2014年6月 4日 (水)

自分の心の奥にある宇宙に意識を合わせる

  

自分の心の奥深く入って行くとそこは、宇宙とつながっているのです。

宇宙の中に自分がいるのではなく、自分の中に宇宙があるのです。

自分を物質(肉体)だと思ったら、確かに宇宙の中のほんの小さな存在ですよね

しかし、霊的なもの、神の子だと思えば自分というものがとてつもなく大きな存在

であるということが理解出来ます

ドラえもんではないけれど、自分の中には、宇宙のありとあらゆるものが入っている

のです。

意識をどこに合わすかです

有限の物質世界(3次元)に合わすのか?

無限なる精神世界に合わせるのか?

私たちは、目に見えるものしか存在していないと思っているので

どうしても物質世界(肉体界)に意識を合わせてしまうのです

物質世界は有限です

お金は、決まった量しかありません

素敵な異性も限られている

成功する可能性もほんの少ししか残されていない

その有限なものに意識を合わせているから苦しくなるのです

「自分がお金持ちになれるはずがない」

「誰か他に素敵な異性が現われたなら恋人に捨てられてしまう」

「あの人は特別な人だから成功したんだ、ごく普通の私がうまくいくはずがない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらは、人間は性悪説、悪魔の子、どうしようもない生きもの

という発想からきています

夢も希望もない  (無限なる可能性!)

しかし人間はほんとうにどうしようもないつまらない生きものなのでしょうか?

そうではありませんよね

人間には創造する力があります

そこが動物とまったく違うところです

動物は、神さまがつくった被造物です

しかし、人間は、神さまの霊力が宿った、創造主なのです

神=人間

であるので

意識を神である自分に合わすことによって

宇宙の叡知がすべて現われるようになっているのです。

無限なる富も無限なる成功も、無限なる健康、無限なる美、無限なる幸福・・・・

今まで私たちは、有限なもの、ネガティブなものにばかり焦点を合わせてきました

だからその通りのものが創造されていた 無限なる光!

しかし、これからは、無限なるもの

無限なる光明なるものだけに意識を集中させるのです

すると、ドラえもんのポケットのように

宇宙からの無限なるものが溢れ出てきます

人から奪うのではないのです

自分の中にある宝の山から取り出すだけです

誰も困ることはない(笑)

誰にも迷惑を掛けるのではない

奪い合うのではない

だから消えることはないのです

それがほんものということです

宇宙はほんものなので

そこから現わされたものは

消えようがないのです

人間には無限の叡知、可能性が溢れている・・・・・・

自分本来の姿を顕わすために

祈りがあり、印(我即神也)があるのです
 

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 

参考図書

「果因説」 西園寺昌美 白光出版

「我即神也」 西園寺昌美 白光出版

「無限なる癒し」 于寿明 星湖舎

「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎


 

 

 

2014年5月 9日 (金)

