2018年1月15日 (月)

私たちのミッションとは?

 


巷で「UFOを見た」というもののほぼ100%は幽界のおばけちゃんの仕業、いたずらだそうです。

人間を驚かせて楽しんでいる、

ほんもののUFOは次元が高いので、肉体人間の肉眼では見えないのです。

ところで私たちが今地球に住んでいる理由、目的はなんでしょう?

このブログを読んで、「ふむふむ、なるほど」と頷いている人は、おそらくかなり高い次元の星からやって来た、お掃除屋さんです(笑)

どういうことなんだ?

それは下記を読み進んでゆくうちにわかると思います(笑)




■UFOと塩漬けリンゴ

 1947年6月24日、ワシントン州、レーニエ山で、K.アーノルドによって目撃された9機の飛行物体は、「皿が飛んでいるようであった」という事から、Flying Saucer(フライング ソーサー)と言われるようになりました。それ以後、世界中至る所で目撃者が増え始め、ペンタゴン(米国国防総省)も調査に乗出しました。その時に付けられたUFO(未確認飛行物体)が世界的に公式名となり、一般にも広まっていったのです。

 さてUFOは、現在に於いてのみ現れている現象ではなく、地球の歴史と共に、太古の昔より目撃されている事実が、古文書等を調べれば分ります。UFOは攻撃したり、人々を困惑させる為に、地球を訪れている訳ではありません。私達、全地球人にとって、心して見上げなければならない、“天よりの使者”なのです。

...

 私達は、地球がこれから迎えなければならない大進化の為に、私達に、心からの援助の手を差延べてくれている事を知っています。最近とみに、“世の終わり”という事が言われていますが、終わりではなく、始まり(新時代の到来)なのです。地球は未だ波動が粗く、完全なる姿を現してはいませんが、今こそ、地球人類一人一人が“国”を超越して、 真の平和な心で助け合い、強い絆で結ばれる時なのだと呼掛けているのです。

 “目覚めなさい、塩漬けリンゴ達よ!”という、宇宙からの最初のメッセージを受取りました。これは、地球にいるキリスト族と呼ばれる、ある使命を持った集団に届けられたメッセージです。天孫降臨(神道)、地湧の菩薩(仏教)、天孫降臨(神道)、地湧の菩薩(仏教)、又、宇宙では塩漬けリンゴ、清掃人夫と言われている彼等は、他の天体から地球に移住して来た人々を導き、元の天使の姿(本来の姿)に返そうという、大きな使命を持って地球に来ている、ある宇宙的な集団の事を指していると言われています。
 

 この集団は、遊星から遊星へ、太陽系から太陽系へと移り歩いて行く、“宇宙の放浪者”(ワンダラー)とも呼ばれている特殊な人々なのです。宇宙の中の進化の遅れている星に赴き堕落した同胞に援助の手を差延べて、一日も早く、彼等を目覚めさせようとしている“菩薩”なのです。いよいよ時が近付いて来ました。地球が、ハイ・バイブレーションの新しい星に生れ変わる時が間近になっているのです。一人一人が目覚めて、“地球天国”を作る為の使命を果たそうではありませんか。  

 大天命体(宇宙神、創造主)は、イマジネーション(想像)する事によって、宇宙をクリエイト(創造)しました。そのように、想像は創造する力を持っているのです。今こそ私達一人一人が、心の中に真の平和を描く事によって、地球に永遠の平和を築いて行きましょう。地球は今迄に6回、進化に失敗して来ました。今が7回目の大進化の時なのです。 その転換を成功させるのは、地球人類一人一人の意識に掛かっているのです。大いなる使命を全うしようではありませんか。



光の奉仕人には
 
果たすべき大いなる使命がある。

呼掛けが来る時には

私達の用意が

整っていなければなりません。

そして、その呼掛けは

親愛なる友よ。

そうです。

本当にやって来るのです。

      ー開かれる生命の書ーOXAL

(生前公開許可を得ております、故、恩師エディさんからの貴重な情報を再度投稿させて頂きました。)




 

 

2018年1月 2日 (火)

スピリチュアル、霊能なるものは危険です!



 
これまでに霊能シリーズを並べてきましたが、今世間ではスピリチュアル、神秘的なもの、霊的なもので賑わっています。

一昔前はまだ冷静でした。

そのような類は、世間が拒否していたのです。 怪訝な目で見ていました。それが正解でした。

ところが今はSNSでもテレビでも野放し状態です。

身体に悪い食品が堂々とコンビニ、スーパーで売られているのと同様です。

もし貴方の家族が占いなどを信じ切って、人の忠告を聴かなかったリ、まっとうな社会生活をしなかったり、怠惰になったり、その人に利用され、振り回されたらどうしますか?

