2017年4月12日 (水)

人は食べなくても大丈夫になるのです



人は食べることが大好きです。

食欲は、他の欲(金銭欲、物欲、性欲、独占欲・・・)と比べても一番強いと言ってもいいと思うのです。

人間は、空腹の極限状態になったとき

目の前に1億円を積まれても

絶世の美女が現れても(ハニートラップか?)

空腹を満たす方を選びます。

それは死と直結すると思っているからです。

では、人間は食べなくても死なずに生きていけるのか?

生きていけるとしたら、お金を稼がなくてもよくなるのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人は、「食べて行くため」に働いている人がたくさんいると思うのです。

もちろん生活するには食費だけ掛かるわけではありませんが

住む場所が無料で提供されるとして、食べ物も与えられるとしたら

真面目に?働く人は減るかもしれません(親に経済力があると子どもはニートになるのも頷けます)

それくらい食べることは人間にとって大きな問題なのです。


ここから

神秘的な話しをます。

ズバリ、これから人間は食べる量が減っても大丈夫になっていきます。

これまで人間は食べ物からのエネルギーで空腹を満たしてきました。

車で言うとガソリンで動いていたのです。

しかしこれから人間は宇宙からのエネルギーで生きていけるようになります。

宇宙からのエネルギーを霊要素と言います。

樹をイメージしてください。

樹は宇宙(空・天)に向かって真っ直ぐに伸びています。

宇宙からのエネルギーと地面、土からの肥料、栄養を摂って育っていくのです。

人間も同じです。

頭のてっぺんの百会(ひゃくえ)に宇宙からのエネルギーが入っているのです。

これまでは、百会のチャクラがほぼ閉じていたので、ほとんど霊要素が入っていなかったのです。

その足りない分を固形の食べ物から摂っていたのです。

しかし、地球が5次元に突入したということは、この霊要素が強く、多くなっているのです。

自然と人間の食欲は減っていきます。(すでに少食になったり断食をしても平気な人が増えています)

そして、断食が健康を保つ為に必要だとわかってきているのです。

食べ過ぎが病気の原因になっていることもわかってきました。(癌は三つの口で山のように食べるから)

前に書いたブログで、「食品業界が淘汰される」と書きました。

それは、人間が食べなくなることも影響されるのです。

お金が無くなり、食べることが難しくなったとしても

食欲じたいが減っているので苦しくないのです。

これから人間は欲が少なくなるのです。

金銭欲、そして食欲です。(性欲は最後まで残るそうです)

アセンション(次元上昇)に向けて

準備は進んでいるようです。


  

 

2017年4月 4日 (火)

私は宗教が嫌いです!



感想

これまで散々、宗教のことについて書いてきましたが、私は俗にいう「宗教」というものが大嫌いです(笑)。

今までの経験で邪な宗教に勧誘されかけたことが何度かあり(すぐに見破ったのですが)、その時のその人たちの態度が好きになれなかったのです。無限なる愛!

その人たちの様子は、まさしく何かおかしな霊魂(不良霊)に取り憑かれているようでした。

不快感だけが残りました。

だから新興宗教=宗教だと私も思っていたのです。

ですからほとんどの人は、宗教という文字があるだけで敬遠されるのだと思います。

このブログが宗教シリーズに入ってからアクセス数が激減していることがそれを物語っています(笑)。

しかし、神と人間(真理)を語る上で、宗教を外すわけにはいかないのです。


そもそも宗教とは、自分の心の中に存在するものであり、そこは聖域です。

誰も踏み込んで来ることのできない、いや踏み込ませてはいけないのです。

自分なりに魂を磨いていけば、心の奥底に入っていけば自ずと悟るようになっています。

だから宗教が心の外に存在することがおかしいのです。

だがしかし、誰も頼らずにたった一人で本心とつながることは至難の業です。(本心と繋がることを悟るといいます)

ほんとうに悟った人はお釈迦様、キリスト様、その他数名しかおられません。

しかし仏教、キリスト教でさえも、多くは弟子たちによって経典は改ざんされ、本来のものでなくなってしまったものもあります。

それを信じた人たちは迷いの世界へと行ってしまう。

また教えがほんものであったとしても伝達者が邪な人ならば、濁ったものになってしまいます。

私たち人間は、本心(神性)と繋がらなければ本当の幸せをつかむことはできないのです。

 

では、どうすればいいのか?

