運命を修正してくれる守護霊さん 守護神さん 2
『運命を修正してくれるもの』
そこで守護霊さん守護神さんがついている。
前にやった悪いことが、たとえば一万なら一万の悪いことをしても、その人が「守護霊さん、守護神さん」と思って、守護霊守護神のほうへぶつかって入ってゆくと、このグルグル回っている業想念の潜在意識まできて、そこをくぐって守護霊守護神の中へ入っちゃうんです。
そうすると、業想念の三界をこえてしまって、神さまの世界へ自分の想いが入っているんです。
グルグル回っているものも、ちょっとふれるぐらいで、たとえば一万も千万も借りがあっても、それが百か十で済んでしまうもんです。
それを運命の修正というんです。
運命の修正、要するに運命を直してくれるのは誰かというと、守護霊であり、守護神なんです。
自分の努力というのは勿論ありますよ。
だけど、自分自身が意気ばって、自分の短気を直そうとか、意気ばって自分の淋しさを直そうとか、意気ばって悲しみを打破しようとかいうのは、長くつづきません。
調子のいい時は出来ますよ。
「なにを!」と言って出来るけれども、調子の悪い時はどうにもならないです。
調子のいいとか悪いとかいうものは度外視して、調子がいい悪いなんて問題じゃなくて、消えてゆく姿なんだ、守護霊さん守護神さん有難うございます、世界人類が平和でありますように、 と言ってしまうと、想いがいつでも三界をこえてゆくんです。
いつも業想念をこえていかなきゃならない。三界というのをこえていかなきゃならないんです。
三界というのは、迷いのある世界のことをいいます。
いうなれば肉体界、幽界、霊界の低いところを三界というんですが、それをこえる練習をいつもしている。
それが消えてゆく姿なんです。
そうすると空(くう)になっちゃうんですね。
仏教学者がむずかしい言葉で説くような空が、消えてゆく姿をやると簡単に出来てくるんですよ。
知らない間に自分で出来てくるんです。
そうすると、自分でやったことも、神さまがやってくれたことも一つになって、スッと動ける。
たとえば、歩いてAさんの所へ行こうとフッと思う。
ところがBさんの所にも行かなきゃならない。Aさんの所とBさんの所とどっちを先に行ったらいいか、なんて思って、Aさんの所へ行くとBさんが来ていたりして、パッといっぺんに用が足せるようなことが随分ある。
あるいは、義理としてAのほうへ行かなきゃならない。
しかし心がどうしてもAじゃなくてBのほうへ行きたいと思う。
それでBの所へ行くと、Bへ行ったほうがいいことがあったり、Bの家へAが来たりして、両方いっぺんに用が足せるとか、そういうことはたくさんあるんです。
そういうのはみんな守護霊さんがしてくれるんです。
この肉体の頭ではそれは出来やしません。
何がやっているかというと、うしろにいる目の利く人、遠くが見える人、未来のことが全部見えている守護霊、守護神がみんなやってくれるんです。
だから肉体の人間というのは、どんな偉そうなことを言ったって、今、現在の一瞬のこときりわからないんです。
一分先、一秒先のこともわからないんですよ。
「一晩あけりゃ朝になって、朝になったら飯を食うだろう」と思うだけです。
だけど飯は食えないかも知れないし、わかりゃしないんです。
そのように、人間の頭では一秒先、一分先のことも、先のことは何にもわからないんです。
暗中模索しているわけです。なんにもわからないけど、わかったような気がして生きているんです。
守護霊守護神は、ところがちゃんとわかっている。
霊というのは先のことなどみんなわかっている。だから霊にまかせるんですね。
というのは、守護霊守護神にまかせてゆくと、自分の業、自分の悪いくせもみんなどんどん消してくれる。
どんどん消してくれるのは守護霊守護神です。それを他力というんです。
それを浄土真宗では「阿弥陀様にまかせろ、南無阿弥陀仏」というんですね。
『自由解脱の道』 五井昌久著 白光出版
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