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2017年7月31日 (月)

臨終の様子

 
五井先生のご講話を聴いていると、死に対する不安が無くなって、なんだが死ぬ瞬間(臨終)が楽しみにさえ思えてきます。

ただし自分がしっかりと真理を摑んで、なおかつ守護霊守護神の存在がわかっていることが条件です。

だがしかし、無宗教の、神さまを信じない親や親戚の叔父、叔母にどうやって知らせてやればいいのか?

安らかに往って欲しいと思いますよね。

そんなときは、「〇〇さんの天命がまっとうされますように」と天命を祈って差し上げることと、意識がはっきりしていないときでもいいから

「向こうには霊界とか神界という綺麗な美しい世界があるんだよ、生命は永遠なんだよ、守護霊さん、守護神さんが迎えに来てくれるから安心して付いていけばいいんだよ」

と耳元で囁いてあげればいいそうです。

もっと詳しいことを知りたい人は五井先生の動画を是非、ご覧になってください。

五井先生の愛の波動で心が安定します。

この動画を観てもらってもいいかもしれませんね。



https://www.youtube.com/watch?v=Dz57lZTKx0w



 

悪い癖は忘れた時なおる


 
人間は、どんなに素直で明るくて、性格的になんの問題もないと思える人でも、「なくて七癖」と言われるようになんらかの癖を持っているのです。

そしてその癖は、前世だけではなく前前世、そのまた前前前世・・・・からの持ち越しであったとしたならば、そう簡単には直らないのです。無くならないのです。

心配性の人がいるとします。心配してもしかたがないことをずっとずっと想い考えている。

体にも精神にもいいわけがありません。

そして心配されている人にも悪い波動が行くので迷惑をかけてしまうのです。

以前聞いた話ですが、英語塾の先生が生徒たちを連れて海外旅行に行ったそうです。

生徒の一人の親が異常な心配性で旅行前からその心配は始まり、旅行中、朝、昼、晩、何度も何度も無事確認の電話をかけて来たそうです。

案の定、何人もの生徒が体調を崩し、散々な旅になってしまったそうです。


誰でも自分の中のなんらかの癖を直したいと思っている人はいると思います。

どうすれば悪い癖、自分が嫌いな癖は無くなるのか?

自分の癖は自分では直らない、直せない、それを直せるのは、ほんとうの親、魂の親である守護霊、守護神さまなのだ、そして自分の中の「ああだ、こうだ」「どうしよう、なんとかしよう」という全想いを光の溶鉱炉である世界平和の祈りにすべて投げ入れてしまえばいいのです。

すると想いは消えます。スッキリして来ます。守護霊さん、守護神さんがやってくださるのです。

どうにもならないことに悩んでいたことが「どうでもいいや」「どうにでもなれ」「自然に任せよう!」と、大きな心境に入れ替わります。

神様のみ心とイコールになるのです。

素直な人はお得?だと思います。すぐに実行するからです。

そして「あッほんとだ、ラッキー!」になるのです。騙された?と思ってやってみてください(笑)



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


『悪い癖は忘れた時になおる』


自分の悪い癖というものは、自分が認めて「いけない、いけない、いけない」と思いつづけていれば直るかというと、そうじゃない。

それを忘れた時、直るんです。

自分の悪い癖というものを忘れた時に直ります。

「酒飲んじゃいけない、いけない」と思っている時は、酒を飲まないではいられない気がする。

ところが酒を飲むことがいいも悪いもなくて、それは消えてゆく姿と思っている、そして守護霊、守護神さんを一生懸命思っていると、自然に消えちゃう場合が随分あります。

だから私のところへ来て、タバコが吸いたくなくなった人も随分あるし、酒飲みたくなくなった人もずいぶんある。

なぜ飲みたくなくなったかというと、守護霊さん守護神さんが消してくれているんです。

そういうふうに、自分で消そうと思っても、なかなか消えるもんじゃない。

自分でいけない、いけないと思って、自分でやっているうちは苦しくて、どうしていいかわからないように苦しかったんだけれども、私のところへ来て、「ああそれはこれこれこうですよ」と、ひと言かふた言ポンポンとやると、スーッと心が静まっていって、なんでもなくなってしまう。

なぜかというと、その人の業想念が、業をつかんでいる想いが「ああこう好かれちゃ困るんだ、困るんだ。

どうしよう、どうしよう」そういう想いが一遍で先生のほうに入ってしまうから、消えちゃうんです。

自分の中で思っているゴタゴタしている想い、いいとか悪いとか、汚いとかきれいだとか、好きだとか嫌いだとか、病気だとか、貧乏だとか、そういうつまらない想いは、なんでもかんでも全部、神さまに投げ出しちゃうんですよ。

「神さま! これみんな上げますからどうぞ」と差し上げちゃうんですよ。

そうすると神さまがいいようにしてくれるんです。




『自由解脱への道』五井昌久著 白光出版



  

2017年7月30日 (日)

人間は肉体(固体)ではない



人間は肉体で出来ています。

つまり物質=固体ですよね。

一方氷は固体です。

そして溶けて水(液体)になり、沸騰すると気体になる。

だからH2Oは、水にも氷にも水蒸気にもなるのです。

人間も固体にもなり、固体の姿が無くなったら(つまり肉体人間の死)形を変えて細かい精神波動となるのです。

肉体を持っているときは物質波動と精神波動があったわけです。

ほとんどの人間は自分を精神波動(霊波動ともいう)と思っていなくて肉体が自分だと思っています。

そして肉体が滅びると精神(心)も無くなってしまうと思っている。

これが死を恐怖と思っている原因です。

お釈迦様のいう 空 とは肉体から意識を外して精神波動に意識を合わせるということなのです。

精神波動とは細かい波動のことで宇宙や本心と繋がっているのです。

肉体界を超えて迷いの世界である幽界、霊界を超えて神界と繋がるのです。

神界は心の故郷(本心)なので安心するのです。

肉体界の自分は仮の世界、波動の荒い不完全な世界なのでそこが自分の居場所だと思ってしまうと不安でしかたがないのです。

落ち着かないのです。

肉体界は今、幽界が写って来ているマイナスの想いの世界が現われているからです。

幻の仮の世界が本当の世界だと思っているからしんどいのです。

仏教ではこの世を写し世と言います。

写し世とは幽界(迷いの世界)が写っているということです。

だから肉体(固体)だけを自分だと思わないでください。

肉体とは本当の自分のほんの一部なのです。

氷山の一角なのです。

海に浮かぶ氷山はその先端しか見えていません。

しかしその実像は海の底深く入っていかないとその本当の姿はわからいのです。

深海まで入って行かないと神界には行けないのです。(うまい!)

心を鎮めて、祈って、統一をしないと神界には行けないのです。

ましてや感じるところには本当の自分(神様)はいないのです。


世界平和の祈りは、宇宙神の理念なので宇宙、神界と共鳴するのです。

だから祈っていると現状に関係なく安心感が湧いて来ます。

人間は先に安心感があってそれで 行動するから成功し、運命を上昇させることが出来ます。

精神が先です。心が主です。肉体は従です。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


2017年7月29日 (土)

祈りを日常生活にどう活かすか

 
世界平和の祈りを祈ってそれが3次元の生活に活かされていかなければ、それはほんものではないのです。

祈りは祈り、仕事は仕事、お金はお金、と分けていてはどちらかが滞ったとき両方共、中途半端になるのです。

仕事が忙しいときは祈るのを忘れていた。

病気になったときはそんな心境になれなかったなどは気持ちはわかるのですが、そんなときこそ、祈れば整って来るのです。

どういうことかと言いますと、祈りが徹底してきますと、神界としっかりと繋がり、宇宙法則に乗るのです。

そして守護霊、守護神からのメッセージをしっかりと受け取れるようになるのです。

守護霊さんは3体、守護神さんは1体肉体人間に付いてくれています。

守護霊さんは先祖の悟った霊(神)なので仕事のスペシャリスト、人生のスペシャリストでもあります。

守護霊さんと一体になるとスペシャリストの守護霊さんがそのまま仕事をするのと同じになるです。

肉体の未熟な自分が動くのではなく、完璧な守護霊さんが活躍するのです。(これは決して他力本願ではなく、守護霊さんを介して潜在意識に眠っている本当の能力が出るのです)

それから霊界、神界からの叡智が必要なときに必要なだけ降りて来ます。

いろんな困難を乗り越えることが出来ます。

まるでトンチの一休さんのように・・・・。

肉体界とは次元が違うのです。

ただ徹底して祈って神我一体にならなければ、普通の人と変わりません。

そこが難しいところです。

ただ単純に祈っても、もの凄いパワーがあるのですが、それを生活に活かす、自分のものにする、肉体に顕わすとなるとやはり徹底しなければなりません。

神我一体になると自分が無くなります。

我(吾)が神になるので意識が神意識になるのです。

すると常人では考えられないような智慧が湧いて来て、次々に奇跡が起こるのです。

祈りが日常になっている人はしばしば経験しているのです。信じる力は凄いです。

信じれば信じるほど、エネルギーが集中し凝縮されて具現化するのです。

神様事に派手さは要りませんが、そうなってもなんら不思議ではないのです。

ただ守護霊さんはそれとなく成功?成就するようにコントロールされます。(人間が調子に乗らないように)

時期があるからです。ただ祈っていればすべてが整うのか?というとそうではありません。

降りて来たメッセージに対し、一生懸命に努力することが大切なのです。

動くことが大切なのです。神様の器に代わって自分が動くのです。

実践して初めて奇跡は起こります。

普通の人も動いています、実践しています、努力しています。

しかし結果は違うのです、祈っている人はエネルギーが大きく動くのです。

その違いはどこにあるか?というと自分の全想念を神様に投げ入れて、そこから生命を戴き直しているところです。

これからこのような人がたくさん現われて来ます。

本心と肉体の吾が繋がった悟った状態の人が、まず自分を変え、周りの人の意識を変えてゆくのです。




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 


 

2017年7月28日 (金)

世界の運命も個人の運命も一つ

 

 
神社仏閣などで個人的な神頼みをするときは、「商売がうまくいきますように」「私の恋愛が成就しますように」「〇〇大学に入れますように」「おかあさんの病気が治りますように」と自分や家族くらいの範囲でしかしていないのです。

ということは、波動圏は、肉体と幽体(ビル一棟分)という狭い範疇なので光はたいして大きくないのです。

一方、「世界人類が平和でありますように」は個人が世界に拡がるのでとてつもない大きさになるのです。

ましてや世界とは地球世界を言うのではなく、宇宙のことなので、アリと象、月とすっぽん?天と地ほどの差があります。

そんなもの凄い言霊を個人が唱えるわけですから光り輝いていないわけがないのです。

目にみえないだけです。

しかし、祈り始めた人はもう実感としてあると思うのですが、祈っていたら心が軽くなってきた、心配事が気にならなくなった、小さいことがどうでもいいと思えるようになった・・・・そして相手の人が嬉しそうに接してくるようになったとか、お金に困っていたが、思わぬところから入って来た、身体の調子が最近良くなってきたなど、運命が好転していることに気づいておられるのです。

それはエネルギーが素晴らしくなったからであり、世界平和の祈りを祈っているからなのです。

私は、毎朝息子の天命を祈ります。(その他、気になっている人)


「〇〇さんの天命がまっとうされますように」

そして息子の守護霊さん守護神さんにお願いします。

「〇〇さんの守護霊さん守護神さんよろしくお願い致します」・・・と、

息子は東京の大学に行き、今も東京で就職をし働いていますが、7年間病気もせず、変なトラブルに巻き込まれることなく、順調に過ごしています。

これは手前味噌ではないですが、私が祈っているからだと思うのです。(息子には絶対に言いませんが)

なぜ、そうなるのか?下記の文章を読んでいただければわかると思います。








『世界の運命も個人の運命も一つ』




どんな仕事するときでも、道を行く場合には、必ず世界平和の祈りをして行くんです。

そうすると、思わぬいいことが起こってくる。

何故かというと、その間は神さまの中に入っているんだから、神さまの光が向こうへも伝わってゆくわけです。

就職なら就職先にも行っている。

学校の先生の中にも行っている。

すべて光が流れて入ってゆくから、自分のいいようになるんです。

それがわからないんですね。

よくあるんですよ。「世界平和の祈りといったって、自分が困っているのに、自分の頭のハエも追えないのに、世界人類・・・・・なんて私とっても言えません」とね。

みんな耳が痛いでしょ(笑)。

だから私は「じゃあ、あなたはどこに住んでいるの?」と言いたくなる。

世界人類の一員として住んでいるんですよね。

世界人類というものから離れて、その人があるわけじゃないんです。

 

なんだか自分と関係のないような気がするんです。

しかし自分は世界人類の中の一人でしょ。

「私の運命を」というのも、「世界人類の」というのも同じことなんですよ。

世界人類の中に自分が加わっているんだから。

「私の」と言えば自分だけです。

しかし「世界人類の平和」と言ったら、同じ努力で大きく拡がるんです。

 

「世界人類の平和」という時には、自分の平和もその中に入っているんです。

入っているんだけれども、「私は」を重ねて「私たちの天命がまっとうされますように」と入れてあるんです。

何故入れてあるかと言うと、みんな「世界人類」だけじゃ、なんだか自分が入らないで心細いように思うからです。

よく「私は世界人類の平和を唱えてから、うちの名前をいちいち全部言うんです。それからまた親類縁者の全部を呼んでいるんです」と言うんです。

呼んだっていいですよ。

だけど本当は呼ばなくたっていいんだ。

世界人類の中に全部入っているんだから。ということは、いわゆるゴタゴタした頭の中の業想念を、神さまの中へ入っちゃえばいいんですね。

それを教えているんです。種もしかけもないんですよ。

人間は本来神の分霊なんです。“光明燦然”として輝いている光なんだから、その光を邪魔して自分の運命を悪くしているものは想いです。

自分が要らざる智恵を出し、要らざる思慮分別をして光を曇らせているだけなんですよ。

「うちの息子は悪い子になっちゃうんじゃないかしら」「うちの娘はだめなんじゃないかしら」「うちの夫は浮気していやしないかしら」というように勝手に思うでしょ。

思う想いが業想念なんですね。神さまの完全性を否定する想いなんです。

ところが長い間、過去世からそれをやってるでしょ。

だから悪いほうへ悪いほうへ考える癖を持っているんですね。

癖を持っているもんだから、なかなかそれは消えないのです。

子どもがちょっと遅くなると「ああ怪我をしているじゃないか」と思う。

怪我したんじゃないかと思ったって、思わなくたって、怪我をしている時はしますよね。

それは癖だからその人が悪いわけじゃないんです。

過去世の癖が出てくるんです。

そういう想いが出たならば、「ああ神さま、世界人類が平和でありますように」というふうに、平和の祈りの中にその想いを入れちゃうんです。

そうすると、例えば怪我をする寸前に、自動車とぶつかりそうになっても、その時にお母さんがフッと思って、怪我しないということがあるんです。

それは何かというと、光の波が業の波をパーンとはねのけて、業と業とがぶつからないようにしているんです。

自動車にひかれるということも、ひくほうの運転手の業がある、ひかれたほうの業もある。

その業と業とがぶつかって、そこに怪我や何かが出来るんです。

だから片方が業を越えていけば、怪我しないんですよ。

しても軽くて済んじゃいます。

それで「世界人類が平和でありますように」と言うと、業がぶつかってきた時に、業を超えられるんです。

光の波が業を超越させる。パッと消してしまう。

そうするとそこでぶつからないんですね。




『自由解脱への道』 五井昌久著 白光出版


 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 





  

運命を修正してくれる守護霊さん 守護神さん 2


『運命を修正してくれるもの』

 

そこで守護霊さん守護神さんがついている。

前にやった悪いことが、たとえば一万なら一万の悪いことをしても、その人が「守護霊さん、守護神さん」と思って、守護霊守護神のほうへぶつかって入ってゆくと、このグルグル回っている業想念の潜在意識まできて、そこをくぐって守護霊守護神の中へ入っちゃうんです。

そうすると、業想念の三界をこえてしまって、神さまの世界へ自分の想いが入っているんです。

グルグル回っているものも、ちょっとふれるぐらいで、たとえば一万も千万も借りがあっても、それが百か十で済んでしまうもんです。

それを運命の修正というんです。

運命の修正、要するに運命を直してくれるのは誰かというと、守護霊であり、守護神なんです。

自分の努力というのは勿論ありますよ。

だけど、自分自身が意気ばって、自分の短気を直そうとか、意気ばって自分の淋しさを直そうとか、意気ばって悲しみを打破しようとかいうのは、長くつづきません。

調子のいい時は出来ますよ。

「なにを!」と言って出来るけれども、調子の悪い時はどうにもならないです。

調子のいいとか悪いとかいうものは度外視して、調子がいい悪いなんて問題じゃなくて、消えてゆく姿なんだ、守護霊さん守護神さん有難うございます、世界人類が平和でありますように、  と言ってしまうと、想いがいつでも三界をこえてゆくんです。

いつも業想念をこえていかなきゃならない。三界というのをこえていかなきゃならないんです。

三界というのは、迷いのある世界のことをいいます。

いうなれば肉体界、幽界、霊界の低いところを三界というんですが、それをこえる練習をいつもしている。

それが消えてゆく姿なんです。

そうすると空(くう)になっちゃうんですね。

仏教学者がむずかしい言葉で説くような空が、消えてゆく姿をやると簡単に出来てくるんですよ。

知らない間に自分で出来てくるんです。

そうすると、自分でやったことも、神さまがやってくれたことも一つになって、スッと動ける。

たとえば、歩いてAさんの所へ行こうとフッと思う。

ところがBさんの所にも行かなきゃならない。Aさんの所とBさんの所とどっちを先に行ったらいいか、なんて思って、Aさんの所へ行くとBさんが来ていたりして、パッといっぺんに用が足せるようなことが随分ある。

あるいは、義理としてAのほうへ行かなきゃならない。

しかし心がどうしてもAじゃなくてBのほうへ行きたいと思う。

それでBの所へ行くと、Bへ行ったほうがいいことがあったり、Bの家へAが来たりして、両方いっぺんに用が足せるとか、そういうことはたくさんあるんです。

そういうのはみんな守護霊さんがしてくれるんです。

この肉体の頭ではそれは出来やしません。

何がやっているかというと、うしろにいる目の利く人、遠くが見える人、未来のことが全部見えている守護霊、守護神がみんなやってくれるんです。

だから肉体の人間というのは、どんな偉そうなことを言ったって、今、現在の一瞬のこときりわからないんです。

一分先、一秒先のこともわからないんですよ。

「一晩あけりゃ朝になって、朝になったら飯を食うだろう」と思うだけです。

だけど飯は食えないかも知れないし、わかりゃしないんです。

そのように、人間の頭では一秒先、一分先のことも、先のことは何にもわからないんです。

暗中模索しているわけです。なんにもわからないけど、わかったような気がして生きているんです。

守護霊守護神は、ところがちゃんとわかっている。

霊というのは先のことなどみんなわかっている。だから霊にまかせるんですね。

というのは、守護霊守護神にまかせてゆくと、自分の業、自分の悪いくせもみんなどんどん消してくれる。

どんどん消してくれるのは守護霊守護神です。それを他力というんです。

それを浄土真宗では「阿弥陀様にまかせろ、南無阿弥陀仏」というんですね。



『自由解脱の道』 五井昌久著 白光出版

 



  

運命を修正してくれる守護霊さん 守護神さん 1

 
 
私はいつも守護霊さん、守護神さんに意識を向けて感謝をしていないと肉体界ではまともに生きていけませんと書いていますが、もっとわかりやすく述べてみたいと思います。

私たちは何度も生まれ変わり死に変わりをしていて前世では、善いことはもちろんですが、悪いことも随分して来たのです。

それが幽体(潜在意識意)というボディに録音されて、今肉体界に現われています。

今生でいくら善いことを積み重ねてなかなか運命が良くならない、病気が治らない、いつも貧乏でいる、人間関係がどうにもならない、などは、肉体界、幽界、霊界(低いところ)、この想いの世界の3界をグルグル回って抜け出せないのです。

守護霊さん、守護神さんと繋がると、霊界の高いところや神界に繋がるので、想いの世界の3界を超えることが出来るのです。

そして守護霊さんが上手く、非常に上手く、運命を修正し、肉体人間の人生を素晴らしいものにしてくださるのです。

感謝は光なので、守護霊さん、守護神さんが守りやすく修正しやすくなります。

これは他力かもしれませんが、自力だけでは絶対に混沌とした肉体界を生きてゆくことが出来ません。

神様にお願いして、その中で一生懸命に生きて行けばいいのです。




本文、・・・・・

真実は、人間の世界というのは神様の世界なんで、神様の光が光明燦然とした大調和の世界だけしかないんだから。

ただ天界からこの地上界に移ってくる間に、人間が勝手に神から離れて、業想念をつくってしまったんです。

その業想念が今、取り巻いているわけです。

そしてぐるぐる回って走っているんです。急スピードで走っているんです。

どこを走っているかというと、潜在意識の中なのです。

「あのヤロー憎らしいヤツだなァ、生まれ変わったらやっつけないではおかない」と前の世で思ったこと、想いがみんな潜在意識に入っているんです。

それがグルグル回って、潜在意識から顕在意識へ出てくるんです。

そうすると、ある人間なら人間をみると、「なんだかあいつを見ると腹が立って来てしようがない。虫の好かないヤローだ」となる。

たとえばこの間、女子高生が殺されましたが、あれもふだんはなんでもなく、女子高生に会うととたんに殺したくなったりする。

それはなにかというと、その女の子と殺した人との前世の因縁が、あべこべになってきてやっちゃったわけです。

だから前の世でやったことは必ず今生に返ってくるんです。

いいことをしたらいいことが返ってくる。悪いことをしたら悪いことが絶対に返ってくるに決まっているんです。

それは三界の業の話ですよ。

「因縁だよ、あきらめな」という話もあるんです。

「あなたが悪いんだ、そりゃもう」というやつです。

それだけだったら因縁因果説でもって、救いがない。

前の世でやったことがそのまま返ってくるんだ。悪いことをしたから悪い報いがくるんだ。

お前はいいことをしたからいい報いが来たんだ、とやるわけです。

これは本当です。嘘じゃない。・・・・・つづく

『自由解脱への道』 五井昌久著 白光出版



 

 

 

奇跡はこうして起きるんだよ


  

まだ私が調和波動気功をするずっと前のことです。 (24年前)
 
息子は3歳で幼稚園に通っていました。
 
ある日、 「お腹が痛い」 と言い出し、すぐに病院に連れていきました。
 
その痛がり方は尋常ではなく

「痛いよう、痛いよう」 と転がりまわっていました。
 
お医者様は、「腸重積(ちょうじゅうせき)です、手術しか治す方法がありません」と言いました。
 
腸重積とは腸が重なり合ってその部分が壊死してくる怖い病気で、重なっている部分を切り取って繋げるしかなかったのです。

この小さい身体にメスを入れなければならない

親としてはたまらない状況でした。

地獄のような時間でした。
 
そして、時間が来て手術室に行こうと手術用のベットに移されようとしたとき、麻酔がかかっているはずの息子が起き上がって
  
「パパ、ママ助けて!」と叫んだのです。

そのとき私はたまらなくなって
 
「息子の代わりに死にたい」と思いました。
 
そのとき心が熱くなってすごい光がみえました。
 
それから、時間が経過して手術は終わりました。
 
「先生、どうでしたか?」 祈るように聞くと
 
「それが不思議なんです、手術をしようとお腹を開いたのですが、開けてみると腸の重なっている部分がきれいに戻っていたのです」
 
「だから手術する必要がないので、そのまま閉じました、どうして戻ったのかわかりません」と首をひねりながらおっしゃいました。

あれは奇跡だったんだと思えるようになったのはだいぶ後のことです。
 
息子が手術室へ行くときに
「パパ、ママ助けて!」と叫んだことを妻に言うと
 
「そんなことなかったわよ、麻酔がかかっているのに起き上がるわけがないじゃない」と笑われました。

それが実際にあったことなのか?そんなことはどうでもいいです(笑)

今でもそのときのことは鮮明に覚えています。

 
あのとき私の心と息子の心が一つになった
 
そして神の宇宙のエネルギーが動いた

その出来事は、神さまが、「奇跡はこうして起るんだよ」

と教えてくださったのだと思います。




  

2017年7月27日 (木)

4次元、5次元とは



本当の親、真実の親とは自分の子を私物と見るのではなく、木の上に立って見れるようになれる人だと以前のブログに書きました。

自分中に子があるのではなく、放して観るのです。

すると大きな目で俯瞰的に観れるようになる。

他人の子と自分の子が分け隔てなく観れるようになる。

自分の子、他人の子という意識が無くなる。我が無くなる。

悟るとは、自分が勝手に作っている壁の差を取ることだとどこかで聴いたことがあります。

そして、肉体人間の自分を少し離れたところから観ている自分がいる。これが4次元です。

そしてその観ている自分をまた、離れたところから観ている自分がいる。これが5次元です。

恐らく、4次元から観た自分は今までの自分(3次元、肉体界)とはまったく違うと思うのです。

そして5次元になった自分が観る景色もまったく違うのだと思います。

私は時々、シュミレーションしています。

自分でイメージして多次元へ行くのです。宇宙旅行をしているのです。

世界平和の祈りをしていると意識は神界(宇宙)にあるので、4次元に繋がりやすいのです。

今、私たちは肉体意識から神意識へ宇宙意識へ、人間が大きくシフトする時期に来ています。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます





  

2017年7月26日 (水)

人間は神の子(相手の人は自分の分身)



 
私は感情のコントロールが出来なくなった時に一番、しんどくなります。

だから私が調和波動気功法を続けている一番の要因は、

「自分で自分の感情のコントロールが出来るようになる」 これに尽きるのです。

そして最近私は、こう思うようにしたのです。

私の目の前に現われている人とは、すべて自分の分身、つまり私そのものなのだ。

太陽の光はいろんなものを照らすけど、その元となるのは、太陽一つしかありません。

私たちも、私とあなたというように分かれて、別々の違う人のように見えるけれど、元は神さまから分かれた分霊なのです。

一つの光(神)から分かれているのです。

私たちは、人でも物で動物でも植物、鉱物でも、別のものとして捉えると心が荒(すさ)んでゆくのです。

二元対立が心の壁を作って、愛が薄くなってしまうのです。

私たちが心から感動する時って、合一(ユニティ)したときです。

反対に離反(セパレート)したときには、怒りや悲しみの感情が芽生えます。

私たちの目に前に現われる人の中には、腹の立つ人がもちろんいます。

なんでこんなやつを愛さなければいけないのか?

