

大宇宙を見ずして 小宇宙はありえない





調和波動気功法 (宇宙天使からの贈り物)于寿明 三晃書房








 

  

2018年9月18日 (火)

お釈迦様は占いを断罪しておられます!


 

 


占いは前世での想念行為がどうであったか?から手繰り寄せ、今や未来を予測するものです。

私は占ってもらう人より占っている人に大変問題ありだと思うのです。

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」というように80%は当たるのです。

2割は当たらない

しかし、問題は当たる、当たらないではなく

占ってもらった人が、占いの内容に振り回される、翻弄される、心が囚われる・・・

その結果、自分で決めれなくなる、責任を取れなくなる、信用を失う、自信がなくなる、行いが精気を失うようになる、運命が狂い始める、破滅する

のです。

 

これは占いが当たったとか、当たらなかったとかは全く関係ありません!

 

占いを信じて行ないに起こした人は必ずと言っていいほど不幸になります。

 

自己責任だとも思うですが、そうではなく占った側の責任、罪は相当に重いのです。


ここにお釈迦様が占いを断罪したお話があります。

占い師の末路は憐れです!



あるときブッダ(お釈迦様)が、当時最強だったマガダ国の首都、王舎城の道を歩いておられると、路傍に、鉄で磨かれたり、火で焼かれるような限りない苦しみを受けている人がいました。

それをご覧になられたブッダは、目連尊者などのたくさんのお弟子たちに

「あの者は、過去世にこの王舎城の町で、女占い師をしていたのだ。
占いで料金をとって、多くの人を欺き、惑わせていた。
その罪によってすでに地獄に堕ち、限りない苦しみを受けていたのだが、
今もこのような身を受けて苦しみ続けているのだ」

と『雑阿含経』に教えられています。

このように仏教では「占いは多くの人を誤らせ、欺き惑わすもの」ですから、
本当ではないことを言ってお金をとるのは、ウソであり、詐欺なので、
自らのたねまきによって自らを苦しめる悪なのだと教えられています。

 

詳しく知りたい人は

    ↓

http://true-buddhism.com/religion/fortunetelling/



 

追伸・・・最近アロマとか、マッサージであるとか人の体と触れる人の中で占いを始める人が増えているそうです。マッサージだけではお金にならない、もっと欲しい。

 

人から「すごい、当たってる!」と言われたい、人の心をコントロールしてみたい、自分が占いを教える側になって「先生」と言われてもっともっとお金儲けをしたい・・・これは誰もが陥りやすい罠(わな)?なのですが、かなりの人が幽界の生物に憑依されています。

 

お金が絡んだらもうダメです。

 

お金は感情(勘定=お金)なので、「それ来た!」と一発で憑依されます。


お金に綺麗であれ、清くあれとはそういうことです。

 

一回憑依されるとなかなかとれません。(何度も魔が差すことになります)

 

非常識な行動を起こし、それによって大切な人間関係が崩れます。お金もエネルギーです。

 

邪な手段で奪い取ったお金は、後で何倍、何十倍になってマイナスで返ってきます。お金はまだいいです。


憑依されることが、一番の不幸につながります。





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年9月13日 (木)

なぜ神社仏閣でのお願いが叶えられなかったのか?

 
神社仏閣でいくらお願い事をしても全然効果、結果が出ないのは、「良縁が授かりますように」とか「商売がうまくいきますように」「母の病気が良くなりますように」など「・・・ように」になっているからだそうです。

