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2017年11月29日 (水)

実は・・・・・(二)




 


実は・・・・・・

 

(二)


神さまがあるのか ないのかわからない

見たこともない という人がいる

けれど本当は神さまをあなたは毎日見ているのです


自分がいることは神さまがいることなのです

毎日 毎日 神さまを自分に見

夫に見 妻に見 子供に見ているのです

見ているのに 神さまを見たことがないという


神さまは宇宙に充満しています

自分の中にい 人の中にもい 植物の中にもいて

すべての中に生き生きとしているのです

神さまはいのちなのだから 

年中お目にかかっているのです


神さまは手にふれない という

自分の子の手を握った時には

神さまを間接的に握っているのです

自分の友だちの手を握った時

神さまを間接的に握っているのです

子供を抱いた時

神さまを抱いているのです


神さまはすべてのすべて

在りてあるものなのです

全部が神さまなのです

それなのに

神さまの外に何かあると思っている

神さまの外に何もないのですよ

自分は神の分霊なのです

全知全能の神さまから分かれたいのちなのですよ



(三)


私たちの天命がまっとうされますように

と祈っていますか

誰にでも天から与えられた使命があるのです

天命をまっとうするために生れたのです


天命をまっとうするために だから

必要なものは みな与えられることになっているのです

必要なものが与えられなければ

天命がまっとう出来ません

天命がまっとうされますように と祈っていれば

家も

金も

力も

健康も

天命をまっとうするために与えられるのです


けれど天命を損なうお金もあります

人からむしり取ったお金

賭け事や宝くじなど労せずして得たお金はすぐなくなります

金 金 金ばかり思っていると

金は入ったとしても業の想いだから

消えてなくなります


業の想いはすべて消えてゆく姿なのです

消えないものは何かというと

神さまだけなのです

お金を頂いた 着物を作ってもらった としても

すべて神さまから頂いた神さまのものなのだ

神さまが人を通して私に下さったのだ

そのように思っているお金や物はなくなりません

もしなくなったら

もっと増えてやって来ます

何故ならば 神さまのものなのだから

尽きることがないのだから

神さまだけしかいらっしゃらないのだから

神さまを100パーセント思うのです

100パーセント思えば

自分は神の分霊なのだから

神さまの光がそのまま現われて

自分の世界が完全になるに決まっているのです




『大決意』 五井昌久著 白光出版


 

 
感想・・・今、お金のこと、経済的なことで不安をかかえている人は多いと思います。(私もそうです)

「仕事はこの先どうなるのだろう?」 「身体を壊したら収入が無くなる、首になるのではないか?」 「貯金も無いのに大丈夫だろうか?」 「親を施設に入れるのにどれくらいかかるのだろうか?」・・・・お金の悩みは尽きることがありません。

そしてお金持ちが精神的に安定しているとは限りません。

お金持ちは今あるお金が2倍にならないと安心、満足しないのだそうです。

そしてこれでもかこれでもかと亡者のように必死になって、守り、かき集めます。

一方、お金の無い人、少ない人はお金イコール勘定(感情)が安定しないので、感情的になって要らないものに使ってしまったり、騙されたり、宝くじ、賭け事、株などで労せずして儲けようとするのです。

結局身に付かず、苦労することになります。

お金とはその人に必要な額しか入って来ないようになっているので、必要以上に入ってくれば、出よう、出ようとするのです。(病気や事故などで急な出費が増えます)

お金の多い少ないに振り回されず、自然体でいられたらどんなに幸せな気持ちになれるでしょう。

五井先生の文章を読んでいると肉体も自分のものではない、お金も自分のものではない、すべては神さまのものなのだ、神さまを通してやってくるものなんだ、と書かれています。

肉体への執着、人、お金、物への執着が少なくなったとき、気持ちが晴れたようになります。

私は余計なこと、心配してもしかたのないこと考えず、想いを『世界平和の祈り』に切り替えて幼子のように無邪気に明るく生きて行きたいと思うのあります。

 
世界人類が平和でありますように



  

2017年11月28日 (火)

実は・・・・・(一)




【実は・・・・・】


(一)


人間というのは

ここに肉体があるけれども

実はここにあるのではなく

光が流れて来ているのです

純粋な無念無想の状態で

光そのものになっているのです


肉体というのは 本当は

あるのではない ただ見えているだけなのです 

みなさんはここに座っているけれど

実は ここに座っているわけではないんですよ

光の波が幾すじも幾すじも流れて来て

ここに止まっているのです

光の波と業の波が混ざったものが

ここに来ているのです

そこへ太陽よりももっとすごい光明が言葉とともに拍手とともに流れてゆくと

業の波がきれいに洗われてゆくのです

みなさんは肉体と思ってはいけません

人間は肉体である という観念から

一日も早く脱却することです


人間は肉体ではないんです

霊なのです 光なのです 光線なのです

太陽が光り輝いているけれど

光線としては見えません

見えないけれど光線はある

それと同じように

人間はみんな光の波で天から来ているのです


それなのに肉体というものに把われて


肉体ばかりを見ているから

太陽の光を否定し

神さまから来ている自分の力を否定している

否定しただけ汚れてしまうのです だから

人間は勝手に苦しんでいる といわれてしまうのです

私は今までかつて生れてからこの方 悪いことをしたことがない

という人がある

ちっとも悪いことをしていないのに

私が不幸なのはどうしたわけか

神や仏があるのなら こんなに私を不幸にするわけがない

自分は悪いことをしたことがない といいます

悪いことをしたことがない というけれど

いったい誰がそう決められるのでしょう


悪いことの一番の根本は何だろう

それは

自分は神から来たものである

神と自分とは一体である

ということを否定すること 

そして

神と人間は別なのだ と思うことです

神から分かれた光線なのだ 分霊なのだ

とはっきり自覚しない以上は それだけ悪なのです


自分の真実の姿を否定して

神も仏もあるものかという時

その心は闇の想いです

そうした想いを持ちながら

神さまに助けてもらおうとするのは

お金を下さったり 一日の糧を下さったりしている人の悪口をいうのと同じです

人間は天の恵み 地の恵みで生きています

神さまは天にもいるし 地にもいます

天地縦横 宇宙一杯に光り輝いているのが神さまです

そこから人間は生きるすべての原料をもらっているのです

神さまなくして 人間は生きられません




『大決意』 五井昌久著 白光出版
 


ほんとうは(二)(三)(四)と続きがあって【実は・・・・】は完成するのですが、これだけたくさん真理がちりばめられている文章を読むと光を一杯に受けてお腹一杯になってしまいます(笑)

みなさんはグッドムーンは五井先生の文章を書き移しているくらいだからきっと書いてある内容はすべて理解しているのだろう?悟っているのだろう?と思っておられのかもしれませんが、私もわからないことはあるのです。

とくに人間は光りである、肉体ではない・・・・のところです。

それは肉体が従で心が主である、心は永遠に生き続けるのだ、ということから納得は出来るのですが、どうしても意識は肉体(物質)へといってしまうのです。

しかしわかるところもあります。

光の波と業の波が混ざったものがここに来ているのです、のところです。

人と人間とは違うということはここでも何度か書きましたが、人とは霊止(ひと)であり、霊とは神さまのことなので神さまが宿った状態を人というのです。(お釈迦様、キリスト様などの覚者)

一方マイナスのエネルギー(業)を被った人を人間といいます。(ほとんどの地球人類)

マイナスのエネルギー、業とは主に感情想念なので動物にたとえられます。(動物は神様が創った被造物であり、神ではない)

この神さまと感情(動物)の間にいるのが人間です。

私たちの本体は神、人(霊止)なので業が本体を光らす邪魔をしているのです。

苦しい原因、不幸、病気、不調和な原因はすべて神さまから心が離れていたからです。

これから私たちは、人間から人(霊止)になってゆきます。

目覚めてゆきます。

今はその過渡期なのです。



追伸・・・・個人、人類の業(マイナスエネルギー・過去世の想念行為・潜在意識)を消し浄め、青空のようにスッキリ爽やかな状態(地上天国)にするメソッドが『世界平和の祈り』、印(我即神也・人類即神也・神聖復活目覚めの印)です。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。

 

2017年11月27日 (月)

間違いないからおやりなさい(五井昌久著『大決意』より)


   

 

間違いないからおやりなさい

                          五井昌久

(一)


人間は神の分霊であり

神そのものであるのです

昔 常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という人がいました

すべての人にむかって 

あなたは仏さまです 菩薩さまです

と拝んで歩きました

すると拝まれた人たちが

何 オレが仏菩薩であるものか!

と怒って 石をぶつけたり 棒で打ったりした

石をぶつけられ 棒でなぐられ 逃げながらも

あなたは仏さまです

あなたは菩薩さまです

と本当の人間の姿を拝んだということです

お釈迦様の前生だということになっています

ほんとうはこのように

人間を神さま! と拝めるようにならなければいけない

ところがそんな奴を神さまと拝めるか というのが多い

顔をまともに見ては 神さまと思えない

それは相手の消えてゆく姿の部分を見ているんです

それを見ていてはいつまでたっても神さまには見えない

そこで私はどうさせるかというと

人間を見る場合

その人の肉体を見ない

肉体のうしろにいる守護霊さん守護神さんを見させる

息子が不良でしようがない とすれば

息子のうしろの守護霊さんに

“守護霊さん有難うございます

息子の天命をまっとうせしめ給え” とやる

夫が道楽者だとすれば

“夫の守護霊さん ああご苦労さまですね

こういう業の固まりをよく守って下さいまして

有難うございます

どうか夫の天命をまっとうせしめ給え” とやるんです

そうすると 知らないうちに

相手の守護霊と自分の守護霊と一つになり

守護霊の力が 夫なり子供なりに働いて

業を消してゆくのです

夫が祈らず

子が祈らず 

妻が祈らないとするならば

自分だけでいいから

世界平和の祈りをするんです

その時に

迷っている夫

迷っている子供の名を呼んで

そのうしろの守護霊さんに頼むのです

それをつづけることです

そうしますと いつの間にか立派になります

必ず立派になりますよ

私のやり方は易行道(いぎょうどう)なんです

むずかしいっていう人があるけれど

むずかしいといえば何だってむずかしい

人間悟ろうとするのはなかなかむずかしいです

むずかしいけれど私のやり方は一番やさしいんです

何故かというと

悩みをとってから拝め というのではない

悲しみをとってから拝め というのではない

汚れを清めてから拝め というのではないのです

汚れたままでいいんだ

悩んでいるままでいいんだ

そのままで世界平和の祈りの中に飛びこめば

世界平和の大光明がそんなもの問題にしなくて

消してくれるのだ

そう信じておやりなさい と教えているのです

 

神の子の人間なのだから

神さまが絶対に救わなきゃいけない

全部救うために

守護霊を遣わし 守護神を遣わしているんだから

救うのは当り前

救われるのは当り前なんです

ただ、消えてゆく姿ということが本当にわかれば

みんな救われちゃうのです



(二)


“世界平和祈る忽ち祈り人の姿光につつまれてあり”

という私の歌があります

どんなに悪いことを想っていても

自分がどんな業想念につつまれていても

あいつ嫌いな奴だ 死んでしまえばいい と思っていても

世界人類が平和でありますように といったらば

自分は光につつまれているのか

という質問がありました

どんなに悪い想いが片方に出て来ても

世界人類が平和でありますように

という想いがあれば

それは光につつまれているのです

光につつまれているけれども

自分の中の光と

外の守護霊守護神の光 救世の大光明と

ぴたっと一つにならないと安心しないのです

やっぱり揺れているような気がするのです

ところが

世界平和の祈りをやっていると

中のものが世界平和をやるんだから

外の救世の大光明と合体してゆくわけ

合体してゆくうちに

だんだん光がひろがってゆく とともに

業想念がだんだんへってゆくのです

へってゆけば

なんか安心立命した

心から ああ私は救われているんだなァ

ということが

貧乏なら貧乏なりに 病気なら病気の中で

ああ私は神の子なんだな

ということがハッキリわかってくるのです

だからやらなければだめです

どんな悩みの中にあっても

どんないやな想いの中にあっても

貧乏の中にあっても

病気の中にあっても

世界平和の祈りをしていれば

その人の周囲はズーッと光につつまれているのです

これは間違いもないことです

だから安心して世界平和の祈りをやればいいのです
 

『大決意』 五井昌久著 白光出版

 

感想・・・昨日、2017年11月26日(日)、調和波動気功法のセミナー(『健・美・食の会』)が行なわれまして、于先生が五井先生著『大決意』の本の最後の文章に「とても大切なことが書かれています」とおっしゃったのです。

五井先生の教えの中で自分は神である、そして自分以外の他の人も皆神である、があります。

「なるほど、確かにそうだ」と頭でわかっていても、現実に目の前に現われた自分、他人を見ると「神様どころか、動物以下だ」と思ってしまうこともあるのです。(動物さんごめんなさい)

そんなとき一呼吸おいて、その人の頭の上にいらっしゃる守護霊さんに意識を向けていると不思議なことにその方の本質、ほんとうの姿、光が見えるような気がするのです。

そしてその人の肉体に話すのではなく、守護霊さんに語りかけるようにするとやがて肉体のその人にも通じるようになる。

すぐには無理だと思います。 時間はかかります。

だから「愛は忍耐だ」と五井先生はおっしゃいます。 焦ってはいけません。

焦ると余計なことをしてしまうからです。 時を待つのです。

目にみえないエネルギー(気・神様)を信じることが大切だと思います。


    

 

2017年11月26日 (日)

天国と地獄(神界のプラスのエネルギーに波長を合わせましょう)




今の地球上は、日本の様相は、まさしく 「天国と地獄」が同居しているのです。

天国とは愛一元の世界である神界、地獄とは汚れた、迷いの想念、潜在意識の世界、幽界をいうのです。

天国が現われる前には悪いもの(消えてゆく姿)が溢れ出ます。

それが個人であれば病気であったり貧乏であったり、国単位であれば対立、テロ、戦争になったりもします。

私たちは、これらの現象を悪、マイナスと捉えます。

誰でも病気になることもお金が無くなってしまうことも、自分の会社の倒産、個人的ないがみあい、国同士の闘争も嫌に決まっています。

しかしこれらの現象の下には、天国(神界)が控えているのです。

だから必ず、「災い転じて福となる」・・・・・。

病気、手術したことで大切なことに気づき、以前よりも健康になった、倒産したことでほんとうに魂が求めている天職につながった・・・・など。

なぜならば、宇宙の法則でそう決まっている。

今は七劫目(ななこうめ)といって地球が大変革の時期に入っているのです。

これまで地球は6回、アセンション(次元上昇)に失敗してきました。(実はこれも計画通りですが)

金星等の進化した星にやっと仲間入りするときが来たのです。

進化した星とは、神界、天国の星、愛そのものの星です。

地球が今の様相の延長線上で愛の星になるのではありません。

地獄が出るだけ出て、膿が出ききってしまってから天国が顕われます。

これまでの6回は、マイナスがあまりにも強すぎた、消えてゆく姿が大難が小難にならなかったのです。

なぜ?マイナスが勝ってしまったのか? 消えてゆく姿が働かなかったのか?