私たちは幽界のことを少しは知っておいた方がいいと思うのです



雰囲気はなにかというと、その人の肉体にくっついている幽体というものが

感じられるということです。

オーラと言ったほうがわかりやすいでしょうか

肉体は目に見えるけれども幽体は肉体よりも波動が細かいので見えないのです。

私たちは目に見える肉体や肉体界のことはまだ認識出来ていますが

非常に影響を受けている幽体、幽界についてはまったくの無知であり

無頓着なのです。

学校でも教えてくれない、親も知らない

・・・・・・・

私もまったく知りませんでした

私は、幽体や幽界が見えるわけではありませんが、真理を学んでいくうちに

自然と知ることとなりました

頭で理解することで腑に落ちることがあります

「そうかそんな世界があるんだ」

「だからあのときそうだったんだ」

「少し気をつけた方がいいな」

それくらいでいいと思うのです。

しかしまったく知らなかったら闇の中を灯りもなしに歩くのと同じです

昔は、霊的な人が周りに何人か居て、その人の話を怖がりながら聞くうちに

不思議な世界の存在を知り、恐れたものです。

だから

昔は、むやみやたらに神社仏閣、お墓などに行かなかったように思うのです。

荒れた神社やお寺などは、妖気が漂っています。

幽界のオバケちゃんの棲家(すみか)になっているのです。

無意識に近づくと取り憑かれることもあるのです。

取り憑かれると幽界の動物霊、感情霊たちにコントロールされてしまいます。

一生を棒に振るようなことにもなりかねません

そうならないようにするには、どうしたらいいか?は、以下の文章に書いてあります。

私たちはいつまでも真理に対して無知ではいけない

そして、真理ではないですが、幽界などみえない世界にも少しは精通しておく必要が

あると思うのであります。



俗に、キツネとかタヌキとが憑くといわれているが事実あるこでしょうか。



答 


狐、狸といっても、動物の狐狸のことをいうのではないので、幽界に住む、感情霊、

動物霊ともいう、霊魂のことなのである。


医学でいう精神病や、行者の一部には、こうした感情霊に憑依されている場合がた

くさんある。


神詣りばかりしている人が、突然、種々の予言をするようになったりすることがある

が、この場合にも、この感情霊の作用が多い。


この感情霊は、霊と普通にいわれているが、実は魂(因縁の波の集り)つまり、迷い

の念の波の中に生まれたもので、迷いの念の一つの現われともいえる。


すべて、興味本意、感情本意に行動していて、人間のように、愛(神)を内部に持って

いる霊魂ではないのである。


従って、人間の本体(本性)とは、まるで違った生物なのである。


いいかえれば、人間にとって一番大事な心、愛と知性を取り除いた、その他の念(おも)

いでできているものである、といっても間違いではない。


人間の中にも、愛も知性もなく、利害や、感情のみで、敵になったり、味方になったり、

やたら褒めたり、けなりしたりする徒輩(やから)があるが、こうした人たちは、人間とい

うよりは、動物霊に近いというべきで、こうした念の人が、幽界に行くと、今度は、これ

らの動物霊と、一つになって、迷信家や、低い念の行者に憑依して、肉体の人間を面

白半分に迷わせるのである。


形の世界は、すべて、想いが写ってできているので、狐のような想いは、そのような形

に、蛇のような想いは、蛇のような形に霊眼に見えたりするのである。(心霊家や、研

究家の一部では、天狗、狐、狸などを、自然霊と呼んでいるが、私はただたんに感情

霊と呼んでおく。何故ならば、私の説明は自然霊と呼ぶ広範囲の説明ではないからである)



こうした感情霊の憑依を受けぬためには、私の最も主張する、守護霊、守護神への

感謝と、愛と真心の行動をしていればよいので、いたずらに奇を好み、霊力を欲する

ような態度は、厳に戒むべきである。



懸命に信仰をしているように、自分も思い、人にも思われていながら、不幸が絶えぬ

人や、信仰していることが、かえって家庭の調和を乱している人や、信仰しているその

信仰のしかたや、日常の行動が、奇矯に流れているようでは、その信仰のしかたのど

こか誤りがあるので、そうした家庭には憑依霊作用が多いのである。



興味本位の神廻りや、ご利益本位の信仰は、実に危ない気がするのである。


まず、よく自己の本心を顧みて、一生はおろか、神と真に一体になるまで、導いてくれ

る良い師に出会うよう、守護霊、守護神に祈るべきである。


守護霊は、自己と全く一つの者であるともいえるので、心の中で、常に守護霊、守護

神を念じていれば、必ず、その人を邪道から引き出してくれるのである。


そうした心で、入った信仰や、集まりなら、たとえ、その入会の動機が、ご利益からで

あっても、ついには、真の浄まりにまで、その人を高めてくれるに違いない。


そうなれば、憑依霊の心配は勿論ないのである。




 

    『神と人間』  問答篇 五井昌久




 

2014年5月 1日 (木)

今、見ている星の光は過去の光なんだ


「今、見ている星の光は過去の光なんだ」 ってなんのことかわかりませんよね(笑)

どういうことかと申しますと、地球から見た星というのは、近い距離のものもあれば遠く

離れた星もあります。

その星が放った光はすぐに地球に届くのではなく、何時間後のものもあれば、何万年も

後になって届く光もあるのです。

つまり私たちは、過去の光りを見ていることになります。

それと同じように今、私たちが見ているもの、心の中で想っていること

それらはすべて過去(過去世)で見ていたものや、過去世で想ったことが

テープレコーダー(古いですね)に録音されていて

再生されているところなのです。

「はじめて来た場所なのに、過去に来たことがあるような気がする」

ということはありませんか?