もう私たちは正しい宗教を探すことはやめましょう、宗教に頼ることもやめましょう。

人に依存することもやめましょう。

これからは自分の中(聖域、神性)に入ってゆき、ほんとうの自分と繋がる時代になっていきます。

つまりお釈迦様やキリスト様のような人が次々に現われるのです。

そうなればその人たちの波動(エネルギー)に触れて、周りの人の意識が変わってゆくのです。

肉体(欲望)意識から宇宙(神)意識へとシフトしていきます。

人類がみな神性を顕わすときがもうすぐやって来るのです。(神性復活)





神性復活については、下記のホームページをご覧ください。
 
  
富士宣言

http://fujideclaration.org/ja/
 


本文



この種の宗教の教祖はおおむね、女性や、学問的知識のすくない人が多い。


何故ならば、知性のある人びとは、相当素直な人でも、その言葉や態度に批判の眼(まなこ)をむけずにはいないので、肉体を使おうとして憑く霊魂にとって、自由に使いにくいからである。


この種の教祖や宗教家は、非常に尊大ぶった態度を取ったり、下卑た口をきく。


または知ったらかえって不安動揺するような予言をする。


予言されて、その通り防げば、防げる態(てい)の事件の予言ならよいが、その難を絶対除かれようもない未来の予言をするようなことは神の心に適うはずはない。



これらの霊魂は幽界の生物であって、神から来る守護神、守護霊ではないので、ただたんに面白半分に、肉体人間を驚かし、畏敬させて得々としているのである。


肉体人間でいえば、不良青年のようなものである。


ただ、予言が当ったり、人の心を見抜いたりするだけの奇蹟で、その人間を神が使っている、とか、神様だとか、思ったりしてはいけない。


たとえ、その霊魂(宗教家)の言葉で事業や、商売がよくなった、としても、そのことだけで、その人が救われの道に入ったのではない。


現世利益だけの目的で神にすがりつこうとするその姿(心)は、神の道をかえって見失ってしまう恐れがある。


生命を活かさず、心の汚れたままで、神に救ってもらおうとする人間たちの、卑しい心を助長するような働きをする宗教は、誤れる宗教という他はない。


それから、未来の予言をして、人を恐怖させ、それを入信の手段としているような宗教もまた誤れるものである。

 



『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版


2015年12月末~2016年2月にこのブログに掲載




  


 

2017年3月28日 (火)

宗教が敬遠されるようになった理由




感想

 

一般的になぜ、宗教が嫌われ、敬遠されているのかというと下記の本文にあるように、お釈迦様やキリスト様が肉体界を去った後に、その弟子たちが本来の宗教を継承していけなかったからなのであります。

そして自分たちの都合のよいように改ざんをした。

このようなことは現代にも言えることでありまして、事業の成功した一代目は、志も高く、純粋であったものが2代目、3代目になると甘えが出たり余計な欲が心の中に生じやすいのです。

そして初代とは変わり果てた姿になるのです。

その原因は、精神にあります。

前世で正しい宗教を体得したや精神のバランス感覚の取れた人は誤れる宗教を直観で見抜くことができます。

「この宗教はおかしい」 「教えは善いが語っている教祖(世襲を含む)や信者たちが胡散臭い」 「お金ばかりを要求する」 「信者を集めるように言われる」・・・・

など、常識で考えればおかしな言動であることがわかります。

しかし欲が絡んだり、心の隙を見せると騙されることになります。

魂は真理(宇宙法則)を求めているのになかなか真の宗教に繋がらない・・・

これは人間にとって、とても不幸なことだと思うのです。



  

