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2017年4月30日 (日)

霊的なものが99%ニセモノであることの根拠

 
 

私は、霊的なもの(あえて何がとは言いませんが)の99%はニセモノだと述べましたが、では1%はほんものなのか?になると思います。

 

はっきりと申しますと99、9999%、つまりほんものは皆無だと思ってください。(そういう意味では私もにせものです、完璧ではありません、だから死んでもしません)

 

ほんものって100%純粋でなければいけないのです。(特に神様事は)

 

がしかし、それは厳しいものであり、70~80%で及第点だとしても、霊的なものは世間一般のものと比べても平均点で0点もしくは、マイナス100点~限りなく無限に近いマイナスがあまりにも多いのです。(どうしようもないです)

 

なぜ、それほどまでにお粗末かと言いますと、ほんものはずっとずっと奥深いところにあるからです。

 

いつも言っていますように肉体界の奥には幽界、霊界、神界があります。


私たちは、実は肉体界と同時に幽界、霊界、神界にも住んでいる

だから意識がどこにあるか? なのです。

 

ほんものとは、ほんとうの世界とは神界(天国)なのです。

 

ここにほんとうの自分が居り、本心があるのです。

 

この神界に居る本心と、肉体界の吾がつながることを悟るといいます。

 

悟る状態になるためには、幽界、霊界を超えて神界に行かねばならない

 

そこまで行った人は、地球が誕生してからもそうはおられません。

 

そして瞬間つながったとしても(天才と言われる人たち、ベートーベン等)、あとは外れっぱなしがほとんどなのです(笑)

 

ずっと神界につながり続けることはそれはそれは大変なことなのです。(特に今の汚れた地球世界で)

 

私が聖者(ずっとつながっている人)だと思う人は、お釈迦様、キリスト様、老子様、五井先生、後、一人、二人くらいなのです。

 

つながったり、外れたりの人は、結構おられると思います。(それでも極少、ほんの僅かです)

では、そんな人たち(ほんものにかなり近い)が霊的な世界、霊的なことを吹聴したり、霊的なことを利用して商売をしたりしているかと言うと


“絶対にない” と言えます。(五井先生の愛弟子の人で占いをしている人なんていません)

 

そんなことをしている時点で、汚れています。

神様から外れています。(神秘的でもなんでもありません)

そんな人に、神様(宇宙)は力を与えないのです。(人を霊的に指導し導く力)
 

では、ほとんどの人はどこにつながっているのか?

 

それは、肉体界にくっついている幽界です。

 

迷った魂がたくさんうごめいている世界です。

 

幽界には行こうと思えばすぐに行けます。

 

なんの努力もなく一瞬で行ける

 

それは、「自分に霊的な力を与えてください」 「人から神と崇められるようになりたい」「楽してお金儲けをさせてください」

 

と神社仏閣に行かなくても

 

心の中で唱えればいいからです。

 

すぐに幽界のおばけちゃんが取り憑きます。(だから日頃の想念が大切なのです)


だがしかし、3次元を一生懸命に生きている人は、神秘的なことに疎いです。

財布の中の金額を当てられただけで信用してしまう(神様がそんな低俗なことをするわけがないでしょう)

だが、目に見えない世界があること、エネルギーが大切なことはわかっている


自分の力だけではうまくいかないことも嫌というほどわかっている

 

しかし、神秘的なことには素人です。 知らない世界です。

 

そこに幽界のおばけちゃんに取り憑かれた人が声をかけるのです。

 

3次元で立派に生きている玄人の人が、簡単に騙されてしまう

 

大切に稼いだ尊いお金を、むしり取られてしまう(かなり高額な金額を提示されると聞きます)

 

一生懸命に稼いだお金を人を信用させられて、儲けさせてしまうのです。(だから儲けたお金は汚れているのです)

 

私は3次元を一生懸命に生きている人は、スピリチャルな人に関わってはいけないと思います。

頼る必要なんてないと思います。

 

3次元の終わりは4次元の始まりです。

 

悟ることは出来ます。



あなたにとってほんとうに必要な人は、そんなところで商売などしていません。

 

自分の中にすべての答えは入っています。

 

外には無いのです。


仮にどれだけ立派で優れていて、霊感がある人でも


あなたを守ってくださっている守護霊、守護神以上に素晴らしい人はいないのです。

 

世界平和の祈りを祈っていれば、本心(神界)とつながり

 

必要なメッセージ(神智)はすべて降りて来ます。

 

もちろん無料です。(笑)

 

神様はお金を取ったりなさらないのです。(神社を維持して行くためのお賽銭は別ですが)

 

最後にもう一言

 

3次元で一生懸命に生きている人が、占ってもらっている姿を見ると

 

私には


「釈迦に説法」


にしか見えないのです(笑)



今まで、頼らずに生きて来た人が


神に近づいている人が


マイナス無限大の輩(幽界のお化けに)に騙されてどうするんですか?

