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2017年5月31日 (水)

聖徳太子はなぜ7人の声を同時に聞けたのか?



今、世間はリストラの嵐で (2011年9月12日のブログより)

以前は4人でしていた仕事が3人

3人でしていた仕事は2人というように仕事量は増えているのに、給料は減らされて、人員も減らされています。

仕事量が増えるということはミスも増える

ミスをすると余計に時間がかかったりする。

益々ストレスが増えていきます。

それでもまだ仕事があるだけ有り難いと思おうとするのだけど

人の倍働いてもミスなく疲れもしない

って方法があればいいのに

って思いますよね。
 
聖徳太子は同時に7つのことが出来た(7人の話を同時に聞けた)と言われています。

それはどういうことかと申しますと

聖徳太子には7人の守護霊様が付いておられたのです。

だから7倍仕事が出来た。

聖徳太子本人も居るのだから8人分ではないのか?

そうではないのです。

肉体人間は馬鹿だから一人前にもならないのです。(聖徳太子であっても)

聖徳太子は役割りが大きかったので7人の守護霊様が付いていましたが、普通の人でも2人の守護霊さまが付いてくださっています。(人によって違います)

2人であっても凄い人たち?です。

あらゆる仕事を知り尽したエキスパートです、肉体界の人間のどんなにすぐれた人よりも優秀なのです。

肉体人間は明日のことも数時間、数分先のこともわかりません。

でも守護霊様は未来において何が起こるか全部わかっておられるのです。

このような人?を味方につけたら鬼に金棒、なにも怖いことはありません。

守護霊様は字のごとく人間を守るために存在してくださっている。

それに甘えればいいのです。

「私はこの先に何が起こるのかわかりません、仕事もどうしたらいいかわかりません、人間関係もどうしていいかわかりません」

わからないことはいくら考えてもわからない

わからないことは守護霊様にお願いして教えてもらう (他力)


そして、一番良いようにして戴く

だけど肉体人間の自分に出来ることは自分でやる (自力)

そう考えると

肉体人間の自分に出来ることなんて

たかが知れている

とわかります。

そうです、肉体人間の自分に出来ることなんて

ほとんどないのです。

だから聖徳太子みたいになっちゃえばいいのです。


聖徳太子のようになる方法が世界平和の祈りを祈ることなのです。

世界平和の祈りは、宇宙神につながるのでその途中にいらっしゃる守護霊さん、守護神さんとは自動的につながります。

守護霊さまからメッセージを戴くと鬼に金棒です、パーフェクトです。

近い将来、人間はみな聖徳太子のような聖人になっていきます。

アセンションとはそういうことです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 

潜在意識と顕在意識のほんとうの意味



私たちが今想っていることとは、たった今想っていることではなく、前世のそのまた前世の、前、前、前世の想いが潜在意識に蓄積されたものが、顕在意識として顕われてきているのです。

だから今自分に対して怒っている人、嫌っている人がいるとします。

そんなに怒るような内容でもないのに、嫌われようなこともしていないのになぜか相手の人が感情的になっているとします。

それはその人とは過去世で何度も何度も会っていて、その度にいがみ合いののしり合ってっきたのです。

仇同士ですね。

だから相手にしてみれば、「顔を見ただけで胸くそが悪くなる」(言葉が悪くてすいません)

会うたびに潜在意識にあった記憶が少しずつ思い出されてくるんですね。(無意識に)

だから少々ご機嫌を取ろうが、相手の喜ぶことをしようが利き目がない。

そんな相手が自分の周りには必ず居ると思った方がいい

だから昔から「男が外に出ると7人の敵がいる」(7人どころではありませんが)

と言われているのです。

どんなにいい人であっても、人に恨まれることを今生では一切していなくても

少なくとも7人はあなたを気に入らないという人がいるのです。

それが家族の人であったり、家族よりも一緒にいる時間の長い会社の同僚、上司、部下だったらたまりません。

それを解消するためには上手くいくようにするためには、自分と相手の潜在意識(過去の記憶)を消してゆくしかないのです。

自分の潜在意識も相手の潜在意識も幽体に溜まっていて、幽界という世界にあるのです。

ここが汚れているから肉体界がおかしくなっている

だがしかし肉体人間には潜在意識=幽界を浄めることなんて出来ない

そこで私たち人間の悟った霊である守護霊、守護神様に潜在意識を浄めていただくのです。

守護霊守護神に感謝をし、想いを向けていると守護霊守護神は守りやすくなり、消しやすくなり、やがて肉体界も整ってくる。

だがしかしすぐには消えないかもしれない

すぐに人間関係が解消されないかもしれない

そこで肝心なのは

「もうこの関係は今生では(生きている間)は修復不可能かもしれない」

と一旦はあきらめてしまうのです。

あきらめるとはあきらかにするということであり

一旦、「過去世で俺は散々その相手にひどいことをしてきたんだ、許してくれなくても致し方ない」

とあきらめてしまえば、どうにかしようという焦りや執着がなくなるのです。

すると、仲良くしよう、自分のことをわかってもらおうとする想い、執着が離れて気持ちがぐっと楽になるのです。

先ずは、自分を解放してあげるのです。

そうすると、気持ちが明るくサバサバしてきます。

相手が自分を見て暗い顔をしても関係ない、嫌なことを言ってきても、無視をされても関係ない

自分は太陽になるんだ

自分は自分らしく明るく振る舞えばいいんだ

という気持ちになって

ある意味開き直るのです。

するといつも相手に関係なく自分は光り輝いている

そんな姿を見て

相手の人は気持ちが解けてくるのです。

相手の人に光が入るので、癒されるのです。(北風と太陽ですね!)

守護霊守護神に潜在意識を消して、浄めていただく (ある意味他力本願)

自分は、太陽になって光輝く (自力)

自分が太陽(光そのもの)になってゆく方法

それが世界平和の祈りであり、印です。(印についてはまた詳しく書いていきます)

この2つによって人生(人間関係)は良くなってゆくのです。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 

 

世界平和の祈りの素晴らしさがわかります 

  

私の母は今、82歳です。最近ボケが始まりました。

そしてボケだけではなく感情的にもなっているのです。

若い頃、夫である父に随分酷いことをされたようで、今では気弱になり大人しくなった父を昔の恨みとばかり激しく責め続けています。

ボケて穏やかになってくれたらいいのですが、内に秘めた(潜在意識に残っている)過去、過去世の想念が溢れ出ているのです。

このままだと感情に振り回され、感情が抑えられなくなって、感情に埋もれたまま、真理(我即神也・人即神也)を知らないまま、人生を誤解したまま、天命をまっとうしないまま肉体の死を迎えてしまいます。

私は、嫌がられようと、拒絶されようと心を込めて、真理と、世界平和の祈りを伝えようと決心しました。(母は私が変な宗教、変な思想に影響を受けていると思っているのです)

ただ、伝え方が難しいですね。

求めている人と違って、反発しているわけですから(笑)

ただ母の本心は必ず知りたがっているのです。

真理を知り、世界平和の祈りを祈ることは、人間の天命なのです。(どんな人であろうと)

人間は祈るために生れてきたからです。

みなさんにも是非、真理の真髄を知っていただきたいのですが、今回のタイトルにぴったりな五井先生のご講話をYoutubeで見つけました。

このご講話は非常に、非常にわかりやすいです。

母に聴かせたいくらいです(笑)

みなさん是非、お聴きください。

聴き終わったとき、みなさんはかなりの達人(真理の)になっていると思います(笑)

 

https://www.youtube.com/watch?v=9NK8Ru723oA


  

江頭2:50分

 

江頭がとある公園でロケをしていると、公園の隣にある病院から抜け出して来ていた

車椅子の女の子が江頭のロケを見ていた。
 
ロケが終わり、その車...椅子の女の子は江頭に「つまらねーの」とつぶやいた。
 
それを耳にした江頭は当然「お前、もう一度言ってみろと」怒鳴った。
 
車椅子の女の子「だって全然面白くないんだもん」と呟いた。

江頭「なら、お前が笑うまで毎日ここでネタを見せてやろうか」
 
そして、断言どおり毎日仕事の合間にその公園に行っては車椅子の女の子にネタを

見せ続けたのだ。

しかし、車椅子の女の子を笑わせるどころか呆れさせていたのは言うまでもない。
 
1ヶ月が過ぎた時、毎日のように散歩に来ていた車椅子の女の子が突然、来なくなっ

てしまったのだ、次の日も女の子は姿を現さなかった。
 
そして、1週間が過ぎたある日、女の子がふと現れたのだ。
 
江頭はすかさず駆け寄りいつものくだらないネタを見せたのだ、しかし、いつもは全く

笑ってくれない女の子が初めて少し笑ってくれた、江頭は調子に乗り、下ネタを連発し

てやった。
 
当然女の子は「それは最低…」と一言。
 
そして、日も暮れ、 江頭は「また、明日も来るから、ちゃんと待ってろよ」
 
女の子「勝手に来れば!!」
 
次の日、女の子は公園には訪れなかった。
 
江頭は頭にきて隣の病院に行き、車椅子の女の子を探した。
 
そして、担当の看護婦から、女の子が最近から急に容体が悪化していて、今朝他の

病院に運ばれ、昏睡状態だという事を知らされた。
 
そして、看護婦に女の子の日記を渡された。

そこには…「大好きな芸人、江頭」と書かれていた。

10年後 今でも月に一度はその公園に来ては、花を手向け一人でネタを披露するそ

うだ。


俺は江頭ほど純粋な男を知らない。

  
 

親は子に淋しい想いをさせてはいけない



先々週に終わったテレビ番組で「とんび」というドラマがありました。(2013年4月のブログより)

妻がずっと観ていて

「すっごく感動するよ、お父さんも観てみたら」

というので一緒に観はじめたのですが

ほんとにそうなのです。何度録画を観直しても涙があふれてくるのです。

なにが感動するのかといえば、親の愛、人間愛です。

お父さん役の内野聖陽さんの人柄かもしれませんが温かいエネルギーが伝わってくるのです。(つくづくドラマはキャストだなと思います)

物語の内容は割愛しますが、最終回で内野さんが旭(あきら)という一人息子に語った言葉が、最高に感動しました。

 

親は、子よりも偉いものでもなんでもない

ただ子よりも先に生まれてきただけなんだ

子育てをしようなんて思わなくていい

俺の子育てなんて間違ってばかりのことをやってきた

だけどありがたいことに子どもは自分の力で立派に育ってくれる

お前は自分の力で育ったんだ


お父さん役の内野さんである「やっさん」はそう言っていました。

ほんとその通りだと思うのです。

私も息子に対して子育ては失敗ばかりをしていたと思うのです。

しかし、息子は私の知らないところでいろんな経験をして

しっかりと育ってくれています。

子に影響を与える期間というのは、限られた極短い時間だと思うのです。

その短い時間の間に

親は子になにをしてあげればいいのか?

「やっさん」 はそれを教えてくれたのです。

「やっさん」の愛は、親子愛だけでなく

人類愛に通じると思うのです。

私がそう感じた「やっさん」の台詞をご紹介します。

「やっさん」が子育てに悩む息子あきらに話す言葉です。


 

「一つだけ親がどうしても子にしてやらなければいけないことがあるんだ、それは子どもに淋しい思いをさせないってことなんだ」

「淋しいっていうのは、雪みたいにチロチロチロチロ降り積もって、いつの間にか心をガチガチにするんだってよ」

「だから親は海にならないといけねえ、海になって笑ってなきゃいけないんだ」

「海には雪は積もらねえから・・・・」

 

 


追伸

文章だけではあのドラマの感動は伝えられないのが残念なのですが、心が寂しさでガチガチになった人は心が固まったままで凍ったままで人生を歩いていけなければならないのです。

また別の番組で、小さい頃にお母さんに愛されていないと感じたまま大人になった女優が出演していました。

お母さんは有名な作家で忙しくて、子どものことをかまってやれなかった。

褒めてもらおうとテストでとった100点をみせても、お母さんが喜んでくれそうなプレゼントをしても冷たく反応される。

しかし母は決して娘を愛していなかったわけではなく、影では見守っていたのです。

応援もしてくれていた、もらったプレゼントも大切にしていた。

ただそれが娘には通じていなかった。

心に雪が積もった後でそのことを知っても遅いのです。

娘は後でそのことを知ったが冷え切った心を溶かしてくれる親はもういない(亡くなっている)。

だから自分で自分を温めるしかないのです。

人間の不幸って自分を温めてくれるものがないこと、温めてくれるのが何であるかを知らないことだと思うのです。

人間のほんとうの親は、肉体界の親ではありません。(肉体の親は仮の親です)

肉体界では親であっても

魂(心)の親、本当の親は、守護霊守護神なのです。

だから守護霊守護神のことを知れば、肉体の親への執着はなくなります。

親への感謝の気持ちはあっても恩は感じても

親から 「愛してもらいたい」 「温めてもらいたい」 という気持ちは薄れてくるのです。

しかしそのことがわかる前は

やっぱり海になってくれる人が必要なのです。

親は、子になにが出来るか?

それは、淋しい想いをさせない

心を凍らせないように

冷えないように

目を離さず観ていることです。

そして

言葉はいらない

抱きしめてあげればいいと思うのです。

人間は愛されていることがわかれば、それだけでたくましく生きていけるのです。

 

どんな人にも愛の心が流れている

 

「教育の原点」はたくさんの人の感動と共感を生みました。

「人間って素晴らしいなぁ」と思うのは、人間はどんな人でも奥底には愛が流れているということです。

ただその愛が表面まで来ている人と、業、カルマ、マイナスの想念エネルギーを被ってなかなか表面に現われない人がいます。

これはどちらが善いとか悪いとかではなく、芝居で言えば「善い人役」「悪役」があるのと同じなのです。

芝居をする人は、みな善い人(神の子)です。

しかしそれでは面白くないので、脚本家(神)は悪役を作る。

そうやってドラマは作られていきます。


五井先生のお言葉(如是我聞)に

 

その人が悪いのではない。業(マイナスのエネルギー)に巻きこまれてしまうのだ。

あいつは悪い奴だ、といわれる人は、実は業をそこに結集させて、代表的に業を消している役目を荷っているのである。

ああご苦労さま、あの人の天命がまっとうされますように、と祈れる心は仏の心である。



 
とあります。今の世の中には、マイナスの想念エネルギーが溢れています。

その中でおかしくなっている人?はたくさん業を被ってくれているのです。

だからまともな人はまともでいられる。

真実は「自分の代わりにたくさん業を被ってくれているんだ」・・・なのです。

「申し訳ない、自分の分を背負ってくれて」・・・・

その代わり私たちはその人たちが出来るだけ業を被らなくて済むように、それ以上におかしくならないようにプラスの言葉を唱えていかなければなりません。

それが世界平和の祈りです。

世界平和の祈りは、無限(プラス)の宇宙の言霊なので、人間のつくってしまった有限のマイナスエネルギー(業)を消すことができるのです。


最後にもう一つ五井先生のお言葉(如是我聞)をお聞きください。

 

他人の悪運をなおしてあげる祈り。

「一日も早くあの人の業が消えて、本体(神聖)があらわれますように、守護霊さん守護神さんお願いします、世界人類が平和でありますように」と相手の守護霊さんに祈ることです。

 

 

2017年5月30日 (火)

アメリカインディアンの子育て法(真理に沿って育てる)



 
○ ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります。


○ 思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます。


○ 仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます。


○ はげましを受けて育った子は自信を持ちます。


○ 公明正大な中で育った子は正義心を持ちます。


○ 人に認めてもらえる中で育った子はがまん強くなります。


○ 批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします。


○ ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。


○ 敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います。


○ ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります。



 
 ( 作・ドロシー・ロー・ノトル/訳・吉永 宏)

 『アメリカインディアンの教え』 (加藤諦三著、ニッポン放送出版)より



子供の存在価値を大いに認めよう

 

私は今の子供達を見ていてとても可哀想だと思うのは、子供達は自分自身がわかっていない、そしてわかってくれる友もいない、両親も先生もわかっていない、ということです。

また、自分自身をわかろうとするにはまだ幼すぎる。

聖書をひもとき、仏教書をひもとき、宗教の原点、五井先生のみ教えである、人間は本来神の子であるという、その原点を掴むにはあまりにも幼すぎます。

そういう時にこそ真の友、両親の本当の愛、真の宗教者が必要なのに、自分の周りに心を導いてくれる人が誰も存在しないと、しまいには自分の心を誤魔化して安易な方向へ流されていくのです。

それは子供だけではない、我々大人もそうです。

内的な目覚めのない人は、快楽の世界、欲望の世界のみがすべてだと思っている。

そういう人達がかなりいるわけですから、そういう生き方をしている親に育てられた子供は、また同じような道を辿らざるを得なくなるわけです。

子供達にとって一番大事なのは、自分の存在感です。

自分は親に必要とされているんだ、友人から必要とされているんだ、社会から必要とされているんだ、国から必要とされているんだという、その存在価値を大いに認めてあげることが大事なのです。

子供達は自分が必要とされていないと思うと自分を痛めます。

自分を痛めて、心だけではなく、肉体も傷つけはじめます。

自分を傷つけて喜ぶ、最悪の状況です。

しまいにはそれでも済まなくて自分をこの世から抹殺しようとします。

そして自殺に走るわけです。

自殺まではいかないけれど、親からも自分の存在価値が認められていない子供が増えています。

そいう子供達を我々大人救ってあげなければならないのです。

これからの地球を背負っていくあなた方は大事な人なのだ、あなた方を必要としているんだ、だから強く生きなさい、頑張りなさい、そうやって接することが大事です。

今の子供達の心は本当に空しい。生きる喜びがない。 

大局的に見た目的をあまりにも持っていない。親の考え通りに、いい学校、いい会社に入って、早く部長になり社長のポストを得ることだけが人生だと思っている。気の毒な生き方であります。

我々は誰しもが自分の存在価値を認めてもらいたいのです。

この世の誰からも相手にされないと思ったら孤独に陥り、生そのものを必要としなくなるわけです。

この世に生きている限り、誰でもが、神様は必要であるからこの世に置いて下さっているのです。

ですから周りが認めると共に、その本人自身が自分の生そのものの存在価値を認めていかれるように、子供を育ていくことこそ本来の育て方ではないかと思うのです。

現代の社会にとって、殊に現代の母親にとって、このインディアンの子育ての教訓は教育の原点です。

これから母になろうとする方々、これから結婚して子供をもうける方々、そして既に成人式を迎える子供を持っておられる方々、今からでも遅くありません。

母はいつでもその子にとっては母なのです。

“あなたを本当に愛しているのです。あなたを必要としているのです” そのたったひと言を子供に告げてあげるだけで、その子の人生はパッとばら色に変わるのではないと思います。

今日からでも家に帰ったら、早速子供に、否、子供だけではない、夫に妻に、舅に姑にそのひと言を告げて下さい。

誰でもみんな自分の存在価値を認めてもらいたいのです。

あなたがいらっしゃるだけで私たちは幸せなのだということを、語りかけていただければ、この世の中はみんな幸せになるのではないでしょうか。







子供のいい面を引き出すのは両親の愛
 


結論と致しましては、常に私が申しあげているように光明思想です。

すべてが素晴らしいんだということに尽きます。

自分の子供は天から授かったんだ、天から与えられ、天からお預かりしたんだという気持ちで子供を育てるべきなのです。

子供は生まれた時から憎らしい子、いやらしい子、汚らわしい子などいるはずがないのです。

充分に素晴らしい神の子として生まれてきているわけです。

その神の子としての素晴らしい部分を引き出すために両親の愛が必要なのです。

我々は今あまりにも物質に片寄りすぎて、精神をおろそかにしすぎています。

内的な力、心の占める位置、そういうものを無視して、ただこの世的な物質面のみ心が走っていく。

そういう現代において、このインディアンの教訓は改めて我々に警鐘をもたらしているのではないかと思います。

ですから世のお母様方はもっと原点に立ち返り、子供に心から接して下さい。

中学生、高校生、二十歳になっていても、今からでも遅くはないのです。

子供には素晴らしい面がたくさん隠されています。

悪い面ばかり、欠点ばかり、弱点ばかりを見て批判し育ててはいけないのです。

タバコを吸い、賭け事をし、果ては麻薬にまで手を出し、悪いことばかりをしているような子供でも、心の中をもっと深く見つめてみれば、淋しいのです。

孤独なのです。 誰にも自分のことをわかってもらえないから、そういう道に走るのです。

けれども子供をそういう道に至らしめた母親に、その責任が全部あるとは言えません。

その子は生まれてきた時、運命がある程度決まっているわけです。

ですから私は、両親の愛が欠けていたからとか、育て方が間違っていたからそういう道に走ったのだ、と両親に責任の全部を決して押しつけません。

その子はその子の因縁を持っている。

その子の運命はその子が導いていくものであるから、その子自身の責任であり、その子自身の生き方でもあるのです。

ですから責任とか義務とかいうことを私はここでいっさい申しませんけれども、やはり子供達に対し、人間の生きていく上で原点をもう一度見つめ直して接していただきたいと思います。

そうすれば今、自分の子供が自己を閉ざし他と交流しない自閉症であろと、また犯罪を犯したり麻薬に走ったり、快楽のみ追求していたとしても、その子供の心の奥を本当に見つめようとする少しの愛があったならば、その子の隠れている素晴らしい部分、まだまだ内に潜んでいて目覚めていない部分を引き出すことができるのです。

子供の長所をほめ、その子供の存在価値を認めながら導いていくならば、今までのその子の欠点、暗い嫌な部分が無くなり、いい面だけが現われてくるものなのです。




  『光明思想に徹しよう』 西園寺昌美 白光出版




 




   



教育の原点(人間には無限の可能性がある)


 
ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。

その先生が五年生の担任になった時

一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり

皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。

先生はどうしてもその少年を好きになれず

いつからかその少年を

毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを

記入するようになっていた。


ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。

そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。

勉強もよくでき、将来楽しみ」とある。

間違いだ。他の子に違いない。

先生はそう思った。

二年生になると

「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」

と書かれていた。

三年生では

「母親の病気が悪くなり、疲れていて、

教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には

「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると

「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、

深い悲しみを生き抜いている

生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?

わからないところは教えてあげるから」。

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。

おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから

感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださ

った先生を、神様のように感じます。

大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。

届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母親の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。

先生は嬉しくて涙が止まらなかった。


僕は、このお話を日本中の先生に読んでもらいたいです。

日本中の大人に読んでもらいたいです。

ダメな人なんていない。

可能性のない人なんていない。

僕たち大人が、ダメだと決めつけてしまう考え方があるだけで…。

イカはなぜ烏賊と書くのだろう?



 
日頃、不思議に思っていたことがわかったときって嬉しいものです。

私の中で調べるほどのことではないのだけど、漢字で書いた烏賊(イカ)を読めなくて、

えーッこれがなんでイカなの?

と思ってそのときには覚えたつもりだったのに2度目にも3度目に見た時も

「あれッなんと読むのだったっけ?」と忘れてしまう漢字の一つだったのです。

納得しないと覚えることは出来ない。

そんなことってありますよね。

そして昨日、新聞を読んでいたら烏賊のことが書いてありました。

面白い内容だったので、よかったらお付き合いください。



中略・・・・日本人は大いにイカを好む。刺身、イカそうめん、イカめし、ポッポ焼き、天ぷら、のしイカ、スルメ。

世界のイカ漁獲量の半分は日本で消費される。

サケ、マグロと並ぶ三大海産物だ。

そのイカだが、漢字では「烏賊」と書く。なぜか鳥のカラスが出てくる。どうしてかというと、イカは頭のいい動物で、時に死んだふりをして海面にふらふら浮かぶ。

カラスがしめたとばかり食いにかかると、突如反転して十本の腕で締め上げ、海中に引きずり込んで逆にカラスを食ってしまう。

カラスにとって海賊であるから 「烏賊」 と書く。・・・・




と文章は続くのですが、「烏賊」という字は決して当て字ではなく、風土記、日本書記の頃からイカは烏賊と書かれていたそうです。

パッと吐く墨をカラスにも見ることが出来るし、神秘的な動物?魚?ですよね。


このように漢字というのは、真理を書いているのです。

漢字一文字をとってみても深い、深~い意味がある。

それと同じように人間も神秘に溢れています。

私たちの知らないことがまだまだたくさんあります。

わたしたちの頭でわかっていることは宇宙の規模から言えばサハラ砂漠にある一粒の砂くらいのものだそうです。

頭でわかっているのが人間ですよね。 (肉体人間はちっちゃな存在です)

しかし宇宙とつながると肉体の小さな人間から、宇宙大に拡がるとてつもなく大きな存在になるのです。

人間の心の奥には無数の世界があるのです。

肉体界→幽界→霊界→神界 (宇宙)

心を鎮めて、世界平和の祈りを祈り、印を組んで、統一をしていくといくらでも深い、大きな世界に入っていけるのです。

すると今までわからなかったことが一瞬でわかるようになったり、肉体人間の知恵では何生、何十生、何百生、生きていてもわからなかっただろうと思うようなことも、パッとヒラメイテわかることがあるのです。

それは宇宙(本心)とつながった瞬間です。

そしてその深いところに本心、本当の自分がいるのです。

本心とつながることは人間にとって一番幸せなことです。

本当の幸せとは3次元の物質的なもので満たされることではなく、奥戸にある宇宙(神)の波動に触れることなのです。

本当の自分を識ることは烏賊の意味を知ることとは、問題にならないくらい嬉しいことなのです。(笑)

今まで知らなかった素晴らしい世界がある。

そのことをお伝えする為にこれからも神秘的?なことを書いていきます。


 

世界人類が平和でありますように 

May Peace Prevail on Eeath


無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和


    

2017年5月29日 (月)

世界平和の祈りは宇宙最高の祈り言霊です


   

言葉というのはエネルギーであり、言霊とも言われていることはみなさんご存知のことと思います。

だから言葉によって光が強いもの、弱いものがあることも理解出来ます。

感謝の言葉を心から語ると相手の人の心が熱くなるのは、感謝の言葉にはエネルギーがあるからです。

では、世界平和の祈りはどの程度のエネルギーがあるのでしょう。

「世界人類が平和でありますように」

ただ聞いているだけだと

「うんいい言葉だね、平和であればいいよね」

くらいのもので、普通は、一般の人は、余程世界で戦争のような紛争が起こり悲惨な状況をメディア等で見ないことには浮かんでは来ないのではないでしょうか?

地球人類みんなが望んでいることなのに

それが言霊という大きなエネルギーになっていない

そこに地球が素晴らしい星になり切れていない様に思うのです。 無限なる光!

ただそれも時期があって

これからたくさんの人が、世界平和の祈りを祈るようになるのです。

そのためには、祈りの根源、原点、奥義を知っておかなければなりません。

世界平和の祈りを祈ればどうなるのか?

個人的にはどうなり、地球や宇宙にどのくらいの影響を与えるものなのか?

それを于先生のご著書 「無限なる幸せを体得する方法」から抜粋致します。

 

世界平和の祈りについて

 

私どもが唱えております世界平和の祈り、特に最初の世界人類が平和でありますようにという祈り言について述べてみたいと思います。

世界人類が平和でありますようにという祈り言を心に思い浮かべた時、その人は神様のチャンネルをひねったのと同じであります。

人類すべての悲願が結集し、祈り言となったこの言葉には、どんな人間の個我をも消してしまう大きな光がこめられ、放射されているのでありまして、この祈り言を、思い浮かべるだけで私どもは大光明霊団の中に参加しているのであります。

ところで、この祈りの世界人類とは、どの程度の世界でありましょうか。勿論直接的には、私どもが住んでおりますこの地球を指しているのであります。

我々人間のいのちを細かくみて参りますと、それは光子という宇宙子から成っており、いのちの源はすべて波動から複雑に構成されているのであります。

宇宙に浮かんだ小さな星、この地球人類達は、こうしたいのちの成り立ち、いのちの仕組みというものにまだ気がついておりませんので、そのために宇宙人達から 「幼い兄弟達」 と呼ばれているのであります。

私は今、宇宙人と申しましたが、実際この地球以上に、心も科学も数百倍も進んだ星々と人類が存在することは、事実でありますし、それのみならず、我々はこうした宇宙のすぐれた兄弟達から様々な援助を得て、一日一日を無事に過ごしているのであります。

世界平和の祈りはここに至って、地球人類のみならず、宇宙に生きるすべての我々の仲間、兄弟、宇宙人類が平和であるようにという、宇宙の大調和をも目指した祈りであることが理解されるのであります。

この地球上には多くの国々があり、そのそれぞれの国は国交を結んでおります。

これからの政治家は、世界平和を根底に据えてかかなければ、一日たりとも政治がとれなくなってくるでありましょう。

しかし、もっと真理を見極める眼を持ちますなら、単に地球という星の地上の国々との交わりというばかりではなく、星と星との交わり、星交というところまで進まなければ本当の宇宙全体の調和というものは完成されないのであります。

そして現在、我々にコンタクトを求めてきております宇宙の兄弟達は、この宇宙の大調和の中に、我々地球人類が一日も早く溶け込むよう、最大の助力を日々行ってくれているのであります。

世界人類が平和でありますようにという祈り言は、宇宙神のみ心、愛の中に溶け入り、宇宙人類の一人として、全宇宙と宇宙人類全員の平和を祈り、又その愛念を彼らに送って、我々が日々彼らから受けております援助にも、応える形となっているものであります。

宇宙は玄妙であります。

そしてその玄妙な宇宙の運行を支えているものは、一点のわたくしなき、宇宙神の愛であります。

さて世界人類が平和でありますようにという祈り言には、さらにもう一つの奥義があります。

それは、人間というものの全体に向って、祈り言をしているということであります。

人間というものは、この肉体だけではありません。

幽・霊・神・大きく分けて、肉体以外にさらに三つの世界に生きているものであります。

この人間の本質、本体と申しましょうか、それぞれの世界に呼びかけ、霊界神界から光の放射をしやすくする働きを、自然と持っているのが、世界人類が平和でありますようにという祈り言なのであります。

個人と人類の同時救済という性質を、この祈りは持っております。

さらにこの祈りは、人間の本体である光に向って愛と調和を放っている祈りなのであります。

ですから、心の中に 「世界」 と思い浮かべただけで、直ちにそれは、宇宙と人間の本体である光につながり、大光明を発揮することとなるのであります。

ちなみに宇宙人達は、こうした光体が自己の本質であることを熟知して、日々我々を助けてくれているのであります。

こうした世界平和の祈りを我々はたゆみなく祈って、宇宙人類と光と愛の世界建設のために邁進致しましょう。

 

      「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎






感想

私たちは、肉体(物質)が本体なのではなく、光の波動体(エネルギー体)であることを知らねばなりません。

そして光の光子を浴びることで、魂が喜び、進化してゆくのです。

そして、「印と祈りはこの地上最高のエネルギー」 なのです。

今、人知れず隠れたところで密かに印を組み、祈っている人たちがいるのですが、最高の陰徳を積んでいるのです。

汚れた人が千人集まっても一人の浄まった人の救済力にかなわない。(五井昌久)

一人の人が聖者(世界平和の祈りを祈ると)になると九族(九代)救われると言われています。

それくらい人間が光を放つというのは素晴らしいことです。

祈っている人たち、印を組んでいる人たちはもっと誇りを持ちましょう

今自分が人のことをかまっている状況ではない

人は人、自分は自分という人たちがほとんどの中で

自分以外のどんな人たちのことも、地球人類だけではなく宇宙人類全体の幸せを祈ることの出来る器なのです。

とてつもなく素晴らしいことをしているのです。

自分を尊敬し、誇りに思い、自分を大好きになってください

大げさではなく 世界平和の祈りを祈ることは人間のミッション(使命)、天命だったのです。

自分の素晴らしさを実感したならば、他人からのどんな誹謗中傷にも動じなくなります。

マイナスのエネルギーよりも自分を愛する無限のプラスのエネルギーの方がずっとずっと勝るからです。

真に自分を愛し誇りに思えないと、他人を愛すること、称えることは出来ないのです。

世界平和の祈りは、自分を愛し、人を愛することが出来る最高の祈りなのです。


  
  

明るい未来をイメージすればその通りになってゆく(果因説)




世界平和の祈りが過去、過去世を浄め、現在や未来が善くなってゆくと書きましたが、祈りつつも暗い気持ちで、ただやみくもに祈りを繰り返しているだけではなかなか未来は明るく、善くなりません。

それは気持ちがまだ、過去を向いているからです。

今、明日のことより、昨日、過去のことを想い後悔しているからです。

想念エネルギーが過去に向いているので未来に希望がカタチになって現われて来ないのです。(無限なる光!)

