« 人間は瓦(かわら)ではない、ダイヤモンド(神)なんだ | トップページ | 守護霊の陰の力 »

2017年9月 4日 (月)

囚人たちの神性を拝んが老僧

 


ある老僧が刑務所に講話にいった時、前に並んだ囚人たちを見て、「ああ仏さまたちがおかわいそうに、こんな姿でここにいなさる。ああお気の毒な仏さま方」といってハラハラと落涙されつづけたそうです。

すると囚人たちは、その老僧の真実こもった涙に、声をそろえて泣き出し、スッカリ心を浄められたということです。

この話などは、一言の説教も、一言の訓戒もせず、ただ囚人のなかのみ仏をみつづけた老僧の心が、囚人のなかから仏性を呼びさせしめたのであります。

人間はすべて神の子、仏の子であります。

悪とは神仏を離れたマイナスであって、その人の本心のなかにあるのではありません。悪や不幸はすべて消えてゆくより仕方のないものなのです。




「守護霊につねに心を向けよ」


一体どういう風に守護霊が運命を修正してゆくかというと、いろいろの方法がある。

たとえば、転覆した汽車に乗るべきを、忘れ物をして乗り遅れたため、生命の危機を逃れた。という場合、物を忘れた、この忘れ物に守護霊の働きがあるので、守護霊の念が、その人の肉体頭脳に働きかけ、その人の頭の回転を瞬間的に阻止して、物を忘れさせたのである。

また他の人を使って、自分の守護する助ける場合もある。

このような実例は、常に人間世界の生活の上に起こっているのである。

しかしここで大いに考えなければならぬことは、守護霊にとって一番働きやすい肉体人間の状態は、常に守護霊のほうに心を向けていてくれることである。

『日々の祈り』 五井昌久 白光出版



感想・・・・人間同士が相手の神性(神の子)を見出すことが出来るようになれば、一挙に地上天国は完成すると思うのです。

だがしかし今は人間の境地が肉体意識であり、神(愛)意識、宇宙意識になっていないのです。

それは時期があり、「世界平和の祈り」・「我即神也・人類即神也」の印・「神性目覚めの印」などが徐々に人間の意識を変え、地球のエネルギーを光に変え、幽界を浄め調和へと誘ってゆくのです。

そして個人があらゆる危険を回避し、健やかに生きてゆくためには守護霊、守護神のご加護が絶対必要条件なのです。

『世界平和の祈り』の中には守護霊さま守護神さまへの感謝が込められているのです。





  

« 人間は瓦(かわら)ではない、ダイヤモンド(神)なんだ | トップページ | 守護霊の陰の力 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/71611200

この記事へのトラックバック一覧です: 囚人たちの神性を拝んが老僧:

« 人間は瓦(かわら)ではない、ダイヤモンド(神)なんだ | トップページ | 守護霊の陰の力 »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