« 臨終の様子 | トップページ | 霊力と霊能力の違いについて教えてください »

2017年8月 1日 (火)

世界平和の祈りはただの希望的、懇願的祈りではないのです。

 
 
世界平和の祈りの素晴らしさを他の人に言うと、「そんな甘ちょろい現実的でない言葉だけで世界が平和になるわけがないじゃないか?」「もっとエネルギーの強い言霊を私は知っているんだ」、と言う人がいるのです。

実際に祈っている人でも、そう言われたら反論出来ない人もおられるのではないでしょうか?

考えてみますと、今、日本も地球世界も混沌としており、いつ滅亡してもおかしくない状況になっています。

それはなぜかというと個人も人類も国も自我欲望に走り、自己防衛もしくは相手国を潰そうとしているのです。

人類の意識が狭い範疇にあると、エネルギー(光)は弱いのです。

そして二元対立などのマイナスのエネルギーは、地球を暗雲で覆い、滅亡寸前まで行ってしまいます。

それではいけないので、天は天変地変等の自然災害を起こすことで浄化しているのです。

地震などは、暗雲を消すための光を直接降ろしたら人間が雷に打たれたようにショック死をしてしまうために地面を割ってそこに光を入れているのです。

自然災害ではなく、人災だと言えるのです。

しかし想念エネルギー等があるとは誰も思っていないので、すべてを自然災害にしているのです。

この汚れた想念エネルギーを浄化するには、宇宙の神界の無限のプラスエネルギーを降ろすしかないのです。

それも肉体という器を使って、光の柱を降ろすのです。

そのメソッドが「世界平和の祈り」です。

世界(宇宙)の平和は地球人類だけでなく宇宙共通の理念です。

とんでもなく力強い、素晴らしい光のエネルギーです。

お釈迦様やキリスト様、老子様・・・これまでに地球に降り立った聖者たちはみんなこの世界平和の祈りの中に入っているのです。(大光明霊団になっています)

宇宙の調和、平和は聖者共通の理念だからです。

宇宙は神です。

神は愛なので、(か~あ み~い)愛が極まれば、人間が愛の祈りをすれば、無限なる平和、無限なる調和、無限なる生命、無限なる叡智・・・・すべてが調って行きます。

現象面も整ってゆきます。

個人、人類同時成道です。

もう一度、世界平和の祈りの原理を知ってください。

そして

神聖な我即神也の自分が世界平和の祈りを祈るのだ

神聖なる人類即神也を我即神也の自分が広めてゆくために祈るのだ

と理解してください。

 

業生の人間が祈る祈りでない



世界が平和だとよい、戦争がないとよい、天変地変がないように、自分たちが幸福であるように、とは、正気の人である限りは想っているに違いありません。

そして中には、世界人類が平和でありますように、戦争がありませんように、と時折は神に祈っている人もあるでしょう。

しかし、そうした想いや、そうした祈りと、私の提唱している世界平和の祈りとは、根底的にまるで違っているのであります。

世界平和の祈りとは、そのような力弱い希望的想いや、懇願的祈りではないのです。


私の世界平和の祈りは、この地上人類の今日の苦難を知っておられた、大神様の分れであり守護の神霊の集いである救世の大光明に、私共人類の業想念、迷いの想念をすべて投入してしまって、救世の大光明と、地上人類の分霊的光明とを一つにつなげる祈りなのであります。

ただいたずらに、願望的に世界平和を想ったりするぐらいで、この業想念に満ちている地上世界が平和になるわけがありません。

また真剣に、真摯に世界平和の祈りをする人々があったとしても、その祈りが、この地上世界の悪想念、悪行為を認めながらの祈りであっては、とうていこの世界が平和になりっこはないのであります。

私の提唱する世界平和の祈りは、業想念世界に生活し、業想念の行為で生活する人間がする祈りではないのです。

業想念とは、この世には善もあり、真もあり、迷いもあるというふつう一般の人々の考え方ではありますが、私の祈りは、そうした考えを基にして神に祈るというような祈り方ではありません。


 神様の世界には不和や闘争などない、平和そのものなのだ、人間はそうした神さまの世界に自分の生命根源をおいているもので、神の分霊そのものなのだ、だから、人間各自が自己が神の分霊であることを悟りさえすれば、自然に神の世界がこの地上界にもひらけてくるのだ、ということを根底にして、世界平和の祈りをするのであります。




神様との約束言


世界平和の祈りは、私と神界霊界を貫く守護の神霊との約束言であって、この祈りを祈りさえすればよいのだ、どのような悪業想念所業の人であっても、世界人類が平和で・・・と唱えさせすれば、その人の周囲には、守護の神霊の大光明が輝きわたるのだ、それは唱えている人の業想念でやるのではなく、人間内部の神の分霊と守護の神霊とのつながりによってなされるのであるから、ただ世界平和を祈ろうと想いさえすれば、その想念がスイッチとなって、内部の分霊の光と守護の神霊の大光明とが一つにつながって、自己も光り、自己の周囲も光明に輝いてゆくのだ。

いかなる雑念が起ころうと、否定の想念が起ころうと、守護の神霊につながるスイッチをひねりさえすれば、つまり、世界人類が平和でありますように・・・・と祈りはじめさえすれば、あなた自身の分霊の光が、守護の神霊の光明とつながり、あなたの業想念を破って外部にその光を放射しはじめるのだ、自分の運命を悲観したり、自己の悪い性格を否定したり、自己の能力を否定したりする想念があっても、それはそのままで、なんら世界平和の祈りに悪影響を与えるものではないのだから、ただ一途に祈る心になっていさえすればよい、と説いているのであります。

          『世界平和の祈りQ&A』 五井昌久

 




  

« 臨終の様子 | トップページ | 霊力と霊能力の違いについて教えてください »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/71297018

この記事へのトラックバック一覧です: 世界平和の祈りはただの希望的、懇願的祈りではないのです。:

« 臨終の様子 | トップページ | 霊力と霊能力の違いについて教えてください »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