想いがカタチ(現実)をつくるのです。

そのためには、明るい未来を心に刻印する必要があります。

これまでは、過去の原因が現在に現われる因縁因果説(因果律)があたり前のように言われていました。

しかし、因果律に把われているとエネルギーが前に流れないのです。

過去を引きずるからです。

これからは果因説です。(明るい未来を心に刻印する)

過去のことは忘れましょう。

過去に向けていたエネルギーを未来に注ぎましょう。

世界平和の祈りと果因説でアセンションは完成へと向かいます。




因果律と果因説の違い


過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か

 

次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを持って)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

    

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版





 
 

世界平和の祈りは過去世を浄めるので現在、未来が善くなるのです




プラスの言葉を何度も何度も繰り返すことは素晴らしいことです。

マイナスの想念エネルギーで今の世の中つくってしまっているので、幽界や肉体界を浄めることになります。

しかし、それで自分の運命や世の中を変えるには、少し弱いことも確かです。

それは、過去や過去世までをも変える強い言霊(エネルギー)ではないからです。

過去や過去世で自分が散々マイナスの想念を発していたり悪行為を繰り返していたのなら、今生で少しぐらいのプラスを放ってもそれを打ち消し、プラスに転じることは難しい。(無限なる可能性!)

では、どうすればいいのか?

それを西園寺昌美先生が教えてくださっています。




本文


人間は誰でも等しく、20年前、10年前、数年前に為してきた行動にたいしては、今日もまたその責任を持たねばならない。

時がすでに過ぎ去ったとしても、過去のその行動は、決して消え去ったわけではない。

が、もうすでに過ぎ去ってしまった過去の行動に対して、一体どのようにして責任を持てばよいのであろうか。

タイムトンネルの如く、過去の時代にもどり、そこで改めて犯した言葉や行動を悔い改め、反省し、新しく作り変えて現在にもどって来られれば一番よい方法なのではあるが、今の時代ではそうもゆかない。

それでは、本当に過去の罪を消し去る方法がこの世にあるものだろうか?

それはある。 それは祈ることである。

過去の消えてゆく姿として世界平和の祈りの中に、すべてを投げ入れ、徹底的に祈れば、タイムトンネルで過去にもどり、自らの手で罪を消し、新しく出発出来ると同じように、祈りの力で、祈りの光で、祈りのエネルギーで過去の罪や行動はすべて消すことが可能なのである。

その効果は絶大である。 驚くほどである。 祈らなければ永遠に過去の罪や行動は消えず、現在、未来までもなおその尾は引きつづいてゆく。

世界平和の祈りはすべてのすべてである。

 



     
「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版


 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 感想

 

なぜ過去の想念行為、潜在意識が消えるかというと、それは世界平和の祈りは宇宙神、宇宙のエネルギーと共鳴するからです。

宇宙のエネルギーは時空を超えています。

宇宙には地球のように過去、現在、未来というような時間と空間がないのです。

境目がない、だから浄化するのみ、消し去るのみです。

祈っている自分の肉体エネルギーと宇宙の無限のプラスのエネルギーが共鳴し、自分の汚れた想念、過去世までもが浄化されてゆくのです。

祈っているとなんだか軽くなってスッキリしてくるのはそのためです。

過去の悪因が消えるので、現実にその悪因が現われることがないのです。

過去の悪因は、祈りでしか消すことはできません。

未来を素晴らしくしようとしたら果因説で明るい未来をイメージすることと

祈りや印によって過去世を浄めることが必要です。

この2つがあって、オセロのように挟み撃ちにして、悪因はきれいさっぱりと消えてゆくのです。


  
   

2017年5月28日 (日)

今、家を買ってはいけない2


 
真理のことを書いている中でみなさんからの一番アクセス数が多いのが、以前書いた「今、家を買ってはいけない」だったのは、ちょっと複雑ですが(笑)

決してこれも真理と離れたものではなくとても大切なことです。

あれから新たな情報として、現在空き家が820万戸と書きましたが、16年後の2033年には2150万戸全体の30%が空き家になるそうです。

これはかなり控え目な数字だと思います。

家を買う時代はもうとうに終わっています。

もし買ってしまったらどうなるか?と言いますと、これからは就職難、仕事難の時代です。

あらゆる産業が淘汰されると書きましたが、銀行はしばらくは潰れはしませんが、統合を繰り返し、並行して縮小します。

それは完全キャッシュレスの時代になるからです。

私たちは今、現金とカードで支払っていますが、これからは指紋認証、顔認証ですべて買い物をすることになるのです。

銀行に残高があれば、お金を引き出す必要もなければ、カードを提出する必要もない。

そうなると犯罪は激減しますが、同時にAIがほとんどの仕事(決済)をするため人間を必要としなくなります。

保険をはじめ、金融業界でも仕事が無くなっていきます。

そうなると銀行等堅い企業でも失業者が続出し、長期ローンを組んでいた人は自己破産になります。

自己破産は精神的ダメージが大きいのです。

真面目な日本人は、「屈辱的なダメージ」を受けます。(保証人にも迷惑をかける)

こうなっては、心が自由自在にはなりません。

自分が平和でなければ、他人の幸せ、人類の平和どころではないからです。

不動産は今、賃貸に非常に力を入れ始めています。

一方で売り物件を必死で売ろうとしています。(売り残っては大変だからです)

銀行と手を組んで審査を甘くして通そうともします。

どんなに堅い仕事をしている人(公務員であっても)でも保証人になってはいけません。

自己破産(共倒れ)をすると、物質的(金銭的)にも精神的にも縛られるからです。

街を見渡したり、様子と観ていると水面下で起こっていることがわかります。

観察力があるだけでリスクヘッジ(危険回避)が出来ます。

私は神秘的なことを書いていますが、洞察力(相手の心を読む)前に観察力が大切だと思うのです。

混沌とした世の中でも観察力があれば生きていけます。

あと注意力、集中力も大切ですね。


  

「悟った」と言っている人はおバカさんです



世界平和の祈りを祈ったり、印を組んだり、マンダラを描いて神人(しんじん)になることは、個人が宇宙の法則(軌道)に乗ることになり、結果地球人類を平和に導くことになります。

個人人類同時成道です。

こんなに素晴らしいことはないですね。

そしてそのプロセスとして神我一体、悟ることになります。

神我一体と悟ることは同じです。

神界に居るほんとうの自分(本心)と我(吾)が一体(合体)するのです。

自分の思っていることと神様が思っておられることが一致するのです。

なんと素晴らしいことか!

私たちは、瞬間的に腑に落ちることがあると、つい嬉しくなって「悟った!」と言います。

自分の中で強い気づきがあったときも「自分は悟ったのだ」と思うときがあります。

もしかしたらそのときは、自分の本心、神界につながったのかもしれません。

神様(守護霊)は時々、光を送ってご褒美をくださることがあるのです。

しかしそれは、あくまでも瞬間であり、すぐに終わってしまうのです。

これではほんとうに悟ったことにはなりません。

もしかしたら幽界のおばけちゃんにつながっているかもしれないのです。(テレビなどに出てくる霊能者の人、偉ぶっている教祖の人もそうです。)

五井先生は、「自分で「悟った」と言っている奴はバカだ」と言い切っておられます。

これは悟ったと思っている時点で、意識が落ちているからです。

人間は悟ることが目的ではないからです。

悟ったと思ったときは、「自分はたいしたものだ」「このままでいいんだ」という心境になります。

そこで成長がストップするのです。

宇宙(人間は小宇宙)は常に進化し続けているので、止まることは許されないのです。

それは宇宙の法則から外れたことになります。

人間は成長のプロセスとして悟ったような状態になることはありますが、そこがゴールではないのです。

なぜならまたすぐ新たにわからないことが出てくるからです。(笑)

一喜一憂していてはダメなのです。

「人間は無限次元に進化向上してゆくものである、だから素晴らしい!」

これは私のメンターのお言葉なのですが、その通りです。

悟ることも神我一体になることも地球が完成してゆく上でのプロセスです。

地球が完成した後も、地球に住み続けるのか?他の星で働くのか?もわからないのです。

五井先生は、「悟ってはじめて人間は一端になれる」とおっしゃっています。

人間として、宇宙の一員としてやっと第一歩を歩き出したところという意味です。

悟るとは宇宙人にはあたり前の境地(意識)です。

だから悟ることに把われてはいけません。

悟りの境地になったとしてもそれで終わりではないのです。

ただ進化の段階の大きなターニングポイントになります。地球に降り立った大きな目的の一つです。




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  

2017年5月27日 (土)

下丹田について4



人間は本来持っている力(パワー、叡智等)のほんの数%しか出せていないとよく言われています。

それはどういうことかと言いますとほとんどの人は、「肉体が自分」「肉体しかボディ(体)がない」と思っているからです。

いつも言っていますように、人間は肉体の他に幽体、霊体、神体があり、同時に幽界、霊界、神界にも住んでいるのです。(寝ているときは肉体を離れて他界に行っています)

一番大切なのは意識です。

意識が肉体(頭)という狭い範疇にあるから肉体の小さな力しか出てこない。

そのことに気づいた?人は、神秘力を求めて、「私に霊力をください」「私を神様の力でお金持ちにしてください」と懇願するのですが、そうすると幽界のオバケちゃんに取り憑かれてしまうのです。

ほんとうの世界である神界に行
かずに、迷いの世界、不良霊のたくさん居る幽界につながってしまいます。

脅かすわけではありませんが、今、幽界につながっている人がたくさんいます。

今世の中が9割おかしいということは、幽界のオバケちゃんに憑かれている人が9割だとも言えるのです。

それはずっと憑かれているのではなく、一瞬憑かれることがあります。

このことを魔(間)が差すというのです。

私が世界平和の祈りを祈り続けてくださいと申し上げているのは、幽界につながらないためでもあります。

ほとんどの人は、一瞬で済んでいますが(守護霊、守護神のご加護で)、想念が自我欲望に満たされている人は、ほぼ幽界につながっています。(人生をめちゃめちゃにされます)

祈りが基本中の基本ですが、神界と直につながっている下丹田も非常に大切です。

ここはシェルターです。

幽界の誘惑、邪な想念エネルギーから守ってくれるのです。

それどころか、幽界、霊界を飛び越えて神界(本心)につなげてくれるのです。

幽体の大きさは、約ビル一棟分(個人差があります)、霊体は、地球一個?分、神体にいたっては、なんと宇宙大です。

だから意識が神界(神体)につながると宇宙そのもの、神そのものになるのです。

肉体の自分と神界(本心)の自分とが合体することを悟るといいます。

こうなればもう自由自在心、お釈迦様、キリスト様と同じ意識、境地になるのです。(ほんとうの愛に目覚めます)

下丹田にはそれくらいの素晴らしい宇宙の叡智があるということを知ってください。

意識してください。

下丹田は奥が深いのでこれからも書き続けていきます。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 

世界平和の祈りを祈っている人といない人の差が出てくる

脅かすわけではありませんが(笑)、これから世界平和の祈りを祈っている人といない人との差が歴然と現われて来るそうです。

そんなことを言われてもピンと来ないかもしれませんが、人間として、宇宙人として、神(我即神也)として地球に降り立ったのに、自分の肉体の欲望、感情(勘定)が満たされることだけを追求して、地位を得、金銭を得、自分と家族だけの幸せを願って、そして死んでゆく・・・・そんなことで魂が満足するでしょうか?

そんな人は、感動も少ないと思うのです。

感動とは、神(本心)の琴線に触れるということです。

神の愛と一体になるということです。(か~あ み~い)

愛は合い、溶け合うことです。

私たちは感動したときに胸が熱くなり幸せを感じます。

幸せを感じるとは、神様の愛に触れるということです。

だがしかし自分の欲望ばかりを追いかけている人は、愛を感じることは少ないのです。

だから幸せにはなれません。

この人たちが肉体を去る直前でもいいから「世界人類が平和でありますように」と唱えたなら、その人のエネルギーは一変します。

宇宙からの光(エネルギー)が入るからです。

絶えず祈っている人は、輝き続けています。光っています。

光の柱(パワースポット)になっています。

宇宙の法則に乗っています。

物質的なことも精神的なことも調和が取れて調っていきます。

私たちは世界平和の祈りを祈るために生まれて来ました。

太陽系の星の中で世界(宇宙)の平和を祈っていない、願っていないのは地球人だけだそうです。

これから祈っている人は目立ち始めます。

明らかに祈っていない人との違いがわかるようになります。

祈っている人は波動が善いので、霊感の無い人にもわかるようになります。

そのときに慌てて祈り始めてもいいのだろうけど、情けないですね(苦笑)

救われる側になるのか?救う側になるのか?今、私たちは神様に試されています。


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  

  

近未来の人間の思考は?(直観で生きるようになる)



これから人間はアセンションに向けて、変化していきます。

なにが一番変わるかというと頭でものを考えなくなるのです。

頭(肉体)はバカでバカでどうしようもない、頭で考えるからおかしくなるんだということがわかる。

そして同時に、ほんとうの頭(考える場所)とは、下丹田にあるんだ、そこに意識を集中すれば頭が空っぽになって、本心(神界)から宇宙の叡智が入って来るんだということが、頭でも?直観でもわかるようになるのです。

言葉で交わさなくても「以心伝心」で通じ合える、そのためには、頭を一旦切り捨てなければなりません。

お釈迦様がいう「空」、キリスト様のいう「幼子のようになりなさい」、老子様のいう「無為に為せ」(何々のためにしようとするな)、

そうなれば人間はもの凄い力、本来の力を発揮できるようになるのです。

今、読者の方でお釈迦様の勉強をされている人がいらっしゃいます。

お釈迦様と言えば、般若心経、空即是色が有名です。

お釈迦様は、「これから世の中は色即是空(玉石混交のさ迷った世の中)から空即是色(地球天国の完成)になって行くよ」と説かれています。

それがまさしく今の世の中なのです。

下記の文章から読み取っていただければ幸いです。




空を飛び越えて前進する世界平和の祈り
 


そういうふうに、自然に行なったことが普通の人間がやる何倍もの力になって現われてくる。

のんきに自然にやっていることが、素晴らしい力になって現われてくる。

それはどういうことかというと、自分の想いが全部神さまの中に入って、神のみ心のままに、というんでまかせているでしょ。

“どうぞ自分の肉体でもなんでも全部お使い下さい、み心のままに”

と全部自分の想いをなくしてしまう。

それが空というんだね。 


すると肉体幽体のゴタゴタしている小さなチッポケな働きの想いではなくて、大生命、大宇宙の動きと一つの働きの力がズーッと入ってくるんですよ。

自分が自分が、自分がやるんだ、自分の力で・・・・と力むと、天からくる力、神と通じている穴をふさいでしまう。

どうぞおまかせします。と開くと、大生命から要するに実相から光が肉体に流れてくる。

そうすると、人がわからないようなことも全部わかってくる。

要するに神秘力があらわれてくるわけです。

それを無為にしてなせ、自然法爾、空っていうんですね。

だから空なんてむずかしいものじゃない。

何も坐禅観法しなければ空になれない、というものじゃない。

空というと、何もないような気がするでしょ。

何もない、というのはどういうことなのか。

ある雑誌に、神道の人が仏教の禅をけなしているんです。

禅などをやっているとみんなタヌキ坊主になってしまう。

何故かというと、空になれ、なんて坐禅をしているけれど、空になんかなりっこない。

何もなくなることはないんだ、そんなこと出来ないじゃないか。

だからみんなタヌキ坊主になっちゃって、変な坊主がたくさん出来るんだ、というようなことを書いている。

それを見て、アー、一知半解なことをいうな、と私は思った。

自分が出来ないからといって、人も出来ないもんじゃない。

出来る人があるかもしれない。

自分に出来ないことを、人も出来ない、と思うのは浅はかなんです。




禅の空というのはどういうのかというと、肉体のほうの想いが何もなくなることなんです。

一度、自分の想いを全部放棄してなくなって、無くなりっぱなしになると、空即是色(くうそくぜしき)になるんです。

色即是空(しきそくぜくう)の色というのは、“もの”という意味です。

本当の姿と偽の姿がまざっている“もの”です。

その色が即是空で空になると、今度は空の中から、空即是色になって、空は即ち光なり。

色が本当の姿の現われだけになる。

神さまの智恵、本当の働きがスッとでてくるんですよ。

空になって自分の想いを全部投げ出した途端に、大神さまの光がそのまま入ってくるんです。

パッとひらめいてわかる場合もある。

今すぐひらめかなくたって、やがてだんだん現われて、いつの間にか、自然法爾に神のみ心のままに動いている自分になるかもしれない。

そこで、色即是空、空即是色と二つつながっているんです。

その一番いい易しい方法は何か、というと世界平和の祈りなんです。

何故、世界平和の祈りがいいかというと、世界平和の祈りというのは、自分のことを思っているんじゃない。

世界が平和でありますように、みんなが平和でありますように、大調和しますように、という想いが

“世界人類が平和でありますように” という祈りでしょ。

大神さまのみ心というのは、世界人類が平和であるということです。

神のみ心が現われるということは、世界中のありとしあらゆる生物がみんな調和して生きること。

それが大神さまの大調和の姿が現われることです。

つまり世界人類が平和になることは、大神さまのみ心そのままが現われていることなんですよ。

だから “世界人類が平和でありますように” と祈ることは、大神さまと一つになるということなんです。

今にだんだんわかってきます。

 “世界人類が平和でありますように”と人類愛の深い心になると、空になったと同じなんです。

空をとびこえて、空即是色なんです。

往相(大生命に昇っていく姿)と還相(神さまの光と共に菩薩行として帰ってくる)が一つになってしまう。

それが世界平和の祈りなんです。

だから空、空というと、いかにもむずかしそうだし、無為にしてなせというとむずかしいそうだけれども、神さまのみ心の中に全部入っていさえすれば、それは空即是色で、無為にしてなせということと同じになるわけです。

自然に自分のやったことが神さまのみ心に叶った。

神さまがそのままやっていることになるというんですよ。

それはどうやったらいいかというと、世界平和の祈りをそのままつづけていると知らない間になってくるのです。



  
  
        「空即是色」 五井昌久 白光出版



  

2017年5月26日 (金)

宗教って何?



宗教ってみなさんあまりいい印象を持っておられないと思いますが、そもそも宗教とはなんなのか?その実体がわかっておられる人は少ないと思います。

ここで私の宗教観を述べてみたいと思います。(お釈迦様の例で)

お釈迦様はインドの王族の王子でした。

なに不自由することなく、そのままでいれば王になっていました。

しかし物質的には満たされていたものの、道端で餓死する人や、生老病死で苦しんでいる民衆を見るにつけ「これではいけない」と思ったお釈迦様は、出家(家を出て肉体界を捨てること)することになります。

ある日お釈迦様は、菩提樹の下で座禅を組んで瞑想をしていました。

その時です。明けの明星(金星)と意識が合体したのです。

そして思い出したのでした。

「私は金星に居た」、そして、「無限次元の前からすでに悟っていたのだ」と。

どういうことかと言いますと、お釈迦様は進化した大人の星、金星から地球人類を救うために天下って来られたのです。

その記憶が戻ったのです。

そして悟ったのは、今この瞬間ではなく無限次元(過去も未来も無い)の時からだということです。

宇宙には時空はありません。

今悟っただとか、過去に悟ったかだとか、未来に悟るではないのです。

そしてその頃のインドの人たちは苦しんでいました。

生きることに苦しみ、老いること、病気になること、死ぬこと(生老病死)にも苦しみ、絶望の中で生きていました。(今の世の中と同じです)

お釈迦様は、地球人類を救うためには、金星の高い教えを下すことだ悟られたのです。

3次元を救うには4次元多次元の教え(意識)でないと救えない。

宗教とは、宇宙を示す教えという意味です。

金星(宇宙)の意識(教え)を地球人類に示すということです。

すべてを悟ったお釈迦様は弟子たちにそのこと(真理)を伝えるために、様々なことを教えました。

座禅観法をして「空」なること、無念無想になること、「空になる」(悟る)ためには様々な修行(経験)が要ること。

しかしその頃の弟子たちで、お釈迦様と同じ悟りの境地まで至った人は、極少でした。

仏教は、お釈迦様の死後も広まって行ったのですが、その頃の弟子たちが間違って解釈をしたり、改ざんをされて今の宗教になって行くのです。

非常に簡単に歴史?を振り返ってきましたが、今の宗教を昔の原点に戻す為に五井先生が顕われたのです。

五井先生も非常に高い星から天下って来られました。

「世界平和の祈り」はすべての宗教を統一させる祈りなのです。

話がかなりグローバルになってきました(笑)

今回はこれで終わりにします。


  

 

人間と真実の生き方




「まずは読んでください」

【人間と真実の生き方】
 

人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。

この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤(あやま)てる想念が、その運命と現れて消えてゆく時に起こる姿である。

いかなる苦悩といえど現れれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、

愛と真(まこと)と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心を常に想い、

世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真(しん)の救いを体得出来るものである。




解説

人間は今、真理(我即神也・人類即神也・魂は永遠など)を知らないために、どうやって生きて行けばいいのか?がわからなくなっています。

上記の文章は、ズバリ真理が書かれています。

読んでいると安心するのは、心(本心)の底から「その通りだよ」という心の声が響いて来るからです。

何度も何度も繰り返し読まれることをお薦めします。

では、噛みくだいて解説をします。


人間本来は神の子(仏の子でもよい)であり、神そのものであり、神性であり、パーフェクト、愛に溢れた完全なる存在であります。

今は、業(カルマ)が覆いかぶさっているので悪のように見えるけれども、そうではないのです。

これからその覆いかぶさっていた業、カルマ、マイナスの想念エネルギーが、一旦は現われますが、それは消えていこうとする現象(姿)なのです。

消えていけば、本来の神性(神の姿)が顕われてきます。 


そのことをを信じてください。

そしてどれだけ消えてゆく姿が辛いものであっても自分を責めたり、他人を責めたりしないでください。(他人を愛する前に自分を先に愛してください)

自分を責めること他人を責める事は、神である自分、神である他人を責めることになります。

私たちは一人で生きているのではありません。

私たちを助け、目の前の道に明かりを灯してくださるのは守護霊さん守護神さんです。(悟ったご先祖様です)

感謝の気持ちを唱えると大変守られやすくなります。

そして私たちの本心がある場所は、肉体界でも、幽界でも、霊界でもない、もっと先の神界(宇宙)です。

 そこにほんとうの自分が居るのです。

 神界に意識を合わせると、ほんとうの自分に出会えます。(世界平和の祈りを祈ると神界につながります)

 それが神我一体、悟るということです。(本心と肉体の吾が合体すること)

 そうなれば、まず自分が救われます(神になるから)

 そして神(我即神也)のエネルギー(波動)に触れて、人々が目覚め、覚醒し

 地球人類はほんとうの平和になってゆくのです。


  

 

 

2017年5月25日 (木)

死後の世界をわかりやすく説明してください



五井先生のお答え



唯物論者のように、肉体界の物の面にのみ想いを固執していた者は、その想いが神の存在を認めぬ以上は、想念が形の世界、物の世界にこびりついていて、心が自由自在な楽な境界には出られないのです。

彼等は、いつまでも物の世界で争い合い、傷つけ合い、いがみ合って生活するより仕方がないのです。

ところが、真実に神の存在を信じ、しかも、神の慈愛の現われとしての守護神の存在、祖先の子孫への愛の現われとしての守護霊の存在を信じ得る者、そして、それらの神霊への感謝の念に生きる者は、よしやそれまでの行ないが、どのように悪いものであったとしても、死後は、はっきり守護の神霊の存在を確認することが出来、それらの守護の神霊の守り給うままに生活出来るのであります。

真に守護の神霊を一つに出来得るものほど幸せ者はありません。

その人々は常にそれら神霊の指導が受けられるのですから現在以上に業想念の増加する憂いはなくなるのであります。

あの世は、この世より、すべての速度の早い世界であります。

悪を想えば、すぐその悪の現われるように、善を想えば、すぐその善も現われるのです。

善のうちで、神を想う程、善なることはないのです。

何故なれば、神はすべてのすべてであり、完全なる能力者であるからです。

しかし、絶対神は、すべてのすべてであるが故に、個体としてその姿を現わされることはありません。

それ故、人間世界には、守護神、守護霊をして、守らせ指導するような方法がとられてあるのです。

最も微妙である絶対神と、人間の波長を合わせることより、自分に身近い守護霊に波長を合わせることの方が肉体身にとっては、ずっとやさしくて、早い時間で出来るのです。

守護霊と思いが一つになれば、守護霊は常に守護神のもとに想いを交流させているのですから、肉体身、守護霊、守護神と想いがつながり、やがて、自分の本体、直霊の光明がはっきり現われてくるのであります。

その時その人は、神界の居住者となるのであります。

それは絶対神と一つにつながっていることにもなるのであります。

そうしたわけで、私の教えの通りに行じておられる方が、地獄に落ちることは絶対にありません。

まして、世界平和の祈りを真剣にやっておられる人は、その行ないが、そのまま菩薩としてのものですから、霊界の上位あるいは神界にまでも到達することが出来るのであります。

今迄亡くなった人の中に、死後自分の境界を知らせてきた人がありますが、皆安らかに亡くなられ、安らかに境界に、その死後の生活を営まれております。






     「死んだらどうなるQ&A」 五井昌久 白光出版小冊子


 

  

死んだとしてもたいしたことではない



みなさん死ぬことに対し恐怖感があると思います。

それはあたり前のことなのだけれど、死ぬということがどういうことなのかが、ハッキリとわかっていないから怖いのだと思うのです。

死が怖いから病気が怖い、車を運転するのが怖い(事故)、街を歩くのも怖い(通り魔に遭わないか?)、脳卒中で倒れて死ぬかもしれないから家に居ても怖い・・・・

常に頭のどこかに死を意識して生きています。

痰が出るのも、堰が出るのも

「何か悪いものが憑いているのではないか?」「業が寄って来ているのではないか?」「息が詰まってしまわないか?」「ずっと堰、痰が続くのではないか?」と悪い方に考えてしまうのす。

人間生きていれば多かれ少なかれ他人の影響を受けます。

反対に自分の出したエネルギー(プラスにしても、マイナスにしても)で人にも影響を与えているのです。

これから人間は、世界平和の祈りをすることによってマイナスのエネルギーを出さなくなっていくのですが、そうなるまでは、やはり業、カルマ、マイナスのエネルギーを受けることもあります。

しかしそれは、死ぬようなことはなく、少し我慢して、世界平和の祈りを祈っていれば消えてゆくものです。

五井先生は一笑にふしています。

「あなたたちの受ける業なんてたいしたことではない」

そして「もし仮にそれがきっかけで死んだとしてもたいしたことではない」「死ぬことなんてどうってことではない」「どんなことがあったとしてもたいしたことではない」

・・・・これだけたいしたことはないと断言されるとホッとします。安心します。

「なんだ五井先生と比べたらものの数ではないんだ」「そんなことで泣き言を言ってはいけないんだ」と思うのです。

みなさん、五井先生のYoutubeを聴いて元気になってください。

真理のお話は光の波動なので私たちは癒され、いつの間にか元気になるのです。

ありがたいことです。




https://www.youtube.com/watch?v=uhRsl2eCer0



 

  

正しい判断が出来るようになること、それが自立です

 

今、世の中は混沌としています。

9割は間違ったものがはびこっています。

テレビ、新聞も信じてはいけない。ネットもSNSもいろんな情報が玉石混交飛び交っています。

その中で正しい、間違っている、善い悪いを判断するのは自分です。

他人に頼っている場合ではない。他人が間違っても人のせいにしてはいけません。

自己責任です。

では、どうすれば正しい判断が出来るようになるか?

それには今までの固定観念を変えなければなりません。

これまで私たちは頭で物事を考えてきました。判断してきました。

頭で考えることがあたり前だと思っていました。

しかし頭とは、いろんな想念(他人の集合意識を含む)が交錯している場所なので、考えれば考えるほど迷い、わけがわからなくなるのです。

それは気(意識)が上がるからです。

気が頭(肉体)に上がると、ありとあらゆる情報がグルグルと回っているので振り回されるのです。動揺するのです。

上がった気を鎮めるには、まず体の最下点を意識します。

立っているときは足の裏、座っているときはお尻の肛門を意識してください。

そこに頭があるとイメージしてください。これだけで頭がスッキリしてきます。軽くなります。

最近医学では、ほんとうの脳は腸にあると言われるようになったそうです。

腸とはつまり下丹田(へそ下3.5センチ)のことです。

下丹田は腹脳と言われています。

しかしただ下丹田を意識するだけでは、余計な想念(マイナス)、情報(ネガティブな)は消えません。

マイナスをプラスに変える光の波動体にはなりません。

日本晴れのようなスッキリ爽やかな気分にはなりません。

それにはこれまでに何度も何度も書いてきましたが、下丹田に小さな透明のカプセルをイメージしてそのカプセルの中に自分の体を小さくして入れるのです。

そしてスピードを上げてグルグルと回していきます。

そのとき同時に世界平和の祈りを祈るのです。

神域である下丹田で、神界の言霊である世界平和の祈りを唱える。

下丹田の中で化学反応が起きます。カプセルの回転が上がれば上がるほど、マイナスのエネルギーがプラスに変わっていきます。

宇宙からのエネルギーは頭のてっぺん(百会)から縦に入り、60兆の細胞に霊要素を与え、足の裏(湧泉)から抜けて行くのです。

そのときに下丹田を意識し祈ると縦┃と横━のエネルギーが交差して十になります。

これがキリスト様のおっしゃっている真理、十字架です。

私たちの本体は天地を貫く光の波動体なのです。

本体は肉体(物資)ではないのです。

光の波動体(パワースポット)になると瞬間、正誤が判断出来ます。

善いもの悪いものがジャッジ出来ます。

マイナスと共鳴しなくなるからです。

神様(宇宙神)からのエネルギーがわかるようになります。

みなさん素晴らしい光の波動体になってください。

自分を救い、人類を救うには自分がパワースポットになるしかないのです。


 
世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  

 

日本には、お釈迦様、キリスト様に匹敵する素晴らしい聖者がおられました


 

地球がアセンション(次元上昇)をしてゆく上で、絶対に欠かすことの出来ない人物として、私は五井先生を一番に挙げるのです。

みなさんにはなじみがほとんどないと思いますが、日本を、いや地球を代表する大聖者でした。

えっそんな人がいたの?

歴史で習ってないよ(笑)

そうおっしゃるかもしれませんが、知る人ぞ知る、もの凄い人(霊止)なのです。

五井先生は、大正5年に生まれて、昭和24年に神我一体を経験し、覚者となり、「世界人類が平和でありますように」という世界平和の祈りを提唱し、その祈りは、今やピースポール等を経て、世界中に広まっています。(昭和55年8月帰神(逝去))

しかし、五井先生の教えがあまりにも高過ぎた(ほんとは易しいのですが)のと、広く浸透する時期がまだ来ていなかったために極一部の人にしか知られていないのです。

かえって海外の方(国連など)が、関心が高いくらいです。

私は最近、五井先生の凄さ、偉大さを常々思い知らされていまして、このことをどうやって伝えればいいのか?

