2017年3月28日 (火)

宗教が敬遠されるようになった理由




感想

 

一般的になぜ、宗教が嫌われ、敬遠されているのかというと下記の本文にあるように、お釈迦様やキリスト様が肉体界を去った後に、その弟子たちが本来の宗教を継承していけなかったからなのであります。

そして自分たちの都合のよいように改ざんをした。

このようなことは現代にも言えることでありまして、事業の成功した一代目は、志も高く、純粋であったものが2代目、3代目になると甘えが出たり余計な欲が心の中に生じやすいのです。

そして初代とは変わり果てた姿になるのです。

その原因は、精神にあります。

前世で正しい宗教を体得したや精神のバランス感覚の取れた人は誤れる宗教を直観で見抜くことができます。

「この宗教はおかしい」 「教えは善いが語っている教祖(世襲を含む)や信者たちが胡散臭い」 「お金ばかりを要求する」 「信者を集めるように言われる」・・・・

など、常識で考えればおかしな言動であることがわかります。

しかし欲が絡んだり、心の隙を見せると騙されることになります。

魂は真理(宇宙法則)を求めているのになかなか真の宗教に繋がらない・・・

これは人間にとって、とても不幸なことだと思うのです。



  

本文




しかし、この覚者たちが、肉体生命を終えた後、この覚者たちの教えを、種々な弟子たちが、それぞれ独自な形で伝え始め、これが、何宗、何派、何教会、等々、世界全土に拡まっていった。


日本では、仏教が最も盛んで、各宗派に分れ、しだいに教えの根本を忘れて、激烈なる宗派争いをしながら信者獲得に狂奔した。


その他、神道、儒教があり、現在に至って、キリスト教が非常に盛んになってきた。


このように宗教が、各種の組織をもって、世界各国に拡まっていったのであるが、人類の宗教心はその組織の拡大と正比例して深まってきている、とはいえないのである。


古代の人類は、宗教を学理的に知るよりは、行為で理解し、直接体験で、神を知ろうとしていたが、中世、現代としだいに、宗教を行から哲学に移してゆき、学理究明が先になり、行からくる直接体験は薄らぎ、本来の宗教心から、知らず知らず遠のいていった。


やがて宗教は、学理的究明者と、教団、教派の形式の踏襲者並びに、真に神仏と人間との関係を直接体験として知らんとする行の人、の三つの流れに分れてきた。


宗教は、学理的に究明しただけでは肉体脳髄に知識として残るだけで、先覚者の志を継ぐものではなく、形式を踏襲したのでは、神仏のいのちが枯れてしまって生きて来ない。


神仏は生きとし生けるものであり、人間も生きとし生ける者である。


生きとし生きて自由自在に形の世界を造ってゆくものが神であり、人間である。


学理に固着し、形式に捉われた世界には、いくら神を求めても神はいない。


宗教とは哲学ではない。


哲学を越えた行の世界が宗教である。




『神と人間』 五井昌久 正しい宗教と誤れる宗教 白光出版



 

2017年3月27日 (月)

宗教はなぜ嫌われるのか?




感想

 

一般的になぜ、宗教が嫌われ、敬遠されているのかというと下記の本文にあるように、お釈迦様やキリスト様が肉体界を去った後に、その弟子たちが本来の宗教を継承していけなかったからなのであります。

そして自分たちの都合のよいように改ざんをした。

このようなことは現代にも言えることでありまして、事業の成功した一代目は、志も高く、純粋であったものが2代目、3代目になると甘えが出たり余計な欲が心の中に生じやすいのです。

そして初代とは変わり果てた姿になるのです。

その原因は、精神にあります。

前世で正しい宗教を体得したや精神のバランス感覚の取れた人は誤れる宗教を直観で見抜くことができます。

「この宗教はおかしい」 「教えは善いが語っている教祖(世襲を含む)や信者たちが胡散臭い」 「お金ばかりを要求する」 「信者を集めるように言われる」・・・・

など、常識で考えればおかしな言動であることがわかります。

しかし欲が絡んだり、心の隙を見せると騙されることになります。

魂は真理(宇宙法則)を求めているのになかなか真の宗教に繋がらない・・・

これは人間にとって、とても不幸なことだと思うのです。




  

