2017年2月26日 (日)

物には魂が宿っている2


 

物にこもる想念と、直観力
 



すべての物は想いが込められている

 

人は物に生命(いのち)を込めます。

 

母親は料理をつくる時、子供や夫を思って一生懸命つくります。

 

自分のつくる料理を通して自分の真心を伝えてゆきます。

 

もっと大袈裟に言えば、生命を込めるのです。

 

また、自分の大切な宝石に自分の生命を託します。

 

結婚指輪などには、お互いの心や生命が込められています。

 

また死んだ人の形見には、その人の想いや生命が込められているのです。

 

我々は日常生活において、多くの人々の真心や想いや生命が託された物を使用していま

す。

 

絨毯(じゅうたん)、机、椅子、鍋、花瓶、置物、洋服、茶碗・・・・・。

 

人の手でつくられた物すべてに、その人の想念が入り込んでいます。

 

自動車、電車、飛行機、バス、自転車・・・・。

 

こういった乗り物も多くの人々の想いや心が込められているのです。

 

それらの乗り物をつくる人々がみな、感謝と喜びを込めてつくるならば、事故などを起こす

頻度も少なくなるはずです。

 

だが、つくる人々が毎日、激しい恨みや怒り、不平不満、悲しみなどの否定的想念を出し

ていたならば、それらの否定的想念の波動が乗り物にも入り込んで、事故を誘発します。

 

 

ですから人々は、その想念の在り方を認識して買い物をする必要があります。 宝石を買

う時、仮にその宝石が新しいものならともかく、人の所有するものであったならば、その所

有者の想念や因縁がそのまま波動として宝石に蓄積されています。

 

どうしても宝石を手放さなくてはならなくなった人たちの怨念や執着、苦悩や悲しみが刻み

込まれているのです。

 

そういった宝石を身につけた人は、それらの宝石によって、運命が操られてゆきます。

 

次から次へと不幸や災難に出会ってゆくのです。

 

宝石にそういった多くの人々の暗黒的な想念がこもり、蓄えられているからです。

 

また、絵画や置物も同じです。 絵や置物の中に作者の気迫が込められているものがあり

ます。

 

作者が真の芸術を理解できずに自らの名誉欲、金銭欲、権力欲などの想念によって作品

を作り上げていくことにより、その作品は真の芸術性からはずれた不調和な荒々しい波動

を蓄えてゆきます。

 

こういった強い波動のものを気の(想いの)弱い人が買うと、負けてしまうときがあるので

す。

 

絵の強さ、置物の気迫に翻弄(ほんろう)されやすく、この絵のかかっている部屋、置物の

置かれている場では、常に金銭や虚栄心などが原因となって争いが絶えなかったり、夫婦

喧嘩や親子の対立が生じたりして、調和が乱されていってしまうのです。

 

なぜならば、それらの持つ波動につい巻き込まれていってしまうからです。

また家を買う時、マンションを借りる時なども同じです。

 

そこに、土地や家の因縁、前に住んでいた人たちの想念波動が宿っているからです。

 

運命が順調で幸せであった人たちでさえ、こういった土地や家にまつわる想念の強い、

因縁の深い物件を買うと、それらの想念に操られ、翻弄されて、運命が乱されてゆきます。

 

突然、病気になったり、失敗や挫折に追い込まれたり、不幸に見舞われたりするのです。

 

それらは、そういった想念のなせる業(わざ)です。

 

だがしかし、こちら側に常に祈りがある場合は、必ずそれらの想念を祓い浄め、決して悪

い運命へと巻き込まれることはないのです。

 

 

逆にそれらの因縁を超えて素晴らしい運命へと転換させるだけの力が祈りには備わって

いるのであります。

 

真理を知らないが故の不幸

 

今まで、人類の多くはみな、こういった想念の法則を知らぬまま、人々の想念に巻き込ま

れ、翻弄されながら人生を歩んできました。

 

もし人々がそれらの物を手に入れたいと思った時、その物の持つ因縁や想念、怨念を知る

ことが出来たならば、あるいは感じることが出来たならば、自らの人生をなまじ不幸へと導

かれないですむのであります。

 

真理を知らない人々はみな、こういった執着や怨念、否定的想念が刻み込まれた物を所

有することによって、知らないうちに自分の人生を狂わせてしまっているのです。

 

真理を知っている人たちは、それらの物を無意識に拒否する直観力が培われています。

 

それらの物を手にした時、無意識に自分の心が波立つのです。

 