思案にくれているのです(笑)

五井先生は、宇宙神から「世界平和の祈り」 を地球人類に広めるように授かったのですが、この祈りというのは、宇宙の悲願なのです。

今まで地球に降り立った、イエス・キリストもお釈迦さまも老子様もすべての聖者がこのことを目的に進化した星から地球に天下って来たのです。

ですから五井先生の後ろには、キリストもお釈迦さまも老子様も、金星の長老も、弥勒如来様もみんながついて応援しているのです。


「このような素晴らしい祈りに、応援して来ない聖者は聖者ではない」 と五井先生はおっしゃておられたそうです(笑)

五井先生の五井とは、五聖者が五井先生の中に居るという意味だそうです。

ですから、五井先生がご講話される時には、この五聖者が入れ替わり立ち替わりして、五井先生の器を使ってお話をされるのです。

私は、直接お聞きしたことはないのですが、五聖者が五井先生の中にいらっしゃることは、ご著書で確信出来たのです。

お釈迦様・・・「空即是色」 小説 「阿難」

キリスト様・・・・「聖書講義」

老子様・・・・「老子講義」

これらの著書は、お釈迦さまやキリスト様、老子様ご本人でないと絶対に書けない内容です。

聖者たちがほんとうに言いたかったこと、伝えたかったことがそっくりそのまま書かれているのです。

なぜ、そんなことがわかるのか? って(笑)

そうですよね、確信するのにはなにか裏付けがいりますよね

しかし、理屈ではないのです。

読んでいて、これを書いているのは “ご本人だ”  と心が感じるのです。

 

今、地球を覆っている波動が細かくなっています。

宇宙の波動に近づいてきているのです。

ですからこれらのご著書(空即是色、聖書講義、老子講義)を読まれて

ビンビンに感じる人がかなりおられると思います。

アセンションの始まり(プロローグ)は、五井先生のブームをきっかけに始まるというのは、もう神界では、約束されていることなのだそうです。

神界の出来事が、地球に降りて来るのです。

神界とは、地球の未来を指すのです。

五井先生がご存命のときには、大聖者の働きをされていました。(今ももちろんあちらの世界で浄められています)

業を浄めておられたのです。

業とは、地球人類が作ってしまった、負の遺産です。

マイナスのエネルギーです。

キリスト様もそうですが、業を浄める人がいなかったら地球はもうとうの昔に崩壊していたのです。

過去6回、アセンション(次元上昇)に失敗して、そのつど地球は滅びていました。

しかし今回は違います。

7とは、宇宙の数字、完成(アセンション)を意味します。

下記の文章で、五井先生の凄まじさ、偉大さ、愛の深さを感じていただけたら幸いです。
 

 

この世に生を享けたものには必ず「消えてゆく姿」があります。魂を磨き霊性を高めるためには、どうしても過去世の遣り残しを今生で果さなければならないからです。
...

しかし例外として五井先生のような霊覚者には、「消えてゆく姿」は全くなく、あるのは「消してゆく姿」だけでした。昼夜を分かたず世界の業を一身に引き受けてお浄めなさっておられたのです。肉体的な現われとしては腹部の激痛でした。

 先生は「包丁で腹を切り裂かれるような痛み」とおっしゃっておられました。

また間断なく出る痰は時には気管を塞ぐことがありますが、その時は苦しみをじっと耐えて、霊的な呼吸をすると痰が切れるとのことでした。あえて医者が病名をつけたとしたら「気管支喘息(ぜんそく)」でしょうか。

 したがって睡眠もまとめて一時間、二時間おとりになることはなく、五分刻み、十分刻みとおっしゃっておりました。まさに十字架上のイエス・キリストです。
 「イエスは一昼夜だったけれど、わたしは十年間だよ」と。

 五井先生の状態を見かねた故斉藤長老の発意で、全講師(約二百名)が一つになって、たとえ一日でも二日でも五井先生の身代わりにさせていただけたら、ということを進言しました。

ところが五井先生のご返事は、「二、三分と持たないで全員が悶絶してしまう」とのことでした。世界の業の凄さ、それをお受けになっている五井先生の器の偉大さをあらためて知らされたことでした

 「夜通し痛み続け、明け方になってちょっと楽になる。その時みんなだったら、あー今日もこれから痛みが襲ってくるんだろうな、嫌だなあと思うだろうけれど、わたしは決してそうは思わないよ。

昨日は昨日で終わった。今日こうして新しい一日を与えて下さった。わたしの身体を使って世界を浄めて下さる神様ありがとうございます。これがわたしの光明思想だよ」
 というお言葉をお聞きしたことがありました。

 ある時、先生が次のようにおっしゃいました。
 「今出た痰は白人がインディアンを虐殺した時の業が痰という形で消されていって、次に出た痰はローマの兵士がキリスト教徒を迫害した時の業が消されていったんだよ。

わたしの痰には一つ一つ物語があるんだよ。いずれこの物語を一冊の本にしようと思ってね。題名は『歎異抄』*(たんにしょう)ね
 五井先生の冗談にはまいりました。


*歎異抄 浄土真宗の開祖、親鸞の語録。

2017年5月24日 (水)

意識の次元を上げないと3時限のことは何も解決しないのです



ほんとうの親って、どんな人なんだろう?

それは、字が表わしています。

木の上に立って見る人、見れる人のことです。(ほんとに漢字って凄いですね)

自分の子を自分の私物としてではなく、客観的に少し離れたところから見守ることが出来る人、他の子も自分の子のように愛を注げる人・・・・・

それはまるで守護霊さんのようですね。

守護霊さんは霊界から肉体界の人間を見て、守ってくださっています。

私たちは1分先のこともわかりませんが、守護霊さんは未来がわかるのです。

そしてメッセージで(直観、神智として)必要な情報を知らせてくださいます。

私たちのほんとうの親は肉体界の親ではなく、守護霊様であることがわかります。(肉体界の親は仮の親です)

そして、私たちはいつまでも肉体だけに意識を置いているのではなく、守護霊さんや守護神さんのいらっしゃる霊界、神界に意識を置く時期に来ているのです。

意識を次の次元、その次の次元に上げることができたのなら3次元のことは簡単にわかるようになります。

どんなことでも解決出来るようになります。

4次元、多次元の中に3次元はあるからです。

私たちは同じ3次元の次元に意識があるから悩み苦しむのです。

肉体に意識があるから霊界や神界、つまり未来のことがわからないのです。(神界は未来です)

霊界や神界に意識を合わせるメソッドとして祈りがあります。

世界平和の祈りの中には守護霊様、守護神様への感謝があります。

感謝は光です。

感謝の光で守護霊・守護神様とつながるのです。

そして世界平和の祈りは神界(宇宙)の理念なので、本心のある神界と共鳴します。

そして私たちの意識は、宇宙意識、神意識へと移行(上昇)するのです。


今、肉体界は狂っています。歪んでいます。

幽界の汚れた世界がそのまま写っているからです。

神界の美しい調和の取れた姿が歪んで肉体界に降りて来ている、それを修正したり、幽界を消してくださるのは守護霊様、守護神様です。

幽界が消えると神界のエネルギーが真っ直ぐに肉体界に降りて来ます。


しかし宇宙からの光を真っ直ぐに降ろし次元を上げるためには、人間の器が必要なのです。

が、しかし宇宙からの光は強烈なので意識が高い器でないと受け取ることが出来なのです。

光を降ろせる器が10万人という臨界点を超えたとき、アセンションは完成します。

今、神々は、宇宙意識、神意識になれる器を求めておられます。

それは世界平和の祈りを祈る人、印(我即神也・人類即神也)を組む人、マンダラを描く人、つまり神そのものになる人、神人(しんじん)です。

宇宙神は救われる人ではなく、救う側の人を求めておられるのです。

愛の星、進化した地球の誕生は、宇宙意識を持った肉体人間(10万人)と守護霊、守護神とが三位一体になったとき、地上天国は実現します。




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 
 

これから世界、日本はどうなって行くのか?答えは自然に出てきます

 
私が調べたわけではありませんが、天文上では、地球がアセンション(次元上昇)することは決まっているそうです。

私はそのことは、五井先生のご著書で知りました。(七劫目に入っていること)

私がアセンションに向けて、今現存している産業はほとんど淘汰される、無くなって行くと書いていますが、アセンションとはそもそも、神様の世界(神界)が肉体界に現われるということです。(迷いの世界である幽界が消えて)

肉体人間が覚醒(目を覚まして)してほんとうの姿、神の姿を顕わすのです。(我即神也・人類即神也)

それがアセンション(次元上昇)です。

お釈迦様、キリスト様にみんなが成ると言えばわかりやすいでしょうか?

では、お釈迦様がお金儲けをするか?お金の亡者になるか?

病気の人を何人も治したキリスト様が病気になるか?

聖者と言われる人が、お酒を飲み、タバコを吸い、感情を満足させるために甘いものを食べ、暴飲暴食をし、風俗店に行くか?(笑)

行くわけがないですよね。

ゴールはそこにあるのです。(みんなが聖者になる)

だったらこれまでに人間の感情を満足させてきたありとあらゆるものは自然淘汰されていくことがわかります。

人間は健康に向かっています。(自分で波動調整をする)

人間はほんとうの愛に目覚めます(戦争、争いが無くなる)

お金を必要としなくなります(お金は無くなる)

がしかし、今はその姿?が現れる前段階です。

トンネルの穴はもうほとんど掘り上がっている、しかし未だ前は見えていない、光は見えていない。

今はそんな状態なのです。

掘った土が自分たちにかかって来ます。

それが業であり、カルマです。(でももう残りカスです)

そして最後の仕上げが、世界平和の祈りをたくさんの人が祈ることです。


世界平和の祈りを祈ることでトンネルは完全に抜けます。

その先は神界(天国)です。

素晴らしい未来が待っています。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


   

平均的生き方では魂(本心)は満足しない

  

先日、15年ぶりくらいに一つ上の先輩(現在60歳)と電話で話をしました。

その人は大学を卒業後、地方銀行に55歳まで勤め上げ、今は出向先の会社で働き、65歳になったら退職するそうです。

65歳からは年金ももらえる、そのときは「娘と一緒に甘党の店をやりたい」(娘さんはケーキのパテェシエ、自分は趣味の和菓子作り)と言っていました。

話は懐かしい青春時代もあり、今の現状(畑仕事が生きがい)であり、未来の願望であり、「ああ、先輩幸せそうだなあ」、肉体の先輩はそれで十分満足しているようですが、「本心はどうなのだろう?」と思ったのです。

自分の人生はそれでいいのかもしれない、誰にも迷惑を掛けず真面目に55歳まで勤めた、そこで隠居するのではなくまだ働こうとしている。

この世だけを見ればなんの不足もないように見えます。立派です。

そして私は何も言うことはありませんでした。

先輩に「世界平和の祈りを祈ったらいいですよ」も言えませんでした。

そしてほとんどの人は、「世界平和の祈りを祈ることなく自分や家族くらいの狭い幸せを願って、肉体を去って行くのだなあ」と思ったのです。

自分の本心のある神界につながることなく、瞬間つながったとしてもすぐに離れていく。(悟ることなく)

そして幽界で厳しい修行をして神様がわかるまで何度も何度も輪廻転生する。

平和ボケしている人は、なかなか幸せにはなれないのです。(人間は悟らないとほんとうの幸せにはなれません)

「これではいけない、このままでは死んでも死に切れない」という危機感がないからです。

私は今、この人にエネルギーを注いでいるわけにはいかないと思いました。

「今、魂の底から真理を教えてくれ、世界平和の祈りを私に伝えてくれ」と叫んでいる人に全力でエネルギーを注ごうと思っています。

20年前に私はメンターに救って戴きました。

肉体の命だけではなく、魂を救ってくださったのです。

その恩返しが縁のある人、魂が求めている人への真理の伝達だと思っています。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 

ただ食べて、感情を喜ばせて、死んで、それでいいのだろうか?


なんとなく偶然にこの世に生まれ出て、食べたり飲んだりして肉体を維持し、ただなんとなく、社会生活を営んで、妻をめとり、夫に嫁し、子を生み育て、そして死んでゆく。


上記は私が愛読する『神と人間』の冒頭の文章なのですが


ほとんどの人がこのような生活を送り、死んだときにただ灰だけが残るというなんとももったいない、なんとも情けない人生を送ってしまっています。


「みんなそうだからそんな哲学的な宗教的なことを考えなくてもいいんじゃない」

という返答が返って来そうですが(笑)

地球や世界、日本、そして自分はもうそんな悠長な怠惰なことを言っていられない状態にあるのです。

他の人は関係ない

危機感を持って今、自分に何が出来るのか?を真剣に考える人が自分を救い、人類を救って行くのです。




【神と人間】


昔の私がそうであったように、世界の人びとの大半が、人間とは肉体そのものであり、精神とは肉体の中に存在する、ある機能の働きである、と思っている。

人間とは五十年、六十年、この社会に生存していて、後は灰になり無になってしまうものと思っている。

死んでしまえばそれまでのもの、と思いこんでいる。

はたして人間は肉体の滅亡をもって、最後の終止符になるであろうか。

私は即座に、否(いな)と答える。

なんとなく偶然にこの世に生まれ出て、食べたり飲んだりして肉体を維持し、ただなんとなく、社会生活を営んで、妻をめとり、夫に嫁し、子を生み育て、そして死んでゆく。

人類の大半はこのような生活を繰り返して、今日にいたっているのであるが、それでは済まない。

何か漠然とした不安の想いが、その大小にかかわらず、人々の胸の中に去来しているのではなかろうか。

このような生き方ではあまりにも無意義であり、無目的でありすぎる。

このような生き方の他に、何かある。何があるかわからない。

わからないが、またわかろうと積極的に思わない。こうした想いが一般人の心であって、その中の少数の人たちが、そのままで済まされずに、社会改革に乗り出し、思想活動に加わり、また一方の小数人は自分自身の心の内面に立ち入って、深く突きつめ、神を知り、霊を知るにいたる。

ともに現況における心の苦しみを突き破ろうとしての動きなのである。


               
                 『神と人間』   五井昌久 




        


どこに意識があるか?

  

「どこに意識があるか?」とは「いつも何を考えているか?」ということです。

たとえば、いつも「お金が欲しい、お金が欲しい」とお金のことばかり考えている人は、どこにいても心はお金の世界にいます。

人間は心、想いがすべてなのでお金が心を満たしているのです。

そのような人が死ぬと幽界でただ黙々と朝から晩までお札ばかりを数えているそうです。

お金の世界には、親兄弟もいなければ友達もいない、愛も感動も無い、自分の想っている世界には行けるのだけれど、そこは暗く寂しいところです。

死んでいなくても同じです。

お金のことばかりを考えている人は寂しい人です。

そこにまた幽界のオバケちゃんが近寄って来ます。

「一緒にお金も儲けをしないか?」「あいつを騙して一儲けしよう、分け前は折半だぜ」・・・と。

騙されるほうも同じです。

頭の中がお金だけだからそこで共鳴するのです。

一方、極端ですが、いつも「神様ありがとうございます」「守護霊様ありがとうございます」「世界人類が平和でありますように」と神界(本心のあるところ、天国のこと)に意識が行っている人は、神界の住人です。

意識が神界にあるのでいつも愛に満たされています。神様に愛されています。

神界は時空を超えているので未来のことがわかるようになります。

神界には無限の富があるのでお金や物質的なことが自然と整ってきます。

神界は無限なる健康なので健康になります。

・・・・つまり神界(宇宙)はパーフェクトなので、意識が神界とつながっていると宇宙の法則に乗るのです。

神界とつながり続けるために、祈りつづけることになります。

「そんなことできるわけないだろう、仕事もあるし、生活していかなければならないのに、そんな暇ないよ」とみなさんは言います。

私もそうでした。

メンターに「24時間プラスαで祈り続けなさい!」と言われたのです。

「そんな無茶な」と思いますよね(笑)

しかし今の世の中では神界につながっていないと苦しいのです。

今世の中は、幽界のオバケの世界(幽界)が焙り出ています。

9割は金儲けの世界になっています。

世の中あきらかにおかしくなっています。

マイナスのエネルギーが充満しています。

酸素ボンベ無しでエベレストに登っている状態です。

みなさん今、苦しくないですか?

何をやっても虚しくありませんか?(充実感ありますか?)

このままでいいと思いますか?

それは他人よりもお金があって心配ないからですか?

お金さえあればいいのですか?

自分がそこそこ幸せならば他はどうでもいいのですか?

このまま地球が滅びてもいいのですか?


今地球は、瀬戸際に立たされています。

神様から試されています。

人間、一人一人の意識を見ておられます。

「お前は今、どこに意識があるのか?」・・・を。

私たち人間は今こそ、意識をほんとうの自分が居る本心(神界)に向けるべきではないでしょうか?



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 




 

2017年5月23日 (火)

テレビを観ると病気になる


みなさんにわかには信じられないかもしれませんが、犯罪は減っているのです。

いじめも自殺も減っているのです。(統計を見ればわかります)

減っているからこそ、ニュースになるのだそうです。

みなさんは、ご自分が以前に比べて穏やかになっていることに気づいておられると思います。

そして、これまでしょっちゅう怒っていた人が、あまり怒らなくなった(笑)

喧嘩や言い争いをしている人を最近見かけなくなった。

暴走族がいなくなった(笑)

・・・・これらが減ったからこそ、話題にすれば逆にみんなが関心を持つのです。

そして減っているのに増えていると勘違いをする。

煽られている踊らされているのです。

グルメ番組もそうです。

お肉を食べなくなってきているので、人気のタレントさんが美味しそうに食べているのです。

牛乳、炭酸飲料が飲まれなくなってきたのでコマーシャルをしている。

牛乳は、カルシウムを含んでいる健康飲料というのはとんでもないことで、反対に人体のカルシウムを溶かします。

市販の牛乳は錆びた脂と同じなので体を錆びさせ、病気(潰瘍性大腸炎・クローン病・アトピー等)をつくります。

清涼飲料水(炭酸飲料)の多くは、大量の糖分(角砂糖10~15)が含まれており、糖尿病を誘発させます。

コマーシャルを観た若者たちが軽い気持ちで飲んでしまうと体内に大量の砂糖が投入されるのです。

血液をドロドロにし、血管を詰まらせ、炎症が起きます。

そして大切な目にまで悪影響を与え、失明することがあります。

しかし国や企業はわかっていても止めることをしません。

それどころか、「飲め、飲め」と煽っているのです。

私はテレビが好きなので、つけながらブログを書いたりしているのですが、9割はおかしいです。

9割は営利目的のために嘘を言っています。

みなさんこのことに気づいてください。(テレビを観なくするのも一つの方法ですが)

でも、情報はなんらかの方法で仕入れなければならない。

ネットもSNSも煽るものは嘘が多い、ほんものもしくは、ましなものは1割です。

どうすれば見分けがつくようになるか?

それはまた、書いていくことにします。



  


  

今、家を買ってはいけない

  

私は大阪の結構都心に近いところに住んでいます。

住み心地が良く、賃貸ですが快適に暮らしています。

すぐ近くに分譲地の建売が始まったのですが、かなり良い場所にもかかわらずなかなか売れないのです。

数年前だったら即完売の物件です。

そしてあちらこちらで時間貸しのモータープールも見られるようになりました。

これらのことは何を物語っているかと言いますと、人口が激減し、景気は衰退し、不動産が動かなくなっているのです。

今、日本の空き家は増え続け、820万戸もあるそうです。

後数年すれば自分の家の両隣りが空き家になるそうです。

大阪はもちろん東京でも大暴落が始まる。

週刊誌の見出しに載っていましたが、その通りになると思います。

年収400万円の人が年収の10倍の4千万円で家を買う。(そもそもこの時点で間違っています)

収入は年々減り続け、企業は5年もたなくなっているのに金利が安いとはいえ、大借金を背負って30年間も払い続ける、かなり無茶な冒険だと思います。

これから賃貸は値下げ合戦が始まります。

3分の1くらいになるのではないでしょうか?

月10万のローンを30年間(ボーナス別)と月々3万、もし失業しても親の家に転がり込めば固定資産税だけで済みます。

どちらが賢明でしょうか?

後数年もすれば都心以外の土地はただのようになります。

長く住み続けるとリホーム代がかかりますが、家も長持ちするようになります。

それは、波動が細かく優しくなることで家の老化が遅くなるからです。

家も物質波動、エネルギーで出来ています。

気持ちが穏やかで優しい人が持った持ち物はなぜか長持ちしますよね。

毎日感謝しながら車に乗っていると、燃費が延びたり、故障も少なくなります。

人間が穏やかになるとその波動は、ありとあらゆるものに好影響を与えます。

みなさん自分の家が欲しい気持ち、わからないではないですが、もうしばらく我慢してみてください。

きっと「買わなくて良かった」になります。

これから不動産を必要以上に持つと負動産になるのです。


   

2017年5月22日 (月)

食品業界が淘汰される日



先日は、医療業界が衰退することを書きましたが、アセンションに伴い食品業界も大変革されることを述べていこうと思います。

しかしほんとうはこれは変革ではなく、本来のまともな人間の姿に戻ってゆくだけなのです。

人間は本来健康そのものです。

だから、医者要らず、薬要らずになるのは自明の理です。


ところで人間の歯は全部で32本、その内訳は門歯(前歯)8本、犬歯4本、臼歯20本になっています。

前歯と臼歯の28本の歯は、植物をすり潰すためにあり、犬歯も植物をかみ切るためにあるそうです。

つまり人間とは草食動物なのです。(人間は狩猟民族だから肉はどんどん食べろという説があるようですが)

牛や馬の草食動物が、共食いをしますか?

そんなことをしたら発狂します。(狂牛病)

キリスト様は、「肉を食うな、食えば凶暴になる」とおっしゃっています。

動物の感情(エネルギー)をそのまま受け取ってしまうからです。

そして体にも良くありません。

動物の体温は人間よりも高いのです。

牛や豚は38.5~40度、鶏はそれよりもさらに高い41.5度です。

これらの肉が人間の体内に入ったとき、ベタッと固まってしまい血を汚すのです。

消化できないのです。異物を入れるのと同じです。

今、アルコールと同じようにお肉を食べれなくなっている人が増えています。

宇宙からの波動が細かくなっているので、体が霊化されているのです。

動物の波動は人間よりも粗いので、本来合うはずがないのです。

それを美味しく感じたり、食欲をそそっていたのは、人間の波動が粗かったからです。

お肉だけではありません。

牛乳などの乳製品も摂らなくなります。

牛乳は本来牛の赤ちゃんが飲むものであり、体の構造の違う人間が飲むと当然、拒絶反応が起きます。(下痢等)

乳がんの原因も乳製品が大きく影響しています。(マーガリン・ヨーグルトなどは最悪)

なぜ、こんなに体に悪い食品が巷に出回っているのでしょう?(9割は食べてはいけないものです)

素朴にそう思いますよね、それは先に述べた人間の波動が本来の波動(霊波動)ではなかったために粗い波動と共鳴したから、そして人間が「悪いことと知りつつもお金を儲けたい」という金銭欲に走っているからです。

パン屋の社長は、「自社製の白いパンは食べない」そうです。

お医者さんは「家族に薬を飲まさない」酪農家の人は、「市販の牛乳は飲まない(腐った脂だから)」そうです。

みんな自分の仕事に誇りを持っていないのか?と思いますね。

だから今の世の中は世紀末なのです。

今の人間はどうしようもない、動物以下の生き物なのだ、だから守護霊守護神の力でどうにかしてもらわなければならない、世界平和の祈りで神界とつながって神界のエネルギーを地上に降ろさなければならないのです。

近未来の人間の食事は、スムージーのような食物繊維が豊富な飲み物、そして体が温まるスープのようなものが中心になるそうです。

そしてもちろんお肉も食べません。お魚も食べなくなります。

動物たちはやっと人間から食べられることから解放されます。

それが近未来の人間の食生活です。(後数年ですよ)

そんな世の中が早く来るためには私たちはどうしたらいいか?

神様の光を降ろす世界平和の祈りを祈るしかないと思います。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




追伸・・・私はこの本を読んで、人間の体の基礎を知りました。どうすれば健康を保てるか?詳しく書かれています。推薦致します。

「病気にならない生き方」新谷弘実著サンマーク出版


  

 


 

いじめは殺人です


 

先日、調和波動気功のセミナーがあったのですが(2010年9月26日)、

そのときにある人が于先生に

「娘が学校に行きたくないと言っています、どうも順番にいじめがあって今、娘がいじめられているようなのです、どうしたらいいでしょう?」

と質問されました。

于先生は

「いじめは殺人です」 とハッキリとおっしゃいました。

そして娘さんに世界平和の祈りを祈ることを教えること

それから、先生にいじめの事実を伝えることだと言っておられました。

そうなのです、いじめは殺人と同じだと私も思うのです。

いじめらた子どもが自殺しなければ罪にならず

自殺をしたらいじめた側が罪に問われるのではない。

事実として、相手の心を痛めつけることにはなんら変わりはありません。

痛めつけた時点でもう殺人を犯している・・・・。

そして相手の心を傷つけるとは自分の心を傷つけているのと同じです。 (元は一つの光から分かれた分霊だから)

この世を去って、次の世界(他界)に行ったとしてもその想念はずっと残ったままです。

恨んだ想念も恨まれた想念もずっと消えないで残っています。


だからいじめを肉体界に具現化(現実化)させてもいけないし、恨み恨まれの想念を死んだ後の世界にも残してはいけないのです。

肉体界にいるうちに早期に手を打つ

勇気を持って、先生なり、保護者たちに伝えるべきです。

いじめによる自殺があっても多くの学校側は

「いじめの実態を知らなかった」と言います。

責任逃れをします。

いじめられた保護者は

いじめがあったことを報告すると自分の子がもっとひどいいじめに遭うのではないか?

逆恨みをされるのではないか?

色んな不安もあると思います。

でも、今勇気を出さないと後でもっともっと後悔することになります。

今生で根を切ってしまわないと来世ではもっと苦しむのです。(これを地獄と言います)

来世での苦しみは今生どころの比ではないのです。


そして子どもに世界平和の祈りを教えることはどういうことかというと、世界平和の祈りを祈ると守護霊様はその子を守りやすくなります。

守護霊様ありがとうございます、という感謝の言葉は光なので守護霊様が力を得るのです。

力を得た守護霊様は、相手の守護霊にも光を送ります。

そして相手の守護霊は、業にまみれた自分の孫に光を与え、我に帰らすのです。

「自分はなんて愚かなことをしていたのだ」

・・・・・・・・・・・・・・・と




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


   

世界平和の祈りは神様との約束事 2



世界平和の祈りを祈る人は、みんな神我一体になる




そして、“世界人類が平和でありますように” という祈りは誰も彼もが反対できないものなんですよ。

例えば、左翼の人は自分が自覚していないかもしれないけれども、世界人類が平和であることを願っている。

革命を起こすにしても、革命を起こした後で世界が平和になると思っている。

あるいは右翼の人たちでも、武力でもって悪いものを叩き潰して、それで世界が平和になると思っている。

ところがうちの教えは敵を武力で叩き潰すわけでもなければ、イデオロギーで叩き潰すわけでもなく、ただ必然的に神様の中から流れてくる

「世界人類が平和であれ」 というひびきを受けて、「世界人類が平和でありますように」 というひびきをこちらから出して、神様の世界と肉体の世界が、まっすぐに繋がっているんです。

そうすると神我一体となるということです。

本当は私だけが神我一体になっているのではなくて、世界平和の祈りを祈る人はみんな神我一体になっている。

ただ過去世からの業がそれを邪魔したりしているけれども、根本としては、世界平和の祈りを祈れば中心の神様と繋がっているわけです。



 
 
五井先生の働きとは

  

また神様というのは、一神であって多神なんです。

宇宙神としては一つであるけれども、さまざまな働きに分かれて、いろんな神々があるわけです。

だからAの神様からAの教祖が出来、Bの神様からBの宗祖が出来て、それぞれに道を説いているわけです。

しかしやがて、最後はみんなが世界平和の祈りを祈るようになってくるわけです。

何故なってくるかというと、すべての神々が救世の大光明の中に入ってしまっていて、そこから流れてくるのは

“世界人類が平和でありますように” というひびきだからです。

これは私が説かされただけなんです。

この肉体の五井昌久という人は、中心の神様から

“世界人類が平和でありますように” という教えを説かされているわけです。

器なんですね。

器でもあり、ラッパでもあり、場でもあり、そういう立場にあるわけね。

だから、みなさんが世界平和の祈りをする時は、神様と直にピッタリとくっついているんですよ。

それを固く信じさえすれば、自分の力がますます強くなってゆくし、不安、混迷する想いがどんどん消えてしまうわけね。

そして私は、世界平和の祈りの前に “消えてゆく姿” を持ってくる。

いくら世界平和の祈りをしていても、煩悩が起こってくるし、もやもやの想いも起こってくる。

しかし、それは今起こっているのではなくて、過去世からの業想念が、もやもやの想いとして現われて、そして “消えてゆく姿” になるんです。

消えてゆくに従ってそれだけ減るのだから、かまわず世界平和の祈りを祈っていれば、世界平和の光がどんどん広がって、もやもやの想いはどんどん消えてしまう。


神様の世界では、すでに地上天国が出来上がっているんです。


出来ているのが、ただ現われてくればいいだけなんです。


それはどういう姿かというと、みんなが平和を祈って、みんなが平和な心境になっている姿です。


それがやがては現われる。現われるけれど、時間がかかります。


そのかかる間に、過去世からの相対的な想い、排他的な想い、自分だけが良ければいいんだ、自分の国だけが幸せであればいいんだ、というような、間違った想いが、どんどん現われては消えてゆくわけ。


だから、どんなものが現われてきても、かまわず平和の祈りの中に入っていればいい。

 
救世の大光明の中に入ってさえいれば、やがては個人も人類も、平和になるに決まっている。


それを私が神様から教わって、皆さんに教えているわけです。


              (昭和43年5月)


  

世界平和の祈りは、神様との約束事 1


  

世界平和の祈りは神界との約束事

 


世界平和の祈りが、五井先生との神界との約束事だというのはどういう意味か、ということについて話しましょう。

私と神界との約束事というのは、私の直霊と神界と約束事と言っても同じことなんです。

約束というのはひびきが伝わるということです。

神様のひびきが、肉体のほうへ伝わってくるということなんです。

五井の“五”というのは中心という意味です。

一から十までのまん中が五ですね。

それから易(えき)なんかでも中心が五です。

すべて中心は五というんですね。

そうすると、神様の光が集まっている所が 五 なんですよね。

五井の “井”は井戸ですべてが湧き上がってくる所、中心の光、知恵や力が湧き上がってくる所という意味です。

五井という固有名詞にはなっているけど、実は固有名詞ではなく、そういう役目を表わしているんですね。

お釈迦様も神界との約束があるし、イエスさんも、法然さんも、弘法大師も神界との約束事があります。

そういういろんな約束事があるわけですね。

宗祖というものは、ひびきの世界で神界との約束事をして、それぞれの宗教が出来るわけです。

そして私には、中心の神様の光が伝わってきて、私が知らないうちに “世界人類が平和でありますように” という教えをすることになったわけです。

もちろん私の肉体がやったんではあるけれども、実は神々の中心の働きの場からこちらへ伝わってきた、ということなんです。

 





やがて世界中が世界平和の祈りのひびきを体得する




もっと言い換えるならば、神々が時と場所を選んで、肉体の人間を通していろんな教え方をするわけですね。

神様の知恵や力が流れてきて教えを開く人を、宗祖、教祖と言うわけです。

そういう人はたくさんいるわけです。

たくさんいていいわけです。

しかし、それがやがては統合されて、ひとつの世界平和の祈りのような形に統合されてゆくわけです。

そういう時代になってきている。

昔は他の国との交通や関わりもあまりなくて、自分の国だけのような形だった。

そういう時代に日本なら日本、インドならインド、ユダヤならユダヤ、それぞれの場所でもっていろんな宗教が興ったわけです。

しかし、それがだんだん広がってくると、それぞれの場所で興ったような宗教では、みんな自分のほうがいい、自分のほうがいい、ということになりますね。

お互いが自分の宗教のほうがいいんだ、自分の唱え言のほうがいいんだ、というようになって、宗教があるために、却って争いや何かが起こることになる。

ヒンズー教だけがいいんだ、仏教だけがいいんだ、キリスト教だけがいいんだ、というふうに争っていたのでは仕方がない。

そこで、マホメットも、お釈迦様も、イエスさんもみんな集まって、救世の大光明となり、そこから生まれてきたのが世界平和の祈りなんです。

それが五井昌久という肉体を伝わって、この世に現われたんです。

だからこういう祈りはやがて必ず広まって、世界中がこの祈りの主旨を体得して、その元のひびきを体得して、みんな世界平和の祈りのもとに集まってくる。

こちらでどうしようというのではなくて、自然に広がってゆくのですね。



            つづく






感想

“ 名は体を表わす ” といいますが、私の場合は名字ではなく名前の方に特に その役割り?特徴があるようなのです。


朗(あきら)というのですが、ほがらか、明朗のように明るく朗らかな様は、神様の姿を表わしているのです。


私は以前、于先生のレッスンを受けているときに

「あなたは月が良いいのです。ついているんです。ラッキー(幸運)なんです」

とおっしゃって頂いたことがありました。


そのレッスンの後

「そうなのか私は月がいいんだ月がいいんだ」わーい(嬉しい顔) 手(チョキ)

と何回も嬉しくて繰り返し言っていたのを覚えています。(オメデタイ奴ですよね)わーい(嬉しい顔)


そしてブログを書こうと決意したときに何の躊躇もなく

ペンネームは

グッドムーン(月がよい)にしようと決まったのです。三日月

だから、五井先生のお名前が宇宙の中心を表わしている、光が集まっているという意味がとてもよくわかるのです。


みなさんも偶然付けられた名前だとか名字だと思っておられるかもしれませんが

必ず名前が付く(生まれてくる)前にあなたの天命をまっとうするために神様からその名前が付くようにされているのです。

親や祖父母、知り合いの叔父さんが何気なく、思いつきで付けたのではないのです。

易でも姓名学があります。

姓名学よりももっと深いところ(神界)にその源(みなもと)はあるのです。

人間の運命は想念が変わることによっていくらでも変わっていくのです。

だからほとんどあてになりません。

それよりも心を鎮めて、心の奥深く入っていくと(統一をすると)

本当の自分に出逢えるのです。


その本心を信じることの方がずっとずっーと、素晴らしく、尊いことなのです。

アセンションとは本心との遭遇なのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




 

2017年5月21日 (日)

目標は低いほうがいい(イチロー選手)


 

「志は高く持て!」

「青年よ大志をいだけ!」


と言って大人は子供を煽っています。

という大人も目標を持ってずっとモチベーションを継続させているかは疑問です。(モチベーションを持ちつづけるってそれくらい難しいのです)

目標ってそもそも何をもって目標というのか?