本文




しかし、この覚者たちが、肉体生命を終えた後、この覚者たちの教えを、種々な弟子たちが、それぞれ独自な形で伝え始め、これが、何宗、何派、何教会、等々、世界全土に拡まっていった。


日本では、仏教が最も盛んで、各宗派に分れ、しだいに教えの根本を忘れて、激烈なる宗派争いをしながら信者獲得に狂奔した。


その他、神道、儒教があり、現在に至って、キリスト教が非常に盛んになってきた。


このように宗教が、各種の組織をもって、世界各国に拡まっていったのであるが、人類の宗教心はその組織の拡大と正比例して深まってきている、とはいえないのである。


古代の人類は、宗教を学理的に知るよりは、行為で理解し、直接体験で、神を知ろうとしていたが、中世、現代としだいに、宗教を行から哲学に移してゆき、学理究明が先になり、行からくる直接体験は薄らぎ、本来の宗教心から、知らず知らず遠のいていった。


やがて宗教は、学理的究明者と、教団、教派の形式の踏襲者並びに、真に神仏と人間との関係を直接体験として知らんとする行の人、の三つの流れに分れてきた。


宗教は、学理的に究明しただけでは肉体脳髄に知識として残るだけで、先覚者の志を継ぐものではなく、形式を踏襲したのでは、神仏のいのちが枯れてしまって生きて来ない。


神仏は生きとし生けるものであり、人間も生きとし生ける者である。


生きとし生きて自由自在に形の世界を造ってゆくものが神であり、人間である。


学理に固着し、形式に捉われた世界には、いくら神を求めても神はいない。


宗教とは哲学ではない。


哲学を越えた行の世界が宗教である。




『神と人間』 五井昌久 正しい宗教と誤れる宗教 白光出版


追伸・・・人生の指南書である『神と人間』の感想と本文は、2015年12月末から2016年1月にかけてこのブログの中に書かれています。よろしければさかのぼってお読みください。



  

2017年3月22日 (水)

愛の波動



 
息子と全然話をしていなくて、お互いの心がどんどん離れていっていると思っていたときがありました。
 
「息子だけでなく、自分も嫌いになりかけている」

このままでいいわけがないと思いながら、なすすべもなく自暴自棄になっていました。


そんなとき、師匠である于(う)先生から

「息子さんと相撲を取ったことがありますか?」 と質問されました。

「はい、あります」

「そうですか」

とだけ、先生は答えられました。

たったそれだけの会話だったのですが

私の心の中には

「絶対に大丈夫なんだ」

という確信が芽生えたのです。

それは自分と息子とは繋がっているんだという確信です。

身体と身体をぶつけ合って、触れ合って

息子の体温を感じていた

そのときに心は通じ合っていたのです。

だからどんなことがあっても必ず大丈夫なんだ!

そのことを想い出させて私に安心を与えてくださったのです。
 

「そうか、人を癒すには多くの言葉はいらないんだ」

「自分が穏やかなやさしい波動を発していればきっと善くなっていく」

と気づかせてくれました。

今になって、それがわかるようになりました。

ありがとうございました。


  

2017年3月15日 (水)

今、置かれている環境は最善の場所

3月に入ると卒業、転職、転勤などで新しい環境に向けて準備をされる人もいるでしょうし、一方で、ここ何年も環境が変わってないという人も多くいるでしょう。ところで皆さんは、今置かれている環境は好きですか?