 
言葉はエネルギーです。
 
波動です。
 
言葉の言を横にすると口I I I I ・・・口から波動が出ていることがわかります。
 
宇宙は神さまは人間の願いをを受け取り実現させようと動くのですが、
「・・・ように」では、ような状態、つまり病気が治って欲しいと願っている今の状態が叶うのです。
 
中途半端なんですね。
 
ではなく、結果?を報告する。
 
「神さま、おかけ様で母の病気が治りました。ありがとうございました」「商売がうまくいきました」「良い人と巡り会いました、来年結婚します」・・・と
 
嘘を言うのは嫌だ、神さまのバチが当たる、気が引ける
 
と思いそうになっても、「そんなアホな」と思っても、とにかく良い結果を報告し、お礼を言う
 
すると神さまはあわてて(笑)
動いて実現させてくれるそうです。
 
私は神さまに頼んで実現させるのは他力本願だと思っていました。
 
しかし先日の記事に書いたように、自分も創造主なので、自分で自分に宣言し、波動(エネルギー)を動かして実現させる、神さまに頼まなくても夢を実現している人は同じことをしていると思います。
 
ようは、神さまを信じるか?
自分を信じるか?の違いです。
 
このことは『地底人に叱られたい』を読んでわかったことです。
 
もっと知りたい人は、是非読んでみてください!
 
補足・・・結果を報告したとしても棚ぼたのように結果だけが現れるのではなく、願う→プロセス→結果
必ずやらなければならないプロセスが目の前に現れます。
これを雑にやってしまうと後でしっぺ返しがあるのだそうです。
 

 

2018年1月15日 (月)

私たちのミッションとは?

 


巷で「UFOを見た」というもののほぼ100%は幽界のおばけちゃんの仕業、いたずらだそうです。

人間を驚かせて楽しんでいる、

ほんもののUFOは次元が高いので、肉体人間の肉眼では見えないのです。

ところで私たちが今地球に住んでいる理由、目的はなんでしょう?

このブログを読んで、「ふむふむ、なるほど」と頷いている人は、おそらくかなり高い次元の星からやって来た、お掃除屋さんです(笑)

どういうことなんだ?

それは下記を読み進んでゆくうちにわかると思います(笑)




■UFOと塩漬けリンゴ

 1947年6月24日、ワシントン州、レーニエ山で、K.アーノルドによって目撃された9機の飛行物体は、「皿が飛んでいるようであった」という事から、Flying Saucer(フライング ソーサー)と言われるようになりました。それ以後、世界中至る所で目撃者が増え始め、ペンタゴン(米国国防総省)も調査に乗出しました。その時に付けられたUFO(未確認飛行物体)が世界的に公式名となり、一般にも広まっていったのです。

 さてUFOは、現在に於いてのみ現れている現象ではなく、地球の歴史と共に、太古の昔より目撃されている事実が、古文書等を調べれば分ります。UFOは攻撃したり、人々を困惑させる為に、地球を訪れている訳ではありません。私達、全地球人にとって、心して見上げなければならない、“天よりの使者”なのです。

...

 私達は、地球がこれから迎えなければならない大進化の為に、私達に、心からの援助の手を差延べてくれている事を知っています。最近とみに、“世の終わり”という事が言われていますが、終わりではなく、始まり(新時代の到来)なのです。地球は未だ波動が粗く、完全なる姿を現してはいませんが、今こそ、地球人類一人一人が“国”を超越して、 真の平和な心で助け合い、強い絆で結ばれる時なのだと呼掛けているのです。

 “目覚めなさい、塩漬けリンゴ達よ!”という、宇宙からの最初のメッセージを受取りました。これは、地球にいるキリスト族と呼ばれる、ある使命を持った集団に届けられたメッセージです。天孫降臨(神道)、地湧の菩薩(仏教)、天孫降臨(神道)、地湧の菩薩(仏教)、又、宇宙では塩漬けリンゴ、清掃人夫と言われている彼等は、他の天体から地球に移住して来た人々を導き、元の天使の姿(本来の姿)に返そうという、大きな使命を持って地球に来ている、ある宇宙的な集団の事を指していると言われています。
 