少年なら将来なりたいものを目標にするのか?

「プロ野球選手になるのが目標です、かっこいいから」

「お医者さんになりたい、いい生活が出来るから」

「特にないけど一生懸命に勉強していれば幸せになれるとママが言っているから」
(笑)

ただ漠然と目標を掲げているくらいではそれは本当の目標とは言えないだろうし、毎日目標に向ってコツコツと継続していかないと近づいていくことにもなっていない。


目標を忘れることもあればその時の気分で

「もうやめた!やっぱり無理だ!」

になってしまう・・・・・・。


私は目標は小さくてもいいと思うのです。

「今日は家のかたずけをしよう!」

「銀行に行って手続きをして来よう」

「お母さん(妻)に頼まれていたことをやってしまおう」

「日記(ブログ)を書いてみよう」(笑)

朝起きた時に、自分の中で無理をしなくても達成できること

気になっていたけど、手つかずになっていること(結構ありますよね)

を時間をかけずに

サーッとやってしまうのです。

これは目標を達成したなんてものじゃないかもしれない。

でも、心はかなり満足しているのです。

「お前もなかなかやるじゃないか」

と自分で自己満足に浸れるのです。

この小さな目標を達成させることを毎日のように続けていくと

自信が生まれます。

そしていつの間にか

以前立てていた

大きな目標にも近づいていっていることに気づくのです。

イチローも立てている小さな目標

あなたもやってみませんか?わーい(嬉しい顔)手(チョキ)



  

2017年5月20日 (土)

医療業界は終焉を迎える



今、かなり大きな、有名な病院でも経営危機にあるそうです。

一昔前のように薬をバンバン出していくらでも儲かる時代ではなくなり、「薬は毒」という常識?も拡がり始め、それに拍車をかけるようにAI(人口知能)のお医者さん?が膨大なデータに基づいて、的確な診断をしているそうです。

5つの病院に通ってそれぞれ違う診断をされて困っている患者さんがいる。

一方で、AIが出した薬を飲んで即治った患者さんがいるそうです。

そうなると高い給料を払って病院経営をする必要は無くなります。

北海道のある地区では、お医者さんが居なくなったために病人が増えるどころか減ったという皮肉な結果が出ました。

お医者さんや薬に頼ることが出来なくなったために自分で治そうとする人が出たからではないでしょうか?

これからは、自分の病気は自分で治す、癒すようになります。

人間とは光の波動体で出来ていることを知り、下丹田を極める人は自分で自然治癒力を高め波動調整が出来るようになるのです。

病院とは外科的な分野だけが残ることになります。

これから薬学や医療関係を目指す人は気の毒ですが、医療関連の需要は極端に減っていきます。

それでは老人が増え、介護施設や老人ホームは残るでしょうか?

それも無くなります。

波動調整が出来るということは、自分の波動(エネルギー)をコントロールすることが出来るのです。

そして人間は創造主(我即神也)です。

自分で自分をどのようにも変化させることが出来るのです。

80歳のおばあさんが、17歳の女子高生に戻りたいと思えば(想像すれば)その通りになるのです(笑)

アセンションとはそういうことです。

想像(創造)した通りの自分になれる。(今の世の中では想像も出来ませんよね、でも真実です)

医療業界だけではありません。

ありとあらゆる既存の産業がほとんど無くなります。(必要とされなくなるから)

そして新しい文化(精神文明)が生れる。

これから世の中は加速度的に変わって行きます。

もちろん善い方向へと向かいます。


世界平和の祈りは、自分で波動調整が出来るようになるための基礎のツールです。

神界と通じていないと波動(エネルギー)は動かないからです。

波動とはエネルギーであり気です。

気功とは、気の働きです。

気功とは何なのか?
 


幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の 「気を付けて」は英語で「Good bye」=「God by you」であり、

スペイン語で「Adio's」の「dio's」は神の意味である。気とは神の意味である。



神様の気持ち、み心がわかるようになったとき

始めて波動調整が出来るようになるのです。


神様と波動が合う祈り言葉

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/



   


  

テレビに向かってぼやいたり、悪口を言っていいのか?


 

言葉が言霊でありエネルギーが宿っているとわかったとき、面と向かって相手に言うのではなく、間接的に言うのはまだましかな?と思う気持ち、わかります。

ニュースなどで幽界のお化けちゃんに取り憑かれて馬鹿なことをしてしまった人、お酒を飲んで死亡事故を起こす人、政治家で失言する人、教育者でありながら淫行行為をする人、

・・・「バカだなぁ」「なんて奴なんだ!」と怒りたくなる気持ちはわかります。

しかしそこがテレビであっても罵詈雑言を放ってしまってはいけないのです。

なぜならば、相手に対するそのエネルギーは相手の人にも届きますが、ブーメランのように自分に返って来るからです。

マイナスのエネルギーもプラスのエネルギーも2倍になって返って来ます。

これは宇宙の法則なのです。

消えて無くなったり、どこかで吸収されることはありません。(そして宇宙で蓄積され、業となりカルマになります)

前世で行なった想念行為が今生で返って来るのと同じです。

自分の心の内でなんとか抑えられるほどのストレスだったらいいのですが、どうしようもなく溜まった鬱憤はどうするのか?

相手にぶつけることができないのなら自分の中で溜め込むことになります。

これもよくありません。

そこで守護霊さんは、「私にぶつけなさい」「私に吐き出しなさい」とおっしゃっておられます。

私もどうしようもなく苦しかったとき、思いっきり守護霊さんの悪口を言ってスッキリしたことがあります。

「オレがこんなに苦しんでいるのになんで助けてくれないんだ、お前は守護霊だろう?守るのが役割だろう?バカヤロー、しっかりしろ!」と聞くに堪えないような悪口を言った覚えがあります。

そんなこと言って大丈夫なのか?と思いますよね(笑)

守護霊様はものすごい強くそして優しい人(霊止)なのでしっかり受け止めて想いを消してくださるのです。

・・・

その方法もありますが、私はマイナスやぼやきが湧いて来た時には、「世界平和の祈り」を祈るようにしています。

するといつの間にか怒りの感情が消えているのです。(世界平和の祈りは光の溶鉱炉なのでどんなマイナスの想いも消して、プラスにして還してくださるのです)

どちらも試してみることをお薦めします。

 

「守護霊・守護神に代わってあなたに語る」

 

6、羨望の心が湧くのも致しかたない。 
  
嫉妬心にもだえるのもまたこれ仕方がないではないか。 
  
そして人の幸福を妬み人の不幸を心ならずも喜ぶのもまた致しかたない。 
  
人の心は感情によって左右されるものであるから、感情を無くさない限りこのようなことはすべて人の心の中に起こり得る現象である。 
  
この世は物質肉体の世界、完全なる霊なる世界と違って不自由な束縛ある世界、よくないことだと充分にわかっていながら、正しいことではないと充分に理解していながら、神から反している行為だと充分に納得していながら、やはり現れてくるのが現実なのである。 
  
おさえる必要はない、出すだけ出すがよい。

だが、出来るだけ人に迷惑がかからないように出してゆくのだ。 
  
相手にまともにぶつからず、声を出して私にぶつけなさい、私にどなりなさい、私に非難をあびせかけるがよい。 
  
私はあなたの心が充分にわかるだけに、あなたが愛しくて可哀相でならない。 
  
私の大きな翼であなたを包んであげよう。 
  
癒してあげよう。 
  
心の中にある鬱憤をすべて私に吐きすてるのだ。 
  
私が聞いてあげよう。 
  
私が代わって祈ってあげよう。 
  
あなたがあなた自身で祈れる時がくるまでは。

 偽善者 になるよりはよほどよい。


 

『守護霊・守護神に代わってあなたに語る』西園寺昌美



  



  


  

下丹田ダイエット(これがほんとうのダイエットです)


 
アセンションを迎え、近い将来の私たちはみんなちょうどいい体型を保つことになります。

それはなぜかと言いますとテレビやSF映画などに登場する宇宙人はみなスリムです。(笑)

そして進化した大人の宇宙人はみな穏やかで感情を顕わにすることはありません。

地球人が「幼い兄弟たち」と言われているのは、感情のコントロールが出来ていないからです。

先日、太っている女性たちがダイエットに挑戦するテレビ番組を観ていたのですが、共通して言えることは、みなさん感情的であったということです。

一喜一憂し、泣いたり怒ったり、悩んだり、がっかりしたり感情の起伏が尋常ではなかったのです。

「やけ食い」という言葉がありますが、感情を紛らわす為に、イライラを抑え込むために食べ過ぎるのです。

お腹が空くと体は糖分を要求します。

そして「糖分を補え」という指令が来るのです。

ほんとうは少しの糖分で空腹は満たされるはずなのですが、感情的になっているとセンサーが働かず、食べても食べても、「これでいい」というメッセージが届かないのです。

食べていいものと悪いものをジャッジするときに「自分の体に聴け」と言います。

その人の体に合わないものはちょっと食べてみると「あれっなんだかおかしいぞ、やめておいたほうがいいな」とわかるはずです。

体の細胞が拒絶反応を起こすからです。

だがしかし私たちは人間が本来持っているセンサーが鈍くなってしまいました(無限なる直観!)

自分にそんな素晴らしい直観があるとは思っていないので置き忘れてしまったのです。

だがしかし下丹田(へそ下3.5センチ)には、抜群のセンサーが宿っています。

食べていいものか、悪いものか、これ以上食べてはいけないのか?だけでなく、これは正しいのか?正しくないのか?この人は信用していいのか?いけないのか?など、五感を超えた能力、叡智、直観力が詰まっているのです。(先日ご紹介した「女は胆力」園田天天光著を読んでください)

私は、巷に溢れるダイエットは、かなりの確率で失敗すると思います。

リバウンドすると思います。

それは感情をコントロールできたわけではないからです。

冷静になったわけではないからです。

センサーが働かないからです。

下丹田を意識していると感度が上がります。

五感を超えたセンサーが働きます。(ちょうどいい量のところで「もういいよ」がわかり空腹感も無くなる)

それは、下丹田が神界とつながっているからです。

神界にはほんとうの自分がいる。

冷静で穏やかで感情を超えた不動心のパーフェクト(我即神也)な自分がいるのです。

食欲は感情です。

感情をコントロールするには下丹田を意識すればいいのです。

前にも書きましたが、下丹田(へそ下3.5センチ)に小さな透明のカプセルがあるのをイメージしてください。

そしてそのカプセルの中に肉体の自分を小さくして入れるのです。

そして世界平和の祈りを祈りながら徐々にスピードを上げてカプセルを回転させます。

イメージするだけで下丹田は熱くなっていきます。(ことわざで「へそで茶を沸かす」があります)

下丹田は、体の中で一番エネルギーが交流、交差する場所です。

そしてシェルターでもあります。(マイナス想念をブロックし余計なことを考えなくなります)

そこは台風の目のような場です。

台風の目は、台風の中心にあり、どれだけ周りが荒れ狂っていてもそこはまったく動いていないのです。

回っているコマの中心が回って見えないのと同じです。

そうです、下丹田でカプセルを回すのは、コマを回すことと同じです。

下丹田を意識しカプセルを回すと自分や周りが浄化されていきます。

自分が冷静になるだけではなく、センサーが働くだけではなく、悪いものが早く消えて周りも調って行くのです。

たくさん書いてしまいました(笑)

まずは、下丹田を意識すると、無敵のダイエットが出来ると理解してください(それだけではもったいないですね!)




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  

 

2017年5月18日 (木)

宇宙法則に乗るにはどうすればいいか?


 

アセンションとはつまり、進化した宇宙人の仲間入りをするということです。

そのためには宇宙の法則に乗ってしまえばいいのです。
 

宇宙は無限なる愛、無限なる調和、無限なる平和 の波動で溢れています。


地球も人間ももうしばらくするとそうなるのです。 わーい(嬉しい顔)


ここでも宇宙の法則を五井先生がわかりやすく説明してくださいます。

 

 


 
問37

宇宙法則とはどういうことでしょうか?







宇宙法則というのは根本は大調和ということです。 調和にむかって進むことは宇宙法則にのったことです。

怒りの心でふつかってゆく、相手を怨む、相手を憎む、或いは嫉妬する。

そういうものは自分がいかに正しくても宇宙法則に外れているのです。

自分が正しいことをしている、相手が悪いことをしている。

だからあいつは憎らしい、あんなやつはこの世にいる必要はない、殺してしまえばいい、と思ったら、その人の行いは正しくても、その想いは正しくない。

宇宙の法則に外れている。 いかに自分が正しい立場にあっても、怒りを発して想いを乱したら、自分の心が乱れます。

自分の心を乱すということは、宇宙法則に外れたことなのです。

宇宙法則にのるということは、いつも心がスッキリ青空のように晴れやかであるということです。

自分の心も、人に与える波動、いわゆる雰囲気も調和しているということが大事なのです。

口ではいうけれど、なかなかいつもそういうようになりませんね。

そこで、自分が正しいのに、相手が悪いのに、このヤロウがいるからこの世の中は悪いのだ、あんなヤツは死んじまえばいい、とたまたま思います。

思った場合に “しかしこれは消えてゆく姿なんだ” と思って、世界平和の祈りに切りかえるわけです。

世界平和の祈りをすると、どんな人でも宇宙法則にのることになるんです。

どうして宇宙法則にのるかというと、世界が平和になることは神さまのみ心だから。

神さまのみ心がそのまま宇宙法則なんです。

ですから、世界人類が平和でありますように、と思えば、自分の中の消えてゆく姿の想いが起っても、それは神さまのみ心の中で、大光明の中で消されてゆくわけです。

自分の中にはいろんな想いが起ります。

想いを起こすまいと思ったら、かえって苦しくなってしまいます。

ところが普通の宗教では、悪いことを思ってはいけない、怒りの想いを出してはいけない、妬みの想いを出してはいけない、ずるい心を起してはいけない、臆病な想いを出してはいけない、というわけです。

いけない、いけないばかりで、どうしていいかわからないのです。

そこで私は、どういうかというと、地球界にいる人では、怒りも出るでしょうし、妬みも出るでしょうし、怖れも出るでしょうし、いろんな業想念が出るにきまっている。

出てくるのがいけないのではなくて、いけないのは初めからわかっているのだから、いけない想いを神さまのみ心の中で消してもらう。

み心の中で消してもらうにはどうしたらいいかというと、世界平和の祈りをなさい、といって、消えてゆく姿で、世界平和の祈りにしてしまうわけです。

あんまり、これじゃいけない、これじゃいけないと想うと、自分がせまく縮こまってしまいます。

もちろん、間違ったことも思うのだから、これはいけないと思ったら、いけないと思うのが正しいのであって、いけないと思ったら、それを世界平和の祈りの中に入れて、そして神さまに消して頂く。


そうするといつもいつも宇宙法則にのっているわけです。




  「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版




 

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


 

肉体も心も宇宙もすべては波動です


  

波動といってもよくわからないですよね。

宇宙も人間も肉体も心もすべては波動なのだ

と言われてもわかりません。

人間とは一体何なのか?

死んだらどうなるのか?

学校でもテレビでも教えてくれない

そんな大切なことをわかりやすく五井先生が答えてくださいます。

「質問ありませんか?」という本から抜粋したものなのですが、人間という本質が少しでもわかれば生きる力が湧いて来ます。

よかったら読んでみてください。





 
問 44


人間が神によって生かされている、という尊さと、人間が肉体界における義務をおわりまして昇天するその意義深さをお話し願いたいと思います。










肉体は一つの現れなんだ、とか、本当の人間性、人間の生命が現われた一つの形が肉体なのであって、肉体は実在じゃないんだ、といくら説いてもなかなかわからない。

何故かといいますと、肉体という衣をピッタリとまとっていまして、肉体の中にすっかり入りこみ、肉体の中で考え、肉体の中でものを食べ、働いている感じですね。

ところが実はこれは粗雑な一つの波にすぎないんです。

万事はみんな波動なのです。

ここに机があります。 これは木で出来ています。木はいろいろな元素で構成されています。元素は原子で出来ています。 原子は電子と陽子で出来ていますね。

陽子は素粒子によって構成されています。素粒子は字の通り粒子であると同時に、波動でもある。

結局波動の現れがこの形になっているわけです。 

みなさんの肉体も波動なのです。 心もやはり波なのです。

噂をすれば影とやらで、誰々がなんとか、というとその人が来たりするでしょ。

それはその人の波を感じるわけですよ。 万物はすべて波動なのです。

ただ精神波動と物質波動があるわけです。 簡単にいえば微妙な波動が精神波動で、粗い波動が物質波動なのです。

肉体というものは粗い波動なのです。 幽体は肉体より微妙になり、霊波動はそれよりもっと微妙、神霊波動というものはもっと精妙微妙です。

人間というものは、微妙な波動から粗い波動まで広い範囲で現われてくる。

微妙な体を何重にもまとって、肉体界にいるわけです。

今、肉体肉体と肉体ばかりのことを思っているけれども、実は肉体の波動の現れを終えますと、今度は幽体なら幽体に、霊体なら霊体にゆく。

いいかえると、神さまの世界があって、神さまのみ心から生命の光が流れてきている。

それが肉体界まで届いて、肉体の波動を作っているわけです。

その光が肉体をはなれて幽体まで行っちゃうと 「死」 ということになる。

また幽界から霊界のほうへゆくと、幽界もなくなってしまう。

霊界から神界のほうへゆくと霊界もなくなっちゃう。

というふうに光が来ている所、光が停まっている所があるわけです。

今、みなさん方は光が肉体に停まっているわけです。

生命の光が肉体にとまっている。

そこで働いているわけです。

だから肉体の自分が自分だと思っているわけです。

肉体の人間が死んでしまうということは、生命の光が肉体をはなれることです。

霊線というのが後頭部にありまして、その霊線がきれて、光がはなれてしまうと肉体がバタッと倒れて死んでしまう。

そうなると、肉体の自分がまずなくなっちゃう。

しかしなくなったんじゃなくて、本体は天のほうにあるわけですね。

他の微妙な体のほうに移動してゆくわけです。

今度は霊体の中で生きている。だから肉体が死んだからって 「人間」 が死んでいるわけじゃないんです。

永遠に生きているわけです。

無限に進歩して生きているのです。

それを肉体だけと思う癖が長い間ついているのです。

毎朝おみおつけを食べなきゃいられない人は、おみおつけを食べなきゃいられない。

タバコをのんでいる人は知らないうちに、パッパッとすっている。

全然無意識にのんでいますよね。 あきらかに癖です。

そのように人間は肉体だという想いの癖がついているわけです。

それをお釈迦さまやイエスさんという聖者は 

「人間は肉体じゃないんだ、神のみ心なんだ、生命なんだ、光なんだ」 というわけです。

それで説明するんだけれどわからない。 私たちだとよくわかる。

そういう世界をよく知っているわけ。 村田さんも霊界通信に書いています。

肉体をはなれたけれど、霊界で生きている人を書いています。

あのように霊界には霊界の生活があって生きているわけ。 それでこちらの世界でもってあらゆる苦しみをなめたり、修行したりして、魂がきれいになっていると、いい所へいくわけです。

肉体をぬけて幽界へ行ったり、霊界へ行ったりします。

それも輪廻転生(りんねてんしょう)の世界なんです。

しかし輪廻転生しない、生き通しに生きている本当の世界があるのです。

それはどこにあるかというと、神さまのみ心の中にある、自分の本心が神さまの生き通しの生命にありながら、肉体波動はグルグル廻っていることを知っているということになれば、これは菩薩。

ある時は肉体へ行って人のためにつくす。

ある時は幽体へいって迷っている人を救い、ある時は、霊体へ行って光を放つ、というふうに、尽している自分を知っている人になれば菩薩さま、あるいは仏さまになるわけね。

皆さんも今は気がつかない、あるいは気がついている人もあるけれども、知らない間に世界のためにつくしているのです。

世界人類が平和でありますように、といつもいつも世界のことを思い、人類が平和であるようにと祈っている。

それは大勢の人のことを思っているわけですね。

それは愛の行為です。

愛の行為をすることを菩薩行というのであり、常に人のためにつくしているひとを菩薩というのです。

皆さんは、いつも世界平和の祈りをして菩薩行をしているわけですね。

だからこの肉体の小さな自分にいるように思うけれども、知らない間に、実は人類という大きな広い世界に生きているわけです。

だからそういう広い心を持っていれば、肉体をはなれても霊界のいい所へ行くわけです。

想いが常にどこにあるか、どこに住んでいるか、肉体界のみに住んでいるのか、あるいは神さまのみ心の中に住んでいるのか。

神さまのみ心の中に住んでいれば、自由自在に生きられる。

生きて肉体にいても自由自在、死んであちらへいっても自由自在。

肉体にこびりついていれば、肉体にいても自由自在じゃないし、死んだ世界ではまた不自由な波の中に閉じこめられてしまう。

すべてが自分の想いによってきまりますね。

だから、想いをいつも神さまのみ心において、明るく人のために尽して生きていれば、その人は自由に生きられる。

これはお話でなくて事実がそうなんです。






   「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版


  

肉体も心も宇宙もすべては波動なのです



 

波動といってもよくわからないですよね。

宇宙も人間も肉体も心もすべては波動なのだ

と言われてもわかりません。

人間とは一体何なのか?

死んだらどうなるのか?

学校でもテレビでも教えてくれない

そんな大切なことをわかりやすく五井先生が答えてくださいます。

「質問ありませんか?」という本から抜粋したものなのですが、人間という本質が少しでもわかれば生きる力が湧いて来ます。

よかったら読んでみてください。





 
問 44


人間が神によって生かされている、という尊さと、人間が肉体界における義務をおわりまして昇天するその意義深さをお話し願いたいと思います。










肉体は一つの現れなんだ、とか、本当の人間性、人間の生命が現われた一つの形が肉体なのであって、肉体は実在じゃないんだ、といくら説いてもなかなかわからない。

何故かといいますと、肉体という衣をピッタリとまとっていまして、肉体の中にすっかり入りこみ、肉体の中で考え、肉体の中でものを食べ、働いている感じですね。

ところが実はこれは粗雑な一つの波にすぎないんです。

万事はみんな波動なのです。

ここに机があります。 これは木で出来ています。木はいろいろな元素で構成されています。元素は原子で出来ています。 原子は電子と陽子で出来ていますね。

陽子は素粒子によって構成されています。素粒子は字の通り粒子であると同時に、波動でもある。

結局波動の現れがこの形になっているわけです。 

みなさんの肉体も波動なのです。 心もやはり波なのです。

噂をすれば影とやらで、誰々がなんとか、というとその人が来たりするでしょ。

それはその人の波を感じるわけですよ。 万物はすべて波動なのです。

ただ精神波動と物質波動があるわけです。 簡単にいえば微妙な波動が精神波動で、粗い波動が物質波動なのです。

肉体というものは粗い波動なのです。 幽体は肉体より微妙になり、霊波動はそれよりもっと微妙、神霊波動というものはもっと精妙微妙です。

人間というものは、微妙な波動から粗い波動まで広い範囲で現われてくる。

微妙な体を何重にもまとって、肉体界にいるわけです。

今、肉体肉体と肉体ばかりのことを思っているけれども、実は肉体の波動の現れを終えますと、今度は幽体なら幽体に、霊体なら霊体にゆく。

いいかえると、神さまの世界があって、神さまのみ心から生命の光が流れてきている。

それが肉体界まで届いて、肉体の波動を作っているわけです。

その光が肉体をはなれて幽体まで行っちゃうと 「死」 ということになる。

また幽界から霊界のほうへゆくと、幽界もなくなってしまう。

霊界から神界のほうへゆくと霊界もなくなっちゃう。

というふうに光が来ている所、光が停まっている所があるわけです。

今、みなさん方は光が肉体に停まっているわけです。

生命の光が肉体にとまっている。

そこで働いているわけです。

だから肉体の自分が自分だと思っているわけです。

肉体の人間が死んでしまうということは、生命の光が肉体をはなれることです。

霊線というのが後頭部にありまして、その霊線がきれて、光がはなれてしまうと肉体がバタッと倒れて死んでしまう。

そうなると、肉体の自分がまずなくなっちゃう。

しかしなくなったんじゃなくて、本体は天のほうにあるわけですね。

他の微妙な体のほうに移動してゆくわけです。

今度は霊体の中で生きている。だから肉体が死んだからって 「人間」 が死んでいるわけじゃないんです。

永遠に生きているわけです。

無限に進歩して生きているのです。

それを肉体だけと思う癖が長い間ついているのです。

毎朝おみおつけを食べなきゃいられない人は、おみおつけを食べなきゃいられない。

タバコをのんでいる人は知らないうちに、パッパッとすっている。

全然無意識にのんでいますよね。 あきらかに癖です。

そのように人間は肉体だという想いの癖がついているわけです。

それをお釈迦さまやイエスさんという聖者は 

「人間は肉体じゃないんだ、神のみ心なんだ、生命なんだ、光なんだ」 というわけです。

それで説明するんだけれどわからない。 私たちだとよくわかる。

そういう世界をよく知っているわけ。 村田さんも霊界通信に書いています。

肉体をはなれたけれど、霊界で生きている人を書いています。

あのように霊界には霊界の生活があって生きているわけ。 それでこちらの世界でもってあらゆる苦しみをなめたり、修行したりして、魂がきれいになっていると、いい所へいくわけです。

肉体をぬけて幽界へ行ったり、霊界へ行ったりします。

それも輪廻転生(りんねてんしょう)の世界なんです。

しかし輪廻転生しない、生き通しに生きている本当の世界があるのです。

それはどこにあるかというと、神さまのみ心の中にある、自分の本心が神さまの生き通しの生命にありながら、肉体波動はグルグル廻っていることを知っているということになれば、これは菩薩。

ある時は肉体へ行って人のためにつくす。

ある時は幽体へいって迷っている人を救い、ある時は、霊体へ行って光を放つ、というふうに、尽している自分を知っている人になれば菩薩さま、あるいは仏さまになるわけね。

皆さんも今は気がつかない、あるいは気がついている人もあるけれども、知らない間に世界のためにつくしているのです。

世界人類が平和でありますように、といつもいつも世界のことを思い、人類が平和であるようにと祈っている。

それは大勢の人のことを思っているわけですね。

それは愛の行為です。

愛の行為をすることを菩薩行というのであり、常に人のためにつくしているひとを菩薩というのです。

皆さんは、いつも世界平和の祈りをして菩薩行をしているわけですね。

だからこの肉体の小さな自分にいるように思うけれども、知らない間に、実は人類という大きな広い世界に生きているわけです。

だからそういう広い心を持っていれば、肉体をはなれても霊界のいい所へ行くわけです。

想いが常にどこにあるか、どこに住んでいるか、肉体界のみに住んでいるのか、あるいは神さまのみ心の中に住んでいるのか。

神さまのみ心の中に住んでいれば、自由自在に生きられる。

生きて肉体にいても自由自在、死んであちらへいっても自由自在。

肉体にこびりついていれば、肉体にいても自由自在じゃないし、死んだ世界ではまた不自由な波の中に閉じこめられてしまう。

すべてが自分の想いによってきまりますね。

だから、想いをいつも神さまのみ心において、明るく人のために尽して生きていれば、その人は自由に生きられる。

これはお話でなくて事実がそうなんです。






   「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版

どんなときにも感謝出来る光の波動体になりましょう


 
かなり前のことですが、私は中央卸売市場で働いていたことがありました。

その前職は保険の営業です。

まったく畑違いの仕事だったのですが、それまでの数字を追いかける仕事に耐えられなくなり、体を使った健康的?な仕事をしたくなったのです。

当初は新鮮でした。仕事を覚えるのが楽しく「こんなに良い仕事が世の中にはあったんだ、自分は幸せ者だ」とまで思っていました。

がしかし(笑)仕事を覚えるにつれ、時間が経つにつれ、いろんな人と接触するにつれ当初の感動は薄れ、逆にストレスが溜まってきました。

「市場の人たちの波動が粗い」「マイナスの言葉が飛び交っている」「人を傷つけるような言葉を平気で言ってくる」

これらのエネルギーに振り回され、仕事でも失敗したこともありました。

そしていつの間にか感謝出来ない自分になっていました。

人は感謝が出来ないと、少ないとそれに比例して不幸になっていきます。

当初の幸せ感はなんだったのか?

あのときの感動はどこへ行ったのか?

「もう一度あのときの心境に戻りたい」と思った私はメンターに「感謝出来ない自分がいるのです。情けないです」と打ち明けました。

するとメンターは私の心を責めることは一切せず、あっさりと「感謝行をしたらいいんですよ」とおっしゃったのです。

目からウロコでした。

「そうだ、感謝の出来る波動体(エネルギー体)になればいいんだ」とわかったのです。

私たち人間の本体は光の波動体です。

そして感謝は光です。

だから光を増やせばいいのです。

感謝の言霊をエネルギー体にインプットしてやればいい。

感謝(光)のエネルギー体そのものになってしまえばいい。

そうすればどこを押しても感謝の気持ちしか出て来なくなる。(笑)

それまで感謝行はしていたのですが、気合が入っていませんでした。

「感謝出来る自分になるんだ」という気持ちが足りなかったのです。

私たちは感謝が足りません。

大自然にこれだけお世話になっているのに、無償の愛を注いで戴いているのに、生きとし生けるものの恩恵を受けているのに不平不満ばかりを言っています。

その不平不満が集合意識となって、想いの輪となってマイナスのエネルギーを増幅させてしまっているのです。

不平不満の気持ちを持った人がたくさんいる、感謝出来ない人が多過ぎる、だから地球や大自然(宇宙)が怒って?波動調整のために地震等の天変地変を起こすのです。

地球世界感謝行はそんな人類に代わって地球上の大自然、生きとし生けるものに感謝を捧げる行です。

この印を組み言霊を唱えると、感謝が出来る自分に調っていきます。

そして感謝(光)のエネルギーは地球や宇宙に響き渡り、地球や宇宙の波動調整も行なわれるのです。(天変地変も収まるのです)

こんなに素晴らしいことはありません。

みなさんも是非、行なってみてください。

感謝出来る自分は幸せな自分です。



 白光真宏会(地球世界感謝行)


http://byakko.or.jp/method/chikyu/


感謝行の印の組み方は

一冊目の調和波動気功法以外のすべての本に掲載されています。



 
1冊目  調和波動気功法 于寿明 三晃書房

2冊目  無限なる癒し 于寿明 星湖舎 (以下同じです)

3冊目  無限次元への誘い  

4冊目  無限なる幸せを体得する方法  

5冊目  無限なる勇気  




調和波動気功法とは


http://www.harmony-wave.jp/

 


   

2017年5月17日 (水)

なんであんなにいい人が・・・・



真理カウンセラーをしていてよく受ける質問が

「なんであんなにいい人が病気になったり貧乏になったり、不幸になったりするのでしょう?」

「なんの罪もない人がどうして無残な死?殺されなければならないのか?」

「幼児を虐待して殺してしまう母親がいる、なぜそんなことが出来るのでしょう?」

「自分は一生懸命に努力している、でも豊かにならない幸せにならない、なぜ?」

これらの原因はすべて前世にあります。

今生の60年はどんなによいことをしていても、前世で1000年悪いことをしていたのなら、計悪い歴940年です。(苦笑)

だから悪いことしか現われて来ない。

また、成功哲学を一生懸命に学んでその通りに実践しても結果が出ないのはそういうことです。

しかし前世の記憶が無いのでわけがわからない。

周りの人も真理を知らないので理解に苦しむのです。

そこで占いなどで前世を知ってしまったのなら愕然とします。

絶望します。

これから20年、80歳になるまで良いことをやり続けてもまだ計920年悪いことが勝ってしまう。

自暴自棄になってもう善い人でいること、善い事をするなんてやめてしまおう。

になります。

心が前世に把われてしまいます。(心が把われることが一番いけないのです)

こうなると人生めちゃめちゃです。

これが占いの恐ろしいところです。


では、神様は救済の道をつくってはくださらないのか?

