奇跡の出会い!
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本文
また、幽界に転移しながらも、肉体界に異常な興味を寄せている霊魂と、幽界のみに生存する感情霊、あるいは動物霊という、人間のような倫理観や道義など持ち合わせぬ生物がいる。
これらの霊魂や生物は悟りから程遠いのであるから、俗事に非常に興味があり、自己の神性を探求することよりも、何か、事件を起こして、騒ぎたかったり、崇められたかったりする心が強いので、肉体人間が、あまりに自己の欲望達成のための神頼みや、奇蹟に頼ったりしているのを見て(ある程度の幽界人は、肉体界の事柄がよくわかるのである)茶目気を出し、ある種の霊媒素質のある(これは肉体の下衣である幽体の大きい人、霊魂が出入りしやすい人)人たちに送念して、あるいは肉体を借りて口をきき“我れは何々の神であるぞ”式に現われ、種々と肉体世界の出来事の予言をするので、これはなかなか当たるのである。
低い宗教、誤まれる宗教にはこの種類が非常に多い。
この種の宗教の教祖はおおむね、女性や、学問的知識のすくない人が多い。
何故ならば、知性のある人びとは、相当素直な人でも、その言葉や態度に批判の眼をむけずにはいられないので、肉体を使おうとして憑く霊魂にとって、自由に使いにくいからである。
この種の教祖や宗教家は、非常に尊大ぶった態度を取ったり、下卑(げび)た口をきく。
または知ったらかえって不安動揺するような予言をする。
予言されて、その通り防げば、防げる態(てい)の事件の予言ならよいが、その難を絶対除かれようもない未来の予言をするようなことは神の心に適うはずはない。(五井昌久『神と人間』74,75頁)
感想・・・・スピリチュアルなもの、占い、霊能者のほとんどは幽界の生物が人間に憑依したものであり、興味本位で近づいては絶対にいけないのです。
普通に生活をしていて「不思議なことがあるものだなあ」 「たぶんご先祖さんが守ってくださったのだろう、守護霊様、守護神様、ご先祖様ありがとうございます」と感謝を捧げ、なお良いのは、『世界平和の祈り』によって神界にいる自分自身(本心)と繋がることです。
私たちが肉体を持って生まれて来たほんとうの目的とは、ほんとうの自分(神)と繋がることです。
自分が何者であるか? どこから来て、どこへ行こうとしているのか? 何のために生まれて来たのか?を識ることです。それしかありません。
私たちは先祖の代表として、真理を識る時期に生まれて来ました。
今、今こそがその時なのです。
『世界平和の祈り』を祈り、『我即神也の印』 『人類即神也の印』 『神聖復活目覚めの印』 は思い出させてくれます。
ほんとうの自分とエネルギーでつながるからです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
本文
さて話を幽界にもどして、幽界において肉体界に悪影響を及ぼす、生物の話をしてみよう。
幽界には、肉体界を離れながら、いまだに肉体界に生活しているものと思いこんでいる人間たちがいる。
この人たちは、肉体の死が人間の消滅である、と思いこんでいる人たちで、肉体への執着が非常に強く、病気あるいは傷害で、肉体的に死にながら、われわれが通常夢みているような工合に、自分の肉体界当時の周囲の人びと、近親や、子孫の人びとを想念し、その人びとの肉体の背後に密着する。
それは、自分自身の肉体が、すでに無いのに有る、と思いこんでいるので、幽体だけが想念を包んで、肉体界をさまようのである。
この幽魂が肺病で死んだ人ならば、肺病の念(おも)いを、そのまま持ちつづけているのでその幽魂に密着された人は、しだいに、その肺病の念に禍(わざわい)され、その人もついに肺病になってゆくのである。
それは親しい人や血筋ほど禍されやすいのである。
その他の病気や傷害も同じである。生前の恨みを晴らそうとする場合も、恨まれた人は難を受けやすい。・・・・・(五井昌久『神と人間』73,74頁)
感想・・・・・五井先生は、生きている間に人に迷惑をかけるよりも「死んでから迷惑をかけるほうがよくないのだ」とおっしゃておられます。
死んだ後のことなんて責任があるのか?と思いますが、真理を知らないと飛んでもないことをしてしまうのです。
私たち人間の不幸とはほとんどの人が真理を知らないことです。
それは一番に死に対する認識です。
肉体界を去ったあとの世界(幽界、霊界、神界)のあることも知らない。
肉体という器が無くなっても意識が残っているので、「自分はまだ生きている」と想ってしまう。
しかし誰に声をかけても通じないので、そこで「ああ自分は死んだんだ、ここにいたんじゃいけないんだ」と悟ればいいのですが、肉体界に執着し、親しい人に取り憑くのです。
ガン、難病、精神病などは憑依しているものも多く現代医学ではどうしようもないのです。
守護霊、守護神と幽界の生物、感情霊とはまったく違います。
「肉体の死とは?」「魂は永遠に生き続ける」「肉体界、幽界、霊界、神界の存在」など、人間として基本的なことがわかっていないと死後も苦しむことになるし、愛する家族も不幸にしてしまう。
今こそ、真理を識る時期に来ていると思うのです。
私は真理を識るバイブルとして五井先生の 『神と人間』 五井昌久著 白光出版 をお薦めします。
追伸・・・・先祖の霊、幽界の生物たちに憑依されないためには、欲望を少なくすること(感情霊=勘定霊に取り憑かれる)と、『世界平和の祈り』をしっかりと行い、守護霊守護神と一体になっておくことです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
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かくて、幽界において、ある程度浄化されると、また肉体界に誕生し、また異なる生活の経験を得て、再び、三度、両界における体験を繰りかえし、しだいに、高度の生活に導かれ、ついには、天界にいたり、神格を得て、神界に住し、あるいは、覚者(仏)となって、肉体界、幽界の指導者となるのである。
結局は、人間はその人自体が、すでに蓄積した悪想念をいかに巧みに消し去ってゆくかによって、その人の運命の度合が高度になってゆくのである。
桶が汚水で一杯になっていたら、人は必ず、その水をこぼして、新しい水に汲みかえるであろう。
しかし人間は、自分の運命の汚水(悪想念)をそのまま流さずにおきたがるものなのである。
何故ならば、その汚水(悪想念)がこぼれると、その場が汚くなる(その人の生活に起こる不幸や病気をいう)からである。
といって次から次へと汚水(不幸や病気への恐怖、恨み、怒り等の悪想念)出しつづけたら、その桶からは常に汚水がこぼれつづけ、その場は、汚水でいたたまれなくなるであろう。
この汚水を消すには、まず清い水をその桶にそそぎこむ(善い想念、愛と感謝)ことが第一であり、それと同時に、その場のふき掃除をすればよいのである。人間はその忍耐力と勇気が必要である。(五井昌久『神と人間』72,73頁)
感想・・・・・汚い水が入ったコップに綺麗な水を入れなければ、いつまでも汚いままで人生は好転しません。そこで光(世界平和の祈り)を入れることになるのですが、何度も何千、何万回も輪廻転生してきた水はかなり濁っており、そう簡単、早くには綺麗にならないのです。
そして光を入れることによって汚水は、外に出て周りを汚すことになります。
これが病気であったり、貧困であったり不調和な出来事だったりします。
しかし汚水は確実に薄くなっていて、大難が小難になっているのです。これが消えてゆく姿です。
世界平和の祈りの素晴らしいのは、自分の運命だけでなく地球人類、ひいては宇宙人類の運命をも好転させることになるのです。
文面最後の「この汚水を消すには、まず清い水をその桶にそそぎこむことが第一であり、それと同時に、その場のふき掃除をすればよいのである。人間はその忍耐力と勇気が必要である」とありますが、まったくその通りなのです。
清い水が『世界平和の祈り』『我即神也の印』『人類即神也の印』『神聖復活目覚めの印』『光明思想徹底行』 『地球世界感謝行』です。そして拭き掃除は、大難が小難になった現象を感謝の気持ちで受け取り、誠実に丁寧に行じてゆくことです。
そして今は『果因説』 があるのでもっと早く消えて行きます。現われる前に一瞬で消えるかもしれません。
これを人は “奇跡” と言います。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
【水素ガス吸引をすると整理整頓をしたくなる】
沖縄に住む子宮頸がんステージ4の女性(A子さん)が初めて水素ガスを吸ったとき、頭の中に水素が入って行き、脳細胞の中のモヤモヤしたもの(悪玉活性酸素)と水素ガスが結合して水に変わったのがわかったのだそうです。
2・OH(悪玉活性酸素)+H2(水素)=水(2H2O)
その爽快感は今まで味わったことのない格別なものだったそうです。(かなり霊的な人ですが)
それからA子さんは、ホスピスに入院されているのですが、急に病室(個室)の掃除をしたくなる衝動にかられ、部屋の整理整頓を始めた。
吸う前は周りが散らかっていても気にならなかったり、片づけをする気持ちにならなかったのに「不思議です」とおっしゃっていました。
そして元気な頃に踊っていた沖縄の踊りを踊り始め、民謡も歌い始めた・・・
これはA子さんの脳細胞が水素ガスによって掃除されたため、頭がスッキリした(スイッチオンになった)と同時に、身の周りもスッキリさせたくなったのだと思われます。(そして生命力も戻って来た)
家がゴミ屋敷の人や片づけがなかなか出来ない人は、頭の中もゴチャゴチャ混乱していると思うのです。
私も以前は整理整頓が苦手で、(笑)机の上は常に仕事の書類、プライベートのペーパーが山積みになっていたのですが、気がつくといつの間にか片づけをしていました。
これって凄くないですか?
片付けの苦手な人は、頭の中を棚卸しをしてみてください。(紙に書き出すといいです)
または水素ガスを吸ってみてください(笑)
補足・・・・A子さん(55歳)は毎日水素ガスを吸っています。(4か月経過)
ガン腫瘍は大きくも小さくもなっていないのですが、不思議なことに体温が上がっているそうです。(免疫力=白血球が増えた?)