それだけではなくもし占いなどで一攫千金を得たとしても、病気が一時的に治ったとしても、一時的に人生が好転したようになっても、それは借金と同じで憑依してきた霊能者あるいは、占い師などに支払わされることになるのです。 あるいはすぐに消えてしまいます。

そして占ったほうも幽界のおばけちゃん(闇の勢力)に操られているので共倒れになるのです。

一般世界(肉体界)とは違う生物になってしまいます。(霊能者の業まで背負わされることもあります)

下記の記事はこれまでの霊能に関するまとめのような文章になっています。

もし、頼ろうとしているのなら思い直してください。





1.いかなる悪因縁といえど、消え去るのである、という想いを持ちつづけ、守護の神霊としっかり心を通じて、つまり守護の神霊の加護に感謝をしつづけ、世界平和の祈りという人類愛の祈りをつづけてゆけば、神の光明は永遠無限のものであり、悪因縁は有限のものでありますから、世界平和の祈りのような善念、光明念波で魂が洗われて、いつかは、晴れやかな、明るい生活を迎えることが出来るのです。

これは守護の神霊の存在と、その働きを体験として経験しつづけている私にとっては、はっきりわかっていることなのです。

そういう自分自身を絶え間なく守りつづけていてくださる肝腎かなめの守護神さん、守護霊さんを忘れてしまって、人の心をちょっと見抜く霊能や、自分の周囲の人に霊動を起こさせたり、異言をしゃべらせたりするインドの昔のバラモン行者のような外道者の幻術に迷わされている人をみると、気の毒になってきます。

人間は誰も彼も、神の子なのであり、誰にも彼にも、専属の守護の神霊の守りがあるのに、何を好んで、自己の本体から離れた、外道の道に迷い込んでしまうのか、ちょっと不可解に想えますが、そういう人たちの想いをみますと、自己の心や現在の環境に不平不満の想いが蓄積されている人や、霊能というもの、普通人にない能力というものに、常に憧れている人、絶えず想念の揺れ動いている人が、そういう形で迷いの道に入ってゆくことになっているようです。



2.人格高潔で調和した人が、霊能力を備えている、というようなら、これは実に結構なことなのですが、霊能者には得てして、人格の常人より低劣な、常識外れの人が多いので、余程気をつけて近づかぬと、霊能者には危険性があるのだ、ということを知らねばなりません。

なんにしても人間は、一人一人がすべて神の子であり、神の分生命であることを知らねばなりません。

そして神が愛であることを知らねばなりません。

どんな不幸災難にしても、現在起こったようにみえましょうが、それらはすべて、過去世から今日までのその人の想念所業が集積の現われでありまして、そうした業の集積が現われて消えてゆくことによって、その人の本心が開き、その人の神の子の姿が輝き出すのですから、消えてゆく業を抑えようとして、神詣でをしても、行者詣りをしても、それは根本の考えが誤っているので、どうにもなりません。

一時は行者や霊能者の力で、その不幸や病気の症状を抑えてもらえたようにみえましょうとも、それは一時だけのことで業は消え去ってしまったのではなく、内にこもっただけなので、機をみてまた現われてまいります。

ですから、消えてゆく業を他人の力で抑えようなどとはしないで、ひたすら自己の守護の神霊を心で呼びつづけるのです。

そして守護の神霊の加護によって、自己の本心の光明を表面に導き出してもらうのです。

本心の開発こそ、この世もあの世を通して、最も大事な人間のなすべきことなのです。


 

 

3.ところが、人間の肉体生活にふりかかってきている不幸災難があまりに辛過ぎると人間はつい焦ってまいりまして、自分には専属の守護の神霊が存在することを知っている人でも、ふいとそうした存在を忘れてしまって、巷間の行者や霊能者に頼っていってしまうのです。

これは守護の神霊の許可を受けて行なったわけではないのでたとえ一時お陰があったようにみえても、後で必ず、その行者や霊能者の背後霊に負い目を受けて、返礼しなければならなくなります。

それはその行者や霊能者の背後の憑依霊魂の業を背負わされるとか、金銭的に相当の額のものを取られるとか、なんにしても、自己が背負っていた業の一時引受料を、必ず取られるのです。

それが金銭的な時はまだしもよいのですが、憑依霊魂の業を背負わされるなどは、とてもたまりません。

それなら自分がはじめから払わねばならなかった、本来の業因縁を自然に現わして消し去ったほうが余程、自己の霊魂の修行のためになるのです。

ですから、自己の行動は常に心の中で、守護の神霊に相談しながらやってください。・・・・・・・



『本もの 贋物』五井昌久 白光出版



  

2017年12月30日 (土)

神社仏閣には無闇やたらに行くものではない

 

明後日は、お正月、元旦なので神社仏閣にお参りに行く人が多いと思います。

実は私は神社仏閣が苦手?なのです(苦笑)