運命を変えることは出来ないのか?

出来るのです。

それは陰徳を積みまくることです。(笑)

罪(マイナス)をプラスに変えるほどの無限のプラスのエネルギーを自分の中(内)から出すことです。(下丹田を体得してパワースポットになって)

守護霊、守護神にお願いしてすがって、全托して(自分ではもうどうしようもないと一旦諦めて)神界、霊界からコテコテに汚れている前世(潜在意識)を浄めていただくことです。

守護霊、守護神にリセットして戴く

そして

因縁因果律から果因説に考え方を変えて明るい未来をイメージするのです。(果因説はこれからの新しい考え方、これから述べていきます)

これらを実践して自分が真の神になる(神我一体)のですが


基本、大元、一番大切なのは世界平和の祈りです。

世界平和の祈りは神界から五井先生を通して降りて来たのです。

神様は人間を不幸にしようなんて思っておられません。

人類全員の魂を救おうとされています。

なぜならば神は愛だからです。(か~あ み~い)

世界平和の祈りはものすごい光のエネルギーなので幽体を浄めるのです。

時空を超えているので前世も浄まるのです。

そして明るい未来を創ります。

真理(真実)を知っても、そこから何もしなければ何も変わることはありません。

運命を変えることなんて出来ません。

占いのダメなところは、事実だけを教えることです。

正しく善くなるやり方を教えないことです。

うそを教えることです。(そして壷を売りつける)

もう過去(前世)に振り回されることはやめましょう。

真理を知らぬ存ぜずで避けて生きることはやめましょう。

自分の幸せだけを願うことはやめましょう(光が弱いのです)

ここでは真理をお伝えすることは出来ます。

しかし知っただけでは何も変わりません。

人間は自分と人類同時に幸せ(平和)になってはじめて天命をまっとうするのです。

天命とは天から命ぜられた使命です。

私たちは世界平和の祈りを祈るために生まれて来たのです。




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 
追伸・・・五井先生のご講話です。素晴らしいので是非、お聞きください。


https://www.youtube.com/watch?v=pXMc0XylFFU&t=750s


  
  

人間とは光の波動体である



宇宙はすべて波動(波の動き)で出来ていることは今の科学でもわかっています。

では宇宙の一部である人間(小宇宙)はどうやって出来ているか?(目の前に現われているのか?)

それは波動の細かい精神波動と波動の粗い物質波動で出来ているのです。

精神波動とは魂、心のことです。

物質波動は肉体です。

精神波動に物質波動が合一したのが人間です。

そして大切なことは、精神波動が主で、物質波動は従ということです。

心が主で肉体が従、心に肉体が纏っている、くっついているのです。

だから肉体が滅びても、主である魂、心は残るのです。

それを今の人間のほとんどは肉体が無くなったら心まで消滅すると思っている。

目にみえるものしか存在しないと思っているので、肉体が主で、魂、心が従になっているのです。

覚者である五井先生は、肉体の死を驚くほど軽く?簡単?に説いておられます。

「肉体界の用事が終わったので、霊界に戻りま~す」

「これからは身も心も軽くなった霊界、神界で働きま~す」という乗りです。(笑)

私たちの不幸?の始まりは、死の恐怖ではないでしょうか?

だから病気が恐い、「人間は病気で死ぬ」と思っているからです。

五井先生は、「人間は病気で死ぬのではない、寿命で死ぬのだ」とおっしゃっています。

現に、病気をたくさん持っていても100歳まで生きる人がいる。

昨日までピンピン元気だった人が、突然死、交通事故などでいとも簡単に若い年齢で死んでしまうことがある。

それもこれも肉体界の役割が終わったから、必要なくなったから物質波動が無くなっただけなのです。

生命のほんの先っぽの現われの肉体が消えた、でも幽体、霊体、神体のボディは残るのです。

そして想念で汚れている幽体が浄まり無くなったら、綺麗なエネルギー体の霊体と神体だけになる。

これがアセンションなんですね。

そして人間みんなが悟りの境地、状態になります。(地上天国の完成)

話を元に戻して、

物質である肉体も顕微鏡で見れば、細胞、分子、原子、最後は微粒子の集まりであることがわかります。

非常に細かい粒子で出来ている、そしてそれが波のように動いているのです。(目を細めて相手の人の肉体を見たら波を打っているのがわかるときがあります)

そしてその波は光の粒子で出来ています。(だからパワースポットになれる)

それが人間の本体です。

五井先生が「人間は波動体である」ことをわかりやすく説明してくださっています。

是非、ご覧ください。

そして安心してください。


https://www.youtube.com/watch?v=qu-JQWJ0SSM


  
   

  

2017年5月16日 (火)

イチローは天界(神界)を現わしている

 
 
イチローが10年連続の200本安打を達成しました。(2010年9月24日のブログより)野球

イチローはバッティングだけでなく、守備も素晴らしいです。

3拍子も4拍子も揃っている、そのすべてが超一流です。

なぜ、そんなプレーが出来るかというとイチローがプレーをしているときは

空になっているのです。

つまり頭を空っぽにして、天からの本当の力をそのまま肉体に降ろしている。

だから普通の人の何倍も何十、何百倍も力が出るのです。

普通の人は肉体からしか力が出せない。

しかしイチローは天界の力を使うことが出来るのです。

それは、オーミング・アップのときのストレッチから準備は始まります。

身体の力を抜いて意識、感情を鎮めて、天界と交信するために統一に入っていく。

本人は統一を自覚してしているのかはわかりませんが、前世からの修行の習慣で自然としているのだと思います。


イチローは地球上に居て、天界の世界を肉体に現わしているのです。
 

こういう人を人は天才と呼びます。わーい(嬉しい顔)指でOK


イチローだけでなく、音楽界にも芸術界にも、もちろん一般の社会でも天の恵みを受けて、現わしている人がいるのです。

イチローはスポーツ界で、天の調べ(波動)を表現しているのです。

そしてイチローの背番号は51番です。

51とは五井先生のことだそうです。

五井先生は、肉体という器を使って肉体界に神界(宇宙)の教えを伝えました。

イチローもその器を使って、肉体界に神界の波動を伝えているのです。
 

五井先生の魂が生きているのです。


今この時期にイチローが偉業を達成したのはすごく意味のあることだと思うのです。




人間よ、空になれ!


肉体意識から脱皮して宇宙意識へシフトせよ!

 


そう言っているように思うのです。




 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

我即神也

人類即神也



  

7は完成を意味する




ついこの間七夕があったのですが七夕と言えば7月7日です(2009年7月9日のブログ)

でも、この7にすごく深い意味があるのです。

7は宇宙の完成された数字なのです。

地球も宇宙なので地球上でも7が節目になります。

一週間、潮の満ち引き、赤ちゃんの生まれる周期、ラッキーセブン、ウルトラセブン・・・・・・・・

7とは宇宙の無限を意味するのです。

それが証拠にどんな数字でも(割り切れる数字以外)7で割ると同じ数字の繰り返しになるのです。

1÷7=0.1428571

2÷7=0.2857142

8÷7=1.1428571

すべての数字が

1428571・・・・・・・・・・

の繰り返しになる

これって奇跡ですよね 夜

そしてもっと奇跡的なことは後数年で地球がまったく新しい星に生まれ変わるということです。

でも、宇宙的にみれば太陽がいつもあるように星が無限にあるように当たり前のことなのです。

地球が進化した星になることは決まっているのです。
 

でも私たちはそうは想わない。


今の状況でなぜ進化出来るんだ

むしろ退化しているのではないのか?

人間はダメな方向へ行っている



人間の頭で考えるからそう想うのです。


しかし、宇宙的に観ればそうではないのです。


本文


地球はね

今七劫という周期に入っています。

26000年ごとに大浄化されるのですが2012年がその時期なのです。

これまでに何回も浄化されてきたのですが完成までに至らなかった。

それが、今回でやっと完成するのです。

今までに完成されなかったのは、まだ生まれ変わる時期ではなかったからです。
 

愛が本物でなかったからです。

真理が本当にわかっていなかったからです。

 

地球は太陽系で一番遅れた星でした。

意識が低かったのです。

だから戦争があった

だから対立があった

だから神さまは次元上昇を認めなかったのです。
 

意識の高い星にはなれなかったのです。



肉体の自分しかみていないからです。

ダメな自分しか

愚かな人間しか

認めてこなかったからです。



私たちは一人一人が創造主なのです。

私たちは星を創っていけるのです。

そのことがわかるようになるのがアセンションの瞬間なのです。


真理とは我即神也なのです。


わたしたちが創造主なのです。


これがすべてのすべてなのです。
 


 我即神也
  西園寺昌美  白光出版  



  

世界平和の祈りはただの願い事ではない



真理の伝達をしていく上で一番難しい?まどろっこしい?のは、世界平和の凄さ、素晴らしさがなかなか伝わらないことです(笑)

それは集合意識が邪魔をします。

素晴らしさをほんとうにわかっている人が地球人類の0.000001%だとして、「なんだそんなものそんなもので地球が平和になり自分も幸せになるわけがないだろう(無限なる真理!)」と思っている人がほとんどだとしたら、私の記事を読んだ人は、「そんなもので変わるはずがない」と同じように思ってしまうのです。

想いは相手の心なので、集合意識のほとんどの想いが自分の思いになるのです。

しかし真理の言葉の力も強烈なので、スポンジに水が浸みるように確実に人類の心の中に入っています。(真理の言葉は無限のプラスのパワーがあり、マイナスの想いは有限で弱いのです)


そしてスポンジが水で浸み渡ったとき、臨界点を超えて「世界平和の祈り」をみんなが理解し祈るようになるのです。(太陽系の星の中で世界(宇宙)の平和を祈っていないのは地球人類だけです)

私は常にどうしたら一日でも早く広まるかな?と思案しているのですが、そんなときに力強い応援が入ります。

YouTubeで五井先生のご講話を見つけました。

とてもわかりやすいです。

よろしければお付き合いください。


https://www.youtube.com/watch?v=i3TeertKfXI&index=22&list=PLS5pqFae3R7GEA1KJoevh8iXIt6cXUQwJ


   

光明思想の言葉で元気になりましょう

 

私は、真理カウンセラーの仕事のほかに、3次元的な普通の仕事もしています。

その仕事の業種は広告業で、飛び込み営業もしているのです。

昨日は、ゴールデンドアに入ってハーモニーの人に会って、かなりスッキリした状態で営業に回ることが出来ました。

しかし同じ営業職の人はわかると思うのですが、人と会うということは相手の人のエネルギーを受けます、もらいます。

それも感情のエネルギーは強烈です。

入る前から、そのエネルギーを感じることもあります。

そこを何軒も何十軒も入っていくわけですから、疲れる(憑かれる)わけです(笑)

「なにしに来たんだ」

「間に合っているよ」

「いらない」

それがほとんどですよね

スッキリしてエンプティ(空っぽ)になっていた私のエネルギーはあっという間にネガティブなエネルギーに変わってしまったのです

そのことがハッキリとわかりました

「入るの嫌だな」

「もう止めようかな」

「また断れるのかな」

「間がわるかったな」

「この仕事で大丈夫なのかな?」

次々にマイナスの想いが湧いてくるのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「これではいけない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そこで昨日、ご紹介した 「光明思想徹底行」 の7×7=49 の無限の言葉を唱えたのです

するとどうでしょう、ネガティブな想いが消えてまたスッキリしたのです

つくづく 「想いはエネルギーなんだな」 と実感しました

「行動をする前に、エネルギーを整えなければいけない」

「相手の人をコントロールすることは出来ないが、自分の心はコントロールすること
は出来る」

そしてそれからまた数件、回ることが出来ました

私は、こうやって自分が直にいろんなことを経験することによりエネルギーのこと、真理のこと、人間が持つエネルギーのことを深く知ることになっているのです

このことは必ず、真理カウンセラーの仕事にも役立つと思います

だから

私は今、一切無駄なことはしていない

なんと充実した幸せなときを過ごしているのでしょう(自分で言うか)

すべての人、そしてこの環境、そして真理を知り得たことに感謝したいと思います。

 



あなたを元気にしてくれる宇宙の言霊

光明思想徹底行!(7回唱えましょう♪)

 
 
世界人類が平和でありますように

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

無限なる光

無限なる力

無限なる英知 

無限なるいのち
 

世界人類が平和でありますように

無限なる幸福

無限なる繁栄

無限なる富

無限なる供給

無限なる成功

無限なる能力

無限なる可能性

世界人類が平和でありますように

無限なる健康

無限なる快活

無限なるいやし

無限なる新鮮

無限なるさわやか

無限なる活力

無限なる希望

 

世界人類が平和でありますように

無限なる自由

無限なる創造

無限なるひろがり

無限なる大きさ

無限なる発展

無限なるエネルギー

無限なる感謝

 

世界人類が平和でありますように

無限なる喜び

無限なる美

無限なる若さ

無限なる善

無限なるまこと

無限なる清らか

無限なる正しさ

 

世界人類が平和でありますように

無限なる勝利

無限なる勇気

無限なる進歩

無限なる向上

無限なる強さ

無限なる直感

無限なる無邪気

 

世界人類が平和でありますように

無限なるゆるし

無限なる栄光

無限なる気高さ

無限なる威厳

無限なる恵み

無限なる輝き

無限なる包容力


 

2017年5月15日 (月)

肉体界・幽界は過去、霊界は現在、そして神界は未来



かなり神秘的なことを書きます。

今みなさんが今現在だと思っている今とはほんとうの今ではありません。

そして目のまえに現われてるものすべては過去、過去世の幻です。

映っては消えてゆく実体のないものです。消えてゆく姿です。

今見ている夜空に輝いている星の光は何万光年も前に光った光であり、何万光年後の今?見ているのです。(今は実在していないのかもしれませんね)

だから鏡に映っている自分や、建物、動物、鉱物、植物も過去、過去世で見ていたものを今、改めて見ている。

過去の出来事がフィルムになって映し出されているのです。

占いというのは、過去世で何をしていたかがわかるのです。

映し出される前のフィルムを見るので「あっあいつ前世でこんなことをしていたんだ」「だったら今も同じようなことをしているんだろう」と推測するのです。

だから8割は当たる。当たるも八卦(占い)当たらないも八卦と言われるのはそういうことです。

だいたい占ってもらいたいという人は、「このままの人生ではダメだ」「なんとかしたい」「原因(前世)を知りたい」と思っているネガティブな人(無限なる光!)なので8割どころか9割は当ります。

そして中には自分の人生をその占い師に委ねてしまう人が出てくるのです。

そして壷を買って魂を売ってしまうのです(苦笑)

壷やブレスレッドや水?やパワーストーンを買ったところで変わるわけがない。

それは、自分の一番肝心な本心(原点)を変えるものではないからです。

自分(本心・我即神也)が変わらなければ何も変わらないのは宇宙の法則です。

今、星占いで地球が近未来にアセンション(次元上昇)すると出ているのだそうです。

それは事実、ほんとうのことです。

しかし未来を知ろうとするのなら、意識は神界になければならない。

未来は神界にあるからです。

神界にある本心とつながった悟った意識でないとほんとうの未来は見えないのです。

ほとんどの人は神界まで突き抜けていません。

突き抜けるとは霊覚者、聖者であるということです。

霊的に目覚めた人、お釈迦様やキリスト様の意識の人たちのことです。

霊覚者は意識が神界にあるので未来がわかるのです。

地球の未来がわかるのです。

霊覚者である五井先生はもちろんご存知でした。

地上天国が訪れることをおっしゃっておられました。

そしてそのためにはどうしたらいいか?というメソッドももちろんご存知だった、そしてそのときに宇宙神と約束されたのです。

世界平和の祈りを人類が祈ることによって人間が肉体意識から神意識へと移行させるのだ、と。

それがほんとうのアセンションです。

一方、アセンションの事実は知っているけれども、意識が幽界(過去)にある人にとって真実の未来へのプロセス(道程)はわかりません。

見えているのは、道どころか幽界の地獄図です。

業(マイナスのエネルギー)であったりカルマ(真っ黒な雲)ばかりです。

「なんでこんな状態なのにアセンションは起こるのだろう?」

わけがわからなくなっていると思います。

でもお金は儲けなければならない。

だから「少しでもアセンションしやすくなるためにはこの石やブレスレッドが必要ですよ」くらいのことしか言えないのです。

意識の次元を変えないと、ほんとうの未来は見えてきません。

本来の素晴らしい自分にもなれません。

肉体界・幽界は過去、霊界が現在、未来は神界だと知ってください。

そしてこれからはみんなが神人(しんじん)になって霊覚者(パワースポット)になるのです。

そのために世界平和の祈り、印、マンダラが降ろされたのです。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  

  

下丹田について3(女は胆力)

一昔前に、「男は度胸、女は愛嬌」と言われていたのですが、これは肝心なこと(決断、勇気)は、男に任せて女の人はただ愛想よく笑っていればいいというかなり女性蔑視な言葉だったと思います。

 

でもこれは裏を返せば、女性に丹田(胆力)をわからせてしまえば、完全に女性に実権、主導権、リーダーシップを取られてしまう。

 

それでは男の立場、価値がなくなってしまう、だからほんとうのこと(胆力の凄さ)は封印されていたのだと思います。

 

そしてただ「丹田は凄いんだよ」と教えられても、即理解して素直に実践出来る人、結果を出せる人も少なかったことも事実です。(一休さんの話からもわかると思います)

 

しかしこれからは、男女問わず、下丹田を使いこなしほんとう能力を発揮出来る人が次々に現われるのです。(人間は本来持っている力のほんの数%しか出していない)

 

ところで女性は男性に比べて勘(直観力)が鋭いと言われています。

 

そして女性は、「子宮でものを考える」とも言われています。

 

これは知らず知らずのうちに、下丹田に意識が行っているからです。

 

子どもを宿し育む子宮という臓器が下丹田の近くにあるため下丹田で考える癖がつくのです。

 

妊娠している時は、子宮(下丹田)を意識しているので、精神状態も安定します。(下丹田は神界なので)

このまま下丹田を意識し集中し続ければ達人(悟る)になってしまうのですが(笑)、子どもを産んでしまうと意識は子宮(下丹田)から離れます。

 

私はこれから下丹田を正しく使うためのメソッドを説明していきますが、その前に

 

下丹田がどれだけ人間にとって大切なもので

 

下丹田無しでは生きていけないことを頭で(理論)で知っていただきたいと思うのです。(特にこれからの世の中に必要)

 

腑に落ちるとは、頭と心で納得することを言います。

 

頭だけでもダメです。

 

心(魂)だけでもダメです。

 

まずは頭で理解して

 

「是非、体得したい」

 

と心から思ったとき

 

人間は真剣になります。

 

それくらいの気持ちで取り組んでいただきたいと思います。

 

でないと中途半端で終わります。

 

中途半端で終わるくらいなら、知らないほうがましです。

 

時間の無駄です。

 

では、下丹田の重要さがわかる読んで楽しくなる本をご紹介します。

 

「女は胆力」 園田天光光著平凡社新書 です。

 

胆(たん)とは下丹田のこと、そして力はパワーです。

 

下丹田にはもの凄いパワーと智慧、直観力が宿っている

 

園田天光光さんは、戦中、戦後、次々に訪れる修羅場を下丹田を意識することで(冷静になること)で奇跡的に乗り越えて行きます。

 

そして胆力を鍛えることで益々、肝が座って、女傑と言われるまでの人物になっていったのです。

 

ただこの本では、肝、下丹田の仕組み、ほんとうの役割り(なぜ神は下丹田を人間に授けたか?)鍛え方など肝心な(笑)、詳しいこと大切なことは書いていません。

 

それを述べていくのは私の役割です。

その前に

 

「下丹田(胆)って凄いんだな」

 

「私も天光光さんみたいな人になりたい」

「下丹田を使いこなしてみたい」

「下丹田をもっと詳しく知りたい」

 

と思っていただくことが先決です。

そこからはじめまて行きましょう。

 

 

 

2017年5月13日 (土)

近い将来お酒を飲まなくなる時代がやって来る(お酒の粗い波動に人間が合わなくなるのです




 「最も危険な薬物はアルコール」 なのだそうです。

 

 

お酒はドリンクではなく薬物だった 

結構衝撃的ですよね。

私はほとんどアルコールは飲まないのですが、同窓会の集まりで居酒屋さんなどで飲み会をするにつけ、ほとんど飲まない人の場と、かなり飲む人たちの場では明らかに波動(エネルギー)が違っていることには気がついていました。

そして、どうしても飲む人たちが多い場では、苦しくなるので遠のいて行ったのです。

私は調和波動気功を始めてからますますアルコールが合わなくなっていったのですが、地球が次元上昇するにつけ、タバコと同じように飲む人は減っていくと思います。

私ごとですが、東京の大学に行っている息子が居酒屋でドリンク(カクテルなど)をつくるアルバイトをしていると于先生にお話ししたとき、

「危険です、なにかあったらすぐに息子さんの所へ行くようにしてください」とおっしゃいました。

お酒には、人格、品格、理性を狂わすだけでなく、粗い波動の世界(幽界)に巻き込まれてしまう魔力があるのです。

仏教では五戒という戒めがあってその中の一つはお酒を飲むべからずとあるそうです。

今まで、お酒は飲みすぎなければ身体にいいとか、陽気にさせるとか言われて来ましたがとんでもないと思うのです。

お酒は薬物、覚せい剤よりもコカインよりも危険なのです。

そのことをたくさんの人に知って欲しいと思います。

 



 


【11月2日 AFP】英政府の薬物に関する独立科学委員会(ISCD)は1日、英医学専門誌「ランセット(The Lancet)」に、社会的な影響も考慮すればアルコールはヘロインやクラック・コカインなどの違法薬物よりも危険だとする研究結果を発表した。

 これによると人体への有害性はヘロイン、クラック・コカイン、(結晶)メタンフェタミンが最も高かった。

だが、医療制度や刑務所制度に及ぼす影響など、広範な社会的影響を考慮した場合、アルコールが最も危険で、ヘロインやクラック・コカインがあとに続いた。

100を最高とした危険度は、アルコールが72で、ヘロインが55、クラック・コカインが54だった。

 ISCDは、今回の研究で、現行の薬物分類制度は実際の有害性をあまり正しく反映していないことが示されたとしている。(c)AFP




http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2771799/6400144




 


追伸

息子は幸いなことに、学校のゼミの関係で就職したい先でアルバイトをすることになり、居酒屋さんでのアルバイトは辞めることになりました。

これも于先生を通して、守護霊様が守ってくださったのだと感謝の気持ちが絶えません。

人間はつくづく守られているのだなぁと思います。(それに甘えてはいけないのですが)


  
  

下丹田について2


 

下丹田の大切さに気づいている人はかなり増えています。


下丹田は、人間の基本であり日常生活でも、武道、スポーツ、芸術すべてに共通する最重要要素です。

下丹田を制する者(使いこなす人)が、すべてを制すと言っても過言ではないと思います。(個人的なことにおいても地球レベルでも)

れから時代は混沌として来る。

消えてゆく姿として(善くなるためのプロセスとして)、地獄図のようなことも起こってくる。


そんなときに求められるのは、腰の据わった、度胸の据わった、そして腹の据わった、肝の据わった人たちです。(どれも下丹田)

みんなが慌てふためいているときに、冷静に行動出来る、的確な正しい判断が出来る。

どんなときにもプラスのエネルギーを発信(心)出来る。


そんな人が周りに一人でもいればどれだけ心強いでしょう。

そして武道・スポーツにおいても、臍下丹田(せいかたんでん)は常識になっています。

どちらが強い集中力で下丹田を意識しているかで勝敗は決まります。

芸術でも音楽の声楽では「喉から声を出しなさい」とは言いません(笑)

「お腹から声を出しなさい」と言います。

これだけ凄い下丹田なのに、知れ渡らなかったのは使いこなすだけの器の人が少なかったからだと思うのです。

下丹田を見事に使いこなした有名な人は、なんと言っても「トンチの一休さん」です。

アニメで有名になりましたが、窮地に陥ったときに一休さんがしたことは、座禅を組み、意識を下丹田に集中し(頭を空っぽに)その当時の神界につながる祈りをしていたのだと思います。

本心がある神界とつながり、守護霊守護神とつながって肉体界とはまったく次元
の違った叡智、智慧、神智を降ろすことが出来たのです。(意識の次元を上げなければ3次元的なことは解決しません)

ただ不思議なのは、一休さんに出来てほかの坊主には出来なかったことですね。


それは、一休さんが前世でそれはそれは凄まじい修行をしていて既に悟っていたか?あるいは悟る寸前まで行っていたからです。

将棋界では14歳の藤井 聡太さんが破竹の連勝を続けていますが、彼は前世ですでに名人だったのです。(プラス本人の努力)

この世とは前世の続きであることは確かです。

では、前世でたいしたことの無かった俺は、ダメなのか?というとそうではありません。(なぜ決めつけるのですか?)

今、巷には一休さん、お釈迦様、キリスト様、いやそれ以上のレベルの魂の人たちがたくさん天下っているからです。

コツを覚えて実践すれば「あら出来ちゃった」になります。

特にグッドムーンのページを毎日のように観に来ている人は間違いなく前世で達人だった人です。

かなりの修行をされていました。

「えーっそんな馬鹿な、自分はそんな器(聖者)ではない」と否定すると思います。

しかし下丹田に興味がある、面白いと思うということは、すでに知っているということなんです。

前世で下丹田に関わっていない人には、面白くもなんともないどうでもいいことです。

近い将来みんなが下丹田を使いこなすようにはなりますが、準備の整っているみなさんから是非実践して戴きたいと思います。

これからもっと具体的に、どうすれば素晴らしい光の波動体(パワースポット)になれるかを書いてゆくことにします。

下丹田は科学です。

インテリの人でも「なるほど」と納得出来る説明をしていきます。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 
  

2017年5月12日 (金)

目にみえないエネルギーについて



みなさんは、目にみえるものがすべてで、大切で目にみえないエネルギーや波動はたいした影響力がないと思っておられると思うのです。

その誤解が今の世の中をつくったと言っても過言ではないと思います。

私が尊敬してやまない

キリスト様は

「1000人の人にパンを配るよりほんの一瞬でいいから冷静でいなさい」

とおっしゃっておられます。(すごい言霊ですよね)

私たちは貧しい時代に自分の財産を投げ打って?お腹を空かせている人たちを救った人を

「偉い!」と思っています。

見上げた人だと思います。(それはその通りですが)

しかしエネルギーから見ると、神様の立場?から見ると

そんなことは大宇宙の運行には大した働きはしない、そんなことよりマイナスのエネルギーを振り撒いて宇宙の運行を妨げるようなことはやめてくれ!とおっしゃっているのです。

宇宙では、パン1000個を与えるより、冷静でいることが勝るのです。

目にみえて善い事をするよりも、冷静でいるほうを神様は評価?するのです。

なぜならば、宇宙はすべて波動、エネルギーで出来ているからです。

私たち地球人は、進化した太陽系の宇宙人から

「幼い兄弟たち」

と呼ばれています。

自分の利害損得しか考えない兄弟たち (無限なる調和!マイナスを言ってしまったのでプラスの言霊で打ち消しています)

人を騙して儲けることばかり考えている兄弟たち(無限なる富!)

そして世界の平和を祈っていないのは、太陽系の惑星の中で

地球人だけなのです。

最後に世界平和の祈りのパワーの素晴らしさをお伝えします。

私たちは朝から晩まで肉体を使って動き回っています。

それはとても尊いことなのですが、意識は肉体にあるのです。

だから肉体界のほんの少しの世界にしか響かない、プラスに働かない、現実もなかなか整わない

意識は宇宙の中の自分です。

しかし世界平和の祈りは、神界と共鳴する言霊です。

意識は宇宙大に拡がります。(自分の中に宇宙がある)

神界とは宇宙のことです。

宇宙の果てまでプラスのエネルギーは響き渡り、霊界、幽界、肉体界まで網羅するのです。

ずっと肉体意識のまま1年中働き続けるのと

心を込めて

たった一言

「世界人類が平和でありますように」

と祈るのとは

それこそ雲泥万里の差があるのです。(私たちは宇宙人です)

「今日一日たいして働かなかったな」

だったとしても

「世界人類が平和でありますように」

と宇宙に響き渡る祈りを発すれば

それはあまりあるくらいの陰徳を積むことになります。(3次元で怠惰になってはいけませんが)

私は3次元の仕事は、5%で出来ると思っています。(祈っていれば整ってきます、鼻歌を歌っていても食べていけます)

あとの95%は、神様の感謝、そして世界平和の祈りに捧げるのです。

自分の命を神様に預ける、捧げる

これからそんな魂を持った人が現われてきます。

そして地球と地球人類は救われてゆくのです。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


  
  
 

 

気とはいったいなんなのか?



 
下記の本文と関連しているのですが、

「今日は、どこそこへ行かなければならない」ということが一日の中でも必ずあります。

何度もあります。

そこで、「よし行こう!」を腰をあげようとするのですが、どうも行く気がしない、気が進まない、それどころか行くと嫌なことが起こりそうな気がする・・・・。


これらのことにはすべて

“気”

という文字が付きます。

気とは一体何なのか?

 目にみえないもの、エネルギーに関するもの、気持ちを表すものにはこの、気がすべて付くのだと言っても過言ではありません。

なのに私たちは気とは何なのか?本質的なことは、何もわかっていないのです。

于 寿明先生のご著書の中に(私は調和波動気功法を20年間実践しています)



気功とは何なのか?が説明されています。
 


幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の 「気を付けて」は英語で「Good bye」=「God by you」であり、

スペイン語で「Adio's」の「dio's」は神の意味である。気とは神の意味である。



気とは神様からのエネルギーなのですね、

であれば私たちの感じる?

“気がする”

はすべて正しいと判断していいのか?


信じていいのか?
 

それは、神様からのメッセージ(直観)か、もしくは感情のどちらか、だと思ってください。

あまり深く追求すると、どちらなのかわからなくなってしまいますが、潜在意識の中で、

「あの人嫌いだからなあ」とか「行ってもなんの得にもならないしなあ」

などと感情(勘定)で迷っているのは、神様(守護霊)からのメッセージではありません。


人間というものはほとんどが損得勘定(感情)で動いているので、度々、誤った判断をしてしまうのです。無限なる叡智!
 

正しい判断力を身に付けるにはどうしたらいいか?