「こんなやつ神の子でもなんでもないや」 って思うこともしばしばです。

でも自分の分身、もっと詳しく言えば、自分の過去世が自分の前に現われていると思えばもっとわかりやすいと思います。

過去世での未熟だった自分が今、成長した自分の前に現われている

「あの時(過去世で)どうしてそんなことしか出来なかったのか?」

「なんでもっと愛深くなれなかったのか?」

そのときの悔しさ、情けなさを見てしまっているのです。

だから腹が立ってくる

腹が立っているのは、相手に対してではなく、 過去世の自分の姿に・・・ です。


それとは反対に素晴らしい人に出会ったときとは、未来の自分に会うことになります

過去世の自分も未来の自分も目の前に現われて、やがて走馬灯のように消えてゆきます。

どんな自分が現われても淡々と見守れるようになりたいですね。



本文

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この世の中が本当によくなるために、一番邪魔になるものは何か。それは人間の感情です。

好きだ嫌いだ、いやだ、欲しい、嫉ましいなどという想いです。

これは邪魔なんです。 邪魔なんだけど、これがなかったら世の中は成り立たないんです。

むずかしいんですよ。 なけりゃ困るし、あっちゃ邪魔なんですから。

そこで感情の純化といって、感情が浄まってくるということが必要なわけです。

それにはどうするかというと、いっぺん今ある感情というもの ━ 自分の感情、ここに起こる感情、あるいは考える力、思考力、思慮分別、そういうものを一度なくさなきゃならない。

空にしなきゃならない。

そこでまた空が出てくるんです。 それではどうしたら空になるかというと、この感情、この考える力、あるいは憎いとか恨めしいとか思う想い、そういうものは、本心、仏さまの姿、神さまの心とは違うんだ、ということをはっきり認識しなければだめなんです。

仏さまというのは自由自在なものなのです。

自由自在になんでも出来る。

思う通りになる。 なんにも迷うこともない。 叱ることもない。 嫉むこともない。 そういうものが仏さまなんです。

 

人間一人一人は仏さまで神さま

 

人間というものはみんな仏さまなんです。 一人一人そうなんです。

誰も仏さまでないものはいません。 全部仏さまです。 言い換えれば神の子なんですね。

神の子でないものは一人もいない。 神さまから出てきた神の分霊でないものは一人もいない。 全部が神の分霊なんです。

その神の分霊が本当の自分なんであって、怒ったり、嫉んだり、恨んだり、叱ったりいろいろする、そういうものは業想念といって、神さまの子であることを忘れてしまった想いが積もり積もって、癖になり、習慣になって、怒ったり、妬んだりするんです。

そういうことをはっきりと認めなければだめです。

だから今、自分が腹が立って腹が立ってしようがない。

「あのヤロー、帰ったらひっぱたいてやんなきゃ」 と思っている。

その思っている時に ━ 思いながらでいいんですよ。

思いながら 「ああこう思っているのは業のほうの私だなぁ、私は本当は神さまなんだ、ちょっと思えないけど、神さまなんだ」 とやるんですよ。

腹が立っている時なかなかそう思えるもんじゃない。 こんちくしょう! と思った時

「私は神さまの子だ」 なかなか思えないけど、思えなくてもいい。 嘘でもいいんだ。

「神の子だ、と先生が言ったんだから、きっとそうだろう。神の子だ。 こんちくしょう。 神の子だ、こんちくしょう」 と家に帰ってから言いなさいよ。

そのうちに 「こんちくしょうは消えてゆく姿。 こんちくしょうは消えてゆく姿」 とやっているうtに、怒りが直っちゃう。 直らないまでも、だんだんだんだん薄くなってしまいます。

自分のところに出てくる自分の心を不安にする想い、いらだたせる想い、波立たす想い、心臓をパクパクさせる想い、そういう想いはすべて、消えてゆく姿なんです。

消えてゆかないものは一つもないんです。

みんな消えてゆくんです。

腹が立って腹が立っていくらも腹が立って、たくさん積もるように腹が立ってもいいです。

腹が立ったままでいいから

「消えてゆくんだ、消えてゆくんだ、消えてゆくんだ」 と言いながら帰りなさい。

そうすると、消えてゆくんだ思わないで腹の立ちっぱなしで行く人よりは、

「こんなに腹が立っても消えてゆくんだなァ、これは私に本当の心じゃない。 消えてゆくんだ、消えてゆくんだ、消えてゆくんだ」 とやっている人のほうが、業が現われてもわずかです。

「このヤロー」がわずかですんでしまいます。 しまいにはこんなにうすくなっちゃいます。

というようになるんです。 妬み心でも同じです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  「自由解脱への道」 五井昌久 白光出版



   

2017年7月25日 (火)

魂の状態が雰囲気に出る



  
同窓会などで人間ウォッチング(観察)をしていると人柄が変わらない人と変わってしまった人に分かれます。

同じような苦労、試練があったとしても輝きは全然違ったりするのです。

そしてその人に何があったのかはわかりませんが、過去から今まで、どういう心境でどういう気持ちで過ごして来たかはだいたいわかるのです。


例えば、何か辛いことがあったときに人のせいにしたり誰かを恨みに想ったり自分の悲運を嘆いてばかりいたりするとその気持ちは潜在意識にインプットされます。

そしてその想念エネルギーは肉体にくっついている幽体に溜まるのです。(この幽体がオーラです)

幽体とは自分の想念(過去世も含む)が集積されるところで、そこに輪をかけて他人の想いを受けたり、幽界のおばけちゃんの想念も入り込んで来ます。

そして自分の想っていることと他の想念エネルギーが似通っていれば共鳴する。

自分に恨みの想いがあれば恨みの想念と共鳴するのです。

恨んで憎んで怖い顔をしていればそれと共鳴する霊がやってくる。 (取り憑かれることもあります)

すると益々、怖い顔になってくる。

醜い顔になっていくのです。

そして姿形だけでなく魂(心ではない)も暗く沈んでいるのでどんよりとした重苦しい雰囲気を醸し出すようになるのです。

テレビを観ていても、昔はかわいかったのに無邪気だったのに純真だったのに

どうしてあんなになっちゃったんだろうという人がいます。(無限なる光)


一方同じような経験をしていても

人のせいにしなかったり、明るく前向き、ポジティブに考える人はそういった暗い想念を引きつけないので取り憑かれることも少ないのです。

心の中は明るく輝いている。

だから雰囲気も明るく爽やかなのです。

そして魅力的です。(魅力の魅とは鬼(マイナス)を消す(未)という意味なのです)

世界平和の祈りを知らない、していないのに

明るく爽やかな人がいます。

ならば世界平和の祈りを祈ればもっともっと

美しく輝くのに・・・・・・。

素敵な人を見ると

いつもそう思っている自分がいるのです。

世界平和の祈りは悪いものとは決して共鳴することはないのです。(だからおかしな霊に取り憑かれることもないのです)

それは宇宙の無限のプラスのエネルギーと共鳴するからです。

無限なる愛、無限なる調和、無限なる平和、無限なる富、無限なる健康・・・・・・

宇宙と共鳴すれば無限のプラスエネルギーが肉体に入って来るのです。

すると3次元的な、すべてのことが整って来る。

それは奇蹟でもなんでもない・・・・。

宇宙の法則なんです。

私たちは宇宙の住人だから

宇宙の法則に乗れば幸せになれるのです。


世界平和の祈り、そして印はこの地上最高のエネルギーなのです。ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)




  
世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  
  
  
  
  

追伸


最近、自分たちの信じるお祈りの最後に

May Peace Prevail  on earth

を入れる宗教家の人たちが増えているそうです。

真剣な祈りをしている人たちはこのお祈りがすべての祈り言を含んでいることがわかるからだと思うのです。

すべての宗教は世界平和の祈りに統一され

そして無くなっていきます。

地球が平和になればもう宗教はいらないからです。

  

「神様助けてください」、はすがっているのではない


  

「神様助けてください」というのはなんだか頼りない自分がすがっているようだけど本当はそうではないのです。

人間は神の子です。ということは神の親でもある。

先日、于先生のレッスンで

「子は自分の親なんです(前世、魂的に)。だからある時期から親は子に、親に逢いたくなるような気持ちで子をみるようになるのです」と教えていただいたのです。

子どもが急にたくましく、強く感じるのも子に親の姿をみているのかも知れません。


そういえば、私も子どもに対してたくましさだけでなくなにか懐かしい故郷のようなものを感じていたのです。

確かに、無性に逢いたくなるときがあります。

そして、先祖の悟った霊が守護霊様、その守護霊様を指導し、肉体の人間も守ってくださっているのが守護神様です。

なんだか守護霊様、守護神様というと大それた、とても遠い存在の人たちなんだと思ってしまいますが、亡くなった親又は祖父母だと思えばいいのです。

亡くなってからあの世に行って悟った、そして守ってくれていると思えば親しみが湧いてきます。

そして自分も過去世で守護霊、守護神だった時期があったのです。

つまり自分とは神の子であり、守護霊、守護神でもある。

自分って凄い存在なんです。(我即神也)

神である自分に頼ること

なんら恥ずかしいことでもなんでもない。

堂々と自分自身(神)に頼ればいいのです。






  
追伸

ここで問題?になってくるのは、なんでもかんでも神に頼ればいいのかというとそうではないのです。

神様は一生懸命に努力している人にしか力を与えてくれないのです。

天命を信じて(神である自分を信じて)人事を尽さないと(3次元のことを一生懸命にやらないと)神風を吹かせてはくれません。

それを多くの人は誤解しているのです。

巷では3次元のことを疎かにして神頼みをしたり神秘的なものに逃げている人が多くいます。

そんな人は幽界の不良霊に遊ばれています。(操られています)

地に足をつけること(仕事を一生懸命にする、当たり前のことに手を抜かない)が一番大切です。


 


2017年7月24日 (月)

生命への感謝



私が毎日ブログを書く中で中心の骨格になっているのは、

「どうしたら世界平和の祈りの素晴らしさがわかってもらえるだろうか?」

「個人も地球人類も同時に救われるのは祈りしかないんだ」と気づいてもらえるだろうか?

これしかないのです。

もちろん他にも「面白いネタはないかな?」とか「今、興味や関心のあることってなんだろう?」と考えることもありますが、それもこれも飽きられてしまったらほんとうに伝えたい真理が途絶えてしまうと思うからです。

真理だけが書いてある文章は堅苦しいので飽きてくるのです。

「真面目か?」と思われるかもしれませんが、それくらい私は真剣なのです。

大げさに言えば生命をSNSに懸けていると言っても過言ではありません。

世界平和の祈りの素晴らしさは、祈っているうちにいつの間にか器がとてつもなく大きくなっているのです。

光の波動圏が半端なく大きくなっているのです。

なぜならば、普通一般の人は、自分や自分の家族の幸せ、平和しか想っていないので、エネルギーの器(波動圏)が小さいのです。

それに対し世界平和の祈りの世界人類は、地球人類だけではなく宇宙人類も含む、とてつもなく深い宇宙愛の祈りなのです。

だから器が宇宙大に拡がるのです。

この世界平和の祈りをたくさんの人が常に祈るようになれば、地球世界が浄まって恨みや憎しみの想念波動も消えてゆくことは自明の理なのです。

このたび、下記の文章を読んでいて改めて

「世界平和の祈りはやっぱり素晴らしいのだなあ」と再確認致しました。

みなさんも安心して、自信を持って祈っていただけたらこんなに嬉しいことはありません。




『生命の感謝』
 



生命への感謝感謝しなければならぬ一番根本は、自分自身の生命についてでありましょう。

生命がなければ自分がいないのですから、生命ほど大事なものはないわけで、ここに無事に存在するということに対しては、感謝せずにはおられないわけです。

人間で生命に感謝せずにおられぬ者はないはずです。

ところがそうではなく、生命なんてものがあるから、俺はこんな嫌な世の中に生きたくもないのに生きているんだ、何が生命に感謝せよだ、とかえって反発してくるものがいます。

それでいてそんな人たちは、他人のものを盗み取ったり、人を騙したりして自分の生命を生かそうとします。

人の生命は平気で殺せるけれど、自分が殺される立場になると逃げ回っている刑事物のテレビなどを観ていますと、悪い人程、自分の生命が大事で他人の生命など眼中にないという感じです。

人生をはかなんで自殺する人なども、実は自分の生命が思うように生かせないので、それが重荷になって肉体身を殺してしまうのです。

しかしその人にとってやはり生命は大事なものなのです。

この大事な生命を誰も彼も感謝して生かしてゆく、ということを徹底して人類が知ることを一大運動としてゆく必要があるのです。

生命への感謝、それは自分という個人の肉体生命だけでなく、人類全体を生かしていて、しかも個人個人に自己として生きている生命、というものに全感謝を捧げるという運動になってこなければならないのです。

ところが、これが又、難しいことで、自分の肉体生命というものだけが大事だ、と思っている人が非常に多くて、自分や自分の家族のことを想うだけでせい一杯です。

それも平素は感謝とまではゆかず、生活に追われて生きているわけで、人類全体の生命に対しての感謝というところなどへはとても、なかなか想いがゆかないのであります。

お互いが自分たちの日常生活のためだけ、全力をつくしているのですから、お互いの利害関係がぶつかり合えば、お互いが不快な感情になり、争いになったりするので、国際間においてはこれが間違うと戦争にまで発展してしまうのです。

根本はなんといっても、お互いの生命礼賛の心が欠如しているところからきているのです。

愛と感謝の不足が人類に常に危機に追い込んでいるといえるのです。

ですからこの世に戦争を起こしたくない、平和な世界をつくりたい、と願うなら、先ず自分たち自身が、生命に対して常に感謝を持ち、少しでもよいから、他人を愛するように生きてゆかなければ、国と国とが仲良くしてゆくことはとてもできません。

イスラエルとアラブのように長い歴史的な憎悪がお互いの潜在意識に深く蓄積されていますと、イスラエル人同士、アラブ人同士の愛の交換ではとても間に合いませんで、他国他民族の大きな愛の心の応援(世界平和の祈り)がなければ、彼等の潜在意識から、憎悪の感情を消し去ることはできないのです。

それに比べますと、日本のように、歴史的に何処の国に対しても、そう憎しみや恨みもない国は、お互いが愛し合うところから、世界の平和に貢献できるので、お互いがお互いの為につくし合いながら、世界平和の祈りのような、人類愛の祈りを祈りつづけてゆけば、それが次第に世界中に光明(光)をふりまくことになってくるのであります。

そこで私ども日本国民が、イスラエルやアラブのことをどうしよう、中近東の問題にどう手を打となどと考えても、とても力が及びませんから、それは政府の外交政策に任せておいて、国民としては、日本そのものを先ず平和にしてゆく、世界平和の祈りを実行してゆき、日本を光明化して、その光明波動、平和のひびきを、世界中にふりまいてゆくことにするのであります。

もう現在そのことは、多くの賛同者が真剣に行じていて、効果をあげているのです。

『真の幸福』 五井昌久著 白光出版



 
 

断食、少食があたり前になってきた




横綱の白鵬が場所後断食をして若返ったとテレビ番組で放映していました。

現在32歳ですが血管年齢が25歳だったそうです。

これは断食で胃や腸などの臓器を休ませて若返らせたからだと言っていました。

その通りなのです。私たちは食べ物でしかエネルギーを作れないと思っていますが、宇宙からのエネルギー(霊要素という)をしっかりと摂っていれば、食べ物からのエネルギーはそんなにたくさん要らないのです。

白鵬は、相撲界の常識を破りました。

食べて育つ、ひたすら食べまくる、食べることが強くなる秘訣と言われていたものを内(内臓)を丈夫にすることで、外(体格・体力)を保っていたのです。

お相撲さんは一般人と比べてかなり短命です。それは食べ過ぎも原因だったのです。

癌とは三つの口で山のように食べると書きます。

無敵の食事法を身に付けた白鵬はあと5年は現役で頑張るのだそうです。

きちんと計算された食事法で、かなりの病気を防げます。(病気のほとんどが生活習慣病だとわかります)

私たちは病気とはおさらばする時期に来ているのです。

  

若返り、元気になるのが「断食」してわかる

 

「断食すると、力が出なくなる」 と思われる方が多いでしょうが、英語の「断食する」=fast(ファスト)には、「しっかりする、元気になる」 という意味が込められています。

飛行機に乗ったとき、表示される fasten seat belt (シートベルトをしっかりお締めください)のfast と語源的には同じであることを考えると合点がいくというものです。

ウナギやエスカルゴを産地から都会のレストランへ運ぶときは、餌を与えると輸送の途中で弱るので、断食させながら運ぶそうです。

つまり餌を与えるより断食させたほうが、生命力が強くなることを意味しています。

鶏(にわとり)も卵からかえって8ヶ月程で産卵をしはじめ、その後1年半くらいすると卵を産まなくなります。

そうなると、以前は廃鳥(殺すこと)にしていたそうです。

それが、ある農学博士のすすめで、廃鳥寸前の鶏に15日間の水断食(水だけの断食)をさせたところ、2~3%は死ぬものの、残りの鶏は一度、羽根を落として丸裸になったあと、また新しい羽根が生えてきて若返り、さらにそのあと、一年半、産卵することがわかりました。

実に不思議なことです。

今では、どこの養鶏場でも鶏に 「断食」 させ、産卵期間の延長を図っています。

これを 「強制換羽(かんう)」 と言います。

このように、動物同様に人も断食すると、若返り、元気になるのです。

食べないからこそ元気になる。

断食をするということは逆説的な健康法といえます。

私は、この20年間で1万人余りの方々の断食を指導してきました。

日頃の立ち振る舞いが若々しくなったり、シミ・ソバカスがうすくなったり、白髪が黒くなったり、肌が生き生きツヤを帯びたりと、皆さんが驚くほど若々しく、そして健康になっていかれるのを目の当たりにしてきました。

そして、ダイエットの効果も、目も見張るほどでした。

私が想像していた以上だったのです。

「断食」 がより体によく、ダイエットにも役立つというのはわけがあります。

なぜなら 「はじめに」 でお話したように、断食中は、体内の老廃物が排泄されて血液が浄化され、体の60兆もの細胞が若返っていくからなのです。

このように、断食をすると、体力がなくなる、体が弱くなるというのは、まったくの誤解であり、断食はむしろ体にとてもよいことなのです。





       
 『断食ダイエット』 石原 結實 日本文芸社



 

調和波動気功法セミナーへのお誘い

 


私が実践している調和波動気功法のセミナーが下記の日程で行なわれます。

以前はセミナーのご案内を常にしていたのですが(年12回)、今は真理の伝達が先だという思いもあり、お誘いが久しぶりになりました。

先月6月のセミナーには、私のブログの読者の方が来てくださり、大変嬉しかったです。

その方は、「どうしてあんな凄い文章が書けるのですか?」とおっしゃってくださったのですが、私には自分で書いているという自覚が無く、他の人に対しておっしゃっているようで不思議な感覚になったことを覚えています。

きっとその方の守護霊さんと私の守護霊さんが強く共鳴したのだと思います。

最近のブログでは、世界平和の祈り、五井先生、昌美先生のことが主になって、調和波動気功法のこと、于先生のことは書いていませんが、私にとってはイコールなのです。

なんらわける必要もなく、以前は一緒に書いていました。

しかし読んでいる人には、わかりにくいかなと思ったのです。

セミナーにはハーモニーと言って于先生の生徒さんがたくさん来られます(私もその一人です)、波動がめちゃめちゃ善いです。

先生の講演もすごく為になります。中国料理も大変美味しいです。


この時期に来られるのはきっと意味があると思います。

そして、ご自分を変えたいと思って折られる方、是非、お越しください。






 
『ムーン・リバー・スター』
 

 

        
 

★日時 7月30日(日) 

12:00~13:30 会食

14:00~  于寿明先生先生講演

★ 大成閣(中華料理)06-6271-5238(禁酒・禁煙)

★ 会費 8000円(小学生4~6年生4000円)


参加したい人はご遠慮なくグッドムーンに連絡をくださいね


携帯 080-1444-0018



調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/

申し込み方法は、ホームページに記載されている口座ではありません。(会によって申し込み先が異なります)

必ず上記の携帯にお電話ください。



調和波動気功法の内容、セミナーの様子を知りたい人は『気功の達人』「気の世界」を極めた14人のP62をご覧ください。

 

 
  

  


 








 

騙されたと思って祈ってもいいのです


 
私が一番「もったいない」と思うことは、人間は神であり創造主そのもので、もの凄い力を持っているのに、170センチ60キロの肉体がすべてだと思い込み、潜在意識に眠った偉大な叡智のうちほんの数%しか発揮しないでただ年齢を重ね、罹らなくてもよい病気に罹り、短い肉体生活を終えてしまう。

死んだ後はせっかく肉体という鎧を脱ぎ捨てて自由自在に神界、宇宙、その他の星々に宇宙旅行が出来るのに、意識が残っているために、「自分はまだ死んでいない、肉体に戻れるんだ」と思い違いをし、肉体界で生きている人間にまでも大迷惑をかけてしまうのです。

これではなんのために生まれきたのか?わかりません。

もうそのような迷いの時期は終ったのです。

これからは素晴らしいほんとうの自分とつながって、本来の自分を現実にどんどん降ろしてゆく時代です。

そのためのメソッドが神界とつながる世界平和の祈りを祈ることなのですが、私が思っているほどみなさんは素直ではなさそうです(笑)

やってみればやさしくてすぐにわかるようになります。

何がわかるようになるかというと難しいことも簡単に思えてくるのです。(意識の次元が上るから)

なんでもないようなことが幸せに思えるようになります。

今まで憎かった人がいとおしくなります。

つまり心の変化が次々に起こるのです。

それは心がピュア(純粋)になり綺麗になるからです。

理屈ではないのです。世界平和の祈りを祈り、守護霊守護神と一体になると汚れがこびり付いた魂に光が入り、ピカピカと輝き出すからです。

余計な想念がはじき飛ばされるからです。

汚れたままでいいのです。

「神様、助けて!」と飛び込んで行けば、必ず助けてくださいます。

タイトルにあるように騙されたと思ってでもいいから祈ってみてください。祈るのは無料です。

神様は人間を相手に商売などしないのです(笑)






『神への全託で道は開かれる』

 

この道は実行するより他に方法はありません。

神様を呼ぶのを恥ずかしがっているようではいけません。

神様を親のような気持ちで慕うのがよいのですが、なれないとなかなかそこまでゆけませんから、自分たちが智慧のある人間だと思わずに、自分たち肉体人間では何事もなし得ない、という謙虚な気持ちになる必要があるのですが、それさえも出来にくい人は、ただ騙されたと思って、平和の祈りを祈りつづけ、守護の神霊への感謝をつづけるとよいのです。

そう致しますと、いつの間にか、神様のみ心が自分の心に伝わってきて、安心立命に近い気持ちになってきて、次第にゆったりとした気持ちで、世界を見渡すことができるようになります。

肉体人間がどんなに頭をふりしぼって考えても、世界を平和にする力はでてこないのですから、そうした無駄な力を一度捨てきって、神様のお力にすがるようにすることなのです。

人間ははじめから神様の生命の分かれであり、守護の神霊に守られて生きているのですから、このことは私の体験でよくよく知っておりますので、私を信用してください。

人間が利巧バカにならぬように、大馬鹿になり、幼児のようになって、神様にすべてをゆだねることが必要なのです。

神への全託が肉体人間を大きく働かせてくれる道となるのです。



『真の幸福』 五井昌久著 白光出版



 
  

2017年7月23日 (日)

頭だけでわかることは無に等しい


真理を述べていると「やっと今までわからなかったことが腑に落ちました」「霧が晴れたようになりました」「これで明日から明るく生きていけます」・・・・

とまるで清涼飲料水を飲んだ後のような、これで「すべてを悟った」ような気持ちになる人もいれば、このまま頭で理解する、腑に落ちるを続けていけば、悟ったのと同じ境地になると思い込んでいる人が多いのです。

申し訳ないのだけれど、私は調子のいい人を信用していないのです。

頭や理屈でわかることももちろん大切です。

今までマイナスだと思っていたことがプラスに転じる、心にひっかかっていたことが霧が晴れたようにわかったのだから心の中で奇跡が起こったのと同じような気持ちになるからです。

だがしかし、そこから一歩も前に前進(実践)しないで、そこで満足している人は、なかなかほんとうの幸せ、安心立命をつかむことは難しいのです。

なまじっか真理を少し知ったがためにかえってかなり遠回りすることになります。

生悟りの状態です。

私は、友達にもなっていない、なんのコメントも無く、イイネもしていないけれど、毎日欠かさずに読んでくれていて、

ある日突然、「よし、これはほんものだ、生命をかけて世界平和の祈りを祈ろう」と思ってくれる人が現われるのを待っているのです。(期待はしていますそのために書いているのですから)

その人は自ら進んで我即神也、人類即神也の印を組み、マンダラを描き、神人(しんじん)になるのです。

私とはこれから1回も会うことも無く、一生知らないままになるのかもしれません。

それでいいのです。私は真理のメッセンジャーです。

最終目的は、本気モードの3万人の神人がパワースポット(光の柱)になることです。

それしかありません。

個人的な幸せは、人類そのものが平和、調和、愛にならなければ成り立たないのです。

自分や自分の周りだけの幸せだけを祈っているときではないのです。

祈りしかないのです。

徹底した祈りの世界

死後のことや、生まれ変わりのことや、神霊の世界のことを、肉体身をもったままで知り得た人は、みな徹底した祈りの生活からそうなり得たので、知識だけでなり得た人はありません。

知識の上で神の存在を知り、神との一体化の大事なことを知り、永遠の生命の中に人間の心を投入しなければならぬ、ということを知っても、そこに祈りの行を加えないで、そのまま知識の上だけのことになり、実際には永遠の生命も、個人生命の行方も判らずじまいになってしまい、観念の上だけの悟りに終ってしまうのです。・・・・・・





「真の幸福」五井昌久著 白光出版



 

2017年7月22日 (土)

空即是色




釈迦様の素晴らしいところは宇宙の真理、宗教(宗教とは宇宙を示す教え)を説いたことももちろんですが、般若心経というお経に、まさしく今現在の地球の状態を述べ、今の私たちに「これからこうなるのだから、心配せずに安心して生きなさい」というメッセージを残してくださったのです。

肉体人間には、この先どうなるのか?はわかるはずがありません。

自分個人のことも他人、日本人、地球人類、そして地球のことも・・・・

だがしかしお釈迦様も私たち人間も同じだったのです。

意識が進化した星の金星にあったのか? 3次元の地球世界、肉体界にあったかだけの違いです。

お釈迦様は未来の地球人類(つまり今)は真理に目覚め、みんなが宇宙意識、神意識になっていくとおっしゃっておられます。

そのことが般若心経に書かれてあったのです。

2011年6月8日に私が書いたブログです。

その頃よりも分かってくださる人が格段に増えていると思います。

なぜなら宇宙からの波動が6年前よりもずっと宇宙の細かい波動になっているからです。




般若心経とは、お釈迦さまが一番優秀だった舎利弗(しゃりほつ)に説いた教えでした。

10人の弟子の中で真理(本当の真実)がわかるのは舎利弗(しゃりほつ)だけだった。

だけどお釈迦さまは説いた般若心経がそのときの舎利弗だけでなく、たくさんの人が理解出来る時代が将来においてやって来るとわかっていたのです。

その時代とは、これから2012年から2017年の、まさしく今の時代
です。

お釈迦さまは金星の人(霊止)です。

金星は地球よりもずっとずっと進化した星です。

だからお釈迦さまは地球を救うために進化した金星の教えを精神的に遅れた地球に降ろして来た。

それが般若心経(はんにゃしんきょう)だったのです。


般若心経にはいったい何が書いてあるのか?