本文




しかし、この覚者たちが、肉体生命を終えた後、この覚者たちの教えを、種々な弟子たちが、それぞれ独自な形で伝え始め、これが、何宗、何派、何教会、等々、世界全土に拡まっていった。


日本では、仏教が最も盛んで、各宗派に分れ、しだいに教えの根本を忘れて、激烈なる宗派争いをしながら信者獲得に狂奔した。


その他、神道、儒教があり、現在に至って、キリスト教が非常に盛んになってきた。


このように宗教が、各種の組織をもって、世界各国に拡まっていったのであるが、人類の宗教心はその組織の拡大と正比例して深まってきている、とはいえないのである。


古代の人類は、宗教を学理的に知るよりは、行為で理解し、直接体験で、神を知ろうとしていたが、中世、現代としだいに、宗教を行から哲学に移してゆき、学理究明が先になり、行からくる直接体験は薄らぎ、本来の宗教心から、知らず知らず遠のいていった。


やがて宗教は、学理的究明者と、教団、教派の形式の踏襲者並びに、真に神仏と人間との関係を直接体験として知らんとする行の人、の三つの流れに分れてきた。


宗教は、学理的に究明しただけでは肉体脳髄に知識として残るだけで、先覚者の志を継ぐものではなく、形式を踏襲したのでは、神仏のいのちが枯れてしまって生きて来ない。


神仏は生きとし生けるものであり、人間も生きとし生ける者である。


生きとし生きて自由自在に形の世界を造ってゆくものが神であり、人間である。


学理に固着し、形式に捉われた世界には、いくら神を求めても神はいない。


宗教とは哲学ではない。


哲学を越えた行の世界が宗教である。




『神と人間』 五井昌久 正しい宗教と誤れる宗教 白光出版



 

2017年3月27日 (月)

宗教はなぜ嫌われるのか?




感想

 

一般的になぜ、宗教が嫌われ、敬遠されているのかというと下記の本文にあるように、お釈迦様やキリスト様が肉体界を去った後に、その弟子たちが本来の宗教を継承していけなかったからなのであります。

そして自分たちの都合のよいように改ざんをした。

このようなことは現代にも言えることでありまして、事業の成功した一代目は、志も高く、純粋であったものが2代目、3代目になると甘えが出たり余計な欲が心の中に生じやすいのです。

そして初代とは変わり果てた姿になるのです。

その原因は、精神にあります。

前世で正しい宗教を体得したや精神のバランス感覚の取れた人は誤れる宗教を直観で見抜くことができます。

「この宗教はおかしい」 「教えは善いが語っている教祖(世襲を含む)や信者たちが胡散臭い」 「お金ばかりを要求する」 「信者を集めるように言われる」・・・・

など、常識で考えればおかしな言動であることがわかります。

しかし欲が絡んだり、心の隙を見せると騙されることになります。

魂は真理(宇宙法則)を求めているのになかなか真の宗教に繋がらない・・・

これは人間にとって、とても不幸なことだと思うのです。




  

本文




しかし、この覚者たちが、肉体生命を終えた後、この覚者たちの教えを、種々な弟子たちが、それぞれ独自な形で伝え始め、これが、何宗、何派、何教会、等々、世界全土に拡まっていった。


日本では、仏教が最も盛んで、各宗派に分れ、しだいに教えの根本を忘れて、激烈なる宗派争いをしながら信者獲得に狂奔した。


その他、神道、儒教があり、現在に至って、キリスト教が非常に盛んになってきた。


このように宗教が、各種の組織をもって、世界各国に拡まっていったのであるが、人類の宗教心はその組織の拡大と正比例して深まってきている、とはいえないのである。


古代の人類は、宗教を学理的に知るよりは、行為で理解し、直接体験で、神を知ろうとしていたが、中世、現代としだいに、宗教を行から哲学に移してゆき、学理究明が先になり、行からくる直接体験は薄らぎ、本来の宗教心から、知らず知らず遠のいていった。