 この集団は、遊星から遊星へ、太陽系から太陽系へと移り歩いて行く、“宇宙の放浪者”(ワンダラー)とも呼ばれている特殊な人々なのです。宇宙の中の進化の遅れている星に赴き堕落した同胞に援助の手を差延べて、一日も早く、彼等を目覚めさせようとしている“菩薩”なのです。いよいよ時が近付いて来ました。地球が、ハイ・バイブレーションの新しい星に生れ変わる時が間近になっているのです。一人一人が目覚めて、“地球天国”を作る為の使命を果たそうではありませんか。  

 大天命体(宇宙神、創造主)は、イマジネーション(想像)する事によって、宇宙をクリエイト(創造)しました。そのように、想像は創造する力を持っているのです。今こそ私達一人一人が、心の中に真の平和を描く事によって、地球に永遠の平和を築いて行きましょう。地球は今迄に6回、進化に失敗して来ました。今が7回目の大進化の時なのです。 その転換を成功させるのは、地球人類一人一人の意識に掛かっているのです。大いなる使命を全うしようではありませんか。



光の奉仕人には
 
果たすべき大いなる使命がある。

呼掛けが来る時には

私達の用意が

整っていなければなりません。

そして、その呼掛けは

親愛なる友よ。

そうです。

本当にやって来るのです。

      ー開かれる生命の書ーOXAL

(生前公開許可を得ております、故、恩師エディさんからの貴重な情報を再度投稿させて頂きました。)




 

 

2018年1月 2日 (火)

スピリチュアル、霊能なるものは危険です!



 
これまでに霊能シリーズを並べてきましたが、今世間ではスピリチュアル、神秘的なもの、霊的なもので賑わっています。

一昔前はまだ冷静でした。

そのような類は、世間が拒否していたのです。 怪訝な目で見ていました。それが正解でした。

ところが今はSNSでもテレビでも野放し状態です。

身体に悪い食品が堂々とコンビニ、スーパーで売られているのと同様です。

もし貴方の家族が占いなどを信じ切って、人の忠告を聴かなかったリ、まっとうな社会生活をしなかったり、怠惰になったり、その人に利用され、振り回されたらどうしますか?

それだけではなくもし占いなどで一攫千金を得たとしても、病気が一時的に治ったとしても、一時的に人生が好転したようになっても、それは借金と同じで憑依してきた霊能者あるいは、占い師などに支払わされることになるのです。 あるいはすぐに消えてしまいます。

そして占ったほうも幽界のおばけちゃん(闇の勢力)に操られているので共倒れになるのです。

一般世界(肉体界)とは違う生物になってしまいます。(霊能者の業まで背負わされることもあります)

下記の記事はこれまでの霊能に関するまとめのような文章になっています。

もし、頼ろうとしているのなら思い直してください。





1.いかなる悪因縁といえど、消え去るのである、という想いを持ちつづけ、守護の神霊としっかり心を通じて、つまり守護の神霊の加護に感謝をしつづけ、世界平和の祈りという人類愛の祈りをつづけてゆけば、神の光明は永遠無限のものであり、悪因縁は有限のものでありますから、世界平和の祈りのような善念、光明念波で魂が洗われて、いつかは、晴れやかな、明るい生活を迎えることが出来るのです。

これは守護の神霊の存在と、その働きを体験として経験しつづけている私にとっては、はっきりわかっていることなのです。

そういう自分自身を絶え間なく守りつづけていてくださる肝腎かなめの守護神さん、守護霊さんを忘れてしまって、人の心をちょっと見抜く霊能や、自分の周囲の人に霊動を起こさせたり、異言をしゃべらせたりするインドの昔のバラモン行者のような外道者の幻術に迷わされている人をみると、気の毒になってきます。

人間は誰も彼も、神の子なのであり、誰にも彼にも、専属の守護の神霊の守りがあるのに、何を好んで、自己の本体から離れた、外道の道に迷い込んでしまうのか、ちょっと不可解に想えますが、そういう人たちの想いをみますと、自己の心や現在の環境に不平不満の想いが蓄積されている人や、霊能というもの、普通人にない能力というものに、常に憧れている人、絶えず想念の揺れ動いている人が、そういう形で迷いの道に入ってゆくことになっているようです。



