“気” とはいったいなんなのか?
下記の本文と関連しているのですが、
「今日は、どこそこへ行かなければならない」ということが一日の中でも必ずあります。
何度もあります。
そこで、「よし行こう!」を腰をあげようとするのですが、どうも行く気がしない、気が進まない、それどころか行くと嫌なことが起こりそうな気がする・・・・。
これらのことにはすべて
“気”
という文字が付きます。
気とは一体何なのか?
目にみえないもの、エネルギーに関するもの、気持ちを表すものにはこの、気がすべて付くのだと言っても過言ではありません。
なのに私たちは気とは何なのか?本質的なことは、何もわかっていないのです。
于 寿明先生のご著書の中に(私は調和波動気功法を20年間実践しています)
気功とは何なのか?が説明されています。
幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。
日本語の 「気を付けて」は英語で「Good bye」=「God by you」であり、
スペイン語で「Adio's」の「dio's」は神の意味である。気とは神の意味である。
気とは神様からのエネルギーなのですね、
であれば私たちの感じる?
“気がする”
はすべて正しいと判断していいのか?
信じていいのか?
それは、神様からのメッセージ(直観)か、もしくは感情のどちらか、だと思ってください。
あまり深く追求すると、どちらなのかわからなくなってしまいますが、潜在意識の中で、
「あの人嫌いだからなあ」とか「行ってもなんの得にもならないしなあ」
などと感情(勘定)で迷っているのは、神様(守護霊)からのメッセージではありません。
人間というものはほとんどが損得勘定(感情)で動いているので、度々、誤った判断をしてしまうのです。無限なる叡智!
正しい判断力を身に付けるにはどうしたらいいか?
それは以下の本文を読んでください(笑)
きっと、ヒントが隠されていると思います。
本文
それから、未来の予言をして、人を恐怖させ、それを入信の手段としているような宗教もま
た誤れるものである。
宗教とは人間を安心立命させることが本意なのであるから、その日常生活が、宗教に入ったために、かえって不安になったり、乱れたりしては、宗教が人間に害を及ぼすことになる。
真の宗教とは、業生を超えて神仏に直通する道を指し示し、導き上げてくるものであり、真の信仰とは愛と真をますます深め高め、人類大調和創造のために、偉大なる勇気を湧き上げさせるようなものでなければならない。
宗教に入って、不安動揺するならば、その宗教が間違いか、その人の信仰が間違いかのどちらかである。
いかなる正しい宗教に入っても、直ちに安心立命の境地に入れるわけのものではないが、それは、その人、その人の信仰の深さ、信行の真剣さによって、時間の短縮はいくらでもできるのである。
真の宗教家を求めるならば、まず自己の守護霊、守護神に心を傾けて熱心に頼むべきである。
守護霊、守護神は、必ず、その人を一番適当な宗教家や指導者のもとに送りこんでくれるのである。
その時は、何か、安心に似た感じか、懐かしい、嬉しい感じがするものである。
いかに高い教えを説く宗教に誘われても、守護霊、守護神に念じてみて、行きたくなかったり、行っても心が不安であったりしたら、その時は、その人の心境に、その教えが適さないのであるからである。
なんでもまず、自己の心の指導者、行動の守護者である、守護霊に念じてみることである。
必ず現界における、善き相手をその人の前に現わしてくれるのである。
『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版
追伸
正しい直観は、守護霊様(霊界)からもたらされます。
ですから、24時間プラスαで見守ってくださっている守護霊様に感謝(感謝は光)をしていると必ずなんらかのメッセージを戴けるのです。
世界平和の祈りの中には、守護霊様、守護神様への感謝の言葉が入っています。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
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