気持ちが悪い。 何か暗い感じがする。 ゾッとする。 不安に陥る。 急に腹立たしくなっ

たり、怒りたくなる。 淋しくなったり、悲しくなる・・・・・など、自分の心の変化に気づくので

す。

 

すると、自分の本心がこれらの物を買いたくないとか、必要ないとか、もっとよいものが後

で見つかる・・・・・等と拒絶してしまうのです。

 

だがしかし、真理を知らない多くの人々は、利害損得に振り回され、手に入れたり、買った

りしてしまいます。

 

買ったあとでも、おかしい、嫌な感じがする、不吉な感じがする、といったメッセージが自分

の感覚を通して届いているにもかかわらず、高いお金を払ったのだからとか、いまさら返す

わけにもいかないとか、姑息な心で自らの運命を誤らせていってしまうのであります。

 

このように、自分たちの周りのすべての物には、種々様々な人類の想念が込められている

のです。

 

もちろん、土地の因縁、動物や植物の因縁、水や食物の因縁も同様です。

 

人類は決して自分一人では生きてはいけない存在なのです。

 

多くの人々、大自然、生きとし生けるものと調和し、共生して生きていくことこそ、真に生き

る意味、価値があるのであります。

 

昨今、大地の汚染、空気や水の汚染、自然破壊、種の異変、病原菌の発生・・・・等、様々

な現象が起こっています。

 

これらも突きつめてゆけば、すべて人類一人一人が放った無責任な想念波動の結果に相

違ないのです。

 

いよいよ人類一人一人がどうしても真の真理に目覚めなければならない時にまで至ってい

るのです。

 

目覚めなければ滅びる以外にないのです。

 

真理に目覚めた者は必ず救われます。

 

なぜならば、そういった否定的想念、暗黒的想念の波動を見極める直感力が大いに養わ

れているからです。

 

そればかりではなく、自らが放つ波動が神の波動、光の波動であり、強力なるパワー、エ

ネルギーを持ち、宇宙神の光の一筋そのものであるため、いかなるマイナス波動からも決

して影響を受けないのです。

 

自らの放つ想念、光、エネルギーにより、自らの運命が悪くなるのを見事に完璧に防げる

のです。

 

さらに、究極の真理、我即神也、人類即神也の宣言をし、印を組む者は、自分を取り巻くい

かなる想念さえも浄めてしまう偉大なる力を発揮していくのであります。

 

だからこそ、彼らの人生はよくなるのです。

よくならないわけはないのであります。

 

必ずよくなる、もっともっとよくなる。 もっと完璧に、幸せにに、平和になる。そして何事も

調和してゆくばかりです。

 

だがしかし、周りを見てみると、気の毒にも、不幸せな人々ばかりです。

 

彼らは不幸や災難、苦悩に取りつかれ、もっともっと悪くなり、もっともっとひどくなる一方で

す。

 

いかにもがこうと、あがこうと、そういった想念から脱け出すことの出来ない状況に追い込

まれてゆくのです。

 

彼らは真理を知らないがために、自ら不幸な人生を選んでいると言えるのであります。

 

            「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版



  


