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2017年5月 7日 (日)

如是我聞24(死ぬことを寿という)




病気と寿命とは違う。
 
人間は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬのである。




解釈




今は、「人間は病気で死ぬんだ」(事故以外は)と思っている人がほとんどだと思う。

そしてほぼ、ほとんどの人が死とは悲しいもの、辛いもの出来るだけ先へ延ばしたいものと考える。

人間とはいつも言っていますように、肉体界だけに住んでいるのではなく、幽界、霊界、神界にも同時に住んでいる。

そして本人が自覚していようといまいとこれらの他界(幽・霊・神)へはちょこちょこ行っているのです。(主に寝ているときに)

そして一番肝心なのは、ほんとうの自分は一番先の神界に住んでおり、ここにほんとうの心、本心があります。

本心と肉体の吾が、きれいに、見事につながった状態が悟るです。

お釈迦様、キリスト様、老子様、その他聖者は意識が常に神界とつながった人たちです。

アセンションとは、私たち一般人?も全員、意識が神界とつながることをいいます。

それも常に・・・・。

自分がまさか悟る?お釈迦様のような意識体(エネルギー)になる?

自由自在心になってどこの世界(霊界・神界)、そしてどの星にも行ける?

その為に、世界平和の祈りをする(アセンションするための条件として)

神人になる(救う側になる)

神人になることが地球人類の中でも一番最初に、神界へ行ける、素晴らしい意識の世界へ行くためのパスポートなのです。

また、本題から話が外れてしまいました(笑)

でも肉体を去ることが、なんら悲しいことではないことがわかっていただけたと思います。

肉体は、いろんな想いという鎧を付けた、がんじがらめの心が不自由な世界です。

死とは、そんな世界から開放された自由な世界です。

だから死を寿(めでたい)と言うのです。

ただ、肉体界から逃れたいと自らが死を選んだ(自死)人は、寿にはなりません。

 

それは、肉体界を卒業(クリア)したのではないからです。

 

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