2018年11月25日 (日)

親子、兄弟はわかり合えないと思え!

 

 

なんか偉そうなことをタイトルで書きましたが、親子とは?兄弟とはお互いに理解するために存在しているのではないのです。

それはどういうことかと申しますと人間として生まれて来るときに、親子、きょうだいは、お互いの因縁生を消しやすくするために、近い場所にいたり、血縁関係でつながっているわけです。

もっと詳しくいえば、前世では、一番仲の悪かった犬猿の仲であっただりとか恨みを持って殺し合いをしたような関係の人が現世では親子になるのです。

なぜそうなるか?

それは因縁生が深ければ深いほど、過去世での摩擦が多ければ多いほど魂が磨かれやすいからです。

ダイヤモンドの原石を磨くのにそれよりも硬い(厳しい)ダイヤで削るようなものなのです。

親や子やきょうだいが、自分のことを理解してくれて支持をしてくれる人ばかりであれば居心地は良いのでしょうが、そこで摩擦がなければ、魂の成長は少ないのです。

そしてその相手とは、過去世で恨みを持っているのでいつかは想い出し、そのときの恨みつらみをぶつけて来るのです。(初めは仲が良い関係でも後から悪くなることがあります)

それが反抗期になることもあるでしょうし、ちょっとしたことがきっかけで断絶したりもします。

しかしそこでかわいさ余って憎さ百倍になったりだとか目には目をなどの仕返しをしたのでは、魂を磨くことにはならないのです。

*愛のキャッチボール* という文章から抜粋してみます。

 

肉体を持った人間から愛されなくては心がすまない、というのではなく、そうした想いは捨てきらなくてはいけません。

 

実に厳しい文章ですが、その通りなのです。

他人に自分のことを愛して欲しい、わかってもらいたい、と望むことは真理から外れているのです。

人と人とは愛していくことはもちろん大切なことなのですが、自分の方から愛してもらうことを望むのは間違っているのです。

それは、本当の愛とは、因縁生を超えたところにあるからです。

因縁生、つまり過去世で起こったことのお互いのあらゆる出来事、もつれあい、恨みつらみ、どろどろとした感情、それらのことをすべて許して、おまけに相手に尽して、過去世であったことを大きな包み込むような慈愛にかえてしまわなければ因縁生は消えていかないのです。

そこで相手は因縁生を消してもらおうとあなたにぶつかって来る。

感情的になって怒りを露わにしてくる。

他人にはみせない潜在意識に溜まった面をあなただけに見せてくる。

それはあなたがその因縁生を受け止めて消してくれることが本能的にわかっているからです。

それは、あなたの方が魂が古いからです。

立派だからです。

真理がわかっているので、精神的に強いのです。

だから相手の業想念を受け止めることが出来るのです。

時々会う友人や知り合いなら業をぶつけることが少ない

親子やきょうだいなら毎日、魂のぶつけ合い、磨き合いができる。

だからそのようになるよう、守護霊様、守護神様が組み合わせて天界から降ろして下さったのです。

ですから、親子とはきょうだいとは

お互いを理解するために生まれてきたのではないのです。

魂の磨き合い、削り合いと言った方がいいのかもしれません。

それも正確にはお互いではなくどちらかが一方的にぶつけて、ぶつけられた方はそれに耐えて、そこから真理を学んで、それから相手を赦すというのが真実なのです。

真理を理解した人は、神さまの心境、つまり菩薩心になるので、光輝いてくる。

その光を浴びて相手も真理に目覚めてくるのです。(覚醒する)

キリストのように自分が張り付けになっても相手は真理をしらないのだから許してやってくれという心境になってはじめて、本当の愛になるのです。

自分がこんなに愛しているのにあの人は私を愛してくれない

などは、厳しいようですが、本当の愛ではないのです。

テレビのニュースなどを観ると親子で殺し合いがあったりだとか、きょうだいのいさかいが絶えません。

それくらい肉親の関係は因縁生が深いのです。

現世だけでは、理解できないことがたくさんあるのです。

親子、きょうだいが仲良くやっていけることに越したことはありません。

もちろんその方がいいに決まっています。

でもそれは真理を理解した上でのことです。

親子、きょうだいは因縁生を消すために、魂を磨くために生まれあわせてきた。

だから・・・・

お互いを理解しなければならない

仲良くならなければならない

分かり合えるようになりたいとか

は違うのです。

それは、無理なことなんだ (自分とは違う人格者だと思うことです) と一旦、あきらめてしまうことです。 (あきらめるとあきらかになる)