物には魂が宿っている1


私が、これからは、経済はもう発展しない、物質文明から精神文明へと移行すると思っている
のは、

物を粗末にして、壊れたからとか型が古くなったからという理由ですぐに新しい物に買え換え

るという考えは、日本人の性質(性格的)に合っていないように思うからです。

「もったいない」 

という感覚は、ほとんどの日本人に沁みついていて、

その原点には

“物には、魂(心)が宿っている” ということがわかっているからです。

長年お世話になって自分や家族をいろんな場所に安全に運んでくれた愛車(あいしゃ)が、

耐用年数が過ぎて、走ることが車にとって苦痛なんだと感じることがあり、

新車と入れ替えるときなどは

「長い間、ありがとう、ご苦労さまでした」 

と車に向って手を合わせたくなるのです。

動物など生き物だったら、家族同然に思っている人も多いのだけれど、物に対しても自分

の体の一部に感じるのです。

それは、自分が手に触れ体に触れることでその物にもエネルギーが入るのです。

それも自分と同じエネルギーなので、持っていて心地がいいし、愛おしくなるのだと思います。

高度成長の好景気のときは、“消費は美徳” などといわれ、使い捨ての時代でもありました。

しかし、根底ではそんな考え方、時代が おかしい と思っていたのです。

だからいくら政府や国が

「もっと物を買ってください」 「お金を使わないと経済が停滞します」

と言っても

「それじゃあ」、と 

物を粗末にしたり、捨てたりは心情的に出来ないのです。

それは今迄の反省があるからです。

「あのときにもっと大切に扱えばよかった」

「簡単に捨てて申し訳なかった」

私は、物を大切にしていく文化になり、それに伴った経済発展はよいと思うのですが、

無理に経済、消費を動かすことは違うと思うのです。


今はもうすでに供給過多になって、物をたくさん作り過ぎています。

余り過ぎています。

「近い将来、お金は無くなる」 

というのが私の持論なのですが、そのことについては、又違う機会に述べるとして、

今日は、物には魂が宿るについて、西園寺昌美先生の
ご著書から抜粋していきたいと思います。


 

悩みごとを紙に書き出すと頭の中が整理される



私は結構、メモ魔です。

そして、投稿するのにも、なるべく一度ノートに書き出してから、記事にするようにしています。

めんどうだから直接打ち込んじゃえとも思うのですが、それでは客観視出来ないのです。

今、いろんなことで悩んでいる方はたくさんいらっしゃると思います。

では悩みとはなんなのか?

なんだったのか?

悩みの本質、原因がわかれば、かなり楽になると思います。



悩みの“ジャグリング”をやめる



アンドリュー・カーネギーという人がいます。アメリカの有名な実業家で、鉄鋼王カーネギー

と言えばご存知の方も多いと思います。


ある夜のことです。彼は、あまりに多くの悩みを抱えてノイローゼのようになり、自殺まで考

えていました。

「不倫相手の女性から連絡が入り、子どもを認知して欲しいと言ってきた」

「親戚の全員が問題を起こしていてもみ消さなきゃいけない」

「ろくでなしの甥っ子が警察沙汰の事件を起こし、身柄を引き取りに行かなくちゃいけない」

「政治家からの不当な圧力で、会社が存亡の危機に陥っている」

「妻から今夜食事に付き合ってくれなければ離婚すると言われてしまった」

身の周りのことから仕事まで、すべての危機が同時に頂点に達していた瞬間だったの

です。




その時のカーネギーの行動


もうダメだ、限界だ、とカーネギーは思いました。

遺書を書いて自殺しよう。

そうカーネギーは決心し、机の引き出しを開けました。引き出しにはもちろん護身用の

拳銃が入っていたのですが、その下には自分の名入りの立派な便せんセットがありま

した。

「ああ、自殺するんだったら遺言を書かなくちゃ」

カーネギーはそう思って苦笑します。

まったく、自殺する前にもひと仕事しなきゃいけないのか・・・。


遺書をかく段になってカーネギーは考え込んでしまいました。

「死にたいぐらいに悩んでいるんだから、さぞかし自分には深い悩みが多いんだろう。

いったいいくつくらいあるんだ?」


わかんなくなっちゃったカーネギーは、黄色い便せんと鉛筆を持ち出し、思いつく問題や

悩みをすべて書き出したそうです。


当時、カーネギーは 「世界で一番忙しい男」 と言われていました。

仕事だけでなく、家族関係を含めると、悩みは絶対に何百もあるに違いない。

 ひょっとしたら 1000個ぐらいあるんじゃないか?