2.人格高潔で調和した人が、霊能力を備えている、というようなら、これは実に結構なことなのですが、霊能者には得てして、人格の常人より低劣な、常識外れの人が多いので、余程気をつけて近づかぬと、霊能者には危険性があるのだ、ということを知らねばなりません。

なんにしても人間は、一人一人がすべて神の子であり、神の分生命であることを知らねばなりません。

そして神が愛であることを知らねばなりません。

どんな不幸災難にしても、現在起こったようにみえましょうが、それらはすべて、過去世から今日までのその人の想念所業が集積の現われでありまして、そうした業の集積が現われて消えてゆくことによって、その人の本心が開き、その人の神の子の姿が輝き出すのですから、消えてゆく業を抑えようとして、神詣でをしても、行者詣りをしても、それは根本の考えが誤っているので、どうにもなりません。

一時は行者や霊能者の力で、その不幸や病気の症状を抑えてもらえたようにみえましょうとも、それは一時だけのことで業は消え去ってしまったのではなく、内にこもっただけなので、機をみてまた現われてまいります。

ですから、消えてゆく業を他人の力で抑えようなどとはしないで、ひたすら自己の守護の神霊を心で呼びつづけるのです。

そして守護の神霊の加護によって、自己の本心の光明を表面に導き出してもらうのです。

本心の開発こそ、この世もあの世を通して、最も大事な人間のなすべきことなのです。


 

 

3.ところが、人間の肉体生活にふりかかってきている不幸災難があまりに辛過ぎると人間はつい焦ってまいりまして、自分には専属の守護の神霊が存在することを知っている人でも、ふいとそうした存在を忘れてしまって、巷間の行者や霊能者に頼っていってしまうのです。

これは守護の神霊の許可を受けて行なったわけではないのでたとえ一時お陰があったようにみえても、後で必ず、その行者や霊能者の背後霊に負い目を受けて、返礼しなければならなくなります。

それはその行者や霊能者の背後の憑依霊魂の業を背負わされるとか、金銭的に相当の額のものを取られるとか、なんにしても、自己が背負っていた業の一時引受料を、必ず取られるのです。

それが金銭的な時はまだしもよいのですが、憑依霊魂の業を背負わされるなどは、とてもたまりません。

それなら自分がはじめから払わねばならなかった、本来の業因縁を自然に現わして消し去ったほうが余程、自己の霊魂の修行のためになるのです。

ですから、自己の行動は常に心の中で、守護の神霊に相談しながらやってください。・・・・・・・



『本もの 贋物』五井昌久 白光出版



  

2017年12月30日 (土)

神社仏閣には無闇やたらに行くものではない

 

明後日は、お正月、元旦なので神社仏閣にお参りに行く人が多いと思います。

実は私は神社仏閣が苦手?なのです(苦笑)

なぜかというと多くの神社仏閣が幽界のおばけちゃんの棲家になっているからです。

神社などは、神のやしろ(社)というくらいだから神さまが住んでおられるはずなのですが、宮司さんがなまけて祝詞を怠る、浄化を怠る、あるいは浄化する霊力がない場合は、お参りに来た人に憑依しようとする不良霊などの格好の餌食になるのです。

「楽して儲けたい」「神秘力を持ちたい」「人の気持ちがわかるようになりたい」などと欲を持ってお参りすると、オバケちゃんと共鳴してしまうのです。

新聞やテレビなどで取り憑かれた人などは報道、放映などされませんが、結構あるのです。

行くのはいいと思います。

しかし邪な考えを持って行かないことです。

今、アセンションによって3次元は消えようとしています。

幽界も消えかかっています。

最後のあがきで肉体人間に取り憑こうとする輩がうごめいています。

行くのなら、守護霊さん守護神さんありがとうございます、どうぞお守りくださいと感謝し、お願いしながら行ってください。

守護霊さん守護神さんとしっかりつながっていれば、十分に守って下さる、願いも聞いて叶えてくださる(その人の魂の成長になることなら)ので、そのような危険な場所に行くことは必要ないと私は思います。