それは過去世で来ていたのです。

懐かしいと感じるのは

その土地に住んでいたのです。

今、一生懸命に努力をしているのに

なかなか生活が善くならない

健康になろうといろいろと気をつけているのに

病気ばかりをしてしまう

こんなこと想いたくないのに

悪いことばかりを想ってしまう

それらはすべて過去世でやっていたこと、想っていたことが(潜在意識)

顕われて来ているのです。

肉体界とはそういう世界なのです。

過去世が現ってきている世界、だから仏教では肉体界のことを

現し世(うつしよ)というのです。

ほんとうの現在はどこにあるのかといえば

霊界にあるのです。

未来はどこにあるのか?

それは神界です。

話がちょっとややこしくなってきましたね(笑)

私たちが住んでいるのは、目に見える肉体界だけでなく

目に見えない(見える人もいますが)

幽界(潜在意識の世界)、霊界、神界(天国)にも同時に住んでいるのです。

肉体界というのは、今、幽界が映って来ていると理解してください。

だから幽界を浄めないと肉体界

つまり私たちの生活、環境は善くならないのです。

そのために霊界にいらっしゃる守護霊さん

神界におられる守護神さんのご加護が必要なのです。

そして私たちは、世界平和の祈りを祈ることによって

汚れた想念の世界である、マイナスの業がたくさん溜まった世界である

幽界を挟み打ちで、浄化するのです。

とにかく今、起こっていること

自分が想っていることは

過去の消えてゆく姿です。

把われずに

「消えてゆくんだ」

そして世界平和の祈りを祈って

守護霊さん守護神さんに感謝をしていれば

きっとこれから善くなるんだ

幽界が消えて

素晴らしい未来

つまり、神界(天国)が現われて来るんだ

神界が現し世になるんだ

と思ってください。


 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 

 
「もっと自分を愛してみよう」


自分を赦すとは
 


http://akemi51.blog.fc2.com/

 

2014年4月12日 (土)

