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2017年10月15日 (日)

運、不運とは?

  
 

1.運、不運と人はよくいう。

何も努力せず、出世したりお金が儲かったりすると、運のいい奴だといわれ、一所懸命、人一倍努力し働いても、一向にうだつがあがらず、人にも認められない人のことを、運の悪い奴だという。

一体、運、不運とは何なのであろうか。

運とは突然現われてくるものでは決してなく、「今」が運なのである。

今の一瞬が運をつくってゆくのである。

表面的には仕事の質、量の問題ではなく、心の問題に帰する。「運」とは時々刻々想いの連続によって起ってくる。

人一倍努力したからとか、忍耐したからとか、励んだからとか、働いたからではなく 「絶対にやってみせる」 という信念の積み重ねである。

今の瞬間をも 「絶対に私は出来る」 という想いを持ちつづけるからこそ、自分に運がついてくるのである。

いわゆる心の働きによるのだ。

 

『日々の祈り』 西園寺昌美 白光出版

感想・・・・これまで私は、「努力した結果が現実を産むのだ」と思っていましたが、「絶対にやるんだ、自分はやれるんだ!」という思いの強い人が夢を現実に引き寄せているのです。

いくら肉体的に頑張ったとしてもそこに信念、魂、心が入っていないとエネルギーが弱いのです。

思いのエネルギー、想念エネルギーには凄まじい威力があります。


ただ、想いを実現させても、それが幸せに結びつくとは限りません。


あるぐうたらな男が「5000万円欲しい、5000万円欲しい」と朝から晩まで仕事もしないで念じていたそうです。

宇宙の法則は想いを実現させようとあらゆる手段を模索した、人間は創造主だから必ず想い(イメージしたこと)、想像は、創造されるのです。

ではどうなって5000万円が手に入ったのか?

そこには唯一自分を信じ愛してくれた最愛の母親の死があった・・・・・。

母親が突然事故に遭い、その保険金が5000万円だったのです。

男が途方に暮れたのはいうまでもありません。

邪な想念は、人を幸せにするどころか、不幸にします。

その想念が天の理想ではないからです。愛の想念ではなかったからです。

「世界人類が平和でありますように」

の世界平和の祈りには宇宙、天の理念がすべて含まれています。

宇宙神は、宇宙のすべてが愛に溢れ、調和し、平和になることを願っています。

その理念が世界平和の祈りそのものなのです。世界人類とは宇宙人類のことです。

その中には自分(個人)の願望も入っている、幸せも入っています。

世界の幸せイコール自分の幸せだからです。

しかし自分の、の自分とは我(欲望)の自分ではないのです。

ほんとうの自分(神)が「どうなりたいのか?」「自分のほんとうの幸せとは一体なんなのか?」ということです。

お金持ちになることがほんとう(本心)の幸せだったのなら、きっとお金持ちになります。

しかしそうでないのだったら、違うルート(道)の幸せがやって来るのです。

お金持ちになるか、ならないか?は自分(欲望の自分)が決めることではありません。

神界にいる本心のほんとうの自分が決めることです。

お金持ちになることがその人を幸せにするのなら守護霊さんがきっとそのようにしてくださるのです。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。


  
お薦め図書 『宇宙が味方する経営』 関西アーバン銀行元頭取 伊藤忠彦著


   
  



 

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コメント

御丁寧にありがとうござます。また質問してくださいね!

私の拙い質問に、これほどまでに丁寧に、かつ明確に答えてくださった方は今までいなかったものですから、感動しております。本当にありがとうございました。そしてお手数おかけしました。何度も読み返して、自分なりに咀嚼していきます。紹介してくださった五井先生のお言葉、素晴らしいですね。「我」「愛」「空」の三段階で考えると理解できそうです。 どうかこれからもよろしくお願い申し上げます。

追伸・・・お友だち、親友の病気や不幸な出来事について「絶対に乗り越えられる、大丈夫!」と祈って差し上げる件ですが、私は残念ながら他人の不調和を乗り越えさせるのは、その人自身かあるいは、その人の守護霊さん守護神さんのご加護しかないと思うのです。
それは他人の世界は、その人以外の人は一切入ることの出来ない聖域、神域だからです。
その人自身の世界がある、その人の中に宇宙があるのです。
過度の干渉は、その人の宇宙の軌道を狂わせることになります。
だから占いや霊能などで惑わせ、狂わせてはいけないのです。
病気になっているのは、その人の守護霊さまがそうさせているのです。
貴重な経験をさせている
だから私たちが出来ることは、その人の天命(ミッション)がまっとうされることを祈るのみです。
そしてその人の守護霊さんに感謝の光を送って、天命がまっとうされやすいようにして差し上げることのみです。(〇〇さんの天命がまっとうされますように、〇〇さんの守護霊さま守護神さまありがとうございます。〇〇さんの守護霊さま守護神さまよろしくお願い致します)
“祈り先” を間違えているのです。
先ほどの話と重複するかもしれませんが、自分や相手の良くなっているプラスの姿を強くイメージをするのは、愛の段階です。(お釈迦様は愛も業想念だとおっしゃっています)
エネルギーが注がれ、確かに具現化するかもしれません。
しかし現われては消えてゆく姿(現象面での良し悪し)は根本解決になっていないのです。
相手の人に自分のほんとうの姿を知らしめ、目覚めさせることがほんとうの愛です。
いえ、愛を超越した行為かもしれません。
相手の天命を祈る行為は愛を超えているのです。
最高の愛(チャリティー)なのです。
  