それは色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)にすべてが込められています。

この2つの意味がわかれば人間は悟ったことになります。

悟りとはなにか?

悟るとは、リッシンベンに吾と書きます。

リッシンベンとは心のこと

この心とは本心のことです。

なんのけがれも無い神様、仏さまそのものの心が本心です。(巷で使われている本心とは全然違います)

吾とは業想念の入り混じった肉体人間のことなので

神様の心と肉体人間の想念が一体となった境地が悟ったです。(人間が神様、仏さまになった状態)

お釈迦さまの心境ですね。

つまり、般若心経に書かれているのは業想念の人間が、神様、仏さまになっていく様子が書かれているのです。

それが色即是空、空即是色という言葉になっている。

色即是空、空即是色以外の文章は色即是空、空即是色の解説になっています。

では、色即是空とはなんなのか?

色即是空の色と空即是色の色は違うのか?

・・・・・

違うのです。

色即是空の色とは、肉体人間のことをいいます。

神様の心と動物性(感情的で欲望があるということ)の玉石混交した心を持っているのが肉体人間です。

この肉体人間から、業想念(マイナスの想念エネルギー)、頭を駆け巡る「ああだ、こうだ」あらゆる感情、欲望が無くなってしまえば、純粋な神様の心になるわけです。

今の時代はそれが消えてゆこうとしているのです。

業、カルマ、わかりやすく言えば人間の醜いところが焙り出て、そして消えてゆこうとしているのです。

これが色即是空です。

空とは消えてゆく姿です。

そして消え去った後に顕われるのが 空即是色 なんです。


消え去った後に現われる色とは、汚れの無い、けがれの無い、無色透明な色(白光)なのです。

我即神也、人間の本来の姿を語っています。



つまり今の時代は、神さまの心と動物の心が入り混じっている。

動物(感情的な)の心が勝っています。

だから世の中がおかしくなっている。

みんな自分の利益しか考えていない。

そして争いが起る、その心の乱れで地震などの天変地変が起る。

それがこれからは、神さまの心が勝っていく時代に入って行くのです。

今がその過渡期なんですね。

だから過渡期に現われる人間の醜い姿に翻弄されてはいけないのです。

消えて綺麗になっていこうとしているからです。

現われないと消えようがないからです。

身体に溜まった膿(うみ)もそうですよね。

膿も外に出ないとスッキリ綺麗に治りません。

それと同じなのです。

前々回に書いた肉体人間に期待をするな!はそういうことです。

そのことがわかれば今自分や他人や周りがひどい状態にあったとしても

心配しないでいいわけです。

善くなっていくためのプロセスなんだ

と毅然とした観賞者になれるわけです。(不安になるのは未来がわからないからです)


起る現象に振り回されて、その渦の中で、もがかなくていいのです。

そのことが

般若心経に書かれています。

空即是色はこれからの地球の姿を言っているのです。

悪いものが消え去って善いもの(地上天国)が現われて来るのです。


早く空即是色が来るためには祈りしかありません。

地球を救うのは祈りしかありません。

業想念に侵された肉体人間の力ではどうしようもないのです。(無限なる力!)

世界平和の祈り(印、マンダラ)は空即是色になるために神様から贈られたメソッド(方法)なのです。



 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます





 
薦め図書

「空即是色」 五井昌久 白光出版

「我即神也」 西園寺昌美 白光出版



    

ガンが治る人、治らない人


  

    (2011年6月9日のブログより)

 

私の妻の父親、つまり義父は胆のうガンから肝臓へとガンが転移しています。

今までタバコを吸い、お酒を嗜め、辛いもの甘いものなんでも来いで身体にかなり負担を
かけてきました。

その代償がガンだったのでしょうか?

胆のうのガン細胞を取り除く手術の後は、今までの食生活がうそのようにタバコもお酒もピ
タッと止め、血圧も高かったので塩分もほとんど摂らないように気を付けているそうです。

この治療に最も熱心なのはそれまで父親とけんかばかりしていた息子(私にとって義兄)
です。

本を買い漁って、抗がん剤を打たなくて自然治癒力を高めることでなんとか治らないか?

食事療法はガンに罹った人、家族なら一度は試してみたい方法だと思います。

しかし検査の結果は、ガン細胞が増えていたそうです。


そして義兄が次の手を考えたのが、温熱療法です。

私が読んだ本にこんなことが書いてありました。

 


ガン細胞は35・0℃で一番増殖し、39・3℃以上になると死滅することがわかっているが、

それは、低体温=体の冷えがガンを作る大きな要因になることを意味している。

ガンは、心臓や脾臓、小腸など体温の高い臓器にはまず絶対に発生しない。

逆に、ガンが多発する臓器は、食道、胃、肺、大腸、子宮などの中空になっており、細胞が
少なく体温の低い管腔臓器である。

世界ではじめて発表されたガンの自然治癒例によれば、ガンに罹患(りかん)後、自然治
癒した人全員が、丹毒(急性の皮膚細菌感染症40℃以上の発熱がある)や肺炎にかかっ
て発熱した人だった。

以後、発熱により、ガンが治った症例はいくつも確認され、ヨーロッパの自然療法病院で
は、ガン患者を45℃くらいの熱い風呂に入れたり、アルミホイルのようなもので体を包み
熱を加えて体を温めたりというような温熱療法が行なわれてきた。・・・・・・・・・・




 
つまり、ガンを難しく考えないでガン細胞が苦手としている熱をくわえることで死滅させると
いうやり方です。

昔は検査もしなかったので何の病気かもわからないし、ガンに罹ってもわからないわけ
です。

わからないけど痛みがあったり、体がだるくなったり、放っておくとどんどん体が弱って
いく、痛みも増していく。

そこで昔の人は温泉地に行って治す、つまり湯治(とうじ)をしていたと思うのです。

どんな病気でも体を温めるのが一番良いことだと知っていた。

温めることで免疫力が高くなり、実際に良くなっていった。

湯治で何ヶ月も体を温め続けることでガン細胞も消えていったのだと思います。

しかし西洋医学が入ってきて

そのような迷信的な治療法は忘れられ、無視されるようになっていった。

患者側も家族も

「温泉に入るくらいでガンが治るなんてそんなバカな」とか

「多分気分が変わったのでストレスが取れて治ったのだろう、だから温泉でなくても

良かったんだ」

と考えが変っていったと思うのです。

病は気からといいます。

気の持ち方が非常に大切です。

「この方法で必ず治るんだ」 という信念? がガンを治すのです。

「信じるものは救われる!」

キリストのお言葉です。

どんなことでも信じる気持ちが強くなければ物事は成就しないし、奇跡は起りません。

義父の場合は、家族が強く信じることと、本人(告知しています)に

「これで必ず治るんだよ」

「絶対に大丈夫だよ」

とこれでもかこれでもかというほど言い聞かせることが大切だと思うのです。

年寄りだから言っても無駄だ

とか

この方法も途中で止めてしまうかもしれないから何も言わない方がいい

などと中途半端が一番いけないと思うのです。

奇跡はある日突然起るのではなく

エネルギーが臨界点に至ったときに起ります。

沸点があるのです。

マイナスのエネルギーもプラスに変わるには

祈りを祈って、祈って

祈り込んでいかないと

プラスにはならないのです。

祈りで絶対に世界は平和になるんだ

という信念です。

どんなことでも

信じて

徹底的にやることが

大切だと思います。




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます








「湯川れい子さんの末期ガンが治ったのはなぜ?」


http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-eac4.html




「病気が治る3つの方法」


http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-47a8.html 




 


お薦め本



水素水とサビない身体 太田成男著





2017年7月21日 (金)

頭で想うことと心で思うことは違うのです





頭で想うこと、心で思うこと

実はこれが全然違うのです。

ほとんどの人は頭に浮かんだことを口に出して話ています。

ところが頭はたくさんの人の想い(集合意識)やマイナスの想念が容赦なく入ってくるところなのです。

だから、周りの集合意識が怒りの感情的なものが多ければ、自分もついつられて腹が立ってしまうのです。


この場合の想いとは相手の心と書きます。

つまり自分の本心から出た思いではないのです。

人間のほとんどの人は他人の影響を受けて話しています。

そして想いの中には前世で自分が想っていたことが録音されていて、今、再生されて時を経て想いとして浮かんで来るのです。

要約しますと、今、自分が想っていることとは周りの人の想いと人類の集合意識、そして自分の過去の想いがミックスされているのです。(人それぞれ個性が違う)


次に、心で思うとは周りや集合意識に惑わされない本心のことです。

本心とは神界にある本当の自分の心のことです。

それもずっと心の奥に入っていかないと本心までは届かない・・・・・。

自分の本心と肉体の吾が繋がることを悟るというのですが、この悟る状態になるには大変な努力が必要とされました。(お釈迦様はこの境地(空)になるためのメソッドを弟子たちに伝えました)

つまり、自分の今、想っていることはほとんど自分の本心から出た思いや感情、言葉ではないと判断して間違いないのです。

人間は神である自分(本心)と感情的(動物的)になった自分が入り交ざっているのです。

人間とは神と動物(感情)の間という意味です。

まさしく、人間は玉石混交(ぎょくせきこんこう)になってしまっているのですね。

玉=神の部分を多く顕している人は極少であり、石(悪い自分)がほとんどの人、半々ずつの人など地球上にはいろんな人が同居しています。

自分が玉(神)、本心を顕わして自由自在心(幸せに)で生きようと思うのなら、頭で考えることを停止して本心と繋がることです。


お釈迦様は心の奥に深く入って本心(宇宙)と繋がることを説きました。

私がいつも言っている世界平和の祈りは本心がある宇宙と共鳴して繋がるためなのです。

本心とは光輝いてそれはそれは美しい心です。

人間は悟るという境地にならないと安心立命せず、ほんとうの幸せ感は得られなくなっています。

肉体を持って地球に降り立ったのは、真理(我即神也)に気づいて、ほんとうの自分(本心)を顕わすためだからです。

それが最終目的なのです。

お釈迦様の時代と違い、人間は悟りやすくなっています。

それは、世界平和の祈りが生まれたからです。
 



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



追伸・・・頭に浮かんで来る想念に把われないで、悪い想いも善い想いもすべての想いを世界平和の光の溶鉱炉の中に入れてしまうのです。

するとマイナスの想いは消え、神界から光輝いたエネルギー(ヒラメキ、神智、メッセージ)が降りて来るのです。(悟った状態)


 


  

 

2017年7月20日 (木)

善人よ強くなりましょう


『善人よ強かれ』

(『純白』所収 五井昌久)
※仮名遣いは原文に従っています。

世界中に良い人が多勢いながら
悪い行の人々が常に幅をきかせ
戦争をしたくない人が一杯なのに
世界は大戦争の危機をいつもはらみつづける
こんな不合理な話はないのだけれど
事実は少数の悪に多勢の善が追いまくられる

こうした人類の狂いを直さないで
何んで世界が平和になることができようか

善人というのは人に悪をなさぬというだけではない
自分の生活だけを守ろうとする
心の弱い善人たちが
いくら多勢集まったところで
強力な少数の悪人の迫力に敵するものではない

真(まこと)の善人とは
人間の本心開発の為に
天の理想を地に現わすために
人類の完全平和達成のために
少しでも積極的に働きかけている人のことをいうのだ

国が焼けつくして
地球が燃えつくして
一体人間はどこへ遁げようとするのか
善人たちが勇気を出さないでいて
地球の危機が救われるとでもいうのか

善人たちが分れ分れの心でいてはいけない
一つ目的に心を合わせてこそ
誤れる人々を浄める力が現われる

悪党に世界を渡してはいけない
善人が天と直通して
大光明力を発揮しなくては
地球世界を救うことはできない

世界平和の祈りは
そうした心から生れでた祈りだ
悪は人間の本来性ではないのに
善人は悪を恐れ
悪の前に自己の前進を止める
そういう想いはすべて消えてゆく姿

世界平和の祈りの中で
神の大光明の中で
善人は逞(たく)ましく生れかわり
地球世界を浄めさり
真実の理想世界を現わさなくてはならない

善人よ
心正しき人々よ
神のみ心に結集して
さあ 天と地をつなぐ光の柱となろう

2017年7月19日 (水)

ガン細胞は弱い生きものなのだそうです(医者の9割はガンを誤解している)


 
つい最近、プロ野球の広島カープ、赤松選手がガンに罹っていたとテレビで放映されていました。

本人には何の自覚症状もなく、健康そのものだったのに、奥さんから強く勧められて検査に行ったら胃ガンが見つかり、手術した(胃を半分切除)、その後リンパにもあるのが見つかったので抗がん剤治療をしている。

・・・・・・・・・・・・・

これってもしかしたら自然にガンは消滅していたのではないだろうか?

と思ったのは、いい加減な解釈でしょうか?

胃潰瘍などは、ストレスがあった時期に出来たものが跡形として残ることがあるそうです。

私たちは、ケガをしては治し、病気になっても自然に治す力(自然治癒力)が宿っています。

それは治す力が病気になる力を上回っているからです。(ガンも同じだと思うのです)

病は気からと言いますが、

「自分には天(宇宙・神)から与えられた無限の治癒力があるんだ」と信じることが一番大切なことだと思うのです。

「神である自分(我即神也)がガンごときに負けるわけがない」

それくらいの気概を持っても良いと思うのです。




2014年4月27日 (日)のブログより




私もこの本を読むまでは、誤解をしていたのですが、がん細胞ってじつは弱い生き物なのだそうです。

精神的にも肉体的にも調和の取れた人だったら、どれだけ強いがん細胞(弱いのですが)を植え付けてもびくともしない

弱いものと共鳴しないからだと思うです。

だが、自分が弱気になっていると共鳴してしまう、または肉体を粗末に乱暴に扱っていると肉体が弱ってくるのです。(免疫力が弱る)

例えば、暴飲暴食をしたとする・・・肉体を痛めます

癌という字は、3つの口で山のように食べると書きます。

心か身体のバランス(または両方)を崩しているからガンがつけ込んでくる、精神を鍛えて、強くなって、エネルギーを流して、身体を大切にしていけば

がん細胞は弱いもの、自然淘汰されてしまう、消えてしまう

ただそれだけのことだったのです。

「がんを恐れるなかれ!」

そして

「自分を強く変化させよ!」

「9割の医者はがんを誤解している!」 岡本裕著 から特に響いた箇所を抜粋します。

みなさ~ん、「人間には無限の可能性があるんだ」と信じてください。

強くなるのではないのです。

人間は元々、とてつもなく強い生きものなのです。

その信じる力ががんを克服するのです。



 
   
がん細胞は死にやすい

 

では、ここで、がんについて、現在わかっていることをお話していきましょう。

まず、がん細胞について。

がん細胞は、まるでエイリアンのように、どんな悪条件にもかかわらず、どんどん際限なく増殖していって、正常な細胞を食いつぶし、やがては患者さんを死に追いやるといった、そんなイメージを持たれている方が多いかもしれませんが、

実は、
まったくそうではありません。

がんは、むしろ内弁慶な細胞です。

体外に出してやると、とたんに死んでしまう、意外と生命力の弱い生き物です。

実験室で培養してみるとよくわかるのですが、とても育てにくい死にやすい、デリケートな細胞なのです。

放っておいてもどんどん増えていくというイメージとは程遠いものです。

温度調節や栄養補給などなど、手取り足取り、けっこうまめに面倒を見てあげないとすぐに死んでしまう、そんなひ弱な細胞なのです。

たとえば、がん患者のAさんのがん細胞を、健常人であるBさんに移植したとしたら、どうなるでしょうか?

本当にたとえばですが、仮にそんなことがあったとしても、基本的にはBさんはがんにはなりません。

Bさんの体内に入ったとたん、移植されたがん細胞はBさんの免疫力で簡単に撃退されてしまいます。

では、なぜAさんの体内にいる場合に限り、がん細胞は際限なく増殖していくのでしょうか?

それがたいへん不思議なところなのですが、それはAさんの身体が、がん細胞が成育し、増殖しやすい環境に変化したからなのだと考えられています。

イメージとしてはつまり、がん細胞が強くなったのではなく、まわりの環境が脆弱になってしまい、結果として、がん細胞が生き延びられるようになってしまったという感じです。・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
 

「9割の医者は、がんを誤解している」 岡本裕著 飛鳥新社

 

象の時間、ネズミの時間(深呼吸をしましょう)

 

私たちは、心配事があるときや思い通りに物事が進んでいないときは、呼吸が浅くなっています。

呼吸が浅いと宇宙からの生命エネルギー、霊要素を十分に取り入れることが出来ない為に60兆の細胞に必要なパワーが行かないのです。

細胞にパワーが無かったら行動や思考が中途半端になりネガティブになります。

全細胞の内、3分の一しかエネルギーが燃えなかったとしたら後の3分の2は不完全燃焼を起こすのです。

この中途半端な不完全燃焼が活性酸素を生み、身体を錆びさせます、老化が早くなります。

病気の原因になります。

生命エネルギーは蓄えることが出来ません。積み増しも出来ないのです。

一日一生で、使い切ってしまわないと、次の日は1/3からのエネルギーでスタートすることになるのです。

使い切ってしまうと次の日は満タンからのスタートになります。

 

一生懸命に生きないと怠惰になってしまうのはそういうことなのです。

深呼吸によって生命エネルギーをいっぱい吸うことによって肉体は霊要素で満タンになります。

気持ちも落ち着いて来ます。

それは宇宙の、神界の無限のプラスのエネルギーが入って来るからです。

呼吸の仕方で人生が決まるのです。 

そして

現れてくる現象に振り回されて一喜一憂していたら心臓はいつもバクバク状態、精神的にも肉体的にも良いはずはないのです。

ある本を読んでいたら面白いことが書いてありました。
 


「哺乳類ではどの動物でも一生の間に心臓は20億回打つ、ネズミは心臓の心拍数が多いので数年しか生きないが心臓の鼓動がゆっくりな象は100年近い寿命をもつ」



よくビックリしたときに 「寿命がちぢまった」 というが、そのときには心臓がドキドキして明らかに平常心を失っています。

正しい呼吸法をしていると常に平常心が保たれているので現象にとらわれて振り回されることはありません。


正しい呼吸法とは


静かに吸って、静かに吸って、穏やかに止めて、穏やかに止めて、さわやかに吐きましょう、爽やかに吐きましょう 

です。

意識して毎日続けているといつの間にか色んなことが整って来ます。

呼吸を調えることで、現象面が整って来るのです。



追伸

上記に書いている深呼吸でも十分効果がありますが

 

吸うときに、 我即神也

止めたときに 成就

吐くときに 人類即神也、世界人類が平和でありますように、守護霊様、守護神様ありがとうございます

という神界の言霊を唱えると天地を貫く光の柱(パワースポット)になっています。

割合は7:7:7でも良いのですが、特にこだわる必要はありません。(7秒を目安)

長い息を心がけてください、長い息は、長生きに繋がります(健康)

 

ただ、息は吐き切ってください(残さないように)

 

詳しい呼吸法を知りたい人は

 

『無限なる幸せを体得する方法』于 寿明著 星湖舎

調和波動気功法


http://www.harmony-wave.jp/


  
  
  


  

2017年7月18日 (火)

宇宙人が降りて来る


 
  

日本の政治や各国の様子を見ていると、後数年でアセンション(次元上昇)するなんてとても思えない。


次元上昇で何が起こるかというと天と地がひっくり返るということです。

つまり天界(天国)が地上に現われるのです。

3次元から4次元へ突入です。

こうなると人間の7つのチャクラは完全に開き、地球上の人間全員が覚醒する。

意識があがって、肉体意識から宇宙意識になる。

宇宙意識とは神意識のことです。

お釈迦様やキリストのように自由自在心になるのです。

 
でもどうしてもそんなことが起こるなんて信じられない。

このままの状態で行くと破滅は想像出来ても天国が現われるとは到底考えられない。

私も祈りだけの力でアセンションが起こるのは少し無理があるなと思っていました。

でも、それは確実に起こるのです。

絶対に間違いないことなのです。

そのことを先日、調和波動気功のセミナーで于先生が教えてくださったのです。

ところで、私の書く日記の中に五井先生がしきりに出てきますが、五井先生は覚者です。

覚者とは神我一体となった人のことです。

神我一体とは、肉体の我(われ)と神が一つになった

つまり神様、仏様と合体した人です。

キリストしかりお釈迦様しかりです。

宇宙には霊位(れいい)と言って霊(神)の位を計る尺度があります。

お釈迦様は金星から天下って来られたのですが、同じ金星の人?でも段階があるのです。

お釈迦様は、業想念で汚れた地球に降りて来て、真理を説き、たくさんの人々を救ったので霊位が高いのです。

金星の中でも大尊敬されています。

五井先生は、もっと汚れた状態の地球に降りて来られた方で、キリストやお釈迦様よりも霊位が高いのです。(霊位が高くなければ浄めることが出来ない)


神界でもかなり高い所におられる神様です。


その神様が肉体の五井先生の器に降りて来て神界の教えを説いた。

その教えが世界平和の祈りだったのです。

この祈り言を人間が唱えることで地球と人間が救われていく

お前の役割りはこの祈りを人間に伝えることなのだ

と神示が降りた。


そして


五井先生には地球の未来を観ることが出来た。

天界(天国)が地上に降りて来るところを霊覚でハッキリと観ておられたのです。

そしてそこで何が起こったのかを観たのです。




そこのところの文章を抜粋します。


『みんな救われている』五井昌久 P35から


世界平和の祈りの中には、神々が光輝いている。

この祈りは救世主がやっているのですから、救世主の大光明なんです。

その大光明が世界平和の祈りとして私に説かしている。

他にいろんなことを説かしているでしょうが、私には世界平和の祈りを説かしている。

その祈りの中に守護神がやがて降りてくるだろう。

宇宙人が肉体と同じような形で降りてきて、宇宙科学をもってサタンの武器を押さえるであろう、というのが私への神示なのですよ。

それで私は一生懸命世界平和の祈りをやっている。



もう一度書きます。


宇宙人が肉体と同じような形で降りてきて、宇宙科学をもってサタンの武器を押さえるであろう、というのが私への神示なのですよ。



そうなのです。

世界平和の祈りを祈る人の数が臨界点を超えたとき

救世の大光明霊団の中から宇宙人、守護神が人間の形で現われて、サタン(悪魔、人間の業想念)から武器を取り上げるのです。

具体的には戦地の兵士が武器を地面に置き(愛に目覚め戦意喪失する)、一般人がスマホを手放す。(自分の中に神性を見出すことでスマホ依存症が無くなる・・・・・)


それを3次元に住む私たちは肉眼で見せられる。


神様が地上に現われるのだから

それはもう気絶するくらいのショックだと思います。

映画「よみがえり」では死者が霊界、幽界から肉体界に戻って来ましたが、それどころの驚きではないと思います。

でもその頃には、波動、意識が上がっていて何人かの人は冷静に受け止めることが出来るのです。

その未来の姿を五井先生は霊眼で観られた。

だから確信を持って

「絶対に大丈夫なんだ」

「人間も地球も救われるんだ」

とおっしゃったのです。

そこには大確信があったのです。


その時、多くの人は、宇宙人(神様)の姿を目の当たりに見て(光を浴びて)驚いて、目をパチパチさせて

「これは本物だ!」と確信するのだと思います。

そしてその時に意識が変わって覚醒してゆく

だがしかし、その前に覚醒している人がいなければならないのです。

光の柱、パワースポットになって宇宙からの強烈なエネルギーを前もって降ろして人間がショック死しないように準備が出来ていなければアセンションは大成功には終わりません。

またはずっとずっと先に延びてしまいます。

アセンションの時期が遅れてしまいます。

それだけ苦しむ時間が長くなるのです。(不調和な状態が続くから)

今こそ、真剣に人間のために地球のために、宇宙のために真剣に祈る人が必要なのです。

救う側になるのと救われるのとではまったく違うのです。

先ほど、お釈迦様は金星の人だけれど金星の人たちからもリスペクトされていると書きました。

宇宙人が降りて来る前に世界平和の祈りを祈る人と後で祈るのとでは価値が全然違います。

あなたは救う側ですか?

救われる側なのでしょうか?