もっとご自分に自信を持ってください。

 

ご自分には、無限の可能性があること、無限の霊力があることを知ってください。

 

 

 

 

昨日は天皇誕生日


 

昨日は、昭和天皇のお誕生日でした。(みどりの日に替わりましたが)

私の中で尊敬する人物とは、お釈迦様、キリスト様、老子様、五井先生、西園寺昌美先生、私のメンターである于 寿明先生(調和波動気功法創始者)、そして昭和天皇です。(一番最後になって申し訳ありません)

 

昭和天皇は、日本が戦争に負けたときにご自分のご意志で連合軍最高司令官マッカーサー元帥に会いに行かれ、

「自分はどうなってもいいから日本国民を助けてください」

と直談判されたのです。

私はこのことを書いている最中でも涙が溢れてきます。

それくらいご自分が無い、愛そのもの、神そのものの人(霊止)でした。

 

ところでみなさん天皇家の方々が普段どうされているかご存知ない人も多いと思います。

ご公務だけをされていると思われていますが、天皇家の方々は早朝から、祈りの“場”(神聖な場所)へ行かれ、日本国民のみならず、地球人類の幸せと平和を祈っておられるのです。

おそらく、世界平和の祈りに近い言霊だと思います。(天皇家は神道です)

体調のすぐれないときにも、ご公務がお忙しいときにも、早朝からのお祈りは絶対にお止めにならないのです。

その祈りのエネルギーによって私たちは無事(大難が小難になって)に過ごせているのです。

地球は滅亡せず、まだ保たれいるのだと思います。

それに比べて私たちの意識はあまりにも未熟です。幼すぎます。

自分の利益、儲けることばかりを考えている。

家族であるとか、狭い範疇でしか、幸せを祈れていない。

何か不都合なことがあるとすぐに動揺して、感情的(勘定的)になる。

 

地球人類は太陽系の中で一番遅れているそうです。(精神的に)

そして地球よりも進化した星の人たちは私たちを「幼い兄弟たち」と呼んでくれているそうです。

「兄弟」と思ってくれるだけでも有り難いですよね。

そして太陽系の星の中で宇宙(世界)人類の幸せを祈っていないのは、地球人類だけだそうです。(天皇家の人々、世界平和の祈りを祈っている人を除く)

今こそ、私たちの自分の都合はひとまず置いて、いや同時進行でもかまわないから世界平和の祈りを真剣に祈ることが大切ではないでしょうか?

 

世界平和の祈りを祈って、印(我即神也、人類即神也)を組んでいると、地球も調って来ることはもちろん、3次元の自分も整って来るのです。(個人、人類同時成道)

仕事もうまく行くし、健康にもなり、お金にも困らなくなります。(必要以上には入ってこないかもしれませんがそれでいいではありませんか)

自分のためでもあり、人類のためでもある。


私たちは何のために生まれて来たか?

 

それは世界平和を祈るためです。

 

そのことを今、はっきりと言えます。

 

世界人類が平和でありますように

 

日本が平和でありますように

 

私たちの天命がまっとうされますように

 

守護霊様ありがとうございます

 

守護神様ありがとうございます


 
 

 

 

 

如是我聞12(心が主、肉体が従)




心がはげしく動揺することは、暴飲暴食することより、肉体を痛める。

気をつけよう。
 




解釈
 


悲しくて号泣した後で食べるごはんは味がしない、ケンカをしながら食卓を囲んでも美味しく食事をすることはできない。

 
明らかに、胃や身体に悪い影響があったとわかる。
 

病気の原因の多くは心が関係していることがわかる。




調和波動気功法の中に養生法(健康法)として

三少があります。

・考え過ぎず

・喋り過ぎず

・食べ過ぎず


http://www.harmony-wave.jp/


  

如是我聞11(かがみに映った自分から我を取ると神になる)





調和とは自分がなくなることである。





解釈
 

これは般若心経の空即是色(くうそくぜしき)に通じると思う。

 
自分がなくなって空の心境になったとき、すべてのものと調和しすべてのことがわかってくる。

 
自分、自分と壁を造っていては、肉体だけのちっぽけな存在でしかない。
 
 
自分が無くなると心と心が一つに溶け合って、そこに愛が生まれる。



     

如是我聞10(他人は自分の分身です)

  