平熱が「37度を越えた」とおっしゃっていました。
ガンの人は低体温が一般的です。体温が35度代になると癌細胞が活発になるからです。
また低体温になると免疫力が急に落ちて病原菌を受け入れやすくなります。
A子さんは手ごたえを感じていて「ずっと水素ガスを吸い続けます」とおっしゃっています。「継続は力なり」・・・・きっと近い将来、がん細胞は退散してくれると私もA子さんも信じています。
水素ガス吸引をしている知人で血管に血の塊(かたまり)ができてしまう病気、「血栓」の人がいるのですが、お医者様からは、血液をサラサラにする薬を
「一生飲み続けてください」と言われていたそうです。
「血栓とは?」
血栓症は、血管の内側の壁にできた血栓が大きくなって血管をふさいだり、血管からはがれ落ちて細い血管に移動してつまることで起こります。糖尿病や脂質異常症(高脂血症)などの人は、血管が傷つきやすく、血栓ができやすくなっています。また、長時間同じ姿勢で座り続けると血管が圧迫され、足の静脈に血栓ができやすくなります。足の静脈の血栓は、産婦人科や整形外科などの大きな手術が原因となることもあります。
脳の血管に詰まると脳梗塞、心臓だと心筋梗塞、薬を止めると命取りになりかねない、しかし続けると少しの怪我や出血で血が止まらなくなってしまう、恐ろしい病気です。
しかし、水素ガス吸引を始めてから5ヶ月経った頃、半年に1回の検査をした結果、お医者様から
「もう薬を飲まなくても大丈夫ですよ」と言われたのだそうです。
運動をしたり、食事を気をつけるなど体質改善もしていたので水素ガスだけで治ったのではないにしても血流が良くなったことは実感されていたそうです。
薬は増えることは多くても減らせることはそうあるものではありません。
それに、お医者様の太鼓判があったから大安心です。
この方は大変喜んでおられました。
血流が良くなる→詰まった血の塊(血栓)が通るようになる→新陳代謝が良くなる→体温が上がる→免疫力が高まる
体の中でプラスのスパイラルが起こっている^_^
水素ガスを吸っていると知らない間にいつの間にか「健康」になっている。
毎日吸い続けることが大切です‼️
本文
幽界(人界、地界)においては精神統一が最大の悟道の法であるが、もう一方法、守護神の指導に素直になることである。
肉体界において、守護霊、守護神の援けがあるように幽界においても、守護霊、守護神(主に守護神の援助)の導きがあるので、この導きに素直に従ってゆくことが、自己を救う、よい方法なのである。
この場合も、自己の眼前の利益を超えて導かれる場合が多いので、神霊の導きが、例え、自己に不利のように見えても素直に従うべきである。
この場合でも、肉体界において、常に守護霊、守護神に感謝していた人は非常に益することが多いのである。(五井昌久『神と人間』71,72頁)
感想・・・・上記の中で、「自己の眼の前の利益を超えて導かれる場合が多いので、神霊の導きが、たとえ、自己に不利のように見えても素直に従うべきである」とあるのですが、これが肉体人間側にとっては理解しがたいところなのです。
例えば、守護霊さんは運命の人にどうしても会わせたい場合は、3次元的に損をさせて相談に行った相手がのちに、利益を生むきっかけになったり、魂の成長に役立つ人だったりするのです。
ですから「人間万事塞翁が馬」、「何があろうと最後には絶対に善くなる」の心境で、あまり目の前の変化に一喜一憂しないほうがよいのです。
これから益々消えてゆく姿が顕著になります。祈り心で心を調えることが大切ですね。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
本文
いいかえれば、いかなる辛さや、苦しみや自己に都合の悪いことが出て来ても、それは今、自己を取り囲む業因縁が消え去ってゆく姿である、と観て、ただひたすら、神との統一観に浸れ、ということで、これは肉体界における場合と同様であるが、肉体界のように、その業因縁が緩慢に現われる世界と違い、烈しく、急激に現われるので、なかなかその苦しさに耐え得られないのである。
このことを考える時、この肉体界に生活する期間中に、できる限り、自己の業因縁を消し去っておくほうが、幽界において同じ業因縁を消し去るよりは、どれだけ楽であるかわからないのである。
例えていえば、百万円の借金(業因縁)をした人が、肉体界においては、五万円ずつの月払いで済むとすれば、幽界では、一度に百万円を仕払わねば、さらに百万円の利息がつく、というわけである。(五井昌久『神と人間』70,71頁)
感想・・・・今、私の前にはやらなければならないことが山積しているのですが、これらを丁寧に誠実に行うことによって業因縁は消えて行き、私の周りは地上天国が顕われて来ると思われるのです。特にお金は感情、キチンと処理しなければ火種は大きくなります。五感である感情(勘定=お金)を超えたところにほんとうの世界、神界があります。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
【人の為ばかりでは、偽りになってしまう‼️】
人の為(ため)、人の為と言って自分はどうでもいいんだ、と言っている人を偽善者というのだそうです。
お釈迦さまやキリストさまは、完全聖者だからそれは出来るだろうけれど、私たちは生身の人間、自分の生活と家族を養っていかなければならない。
お金を稼ぐことは立派な行為です。
それに無償でしてあげることが相手にとって善いことだとは限らない。
相手が喜び満足したものが、お金というエネルギーに変わる。
ただし、正しい正当な交換が大切ですね!(ウィンウィンと言いながら、やっていることが違う人もいます)
本文
人間とは肉体ではなく、霊そのものをいうのである。
肉体とは霊の容れ物であって、霊の心のままに行動するものなので、ちょうど自動車が運転手によって走っているように、霊の運転によって種々の行動をなすのが肉体なのである。
ただ先に述べたように、直霊(神)から分かれた分霊が、まず幽体を創り、その幽体を下着やシャツのように着け、その下着をつけた上に、肉体という上衣を着けた姿を、普通は人間と呼んでいたので、その肉体の消滅を、人間の消滅、と残された肉体界の人びとは思いこんでしまっていたのである。
これを物理学的にいうと、霊体は非常に細かい周波数をもつ波長の体であり、肉体は粗い周波数をもつ波長の体であり、幽体はその中間の周波数をもつ波長の体である、ということになり、分霊はその三つの体を自己の体としているのであるが、肉体に入るには必ず幽体をつけてゆかねばならぬのである。
それは霊体から肉体に移るには波長の周波数があまりに違い過ぎて合わぬからである。(五井昌久『神と人間』68頁)
感想・・・・上記の文章をわかりやすく言うと、肉体界と神界(天国)の間には、幽界、霊界があり、(肉体界→幽界→霊界→神界)、それらの世界と同時に、人間は幽体、霊体、神体というボディを纏っています。
神界のボディである神体がそのまま、肉体に降りて来たらそのまま覚者であり、お釈迦様、キリスト様になります。
神我一体です。
しかし霊界(神界に近い霊界)、神界の波動は非常に細かく、肉体は粗いので合わないのです。
そこで霊界(幽界に近い霊界)と肉体界の間に幽界ができた
ここに人間の想念行為、間違った想念、業想念が集まり、記録された。(潜在意識という)
幽界には、肉体界に居るときに苦しんだ霊魂や、さ迷った霊魂などもおり、肉体界に悪影響を与えているのです。
今の肉体界には、幽界が写って来ており、地球界は混迷しています。暗雲が覆っています。
そこで守護霊様、守護神様が懸命に幽界を浄めておられ、今現在はかなり浄まって来ているのです。(ほとんどの人は守護霊様守護神様の働きを知らない)
そして個人的には肉体にくっついている幽体というボディが浄まらなければ、個人の運命もやはり好転しないのです。
世界平和の祈りは、個人地球人類、宇宙人類が同時に平和に幸せになって行くための宇宙最高の祈りです。
素晴らしい祈り言霊なのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
■『大和の清九朗の話』
(『純朴の心』 五井昌久著 白光出版)
寛延二年七月上旬の頃、原谷村の祐安という同行の家に仏事があって、清九郎が家を留守にしている間に、盗賊が壁をこぼち忍び込んで、莚の下に入れて置いた銀札七匁を取って行ってしまいました。
後に近所の人々がこれを聞いて見舞いをいうと、清九朗は、
「盗みをするほどの者ならばさぞ不自由であろうに、われら風情の家に入っては何も取るものがなく、気の毒なことである。それでも菜種を売った代の銀札が十五匁あったのを、八匁はこの春以来の洗濯料に払い、残る七匁が家にあったのはまだしもじゃ。
平生ならばこの七匁もないであろうに、折角入って来た者に手を空しくさせずに、僅かでも取られるものがあって嬉しう思うております」と答えました。
それを聞いて人々は盗まれて嬉しいとはどういうわけか、と訊きますと、清九郎は
「これが嬉しうなうてどうしましょうぞ。その故は、盗まれたわしも同じ性分の凡夫で盗みかねぬものであるのに、今はご慈悲のお陰で盗みごころも起らず、盗まれる身となったのは有難いことじゃ。
もしこの清九郎が五匁十匁でも人様の物を盗んだと評判せられたら、わしはもとよりのこと、同行中の顏よごしで、再び皆様と交わることも出来まいに、盗まれたのは不覚に似たれども恥辱にならず、同行の顏もよごれず、仏法に疵(きず)もつかず、これほど嬉しいことはありませぬ」
と答えた、といいます。
普通の人では、とてもこの心境になれるものではありませんが、日頃からの祈りの行、ここでは念仏によって、これ程までに純朴になり得たのだと思います。
禍をすべて福として受け取れる人は幸せです。私の会の人たちにも、こういう心境に近い人がかなりでてきています。
なんでもかでも悪くとる人と、何事もすべて善くなると、よいほうによいほうにとる人と、どちらが幸せな生き方であり、どちらが神のみ心に叶った生き方であるか、ということは論をまたないことです。
感想・・・・実は私も「金銭トラブル」に見舞われ、どうしたものか?と思案していたのです。相手の人はむちゃぶりをしてきて、到底受け入れることはできません。こちらも毅然とした態度で臨むことはもちろんですが、ただ事務的に法的に済ますのではなく、相手との因縁生もあり、今後のその人にとって良いように(3次元的ではなく魂的に)ならないといけないと思うのです。
人として道を外すことは曲げてはいけませんが、ただこちらの正義論を通すのではなく、過去世においてはなにがあったのかは推し量ることもできません。もしかしたらその人に多大な借りがあったのかもしれないのです。
これでチャラ(ご破算、清算)だったのかもしれない、では泣き寝入りなのか?それも絶対に違います。当たり前です。
大岡裁きではないけれど、どこかで折り合いを付けようと思います。
アセンションとはつまり、進化した宇宙人の仲間入りをするということです。
そのためには宇宙の法則に乗ってしまえばいいのです。
宇宙は無限なる愛、無限なる調和、無限なる平和 の波動で溢れています。
地球も人間ももうしばらくするとそうなるのです。
ここでも宇宙の法則を五井先生がわかりやすく説明してくださいます。
問
宇宙法則とはどういうことでしょうか?