それは五井先生という大聖者がいなかったからです。

そして消えてゆく姿の『世界平和の祈り』が無かったからです。

そして時期ではなかった。


私たちはもうゴールを知っています。 絶対に地球天国は訪れる・・・・・。 自分(個人)も同時に幸せになることを知っています。 今はその過渡期です。

地獄(幽界)が現われたところで大したことはない。

だって大難が小難になっているのですから、幽界の燃えカスが消えようとしている、幽界のおばけちゃんが最後のあがきをしている

その姿が見えるようです(笑)

これからたくさんの人が真理(我即神也・人類即神也)に気づき、『世界平和の祈り』を祈り、『我即神也・人類即神也』 『神聖復活目覚めの印』を組み、地球上のエネルギーが浄められてゆきます。

幽界、迷いの世界が加速度的に消えてゆくのです。

みなさん私たちの意志で大難を小難にしましょう♪

出来るだけ人類、人間が苦しまずにアセンションを迎えましょう♪

そのメソッドが祈りであり印です。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。



追伸・・・・私のメンターである*于先生は、「今地球上にいて消えてゆく姿でアセンションを体験出来ることはとても幸せなことなのですよ」 とおっしゃいました。

天国と地獄を同時に観ること出来る、これは宇宙でもめったにない『大イベント』です。

しっかり体験したいと思います。


* 于寿明先生・・・・調和波動気功法の創始者、「ハーモニー」主宰

   中国料理 「大成閣」 代表取締役 社長

著書: 気功名 「星 全起」 しん ぜんき

「宇宙天使からの贈り物 調和波動気功」 三晃書房

「無限なる癒し」「無限次元への誘い」「無限なる幸せを体得する方法」「無限なる勇気」于寿明著 いずれも星湖舎


調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/


七劫目について

 https://blogs.yahoo.co.jp/shigeru2007nen/56337685.html?__ysp=5LiD5Yqr55uu


 
  
  

2017年11月24日 (金)

薬は怖い

 

私の母が痴呆症の症状があるということは先日述べましたが、一昨日精神科の病院に連れて行きました。

頭のCTを撮った後、診察が始まりました。

痴呆症といってもいろんな症状、原因があり、母の場合は直近で起きたことや約束事などをすぐに忘れ、判断力や理解力が明らかに低下してきたため、専門家の判断を聞きたいと思ったのです。

私が母の行動で一番ショック?だったのは、父が入院している病院を何度も間違えたことでした。

転院しているのに何度も前に入院していた病院を訪ねているのです。

一度、いや二度ならまだわかるのですが、3度、4度になり看護師さんに「ご主人はもう退院されましたよ」と何度も言われていたのです。

診察が始まり、簡単な記憶テスト?がありました。

「ねこ、桜、電車」この3つの言葉を覚えておいてくださいね、と先生に念をおされ、数分経ってから「さきほどの3つの言葉を言ってください」と聞くと「ねこです、後はわかりません」と母は答えました。

瞬間記憶が消えたことに母も驚いていました。

そして先生がかかりつけ病院の処方箋をみた時、「薬が原因している可能性があります」とおっしゃったのです。

母は私が知らない薬もたくさん飲んでいました。

胃薬(整腸剤)、ニトログリセリン、血圧、コレステロール、睡眠誘発剤、精神安定剤、胃の粘膜を強くする薬です。

「自分は薬のおかげで健康が維持出来ている」と思い込んでいるのです。

それも血圧、コレステロール、心臓以外の薬以外は、飲む必要がないのです。

かかりつけのお医者さんに「お薬を減らしましょう」と言われても、がんとして聞かず、明らかに薬依存症でした。

そしてなんと精神安定剤と胃の粘膜を強くする薬には痴呆症の原因になる成分が入っていたのです。(長期服用していました)

私たち家族がいくら薬の害を言っても(かかりつけのお医者様もそうですが)聞かなかったのに、痴呆の原因がそこにあったのかもしれないとなると、やっと事の重大さに気づいたようです。

そして、副作用のある精神安定剤の代わりに漢方薬を出してくださいました。

その漢方薬には意識をハッキリさせる成分も入っているのだそうです。

『薬はまさしく薬にも毒にもなる』・・・・・・。

私は、なぜかかりつけのお医者様が痴呆症の危険のある薬を出したのか?と聞いてみました。

すると

「胃腸科の先生はそこまでの意識と知識がないのです」とおっしゃいました。

なんということでしょう!

薬に頼る母も母ですが、「薬は毒である」(使い方によっては)と認識しているはずのお医者さんや薬剤師さんもかなりいい加減です。

今、精神病の患者が増えていると聞きます。

私も実際に精神科を訪ねて、そう思いました。

これから人類(人間)が病気を克服してゆく上で大切なことは、大切な自分の体(器)に入れるものを十分吟味することです。

食べ物であろうが、薬であろうが、食べ物や薬が細胞となり肉体、そして精神をつくってゆくのです。

私たち人間には、肉体に感謝し、大切に扱うという義務があると思うのです。

 追伸・・・ここで話を終わりにしようと思ったのですが、痴呆の原因になる可能性のある精神安定剤と粘膜強化剤はなにかを書いておきます。参考になさってください。

精神安定剤(エリスパン錠)

粘膜強化剤(ラニチジン錠)


 
  

2017年11月23日 (木)

神様の喜ばれる自然法爾(五井先生ご著書『大決意』より抜粋)

 



【神さまの喜ばれる自然法爾】


(一)


本当に神さまのみ心が喜ぶことは

自然にわきあがってくる愛の心

自然にわきあがってくる明るい心で

人のため 社会のため 人類のために尽くすこと

そして

尽していることが

自分の家庭に対して

マイナスにならないようにすることです


日常生活そのままで

今日まで行なって来ている生活そのままで

夫にも尽し 妻にも尽し 子供にも尽し 

お互いに家庭で尽し合いながら

しかも

道のために働ける

人類社会のために働けるように

私はそう願って

祈りによる世界平和運動が生まれたのです


世界人類が平和でありますように

そう祈る時

自分の想いが世界人類の中にひろがってゆく

個人を通し 家庭を通し 

社会を通し 国を通し

ズーッと人類にひろがってゆく

するとその光が自分に返ってくるのです


善いことをしなければ

と焦らなくても

世界平和を願う祈りを重ねていると

いつの間にか

小さな小さな固まった人間じゃなく

個人の縛られた中で暮しているんじゃなく

大きな 自由な世界

宇宙という中で

ひとりでに善いことをしている

という状態になるのです




(二)


人のために尽すことはいいことです

徳を積むことなります

しかし

自分がやっているんだ自分はこんなに働いているんだ

と思っていると

徳を積みながら

その徳をけずっていることになります


何故かというと

自分自分といって

神さまから自分を離すからです

自分自分といわなくても

自然にいいことをし

自然に徳を積んでいれば

自然と積み重なってゆくので

神さまのほうでちゃんと徳を積ませて下さるわけです


われわれの運動というものは

地道に 地味で いいんです

派手で 人に目立たなくてもいいんですよ

家庭生活をこわさないで

日常のあたりまえの仕事をしながら

祈りによる平和運動に参加する

そして本や白光誌を読み

“ああこれから消えてゆく姿だなあ これはいいことに転化するんだなあ” と

自分の心を常に常に深めてゆく

深めながら

“ああこれはいいところだな 誰かに読ませたいな” と思ったら

“白光誌をお読み下さい” と

人にすすめる

いい教えをどんどん広めながら

自分が深まってゆく

自分が深まりながら広めてゆく

そこに

なんの不自由なことがなく

なんの把われもなく

なんの戒律もなく

自由に 自然にやっていける

これがわれわれの在り方です

(三)

神さま有難うございます という時

あなたは神さまの心 愛の心と一つです

愛の心と一つのあなたが

愛でない無慈悲の心を出すわけはありません


友人がお金を借りに来た

しかし自分にはお金がなかった

なんとかしてやりたいけれど

無い袖はふれないといった場合

あああの人に何もしてやれなくて悪かったと

あなたは思うでしょうね

そう思うのは良い心です

しかしそれがすぎてしまうと

自分を痛めてしまいます


あああの人のために

ああしてやればよかったのに 出来なかった

ああだめだなあ 悪かったなあ と思ったら

“あの人の天命がまっとうされますように” と

お祈りにかえてしまうのです

神さまにまかせてしまうのです

その方がお金を貸してあげるよりよい場合があります


何もかもみんな祈りにかえてしまう

祈りにかえるということは

自分の想いが

神さまのみ心の中に入ってゆくと同時に

相手の心も

神さまの中に入れてゆくことになるわけです

みんな神さまの中に引きあげることが

祈りなんですよ

相手の天命がまっとうされますように という時は

自分も引きあげられるし

相手の心もも神さまの中に引きあげてゆくのです

だから

みんな自分の天命を祈り

相手の天命を祈り

世界人類が平和でありますように と祈れば

みんなの想いが光に同化して

神さまの一番高いところに引きあげられてゆくのです

それが世界平和の祈りです



(四)


この肉体というのは

目に見えているけれど

実は本当にあるんじゃないんです

過去の因縁をたどってここに現わされている

現わされているだけのもので

過去のものなのです

過去の波動がここに肉体となって現われているだけなんですよ


今 生活して

今 なんか考えている

今 病気をしているとする

それはみんな過去のものが現われて

今 消えてゆこうとしているのです

この肉体生活を営んでいるということは

神さまのみ心をまっとうする

天命を果たそうとすると同時に

過去世の因縁を果し

消えてゆく姿にしているのです

両方が同時に肉体として現われているんです


だから

現われている事柄に対して

なんだ かんだと心配したって

苦労したって なんにもならない

それは過去のものだから

単に消えてゆくだけなんですよ

映画の撮影は終って

フィルムが出来上がってしまっている

あとは映画館かテレビで上映する

というところになっているわけです


じゃなんの打つ手もないのか

というとそうではなく

ただ一つある

肉体の自分の力でやるのでなく

守護霊さん守護神さんお願いします

と守護の神霊にフィルムの修正をたのむ

それしかないのです

だから

われわれのしなければならないことは

常に 寝ても覚めても

“守護霊さん守護神さん 有難うございます

神さま 有難うございます” といって

神さまの中に入り込んでしまうこと

神さまと一つになってしまうこと

一つになりながら

一生懸命 日常生活のつとめを果してゆく

それ以外にはないんです



(五)


ハッキリわかっていることは

人間は神さまの分け命であって

神霊の世界でいつも働いているんだ

光明燦然と働きつづけていて

そのあまりが肉体の世界へと来ているということです

肉体の世界はおまけです

おまけの生活をしているんです

今の生活というものは

過去で済んじゃっている

済んでしまったことのおまけが

ここに現われている

それで今 何をしているかというと

神霊の世界に徳を積んでいらっしゃるのです

やがて神霊の世界へゆきます

皆さんが祈りによる世界平和運動をやっていることは

神霊の世界に光を積み 徳を積んでいることです

毎日 毎日の世界平和の祈りによって

どんどん積んでいます



  

『大決意』 五井昌久 白光出版



 
  

2017年11月22日 (水)

霊能力について(人を飛ばして何になる?)

  

時代が混沌としてくると、原因不明の病気になったり、運命を修正出来なくなって、神秘的なことに頼ろうとする人が増えてきます。

すると、「私の病気は祖先の人に取り憑かれているのではないだろうか?」「私の前世が影響しているのではないのだろか?」「目にみえない力が働いているのではないだろうか?」と霊的なことに興味を持ち始めます。

しかし巷には、霊能力なるものを利用して「儲けてやろう」という輩(動物霊、取り憑かれた人を含む)が溢れているのです。

この輩とは、動物霊(感情霊、不良霊)のことで、霊界の高いところや神界に行くことが出来ずに肉体界と幽界(さ迷った世界)を行ったり来たりして、肉体界の人間を驚かせたり、憑依して「霊能者」を名乗ったり、人間を思い通りにコントロールして楽しんでいるのです。

私は「幽界のお化けちゃん」と呼んでいるのですが、一旦取り憑かれると大変です。

運命をもてあそばれ、めちゃめちゃにされます。(そして低級な霊能者、占い師・・・の末路は哀れです)

自分が苦しかった肉体界での人生を同じように味あわせてやろうとしているのです。

守護霊守護神は手を出すことができません。

それは良い意味でも悪い意味でもその人の自由意志に任せているからです。

私のメンターである于先生から興味深い話を聞きました。

ある女性が新興宗教にはまり、異変に気づいた夫が心配になってその教団を訪ねて行ったそうです。

そこでは、信者の幹部が集まった人たちを気(幽気)で飛ばしていた・・・・。

冷静だったご主人は、「ここに居てはあぶない」と奥さんを連れ出したのだそうです。

私たちは目に見えるものしか「ある」と信じていないので、目にみえない力、パワーを見せられると、魅せられてしまうのです(笑)

しかしそれは神秘力でもなく、守護霊、守護神さまから来たものでもなく、ましてや神界(ほんもの)のものでもないのです。

「人を飛ばしてなんになる!」

感情は喜ばせても、誰も幸せにならないし、魂、本心を成長させるものではありません。

このご主人は、審神力(さにわりょく)、ほんもの、にせものを見抜く能力があったわけではありません。 ただ常識的で冷静な人だったのです。

今、私たちに求められているのは、霊能力ではありません。

物事を正しく判断する、見極める能力です。

于先生は、「物事に把われない、振り回されないためには客観視することが大切です」とおっしゃいました。

今の自分(肉体の自分)を離れたところから観ている自分(ほんとうの自分)がいる。

それが客観視だと思います。

話が長くなってしまいました(笑)

みなさんくれぐれも「霊能者」という輩(幽界のおばけちゃん)にご注意ください。





【霊力と霊能力の違い】

霊力と霊能力とを間違える人がいますが、人の心がわかったり、当てものをしたり、運命の予言をしたりするのを、霊力と解釈していますけれど、それは霊能力なのです。

一つの能力なのです。

霊能力がすぐれている人が人格が高いかというと、そうでないのです。

ところが霊力のすぐれた人は人格が高いのです。

霊力というのはいいかえれば、霊の光、根源の光です。

神のみ心の光が強い人がやっぱり人格が高いのです。

たとえあてものをしたりすることがうまくたって、それが偉いということにはならない。

そんじょそこらの行者はみんな当てものがうまいですよ。

財布の中にいくら持っているか、なんてチャンとわかるんです。

なぜわかるかというと、肉体波動のそばにいる幽界の生物が、幽界と肉体界と波動が近いから、透して見えるのです。

ところがズーッと高い所にいる神さまは、わざわざそんな低い所を見ない。

その人がいかに生きるべきか、どうしたらその人を立派に出来るかということを見るわけです。

わざわざ降りれば見えますよ。

けれどそんなことは必要ないから、高いところからその人に光を当ててやる。

そしてその人に力をつけてやる。

ところが低級の霊能者というのは、力をつけてあげるのではなく、その人に出来ないことをチョコチョコと教えて、相手を屈服させて、自分の支配下におく、子分にしているのです。

霊力が強くて、霊能力の素晴らしい人もあります。

霊力が強くても当てものなどわからない人もあります。

ですからこういうことがいえるのです。

信者が一杯いる教祖があながち偉いとはいえない。

普通の人でいい影響を社会的に或いは周囲に与えている人がいます。

その人は霊力があるわけです。

霊力というのは要するに人格の立派なということで、そういう人が偉いのです。

いくら当てものがうまく、これをこうやれば儲かるといって当たって儲かったとしても、それを教えた人は神さまでもなんでもない、偉いのでもない、勿論そういう当てもののようなことが出来て偉い人があります。