その人が悪いのではない。業にまきこまれてしまうのだ。

あいつは悪い奴だ、といわれる人は、実は、業をそこに結集させて、代表的に業をけしている役目を荷っているのである。

ああ、ご苦労さま、あの人の天命が完うされますように、と祈れる心は仏の心である。





解釈


ここに書かれている意味が、頭でも心でもわかれば(腑に落ちれば)、人間関係はすべて解決すると言っていいと思います。

私たちは自分は自分、他人は他人と思っている。

そして地球人類の中に自分がいると思っている。

それが違うのです。

太陽の光は地球上のありとあらゆるものを照らしています。

私たち人間一人ひとりにも平等に降り注いでくれています。

しかしその光が別々の光から出たのではなく太陽の一つの光から来たことを忘れているのです。

つまり私たちの原点、元は同じです。

元が同じならば、分かれた光も同じものだとわかります。

私たちは分かれた光(霊)そのものです。

だから自分が他人であり、他人は自分なのです。

太陽は神そのものなので、神様から分かれた光(霊)が人間です。

動物、植物、鉱物・・・は神様が造った被造物で神そのものではありません。

そして自分中心に観るならば、自分を進化向上させてくれるために他人がいろんな役を演じてくれているのです。

テレビのドラマでいろんな役があるのと同じです。

悪役の人は、ほんとうは悪い人ではないのだけれど、仕事として演じていますね。

誰も犯人役の人を極悪人などと思っていません。

自分を成長させる為に他人がいろんな役を演じてくれている、しかし実はその他人はみんな自分自身なんだ。

他人?は過去世の未熟だった自分であったり、未来の成長した自分であったりします。

ちょっとややこしいですか?(笑)

ここでは、自分は他人、他人は自分自身なのだ、わかれば十分だと思います。

そしてアセンション(次元上昇)とは、セパレートしていた自分と他人とが一体となること、一体となって愛(合い)になることだと付け加えておきます。




 

2017年4月29日 (土)

神人が人類、地球を救ってゆく


 

神人(しんじん)・・・・神様と人間が合体した人? 神様のような人?神そのものの人?

これからは神そのものの意識を持った人(神人)が現われ、その神人のバイブレーション

(波動)が人々に伝染し、人々の意識が、肉体(物質)意識から神(宇宙)意識へと変わってゆくのです。

人間は元々、神なので、変化するもしないもないのです。

心(魂)の奥深くには既に神意識が宿っています。

そこにいち早く気づいた人が神人であり、神性を顕わした人(神)の姿を見た人が「自分もそうだったのだ」 と気づいてゆくのです。

神人と言われる人は、言動行為も、もちろんですが、バイブレーション(響き)が素晴らしく

崇高なのです。

意識も波動なので、神意識になった人は、その波動(雰囲気)で判るのです。

見た瞬間、波動に触れた瞬間に 「まるで神様のようだ」 と思わせる。

そんな人がたくさん現われたら、人類の意識も変わっていきますよね!
 

これから神人が10万人現われると言われています。


その人たちには、宇宙からの光のエネルギーが降りるのです。(光の柱、パワースポット)

その光は、地球の業(マイナスの想念エネルギー)を消し、プラスに転換させるのです。

そして地球が大人の星へと移行する。

それがアセンション(次元上昇)です。

しかし神人は、待っていても現われません。

あなたが神人になるのです。


それでは、神人とはいったいどんな人なのでしょうか?






1.神人とは、我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこに行くのか?を知っ
ている人である。


1.神人とは、自らが 「我即神也」 の真理そのものであることをすでに体験している人で
ある。


1.神人とは、 「我即神也」 という真理の則って祈り、印を組みつつ生きているため、常
に高い波動のエネルギーを周りに放出させている人である。

その結果、低い波動(怒り、憎しみ、妬み、嫌悪、批判、対立、差別・・・・などの否定的感情
想念)は決して自分にひきつけない。


1.神人とは、すでに原因と結果(輪廻転生)という固定観念から卒業し、果因説の次元に
生きはじめている人である。


1.神人とは、神人の魂が最高の能力を発揮できることを知っている人である。

そのためすべての究極の真理に沿って 「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」 の
人生を歩みはじめている。


1.神人とは、素晴らしく輝かしい人生を自らの力で創り出している人である。


1.神人とは、指導者を必要とせず、自らが自らを導く指導者であると自負している人であ
る。 それゆえに人類のリーダーとしての指導者たる道を歩んでいる。


1.神人とは、まさに自らの肉体を通し、今生に四次元世界を顕現させようと常に祈り、印
を組みつづけている人である。


1.神人の生き方こそが人類の意識を変え得る最高の方法である。

そのため、神人一人一人は現実社会において必要とされてくる。


1.神人同士が共通のテーマや課題を一緒に励むことによって、さらに進化創造し、理解も
一層深まり、生きることそのものが、真の喜び、幸せ、誇り、歓喜となり、人類の手本となっ
てゆく。