とても気に入っていると答えれる人は、毎日が充実して楽しい日々を送られているのでしょう。あるいは、いやいや、もうこの環境から早く抜け出したい、変えたい、変わりたい、何とかしたいと思っている人もいるのではないでしょうか。


私も変化のない日々が退屈で、何とかして変えたいと強く思う時期がありました。そのためにイメージをしてみたり、本を読んで色々なことを試してみたりもしましたが、状況は全く変わりませんでした。どうしたら変えれるのかが分からず途方に暮れていました。今思えば、もがいてばかりで肝心なことに気付いてなかったのです。“肝心なこと”とは何か…


それは、その状況においての課題をクリアしていなかったのです。置かれた場所において、学ぶべきことを学んでいかないと、次の場所へは行けないのです。仮に行けたとしても同じ状況を繰り返します。今の環境が、とても辛く悲しい状況であったとしても、課題をクリアすることで、あなたをもっと大きく成長させる最善の場所なのです。


肉体の人間が、嫌だ辛い、自分にはもっと相応しい場所があるはずだと思っていても、本心の自分にとっては待ち望んだ場所なのです。そして、その場所は魂が清められ、進化するために用意されたもので、自分を輝かせるための、またとないチャンスを与えられた場所でもあるのです。


しかし、多くの人は嫌だ、辛い、苦しいというマイナスの感情に覆われ振り回されてしまい、真実が見えなくなっています。今の環境は偶然ではなく必然なのです。意味があってその場所に置かれているのです。自分を磨き、進化させるために必要なことが表裏一体となって隠れているのです。今いる場所が最善の場所であると思えるようになれば、自ずと次の場所へ導かれステップアップしていくのです。

 



もし環境や状況を変えたい、一刻も早く脱したいと願うなら先ずは、今いる場所で何か出来ることを見つけることです。必ず何か出来ることはあります。やりたいことはあるが、足りないものがあって出来ないと思う人もいるかも知れませんが、神さまは、その人にとって必要なものは必ず与えています。気付いてないだけで、本当に必要なものは与えてくれるのです。


ですから、今の場所から逃れることを考えるのをやめて、腰を据えて、その場にいることを覚悟してみてはどうでしょう。今やれることをやるというのは、将来のためにもなります。人生に無駄はありません。


そして「やるぞ!」「やってみせる!」という強い気持ちがあると、神さまは環境を整えてくださり物事が前に進むのです。環境が変わり物事が前に進んでいる状態は、言い換えると、波動が動いて変わっているということです。なぜ変わることが出来るのでしょうか。それは、自分の波動が変わったからです。


今の環境というのは、自分の波動(想い)が写し出されたものなので、いくらでも変えられるのです。覚悟を決めるということは、自分の波動を一瞬で変えることになります。波動が変わると、今までの習慣の想念が変わるので、自然と写し出される環境が変えられてゆくのです。


それに今出来ることが大きなことでなくてもいいのです。ほんの小さなことでもいいから続けていくと、思いもよらぬ世界が展開し最終的には、自分の思い描いていた世界へと繋がってゆくのです。


今置かれた環境が、嫌で変えたいと思っている人は、先ずその場で地に足をつけ覚悟を決めて、自分が出来ることを見つけ出し、それをとことんやってみるというのが一番の方法だと思います。



                          あーやんブログより
                       http://akemi51.blog.fc2.com/



  




  


  

              

意識して習慣を変える


地球は宇宙の進行に合わせて、今も進化創造しています。地球のレベルが上がるにつれて、人々の意識も上げてゆかないと生き辛くなるのです。では、どうやってこの波に乗り、意識を上げれるのでしょうか。先ずは、今までの悪しき習慣を変えることです。多くの人は日常の想念で、不平不満、心配、怒り、悩みなどのネガティブな習慣の想いを毎日繰り返しています。これらの想いは当たり前のようにパターン化された生活になり、なんの違和感もなく通り過ぎています。会社に行けば、人間関係で不平不満が出たり、給料のことで心配し不安になり、きつい労働を強いられて怒りが出たりと、このようなマイナスの想念の繰り返しで、自分の人生を暗いものにしてしまっています。