一旦、あきらめてしまうと、不思議と楽になっていきます。

ねばならないが無くなるからです。

それよりも相手を赦す

相手を大きな愛で包み込むことに意識を持って行った方がよいのです。

あなたを本当に理解してくれるのは肉体の人間ではないのです。

あなたの守護霊、守護神様だけなのです。

なぜなら守護霊、守護神様は本当の魂の親だからです。

肉体界(この世)の親子やきょうだいは仮の親子であり、仮のきょうだいなのです。

 



 

2018年11月17日 (土)

紙に書き出すと頭の整理整頓ができる

 

 

私は結構、メモ魔です。

そして、投稿するのにも、なるべく一度ノートに書き出してから、記事にするようにしています。

めんどうだから直接打ち込んじゃえとも思うのですが、それでは客観視出来ないのです。

今、いろんなことで悩んでいる方はたくさんいらっしゃると思います。

では悩みとはなんなのか?なんだったのか?悩みの本質、原因がわかれば、かなり楽になると思います。

 

 
悩みの“ジャグリング”をやめる



アンドリュー・カーネギーという人がいます。アメリカの有名な実業家で、鉄鋼王カーネギーと言えばご存知の方も多いと思います。


ある夜のことです。彼は、あまりに多くの悩みを抱えてノイローゼのようになり、自殺まで考えていました。

「不倫相手の女性から連絡が入り、子どもを認知して欲しいと言ってきた」

「親戚の全員が問題を起こしていてもみ消さなきゃいけない」

「ろくでなしの甥っ子が警察沙汰の事件を起こし、身柄を引き取りに行かなくちゃいけない」

「政治家からの不当な圧力で、会社が存亡の危機に陥っている」

「妻から今夜食事に付き合ってくれなければ離婚すると言われてしまった」

身の周りのことから仕事まで、すべての危機が同時に頂点に達していた瞬間だったのです。




その時のカーネギーの行動


もうダメだ、限界だ、とカーネギーは思いました。

遺書を書いて自殺しよう。

そうカーネギーは決心し、机の引き出しを開けました。引き出しにはもちろん護身用の拳銃が入っていたのですが、その下には自分の名入りの立派な便せんセットがありました。

「ああ、自殺するんだったら遺言を書かなくちゃ」

カーネギーはそう思って苦笑します。

まったく、自殺する前にもひと仕事しなきゃいけないのか・・・。


遺書をかく段になってカーネギーは考え込んでしまいました。

「死にたいぐらいに悩んでいるんだから、さぞかし自分には深い悩みが多いんだろう。

いったいいくつくらいあるんだ?」


わかんなくなっちゃったカーネギーは、黄色い便せんと鉛筆を持ち出し、思いつく問題や悩みをすべて書き出したそうです。


当時、カーネギーは 「世界で一番忙しい男」 と言われていました。

仕事だけでなく、家族関係を含めると、悩みは絶対に何百もあるに違いない。

 ひょっとしたら 1000個ぐらいあるんじゃないか?