答
宇宙法則というのは根本は大調和ということです。 調和にむかって進むことは宇宙法則にのったことです。
怒りの心でふつかってゆく、相手を怨む、相手を憎む、或いは嫉妬する。
そういうものは自分がいかに正しくても宇宙法則に外れているのです。
自分が正しいことをしている、相手が悪いことをしている。
だからあいつは憎らしい、あんなやつはこの世にいる必要はない、殺してしまえばいい、と思ったら、その人の行いは正しくても、その想いは正しくない。
宇宙の法則に外れている。 いかに自分が正しい立場にあっても、怒りを発して想いを乱したら、自分の心が乱れます。
自分の心を乱すということは、宇宙法則に外れたことなのです。
宇宙法則にのるということは、いつも心がスッキリ青空のように晴れやかであるということです。
自分の心も、人に与える波動、いわゆる雰囲気も調和しているということが大事なのです。
口ではいうけれど、なかなかいつもそういうようになりませんね。
そこで、自分が正しいのに、相手が悪いのに、このヤロウがいるからこの世の中は悪いのだ、あんなヤツは死んじまえばいい、とたまたま思います。
思った場合に “しかしこれは消えてゆく姿なんだ” と思って、世界平和の祈りに切りかえるわけです。
世界平和の祈りをすると、どんな人でも宇宙法則にのることになるんです。
どうして宇宙法則にのるかというと、世界が平和になることは神さまのみ心だから。
神さまのみ心がそのまま宇宙法則なんです。
ですから、世界人類が平和でありますように、と思えば、自分の中の消えてゆく姿の想いが起っても、それは神さまのみ心の中で、大光明の中で消されてゆくわけです。
自分の中にはいろんな想いが起ります。
想いを起こすまいと思ったら、かえって苦しくなってしまいます。
ところが普通の宗教では、悪いことを思ってはいけない、怒りの想いを出してはいけない、妬みの想いを出してはいけない、ずるい心を起してはいけない、臆病な想いを出してはいけない、というわけです。
いけない、いけないばかりで、どうしていいかわからないのです。
そこで私は、どういうかというと、地球界にいる人では、怒りも出るでしょうし、妬みも出るでしょうし、怖れも出るでしょうし、いろんな業想念が出るにきまっている。
出てくるのがいけないのではなくて、いけないのは初めからわかっているのだから、いけない想いを神さまのみ心の中で消してもらう。
み心の中で消してもらうにはどうしたらいいかというと、世界平和の祈りをなさい、といって、消えてゆく姿で、世界平和の祈りにしてしまうわけです。
あんまり、これじゃいけない、これじゃいけないと想うと、自分がせまく縮こまってしまいます。
もちろん、間違ったことも思うのだから、これはいけないと思ったら、いけないと思うのが正しいのであって、いけないと思ったら、それを世界平和の祈りの中に入れて、そして神さまに消して頂く。
そうするといつもいつも宇宙法則にのっているわけです。
「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
わたくしたちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
【消えてゆく姿】
病気は
・病気の症状というのは、神の愛の調和のみ心を外れた想念行為が、幽体から肉体に毒素となって集まり、その毒素が人間本来の完全性を、維持するために働いている神の治癒力によって、表面に現われて消えてゆこうとしている状態なのであります。
病気の時ほど、魂の進歩が急速になされることはありません。
感想・・・病気になる前は強気で我が強く生意気で鼻持ちならない人だったのが、大病した後は人が変わったように憑きものが落ちたように素直で、かわいらしく(笑)なることがあります。
まるで守護霊様が意図的に病気にさせたような、と言ったら言い過ぎでしょうか?
でも、ほんとうにそうだと思えるときがあるのです。
だから自分や周りに病気や貧乏、不調和に思える出来事が起こっても心がそこに固執しない、こだわらない、意識を向け過ぎないことが大切だと思います。
すべては良くなってゆくための消えてゆく姿なのですから・・・
追伸・・・・病気だけでなく貧乏(お金がない状態)も消えてゆく姿というのは、なんとかその状態を脱しようと頑張ろうとします。そしてある程度は努力が実ってもそこには自分の努力だけではどうしようもない、目にみえない力(サムシング・グレート)が働らいていることに気づくのです。それは自分の守護霊守護神なんですね、守護霊守護神は最大限の努力をさせる。そして頭から煩悩(欲)が消えたときにご褒美をくださるのです。だからあまりガツガツしないことですね(笑)
【祈っているとなぜ、問題が解決し、お金などが整ってくるのでしょうか?】
『世界平和の祈り』祈っていると、問題が即、解決したり、すぐにお金が整ってくるとか、すぐ病気が治って健康になるなんていい加減なことは言いませんが(笑)
自然とそうなってゆく理由(わけ)を説明致します。
私たちは肉体の限られた世界(3次元)の頭で 「どうのこうの」 と考えています。
宇宙は、肉体界の他に幽界、霊界、神界があるのですが、頭を使うということは、悪くは無いのですが、霊界にいる守護霊さん、守護神さんのアドバイスを、受けにくいのです。
守護霊さんは、悟った先祖の霊(神霊)なので、仕事に関してエキスパートです。
肉体界でどれだけ立派で、仕事の達人の人、すごい天才にも優るのです。
祈って神界に繋がるということは、守護霊さんだけではなくもっと凄い守護神さんのメッセージも受け取ることが出来る。 こんなにありがたいことはありません。
肉体人間の頭は、馬鹿だとはいいませんが、ほんと大したことはないのです。
頭で考えることをやめ、気持ちを鎮めるためにも身体の下にある下丹田(へそ下3.5センチ)に意識を集中させ、下丹田で『世界平和の祈り』を祈る。
下丹田にほんとうの脳(腹脳)があります。
下丹田は宇宙(神界)に繋がっているのです。
モヤモヤした闇(これを悩みという)が綺麗に晴れて、答えが浮かんでくる、湧いてくる、ヒラメイテくるといえばいいのでしょうか
本心(宇宙、神界、守護霊、守護神)からやって来た答えはほんものです。
宇宙からの答えと同じなのですから、絶対です。 宇宙はパーフェクトだからです。
次になぜお金が整ってくるのか?(金持ちになるとはいいません)
それはあなたの波動(エネルギー)が良くなって、そのエネルギーに触れたくて人が集まって来るからです。
祈っているとなぜか行く先々のお店がお客さんで一杯になります。
それはその人たち(お客さんたち)の守護霊さんが、「あの店に行きなさい、そこで生命の洗濯が出来る」、「魂を綺麗にしてくれる」と導くからです。
貴方のファンが増え、貴方と何度も接触したくなるので自然に、契約が取れるのです(笑)
これから仕事、ビジネスが厳しさを増しますが、お金に困ることは無くなります。
神さまと繋がった人を、神さまが困らすことはしないからです。
ただ、自然とそうなるので祈りが原因だとはわかりにくいのです。
そして貴方のエネルギーは自分が整うだけではなく、地球の汚れたエネルギーを浄化し、地球全体の波動も調っていくのです。
だからいくつか前のブログに「祈らにゃ損損」と書きましたが、理由がわかってもらえたでしょうか?(笑)
私たちは目に見えるものの奥のエネルギーに意識を向けることが大切です。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。
【2017年12月のブログ】
今、ビットコイン(仮想通貨)が話題になっていますが、お金は必要、お金を稼ぐことは大切だと思っている私がこのような通貨をどのように思っているかというとまったく興味がないのです。
なぜならば、地球世界は近未来においてお金が無くなるからです。(すぐにではありませんが)
アセンション(次元上昇)することは宇宙の法則で決まっている。
太陽が東から昇り、西へ沈むのと同じ法則なのです。 絶対に揺るぐことはありません。
お金の本質、正体は感情です。 感情イコール勘定=お金なのです。
お金は感情を処理する手段として生まれました。
それが証拠にお金を支払うとき、必ず語尾に「~しい」「~い」が付きます。
「欲しい」「美しい」「嬉しい」「美味しい」「羨ましい」、「い」は「我慢できない」「食べたい」「手に入れたい」「満足したい」・・・・
このような感情がある限り、お金は無くなりません。
しかしアセンションの過程において宇宙から注がれるエネルギーが高次元のものに変ると、これらの「~しい」「~い」が薄れてゆくのです。欲が少なくなる。 意識が変るのです。
先日、私は意識の高い若者と出会いました。
その青年は、介護にかかわるお仕事をしていたのです。
以前は高速道路を作る仕事だったそうなのですが、辞めてしまったそうです。
「今の仕事は以前の仕事の半分の給料しかありません、しかし今の仕事は人から喜ばれるのです、感謝されるのです、やりがいが全く違います」と話してくれました。
彼の素顔には感情を喜ばせる「~しい」「~い」はありませんでした。
感情ではなく感動があったのです。
これから人間は、感情では動かなくなります。 感動で動くのです。
感動とは人と人の愛です。 お金のために働くのではなく、人のため、世の中のために働くことになる。
そこにお金が介入するかどうかは関係なくなります。
「お金をもらえるからやる」 「儲からないからやらない」 「利益にならなければ仕事ではない」という概念が無くなるのです。
感情(勘定)からの卒業、それがアセンションです。
仕事は無くならない、だけれどお金という感情と勘定の交換はもう終るのです。
どういうプロセスを経てお金が無くなってゆくのかはわかりません。
AI(人口知能)がほとんどの仕事を取ってしまうから、M&A(企業の合併、統合)が進んで、大企業しか残らなくなるから、少数の大富豪が世界中のお金の大部分を独占するから(もうなりつつありますが)・・・。
貨幣がなんらかのショックで紙切れになるから・・・・。
どっちにしてもどのようなプロセスになろうともそんなことはどうでもいいのです。
そのときに、価値をお金に向けるのではなく、愛や思い遣り、人と人とのつながりに重きを置く、そんな人が人生を豊かにし、幸せになってゆく。
お金がなんの価値も無くなったとき、札束を数えていた人が目をパチパチさせて唖然としている姿が目に浮かびます。
周りを見渡して見てください、先ほどご紹介した素晴らしい若者がたくさんいます。
日本人も捨てたものではない、地球人類にも意識の高い素晴らしい若者がいます。
これから日本、地球は、物質文明から精神文明、霊文明へとシフトしてゆきます。
お金を必要とする世界から、必要としない世界へと入ってゆきます。