1.神人同士が共に真理を語り合うことは天に通じ、即、天から光が降り注がれ、世の中に
社会に家族に、自然発生的に真理が行き渡ってゆく。


1.神人とは、決して現象面のプロセスにおいて善い悪いという判断を下さず、決めつけな
い人である。

すべては起こるべくして起こり、消えるべくして消え、解決されるべくして解決されてゆくこと
を深く理解している。

そのため、すべては必ずよくなる、大丈夫、絶対成就という一点一方向、神への道へと導
かれてゆく。


1.神人とは、古い殻、常識、固定観念から抜け出している人である。

そのため、高次元意識レベルにおいての解決を為し遂げてゆく。


1.人々が一人では見出せなかった問題解決法であっても、神人同士は、問題の奥にある
過去の誤った認識に気づき、即そこから抜け出すことが出来る。


1.神人にとっての問題解決法とは、何事も他に依存せず、自らに問いかけることによって
答えを見出すことである。


1.神人同士の交流によって、お互いのエネルギーがひきつけ合い、高まり合い、無限な
る直観力が同時に引き降ろされ、一人では体験できない解決策や真の至福がもたらされる。



最後に究極の神人について述べてみましょう。


1.究極の神人は、意識的に自分の人生や欲しいものを創造し物質化することが出来る。


1.究極の神人は、自らが創造し、現実化することは、すべて常に宇宙神との共同創造で
あることをすでに体験して知っている。

1.究極の神人は、自らが意識すれば宇宙神の無限なるエネルギー、可能性が自らのイ
メージしたものに同調し、超強力なる力が与えられる。

それは確実にこの世において形を取りはじめ、ついに実現可能となる。


1.究極の神人が現実化したものは、すべて自らが強力に意識し、信じた結果である。
要するに自らの魂を吹き込んだ結果である。





『つながり合う世界』 西園寺昌美 白光出版




  

如是我聞9(99%はにせものだと思ったほうがいい)

 


霊的な人にはつねに注意をはらえ。

 

                 五井昌久

解釈
 
これを書いている私、グッドムーンが霊的だと思われているかもしれませんが(笑)

私は、友達にもなっておらず、そしてフォローもせず、ただ読みに来てくださる人がおられるだけでもいいと思っているのです。

その中で、真理がわかっていただけ、生きることが苦痛で無くなり、もしかしたら世界平和の祈りを密かに祈ってくださる方が出てくれば、それで十分です。

そのつもりで書いています。(多くを期待していません)

だから私に近づくのも慎重にしてください(笑)

ご縁があれば、守護霊さんが繋げてくださいます。
 
それだけ巷にもネットにも、Facebookにも邪なものが多いということです。

私が見るところ99%ニセモノです。

お金をむしり取ろうとしています。

後ろに幽界のお化けちゃんが付いています。
 
ほんものはほとんどお金がかかりません。(必要経費はかかりますが基本ただです)

どうしたら惑わされないか?

それはつねに守護霊に感謝をして守ってもらうこと
 
そしてスッキリしない、気持ちが悪くなったら偽物だと思うこと

守護霊が気分を悪くさせて知らせてくれているのです。
 

でも一番いい方法は霊的な人には近づかないことです。


  

数字は真理を現わしています(稼ぐと儲けるの違い)

 

稼ぐは、相手のために準備をしたり、勉強をしたり額に汗して自分の出した汗をお金というエネルギーに換えるのです。

エネルギーがスッキリしています。

儲けるとは、汗を流さずお金を得ようとするので正常な交換が出来ないのです(横取りしているだけ)

以下の数字の意味には、人間として正常に稼ぐための段階、段取り、心構えも書かれています。

「一」 イコール 位置確認、立ち位置を決める。

「二」 イコール荷役を負う

「三」 イコール参じる(参加)

「四」 イコール仕える(仕事をする)

「五」 イコール伍する(進める)

「六」 イコール禄を食む(稼ぎを得る)

「七」 イコール質が決まる

で始めて社会に打って出るところに立つ。

 

この後「十二」まであるのですが、ここで一旦区切ります。

 

私はこの中で「六」の禄、稼ぎを得るに興味を持ちました。(禄は給与のこと)

儲けることと稼ぐことの違い

仕事に対する姿勢などに悩んでいたからです。

どうも仕事(自営業)に身が入らない

他のことに価値観や興味を持ってしまう(気が散る)

こんなことではいけない!

そう思っていたときでした

この記事を読んだのは・・・・

「六」の数字の意味? なぜ稼ぎを得ることが「六」なんだろう?

首をひねっていると、

しばらくして、ある人が教えてくださいました。

稼げない、稼がない男は

「ろくでなし」 「ろくでもない」 「宿六」

「四の五の言わず、黙って働いて、稼いで来い!」

であることを・・・・。

能書きや理屈はいいから

とにかく

お金を稼いで来る (しかし、まっとうなやり方で)

そして

子どもや奥さん、周りを楽にさせる

それが「六」の真理だと思いました。

「八」 イコール発心する

「九」 イコール究める

「十」 イコール充分に満ちる

「十一」 イコール士(武士、サムライ)

「十二」 イコール十二分

以上です。

あなたは、「一」~「十二」のどの立ち位置に居ますか?