 
 また、習慣といっても色々あり、先ず心の習慣を考えてみると、朝起きてから寝るまでは感情が一定でなく、一日の始まりからすでに、イライラや不安、悲しみ、憎しみなどの感情想念に覆われています。次に物質の習慣です。あれが欲しい、これが欲しい、あれが足りない、など、常に物質によって人生が支配され、物質の多い少ないで人生が左右されると思い込んでいます。食べ物の習慣もあり、常にお酒やタバコを好んで飲んだり、肉ばかりを食べたり、暴飲暴食をするなど、嗜好の習慣があります。そして、心の習慣に基づいて行動の習慣が挙げられます。


 
 このようなマイナスの習慣で、自分の人生が築き上げられています。悪しき習慣を変えずに、人生を変えようとしても無理なのです(無限なる可能性)悪しき習慣に対して無頓着で、変えようとする信念や、変えなければという決意も起こっていません。なぜなら、変えなくても取り敢えずは生きてゆける、苦しみや悲しみも、誰しもが抱えているから、これは当たり前だと思い込んでいるからです。世の中は、真理から離れた人々の想いで創られ、感情に支配され、感情で解決しているのが現状です。しかし、このような状況がいつまでも続くわけにはいかないのです。このままだと、いつか地球は混乱状態になり、にっちもさっちも行かなくなるのです。

  
 

 だから今こそ、習慣の軌道修正をし新しい地球の波に乗ることで、未来を安泰して生きてゆくことが出来るのです。ただ、自分の力だけで習慣を変えるには、かなり強い信念がなければ続かず、挫けてしまうのことがあります。世の中の波は、人類の欲望の波、物質に支配された波、真理からかけ離れた波が、渦巻いており、信念を貫くのは難しいのです(無限なる光) 


 
 しかし、このようなマイナスの世界であっても、習慣を変えることが出来るのが、祈りと印なのです。祈りと印により光の柱に身を置くことで、自らの意識と波動を高め上げ、次元上昇できるメゾットなのです。自分の意識と神の意識が全く一体となり、光り輝いた自分が、低次元の習慣を変える力を発揮していきます。長い時間かけて創った習慣でも、自分が創ったものは、自分で変えれるのです。自分しか変えることは出来ないのです。祈りと印を組むことで、否定的な想念から発した悪しき習慣から、光明想念から発する良き習慣へと自然に変わってゆくのです。今は個人個人が、本当に変わらなければいけない時期に来ています。人々とって、マイナスの感情想念で生きるよりも遥かに、プラスの感情想念で生きることが、どれほどの良い人生を創れるかは計り知れないのです。 



あーやんブログより

2017年3月 3日 (金)

日本は世界の代表なのです 


  

たった今、「世界のひな形━日本」という本が届いたところです。

ここには今人間が、いや日本人がしなければならないことが書かれています。

いつもだったら読んでしまってから感想などを書くのですが、読むのと書くのを同時進行でやってみたいと思います。

心の響いた文章をそのまま、あるいは感想を交えながら書いてみたいと思います。

では、まず世界のひな形とは何か?

日本は地球の国の縮図と言われています。

九州はアフリカ、四国はオーストラリア、地球の中で一番波動が粗いのはニューヨークだそうですが、それは私がよく通っている大阪のミナミという街だそうです。

つまり日本は地球を代表する国なのです。

だから原爆も一番最初に落ちた、地震や津波等の被害も一番受けています。

しかしそこから立ち直っていける強さを持っているのです。

日本が浄まればそこから世界へ発信していき、全世界が善くなっていく。

それは神様のご計画なんですね。

これからそのことを詳しく書いて行きます。

私たちは肉体界に住んでいるのですが、その前に幽界があるということを知らねばなりません。

幽界とは霊界との間に出来た世界です。

人間の想念がつくった潜在意識の世界です。

想いの世界、迷いの世界です。

人間はマイナスを想うと(プラスもそうですが)そのエネルギーは消えることなく滞っていきます。

プラスを想うよりもマイナスを想う気持ちの方がずっと多かった。

それが今、肉体界に現われて来てしまっているのです。


しかしそういう世界になることも神様はもちろん御承知です。

神様は何を望んでいるか?