祈りつづけていて、霊能力が出て、人の心が分かったり、予感、予知力が出来たりする人があるとします。

そうした神秘力が得られたといって、いばってしまってはだめなのです。

そういうことではない。

人間の立派さというのは何かというと、人格が立派になることなのです。

いつもいいますが、おのずから和んでくる。

おのずから人の心が優しくなってくる。

その人と一緒にいると、おのずから勇気が湧いてくる。

何か親しい懐かしい気持ちが出てくる。

そういう力を持つことが霊力が強いということなのです。

人に与える好影響が強ければ強い程霊力が強いんです。

「お前の息子さん、三年先に大病するよ、気をつけろ」 といわれて、二年たった、あと一年だ、どうしようどうしようと私にききにくる人が随分います。

これはいい影響を与えていません。

三年間脅しつづけたんだから、悪い影響しか与えません。

わかっていたって、いわないで知らん顔していて、しらないうちに霊力で光を与えていて、大病でなくなるようにやっておいて、やがて現われた時に救ってあげる、という人のほうがいちいち予言して、おどかして自分の力を示そうなんていう人より、ずっと立派ですね。

「神と人間」(五井昌久著 白光出版)には簡単に書いてありますけれど、

よくわかるように書いてあります。

皆さんは霊能力のある人よりも、霊力の立派な人格のすぐれた人になることです。

人格がすぐれていると同時に、霊能力があればそれに越したことはないのです。

それを間違えてはいけない。

だから霊能力だけを磨こうとして、統一などしてはいけない。

人格を立派にするために祈るわけです。

人格が立派というのはどういうことかというと、愛が深いこと、調和した人間であること、勇気があること、簡単にいったらそういうことです。

そうなるように全力をもって近づかなければいけませんね。

 

 

 「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版


五井先生がYoutubeで霊力と霊能力について述べられています。

よろしければご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=FgwM9XXY7HM


 

2017年11月19日 (日)

日々祈りの時間を持とう ━仕事の成果をあげるために━




時間に追われる現代人



現代人ほど人々が時間に追われる時代はありません。 そして今後ますます時間との戦い、時間を気にかけながら生きていかなければならない時代になってまいります。 そういたしますと、私たちにとって時間は貴重な財産となってくるのです。 昔の人々は実にのんびりと生きていかれたので、今ほど難しい病気や難しい問題、残酷な事件が起こり得なかったのです。 

なぜならば、のんびりと過ごすことができ、今日のように忙しくなかったから、その人なりのペースで自分をゆっくり見つめ観察しながら、自分の健康なり自分の心なりをよく見分け、一日一日を過ごすことができたからです。

また仕事も現代人のように複雑多岐にわたっていなかったので、単純作業をそのまま繰り返していけば生きていくことができました。

 

けれども現代はますます仕事の厳しいノルマを果たさなければならないので、人々は更に忙しく慌しく、心のゆとりを失いつつ生きているのです。

 

昔と比べて解決しがたい複雑な問題が次々に起こり、病気一つをとってみても医学で解決できない病気がたくさん噴出しています。

現代の人々の心の病の凄まじさは、昔の人が考えられないような状態なのです。 そしてそれが一人一人の庶民の生活にも如実に反映してきております。

それはなぜか。 人類全体が忙しいからです。 朝から晩まで何かに追われ、常に何かを心に抱きつづけ、その解決がなされないままに明日を迎える。 

そしてまた何かに追われ、何かに責任を感じ、何かに不安を感じ、何かに恐れを抱きながら、その問題は解決されずにまた明日を迎える・・・・・・・。

そういう毎日の繰り返しで、自分はこれだけしなければ、これを果たさなければと、心の中にいつも自分が果たさなければならない大きな課題を抱え、それを引きずりながら日を重ねてしまうのです。

このような状態が起こると、人間はいつか自分の許容量以上のことを課せられて自然爆発のような状況に追い込まれていくものです。

これからはますます、今以上に時間の厳しさを一般の人々が感じないではいられないようになっていくと思いますが、そのような状況に置かれた時、人々は何に価値観を置いて生きていかなければならないのか、一人一人がはっきりとした目的意識を持たない限り、皆挫折してしまいます。

その結果、何らかのトラブルに巻き込まれていく、病気になっていく、考え方が残忍になり孤独になっていくのです。

時間が貴重になればなるほど心にゆとりを持って生きていかなければ、人々はいたずらに時間に追い廻され、忙しさに追い廻され、肝腎要の一番大事な根本を見失い、枝葉のものに重点を置くようになるのです。

 

忙しくても、祈る時間をもとう


一番大事なことは、時間がどんなに速く自分の前を通り過ぎようとも、自分を見つめる時間、神に心を向ける時間、祈る時間を持つことが必要なのです。
けれども現代はそれと逆行しているのです。 

忙しければ忙しいほど自分を見つめる時間を見失い、自分を反省する時間を見失い、祈りの時間がなくなっていく。

だからこそ、苦しみや悲しみや病気が絶えずふりかかってくるのです。

我々がある一定の枠内にこなさなければならない任務を負わされ、一分一秒も惜しいという忙しさの中で、まずやらなければならないことは、祈ること、自分を見つめることです。

その仕事に対してどういう工程を踏んでいくかという心構え、そして頭の中でそれを整理し自分のエネルギーを集中させる、そういう時間を持つことが、与えられた仕事をものの見事にこなしていく原点なのです。

それを逆に、一分でも早く仕事に手をつけよう、早くいい結果を現わそうとし、自分の心を見つめ考えを練り、神と対座する時間を惜しんで仕事に没頭しつづけると、必ず何らかのトラブルが生じるものです。

他人が一刻も早く仕事にとりかかり、成果を上げようと必死で努力している様子をみると、自分がとり残されてはいけないと惑わされます。

しかし自分を見つめる時間、神と対座する時間を持たず、祈りを忘れて仕事にとりかかる時には、必ず何らかの問題が生じてくるのです。

人は人、自分は自分です。 常に心がけなければならないことは、朝昼晩、神と対座し神に感謝し神に心を向けることです。


そして正しい生き方、正しい仕事のあり方、何が目的であるかということを自分自身納得し、それを完全に掌握しない限り、すべての成就というのはあり得ないのです。

忙しければ忙しいほど、人類は心して神と対座する時間を持つべきであり、自分をその中に組み入れるように努力しなければなりません。

現代の人々は美しい心、思いやりの心、優しい心、愛に満ちた心、献身的な心、奉仕の心、正しい心、慈しみの心を失いつつあります。

もっと優しくすべきところを、もっと人に手を貸さなければいけないところを、自分の忙しさにかまけてしまう。

周りの人々のために、もっと尽くさなければ、思いやりを持たなければと思いつつも、時間に追われるためにそれができない、常に矛盾を感じながら生きていかなければならない。

何のために生きていくのか、お金のためか、仕事の成功のためか、名誉のためか、権力のためか。 それを得るために人間としての心を失っていくことのほうが、どれほど自分自身をそこない、自分自身の目的を狂わしていくかということがみんな分かっていない。


だからこそ人生半ばにして挫折感を持ち、健康を失い、孤独を味わって、いったい何のために自分自身を鞭打って働いてきたのか、その目的は何だったのか、自分が求めていたものは何だったのかを多くの人が感じることになるのです。

人間の幸せの原点は、家族がお互いに愛し合い、いたわり合い、慈しみ合い、そして思いやりと愛の心で調和し合いながら、子供たちを立派に育てることにあるのです。


そういう家族関係であるべきなのに、父親も母親も子供たちもみんな時間に追われ、調和した家族の時間を持つこともできない。

夫は夫で仕事に励むだけ、妻は妻で家事に追われ、あるいは社交と自分の楽しみに追われ、子供たちは塾だ、勉強だ、スマホだ、遊びだと忙しくみんなバラバラに生きていく。

バラバラに生きざるを得なくなっているのが現代の家族です。

ですから昔のように、家族がいるから自分は安心だ、夫がいるから、子供がいるから将来自分は大丈夫だなんて思うことは、もはや現代においては通用しません。

みんな一人一人が自分のことのみに生きているこの世の中です。

一人一人が自分の果たすべき目的、使命を見失い、何が何だか分からずただただ時間に追われつづけ、心に何のゆとりもなく慌しい毎日を繰り返し生きているだけなのです。

こういう家族であり、こういう社会であり、こういう世の中では、未来がよくなるはずはないのです。

神のような慈しみ深い、愛ある人間が育つわけがないのです。

自分だけが幸せであればいい、自分だけが豊かで成功すればいい、自分だけが繁栄すればいいという世界観に自ずとなっていってしまうわけです。

ですから忙しい時こそ、自分自身と対話しなければならない。 

忙しければ忙しいほど、一日一回でもよい。 一日に十分でもいい、三十分でもいい、静かに座り瞑想し、神に心を向けて祈らなければならない。

どんな人も、自分はなぜここに存在しているのか、何のために生きているのか、何をしなければならないのか、一番大事なことは何なのか、それを絶えず心に刻んでおかなければ自分自身を見失っていくことになるのです。



世界平和の祈り

何か人類のために役に立っていきたい、人類のために自分を捧げたいという心はどんな人間にも潜んでいるのです。

たとえどんな殺人者、どんな悪魔のような心を持つ人でも心の奥にはそういう人類愛的な心を持って生まれてきているのです。

みんな神の子として生まれてきているわけですから、本来みんな素晴らしく輝いて、自分自身を磨き神の姿に近づけて生きていくことはできるのです。

けれどもそのようにできる人とできない人との差があまりにも激し過ぎる。

できる人がほんの少数であとは殆どできない。 多くの人が生まれてから死ぬまで、人生の目的が何であるかを一回も考えてみたことがないという人もいます。

それが現実なのです。

昔の人達のほうがはるかに、人間は何のために生きていくのか、何のために自分は生まれてきたのかと疑問を持ち、哲学書を読み漁ったり、宗教に心を向けて自分自身の存在価値を確かめていました。

けれども現代においては哲学書をひもとく暇もないというのに、それに反比例してかつてないほど新興宗教が流行っているのです。

それも生まれてきた存在価値を解くために宗教に心を向けるのではなく、いかにして早く容易に成功を自分の手に入れられるか、いかにしたら苦しまず悩まず、うまくやっていかれるかと、この世の生き方の方便を宗教の門をくぐる人がたくさんいるのです。

現代を輝かしく生きていくためにはやはり、子供の頃から死ぬ瞬間まで何らかの祈りを捧げなければいけないのです。 何の祈りでもいいのです。

それぞれ自分の心の波長と合った祈りをすべきなのです。

私はここで絶対に五井先生が提唱された “世界人類が平和でありますように” という祈りをしなさいということは言いません。

人それぞれ何の祈りでもよいと、私は思っております。

けれども世界平和の祈りというのは、一番わかり易く一番神様と一直線に結ばれる祈りとして、この世に現われて出たものなのです。

ですから私個人としましては、“世界人類が平和でありますように” という祈りは、どんな祈りにもまして素晴らしい祈りであるという確信は持っております。

人々の雑然とした心の中に “世界人類が平和でありますように” というこの祈りの響きが入った時に、自分のことのみに把われていた小さな人間観が崩れ去ります。

この祈り言を唱えた瞬間はその把われから自分を放つ瞬間でもあるわけです。

今までは自分のことのみ、自分の欲望のみ、自分の家族のみに時間を使い、自分のエネルギーを使い果たしていた、その中に、この祈り言が刻み込まれた瞬間、自分は人類のために平和を祈っている公の自分に転換するのです。


人類のために奉仕するとは


人間は “世界人類が平和でありますように” と祈る以外でも、一つ一つ自分の生かされていることに感謝して生きていかなければならないのです。

人類のために奉仕することは大きなことをすることではないのです。

何億円を寄付することでもなければ、大成功を収めてそれを人類に還元することでもないのです。

日常生活の小さな小さな取るに足らない出来事を、繰り返し繰り返し感謝で受け止めていくことが人類のために役立つことなのです。

日常生活の中において、慈しみ、愛、思いやりや感謝の心を日々瞬々忘れずに、どんな些細なっことでも感謝の心で受け止めてゆくことです。

どんな人の言葉、たとえ子供の訴えであっても、それを叱るのではなく、思いやりに満ちた優しい愛の言葉で返してあげることです。

夫から罵られたその瞬間、それを愛で受け止めて優しい言葉で夫に返してあげる。

友人知人が自分に向けた嫉妬の言葉、非難の言葉を、そういう非難、差別を持って生きていかなければならない彼らの心の哀れさ、その言葉を受ける自分よりも却ってそういうふうに思わなければならない彼らの苦しみを思って、優しい言葉で返してあげる。

そして彼らのそういう暗黒的な、マイナスの心を、“世界人類が平和でありますように” という祈りで消してあげる。

彼らを愛の光りで、神の光りで包んであげる。

そうすることが人間として一番大事なことなのです。

何も有名になることが人類のために奉仕することではないのです。

偉大なことをすることが人類のために役立つことではないのです。

勿論大金持ちがお金を寄付して貧しい人々を救う、それも人類奉仕の一つですが、それは微々たるものです。

本当に人類のために役立つことは、一人一人の小さな小さな出来事から始まっていくのです。

人類の一人一人が心から感謝の心を持ってすべてを受け入れた時には、金持ちが大金をばら撒き、どんな科学をもって救うよりも、遥かにまさる人類の幸せが訪れるのです。

それは一人一人の心が神の心に変わるからです。

いくら物質的なものを与えても本当の救いにはならないのです。

一番大事なことは一人一人が自分の生き方に対し、自分の生活に対し、それを心から感謝で受け止めていくことです。

それができれば、あなたが生まれてきた今生の意義 ━ 何のために生まれてきて、何のために死んでいくか、何のための人生かがはっきりとわかるはずです。

日頃の小さな取るに足らない事柄に対して何でも感謝でき、すべてを感謝で受け止めていく。そういう愛の心を響かせていく、それが最大の生き方です。



仕事の前に、祈りと感謝を! 