やがて宗教は、学理的究明者と、教団、教派の形式の踏襲者並びに、真に神仏と人間との関係を直接体験として知らんとする行の人、の三つの流れに分れてきた。


宗教は、学理的に究明しただけでは肉体脳髄に知識として残るだけで、先覚者の志を継ぐものではなく、形式を踏襲したのでは、神仏のいのちが枯れてしまって生きて来ない。


神仏は生きとし生けるものであり、人間も生きとし生ける者である。


生きとし生きて自由自在に形の世界を造ってゆくものが神であり、人間である。


学理に固着し、形式に捉われた世界には、いくら神を求めても神はいない。


宗教とは哲学ではない。


哲学を越えた行の世界が宗教である。




『神と人間』 五井昌久 正しい宗教と誤れる宗教 白光出版


追伸・・・人生の指南書である『神と人間』の感想と本文は、2015年12月末から2016年1月にかけてこのブログの中に書かれています。よろしければさかのぼってお読みください。



  

2017年3月22日 (水)

愛の波動



 
息子と全然話をしていなくて、お互いの心がどんどん離れていっていると思っていたときがありました。
 
「息子だけでなく、自分も嫌いになりかけている」

このままでいいわけがないと思いながら、なすすべもなく自暴自棄になっていました。


そんなとき、師匠である于(う)先生から

「息子さんと相撲を取ったことがありますか?」 と質問されました。

「はい、あります」

「そうですか」

とだけ、先生は答えられました。

たったそれだけの会話だったのですが

私の心の中には

「絶対に大丈夫なんだ」

という確信が芽生えたのです。

それは自分と息子とは繋がっているんだという確信です。

身体と身体をぶつけ合って、触れ合って

息子の体温を感じていた

そのときに心は通じ合っていたのです。

だからどんなことがあっても必ず大丈夫なんだ!

そのことを想い出させて私に安心を与えてくださったのです。
 

「そうか、人を癒すには多くの言葉はいらないんだ」

「自分が穏やかなやさしい波動を発していればきっと善くなっていく」

と気づかせてくれました。

今になって、それがわかるようになりました。

ありがとうございました。


  

2017年3月15日 (水)

今、置かれている環境は最善の場所

3月に入ると卒業、転職、転勤などで新しい環境に向けて準備をされる人もいるでしょうし、一方で、ここ何年も環境が変わってないという人も多くいるでしょう。ところで皆さんは、今置かれている環境は好きですか?


とても気に入っていると答えれる人は、毎日が充実して楽しい日々を送られているのでしょう。あるいは、いやいや、もうこの環境から早く抜け出したい、変えたい、変わりたい、何とかしたいと思っている人もいるのではないでしょうか。


私も変化のない日々が退屈で、何とかして変えたいと強く思う時期がありました。そのためにイメージをしてみたり、本を読んで色々なことを試してみたりもしましたが、状況は全く変わりませんでした。どうしたら変えれるのかが分からず途方に暮れていました。今思えば、もがいてばかりで肝心なことに気付いてなかったのです。“肝心なこと”とは何か…


それは、その状況においての課題をクリアしていなかったのです。置かれた場所において、学ぶべきことを学んでいかないと、次の場所へは行けないのです。仮に行けたとしても同じ状況を繰り返します。今の環境が、とても辛く悲しい状況であったとしても、課題をクリアすることで、あなたをもっと大きく成長させる最善の場所なのです。


肉体の人間が、嫌だ辛い、自分にはもっと相応しい場所があるはずだと思っていても、本心の自分にとっては待ち望んだ場所なのです。そして、その場所は魂が清められ、進化するために用意されたもので、自分を輝かせるための、またとないチャンスを与えられた場所でもあるのです。


しかし、多くの人は嫌だ、辛い、苦しいというマイナスの感情に覆われ振り回されてしまい、真実が見えなくなっています。今の環境は偶然ではなく必然なのです。意味があってその場所に置かれているのです。自分を磨き、進化させるために必要なことが表裏一体となって隠れているのです。今いる場所が最善の場所であると思えるようになれば、自ずと次の場所へ導かれステップアップしていくのです。

 