それは人間がつくってしまった幽界を浄めていくこと。

つまり祈りによってきれいに浄化して神様の世界、天国を地上に現わすことを望んでおられるのです。

人間は神の子です。

幸せになって欲しい、平和になって欲しい、調和な姿を現わして欲しい、・・・・・それは、私たちの魂の親である神様の率直な願いなのです。


そしてそれは私たち人間は誰でもが想っていることかもしれません。


しかし人間は自分のことばかりに意識がいって、本当に大切な事を忘れてしまっている。

そのことを想い出させるために、今いろんな天変地変を始め、個人的にも不調和(本当は違うのですが)と思われることが起っています。


どう受け止めてどう対処するのか?

人間の真価が問われています。


それがこの本に書かれていると思うのです。




「世界のひな形 ━ 日本」 五井昌久 西園寺昌美 白光出版



  
世界人類が平和でありますようにぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



2017年3月 2日 (木)

アインシュタインはユーモアの天才だった



アインシュタインは20世紀でもっとも優れた科学者であると言われているのですが、本人

は天才ではないと言っている。

それは正直な気持ちだと思うのです。

ただ違ったのは、宇宙(天、本心)と波長を合わせるのがうまかった。(だから天才)

そして天から無限の叡智だけではなく、ユーモアというセンスも降ろして来た人です。

舌を出して笑っているお茶目な写真を見られた人も多いと思います。

アインシュタインは

人間はユーモア(ジョーク)という余裕がないと

「人生が楽しくならないよ」 と言っているような気がします。

「アインシュタイン150の言葉」からわたしが選んだ語録をご紹介します。

 

1.あなたはほんとうにそう思っているんですか?他人によって永遠の幸せが得られるな

んて。いくらその他人が最愛の男だったとしても。 私は、自分自身の経験から、男というも

のをよく知っています。だって、私もその一人なんですから。男に期待しすぎてはいけませ

ん。このことは、私にはよくわかっています。


2.人は海のようなものである。あるときは穏やかで友好的。あるときはしけて、悪意に満

ちている。ここで知っておかなければならないのは、人間もほとんどが水で構成されている

ということです。


3.私の母は、だいたいにおいていい性格の持ち主ですが、姑としては、まったくの悪魔で

す。彼女がわれわれ夫婦と一緒にいるとき、まわりはダイナマイトでいっぱいになってしま

います。


4.蝶はもぐらではない。でも、そのことを残念がる蝶はいないだろう。


5.ああ、悲しいかな。エゴと競争心は、公共性と義務感より強い。


6.ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という。

 
7.異性に心を奪われることは、大きな喜びであり、必要不可欠なことです。しかし、それが

人生の中心事になってはいけません。もし、そうなったら、人は、道を見失ってしまうことで

しょう。


8.どうして、自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、

いいじゃないですか。


9.わたしは、先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから。


10.
私は自然について少し理解していますが、人間については、ほとんど まったく理解し

ていません。


11.死はいずれやって来る。それがいつかなんて、どうでもいいじゃないですか。


12.熱いストーブに1分間手を乗せてみてください。まるで1時間くらいに感じられるでしょ

う。ところが、かわいい女の子といっしょに1時間座っていても、1分間くらいにしか感じられ

ません。それが、相対性というものです。

 
13.人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。

  
14.われわれは何も知らない。 われわれの知識のすべては、小学生と変わらない。

 