それがアセンションの大きな特長なのです。
1.人口知能の時代、AIに勝るのは、神聖復活目覚めの印のみ。それ以上のものも、それ以下のものも決して存在しない。
1.自己をなくすのではなく、自己を限りなく広げてゆき、究極は、全体と自己が一体となることこそが、神聖そのもの。
1.人間はものを考える時、常に、過去における教育や歴史、固定概念から学習し、偏見、常識などに把われ、毒されてしまっている。
本命は自らに内在せる神聖そのものを復活させることのみ。それしかないことを心して知るべき。
1.神聖が復活すると、今までの習慣、本能、感情、肉体、不完全さ、命、曖昧さといった人間観が、全く言い訳にすぎない生き方であったことに気づくのである。
1.自己が全体の中に分け入れば、全体の一部となって、そこで初めて無限なる自己の自由、生命、至福、健康を得られる。
1.AIと人間とを区別する最大の要素は、感情そのもの。AIは人間の涙が理解できないし、その時、その瞬間の空気が読めない。即ち、パーツ、パーツを組み合わせた集合体だからである。
1.いかなる完璧なる科学、宇宙科学が発達、発展しても、人類の神聖なる意識には到底足許にも及ばない。それが今、全人類の神聖復活目覚めの印が必要とされている所以である。神人たちの存在は偉大であり、宇宙神、五井先生の真の誇りであり、喜びである。
西園寺昌美
アセンションに向けて、宇宙から地球に向けて降り注ぐエネルギー(霊要素という)が非常に細かくなってくると、細かい粒子(まるで水素原子のような)は、粗い波動とぶつかって焙りだしのように次々に表面に粗いエネルギー体が浮かび上がって来ます。
今、いろんな事件、事故、信じられない、混沌とした出来事が起きているのはそのためです。(個人的には病気、貧困、不調和な出来事)
現われては消え、消えては現われるのですが、そのときに自分という波動体が宇宙と共鳴していないと、まともに粗い波動を受けることになるのです。
地球人類がこれまでに溜めてきた過去からのマイナス想念エネルギーの蓄積をまともに受けてしまうのです。
それは病気であったり、貧乏、破綻、破壊、地震、台風、竜巻などの自然災害まで及びます。
しかしまったく異次元の波動に入っている人はそれらの粗い波動の洗礼?は受けません。(受けても極最小限度です)
『世界人類が平和でありますように』と唱えると宇宙神、神界のエネルギーと共鳴し、光の柱の中に入ります。 パワースポットになるのです。
光の柱は、宇宙のプラスのエネルギーなのでバリヤが張られ守られるのです。
これも宇宙の法則です。
波動が違うものとは絶対に交錯しない、共鳴しないのです。
バリヤ(光の柱)の中から消えてゆく姿を観ることになります。
そのときに慌ててはいけません。 自分の枠の外で起きていることなのです。
高次元と低次元の境界線があるのです。
お釈迦様やキリスト様、老子様などの聖者は、まったく違う世界に住んでいました。
肉体は肉体界、地球、3次元に住んでいても、意識は宇宙、神界、高次元にあったのです。
意識が主、心が主、肉体、物質は従です。
3次元の粗い波動、マイナスのエネルギーにどっぷりと浸かって、ありとあらゆる業、カルマ、マイナスの現象を受けるのか?
消えてゆく姿を枠の外から守られながら次元上昇を経験してゆけるのかは、お金をどれだけ持っているか?
地下へシェルターを持っているか? 頑丈なビルに住んでいるか? などではありません。
目にみえない波動、エネルギーは物質的にどれだけ厚く覆われた壁をもつき抜け、肉体というボディの中に入って来ます。
自分を守り、地球人類を守るには、宇宙(神界)にある無限のプラスのエネルギーと共鳴し取り入れるしかないのです。(これが波動調整です)
今、すぐにでも高次元のエネルギーと交流しなければいけない時期に来ています。
今しかありません。 それは難しいことではありません。
宇宙と共鳴する『世界平和の祈り』を祈り、自分が神であることを思い出し、エネルギーとして顕わす『我即神也』の印を組み、人類を目覚めさせる『人類即神也』の印、幽界の生物たちに取り憑かれ、ミサイルのボタンを押しそうになっている人に強烈な光を送り、覚醒させる『神聖復活目覚めの』の印を組み、宇宙からのエネルギーと自分が発する波動とを合致させるのです。
多くの人がそれを出来るようになっています。(これも宇宙法則!)
今まで地球の完成(アセンション)は、6回失敗してきました。
それは人間がまだ未熟だったからです。
宇宙(神界)の愛の波動、ほんものの波動にアクセスする準備が出来ていなかったのです。
しかし今回は違います。 七劫目に入ったのです。
地球が完成する、パーフェクトに調うことは約束されています。
それは安心してよいのです。
しかしやるべきことをやらなければ、不幸のままでアセンションを迎えてしまいます。
他力で待つだけになってしまいます。
それでは肉体を去った後で、よその星に行ったときに苦労するのです。
「自分は何もしてこなかった」 「アセンションは経験したが、傍観者で終った、自分はほとんど進化、成長していない」・・・・・なんとも情けない体験で終ります。
自分のためだけではない、人のため、地球人類のため、宇宙の仲間たちのために世界(宇宙)の平和を願う、祈る、それが『世界平和の祈り』です。
祈らなければ自分が損をする、そんな次元の低い話をしているのではありません。
これは、自分の本心、守護霊さま、守護神さま宇宙神からのメッセージなのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。
釈迦様の素晴らしいところは宇宙の真理、宗教(宗教とは宇宙を示す教え)を説いたことももちろんですが、般若心経というお経に、まさしく今現在の地球の状態を述べ、今の私たちに「これからこうなるのだから、心配せずに安心して生きなさい」というメッセージを残してくださったのです。
肉体人間には、この先どうなるのか?はわかるはずがありません。
自分個人のことも他人、日本人、地球人類、そして地球のことも・・・・
だがしかし私たち人間は、お釈迦様と同じです。キリスト様のような聖者となんら変わりはないのです。
潜在意識の奥深いところには同じ魂、本心があります。
ただ、意識が進化した星の金星にあったのか? 3次元の地球世界、肉体界にあったかだけの違いです。
お釈迦様は未来の地球人類(つまり今)は真理に目覚め、みんなが宇宙意識、神意識になっていくとおっしゃっておられます。
そのことが般若心経に書かれてあったのです。
2011年6月8日に私が書いたブログです。
その頃よりも分かってくださる人が格段に増えていると思います。
なぜなら宇宙からの波動が8年前よりもずっと宇宙の細かい波動になっているからです。
般若心経とは、お釈迦さまが一番優秀だった舎利弗(しゃりほつ)に説いた教えでした。
10人の弟子の中で真理(本当の真実)がわかるのは舎利弗だけだった。
だけどお釈迦さまは説いた般若心経がそのときの舎利弗だけでなく、たくさんの人が理解出来る時代が将来においてやって来るとわかっていたのです。
お釈迦さまは金星の人(霊止)です。
金星は地球よりもずっとずっと進化した星です。
そしてお釈迦さまは地球を救うために進化した金星の教えを精神的に遅れた地球に降ろして来た。
それが般若心経(はんにゃしんきょう)だったのです。
般若心経にはいったい何が書いてあるのか?
それは色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)にすべてが込められています。
この2つの意味がわかれば人間は悟ったことになります。
悟りとはなにか?
悟るとは、リッシンベンに吾と書きます。
リッシンベンとは心のこと
この心とは本心のことです。
なんのけがれも無い神様、仏さまそのものの心が本心です。(巷で使われている本心とは全然違います)
吾とは業想念の入り混じった肉体人間のことなので
神様の心と肉体人間の想念が一体となった境地が悟ったです。(人間が神様、仏さまになった状態)
お釈迦さまの心境ですね。
つまり、般若心経に書かれているのは業想念の人間が、神様、仏さまになっていく様子が書かれているのです。
それが色即是空、空即是色という言葉になっている。
色即是空、空即是色以外の文章は色即是空、空即是色の解説になっています。
では、色即是空とはなんなのか?
色即是空の色と空即是色の色は違うのか?
・・・・・
違うのです。
色即是空の色とは、肉体人間のことをいいます。
神様の心と動物性(感情的で欲望があるということ)の玉石混交した心を持っているのが肉体人間です。
この肉体人間から、業想念(マイナスの想念エネルギー)、頭を駆け巡る「ああだ、こうだ」あらゆる感情、欲望が無くなってしまえば、純粋な神様の心になるわけです。
今の時代はそれが消えてゆこうとしているのです。
業、カルマ、わかりやすく言えば人間の醜いところが焙り出て、そして消えてゆこうとしているのです。
これが色即是空です。
空とは消えてゆく姿です。
そして消え去った後に顕われるのが 空即是色 なんです。
消え去った後に現われる色とは、汚れの無い、けがれの無い、無色透明な色(白光)なのです。
我即神也、人間の本来の姿を語っています。
つまり今の時代は、神さまの心と動物の心が入り混じっている。
動物(感情的な)の心が勝っています。(人間とは人(霊止)と動物(感情)の間と言う意味です)
だから世の中がおかしくなっている。
みんな自分の利益しか考えていない。
そして争いが起る、その心の乱れで地震などの天変地変が起る。
それがこれからは、神さまの心が勝っていく時代に入って行くのです。
今がその過渡期なんですね。
だから過渡期に現われる人間の醜い姿に翻弄されてはいけないのです。
消えて綺麗になっていこうとしているからです。
現われないと消えようがないからです。
身体に溜まった膿(うみ)もそうですよね。
膿も外に出ないとスッキリ綺麗に治りません。
それと同じなのです。
前々回に書いた肉体人間に期待をするな!はそういうことです。
そのことがわかれば今自分や他人や周りがひどい状態にあったとしても
心配しないでいいわけです。
善くなっていくためのプロセスなんだ
と毅然とした観賞者になれるわけです。(不安になるのは未来がわからないからです)
起る現象に振り回されて、その渦の中で、もがかなくていいのです。
そのことが
般若心経に書かれています。
空即是色はこれからの地球の姿を言っているのです。
悪いものが消え去って善いもの(地上天国)が現われて来るのです。
早く空即是色が来るためには祈りしかありません。
地球を救うのは祈りしかありません。
業想念に侵された肉体人間の力ではどうしようもないのです。(無限なる力!)