ですからますます忙しくなっていくこの現代社会で、祈りの時間を持ち、自分自身が毎日の出来事に対して感謝で受け止めているかどうかを知ることは大事なことなのです。

これまでいかに自分は非難に対して非難の言葉を返してきたか。 憎しみの言葉に対してどれほどの大きな憎しみで返していたか。 冷たい言葉に対して更に残酷な言葉で返していたか。 

感謝するどころかその倍も憎しみ怒り、不平不満を返していたか・・・・・。

それはとんでもない間違いです。

時間に追われ、時間との競争のような生き方を強いられる現代、忘れてはならないことは日々祈りの時間を持つこと、自分の心を反省する時間を持つことです。

その祈りの時間になさなければならないことは、神の子としての人間の光り輝く原点である愛、慈しみ、奉仕、感謝を認識し、それを改めて自分の心に深く刻むことです。

それによって時間をうまく使うことができるのです。

一刻も早く一瞬も早くその仕事にとりかかることによってその仕事の成功が約束されるわけではないのです。

仕事に取りかかる前に、この仕事がうまくいきますように、この仕事を通して人類が平和へと転換されますように、自分がこの仕事に全エネルギーを注げますようにと、ただそれだけを祈る。

その仕事を与えられたことを神に感謝する。 その仕事に自分を使っていただけることに感謝する。

その感謝の心を植えつける祈りを捧げることによって、五分、十分と仕事にとりかかるのが遅れたとしても、先に始めた人以上の素晴らしい成果を、しかも短い時間で成し遂げることができるのです。

なぜならば、その仕事に必要な素晴らしいエネルギーが迸(ほとばし)り出るからです。

ただ時間に追われ仕事をする人と比べれば、祈った人の仕事というものは、どれだけ濃縮され、どれだけ成果が上がり、どれだけ自分もまた周りも素晴らしい仕事ぶりを見せるか、格段の違いが出てくるものなのです。




『光明思想に徹しよう』 西園寺昌美 白光出版



 

 

富士宣言(世界中に広めてください)

 
■富士宣言

  

神聖なる精神の復活とすべての生命が
一つにつながる文明へ向けて

地球人類の文明は新たな進化の段階を迎えつつある。様々な危機的状況により、世界中で混乱や不安が絶えない今、私たちは考え方や生き方の根本的な変革を迫られている。

絶滅に向けて危機の深みに陥ってゆくのか、それともすべてのものが生かされる尊厳ある世界を切り開いてゆくのか、今こそ一人一人の選択と決断に委ねられている。

これまで人類は、主として唯物的な意識に導かれてきた。欠乏を恐れ、必要以上に物質を求めて奪い合い、地球の自然資源を枯渇させてきた。このまま人間の願望が有限な物質の追求にのみ向けられ続けたならば、世界が破滅に至ることは不可避である。

<人間の本質とは何なのか>

人類が賢明な選択によって明るい未来へと方向転換するには、生命に関する根本的な問題に立ち返らなければならない。一人一人が真剣に人間の本質を問い、明確な答えを見出さなければならない。

世界の偉大な宗教や思想は、私たちの生命が宇宙の源と密接につながっていることを語り継いできた。最先端の物理科学と生命科学においても、この古くからの洞察が見直されつつある。

人は自らの生命と自然や宇宙とのつながりを再発見することにより、多様性を持ちながらすべてが統一と調和へと向かう宇宙の流れに沿った生き方が可能となる。

神聖なる精神を呼び覚まし、自らに内在する愛、思いやり、英知、喜びといった善なる心を顕現し、輝かしい生き方ができるのである。今こそ、一人一人が魂の中の神聖なる生命を復活させる時である。

<私たちが存在する目的は何なのか>

私たちは地球人類にとって重大な移行期に生を受け、平和に向けて大きく前進する可能性を与えられている。この地上に真の平和を築くことこそ、私たちすべての人間の究極の目的である。そしてそれは個々人の生き方、あり方を通して達成できるのである。

自らの責任において意識的に生きることにより、人は誰でも生まれ持った自由と能力を使い、自分の運命と世界の未来を創り上げることができるのである。

私たちが成すべきことは、人間の精神の持つ力を最大限に発揮し、人類家族と地上のすべての生命のために奉仕する、思いやりと尊厳ある世界を共に創ることである。
 

<新しい文明に向けて>

科学者、芸術家、政治家、実業家など、様々な分野の人々が今こそ力を合わせ、歴史的な転換を引き起こすための確固たる基礎を築くことが急務である。

あらゆる人々が勇気ある先駆者となり、個人・文化・国家の利害や専門分野の枠をこえ、全人類のためにその英知と魂と意思を結集すべき時が来たのである。

そうすることにより、今日の持続不可能な世界を支配している固定観念や時代遅れな行動様式を覆し、未来世代のために調和と繁栄の文明を設計することができるのである。

<新しい文明のパラダイム>

新しい文明のパラダイムとなるのは、すべては多様性の中で一つにつながっているという価値観である。

身体の無数の細胞や器官が相互につながり、調和して働くことにより生命を維持しているように、生あるものはすべて地球が奏でる生命交響曲の本質的な一部である。宇宙は多様性と統一性を併せ持ちながら生きているのである。

私たちはその一部であることをはっきり認識して、人間同士、そして自然との共創的なつながりの中で進化を遂げてゆくのである。

<一人一人の宣言>

私たちは未来世代に対して、責任ある個として、

・人間の本質である神聖なる精神と善なる心を復活させ、自らの上に顕現すること。

・地球上に真の平和を築くという人類共通の使命を、自らの生き方と行動を通して果たしてゆくこと。

・生きとし生けるものは多様でありながら一つにつながっていることを認識し、すべての生命を尊重しいきいきと活かすこと。

・人間の精神の限りない創造性を発揮し、経済、科学、医療、政治、教育、宗教、芸術、メディア等あらゆる分野に必要な変容をもたらすために尽力すること。

・調和した精神文明を実現するために、一人一人が内在する素晴らしさを顕現し、人類の進化に向けた大きな一歩を共に踏み出すことを、
ここに宣言するものである。

※『「富士宣言」事務局からのお知らせ』を、ご紹介いたします。

http://us9.campaign-archive2.com/…

『富士宣言』の全文(PDF)などのダウンロードができます。

http://fujideclaration.org/ja/spread-the-word/

五井先生のお言葉


  

  
1.「私たちの使命は祈りの使命です。それぞれが世界人類の平和を祈ることによって光の柱となり、天と地をつなぐ使命を持っているのです。現世の仕事は第二で、まず第一は祈りです」とある講師の質問に先生は答えられていた。
 
2.仕事がある時は一生懸命にやり 仕事がない時はのんびりとゆったりとして 金がなくとも 米がなくとも すべてを天に任せて悠々と生きたいものである。
 
3.えらいとほめて認めてくれるのは他人。うまいですね、といってくれるのも他人。
 
4.あせるのは我(が)があるからだ。すべては神がなさっているのである。なすべきことは、なすべき時にするようになっている。神様にすべてをまかせて、今、与えられている仕事をしていればよい。

5.高慢とか怒りとか恨みとかいう業(ごう)に対抗してはいけない。それらを祈りの中に昇華せしめつつ人に対せよ。
 
6.「私は霊体で、霊身で生きているのだ」と思い込むといいね、とおっしゃったことがある。



  

感想・・・1.もちろん今の仕事も大切です。しかし仕事よりも自分はなんのために生まれてきたのか? どういう生き方をするべきなのか? 自分のミッション(天命)は何なのか?のほうがずっとずーっと大切なのです。 自分の仕事は天命の中に含まれます。 私たちは祈るために生まれて来た。死んでからあの世に行っても、未来永劫永遠に祈り続けるのです。

2.食べてゆくため、肉体生活を維持するための仕事?は「鼻歌を歌いながら楽々とこなしてゆく」、そんな時代がもうすぐやって来ます。
 

3.「自分は偉い!」と思った瞬間、地獄へ落ちているのです。
 

4.現われて来る現象を自分の「我」で思い通りにコントロールしようとすると必ず失敗する。 それは本心、守護霊さんの思いと違うからだ、自分の「我」(欲望)でうまくいくことなんて一つもないのです。
 

5.高慢な自分も消えてゆく姿で祈りの中に投入してしまいましょう。守護霊さんが消してくださいます。

6.自分の肉体が無くなって、光の波動体、エネルギー体だけで生きていると思うと(透明人間みたいですが)、自分を客観的に観ることができます。意識の次元が上がるのです。

  
  

脳裏に浮かぶマイナスの想いをつかまず祈りで光りに変えれば、プラスが現われる

 
    

病気になる、貧乏になる、ということは過去世の業の想いがなるのです。

その過去世の業因縁が現われて消えてゆくのです。

恐怖心が毒素になりはしないか、不幸の種になりはしないか、という想いも、業で、消えてゆく姿なのです。

いろいろな形でもって、神様が消してゆくのです。

病気になった、過去世の因縁が消えてゆく姿だ。 貧乏になった、ああこれは過去世の因縁が消えてゆく姿なんだ。 怪我をした、それは大きなものが出てくるのを、小さく消してくださったんだ、というふうに思う。

思いながら、いや、しかしまたなりゃしないか、また今度はひどくなりゃしないか、とこう思う。

消えても消えても出てくるんじゃないかなあ、なんて思う。

いつになったら善くなるんだろう、とこう思う。これは恐怖の想いでしょ。その恐怖の想いも出てきたら、それも消えてゆく姿なんです。

何が出てきても、自分の神性、完全円満性を否定する想いは全部消えてゆく姿なのです。

高慢の想いも消えてゆく姿でして、卑下慢、卑下して自分はだめだと思う想いも消えてゆく姿、みんな消えてゆく姿でして、消してくれるのは誰かというと、守護霊守護神さんです。

守護霊守護神さんがそういう想いを幽体からみんな消してくれているんだから、ああ守護霊さん守護神さん有難うございます。と思いなさい。

それで、世界人類が平和でありますように、と祈りが始まってもいいのです。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます
 

*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。
  

感想・・・今、私の周辺では、消えてゆく姿が溢れています。父の入院、母の痴呆症、義理母の緊急入院、友人の糖尿病による手術、・・・しかし不思議なことにどれも大難が小難で済んだり、「災い転じて福となす」になっているのです。

奈良の山奥に住む義理母は、義理兄が台風のときに無謀にも買い物に出掛け、土砂崩れに遭って車の前後が土砂で封鎖されて、身動きがとれず、一晩車の中で過ごすことになったのです。
母は心配のあまり腸炎を起こし、激痛で救急車で病院に運ばれました。(つくづく病は気からだと思います)

その病院は藪医者(ごめんなさい)で、「信頼できない」と見切った子どもたちは、しばらくして別の病院に転院させたのです。

母は以前大腸がんになっており、人工肛門になる可能性がありました。

しかし腸を休めたことで機能が回復し無事、退院することになりました。

もし最初に入院した先が、後の病院だったとしたらかなり酷い状態だったので「すぐに手術していただろう」と言われたのです。

「藪医者で良かった」というのはおかしな話ですが、「守護霊さんに守られた」としか考えられません。

目の前に起こる現象は、どれもこれもどんなこともみんな良くなるためのプロセスとして起こっているのです。
神様以外のものは、すべて消えてゆく
そして、残るのは神様のご愛念、愛だけです。か~あ み~い

世界平和の祈りを祈ると光が入り、闇が消え、早く善いことが起こるのです。

そして守護霊さまのご加護を受けやすくなり、直観力が冴え、最適な判断が出来るようになります。

補足・・・祈っていない人でも身近に祈っている人がいるとその光を浴びて直観力(神智・インスピレーション)や判断力が増し、大難を免れることがあります。祈りの威力、影響力は凄まじいのです。

2017年11月16日 (木)

クエン酸、重曹で健康になりましょう♪

 

私は健康維持のためにクエン酸、重曹を飲んでいます。

腸が炎症を起しやすい体質(潰瘍性大腸炎)なので、胃腸を丈夫にする必要があるのです。

腸にはほんとうの脳があるといわれ、私たちは頭(脳)でものを考えると思っていますが、実は違っていたのです。

だからストレスを溜めると胃や腸に負担がかかるのです。

胃腸は食べたものを分解し、血管を通して血流となり60兆の細胞にエネルギーを届けます。

非常に重要な働きをしてくれているのです。

私は毎朝、朝食の前にクエン酸、重曹(食用)をスプーン半分ずつコップ一杯の水に溶かして飲んでいます。

2つ合わせると化学反応で炭酸水になり、シュワシュワ感がまるで水にパワーを与えているように感じます。

「これが身体を掃除し、元気にしてくれるんだ」と思うのです。

同じ気功仲間の人が感想を述べてくれました。

クエン酸、重曹(どちらも食用を買ってください)どちらもとても安価です。

700円くらいで、半年分以上あります。



こんにちは、私もそんなに言える事はないのですが、ランニングをしてるので疲労回復としてクエン酸を飲んでます。

走る前に飲むのと飲まないのとでは全然違いますね。

運動する人は摂取してる人多いです。

スポーツドリンクにも入ってるのですが、これは糖分が多くて気分悪くなることもあるんですよね💦

若い人でもスポドリ飲み過ぎて糖尿病になる人もいるそうで…それに重曹を混ぜると炭酸水になり飲みやすく、これも疲労回復の効果があるそうです。

重曹は胃部不快等の医薬品として販売してるので、胃が弱かった私には効いてるのか胃の不調は殆どなくなりました。

あとクエン酸はリンスとしても使ってます。

自分で作る人もいますが私は市販のを使ってます。

年々毛が細くなってたのが太く丈夫になりました。

他にも血流改善や痛風や喉にはうがいがいいとか、美肌効果など色々あるようですね。

個人的には血流改善もあるような気がします。

なので朝と寝る前には必ず飲み、朝食は食べないので、これと足りない時は他の水分摂取だけで十分活動できます。

最初は何の効果も期待してなかったけど飲んでるうちに変化を感じることができました。

いろんな効果があるという反面、反対に効果ないという意見もあるようです。

でも私は体が欲するので効果あるのではと思っています。

 

追伸・・・クエン酸、重曹の他にハタ乳酸菌を加えるととても飲みやすくなり健康効果も増します。 癖になるほど美味しくなります(笑)


しかしちょっと高価なので、余裕のある方はお試しください。



 

 

2017年11月15日 (水)

人間は崇高なる存在

 
 

【人間は崇高なる存在】


人間が本当に識らなければならないことは、自分の本性に対して畏敬の念をもたねばならない、そのことなのであります。

人間は決して弱きものでもなく、不完全なるものでもありません。

人間は完全にして完璧なものであるという認識をもって、自分自身を見つめ直していかなければなりません。

初めから自分自身に対して畏敬の念をもって接するのです。

自分の中にいかなる不完全さが存在しようと決してそれを認めず、自らの本性、輝いた神そのものを認識し見つめてゆくべきものなのです。

人間の多くは、業生のみの己を見つめ、決して本心の自分、輝いた自分、神そのものの自分、完全円満なる自分を認識する眼をもってはいません。

まず自分自身を尊敬し、愛し、そして自分自身を畏敬の念をもって認めてゆくことから始めるのです。

“我即神也” このたった4文字の中にすべての真理が含まれ、人間そのものが言い尽くされているのであります。

自分が神なら “人類即神也”、人もまた神です。

人間即神そのものなのです。

自分自身に畏敬の念をもって接すると同時に、すべての人間に対して畏敬の念をもって接していかなければならないのです。

人間そのものは、宇宙の神性の現われであり、宇宙神の働きを現わすために存在しているのです。

宇宙と地球の大調和のため、大進化のための素晴らしい働きを担っているのです。

人間本来、誰もが持っている直観力をますます磨き高め上げ、宇宙の神霊と交流しつつ自らの意識を高め、宇宙神そのものの存在を自らの上に完全に開示していかなければならないのです。

直観力は、知識や学問からはなかなか得られるものではありません。

直観力は、宇宙意識に自らを託すことによって得られてゆくものです。・・・・・・・・・・・・・

  


感想・・・・・真理の文章はこの後も続いてゆくのですが、私たちは人との接し方の前に自分自身との接し方が判っていないのです。

それは自分が何者なのかが全くわかっていないからです。

自分とはダメな奴なのか、馬鹿なのか? それとも上記の文章にあるように、崇高なる存在なのか?その答えを頭でちまちま考えている暇も時間もないのです(笑)

今、多くの人が、「自分って素晴らしい、そして人ってとんでもなく凄い英知が宿っているのではないか?」と気づき出しているのです。

後もう一歩です。 ほんとうの自分、ほんとうのその人がわかるところまで来ているのです。

そう思っているときに、この本(「次元上昇」西園寺昌美著)に出会いました。

みなさんも是非、ほんとうの自分に気づいてください。出会ってください。



追伸・・・・自分の本性に気づき始めたときに「我即神也」の印を組むのです。 この印は宇宙根源に通じる方法であり、自分の内在する無限なる愛、叡知、能力が発揮されてきます。 自分の本心を開き、自分を神にまで高めあげるための方法、手段となるのです。


『無限なる癒し』 于 寿明著 星湖舎

『無限次元への誘い』 于 寿明著 星湖舎

『無限なる幸せを体得する方法』 于 寿明著 星湖舎

『無限なる勇気』 于 寿明著 星湖舎

これらの本には、印の組み方(人類即神也も)が紹介されています。

調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/



  

 

2017年11月14日 (火)

2人の糖尿病患者

 

