自分の想いを投げ出して、運命を神様に任せたとき、光輝く
大人の人間がなぜ幸せになれないかというと絶対なるものがないからです。
赤ちゃんやものごころがついていない幼子が幸せそうに見えるのは、絶対なるものがあるからです。
赤ちゃんや幼子は、自分では何も出来ない、だから母親にすべて全託なのです。
朝起きて、食べることから、おしめを代えてもらうこと、あやしてもらうことまですべてやってもらえる、泣きわめいても、うんちをもらしても、ミルクが遅いと怒っても
「かわいい、かわいい」 と笑顔で接してくれてすべての我儘を許してくれるのです。
こんな楽なことはない(笑)
赤ちゃんは信じ切っている、「この母親に任せておけば自分は絶対に幸せになる」・・・と
本当は、そんなことは想わないのだけれど(笑)
赤ちゃんの心境を代弁するとそうだと想うのです。
「私のいのちはすべてあなたにお任せしました、どうぞお母様のお好きなようにお使いください」
なにも出来ない赤ちゃんにとって、母親は神様なのです。
オールマイティ(完全)なる存在なのです。
だがしかし、赤ちゃんが成長し、物ごころが付いてくるようになると
母親がオールマイティ(神)でないことに気づき、頼ろうとすると 手のひらを返したように
「甘えるな、いい加減でもう自立しなさい」 (笑)
と言われるようになる。
あの幸せだった日々はなんだったのか? と途方に暮れるのです。
そして完全なるもの、絶対なるものを失った人間は、不安になるのです。
「これからどうしよう」
「自分はこれからどうなるのだろう?」
「私は誰かに愛されているのだろうか?」
そんなとき、幼い時に居た母親のように
「あなたは絶対に大丈夫よ、だって完全なる私がついているんだから、私はあなたにどんなことがあっても必ずあなたを愛し、守り続けます」
と言ってくれる人がいたら、どんなに精神的に楽になるでしょう。
守護霊様、守護神様とははそんな存在なのです。
自分の運命は神様は知っていらっしゃるのです。
だから自分でどうにかしよう、どうなるんだろう? とじたばたすることはないのです。
神様にすべてをお任せすればいいのです。
本文
神様は絶対なる愛なんです。
これを信じなきゃダメです。
私なんかこうなる間に、随分神様の愛を知ってきました。
ことごとに神様(守護神)の愛をよーく知り素晴らしいなァと思っています。
守護神は危うくなれば助けてくれる。
溺れそうになれば引き上げてくれる。
まいりそうになったら絶対に助けてくれる。
神様に全託して不幸になることは、絶対にないことを、私は自分で確信しています。
また私のところへ来ている人たちも、皆そうです。
だから第一番になさねばならぬことは、神様は愛なんだ、神様は絶対に人間を不幸にすることはない、と断固として思うことです。
神様は絶対に人間を不幸にすることはないんだ。
だから神様にすべてをあずけて、世界平和の祈りをしていればいいんだ。
自分の運命は神様が知っていらっしゃるんだから、神様に協力して、世界人類の平和を願おう。
そういう気持ちになると、その人はダーンと高くなってしまう。
どうか病気を治して、子どもの運命を・・・・とやっているのが、世界人類が平和でありますように、私どもの天命がまっとうされますように、と祈ると、ダーンと上にあがっていっちゃうんですよ。
世界人類の幸福を願う想いと、自分一人の運命の幸福を願う想いと、どちらが広いか、これは一目瞭然わかりましょ。
世界人類が平和でありますように、という想いは崇高なる想いです。
その想いの中に、全部自分の運命を委ねるんですよ。
そうしますと、自分の体から後光が射します。
光り輝くのです。
「自分も光る 人類も光る」 五井昌久 白光出版
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