ところが、箇条書きにしてみると、60個ぐらい書いたところで、鉛筆がピタリと止まったそうです。

思い出して考えて、とりあえず 「もっと悩みはあるはずだ」と些細な問題まで書き出します。

しかし、あんなにたくさんあると思っていた悩みは、結局、70いくつぐらいしかなかったのです。


普通の人でも70も悩みがあれば多いと思います。

でも自分の問題や悩みは何百もあると思っていた彼は、あれ?と思ったわけです。

結局、70個の悩みを順繰りに次から次へと考えていたことで、自殺をしようと考えるほど追いつめられていたのです。


悩みを書ききった瞬間、今夜中に解決できることはほとんどないことに気がつきました。

カーネギーは悩みを書いた便せんを、問題ごとにちぎってカードみたいにし、それを仕分けし始めました。


「明日できること」

「来週以降に着手できること」

「来月で間に合うもの」

「解決できないこと」

という4つの山に分けて、その4つ目の山(解決できないこと)はそのままくず箱に入れてしまいました。

残った3つの山、自分の悩みを書いた便せんの切れ端をカーネギーは大事に机の引き出しにしまい、そのまま彼は奥さんと夕食へと出かけたそうです。


もうすっかり、けん銃や自殺のことは忘れて。






苦しさの本質に気づく


私がこのエピソードを読んだのは、もうずいぶん昔のことです。

それでもその時、頭を殴られたようなショックを受けました。

そうか、悩みの本質、苦しさの本質というのは、

「複数の問題を頭の中でグルグルと回している状態」から生まれるのだと気付きました。

これを私は 「頭の中でジャグリングしてる」 と呼んでいます。

ノートをとらずに悩むことは、悩みをジャグリングのように空中で回しているのと同じことです。


本来、悩みの解決に使うべき脳の容量をジャグリングに使っている。

だから、あんなに悩むのは疲れるんです。だから、悩んでも答が出ないんです。

悩みが多くなると、一度にすべてを考えることは不可能です。

だから、いくつかの概念やアイデアを、同時に何個かずつ組み合わせては、ぐるぐる回すことになります。

悩んでも答が出ないと、次は別の組み合わせでぐるぐる回します。

その次も、その次も、回し続けます。

組み合わせが変わると違って見えるので、悩みは無限にあるように気がします。




    

         スマートノート 岡田斗司夫 文芸春秋 

 

 
 

2018年10月10日 (水)

時空を超える

 

 

 

現在84歳の母は、九州の福岡出身です。

 

3歳年上の仲の良い姉が福岡郊外に住んでいます。

 

最近、痴呆症気味の母は自分でも自覚しているようで「逢いに行きたいけれど一人では自信がない」と言っています。

 

私は付き添ってあげたい、と思うのですが、仕事もあるため、思案しています。

 

では、近未来の地球科学では、どうなっているか?

 

大阪から福岡までの距離ならば、ほんの数分で行くことが出来る。

 

それも付き添い無しで

 

しかも無料!

 

ほんとは「逢いたい!」と思った時点で心、魂は姉の家に行っているのですが、肉体と肉体意識が邪魔をしているのです。

 

・・・・・・・

 

近未来には

 

肉体は霊化し、波動が細かくなっている


宇宙子科学によって時空を超える霊化された乗り物が出来ることによって思ったことが即、実現するのです。

お金という感情(勘定=お金)の媒体(仲介するもの)も無くなっています。

感情(損得勘定)が無いので、お金を必要としないのです。

進化した星、金星にはお金はありません。(過去にはありました)

私はアセンションした地球🌏まで、母が肉体界にいるかな?と思ったのです。

そんな遠い未来ではありません。

母が会いに行ったとしても今よりもヨボヨボなのでは?
と思いますよね(^^)

ところがその頃には、なりたい年齢になれているのです。

若い頃の女学生になっているかもしれません🤣

アセンションとは皆んなが幸せになる素晴らしい現象です、一大どころか宇宙界の大、大、大・大イベントです。

一日も早く訪れるようになるためには祈りが必要です。(宇宙神と共鳴する世界平和の祈り)

「神聖な復活目覚めの印」が必要です。

肉体という器を使って波動を上げるのです。

このような神事(しんじ)をしている人を神人(しんじん)と呼んでいます。

神人の数が臨界点(3万人)を超えたとき、一気に次元上昇します。

神界(天国)顕われて来ます‼️


世界人類が平和でありますように

 

日本が平和でありますように
 
私たちの天命がまっとうされますように
 
守護霊さまありがとうございます
 
 守護神さまありがとうございます

 

 

 

 

 

 

 

補足・・・「地下存在との対話」ダイアン・ロビンス著 に近未来の地球の姿が書かれています。交通の手段も、食生活も面白いですよ。

 

 

 

 

2018年5月 6日 (日)

思いやりの心

 

 

~思いやりの心~

 この話は、映画評論家の淀川長治さんが、話していたことですが、心に感銘を受けましたので書いてみました。

 それは、フランス在住の某画伯が、ある公園で写生をしていた時のことです。

夕方近くなって来たので、それまで周囲に集って、その写生を見ていた人達も、それぞれに礼を言いながら立ち去ってゆきました。

しかし、写生の最後に画いていた噴水のところが、まだ終らないので、ピッチを上げて画き急いでいました。

画きおわって、ほっと一息ついて周囲をみわたすと、背後に一人の中老の男の人が立っていました。そして、こちらが顔を向けると、にこにこして、
 「画き上ってよかったですね、有難うございました」
 といいました。