私の友人2人がほぼ同時に糖尿病の診断を受け、なんと同じ病院に入院することになったのです。

一人は深刻で足にばい菌が入り、足の一部が壊死しているそうです。

明日の15日に手術をし、悪い部分を切り取り(そぎ落とし)、再生されない肉は、移植をするのだそうです。

もう一人は疲れやすかったり目の毛細血管が破裂し眼底出血したため調べてみるとボーダーライン擦れ擦れだったので、体質改善目的で入院しています。

2人は仲良しでよく一緒に食事に行くのですが、共に大食漢で明らかにメタボです。

脂物大好き、甘いもの大好き、炭水化物大好きで病気になっていないのが不思議なくらいでした。

しかし現実に酷い目に遭わないと人間は目を覚ましません。

2人を訪ねてみると驚いたことに完全に「健康オタク」になっていました(笑)。

「ラーメンは汁は飲んでもいいが麺は残す」 「清涼飲料水は止めて、炭酸水にする」 「コーヒーには砂糖を入れない」 「食べる順番はキャベツからにする」 「電車に乗らず一駅歩く」・・・・・こんな会話は1カ月前には聞いたこともありませんでした(笑)。

それも真剣に話をしているのです。

完全に意識が変っています。

「これから先の人生を健康でいたい」という気持ちが伝わってきました。

この2人はおそらく今後、外食は極力控えるでしょう。

スナックお菓子(ジャンクフード)は食べなくなるでしょう。

この2人だけでなくたくさんの人が食生活を見直してゆくと大げさではなく、今、スーパー、コンビニで売られている食品の9割は淘汰されます。 無くなります。

食文化は明らかに変ります。 ゆえに日本国民、世界人類(外国のほうが健康に対してナーバスです)は健康体になっていきます。 私はこの2人から日本の将来を垣間見たのです。 


『災い転じて福と為す』 ・・・・・。

 

自分にとって嫌なこと、辛いこと、都合の悪いことはすべて大切なこと(真理)に気づくためのお知らせだった。

お知らせに気づき、正しく対処すれば早く消えてゆくのです。

消えずにまだ残ったままだとしたら、それは時を待つか、まだ学びがあるのです。


消えてゆく姿はこれから益々増えてゆきます。

いろんな消えてゆく姿があります。

神様は神の子である私たちを決して不幸にはしない、と信じることが大切です。

そして

私たちは冷静に現われるマイナスの現象(ほんとうはマイナスは無い、プラスから出たマイナス)に対し、正しい知識と行動で対処し、体験、経験をプラスに捉え、真っ直ぐに天と繋がってゆくことが大切です。

 

なぜならば、天(宇宙、神界、本心)と繋がることが、人間が生まれて来た共通の天命(ミッション)だからです。

 


天と繋がるために、ほんとうの幸せを摑ませるために、守護霊さん守護神さんはあらゆる手段を使って導いてくださるのです。



追伸・・・・この2人はまだ究極の真理(我即神也・人類即神也)を知るには至っていません。 
しかし守護霊さん守護神さんのご加護によって確実に近づいています。 

〇〇さんの天命がまっとうされますように 

〇〇さんの守護霊さま守護神さまありがとうございます。
 

   

 

 

 

2017年11月12日 (日)

近未来に、病気は無くなる




父の病気、母の痴呆症、義理母の入院、友人の糖尿病(入院)、同じく友人の原因不明の入院等、今私の周りでは堰を切ったように病人が蔓延しています。

しかし実際に病院を訪れると意外と患者さんは少なく、病室を覗くと空いているベットも目立ちます。

これから医学界は患者の取り合いが始まり(もう始まっていますが)、余程特化した治療、
患者側に立った儲けを度外視したような治療等をしないと生き残っていけないのです。

と言いますのは、人は次々にほんとうの健康を手に入れるようになり、近未来、薬要らず、医者要らずになります。

かつて病院だった廃墟があちこちで見られるようになるのです。 ドラッグストアなども同じです。

なぜそうなるかといいますと、人間の本質は肉体(物質)ではなく、エネルギー体であることに気づくからです。

身体の中を網羅している血管の中の血流が気、エネルギーです。

健康とは、この血流が綺麗な川の流れのようにサラサラとスムーズに流れている姿なのです。

それを邪魔しているのは、精神(心)の病と食物からくる病です。(心の病については又後日述べます)

目にみえないエネルギーと目に見える物質エネルギーの調和が取れたとき、人間は本来の姿を取り戻すのです。

血管を丈夫にする血流を良くすることの大切さはかなり知られるようになってきました。

そこで血流を良くすることで病気が改善されるという(治るとは言いません)画期的?な本をご紹介します。




『歯は一日で治る』 谷口 清 自分の歯を守る脅威の根幹治療法 指の腹で歯茎をマッサージこれがほんとの手入れ、手当てなのです

『目は一分でよくなる!』 今野 清 目の周りの毛細血管を指の腹でタッピングする

『耳は一分でよくなる!』 今野 清 耳をよくするには、腸をよくしろ!



自分の身体のことは自分が一番良く知っている、自分が一番の名医である、どこかで聞いたことのある名言ですが、自分の身体の不調和は治せるのです。 自分が病気を作ったということは、自分で治せるということです。なぜならば人間は創造主(神)だからです。

 追加で、是非お薦めしたい本があります。
 

『病気にならない生き方』 新谷弘実 私にとって健康のバイブルです

『体が若くなる技術』 太田 成男 体のエネルギーについて書かれています

『水素水とサビない身体』 太田成男 これから水素ガス、水素水、水素風呂などが病気を無くしていきます

お相撲さんの『腰割り』トレーニングに隠されたすごい秘密 一ノ矢 間違ったスクワット(運動)はかえって膝、腰を痛めます、なぜお相撲さんはケガをしないのか?


  
          
    
    

2017年11月11日 (土)

お母さんに愛された男の子、30代半ばで右目を突然、失明

 

Cさん(女性)は、一人息子のD君をとてもかわいがっていました。 D君は食欲が旺盛で、ご飯を何杯もおかわりすることもあります。 CさんはD君がうれしそうに食事するのを見るのが幸せでした。 

小学校4年生のときにD君は肥満体質と健康診断で指摘されましたが、好きなご飯やお菓子を欲しがると与えていました。 お腹を空かせるのがかわいそうだし、血色もよく健康そうだったからです。

その後、D君は成長しましたが、35歳のときに突然、網膜症に侵され、右目を失明してしまいました。

・・・・・・・・・・・・

食生活が豊かになってから、子どもの糖尿病が増えています。 遺伝的に糖尿病にかかりやすい子どもはいますが、その原因のほとんどは、親が甘やかして食べ過ぎを放任することです。

子どもが糖尿病になるとその進行は早いといわれます。 D君のような肥満児は、体育が嫌いで運動不足になることも進行に拍車をかけます。

糖尿病網膜症は、典型的な糖尿病の合併症です。 かわいがるのと甘やかすのは別です。

子どもの将来を考えて、きちんと指導することが大切です。

 

日常生活のちょっとした工夫で 『血圧、血糖値が下がる!』 板倉 弘重監修


感想・・・炭酸飲料は角砂糖10個、インスタントラーメンもほぼ同数が含まれ、朝はパン、昼はラーメン、夜は白ご飯をあたり前のように食べていると角砂糖60~70個の糖質を摂ることになると聞いたことがあります。 

これでメタボ(糖尿病)にならないほうがおかしいですね。 それよりもなによりも未来のある子どもが糖尿病になり、失明することは絶対に止めなければなりません。

そのためには親が正しい知識を得ることが大切です。 今は間違った情報もありますが、正しい情報ももちろんあります。

「知らなかった」では、済まされないと思います。



    

人間は血管とともに老いる

  
  
 
人生が長くなり、老後の生活が重要になってきました。

いつまでも元気に人生を楽しめるのか、要介護になって家族に迷惑をかけるのか。

老後の過ごし方によって、その人の評価が決まるといっても過言ではありません。

生活習慣病の合併症は、がんに次いで日本人の死亡原因の第2位ですが、要介護になる原因ではダントツのトップです。

しかも、がんはある意味、防ぐこと難しい不運な病気ですが、生活習慣病は自分自身の心がけひとつでストップをかけることができます。

ぜひ、脱・生活習慣病を実践してください。

生活習慣病を正しく理解するためには、それが血管の病気だと認識することです。

脳梗塞・脳出血は脳の病気、心筋梗塞・心不全は心臓の病気だと、誤った理解をしている人がたくさんいます。

生活習慣病は、高血圧、高血糖、脂質異常によって血管が痛み、その結果、血管がたくさん集まる脳や心臓に障害が発生する病気です。

もちろん、血管もほかの臓器と同じように自然に老化していきますが、大切に使えば120年は持つといわれています。

ところが、ぞんざいに扱うと脆く、痛みやすい一面を持っています。

人間は血管とともに老いる、という有名な言葉があります。

血管の老化が早く進めば、人生も早く終ります。

血管をいたわって、大切にしましょう。

それが残りの人生を明るく楽しむ秘訣です。 



2014年11月 板倉弘重


日常生活のちょっとした工夫で 『血圧、血糖値は下がる!』




感想・・・上記の文章は、今読んでいる、日常生活のちょっとした工夫で 『血圧、血糖値は下がる!』 の著者の冒頭の挨拶文ですが、私が実践している調和波動気功法においても血管は非常に大切な要素です。

と言いますのは、気、エネルギーは血管の中を通っているからです。

いつも申しておりますように、宇宙からの霊要素(気・エネルギー)は頭のてっぺんの百会(ひゃくえ)に入り、血管の中を通って60兆の細胞に活力を与えて足の裏(湧泉)から地球の中心へと流れてゆくのです。

人間の本体は天と地を貫く光りの波動体なので、この縦の流れが滞ったときに病気のような症状になるのです。(まさしく気が病んだ状態が病気です)

昨年、私が気功をしているのに病気になってしまったのは、明らかに生活習慣病、すなわち血管・血流が原因だったのです。

から揚げ大好き、清涼飲料水大好き、炭水化物も大好き、血管の中はドロドロになっていました。

これではいくら気功で血管の中の血流をスムーズの流そうとしても限界、無理があったのです。

これから人間がほんとうの健康を手に入れるには、生活習慣病の改善と、『世界平和の祈り』・印による宇宙エネルギー(霊要素)を流すこととの併用だと思います。

目に見えること(3次元)、目にみえないエネルギー、この2つの調和が取れてこそ健康も平和も調(整)ってゆくのです。

この本は、コンビニにも売られていたそうなのですが、非常に的を得た、大切なことが簡潔に書かれています。

ご興味のある方は是非、紐解いてみてください。

 

 

ご紹介した本の内容(イメージしなければ何も生まれない)





1.『想いをカタチに変えよ』 渡邉 美樹著 PHP


「君の周りを見てごらん。神様がつくったもの以外、すべて誰かがイメージしたものばかりなんだよ。 イメージしなくちゃ、形はつくれないんだよ。 『イメージの力』 こそ、神様が人間に与えてくれた最大の能力なんだよ。だから自分の将来をイメージしようよ。 こんなふうになりたいって。 夢を持とうよ。 夢のない人生なんてつまらないよ」
 

 

2.『果因説』 西園寺昌美 白光出版
 

因果律と果因説の違い


過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か

 

次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを持って)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

 

    
3.『宇宙が味方する経営』 伊藤忠彦 元関西アーバン銀行頭取 講談社インターナショナル
 

ほとんどの人たちは、目の前に存在する形のあるものにこだわり過ぎているのです。

しかし、本当に大切なのは、目前に存在するものではありません。 

その背後にあるものなのです。

私はけっして休日返上でがむしゃらに仕事をしたわけでもなく、やたらと厳しく部下を怒鳴りつけたこともありません。

私の仕事ぶりを少しでも知る人は、なぜあんなひょうひょうとしたやり方で業績が上がるのかと不思議がるほどです。

長く続いた不況の中、経営立て直しに奔走した企業は、それこそ山ほどあったことでしょう。

でも、仕事の鬼に徹したからといって、奮闘努力したからといって、成果が上がるとは限らないのです。

 
 

イメージしなければなにも生まれない

私事ですが、私の父が手術後のリハビリのため入院をしているのですが、何の為に入院しているのか?その目的をイマイチ自覚をしておらずモチベーション(目的意識を植え付ける)を上げるのに苦慮しています。

ところで、肉体人間は足から弱っていきます。

それはマイナスのエネルギーが下に漂っているからです。

マイナスのエネルギーとは人の想いです。 想いは重いので上(天)に上がらず下のほうを漂い、溜まっているのです。

昔から悪い世界を出ることを「足を洗う」、悪事がばれることを「足が付く」と言いますが、昔の人はこのことを知っていたのです。

私は父に会うたびに「人間の足は鍛えれば鍛えるほど強くなる」「足が丈夫になれば旅行や行きたいところへ自分の足で行ける」「今ここでリハビリをしているのは将来、寝たきりや車椅子生活にならないためでしょ」と目的を持ち、近未来の自分の姿をイメージするように言い聞かせているのです。

するとなりたい自分になるために少しでも「頑張ってやろう」と思うのです。

「リハビリしなさい」「寝たきりになるよ」とだけを言ってはダメです。

元気になった姿をイメージさせることが大切です。

人間は創造主(神)なので、イメージ(想像)したことは創造される、現実のものとなるからです。

強くイメージ出来ると、自分が今することとはなにかが見えてきます、それがリハビリをコツコツとやるということです。

リハビリの療養士の人に頼ってその時だけやっているだけではほんもの?ではありません。

時間はいくらでもあります。 イメージして病院の中でもいくらでも自主練習は出来ます。

私は父のその姿をイメージしているのです(笑)

 

お薦め図書 

「想いをカタチに変えよ」 渡邉美樹

「果因説」 西園寺昌美 白光出版

「宇宙が味方する経営」 伊藤忠彦

 

 

2017年11月10日 (金)

知識がたくさんあってもそれを生かさなければ意味がない

   

1.知識はあくまでも知識だ。 いくら知識を人よりもたくさん蓄えたとしても、それを身に修め、自分自身の人格や行いに現わしてゆかなければ、何ら意味がない。

只の肥満児と同じことだ。 肥満児がたくさん食べて食べて食べまくっても、それを完全に自分自身で消化し切れなかったならば、食べた分だけ全く無駄になる。 食べた分だけ輝くような健康体と美しいプロポーションにエネルギーを変えていかなければ、不完全燃焼に終ってしまう。

肉のかたまりや脂肪のかたまりが身体のあちこちにつき、醜い身体と化してしまう。

知識もそれと全く同じで、スマートにこなしてゆかないと、知識のみを鼻にかけた醜い人物に化してしまう。


 
2.私のライフワークは、この世に生きている人々に対して、「生きる」 ということは希望であり、喜びであり、栄光であって、決して悲しみや苦しみや憤りではない、ということを知らせることにある。

昨日いかなる苦悩があったにせよ、それはもう過ぎ去ってしまったことなのだ、それは明日を迎える希望の夜明けなのだ、ということを知らせることにある。

 

『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版


感想・・・・1.たくさんの本が書店に並び、インターネットで何でも調べられるのに、私たちはそれらの恩恵を十分に受け、また活かしているだろうか?

