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2017年5月 7日 (日)

如是我聞25(禅問答のようですが)



人間この世に生きるのは、どれだけ無私になれるか、どれだけスッキリしているか、つまり空(くう)になる練習にある。

自分がないということが一番尊いことだし、一番楽だ。


 

解釈

以前書いた日記で、人間は、心が善い事にも悪いことにも把われないことが一番幸せなんだ。活き活きとしているんだ。

だから、「見ざる、聞かざる、言わざる」(見たことに把われず、聞いたことにも把われず、言ったことにも把われないことが大切)が真の人間の姿なのだ。

と述べました。

人間の苦しさとは、心が把われている状態を言うのです。

みなさん、今しんどい、辛い、悩み事がある・・・・としたのなら

それは、原因があるから辛いのではなく

心が把われているからなのです。

頭で、理屈で把われを取ることなんてできません。

なぜなら実体(原因)がないからです。(でも私たちはあると思っている)

自分の小さな小我を、宇宙(神界)にいるほんとうの自分(大我)に投げ入れてやると、大きなほんとうの自分が肉体に降りて来ます。

これが悟った状態です。(完全無欠)

この状態になると肉体界のすべての問題は解決します(次元が違うからです)

その状態になるために世界平和の祈りを祈る、印を組む(我即神也・人類即神也)、マンダラを描く(宇宙神と一体となるため)のです。


 



  

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