世界平和の祈り(印、マンダラ)は空即是色になるために神様から贈られたメソッド(方法)なのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
わたくしたちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
お薦め図書
「空即是色」 五井昌久 白光出版
「我即神也」 西園寺昌美 白光出版
本文
宗教とはいったい何か、ということが最初に問題になる。
宗教とは、神仏(絶対者)と人間との関係を説き教え、明らかにする道であると、私は解釈する。
この原理に沿って、正しい宗教と誤れる宗教とを区分して考えてみることにする。
神とは、人間理念の根本であり、智慧(創造力)、愛、生命の根源である。
従って、完全にして、円満、調和せる象徴である。
この完全円満なる力を内にもちながら、業因縁の渦巻の中で、その渦巻、そのものが自己であると誤認し、悩み、苦しみ、もだえながら、その渦を脱しよう、逃れようとしているのが肉体人間の姿である。
そして、その業因縁の渦を脱して、内なる神性を完全に輝かせた人を、解脱者、仏陀といった。釈迦はそうであり、イエス・キリストもそうである。他にもそのような完全神性を現わした覚者がいたわけである。(五井昌久『神と人間』60,61頁)
感想・・・・私がいつも申しておりますのは、「宗教」とは、宇宙を示す教えであり、進化した星の叡知、エネルギー、波動を精神的に遅れた星(たとえば地球)に降ろしたものを「宗教」というのです。
菩提樹の下で座禅観法をしていたお釈迦様は、明けの明星(金星)を観て、「ああ、私は金星の住人だったのだ」と思い出し、悟ったのです。そして金星の叡知(教え)とお釈迦様が合体し、覚者、聖者になられた。
実は私たち肉体人間もお釈迦様とまったく同じであり、意識が肉体にあるか?宇宙(本心)にあるかだけなのです。
今の私たちは、まだ眠っている状態です。
がしかし、五井先生が昌美先生に降ろされた『神聖復活目覚めの印』のエネルギーは素晴らしく、光を浴びた人たちが次々に目覚めています。
文面にあるように、私たちは完全円満なる力を内にもちながら、業因縁の渦巻の中で、業そのものが自分であると誤認していたのです。
しかしそれももう終わりです。
業因縁から脱する時期が来ました。
水面下では神界が待っています。
業想念、業因縁が消えて
地上天国が顕われることを・・・・・
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
本文
神は光なのだから、常に明るい心の人を喜ぶ。―神は愛なのだ、光なのだ、私は常にその愛と光の中に生きているんだ、しかも守護霊さんに守られながら生きているんだ、過去はない。過去は消えてゆく。どんな苦しみも必ず消えてゆくんだ―と、過去の心の誤りなぞ、穿り返さずに、ただただ、光明のほうに、心を向けていることが、自分を救い、人を救う、一番大切なことなのである。(五井昌久『神と人間』58頁)
感想・・・・私は個人的な話なのですが、同窓会の役をしています。同窓会といえばいい意味でも悪い意味でも過去に意識が向くのです。「若かったあの頃は良かった」「あのときあいつにいじめられた」・・・・などポジティブになるよりはネガティブになりやすいのです。(特に終わった後は虚しい)
友人たちと貴重な時間を共有するのなら、昔話はそこそこに、「これからどうすれば、個人も日本も世界も宇宙も善くなってゆくのか?」というような話にしたいですね。
それが『世界平和の祈り』に凝縮されているように思うのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が全うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
“魔が差す” とは
心の中に悪魔が入ったようになるという意味なのだそうですが、
私たちはちょっと油断すると後から考えると信じられないようなことをしてしまうときがあります。
この魔は、何の前触れもなく、容赦なく、土足でずかずかと心の隙間に入って来ます。(油断大敵!)
ぼんやりと集中力を欠いて運転しているときに人を轢きそうになる
相手の立場を考えずに悪魔のささやき(幽界のおばけちゃんの悪戯)のままにしゃべってしまう
後悔先に立たずではないけれど後から想い起こすと冷や汗が出て来るようなことがあります。
ほんの一瞬の間に、この魔が入って来るのです。
これは自分が自分の本心(神、守護霊、守護神)とつながらずに、迷いの世界、さ迷った生物たちがいる幽界につながってしまった結果なのです。
わたしには、最近
「しまった、魔が差した」
ということはほとんどありません。
それはぎりぎりのところで守護霊、守護神様に助けていただいているからだと思うのです。
先日も車の運転中、すぐそばを人が通りかかりました。
歩いていたその人は私の視界から外れていました。
当たっていてもおかしくない状況でした。
でも瞬間、信じられないくらいの反射神経でブレーキを踏んでいました。
そして
踏んだのは自分ではなく、守ってくださっている守護霊様だとわかりました。
意識を守護霊守護神に向けていると頭で反応する前に体が勝手に動くのです。(動かしているのは守護霊様です)
それはぴったりとつながっているからです。
いつも自分を守ってくださっている守護霊様、守護神様に感謝をしているといざというときに守ってくれるのです。
人間は、肉体人間の自分の力だけでは生きていけない。
今から一分先のことも何が起るかわからない。
しかし守護霊守護神は一生を通して未来に何が起るかがわかっている。
過去の聖者、賢者たちは守護霊守護神の存在を知っていました。
知っていたからこそ聖者、賢者になれたのです。
世界平和の祈りの中には守護霊守護神への感謝が入っています。
だから完璧な祈りなのです。
間(魔)が入らないようにたゆまない祈りをすると守られやすいのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
わたくしたちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
私たちは、肉体人間の親に期待をし過ぎています。
「親としてこうすることが当然だ」
「親だったら尊敬されなければならない」
「親の姿を観て子は育つ」
・・・・・・・・・・・・・・
だけれども自分が親だからわかるのですが
肉体の親なんてたいしたことありません(笑)
真理がわかってくると
肉体の親とはほんとうの親ではなく、仮の親であることがわかります
ほんとうの親は守護霊であり、守護神であることがわかります
仮の親に愛されることに越したことはありません
そういう人は幸せだと思います
しかし、ほんとうの親(守護霊、守護神)の愛を知ったなら
感動で胸が震えると思うのです。
下記の文章は、ほんとうの親である守護霊さま、守護神さまが肉体界の私たちにどうしても伝えたいという真理が書かれています。
是非、お読みください。
1、私は日頃あなたが思っていること、考えていることそのすべてを把握し、そしてその希望をすべて成就させるよう願っている。
決してあなた一人だけの望みではない。
あなたの望みは常に私の望みなのだ。
2、自己の希望を実現しえないで人生を終わってしまう人の何と多いことか。
彼らは私の存在を少しも認めようとはしなかった。
私はどんな時でさえも常に彼らの側にあり、彼らの望みを達成し得んが為に彼らを見守り導いてきたつもりでいる。
希望の成就は肉体個人一人で出来るものではない。
常に守護霊、守護神と共に歩んでこそ成就する路なのだ。
それが真実の人生の路なのだ。
3、出来うる限り明るく陽気に振るまいなさい。
4、私はあなたがいかなることをしようとも、決してあなたに罰を与えない。
私はただ、すべてを許すのみである。
そしてあなたのその罰を私が代わりにしょってあげているのである。
その代わりあなたは “消えてゆく姿で世界平和の祈り” を繰り返し繰り返し祈ればよい。
自分自身を深く信じなさい。
5、私はあなたにあえていいたい。
出来る限り明るい言葉や思いやり深い優しい言葉を常に、極力心がけて努力して使うようにし、光明思想の本を一日一回は読み、人の心を感動させるようなニュースを聞き、人と語り合う時には人の心を豊かに楽しませるような話題をあえて選び、明るいことのみを語るようにしてほしい。
そして暗いニュース避け、病気の話や人の不幸の話は出来るだけ口にしないことである。
6、羨望の心が湧くのも致しかたない。
嫉妬心にもだえるのもまたこれ仕方がないではないか。
そして人の幸福を妬み人の不幸を心ならずも喜ぶのもまた致しかたない。
人の心は感情によって左右されるものであるから、感情を無くさない限りこのようなことはすべて人の心の中に起こり得る現象である。
この世は物質肉体の世界、完全なる霊なる世界と違って不自由な束縛ある世界、よくないことだと充分にわかっていながら、正しいことではないと充分に理解していながら、神から反している行為だと充分に納得していながら、やはり現れてくるのが現実なのである。
おさえる必要はない、出すだけ出すがよい。
だが、出来るだけ人に迷惑がかからないように出してゆくのだ。
相手にまともにぶつからず、声を出して私にぶつけなさい、私にどなりなさい、私に非難をあびせかけるがよい。
私はあなたの心が充分にわかるだけに、あなたが愛しくて可哀相でならない。
私の大きな翼であなたを包んであげよう。
癒してあげよう。
心の中にある鬱憤をすべて私に吐きすてるのだ。
私が聞いてあげよう。
私が代わって祈ってあげよう。
あなたがあなた自身で祈れる時がくるまでは。
偽善者 になるよりはよほどよい。
7、不調和な状態を一刻も早く自分の心の中から一掃せよ。
8、
あなたの内部の奥にじっとひそんで隠されている部分、秘密、嘘、葛藤、情欲・・・・それらのすべてを私は知っている。
私の前には何の隠しだても無用である。
ただ裸になることだ。
私にとっては肉体人間の弱さなどは百も承知の上だ。
だからこそ私というものが必要なのだ。
私の支えを必要とするのだ。
朝な夕なに私の名を呼びなさい。
9、
大自然の修復作用が発揮出来るよう大自然に代わって祈れ。
10、
あなたの希望を実現する場合、まだこの世の中に何の手ががりも見出せず、皆目何も無いところから全く新しい希望、この世に打ち出すそのきっかけを創造(つく)り出すのは、いうまでもないこの私である。