もし環境や状況を変えたい、一刻も早く脱したいと願うなら先ずは、今いる場所で何か出来ることを見つけることです。必ず何か出来ることはあります。やりたいことはあるが、足りないものがあって出来ないと思う人もいるかも知れませんが、神さまは、その人にとって必要なものは必ず与えています。気付いてないだけで、本当に必要なものは与えてくれるのです。


ですから、今の場所から逃れることを考えるのをやめて、腰を据えて、その場にいることを覚悟してみてはどうでしょう。今やれることをやるというのは、将来のためにもなります。人生に無駄はありません。


そして「やるぞ!」「やってみせる!」という強い気持ちがあると、神さまは環境を整えてくださり物事が前に進むのです。環境が変わり物事が前に進んでいる状態は、言い換えると、波動が動いて変わっているということです。なぜ変わることが出来るのでしょうか。それは、自分の波動が変わったからです。


今の環境というのは、自分の波動(想い)が写し出されたものなので、いくらでも変えられるのです。覚悟を決めるということは、自分の波動を一瞬で変えることになります。波動が変わると、今までの習慣の想念が変わるので、自然と写し出される環境が変えられてゆくのです。


それに今出来ることが大きなことでなくてもいいのです。ほんの小さなことでもいいから続けていくと、思いもよらぬ世界が展開し最終的には、自分の思い描いていた世界へと繋がってゆくのです。


今置かれた環境が、嫌で変えたいと思っている人は、先ずその場で地に足をつけ覚悟を決めて、自分が出来ることを見つけ出し、それをとことんやってみるというのが一番の方法だと思います。



                          あーやんブログより
                       http://akemi51.blog.fc2.com/



  




  


  

              

意識して習慣を変える


地球は宇宙の進行に合わせて、今も進化創造しています。地球のレベルが上がるにつれて、人々の意識も上げてゆかないと生き辛くなるのです。では、どうやってこの波に乗り、意識を上げれるのでしょうか。先ずは、今までの悪しき習慣を変えることです。多くの人は日常の想念で、不平不満、心配、怒り、悩みなどのネガティブな習慣の想いを毎日繰り返しています。これらの想いは当たり前のようにパターン化された生活になり、なんの違和感もなく通り過ぎています。会社に行けば、人間関係で不平不満が出たり、給料のことで心配し不安になり、きつい労働を強いられて怒りが出たりと、このようなマイナスの想念の繰り返しで、自分の人生を暗いものにしてしまっています。


 
 また、習慣といっても色々あり、先ず心の習慣を考えてみると、朝起きてから寝るまでは感情が一定でなく、一日の始まりからすでに、イライラや不安、悲しみ、憎しみなどの感情想念に覆われています。次に物質の習慣です。あれが欲しい、これが欲しい、あれが足りない、など、常に物質によって人生が支配され、物質の多い少ないで人生が左右されると思い込んでいます。食べ物の習慣もあり、常にお酒やタバコを好んで飲んだり、肉ばかりを食べたり、暴飲暴食をするなど、嗜好の習慣があります。そして、心の習慣に基づいて行動の習慣が挙げられます。


 
 このようなマイナスの習慣で、自分の人生が築き上げられています。悪しき習慣を変えずに、人生を変えようとしても無理なのです(無限なる可能性)悪しき習慣に対して無頓着で、変えようとする信念や、変えなければという決意も起こっていません。なぜなら、変えなくても取り敢えずは生きてゆける、苦しみや悲しみも、誰しもが抱えているから、これは当たり前だと思い込んでいるからです。世の中は、真理から離れた人々の想いで創られ、感情に支配され、感情で解決しているのが現状です。しかし、このような状況がいつまでも続くわけにはいかないのです。このままだと、いつか地球は混乱状態になり、にっちもさっちも行かなくなるのです。

  
 

 だから今こそ、習慣の軌道修正をし新しい地球の波に乗ることで、未来を安泰して生きてゆくことが出来るのです。ただ、自分の力だけで習慣を変えるには、かなり強い信念がなければ続かず、挫けてしまうのことがあります。世の中の波は、人類の欲望の波、物質に支配された波、真理からかけ離れた波が、渦巻いており、信念を貫くのは難しいのです(無限なる光) 


