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2019年5月18日 (土)

仏様のような境地でありたい!

 

  

■『大和の清九朗の話』


(『純朴の心』 五井昌久著 白光出版)

 

 

 寛延二年七月上旬の頃、原谷村の祐安という同行の家に仏事があって、清九郎が家を留守にしている間に、盗賊が壁をこぼち忍び込んで、莚の下に入れて置いた銀札七匁を取って行ってしまいました。

後に近所の人々がこれを聞いて見舞いをいうと、清九朗は、

「盗みをするほどの者ならばさぞ不自由であろうに、われら風情の家に入っては何も取るものがなく、気の毒なことである。それでも菜種を売った代の銀札が十五匁あったのを、八匁はこの春以来の洗濯料に払い、残る七匁が家にあったのはまだしもじゃ。

平生ならばこの七匁もないであろうに、折角入って来た者に手を空しくさせずに、僅かでも取られるものがあって嬉しう思うております」と答えました。

それを聞いて人々は盗まれて嬉しいとはどういうわけか、と訊きますと、清九郎は

「これが嬉しうなうてどうしましょうぞ。その故は、盗まれたわしも同じ性分の凡夫で盗みかねぬものであるのに、今はご慈悲のお陰で盗みごころも起らず、盗まれる身となったのは有難いことじゃ。

もしこの清九郎が五匁十匁でも人様の物を盗んだと評判せられたら、わしはもとよりのこと、同行中の顏よごしで、再び皆様と交わることも出来まいに、盗まれたのは不覚に似たれども恥辱にならず、同行の顏もよごれず、仏法に疵(きず)もつかず、これほど嬉しいことはありませぬ」

と答えた、といいます。

 普通の人では、とてもこの心境になれるものではありませんが、日頃からの祈りの行、ここでは念仏によって、これ程までに純朴になり得たのだと思います。

禍をすべて福として受け取れる人は幸せです。私の会の人たちにも、こういう心境に近い人がかなりでてきています。

 なんでもかでも悪くとる人と、何事もすべて善くなると、よいほうによいほうにとる人と、どちらが幸せな生き方であり、どちらが神のみ心に叶った生き方であるか、ということは論をまたないことです。

 

感想・・・・実は私も「金銭トラブル」に見舞われ、どうしたものか?と思案していたのです。相手の人はむちゃぶりをしてきて、到底受け入れることはできません。こちらも毅然とした態度で臨むことはもちろんですが、ただ事務的に法的に済ますのではなく、相手との因縁生もあり、今後のその人にとって良いように(3次元的ではなく魂的に)ならないといけないと思うのです。

人として道を外すことは曲げてはいけませんが、ただこちらの正義論を通すのではなく、過去世においてはなにがあったのかは推し量ることもできません。もしかしたらその人に多大な借りがあったのかもしれないのです。

これでチャラ(ご破算、清算)だったのかもしれない、では泣き寝入りなのか?それも絶対に違います。当たり前です。

大岡裁きではないけれど、どこかで折り合いを付けようと思います。

 

 

 

 

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