世界人類が平和でありますように 

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  

 

2017年7月17日 (月)

今日は死ぬのにもってこいの日だ



 


病気と共に生きるという、宇宙の法則に則った古代人の死生観

古代人たちは、病気になっても 『病気=死』 とは結びつけませんでした。 何故ならば、病院等が存在しなかったからです。 その代わり、メディスンマン(呪師 まじないし)や部族の酋長や祈祷師が、その病気の乗り越え方を教えていたのです。

彼らは病気を抱えながらも、自分で出来ることは出来る限り、自分で行なっていました。

食べることも、トイレに行くことも、また、外出することも・・・・・・。

病気の程度に把われることなく、自分で出来ること、働けることは、何でも自分でしていました。

病気と共にありながら、生活を送っていたのです。

全治する、しないにかかわらず、いわゆる病気と共存していたのです。

そして多くの場合、彼らは自然死を迎えてゆきました。 自らの死を悟った時、自然に食を断ち、水を断ち、そして自然に移行していったのです。

自らの死への意志が、自分にも家族にも周りの人々にも自然に伝わってゆき、当然のごとく受容されていたのです。

彼らの直接の死因は病気そのものではなく、その人の寿命で死んでいったのです。

人によっては、外出中に事故で死ぬ人もあれば、災害で死ぬ人もありました。

しかしいずれにせよ、昔の人は病気を抱えながらも自分の家で、自分に出来ることをしながら生活していました。

よほどの重病人でない限り、今ある病院のように、一日中寝かされっ放しではなかったのです。

死ぬ瞬間まで出来る限り人に依存せず、迷惑をかけず、何もかも一人で果していたのであります。

そして、そこには家族や社会とのコミュニケーションが、死ぬ瞬間まで存在していたのです。

それが、その当時の生き方においては、当然であったのです。

それ故、誰もがそれを当たり前のように行なうことが出来たのです。

そして死の二、三日前、あるいは一週間ほど前になると、みな自分の死の到来を直観していました。

そして、自らの肉体自体が自然と食を欲しくなくなり、遂には水さえも拒否するようになってゆきました。

彼らの意識は死ぬ瞬間まではっきりしていました。

大人も子供も淡々と死を受容していました。

精神的な苦悩が伴わなければ、肉体の死、それ自体も決して苦しいものではないのです。

その上、自らの肉体や家族に執着を持たなかったから、なおのことでありました。

このように、人の生死は、宇宙の法則の中で自然と行なわれていたのです。

それこそ、ネイティブアメリカンの教訓にあるように

“今日は死ぬのにもってこいの日だ” という心境だったのです。

     病気と生死について 『病気=死』の観念を覆す 西園寺昌美著


 

    

  

宇宙の動きに波長を合わせる

 
 

今、日本でも世界でも気象や政治や経済がおかしくなっているのは、宇宙からの波動がアセンション(次元上昇)に向けて4次元、多次元になって来ているのに、人間の波動がそれに伴っていないということです。

3次元の肉体意識のままだからそのズレが不調和な状態を作っています。

実は、宇宙からの波動は2012年から少しずつ変わり始め、去年には5次元へと突入しているのです。

人間の意識が宇宙意識、神意識になればすぐにでも地上天国は訪れるのです。(そのためには3万人の宇宙意識の人が必要です)

宇宙意識(神我一体)になれば、もの凄い光が降りるので人間の想念で汚れた世界、幽界が一変で浄まって神界イコール肉体界になるのです。

だがしかし人間の意識は、そう簡単には変わらないのです。

それは、いつまでも頭で「ああだ、こうだ」「あいつは良い奴だ、悪い奴だ」と考え、どうでもいいことに把われているからです。

いいか悪いかなんて肉体人間がジャッジするものではないのです。

肉体人間の評価なんて間違えてばかりです。

そんなことよりも本当の自分がいる神界(本心のある世界)に波長を合わせ、そこからスタートする時期にもうとっくに来ているのです。

私たちはなんのために生まれてきたのか?

それは世界平和の祈りを祈って、自分のほんとうの姿(本心)を肉体界に現わすためです。

神の愛を肉体に顕わすためです。

人間の天命(ミッション)はそれしかないのです。





【宇宙の動きに波長を合わせる】


 

宇宙のほうでは、宇宙を運行している神々がどんどん運行し変化してゆきます。

肉体のほうでは守護神が変化させてゆくわけです。

その宇宙の運行の変わり方と肉体人間の変化の状態が一つにならないと、不幸が出てくるわけです。

ずれた分だけ天変地異も出てくるし、戦争も出てくるわけです。

そうしてはならないと、宇宙の動きに波長を合わせようと思って、私たちは一生懸命、世界平和の祈りをしているわけです。

宇宙を運行させている仕方と、人間が変わってゆく変わり方とをピタッと同じようにしようと思って、神々が、守護霊守護神が一生懸命働いてくださっているのです。

ある時は病気になるかもしれない。ある時は不幸になるかもしれない。

そうやってバランスのとれないズレを消して、合わせてゆくのです。今がその状態です。

ピタリと合う状態を、一番早く現わすにはどうしたらいいかというと、世界人類が平和でありますように、私どもの天命がまっとうされますように、という祈り言を唱えつづけることなのです。

そういうふうにもう定まっているわけです。

だから日常茶飯事のいろいろの想い、人が悪い自分が悪い、あいつがいいこいつがいい、というすべてのことを、みんな消えてゆく姿にして、世界平和の中へ入れてしまう。

ということはとりもなおさず、無為にして為せ、自然法爾、あるいはみ心のままというのと同じことなんです。

み心のままなんだから、世界平和の祈りは一度や二度、三度や五度、一年や三年や五年やったからいいかというと、そうじゃない。

一生を通して、生命ある限り世界平和の祈りは続くわけです。

この世でもあの世でも続くわけです。

世界平和の祈りというのはそういうものなのです。

それを一月やった、三月やった、一年やった、でもまだ効果がなんにもない、などと現象の効果を求めているうちはだめなのです。

世界平和の祈りをやることによって、心が安心立命してくる、本当に神の姿がわかってくる。━目に見えるというんじゃない━神の姿が心の中でわかってくる。

ああ、自分の本当の姿はこうだな、とわかってくる。

人間の本当の生き方がわかってくる。

自然にわかってくるわけです。




            『永遠のいのち』 五井昌久 白光出版





  

死ぬこともおめでたい



 

人間の一番重要なことは、生まれてくることと死ぬことです。

これ以上重要なことはまあない。

それからいかに生きるかというのが問題になりますが、生に始まって死に終わる。

これは人生の重大問題です。

生まれてくる時は生命を受けたという喜びがありますが、死ぬ時はみんな喜ばない。

大体が泣きます。

目に見え手にも触れなくなるわけですから、みんな悲嘆にくれるわけです。

ところが、大きな意味の人生の本性、永遠の生命的な本性からいきますと、生まれてくることも、あの世へ行くことも本当はおめでたいんです。

ただ、おめでたくない生き方もある。

それはどういう生き方かというと、心の中にいろいろな業想念、例えば迷いの想い、恨みの想い、肉体に執着する想い、この世に把われている想いがたくさんあり、その想いのままに生きていると、あの世へ行くことが嬉しいことじゃなくなる。

実際にあの世に行って苦しみますから。

わけても霊界のあることを信じないで、否定していて、肉体が亡くなればそのままでもう人生は終りだ、死んだら生命があるものかという想いのままであの世へ行けば、一番不幸せです。

死後の世界を否定しているのですから、意識が甦れば肉体の世界に甦ったと思うわけです。

そこで肉親や知人の肉体にまつわってきて障(さわ)りになったり、あるいは闇夜のなかを歩いてみたり、生命のないところをうごめいている。

それは一番恐ろしいことです。

ところが、みなさんのように、神様の存在も、霊界のあることも知っていれば、死ぬことなんかちっとも恐ろしくない。

高校から大学へ行き、大学を卒業して社会人になると同じように、死はこの世の役目を果たして一段階進歩することであって、ちっとも悲しむことじゃないんです。

だから、この世の生命がないとわかっているのに、ただいたずらに注射を打ったり、なんとかして命をとりとめようとしていることは、余計病人を苦しませているだけであって、肉体人間の人情としてはわかることですが、本当をいえば、逝くべきものはいかしめなければいけない。

それをひきとめているというようなことが随分ある。

お医者さんにすれば当然のことですが。

赤ちゃんが生まれようとするのに、もっと遅くなれ遅くなれ、いつまでもお腹に居ろ居ろといって押えている人はありません。

たいがい早く無事に生まれますようにといいます。

それと同じように、あの世へ行くのも赤ちゃんがこの世に生まれてくるのと同じような状態に思わなきゃいけないんです、本当は。

赤ちゃんが生まれておめでたいと同じようなおめでたさになるためには、この世に生をうけている間に、永遠の生命と一つになって、神さまのみ心を心として、あの世にいっても自由自在に働けるようになっておく必要があるわけです。

それにはどうしたらいいかというと、常に心の中で、ああ、神さまはいらっしゃるな、いつも守っていてくださるな、守護霊守護神さんがちゃんと守っていてくださる、こうして永遠の生命として自分の中にあるんだ、と頭の中で知っているだけでもいいんです。

普通の場合は神さまを形の上でつかめないから、頭の中で知っていてもあの世で役立ちますから、そういうことを常に心に描いて生きていれば、亡くなった先でも自由な生活ができて、悪いところへは行きません。

光明燦然たる世界へ行くんです。

皆さんのように、平和の祈りをして守護霊守護神たちに感謝している人は、絶対にあの世で苦しむことはありません。

これは私が保障します。

生き生きとした生活が出来るんです。

だから、もし友だち、法友のなかで亡くなる人があっても、それをあまり悲しまないで、どうぞ永遠の生命のなかにつながりますように、どうぞあちらでいい生活が出来ますように、あの世で天命が果せますように、そういうように祈ってあげて、それでさっぱりしていたほうがいいのです。

だけど、 “死ぬものは死ねばいい、あれは消えてゆく姿でもう行っちゃったんだ” なんて人情も愛情もない冷たい態度であっさりしたことをいわれても困るから、人情として泣く時はないてもかまいません。

ただ、 よくおかわいそうっていうけれど、そうじゃないです。

“ああ、あの世で新しい自由自在ないい生活が出来る出発だ、おめでとう” という、永遠の生命を認識した気持ちで送ってあげるといいと思うんです。




       「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版



 

一人生まれ、一人生きて、一人死す


人間はうまれるときも一人で生まれ(双子、三つ子は別として)、死ぬ時も誰も付き合って一緒に死んではくれないのです。

そして生きているときも自分の心の内に入っているときは、完全に一人です。

人間は星そのものだと言われていますが、宇宙に浮かぶ星もくっついて存在することはありません。

絶妙の距離感、バランスを保って孤立しています。

孤立していても宇宙の仲間であり、その星に何かがあれば他の惑星にも影響を及ぼしているのです。

地球も今、アセンションを迎えようとしているのですが、宇宙からの波動と人間の意識が違っている(人間が幼過ぎる)為に他の星(特に金星)は、懸命になって人間ひとり一人の意識を変えようと、世界平和の祈りを伝えようとなさっているのです。


話を戻して、人間は生まれるときも死ぬ時も、そして生きているときも一人なんだと決めてしまえば、諦めてしまえば案外楽になると思うのです。

「そういえばそうだな、自分しかいないんだな、だったら自分と仲良く、好きにならないとな」と思うと自分をしっかり見つめることになります。

自分が何者であるのか?わかるきっかけになると思うのです。

正解は、自分は神そのものであり、自分の中に宇宙があり、宇宙の中に自分がいるのではない、のですが、

このことがわかってくると不思議と孤独感は無くなるのです。

一人でも平気になるのです。一人が心地よくなるのです。

なぜならば他人も動植物も自然もみんな自分と繋がっているという感覚になるからです。

みなさんも西園寺昌美さんの文章を読んで一人の良さをかみ締めてください。



 

一人生まれ、一人生きて、一人死す


人間は生まれた時にはたった一人でこの世に降りてきました。

また、死ぬときもたった一人でこの世を去ってゆきます。

と同時に、現在この世に生きてゆくのも自分一人なのです。

たとえ夫や妻がいようとも究極的には一人で生きてゆかねばならないのです。

そこは他の人が一切介入できない神聖な世界です。

たとえ愛する夫や妻や子供達といえどもタッチできない領域なのです。

自分の運命、自分の生命、自分の健康、自分の生き方はすべて、自分一人で決めてゆくことなのです。

確かに人類の多くの人達は、家族に囲まれ、家族の愛や助けや保護のもとに自分の人生を送っているように思っています。

しかし真実は決してそうではないのです。それは錯覚です。

人間は一人です。

自分一人が生きてゆかねばならない性(さが)なのです。

たとえいかなる幸せな家族に囲まれていようが、自分の悩みや恐れや不安や深い悲しみは自分自身のことであり、自分自身で取り除いてゆかなければ決して真の解決にはならないのです。


確かに自分を取り囲んでいる愛すべき家族や友人、知人等は、自分の苦悩や深い悲しみを取り除くためのあらゆる援助を決して惜しまないことでしょう。

皆、誠意をもって我がことのように、あなたのことを思い考え、ベストを尽くし、あらゆる方法を提供してくれていることでしょう。

そんな周りの人々の暖かい援助や助けを借りて、あなたはあたかも人々によって生かされているように思っているかも知れませんが、真実は決してそうではありません。


あなた自身が自ら決断し、一人で自らの人生を選び抜いて生きているのです。

周りの人々からいかなる援助や助けやアドバイスがあろうとも、彼らの領域はそこまでです。

人があなたは間違っていると指摘し、どんなに説き明かしてみても、またあなたの態度が傲慢で虚偽に満ちていると注意や意見をしたとしても、あとはあなたがそれらの指摘や意見に一切耳に傾けなければなんの意味もありません。

また、あなたが意見や指摘に対して耳を傾け、そのアドバイスや行為や暖かい思いやりに接して、すべてを自分のものとして聞きいれたとしても、最後の決断は自分でしているのです。

耳を傾けることも拒否することも自分次第です。

自分の決断によってすべて一切のことが決まるのです。

周りの人々の意見や指摘を素直に聞き入れ、それらに従って生きているにしろ、その結果はすべて一切自分自身にあるのです。

一般の人々の眼には、周りの人があなたの運命や進路や方向を決め、あなたがそれに従っているようにたとえ映ったとしても、実際はそうではありません。

周りの人々は、あなたの人生を創り出すことも出来ないし、運命を変えることも出来ないし、また病気を治すことも出来ません。

あくまでも自分の人生は自分で決定してゆくことこそが、この世の法則なのです。

運のいい人、運の悪い人、決断力のある人、ない人、また優柔不断で自分のことは一切決められない人、仕事人間、遊び人間、善人、人にもてる人、孤独な人、健康な人、病人、指導力のある人、ない人、尊敬される人、嫌がられる人・・・・・・といったように、世の人々は種々様々な生き方を自分で創り上げています。


どんなに周りを素晴らしい有能な何人ものプレーンに囲まれ、立てられ、大事にされ、愛され、羨ましがられている人でさえ、すべてそのブレーンの言うなりになって成功や権力や名誉を手に入れているのではありません。

それら有能なブレーンの意見や方法を取り入れるか否か、聞くか否か、従うか否か、その究極のなる決定はあくまで自分自身が下しているのです。

このようにして何もかもすべて一切のことを自分自身で行なっているのです。

だがそのように一般の人々の目には映らないだけのことです。

人類すべてことごとく一人です。

どんなに素晴らしき家族に恵まれ、愛されていようとも、究極は一人です。

一人で考え、一人で決断し、一人で耐え、一人で行為し、一人で自分自身の運命を築き上げてゆくものです。

その点において人類は皆、完全に平等です。

だから家族に囲まれ賑やかな家族の一員として生きていても、この世では完全に一人で生きているのです。

ただ同居人がいるかいないかの違いです。

愛する素晴らしき家族の中で生きていても、心が孤独感を感ずれば、それは淋しい孤独な人生と言えるのです。

また、たとえ家族には恵まれず、完全に一人で生きていても、心の中はいつも愛し愛されている人達が住んでいれば決して孤独ではないのです。




   
 『我即神也』 西園寺昌美 白光出版



  

2017年7月16日 (日)

夢はなぜ見るか?(神と人間より)


 

今、人間は守護霊さま、守護神さまの存在を知らないままであったのなら、個人も地球人類もダメになって滅亡してしまうのではないか?

と私はそこまで思ってしまうのです。(おおげさではなく)

知識としてただ知っているのではなく、実践して(実際に祈り)いかなれば、頭の中で理解していただけではなにも変わりません。

今はもう悠長なことを言っているときではないのです。

総理大臣であろうと、会社の社長、校長先生であろうとサラリーマン、家庭の主婦、学生、お年寄り、子ども(幼児)もみんな一緒になって世界の平和を祈らなければにっちもさっちも行きません。


人間が世界の平和を祈って、守護霊さま、守護神さまに助太刀して戴く、それがほんとうのアセンション(次元上昇)への道なのです。






本文


守護霊を信じ、守護神を想い、神に感謝しなければ、いくら因縁の転回や、心の法則を知ったところで、人間は永久に救われない。
 

こちらが知っていても知らなくとも、守護霊はただ、黙って人間を見守ってくれる。
 

夢などはその顕著なるものである。
 

夢は何故見るか、この問題は世界の学者が種々と研究をつづけているのだが、いまだに、はっきりとわかっていない。
 

夢とは人間の業因縁の消滅する姿である、と私はいう。
 

想念は必ず現われる。
 

この法則は動かしがたい法則である。この法則のままに、想うことがそのままこの肉体に現われたら、この人生は、もっともっと以前に滅びていたに違いない。
 

何故ならば、肉体の人間の心を奥底まで解剖すれば、愛は情に流れて執着となり、恨みは恨みを重ね、悲しみは悲しみを追い、闘争心は常に戦火を絶やさず、情欲の業火は至る所に燃え広がり、殺傷事件は眼に触れるあらゆる個所に展開されていることは明らかである。
 

この業念の感情を、肉体脳髄の念の休止している間に、巧みに夢として肉体世界と離して、画き出してしまうのが守護霊の偉大なる一つの仕事なのである。
 

現われれば消えるのが想念の性格であるので、夢として画き出されてしまえば、その想念は消えてしまう。
 

肉体世界に現われた場合は、その現われが、また頭脳にキャッチされて、再び同じ想念を幽体に記録してしまうが(それでも現われれば幾分ずつか、消えてゆくのである。)

夢の場合はその想念(おもい)が巧みに劇画化されていて、いったいなんの想念であるか判然としないので、夢から醒めた後で、いくら肉体頭脳で思ってみても、その夢に現われた想念(おもい)は再び幽体に記録されることはない。

 

その想念は夢によって一度断ち切られるので、業因縁がそれだけ消えたことになる。
 

たまたまはっきり憶えている夢もあるが、守護霊が予知的に、その人に示す夢(霊夢)以外は、その夢の画が、やはり、その想念の内容を察知できぬように描いてあって、判然としない。


フロイトという精神分析学者は、この夢をすべて性欲(リビドー)の現われと解釈していて、夢に現われる物質、風景、氏名等によって、それぞれの内容を解剖しているが、私の述べていることとはまるで異なる解釈で、人間の救いには、あまり役立たぬものと思う。
 

判然としない夢は、そのまま判然とさせる必要はないので、ただ、簡単に、自分の業想念が肉体の悪い運命となって現われるのを、守護霊がその夢と現わして消して下さったのだ、と感謝すればよいのである。

 
このことを知ることは大きな救いになると思う。
 

この守護霊の働きは真に感謝しなければならぬものである。
 

守護霊は霊界、幽界、肉体界と三界を通して働ける者なので、幽界(潜在意識の世界)において、できつつ運命、あるいはすでにできあがって、時間の経過につれて自然に肉体界(現界)の運命として現われようとする悪想念の結果(因果)を、あらゆる手段をもって、その運命として現われぬように修正してゆく。
 

この守護霊の働きを、知っている人は、感じている人は実に少なくて、肉体人間の大半が、この蔭の働きを知らないのである。
 

守護霊はその肉体人間が、守護霊の守護の力を知ろうと知るまいと、それは問わず、ただひたすら、運命の修正に全力を挙げているのである。
 

いわゆる菩薩行なのである。


 



      『神と人間』 より   五井昌久  白光出版



神と人間については、2015年11月28日から書いています。


  

寝ている間に魂は浄化されている(祈ればもっと綺麗になる)

 

人はほとんどの人が寝ることが好きだと思います。

それは何故かというと寝ている間は考えることを止めているからです。

悲しいこと、悔しいこと、腹が立っていること、気になっていること、どうにもならないこと・・・・などすべてを忘れているからです。

なぜそうなるかと言いますと、寝ている間は意識は肉体(頭)を離れ、霊界、神界に行っているからです。

守護霊さんが霊界、守護神さんが神界に連れて行ってくれて、その間に幽体というボディ(体)を洗ってくれているのです。

いつも言っていますように私たち人間は、肉体だけを纏っているのではなく、幽体(ビル一棟分の大きさ)、霊体(地球1個分の大きさ)、神体(宇宙大)のボディを纏っているのです。

肉体界におきていることとは、潜在意識の世界である幽界が肉体界に写って来ているのです。

私たちは起きている時にほとんどマイナスを考えます。マイナス思考です。

「病気になったらどうしよう」「仕事が無くなったら、お金が無くなったらどうしよう」「あの人に嫌われたらどうしよう」・・・・

これらはマイナスの想いなので想いを重ねていくと潜在意識の世界である幽界にインプット(記憶)されて、時間を経て現実となるのです。

人間は自分で自分の世界を創っているのです。

マイナスの想いでマイナスの現象を創っているのです。

・・・・・・・・

自業自得とはいえ、それでは自分の世界も集合意識の世界である地球も滅亡してしまいます。

そうなってはいけないので、守護霊さん、守護神さんは人間が寝ている間に必死に個人の幽体と地球人類の幽界を浄めておられるのです。

浄化し切れない部分が肉体界に現実となって現われます。

日本各地で起こっている集中豪雨は浄化し切れなかったエネルギーが雨、水という形になって現われています。

自分の運命、そして日本、地球の運命を善くしていこうとするのなら、マイナスの想いを出さないこと、魂(幽体)にインプットしないこと、そして神界の美しい言霊(世界平和の祈り)をインプットし、アウトプットてゆくことです。

私たちは目が覚めた瞬間、マイナスを想ってしまいます。

「あーあれどうしようかなあ」「今日は暑くなりそうだから仕事するの嫌だなあ」「お金もっと欲しいなあ」・・・

それは自分の想いだけではなく、他人の想いも入っています。

想いとは相手の心と書くのです。

他人もほとんどの人がマイナス思考です。

だから想うということはイコール、マイナス思考になるのです。

「マイナスを想うな!」「マイナスの言葉を吐くな!」と言っても難しいのです。

「これではいけない!」、と意識をし続けていなければ、いつの間にかマイナス思考になってしまっているからです。

それではどうすればいいのか?

目が覚めた瞬間、そして起きている時も、何かを想いそうになったときもそうでないときも、世界平和の祈りに想いを換えてしまうのです。

魔(マイナス想念エネルギー)が差さないように、魔が入らないように世界平和の祈りで打ち消してゆくのです。

そうしていると心が晴れて来ます。マイナスが浮かんで来なくなります。

それはマイナスが潜在意識にインプットされないからです。

インプットされなければアウトプットされない

素晴らしい言霊(世界平和の祈り)をインプットされれば、素晴らしいことが個人にも人類にもアウトプットされてゆくのです。

身体を綺麗に洗うことよりも魂を浄めることのほうがずっとずっと大切なことなのです。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます






 

2017年7月14日 (金)

守護霊、守護神に代わってあなたに語る

 

私たちは、肉体の親に期待をし過ぎています。

「親としてこうすることが当然だ」

「親だったら尊敬されなければならない」

「親の姿を観て子は育つ」

・・・・・・・・・・・・・・

だけれども自分が親だからわかるのですが

肉体の親なんてたいしたことありません(笑)

真理がわかってくると

肉体の親とはほんとうの親ではなく、仮の親であることがわかります

ほんとうの親は守護霊であり、守護神であることがわかります

仮の親に愛されることに越したことはありません

そういう人は幸せだと思います

しかし、ほんとうの親(守護霊、守護神)の愛を知ったなら

感動で胸が震えると思うのです。

下記の文章は、ほんとうの親である守護霊さま、守護神さまが肉体界の私たちに伝えたい真理が書かれています。

是非、お読みください。

 



1、私は日頃あなたが思っていること、考えていることそのすべてを把握し、そしてその希望をすべて成就させるよう願っている。

決してあなた一人だけの望みではない。

あなたの望みは常に私の望みなのだ。







2、自己の希望を実現しえないで人生を終わってしまう人の何と多いことか。
 
彼らは私の存在を少しも認めようとはしなかった。
 
私はどんな時でさえも常に彼らの側にあり、彼らの望みを達成し得んが為に彼らを見守り導いてきたつもりでいる。
 
希望の成就は肉体個人一人で出来るものではない。
 
常に守護霊、守護神と共に歩んでこそ成就する路なのだ。
 
それが真実の人生の路なのだ。

   


 

3、出来うる限り明るく陽気に振るまいなさい。








4、私はあなたがいかなることをしようとも、決してあなたに罰を与えない。
 
私はただ、すべてを許すのみである。

そしてあなたのその罰を私が代わりにしょってあげているのである。
 
その代わりあなたは “消えてゆく姿で世界平和の祈り” を繰り返し繰り返し祈ればよい。

自分自身を深く信じなさい。

 


 

5、私はあなたにあえていいたい。
 
出来る限り明るい言葉や思いやり深い優しい言葉を常に、極力心がけて努力して使うようにし、光明思想の本を一日一回は読み、人の心を感動させるようなニュースを聞き、人と語り合う時には人の心を豊かに楽しませるような話題をあえて選び、明るいことのみを語るようにしてほしい。

そして暗いニュース避け、病気の話や人の不幸の話は出来るだけ口にしないことである。



 

6、羨望の心が湧くのも致しかたない。
 
嫉妬心にもだえるのもまたこれ仕方がないではないか。
 
そして人の幸福を妬み人の不幸を心ならずも喜ぶのもまた致しかたない。
 
人の心は感情によって左右されるものであるから、感情を無くさない限りこのようなことはすべて人の心の中に起こり得る現象である。
 
この世は物質肉体の世界、完全なる霊なる世界と違って不自由な束縛ある世界、よくないことだと充分にわかっていながら、正しいことではないと充分に理解していながら、神から反している行為だと充分に納得していながら、やはり現れてくるのが現実なのである。
 
おさえる必要はない、出すだけ出すがよい。

だが、出来るだけ人に迷惑がかからないように出してゆくのだ。
 
相手にまともにぶつからず、声を出して私にぶつけなさい、私にどなりなさい、私に非難をあびせかけるがよい。
 
私はあなたの心が充分にわかるだけに、あなたが愛しくて可哀相でならない。
 
私の大きな翼であなたを包んであげよう。
 
癒してあげよう。
 
心の中にある鬱憤をすべて私に吐きすてるのだ。
 
私が聞いてあげよう。
 
私が代わって祈ってあげよう。
 
あなたがあなた自身で祈れる時がくるまでは。

 偽善者 になるよりはよほどよい。






7、不調和な状態を一刻も早く自分の心の中から一掃せよ。

 