なぜかというと多くの神社仏閣が幽界のおばけちゃんの棲家になっているからです。

神社などは、神のやしろ(社)というくらいだから神さまが住んでおられるはずなのですが、宮司さんがなまけて祝詞を怠る、浄化を怠る、あるいは浄化する霊力がない場合は、お参りに来た人に憑依しようとする不良霊などの格好の餌食になるのです。

「楽して儲けたい」「神秘力を持ちたい」「人の気持ちがわかるようになりたい」などと欲を持ってお参りすると、オバケちゃんと共鳴してしまうのです。

新聞やテレビなどで取り憑かれた人などは報道、放映などされませんが、結構あるのです。

行くのはいいと思います。

しかし邪な考えを持って行かないことです。

今、アセンションによって3次元は消えようとしています。

幽界も消えかかっています。

最後のあがきで肉体人間に取り憑こうとする輩がうごめいています。

行くのなら、守護霊さん守護神さんありがとうございます、どうぞお守りくださいと感謝し、お願いしながら行ってください。

守護霊さん守護神さんとしっかりつながっていれば、十分に守って下さる、願いも聞いて叶えてくださる(その人の魂の成長になることなら)ので、そのような危険な場所に行くことは必要ないと私は思います。


 



問   俗に、キツネとか、タヌキが憑くといわれているが事実あることでしょうか。




答 


狐、狸といっても、動物の狐狸のことをいうのではないので、幽界に住む、感情霊、動物霊ともいう、霊魂のことなのである。


医学でいう精神病や、行者の一部には、こうした感情霊に憑依されている場合がたくさんある。


神詣りばかりしている人が、突然、種々の予言をするようになったりすることがあるが、この場合にも、この感情霊の作用が多い。


この感情霊は、霊と普通にいわれているが、実は魂(因縁の波の集り)つまり、迷いの念の波の中に生まれたもので、迷いの念の一つの現われともいえる。


すべて、興味本意、感情本意に行動していて、人間のように、愛(神)を内部に持っている霊魂ではないのである。


従って、人間の本体(本性)とは、まるで違った生物なのである。


いいかえれば、人間にとって一番大事な心、愛と知性を取り除いた、その他の念(おも)いでできているものである、といっても間違いではない。


人間の中にも、愛も知性もなく、利害や、感情のみで、敵になったり、味方になったり、やたら褒めたり、けなりしたりする徒輩(やから)があるが、こうした人たちは、人間というよりは、動物霊に近いというべきで、こうした念の人が、幽界に行くと、今度は、これらの動物霊と、一つになって、迷信家や、低い念の行者に憑依して、肉体の人間を面白半分に迷わせるのである。


形の世界は、すべて、想いが写ってできているので、狐のような想いは、そのような形に、蛇のような想いは、蛇のような形に霊眼に見えたりするのである。(心霊家や、研究家の一部では、天狗、狐、狸などを、自然霊と呼んでいるが、私はただたんに感情霊と呼んでおく。何故ならば、私の説明は自然霊と呼ぶ広範囲の説明ではないからである)



こうした感情霊の憑依を受けぬためには、私の最も主張する、守護霊、守護神への感謝と、愛と真心の行動をしていればよいので、いたずらに奇を好み、霊力を欲するような態度は、厳に戒むべきである。



懸命に信仰をしているように、自分も思い、人にも思われていながら、不幸が絶えぬ人や、信仰していることが、かえって家庭の調和を乱している人や、信仰しているその信仰のしかたや、日常の行動が、奇矯に流れているようでは、その信仰のしかたのどこか誤りがあるので、そうした家庭には憑依霊作用が多いのである。



興味本位の神廻りや、ご利益本位の信仰は、実に危ない気がするのである。


まず、よく自己の本心を顧みて、一生はおろか、神と真に一体になるまで、導いてくれる良い師に出会うよう、守護霊、守護神に祈るべきである。


守護霊は、自己と全く一つの者であるともいえるので、心の中で、常に守護霊、守護神を念じていれば、必ず、その人を邪道から引き出してくれるのである。


そうした心で、入った信仰や、集まりなら、たとえ、その入会の動機が、ご利益からであっても、ついには、真の浄まりにまで、その人を高めてくれるに違いない。


そうなれば、憑依霊の心配は勿論ないのである。




 

    『神と人間』  問答篇 五井昌久




 
追伸・・・・私の気功仲間(調和波動気功法)の人が初詣のときにすごく嫌な予感がしたそうです。

しかし自分だけ行かないわけにもいかず、しぶしぶ付いて行ったのですが、そこでとんでもない動物霊がいたそうです。

そしてしばらく憑かれて大変な目に遭ったと言っていました。

この方は守護霊さんとつながっていたので、直観(神智)として知らせてもらったのですね。

守護霊さんとつながることの大事さがわかります。



 

2017年12月16日 (土)