この世は物質の世界、宇宙法則を知ろう! 3




「宇宙の法則」 からはみ出すと


成功したり幸せになりたいと思って努力をしてしまうのは、成功した人のやり方を

まねしようとするからです。

成功した人が「自分は努力して成功した」 と勘違いして人に話すものだから

誤解がどんどん広がってしまったのです。

「成功するためには努力してはいけない」 といいましたが、言い方をかえると

「成功したいと思ったら神様の意思に従う」 ということです。

なんだか宗教のように思うかもしれませんが、ちょっとちがいます。

この世には 「宇宙の法則」があって、すべてはこの法則に従って働いていると

いうことなのです。

この世には絶対的な存在があります。

私はこの存在を神様と呼んでいます。

「宇宙の法則」は神様がつくったルールなので、このルールに従って行動すれば

誰でも幸せになれるし、成功することができます。

逆に、神様がつくったこの 「宇宙法則」からはみ出した行動をすると、不幸が

やってきます。

洪水や干ばつなどの天災は決して神様の仕業ではありません。

後先を考えない人間の犯した愚かな過ちです。

神様が私たち人間に与えてくれるものは、水や空気、緑の大地など、見返りを

求めない創造物ばかりです。

つまり、人間は神様がつくったものの中で生きているだけ、生かしてもらって

いるだけなのです。

人間がいくら自分たちの手で何かをしようと思っても、結局、神様がそうさせて

いるだけなのだということを忘れないようにしましょう。

 「絶対に成功する千回の法則」 斉藤一人著 講談社


この世は物質の世界、宇宙法則を知ろう! 2



声に出せば病気も治る

病気の人にも同じことがいえます。

病気を治したいと思ったら、どんなに難しい病気だとしても

「私は大丈夫だよ」 と声に出せばいいのです。

おもしろいもので、「私は大丈夫だよ」と声に出した回数が千回を過ぎた

ころから、見違えて体調がよくなります。

ただし、ここで気をつけなければいけないのは、絶対にがんばらないということです。

声に出すこと自体を意識して、がんばってはいけません。

努力したり、気合を入れたりしないで、自然に、楽しく習慣にしていくことが

大切です。

三十三ヵ所に願いごとを話して回る 「観音参り」 という修行があります。

じつは、私の唯一の趣味なのですが、なぜ願いごとに声を出すのでしょうか。

それは 「観音」、つまり音を観るからです。

観音様は音を観て願いごとを叶えるのです。

三十三ヵ所を歩いて回る観音参りはとても厳しい修行です。

しかし、身体が疲れてくると、自分の言葉が潜在意識に入ってきます。

身体になかにいる 「真の自分」 がわかってきます。

その境地までたどり着くと、人間の願いはいつのまにか叶うことになっています。

しかしあらゆることに共通しているのは、声に出していわないとまったく意味がない

ということです。

頭の中で思っているだけでは効果がありません。

しかも、人前で声にしたほうがいいでしょう。

人前でいえないような願いごとは、最初からしないほうがいいからです。

ましてや、恨み言や他人の悪口を千回いっても意味がありません。

そんな言葉は泥水なので、心のコップの水がどんどん濁ってしまうので

やめましょう。


この世は物質の世界、宇宙法則を知ろう! 1



努力をしたからと成功するとは限らない

人一倍頑張ったからとむくわれるわけでもない

だったら成功する人、夢が叶う人とはどういう人なんだろう?

・・・・・・・・・

営業をしていて思うのですが、どうしたら相手の人が私や商品などを気に入

ってくれて、契約や成約に結びつくかはわからない世界なのです。

 
わからないのにわかろうとするから疲れる、しんどくなる。

そうですよね(笑)

それは目にみえない相手の心やエネルギーをコントロールしようとするからです。

真理を知るには、どうも目に見えない世界と目に見える世界の仕組みを知る

必要があるようです。

またまた目からウロコの宇宙の法則を知ることができました。

よかったらお付き合いください。

努力をすると無理が出てしまう人間

「この世よと「あの世」の違いについて考えてみましょう。

「あの世」では「カツ丼が食べたい」と思うだけで、目の前にカツ丼が出てきます。

自分の願いを声に出せば、すぐに叶ってしまいます。

なぜなら、「あの世」は魂の世界、想念の世界だからです。

ところが、私たちの生きている 「この世」は物質の世界、三次元の世界です。

つまり、いくら自分の願いを声に出してみても、決して夢は叶わない世界です。

願いを叶えるためには、行動しなければならないのです。

では、どんな行動をすればいいのでしょうか。

ここでほとんどの人が努力をしてしまうのです。

努力すると、その行動にはどうしても無理が出てくるものです。

逆に、自然に身体が動き出すような行動をしているときは、苦労や努力といった

感覚がありません。

たとえば、マージャンをしたい人は、苦労してマージャンをしているわけではありません。

ただ、「マージャンがしたいなあ」 といつも声に出しているだけなのですが

それだけでマージャンに誘われます。

つまり、マージャンをしたいという願いが、なんの苦もなく叶っているわけです。

 

2014年4月 4日 (金)

因縁因果の法則



因縁因果の法則なんて聞くと、なんだか怖い気持ちになりますが

私たちは、気づかない間に罪つくりをしているのは確かなようです。

何気なく言った言葉が人を傷つけている

何気なく行った行動が人や自然に迷惑をかけている

たとえば、車を運転している人が、吸っているタバコをそのまま外に投げ捨てている人

がいますよね

その場面を見ると火のついたたばこがそのまま車内に返ってくるような気がするのです。

もしそうなれば

そこでその人は、初めて “因縁因果の法則” を知ることになるのでしょう

実際は、違った形で、時間差で現れます。

自分に直接返るとは限りません

子どもがやけどをする

数年後に家、会社が火事になる

・・・・・・・・

自分のやったことは必ず自分に返ってくる

真理の法則、宇宙の法則を知ることは社会生活、人間生活を送っていく上で

とても大切なことだと思うのです。

ならばどうすればいい?

そのことをお伝えするのが私の役割(ミッション)なのかもしれません。

 