8、

あなたの内部の奥にじっとひそんで隠されている部分、秘密、嘘、葛藤、情欲・・・・それらのすべてを私は知っている。

私の前には何の隠しだても無用である。

ただ裸になることだ。

私にとっては肉体人間の弱さなどは百も承知の上だ。

だからこそ私というものが必要なのだ。

私の支えを必要とするのだ。

朝な夕なに私の名を呼びなさい。




9、

大自然の修復作用が発揮出来るよう大自然に代わって祈れ。




10、


あなたの希望を実現する場合、まだこの世の中に何の手ががりも見出せず、皆目何も無いところから全く新しい希望、この世に打ち出すそのきっかけを創造(つく)り出すのは、いうまでもないこの私である。
  
常に私の存在を忘れず私の名を呼びなさい。守護霊、守護神同士でお互いに交流し合うからである。


 

11、

人の悪を聞くために耳があるのではない。
 
人の悪を語るために口があるのではない。

人の悪しき姿を見るために目がついているのではない。

 


12、

相手を解放してあげると自己の束縛から解放される。

 


13、

すべてを見知っている私の前ですら未だ嘘、偽りでもって自分を覆いつくし、隠しだてをするつもりでいるのか。

情けない。

私はすべてを許そうと思っているのに。

私は(宇宙の法則)から絶対なる権限を与えられている。

あなたのすべてをゆるし、あなたのすべてを愛するのが私の働きである。





14、


あなたが私から離れてどこへ逃げようとも、隠れようとも、またどんな罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせかけようとも、それでもなお私は常にあなたの側を離れず、怪我がないよう、苦しまないよう、痛まないよう、見守りつづけているだけである。
 
私はあなたに嫌われていても、それでも尚あなたが愛(いと)しいし、愛しつづけているのである。





15、

私は肉体を持ちあわせていないので常にあなたの内部に働きかけ、内部の力を増し、調わせ、そのエネルギーを外界に現わし、そして出来るだけあなたの思うようになるよう、成就するよういたらしめているのである。

 

 

16、

私はあなたが暗く沈んでいる時、今まで以上に強い希望の光を投げかけている。
 
あなたが自分自身を傷つけ悲しみに浸っている時、すべては許されるのだという真理の光を送り、あなたに語りかけているのだ。
 
そして私の慈愛の光によって次第にあなたが真理に目覚めはじめ、その暗く果てしない入り組んだ道から脱け出してゆくあなたを見た時、私はあなた以上に天の神に感謝しているのだ。


 

17、

私は常にあなたに真理を語りつづけている。
 
あなたの心が全智全能の創造主と同じような強い力を握っているのだということを。
 
あなたは自分の心で、自分自身を幸せにも不幸せにもすることが出来るのだということを。
 
自分自身を、傷つけ暗く悲しいものだと思ったら、その通りの人生が展開されてゆくであろうということを。

そして自分自身を神の分け生命として認め、明るく大いなる希望をもってゆくならば、またその通りの人生が展開されてゆくであろうということを。
 
心はすべてのすべてである。
 
なぜならば、心は自分自身の運命の支配者であるからだ。



 

18、

私はあなたがいかなる苦悩、いかなる悲哀、いかなる絶望にあろうとも、必ずあなたを幸せにしようと心をくだいて見守りつづけているのである。

私の働きはあなたの真の幸せに導くこと以外の何ものでもない。


 


19、

 
私はあなたにお願いがある。この世は物質的肉体がすべてではなく、本来霊なる世界の写し世である、という事実を自覚してほしいのである。
 
霊的自我に目覚めたその時から、もはや何ものにもしばられぬ自由自在なる世界が、あなたの目の前に展けてくるのである。

それは無限の可能性を秘め、自分の思う通りになる世界となるのである。

 

 

20、

あなたは常に幸せを願うのだ。
 
あなたは常に神の無限なる能力を信ずるのだ。
 
あなたは常に調和を愛するのだ。
 
私はあなたのその望みにむかって全精力を傾けて、その実現のためにわがエネルギーをフルにあなたの心の中に注ぎこんでいるのだ。
 
だが、あなたの望みが常に暗く悲しく絶望的であるならば、その方向にむかってわがエネルギーを注ぎ込むことは、不可能である。
 
あなたの考えが明るく積極的な希望に満ち溢れたものに変わるよう、エネルギーを注ぎこむのであるが、そのエネルギーの消費量は並大抵ではない。
 
もともと+(プラス)の考え方を更に+(プラス)の方向に導き、この世に実現可能にせしめることは、宇宙の法則通りに実に簡単で無駄なエネルギーを消失しないものであるが、-(マイナス)の思考を+(プラス)に方向転換させることは、前者の何万倍ものエネルギーが消失されるものである。
 
 
常にあなたの考えを+(プラス)の方向に向けて生きて下さい。



 
 

21、

頭のよくない人ほど中途半端な聞きかじりをし、自分の知識をひけらかしたがるものである。

頭がよくないから善悪の批判力が無くすべて受動的に自分に吸収してしまうため、その人の潜在意識の奥にすべてそれらの中途半端な知識は溜めこまれてしまう。
 
さて、本人が病気になったり、挫折したり、失敗したりした時、これらの中途半端な知識が次から次へと頭を擡げ(もたげ)はじめ、自分自身の下らない知識で自分自身をがんじがらめにしばりつけ、また、自分自身の暗い思考力で自分自身を暗示にかけてしまい、どうしようもなく救われがたき状態においこんでいってしまうのである。
 
浅はかというより他にいいようがない。
 
知識ならどんなものでも入れていいというものではない。
 
本来ならば自分の心が勇気づけられ、希望に満ち溢れ、生きることの幸せが鼓舞(こぶ)されるような知識なら徹底的に入れこめよ。


自分の心を暗く不安恐怖に陥らせる知識は意識して取り払うべきである。



 
 

22、

“自分だけ悟ればそれでよい” という考え方は多分に利己的なわがままな生き方である。

これを出来るだけよい意味にとるとすると、人に真理を押しつけがましくするのは、たとえその教えがどんなに素晴らしくても、そこで必ず人の自由を縛りつけてしまうものであるから、よくないということであろう。

だが神のみ心からみたならば、真理を一人でも二人でも出来るだけ多くの人達に知らしめた方が積極的な善なる徳のある生き方なのである。

また何回も何回も重ねて自分の口を通して真理を語るということは、逆に、更に自分自身の潜在意識の中に改めて真理を吹きこむ形となり、自分の信念がまたここで更に強固に絶対的なものとなってゆくのである。

真理は何度も何度も繰り返し繰り返し語れば語るほどよい。

 

 

23、


旧き自己を捨て新しき自己に 蘇(よみがえ)るのが世界平和の祈りである。


どうにもならない自分をしっかりそのままつかんでしまった上、私はこんなにも悪い人間ですといわんばかりに、自分の悪を強調しても、誰も救われはしない。

むしろどうにもならない自分を一旦神の中に捨ててしまって、すべてを神の中に投げ入れていまうと、宇宙の法則にのっとった生き方が示されはじめる。









24、

あなたの長い間にわたる苦しみは私にはわかっている。
 
あなたの悲しみや痛みも私にはすべてわかっている。
 
そして更に今あなたの上に投げかけられている不安恐怖、今のあなたの立場ではどうしようもないのもわかっている。
 
私はいつでもあなたの心の叫びを聞き、訴えを聞き、その問題解決が一刻も早からんことを願い奔走しているのである。
 
だがあなたはこの私の心を知ってか知らないでか、常に自分自身の肉体の力でのりこえようともがいている。
 
だがよく聞いて欲しい、もはや肉体界でトラブルが現われはじめたということは、もう何年も、いや何千年も前に幽界で現れていたことを。

幽界で浄めることが全くできなかったが為に、この肉体界に現れはじめたのであるということを。

そのためにはまず幽界を浄め去るのが先決である。

それが出来るのはこの私である。

霊なる力で、霊なる光で、幽界を浄めれば、自ずと肉体界のすべてのトラブルは自然に解決されるものである。

私に頼りなさい。私を信じなさい。あなたが夢をみているその時ですら、私は闇を光に変える働きをあなたの為にしているのです。

あなたはあなた一人で生くるに非ず、私の生命と共にあって生くるなり。


 
 

25、

今あるとるにたらない小さな小さな幸福にさえも、神の与え給いしごほうびだとして感謝せよ。








26、

私は “神の子” であるという徹底的なる自覚がいかなる災いからもあなたを防ぎ、いかなる不幸からもあなたを脱出させる。
 
災いにも不幸にも絶対に波長が合わないからだ。







27、



私に徹底的に素直たれ。

家庭運を良くするための祈り



 
いくら仕事が上手くいっていても、お金がたくさんあったとしても、家庭の中がめちゃめちゃであればそれは幸せとはいえません。

本心が喜ばないからです。

それは松居一代さんを見ていればわかります。

ビジネスが成功して100億の資産があるそうですが、夫や家族に見放されては心が寂しいのです。心にぽっかり穴が空いているのです。

松居さんの場合は自分で何とかしようと動き過ぎたと思います。

じたばたすることしか選択肢の中になかったのだと思うのです。

夜空に浮かぶ星を観てください。

たくさん浮かんでるように見えても99.9999・・・%は目にみえない空間です。

目に見える物質波動はほんの僅かです。

それと同じように私たちは肉体がすべてだと思っていますが、肉体は人間の本体のほんの僅かであって氷山の一角に過ぎないのです。

肉体にくっついている幽体(オーラ)はビル一棟分あり、霊体は地球大、神体にいたっては宇宙大です。

自分とは宇宙そのものなのです。

肉体の自分がなんとかしようとするのは、月を槍で突こうとするのと同じです。

それくらい無力なのです。

自分でやろうとすればするほど、霊界、神界にいらっしゃる守護霊さん守護神さんは働くことが出来ません。

「肉体の自分ってたいしたことはないんだな」「守護霊さん守護神さんの力って凄いんだな」と謙虚になって諦めてしまうのです。

そうすると凄く楽になるのです。

肩の力が抜けるのです。

そして世界平和の祈りをして自分の想い、想念をすべて神様に任せてしまう。

するといつの間にか運命が善くなっていることに気づくのです。

あきらめるとあきらかになる、明るくなる

これが宇宙の法則です。
  


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます





本文

 

家庭運の悪い人は、一旦は悪いのが今生の運命なのだ、と諦めてしまって、その諦めから再出発することが肝要です。

一旦スッカリ諦めてしまうと、人間は案外気が楽になるものです。

よくしよう、よくしようとリキんでいるから苦しいので、とにかく一旦諦めてしまって、自分の想念を、なんらかに集中させてしまうのです。

そのなんらかは、神さまが一番いいのです。

 ━ 自分を生み、育ててくださった神さま、どうぞ、あなたさまのいちばんいいように、私の運命をすすめて下さい。

私は今、どうしようもないのですから、あなたさまにすべてをおまかせいたします ━

と神さまにおまかせする気になって、そうした祈り言を、朝、昼、晩のひまある限り祈りつづけるのです。




    
       日々の祈り 五井昌久 白光出版



  

2017年7月13日 (木)

七劫目(アセンション)について 2




人類一人残らず救うための平和の祈り


 しかし、世界平和の祈りをしている皆様方は、自分が救われているからといって、それだけでは満足できないのではないかと思います。

自分だけでなく、自分の周りの人たち、お祈りしていない人達や、自分勝手な生き方をしている人達、人類すべてが救われてもらいたい、こう思っておられることと思います。

また、そのための世界平和の祈りであるわけです。

世界平和の祈りを祈ることによって、人類の汚れた波、争いの波、神様の大調和の御心から外れた業波動が浄められてゆきますので、それだけ人類の本心を早く開かせる、真理に目覚めさせる働きをしていることになります。

そうすると、人類が受ける波動調整の痛みや苦しみも少なくて済み、天変地変や不幸・災難が小さい形で防がれていくわけです。 
五井先生は、このようにお書きになられています。

「キリスト教的にいう、最後の審判の日に、どれだけ多くの人々が永遠の生命を得てゆくか、神と人間との真実の関係を知り得てゆくか、私は、そういう人々の一人でも多かれと、道を説き続けているわけなのです。

最後の審判とは、この人類が高次元波動体に変貌する日のことであって、予言では、多くの人々がその波動に達せず滅亡してゆく、ということになっているのでありますが、そのためにこそ私たちの世界平和の祈りが生れたのであります。 

これはキリスト(真理)の再臨と等しきことであるのです。

キリストということを、イエスという肉体人間と思ってはなりません。

イエスが真理を現わした時が、イエス・キリストなのであり、釈迦も老子も法然も道元も、実はみなキリストを現わし得た人々なのであります。

そうしたキリスト者が、地球人類の神の子人類への昇格か破壊かの瀬戸際に立って、世界平和の祈りという祈り言を通して、最後の審判を無事に通過させようとして、結集して働きつづけておられるのであります。(途中略あり)」(日本の心 白光出版)

 

ここにありますように、昔からの予言では、最後の審判の際に、人類の3分の2が滅んで、残った3分の1の立派な人間で地上天国ができる、というものもあります。

また、最近言われている説でも、次元上昇が起こると、その変化の波に乗れる人と乗れない人がいる、精神の低い人たちは自然淘汰されていく、との考えもあるようです。

意識の目覚めた精神の高いものだけで理想的な世界を創って、精神の低いものは進化についていけず、淘汰されて滅んでしまっても仕方ない、というのでは、その考え自体が神様の御心から離れたものでしょう。

何故ならば、神様は愛する我が子をみんな救おうと思っていらっしゃるのですから、自分達さえ救われたらいいという想いが、すでに自己本位の業の思いであります。

仮に、自分の家族や親しい人が、業の想いのままの生き方をしているとして、この人は地球世界の進化についていけないだろうが仕方ないなどと、とても思えるものではありません。

五井先生が提唱された「世界人類が平和でありますように」の祈りは、単に、肉体人間が誰しも思うような、世界は平和になるといいなぁ、戦争は嫌だよという、懇願的な想いとは根本的に異なります。

そうではなく、地球世界を救おうと思って働いておられる神々の方から、肉体の五井昌久先生の器を通して、人類に、この祈りを祈りなさいと呼びかけてこられたものです。

世界平和の祈りを祈ると、そこに、あらゆる神々、聖者、開祖方が総結集された

「救世の大光明」 が響き渡って、あらゆるカルマの波を浄め尽くすのです。

個人を専属に守ってくれている、守護霊、守護神を含め、そういった愛なる神々の存在をはっきり知らないと、人類は全て救われると、絶対なる確信を持って言うことはできないと思います。

五井先生は、昭和40年代のご法話でもこう仰っておられます。

「神々は、一人残らず、自然淘汰されないように、みんなを引っ張ってゆくつもりなんですよ。それで苦心しているんです。

いらないものは掃除してしまって、残るものだけが残ればいいというんじゃないんですね。

私なんかも一人残らず救いたいと思って、そのつもりで働いているわけです。

だから、できる限り多くの人々を、進化させてゆきたいと思うんですよ。

そのために、人類を一人残らず救うために、やはり世界平和の祈りが必要なんですね。」


神様を信じる、善良なものだけを救えばいいのだったら、神様も楽なのかもしれませんが、そうではなく、信じないものをも、祈らないものをも、業に覆われた、欲望にまみれたものをも、救い上げて本心を開かせようとなさっておられるので、そこに神々の大変なご苦労があるわけです。

皆様方のように、自分の方から積極的にお祈りしようという人はすでに救われているに決まっています。

だから、自分の救われなんか一切心配する必要はありません。

皆様方の肉体を使って、世界平和の祈りに結集されている救世の神々が、地球人類を救おうとなさって働いておられるのです。

勿論、苦しいときは、五井先生助けて!と、自分自身の救いを求める気持ちで縋ってくださっていいのです。

だけれども、自分の救いを求める気持ちであっても、どういう想いで祈ろうと、このお祈りをしているということは、世界人類を救う働きをしていることになっているのです。

やはり、悪い生き方をしている人が、何の痛みもなく救われるということはないでしょう。

自分の生き方が誤っていたということを悟って、生き方の方向性を変えないと真の救われにはなりませんから、そこに至るまでに、業の浄めとしての苦しみはあると思います。

それは当然で、皆様方のように、世界平和の祈りを祈って菩薩として人を救おうとしている人たちであっても、過去世の因縁の消えてゆく姿として、色々とご苦労を経験しているのですから、まして、人のために平気で悪い事をしているような人が、何の痛みもなく、簡単に救われる道理がありません。

だけれども、できるだけ苦しませずに、人類を進化させたい、というのが神様のご愛念ですから、そのご愛念に応えて、我々は世界平和の祈りを祈っているわけです。

現在、2012年の次元上昇の話題に関心を持っている人の中には、単なる興味本位の人もいるでしょうけれども、純粋に道を求めている人もいるでしょうから、上手く、世界平和の祈りの道を橋渡ししていければ良いと思います。

心ある多くの人たちに、世界平和の祈りの真意を理解して頂いて、本格的に神性顕現の道を歩んでいかれることを願ってやみません。



  


七劫目(アセンション)について 1

 
 
 
アセンションや七劫目に関してはテレビや新聞ではまったく報道されず、

一部のネットで話題にはなっているかもしれませんが、とても大切なことなのに、ほとんどの人が知らない事実であります。

私は自分が書いている記事から真理をお伝えし、徐々に伝達出来ればいいと思っているのですが、ある人の投稿の記事を読んでいて

「これは是非、みなさんに読んでいただきたい」と思い、コピーさせて戴くことにしました。

そこには2012年がアセンションの大きな節目になると書かれているのですが、2012年も今現在も実際にはエネルギー(波動)は何も変わっていないように感じます。

しかし宇宙からのエネルギーはかなり細かくなっているのです。

細かくなるとは、霊妙、神界の波動に近づいているということです。

私たちが今、しんどいのは、その波動と自分の意識が伴っていない、共鳴していないからです。(高い山に登ったのに酸素ボンベを付けていない状態です)


尾崎晃久さんの文章はとてもわかりやすく、常識的なのでスピリチュアルに興味の無い人でも理解出来る内容です。

私たちは地球人類ですが、宇宙に住んでいるのです。

宇宙人の一員です。

そのことを意識して読んでいただければわかりやすいと思います。




本文



今年「2012年」は、精神世界に興味のある人達、スピリチュアル関連の書籍等で、以前から盛んに騒がれている年であります。

それは、2012年に地球が次元上昇するというもので、アセンションと呼ばれています。

私自身はあまり興味なかったのですが、時折、人がこの手の話題を話すのが自然に耳に入ってきますので、参考までに、アセンションに関する諸説を紹介している書籍を最近読んでみました。

地球世界の波動がより高次元に上昇するということは、おそらくヨガやキリスト教関連で昔から言われていたことではないかと思うのですが、最近になって、2012年に次元上昇するという説がちょっとしたブームになっているようです。

色んな諸説がありまして、一つは、マヤ暦というのがあって、古代マヤ文明の暦が2012年の12月の21日頃で区切りを迎えているので、これは地球人類が滅びることを予言しているという説もあれば、その反対に、スピリチュアル方面の人たちは、2012年12月を区切りに、地球の次元が上昇して新しい時代に入り、人類の意識が向上し、愛と調和の世界が到来する、と解釈している人が多いようです。

もう一つの説は、同じく2012年に、地球がフォトンベルトという、宇宙空間にある、巨大な光の粒子の帯の中に入って、その影響で人類の遺伝子が変化し、精神が進化するというものです。

また、チャネリングといって、霊的な存在や宇宙人から送られてくる、様々な情報やメッセージを霊能者が受け取って、やはり地球が精妙な光の次元に移行するので、これまでの人間の生き方を変えていかなければいけない、と言っている人が海外では多いようです。

その他にも諸説入り乱れているようですが、次元上昇を迎えるにあたって、その変化の波に乗れるよう、自分の心身を浄め、マイナスの感情をなくし、愛と感謝の思いで生きていこう、そのために瞑想法だとか、意識の変革の仕方等を説いている書籍や人が非常に多いようです。 

私が感じるところでは、それらの説は、信憑性があるとは思えない部分もありますし、2012年という数字に絶対的な根拠があるとは思いません。

また、高級神霊からのメッセージをキャッチしていると思っていても、自分の潜在意識から出た言葉や、霊界の途中階層からの波を受けて、ということもあるかと思いますので、巷に氾濫する情報をそのまま全部間に受けるわけにはいかないと思います。

ただ、その一つひとつの説の真偽は別として、人間は肉体ではなく、永遠に生き続ける魂的な存在である、この肉体世界以外に、眼に見えない霊的な世界がある、これまでの物質偏重の考え方を変えて、精神的なものを重視していかないといけない、と思っている人が、こういった話題に興味を持っているというのはよく理解できます。

  五井先生が仰っておられるように、現在は、肉体人間観から発展してきた物質文明文化が終わり、神様の御心がそのまま現われた霊文化へと移行していく過渡期と言えますから、多くの人が深い真理に目覚める途中過程において、霊的な世界のことに関して、高いものにも低いものにも同時に関心が集まる、という状況が今後とも現れてくるのではないかと思います。



           現在は地球世界が完成する時期


2012年にどうにかなるかはともかく、現在が、地球世界の波動がこれまでより高次元な波動へ変化しつつある時期である、ということは確かなことです。

次元上昇という言葉は使っておられなかったと思いますが、五井先生は、何十年も前から

「宇宙はたゆみなき進歩にむかって突き進んでおります。

地球の波動も、日一日と、高次元のより微妙な波動にうつり変ろうとしているのです。

そうした地球に住む人類も、好むと好まざるとによらず、地球の波動の変化につれて、高次元波動、微妙な波動体とならざるを得なくなっているのです」

と書いておられました。(日本の心 白光出版)

ですから、何も2012年になって、突然、地球の次元が上昇するということはなく、五井先生ご在世当時から、瞬々刻々地球の波動が、霊妙に変わりつつあって、今もその途中過程であると捉えたほうが良さそうであります。

 

五井先生のご本を読んでいると、「今は宇宙の運行が変わる時で、第7劫(こう)と呼ばれる地球世界が完成する時期である」という話が繰り返し出てきます。

劫とは、宇宙が大きな変動をきたす時間のこと、地球人類の波動が一段上昇する波動の変化のことを言うそうです。

仏教で末法の世といいますが、今第6劫が終わり、第7劫が始まろうとしている、第6劫の最後と第7劫の最初の時期が重なっているのです。

神様の御心の中では、この第7劫において、人類が完全な姿を現し、世界が平和になることが最初から決まっているわけです。

宇宙の運行が変わると、地球の波動も自然に変わってゆき、否応なく、人間の波動も変わってゆかざるを得なくなるわけです。言い方を変えると、人類の人間観、宇宙観が全く変化するということです。

これまでは、人類は、自分は肉体だけの存在だと思って、この物質世界が全てだという考えで、肉体の自我欲望の想いを満足させるために、好き勝手な生き方をしていた、神様から与えられた生命を十分生かしてこなかったわけです。

ところが、物質文明文化がここまで発展してきますと、今までのように、肉体の自我想念中心の、汚れた粗い波動のまま生きていたのでは、もう人類が地上に生存すること自体が困難になってくる様相がはっきり現われてくる時代になったのです。

一昔前であれば、核戦争の危機というのがありましたし、現在、ますます深刻になっている地球環境の問題一つとっても、個人や世界各国が、これまでのように相手のことを考えず、自分のことばかり考えた勝手な生き方や動きをしてきたら、もうこれ以上、地球世界の運命が立ち行かなくなることは、常識的な目で見てもはっきりしていますし、霊的な目で見れば、もっとはっきりしています。

五井先生は、

「これからの時代は、人間が神の子の姿を現し平和が実現するか、滅びるかのどちらかで、その真ん中というのはないんだ。人間が、肉体人間観のまま、今のような精神状態でいて、地球世界の運命が100年も、200年も続くことはない」

と仰っておられました。

地球が滅びることは絶対になく、平和になることは決まっていますから、ここで、神々の方は、何が何でも人類の本心を開かせ、汚れた波動から、本来の神の子の霊妙な波動に切り替えようと、波動調整をしてこられる、これまでの業を一挙に払おうとされるわけです。

具体的にいえば、個人や国家、地球世界全体の業が、病気や怪我、貧困や経済の低迷、天変地変のような姿で払い浄められて消えてゆくわけです。

それができるだけ軽い形で済んだ方がいいのであって、そのためにどうすれば良いのかというと、私達の方から「世界人類が平和でありますように」と祈って、神様の御心の中に飛び込んでしまえば、祈りに働く救世の大光明によって、自分が浄まると同時に、地球世界に光を送る菩薩行をしていることになります。

世界平和の祈りを祈って、守護霊様、守護神様に感謝していますと、怒りの想い、不安の想い、妬みの想い、自己本位の想いなど、肉体にまつわる感情想念がどんどん浄められ、肉体波動が、霊妙な波動に変わってまいります。

よく、肉体というのは、一番粗い波動だと言いますが、長年お祈りしている人の肉体は、自我の想いを中心にして生きている人の肉体より、はるかに微妙な波、高次元な波動に変わってしまっている、光り輝いているわけであります。

お祈りしていても、途中、過去世の業の消えてゆく姿として病気したり、貧乏したりすることもあるかもしれませんが、神様の方ができるだけ小さい形で済むように、上手いこと調整してくださいます。(後半に続く)






  

2017年7月12日 (水)

仕事などを上手くやろうとするのなら守護霊さんに頼もう

  


先日、守護霊さんは3人も一人の人間についていて守ってくれていると書きました。

守護霊さんとは先祖の悟った人であり、ものすごく頼りになるのです。

3人の中には仕事のスペシャリストの人が必ずいて、適切なアドバイスをくださるのです。

しかし、肉体人間が

「自分一人だけでやろう、頼れるのは自分自身しかいないんだ」

と自分の殻の中に
閉じ籠ってしまうとせっかくのアドバイスも届きにくいのです。

私たち肉体人間は、一秒先一分先、一週間、一年先のことも何が起こるかわかりません。

今起こっていることとは、潜在意識(過去世)の幽界という世界が肉体界に映って来ているのです。

肉体界→幽界→霊界→神界

守護霊さんは霊界にいらっしゃるので幽界、肉体界のことが手に取るようにわかるのです。

これから起こることももちろんわかっておられます。

そして霊界からメッセージを送ってくださいます。

そのメッセージがヒラメキ(直観)になるのです。

突然のヒラメキとは守護霊さんからのメッセージです。

「そっちに行ったらおまえの必要としている人に会えるよ」(その人から良きアドバイスをもらえる)

「この人に会ったら仕事がうまくいくよ」

「その人とは関わらない方がいいよ」

・・・・・・・・・・・・・・

守護霊さんの指示(直観)に従っていれば宇宙の法則に乗ったも同然なので何をやっても上手くいくのです

「そんなレールに乗ったような人生、まっぴらだ、オレはオレで自分の思った通りに生きるんだ」

といきがる人がいるかもしれません

では、あなたは一秒先、一分先がわかりますか?