私は位置 「一」 から出直します(笑)

ところで感想ですが、「八」の発心は、発信と同意語ですよね。

自分が言葉であれ、文章であれ、もちろんSNSでも発信しているのは、心の中を出しているということです。

いいかげんなことは書けないと思います。

あとは、「十一」が士(サムライ)であることに驚きました。

ほんとうの武士とは、戦い争う士ではない

戈=戦を止める人であると聴いたことがあります。

数字は奥が深いですね。


  

神社仏閣で絶対にやってはいけないこと

ゴールデンウィークでパワースポットや神社仏閣に行かれる人は多いと思います。

たとえば、神社とは神様が住む社ということであり、本来は浄化されていて霊力(神様の力)があるはずなのですが、宮司さんに“場”を清めよう、神様に住んで戴いて、参拝した人に幸せになってもらおうという純粋な気持ち、自覚が無く、親が宮司だったから引き継いだだけなどという社には、神様はいません。

代わりにいるのは、幽界のお化けちゃんです。

私は浄まった神社仏閣にしか行きません。

だがしかし、浄まった神社仏閣は非常に、非常に少ないのが現状です。

パワースポットもそうです。

昔はどうだったかはわかりませんが、ほとんどは霊力は無くなっています。

それはたくさんの人が訪れるので、想念で汚れてしまっているからです。

そして同じように幽界のお化けちゃんの棲家になっています。

観光地も昔、悟った人が“光の柱”を降ろした場所が光っていたので、多くの人が光を観に命の洗濯に行ったのです。

そこに居るだけで心が洗われたからです。

だから観光地と言うのです。

しかし、今や寂れた観光地が多いです。

それは、その後浄める人がいなかったからです。

話が長くなりました(笑)

どうしても神社仏閣が好きで行きたい人は以下のようなことは絶対に願わないようにしてください。

幽界のお化けちゃんが喜んですぐに取り憑いて来ます。

取り返しのつかないことになります。

「楽して儲けさせてください」

「お金儲けがうまくいきますように」

「人の気持ちがわかるような力をください」

「〇〇さんを自分の思い通りになるようにしてください」

・・・・

特にお金にまつわることをお願いするのは危険です。

お金は勘定、感情霊(動物霊・不良霊)と共鳴するからです。

商売をお願いしたい人は、稼ぐという言葉を使ってください。

稼ぐは、人間としてあるべき姿です。

儲けるという言葉は禁句です。

今、稼ぐと儲けるが同意語になってしまっているから世の中がおかしくなっているのです。

雲泥万里の差があるのです。

私は、パワースポットや神社仏閣に行く必要はないと思っています。

自分が光の柱(パワースポット)になればいいからです。

世界平和の祈りと印は天地を貫く“光の柱”になるのです。



  

 

成功するための秘訣は謙虚であることだそうです




成功している人の多くとは、目がギラギラしていて、どこかに儲け話があると目ざとく見つけてお金を愛し、いつも美味しいものを食べている(笑)という印象があるのですが、ほんとうは全然違っているようです。

成功するということは、みんなが応援してくれるような人であること、愛される人だから人もお金も近づいていったのだ。

だから成功するって難しいことではない、人に好かれたらいいんだ

ということがわかったのです。

なぜわかったのか?って

それは、ある本を読んで腑に落ちたのです。

昨日、調和波動気功法のセミナーがあって、于先生におススメ本として紹介していただきました。

セミナーが終わってすぐに紀伊国屋に駆けつけ、家に帰るのも待てずに電車の中で読み出し、3時間程で読破してしまいました。

それほど、興味深い、人生のエキスが書いてある、素晴らしい本でした。

これからしばらくは書くことに困らなくなりそうです(笑)

この本に書いてある素晴らしい “言葉” をみなさんにご紹介したくてウズウズしているからです。

この本には、“人生を開く99の基本” が書かれています。

99全部はご紹介出来ないですが、その中でも特に響いた文章を抜粋します。

みなさ~ん、くれぐれも、「グッドムーンが感想を書いているから本を買って読まなくてもいいや」 って思わないでくださいね(笑)。

それは人それぞれ個人にとって響くところが違うからです。

もしかしたら書いていないところであなたにとってとても大切な箇所があるかもしれない。

あなただけの大切な “生き方” を是非、見つけてください。

では、いきなり最初の頁(ページ)から心に響いた文章(言葉)をご紹介します。

この本の内容は著者である、上阪 徹さんが成功したたくさんの人にインタビューして心に響いたものをまとめたものです。

成功者には、共通点があるようです。

そしてそこには大切なこと(真理)がちりばめられているようです。

 

 