15.わたしたちが体験しうる最も美しいものとは、神秘です。これが真の芸術と科学の源

となります。 これを知らず、もはや不思議に思ったり、驚きを感じたりできなくなった者は、

死んだも同然です。

 

16.常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

 

17.わたしは天才ではありません。 ただ、人より長く一つのことにつき合ってきただけです。

         
             『アインシュタイン150の言葉』



  



2017年3月 1日 (水)

一生懸命と頑張るの違いは




一生懸命とは、命を懸けるということで、その瞬間には命を捨てているのです。

つまり自分を投げ出している、小さい枠の肉体意識を越えているのです。

人間は肉体以外には何もないと思っているけどいつも言っているように

私たちは同時に幽体、霊体、神体のボディを纏っており、幽界、霊界、神界にも同時に住んでいるのです。

肉体の大きさは170センチ65キロであっても、幽体(オーラ・雰囲気)の大きさはビル一棟分もあり、霊界に至っては地球の大きさがあり、神界は宇宙大です。

だから人間がほんとうに 空=一生懸命 になったときその大きさは宇宙大なのです。 (神界、宇宙と繋がっているから)


オリンピックで金メダルを取った人が
 

「自分がしていたのではない、何か違う力が働いていた」
 


と言っているのは 空 になっていたのです。


一方、頑張るとは我を張る、つまり肉体の力でなんとかしようとすること

肉体の意識を越えていないのです。

肉体だけの力しか出てこないので微力です。

頑張るのが悪いと言っているのではなく、もったいないのです。

潜在的に無限の力を持っているのにほんの数%の力しか出ない。

生命が活き活きしていないのです。

反対に一生懸命に生きていると生命が輝いて来る。

一日一日を一日一生だと思って、一生懸命に生きることは、時空を超えて、光輝いた本来の姿を現し続けることなのです。

それは肉体を去って、違う世界へ行っても未来永劫ずっと続く宇宙の法則です。



それくらい素晴しいことなんですよ わーい(嬉しい顔)
 



時空を超えて宇宙と繋がる祈り言葉

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth


 

2017年2月26日 (日)

物には魂が宿っている2


 

物にこもる想念と、直観力
 



すべての物は想いが込められている

 

人は物に生命(いのち)を込めます。

 

母親は料理をつくる時、子供や夫を思って一生懸命つくります。

 

自分のつくる料理を通して自分の真心を伝えてゆきます。

 

もっと大袈裟に言えば、生命を込めるのです。

 

また、自分の大切な宝石に自分の生命を託します。

 

結婚指輪などには、お互いの心や生命が込められています。

 

また死んだ人の形見には、その人の想いや生命が込められているのです。

 

我々は日常生活において、多くの人々の真心や想いや生命が託された物を使用していま

す。

 

絨毯(じゅうたん)、机、椅子、鍋、花瓶、置物、洋服、茶碗・・・・・。

 

人の手でつくられた物すべてに、その人の想念が入り込んでいます。

 

自動車、電車、飛行機、バス、自転車・・・・。

 

こういった乗り物も多くの人々の想いや心が込められているのです。

 

それらの乗り物をつくる人々がみな、感謝と喜びを込めてつくるならば、事故などを起こす

頻度も少なくなるはずです。

 

だが、つくる人々が毎日、激しい恨みや怒り、不平不満、悲しみなどの否定的想念を出し

ていたならば、それらの否定的想念の波動が乗り物にも入り込んで、事故を誘発します。

 

 

ですから人々は、その想念の在り方を認識して買い物をする必要があります。 宝石を買

う時、仮にその宝石が新しいものならともかく、人の所有するものであったならば、その所

有者の想念や因縁がそのまま波動として宝石に蓄積されています。

 

どうしても宝石を手放さなくてはならなくなった人たちの怨念や執着、苦悩や悲しみが刻み

込まれているのです。

 

そういった宝石を身につけた人は、それらの宝石によって、運命が操られてゆきます。

 

次から次へと不幸や災難に出会ってゆくのです。

 