どの方向へ行けばいいのか、これからどうすればいいのか、わかりますか?

肉体の頭で「どうのこうの」と考えてうまくいったことってありますか?

肉体界という暗闇の中を灯りも無しで歩けますか?

自分一人で勝手に生まれ、一人だけで生きているのではありません

今の現状が崖っぷちだったとしても、切羽つまった状態だったとしても

今が決して満足出来る状態でなかったとしても

今こうしてなんとか(自転車操業でも)

生きていられるのは

守護霊さん守護神さんのお陰なのです(大難が小難で済んでいる)

「ああ有り難いなあ」

「生かされているんだなあ」

「守られているんだなあ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その気持ちが湧きあがって来たら

「ご先祖様、守護霊さま、守護神さま、ありがとうございます。

私は今、大事な仕事を
かかえております、この仕事はなんかして成功させたいのです

どうかよろしくご指導の程お願い致します」

と仕事の合間でも、ヒマな時にでも唱えるとよいのです。

守護霊さんというのはもの凄い人たちです。

この世的にどれだけ仕事の出来る人であっても守護霊さんには絶対にかなわないのです。

それは守護霊さんになるには、仕事の達人であるだけではなく悟っていなければならないからです。

仕事の達人は結構いたとしても悟った人は極少です、お釈迦様クラスです。

私は祈っているとき、印を組んでいる時に次々にインスピレーションが湧いてきます。

その出先は、守護霊さんなのです。

「自分は守護霊さんに守られているんだ、だから百人力だ、いや千人力だ」

という自信が平常心、不動心に代わってゆくのです。

そして守護霊さんからのメッセージを受け取るのが上手くなる

守護霊さん守護神さんへの感謝は世界平和の祈りの中に入っています。

感謝は光なので、感謝されると守護霊さんは守りやすいのです。

世界平和の祈りは完璧(パーフェクト)な祈り言霊なのです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



追伸・・・・巷には経営コンサルタントなる人がたくさんおられますが、守護霊さまの存在を知ったならまったく必要なくなると思います。

もちろん経済、経営の勉強は必要ですが、アドバイス的なものは要らないのです。

守護霊さんは自分以上に自分のことをわかってくださっています。

最高の執事であり、最高のマネージャーでもあります(笑)

仕事だけではなく守護霊さんと仲良くする(コミュニケーションを取る)ことがうまく人生を送ってゆく秘訣なのです。

 

地球上で活躍した偉人、賢人、そして聖者はみな守護霊、守護神の存在を知っていたのです。

そして絶大なる支援を受けていました。

ここでは守護霊さんのことばかりを書いてきましたが、守護神さんは守護霊さんの手に負えないときに助太刀をするのです。だから守護神様にも感謝してくださいね!



 
   


 

2017年7月10日 (月)

輪廻転生(生まれ変わり死に変わり)について

  

人間は一度の人生ではなく、何千回、何万回も生まれ変わりをしているのです。

なぜならば生命は永遠だからです。

地球のように肉体を纏って肉体界で生まれ変わりをした時期もあり、肉体を持たずに魂や心(波動体、エネルギー体)で星から星へと移り住んでいたこともあります。

共通していえることは、生まれ変わった(移り住んだ)ときに、ほとんどの人は記憶を消されているということです。

あの偉大な聖者であるお釈迦様もインドの王子様の地位を捨て出家し、菩提樹の下で座禅をし、「自分は仏(神)であった」と悟るまでは、自分が何者で、どこから(金星)来たのかも知らなかったのです。

私たちは肉体界にいるうちにありとあらゆる経験をしました、いやさせられました、いやしています(笑)

死ぬまでずっと病弱だった人生もあり、お金持ちや貧乏だった頃もあり、戦争をして人殺しばかりしていた頃もある、

反対に善い人だった頃もある。

職業も政治家、社長から平社員、ホームレス・・・・ありとあらゆる職人も経験し、人の気持ちがわかるようになり様々な経験をすることで自分と人を愛せるようになることが輪廻転生の目的なのです。

今、どんなに素晴らしい人だとしても死ぬ前は極悪非道を繰り返していたのかもしれません・・・・

そして「今度生まれて来るときには真人間になろう」

逆に今、悪いことをしている人も前世で善い人であったことに疲れて、「今度生まれてきたときにはバクチでも女遊びでも好きなことをやってやる」になっているのかもしれません。(昔偉いお坊さんがヤクザになっていることもあるそうです)

「あんなに悪い奴はいない死刑になればいいんだ」という人も「あんなに善い人はいない、神様仏様のようだ」という人もトータルで観ると50歩、100歩ほとんど変わらないのです。(だから前世でどうだったかなんてどうでもいいのです)

そして今、今生で現われて来ていることは、前世でクリア出来ていなかったこと(課題)を映画のように上映して学んでいるのです。(肉体界のことを前世の写し世と言います)

課題のテーマはなにかというと愛です。そのテーマしかないのです。

愛を学ぶ以外は何もないのです。

神は愛(か~あ み~い)であり、宇宙は愛の波動によって成立しています。

また宇宙は進化し続けているので愛に終わりがないのです。

愛は奥深いので永遠、永久の愛であり無数の段階があります。

だから愛を学ぶための試練があります。

浮気をされたり、裏切られたり、恨まれたり、心を傷つけられたり、殺したり、殺されたり、殴ったり、殴られたり、いじめたり、いじめられたり・・・・・。

それを繰り返していると人を責め自分を責めるようになり、苦しくなるのです。

なぜならば人間の本質は愛だからです。

本質から離れると余計不調和なことが起き、苦しくなるのです。

そして愛すると調和が取れる、幸せな気持ちになれる、しかし今度はもっと愛深くさせようと守護霊、守護神は人間に厳しい試練を与えるのです。

すると人間はまた人や自分を恨むようになってゆく。

苦しくなる、愛する、苦しくなる、愛する・・・・・宇宙は集合、離反を繰り返して成長しているのです。

集合(合い)と離反(対立)を繰り返しているのです。

愛のままだったら成長がないからです。進化しないからです。

ですから私たちは経験したことをどう愛に変えるか?プラスに受け取るか?しかないのです。

そのためには真理を知らなければ解決しません。

宇宙の真理(理念)がわかっていないとチンプンカンプンです。

しかし自分が宇宙そのもの(我即神也)になってしまえば、宇宙の波動になってしまえば、わかるのです。

なぜこんなことが起こるのだろうか?が

私たちは宇宙(神・愛)と一体になるために、より深く愛を学ぶために地球に天下って来たのです。


  



 
  

印は過去、過去世を消すことが出来る


 
  
(2013年9月29日のブログより)


どれだけ意識を未来に向けたいと思っても、エネルギーを明るい未来にだけに注ぎたいと思っても

過去のことが気になってなかなかそうは出来ないのです。

意識のうちの半分以上は昨日あったことなどの過去のことなのです。

「昨日失敗してしまった」

「昨日、相手を傷つけることを言ってしまった」

「昨日、あの人にこんなことを言われた」

その昨日が消えずに蓄積されたのが潜在意識に一杯溜まっていって、消えずに大きな塊になっているのです。(トラウマという)

そして時々その過去のトラウマが見え隠れしながら自分の脳裡に浮かんでくる。

何年も前に失恋したこと、受験に失敗したこと、事故を起こしたこと、病気で入院し手術をしたこと、大失敗をして会社を首になったこと、人を傷つけてしまったこと、友人と絶交したこと、親しかった人が亡くなったこと・・・・・・・・それらがまるで生きている生き物のように突然活動を始めるのです。

「過去に戻ってやり直したい」

「あの時の言葉を取り消したい」

そうは想っても過去を消せるわけではなく、忘れることも出来ず

だがしかし時間は未来へと流れていくので、過去を引きずったまま今を生きるしかないのです。

個人だけではなく人類もおなじようなトラウマを背負って生きています。

それが戦争となり、紛争となり、国同士が仲良くできないでいる

そしてそれが原因で天変地変(異常気象、地震、竜巻、台風、津波等)が起きる

地球上の異常な出来事は、人間のマイナス想念エネルギー(妬み、嫉妬、怒り、悲しみ・・・)の結果なのです。

このまま行くと自分も人類も滅亡の道を行くしかないのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうではないのです。

個人を人類を救うために印が降ろされたのです。

この印というのは、「我即神也」 「人類即神也」 「地球感謝行」 「光明思想徹底行」 などでそれぞれに意味があるのですが、これらの印は、宇宙神とつながっているので、宇宙からのエネルギーが降りて来るのです。

宇宙には時空がありません。

時間と空間を超えているのです。

だから印を組むと過去や過去世にまで光が行って、過去の想念出来事を浄化する、つまり消し去るのです。

バックトゥーザフューチャーのようにタイムマシンに乗って過去をさかのぼり過去を変えなくてもいいのです。

もう過去について悩まなくてもいいのです。

印は潜在意識を光に変えるのです。

過去の暗雲を光のみに変えるのです。

すると今まで自分のことを嫌っていた人が

急に親しくしてきます。(奇蹟ですよね)

それは自分だけではなく相手の記憶(過去の出来事)も消し去るからです。

過去にあったもめごと、いざこざ、誤解、誹謗、中傷などが消えるのです。

だから印は凄い、素晴らしいのです。

こんなことが本当に出来るのか? と思いますよね。

でも、印がないと潜在意識である過去を浄めないと、想いの世界、蓄積所である幽界を浄めないといつまでたっても浄まった世界である霊界や神界は地上に降りて来ないのです。

そのために、神様(宇宙天使)が人間に授けた最高のプレゼント(消しゴム)が印なのです。

この印は、誰に断ることもなくだれでも自由に組むことが出来るのです。

是非、宇宙からの最高のエネルギーを体感してください。

 

「無限なる癒し」 于寿明 星湖舎 

「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎 

「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎 

「無限なる勇気」 于寿明 星湖舎 



 

人と人間とは違う

 

「あの人は」 というのと 「あの人間は」 というのでは、後に続く言葉が違って来ます。

「あの人は」の後は悪い言葉が使えません。

しかし「あの人間は」の後は悪い言葉を使いやすくなります。

人と人間の違いって何でしょう? ただの言い方の違いなのでしょうか?


人とは霊止という意味なのです。

霊とは神霊、神様のことなので神様が宿った(止)姿を人というのです。神そのものです。

一方、人間は神様と動物(感情)の間という意味です。

ほんとうは神様なのだけれど、まだ神様の姿を顕わしていない、顕われていない不完全な姿を人間と言うのです。

ですから「あの人は」と言っているのは、「神様は」と言っているのと同じです。

「あの人間は」は遠回しに言うと「神様の姿を顕われていない人」と言っているのです。

今のほとんどの人は人間であり、不完全な姿を顕わしています。

人(霊止)対人間が、90対10の人は素晴らしい人であり、10対90の人は、ほとんど自分の感情(動物性)で生きており業をたくさん背負っている人です。

業とはカルマであり因縁であり、マイナスの想念エネルギーです。

アセンションとは、人対人間が、100対0になることを言います。人間が神になるのです。

赤ちゃんのような綺麗な魂になるのです。進化した宇宙人、天使になるのです。

みんながお釈迦様やキリスト様のような悟った状態になるのです。

悟るとは、神界にいるほんとうの自分(心)と肉体の吾が合体することです。(神我一体)

ただ、今は、100対0になる過渡期です。

10対90で不完全が勝っているのです。

人間が理性(神性)を失い感情的になり、幽界のオバケちゃんに操られ狂ったようになっています。

天候も人間の心情を表わしたように荒れています。

ここからが大事です。

自分は人間ではない、人(霊止)なんだ神なんだ(我即神也)、パーフェクトなんだ、生きていくための智慧や能力はすべて備わっているんだ、どんなものも創り出すことが出来る創造主なのだ、と言い聞かせるのです。

漢字は真理を紐解いてくれます。

自分は何者であるかを知ってください。

今はその時期なのです。



世界人類が平和でありますように 


我即神也 


人類即神也



追伸・・・世界平和の祈りは人間が本来の姿、人(霊止)に戻り、神性を顕わし地球人類が目覚めさせるために祈るのです。

又、自分が神であったことを想い出すために我即神也の印を組み、人類を目覚めさせるために、人類即神也の印を組みます。

これらのエネルギーが臨界点を超えたとき、アセンション(次元上昇)が起きるのです。

地球が完成し、愛の星になるのです。



  

2017年7月 9日 (日)

あなたの遺伝子の中に一切の叡知が組み込まれている 2




 
あなたの遺伝子の中に一切の英知が組み込まれている

 

生きてゆく上で最も重要なこと

 

あなたの遺伝子の中には既に、あなたの一生を貫き通して生きぬくための全智全能なる偉大なる働き、芸術、知恵、健康、繁栄、幸福など一切が組み込まれています。

今のあなたの一つ一つの遺伝子の中にはっきりとプログラミングされているのです。

現在のあなたにとって、それを理解することが、この世を生きてゆく上で最も重要かつ大事なことなのです。

それこそ、生まれた時から、あなたの欲するもの、願うもの、すべてが組み込まれています。

ここにおいて、あなた自身に内在するそれら一切のもの、英知、健康、才能、能力等を一生を通して、あるいは人生の過程において、引き出し、この世に現わしてゆくことこそが、人間としてドラマチックな人生を展開させてゆく最高の方法なのです。

外にそれらを見出そうとして探し求めても得られるものでもなければ、人から与えられるものでもありません。

ましてや神や天が授けるものでもありません。

もう既にあなたの中に、遺伝子の中にはっきりと組み込まれて存在しているのです。

それらを自分の人生の上にうまく引き出してゆくか否かが、人それぞれの運命の決定的な分岐点となってゆくのです。

成功 ━ 失敗、 繁栄 ━ 衰退、 幸福 ━ 不幸、 健康 ━ 病気、これら一切のことは、すべて自分の責任において生じたものであって、他を恨むことも、他を責めることも許されないことです。

何故ならば、不幸にしても、病気にしても、孤独にしても、苦悩にしても、本来自分の欲せざることが、現に自分の目の前に生じてしまっていたら、それは、自らが自らの遺伝子に組み込まれている一切の才能を自分の上に引き出すことをしなかったか、あるいは、自分に内在しているそれら一切の全智全能なる英知を認めることなく、理解することなく終わってしまったかのどちらかだからです。

・・・・・・(中略)・・・・・・

空に舞う鳥たちをみてください。 美しいきらびやかな羽をひろげてスイスイ舞い飛ぶ小鳥たちそのものも、その形、その色、その飛び方、えさの捉え方、これら一切を誰から教わることもなく、自然に遺伝子の中にプログラミングされた、約束通りの生き方を示しているに過ぎません。

蝶の卵が幼虫となり、それがさなぎとなって蝶に生まれ変わる、これらの一生を通して、実に偉大なる働きが遺伝子に組み込まれているのです。

彼らは、別にむつかしいことを考える必要はないし、頭を必要以上に使うこともありません。

おおよそ努力を要求されることもなく、ただ自然にとけ込み、自然界の一部分となって、生かされているのです。

ところが人間となると、単純にいかないのです。

これら大自然界に生きる動物、植物、鉱物、一切と違って自然に生きていません。

すべてのことをわざわざ複雑にからませ、入り組ませて生きています。

知識のみが先行し、肉体がそれに付いてゆけない状態がほとんどなのです。

我々すべての人間に内在している素晴らしい感受性、直観力、危険な毒物に対する的確な反応、動作、美意識などなど、内のみの要求に自然に任せていれば、苦労もなく、失敗もなく、自然に通り抜けていけるものを、なまじの知識や経験で判断を下すため、自然に逆らい、直観に逆らい、反応を鈍らせ、思いもかけない方向へと自らを導いてゆきます。

その結果、不安で不幸な道へと自らを追いやってしまうのです。

あなたの中に、あなたの遺伝子の中に、一切の英知、全智全能なる力が既に組み込まれていることを、ここで改めて認識していただきたいと思います。

これは特別な人、たとえばノーベル賞を貰った人などの遺伝子について説いているのではありません。

偉大な科学者の遺伝子、偉大な政治家や実業家の遺伝子、偉大な芸術家の遺伝子が特別なのではありません。

彼らは自らの中に既に組み込まれているあらゆる才能を、自らが認め、自らの上に、この世に現わしたに過ぎないのです。

これらの偉大な人々の遺伝子も、我々普通一般の人々の遺伝子も何らの差異もありません。

ただ、これらの遺伝子に組み込まれている一切の英知を認識し、それらを実際に自分の人生の上にどれだけ引き出して使ってゆくか、否かの違いだけなのです。

偉大なる科学者や芸術家たちは、皆それに気づいて、理解し、努力して、それらの才能を自らの中から引き出して導いていった結果なのです。

ですが、我々は、それら一切の英知が内在していることに気づかず、現われている肉体がすべてのすべてだと思い込み、信じ切っているため、あくせくあくせく、働いても働いても、努力しても努力しても努力しても、忍耐に忍耐を重ねても、自分の思うようにならない人生を繰り返しているのです。

さあ、今これから、あなたの中に眠っている一切の英知を認め、それを目覚ましてゆくことが、あなたが置かれている今の環境、今の立場、今の状態、今の苦労から脱け出してゆく最善の方法なのです。

 

      

            
「果因説」 西園寺昌美 白光出版

 

 

あなたの遺伝子の中に一切の英知が組み込まれている 1




 
素晴らしい先生(指導者)とそうでない先生との違いとは、生徒たちのことを「人間神の子」を知っていて導いているのか?

「人間とはどうしようもない動物なんだ」と思って導いているかの違いだと思うのです。

今こそ、いやいい加減で自分、人間とは何者なのか?

潜在的にどういう力を持っているのか?

を知らなければいけない時期に来ているのです。

でないとこれから大変なことになります。


下記の文章を読まれてほんとうの貴方を知ってください。





自らの内にある英知に目覚めよ


 

あなたには、才能がないのではありません。 あらゆる面に秀でた才能が、もう既にあなたの遺伝子の中に組み込まれているのです。

あなたは、美意識がないのではありません。 研ぎ澄まされた美に対する感覚が、もう既にあなたの遺伝子の中に組み込まれてあるのです。

あなたは、記憶力が悪いのではありません。 もう既に何でも吸収できる記憶力が、あなたの遺伝子に備わっているのです。

あなたは、芸術感覚がないのではありません。 情緒豊かな芸術性に富んだ能力が、もう既にあなたの遺伝子の中に潜んでいるのです。

あなたには、理数系の能力がないのではありません。 緻密な理数系の才能が、あなたの遺伝子に組み入れられているのです。

あなたには、文化系の能力がないのではありません。情緒豊かな文化系の才能が、あなたの遺伝子に組み入れられているのです。

あなたは、運動神経が鈍いのではありません。 素晴らしい運動神経が、もう既にあなたの遺伝子の中に組み込まれているのです。

あなたは、健康を保つことが出来ないのではありません。 強力なる自然治癒力が、既にあなたの遺伝子の中に組み込まれられているのです。


このようにして、今のあなたが、自分の肉体を構成している何億、何十兆の細胞の一つ一つに、神が大いなる英知を組み込んでくださておられる、その事実に気がつかねばなりません。

その英知をそのまま放っておいては勿体ないのです。

その英知を目覚めさせなければ、自分自身に対して申し訳ないことです。

誰もが、この素晴らしい驚異的な事実に、一日も早く、いや一刻も早く目を開かなければならないのです。

人類70億の人々が皆、この真理に目覚めなければならないのです。

さもなくば、あなたの人生は無駄骨に終わってしまいます。

あなたの天命は完うできずに、この世をさ迷い歩く哀れな一生となるでしょう。

こんな素晴らしい無限なる能力が一人一人の遺伝子に組み込まれているというのに、それには一瞥(いちべつ)を加えずに見過ごしてしまっていたのです。

今からでも決して遅くはありません。

この不可思議なる身体、崇高なる肉体、緻密にして神秘なる器、この肉体一つをとってみても、我々の力ではどうあがこうとも、何一つ自分の意思で動かすことも、新しく造り出すことも出来ないのです。

すべての内臓を動かすことも、血液の濃度を一定に保つことも、食べ物を栄養に変えて、そのかすを大小便として出すことも、我々の知識や力では何一つ出来得ません。

身体一切のことは、すべて身体の中の組織に任せる以外に何の方法もないのが現状です。

   つづく

 

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版


 

海を見ているとどうして癒されるのでしょうか?

 


今、たくさんの人が自分を見失って、どうしたらいいのかわからなくなっています。

自分は何者なのか? どこへ向かえばいいのか? これからどうしていけばいいのか?

そんなとき、頭で考えてもわかりません

答えは人智を超えたところにあるからです

宇宙にあるからです

大自然にあるからです

どうのこうのと考えずに

大自然(海・山)に行ってみてはどうでしょうか?

 

自然界と人間との関係

質問:私たちは海へ出掛け、波の音を聞くと安らぎを覚えます。人はなぜ海に惹かれるのでしょうか?

それは海が私たちに生命の波動、宇宙根源の響きを思い出させてくれるからです。寄せては返す波の音は、宇宙の響きそのものを伝えています。

私たちがすっかり忘れ去っていた、しかし心の奥では求め続けていた響きがそこにあるのです。

波は自然の動きそのもので、人工的なものは一切加えられていません。

海自体が自然のエネルギーそのものであり、そのエネルギーが波の動きや音となって私たちに伝わってくるのです。

そのリズムは私たちの肉体の中にも存在しています。

今日(こんにち)、ほとんどの人が多くのストレスや心配事を抱えて生きています。

その中で心や体のバランスを保ってゆくのは容易なことではありません。

もし、私たちが自分たちだけの力で傷ついた肉体や心を癒そうとすれば、それこそ途方もない努力を積みかさねなければならないでしょう。

しかしそんな時海に行けば、海は人々をその胸に抱き取り、宇宙が奏でる調和の響きに戻してくれます。

それが海の持つ役目の一つでもあるのです。

たとえるなら私たちは大海の一滴。

大宇宙の営みの中の一つの生命です。

どんな一滴でも海より生じ宇宙に還ります。

そう考えると、今の人類は宇宙と一つであるという感覚を失ったまま生きているといえます。

宇宙の律動を忘れ去ってしまったのです。

でも、波の音を聞くだけで人は心の故郷に帰ることが出来ます。

心の故郷、それは宇宙の律動、そして神の響きそのものなのです。

人は、波の音を通してそれを思い出すのです。

私は宇宙の一員、神から分かれた生命だったのだと。

宇宙にはさまざまな波動が流れています。

しかし、宇宙本来の根源の波動は平和と調和に満ちたものです。

そして、この世のいろいろな宗教がその宇宙根源の波動を伝えようとしています。

たとえばキリスト教の聖書には

「太初(はじめに)に言(ことば)あり」というくだりがありますが、この言とは宇宙根源の波動のことです。

アメリカインディアンの教えの中にも同じものがあり、彼らの打つ太鼓のリズムにその響きを感じ取ることが出来ます。

 

『地球を癒す人のハンドブック』 西園寺 昌美 白光出版



  



 

浮気をされている自分は前世でしていた



今、女優の松居一代さんが話題になっていますが、真理を知っていたらあそこまでの行動はしなかったのではないかと思うのです。

今、目の前に現われていることとは、潜在意識の写し世です。

過去世で自分が想っていた行なっていた想念、行為がそのまま今に現われているのです。

そして過去世で自分がやっていたことがそのまま自分に返って来ることも真理であり、宇宙の法則です。

松居さんが船越さんにやられている浮気(事実だとしたら)は、前世で自分がやっていたのです。

それが返って来ている。(因果応報)

そのことがわかれば、相手を責める気持ちが無くなるのです。(完全に理解出来たらですが)


それからもう一つ、依存心が自分を苦しめます。

相手が自分だけを永遠に愛してくれる、相手の人が自分を幸せにしてくれる、という考え方です。

人間の幸せとは自立です。

経済的なことだけではなく、人間は精神的に一人で生きて行けるようになって、孤独を愛せるようになって、初めて心の平安を得るのです。

孤独を愛するというの深い意味があります。

自分が宇宙(本心)と繋がることによって、自分はすべてのものと繋がっている。

自分の中に宇宙(すべてのすべて)があることに気づき、孤独感を超越するのです。

真理を知らない人は寂しいのです。

いくらたくさんのお金があっても孤独感が強ければ心が枯渇しているのです。

心が貧乏なのです。(心の貧乏は病気です)

真理を知らなければ現象面でどれだけ整っていても不幸になります。

現象面は常に変化をするので、少しでも変化すると、思い通りにならないと不幸に感じるからです。

そして

世界平和の祈り(人類の幸せ)は真理がわかっていないと心の底から祈れないのです。

それは自分の幸せ、平和(心の平安)がわかっていないからです。

どんなことが起こってもありがたい、私はなんて幸せなんだ、という心境になければ世界(宇宙)人類の幸せは祈れないのです。

自分の心が幸せになる、心が軽くなる、そうなって初めて自分を許せ、人を許せる。

しかしそれからでは遅いのも確かです(笑)

世界平和の祈りの素晴らしさは幸せを感じていなくても祈っているうちに幸せになれるところです。

それは自分の本心につながるからです。

宇宙の愛、神と繋がるからです。(か~あ み~い)

祈っていると真理が氷が解けるようにわかっていきます。

真理と宇宙はイコールだからです。

そして心から祈れるようになっていきます。

これから私は真理の大切さも祈りと同時に書いていきます。

よろしくお願い致します。
 


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



  

2017年7月 8日 (土)