画伯は、よくおそくまで自分の絵をみていてくれたものと感心して、
 「お近くにお住いですか」とたずねますと、その人は、ますますにこにこして、
 「実は私は、この公園の園長でして、あなたの絵が画きおわったら、噴水を止めようと思っていたのです」といいました。

 時間ですよ、といって、さっさと噴水を止めて帰ってしまってもいいのに、この園長さんは、自分が園長であることも言わずに、画伯が、噴水を画き終るまで、にこにこして待っていてくれたのです。

余り表には目立たないけれど、なんという思いやりのある温かい心の持主なのでしょう。

 こういう話には、全く心がなごみます。こんな心の人が、多く住んでいたらその街は、温かな、なごやかな街になるでしょう。

 その街をよくし、国をよくするということでも、こういう目立たない思いやりの行為が、実に大事なことであるのです。声高々と、愛国を叫び、革新を叫んでいることよりも、こういう愛の心のひびきが多くなってゆく方が、社会や国家や人類のためになるのかもしれません。

 

 私共は、あえて高々と叫び続けようとは思いません。地道に穏やかに、神と一体になる世界平和の祈りを祈りつづけ、賛同する同志を一人でも多く増してゆきたいと思っているのです。

 

その運動の中には、相手をやっつけようとか、人の団体の切りくずしをしようとかいう争いの想いは少しもありません。

 フランスの園長さんのように、終始にこにこして、世界平和の祈りを祈りつづけ、少しでも人々のために、よいと思う日常生活をつづけてゆくだけなのであります。

 そういう平和の心に、武力に勝る、宇宙の神々の大きな力が働いてくるのです。

(五井昌久 「失望のない人生」)

 


感想・・・こういう話は心がなごみ豊かになったような気持ちになります。

 

私たち現代人はあまりにも急いで生き過ぎているように思います。

 

規則やコンプライアンス(法令順守)にしばられ息が詰まるようです。

 

時々このような話を聞いて綺麗なエネルギーを充電しなければ心身ともにもちませんよね(苦笑)

 

 

 

 

2018年4月14日 (土)

カウンセラーの極意はアドバイスをしないこと 2

 

なぜ、聴くだけで一切アドバイスをしないかというと

答えは外から与えられるのではなく、自分の心の中にあるからです。

聴き手が相手の鏡になって答えを出しやすくしてあげられるからです。

インタビュア 阿川佐和子さん・・・

私は単なる聞き手です。 

相手の心の悩みを聞くことが仕事ではありません。

しかし、インタビューの仕事をしていると、ときどき、

「あー、なんかアガワさんに話したら、自分の頭の中の整理がついた」 

と言われることがあります。

あるいは、

「こんなこと、ずっと忘れていたのに、今日思い出した」 

と驚かれることもあります。

決して私が相手の頭の中を整理してあげようと意図したわけではありません。

「ほらほら、他にもなんか思い出すことがあるでしょう、ええ?」 

なんて、無理やり思い出させたりしたこともないはずです。

にもかかわらず、お相手は、最後にふっと、そんな言葉を吐いてくださる。

「今、気がついた。 私って、そう考えていたんですね」

話を聞く、親身になって話を聞く。

それは、自分の意見を伝えようとか、自分がどうにかしてあげようとか、そういう欲を捨てて、ただひたすら 

「聞く」 ことなのです。

相手の話の間に入れるのは、 

「ちゃんと聞いていますよ」 

という合図。

あるいは、

「もっと聞きたいですねえ」 という促しのサインだけ。

そうすれば、人は自ずと、内に秘めた想いが言葉となって出てくるのではないでしょうか。

冒頭にお話しした通り、私は週刊文春の対談ページを始めるにあたって、城山三郎さんのような、『名相づち打ち』 になることを目指してきました。

でもときおり、それだけでは大事な話を引き出すことができないのではと、迷ったこともあります。

しかし、文春対談を始めて4年後、河合隼雄さんに出会い、

「ただ聞くこと、それが相手の心を開く鍵なのです」

そう教えられ、後ろ盾を得た気持ちになりました。

 