ところが、箇条書きにしてみると、60個ぐらい書いたところで、鉛筆がピタリと止まったそう

です。

思い出して考えて、とりあえず 「もっと悩みはあるはずだ」と些細な問題まで書き出し

ます。

しかし、あんなにたくさんあると思っていた悩みは、結局、70いくつぐらいしかなかったの

です。


普通の人でも70も悩みがあれば多いと思います。

でも自分の問題や悩みは何百もあると思っていた彼は、あれ?と思ったわけです。

結局、70個の悩みを順繰りに次から次へと考えていたことで、自殺をしようと考えるほど

追いつめられていたのです。


悩みを書ききった瞬間、今夜中に解決できることはほとんどないことに気がつきました。

カーネギーは悩みを書いた便せんを、問題ごとにちぎってカードみたいにし、それを仕分

けし始めました。


「明日できること」

「来週以降に着手できること」

「来月で間に合うもの」

「解決できないこと」

という4つの山に分けて、その4つ目の山(解決できないこと)はそのままくず箱に入れて

しまいました。

残った3つの山、自分の悩みを書いた便せんの切れ端をカーネギーは大事に机の引き

出しにしまい、そのまま彼は奥さんと夕食へと出かけたそうです。


もうすっかり、けん銃や自殺のことは忘れて。






苦しさの本質に気づく


私がこのエピソードを読んだのは、もうずいぶん昔のことです。

それでもその時、頭を殴られたようなショックを受けました。

そうか、悩みの本質、苦しさの本質というのは、

「複数の問題を頭の中でグルグルと回している状態」から生まれるのだと気付きました。

これを私は 「頭の中でジャグリングしてる」 と呼んでいます。

ノートをとらずに悩むことは、悩みをジャグリングのように空中で回しているのと同じこと

です。


本来、悩みの解決に使うべき脳の容量をジャグリングに使っている。

だから、あんなに悩むのは疲れるんです。だから、悩んでも答が出ないんです。

悩みが多くなると、一度にすべてを考えることは不可能です。

だから、いくつかの概念やアイデアを、同時に何個かずつ組み合わせては、ぐるぐる回

すことになります。

悩んでも答が出ないと、次は別の組み合わせでぐるぐる回します。

その次も、その次も、回し続けます。

組み合わせが変わると違って見えるので、悩みは無限にあるように気がします。




    

         スマートノート 岡田斗司夫 文芸春秋 



  
  

2017年2月23日 (木)

人生は自分の手によって開く




発展途上国に教育が遅れているからと、鉛筆を送った人がいたそうです。

すると、その国の教育者は送り主に

「後先を考えず安直に援助などしないで欲しい」

と言ったという。

どういうことかというと鉛筆をもらった子供たちは、なんの努力もせず普段手にしない物を得た。

しかし次にそれを得ようとするとき何の手段も見出せない。

だったらずっと鉛筆を送り続けたらよいのか?というとそれも違うのだ。

自立をさせることのみが相手を幸せにする。

助け合いが慣れ合いであってはいけない。

依存を助長させるようではいけないと思うのです。



          「人生は自分の手によって開く 1」


外部からの援助は人間を弱くする。自らの手で自らを励まし、何事にも屈することなく、勇気づけようとする精神こそ尊いものである。
人の為によかれと思って援助の手を差しのべる時は、余程の読みが必要である。
相手の自立の気持ちを失わせるようであっては、かえって援助がマイナスとなって働いてしまうからである。
人生は自分の手によってしか開けないものである、ということをよく知ることである。




これからは学歴とか、肩書きなどが一切通用しない、つまり本ものの時代へとなって行きます。(もうすでになっているのですが)

大学に行くよりも専門学校、専門学校よりも

即、人に役立ち、経済性もあり、社会性のあるもの、

それを産み出す人が評価されていきます。

学校教育のありかたも見直す時期にきていると思うのです。

          
            「人生は自分の手によって開く 2」

学生時代には優秀で、すべてトップでいたが、実社会に入ると平凡な人生に埋もれてしまう人もいれば、学生時代、何一つ期待されていなかった劣等性が、実生活に入るやいなや、その本来持てる力量を立派に使い果たし、人の上に立つ人になる場合もある。

若い頃の利発さは、忍耐や努力をしなくても結構なんでも手際よく覚えてしまう。

だがそれだけ忘れることも早い。着実に物事を自分のものとしてゆく方法が一番よい。


人生プロセスにおいて簡単に善い悪い、成功失敗と決定は出来ない。

すべて結果によって判断すべきことである。

すると早い遅いは全く関係ないことになる。




            『日々の指針』 西園寺昌美著



2017年2月17日 (金)

これからはお百姓さんになる時代です


今、ビジネス(商売)をしている人と決まって話すこととは、

「もう本業だけではやってはいけない、何とかしないと・・・」

なのです。

これは余程特化した仕事、職業の人以外は共通の悩みだと思います。

インターネットは加速度的にいろんな職(食)を奪っていきます。

本業を一生懸命にやっていても利益の上がる(旨みがある)ところには群がってきます。

隙間産業にもみな目を光らせている。

大手も多様化し抱き合わせ、セットで売ろうとする。

限りあるお金をみんなで取り合っている状態です。

・・・・・・・・・・・・・

では、私たちはどうしたらいいのか?