人の態度に一喜一憂してしまう自分をなんとかしよう




人間関係の一番の悩みは他人の自分に対する態度だと思うのです。

いつものその人のイメージがあって、そのイメージと違う態度を取られたら、

「自分に対して何か怒っているだろうか?」「自分は嫌われているのだろうか?」「これから自分はどう接していけばいいのだろうか?」・・・・・

など、意識はそちらのほうに向かい、他の大切なことに意識が向かわないのです。

先日ご紹介した悩みを紙に書き出すメソッドですが、大きな反響がありました。

下記のメソッドもきっと役に立つと思います。

頭でごちゃごちゃ考えていても何も解決しないのです。

頭(肉体)はおバカさんだからです。





「5つのマス」 で問題を正しくとらえ直す

 


「友達の態度に一喜一憂してしまう・・・・・」

 

K乃は、今朝、電車を降りた駅で友達に会ったので、

「おはよう」

と声をかけました。 いつもなら、

「あっ、おはよ~ぉ、いま電車から降りたんだぁ」

と返事が返ってくるのに、友達からは不機嫌そうに (と感じた)

「おはよう」 としか返事がなかったので

「私のこと、何か怒っているのかな、私と話したくないのかな」

と考えてしまいました。

友達から
 「嫌われたに違いない」 という考えが浮かびます。

「あの態度は絶対そうだ」 と確信します。

「私って、誤解されやすいのよね・・・・・。でも私に何か悪いところがあったのね きっと」

そう考えていると、暗く、イヤな、自分を責めるような気分にさえなってきます。

学校に行くのも気が乗らなくなってきます。 授業もなんとなく楽しくありません。

昼休みも友達からできるだけ離れています。

一人で机に向かって座っていると、朝の考えがまた浮かんできます。

行動はますます消極的になってしまいます。



空気が読めないのは困りますが、K乃のようにあまり相手の言動に左右されてたのでは、自分らしくのびのびと快適に生活できません。

相手の態度に振り回されないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。

まず、今の状態が心地良くないとしたらどう変わりたいか目標をしっかり持つことが必要です。

そして自分の問題に気づいたら、今度はどうなりたいかを考えてみます。


「相手の態度に一喜一憂しないようになりたい」

「何か事が起ったとき、パニックにならないようになりたい」

「ゆううつな気分から抜け出したい」

などでしょうか。 

人は、

「こんな状態では心地良くないからイヤだ」

と思ってはいても、

「では、どういう状態になりたいのか」

と聞かれると、具体的に言葉にならないことが多いものです。

漠然と、「心身ともに快適な生活がしたい」 というのでは、どうしたらそうなるのかわかりませんね。


第一章で触れたように、あなたの反応パターンは、感情と思考と行動が密接につながって、セットで動きます。



ですから、 物事をどのように考え、それをどのように感じ、そしてそれに対する反応はどのようになりたいかを、具体的に考えることが重要 です。



では考え方を見直し、もっと新しく生まれ変わるその方法をご紹介しましょう。



( 書き込むだけで冷静な判断ができる )


相手の態度に一喜一憂しないようになりたいと考えているK乃の場合を例に考えてみましょう。


紙を出して広げてください。 紙に5つのマスを作ります。


1番上のマスに、今朝起こった状況を書きます。


2番目のマスに、そのとき頭に浮かんだ考えを書きます。


3番目のマスにそのときの気分を書きます。


その気分が最悪のときを 100 とすると、いくつくらいか書いておきます。


4番目のマスには、2番目のマスに浮かんだ考えに反対する言葉や、別の考えがないかを書きます。

この別の考えと、はじめに頭に浮かんだ考えを見比べて検討します。


どちらが客観的で合理的、あるいは常識的な考えでしょうか。


場合によっては親しい人に聞いてもらって意見を聞いてみましょう。


5番目のマスに、いろいろ思い、考えを巡らせた結果、いまの気持ち、感情について書き入れます。
 

その気分は最悪の状態を 100 とするとどのくらいかも書きます。


K乃は1番目のマスに、今朝、友達に声をかけた状況を書きました。


「おはよう」 と声をかけたのに友達は不機嫌そうに 「おはよう」 と言っただけでした。


2番目のマスに、そのとき頭に浮かんだ考えを書きました。


それは、


「嫌われたに違いない」


「私のこと怒っているのかしら」


「私が何かしたのかな」


「私は誤解されて嫌われやすい」


などでした。


3番目のマスに、そのときの気分を書きました。


とても不快な気分で、さらに 「寂しい」 「悲しい」 でした。


その気分は最悪の状態からみると70くらいでしたので 70くらいと書き入れました。

 
4番目のマスには、2番目に書いたはじめに頭に浮かんだ考えとは別の考え方、反対の考え方などを書きました。
 

「疲れていたのかな」

 
「友達は今日提出するレポートのこととか、何か考え事をしていたのかもしれない」

 
「家で何か不愉快なことがあったのかな」
 

「体調が悪いのかもしれない」

 
・・・・・そして2番目と4番目の2つのマスに書かれたさまざまな考えをじっくり見てみると、どれにいちばん信憑性がありそうでしょうか。

 
最後のマスに、検討した結果、今の気分を書きます。


「そうか、別に私は何かした覚えはないし、友達はたまたま気が乗らない気分だったんだわ、きっと。 誰にでも機嫌の良くないときってあるものだし」


という結論から、今の気分は最悪のときの 100 と比べると、40くらいになっていました。


もし、 「やはり何か嫌われることがあったのだ」 とどうしても思ったのであれば、それを解決する方法を考えましょう。

相手にそれを聞いてみることもできますし、信頼できる人に意見を聞いてみるのもいいですね。



このように、物事のとらえ方を客観的に正していくことを繰り返していくうちに、


「相手の言動に一喜一憂する」 から 「物事を積極的に考えて自分の考えに自信を持つ」


ように、前向きに変わっていきます。


K乃のように、相手の言動に一喜一憂するのも、たまたま作り出した反応パターンのせいかもしれないのです。


こうした方法ではネガティブな反応を修正して脚本を書き換えることもできるのです。




 
 「1ヶ月」で新しい自分に生まれ変わる方法 中村延江 すばる舎




  

意識が落ち込んだとき

  

一日のうちで意識=気持ちが落ち込む瞬間(とき)がある。
  
その日に誰かに批判されたこと、何かのことで自己嫌悪に陥ったことかもしれない。
 
そのまま放っておくと、どんどん大きくなって相手か自分を責めてしまう。
  
そんな時は理屈抜きに、そこから意識を外して、プラスの波動に入っていけばいい。
  
気づいていないが、私たちの周りはプラスのエネルギーで溢れている。
  
宇宙(星、空)、風、自然(海、山、川、樹)、花、みんな自分をやさしく包み込んでくれる波動ばかりだ。
  
 

まず、最初にやることは考えない努力をすること
 
気になっていることから意識を外すのだ。
 
外すのは体の最下点(立っている時は足の裏、座っている時はお尻の肛門)

あるいは、エネルギーが一番強く交流する下丹田(へそ下3.5センチ)
 
これで何も考えない状態となる。
 
そして今度は足の裏等に行った意識を風(その他なんでもいい)に合わせる
 
合わせ続ける。
  
すると、段々と自然に気持ちが晴れて明るくなってくる。


なぜ、明るくなったのかなんて理屈いらない。
 






素直な人はお得です。

いいと感じたら考える前に実行している。 

考えない努力をしていると思わぬご褒美を戴ける。

それは無欲になったことに対するご褒美。

欲を無くしたときにプラスのエネルギーが流れる。

エネルギーが流れて初めて具現化(ぐげんか)=現実化される。

それが、宇宙からのプレゼント。


  

追伸・・・なぜ考えない努力をして考えない状態を作るとご褒美が戴けるか?

というと上手く行くことを想いが邪魔をしているのです。

「ああだ、こうだ」「どうしよう、こうしよう」と考え過ぎていると、エネルギーは上手く行こうとしている道に大きな石を置いたのと同じ状態になります。

想いは重い、想いが邪魔をしているのです。

そして想い、考える代わりに善くなった状態を強くイメージします。

未来に善くなった姿を刻印するのです。(果因説)

これからは果因説の考え方が主流になって行きます。

エネルギーは過去から現在、未来に流れるのではない、未来から今に流れて来るのです。

お薦め本 「果因説」西園寺昌美 白光出版



 

    

2017年7月 7日 (金)

一流のスポーツ選手はなぜモテルのか?



 
スポーツをする人がなぜモテルか? (特に一流と呼ばれる人)


それは、スポーツをすることでエネルギーが動き、流れ


爽やかさんになっているからです。


例えば野球を夢中でやっているときは、ボールを見ます。

競技の中心となるボールに集中するのです。

肉体の外にあるボールを見つづけることで肉体(頭)から意識が外れているんですね。(他のことは一切考えない)

頭すっきり、エネルギーはサラサラと流れている (爽やかになったエネルギー体はある程度持続します)

すると

側にいる人たちは滝の側に行ったような気分になるのです。

そこにストレスを溜めた女子アナがインタビューに行く。

放送局は凄い緊張感があるのだと思います。
 

原稿を間違えずに読まなければならない

周りの人にも失礼がないように接しなければならない

人間関係が難しい


だから異性の同僚の人がいても自分と同じような精神状態、波動の状態なので癒されることがないのだと思うのです。

頭はパンパンに詰まってくるし、体の調子も悪い

「もう病気になりそう」

そんなときに上司から

「プロ野球の○○球団に行って△△選手にインタビューして来い!」

と言われた。

話しているうちに心身共に軽くなって行くのがわかる

それは砂漠でオアシスに出会ったような心境なのです。

そこで

「私にはこの人が必要なんだわ」 

と思ってしまう(笑)


女性でなくても人間がスポーツ(選手)に癒し、安らぎを求めるのは同じです。



ここでスポーツ選手を、波動体としてもう少し観てみましょう。


意識が肉体から外れているので直観が鋭くなっています。


空に近い状態です。


天からのメッセージが受けやすい。

天才とはメッセージを受けるのが上手な人です。

本当に物事に集中しているときとは天とつながっています。(祈っていなくても)

その状態を出来るだけ長く続けることが一流、超一流選手になる秘訣なのです。

本人が空になることを意識しているいないにかかわらず、常人離れした、天才的なプレーをする人は自分を無にするのが上手いのです。


イチローは過去世でずっと統一をやっていたと思います。

過去世でかなり修行を積んでいます。

だから天(本心)に統一するのが抜群に上手いのです。

一流の選手は頭を使っていません。 余計なこと(雑念)は考えていません。


例えば守備をしていてボールが飛んで来たらどこへ投げるか?は頭で考えます。

しかしそのシュチエーション(場面)を頭にインプットしたら後は空になるのです。

心を無にする。 (具体的には考えない努力をするということです)

その切り替えが凄いのです。

普通の人は頭で考えたままプレーをしてしまう。(エラーしたらどうしようなんて思ってしまう)

頭がスッキリした状態とごちゃごちゃモヤモヤした状態でプレーしているという違いです。

後、切り替えがすごく上手ですよね。

失敗をしたりミスをしたりしても頭をすぐにニュートラル(中立)に戻せる。

だからどこにボールが飛んで来てもスーッと動ける。

実は天才はボールを見て動くのではなく

飛んで来る前から身体が勝手に動いているのです。

これは頭で考えては出来ないことです。

余程エネルギーが流れつづけていないとこのような動きは出来ないのです。

そして

この選手を観ている人は

「なんであんなに凄いプレーが出来るのだろう?」

と感動するのです。

天から降りて来ているエネルギーをその選手を通して光を観ているわけだから観ている人のエネルギーも同じように流れるのです。

すると感動が益々深まっていく。

観ている人もスッキリしてくる。

そしてその選手のファンになるのです。

これはスポーツに限ったことではありません。

武術、芸術、音楽もすべて同じです。

空になった人は、肉体界で超一流になれます。

ただ持って生まれた天才以外は、天才になる素質がありません。

ではどうすれば天才になれるか?

世界平和の祈りを絶え間なく祈ることによって統一、天と通じるのです。

世界平和の祈りを祈って天に統一すると天才、聖者と同じ波動体になっていきます。(天才、聖者の波動は違いますが)

近未来の人間の姿です。


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 

内面のバランスが取れれば現象面は整う



私たちは、目の前で起きていることをなんとかしようとします。

病気の人は病院に行き、お医者様になんとかしてもらおうとする。

あるいは薬を飲んで治そうとする。

貧乏な人はなんらかの方法でお金を得ようとする。

人間関係で悩んでいる人は相手を責め、相手が変わってくれることを望む・・・

つまり自分の心以外の外のものでなんとかなると思っているのです。

私も自分の思い通りにものごとが進まないときには、現象を変えようと相手を変えようとやっきになるのです。

しかし行動を起こすにしてもまずは自分の心を変えないことには現象面はなんら変わらないんだ、ということがある文章を読んでいて気づきました。

今起きている九州の豪雨、大雨の被害は、外のことのように見えるけれど、確かに自分の心の中で起きていることなのだ、だから他人事に思えず、心が痛む、それは自分の心も他人の心も、外で起きているあらゆる現象もみんな一つに繋がっているからです。


パラグ・シャーさん(インド人、平和主義者)

「外界で見えている紛争が何であれ、それは私たち自身の内面で起きている紛争が転写されたものです。

つまり私たちの内面のバランスが取れていないということです。

何故なら、私たちの内面のバランスが取れていたら、世界もバランスが取れているはずだからです。

ですから、私にとって人生とは、私の内面のバランスを取るための試行錯誤になります。

これからの世界がどう展開するかは分かりませんが、私自身の内面のバランスが取れさえすれば、世界のバランスを取れるのに貢献できるのだと考えています」。




追伸・・・自分の心の中が平和であったとしても他の人が平和で無ければ現れて来る現象は平和ではないのです。(逆もまた真です)
それは集合意識が現実を創っているからです。
自分は自分、他人は他人と割り切って考えることは出来ません。
それは個人の心は意識は空のようにすべての人類と繋がっているからです。
個人の平和イコール人類の平和です。
人類が平和になるためには自分の心の中を平和にしなければなりません。
それもただの平和主義者では変わりません。
世界平和の祈りのようなもの凄い言霊、パワーが必要なのです。

個人の幸せは世界平和を祈っていると整って来ます。
それは世界人類の平和の中に自分の平和、健康、富も含まれているからです。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  
  

2017年7月 6日 (木)

日本人よ今こそ起て

  



『日本人よ今こそ起て』  

                五井昌久



日本人よ 日本人よ 今こそ起たねばならぬ

今日起たねばいつ起つ時があるのか

日本人よ 日本人よ 今こそ起たねばならぬ

だが日本は剣を持って起つのではない

一億二千万の心を一つに

平和の祈りをもって起つのだ

日本は核爆弾の洗礼を受けた唯一の国

真実平和を絶叫できる唯一の国だ

何者だ今頃になって武器を持とうと言うのは

剣を持って防ぎ得るのは一時のこと

永遠の平和は剣を持つ手に来ることはない

日本の天命は大和の精神を海外に示すにあるのだ

日本は今こそ世界平和の祈りによってのみ起ち得る

世界平和の祈りは

大救世主の光り輝く言葉だ

救世の大光明は日本国の平和の祈りに結ばれて

地球の隅々にまでその光明を顕現するのだ

サラリーマンの家庭から

農家の主婦の心から

機械に躍る職場から

世界平和の祈りは光となって

世界中にひろがってゆくのだ
 




 

想いが現実をつくっている



今、九州の大雨が甚大な被害を及ぼしています。

建物や物的な被害よりも人や動物たちの生命が助かってくれることを祈るばかりですが、このような災害は自然によるものであり、人は関係ないと思われています。

しかしそうではなく天候などを含む天変地変はすべて人間の想念が汚れているから起こっているのです。

雨は光のシャワーです。

強い雨を降らすことによってその場所、そして地球を浄めています。

日本は世界の縮図(代表)、雛形です。

四国はオーストラリア、北海道は北米、本州はユーラシア大陸、そして被害に遭った九州はアフリカの地形にそっくりです。

日本は世界の代表、日本から地球世界は浄まってゆくので、九州はアフリカの代わりになって、アフリカのエネルギーも浄めているのです。(もちろん九州も汚れています)

それは日本が強いからです。耐えることが出来るからです。

立ち直る力(霊力・神力)を持っているからです。

先日の
記事で、地震は地球を覆っているマイナスの想念エネルギーを浄めるために地面を割って光を入れているのだ、阪神・神戸大震災は、地球の代表で浄まったのだ、そしてその場所に神様の玄関(戸)にあたる神戸が選ばれたのだと書きました。

その後ユーラシア大陸を浄化するために東北の地震、津波がありました。

あれだけの甚大なる被害が遭ったら他の国ではもう立ち直ることが出来ないかもしれません。

だがしかし日本人は不屈の精神で乗り越えることが出来るのです。

日本人はほんとに素晴らしいと思います。

そして世界平和の祈りも五井先生によって日本から発信され、今や日本より海外で大きな評価を得ているのです。(皮肉ですね)

今こそ私たちは真剣に世界の平和を祈り、祈りによって想いを消すことによってマイナス言葉や想念を出さないようにし、天変地変を起こさせないようにするべきだと思うのです。

人間が穏やかになり、真理に目覚め地球のエネルギーが調うと、天変地変は無くなり、気候も調って行きます。

夏と冬が無くなり、春と秋だけになるそうです。(ちょっと寂しいような気もしますが)

日本の、そして地球の平和は私たちの想念によるのです。


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます




  

2017年7月 5日 (水)

波動が軽い、重いとはどういうことか?

 

先日、調和波動気功法のセミナーに結婚して海外のある国に住んでおられる女性がスピーチをされていました。

その内容とは、

「夫に結婚届けを出してくるように頼んだのだけれど、3ヶ月も経つのにまだやってくれない」

それは旦那さんが特にいい加減でズボラなのではなく、その国の波動が重たいのでたいがいの人はそうなのだそうです。

だからあたり前のことがなかなか前へ進まない。次の計画が立てれない。

それは、人間の集合想念が波動(エネルギー)を重たくさせているのです。(外国は日本よりもかなり重たいそうです)

 

日本?でも月曜日の朝が一番重たいですね、その次に重たいのが日曜日の夕方でちびまる子ちゃんやサザエさんが始まった頃です(笑)

「明日からまた仕事(学校)か~、嫌だなあ」とかなりの人が想っているので、エネルギーも重くなるのです。想いは重いのです。

わけもなくマイナスの想いが容赦なく自分の心の中に入って来ているのがわかるときがあります。そしていつの間にか去っているときもわかる。

それは貴方がエネルギーを感じているのです。

しかしそのエネルギーに左右されたり、振り回されていては仕事も出来ないし、日常生活もまともに送れません。

そこで私たちは、自分で自分に気合を入れます。「自分よそんなことでどうする」と叱咤激励します。

だがしかし体も気持ちも鉛のように重たくなることがあるのです。

そんなときは、以前にもご紹介した、光明思想徹底行をしてみてください。

宇宙のプラスの言霊がすべて入っています。7回繰り返して読むとわけもなく元気が湧いて来ます。(かなり溜まっていると即効性は無いかもしれませんが、後から必ず軽くなります)

自分が本来持っている元気が顕われて来ます。

宇宙は無限のプラスのエネルギーで溢れています。

そのエネルギー(霊要素)を戴くのです。

 

私は世界平和の祈りと並行して唱えているのですが、最近行動するときに「よいしょ」と言ったことがありません(笑)。

人の3倍は迅速に動けていると思います。

誰もエネルギーを軽くはしてくれません。

自分(周りも)の波動調整は自分でするのです。

  

光明思想徹底行!(心の中で7回唱えましょう♪)

 
世界人類が平和でありますように

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

無限なる光

無限なる力

無限なる英知 

無限なるいのち
 

世界人類が平和でありますように

無限なる幸福

無限なる繁栄

無限なる富

無限なる供給

無限なる成功

無限なる能力

無限なる可能性

世界人類が平和でありますように

無限なる健康

無限なる快活

無限なるいやし

無限なる新鮮

無限なるさわやか

無限なる活力

無限なる希望

 

世界人類が平和でありますように

無限なる自由

無限なる創造

無限なるひろがり

無限なる大きさ

無限なる発展

無限なるエネルギー

無限なる感謝

 

世界人類が平和でありますように

無限なる喜び

無限なる美

無限なる若さ

無限なる善

無限なるまこと

無限なる清らか

無限なる正しさ

 

世界人類が平和でありますように

無限なる勝利

無限なる勇気

無限なる進歩

無限なる向上

無限なる強さ

無限なる直感

無限なる無邪気

 

世界人類が平和でありますように

無限なるゆるし

無限なる栄光

無限なる気高さ

無限なる威厳

無限なる恵み

無限なる輝き

無限なる包容力

 

 

2017年7月 4日 (火)

人間は孤独ではない

 

偉人である坂本龍馬は言葉をしゃべるようになったのはかなり遅かったそうです。

そして他の子と遊ばずに一人遊びをしていた。

これは自分の本心と対話していたのです。

本心とは神界(宇宙)にあり、ほんとうの自分は神界に居るのです。

悟るとはほんとうの自分(本心、心)と肉体人間の吾が合体することです。

だから龍馬は、幼くして悟りの境地にあったのですね。

最近ではそんな子が増えていると思います。

他の子と交わらない、自分だけの世界を持っている、・・・・だけど心配要りませんね。

だって自分(本心・神)と対話しているんですから(笑)

先ほども書きましたが、本心(宇宙)と繋がると、自分と宇宙が繋がるのです。

宇宙の中に自分が居るのではなく、自分の中に宇宙があるのです。宇宙はすべてのすべてです。

地球も日本も友達も家族も自分自身もみんなみんな入ってしまします。

そしてやっぱり自分自身でもある守護霊、守護神とも繋がるのです。

これだけたくさん?の人と繋がって淋しいわけがない(笑)

人間がなぜ孤独で淋しいかというと肉体だけに意識があるからです。

自分と他人は別(二元対立)だと思い込んでいるからです。

このことがわかる(すべては繋がっている)とかえって一人が良くなります。孤独を愛するようになります。

星になりたいと思うようになります。

すると不思議なものでたくさんの人が貴方を慕って集まって来るようになります。

どちらでも(孤独でも孤独で無くても)善いという心境になります。


  
  

マイナスのエネルギーから身を守るにはどうすればいいか? 2

 

人間とはまず、肉体(物体)ではなく光の波動体であることをまず知らねばなりません。

肉体をいうボディが無くなってしまったら(つまり死)、後は3つのエネルギー体(幽体、霊体、神体)が残るのです。(意識はそのまま残ります)

仏教では死のことを他界というのは、幽界、霊界、神界に行くことを言っています。

往生(おうじょう)というのも心は永遠で生きて他界に往くということです。

また話を戻して(笑)、

人間は光の波動体が重なり合っているのです。

相手の思いが移って来るのも、重なっているからです。

思いとは想い、相手の心と書きます。

「さっきまでこんなこと思っていなかったのに、なぜこんな想いになってしまったのか?」・・・

それは相手の想念エネルギーを受け取っているからです。そして疲れるのです。

それも周りにたくさんの人が居てはフラフラになります。

では、どうしたらいいか?

自分で強い波動体になるしかありません。

どんなマイナスのエネルギーにも屈しない光の波動体になるのです。

そのためには下丹田(へそ下3.5センチ)を強く意識をします。

下丹田はシェルターになるのです。

人間は宇宙からのエネルギー(霊要素)を頭のてっぺん(百会)で受け、血管を通って60兆の細胞に活力を与え、足の裏(湧泉)から地球の中心へとエネルギーを流しています。

下丹田とは、体のちょうど中心にもなりますが、エネルギーが一番交流する中心点でもあるのです。

宇宙からの縦┃のエネルギーは下丹田で横━に流れます。

エネルギーがクロスして十になるのです。キリスト様がおっしゃる十字架です。これが真理です。

どんなマイナスが現われようと天と地を貫いた十は、屈することはありません。

私たちは光の波動体、十字架になればいいのです。

この十に天と地(どちらも一)が加わると王という字になります。

天と地を貫いた光の波動体でなければ、国、地球を司ってはいけないのです。(今の政治がおかしいのは、このようなエネルギー体になっている人(霊止)がいないからです)

話がまたまた逸れました(笑)

頭から意識を外し、下丹田に意識を集中することで、マイナス想念はほとんど入って来なくなります。

余計なことも入って来なくなります。仏教で言うところの「空」の状態になります。 

 

天と地を意識するだけで天からのプラスのエネルギーが降りて来ます。

この時点でかなり光が降りるので、光のシャワーになっているのです。ブロック出来ています。

次に下丹田を意識して神界とつながる世界平和の祈りを祈るのです。

下丹田に小さな光のカプセルと作って(イメージ)自分の肉体を小さくして、そのカプセルに入れる。

世界平和の祈りを祈りながらカプセルと回す。(徐々に回転速度を上げる)

するとエネルギーの交流地点である下丹田はもの凄いエネルギーを持つことになります。

下丹田は、神域なのです。何者もも入ることの出来ない、自分だけの聖地です。

下丹田を強く意識してください、天地を意識してください。

マイナスのエネルギーから守ることが出来ます。

だからと言って他の人と交流出来なくなるのではないか?という心配はありません。

下丹田を意識しながら人と交流すればいいのです。

他の人は、滝の側(マイナスイオン)に行ったような状態になります。

みんなに好かれるようになります。

なぜならば、あなたは光の波動体(パワースポット)になっているからです。


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 

マイナスのエネルギーから身を守るにはどうすればいいか? 1

 
 
「今の人」という言い方はおかしいのですが、現代人は人が恋しい、淋しい、誰かと繋がっていないと不安で不安でしかたがないのだと思うのです。

ブログ、ツイッター、フェイスブックなどのSNSも身近な人では煩わしい?ので新しい出会いを求めている、同じ価値観の人を探している。

しかしいざ見つかったとなったらどうでしょう?