 



問   俗に、キツネとか、タヌキが憑くといわれているが事実あることでしょうか。




答 


狐、狸といっても、動物の狐狸のことをいうのではないので、幽界に住む、感情霊、動物霊ともいう、霊魂のことなのである。


医学でいう精神病や、行者の一部には、こうした感情霊に憑依されている場合がたくさんある。


神詣りばかりしている人が、突然、種々の予言をするようになったりすることがあるが、この場合にも、この感情霊の作用が多い。


この感情霊は、霊と普通にいわれているが、実は魂(因縁の波の集り)つまり、迷いの念の波の中に生まれたもので、迷いの念の一つの現われともいえる。


すべて、興味本意、感情本意に行動していて、人間のように、愛(神)を内部に持っている霊魂ではないのである。


従って、人間の本体(本性)とは、まるで違った生物なのである。


いいかえれば、人間にとって一番大事な心、愛と知性を取り除いた、その他の念(おも)いでできているものである、といっても間違いではない。


人間の中にも、愛も知性もなく、利害や、感情のみで、敵になったり、味方になったり、やたら褒めたり、けなりしたりする徒輩(やから)があるが、こうした人たちは、人間というよりは、動物霊に近いというべきで、こうした念の人が、幽界に行くと、今度は、これらの動物霊と、一つになって、迷信家や、低い念の行者に憑依して、肉体の人間を面白半分に迷わせるのである。


形の世界は、すべて、想いが写ってできているので、狐のような想いは、そのような形に、蛇のような想いは、蛇のような形に霊眼に見えたりするのである。(心霊家や、研究家の一部では、天狗、狐、狸などを、自然霊と呼んでいるが、私はただたんに感情霊と呼んでおく。何故ならば、私の説明は自然霊と呼ぶ広範囲の説明ではないからである)



こうした感情霊の憑依を受けぬためには、私の最も主張する、守護霊、守護神への感謝と、愛と真心の行動をしていればよいので、いたずらに奇を好み、霊力を欲するような態度は、厳に戒むべきである。



懸命に信仰をしているように、自分も思い、人にも思われていながら、不幸が絶えぬ人や、信仰していることが、かえって家庭の調和を乱している人や、信仰しているその信仰のしかたや、日常の行動が、奇矯に流れているようでは、その信仰のしかたのどこか誤りがあるので、そうした家庭には憑依霊作用が多いのである。



興味本位の神廻りや、ご利益本位の信仰は、実に危ない気がするのである。


まず、よく自己の本心を顧みて、一生はおろか、神と真に一体になるまで、導いてくれる良い師に出会うよう、守護霊、守護神に祈るべきである。


守護霊は、自己と全く一つの者であるともいえるので、心の中で、常に守護霊、守護神を念じていれば、必ず、その人を邪道から引き出してくれるのである。


そうした心で、入った信仰や、集まりなら、たとえ、その入会の動機が、ご利益からであっても、ついには、真の浄まりにまで、その人を高めてくれるに違いない。


そうなれば、憑依霊の心配は勿論ないのである。




 

    『神と人間』  問答篇 五井昌久




 
追伸・・・・私の気功仲間(調和波動気功法)の人が初詣のときにすごく嫌な予感がしたそうです。

しかし自分だけ行かないわけにもいかず、しぶしぶ付いて行ったのですが、そこでとんでもない動物霊がいたそうです。

そしてしばらく憑かれて大変な目に遭ったと言っていました。

この方は守護霊さんとつながっていたので、直観(神智)として知らせてもらったのですね。

守護霊さんとつながることの大事さがわかります。



 

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