「聞く力」 阿川佐和子 文春新書

 

 

カウンセラーの極意はアドバイスをしないこと 1

 

Facebookなどで繋がっていくとコンサルティングやカウンセリングを仕事にしている人が凄く多いことに気づきました。

それだけ悩んでいる人が多く、需要も多いということなんだろうけど、

相談に乗るとは、答えや提案、アドバイスを与えることだと勘違いをしている人が多いと思うのです。

家庭でも、子どもに相談されたとき、自分の経験値で助言を与えようとする。

与えたくなる。

「アドバイスしてはいけない」

なんて誰も思いませんよね。

でも、それが正解のようなのです。

「相づちの極意、聴き上手に徹しよう」

臨床心理学者の河合隼雄さんにお話を伺ったときは、人の話を 「聞く」 ことの大切さを改めて認識させられました。

河合さんは文化庁長官も経験なさいましたが、基本的には「セラピスト」のような仕事がご本業。

心にさまざまな傷を抱えるたくさんの方々のカウンセリングをしておいででした。

そこで私はさっそく、

「患者さんに、どんなアドバイスをなさるのですか」

と伺いました。 

すると河合さん、

「アドバイスはいっさいしません」

え、アドバイスをしないの? 意外でした。

じゃ、カウンセラーは何をするのかしら。

「僕はね、ただ相手の話を聞くだけ。聞いて、うんうん、そうか、つらかったねえ、そうかそうか、それで?って相づちを打ったり、話を促したりするだけ」

とおっしゃる。

「どうしてアドバイスをなさらないんですか」

それには理由がありました。

かつて河合さんはある若者の悩みを聞いて、それに対して、「こうしたらどうだろう」という提案をなさったことがあるそうです。

若者は素直に河合さんのアドバイスを受け入れて、その後、実行した。

それからしばらくのち、若者は再び河合さんのところに訪ねてきて、

「だいぶ元気になりました。 先生のアドバイスのおかげです」

よかったよかった。 

じゃ、また何か心配なことが起こったら、いつでも相談にいらっしゃい。

河合さんは安堵して若者を見送ったのですが、さらにしばらくのち、若者が河合さんのところへ、今度は怒ってやってきた。

「先生の言う通りにしたら、ひどいことになった。どうしてくれる」 と。

「つまり、他人のアドバイスが有効に働いたときはいいのですが、何かがうまくいかなくなったとき、そのアドバイスが間違っていたのだと思い込んでしまう。 すべての不幸をアドバイスのせいにして、他の原因を探さなくなってしまうのです」

カウンセラーの責任逃れのように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではない。

本当に心の病を治そうとするならば、地道にその原因となるものを探し出さなければならない。

にもかかわらず、他人の指示に頼ってしまうと、うまくいかないのは全部、そこに原因がある、こうしろと言ったアイツのせいだと勘違いしてしまう恐れがあるのです。

だから僕はアドバイスをしない。

病気の治療には役立たないからですと、河合さんはそんなふうにおっしゃいました。

 

「聞く力」 阿川佐和子 文春新書

 

2018年3月28日 (水)

出来るだけたくさんの人に会うようにしましょう

 

 

2年間火星に住むことを想定して、7人だけで共同生活するという実験をしたところ(他の人とは一切会わせない)1年で挫折、打ち切りになったそうです。

それは一体なぜか?

なぜだと思います?

・・・・

それは人間は

数多くの人たちと交流しないと生きていけない

精神に支障をきたすのだそうです。

7人では少な過ぎた

引きこもっていたり

狭い施設の中で限られた人たちの中で暮らすのはよくないのですね

淋しそうにしている人に声をかけたり

ちょっとの工夫

少しの勇気で防げるかも知れません

 

2018年3月22日 (木)

出すものを出さなきゃ人は付いて来ない

今日、ある弁護士の先生と話しをしていたら「良い人、仕事の出来る人に来てもらおうとするのならよその2割り増しの給料を払わなきゃダメですよ」

 

とおっしゃっていました。

 

そうすれば辞められることもなけれはよそに引き抜かれることもない

 

そして

 

意欲的に働いてくれる・・・・・・

 

少々厳しくても給料が高ければ人は付いてくる

 

削ぎ落とすリストラばかりを考えている経営者のみなさん

 

逆の発想をしてみてはいかがでしょうか?

