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2017年5月 6日 (土)

子どもは神様からの預かりもの




子どもとは、授かりものではない。 (6年前のブログより)

預かりものなのだ。

授かったと思うから、自分の息子、娘という所有物のように勘違いをしてしまう。

預かったものはいつかは返さないといけない。

その時期は、いろんな考え方があるが、私はハタチ(20歳)でいいと思う。

どこに返すかというと世の中であり、社会である。

そのときには、一旦は心の決別(生きていようといまいと)をしなければならない。

縁があってその後も付き合いがあればすればいいし、縁が切れれば、すっぱりと神様にお返ししたものと諦める。

だって期限付きの預かりものだからだ。

私が神様から預かった息子は、今、東京の大学に行くために大阪を出て行った。

浪人したのでそのとき19歳、現在は22歳である。

小さいときに思わぬ病気をして2回も大きな手術をした。

そのときから息子に対して感情移入が始まり、思い入れが強くなり、心配性となり(嫌われた時期がありました)、子離れが出来ない父親になってしまった。

そんな息子は私を子離れさせるために「東京に行くように」と、守護霊様に導かれたのだと思う(笑)。

もし、東京に行かずに大阪に居たら、きっとかまい過ぎていたに違いない。

本当にそう思うのです。

東京では地震もありました、東京に限らず生きていたら何が起こるかわからない。

何があっても動揺しないためにというのではなく、親は子どもに対し、けじめをつける(精神的な面で)必要があると思うのです。

それが子どもとは自分にとってどういう存在なのか?

を認識することだと思うのです。


昨日、ある小冊子(PHP)を読んでいたら

77歳になった女性が50歳になった息子の突然死を受け入れられず、ずっと泣き明かしていたと書いてありました。

読んでいてジーンとしました。

息子はまだ22歳であるし、私もまだ53歳です。

でもこのお母さんの気持ちがわかるのです。




以下、抜粋


納骨堂の立派な阿弥陀様の前で手をあわせたとき、「子供は阿弥陀様(神様)からの預かりもの」とずっと昔読んだことを思い出した。

だとしたら、いつかはお返しせねばならない。

もっと長くお預かりしたかったのに。

もっと思い出を語り合ったり、議論したかったのに。

もっともっと好物を作って食べさせてやりたかったのに。

でも就職して以来28年間、特技を活かせる大好きな職場で嬉々として働けた彼は最高に幸せだった。彼なりに精一杯私を喜ばせ、楽しませて逝った。

「50年間預からせてくださり、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」と深く頭を下げ、納骨堂を後にした。








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