そもそも世の中は理不尽で不平等である




文学専攻の著名な大学教授に取材をしているときでした。 

次々に質問を繰り出していた私に対して、彼が突然こう聞いてきたのです。

「上阪さん、ドストエフスキーを読まなければならない理由を知っていますか」

私がキョトンとしていると、彼は訥々(とつとつ)と語り始めました。

「ドストエフスキーの小説には、人間というもののすべてが詰まっているんですよ。

 特に、人間が生きる世界が、いかに理不尽で、無慈悲で、不平等で、不合理で、残酷なものであるかが語られている。

それを理解して生きるのと、まったく理解しないで生きるのとでは、人生は大きく変わっていくんです」

たとえば、何か苦しいことがあったとき、人は思ってしがちです。

「どうして自分だけ、こんな目に遭わなければいけないのか。こんな努力をしているのに、どうして結果が出ないのか・・・・・・」

しかし、もし 「そもそも人生は不公平で不平等で極めて厳しいもので、ラクな道など、もともとない、ありえない」 と認識していたとしたら、どうでしょうか。

取材した多くの方に感じたことがありました。

みなさん大変な努力や苦労をしている。

だからこそ、大きな成功を手にしているわけですが、本人たちはそれを大した努力や苦労と思っていないのです。

思えば私自身20代の頃は、何かに期待し、幸運を待ち望み、努力が結果につながらないことに怒り、自分を責め続けていました。

ひどい20代でした。

ところが、苦しさは当たり前なのだ、と思えるようになった30代から、人生は一変しました。

その最大の要因は、生きる前提が変わったことだと私は思っています。

生きていくのは、そもそも大変、ラクをして生きられるなんてありえない、努力が必ずしも報われるとは限らない・・・・・。

そう思うようになれば、そのつもりで行動するようになる。

自分に納得できるようになる。

認識が言動を変え、結果をも大きく変えるのです。

世の中に期待しない。 

その覚悟だけでも、人生は変わります。

 

    ━ 人生や世の中に、過度に期待していませんか?

 

   「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社




 


追伸・・・タイトルの成功者の多くは謙虚なのだ と文章の内容がマッチしていないので補足します(笑)

于先生は、人に好かれるにはどうしたらいいのでしょうか?とある人に質問されました。

ある人は、「笑顔でいることですか?」 と答えられたのですが、ずっとどんな時でも感情を表に出さずに笑っていることは至難の業のようです。

では、どのような人になればいいのか?

ところで

お年寄りに好かれる第一条件とは、謙虚であることなのだそうです。

いつも控え目でいる、出しゃばらない、それでいてちゃんと気配りが出来る・・・・

お年寄りに限らず、どんな人にでも好かれる人とは謙虚な人なのです。(そばに居て楽だからなんでしょうね)

ずっと笑顔で居続けることよりも、謙虚で居つづけること

「その方が自分には出来そうだな」

そう思ったのでした。

そして、本当の成功者とは、みなさん謙虚な人なのだそうです。

 

如是我聞8(病気もあながち悪いものではない)





心配や悩みは毒素となって身体にたまるが、生命力が下痢や痰に出させて消してくれる。





解釈
 

台風や地震の天変地変は人間の汚れた想念を浄化するための波動調整なのです。
 
台風が去った後、爽やかな気持ちになるのは浄化されて綺麗な澄んだ空気になっているからです。
 
人間の身体が東洋医学では小宇宙と云われているのは、地球を含めた大宇宙に対し人は地球そのもの、宇宙そのものであるからです。
 
台風や地震と同じように心配や悩みの不調和なものは身体にたまっては生命(いのち)にかかわるので毒素になって下痢や痰になるのです。
 
だから病気は正常な状態にするための波動調整なのです。
 
波動調整とは本来の姿に戻すために波(エネルギー)を整えることです。
 
 
宇宙のなかのすべてのものは波動で出来ています。



追伸

人間が小宇宙(神)、地球そのものだと言われる所以(ゆえん)ですが

人間の身体も地球も70%は水で出来ています

地球上の河川の長さと人間の血管の長さはほぼイコールだそうです

そして人間の身体には、神経が通っています。

神経とは、神の経(みち)のことです。


    

如是我聞7(大聖者は街中に住む)


 

 
小聖は山にかくれ、大聖は街にひそむ。汚れに住みして汚れに把われず、生命そのままに生きられる人は大聖である。




解釈

 

山にこもって修行して来たという人を私はすごいとも素晴らしいとも思わない。
 
その人が街中で立派に自立して、色んな人間関係にも出来事にもキチンと対処出来たり、人との調和がとれたりしていれば別であるが、世間が嫌になったと逃げていて、それで厳しい修行によって悟りを開きました。は違うと思う。

少し厳しすぎますか?
 