・因縁烏の仇討

 
一人のお坊さんが、見晴しのいい峠でお弁当を食べて、その包みの竹の皮をそこへ捨て

たのです。

その時、一羽の烏が木の枝にとまって、その竹の皮に残されたご飯粒を食べようと、楽し

みに待っていたのです。

お坊さんは立ち上り、何気なく小石を拾い、ポンと後へ捨てて、峠を降りてゆきました。

ところが、その小石が烏の頭に当って、烏は死んでしまったのです。

もちろんお坊さんはそんなことは少しも知らなかった。

それから10年後、そのお坊さんが峠の下を通りかかった時、

峠の上では大きな猪が穴を掘っていて、その爪で飛ばされたこぶし大の石が頭に落ちて

きて、お坊さんは死んでしまった。

その理由は、10年前に烏を殺したので、烏は猪に生れ変りお坊さんを殺した。

それが殺せば殺される。憎めば必ず憎まれる、

という因縁因果の法則だ。〔日本霊異記より〕

昔、読んだ本の因縁話を、五井先生におたずねしたところ「そうですよ。

それが因縁因果の法則です」と、予期に反した厳然たるお言葉でした。

そこで「私達は道を歩いていても、知らぬ間にたくさんの虫を踏み殺したり、

子供の頃は虫や小鳥も殺しています。自分では殺さなくとも、牛や豚も食べています。

法則通りに、殺したら殺されるとしたら、一日も安心して生きてゆけなくなりますね」

と話しましたら、

「神さまは、その法則の現われを、現界へ出さずに幽界霊界に現わして、

消しているのです。

守護の神霊は、人間の犯した殺生の罪などの報いを引き受けて、

人間の知らぬ間に、浄化消滅してくれているのです。

神さまの方から見れば、本人が知るも知らぬも関係なく、本人のやったことは、

皆その者が報いを受けるのです」とお話して下さいました。





 

2014年3月10日 (月)

人間は死んでも生きつづけるのです。

 
 
ほとんどの人は、肉体界にいる肉体(物質)のかたまりだけが自分であって、心や魂は肉

体の中にある、そして死んでしまうと肉体と同時に心も消滅すると思っています。

だから必要以上に病気を嫌い、死を怖がります。

病気は死に直結していると思っているからです。

しかし真実はそうではありません!

肉体が無くなっても(死んでも)、幽体、霊体、神体というボディがあり、肉体界を去っても

幽界、霊界、神界で永遠に生きつづける

そして、また肉体界に舞い戻ってくることもある(輪廻転生)

そのことを知るだけでどれだけ安心するでしょう

病気や死に対する恐怖が薄れるでしょう

なんでこんなに大切なことを、知らされていないのだろうと私は不思議に思うのです。

いや、知らされたとしてもほとんどの人は

「そんなバカな、死んだらやっぱりお終いだよ」

と言うのかもしれません(笑)

しかしこれからの時代は違います。

真実が明らかになってゆくのです。

そして真実、真理が心からわかるようになったとき、たくさんの人の意識が変わったとき

一斉に、地球の次元が上昇し、進化した星に生まれ変わるのです。

 

 

人間の本当の姿


人間は大別して、神界、霊界、幽界、肉体界の4つの世界に住んでいるものであって、肉

体界だけ住んでいるものだと思っていると、いつまでたっても地上世界は平和になりませ

ん。

人間は、はじめから肉体界に住んでいたのではなく、神界に本住の地があって、つまり神

そのもの中に分かれ住んでいたのです。

そして神の働きが地球界、物質界を創造し、魚類鳥獣などが住みついた後、人間は神の

分霊(わけみたま)として、その精妙なる光明体をまず、少し粗雑(あらく)した幽体をつく

り、次に肉体をつくり、そして霊体が幽体を乗り物として、肉体界に舞い降りてきたのであ

ります。

ですから、人間は肉体界にいながらも、幽界に住み、霊界に住み、直霊としては神界にも

住んでいるのであります。

 

        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版








  

2014年1月26日 (日)

人間は肉体界を去っても未来永劫に生きつづけるのです

 
  

今、たまたま3次元で成功している人、お金持ちになっている人、仕事がうまくいっている人、人間関係が良好な人、健康で何の悩みもない人がいるかと思えば

人生で失敗ばかりして、貧乏な人、体が弱くて病気ばかりをしている人・・・・・がいて、世の中が不公平であるとか、自分はツイていないとか、自分はダメな奴なんだ、と自暴自棄になっている人がいます。

そして悲しいかな私の知人で自ら命を絶った人もいます。 

その人は自分の存在価値を自ら否定したのだと思うのです。

しかしこの世でもし仮に50年、60年苦しいことの連続だったとしてもそれは、未来永劫つづいている生命からみれば、ほんの一瞬にしか過ぎないのです。

そして肉体を持ってこの世に生まれてくるというのは奇跡なのだそうです。

幽界でうごめいている無数の迷える霊たちは、肉体界に生まれ変わりたがっている、それは肉体界の方がずっと苦痛は少ないし、運命の修正が出来て、魂の成長をさせやすいからです。