宇宙そのものになってしまえ

 
 
地球科学が発達し、どれだけ便利になったところで、人間を怠惰に堕落させることになり、人間をほんとうの幸せから遠ざけようとしています。

医学界も未だに「病気」を克服していない。

それは人間という肉体人間の範疇だけで解決しようとしているからです。

ほんとうの人間の姿は、肉体というボディ(体)の他に、幽体、霊体、神体というボディを纏っているのです。

幽体は、ビル一棟分、霊体の大きさは、地球と同じくらい、神体にいたっては、宇宙大、そんなとてつもない、底知れない人間の身体は、小宇宙と呼ばれているのです。(東洋医学では)

そのことを忘れ去り、ちっちゃな肉体を切り刻んでもっと小さく診ようとしている。(診療科は細分化されています)

悪い箇所を見つけてそこだけ治したところで、全体が治るわけがない。

今の人間の頭というボディを使った思考では、真実を解明できても3%が限界です。

宇宙から観ると、地球人類がわかっていることは、サハラ砂漠の砂一粒にもならないといいます。

いつまでも肉体に固執して、自分の堅い頭を信じて、小さい小さい枠の中に入っていたら、人間の素晴らしさ、宇宙の偉大さを知らないまま、わからないまま死んでしまいます。

その無知を不幸というのです。

今こそ私たち人間は、肉体、肉体界という限られた狭い世界から、宇宙というほんとうの世界へ旅立つときが来ているのです。

そのメソッドがいうまでもなく『世界平和の祈り』です。

『世界平和の祈り』・印(我即神也・人類即神也・神聖復活目覚めの印)は人間個人と、地球人類、宇宙人類を幸せにするためのメソッドなのです。




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます





 お知らせ・・・私のブログはアメブロでも発信しています。

アメブロの方が観やすい人はどうぞご利用ください・・・・。


 https://ameblo.jp/goodmoon51



 

2017年12月10日 (日)

祈っている人、いない人の差がハッキリと表われる



アセンションに向けて、宇宙から地球に向けて降り注ぐエネルギー(霊要素という)が非常に細かくなってくると、細かい粒子(まるで水素原子のような)は、粗い波動とぶつかって焙りだしのように次々に表面に粗いエネルギー体が浮かび上がって来ます。

今、いろんな事件、事故、信じられない、混沌とした出来事が起きているのはそのためです。(個人的には病気、貧困、不調和な出来事)

表われては消え、表われては消えるのですが、そのときに自分という波動体が宇宙と共鳴していないと、まともに粗い波動を受けることになるのです。

地球人類がこれまでに溜めてきた過去からのマイナス想念エネルギーの蓄積をまともに受けてしまうのです。

それは病気であったり、貧乏、破綻、破壊、地震、台風、竜巻などの自然災害まで及びます。

しかしまったく異次元の波動に入っている人はそれらの粗い波動の洗礼?は受けません。(受けても最小限度です)


『世界人類が平和でありますように』と唱えると宇宙神、神界のエネルギーと共鳴し、光の柱の中に入ります。 パワースポットになるのです。

光の柱は、宇宙のプラスのエネルギーなのでバリヤが張られ守られるのです。

これも宇宙の法則です。

波動が違うものとは絶対に交差しない、共鳴しないのです。

バリヤ(光の柱)の中から消えてゆく姿を観ることになります。

そのときに慌ててはいけません。 自分の枠の外で起きていることなのです。

高次元と低次元の境界線があるのです。

お釈迦様やキリスト様、老子様などの聖者は、まったく違う世界に住んでいました。

肉体は肉体界、地球、3次元にあっても、意識は宇宙、神界、高次元にあったのです。

意識が主、心が主、肉体、物質は従です。

3次元の粗い波動、マイナスのエネルギーにどっぷりと浸かって、ありとあらゆる業、カルマ、マイナスの現象を受けるのか?

消えてゆく姿を枠の外から守られながら次元上昇を経験してゆけるのかは、お金をどれだけ持っているか?

地下へシェルターを持っているか? 頑丈なビルに住んでいるか? などではありません。

目にみえない波動、エネルギーは物質的にどれだけ厚く覆われた壁をもつき抜け、肉体というボディの中に入って来ます。

自分を守り、地球人類を守るには、宇宙(神界)にある無限のプラスのエネルギーを取り入れるしかないのです。(これが波動調整です)

今、すぐにでも高次元のエネルギーと交流しなければいけない時期に来ています。

今しかありません。 それは難しいことではありません。

宇宙と共鳴する『世界平和の祈り』を祈り、自分が神であることを思い出し、エネルギーとして顕わす『我即神也』の印を組み、人類を目覚めさせる『人類即神也』の印、幽界のオバケちゃんに取り憑かれ、ミサイルのボタンを押しそうになっている人に強烈な光を送り、覚醒させる『神聖復活目覚めの』の印を組み、宇宙からのエネルギーと自分が発する波動とを合致させるのです。

多くの人がそれを出来るようになっています。(これも宇宙法則!)