宝石にそういった多くの人々の暗黒的な想念がこもり、蓄えられているからです。

 

また、絵画や置物も同じです。 絵や置物の中に作者の気迫が込められているものがあり

ます。

 

作者が真の芸術を理解できずに自らの名誉欲、金銭欲、権力欲などの想念によって作品

を作り上げていくことにより、その作品は真の芸術性からはずれた不調和な荒々しい波動

を蓄えてゆきます。

 

こういった強い波動のものを気の(想いの)弱い人が買うと、負けてしまうときがあるので

す。

 

絵の強さ、置物の気迫に翻弄(ほんろう)されやすく、この絵のかかっている部屋、置物の

置かれている場では、常に金銭や虚栄心などが原因となって争いが絶えなかったり、夫婦

喧嘩や親子の対立が生じたりして、調和が乱されていってしまうのです。

 

なぜならば、それらの持つ波動につい巻き込まれていってしまうからです。

また家を買う時、マンションを借りる時なども同じです。

 

そこに、土地や家の因縁、前に住んでいた人たちの想念波動が宿っているからです。

 

運命が順調で幸せであった人たちでさえ、こういった土地や家にまつわる想念の強い、

因縁の深い物件を買うと、それらの想念に操られ、翻弄されて、運命が乱されてゆきます。

 

突然、病気になったり、失敗や挫折に追い込まれたり、不幸に見舞われたりするのです。

 

それらは、そういった想念のなせる業(わざ)です。

 

だがしかし、こちら側に常に祈りがある場合は、必ずそれらの想念を祓い浄め、決して悪

い運命へと巻き込まれることはないのです。

 

 

逆にそれらの因縁を超えて素晴らしい運命へと転換させるだけの力が祈りには備わって

いるのであります。

 

真理を知らないが故の不幸

 

今まで、人類の多くはみな、こういった想念の法則を知らぬまま、人々の想念に巻き込ま

れ、翻弄されながら人生を歩んできました。

 

もし人々がそれらの物を手に入れたいと思った時、その物の持つ因縁や想念、怨念を知る

ことが出来たならば、あるいは感じることが出来たならば、自らの人生をなまじ不幸へと導

かれないですむのであります。

 

真理を知らない人々はみな、こういった執着や怨念、否定的想念が刻み込まれた物を所

有することによって、知らないうちに自分の人生を狂わせてしまっているのです。

 

真理を知っている人たちは、それらの物を無意識に拒否する直観力が培われています。

 

それらの物を手にした時、無意識に自分の心が波立つのです。

 

気持ちが悪い。 何か暗い感じがする。 ゾッとする。 不安に陥る。 急に腹立たしくなっ

たり、怒りたくなる。 淋しくなったり、悲しくなる・・・・・など、自分の心の変化に気づくので

す。

 

すると、自分の本心がこれらの物を買いたくないとか、必要ないとか、もっとよいものが後

で見つかる・・・・・等と拒絶してしまうのです。

 

だがしかし、真理を知らない多くの人々は、利害損得に振り回され、手に入れたり、買った

りしてしまいます。

 

買ったあとでも、おかしい、嫌な感じがする、不吉な感じがする、といったメッセージが自分

の感覚を通して届いているにもかかわらず、高いお金を払ったのだからとか、いまさら返す

わけにもいかないとか、姑息な心で自らの運命を誤らせていってしまうのであります。

 

このように、自分たちの周りのすべての物には、種々様々な人類の想念が込められている

のです。

 

もちろん、土地の因縁、動物や植物の因縁、水や食物の因縁も同様です。

 

人類は決して自分一人では生きてはいけない存在なのです。

 

多くの人々、大自然、生きとし生けるものと調和し、共生して生きていくことこそ、真に生き

る意味、価値があるのであります。

 

昨今、大地の汚染、空気や水の汚染、自然破壊、種の異変、病原菌の発生・・・・等、様々

な現象が起こっています。

 