かえって間違った知識が邪魔をしてうまくいくものもいかなくしてしてしまっているような気がします。

私はある人から、「これは自分にとって必要な本だと思ったら、7回以上読みなさい」と言われました。

それくらい読んでやっと気づきが生まれ、身に付くのです。

そういえば、食物も 「20~30回噛んでゆっくり食べなさい」 と言いますね、 同じだと思います。



2.お金に余裕がある人でも「生きる希望」つまり目標を持って生きていない人は、ただお金を使って生きながらえているだけであり、死んだも同然です。

一方、人のために生きている人は光り輝いているのです。

人の為って偽りだという人がいますが、相手の感情(表面的な上っ面の喜び)を喜ばせるのではなく、魂、本心を喜ばせることがほんとうの愛であり、他人も神(人即神也)なので、人の魂を喜ばせること、神聖を輝かせる手助けをすることは最高の徳なのです。

私にとってのライフワークとは、昌美先生と全く同じなのだと気づきました。

 


 

2017年11月 8日 (水)

運命を恐れるな(悪や不幸を超える生活)


  

運命を変えるのに一番良い方法は、ほんとうの自分を知ることである、と五井先生は述べておられます。

自分(人間)は神である、神とは完全であり、あらゆる英知が宿っている、そして天と地を貫く光りの波動体になれば、エネルギーは調って、やがて目に見える3次元も整ってくるのだ、ということです。

私たちは、善と悪、好きと嫌い、男と女・・・・どうしてもどちらかに分けようとします。 別のものと区別しようとします。

しかしこれらのものは表裏一体同じものであるとわかります。


 

『光明を見失わない心の用意』
 

人間個人の環境にしても、体が不具であったり弱かったり、あるいは貧乏な家庭に生まれたり、というように悪条件の環境に生まれ育っている人々も随分あるわけなのですが、この悪条件というものが、どうにもこうにも、如何なる時間をかけ、どのような方法を取っても、超え得ることができない、というような悪条件というものはそんなに数多くあるものではありません。

絶対に無いともいえるのです。

如何なる悪条件の中にも、その悪条件を土台にして、善なる立場に飛躍できる瞬間、チャンスというものを、神々は、あらゆる人々に与えておられるのです。

ただ、その瞬間とかチャンスとかを見出すための心の用意というものが人間には大切なのであります。

国家や人類そのものにしても、そうなのでありますが、国家や人類というものは、個人が集ってできているものなのですから、やはり、個人個人の心の用意が大事であるということになります。

私のこれから言おうとしている心の用意をさえできていれば、どのような悪条件の中にあっても、人間は光明を失うことはないし、いつかは、その悪条件を超え得て、広い深い、真善美の世界に跳躍することができるのです。

それは、あに、天才でなくとも容易に出来得るのであります。

その場を、私は常に、様々な話し方で説きつづけているわけなのです。

人間というものは全くおかしなもので、自分達が、一体どこから来て、どこへ行くのか、どんな風にして自分というものの生命が存在しているのか、自分というものは一体どんなものなのか、等など、実にわからぬことだらけの中で、自分というものを主張して生きているわけで、よくまあ、何にも知らずに生きていられるものだと、心ある人は自分自身にあきれながら生きていることでありましょう。

そんな人間たちが、自己というものを、万人が認めながら、自己という立場に立ってのお互いの幸福というものを追い求めているのですが、自己というものがあり、自己の立場というものがあるばかりに、お互いに自己を主張して、かえってなかなか自分たちの思うような安心立命した平和な生活に成り得ないでいるのです。

個人も国家もこれは同じことなのであります。

ところでこの自己というものが、果たしてどんな自己であるかといいますと、自分自身でも、まるではっきりわかっていない。

どうして生まれてきて、どうして亡くなってしまうのか、亡くなった先はどうなるのか、なんにもわかっていない自己なのであります。

そしてお互いが、そうしたわけのわからない自己や自国や自民族の自己主張をして、争い合っているわけなので、平和を欲っしながらも、いつまでたっても平和になりっこないわけなのです。

それはその筈です。 真実の自分や自分の国の使命(ミッション)がわかっていないで、どうして、他人や他国の為が計れましょうか。

暗中模索で、その場その場の利害損失で事を運んでゆくだけということになってしまうのであります。

現在の人間の大半が知っていることは、人間はオギャア、と生まれてきた赤児の時から始まった肉体人間であって、そうした肉体人間としての一生を無事に幸福に過ごせればよい、ということなのであります。

精神といっても肉体に付属した精神的な考え方をいうのであって、肉体未生以前から、肉体消滅以後までの個性ある永遠の生命としての人間を考えての精神とは、一般の人々は考えていないわけなのです。

ですから一般の人々の思想の中に流れているものは、眼に見え、手に触れ、耳に聞こえ、環境と現われてきている状態だけが主なる運命であって、五感の世界に現われていない運命というものは重点を置こうとはしないのです。



『未来の未知の足音』

ところが、五感に感じない運命の流れというか、未来の世界のさざめきといおうか、眼にも耳にも手にも触れないのだけれど、何か自分たちに迫ってくる本来の未知の足音をそれとなく大衆は感じ取っているのです。

何か判然としないけれど、肉体人間の現在の自分たちから発しているのではないが、何か自分達の運命に深い関連をもつ波動のようなものを、漠然と感じているのです。

 

それは生命の本源の世界からの響きなのか、業想念波動の流れのさざめきなのか、人類は、その両面の響きをそれとなく感じとっているのです。

 

しかし、それでいて、自分たちの行動は依然として、肉体人間としての自己に固執した生活の波を抜け出ようとはしていないのです。

 

しかし、肉体人間的自己をのみ主張していての、善悪の時代はもうすでに去りかかっているのです。

 

単なる肉体としての人間観では、自分自身も人類も滅亡する他にない、という未来の足音が、誰の心にも響いてきているのです。

 

それなのに、多くの人々は、今日までの習慣で、なんとなくそうした未来の足音から耳をそむけるようにしているのであります。

 

戦争から平和、平和から戦争へという、今日までの人類の輪廻的発展過程にいよいよ終止符を打つ、滅亡か永久平和かの最終的段階に今日の世界は到達してしまったのです。

 

ですから、個人個人の思想も、今までのような世界観から脱皮しないでは、苦しくてどうにもやりきれなくなってくるのです。

 

今日までのように、一つ一つの事柄をもってきて、自分が悪いの人が悪いの、といっていたのでは、未来の光明世界に足音を合わせていけなくなるのです。
 

『この世の善悪は完全さが現われるための光と影の交差』
 

この世に現われてきている善いとか悪いとかいう、一つ一つの現象は、それは単に、真実の人類の姿が現われてくるための光りと影の交差であって、それが固定した悪とか善とか、いうものではないのであります。

 

自分にとって昨日まで悪かった人が、何かの都合で、善く現われてこないとは限らないのです。

 

また悪くされたそのことがかえって、自分自身の発展の動機となってゆくことも多々あるので、善いとか悪いとかというのは、こちらの取り方によって、どうにでも変わってゆくのです。

 

どうせ変らせるのならすべて善いのだというほうに変らせたほうが、自分の発展にも人類の光明化にも役立つので、そうしたほうがよいのです。

 

ただそうするためには、どうしても、人間は神からきている神の分生命であって、すべては兄弟姉妹なのだ、という根本的な人間観に立たないといけないのであります。

 

神は大親様であり、人間は神の子である、人間の運命のすべては、神のみ心の現われとしてあるのであって、悪や不幸のように現われている場合でも、それはみな、より大きな広い善の立場に、その人を進化させるためのものであるというように、神の大愛を信ずるようにすることが大事なのです。 


『運命を恐れるな』 五井昌久 白光出版

 

消えてゆく姿が心の底からわかったとき、一瞬で幸せになるのです



   

【体験の捉え方】


“二つの箱の話を知っていますか? 

父親が死ぬ直前にひとり息子に二つの箱を渡しました。 一つは黒い箱、もう一つは白い箱でした。

彼の人生で辛く苦しいときに白い箱を、そして最も幸せな時に黒い箱を開けるように息子に言いました。

息子は洪水によってすべてを失くしてしまったときに、白い箱を開けました。

そこには 「いつか過ぎる」 と書いてありました。

その後、すべてを手に入れたときに彼は黒い箱を開けました。

そこには 「そしてこれもいつかは過ぎる」 と書いてありました。

永遠に続くものはありません。” 



私たちが自らの人生で体験する最高に幸せな出来事、また苦しみや困難のすべては、肉体人間として生まれたことによって味わえる特別な体験であります。

それらは本来の自分とつながるための学びや気づきであるものがほとんどです。

でも、どんな幸せも苦しみもいずれはすべて過ぎ去っていきます。

私たちはあらゆる人生体験を通して、本来の自分の姿を思いだそうとしているのです。

真実とは何か? 真の自己とは?

永遠に消えることのないものとは何か?

私たちはそれらの問いを持ちながら、肉体という衣を羽織って旅に来ているわけです。

そのプロセスがはっきりと分からなくても、確実に真の自己に近づいていると感じます。

私はある時、自分の言動行為が自分であると思い込んでいた時があります。

自分がやること、言うこと、思うことが自分であると思っていました。

だからこそ良い言動行為をしなくてはならないと思っていました。

そうでなければ愛される資格がないと思っていました。

でもその思いに反し、自分の頭の中ではあらゆる批判、文句、好き嫌いが行き交い、それらが繰り返されていました。

そのような声がどうしようもなく大きくなっていった時に、自分が自分でいることに窮屈を感じました。

なぜ自分はそんな窮屈な思いをしているのだろう?

自分の頭で鳴り響いている自他を責めるような言葉の数々ってどこから来るのだろう?と思った時、それらすべては潜在意識に溜まった過去の思い、神様と離れてしまったことによって現われ、消えてゆく姿であることに気づいたのです。

自分はそんな消えてゆく姿の自分と同一化していて、それが自分であると思い込んでいました。

人間の生命というものは長い歴史をたどっています。

時に否定的に見えるような現象も現われてきます。

その連続のように見える人もいるでしょう。

でもそれは決して自分が悪いからではないのです。

本来はいつでも自由であり、いつでも完璧であるのです。

でも、そうであると同時に、手放していかなければならない過去の消えてゆく姿があります。

それを理解し、体験していくと、自分の望まない姿が現われた時でも、素直に手放していけるようになるのです。

そして祈りの中に、感謝を込めて投げ入れていけるようになります。

真の自己には善悪もありません。 幸も不幸もありません。

ですから本来赦しも必要ないのです。

神様には赦しが必要でないように、私たちの本質も全くその通りだと思うのです。

赦していかなければならない自己というのは、我々が摑んで手放さない誤った想念、肉体に限定され固執した想念であるのです。

それがあらゆる意識の壁を作っていくのです。

私は自分の頭の中の騒音がうるさくなってきたことに気づくと、少し離れた場所から自分のことを観察することがあります。

これは本来の自分であるのか、それとも消えてゆく姿が現われているのか・・・・・それを問いながら自分の姿を客観的に見るようにしています。

すると本心と消えてゆく姿の区別がついてくるようになります。

祈りや印は自分の頭の中の騒音を静めてくれます。

自分の頭の中から何も聞こえない時間が一番自分にとって心地よく、自然であり、解放された時間になります。

あるがままに受け入れ、どんな自分の姿をも心から愛し赦すことが出来るのです。

すると自分に与えられた人生体験、そしてそれを導いてくださっている守護の神霊への感謝の気持ちだけが湧いてきます。

この世の苦しみ、この世の痛み、この世の失敗、この世の成功はすべて消えてゆくものです。

消えてゆかないのは、私たちの本質である、神そのもの、神の御心のみであるのです。

それは誰にも侵されることはないのです。・・・・・・・・・・・




                   西園寺里香さん



感想・・・・人間には本来、不幸というものは無いのですが、あるとしたのならそれは、本来の自分から離れた違う自分を摑んでいる時なのです。

恨んでいる自分、妬み嫉妬し、感情的になり、そんな自分が嫌で嫌でたまらない、しかしそれは過去世の自分が消えるために幻のように現われているだけであり、ほんとうの自分はそれを客観的に観ているのです。

肉体の自分をもう一人の自分が離れたところから観ている。

そして 「これはほんとうの自分じゃない」 とわかっている。

肉体の自分を客観視出来たとき、ステージが上がるそうです。(5次元、多次元)

そしてほんとうの幸せをつかむことが出来るのです。


     

生命よ光り輝け!

  
 
 
『内から光が出る』 


神を信じ、神を一生懸命想って愛行していても、悪いことが現われてくることがあります。

憎んではいけない、と思っても、憎しみ恨みの心がフゥッと出てくる時がおありでしょう。

そんな時、ああどうして私はこうなのだろう、私はダメだ、私は悪い人間だ、と思いますね。

ところが、憎む心、恨む想いが出て来た時は、その悪い想いが出て来た分だけ業が消えていっているのです。

だからその時、自分を責めず、昔の業が消えてゆくんだ、と一生懸命思えば、必ず消えて自分は浄まるのです。

ダメだという想い、憎いという想い、暗い想いはすべて過去の業が出て、消えてゆく姿なのです。 消えるのです。

ああなんて私はダメなんだろう。 悪いんだろう、と自分を責め、抑えてしまうと、折角消えるために出て来た業をまた内に押しこんで、ますます業をふやしてしまうことになります。

悔いだけでは救われません。

それはただ想いを抑えつけるだけで、かえって反発心が強く大きくなって、業がいっぺんに激しく現われてしまうのです。

抑えるのではなく消さなければ、善いことを思おうとしても、業がいつまでも残っては結局よくならないのです。

悔いだけでなく、悔い改めなければよくならないのです。

人を憎み恨んでしまった。 その時ああ悪かった、いけなかった、と誰でも思います。

その次が大事なのです。

そこで、ああこれで過去の業は消えた、消えたのだ、これでよくなった、これから再びしまいと思うのです。

また悪いことをしてしまったら、また一つ業が消えた。 これでよくなるのだ、二度と再びしまいと思うのです。

何回でも繰り返し消し、そして善い想いを起し、善い行為をしてゆくんです。

これを悔い改めといいます。

どんな悪いことが現われようと、現われたら、それは消えてゆく姿に絶対に相違ないのです。

現われたものはすべて消えた、消えたと消して、これで善くなるのだ、と断固として思いつづけてゆくと、内から光明燦然と光が現われるのです。



『魂を鍛える』


どんなものでも、時間がたてば必ず消えます。

消えた後には光が現われてくるのです。

業はそのまま消えてゆくのです。 それに加えて守護霊さんが一分一秒のひまもなく、魂を浄めていて下さるのですから、守護霊さん有難うございます、といつも感謝していれば、本来清浄なるものをかくしていた汚れ、業が早く消えると同時に、光が早く現われてくるのです。

人間は本来光であり、あいつが憎い、恨めしい、悲しいなどという想いは業で、自分ではないのです。 光は業より強いのですよ。

けれども人間はそうは思わず、業のほうが強いものだ、と思っている。 それは間違いです。

この誤った考えを正すには、内なる光、守護霊守護神のことをひたすら思うことです。

これを続けて行じていれば、業は自然に消えて、安心立命の境地を得られます。

どんな災難や病気やさわりがこようと、自分の魂を守護霊さんが強くしようと訓練されているのだ、と思い定めることです。

そのように思えれば、どんな苦しみも、災難もさわりも、すべて自分を強くする修行になり、結局自分は強くなるわけです。

おれはダメだ、ああ切ない、恨めしいと思うだけならば、それは業になってしまうのです。

神さまは悟らせるために人間の魂を鍛えます。

何もしないで、努力なしで楽をして悟りを開こう思うのは誤りです。

どんな仕事であろうと、二十年、三十年の月日を努力し苦労して、初めて完成の緒をつかみ得るのです。

完成の最短距離は、守護霊さんにすがってしまうことなのです。

そして現われて来た悪いことは、過去世の因縁が現われて消えてゆくのだ、これで消えるのだ、と想い、これで善くなるのだ、必ずよくなるのだと一生懸命想うことです。

いくら想っても想っても、もうしようがないと思う最後の瀬戸際が大事なのです。

苦しみの極みの、その次の瞬間に光への門が開かれるのです。

陰きわまる時は陽となる時なのです。

苦しい時は過去の業が大きく消えてゆく時なのです。

苦しみが大きければ大きいほど、業が大きく消えてゆくのですよ。

 