 

 

2018年3月21日 (水)

ユーチューバーとプロゲーマー


先日NHKの番組で人気ユーチューバーとプロゲーマーの日常や生き方のドキュメントを放映していました。

私の息子がやると言ったなら、きっと反対していただろうと思います。

どちらも「楽して稼ぐ」「遊んで暮らせる」というイメージがあったからです。

子供たちの将来就きたい職業の上位にこの2つがあったのには驚きました😵

しかし観ているうちに2人の姿に引き込まれていったのです。

彼らは決して「怠惰に生きているのではない」

むしろ自分の限界、可能性に挑戦している

お金儲けが目的ではない

「人を喜ばせたい」「感動してもらいたい」

これはもう立派なプロフェッショナルです。

やり方はどうであろうと何であろうと

かまわない

古い言い方だけど

「職業に貴賎(きせん)はない」

と思ったのでした。

*貴賎とは貴い賤しい、身分が高い低い、優劣のこと

追伸・・・ただ無理をしているなぁ、身体と心に負担をかけているなぁ、命を削っいるなぁ、と感じました。

もっとリラックスして出来たらいいのにね



2018年3月18日 (日)

果因説が個人、人類を救う


 
■『消えてゆく姿で世界平和の祈り』

(『果因説一意識の転換で未来は変わる一』西園寺昌美著 白光出版) 


人は一般に、自分の不幸な状況、貧乏な体験を誰かに語りたいものです。

語りたければ語ってもよいのですが、語りっ放しはよくありません。

語ったならば、必ずその語ったマイナスの言葉を消さなければなりません。
 

この消す行為こそが、“消えてゆく姿で世界平和の祈り”なのです。
 

今、自分が語った否定的な言葉を世界平和の祈りの中に投げ入れることにより、自分の心が救われ、また、語った相手の心の中にも、いつまでも残らないのです。

自分も人も、その瞬間は、世界平和の祈りの神の大光明のひびきの中に住しているのです。

世界平和の祈りのひびきとは、無限なる調和、幸せ、平安、喜び、癒しそのものです。

人の中には、自分の苦しみや悲しみ、不調和の状態をまるで自慢するように語りつづける人がいますが、それは、真理を知らない人です。

そのように苦しみや不幸を語りつづけることで、その状態がいつまでも終わることなく続き、そこから抜け出せなくなるのです。

なぜならば、否定的な言葉を飽きもせず、繰り返し繰り返し語りつづけているからです。

そこに世界平和の祈りも消えてゆく姿の真理もないため、その否定的な言葉の繰り返しにより、さらに否定的な状況が強化され、固定化されてゆくのです。

ですが、真理が判っている人々は、苦しみや不幸の言葉を語っても、即、消えてゆく姿で世界平和の祈りに投げ入れてゆきます。

さらに真理を深く理解している人々は、否定的感情想念を人に語らずに、自らの祈りの大光明の中に入れてしまいます。

そして、今の自分の苦しみや不幸、悲しみや痛みの状況の中からさえも、ほんの少しの幸せや喜びを見出し、それを人々に語りつづけるのです。

それを繰り返すことにより、今までの苦しみや不幸、嘆きや痛みは、知らないうちに薄れてゆくと同時に、幸せや喜びが強化され、現実化されてゆくのです。

それはそうでしょう。

自らの苦しみや不幸の状況を自らにも語らず、人にも語らなければ、真理の法則により、それらの否定的な状況は強化されずに済むのですから。

それどころか、自らの苦悩の状況の中からほんの些細な幸せや喜びを発見し、強化しつづけてゆくため、幸せや喜びが固定化されてゆくのです。



感想・・・私たちはもう、マイナスを吐くと倍になって戻ってくるという宇宙の法則に気づかないといけない時期に来ています。
「仏の顔も3度まで」・・・・2回目までは守護霊さんが防いでくれますが、3度となると大難を小難にすることは出来ません。  文字通り自己責任です。 

ポイントは、どんな苦境の中にあっても必ず光が見える、その光に喜びを見出し、幸せを感じ、感謝するのです。 

するとその光は輝きを増し、時を経て自分に戻って来ます。 人間はその時間差が待てない。

待てる人だけが幸せを摑むことが出来るのです。

想念が大事、想念が自分を創り、環境を創る。


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