これらも突きつめてゆけば、すべて人類一人一人が放った無責任な想念波動の結果に相

違ないのです。

 

いよいよ人類一人一人がどうしても真の真理に目覚めなければならない時にまで至ってい

るのです。

 

目覚めなければ滅びる以外にないのです。

 

真理に目覚めた者は必ず救われます。

 

なぜならば、そういった否定的想念、暗黒的想念の波動を見極める直感力が大いに養わ

れているからです。

 

そればかりではなく、自らが放つ波動が神の波動、光の波動であり、強力なるパワー、エ

ネルギーを持ち、宇宙神の光の一筋そのものであるため、いかなるマイナス波動からも決

して影響を受けないのです。

 

自らの放つ想念、光、エネルギーにより、自らの運命が悪くなるのを見事に完璧に防げる

のです。

 

さらに、究極の真理、我即神也、人類即神也の宣言をし、印を組む者は、自分を取り巻くい

かなる想念さえも浄めてしまう偉大なる力を発揮していくのであります。

 

だからこそ、彼らの人生はよくなるのです。

よくならないわけはないのであります。

 

必ずよくなる、もっともっとよくなる。 もっと完璧に、幸せにに、平和になる。そして何事も

調和してゆくばかりです。

 

だがしかし、周りを見てみると、気の毒にも、不幸せな人々ばかりです。

 

彼らは不幸や災難、苦悩に取りつかれ、もっともっと悪くなり、もっともっとひどくなる一方で

す。

 

いかにもがこうと、あがこうと、そういった想念から脱け出すことの出来ない状況に追い込

まれてゆくのです。

 

彼らは真理を知らないがために、自ら不幸な人生を選んでいると言えるのであります。

 

            「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版



  


物には魂が宿っている1


私が、これからは、経済はもう発展しない、物質文明から精神文明へと移行すると思っている
のは、

物を粗末にして、壊れたからとか型が古くなったからという理由ですぐに新しい物に買え換え

るという考えは、日本人の性質(性格的)に合っていないように思うからです。

「もったいない」 

という感覚は、ほとんどの日本人に沁みついていて、

その原点には

“物には、魂(心)が宿っている” ということがわかっているからです。

長年お世話になって自分や家族をいろんな場所に安全に運んでくれた愛車(あいしゃ)が、

耐用年数が過ぎて、走ることが車にとって苦痛なんだと感じることがあり、

新車と入れ替えるときなどは

「長い間、ありがとう、ご苦労さまでした」 

と車に向って手を合わせたくなるのです。

動物など生き物だったら、家族同然に思っている人も多いのだけれど、物に対しても自分

の体の一部に感じるのです。

それは、自分が手に触れ体に触れることでその物にもエネルギーが入るのです。

それも自分と同じエネルギーなので、持っていて心地がいいし、愛おしくなるのだと思います。

高度成長の好景気のときは、“消費は美徳” などといわれ、使い捨ての時代でもありました。

しかし、根底ではそんな考え方、時代が おかしい と思っていたのです。

だからいくら政府や国が

「もっと物を買ってください」 「お金を使わないと経済が停滞します」

と言っても

「それじゃあ」、と 

物を粗末にしたり、捨てたりは心情的に出来ないのです。

それは今迄の反省があるからです。

「あのときにもっと大切に扱えばよかった」

「簡単に捨てて申し訳なかった」

私は、物を大切にしていく文化になり、それに伴った経済発展はよいと思うのですが、

無理に経済、消費を動かすことは違うと思うのです。


今はもうすでに供給過多になって、物をたくさん作り過ぎています。

余り過ぎています。

「近い将来、お金は無くなる」 

というのが私の持論なのですが、そのことについては、又違う機会に述べるとして、

今日は、物には魂が宿るについて、西園寺昌美先生の
ご著書から抜粋していきたいと思います。


 

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