それは以下の本文を読んでください(笑)

きっと、ヒントが隠されていると思います。




 

本文



 
それから、未来の予言をして、人を恐怖させ、それを入信の手段としているような宗教もま
た誤れるものである。


宗教とは人間を安心立命させることが本意なのであるから、その日常生活が、宗教に入ったために、かえって不安になったり、乱れたりしては、宗教が人間に害を及ぼすことになる。


真の宗教とは、業生を超えて神仏に直通する道を指し示し、導き上げてくるものであり、真の信仰とは愛と真をますます深め高め、人類大調和創造のために、偉大なる勇気を湧き上げさせるようなものでなければならない。


宗教に入って、不安動揺するならば、その宗教が間違いか、その人の信仰が間違いかのどちらかである。


いかなる正しい宗教に入っても、直ちに安心立命の境地に入れるわけのものではないが、それは、その人、その人の信仰の深さ、信行の真剣さによって、時間の短縮はいくらでもできるのである。


真の宗教家を求めるならば、まず自己の守護霊、守護神に心を傾けて熱心に頼むべきである。


守護霊、守護神は、必ず、その人を一番適当な宗教家や指導者のもとに送りこんでくれるのである。


その時は、何か、安心に似た感じか、懐かしい、嬉しい感じがするものである。


いかに高い教えを説く宗教に誘われても、守護霊、守護神に念じてみて、行きたくなかったり、行っても心が不安であったりしたら、その時は、その人の心境に、その教えが適さないのであるからである。


なんでもまず、自己の心の指導者、行動の守護者である、守護霊に念じてみることである。


必ず現界における、善き相手をその人の前に現わしてくれるのである。

『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版


  

宇宙法則を外れない生き方(うんちは溜めずに出しましょう)



正しい生き方をするには、まず自分が何者なのか?を知らなければなりません。

私は、自分、人間を我即神也・人類即神也と言っていますが、もっとわかりやすく言えば、私たちは、宇宙人ですよね(もっとわかりにくいか)

地球が宇宙であることは理解出来ると思います。

地球は水の惑星であり、地球の7割は水です。

そして人間の体の約7割は水で出来ている(個人差はありますが)そして地球上の河川の長さと人間の血管の長さはほぼイコールだそうです。

そして人間には、神経という体のバランスを取る機能がある。

この神経というのは、神様(宇宙)が通る経(みち)なのです。

宇宙(大自然)を大宇宙としたのなら、地球や人間は小宇宙であることがわかります。

人間の体はとても神秘的です。

人間は宇宙そのものなので、宇宙の法則を外れると軌道修正をさせられるのです。

修正をしないと宇宙全体のバランスが崩れ、大迷惑を掛けるからです。

バランスが崩れると流れ星のようにその星を消して(消滅させて)バランスを取っているのです。

人間もまったく同じです。

常に軌道修正をかけられている。

その司令塔が守護霊、守護神です。

守護霊守護神は、私たちが道を外れないように24時間見守って、そしてメッセージ(神智・インスピレーション)を送ってくださっています。

愛そのもののお方?です。

だがしかし厳しさもあります。

宇宙の法則を外させることはありません。

たとえば、かわいい我孫が、お金を稼ぐのではなく、宝くじ(あるいは株、ビットコイン?)で3億円を儲けたとします。

肉体人間の本人は喜んでいるのですが、その人の生涯獲得金額は決まっているのです。

生れてから死ぬまでに得る金額は一円たりとも狂いがありません。(人間は小宇宙だからです)

その人の生涯獲得金額が1億円だとしたら2億は余分、そして1億は前借したことになります。

2億はあっという間に無くなり、1億がキープできたとしても、それ以上は入ってくることがないので、当たる以前よりも悲惨な状態になるのです。(1億がなくなった後は生涯0です)

そして病気になることも多いです。

守護神が病気にさせて人間に猛省をさせるのです。

あるいは、流れ星のように昇天させて(肉体界の死)、幽界で厳しい修行をさせることもあります。

儲けることの恐ろしさがわかられたと思います。


人間の基本は、働くことですよね。

働いてまっとうに稼いで、家族やまわりの人(はた)を楽にさせる。

働くことから愛を学び、お金の使い方、活かし方も学び、成長する。

儲けることと稼ぐことに雲泥万里の差があることがわかりますね。

そしてへた?に溜めようとせず、稼いだお金は善いことに使ってしまいましょう。

お金はエネルギーなので、流れようとします。

ウンチを溜めると便秘になったり、病気になります。(溜め込んでいる人は便秘が多い)

食べ物を入れたらウンチに変えて出します。

お金も出さないとダメなのです。(出さないと入って来ない)

江戸時代の江戸っ子が「「宵越しの銭は持たない」と言っていたのは、宇宙法則に適っていたのです。

今の時代貯金0は不安です。(笑)

少しの余裕があってもいい。

だがしかし、今の世の中は明らかに異常です。

横取り、儲け、独占、溜め込みが横行している。

これらの企業、個人は法則の通り、即淘汰されます。

これからお金に関して大波乱(宇宙の掃除)が起きそうですね。

   
    

2017年5月11日 (木)

下丹田(かたんでん)について

 
みなさん下丹田(へそ下3・5センチ)について非常に興味を持っておられるので説明のし甲斐があります(笑)

人間には7つのエネルギースポットがあります。

そして丹田にも上丹田(眉毛と眉毛の間)、中丹田(胸と胸の間)があるのですが、肉体の体の中心でもあり、天からの縦のエネルギーと3次元の横のエネルギーとが一番交流する場所が下丹田なのです。

下丹田には、ほんとうの脳があると申しましたが、自分を変えるそして地球を変えるパワースポットでもあるのです。

宇宙からのエネルギーは頭のてっぺん(百会)に入り、血管を通って60兆の細胞に生命を与え、足の裏(湧泉)から地球の中心へと流れて行きます。

この流れが滝のようにスムーズに流れると光輝いている状態であり、健康であり、人間のあるべき姿なのですが、それを邪魔しているのが、前にも述べました想い(業・カルマ)なのです。

想いは重いのです。(あとは把われですね)

綺麗に流れている川の中に大きな石を置くようなものです。

すると川の流れは悪くなり滞り、水(血)が汚れていきます。

病気のような状態になります。(これが病気の正体です)

流れは気(エネルギー)であり、気が病んだ状態が病気なのです。

人間も宇宙もすべては気、波動です。

 

人間は、天と地を意識して光の柱(パワースポット)であることを意識し、宇宙の理念である世界平和の祈りを祈ると、もの凄い量のそれもプラスのエネルギーが無限に降りて来るのです。

なぜならば、宇宙は無限だからです。

なにもわざわざパワースポットに行かなくても、自分がパワースポットになれるのです。

エネルギーで表わすと┃ですね。

このままでもかなり光輝いていますが、ここで下丹田の出番です(笑)

下丹田(へそ下3.5センチ)を意識し、そこに小さな透明のカプセルがあるとイメージしてください。

自分の体が小さくなってそのカプセルの中に入ったとイメージしそのカプセルを下丹田で世界平和の祈りを祈りながらグルグルと回すのです。(高速回転で、大丈夫です目は回りませんから)

昔のことわざ?で「へそで茶を沸かす」がありました。

へそ付近(下丹田)にはもの凄いパワーがあることを昔の人は知っていたのです。

するとエネルギーは┃の中心に下丹田があるわけですから十になるのです。

自分が十字架になる、これがキリスト様のおしゃっておられる真理です。

キリスト様(聖者)と同じエネルギー体になっているのです。

これに天と地(どちらも漢字の一を表わす)が加われば王になります。

つまり国を司る王は、天地を貫く光の柱であり、自分自身も十字架になっていなければならないということなのです。

下丹田から横に流れるエネルギーはマイナスなどではありません(笑)

宇宙からの無限プラスのエネルギーなのです。

このエネルギーに触れて人類の意識は肉体意識から宇宙意識、神意識へと変わってゆくのです。

ほんとうのアセンションの種明かしです。

今、このパワースポットになる人を神々様は求めておられます。(地球が救われるか、救われないかの瀬戸際です)

それが神人(しんじん)になるということです。

そして

5月14日(日)に行なわれる富士聖地でのSOPP(宗教、宗派を超えた祈りの場)の大行事はその大きなターニングポイントになります。

地球が大きく変わる大節目です。

私の記事を読んでいただいている方も参加してくださいます。

その方の守護霊様、守護神様が大変喜んでおられます。

入場無料です(笑)

お時間のある方、交通費の出せる方は是非、ご参加を考えてみてください。

でも、世界平和の祈りを祈ってくださるだけでも十分です。

ご無理はなさらないでください。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 

2017年5月10日 (水)

悟るについて



「悟るって難しいものではない、余計なことを思わなきゃいいんだ」

「人は想わないでいいことばかりを想っている」

「想いをためるなサラサラと流せ」

これらはすべて五井先生の如是我聞から抜粋したものなのですが、まず悟るってことがどういうことなのか?を説明致します。

まず人間は目にみえるものだけが実在するものだと信じ、肉体が滅べば魂も心も無くなるとほとんどの人は思っているのです。

肉体人間の不幸とは、自分が何者であるか?どこから来たのか?死んだらどこに行くのか?

こんな基本的な知っていて当然のことを知らないことにあります。

だから目に見える取るに足らないことにこだわる、把われる、執着する

病気に把われ、健康に把われ、金持ちに把われ、貧乏に把われ、善いことにも悪いことにも把われっ放しなのです。

心が把われ、心がガンジガラメになった状態を不幸と言うのです。

みなさんは経験ありませんか?

何も考えずに恋愛しているときは楽しかったのに

相手を意識し、結婚を意識し、相手の気持ちを知ろうとしたときに自分の心が苦しくなります。

これを「恋の病」と言う(笑)

こんなことなら付き合わなければ良かったと思う人もいると思います。

反対に、自分が何者か?(我即神也)を知り、

どこから来たのか?(神界から)を知り、

死んだらどこに行くのか?(霊界・神界へ往く)を知り、

自分がなんのために生まれてきたのか?(世界平和の祈りを祈るために生まれてきた)を知り

神界に居るほんとうの自分(本心)と肉体人間の吾が一体(統一)した状態(エネルギー体)になったとき

人間は至福のときを迎えるのです。(宇宙そのものになる、すべての疑問が溶ける)

つまり悟るとは最高の幸せを手に入れることなんです。

お釈迦様もキリスト様も最高の幸せをまず手に入れた

だから安心して、そのメソッドを弟子や信者たちに伝えたのです。

人間は幸せになるために生れて来た

悟るために生きている

ただそれを邪魔するものがあるのです(笑)

それが冒頭に書いた想いです。

想いは重くやっかいです。

業、カルマと言われています。

今、幸せ感を感じないのも、スッキリ爽やかになれないのも

幽界が曇りに曇っているからです。

自分の肉体にくっついている幽体が汚れてるからです。

人間は潜在意識の世界である幽界が浄化されていれば、何も想わないのです。

幽体が綺麗であれば、どうでもいい余計なことは考えないのです。

だから不幸なんです。(金銭的に充たされたとしてもほんとうの幸せではない)

悟るという状態は、幽体、幽界を超越しています。

霊界の高いところ、神界に意識が通じているので不幸を飛び越えているのです。

肉体意識ではなく、宇宙意識、神意識ですね!

そのためには3次元的な努力も必要です。

それが不思議に想われるかもしれませんが

考えない努力です。

そして自分の重い想いを光の溶鉱炉に入れる努力です。

「考えそうになったら、何かを想いそうになったら世界平和の祈りを祈る」

「どんなときでも気がついたら世界平和の祈りを祈っている」

という状態になれば、それはそのまま悟った状態になります。

意味も無くわけもなく

ただ

「自分は幸せだなあ」

「もしかして自分は宇宙一幸せかもしれない」(私の心境がそうです)

の想いしか湧いて来なくなる(オメデタイ人になる)

私が味わっている心境を是非、みなさんにも体得して戴きたい

と思い

記事を書き続けてるという次第です。

私も本心とつながりつづけているわけではありまぜん。

しかし出来るだけ長くつながり続けていきたいと思っています。

 

 

言はすなわち神なりき





頭と私たちが普段使っている言葉とは非常に密接しているのでこの際書いちゃいます。

 

“言はすなわち神なりき” はキリスト様のあまりにも有名なお言葉ですが

 

言葉が言になっていることに気づかれたと思います。

 

言葉(ことば)と言(ことば)はどう違うのか?

 

・・・・・・・・

 

それは私たち人間が発しているコトバのエネルギーが言葉であり

 

キリスト、お釈迦様、その他の聖者の発しているコトバのエネルギーが言なのです。(なんのこっちゃ)

 

私たちは頭でものごとを考えます。

そして脳裏に浮かんだことを掴まえて羅列して、並べ換えて

言葉というエネルギーに変えているのです。

 

頭は前回で述べたように、いろんな情報が玉石混交している“場”です。

 

そしてその場(頭の中)には、本心はほとんど入っていないのです。(ほんとうの脳は下丹田にあるから)

 

その本心(真理、真実)が入っていない、神とつながっていない、ただ浮かんで来た想いをつかまえてコトバにしているのです。

本心(神)から直で来たコトバは言であり、枝葉はついていません。

人間のコトバは、言に余計な葉をくっつけて汚れたものにしてしまっているのです。

 

ですから心から出たコトバではなく、頭で計算した感情(勘定)を入れた言葉になってしまっているのです。

 

もちろんすべての人がそうだとは言いません。

 

美しい言を発している人もたくさんいらっしゃいます。

 

きれいな心を持っておられる人もいらっしゃいます。

 

だがしかし、これらのきれいな人たちも汚れた情報、マイナス想念、人間の集合意識などによっていつ汚れてもおかしくない状態にあります。(業にまみれて)

 

お釈迦様のように汚れた池の中で綺麗な蓮の花を咲かすのは至難の技です。(お釈迦様は真理を識っておられたから出来たのです)

 

このようなコトバの意味や肉体の頭、下丹田のことなど、原理原則、真理を知らないとみんながみんなおかしくなってしまいます。

 

だから真理を知ることが大切なのです。

 

私たちは何も知らずに生きている

 

真理を知らずに生きている

 

誰も知らないし教えてくれない

 

すごくすごく大切なことなのに・・・・・・

 

話がまた外れてしまいました(笑)。

 

私たちが真のコトバを発するにはどうしたらいいのか?

 

本心からの暖かい愛(神)のコトバを出すにはどうしたらいいのか?

 

それはいつも心の中をスッキリさわやかに、プラスのエネルギー、愛で充たしておくことです。

 

それしかありません。

 

それには、たゆまない祈りしかないのです。

 

世界平和の祈りは、宇宙神の理念です。(ただの願いごとではありません)


宇宙の言霊(ことだま)です。

そして

本心と直結しています。

 

間を空けないで(間を空けると魔が差します)

祈り続けていると

マイナス(想念、エネルギー)がプラスに変わってゆくのがわかります。


頭からではなく心(下丹田)から言が出ていることがわかるようになります。


祈りとは命がのり出すという意味です。

本心(命)が顕われるようになるのです。

 

世界人類が平和でありますように

 

日本が平和でありますように

 

私たちの天命がまっとうされますように

 

守護霊様ありがとうございます

 

守護神様ありがとうございます

 

 

 

ほんとうの頭はへそ下3.5センチにある

 

「ほんとうの頭はへそ下3.5センチにある」・・・この文を読んでわかった人は人生の達人です(笑)

へそ下3.5センチには、下丹田(かたんでん)という大きなエネルギースポットがあるのです。

私たちは普段常に気(意識)が上に上がっていて頭で物ごとを考えています。

頭にはいろんな情報が入ってきます。

大阪は、テレビチャンネルがNHK、民放、地方放送含め7~8くらいです。

これくらいならたいした情報量ではありませんが、頭の中には無数の放送局からいろんな情報が送られて来ると思ってください。

先ほどまでは、静かな田園風景を観ていたのに、お笑いやニュースが飛び込んで来た。

子どもに見せたくない卑猥で下品な番組もある、食欲や物欲をそそる場面も入って来る。

自分が好もうと拒もうとなんの断りもなく、容赦なく情報が入って来ているのが頭なのです。

ある意味スマホに似ていますね。

しかしスマートホンのスマートとは、賢い、天才という意味ですが、人間の頭は混乱するばかりでお粗末なものなのです。(頭はバカだと言い切ってもいいのかもしれません)

私たちは頭が混乱したまま、生活しているのです。

それでもなんとかかんとかやってこれているのは、守護霊さん、守護神さんが幽界(迷いの世界)や幽体(肉体につっついている潜在意識)を浄めてくださっているからです。

私たちは、頭の中を駆け巡っているいろんな人の想念をキャッチして、それを自分の本心、考えだと想っています。

しかし想いとは、相手の心であり、自分の本心ではありません。

お釈迦様は、人間の心の中を

「蛇蝎(だかつ)のようだ」 とおっしゃいました。

まるでへびのように曲がりくねっている、歪んでいるという意味です。(何を考えているかわからない)

私たちも考え過ぎてこの蛇蝎のような状態になってほとほと嫌になることがあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・

お釈迦様は座禅観法して、頭を空(からっぽ)にして、ほんとうの頭がある下丹田(へそ下3.5センチ)に意識を集中させることを弟子たちに教えました。

下丹田にはほんとうの脳がある

下丹田を腹脳とも言うのです。(下丹田についてはこれからも書いていきます)

下丹田は、天からの縦のエネルギーと3次元の横のエネルギーが交差するスポットでもあるのです。

このスポットでマイナスを消し、プラスにすることができる(このことを奇跡といいます)

無数の要らない、マイナスの情報をシャットダウン(消す)ことが出来る

守護霊、守護神、本心とつながりやすくなり正誤の判断が出来るようになる。

なぜ正しい判断が出来るようになるかというと下丹田に意識を集中させると下丹田はシェルターになっているので、無、空、平常心、不動心になるのです。

私たちは心が動揺しているから判断を間違う、失敗をする、取り返しのつかないことをしてしまう。

心が動かなくなると下丹田が天と一直線につながります。

天と地は漢字で一と書くのです。

天(一)に止まる(不動心)で正しいという字になります。

ただ、スピリチュアルの人たちや一部の人たちがやっている瞑想(統一)は非常に危険です。(瞑想が迷走になります)

お坊さんでも真の統一が出来ている人は極少だと思います。

天につながらずに幽界でつながります。(99%は幽界につながっている)

そして

「私は神の声を聴いた」と言っているのです。

そんなに簡単に本心につながるわけがないじゃないですか!(苦笑)

幽界につながるくらいなら、3次元を一生懸命にやっているほうがずっとずっーと立派です。

だからスピリチュアルなもの、人に意識を向けてはいけない、危険だと言っているのです。

3次元の終わりの方が、ほんとうの世界(悟りの世界)に近いです。

話がまた脱線してしまいました(笑)

これから下丹田の素晴らしさについてバンバン書いていきます。

下丹田から幸せになってゆく方法をお伝えしていきます。

正しい統一(瞑想ではなく)の仕方を述べていきます。

個人でどこにも頼らず、本心とつながる方法をお伝えしていきます。(これからは宗教、人に頼らず自分で自立、悟ってゆく時代です)

その前にこれをやってみてください。(これだけでも普段と全然違う意識体になれます)

下丹田(へそ下3・5センチ)にほんとうの頭があると思って、考えたいことがあったときにここで考えてみてください。(余計なことが浮かんできません)

私たちは、常に気があがっている状態なので、うわの空になっていることが非常に多いのです。

立っているときは足の裏、座っているときはお尻の肛門(下丹田に近い)を意識して、考えない努力をしましょう。(気が鎮まって頭がスッキリしてきます)

考え過ぎて解決することなんてありません。

 

2017年5月 9日 (火)

お金が無くなる日(今儲けている人、儲けようとしている人は全財産を失う)

 

アセンションに向けてお金が無くなってゆくことが話題になっています。(アセンションとは関係なく普通の人が普通に話をしています)

 

アセンションとは、次元上昇すること、次元上昇とは、意識が上がるということ、意識が上がるということは愛が深くなるということ、次元の低い愛は自己愛、我欲ですが、これから相手を思い遣る愛に発展し、次の高い愛は、愛するという意識すらも超越して「空」の心境になってゆくのです。

 

お金は感情(勘定)なので、愛に目覚めてゆくと愛情から情が取れてゆくので、お金は無くなるのです。

 

これは理屈ではなく、宇宙の法則です。

 

近未来、お金が無くなるのは確かです。

 

私は無くなることはなんとなくわかっていたのですが、プロセスが見えていませんでした。

 

「どのように無くなってゆくのか?」

 

「どこから先に無くなってゆくのか?」

 

「どこが最後まで残るのか?」

 

巷では、お金が無くなることを察知しているので、お金の奪い合いが始まっています。

 

多くの企業はどうやって少しでもお金を使わせようか、無駄なもの、要らないもの、身体に悪いものまでを騙して出させようとしています。

 

「よそはどうなってもいい、自分のところさえ残ればいいんだ」という意識で動いています。

企業はほとんどそうであり(生き残りたいという意識が強いので)、

個人はそれこそ個人差がありますが、かなりの人が血迷っています。

 

・・・・・・・・・

 

これらは残っているパイを奪い取るという「横取り」以外のなにものでもありません。

 

ワンクリックで一日数万円もそうです。

 

スポンサーを騙して取ろうとしています。

 

ところで

 

お金はエネルギーです。(目にはみえませんが意志もあります)

横取りというのは、エネルギーで表わすと ━ です。

 

横取りをずっーと続けていくと  ━ ━ ━ ━ 

 

大きなマイナスになります。

 

つまりお金を失うのです。

 

そこには縦取りの愛がないからです。

 

儲けるとは横取りです。

 

株もそうです。

 

有限のお金をマネーゲームで奪い合っています。

 

五井先生が

 

「株はやめなさい」

 

とおっしゃっておられた意味がわかりました。

 

今、儲けることを平気でしている人たちがたくさんいます。

 

なんら悪びれることもなく

 

マイナスを大きくしていることにも気づかず、に

 

これは太陽が東から昇るのと同じなのです。

 

宇宙の普遍の法則は変わることは絶対にありません。

 

だから儲けた人は絶対にすべてのお金を失うのです。

 

このことが大勢を占めて、お金が無くなるなんて悲しすぎますね。

 

お金がかわいそうです。

 

ではなく

 

お金が縦取りされて

 

「金は天下のまわりもの」

 

ではないけれど

 

天からお金が降りて来て、最後にお金が

みんな感情(勘定)の処理が出来るようになった

 

だから

「自分たちはもう役割を終えたんだ」

 

と喜んで去って行ってもらいたいものです。

 

そのどちらかだと思います。

 

これからの人間の意識次第だと思います。



  

 

 

五井先生だけでいい



少し自分(グッドムーン)の話をします。

グッドムーンはやたらと真理を語り世界平和の祈りの大切さを連呼している。

五井先生、西園寺昌美先生のことばかりを書いている。

たしかに良い教えだし、自分も祈ってみようか、印(我即神也・人類即神也)を組んでみたいな、となったとします。

しかし一体、白光真宏会とはどんな団体なのか?

そしてどんな人たちがいるのか?

と思い、足を運び、信者の人に会いに行ったとします。

その信者の人が五井先生のような聖者であればいいのですが、そんなわけがないのです(笑)

オーラがない、真理もあまり知らない、なんだか頼りない(ごめんなさい)

それはそうです。

肉体人間はみな不完全です。(もちろん私も)

不完全だから肉体を纏って、肉体界で修行?をしているのです。

イチローを目指して野球をしている少年が、同じくイチローを目標として頑張っている少年たちがたいして上手でないのを見て

「なんだ、目標を持って努力しても無駄なんだ」とがっかりするのと同じです。(ちなみにイチローは五井先生の化身だと言われています、背番号51)

私たちは、完全なるものだけに意識を合わせればいい

私にとって完全なるものとは、五井先生です。

なぜそうなのか?と申しますと

五井先生のご著書は真理そのもの、光そのものであり、一切の濁りがないのです。

高い、高~い教えなのですが、真理がスーッと心に浸み通って来ます。(他の本はどんなに素晴らしいと言われる名書でも著者の我が入るのでスッキリしなのです)

他、CDやYouTubeでご講話を聴いても、なんらひっかかるところがありません。

極めつけは、やはりエネルギー(波動)ですね。

天と地を貫いておられるので、非常に波動が細かいのです。(これは説明しにくいですね)

私はいつも五井先生に意識を合わせているので、他の人(信者の人も、家族も、友人も、仕事関係の人も、その他の人も)の意識が高いだとか低いだとかは

どうでもいいのです。(そこに意識が行くと振り回されます)

肉体人間はみな凡夫、たいした人なんていません。

だがしかし、五井先生に意識を合わせるよりももっと大切なことがあります。

それは、自分の守護霊、守護神様に意識を合わせるということです。(守護霊・守護神は先祖の悟った霊であり肉体人間では及びもつかない智慧とパワーを持っている)

私たちの頭(百会=ひゃくえ)の少し上に守護霊様がおられます。

その上には守護神様です。

そしてその上が聖者であり、一番上は宇宙神です。

ここでは詳しくは述べませんが、私たちの本心は一番上の宇宙神です。

どこまでも意識は上がってゆくのです。

ただそこに行くためには、守護霊守護神のご加護が要ります。(守護霊、守護神が一番上の本心につなげてくださいます)

肉体界で生きてゆくにも、霊界、神界を熟知し、メッセージ(神智)を送ってくださり、幽界(濁った世界)を浄めてくださる守護霊、守護神の助けが絶対に必要なのです。

話がグローバルになってしまいました(笑)

とにかく私たちは周りを気にし過ぎます。

横ばかりを気にし、目に見えるもの、人ばかりを意識しているのです。

横取りはやめて

縦取りをしましょう

世界平和の祈りを祈りながら天と地を意識し、光の柱の中に入りましょう(自分がパワースポットになります)

そうすれば

-(マイナス)に┃のエネルギーが降りて来て

十にかわります。

これがほんとうのプラスであり、十字架であり、真理そのものなのです。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 
  


 

2017年5月 8日 (月)

世界平和の祈りを祈っているとなぜか仕事もうまくいく



「世界平和の祈りを祈っているとお金に困ることはない」・・・・こんなことを書くと

やっぱりグッドムーンは他の宗教と同じだ、ご利益宗教だと言われるのかもしれませんが(笑)

これで大金持ちになる、やることなすことすべてが上手くいくとかは言っていないのです。

金持ちにはならないかもだけれど、

「食べてゆく分は大丈夫です」

と言っているのです。

なぜ、仕事が減っている今、大丈夫なのかというと

以前、スターバックスの話をしたことを覚えておられるでしょうか?

破綻寸前のスターバックスのオーナーが

「どうせ潰れるのなら、従業員、パートの待遇を上げて喜んでもらおう」

と給料、時給を上げたりアルバイトにも保険を付けてあげたり、オーナーは最後だからとヤケクソ?になってやったことかもしれませんが

そのことでみんなが喜々として働き始め、その喜んだ光に魅せられてお客さんが溢れんばかりに入って来て、破綻どころか大黒字になって見事復活したというお話です。

これはスターバックスの店が

「観光地」になったのです。

働いている人のエネルギーが光となって、お客さんは光を観にスターバックスという地に行った。

観光地とは、光を観に行く地(場所)なのです。

世界平和の祈りをしていると、私たち個人がこの観光地になります。(それくらい光が強いのです)

移動しながら祈っていると動く観光地にもなります。(光を振り撒く)

みんな魂が汚れているので(笑)

光が欲しいのです。

あなたが飲食店をしているとすると

お店が賑わいます。

その他の業種でも

あなたに会いたくて、仕事が舞い込んで来ます。

ただし、味が悪ければ、その時で終わりです。(笑)

いい加減な対応をすれば、そっぽを向かれます。

しかし真面目に普通にしていれば、光が人を呼んでくれるのです。

宗教をやっている人は

依存している人が多いです。

仲間が食べに来てくれる

いざとなったら助けてくれる

〇〇を信じていれば大丈夫だ!

・・・・・・・・

ではなく、世界平和の祈りをすれば、一生懸命に働き、生きていれば

人が寄って来るということです。

そこからは完全に3次元の世界です。

あなたがどれだけ誠実か?

お客さんが喜ぶことをしているか?

です。

スターバックスもただ光っていただけではなく企業努力をしていました。

だから今のスタバがある

なんだやっぱり楽してお金は稼げないのか?

と思われますか?

そんな人はどこで何をやっても駄目でしょうね。

自分が観光地になることを

「すごくありがたい」

と感謝出来る人は、

不景気になってもお金には困らないと思います(笑)

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 

 

2017年5月 7日 (日)

前世なんて知らなくていい 2


  

一回でよいから、受けて立ってみよ



何故、前世を聞きたいのか、というと今の段階から逃げたいからです。

人間、逃げたいと思ったら絶対に逃げられない。

受けて立たなければだめです。

一回でもよいから、受けて立ってごらんなさい。

よしこれだけ受けよう、今生は自分の幸せなんかすべて捨てて、受けるだけ受けよう ━ と思った時に、目の前が本当に青空のように、海原のように、パーッとひろく、大きくひらけれゆくのです。

そういう世界がひらくのです。

逃げれば逃げるほど、自分の行こうと思っている目的地から遠くはなれてゆくばかりです。

頂上は登らなければ到達できません。

それをいやがって逃げては、目的地からますます遠ざかってゆくばかりです。

逃げまわれば方向を見失ってしまいます。

逃げればかえって苦しいのです。 かえって辛くなる、悲しくなります。

受けて立つことです。

世界平和の祈りを祈るということは、簡単なことだけど、大変な勇気がいるのです。

苦しい時、辛い時、世界平和の祈りを祈って転換させる時には、今までの自分の想いを打ち切って、業を立ち切るという積極的な意志、勇気がなければ、祈れないものです。


常日頃、本当に世界平和の祈りが出るということは、祈りにもってゆくということは、苦しさや辛さから逃げないでいることです。

至高を目指して、積極的にのぼっていることです。

逃げるというのは、動物ではありませんが、不思議な習性があって、単純に逃げまわらないのです。

あっちへ一回転し、また向う側へ行って、八の字に廻って、また戻って、という工合で、単純に逃げてくれれば、一直線の道だから、引き戻せばスーッと返ってくるけれども、あっちへひっかかり、こっちへひっかかり、神様だって糸を引くのに大変でしょう。

それだけ手間がいるんです。

心の奥へ奥へ奥へと逃げこんだ人は、元に戻るのが大変です。





  

     「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版



   

前世なんて知らなくていい 1




私は自分の前世を知っています。

十数年前にある人から教えていただきました。

人が聴いたらびっくりするような過去世でした。

しかし私は

「そうなんだろうなぁ」 と心で納得し

だからといってその後の人生に何ら負の影響は受けませんでした。

とらわれもしませんでした。

おそらく伝えてくれた人は (霊覚者でした)

私が前世を聞いたところで精神的にも心理的にもマイナスに捉えることはない

それどころか自分の天命を真っすぐに突き進んでいく上ではプラスになるとわかっておられたから伝えてくださったのだと思います。

でも、ほとんどの場合(ケース)前世は知らない方がいい。

いや知ってはいけないと思うようになりました。

西園寺昌美さんの文章をまた抜粋してみます。

興味のある方は読んでみてくださいね。






   

逃げない生き方



はたして前世を知ればよくなるか?

先日、或る人に自分の前世を教えてくれ、と尋ねられました。

自分と夫とはどういう関係なんでしょう、自分と子供とはどういう因縁のつながりなんでしょう、というわけです。

そういう質問をなさる状態というのは、自分が幸せでない状態なんですね。

夫としょっ中いがみ合っている。

お酒を浴びるほど飲む夫に、ぶたれ蹴られ、苦しめられている。

何故、自分はこんなに痛みつけられなければならないのだろうか?

何故、自分だけがこんなに苦しまなければならないんだろうか?

どうしてだろうか?

こんな苦しい毎日がつづいているけれど、前世の因縁さえ知れば自分は覚悟が出来るんじゃないか、そうすれば生き方がわかるんじゃないか。

よっぽど夫に前世で悪いことをしたに違いない、子供に対して自分は本当にひどい仕打ちをして来たに違いない、

だから今生でこうやって仕返しをされるんだろう ━ とおっしゃるわけです。

そこまでわかっていれば、前世のことをきく必要はないのです。


仏教で説く因縁因果の法則で、縁があって夫となり、縁があって子供となり、お互い前世の因縁、つまり貸し借りを返しながら、自分の魂を磨いて立派にしてゆく、というのが守護霊様守護神様のみ心であり、ご計画であるわけです。

そこで前世であなたは夫にこういうことをした、子供にこういうことをした、ということを教えられたら、自分の心に決着がついて、夫を赦し、子供を赦すということが出来るかというと、全く逆で、聞かされたご本人は今までの苦しみ以上の苦しみを背負い、一生自分の罪を意識し認めてしまう。

ですから私は決して前世のことを訊かれても話しません。

言うことは簡単です。

言ってしまったら指導者として失格だと思っています。

前世の因縁を知れば、苦しみからもう逃げなくて済むと思うでしょうけど、更に苦しくて不安でもっと逃げたくなる。




 

自分のことばかり思っていたのでは駄目



自分だけが何故?