今まで地球の完成(アセンション)は、6回失敗してきました。

それは人間がまだ未熟だったからです。

宇宙(神界)の愛の波動、ほんものの波動にアクセスする準備が出来ていなかったのです。

しかし今回は違います。 七劫目に入ったのです。

地球が完成する、パーフェクトに調うことは約束されています。

それは安心してよいのです。

しかしやるべきことをやらなければ、不幸のままでアセンションを迎えてしまいます。

他力で待つだけになってしまいます。

それでは肉体を去った後で、よその星に行ったときに苦労するのです。

「自分は何もしてこなかった」 「アセンションは経験したが、傍観者で終った、自分はほとんど進化、成長していない」・・・・・なんとも情けない体験で終ります。

自分のためだけではない、人のため、地球人類のため、宇宙の仲間たちのために世界(宇宙)の平和を願う、祈る、それが『世界平和の祈り』です。

祈らなければ自分が損をする、そんな次元の低い話をしているのではありません。

これは、自分の本心、守護霊さま、守護神さま宇宙神からのメッセージなのです。
 


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。


 







 

2017年10月25日 (水)

人間はいつの間にか瞬間移動している



感想・・・「心ここにあらず」とは、肉体はここにあるけれど心は他のことを想っており、魂が抜けた状態を言います。

他人の話を聞かず、自分のしゃべることばかりを考えている人は、心がこもっておらず、ただスピーカーのように頭にひっかかってくる言葉を並べているだけと言ったら言い過ぎでしょうか?(笑)
 
人の話は心から相手の人と一体になって聞かなければならない、でないとほんとうのコミュニケーション(対話)は出来ないと思うのです。

そして大事なことは、人間とは光のエネルギー体(波動体)であり、肉体の中に魂や心が宿っているのではない、ということです。

これってどうでもいいことだと思っている人がほとんどだと思います。

しかし自分が幸せになる意味でも、人類が平和になってゆく上でも、とてもとても大切な、重要なポイントになるのです。

今、読まれていてピンと来なくても、なんとなくでもわかってもらえれば嬉しいです。

私はこれからも真理を書き続けてゆきます。




『人間はひびきである』


人間の存在というものは、その場所に肉体がいなければ、その人が存在しない、というものではなく、そこにその人の肉体身がいるから存在しているというものでもなく、そこにその人の心のひびきが伝わってきているか、きていないかによって、その人がそこに存在する存在しないということになるのです。

これは普通の人には難しい言い方になりましたが、その人の心がそこに無ければ、その人の肉体身がそこにいてもその人がそこにいないとのと同じことである、ということなのであります。

もっといいかえて申しますと、多勢の人が同じ部屋にいたとしまして、その各自が、お互いの家人や知人のことを思いつめている時に、その人の心はその家人や知人の人のところにいるのでありまして、その部屋には単に形だけが存在しているわけで、その人の実体は、家人や知人のところにいることになるのです。

こういうことは、科学面の発達によっても次第にわかっては参りますが、人間の本質は心そのものにあるので、心が生命を自由自在に働かせて真実の人間世界を創りあげてゆくわけなのです。

現在の地球人類というものは、まだ真実の人間が現われきっていない姿でありまして、人間とは肉体身というような固定したものではない、ということが、電波や光波の発見発達によりまして、段々と判らされてゆく過渡的な存在なのであります。

そこで私たち宗教者の役目としては、そうした科学の面からでなく、直覚的な面から、人間は単なる肉体身ではないのだ、ということを人々に知らせてゆかなければならないのです。



『肉体人間観から永遠の生命観へ』


人間は肉体身だという観念をいち早く超えなければ、人類は必ず滅びてしまうからなのです。

何故ならば、相対界に住んでいる限りは争いは尽きぬし、永遠の生命から離れた人間界は、その想念の通り、限りある年限で終ってしまうからなのです。

人間はどうしても、肉体身という限りある人間観でいてはならないのです。

肉体人間観では、自己を滅ぼすと同時に地球人類をも、永遠の生命から切り離してしまうことになって、地球人類は滅亡してしまうのです。

自己を救い、地球人類を救うもの、それは、人間観の転換による他はありません。

有限の世界観から無限の世界観に、肉体人間から永遠の人間観に、地球人類の心を向け変えなければいけなのです。

自分だけが善ければよい、自国だけがよければ、自民族だけが、というような想念は、すべて肉体人間観からくるのであって、永遠の生命の流れとして、働きとしての人類なのだ、という観点にたった人々には、そうした利己的な想いはないのであります。