『五井昌久講話集1生命光り輝け』

 

感想・・・・今の時代がまさしく消えてゆく姿の極みです。

これをわかりやすく説明すれば、ここに汚い水が入ったコップがあるとします。

このコップには過去世の汚れた想念や真理から外れた誤った行為が入っているのです。(個人も地球人類も)

『世界平和の祈り』の祈りは浄化されたきれいな光の水であり、祈ることで水はコップから溢れ出てきます。

すると溢れ出た水は机の上のテーブルクロスを汚すのです。

それを見た私たちは顔をしかめて慌てて拭こうとします。

「なんでこんなことが起こるんだ、やっぱり自分の運命は善くならないんだ、何をやってもダメなんだ」、と悔いるだけだと想いをまた魂(潜在意識)に刻み込んでしまうため、コップに泥水を戻すことになります。

確かにクロスは汚れます。 浄まりきっていないからです。

しかし現われてきた現象(病気、貧乏、不調和・・・)をつかまずに祈りつづけると、水はどんどん浄化され、溢れてくる水もついには清水になり、善いことのみが現われるようになるのです。

これが自己の完成であり、地球の完成です。

これには、私たちを守って下さっている守護霊さん守護神さんの強力なご加護があることを忘れてはいけません。

このように真理を知っていることと知らないことの差は計り知れません。

たくさんの人が真理を知り、波動調整(祈り、印を組む、肉体の器を大切にするなど)を実践されることを神界の五井先生は祈っておられると思います。
  



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。

  
  
  

2017年11月 6日 (月)

私たちは宇宙人です、宇宙人は失敗しないのです

 

 
1.宇宙の運行、自然の法則に完全に則ってさえいれば、失敗などは存在しない。 すべてが成功せざるを得ない。 失敗は自然の法則からはずれた時に生じてくるものである。 肉体的な物質的な見地からばかり物事を眺めていると、必ず失敗を繰り返す。 神に祈り、霊的に目覚めてゆくことによって自然に調和し、又再び自然の法則に則ることが出来るようになる。 失敗は神が霊的に目覚めさせるための一つの手段でもある。


2.天の澄んだ青さにひきしまる想いがする。 我々の汚れた想いを浄化してくれるからなのであろうか。 一枚の落葉でさえも神の美しい輝いた生命を宿している。 人間はなぜ素直に自然のまま生きられないのであろうか。 それが出来たらどんなに生きることが楽になるであろう。 今はあまりにも生きるのに複雑すぎる。 むつかしすぎる。 自然に逆らっているからであろうか。 自然は我々にいろいろと語りかけてくれる。 それを無視してはいけない。 自然が我々を助けてくれるからである。 大自然に感謝。


3.自然が我々に働きかけてくる。 太陽が、水が我々に惜しみなく無限のエネルギーを注ぎこんでくる。 我々は一体何を、自然に、太陽に、水に返し、与えているのか? 自然と一つにとけあい、調和してゆくことが大事であるのに、今は全くその逆を行っている状態である。 自然を破壊し、傍若無人に自然を征服しようとしている。 それでも自然は黙っている。 なすがまま、されるがままにじっと堪えている。 果してそれですむものだろうか? 一旦自然が爆発すると、人間の持っているどんな英知を駆使しても手に負えなくなる。 天変地変ほど恐ろしいものはない。 天変地変を起こさせるのは他でもない、我々人間の想念行為そのものである。





       『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版



感想・・・・・1.「失敗は成功のもと」 「失敗から多くを学ぶ」 「猿も木から落ちる」、失敗に関することわざはどれも寛容です。

しかし神(守護霊)がわざと失敗させること以外の失敗は、やはり注意力が散漫であったり、雑念が入っていたり、いい加減な行為から生まれるのだと思うのです。

祈りによって意識を天に向けていると完璧なメッセージ(神智)が降りて来るのです。

天と常につながった状態、それが神我一体、悟った境地です。 宇宙の法則に乗っているのです。

人間の本質は肉体(粗い波動)ではありません。

人間の本質は霊(神)なるものです。 すべての英知を内在した、パーフェクトな神そのものなのです。


2.3について・・・今、お金を稼ぐことが非常に難しくなっています。 あたり前の仕事を今まで通りあたり前にやっていたのでは食べて行けなくなっているのです。

大手企業がいろんな分野の産業に進出し、畑違いの仕事であろうが、プロとして恥ずかしくなるような雑な技術であろうが、儲かればいいとテリトリー無し、節操無し、倫理観無しでお金集めに奔走しています。

昔はまだ共存共栄、ライバルであってもお互いにそこそこ食べていければよいという心のゆとりがありました。

今は新規企業(起業)の95%が5年以内に潰れるのだそうです。

M&A(企業の統合、合併)AI(人工知能)化によって無理なく自然にお金を得ることが困難になります。

それでも死に物狂いでお金を追いかけるのならば、人間の心は益々荒んでいくのではないでしょうか?

もうこのへんで、物質(お金を含む)を追いかけるのは止めにして、精神的な豊かさを求めることに方向転換してはどうでしょうか?

このままの生き方では、大自然の堪忍袋の緒が切れるのです。(地球をマイナスのエネルギーで汚すから)

天変地変(大地震、火山の噴火、津波、大雨、竜巻・・・)は天災ではないのです。

人災なのです。




追伸・・・私たちは、大自然(海、大地、山、水、植物、鉱物、天象、空気、太陽)に感謝することを忘れています。

そして大自然だけではなく食物、動物、そして身体を保ってくれている肉体への感謝も忘れているのです。

感謝は光なので感謝の気持ちを伝えれば、大自然も肉体もそれに応えて整ってきます。

私たち人間はプラスの想ったり、プラスの言葉を発するよりもマイナスを吐くことのほうがずっとずっと多いのです。 これらが地球が滅亡寸前まで来ている原因です。

そんな中、人知れず、『地球世界感謝行』(海、大地、山、食物、肉体、水、植物、動物、鉱物、天象、空気、太陽に感謝を捧げる) 『光明思想徹底行』(宇宙のプラスの言霊を唱える)をしている人たちがいます。

それでなんとか滅亡せずにもっているのです。

みなさん、これらの行をしてみませんか? 

感謝行は、感謝する愛の気持ちが芽生えてきます。どんなことにも感謝出来る(消えてゆく姿で)自分になれるのです。

光明思想徹底行には、宇宙のプラスの言霊(7×7=49)がすべて入っています。唱えることで気持ちが明るくなっていきます。なぜならば心の中が無限のプラスのエネルギーで満たされるからです。

この2つの行は、心の中で奇跡が起きます。(マイナスがプラスに変る)




 『地球世界感謝行』     http://byakko.or.jp/method/chikyu/


 『光明思想徹底行』     http://byakko.or.jp/method/kohmyo/


追伸体験談・・・ 


以前職を失ってやっと仕事に就けたとき、「こんな幸せなことはない」と思ったのですが、時が経つにつれ不平不満を持つようになりました。
「あの時の初心はどこに行ったのか?」「どうすればあの時の綺麗な気持ちになれるのか?」
そう思ってメンターに相談したら
たった一言
『感謝行をしたらいいのですよ』
・・・・・・・・・・・
目からうろこでした。
「そうか、自分を責めることなんていらない、人間は光の波動体だから、感謝行で光を強くすればいいんだ」とわかったのです。

  
                  

五井先生が「自殺」について述べられておられます。


今、自殺が世間を騒がせていますが、深い意味での自殺はほとんどの人がわかっていません。

ただ本能的に私たちは自殺は悪いもの、やってはいけないものだとわかっています。それは死後、自殺をした人の魂が苦しむことを直感でわかっているからです。

自然死、事故死、自殺との違いは何なのか?

是非、確かめてください。





https://youtu.be/V2b96LujtpU



  

2017年11月 5日 (日)

横取りではなく、縦取りを意識しましょう



 

天を意識し、縦┃にエネルギーが流れると、どんなマイナス(━)もプラスに変わっていきます、これを奇跡というのです。


本文

 

・微妙なひびきを持つ、縦の面の神々の働きは、心の働き、つまり精神面として霊魂的な働きとなり、大きな震幅の波動を持つ、横の面の神々の働きは、魄的、つまり物質面の働きとなって現われているのです。

今日の人間のほとんどが、この縦横十字の波動の調和がなされていないので、完成された人間としての、安心立命した生活を営めずにいるのです。

世にいう大聖とは、縦横十字の波動の調整がなされていた人なのであります。

人間の縦横十字の働きが完全になるために、その交叉の中心に、私が常に説いております、守護の神霊の救済の光明波動が、放射され続けているのでありますが、今日までこの真理は、ほとんどの人が知らないのであります。

・物質は神界にもある。だから神界にも山があったり、美しい木が生えていたりするのです。現われているものは全て物質ですからね。ただし物質といっても、微妙な波動の物質です。

横の流れの多いことを物質というのです。縦の流れの多いことを精神というのです。それで縦横十字になって調和していることが、大調和というのです。

だから神界から肉体界まで全部、横の流れは物質的に流れて、物質が見えるのです。縦の流れが精神的になっていて、縦横十字交叉で、碁盤の目のようになって、この宇宙は出来ているのです。

 

感想・・・私たちは目に見える粗い波動ばかりを追いかけて来ました。
物質波動、つまり横取りばかりをしていたのです。
横取りは-(マイナス)です。
だから3次元的なことが整わなかったのです。
病気になる、貧乏になる、人間関係が上手くいかない・・・・・。
ほんとうの自分は物質(肉体)にあるのではなく、天(神界)にいるのです。
天に意識を向けると縦┃にエネルギーが流れます。
そして肉体の下丹田(かたんでん、へそ下3.5センチ)と交差して、十(プラス)に変わるのです。
キリスト様のおっしゃる真理とは、エネルギーが縦横交差した十字架の姿なのです。
これから人間は、真理(十字架)を顕してゆきます。
天地を貫く光の柱、一人一人がパワースポットになってゆくのです。

『世界平和の祈り』、「我即神也」「人類即神也」「神聖復活目覚めの印」は自分や人類を光一元にするのです。

調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/

 

2017年11月 3日 (金)

近未来においてお金は無くなるが、仕事は無くならない

 

今現在の私たちは、食べてゆく為、生活を充実させ維持し、老後が困らないようにするためにお金を稼ぎ、仕事をして働いていますが、近い将来の私たちは、賃金を得ることのない(つまりお金という存在が無くなる)労働、仕事をすることになるのです。

5次元になってお金は無くなるけれど、仕事をすることは無くならず、どの次元、どの星に行ったとしても同じなのです。

未来の仕事には2つの目的があって、まず一つ目は、自分だけではなく他の人と共同で生きてゆくために必要な労働です。

これから人間は、野菜や穀物、フルーツなどの自然食のみを食するようになり、身体に害を与える肉、野菜、加工食品、乳製品は無くなります。

自然食を育てる農場のようなところでみんなで協力して働くのです。

そして二つ目は自分自身の仕事のスキルを極めたり、人のためになるものをクリエートするような意識を高める仕事をするのです。

だからこれまでの仕事の概念が変るのです。

そこには、賃金を得る。働いてお金を稼ぐ、儲けるという考えがないのです。

これからの地球はこのような考え方に変ってゆくのです。

今、私が読んでいる本は、『ついに実現した地下存在との対話』なのですが、地底人アダマさんからのメッセージが書かれています。

ほんの一部ですが、抜粋します。

 

本文

アダマです。

地底都市テロスからあなたにテレパシーで話しかけています。 

私たちは皆、この日にメッセージを伝えるために(一つ)になって集まっています。 

実際のところ、私たちは地下深くにいるわけではありません。 

あなた方の地表と同じ高度(麓)にある、シャスタ山の巨大洞窟内にいます。

テロスにおける私たちの生活は、地表にいるあなた方のそれとよく似ています。 

賃金を得ることはありませんが、私たちは皆、仕事を持っています。 

なすべきことは全員が交替で行い、私たちは長い生涯(600年~数千年)において多くの仕事を学びます。 

長く生きるだけ、多くの技術を磨くことができるのです。 

私たちは皆、熱心な勉強家で、あらゆることについて、できるだけ多く学びます。 

一つのことを熟達したら、別の分野に移って新しい技術を磨く。 

そういうことができる恵まれた状況がここにはあるのです。・・・・・・・



『ついに実現した地下存在との対話』 ダイアン・ロビンス著徳間書店 

この本は品薄で高値が付いています(笑)。

『超シャンバラ』 『空洞地球』 徳間書店もお薦めです。




    
    

調和波動気功法、セミナーのお誘い

 



みなさんこんちには、いつもグッドムーンのブログを読んでくださり、ありがとうございます。

最近の私の記事は、神秘的なことよりも3次元のこと、肉体に関することのほうが多いと思います。

それは、神であるほんとうの姿を顕わすには、肉体という器がとても大切になっているからです。

“健全な精神に健全な肉体が宿る” も真実ですが、“健康な身体に素晴らしい魂” が宿ることも真実なのです。

これからの地球、日本の食生活は、物質文明から精神(霊)文明へと移行するに伴い、一変します。

これまでには思いもしなかったものが健康に寄与し、正しい情報が伝わるようになり、たくさんの人がほんとうの健康を得るようになります。

11月26日に行なわれる『健・美・食』のセミナーには、そのヒントが秘められていると思います。

心も身体も真の健康になりたい人は是非、ご参加ください。






     『健・美・食の会』

 

 

        
 

★日時 11月26日(日) 

12:00~13:30 会食

14:00~  于寿明先生先生講演

★ 大成閣(中華料理)大阪心斎橋

06-6271-5238(禁酒・禁煙)

★ 会費 8,000円(小学生4~6年生4,000円)


参加したい人はご遠慮なくグッドムーンにご連絡ください


携帯 080-1444-0018


調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/




  




自分を甘やかしつづけると、自分が損をする


  
1.さあいつまでも甘ったれてばかりいないで、少しはシャンとしろ。 いつまでもクヨクヨしてばかりいないで、スッキリしろ。 まわりが何でもお膳立てしてくれると思ったら大間違いだ。 いつまでたってもこの状態から抜け出すチャンスは来ない。 自分の力で乗り越えるのだ。 乗り越えようとする心が大事なのだ。 乗り越えられると思い込むのだ。 いつまでも自分を甘やかしつづけると、自分が損をする。



2.この世の社会的欲求(地位、権力、財産)を求めている人々は、その欲求を満たすことが出来たとしても、実際には地位や権力を持っている間だけ、金や財産を持っている間だけの満足しか得られないのである。 一旦それらのすべてを失った時、地位、権力、財産など人間社会の欲求を満たすことの空虚さを強く感じさせられるであろう。 

イエスが言っている如く

「汝もし全世界の金を儲けるとも、明日に生命を失わば何の価値あらんや」 である。



3.すべての人間は “神の子” であるから、内に “無限の可能性” を秘めている。 一度はこの世の常識に把われず、躊躇せず、臆せず、慮らず、自分のやりたいこを思いきりやってみよ。 自分のまわりに取りまいている常識がすべて足を引張っているのである。 その束縛から抜け出たならば、すべては難なく切り開かれる。