知らない人との出会いは新鮮であり、刺激的ですが時間が経つとしんどくなります。

それはまったく同じ価値観などもあり得ないし、相手のエネルギーも自分と同じではないからです。

たとえ同じような考え、趣味だったとしても持っているエネルギーは人それぞれ違います。

30億人居れば、30億通りのエネルギーがあるのです。

星を観てください。

宇宙の無限の空間にある星はそれこそ無限の数があります。

しかしくっついているのではなく、絶妙の距離感を保ってぶつからないようにしています。

人間は星です(笑) くっついて存在するものではないのです。

いつも書いていますように人間の体は肉体だけではなく幽体、霊体、神体という目にみえないボディを纏っています。(同時に幽界、霊界、神界にも同時に住んでいます)

幽体の大きさはビル一棟分あり、霊体は地球一個分の大きさであり、神体にいたっては、宇宙大です。

だから意識を神界に向けると自分の中に宇宙が入ってしまうのです。

それが悟るということです。

話を戻して、幽体はオーラともいい、肉体にくっ付いています。

一番影響を受けやすいのです。

デパート等(ビル一棟でしたね)の人ゴミに行くと疲れるのは、500人いたとしたら500人分の想念エネルギーをもらってしまうのです。

疲れるとは取り憑かれるという意味です。

私は小さい頃から人ゴミが苦手でした、嫌いでした。

だから親が、「デパートに買い物に行こう」「食事に行こう」と誘っても「家がいい」と断っていたのです。

友人関係、人間関係もそうでした。

決して人間嫌いではなかったのですが、相手の人が近づいて来るとなぜか距離を保ってその場からいなくなっていました。

だから私にはみなさんが人とくっつこう、集まろうとしている気持ちがわからないのです(笑)。

話が長くなってしまいました、この続きは2で書きます。


 

2017年7月 3日 (月)

足るを知る者は富めり

 

「足るを知る」という言葉は中国の大聖者、老子の有名なお言葉なのですが、今の人間にとって一番大切な言葉ではないかと思います。

どういう意味かと言いますと、人間は裸一貫で「おぎゃあ」と生まれてきた、そのときはもちろん財産も地位も名誉もない。

両親も元気で生まれて来てくれたことだけを喜び、なんの期待もしていない。

この世に生を受けたことだけを神様に感謝していたのです。

それだけで赤ちゃんも両親も十分幸せだった。

しかし成長するにつれ、本人も両親も欲が出てきて、「もっとお金が欲しい、稼いで欲しい」「もっとよい暮らしがしたい」「させて欲しい」「もっと人に尊敬され認められたい」・・・・

と欲望が増幅して行くのです。いつも心が満たされていない状態です。心が貧乏なのです。

心の貧乏とは病気なのだそうです。

私たちは、満たされない気持ちを不幸と言いますが、初心に戻ると、「生きているだけでありがたい」「生活が出来ているだけで幸せだ」「朝を迎えられただけでこんなに嬉しいことはない」になるはずです。

「私たちはすでに満たされている、必要なものはすべて与えられている、足りている」と思うのか?

「まだ満たされていない、全然足りていない」と思うのか?

この心境の違いで、自分が今、幸せなのか?不幸なのか?が決まるのです。

コップに入った半分の水を見て、「たった半分しかない」と思うのと「まだ半分もある」と思うのとでは、同じ状況にもかかわらず、幸せ度は全く違うのです。

私たちはもっと謙虚になって「足るを知る」心境に戻らなければならないと思うのです。




              『足るを知る者は富めり』

 

この言葉は、よく言われる言葉なのですが、人間というものには限りがありませんで、金が出来れば地位が欲しくなり、地位が高くなればもっと高くなりたくなり

最高の地位につけば、いつまでもその地位に止まりたいと、種々と権謀術策をして、心の休まる暇がありません。

ですから、足るを知るということは、実に大事なことだと思うのです。

どんなに貧しい生活をしていても、その貧の中で満足して、心を休んじていられる人は、富んでいるも同じ心の余裕というものがあります。

安心立命していられます。

想念を常に物質世界の中に置かずに、神のみ心の中に入れきっている人は、如何なる環境にいても、足ることを知る人であり、心富める者なのであります。

何故ならば、神は無限の富者であるからです。




          「老子講義」 五井昌久 白光出版




  

2017年7月 2日 (日)

人間には無限の神秘力がある

  
 

現役大リーガーのイチローは、前世では忍者だったそうです。

あの守備、身のこなしはただ者ではないですね。

そして背番号の51は五井先生を表わしているそうです。

五井先生もイチロー選手も天に通じていた天才だったことは共通しているようです。

しかし五井先生もイチローも、とっぴょうしもないことを言うのではなく当たり前のことを言っておられます。

私はイチロー語録が好きでよく読んでいたのですがその中で、

「目標は低いほうがいい」 があります。

目標は低く設定してそれを何度も毎日クリアしていくことで自分に自信を付ける、小さな自信の積み重ねが大きな自信、そして目標につながる。

気づいたときは人間智では考えられないくらいのことが出来るようになっている。

天才は、努力によって生まれるということなのですが、今、嵐の大野くんが映画でやっている忍者は、何メートルもの高さを、鳥のように飛んでいます。

オリンピックの走り高跳びに参加したら絶対に金メダルでしょう(笑)

どうして忍者は飛べたのか?

それは幼い頃からの訓練がありました。

3歳くらいの小さい時に、3センチくらいに育った苗木を飛び越えさせるそうです。

3歳でもそれくらいだったら簡単に飛べる。

そして次の日もまた次の日も簡単に飛べるのです。

それはあたり前でもあるのですが、自信につながります。

「絶対に飛べるんだ」 と心にインプットされます。

そして苗木はいつの間にか樹になり、50センチになり、1メートルになり2メートルになり、5メートルにもなる。

幼子も少年期を迎えるが、気が付いたときには、5メートルを飛べるようになっているのです。

イチローはこの頃(忍者だった頃)を覚えていたのかもしれません。

だから「目標は低いほうがいい」 という発想が生まれたのだと思います。

世界平和の祈りも毎日の積み重ねです。瞬々刻々の祈りが大切なのです。

目にはみえないけれど確実に世の中に役立っています。

人類がつくってしまったマイナスの想念エネルギーを消してプラスに変えています。

世界を平和に導いています。

宇宙に刻印しています。

そのエネルギー(言霊)が臨界点を超えたとき、アセンションを迎えるのです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



  
 

私たちはもう回り道をしている場合ではない


 

地球人類が一刻も早く、一日も早く目覚めなければいけないときにこんなことを書いている場合ではないのですが、今、巷に邪な、おかしなものが溢れているのも事実なのです。

ある意味お試し(変なものにひっかからないか)なのかも知れませんが、神秘的なものと魔界的なものと間違えてはいけません。

東大の学生さんに「なぜ、そんなに頑張って勉強をして東大に入ったのですか?」と聞いたところ、一番多かった答えは、「東大に入ると神秘的なことに出会えるかもしれないと思ったから」だったそうです。

目に見える世界(3次元)に生きている私たちは目に見えないものに憧れます。

魅力を感じます。

そこにはほんとうの美、真理があると思うからです。

興味を持つことは良いことだけれど、そこには落とし穴があることを知らねばなりません。

世界平和の祈りを常に祈っているとそんな世界に誘導されたり、入ることはないのですが、それでも絶対に無いとは言えないのです。


それは肉体人間には欲望があるからです。(これがほんとにやっかいです)


参考までに読んでみてください。



(2013年10月30日のブログより)



神秘的なものとは、本物の世界である神界から来たものであり、人を感動させ、魂を高めるものなのです。

しかし神界に行く途中で幽界があり、そこにはさ迷ったオバケちゃんが住んでいます。

そして、人間に取り憑いたり、驚かせたりして楽しんでいるのです。

この違いを見抜く力を審神(さにわ)というのですが、幽界のオバケちゃんも巧妙化してきまして、人を騙すのがうまくなっているのです。

あやしい霊能者などを常識的な人は相手にしないのですが、これだけ世の中が混沌とし、やるせないこと、迷うことが多くなってくると、魔界的(奇蹟的)なものを神秘的なものと履き違えて、信じてしまう人も多いのです。

本物とは、地味で、そうやすやすと、奇蹟を見せることはありません。

人間の魂の成長を第一とするからです。

悠長なのです。

時間をかけてゆっくりと慎重にするのです。

しかし、それを人間は我慢できない

即効性のある、ご利益のある、感情を喜ばせるものに惹かれます。

これからもそのような魔界的なものがたくさん現われてくるのです。

だがしかし、それも悪いものが消えてゆく姿であり、やがて人間はみな審神(さにわ)が出来るようになる(我即神也になるから)

一度はひっかかりかけてもすぐに気づき戻ればいいのですが、中にはやはり吸い込まれてゆく人もいるのです。 (このことを守護霊、守護神様は決して望んではいません)

にせものは、陰湿な暗い印象があります。

高額のお金を取ったり、どこか納得出来ないおかしなことを言います。

弱みにつけこんだり、感情を揺さぶり、判断力を鈍らせようとします。

見た目に騙されてはいけません。

財布の中身を当てられたり、今の現状、心境を当てられても信じてはいけません。

神さまは、奇蹟(神秘力)を見せることはめったにないのです。

本物かニセモノかを見抜く力よりも、にせもの(魔界的なもの)に惑わされないようになりましょう。

観察していればどこかおかしいところが必ず見えます。

洞察力よりも観察力(常識力)を磨くことです。

世界平和の祈りを祈り、しっかり観察していると騙されることはありません。

占いや霊能者だけではなく、審神(さにわ)しなければいけない場面に私たちは毎日のように出会っています。

「この人とはこれからもお付き合いしていい人だろうか?」

「この人を信じても大丈夫だろうか?」

そんなことは肉体人間の知恵ではわかりません。

守護霊、守護神からのメッセージを瞬間で受け取るには、神界に通じて自分がスッキリ爽やかな波動体になっていなければならないのです。

頭で考えて出す答えは、間違っていることが多いのです。

五井先生(ほんもの)とニセモノの違いが下記の文章に書かれています。


よろしければ読んでみてください。



本文


「わたしもとうとう三十五キロになってしまったよ」と五井先生がおっしゃったことがありました。

昼夜も分かたず、世界の業のお浄めに身を挺しておられる先生のお体は痛々しいほど痩せておられました。
...

 「先生、浅丘ルリ子と同じですね」と思わず軽口をたたいてしまいました。

「他の教団の教祖はみんな、でっぷりと太っているのに、なぜ先生だけが鶴のように痩せ細って・・・・」と言いかけると、先生は、「住んでる世界が違うよ」とおっしゃいました。

 肉の身をこの地上に置きながらも、先生は常に神界の住者として、神そのものとして地上に大光明を放っておられたのです。

大光明と引き替えに世界の業を引き寄せて浄め続けておられたのです。

 ところである時期、目を瞠(みは)るような霊能力を駆使して話題になった、今は亡きG教団のT師のことを、ある講師が講師会で五井先生にお訊ねしたことがありました。

 先生は、「わたしの足元を見渡しても、そういう人は見当たらないよ」とだけおっしゃいました。

先生は神界の住者ですから、先生の足元ももちろん神界であるわけです。

その足元にもいないのですから、T師は神人ではないということになります。

五井先生のお立場上、「わたしの足元」という婉曲的な言い方をなさったのでしょう。

 ちなみに霊能力に優れた村田長老はT師のことを「幽界の魔王」とはっきり言い切っていました。

このように神人でもない幽界の住者が、この世で宗教教団の教祖として君臨して、それなりに真理らしきものを説いているということは、なんと恐ろしいことでしょう

 T師から霊能力を与えられた人が、訳の判らない古代語のような言葉をペラペラと口にしたそうですが、T師は幽界の生物を自由自在に操って、相手の背後に付けてしまう魔王だったのです。

まさに霊(幽)能恐るべしです。

 またS教団の教祖だったO師は、あちらの世界で、弟子と共にせっせとお札(さつ)を数え続けているそうですが、そこがどういう世界であるかは説明する必要はありませんね。


 なお講談や浪曲でお馴染みの大政、小政、森の石松・・・・という錚々(そうそう)たる子分を擁する清水次郎長一家は、思ったよりいい世界に行っているそうです。「所詮、俺たちは人生の裏街道を行く渡世人」という開き直りがあったのかもしれません。

 しかも決して堅気の人たちには迷惑をかけなかったという点で救われがあったのではないでしょうか。

しかしあちらの世界でも相変わらずシマ(縄張(なわばり))を荒らしたとか、荒らされたとかやっているということですから、決して高い世界ではないことは確かなことです。


*清水の次郎長・・・・今のヤクザのこと、しかし一般の人(堅気の人)には、迷惑はかけず、見世物小屋などの興行を仕切っていた。


  

祈っている人は貴重な存在



先日、違った波動同士は絶対に交わらないと書きましたが、地球のアセンションが成功するか?中途半端な成功(アセンションするのは確実です)になるのか?は今からの人類の意識にかかっています。

神人(しんじん)が1万2千人から3万人に増え、地球人類全員がめでたく覚醒し、全員で新しく生まれ変わった愛の星の誕生を迎えられるのか?

もしくは、一部の星、一部の人たちを残したまま迎えるのかはとても微妙なのです。(宇宙神は全員を助けようとされています)

だから祈ってくださっている人の存在はほんとに貴重なのです。

神様も全力で応援します。

何を応援してくださるかというと祈りやすい環境を整えてくださるということです。

たとえば、先日書いた記事のように事故に遭っても即死のような事故がかすり傷に済むようになったり、病気になっても良いお医者さんと巡り合わせて命が助かったり、仕事が減って困まりそうになってもなぜか誰かが助けてくれたり、あの手この手で、

「なんだか不思議だなあ、守護霊さんに助けて戴いているとしか思えないなあ」

という状況になるのです。(私がそうです)

もちろん人並みの努力はしなければなりませんが、運が善くなるのです。

ラッキー(幸運)が起こるのです。

そこでまたそのことに感謝をすると、感謝は光なので、自分の波動が強くなります。

人間は光の波動体なので、普通の人が見ても輝いていると感じるようになります。

幸運が幸運を惹きつけることになります。

他人は見ていて不思議でしょうがない。

「なんであいつはツイているんだ」「俺はこんなに頑張っているのに」

・・・・・

そこでやっかみや、恨まれるのではなく、「その秘訣を教えてくれ!」と言って来るのです。

それが不思議です。

相手の守護霊さんも自分の子孫に祈らせたいので、子孫を素直にさせるのです(笑)。

なぜならば私たち人間は世界平和の祈りを祈るために生まれて来たからです。

太陽系の惑星の中で、宇宙の幸せを祈っていないのは地球人だけだそうです。(一部を除いて)

進化した星の宇宙人(神)たちは、地球人を「幼い兄弟たち」と呼んでいるそうです。

あっ、そうそうこの宇宙の兄貴たち先輩たちも全力で地球のアセンションを応援してくれています。

だから私のこのブログも宇宙人たちの応援が入っているのです。

「おまえの書いていることはその通りだ!」「もっとわかりやすく書け!」・・・・

書いているというより書かされている、こんなことを言うと強制されている、やらされている、と聞こえるかも知れませんが、私の魂は喜んでいます。

話がまたまた逸れましたが、世界平和の祈りを祈ってください、祈っている人は必ず整って行きます。

4次元、多次元に波長が合うからです。自分で波長を合わすのだからある意味自力です。

そして神様からの応援は他力です。

自力と他力で個人も人類もアセンションは成功するのです。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




追伸・・・「どれくらいの頻度で祈ったらいいの?」とよく質問されます。

私はメンターから「24時間プラスαで祈り続けなさい!」と言われました。

流石にそれは難しいと思います。

しかしみなさんも考えてみるとわかると思うのですが、普段わたしたちが考えていること想っていることって「どうでもいいこと」「どうにもならないこと」「考えても、想ってもしかたがないこと」だらけです。

それならばそれらことを、世界平和の祈りに換えてしまうのです。

そうすると自分にとって必要なことは必ず整って来るのです。

それは心がいつも神界に居るからです。

神界は、無限なる富、無限なる叡智、無限なる幸福・・・・で溢れているからです。

祈っていると、神界の住人になると3次元のすべてが整って行きます。


  

2017年7月 1日 (土)

世界平和の祈り方

  
 
読者の方から世界平和の祈り方を教えてくださいというコメントを戴きました。

そういえば、ちゃんとお伝えしていなかったですね(笑)

では、はじめます。

まず、お釈迦様も組んでおられる如来印(にょらいいん)を組んでください。

右手、左手で人差し指と親指で輪っかをつくり、片方の輪の中へ入れます。

そこでまた輪っかをつくります。

小指、くすり指、中指は下に沿えます。(左手、右手どちらが上、下になってもかまいません)

組む位置は、下丹田(へそ下3.5センチ付近)にしてください。

お腹からは1cmほど離します。

この印は基本的な印相で、体の中のエネルギーが交流し、調和してきます。

体調も良くなります。

電車に乗っているとき、座っているときなど、他人から見て違和感を感じさせないならば、是非組んで戴きたいです。

それから天と地を意識します。

天からのエネルギーは頭のてっぺん(百会)に入り、血管の中(血流)を通って60兆の細胞に活力を与え、足の裏から地球の中心へと流れて行きます。

自分は天地を貫く光の柱(パワースポット)だとイメージ(思って)してください。

意識を下丹田に下げ、そこに頭があるとイメージし透明の小さなカプセルを作り(イメージ)自分の体を小さくしてカプセルの中に入れるのです。(下丹田は腹脳と言われほんとうの脳があるのです)

そこでカプセルを回しながら(エネルギーが動きます)世界平和の祈りを祈ってください。(慣れてきたら回転速度を上げてください)

下丹田は、宇宙のエネルギーと肉体の自己のエネルギーが大きく交わる重要なエネルギースポットなのです。

放っておいたら起きてしまうマイナスの現象を下丹田で消すことが出来ます。

縦から流れて来た┃ エネルギーを下丹田(体の中心、エネルギーの中心)で横 ━に流すことによって十に変えることが出来るのです。

心の中で唱えても、もちろん良いのですが、天地、そして下丹田をイメージしながら組むとより大きくエネルギーが動き、エネルギー(神様)を感じ、わかるようになります。

  

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

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心と魂はどう違うのか? 2

 
  

心の中心に真理とつながる美しい 「核」 がある


 

私は、人間の心は多重構造をしていて、円心円状にいくつかの層をなしているものと考えています。

すなわち外側から

 

① 知性 ━ 後天的に身につけた知識や論理

② 感性 ━ 五感や感情などの精神作用をつかさどる心

③ 本能 ━ 肉体を維持するための欲望など

④ 魂   ━ 真我が現世での経験や業をまとったもの

⑤ 真我 ━ 心の中心にあって核をなすもの。真・善・美に満ちている

 

という順番で、重層構造をなしていると考えています。私たちは心の中心部に 「真我」 をもち、その周囲に 「魂」 をまとい、さらに魂の外側を本能が覆った状態でこの世に生まれてきます。

たとえば、生まれたての赤ん坊でも、おなかがすけば母乳を欲しがりますが、これは心の一番外側に位置する、本能(生命力)のなせる業です。

そして成長するにつれて、その本能の外側に感性(感情)を形成し、さらに知性を備えるようになっていきます。

つまり、人間が生まれ、成長していく過程で、心は中心から外側に向かってだんだん重層的になっていくわけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・

ここで肝要なのは、心の中心部をなす 「真我」 と 「魂」 です。

この二つはどう違うのか。

真我はヨガなどでもいわれていますが、文字通り中核をなす心の芯、真の意識のことです。

仏教でいう 「智慧」 のことで、ここに至る、つまり悟りを開くと、宇宙を貫くすべての真理がわかる。

仏や神の思いの投影、宇宙の意思のあらわれといってもよいものです。

仏教では、「山川草木悉皆(しっかい)成仏」、すなわちありとあらゆるものには仏性が宿っているという考え方をしますが、真我とはその仏性そのもの、宇宙を宇宙たらしめている叡智そのものです。

すべての物事の本質、万物の真理を意味してもいる。

それが私たちの心のまん中にも存在しているのです。

真我は仏性そのものであるがゆえにきわめて美しいものです。

それは愛と誠と調和に満ち、 真・善・美を兼ね備えている。

人間は真・善・美にあこがれずにはいられない存在ですが、それは、心のまん中にその真・善・美そのものを備えた、すばらしい真我(本心)があるからに他なりません

あらかじめ心の中に備えられているものであるから、私たちはそれを求めてやまないのです。


 


災難にあったら 「業」 が消えたと喜びなさい

 

そして、その真我(本心)を包み込むようにして取り巻いているのが、「魂」 です。 真我が一糸まとわぬ純粋な裸身であるとすれば、魂はそれを覆う衣服に相当します。

その衣服には、それぞれの魂が経験してきた思いや行ない、意識や体験がすべて蓄積されています。

現世で自分がなしてきたもろもろの思念や行為もまたそこに付加されていきます。

つまり魂とは、それが何度も生まれ変わる間に積み重ねてきた、善き思いも悪しき思いも、善き行ないも悪しき行ないもみんなひっくるめた、まさにわれわれ人間の 「業」 が含まれたもの。

それが魂として真我という心の中核を取り巻いている。

したがって真我が万人に共通したものであるのに比して、魂は人によって異なっているのです。

子どものころ、母親から 「あんたは魂が悪い」 といわれた覚えがあります。

鹿児島では、根性が悪かったりひねくれた性格のことをそういうのですが、幼いながら私の魂のうちに、何かよくない業が含まれていて、それが私の心の一部をゆがめたり汚していた。

そのことが母の目には見えていたのでしょう。

では、魂に垢のようにこびりついているとされる 「業」 とはどのようなものなのか。

そのことについて深く教えてくださったのは、私が得度する際にお世話になった西片たんせつ老師でした。

もう20年近くも前の話になりますが、京セラが許認可を受けないままにファインセラミック製の人工膝関節を製造、販売したとして、マスメディアから非難を浴びたことがありました。

これはすでに許可を受けて製造していたファインセラミック股関節を、医師や患者の方々の強い要望があったために、膝関節部分に応用したという経緯があり、私としては不本意なところもありました。

しかし、私はとくに弁解をせずに批判を甘んじて受けようと覚悟しました。

私はたんせつ老師を訪ね、

「このところこういう問題があって、心労が耐えないのです」 というお話しをしました。

老師もこの問題については新聞などを読んで知っておられたようです。

あたたかい慰めの言葉をかけてくださるのかと思ったら、老師は開口一番、次のようにいわれたのです。

「たいへんでしょうが、しかたありません。生きていれば、苦労は必ずあるものです」

そして、続けざまに次のようにお話しくださったのです。

災難にあったら、落ち込むのではなくて喜ばなくてはいかんのです。

災難によって、いままで魂についていた業が消えていくのです。 それぐらいの災難で業が消えるのですから、稲盛さん、お祝いをしなくてはいけません」

このひと言によって、私は十分救われた思いがしました。

世間からの批判も、

「天が与えもうた試練」 と素直に受け取ることができたのです。

まさに、いかなる慰めの言葉にもまさる、最高の教えを老師は授けてくださり、私は人間が生きるということの意味、そしてその奥底に横たわる偉大な真理までを学ぶことができました。

        

           『生き方』 稲盛和夫 サンマーク出版



感想

稲盛さんの文章は詳しく書かれていますが、平たく言えば本心という綺麗な心に、業という汚れた魂が乗っている。

この業が個人の人間にも地球人類にも覆い被さって人間も地球人類もおかしくなっているのです。

魂とは、肉体にくっついている目に見えない幽体というボディ(体)です。

そして個人の幽体がたくさん集まった世界が幽界なのです。

私たちを守ってくださっている守護霊さま守護神さまは、霊界と神界から幽体と幽界を浄めてくださっています。

だからまだ人間も地球も滅亡しないで済んでいるのです。(大難が小難)

が、しかしいつも書いていますように、守護霊と守護神だけでは、魂である幽体も幽界も浄め切ることが出来ないのです。

そして肉体人間もいつまでも意識が肉体界や汚れた世界である幽界にあっては(低意識レベル)、ほんとうの意味の魂磨きが出来ていないし、本心を輝かせることが出来ません。

本心が光輝いている姿が悟った状態ですが、人間は稲盛さんがおっしゃるように真理を知り、本心が顕われるようにならないとほんとうの幸せにはなれないのです。

なぜならば、人間は悟るため、本心に還るために生まれて来たからです。

なぜ元々神(我即神也)なのにわざわざ肉体を纏って、記憶を無くさせ苦労をさせるのか?

と言いますと、本心と波動の違う世界に身と心を置いた方が、魂磨きや本心を開発するのに適しているからです。

人間は窮地に立たされないと努力しようとしないからです。

真理を知り、悟ろうとしないからです。

人間は今、目覚めようとしています。

人間が業を取り去り、本心につながる(覚醒する)メソッドが世界平和の祈りです。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



  

 

心と魂はどう違うのか? 1

 

物事を解決してゆく上で心の問題が非常に大切です。

魂も大切です。

がしかし

この心と魂の違いがわかっていないと様々なことにひっかかるのです。

下記の文章を読み進めてゆくうちに解決していただけたら幸いです。



本文

 

「心を磨く」 と 「魂を磨く」 どちらも言うのですが、心と魂の違いを知っている人は少ないと思うのです。

かくいう私もハッキリとわかっていませんでした。

心(本心)は、私たち人間の本当の姿であり、光輝いた元の姿です。

魂とは、何回も生まれ変わり死に変わり(輪廻転生)している間に、心に業想念(誤った想い)を付けた姿なのです。私がよく述べている幽体ですね。

ですから魂は汚れたものであり、心は純粋無垢汚れていないものですから

「心を磨く」 というのは違うのです。

私たち人間は、本心に過去世からの業を被(かぶ)った魂をまとい、そこに本能、感情、知識などの今生のものを付けていったのが今の自分になっているのです。

人の業は、目にはみえないけれど、雰囲気、言動行為などでその人の魂の汚れ具合がわかったりするのです。

人に憎まれ口ばかり、悪口ばかりをいう人、人の道から外れたことをする人などは、業をたくさん被った人と言えるのです。

そしてそれを隠そうとしても

「あの人なんだか雰囲気が暗いね」 とか 「感じ悪いね」 というのは、本心ではなく魂が見え隠れしている人なのです。

ただ魂が汚れているからといって、それを今のその人の責任にするのは違うのであって、その人が知らない間(過去世)に付いてしまった汚れもあるのです。

汚れの少ない人は、幸せかもしれません、そして多い人は気の毒なのかもしれない

しかし、少ない人も魂磨きを怠ればすぐに汚れてしまい多い人も、「これではいけない」 と気づき精進すればいくらでも綺麗にしてゆくのは可能なのです。

私たちはなんのために生まれてきたか?

それは、今生に生まれる前の自分よりも魂を成長させ、魂を磨き、輝かせて本心によりいっそう近づけて死んでいく(肉体を離れていく)ことだと思うのです。

ところで今、私は稲盛和夫さんの 「生き方」 を読んでいるのですが、心と魂のことをわかりやすく説明されている文章があります。

是非、みなさんにも読んでいただく次のブログでご紹介します。

それでは、よろしくお付き合いください。

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