 
 しかし、このようなマイナスの世界であっても、習慣を変えることが出来るのが、祈りと印なのです。祈りと印により光の柱に身を置くことで、自らの意識と波動を高め上げ、次元上昇できるメゾットなのです。自分の意識と神の意識が全く一体となり、光り輝いた自分が、低次元の習慣を変える力を発揮していきます。長い時間かけて創った習慣でも、自分が創ったものは、自分で変えれるのです。自分しか変えることは出来ないのです。祈りと印を組むことで、否定的な想念から発した悪しき習慣から、光明想念から発する良き習慣へと自然に変わってゆくのです。今は個人個人が、本当に変わらなければいけない時期に来ています。人々とって、マイナスの感情想念で生きるよりも遥かに、プラスの感情想念で生きることが、どれほどの良い人生を創れるかは計り知れないのです。 



あーやんブログより

2017年3月 3日 (金)

日本は世界の代表なのです 


  

たった今、「世界のひな形━日本」という本が届いたところです。

ここには今人間が、いや日本人がしなければならないことが書かれています。

いつもだったら読んでしまってから感想などを書くのですが、読むのと書くのを同時進行でやってみたいと思います。

心の響いた文章をそのまま、あるいは感想を交えながら書いてみたいと思います。

では、まず世界のひな形とは何か?

日本は地球の国の縮図と言われています。

九州はアフリカ、四国はオーストラリア、地球の中で一番波動が粗いのはニューヨークだそうですが、それは私がよく通っている大阪のミナミという街だそうです。

つまり日本は地球を代表する国なのです。

だから原爆も一番最初に落ちた、地震や津波等の被害も一番受けています。

しかしそこから立ち直っていける強さを持っているのです。

日本が浄まればそこから世界へ発信していき、全世界が善くなっていく。

それは神様のご計画なんですね。

これからそのことを詳しく書いて行きます。

私たちは肉体界に住んでいるのですが、その前に幽界があるということを知らねばなりません。

幽界とは霊界との間に出来た世界です。

人間の想念がつくった潜在意識の世界です。

想いの世界、迷いの世界です。

人間はマイナスを想うと(プラスもそうですが)そのエネルギーは消えることなく滞っていきます。

プラスを想うよりもマイナスを想う気持ちの方がずっと多かった。

それが今、肉体界に現われて来てしまっているのです。


しかしそういう世界になることも神様はもちろん御承知です。

神様は何を望んでいるか?

それは人間がつくってしまった幽界を浄めていくこと。

つまり祈りによってきれいに浄化して神様の世界、天国を地上に現わすことを望んでおられるのです。

人間は神の子です。

幸せになって欲しい、平和になって欲しい、調和な姿を現わして欲しい、・・・・・それは、私たちの魂の親である神様の率直な願いなのです。


そしてそれは私たち人間は誰でもが想っていることかもしれません。


しかし人間は自分のことばかりに意識がいって、本当に大切な事を忘れてしまっている。

そのことを想い出させるために、今いろんな天変地変を始め、個人的にも不調和(本当は違うのですが)と思われることが起っています。


どう受け止めてどう対処するのか?

人間の真価が問われています。


それがこの本に書かれていると思うのです。




「世界のひな形 ━ 日本」 五井昌久 西園寺昌美 白光出版



  
世界人類が平和でありますようにぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



2017年3月 2日 (木)

アインシュタインはユーモアの天才だった



アインシュタインは20世紀でもっとも優れた科学者であると言われているのですが、本人

は天才ではないと言っている。

それは正直な気持ちだと思うのです。

ただ違ったのは、宇宙(天、本心)と波長を合わせるのがうまかった。(だから天才)

そして天から無限の叡智だけではなく、ユーモアというセンスも降ろして来た人です。

舌を出して笑っているお茶目な写真を見られた人も多いと思います。

アインシュタインは

人間はユーモア(ジョーク)という余裕がないと

「人生が楽しくならないよ」 と言っているような気がします。

「アインシュタイン150の言葉」からわたしが選んだ語録をご紹介します。

 