現在の日本国は、単なる一小国の日本ではありません。

地球人類に永遠の生命を輝かせる為の大きな一つの役目を持った日本国なのであります。

そうした真理を心身に感じた愛国心で事に当たらないと、日本を四分五裂してしまいます。

人間は、神の分霊であり、大生命の分生命であります。

宇宙に充ち充ちている生命の光が、お互いに交流し合い和合し合って、神の大交響楽が、この地球界にも誤りなく演奏せられるのであります。

七十年八十年で死んでしまうような肉体人間観では、この神のオーケストラの素晴らしい大光明に接することはできません。

大神様は現在各守護神と分れ、そしてまた、救世の大光明として、一つの働きに結集され、地球人類に永遠の生命を輝かし出そうとしておられるのです。


世界人類が平和でありますように


私たちの世界平和の祈りは、こうした大神様のみ心の下にはじめられた祈りなのです。

病気も不幸も災難も、自他の想念行為の誤りも、みんな、神のみ心を離れていた想いの消えてゆく姿として、改めて神のみ心に感謝しつつ、世界平和の祈りの大光明の中に入れてしまうのです。

そこに自ずから新しい生命観が湧きあがり、知らぬ間に、肉体人間観を永遠の生命観に切り替え、各自の本心が自然と開発されてゆき、日常生活がそのまま生き生きとしてくるという、最も容易なる世界人類救済の道が開かれてゆくのであります。




『神は沈黙していない』 五井昌久 白光出版

   

2017年10月13日 (金)

死をハッキリと説く

 

 
先日、義父の七回忌があったのですが、その時にお経を唱えてくださったお坊さんは唱え終わると遺族(6名)が残り正座をしているにもかかわらず、お天気のよもやま話をしたのち足早に帰ってしまったのです。

私たちは何か為になる説法でも聞けるのかと少し期待していたのですが、あれでは「お布施だけが目的だったのか?」と思われてもしかたがありません。

「義父は今どこへ行っているのか?」「元気で暮らしているのか?」「人間は死んだらどうなるのか?」「私たちを見守ってくれているのか?」など、お坊さんであれば知っていて当然だと思うし、またそれを伝えるのが役目だと思うのです。

少しおかしな表現かもしれませんが、お坊さんのような宗教者には、死後の世界を説く、プロであって欲しいのです。

そして死に携わる仕事をしているお医者様、看護師さんなども患者さん、それも子どもに肉体の死後には別の世界があり、生命は生き続けることを語り伝えることが出来たらどれだけ安心出来るでしょう。 死後の世界(他界)に恐怖心を持つことなく旅立てるでしょう。

私は、それが自分の体験したことでなくてもかまわないと思うのです。知識だけでもいいのです。


「嘘も方便」でもいいと思うのです。

他人の死だけではなく肝腎な自分の死に対して、真剣に考える、そして知ることが、今を真剣に生きることだと思います。

五井先生のお弟子さんだった高橋英雄さんが五井先生の死観をハッキリと述べてくださっています。

今は、あやふやになっていること、縁起でもないなどと封印されていること、人間として知っていて当然だったことをハッキリとハッキリさせる時に来ていると思うのです。




本文

 

五井先生は輪廻転生を認めています。

したがって、死後の世界があることも確認していらっしゃるし、死後の世界の様相も教えてくれています。

死が迫った病人に、「死んだらどうなるのか?」と質問され、家人や医師や看護婦が、あるいは僧侶などが 「死んでみなければわからない」 とか、死後の世界のこと、人間の生命の行方のことについて、何の知識も持ち合わせていないがゆえに、曖昧にしか答えられない、あるいは質問をはぐらかしてしまったりすることは、五井先生の説いていることを学んでいる人にはあり得ないことです。

これから死に赴こうとする人の真剣にして真摯なる問いに、少なくとも宗教家が答えられないとは、まことに情けないことです。

五井先生や他の霊覚者のように、死後の世界を見聞し、体験として知っていなくとも、人間の魂の問題、安心立命を扱う宗教者は、神霊について、死後の世界について、知識として学んでおくべきだと私は思います。

死んだら死後の世界がある。

自分という意識がなくなることは、決してなく、魂として生きつづける、と知っていれば、それが本から得た知識だとしても、質問を受けたときに伝えられます。

伝えられた人は、安心して彼の世に旅立つことができるでしょう。

死にゆく人が大人でもなく、子どもの場合、その効果は大きいものです。

死後も生きている、親しい人に囲まれて、という指導のもと、新しい世界で生きるのだ、と知ることは、どんなに子どもの心を明るくし、安らかにするかわかりません。

私は五井先生から耳で聴き、本で読み、死後の世界のことを知りました。

「死んだらどこへゆくのか?」「死んだらどうなるのか?」という真剣なる質問にも答えられます。

真剣にして真摯なる質問をはぐらかして、そのまま放置して平気でいるのは、宗教者として怠惰でありましょう。

お釈迦様は、お経の中でたびたび「これこれこういう前世の因縁で、今、こうなっている」ということをおっしゃっています。

ご自分の過去世のこと、前世のことにもしばしば言及なさっています。

前世、過去世のあることをお釈迦さまは知っていたからこそ、そうおっしゃったわけです。

前世、過去世を認めるということは、来世つまり人間の死後の世界と次の世の存在もご存知であったわけで、お釈迦さまにとってそれはごくあたり前のこと、常識であったでしょう。