常に私の存在を忘れず私の名を呼びなさい。守護霊、守護神同士でお互いに交流し合うからである。
11、
人の悪を聞くために耳があるのではない。
人の悪を語るために口があるのではない。
人の悪しき姿を見るために目がついているのではない。
12、
相手を解放してあげると自己の束縛から解放される。
13、
すべてを見知っている私の前ですら未だ嘘、偽りでもって自分を覆いつくし、隠しだてをするつもりでいるのか。
情けない。
私はすべてを許そうと思っているのに。
私は(宇宙の法則)から絶対なる権限を与えられている。
あなたのすべてをゆるし、あなたのすべてを愛するのが私の働きである。
14、
あなたが私から離れてどこへ逃げようとも、隠れようとも、またどんな罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせかけようとも、それでもなお私は常にあなたの側を離れず、怪我がないよう、苦しまないよう、痛まないよう、見守りつづけているだけである。
私はあなたに嫌われていても、それでも尚あなたが愛(いと)しいし、愛しつづけているのである。
15、
私は肉体を持ちあわせていないので常にあなたの内部に働きかけ、内部の力を増し、調わせ、そのエネルギーを外界に現わし、そして出来るだけあなたの思うようになるよう、成就するよういたらしめているのである。
16、
私はあなたが暗く沈んでいる時、今まで以上に強い希望の光を投げかけている。
あなたが自分自身を傷つけ悲しみに浸っている時、すべては許されるのだという真理の光を送り、あなたに語りかけているのだ。
そして私の慈愛の光によって次第にあなたが真理に目覚めはじめ、その暗く果てしない入り組んだ道から脱け出してゆくあなたを見た時、私はあなた以上に天の神に感謝しているのだ。
17、
私は常にあなたに真理を語りつづけている。
あなたの心が全智全能の創造主と同じような強い力を握っているのだということを。
あなたは自分の心で、自分自身を幸せにも不幸せにもすることが出来るのだということを。
自分自身を、傷つけ暗く悲しいものだと思ったら、その通りの人生が展開されてゆくであろうということを。
そして自分自身を神の分け生命として認め、明るく大いなる希望をもってゆくならば、またその通りの人生が展開されてゆくであろうということを。
心はすべてのすべてである。
なぜならば、心は自分自身の運命の支配者であるからだ。
18、
私はあなたがいかなる苦悩、いかなる悲哀、いかなる絶望にあろうとも、必ずあなたを幸せにしようと心をくだいて見守りつづけているのである。
私の働きはあなたの真の幸せに導くこと以外の何ものでもない。
19、
私はあなたにお願いがある。この世は物質的肉体がすべてではなく、本来霊なる世界の写し世である、という事実を自覚してほしいのである。
霊的自我に目覚めたその時から、もはや何ものにもしばられぬ自由自在なる世界が、あなたの目の前に展けてくるのである。
それは無限の可能性を秘め、自分の思う通りになる世界となるのである。
20、
あなたは常に幸せを願うのだ。
あなたは常に神の無限なる能力を信ずるのだ。
あなたは常に調和を愛するのだ。
私はあなたのその望みにむかって全精力を傾けて、その実現のためにわがエネルギーをフルにあなたの心の中に注ぎこんでいるのだ。
だが、あなたの望みが常に暗く悲しく絶望的であるならば、その方向にむかってわがエネルギーを注ぎ込むことは、不可能である。
あなたの考えが明るく積極的な希望に満ち溢れたものに変わるよう、エネルギーを注ぎこむのであるが、そのエネルギーの消費量は並大抵ではない。
もともと+(プラス)の考え方を更に+(プラス)の方向に導き、この世に実現可能にせしめることは、宇宙の法則通りに実に簡単で無駄なエネルギーを消失しないものであるが、-(マイナス)の思考を+(プラス)に方向転換させることは、前者の何万倍ものエネルギーが消失されるものである。
常にあなたの考えを+(プラス)の方向に向けて生きて下さい。
21、
頭のよくない人ほど中途半端な聞きかじりをし、自分の知識をひけらかしたがるものである。
頭がよくないから善悪の批判力が無くすべて受動的に自分に吸収してしまうため、その人の潜在意識の奥にすべてそれらの中途半端な知識は溜めこまれてしまう。
さて、本人が病気になったり、挫折したり、失敗したりした時、これらの中途半端な知識が次から次へと頭を擡げ(もたげ)はじめ、自分自身の下らない知識で自分自身をがんじがらめにしばりつけ、また、自分自身の暗い思考力で自分自身を暗示にかけてしまい、どうしようもなく救われがたき状態においこんでいってしまうのである。
浅はかというより他にいいようがない。
知識ならどんなものでも入れていいというものではない。
本来ならば自分の心が勇気づけられ、希望に満ち溢れ、生きることの幸せが鼓舞(こぶ)されるような知識なら徹底的に入れこめよ。
自分の心を暗く不安恐怖に陥らせる知識は意識して取り払うべきである。
22、
“自分だけ悟ればそれでよい” という考え方は多分に利己的なわがままな生き方である。
これを出来るだけよい意味にとるとすると、人に真理を押しつけがましくするのは、たとえその教えがどんなに素晴らしくても、そこで必ず人の自由を縛りつけてしまうものであるから、よくないということであろう。
だが神のみ心からみたならば、真理を一人でも二人でも出来るだけ多くの人達に知らしめた方が積極的な善なる徳のある生き方なのである。
また何回も何回も重ねて自分の口を通して真理を語るということは、逆に、更に自分自身の潜在意識の中に改めて真理を吹きこむ形となり、自分の信念がまたここで更に強固に絶対的なものとなってゆくのである。
真理は何度も何度も繰り返し繰り返し語れば語るほどよい。
23、
旧き自己を捨て新しき自己に 蘇(よみがえ)るのが世界平和の祈りである。
どうにもならない自分をしっかりそのままつかんでしまった上、私はこんなにも悪い人間ですといわんばかりに、自分の悪を強調しても、誰も救われはしない。
むしろどうにもならない自分を一旦神の中に捨ててしまって、すべてを神の中に投げ入れていまうと、宇宙の法則にのっとった生き方が示されはじめる。
24、
あなたの長い間にわたる苦しみは私にはわかっている。
あなたの悲しみや痛みも私にはすべてわかっている。
そして更に今あなたの上に投げかけられている不安恐怖、今のあなたの立場ではどうしようもないのもわかっている。
私はいつでもあなたの心の叫びを聞き、訴えを聞き、その問題解決が一刻も早からんことを願い奔走しているのである。
だがあなたはこの私の心を知ってか知らないでか、常に自分自身の肉体の力でのりこえようともがいている。
だがよく聞いて欲しい、もはや肉体界でトラブルが現われはじめたということは、もう何年も、いや何千年も前に幽界で現れていたことを。
幽界で浄めることが全くできなかったが為に、この肉体界に現れはじめたのであるということを。
そのためにはまず幽界を浄め去るのが先決である。
それが出来るのはこの私である。
霊なる力で、霊なる光で、幽界を浄めれば、自ずと肉体界のすべてのトラブルは自然に解決されるものである。
私に頼りなさい。私を信じなさい。あなたが夢をみているその時ですら、私は闇を光に変える働きをあなたの為にしているのです。
あなたはあなた一人で生くるに非ず、私の生命と共にあって生くるなり。
25、
今あるとるにたらない小さな小さな幸福にさえも、神の与え給いしごほうびだとして感謝せよ。
26、
私は “神の子” であるという徹底的なる自覚がいかなる災いからもあなたを防ぎ、いかなる不幸からもあなたを脱出させる。
災いにも不幸にも絶対に波長が合わないからだ。
27、
私に徹底的に素直たれ。
『守護霊、守護神に代わってあなたに語る』 西園寺昌美
私は自分の前世を知っています。
十数年前にある人から教えていただきました。
人が聴いたらびっくりするような過去世でした。
しかし私は
「そうなんだろうなぁ」 と心で納得し
だからといってその後の人生に何ら負の影響は受けませんでした。
とらわれもしませんでした。
おそらく伝えてくれた人は(霊覚者でした)
私が前世を聞いたところで精神的にも心理的にもマイナスに捉えることはない
それどころか自分の天命を真っすぐに突き進んでいく上ではプラスになるとわかっておられたから伝えてくださったのだと思います。
でも、ほとんどの場合(ケース)前世は知らない方がいい。
いや知ってはいけないと思うようになりました。
西園寺昌美さんの文章をまた抜粋してみます。
興味のある方は読んでみてくださいね。
逃げない生き方
はたして前世を知ればよくなるか?
先日、或る人に自分の前世を教えてくれ、と尋ねられました。
自分と夫とはどういう関係なんでしょう、自分と子供とはどういう因縁のつながりなんでしょう、というわけです。
そういう質問をなさる状態というのは、自分が幸せでない状態なんですね。
夫としょっ中いがみ合っている。
お酒を浴びるほど飲む夫に、ぶたれ蹴られ、苦しめられている。
何故、自分はこんなに痛みつけられなければならないのだろうか?
何故、自分だけがこんなに苦しまなければならないんだろうか?
どうしてだろうか?
こんな苦しい毎日がつづいているけれど、前世の因縁さえ知れば自分は覚悟が出来るんじゃないか、そうすれば生き方がわかるんじゃないか。
よっぽど夫に前世で悪いことをしたに違いない、子供に対して自分は本当にひどい仕打ちをして来たに違いない、
だから今生でこうやって仕返しをされるんだろう ━ とおっしゃるわけです。
そこまでわかっていれば、前世のことをきく必要はないのです。
仏教で説く因縁因果の法則で、縁があって夫となり、縁があって子供となり、お互い前世の因縁、つまり貸し借りを返しながら、自分の魂を磨いて立派にしてゆく、というのが守護霊様守護神様のみ心であり、ご計画であるわけです。
そこで前世であなたは夫にこういうことをした、子供にこういうことをした、ということを教えられたら、自分の心に決着がついて、夫を赦し、子供を赦すということが出来るかというと、全く逆で、聞かされたご本人は今までの苦しみ以上の苦しみを背負い、一生自分の罪を意識し認めてしまう。
ですから私は決して前世のことを訊かれても話しません。
言うことは簡単です。
言ってしまったら指導者として失格だと思っています。
前世の因縁を知れば、苦しみからもう逃げなくて済むと思うでしょうけど、更に苦しくて不安でもっと逃げたくなる。
自分のことばかり思っていたのでは駄目
自分だけが何故?
何故自分だけが?