核になる本業のスキルは磨き続けながら、SNS等を利用し、出来るだけリアルに人に会うようにし、情報交換ならび、共通点を見つけて、仕事を回し合うようにする。

自分中心のコミュニティーを作ってそこでお金や情報、サービスを回す、価値観をシェアする。

常にアンテナを張って、チャンスを見逃さず、自分に出来ることは自分のものにしてゆく。
 

これしかないように思うのです。

そのためには、肩書きは多数になります。

昔のお百姓さんになるのです。

百姓とは、農業だけをやっている人ではありません。

畑を耕すだけでなく、草鞋(わらじ)を編み、薪(たきぎ)を拾い、行商をし、庄屋さんの手伝い(便利屋)に行き、閑散期には出稼ぎに行く。

この時代のお百姓さんは、仕事をたくさんもっており、周りの人は何をしている人かわからなかった。

「百の姓(名前)を持っているようだ」・・・・から百姓という言葉は生れたのだそうです。

自分で出来ることは限られてる。

だから自分の分身のように動いてくれる人、人の役に立ってくれる人を探す。

ただ、そこには信頼関係がなければいけません。

 

本業をいい加減にしている人を紹介したら、自分の信頼を失うからです。

これからはたくさんの人と繋がることが安心感、安定感を得ることになります。

最初はゆる~いつながりから始まります。

ゆるい細いつながりをどれだけ太いつながり(信頼関係)に換えていけるか?

そこに生き残る道はかかっています。



お薦め図書


 『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』 岡田斗司夫著




 

2017年2月15日 (水)

できる営業マンは会社にいない

 
私の仕事は広告関係の自営業なので、自分のペースで動けるため、家でパソコンの前に座ろうが、スマホをいじっていようが、のんびりとテレビを観ていようが全くの自由です。

誰にも束縛されないし、監視されてもいません。

そこそこの成果を上げたなら、ちょっと気を抜いて、SNSでつながった人との情報交換も楽しいし、仕事をした気分にもなる。

しかしそこから大きなもの、大切なものは生れない、言い切れませんがかなり難しいと思うのです。

私は自営業であるが、営業マンでもあります。

そして多かれ少なかれ、人はみな営業マンであり、営業ウーマンであると思うのです。

現実世界とSNS世界との折り合いのつけ方、

ある本を読んで痛感しました。

『IT企業はなぜ渋谷に集まるのか』

IT企業の人たちに話を聞くと、必ずと言っていいほどこう言う。

「直接顔を合わせることは本当に大事ですよ。

直接会うと交換できる情報量がまったく違う。

雑談の中から新しいビジネスが生れることもあるし、一緒にやろうという話になってその場でプロジェクトが生れることもある。

僕らは、すぐに顔を合わせられるように意識的に近くに集まっているんですよ」

・・・・・・・・・・・・・・・

あなたがSNSだけをやっていればいいと思っていたら、それは間違いだと断言する。

リアルがベスト。

会えない間はソーシャルメディアで繋がろう。



『ソーシャルメディアを武器にするための10カ条』 徳本昌大+高橋暁子著

 

2017年2月14日 (火)

今、一番?稼いでいる仕事とは?

  
先日、大手広告会社の知人に

「今、駅に広告を出すほどの一番引き合いの多い景気の良い業種は何ですか?」

と質問をしたら

「生前整理、遺品整理業ですね」

と言っていました。

なるほど、今のお年寄りは、物を大切にするし、バブル期に欲しいものをたくさん買っているので家の中は物で溢れている。

それを見た子どもや孫が

「今のうち(死ぬ前)にキチンと整理(処分)しておいたら」と言っていると思うのです。

遺品の中には、アルバムや想い出の詰まったものがたくさんある。

その時に辛い思いをするのなら、今のうちにスッキリしておきたい。

そしてついでに感情と勘定(お金)の交換をしておきたい。

お金って感情を処理するツールであることがつくづくわかります。

断捨離が流行るのも、ミニマリスト(持たない暮らしをする人)が増えるのも、これらは感情をスッキリさせたい、重たい荷物を減らしたいという思いです。

これから感情をお金に換える商売が益々増えていきます。

「面白い!


と思った私は、ネットオークション、リサイクルをしている後輩に得意気に言うと

「先輩、その仕事はもうたくさんの人がやっていますよ」

との返事・・・・。

「そうか、いいと思ったんだけどもう遅いのか」

しかしやり方次第では決して遅くはないと思うのです。(私はやりませんが)

自分が「やりがい」を感じるのであれば、成功の(稼ぐ)道はあると思います。

ただ、

これから何か稼ぐこと(仕事、商売)をする上で

「やり方とやる気次第でどうにかなることと、ならないことがある」

その見極めも大切ですね。


  

2017年2月12日 (日)

日本語の本来の数字が持つ意味 2




「八」 イコール発心する

「九」 イコール究める

「十」 イコール充分に満ちる

「十一」 イコール士(武士、サムライ)

「十二」 イコール十二分



以上です。

あなたは、「一」~「十二」のどの立ち位置に居ますか?