けれどハッキリとお経の中で言及なさっていないので、お坊さんもハッキリとおっしゃらないだけで、ご自分の経験として魂の行方、死後の世界のことをご存知のお坊さんがたくさんいらっしゃると思います。

その経験をぜひ表に出して、人々の迷い、不安、恐怖を取り払っていただきたい、と切に思います。

現在は心の時代、と言われますが、その心も肉体に付随する心のことであって、肉体の死滅とともになくなってしまうような、はかない心です。

人間死んだらゴミになるなんて、とんでもない誤解です。

まだまだ物質思想に人は把われております。

人間は死んだあとも生き続けるわけですから、宗教者が導師となって、魂の行くべき世界へ導いていただきたい。

葬式というのはそのための大事なセレモニーだと私は思います。

ただ生きつづけるだけでなく、進化向上している、ということを、五井先生の著書(特に『神と人間』)より学んでいただきたい、と切に思います。



『神の満ちる星の話』 (五井先生が語った地球と人類の未来図)高橋英雄著 白光出版



 

2017年9月20日 (水)

霊能についてわかりやすく教えてください



私たちは肉体が自分だと思っていますが、真実は肉体(物質)は消えてゆく仮の姿であり、私たちの本体は霊(神霊、神)なのです。

ですから誰にでも霊能があって当然であり、お釈迦様やキリスト様のような奇跡を起こすような神通力や神秘力があることもまた当然なのです。

しかしその力を得たいと思っても、神様が「おまえは神そのものの意識である、愛そのものである(か~あ み~い)、だから神と同等の力を授ける」と認めてくれない限りは与えられないのです。

それ以外は霊力ではなく、幽界のおばけちゃんによる邪な念力、幽力なのです。

そのことがわかりやすく書かれている五井先生の文章をご紹介します。

霊力、霊能に興味がない普通の人にも読んでいただきたいです。




『誤った霊能』


真の霊能と魔境的、迷いの心の幻覚、幻聴とは違います。

魔境とは、まず最初に自己の力を誇示したいとか、自己の都合のよいようにその力を使いたいとかいう想念でなった霊眼、霊聴、霊言のすべてを言います。

そうした想念が魔境的想念なのでありますから、そうした想念統一でなった霊能は、全部一度打ち消してもとの普通人に還らなければいけません。

それは例えば霊眼に仏菩薩の姿がみえ、霊聴に神と称しキリストと名乗って聴こえてきても、これはダメなのです。

何故かというと、自己利益的欲望では、絶対に神仏の真の力をいただく境地にはなれないからです。

魂の開発向上に少しも役立たぬばかりか、ついには自己の身を滅ぼし、他人の魂を傷つけ、歪めてしまうようにもなるのです。



『真の霊能の条件』


愛が深いということは、魂の清さ高さを端的に現わしているからです。

自己を深めたい、人を救いたい、人のために働きたい、人の世のために全力を挙げたい等など、常に自己の力を他に捧げたい、という愛の心が根本になって、開発された霊能であることが第一です。

だがいかに深い愛をもっていても、霊視、霊聴、霊言を審判もせず、ただやたらに信ずるようではいけないのです。

霊能があるからといってすぐ有頂天になったり、すぐに人に告げてみたりする軽率さでは、守護神はその人に及第点を下さらないのです。

もしその人に深い洞察力がなければ、出てくる霊能を否定し尽くすことです。

否定して否定して否定し尽しても、どうしても消えぬ霊視であり、霊聴であり、霊言だったら、それは真実のものと判断すべきです。

  

 

『守護神の指導にまかせよ』


もっと危険性のないことは、出てくる霊視、霊聴、霊言に把われず、わが天命をまっとうせしめ給えの祈りと、守護霊、守護神の加護を念じつづけることです。

そうしていさえすれば、霊能になる天命のものなら、必ず善き霊能者として社会人類のために働かせて下さるのです。

もしそうしているうちに霊能が消えてしまったとすれば、その人の素質が外に現われる霊能ではなく、内部からの直感的働きとして、職業生活を通して、天命を完全に遂げてゆく素質であるということになるのです。

真の霊能はすべて守護神の指導によるものであり、魔境的、外道的霊能は、幽界の悟らざる霊魂たちの興味本位の肉体界への働きかけによるのです。




【日々の祈り】 五井昌久 白光出版



 





 

2017年8月 7日 (月)

ほんとうの自分はどこにいる?