幽界は波動の動きが早いので、マイナスを想えばすぐにそのマイナスが返ってくるのです。(それは想像を絶するような苦しみだそうです)

だから肉体を持って生まれてくるというのは超ラッキーなんです。(天文学的な確率だそうです)

明石家さんまの娘さん(いまるさん)ではないけれど、生きているだけで まるもうけ です。

神様は、価値のない魂を人間界に送り込むようなバカなことはしないのです。
 
生まれて来た幸運に感謝をし、自分を生み出してくれた神様に感謝をするようになれば、運命は一変します。

そのことに気づくために、私たちは生まれてきたからのです。

決して自分を卑下しないでください。

あなたは誰がなんといおうと 素晴らしい!人 なのです。

 


天命が与えられている


 

自分の生命は一体どこからきたのか、それはわからない。 そのわからないということを素直に認め不可思議な力(神)の一つの生命としての自分が、この世にあることを知らなければなりません。

わからないのに、わかったような顔をすることこそ、人間の堕落の第一歩なのです。

わからないと正直に自分が認めた時が神を知る第一段階であり、そこから自己の天命がわかってくるのです。

神様が自分をこの世に出して下さった以上、必ずなんらかの使命があるのに違いないと信じることは、神の存在を信じ得る者の容易に肯定し得ることです。

全知全能の神が、一人の人間でも誤ってこの世に生むことはないからであります。
 

       「日々の祈り」 五井昌久  白光出版

   
   おススメ図書 「我即神也」 西園寺昌美 白光出版 (自分が何者であるかを知ってください)




 


 

2014年1月12日 (日)

科学と宗教の行き着く先は同じ 2


 

疑うことと信ずること


 

科学はあくまでも “証明” が本命です。 人類のすべての内に無限なる可能性、無限なる能力が存在すると理論では突きとめても、現実にそれを証明することが出来ません。

そのため、生涯をかけて証明してゆかなければなりません。

ところが宗教の道は、ただそれを “信ずる” ことのみで成り立つ世界です。

科学の道のように、初めから物事を疑ってかかるものではないのです。

だがしかし、その疑いこそ、人類の進化、発展の原動力でもありました。

科学の道を通して、究極的には、自らの存在そのものに行き着くのであるし、宗教の道を通してもまた、自らの存在そのものに目覚めてゆくのです。

どちらを行くのも、人間の自由です。 それぞれ好きな選択ができるように、各人に任されているのであります。

だがしかし、人類にとって “疑う” ことと “信ずる” ことのどちらが容易でしょうか。

圧倒的に、人類の多くは疑うことのほうを優先し、疑いなしに素直に信ずることは、なかなか出来にくいものです。

疑うということは、まず物事を否定してかかることであり、信ずることは、物事を積極的に受け入れてゆくことであります。

ですが、ここでいう “信ずる” とは、無知ゆえに信ずるという意味ではなく、無限なる直観、叡智を通しての信への道を指しているのです。

20世紀の人類の闘争、戦争、紛争、飢餓などの歴史は、すべてがこの疑いから生じ発生してきています。

他の人種、民族の血を疑い、それぞれの神を疑い、能力を疑う。

そしてさらに、自分自身に対しても疑いの目が向けられてゆく。

自分の才能、能力、資質、性格、人柄、血統を疑う。

自分自身に向けて発せられる疑いは、次々と周りに影響を与え、周りを汚染してゆきます。

両親や子ども、親戚、友人、知人、さらに民族、人種、国家へと広がってゆきます。

疑いこそ、暴力、闘争、紛争、戦争の原点です。

その反対に “信” ほど素晴らしいものはありません。 人間の不信、疑いを超えて、我々の内面の奥深くに平安、静けさ、平和、愛、安らぎの源があり、その源から幸せや感謝が溢れ出てくるのです。

自らが自らを信じられるからこそ、他を信じ、他を受け入れることが出来るのです。

この自らが自らを信ずることが出来ることは、究極の醍醐味です。

私にとって、科学も宗教も共に、“人は常に、他に一切頼ることなく、すがることなく、求めることなく、自らの内にある神、即ち無限なる能力をいかに引き出してゆくか” にあります。

私は、この両面のバランスを考えながら、究極のところに導いてゆくのです。

  

             「果因説」 西園寺昌美 白光出版





 

 

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