自分の心に向けられている間は、自分中心の生き方で、決して人のことを思わない。
夫のことを思って、一かけらの愛も施したこともない。
それで、自分は何故こんなつらい目に合わなければならないのか、何故ぶたれなければならないのか、何故こんなひどい仕打ちを受けなければならないのか。
昨日も今日も明日も明後日も自分のことばかり。
そして自分のこの苦しみから逃れたい、逃れたい、ということばかり。
これでは幸せなんかとは程遠いです。
自由なんてとんでもない。
ますます自分の想いで自分をがんじがらめにし、自由性を奪ってしまっているわけです。
前世のことを聞かされて、自分はもうあれだけのひどいことをしたんだから、今生で自分が幸せになるはずがない、と自分の幸せなんか諦めれば、パーッと明るくなる可能性は十分あるのです。
けれども、それだけ根性の太い人はいないのです。
大体前世をききたいというのは、気が弱い人なのですから、一旦、聞かされたら、もう立つ気力、生きる気力がなくなってしまいます。
だから前世を聞かせてしまえば、私はその人をみすみす殺すことになるのです。
一回でよいから、受けて立ってみよ
何故、前世を聞きたいのか、というと今の段階から逃げたいからです。
人間、逃げたいと思ったら絶対に逃げられない。
受けて立たなければだめです。
一回でもよいから、受けて立ってごらんなさい。
よしこれだけ受けよう、今生は自分の幸せなんかすべて捨てて、受けるだけ受けよう ━ と思った時に、目の前が本当に青空のように、海原のように、パーッとひろく、大きくひらけれゆくのです。
そういう世界がひらくのです。
逃げれば逃げるほど、自分の行こうと思っている目的地から遠くはなれてゆくばかりです。
頂上は登らなければ到達できません。
それをいやがって逃げては、目的地からますます遠ざかってゆくばかりです。
逃げまわれば方向を見失ってしまいます。
逃げればかえって苦しいのです。 かえって辛くなる、悲しくなります。
受けて立つことです。
世界平和の祈りを祈るということは、簡単なことだけど、大変な勇気がいるのです。
苦しい時、辛い時、世界平和の祈りを祈って転換させる時には、今までの自分の想いを打ち切って、業を立ち切るという積極的な意志、勇気がなければ、祈れないものです。
常日頃、本当に世界平和の祈りが出るということは、祈りにもってゆくということは、苦しさや辛さから逃げないでいることです。
至高を目指して、積極的にのぼっていることです。
逃げるというのは、動物ではありませんが、不思議な習性があって、単純に逃げまわらないのです。
あっちへ一回転し、また向う側へ行って、八の字に廻って、また戻って、という工合で、単純に逃げてくれれば、一直線の道だから、引き戻せばスーッと返ってくるけれども、あっちへひっかかり、こっちへひっかかり、神様だって糸を引くのに大変でしょう。
それだけ手間がいるんです。
心の奥へ奥へ奥へと逃げこんだ人は、元に戻るのが大変です。
「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版
『もっと具体的に正確な数値を知りましょう!』
糖質がなぜいけないのか?
酸性の白糖を摂るとどうなるのか?
量はどれくらいまで大丈夫なのか?
それがわからずに、
ただ
「摂ってはいけない!」
「糖尿病は怖いよ!」
だけではダメだと思うのです。
昭和初期には、ほんの数百人だった糖尿病患者が今や2,200万人になっている。(糖尿病は恐ろしい病気、失明、足の切断、人工透析などの合併症)
これは遺伝ではなく、生活習慣、食生活に問題があります。
糖は血中ですい臓から分泌されるインスリンとくっつき、細胞の中に入って行き、エネルギーに変換して働くのですが、血中の糖分(ブドウ糖)が多かったり、インスリンが効かない場合は、血中に糖が残るようになり、尿にも糖が含まれる、文字通り、糖尿病になって行きます。
糖質の摂り過ぎは、すい臓に負担をかけ、それによって多量の「活性酸素」が発生します。
そして膵臓内のベータ細胞という細胞をサビさせ、インスリンの働きを弱めているのです。
〝水素〟はインスリンの働きを妨げている「活性酸素」、サビを除去し、正常な働きに戻す役割りがあります。(医療現場でも水素点滴などの治療が行われています)
しかし、いくらインスリンの働きを助けても糖分を過剰に摂取していてはイタチごっこです。
私たち人間は太古からつい最近まで、糖質を必要としない、摂取しない生活をして来ました。
ですから糖を分解するホルモンや酵素、そしてインスリンの力がかなり弱いのです。
脂肪やタンパク質を分解する力の10分の1くらいだそうです。
1日に摂取してよい分解できる糖分は僅か20〜25グラムだそうです。
これは角砂糖7個であり、炭酸飲料、缶コーヒー、インスタントラーメンなどには約10〜15個分の角砂糖が含まれています。
この時点で血中に大量に糖が残る状態になります。
甘いものを過剰に食べれば食べるほどすい臓は疲弊し、インスリンは効かなくなります。
〝水素ガス〟は速やかに「活性酸素」を除去し、正常な働きをしようとするのですが、万能ではありません。
限界があります。
今、食生活を見直さないとどんなに良い薬💊が出たとしても、〝水素ガス〟を吸おうと焼け石に水です。
食生活を改善しても、どうしても発生してしまう「やむおえない活性酸素」・・・それは〝水素ガス〟でどうにかなる、と思うのです。
私たちは「自分が食べているものが体内でどうなっているか?」真剣に考える時期に来ているのではないでしょうか?
補足・・・人工的に作られた白糖にはミネラルが含まれておらず酸性です。
人間の体は弱アルカリ性が正常なので、血中にあるカルシウムや骨を溶かしてバランスを取ろうとし、カルシウムは体外に出てしまいます。
白糖は血糖値を上げ、血管をスパイク(突き上げ)、ボロボロにし、その上骨を溶かします。
疲れが取れるというのも錯覚で中毒性があります。
糖質を控えるとインスリンが働くようになるので体が軽くなります‼️
本文
弘法大師が、同行二人、といったのは、この人間生活は自分一人で生きているのではなく、守護霊と二人連れなのだ、神様と一緒に生きているんだ、ということで、キリストの、神常に汝と倶にあり、という言葉と同じである。
ただ、一般の人たちに、神、という風に、あまり大きな、高い感じのものより、守護霊という、自分自身と直接つながりを持つ、祖先のしかも力ある霊が背後で常に守ってくれている、と思うほうが非常な親近感で、念じやすく、かえって神に統一する環境になりやすい。(五井昌久『神と人間 57頁)
感想・・・・・私たちはたくさんの人たちと一緒にいるとき、またはわかり合える人、気の合う人がそばにいることが好きな人と、一人でいることが好きな人、またはどちらも大丈夫という人もいます。
ただ言えることは、孤独死をする人も自殺をする人も寂しがり屋の人も絶対に一人切りではないということです。
一人が平気な人とは、自分と対話している。ほんとうの自分(本心)とコミュニケーションが取れる人です。誰もが出来るのにそれを知らないのはもったいないと思います。
そして本心だけではなく、守護霊、守護神との対話が可能です。
守護霊さまは3体(3人)、守護神さまは1体(1人)ですが、働きの大きい人にはもっと多くの神霊がついています。
守護霊さまは、人生、そして仕事のエキスパートです。
そんじゃそこらの仕事の達人?とは雲泥の差です。
だからコンサルタントを頼む、頼る必要などまったく無いのです(笑)
肉体の自分と守護霊様で決めればいい!
仕事は守護霊と2人でやるもの、共同経営は独り立ちしてからするものです!(それでもやらないほうがいい)
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
しんどいって言葉は、大阪弁なのかな?(笑)
他にいい言い廻しがないかとも思ったのですが、私にはこの 「しんどい」 が一番しっくりとくるのです。
話は戻りますが、今日本でも地球上でもマイナスの想念エネルギーが充満しています。
とくかく無意識でいるとしんどいのです。
酸素ボンベ無しで、エベレストの頂上にいるような感じといえばいいのでしょうか?
酸欠状態です。
酸素とは愛のエネルギーです。
宇宙の無限のプラスのエネルギーです。
人間は、一ヶ月くらいなにも食べなくても生きてはいけますが、霊要素が無ければ一瞬たりとも生きてはいけないのです。
その霊要素とは、宇宙エネルギーのことです。
宇宙のエネルギーは、頭のてっぺん(百会)から入り、血管の中を通り、60兆の細胞に力を与え、また神様の道(神経)を通って、地球の中心へと流れて行きます。
これを引力というのです。
今、宇宙からのエネルギーが人間の業(カルマ、マイナスエネルギー)によって希薄になっているのです。(感じませんか?)
だから理屈抜きにしんどいどうしてもネガティブになってしまう
3次元的に良いことがあっても心から喜べない、なにをしても楽しくない、それは、魂が喜んでいないからです。
霊要素がしっかりと入っていないからです。
私は、酸欠状態になったとき必死で祈らないとどんどんとしんどくなっていきます
溜まっていくと霊要素が入らなくなって死んでしまいます。
百会(ひゃくえ)、頭のてっぺんが煙突のように業で詰まってしまって宇宙からのエネルギーが入らなくなると
肉体を去ることになるのです。
死ぬとはそういうことです。
私はまだ、今生(根性)ですることが残っています(笑)
今ここで死ぬ(肉体界を去る)ことは出来ないのです。
世界平和の祈りを祈ると
宇宙神と共鳴して、肉体の身体の中に宇宙のエネルギーが入って来るのが
わかるのです。
その中心となる場所とは、下丹田(かたんでん)です。
下丹田とは、へそ下3.5センチのところにあって
肉体の自己エネルギーと宇宙エネルギーが最も交わる場所です。
ここはシェルター(防空壕)にもなっていて、下丹田を意識するとマイナスのエネルギーを受けなくなります。
その下丹田の中に小さなカプセルを作り(イメージ)、縮小させた自分を入れて世界平和の祈りを祈るのです。
すると自分の周りで起こる様々なマイナスの現象が早く消えてゆくのです。
そして、調和した宇宙のエネルギーだけが残ることになるちょっと難しいですか?
でも、とてもシンプルで簡単なんです。
これが宇宙の法則です。
とにかく、一刻も早く 「しんどい」 状況から脱出してください。
姿勢を正して、下丹田に意識を集中させて、へそした3.5センチに光りのカプセルとつくって、自分をカプセルの中に入れて(グルグル回してください)
そして
世界平和の祈りを祈る
するといろんなものが取れていきます。
マイナスのエネルギー、人類の想念エネルギー、過去世からの間違った
自分の想念行為(カルマ)・・・・・
人間はスッキリ爽やかになることが一番の幸せなのです。
これから躊躇することなく
真理について、祈り、印について述べていこうと思っています。
よろしくお付き合いください。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
5年前はまだ “水素” の存在を知らなかったので酸素を書いていましたが、いまなら水素も書き加えていたと思います(笑)
調和波動気功法
【骨の中が白くなる】
私が吸っている水素ガス吸引器のメーカーさんと話しをしているときに一番驚いたことがあります。
それはガンや糖尿病が劇的に改善されたとかではなく、レントゲンで見る骨の中心が白くなった人がいるというのです。
水素ガスがカルシウムを含んでいるはずはなく(笑)
どこかの機能が正常に戻ったために自然治癒力や生命力が高まって骨を作ったのだと思います。
「骨ができる」とは成長期に見られることであり、その後は減るばかりです。
骨密度が上がった人とは70代の女性です。
これは、〝奇跡〟です‼️
病気が治るとは、何かが変わることを意味し、「考え方が変わる」→「細胞が変わる」→「現象が変わる」→結果、「病気が治る」「ガン細胞が消えた」
つまり根本である「考え方」「気の持ち方」が変わらなければどんな名医や画期的な治療法があったとしてもそれはなんの効果もありません。
では、水素ガスは「考え方」を変えるのか?
