2017年11月11日 (土)

ご紹介した本の内容(イメージしなければ何も生まれない)





1.『想いをカタチに変えよ』 渡邉 美樹著 PHP


「君の周りを見てごらん。神様がつくったもの以外、すべて誰かがイメージしたものばかりなんだよ。 イメージしなくちゃ、形はつくれないんだよ。 『イメージの力』 こそ、神様が人間に与えてくれた最大の能力なんだよ。だから自分の将来をイメージしようよ。 こんなふうになりたいって。 夢を持とうよ。 夢のない人生なんてつまらないよ」
 

 

2.『果因説』 西園寺昌美 白光出版
 

因果律と果因説の違い


過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か

 

次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを持って)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

 

    
3.『宇宙が味方する経営』 伊藤忠彦 元関西アーバン銀行頭取 講談社インターナショナル
 

ほとんどの人たちは、目の前に存在する形のあるものにこだわり過ぎているのです。

しかし、本当に大切なのは、目前に存在するものではありません。 

その背後にあるものなのです。

私はけっして休日返上でがむしゃらに仕事をしたわけでもなく、やたらと厳しく部下を怒鳴りつけたこともありません。

私の仕事ぶりを少しでも知る人は、なぜあんなひょうひょうとしたやり方で業績が上がるのかと不思議がるほどです。

長く続いた不況の中、経営立て直しに奔走した企業は、それこそ山ほどあったことでしょう。

でも、仕事の鬼に徹したからといって、奮闘努力したからといって、成果が上がるとは限らないのです。

 
 

2015年7月24日 (金)

僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない

 

    
「僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない」

この本のタイトルを見たとき、私は衝撃を受けた。

心の奥底で

「そうなんじゃないか」と思っていたことが活字になっていたからだ。

今、生まれてきている子どもたち(若い人も含む)は

魂が高いので

3次元的な粗い波動(エネルギー)に対応出来ない。

よって、登校拒否や引きこもりになったり、仕事に就くことが出来ない

親は就職することがあたり前に思っているので

「なんでブラブラしているんだ」 「仕事をしろ」 「働かざるもの食うべからず」 とののしり

親子の間に軋轢を生み出してゆく

子も 「今のままではいけない」 と思っているが、心と身体が一致しない


  

これからは両面から考える必要がある

この世(肉体界)に対応出来ない子どもたちが増えているということ

もう就職する時代は終わったということ


ところで、そもそも仕事って何だろう? 働くってどういうことなんだろう?

私は 就職はしなくても働けばいいのだと思う

金銭的なことは別として、働くことに重点を置くのだ(働くにはいろんな要素が含まれている)

仕事は定年になれば終わるが、働くことは死ぬまで続く

働くとは 人の役に立つということ、つまりはた(周り)を楽にさせるということだ

感謝されるということだ

働くという範疇に仕事がある・・・・・・・。

この本はそのことに気づかせてくれる名書だと思う



    

「僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない」岡田斗司夫著 PHP新書





    

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