何故自分だけが?


自分の心に向けられている間は、自分中心の生き方で、決して人のことを思わない。

夫のことを思って、一かけらの愛も施したこともない。

それで、自分は何故こんなつらい目に合わなければならないのか、何故ぶたれなければならないのか、何故こんなひどい仕打ちを受けなければならないのか。

昨日も今日も明日も明後日も自分のことばかり。

そして自分のこの苦しみから逃れたい、逃れたい、ということばかり。

これでは幸せなんかとは程遠いです。

自由なんてとんでもない。

ますます自分の想いで自分をがんじがらめにし、自由性を奪ってしまっているわけです。

前世のことを聞かされて、自分はもうあれだけのひどいことをしたんだから、今生で自分が幸せになるはずがない、と自分の幸せなんか諦めれば、パーッと明るくなる可能性は十分あるのです。

けれども、それだけ根性の太い人はいないのです。

大体前世をききたいというのは、気が弱い人なのですから、一旦、聞かされたら、もう立つ気力、生きる気力がなくなってしまいます。


だから前世を聞かせてしまえば、私はその人をみすみす殺すことになるのです。


               つづく



 


     「自己完成」 西園寺昌美  白光出版



  

老子の言葉に・・・

 
 
老子の言葉に 

「上徳(とく)は徳とせず、是を以って徳あり。下徳は徳を失わず。是を以って徳無し」 

というのがあります。
 
上徳というのは、徳を積もうと思って徳をするのでもなければ、徳を積んだと自分で思っているわけでもない。
 
自然と行為に現わした物事事柄が徳になっている、というのであります。
 
徳というのを善い行為と解釈すればよいわけです。
 
そして下徳というのは、その人の行為が、いつも徳を積みたいとか、徳を残したいとかいう、徳という行為に自分の心が離れずにいて、徳に行為、つまり善事をしている、という程の徳です。
 
一口にいうと、上徳というのは、人為をもってするのではなくて、自然(ひとりで)に行為しているもので、その徳を何かに利用したり、どうしようというような自我の想いがでることがない。
  
下徳は、徳の行為をしても、その徳を自分のために役立てようとする行為をもつことがある、というのが老子の言葉です。



解釈
 

私はこれからの商売、ビジネスは社会貢献などの美徳がないとダメだと思っていました。

「自分だけが儲かればよい」というのはとんでもない

そんなビジネスは淘汰されると・・・・

しかし、「善い事をしよう」「人のためにしよう」という意識が強すぎると

それは自然(神のみ心)ではなくなってしまう

「空」になること、自分が無くなることの大切さを痛感します。
 

  

  
 

如是我聞25(禅問答のようですが)



人間この世に生きるのは、どれだけ無私になれるか、どれだけスッキリしているか、つまり空(くう)になる練習にある。

自分がないということが一番尊いことだし、一番楽だ。


 

解釈

以前書いた日記で、人間は、心が善い事にも悪いことにも把われないことが一番幸せなんだ。活き活きとしているんだ。

だから、「見ざる、聞かざる、言わざる」(見たことに把われず、聞いたことにも把われず、言ったことにも把われないことが大切)が真の人間の姿なのだ。

と述べました。

人間の苦しさとは、心が把われている状態を言うのです。

みなさん、今しんどい、辛い、悩み事がある・・・・としたのなら

それは、原因があるから辛いのではなく

心が把われているからなのです。

頭で、理屈で把われを取ることなんてできません。

なぜなら実体(原因)がないからです。(でも私たちはあると思っている)

自分の小さな小我を、宇宙(神界)にいるほんとうの自分(大我)に投げ入れてやると、大きなほんとうの自分が肉体に降りて来ます。

これが悟った状態です。(完全無欠)

この状態になると肉体界のすべての問題は解決します(次元が違うからです)

その状態になるために世界平和の祈りを祈る、印を組む(我即神也・人類即神也)、マンダラを描く(宇宙神と一体となるため)のです。


 



  

如是我聞24(死ぬことを寿という)




病気と寿命とは違う。
 
人間は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬのである。




解釈




今は、「人間は病気で死ぬんだ」(事故以外は)と思っている人がほとんどだと思う。

そしてほぼ、ほとんどの人が死とは悲しいもの、辛いもの出来るだけ先へ延ばしたいものと考える。

人間とはいつも言っていますように、肉体界だけに住んでいるのではなく、幽界、霊界、神界にも同時に住んでいる。

そして本人が自覚していようといまいとこれらの他界(幽・霊・神)へはちょこちょこ行っているのです。(主に寝ているときに)

そして一番肝心なのは、ほんとうの自分は一番先の神界に住んでおり、ここにほんとうの心、本心があります。

本心と肉体の吾が、きれいに、見事につながった状態が悟るです。

お釈迦様、キリスト様、老子様、その他聖者は意識が常に神界とつながった人たちです。

アセンションとは、私たち一般人?も全員、意識が神界とつながることをいいます。

それも常に・・・・。

自分がまさか悟る?お釈迦様のような意識体(エネルギー)になる?

自由自在心になってどこの世界(霊界・神界)、そしてどの星にも行ける?

その為に、世界平和の祈りをする(アセンションするための条件として)

神人になる(救う側になる)

神人になることが地球人類の中でも一番最初に、神界へ行ける、素晴らしい意識の世界へ行くためのパスポートなのです。

また、本題から話が外れてしまいました(笑)

でも肉体を去ることが、なんら悲しいことではないことがわかっていただけたと思います。

肉体は、いろんな想いという鎧を付けた、がんじがらめの心が不自由な世界です。

死とは、そんな世界から開放された自由な世界です。

だから死を寿(めでたい)と言うのです。

ただ、肉体界から逃れたいと自らが死を選んだ(自死)人は、寿にはなりません。

 

それは、肉体界を卒業(クリア)したのではないからです。

 

2017年5月 6日 (土)

子どもは神様からの預かりもの




子どもとは、授かりものではない。 (6年前のブログより)

預かりものなのだ。

授かったと思うから、自分の息子、娘という所有物のように勘違いをしてしまう。

預かったものはいつかは返さないといけない。

その時期は、いろんな考え方があるが、私はハタチ(20歳)でいいと思う。

どこに返すかというと世の中であり、社会である。

そのときには、一旦は心の決別(生きていようといまいと)をしなければならない。

縁があってその後も付き合いがあればすればいいし、縁が切れれば、すっぱりと神様にお返ししたものと諦める。

だって期限付きの預かりものだからだ。

私が神様から預かった息子は、今、東京の大学に行くために大阪を出て行った。

浪人したのでそのとき19歳、現在は22歳である。

小さいときに思わぬ病気をして2回も大きな手術をした。

そのときから息子に対して感情移入が始まり、思い入れが強くなり、心配性となり(嫌われた時期がありました)、子離れが出来ない父親になってしまった。

そんな息子は私を子離れさせるために「東京に行くように」と、守護霊様に導かれたのだと思う(笑)。

もし、東京に行かずに大阪に居たら、きっとかまい過ぎていたに違いない。

本当にそう思うのです。

東京では地震もありました、東京に限らず生きていたら何が起こるかわからない。

何があっても動揺しないためにというのではなく、親は子どもに対し、けじめをつける(精神的な面で)必要があると思うのです。

それが子どもとは自分にとってどういう存在なのか?

を認識することだと思うのです。


昨日、ある小冊子(PHP)を読んでいたら

77歳になった女性が50歳になった息子の突然死を受け入れられず、ずっと泣き明かしていたと書いてありました。

読んでいてジーンとしました。

息子はまだ22歳であるし、私もまだ53歳です。

でもこのお母さんの気持ちがわかるのです。




以下、抜粋


納骨堂の立派な阿弥陀様の前で手をあわせたとき、「子供は阿弥陀様(神様)からの預かりもの」とずっと昔読んだことを思い出した。

だとしたら、いつかはお返しせねばならない。

もっと長くお預かりしたかったのに。

もっと思い出を語り合ったり、議論したかったのに。

もっともっと好物を作って食べさせてやりたかったのに。

でも就職して以来28年間、特技を活かせる大好きな職場で嬉々として働けた彼は最高に幸せだった。彼なりに精一杯私を喜ばせ、楽しませて逝った。

「50年間預からせてくださり、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」と深く頭を下げ、納骨堂を後にした。








2017年5月 5日 (金)

今は末法の世の中(だから世界平和はやって来る)


 
末法とは、世も末、滅亡寸前を意味している。

 

なぜそうなのか?と言うと(私が感じることから言うと)


テレビでは、銀行がカードローンのコマーシャルをバンバンやっている

 

本来の貸付業務をほぼ放棄し、サラ金と手を組んでいる

 

自己破産者が急増して、潰れるまで続くだろう

 

医療業界はもっとひどいかもしれない

 

「薬は毒」なのに患者の治療に臆することなく使っている

 

病気を治しては、儲からないので薬で病気をつくっている

 

飲食業界もそうだ

 

発がん性食品、糖質の高い食品、病気の温床となる食品を医療業界とまるでグルになって発売している。

 

コンビニ、スーパーなどは、もはや9割は

 

「買ってはいけない食品だらけだ」

 

そして最後は、スピリチュアル業界?

 

幽界のおばけちゃんが幅を利かせ

たくさんの人を迷いの世界へと誘っている

その目的は、お金儲け(どの業界も)

 

これに尽きると思います。

どの業界も、うしろめたいことをしているので、いつ儲けれなくなるのか?不安なのです。

 

横取り、つまり儲けることしか考えていない

 

他の人はどう思っているかは知らないが、私はそう思っています。(笑)

 

このまま行けばもう滅亡です。


間違いなく終わります。(それで6回滅びてきました)

 

しかし今回は違うのです。

 

次元は、5次元へと突入し、幽界が少しずつ浄まってきています。

 

幽界のおばけちゃんが力を失いつつあるのです。

 

幽界が力を弱めれば、祈りの力で一気に逆転出来るのです。

 

今までの6回と違い、今回は世界平和の祈りがあるのです。

 

10万人の神人が誕生すれば、キリスト、お釈迦様クラスの魂を持った人が、光の柱になって強烈な霊光を降ろせるのです。

 

1000人の汚れた人より、一人の悟った人の方がずっと力が強いのです。

 

マイナスのエネルギーは人間が勝手につくったものなので有限です。

 

しかし、宇宙のプラスのエネルギーは無限です。

 

ただし、条件があります。

 

10万人の神人です。

 

まだ、8万5千人くらい不足しています。(増えつつありますが)


ほとんどの人は、アセンションを指をくわえて待っています。

 

しかし待っている場合ではないのです。

 

自分が救世主になって、救う側になって

 

自分が地球を救ってゆくという崇高な魂の人が現われないと

 

地球の完成(アセンション)は、遅れてしまいます。



あなたは救う側ですか?

 

救われる側ですか?

 

躊躇しているときではないのです。



追伸・・・5月13日の富士聖地でのSOPP、世界の宗教宗派を超えたイベントで一気に幽界は浄まると思います。
平和へと近づくことは確かです。

しかし私たちは受身ではいけないのです。怠惰であってはいけないのです。

今、日本や世界や地球で起きていること、私たちは今、何をするべきなのか?私たち人間のミッションは何なのか?真剣に考える時期に来ています。待った無しです。

 

 

アセンションとは幽界が浄まるということ





アセンション(次元上昇)についてほとんどの人が間違った情報を流したり、解釈をしているようなのでここで述べようと思います。


地球は今、七劫目という大きな節目を迎え、地球が完成しようとしているのです。

 

完成とは、完璧(パーフェクト)であり、完璧とは天国のことであり、天国とは、地上が天国、愛の星になるということです。

 

しかし地球は今混沌としており、とてもではないが天国が訪れる気配すらない。

 

絵空事のようにみんなが思っている

 

スピリチュアルな人たちは未来を予想しようとするが意識が幽界にあるので、幽界の様相しか見れないのです。

 

幽界とはいつも言っていますように、肉体界にくっついている世界、潜在意識の世界(人間のマイナス想念が溜まった世界)、そしてさ迷った魂たちがうごめいている世界です。

 

そこは、どうしようもない混沌とした汚れた世界になっています。

 

今の肉体界は、幽界が写ってきているのです。

 

スピリチュアルの人たちはわけがわからなくなっています。

 

宇宙法則では、完全平和になっている

 

が、しかし自分が見ている肉体界は善くなる兆しが見えず幽界はもっとひどい(幽界がそのまま肉体界に現われていないのは守護霊守護神、救世の大光明霊団、宇宙天使たちが幽界に光を送り浄め、そしてほんの一部の人が世界平和の祈りを祈っているからです)

 

いったいどこがどうなって地上天国は実現するのだろう?

 

そこである人は、突然キリストのような大聖者が現われて光を降ろし、人間が目覚めると信じています。

 

しかし救われるのは、選ばれし者?だけであり、その他の人は昇天(死んでしまう)する。

 

それがアセンションだと思っている。

 

それでは、今まで6回失敗して来たこととほぼ同じです。(そんなものはアセンションではありません)

 

違うのです。

 

五井先生は聖者なので、ほんとうのアセンションをご存知です。

 

たった一人の聖者が現われて、ほんの一部の人が救われるなんてとんでもない間違いです。

 

五井先生は、地球人類すべての人を救うために地球上に天下って来られました。

 

世界平和の祈りで祈っている人の意識、波動を上げ、肉体界を去って帰神(きしん)されても神界から昌美先生に我即神也・人類即神也の印を伝授し、宇宙からのエネルギーが5次元に変わったと同時進行で最後の仕上げである10万人の神人(しんじん)作りが進むように神界から応援されているのです。

 

五井先生は、神界におられるので、地球が完成された姿(未来)を知っておられます。

 

そのためにはどうしたらいいかも知っておられます。

 

くどいようですが、そのツールが世界平和の祈りであり、印であり、マンダラであり、神人の養成であるのです。

 

だから一部の人だけが救われるのではなく地球人類全員が救われるのです。

 

肉体人間だけでなく、幽界も完全に浄めるので、さ迷った魂や自殺をした罪深い魂たちもみんな救われるのです。(あいつは未熟だからアセンションさせないはないのです)



肉体界も幽界もすべて救われないと意味がないのです。

みんな浄まって地上天国に住むのです。

 

神界の住人になるのです。

 

これがほんとうの答えです。

 

今こそ、誤解をしていた、間違って解釈をしていたスピリチュアルの人たちも一緒になって、一つになって世界平和の祈りを祈り、印を組むときに来ています。

 

私はその日が近いと信じています。



  

 

 

如是我聞23(いつもサバサバしていたいですね)





一見、いい人そうに見え、おとなしそうに見えて、したいこともしない、やりたいと思うけれど出来ない、と悶々として自分を自分の想いでつつんでいる人は、その想い重みで下に落ちてしまう。

だから、人間は心がつねにサバサバしていることが大切だ。



  

解釈

 


この文章を読んでいると、私が真理を学び、調和波動気功法を実践しているのはまさに

「このためだ!」

と思うのです。

自分の想いを軽くしたい

自分の想いをコントロールしたい

そしていつも爽やかでいたい

それが幸せにつながると思っていたのです(自分の価値観ですが)

さて、よく犯罪を犯した人の知人や近所の人が

「まさかあんな大人しい人が」

「挨拶をしてくれるいい人ですよ」(なんで挨拶出来る人がいい人なのか?)

「仕事ぶりは真面目でしたよ」

と言っていますが、心の中は誰にもみえません。

この様な人を救おうとしても、心の中に入って行くわけにはいきません。

自分が浄まって爽やかになって、光を振り撒いて

「あの人のように天真爛漫になりたい」

「あの人のようにサバサバした人になりたい」

と思ってもらえるようになるしかないと思うのです。

自分が変われば、相手も変わる

 

あの世でゆっくりなどできない

 

よくお葬式でお別れの挨拶のとき

 

「あの世でゆっくりと休んでください」

 

と労をねぎらう言葉を掛けていますが

 

あの世(幽界・霊界・神界)は、全然のんびりゆったりと出来る場所ではなのです(笑)

 

死んだ本人が自覚しているか、いないかは別として人間とは本来霊止(ひと)であり、霊そのもの、霊とは神そのもの、そして宇宙そのものなのです。

 

「人間は死んだら星(宇宙)になる」 はほんとうなんです。

 

宇宙とは何か?を簡潔に言いますと

 

無限次元に進化向上し続ける無限の生命体であり

 

小宇宙である人間もまったく同じです。

 

後はどこで働き続けるか? です。

 

それは、どこに意識があるか?で決まります。

 

肉体は去ったのに意識が残っている自分を

 

「まだ自分は死んでいない」と思い込み

 

守護霊さんがお迎えに来て霊界(美しい世界)に連れて行こうとしているのに駄々をこねて肉体界にくっついている幽界(迷いの世界)に留まる魂もあります。

 

そして肉体界に生きている知り合い(主に家族)に憑依して、多大な迷惑を掛けることもあります。(ガンで死んだ人は、家族の人にガンに罹らせることがあります)

 

だから五井先生は、

「人間生きている間は、多少の迷惑をかけてもしかたがないが、死んでからは迷惑をかけてはいけない」

 

とおっしゃっておられます。

 

真理を知らないとこんなことにもなるのです。

 

話を戻しまして(笑)

 

肉体界以外の世界は、想ったことがすぐに返って来る世界です。

 

「あいつ腹が立つなあ、殴ってやろうか!」

 

と想ったならば心の中で想っていてもすぐにわかってしまい

 

相手からパンチが飛んで来ます。(すべてのことがこのようになります)

 

だからあの世に行く前には感情処理が出来ていなければ

 

人間が出来ていなければ(精神的に大人)、大変苦労するのです。

 

最近知った真理ですが

 

「後生大事」とは後の生(幽界・霊界・神界)のことがほんとうは大切なんだという意味なのだそうです。

 

幽界でのこれらの試練?は、小宇宙である自分が進化向上してゆくためにあります。

 

想い(心)がすべてのすべてなんですね

 

想ったことがすぐに相手に伝わる、そしてカタチになる(具現化される)



それは心が調った人には、天国となり

 

調っていない人には、地獄そのものです。

 

死んでのんびりとは できない

 

わかっていただけたと思います。

 

追伸・・・霊界に行ってものんびりなんてしていられません(笑)それは、人間を守るために守護霊になる修行があるからです。

幼い子ともを残して自分は病気で死んでしまった。どうしても子どもたちの守り神になって子どもたちを導いていきたい、危険から救っていきたいという場合は、守護霊になるための試験?のようなものがあります。

それに合格しないと守護霊にはなれないのです。

守護神もしかりです。守護霊を監督、統括する守護神には大変大きな役割があります。

あまり書くとややこしくなるのでこの辺でやめておきます。(笑)


最後にもう一言 

世界平和の祈りは、心の中を綺麗にするため、浄めるためにあるのです。

後生で大変役立つのです。

  

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 

 

 

 

 

2017年5月 4日 (木)

如是我聞22(心と心がつながることを愛という)




悪のうずまく時代においては、お説教や言葉でいくらいいことをいっていても、相手は変わらない。

それよりまず自分が浄まって、その光をふりまくことである。

その光にふれて人は変わってゆく。

 

解釈

 


よく、「人を変えることは出来ない、自分が変われば人は変わる」 と言われるが、自分が変わっても人が変わるのか?と疑問に思うことがあります。

 
「この人はちょっとやそっとでは変わらないよ」 とか 「人は人、自分は自分、だから関係ないよ」 と冷めた目で言う人も多い。
 
 
肉体だけが自分であると思っていては確かにその力や影響力はたかが知れている。


絶対に不可能だと思っていい。

 
だが人間は霊(神)が主で肉体が従なのだ。

 
人間の本体は霊体であり、霊体というのは心=光のエネルギー体で出来ているのです。
 
そして、人と人の心は空のように繋がっている。

別々に分かれているように見えるが大元は繋がっているのです。
 
感動するとは人と人の心が一つに溶け合うことをいう。
 
愛とは心と心が合うことをいう。
  
奇跡とは感動や愛の現象をいう。
 
 
心は光で出来ている。
 

自分が変わって光輝くと相手の人もその光にふれて変わっていく。



  

如是我聞21(悩みとは闇が波のようにやって来ることを言う)





何事にも把われないこと、把われたらその分だけ心が不自由になる。




解釈 
  
 

人は肉体を纏っている以上、必ず何かに把われている。
 
家族、恋人、職場の人間関係、学歴、仕事、お金、物、健康、病気、etc・・・気になることがあるとそこから心が離れず気持ちが晴れない。



太陽の前を雲が通り過ぎようとしているのに、実体のない雲をつかんで

 

 

 

「太陽が見えない」 「光が見えない」 と叫んでいるようなものです。

 

 

 

悩みとは、把われとは実は実体のないものなのです。

 

 

 

悩みとは闇が波のようにやって来ている状態を言います。

 

 

 

心の中を黒雲が覆っている

 

 

 

その雲を消すには祈りしかないのです。(理屈ではなく)

 

 

 

祈りという光の溶鉱炉に入れて溶かすしかないのです。

 

 

 

ずっと祈っていると

 

 

 

いつの間にか悩みが消えていることに気づきます。

 

 

 

「あれっさっきまで悩んでいたことってなんだっけ?」

 

 

 

になるのです。

 

 

 

その時点で悩み(把われ)は消えているのです。

 

 

 

無くなっているのです。

 


世界人類が平和でありますように

 

日本が平和でありますように

 

私たちの天命がまっとうされますように

 

守護霊様ありがとうございます

 

守護神様ありがとうございます

 

 

如是我聞20(一生懸命な人は光っています)


 

神さまは成功、失敗を問題にするのではない、その器がいかに一生懸命やるかやらないかを問われるのである。


 
解釈

 


結果がすべてという人がいる、いやプロセスが大切なんだという人がいる。

 
どちらもなんか違うなぁと思っていた・・・

 
続・如是我聞の本をパッと開いたら上の文章が飛び込んできた。

 
うれしくて涙が出そうになった、心が温かくなった。

 
そうなんだ、一生懸命することが一番尊いことなんだ。


神様(守護霊、守護神)からの応援は、利害損得を忘れて「無」となり「空」になったときに

ある日突然、ご褒美としてやってきます。

神様は努力している人間を愛してくださるのです。


  

 

如是我聞19(自分が観光地になりましょう)




汚れた人が千人集まっても一人の浄った人の救済力にはかなわない。




 
解釈

 


私の知り合いで最近真理に目覚め、世界平和の祈りを祈り、印を組み、五井先生のご著書を読みyoutubeでご講話を聴くことが日課になっている人がおられます。

その方は、自営でハウスクリーニングのお仕事をされているのですが、部屋の清掃をする前にピースポール(世界人類が平和になりますようにと書かれた柱)を四隅に立て、印(我即神也・人類即神也)を組んでから作業に入っておられます。

その場は、浄まり観光地のようになっているのです。

すると不思議なことが次々に起こるそうです。

身体が軽くなって今まで2日かかっていた清掃(たとえば一軒家)が一日で終わるようになったり、近くを歩いていた見ず知らずの人が

「何をされているのですか?」と覗きに来たり(まさしく観光地ですね!)

新しい仕事が次々に舞い込んできたり

今までには考えられなかったような好転反応があるそうです。

この人は、動く観光地になっています。

車に乗っているときも世界平和の祈りを祈っているので

その車は光っているのです。

周りの人が運転をしているその人を見るそうです。

無意識に光を観ているんですね。

人は光っているものが好きです。(笑)

赤ちゃんはその最たるものです。

その人を観ていると

祈りって素晴らしいなあ

印の神力って凄いなあ

と改めて思うのです。


 




  

2017年5月 3日 (水)

真理を知れば、マイナスがプラスに変わる

 

先日聞いた話なのですが

 

ある仲の良い親子が一緒に飲食店をされていたそうです。

 

親子は誠実で真面目でしたが近くに競合店も出来、経営は苦しかったそうです。

 

そんなある日、息子さんが交通事故に遭い、あっけなく死んでしまいました。

 

お父さんは、やる気を失い店を畳もうとしました。

 

ところが意に反して、店にはお客さんが増え始め

その忙しさで息子のことを忘れることさえありました。

 

お父さんは言いました。

 

「息子が死んだのに、客が増えても意味がない」

 

と悲しそうな顔をしました。

 

しかし真実は、違うのです。

 

息子さんは、霊界で生きています。

 

お父さんの守護霊になって

 

お客さんに光を送って

 

お店に来るようにしていたのです。

 

「親の心、子知らず」

 

ではなく

 

「子の心、親知らず」



ですよね。

 

真理を知れば

 

「息子は他界(霊界)で生きているんだ」

 

「死んでいないんだ」

 

そして

 

「食べて行けるようにお客さんを集めてくれているんだ」

 

になります。

 

簡単に店を閉じることもしないでしょう。

 

多くの人は目の前に起きる現象をマイナスに捉えます。

 

それは、現象の奥を知らないからです。(守護霊の愛、霊界・神界のこと)

 

なんともったいないことか!

 

自分で自分の首を絞めているのです。

 

人間は真理を知らないと、学ばないと幸せにはなれないのです。(無限なる幸福!)


五井先生、西園寺昌美先生のご著書は真理で溢れています。

 

もうすぐ、五井先生のブームがやって来ます。(アセンションに並行して)


五井先生のご講話をYouTubeで観ている人も増えているそうです。(面白いですよ)



   
      

如是我聞18(自分が光れば、未来は変わる)




今の運命、今の不幸、今の貧乏、病気というのは、過去の影絵である。
 
実体のないものであるから、じたばたせず、内なる真実なる自分の中に入り、自己の光をますように努めることだ。
 
その方法は、守護霊さん守護神さんお願いしますと、ひたすら守護の神霊に自分の運命をまかせてしまうことです。
 
守護の神霊は自分を幸せにしようしようとされているのだから、つねに守護の神霊に波長を合わせておくことです。





解釈


もう、このままで解説の必要はないのですが、みんながこれをするようになると守護霊守護神の光、それに自分も世界平和の祈りの光によって三位一体となり運命は変わります。

守護霊、守護神は時空を超えているので霊界と神界から幽界(潜在意識の世界)を浄めるのです。

 

如是我聞17(肉体人間の生涯は、宇宙からみれば一瞬である)





肉体人間の生涯は、それが苦しみの連続であれ、楽しみの連続であれ、宇宙からみれば一瞬である。

 



解釈


ものごとは、俯瞰的だけではなく宇宙的に観ることが大切だと思うのです。

一生懸命に生きていて一生涯貧乏だったとしても、病気ばかりしていたとしても、前世においては、お金持ちだったんだ、健康だったんだ、未来においてはお金に困らないようになるんだ、健康な身体に生れて来るんだとグロスで観れば、今をどうにかしようと焦る気持ちは少なくなり、軽くなる、明るくなると思うのです。

今は「修行の時期なんだな」

「時期が来れば終わる」

「自分ではどうしようもない」

と一旦、あきらめてしまえば

心が解放されて、エネルギーが動き出します。

あきらめると、明らかになる、明るくなる

「人間諦めが肝心」

「果報は寝て待て」

などは真理を現わしています。

とらわれないことの大切さを語っています。

しかし怠惰であっては何も変わらない

一旦、あきらめて

とらわれをなくして

やるべきことを一生懸命にしていれば

神様(守護霊様、守護神)が運命を修正してくださるかもしれません。

それも期待せずにね(笑)



  

とらわれることが、病気、不幸の原因になる2(見ざる、聞かざる、言わざる)








把われないこと  五井昌久 

  

 

昔からいわれていることですが、見ざる聞かざる言わざるということはどういうことかというと、見た想いに把われず、聞いた想いにとらわれず、いった言葉に把われず、すべてのものにとらわれないのがいいのだ、ということです。

大体、道とか宗教の教えというものは、すべて想いがとらわれないということを主としているわけです。

想いがとらわれなくなると、神さまからそのままくる行いが出来る。

この世の中では、テレビ、ラジオはいつもいろんなニュースを報道している。

どこどこで強盗があった、火事があった、殺人があった、と嫌なこと暗いことを聞くまいと思ったって聞こえてくる。

新聞を見れば、誘拐があった、事故があった、アメリカがどうだこうだ、見まいと思ったって見えてしまう。

ともかく、見ざるも聞かざるもありゃしない。

今は、文明文化が発達して、マスコミというものが発達してますと、こちらが好むと好まざるとにかかわらず、強制的に見せられる、聞かされる、いわされる。

だから見ざる聞かざるいわざるというのは、本当はいいかもしれないけれど、実際問題としては適用しないわけです。

そこで、私は見てもいい、聞いてもしかたがない、いってもしかたがない。

しかし、あらゆるものはいいことであれ、悪いことであれ、それは消えてゆく姿なんだから、その想いにとらわれてはいけない。

いくらいい言葉をいって、それに人が感動したとしても、それにいつまでもとらわれていたんじゃ進歩がないんだし、また悪い言葉をいっても、しまったと思って

「しまったしまった、私はなんて悪い人間だろう、何でこんなことをいったんだろう」といつまでもとらわれていたんでは、それはかえって業が積もるんだから、いってもしまった悪いことはしかたがないから

「あー悪かったな、これは消えていく姿なんだ、もう再びいいますまい、ああこれで業が一つ減ったんだ」という風に思いながら

“世界人類が平和でありますように、あの人の天命がまっとうされますように” というようにいいなさい。

そういうように想いが出た時、想いにとらわれそうになる時に、それを消えてゆく姿として、平和の祈りの中に入れさせてしまうような教えに転換させたんです。

それはどうしてかというと、私は昔とても短気でしてね、ものすごい感情家だったんです。

私は大体、本質は芸術家ですから、いいものはいい、悪いものは悪い、嫌いなものはもう我慢が出来ないように嫌だったりね。

青年の頃はそういう性質をもっていました。

だから、これじゃいけないな、こういうことじゃいけない、なんとかしてこの短気を押え、この感情に負けないようにしなきゃいけない、というような気持ちが随分強くありました。

なんとかして立派になりたい、感情にとらわれない人間になりたい、愛一念の人間になりたい、と思い続けていたわけです。

それで聖書も読めば、仏教の経典も読んだり、宗教の書、修養書など手当たり次第に読んだり、座禅観法をしたりいろんなことをやったのです。




とらわれを消してくれるもの


そのうちに、とらわれまいとらわれまいとしたんじゃ、かえってとらわれるんだなということがわかったのです。

短気だから短気をなおそうだけじゃだめなんだ。

感情にとらわれちゃいけない、とらわれちゃいけないというと恐怖心が起ってしまう。

それではだめなんだから、どうしたらいいかというと、とらわれを消してくれる何かがなければいけない、それを見つけることだと思った。

それは神さまだと思ったのです。

短気が出たら出たでいい、臆病が出たら出たでしかたがない。

感情が出たらしかたがない。

その時はどうしようもないんだから、そういう時に、ああこれは消えてゆく姿だな、ああこの世に現れているものは、みんな変化変減していく。

常時そのまま変わらないものは一つもない。 みんな変っていく。

自分はだめだ、だめだと思っているうちはだめだいけないという業がまた入ってくるわけですから、いたずらにだめだだめだと思うより、いけなかったな、しまったな、と思ったら

『あッこれは消えてゆく姿だ、どうか神さま消してください、一日も早く消して下さい、どうかあの人の天命がまっとうされますように、私の天命がまっとうされますように、世界人類が平和でありますように』

順序はどうでもよいから、そういう祈り言にして、神様のみ心のなかへ、想いをどんどん送りこんでしまうのです。

神さまは完全円満なんだし、善なんだし、大光明なんですから神様に消せないものはないわけです。

善いものは善いものでそのまま生きるし、悪いものはそのまま消えていく。

だから善悪ともども神さまの中に送りこんで、消してもらう。

そういう風に自然に教わったわけです。

それで消えてゆく姿で世界平和の祈りという教えが出来たわけです。

ああ消えてゆく姿んだなあ、ありがとうございます、世界人類が平和でありますように、私がますます立派になりますように、愛深き私にならしめたまえとか、いろんな言葉で自分の願望をつけ加えてもいいから、みんな神さまの中に入れてしまうわけです。