街中に住んで、仕事をして、家族があれば家族を整えて、人ともうまく付き合っていけている人を私は尊敬する。
 

だから、経済的にも精神的にも自立出来ている人、自立しようとしている人は素晴らしい!と思う。

人は「自立」出来て、初めて幸せになる。

私は精神的な自立とは、自分や家族の幸せだけではなく、人類の幸せを祈れる人だと思っている。

 

 

如是我聞6(自分があってはいけない)



 


何事もそうだけれど、心を緊張させて固くなってはいけません。力むということは、やはりそれだけ自分がやる、という 「自分」 が残っているからです。



 

解釈

 

「自分」があってはなぜいけないのか?
 
よく自我があった方がいい、自分を主張しなければ駄目だ、と云いますが本当にそうでしょうか?
 
今の競争社会が人々を幸せにするのでしょうか?
 

オリンピックでインタビューを受けた時、「頑張ります、必ず金を取ります」 と力(りき)んでいる人はなかなか本来の力を発揮することは出来ない。

 
人間は本来持っている力の数%しか出していないと云われています。
 
力むと肉体の力の数%しか出せず、本来の力は奥に閉まったままになっている。


ここで「我」について書かれた出口光さんの記事があります。

ご紹介します。


毎朝、私たちは鏡を見ます。

「鏡」は天皇家の「三種の神器」の一つでもあります。

伊勢神宮をはじめとする多くの神社の鳥居を

一礼して入っていくと

そこには手水場があり、手と口を浄めます。

それは、心のチリを祓う象徴的な所作です。
 
多くの神社の本殿には、「鏡」が置かれていて

なんと、その「鏡」には自分の姿が映ります。

「鏡」という漢字は大和言葉で、

「かがみ」と書きます。

「かがみ」の「が」をとれば、

「かみ」となります。

日本の神道では

人間は神の分霊であり、究極には神は自分なのです。

なんと、神社では自分を拝んでいることになるのです。

・・・・・・・・・おしまい

「我」を自分で取ることは難しいです。

では、どうしたら「我」や想いの「癖」は取れるのでしょうか?

性格の修正は

やはり

守護霊さん守護神さんにお願いするしかありません。

「守護霊さん、守護神さんどうぞこの私の忌まわしい?「我」や「癖」を取ってください」

と世界平和の祈りの中に入れてしまうのです。

我即神也の印を組むのです。

そうすると祈りで浄められ、神であった自分が顕われてきます。

そして

邪魔をしていた「我」が少なくなっていることに気づくのです。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

2017年4月28日 (金)

人間はエネルギーが変わってから、意識が変わる(私が一番言いたいこと)



少し個人的で、神秘的な話をします。

今から20年ほど前の話なのですが、私の友人を通して「オーラ診断」をして戴いたことがありました。

その頃の私は、神秘的なことなど全く興味は無く、巷にある占いやましてや「オーラ診断」などには嫌悪感さえ持っていました。

しかしその診断をしてくださる方(女性)は、以前から知っていて、なんの私心もなく

「世の中にこんなに爽やかでエネルギーが澄んでいる人がいる人がいるのだろうか?」と感じていたのです。

その方が、友人に「グッドムーンさんに私の診断を受けてもらいたい」と言っておられたと聞いて

「それならば」

と思ったのです。

その方の診断でなければ受けなかったと思います。

そしてそのオーラ診断は衝撃的でした。

前世のこと、そしてその結果として今の自分がいることなど、今まで自分で知らなかったこと、不思議だったことを次々に語ってくださったのです。

それもオーラ写真を通してではなく、霊視をされていました。

その方は写真が無くてもわかるのですが、それでは相手の人が客観視できない、科学的でない

そのためのツールとしての写真でした。(写真を見ての診断はほとんどなかったと思います)

その人は、ただの霊能者ではなく、守護霊守護神とつながった、ほんものの人(霊止)だったのです。

今までの?????がすっかりクリアになった私はスッキリとして

紹介してくれた友人(一緒にオーラ診断を聞いてくれていました)とその方(これからA子さんと呼びます)と3人で喫茶店に行きました。

その頃の私は、金融関係の仕事をしていて勘定(感情)まみれになっていました。

そして一日にタバコを2~3箱も吸っていました。

すごいストレスの中にいました。

喫茶店について、座るとすぐにタバコを吸いたくなり

「吸ってもよろしいでしょうか?」

と言ったところ

A子さんはなんのためらいもなく

笑顔を浮かべて

「どうぞ」

と言ってくださったのです。

喫茶店ではとりとめのない、雑談をしていたと思います。

そして次の日ですが

私は、妻の実家に遊びに来ていました。

 

そしていつものようにタバコに火をつけると

なんと不味(まず)過ぎて吸えないのです。

まるで毒を食しているようでした。

そのときの顔は、鬼の形相だったと思います。

そしてその場で残ったタバコの箱をねじり曲げ

ゴミ箱に捨ててしまいました。

 