1.あなたはほんとうにそう思っているんですか?他人によって永遠の幸せが得られるな

んて。いくらその他人が最愛の男だったとしても。 私は、自分自身の経験から、男というも

のをよく知っています。だって、私もその一人なんですから。男に期待しすぎてはいけませ

ん。このことは、私にはよくわかっています。


2.人は海のようなものである。あるときは穏やかで友好的。あるときはしけて、悪意に満

ちている。ここで知っておかなければならないのは、人間もほとんどが水で構成されている

ということです。


3.私の母は、だいたいにおいていい性格の持ち主ですが、姑としては、まったくの悪魔で

す。彼女がわれわれ夫婦と一緒にいるとき、まわりはダイナマイトでいっぱいになってしま

います。


4.蝶はもぐらではない。でも、そのことを残念がる蝶はいないだろう。


5.ああ、悲しいかな。エゴと競争心は、公共性と義務感より強い。


6.ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という。

 
7.異性に心を奪われることは、大きな喜びであり、必要不可欠なことです。しかし、それが

人生の中心事になってはいけません。もし、そうなったら、人は、道を見失ってしまうことで

しょう。


8.どうして、自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、

いいじゃないですか。


9.わたしは、先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから。


10.
私は自然について少し理解していますが、人間については、ほとんど まったく理解し

ていません。


11.死はいずれやって来る。それがいつかなんて、どうでもいいじゃないですか。


12.熱いストーブに1分間手を乗せてみてください。まるで1時間くらいに感じられるでしょ

う。ところが、かわいい女の子といっしょに1時間座っていても、1分間くらいにしか感じられ

ません。それが、相対性というものです。

 
13.人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。

  
14.われわれは何も知らない。 われわれの知識のすべては、小学生と変わらない。

 

15.わたしたちが体験しうる最も美しいものとは、神秘です。これが真の芸術と科学の源

となります。 これを知らず、もはや不思議に思ったり、驚きを感じたりできなくなった者は、

死んだも同然です。

 

16.常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

 

17.わたしは天才ではありません。 ただ、人より長く一つのことにつき合ってきただけです。

         
             『アインシュタイン150の言葉』



  



2017年3月 1日 (水)

一生懸命と頑張るの違いは




一生懸命とは、命を懸けるということで、その瞬間には命を捨てているのです。

つまり自分を投げ出している、小さい枠の肉体意識を越えているのです。

人間は肉体以外には何もないと思っているけどいつも言っているように

私たちは同時に幽体、霊体、神体のボディを纏っており、幽界、霊界、神界にも同時に住んでいるのです。

肉体の大きさは170センチ65キロであっても、幽体(オーラ・雰囲気)の大きさはビル一棟分もあり、霊界に至っては地球の大きさがあり、神界は宇宙大です。

だから人間がほんとうに 空=一生懸命 になったときその大きさは宇宙大なのです。 (神界、宇宙と繋がっているから)


オリンピックで金メダルを取った人が
 

「自分がしていたのではない、何か違う力が働いていた」
 


と言っているのは 空 になっていたのです。


一方、頑張るとは我を張る、つまり肉体の力でなんとかしようとすること

肉体の意識を越えていないのです。

肉体だけの力しか出てこないので微力です。

頑張るのが悪いと言っているのではなく、もったいないのです。

潜在的に無限の力を持っているのにほんの数%の力しか出ない。

生命が活き活きしていないのです。

反対に一生懸命に生きていると生命が輝いて来る。

一日一日を一日一生だと思って、一生懸命に生きることは、時空を超えて、光輝いた本来の姿を現し続けることなのです。

それは肉体を去って、違う世界へ行っても未来永劫ずっと続く宇宙の法則です。



それくらい素晴しいことなんですよ わーい(嬉しい顔)
 



時空を超えて宇宙と繋がる祈り言葉

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth


 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