何をそんなに思い煩っているのだ。 

何もかも自分一人で背負うとするから混乱してしまうのだ。 

あなたは一番根本なることを忘れている。

それはどんな人にも守護霊さま守護神さまがついておられるということだ。

そしてその守護霊さま守護神さまが必ずその人の運命をよくしようと、日夜努力し導いて下さっておられることだ。

あなたのすることといえば、ただその人の天命を祈ってあげさえすればよいのだ。

夫のために妻のために、愛する子供たちのために、友人知人のために、両親、祖父母のために、ただそれだけでよい。

だがあなたはその人の心をあまりに思うあまり、その人のためにあまりに考えすぎるためにすべての責任を自分一人で背負うことが正しいと思い込んでしまっているのである。

その人の運命はその人でなければ切り抜けられないものである。

思い違いをするな! 思いあがるな!

 
「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版 


 

興味深いコメントありがとうございます。
私なりに考える機会をいただいた、とても善いご質問でした。
「なるほどそうだよなぁ 五井先生と昌美先生のおっしゃっていることは違うよなぁと私も思ったのです。
ところで私ごとで恐縮ですが
私の目標(ミッション)とは、ブログを通して真理の伝達を行ない、世界平和の祈り、印の素晴らしさを広め、神人(しんじん)をつくることに貢献することです。
これが地球がアセンション(愛の星の完成)するための大切な要素になるからです。
このことに関しては一切のブレはなく、心の奥に秘められいつも燃えています(笑)
昌美先生のおっしゃる「絶対やってやる」「私には必ず出来る」とほぼ同じだと思います。
しかし、自分で言うのは面映いのですが、そこには自分の「我」は存在していません。
自分では「人類愛」だと思っています。
もし、私の目標が「我を満足させること」「自己欲」のような小さなものだったのなら途中で萎えていると思うのです。
だから「絶対にやってやる」「必ず出来る」という信念のもとになるものは、人類愛のような崇高なものでないといけないと思うのです。
そして次の段階として、世界平和の祈りを祈っていたらその人類愛さえも消えてゆく姿となり、特別に目標を強く意識をしなくても、『世界平和の祈り』イコール『絶対にやってやる』になるのではないでしょうか?
初歩の段階の人間は我欲に生きるものです。
しかしそれでは、ほんとうに幸せにはならない、愛がなければ魂が喜ばない、と気づく、そして次の段階では、愛さえも意識しない、愛が深まってゆくのです。
それがすべての想念(愛を含んだ)を『世界平和の祈り』の中に投入し、融け込ませることになるのだと思います。

私は五井先生のこのお言葉が大好きです。

自分の立場から見て行動するを 「我」 といい、他人の立場をのみ想って行動するを「愛」 という。それさえも超越してすべて神さま任せにするを「空」という。 五井昌久

はじめまして。とても有意義なブログをいつもありがとうございます。いつも五井先生の尊い御教えを学ばせていただいております。
質問があるのですが、もしよろしければ、お時間のある時にでも、お答えいただければ嬉しく思います。

「私には絶対できる!」「絶対にやってみせる!」という信念、想いが重要であると昌美先生はおっしゃるわけですが、私はその教えに共感し、励まされる一方で、ちょっとした混乱を感じてしまいます。

五井先生の
≪祈りとは、まず自分の心を空っぽにすることである。
それまでの自分をひとまず捨てて、神だけを自分の心に住まわせることである。
願いごとは、すべて後まわしにすることである。
神だけを自己んい住まわせれば、その人の願いごとは、すべて叶うのである。≫という教えと矛盾している気がしてしまうからです。

「自分には可能である。」とか「やってみせる!」という気持ちすら世界平和の祈りの中に投げ捨てるべきものではないのでしょうか?そういう思いを常に抱くこと自体が、「自分の願いを後回しにして、心を空っぽにして、神にゆだねる」ような生き方と相反するような気持ちになってしまい、自分の中に混乱が生じてしまいます。

もっと具体的に言えば、たとえば親友が病気になったり、病気でなくとも、なにかしらのトラブルで苦しんでいた場合、「その病気やトラブルは必ず解決する!」という信念や想念を持つべきなのか、それとも、そんなことは頭の外に放り出して空っぽになり、親友がどうなろうとも神にゆだねて、自分はひたすら世界平和の祈りをすべきなのでしょうか。

私の理解のどこに誤りがあるかをご指摘いただき、正しい理解へ至るためのヒントをお与えいただければ嬉しく思います。ご教示のほどよろしくお願いします。

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