私は位置 「一」 から出直します(笑)

ところで感想ですが、「八」の発心は、発信と同意語ですよね。

自分が言葉であれ、文章であれ、もちろんSNSでも発信しているのは、心の中を出しているということです。

いいかげんなことは書けないと思います。

あとは、「十一」が士(サムライ)であることに驚きました。

ほんとうの武士とは、戦い争う士ではない

戈=戦を止める人であると聴いたことがあります。

数字は奥が深いですね。

 
 

日本語の本来の数字が持つ意味 1

 

日本語、漢字だけではなく、私たちが普段使っている数字にも真理があります。

一昔前の人たちが一日の始まりの朝一番に、ラジオ体操を習慣にしたのも意味がある行動だったのだと思います。

「いち」「にぃ」「さん」「しっ」・・・数字は繋がっているようで、それぞれに意味があったのですね。



位置確認イコール 「一」

立ち位置を決める。

「二」 イコール荷役を負う

「三」 イコール参じる(参加)

「四」 イコール仕える(仕事をする)

「五」 イコール伍する(進める)

「六」 イコール禄を食む(稼ぎを得る)

「七」 イコール質が決まる

で始めて社会に打って出るところに立つ。

 

この後「十二」まであるのですが、ここで一旦区切ります。

 

私はこの中で「六」の禄、稼ぎを得るに興味を持ちました。(禄は給与のこと)

儲けることと稼ぐことの違い

仕事に対する姿勢などに悩んでいたからです。

どうも仕事(自営業)に身が入らない

他のことに価値観や興味を持ってしまう(気が散る)

こんなことではいけない!

そう思っていたときでした

この記事を読んだのは・・・・

「六」の数字の意味? なぜ稼ぎを得ることが「六」なんだろう?

首をひねっていると、


しばらくして、ある人が教えてくださいました。

稼げない、稼がない男は

「ろくでなし」 「ろくでもない」 「宿六」

「四の五の言わず、黙って働いて、稼いで来い!」


であることを・・・・。

能書きや理屈はいいから

とにかく

お金を稼いで来る (しかし、まっとうなやり方で)

そして

子どもや奥さん、周りを楽にさせる

それが「六」の真理だと思いました。




  
 

2017年2月 8日 (水)

一日一回、自分と向き合おう



一日一回はどんなに忙しくても、自分と向き合って、「反省」することが大切だと昔、尊敬する会社の上司に聞いたことがありました。

わかるような気はするのですが、なかなか出来るものではありません。

では、なぜ自分自身(本心)と向き合うことが必要なのでしょうか?

私はある人からこの話を聞いて「なるほど」と納得したのです。


とある会社が事業好調で業績を伸ばすために最新式の機械を導入したそうです。

これまでの旧式のなんと7倍の速さだそうです。

しかし新機は、定期的に決まって何度も故障を起こした。

この機械は、A・B・C・D・E・F・Gの7つの工程を一度にやってしまい元の定位置に戻っていた。

そして、戻ったときにほんの少しのズレが生じた。

0.000001ミリだったのかもしれません。

しかし回数を重ねるたびにそのズレは大きくなり、とうとう定位置から外れてしまった。

そして機械全体にも歪が生じていた(傾いた)。

どれだけ修理をしても動かない状態になったそうです。

一方、昔の機械は、A→定位置、B→定位置、C→定位置・・・・G→定位置を繰り返し、ズレが生じることはなかった。

私たちは今、猛烈に忙しく、この最新式の機械のようにたくさんの工程をこなしています。

その中で大事なことを端折ったり、簡単に済ませたり、疎かにしている。

反対に、どうでもいいことに時間を使っている。

本末転倒している。

優先順位を間違えている。

そしていつの間にか違う自分になっている。(ズレがブレになっている)

そうならないためにも

どんなに忙しくても、一日一回、スマホの電源を切って、自分とキチンと向き合いたいと思います。

また、メンター(人生の師匠)から次の言葉をいただきました。(かなり前ですが)

 

反省→努力→勇気



う~ん、最後の勇気ってどういう意味なんだろう?

どんなときに勇気を使うんだろう?

わかる人いますか?(笑)

 

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