 
大昔の人で、浦島太郎のように急に現代にやって来て、もっとも驚くものの一つにテレビがあると思うのです。

四角い箱の中に人間が映っている、それも自分の知っている人が映っていたとしたら、その箱の中に人間が入っているのか?と思うかもしれません。

しかし本人はテレビ局に居たり、テレビカメラの前に居たりするのです。

それと同じように肉体人間とは、人間の現われのほんの先っぽであってほんとうの自分(本心)は、幽界、霊界、神界を超えてもっと奥の世界に居るのです。(神界よりも奥です)

人間が迷い苦しみ、病気、貧乏など不調和な状態にあるのは、本心イコール肉体の自分になっていないからです。

頭のてっぺんを百会(ひゃくえ)というのですが、ここには、本心からの光が真っ直ぐに降りて来ているのです。

この光、エネルギーのことを霊要素というのですが、この霊要素が入らなくなると人間は肉体界を離れ、幽界、霊界、神界へと往生(生きて往く)するのです。(つまり肉体の死)

神界の美しい光がそのまま映っていれば、覚者、聖者、悟った人、まともな人なのですが、霊界の低い層で少し汚れ、幽界で業想念にまみれ、肉体の百会に映って来たときにはすっかり汚れ切っているのです。

それが「ああだこうだ」であり「あいつは嫌いだ、好きだ」「あんな奴死んでしまえばいいんだ」であり「どうしていいかわからない」・・・・等の迷いの元凶となるのです。

人間が愛に溢れ、本来の素晴らしい姿を顕わすには、幽体、幽界(幽体は個人、幽界は人類)を浄めなければなりません。

世界平和の祈りは、宇宙神の理念であり、宇宙最高の祈り言霊であり、人間が肉体界を去ってもずっと祈り続ける宇宙共通の祈りなのです。

そんなもの凄い祈りが、人間が作った業想念を消せないわけがないのです。

祈っていると今まで気にしていたことがどうでも良くなります。安心感が湧いて来ます。今までどうしても許せなかった人を許せるようになります。

それは業想念が消えたのです。心が晴れたのです。浄まったのです。

物事は、目に見えない心のエネルギーが変化してから目に見える現象が起きるのです。

心が主で肉体(物資)が従です。

世界平和の祈りを祈ったからと言ってすぐに奇跡が起きるかどうかはわかりません。

人によって幽体の汚れ具合が違うのです。

しかし光が入ることによって闇は小さくなるのです。大難が小難になるのです。

これが消えてゆく姿です。最後に残るのは神さまの光だけです。

白光以外のくすんだ光は、世界平和の祈りで消されてゆき、益々綺麗になって行きます。

人間のミッション(使命、天命)とはほんとうの自分(神)を肉体界に現わすことです。

それしかありません。

「医者になりたい」「大統領になりたい」「大金持ちになりたい」・・・・などはほんとうのミッションではありません。

そこに人類愛があったとしても、すべての個人的なミッションは「世界(宇宙)人類が平和でありますように」の祈りの中に入ってしまいます。

五井先生が「世界平和の祈りを基盤として日常生活を送りなさい」とおっしゃっているのはそういうことです。

世界平和の祈りを祈っていると個人の願い事はすべて整うことになります。

話が逸れてしまいましたが(笑)ほんとうの自分は肉体というちっぽけな存在ではない、宇宙大に拡がっているとてつもなく大きな存在なんだということを知ってください。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 

2017年7月27日 (木)

4次元、5次元とは



本当の親、真実の親とは自分の子を私物と見るのではなく、木の上に立って見れるようになれる人だと以前のブログに書きました。

自分中に子があるのではなく、放して観るのです。

すると大きな目で俯瞰的に観れるようになる。

他人の子と自分の子が分け隔てなく観れるようになる。

自分の子、他人の子という意識が無くなる。我が無くなる。

悟るとは、自分が勝手に作っている壁の差を取ることだとどこかで聴いたことがあります。

そして、肉体人間の自分を少し離れたところから観ている自分がいる。これが4次元です。

そしてその観ている自分をまた、離れたところから観ている自分がいる。これが5次元です。

恐らく、4次元から観た自分は今までの自分(3次元、肉体界)とはまったく違うと思うのです。

そして5次元になった自分が観る景色もまったく違うのだと思います。

私は時々、シュミレーションしています。

自分でイメージして多次元へ行くのです。宇宙旅行をしているのです。

世界平和の祈りをしていると意識は神界(宇宙)にあるので、4次元に繋がりやすいのです。

今、私たちは肉体意識から神意識へ宇宙意識へ、人間が大きくシフトする時期に来ています。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます





  

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