すると、神さまのほうで、その人に一番適当な生き方をさせるのです。





肉体人間は無力なもの




肉体を持っている人間というものは、罪悪甚重(ざいあくじんじゅう)の凡夫(ぼんぷ)でして、親鸞がつくづく、心は蛇蝎(だかつ)の如くなり、罪悪甚重の凡夫だ、と嘆いていたのがよくわかる。

もう相当悟りすましたような立場にいても、何やかやといろんなことがひっかかってくる。

まして一般の人はひっかかり通しなんです。

何かしらに心がとらわれている。

だから肉体を持っている人間というものは罪悪甚重の凡夫だ、ダメなものだ、ということがわからないとだめなのです。

いつもいっていることですが、心臓を動かすことも、肺臓を動かすことも、肉体の頭では出来得ない。

心臓の止まった死骸に向かって、心臓よ動けといったって動かない。

肉体から魂がぬけたら、どうしようもない。

自分のことも人のことも何事もなし得ない。だから肉体をもった人間というものは無力なものだなあ、ということがハッキリわからないと、悟りにはいかないのです。

自分でなんとか出来るんだ、という想いがあるところからは、本当の悟りも生まれてこないし、安心立命も生まれてきません。

肉体は不完全だからです。不完全なものがいくら力んだって、完全になりっこはないのです。

だから不完全な肉体というものを、一度、肉体人間じゃどうしようもないんだな、とあきらめる。

さてそれでは、なし得るのはどなたかというと、守護霊さんであり、守護神さんで、大神様であるわけです。

そこで、守護霊さん守護神さんお願いいたします。

世界人類が平和でありますように、私共の天命がまっとうされますように、と素直に自分では出来ないことを、みんな神さまに差し上げてしまう。

それがいいことも悪いこともですよ。

よいことは俺がしたんだ。悪いことは人のせいだというのじゃない。

善いことも悪いことも自分ではなし得ない。

肉体人間として生まれてきたその前から、分け生命(いのち)として分かれてきたその時からの因縁、想念や行為がまわりまわって、今日ある肉体の生活として現われている。

ですから、今日ある姿は、今つくったものではなく、今の自分が作ったものでもないのです。

今食べたものが今すぐ栄養になるのではなく、ある時間がたって栄養になってくる。

それと同じように、あらゆるものは、過去世からズーッとつながってきて、今現われてくるんで、今いいことを想えば将来に現われるんです。




今のあなたが悪いのではない



今自分の想念が悪いとする、自分の生活が悪いとする、環境が悪いとする、体が悪いとする。

それは過去世からつながってきた、原因結果がそこに現われて、病弱に現われているのかもしれない。

気が弱く現われているいるのかもしれない。

短気に現われているかもしれない。

貧乏な環境に現われ、不幸な環境に現われているかもしれない。

しかし、それは今の自分そのものじゃないのです。

過去世からの自分の想いがそこに現われて、消えていこうとしているんですよ。

それを掴まえて、私がいい悪いとか、立派だとか立派じゃないとか、悲しいとか憎らしい、とやっているわけです。

過去世のものが流れて来て、現われてくるんだから、いくら掴まったって、現われてくるものは現われてくるんです。

結果として現われてくる。だから現われた結果にとらわれたってしょうがない。

今の自分はどうしたらいいかというと、今思ったこと、今やったことが後の自分の運命を良くするか悪くするかなんですから、今までの悪いくせ、悪い環境があるその上に、私はダメなもんだ、私の環境はなんて不幸なんだろう、私は病弱だ、とつかんでいたら、また悪い同じ波が重なってしまう。

その想いの波からぬけなければならない。

ぬけるためには、それにとらわれてはいけない。

想いにとらわれてはいけないわけです。

そこで、空とか無為とかいうのです。

見ざる聞かざる言わざるもそうなんです。

  
しかし、そういうことをいっても、なかなか普通の人には出来ないから、ここに現われてきたものは、過去世の因縁の結果として出てきたもので、現われたら消えるんだから、今消えてゆこうとしているのです。

そして神さまが処理をして消してくれるんですよ。

だから、現われたら、ああこれは消えていくんだな、と消す先を神さまのなかへ持っていく。

神さまといってもどこにあるかわからないから、人類の一番の目的であり、願いである

“世界人類が平和でありますように”

 という言葉に働く大光明圏、救世の大光明のなかに、祈り言葉とともに持っていってしまうのです。

守護霊さん守護神さんお願いします、と持っていってしまう。

すると、ハイヨ引き受けたと、もともと人は完全円満なんだから、その悪いと思っている想いを、みんな消してくれるわけです。

そうすると、それだけ消えちゃうわけです。

それだけ消えると未来に現われる悪いものが減ってくるのです。

ああこれは消えてゆく姿だな、自分はこんな悪い想いのくせがあるけれども、こんなわがまま、こんな怒り心があるけれども、それはみんな消えていったんだな、あ、出てきた、けれど消えたんだな、また出た。消えたんだな、と世界平和の祈りと共にやっていくうちに、どんどん減って、未来に向かっては悪いものが出て来ない。





輝く未来が約束されている
 



未来へ向かってこんど出てくるものは、何かといったら

“世界人類が平和でありますように” というような尊い人類愛の想いが、そこにいっぱい、溢れ出てくるわけです。

愛の想いは完全円満なのだから、完全円満な姿がだんだん出てくるわけです。

消えてゆく姿で世界平和の祈り というのを、つづけて実行していればいるほど、その人の現在の心も明るく輝いてくるし、未来も完全になってきます。

しまいには絶対完全な人間になるのです。

たいがいの場合、それをいくら教わっても自分はだめなものだ、しゃくにさわる、とか、こんな不幸になって、こんな貧乏になって、こんな病弱になって、とこういうように思う。

思うなといっても、思ってしまうのだから、しかたがない。

思うのも因縁因果なので、思うように出来ているのだから。

だから、思ったら、すぐその場で、ああ先生に教わったのはここだな、と、消えてゆく姿だ、世界人類が平和でありますように、神さまお願い致します、と素直にやると、それだけ減ってゆくのです。

この教えは実にやさしくて、人をとがめるわけでもなければ、自分をとがめるわけでもない。

人間を自然の姿に還そうというわけです。

自然の姿は何かというと、春になれば芽がふき花が開き、夏になれば緑しげり、明るく太陽に照りはえる、というように自然に運行しているんです。

その運行を自然にさせないものは何かというと、神さまから離れた想いなんです。
 

その想いが勝手に自分の運命を作っている、神さまの次元としての運命と、自分の想いで作った運命とが、別々になっちゃってる。
 

だからみんな神さまにまかせて、消えてゆく姿で、世界人類が平和でありますように、とやっていけば、だんだん自分勝手な想いが消えてしまって、光一元の生命そのものの自分と、生まれかわってくるわけです。


生命一元の自分になりきってしまえば、なんにも悪いことは出てこない。

とらわれることもなくなってくる。
 

そうすれば、その人は平和になります。
 

一人の人間が本当に平和になれば、その影響は地球界に及ぼします。
 

宇宙に及ぼすのです。
 

そういう人が多くなれば、世界はいやでも平和になるんです。
 

その先達として、皆さんが世界平和の祈りを一生懸命やっていらっしゃるわけなんですね。
 

だから、皆さん一人一人が平和な気持ちになれば、それだけ世界平和に役立っているんです。
 

自分が平和な気持ちにならなければ、世界平和に役立っていないのです。
 

もし平和な気持ちがなかったら、ますます、一生かけて、二生かけてもいいから、消えてゆく姿で世界平和の祈りをやり続けるのです。
 

必ず平和な気持ち、平和な心が得られます。




                  おしまいです

2017年5月 2日 (火)

とらわれることが病気、不幸の原因になる  1

人間は、寝ているときは、病気も不幸も貧乏も何もないのです。

 

それは意識が肉体(頭)を離れているから

 

そして赤ちゃんも不幸な赤ちゃん貧乏な赤ちゃんはいませんね(病気の赤ちゃんはいるかもしれないけれど)

 

もしその赤ちゃんの親が「不幸だ、不幸だ、うちは貧乏だ、貧乏だ」と叫んでいても、親はそうだとしても赤ちゃんに自覚はないのです。(笑)

 

それは心が不幸や貧乏にとらわれていないから、つかんでいないから

 

赤ちゃんはとらわれがない

 

だから屈託が無く、無邪気でかわいいのです。



ガンになった患者さんもそうです。

 

「あなたはガンです。それも末期の・・・」

 

と言われて


「ああどうしよう、自分はなんて不幸なんだ」

 

ととらわれれば、その人は不幸ですが

 

「なっちゃったものはしかたがない、人間いつかは死ぬんだし、もうそろそろ行こうと思っていたんだ」

 

とサバサバ(強がりではなく)していれば、それは不幸ではなく、幸せな人もいるのかもしれません。

幸せか?不幸せか?は、状況、状態が決めるのではなく

 

状況、状態をつかんでしまっているか?



つかんでいないか?

とらわれているか?



とらわれていないか?

 

によるのです。

 

 

人間は心がとらわれているときが一番しんどいのです(なぜか大阪弁)

 

エネルギーがスムーズに流れないからです。

 

いつも言っていますように

 

人間は光の波動体、エネルギー体です。

 

宇宙からのエネルギー(霊要素という)は、頭のてっぺんの百会(ひゃくえ)に入り、60兆の細胞、血管を通り、足の裏(湧泉(ゆうせん)という)から地球の中心へと流れていきます。

 

心がとらわれると、川の流れに大きな石を置いたように、流れを邪魔するのです。

心配事があると食事が喉を通らないのはそういうことです。

とらわれが長く続くと、病気にもなります。(病気は気(エネルギー)が病んだ状態です。

 

生命力が弱くなり、活き活きとしなくなります。(元気がなくなる)

 

生命エネルギーが弱ると、仕事も他のこともうまくいかなくなります。

 

話が少し変わりますが、私が


「占いがいけない」と言っているのは、心がとらわれるからです。

 

過去世を語ると過去世にとらわれ


未来が良いと占ったとしても、未来にとらわれるのです


とらわれるとは漢字で把われる、捉われる、囚われる、捉われる、捕らわれる

すべて心や体が縛られることを意味します。

 

善い事にも悪いことにもとらわれるとその時点で、エネルギーが滞ってしまうからです。

 

守護霊は、人間をとらわれさせないように上手く人生を導いて行こうとなさっています。

 

生命を活き活きさせながら、いろんな経験を積ませ

 

悟らせ(覚醒)ようとされています。

 

占いはこの真逆のことをしてしまっているのです。

 

宇宙の法則から外れてしまうのです。

 

はずさせた占い師は、相手の運命まで背負うことになるのです。

 

地球よりも重い、相手の運命も背負うのです。

 

相手の人は一人ではありません。

 

その人の後ろには、何百万、何千万のご縁のある魂やご先祖様が付いています。

 

その人たちの分まで背負うことになるのです。

 

人生指導、運命指導のの出来る人とは、相手の人の守護霊、守護神と対話の出来る人だけです。

 

聖者でないとやってはいけないのです。(五井先生、悟った人)

 

幽界とつながった人がやるなんてとんでもないことがわかっていただけると思うのです。

 

話が長くなりましたが、宗教の目的とは

 

「とらわれないこと」 「とらわれない心を養うこと」

 

なんです。

 

次の記事で

 

「見ざる、聞かざる、言わざる」について掲載します。

 

かなり長いですが、これがわかれば真理がかなり理解出来たことになります。

 

明日からお休みの人、多いですよね。

 

よかったら読んでみてください。

 

 

 

 

如是我聞16(謙虚とは自分の気配を消すということ)





昔からいわれていることだけど、謙虚というのが一番いい。


 


解釈
 

謙虚と自分を卑下するのは全然違う、卑下(ひげ)は自分を見下げた行為、人と比べて自分はダメなんだと認めてしまう。
 
だから自分を過剰に意識している。
 
一方、謙虚は自分のことを識り、認めた上で自分を出そうとしない行為である。
 
自分を意識していない。
 
自分を出そうとすると押し付けがましい重いエネルギーが流れてくる。

 
自分を出さずに謙虚でいるとフワッとした温かい爽やかなエネルギーが流れてくる。

 
ほんとうに偉い人は自分を出そうとしない。




感想
 

この文章は、2008年の1月にブログに書いたのですが、少し補足します。

世の中には、自分を卑下することを良しとされる風潮があります。

そして卑下慢(ひげまん)と言って、卑下することを自慢している人さえいるのです。

そして周りも卑下している人を見ても

ほんとうはあまりいい気持ちはしていないのですが、謙虚で良い人だと思ってしまう。

「自分はダメです」

「自分はバカです」

これは一見、謙虚なようで実は愚かな行為です。

言葉は言霊なので

ほんとうに駄目で馬鹿になってしまう(苦笑)

自分に自信があり、自分を尊敬している人(我即神也)は、自分を卑下することなんてしません。

反対に自信があるから謙虚になります。

自慢の反対が謙虚だと思うのですが

自慢したい人は、前に出ようとします、目立とうとします

そのエネルギーは重苦しいです。(周りを不快にします)

反対に謙虚な人はその重苦しいエネルギーのことを知っているので、出すどころか

引っ込めようとします。

「自分が出すエネルギーがみんなに迷惑を掛ける」と知っているのです。

そして自分の気配を消そうとするのです。(こんな人はめったにいませんが)

余計なことを語らず、みんながしゃべっているときも

ニコニコしながら

「世界平和の祈り」を祈っている人、みんなの天命、幸せを祈っている人

その場のエネルギーは素晴らしく澄んでいます。

爽やかな神界のエネルギーが流れています。

そんな人は、菩薩様だと思います。(すいません補足が長くなってしまいました)


   

 

如是我聞15(人はどんなときに悪口を言うのだろう)





人の悪口をいうということは、自分を強く見せたい、自分をよく見せたいからである。


羨望の想いが悪口となる。

 

解釈

 
悪口を言っている時とは、どんな心理状態か?(自分を強く、よく見せたい)

 

どんな想いのときか?(相手を羨ましいと想っているとき)

 

・・・・・・

 

なるほど、私も3次元的なことなのですが、随分悪口を言われました。

いや言われているそうです(笑)

 

初めは、かなり傷つきました。(ボランティアをしていたのですが)

 

「なぜ、善いことをしているのに非難されるのだろう?」

 

「私に悪いところがあったのか?」

 

悪口を言われると、人間は弱いもので

 

自分に原因があると思うのです。

 

そして原因を必死で探します。

 

思い当たる節があると自分を責めるのです。

 

それが苦しくなってくると相手も責めるようになります。

 

・・・・・・・・

 

最近、自分を責めることも、相手も責めることもしなくなったのは

 

「羨望の想いが悪口となる」

 

がわかったからです。

 

「羨ましいなあ」という気持ちがカタチを変えて「悪口」になる

 

どうでもいいことに振り回されていた自分がいました。

 

最後に

 

私が大好きな釈尊(お釈迦様)のお言葉をご紹介します。

 

釈尊ほどの大聖者でも悪口を言われたんですね。

 

自分が言われている「悪口」なんて小さい小さいと思います(笑)

 

私は釈尊(お釈迦様)の次の言葉が好きである。

 

「沈黙しているものも非難され、多くを語るのも非難され、少しを語るのも非難される。世に

非難されない者はいない」

 

この世に生ある限り、何をしても人は非難の目、嫉妬の目をもって他人を見つづけるのである。

人の目を気にして生きていたならば、自分の身が持たない。

天の目を気にして生きてゆくことだ。

 

 

     
        「日々の指針」 西園寺昌美著


   
  

 

2017年5月 1日 (月)

あなたの心の奥の声を聞け!


  
 
最初は、「守護霊守護神に代わってあなたに語る」の24番、幽界のことが書かれている文章を記事にしようとしたのですが、他に書かれていることも非常に大切なので、結局全部載せることにしました。

 

私たちは、たとえば問題解決をしようとした場合、頭で考えます、そして今まで生きて来た経験知でなんとかしようとします。

 

つまり肉体の頭、肉体界の力、3次元の狭い範疇でしか力が働かないのです。

 

現われている次元も3次元、自分も3次元の同次元ならば解決出来るはずがないのです。 

 

自分の次元を上げるためにはどうしたらいいか?

 

神界(守護神)

霊界(守護霊)

幽界(ここは潜在意識の世界、迷いの世界であり、次元が高いわけではありません)

肉体界

それは、次元の高い、霊界や神界に意識をつなげることなのです。

 

守護霊さん守護神さんは解決法を知っておられ、私たちが意識を向けていれば(世界平和の祈りを祈っていれば)メッセージを送ってくださるのです。

どうかみなさん、魂の親、心の親、ほんとうの親である、そして自分自身でもある愛深い守護霊、守護神様のメッセージを受け取ってください。


 

「守護霊、守護神に代わってあなたに語る」   西園寺昌美



1、私は日頃あなたが思っていること、考えていることそのすべてを把握し、

そしてその希望をすべて成就させるよう願っている。

決してあなた一人だけの望みではない。

あなたの望みは常に私の望みなのだ。

 

 

 

2、自己の希望を実現しえないで人生を終わってしまう人の何と多いことか。
 
彼らは私の存在を少しも認めようとはしなかった。
 
私はどんな時でさえも常に彼らの側にあり、彼らの望みを達成し得んが為に彼らを

見守り導いてきたつもりでいる。
 
希望の成就は肉体個人一人で出来るものではない。
 
常に守護霊、守護神と共に歩んでこそ成就する路なのだ。
 
それが真実の人生の路なのだ。

 

 

 

3、出来うる限り明るく陽気に振るまいなさい。
 

 

 

 

4、私はあなたがいかなることをしようとも、決してあなたに罰を与えない。
 
私はただ、すべてを許すのみである。

そしてあなたのその罰を私が代わりにしょってあげているのである。
 
その代わりあなたは “消えてゆく姿で世界平和の祈り” を繰り返し繰り返し祈ればよい。

自分自身を深く信じなさい。

 

 

 

5、私はあなたにあえていいたい。
 
出来る限り明るい言葉や思いやり深い優しい言葉を常に、極力心がけて努力して使う

ようにし、光明思想の本を一日一回は読み、人の心を感動させるようなニュースを聞き、

人と語り合う時には人の心を豊かに楽しませるような話題をあえて選び、

明るいことのみを語るようにしてほしい。

そして暗いニュース避け、病気の話や人の不幸の話は出来るだけ口にしないことである。

 

 

 

6、羨望の心が湧くのも致しかたない。
 
嫉妬心にもだえるのもまたこれ仕方がないではないか。
 
そして人の幸福を妬み人の不幸を心ならずも喜ぶのもまた致しかたない。
 
人の心は感情によって左右されるものであるから、感情を無くさない限りこのようなことは

すべて人の心の中に起こり得る現象である。
 
この世は物質肉体の世界、完全なる霊なる世界と違って不自由な束縛ある世界、

よくないことだと充分にわかっていながら、正しいことではないと充分に理解していながら、

神から反している行為だと充分に納得していながら、やはり現れてくるのが現実なのである。
 
おさえる必要はない、出すだけ出すがよい。

だが、出来るだけ人に迷惑がかからないように出してゆくのだ。
 
相手にまともにぶつからず、声を出して私にぶつけなさい、私にどなりなさい、

私に非難をあびせかけるがよい。
 
私はあなたの心が充分にわかるだけに、あなたが愛しくて可哀相でならない。
 
私の大きな翼であなたを包んであげよう。
 
癒してあげよう。
 
心の中にある鬱憤をすべて私に吐きすてるのだ。
 
私が聞いてあげよう。
 
私が代わって祈ってあげよう。
 
あなたがあなた自身で祈れる時がくるまでは。

 偽善者 になるよりはよほどよい。

 

 

 

7、不調和な状態を一刻も早く自分の心の中から一掃せよ。

 

 

8、

あなたの内部の奥にじっとひそんで隠されている部分、秘密、嘘、葛藤、情欲・・・・

それらのすべてを私は知っている。

私の前には何の隠しだても無用である。

ただ裸になることだ。

私にとっては肉体人間の弱さなどは百も承知の上だ。

だからこそ私というものが必要なのだ。

私の支えを必要とするのだ。

朝な夕なに私の名を呼びなさい。

 

 

9、

大自然の修復作用が発揮出来るよう大自然に代わって祈れ。

 

 

10、

あなたの希望を実現する場合、まだこの世の中に何の手ががりも見出せず、

皆目何も無いところから全く新しい希望、この世に打ち出すそのきっかけを創造(つく)り

出すのは、いうまでもないこの私である。
  
常に私の存在を忘れず私の名を呼びなさい。守護霊、守護神同士でお互いに交流し

合うからである。

 

 

11、

人の悪を聞くために耳があるのではない。
 
人の悪を語るために口があるのではない。

人の悪しき姿を見るために目がついているのではない。

 

 

12、

相手を解放してあげると自己の束縛から解放される。

 

 

13、

すべてを見知っている私の前ですら未だ嘘、偽りでもって自分を覆いつくし、隠しだてを

するつもりでいるのか。

情けない。

私はすべてを許そうと思っているのに。

私は(宇宙の法則)から絶対なる権限を与えられている。

あなたのすべてをゆるし、あなたのすべてを愛するのが私の働きである。

 

 

 

14、

あなたが私から離れてどこへ逃げようとも、隠れようとも、またどんな罵詈雑言(ばりぞうごん)

をあびせかけようとも、それでもなお私は常にあなたの側を離れず、怪我がないよう、

苦しまないよう、痛まないよう、見守りつづけているだけである。
 
私はあなたに嫌われていても、それでも尚あなたが愛(いと)しいし、愛しつづけている

のである。

 

 

 

15、

私は肉体を持ちあわせていないので常にあなたの内部に働きかけ、内部の力を増し、

調わせ、そのエネルギーを外界に現わし、そして出来るだけあなたの思うようになるよう、

成就するよういたらしめているのである。


  

 

16、

私はあなたが暗く沈んでいる時、今まで以上に強い希望の光を投げかけている。
 
あなたが自分自身を傷つけ悲しみに浸っている時、すべては許されるのだという真理の光

を送り、あなたに語りかけているのだ。
 
そして私の慈愛の光によって次第にあなたが真理に目覚めはじめ、その暗く果てしない入

り組んだ道から脱け出してゆくあなたを見た時、私はあなた以上に天の神に感謝している

のだ。

 

 

17、

私は常にあなたに真理を語りつづけている。
 
あなたの心が全智全能の創造主と同じような強い力を握っているのだということを。
 
あなたは自分の心で、自分自身を幸せにも不幸せにもすることが出来るのだということを。
 
自分自身を、傷つけ暗く悲しいものだと思ったら、その通りの人生が展開されてゆくであろ

うということを。

そして自分自身を神の分け生命として認め、明るく大いなる希望をもってゆくならば、

またその通りの人生が展開されてゆくであろうということを。
 
心はすべてのすべてである。
 
なぜならば、心は自分自身の運命の支配者であるからだ。

 

 

 

18、

私はあなたがいかなる苦悩、いかなる悲哀、いかなる絶望にあろうとも、必ずあなたを

幸せにしようと心をくだいて見守りつづけているのである。

私の働きはあなたの真の幸せに導くこと以外の何ものでもない。

 

 

19、

 
私はあなたにお願いがある。この世は物質的肉体がすべてではなく、本来霊なる世界

の写し世である、という事実を自覚してほしいのである。
 
霊的自我に目覚めたその時から、もはや何ものにもしばられぬ自由自在なる世界が、

あなたの目の前に展けてくるのである。

それは無限の可能性を秘め、自分の思う通りになる世界となるのである。

 

 

 

20、

あなたは常に幸せを願うのだ。
 
あなたは常に神の無限なる能力を信ずるのだ。
 
あなたは常に調和を愛するのだ。
 
私はあなたのその望みにむかって全精力を傾けて、その実現のためにわがエネルギー

をフルにあなたの心の中に注ぎこんでいるのだ。
 
だが、あなたの望みが常に暗く悲しく絶望的であるならば、その方向にむかってわが

エネルギーを注ぎ込むことは、不可能である。
 
あなたの考えが明るく積極的な希望に満ち溢れたものに変わるよう、エネルギーを注ぎ

こむのであるが、そのエネルギーの消費量は並大抵ではない。
 
もともと+(プラス)の考え方を更に+(プラス)の方向に導き、この世に実現可能にせし

めることは、宇宙の法則通りに実に簡単で無駄なエネルギーを消失しないものであるが、

-(マイナス)の思考を+(プラス)に方向転換させることは、前者の何万倍ものエネルギー

が消失されるものである。
 
 
常にあなたの考えを+(プラス)の方向に向けて生きて下さい。

 

 

 
 

21、

頭のよくない人ほど中途半端な聞きかじりをし、自分の知識をひけらかしたがるものである。

頭がよくないから善悪の批判力が無くすべて受動的に自分に吸収してしまうため、

その人の潜在意識の奥にすべてそれらの中途半端な知識は溜めこまれてしまう。
 
さて、本人が病気になったり、挫折したり、失敗したりした時、これらの中途半端な知識が

次から次へと頭を擡げ(もたげ)はじめ、自分自身の下らない知識で自分自身をがんじが

らめにしばりつけ、また、自分自身の暗い思考力で自分自身を暗示にかけてしまい、

どうしようもなく救われがたき状態においこんでいってしまうのである。
 
浅はかというより他にいいようがない。
 
知識ならどんなものでも入れていいというものではない。
 
本来ならば自分の心が勇気づけられ、希望に満ち溢れ、生きることの幸せが鼓舞(こぶ)

されるような知識なら徹底的に入れこめよ。

自分の心を暗く不安恐怖に陥らせる知識は意識して取り払うべきである。

 

 

 
 

22、

“自分だけ悟ればそれでよい” という考え方は多分に利己的なわがままな生き方である。

これを出来るだけよい意味にとるとすると、人に真理を押しつけがましくするのは、

たとえその教えがどんなに素晴らしくても、そこで必ず人の自由を縛りつけてしまうもので

あるから、よくないということであろう。

だが神のみ心からみたならば、真理を一人でも二人でも出来るだけ多くの人達に知らしめ

た方が積極的な善なる徳のある生き方なのである。

また何回も何回も重ねて自分の口を通して真理を語るということは、逆に、更に自分自身

の潜在意識の中に改めて真理を吹きこむ形となり、自分の信念がまたここで更に強固に

絶対的なものとなってゆくのである。

真理は何度も何度も繰り返し繰り返し語れば語るほどよい。

 

 

 

23、

旧き自己を捨て新しき自己に 蘇(よみがえ)るのが世界平和の祈りである。

どうにもならない自分をしっかりそのままつかんでしまった上、私はこんなにも悪い人間で

すといわんばかりに、自分の悪を強調しても、誰も救われはしない。

むしろどうにもならない自分を一旦神の中に捨ててしまって、すべてを神の中に投げ入れ

ていまうと、宇宙の法則にのっとった生き方が示されはじめる。

 

 

 

 

24、

あなたの長い間にわたる苦しみは私にはわかっている。
 
あなたの悲しみや痛みも私にはすべてわかっている。
 
そして更に今あなたの上に投げかけられている不安恐怖、今のあなたの立場ではどうしよ

うもないのもわかっている。
 
私はいつでもあなたの心の叫びを聞き、訴えを聞き、その問題解決が一刻も早からんこと

を願い奔走しているのである。
 
だがあなたはこの私の心を知ってか知らないでか、常に自分自身の肉体の力でのりこえよ

うともがいている。
 
だがよく聞いて欲しい、もはや肉体界でトラブルが現われはじめたということは、もう何年

も、いや何千年も前に幽界で現れていたことを。

幽界で浄めることが全くできなかったが為に、この肉体界に現れはじめたのであるというこ
とを。

そのためにはまず幽界を浄め去るのが先決である。

それが出来るのはこの私である。

霊なる力で、霊なる光で、幽界を浄めれば、自ずと肉体界のすべてのトラブルは自然に解

決されるものである。

私に頼りなさい。私を信じなさい。あなたが夢をみているその時ですら、私は闇を光に変え

る働きをあなたの為にしているのです。

あなたはあなた一人で生くるに非ず、私の生命と共にあって生くるなり。

 

 
 

25、

今あるとるにたらない小さな小さな幸福にさえも、神の与え給いしごほうびだとして感謝せよ。

 

 

 

 

26、

私は “神の子” であるという徹底的なる自覚がいかなる災いからもあなたを防ぎ、

いかなる不幸からもあなたを脱出させる。
 
災いにも不幸にも絶対に波長が合わないからだ。

 

 

 

27、

 

私に徹底的に素直たれ。

如是我聞14(運命を良くする方法とは?)

自分がやっているんだ、と思ってるようなうちは、その人は大した人間ではない。




解釈

私たちは自分でなんでもやっているように思っていますが、目にみえないこと、そして見えることもほとんど守護霊さん守護神さんがやってくれているのです。

 

目にみえない精神波動(エネルギー)が99.9999%、目にみえる物質波動が0.0001であることから、肉体の力、自分の我では、ほとんど何もしていない、出来ないのだとわかるのです。(夜空の星をみれば無限の宇宙に比べ星がいかに少ないかがわかります)

 

肉体界を整えようとするのなら、肉体にくっついている幽体(潜在意識)を浄めなければなりません。

潜在意識の世界である幽界がマイナス想念で汚れに汚れているから自分の運命も、地球人類の運命も善くならないのです。(無限なる光!)

 

幽界を浄めることができるのは、その奥の世界である霊界、神界に住んでおられる守護霊様、守護神様なのです。

 

私たちは、守護霊様、守護神様のご加護無しでは、一日たりとも一瞬たりとも生きてはいけない。

 

そのことが心の底からわかり、肉体人間の自分の無力さを知ったとき

 

守護霊様、守護神様に全托できるのです。

 

全托すると、肉体の自分に守護霊と守護神の霊力、神力が入ってきます。

 

そのメソッドが世界平和の祈りを祈ることなのです。

 

世界人類が平和でありますように

 

日本が平和でありますように

 

私たちの天命がまっとうされますように

 

守護霊様ありがとうございます

 

守護神様ありがとうございます

 

 

 

如是我聞13(想定外は想定内)





人間大きくなりたかったら、自分の責任を他に転嫁するな。






解釈


私のしている仕事なのですが(自営業、詳しい内容は割愛します)、そこには何人かの人が関わってくれています。(私の従業員ではありません)

実はその人たちのミスが結構多いのです。

「なんでそんなところでミスをするんだ」

「もっと真剣にして欲しい」

「確認はしているのか?」

と言いたくなるのですが、100%相手のミスであることはまず、ないのです。

20対80、10対90で9割相手のせいだったとしても、私は相手を責めないことにしています。

相手の人は、「ごめんなさい申し訳ない」と謝ってきますが、「いや私も10%を気をつけていればこんなことにならなかったからね」 と許してしまうのです。

許してしまうのがいいのか?悪いのか?相手のためにならないのではないか?、は別として、そのほうが相手を責めて感情的にならないだけ自分が楽です。

穏やかでいれます。

私は、この世(肉体界)で起こることは、コントロールしにくいと思っているのです。(守護霊に修正をお願いしたとしても)

思い通りに理想的にはいかないと思っています。

そして現象を受けるものは受けないと消えていかないと思っています。

だから大難が小難に済んだとしても、想定内、大難が中難で済んだとしても想定内、大難があまり消えずにそのまま来てしまったとしても想定内、だと思っていれば、ほんと精神的にすごく楽です。(守護霊様はかならずかなり消してくださっています)

つまりどんなことも受ける覚悟を持つのです。(ときには理不尽なことも)

そしてミスをした人のせいで、どこかへ行ってミスの処理をすることがあったとしても、

「その場所で何か縁があってやることがあったのだ」 と思うのです。

そしてその場所でなにか有意義なことでもあれば、

「ミスをしてくれてありがとう」にもなるのです。(笑)

「想定外は想定内」・・・私はこの考え方が気に入っています。



  

  

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