『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版
  



感想・・・・1.西園寺昌美さんの厳しい叱責は何も私がみなさんにお伝えしているのではなく自分自身に言い聞かせているのです。

世界平和の祈りを祈り、印を組み、ブログなどを書いていると自分はそこそこの仕事をしていると錯覚するのです。

3次元的な努力をしなければ奇跡も守護霊さんからのご加護もありません。

ご褒美、オマケはないのです。

自分が前に出てアクションを起こさない限りベクトル(エネルギー)は止まったままです。

神様は私たちの動く方向に後ろから背中を押してくださいます。

しかし止まった状態で背中を押されたのでは前に蹴躓いてこけるだけです。

前に一歩踏み出す決意と行動を “勇気” というのです。


 
2.二極分化が進み、お金を持っている人、いない人の差が激しくなると、一攫千金を夢見た人が益々騙されるケースが増えてゆきます。

騙すほうも騙されるほうも同じ波長とよく言われますが、それは「楽をして儲けたい」という共通点です。

地道に誠実に生きている人には、「お金はどうやって儲けるのだろうか?」という考えは無いのです。

「どうしたら人は幸せになるのだろうか?」という考えから「気がついたらお金が寄って来ていた」になります。

昔からよくいわれる、「お金は後から付いて来る」、その通りですね。



3.一生懸命に生きている人は、一般の人の常識を突き抜けた経験をするので、大切なものを摑めるのです。

その大切なものとは、「自分(人間)には無限の可能性を秘めた英知が宿っている」という真理です。




  

人はみな 「自由に生きたい!」 のです

 


1.誰かを操ろうとすると、いつか必ず自分も誰かに操られることになる。 人はみな自由に生きるものである。 自分がつねに自由でありたいと願うならば、人は自由を尊重し、何らの束縛もしないことだ。


2.何故そんなに人を許せないのか。 何故毎日暗く、悶々として生きていかなければならないのか。 どこにその原因があるのか。 それは自分の心の中にある。 自分自身を許せない自分がそこに存在しているから許せないのである。 自尊心が傷ついてゆくのがたまらず、みていられず、そのため人が許せないのである。 原因はその人にあるのではない。 自分の心の中にあるのだ。


3.今や世界中の人達が国境、人種、思想、宗教を超えて世界平和の祈りを祈りはじめるようになってきた。 天命を、理想を、夢を見失っていた人類にとって、これは画期的なことであり、歴史始まって以来のことであり、まさしく待ち望んでいた大いなる神のお導きといわざるを得ない。 宇宙の法則に乗り遅れないよう、己を磨き霊性を輝かしていこう。




『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版




感想・・・・1.どんな場合でも絶対にやってはいけないことは他人を自分のペース、思想の中に入れようとすることです。

人間一人の波動圏は宇宙大に広がっており、その人にはその人の宇宙があるのです。

そこは神域であり絶対に他人が入ってはいけないのです。

人は群れて行動していると必ず一人になりたくなります。

それは自分の神域を守ろうとする防衛反応です。

「いや私は孤独は嫌!一人では生きていけない」という人でも心の奥底では必ず孤立(自立)を求めています。

心の奥底は宇宙(神界)と繋がっていて、そこにはほんとうの自分(本心)が存在し、親、子、親戚、知人、世界中、宇宙中のすべての人がいるのです。

すべてのものと繋がっていることがわかると「自分は孤立していない」とわかります。

自分探しの終着点は「自分は神(宇宙)だった」なのです。


 
2.他人を責めている人をみると「ああこの人は自分のことを責めているんだな、自分を愛せていないのだな」とわかるのです。

しかしそれを何とかしてあげたいと思っても、自分の想念を変えるのは、その人自身にしか出来ません。

それは1.の感想で述べたように想念の世界は神域だからです。

多くの人に他人を許せない原因は、自分の心の中にあることに気づいて欲しいと思います。


3.自分のミッション、天命とは一体何なのか?がわかっていないこと、それが人間を不幸にしている、充実した生活を送れていない一番の原因です。

私たちが今、この地球の大変革期(アセンション)に肉体を持って生まれた、そして生きている唯一無二の目的とは、「自分本来の姿に気づきなさい」そして「自分のほんとうの姿を顕わしなさい」ということです。

「自分(人間)が一体何者なのか?」がわからなければ、天命もミッションも、目的も目標も、どこへ行けばいいのか、わからないのも当然です。

原点(素)に戻ることほど、素晴らしいことはありません。

そこ(原点・宇宙・素)は一点の曇りもないのです。

素は晴れているのです。(素晴らしい!)

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 
*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。

 



参考図書 


『神と人間』 五井昌久 白光出版 


『つながり合う世界』 西園寺昌美 白光出版



 



  
  


  

 

2017年11月 2日 (木)

自分の喜びが神の喜び

 


1.自分の喜びが神の喜びでもあり、自分の望みが神の望みであれば、こんな素晴らしいことはない。 神我一体、神人一如の如く、自分の幸せ即、神の至福にいたれば、迷う心など微塵もない。 その為には、神の心のほうに自分の心をつねに振りむけ、神と我とは一体である、という真理を自覚して生きていけばよい。


2.今、この世に存在している人々がみな一様に 「愛の言葉」 のみを語るようになったら、世界はどうなるであろうか。 愛の言葉とはエネルギーがすべて+(プラス)にむかって積極的に発動してゆくことである。 言葉は生きている。 言葉は創造する力がある。 言葉によって、すべてが現実に創り出されてゆく。


3.月は満ちれば必ず欠けるものであり、潮が満ちれば必ず干くものである。 同じ状態が常に一定を保っていることはあり得ない。 この世の運行はリズムによってなされているように、人間誰しもが良い時もあり悪い時もある。 が人によっては悪い時を悪いと感ぜずに、リズムにうまく則って生きている人もいる。 私などは全くその類の最たるものである。 まわりの人々が最悪の状態と思える時でさえ、ちょっと調子が乗らないぐらいに受け流してしまうのである。 悪いことでも悪いほうにとらないように訓練することによって、本当に自分の思った通りになるから不思議なものである。 特に暗い話、悲しい話、嫌な話ほど大げさに把えないで、ごく最少限にとどめてとらえる訓練をするとよい。



『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版

 

感想・・・・・1.「これは自分がやることなのか?」 「これは天職なのか?」 「自分は今のままでいいのか?」、人間とはこのような悩みをいつも自問自答しています。

しかし頭でいくら考えてもその答えは出ず、祈りに集中することによってのみ、悩みという実体のない闇は消され、歩むべき道が光に照らされてみえて来るのです。

人間は神我一体になっていなけば幸せになれないようになっているのです。
 


2.私はツイッターをしているのですが、冒頭の固定されたつぶやきに次のようなツイートを掲載しています。

「言葉を美しく」 言霊(ことだま)と言って、口から発する言葉にはすべて霊(神・エネルギー)が宿っています。 発した言葉が時間を経て、カタチ(現実)になっていくのです。 言葉の言を横にすると 口|||| 波動(バイブレーション) であることがわかります。



3.人間誰しも良い時もあり悪い時もある。・・・・この言葉は私にとって非常に安心し癒しをもたらしてくれます。

私たちはつい、悪い時をマイナスに、良い時をプラスと決めつけてしまいます。

しかしそれは孤立してあるものではなく、悪い時の先には良が潜んでおり、良の奥にも悪が潜んでいる。 表裏一体なのです。

であるならば、本来この世には悪も善もないことになります。

現われて来る実体のない悪や善に把われない心境、境地を “幸せ” といいます。



お薦め図書 『我即神也』 西園寺昌美 白光出版




 

  

  

2017年11月 1日 (水)

短い人生を有意義に過ごすには?


 
1.人生は非常に短い。 しかもその中の幸せな時間はあまりにも少ない。 限られた自分の人生の時間を無駄なく生きるためには、常に神(守護霊守護神)との交流を蜜にすることが大事である。 神との交流においては、無駄に無意味にすごしてきた時間でさえも、徳あるものに変えてくれる。 そして決して無駄な時間を過ごすことなく、有意義に幸せに一生を終えられる。



2.安易に人の助けを求め、人の助言を乞おうとするから、いつまでも自分に自信がつかず、自分のことは何一つ自分で決定することが出来ない。 人にたよろうとしている時こそ、神に頼むのである。 神にたよるのである。 神に祈るのである。 神が一番適切な方法を必ず与えてくれる。 人間ほどあてにならぬものはない。 みんな自分の都合のよい方にしか考えないからである。 神はただ与えるのみである。 



3.神の全き愛、絶対なる愛を信じているからといって、この世における自分のなすべき道、なすべきことを疎かにし、何事も中途で投げ出し、あとは必ず神さまが助けてくださる、必ず導いて下さるといって、安易に神頼みをするのは本当の信仰ではない。 それは自分勝手な信仰である。 神の全き愛を信じつつ、自分の持てる力を充分に発揮し、全力を尽くして何事にも処していかないと、本当の道は開けない。




『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版



感想・・・・・1.自分の親を見ていると、50歳から80歳までの時間が特に短いと感じる。

20歳の一年は20分の一だが、80歳の一年は80分の一、実際に早く過ぎ去っているのです。

そして30年間、幸せであったか?という実感はほとんど無いと思うのです。(決め付けてはいけませんが)

それは迷いながらさ迷いながらしっかりとした目標を持たず、目的に向かって生きていたのではないからです。(また決め付けてしまいました)

守護霊さんとしっかり繋がるということは、宇宙の法則に乗っているということです。(守護霊さんが導いてくださるから)

知らず知らずのうちに天命をまっとうしている。

守護霊さんと繋がっていると、何のために生れ、何のために生きているのかがわかってくるのです。

人間としてこんな幸せなことはありません。
 
 

2.他人にアドバイスを求めるとお金が要ります(笑) 見返りを求められます。

それはコンサルタント料?

しかもその人の表面しか観ていないためどこかピントが外れている。

そしてそのアドバイスが最適だったとしても人はその通りにしないし上手くいくことはめったにない。

一方守護霊さんは守っている人の長所、短所を知りつくしている。

また、人生、仕事のスペシャリストでもある、こんなに頼りになる人はいない。

そして何よりもどうしたら幸せになるのかを知っている、しかも無料(笑)

私は守護霊さんを活用していない人を見ると、「もったいないなぁ
」と思うのです(笑)



3.「人事を尽くして天命を待つ」が一般的ですが、神様の愛(ご加護)を信じて人事を尽くすが本当だと思うのです。

ただ、人事を尽くさずに「神様神様、助けてください」と言ってる人が非常に多いのです。(楽をして儲けようとしている)

神様(守護霊守護神)は人事を尽くし一生懸命に生きている人でないと助けてくれないのです。

それを多くの人は勘違いをしている。

だから神社仏閣で邪な幽界のオバケちゃんに取り憑かれるのです。



  

真の祈りとは?


 

1.真の祈りとは自分のことは勿論のこと、人々の汚れを浄化し、人々の内なる存在を光で充たす。 祈りとは人間にとってなくてはならないもの、毎日の生活を送るにあたって必要欠くべからざるものである。 祈りについてもっと大切に思い、深く考えることだ。 あなたの祈る祈りは、人々に静けさと平安と愛と安らぎを与えている。



2.世界平和の祈りを真剣に祈りつづけた結果、世界各国の政治を司っている主導者たちの心を動かし、行動にそれが反映するまでになった。 我々の祈りはもうここまで来ているのだ。 今年も来年も、この祈りを続けてゆく限り、世界は必ず平和になる。何年もの長い間、闘争が繰り広げられ、何らこの世的な解決策を見出せないまま、悲惨な生活を強いられている国々そして人々も、我々の祈りで必ず平和にしてみせる。 今にみているがよい。必ず絶対に、平和にせずにはおかない。 それくらいに我々の祈りは真剣そのものなのである。 魂の叫びなのである。


3.あなたの祈りは必ず聞き届けられる。 もしあなたの祈りが聞き届けられないのであったら、心のどこかで100%信じることが出来ない否定する部分があるからだ。 一番大事なことは神の力を信ずることにある。 絶対的な信を置くことによって、祈りは聞き届けられる。 半分疑っていたのでは祈りが分裂してしまうから、達成できないのである。




『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版



感想・・・1.私たちはどこかへ出掛けたり、人と会うときには化粧をしたり身だしなみを整えますが、目にみえないエネルギーに関しては無頓着なのです。

例えば食べ物商売の料理をする人が店に入る前に奥さんと大喧嘩をしてムカムカ、イライラしたままで調理をしたらどうなるでしょう?

きっとどんなに良い食材を使ったところで「不味い」「気持ち悪い」という波動(エネルギー)に変ってしまっているのです。

人前に出る前は特に自分の“気配”を消さねばなりません。(それが謙虚ということです)

消してニュートラルに戻して、そこからプラスのエネルギーを発しなければなりません。

進化した星の宇宙人にとってそれはあたり前のことなのです。

私たちはそのことに気づき始めています。

そのメソッドがいうまでもなく『世界平和の祈り』を祈りです。

 

2.今、世界が破滅しそうで、そうなっていないのは、プラスのもの凄いエネルギーが闇を照らしてるからです。(目にはみえませんが)

ミサイルのボタンを押しそうで押さないのも、天変地変で地球が滅亡しないのもなにかとてつもなく大きな力(サムシング・グレート、神)が働いているからです。

その裏には進化した宇宙人(地底人を含む)の絶大なる援助があり、守護霊さま守護神さまの助けがあり、肉体を持った人間の真剣な祈りがあるのです。



3.「信じる者は救われる」・・・・キリスト様のお言葉ですが、ほんとうに「そうだなぁ」と思うのであります。

  
    

私は神の子、光の子


  

1.本来神の子である私たちの真身は、病まず、老いず、疲れず、永遠に健やかに光に満ち溢れているものである。 この大事なことを私達は忘れてしまっている為に、この世界に病気や不幸が現われると、あわてふためき、色を失い、更に一刻も早くこの苦しみから逃れようと、もがき苦しむ。 もっと冷静に出来事の事実を理解し、本来無いものであるから、すべては過去の消えてゆく姿として、明るく受けとめ、日常生活それのみに把われず、祈りによって転換させてゆけばよい。



2.あなたの内部に潜んでいる怒り、敵意に支配されてはならない。 その怒りや敵意が表面意識に現われる以前に、それを消してゆかねばならない。 その為にはそういった暗く激しい、否定的な考え方をより建設的、光明思想に変えてゆくことが必要である。 無理でも心がけて光明思想に変えてゆくのである。 そのためには徹底的に祈ることである。 するといつの間にか、否定的な感情が自分の心から消え去る。

 

3.「私は神の子、光の子、いつも笑いに充ち溢れ、生きる喜びにひたっています。 どんな悲しみが現われようと、どんな不幸が突然舞い降りようと、私の心はビクとも致しません。 いつも守護霊様、守護神様に見守られ導かれていることを、心より知っています。 そしていつも私が痛まないよう、苦しまないよう、すべて肩代わりして下さることも知っています。 神様感謝します。 神様の絶対なる愛を固く信じています。 私は救われています、有難うございます」



『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版

 

感想・・・1.病気、老い、疲れ、苦しみ、悲しみ・・・これらは本来の私たち神の子には無いものである、と書かれています。

これは赤ちゃんの姿を見ていると、「違うのだ」とわかります。

特別の場合(病気の赤ちゃん)を除いて、赤ちゃんは病気、老い、疲れ・・・・などとは無縁です。

生命そのままに赤ちゃんのように無邪気に真っ直ぐに生きていたならば、これらのものは “無い” のだと気づくのです。

現われて来るのは、過去世の消えてゆく姿、祈りに転換させましょう。

  

2.怒りなどの感情や、どうしようか?というような悩みが浮かんできたら、即、『世界平和の祈り』に切り替えればいいのです。

世界平和の祈りの光で怒り(感情)は消え、悩みという闇の波も消える。

その光の中から与えられるメッセージ(神智)がほんとうの答えです。


3.守護霊さま守護神さまはなんのために存在してくださっているのか?

それは肉体人間の私たちを守るため、だから甘えていいのです。

全面的に頼っていいのです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 

*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。



 



  

 

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