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2017年5月10日 (水)

悟るについて



「悟るって難しいものではない、余計なことを思わなきゃいいんだ」

「人は想わないでいいことばかりを想っている」

「想いをためるなサラサラと流せ」

これらはすべて五井先生の如是我聞から抜粋したものなのですが、まず悟るってことがどういうことなのか?を説明致します。

まず人間は目にみえるものだけが実在するものだと信じ、肉体が滅べば魂も心も無くなるとほとんどの人は思っているのです。

肉体人間の不幸とは、自分が何者であるか?どこから来たのか?死んだらどこに行くのか?

こんな基本的な知っていて当然のことを知らないことにあります。

だから目に見える取るに足らないことにこだわる、把われる、執着する

病気に把われ、健康に把われ、金持ちに把われ、貧乏に把われ、善いことにも悪いことにも把われっ放しなのです。

心が把われ、心がガンジガラメになった状態を不幸と言うのです。

みなさんは経験ありませんか?

何も考えずに恋愛しているときは楽しかったのに

相手を意識し、結婚を意識し、相手の気持ちを知ろうとしたときに自分の心が苦しくなります。

これを「恋の病」と言う(笑)

こんなことなら付き合わなければ良かったと思う人もいると思います。

反対に、自分が何者か?(我即神也)を知り、

どこから来たのか?(神界から)を知り、

死んだらどこに行くのか?(霊界・神界へ往く)を知り、

自分がなんのために生まれてきたのか?(世界平和の祈りを祈るために生まれてきた)を知り

神界に居るほんとうの自分(本心)と肉体人間の吾が一体(統一)した状態(エネルギー体)になったとき

人間は至福のときを迎えるのです。(宇宙そのものになる、すべての疑問が溶ける)

つまり悟るとは最高の幸せを手に入れることなんです。

お釈迦様もキリスト様も最高の幸せをまず手に入れた

だから安心して、そのメソッドを弟子や信者たちに伝えたのです。

人間は幸せになるために生れて来た

悟るために生きている

ただそれを邪魔するものがあるのです(笑)

それが冒頭に書いた想いです。

想いは重くやっかいです。

業、カルマと言われています。

今、幸せ感を感じないのも、スッキリ爽やかになれないのも

幽界が曇りに曇っているからです。

自分の肉体にくっついている幽体が汚れてるからです。

人間は潜在意識の世界である幽界が浄化されていれば、何も想わないのです。

幽体が綺麗であれば、どうでもいい余計なことは考えないのです。

だから不幸なんです。(金銭的に充たされたとしてもほんとうの幸せではない)

悟るという状態は、幽体、幽界を超越しています。

霊界の高いところ、神界に意識が通じているので不幸を飛び越えているのです。

肉体意識ではなく、宇宙意識、神意識ですね!

そのためには3次元的な努力も必要です。

それが不思議に想われるかもしれませんが

考えない努力です。

そして自分の重い想いを光の溶鉱炉に入れる努力です。

「考えそうになったら、何かを想いそうになったら世界平和の祈りを祈る」

「どんなときでも気がついたら世界平和の祈りを祈っている」

という状態になれば、それはそのまま悟った状態になります。

意味も無くわけもなく

ただ

「自分は幸せだなあ」

「もしかして自分は宇宙一幸せかもしれない」(私の心境がそうです)

の想いしか湧いて来なくなる(オメデタイ人になる)

私が味わっている心境を是非、みなさんにも体得して戴きたい

と思い

記事を書き続けてるという次第です。

私も本心とつながりつづけているわけではありまぜん。

しかし出来るだけ長くつながり続けていきたいと思っています。

 

 

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