ほんとうの根本治療をするのか?
ここが一番肝心な大切なところです‼️
水素は宇宙の波動であり(宇宙は90%以上が水素原子で構成されている)
水素ガスを吸うと宇宙の波動(シータ波)が脳?に入り、肉体意識(マイナス思考)が宇宙意識(超プラス思考)に変わるのです。
宇宙は調和であり、すべてがパーフェクトに整っています。
そして、水素=宇宙=地球=人間(小宇宙)=水素
です。
人間は水素そのものとも言えるのです。
〝水素ガス〟はそのことを教えてくれます‼️
〝良質な水素ガス〟の可能性は宇宙のように〝無限大〟です‼️
本文
その答えがいかに、現在の自分に都合が悪いように思えても、それは後によくなる方法に違いないのである。それを信じなければならぬ。第二直感で出てくることは業因縁の答であるから、よくよく注意せねばならぬ。業因縁の答えは常に甘い。都合のよさそうな答が多いので、つい、この答にひきずられることが多いものである。だから、常日頃、守護霊を信じ、感謝の想いを抱いていなければいけない。(五井昌久『神と人間』56,57頁)
感想・・・・・特に損得が絡んでくると判断が難しいというか、わからなくなることがあります。その場合は守護霊様に「どうしたらいいですか?」と聞くか、あるいはスッキリする方を選べばいいのです。それには常に祈りの中に自分を入れておく必要があります。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
本文
いかなる困難な事態がその人の前に起ころうとも、守護霊の守りを信じ得る人は、必ず、その事態は光明に転ずるのである。
この場合、守護霊はいったいいかなる人か、などとその人の生前の戸籍調査などしなくともよいので、ただ、誰方か知らぬが、自分に関係の深い祖先の一人が、神様につながる強い力で、守っていて下さるのだと、素直に思っていればよいのである。
もし迷う事柄があったら、心の中で守護霊さんを呼びながら、その裁断を願えば、必ず、なんらかの形で、その答をしてくれる。
それは前に述べたように他の人に逢って、その人の口から聞かされるかも知れぬ。
あるいは、ぴん、と直感的にひらめくかも知れぬ。
ただ、この場合、前者なら、最初に逢った人であり、後者なら、最初の直感、第一直感がその答えである。(五井昌久『神と人間』56頁)
感想・・・・なぜ、第一直感が答えなのか?というと第二、第三は肉体頭脳を使っているからなのです。
「頭を使って考えて何が悪い」「頭で考えなくてどこで考えるんだ」と言われそうですが、肉体の頭の横には幽体というボディがあり、幽体はこれまでに過去世で自分の想念したこと、行為したことが蓄積された潜在意識の場であり、幽界にはさ迷った魂がひしめいています。
そして地球人類の集合意識が入って来るので、頭が考えれば考えるほど混乱し、雑念が湧いて来るのです。「あーでもない、こーでもない」と想いが駆け巡るのです。
想いとは、相手の心と書くように、自分の本心(宇宙・神)とは違います。
そして、頭でばかり考えていると守護霊さん守護神さんのメッセージ、神智、直感が入って来にくいのです。
「では、どこで考えるんだ」ですが、それは、下丹田(かたんでん)なのです。
下丹田(へそ下3.5センチ)は、天からの縦の生命エネルギーと3次元(肉体界)のエネルギーが交錯している場所(スポット)であり、宇宙(本心)とつながっているのです。
下丹田は腹脳(ふくのう)とも言われ、直感が降りてくる場所です。ほんとうの脳は腹脳なのです。
第一直感は下丹田に流れるのですが、それを頭でキャッチしたと思い違いをしているのです。
第一直感のメッセージは守護霊さんが送っているので肉体人間の考えとは違うことが多く、損得や自分の都合で考えると納得しずらいこともあります。
そこで頭を使って第2、第3の迷い?の方法を探ろうとします。
迷いとは同じところを堂々巡りするので答えが出ません。
ところで、みなさんは迷いと悩みの違いはわかりますか?
悩みとは闇が波のようにやってくるという意味でいつか、いつの瞬間かに光が当たれば、霧が晴れたように答えが出ることがあるのですが、迷いには答えがありません。
自分は今、「迷っているのか?悩んでいるのか?」をジャッジしてみてください。
そしてもし迷っているのなら、悩みに昇格(笑)させてください
そしてそしてその悩みを、頭で考えるのではなく
下丹田にほんとうの頭があるのだとイメージし、意識を丹田(へそした3.5センチ)に集中させてください。
そして自分が小さな透明なカプセルに入ったとイメージして下丹田で『世界平和の祈り』を祈ってください。
祈りながら光のカプセルを回してください。
3次元の悪いもの(業因縁、業想念)が早く消え、神界(地上天国)が現われて来ます!
すべてのことが直感で動けるようになります。(ほんとうの自然体)
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
【消えてゆく姿】
1.本心を現わすために
・人が貧乏や病気など、いわゆる不幸で苦しんでいるのは、大きな高い目からみれば、本当はかわいそうではないのです。かわいそうだなと思うのは、肉体そのものが人間そのものであると想う感情から来るものなのです。
今、不幸と現われている姿は、本当は天命を現わすために、不幸を消しながら、光へと前進している姿なのです。
【消えてゆく姿】
2.本心を現わすために
・自己の生命の磁場(肉体、幽体)が汚れますと、それを洗い浄めようとして、生命の本源から強い力が出て来ますので、その強い力に押されて、汚れが外部に出されてゆきます。
この汚れが取れてゆくに従って、生命が輝いてゆくわけですが、この汚れの取れてゆく姿が、病気や不幸や貧乏という事になるのであります。
感想1.私たちはどうしてもその人の肉体、現状を見て「かわいそうだ、気の毒だ」と思ってしまう、それが家族であったのなら我がごとのように苦しんでしまう。
それは無理からぬことですが、思いっきり悪いことが起きているということは、それは善くなるために膿が出ているのであり、出るだけ出てしまえば後は善くなってゆくのです。
そのことを信じられるのは、肉体は人間ではない、エネルギー体なんだ、と徹底してわかることしかないのです。
相手の人を目を細めて観てください。波(縦のエネルギー)が揺れているように見えることがあります。
肉体はいづれは無くなります。しかし魂、心は永遠に生き続けるのです。それがほんとうの真理です。
2.今コップに汚れた水が入っているとします。コップの水を純水にしようとするのなら、きれいな水を注ぐしかありません。すると汚い水は溢れ出し、テーブルを汚すのです。それが貧乏であり、病気です。
しかし、その汚れは確実に少なくなっているのです。これが大難が小難です。
小難はいつの間にか消え、後はキレイな純粋のみになります。そのときが自己と地球の完成です。
綺麗な水とは、「世界平和の祈り」であることは言うまでもありません。
世界人類が平和ありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
本文
守護霊を知らず、守護神を知らず、ただいたずらに、精神統一法をしたり、座禅を組んだりした場合、その精神統一で、やや空になった肉体に、幽界の魂魄が感応してくる場合がある。
こうした場合、守護霊により、自然法爾(ひとりで)に整った、生活態度、いわゆる明るい楽しい雰囲気とは違って、何か、非常識な、他人に不快を感じさせるような雰囲気を持つ人間になる。
私は、座禅したり、静座したりして、心を空にする行法を採らない。
空観する場合は、善き導師がいなければ危険である。
私は、ただ、素直に、守護霊、守護神に感謝してその人、その人の生活の業(わざ)に励んだほうが楽に、自然に、神につながり、悟れる、と信じている。(五井昌久『神と人間』55,56頁)
感想・・・・昨今、ヨガであったり神社仏閣などで精神統一が流行っていますが、守護霊、守護神に繋がっていない統一は非常に危険です。といいますのは、肉体波動のすぐ近くに幽界の生物の棲む世界があるからです。
幽界とは、潜在意識の世界でもあり過去世からの神(愛)から離れた想念したこと行為したことが蓄積されており、それが肉体界に写ってきているのです。私たちは現実に目に見える世界だけだと思い込んでいますが、幽界の現世(うつしよ)なのです。しかしそれでは、地球がカルマ(業因縁)によって滅亡してしまう。
そこで守護霊様守護神様が霊界、神界から幽界を浄め肉体界に影響を及ぼさないようにしているのです。
そんな神霊たちの姿を知らずに私たちはすぐにつながりやすい幽界の生物たちにつかまってしまうのです。
幽界の生物たちとは、肉体界にいるときに感情や欲望、そして不平不満を持ったまま死を迎え、霊界(幽界に近いところと神界に近い世界がある、この場合は高いところ)や神界に行けなかった魂たちをいうのです。
幽界の生物たちは、そのうっぷんを晴らそうと肉体人間に取り憑き人生をめちゃめちゃにしようとします。
スピリチュアル系、霊能者、占い師たちのほとんどは守護霊守護神には繋がらず、幽界につながっているのです。
興味本位の統一は、危険であり、する必要はないと思います。
『世界平和の祈り』は守護霊、守護神、そして宇宙神(本心)につながる大安心の光のエレベーターなのです!
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
補足・・・・ここで「なんで守護霊、守護神様は幽界のおばけちゃんに憑かれようとしているときに助けてくれないんだ」と思われると思います。それは、すべて人間の自由意思に任せているからです。危険なとき行ってはいけないところなどは、直観で知らせたりはするのですが、人間側が持つ「~したい」「~い」などの語尾を持つ感情は経験させて頭を打たせるのです。それは感情という3次元を超えて行かないと魂の成長にならないからです。
だったら幽界の生物に振り回される(憑かれる)のも経験なのか?は違います。それは魂の成長が大きく遅れるからです。「出来たら経験させたくない」というのが本音?なのだと思います。