その日以来、タバコは一本も吸っていません。

 

驚いたのは、周りです。

ヘビースモーカーだった私が

あれほど妻に止めるように言われても

まったく聞く耳を持たなかった私が

いとも簡単に

それも突然止めてしまった

 

そのときには

「なぜ止めれたのだろう?」

と不思議でしたが

今はハッキリとわかります。

A子さんが、オーラ診断、そして喫茶店にいる間に

私を浄めてくださっていたのです。(どうやってかは割愛します)

 

そして次の日には

 

全く違う波動体(エネルギー)になっていた

 

意識が変わったのではなく

エネルギーが変わったので

意識が変わったのです。

 

今、ネットでは人々の意識を変えるために、変える必要があるために

様々な記事や投稿が出ています。

 

特に、健康については

発がん性のある食品を食べるな!

糖(炭水化物)が人類をダメにする

薬は毒である

医療界は腐っている

テレビや新聞ではほんとうのこと(真実)は語られない

・・・・・・・

これだけたくさんの人が声を挙げれば

徐々に意識は変わってゆき

いつかは、大変革が起こると思っていたのです。

だがしかし

人間の潜在意識はそう簡単に変わるものではありません

病気などになって痛い目に遭った人でも

喉元過ぎれば

「そんなこと言っても疲れたときにはやっぱり自分にご褒美をあげないとね」

「なるべく気をつけることで、良しとしよう」

になるのです。

そして痛い目に遭っていない人はなおさらです。

「健康になるためにはお金がかかる」

「お腹を満たすには、ジャンクフードで十分だ」

「そんなに体に悪いものを売るはずがないじゃないか!」

・・・・・・・・・・・・

これの繰り返しです。

・・・・・・・・・・・・

では、どうすれば人間の意識は変わるのか?

それは私が経験したように

光を浴びて、浄化されて

悪い波動(私の場合はタバコ)と共鳴しない、出来ないようになるしかないと思ったのです。

身体に悪いものは、巷に溢れかえっています。

コンビニ、スーパーには9割が口に入れてはいけない食品ばかりです。(発がん性、防腐剤・・・)

エネルギーが変わると

口に入れた途端

「わぁ不味い」

「こんなもの食べれるか!」

になるのです。

頭で理解しているうちはダメです。

エネルギーが変わって

始めて意識が付いてくるのです。

10万人の人が真理を知って

神人になって(神人になるための課題があります)

光の柱になって

光を降ろせる器になって

宇宙から、神界から無限のプラスのエネルギーを降ろせるようになって

地球上のエネルギーが変わって(ほんとうは既に5次元のエネルギーに変わっているのですが)

地球人類が光のシャワーを十分に浴びて

そこで始めて

ほんとうの意識改革が起きるのです。

化学反応が起きるのです。

・・・・・・・・・・

ですから

祈りしかないのです。

印、マンダラが必要なのです。

 

祈り、印を組むことで自分のエネルギーが変わります。

エネルギーが変わると意識が変わるのです。

そのエネルギーは宇宙に充満します。

地球人類に影響を及ぼします。

これが真理の真理です。

地球人類が目覚めてゆくプロセスです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

  
 

如是我聞5(苦しみが喜びに変わる)





苦しみが多ければ多いほど、深ければ深いほど、のちにくる喜びも多くまた深い。

 

 
解釈

 

人は 「何事もないのが一番、平凡なのが幸せ」 と云っているが、あまりに何も無さ過ぎると 「何か起こらないかなぁ」 と勝手なことを思ってしまうものです。
 
 
同じ経験をしていてもある人にとってはたいしたことでもないのに、違う人には苦しい耐え難い経験になるのかもしれない。
  
 
そして、耐え難い経験をした人はそのことに免疫がついて心が強くなっていく。
 
 
決して、無駄な経験はない。

 
心が強くなると少々のことでは苦しまなくなる、動揺しなくなる。

 
人の幸せは平常心になることなので、強くなればなるほど喜びになっていく。

 
苦しみの多さは喜びに比例する。

 
自分や家族、人の苦しみを嘆き悲しむことは違う、ということがわかる。


如是我聞4(反省は少な目に)


  


自己をじっと見つめなさい。
  
澄み切っている自分が真の自分。
 
汚れているもの、不安動揺しているもの、不明朗なものは、すべて真の自分の前を通り過ぎてゆく雲である。



 

解釈


 
牢獄に入れられた人が長い期間ずっと一人でいることで真の自分と出会い、自分と対話して悟る人がいる。
 
忙しさに振り回されて自分を見失っている人がほとんどのなかで、しっかりと自分と向き合うのは難しいのかもしれない。

でも、それをしなければ本当のことや本当の幸せがわかることは出来ない。
  
自分をずっと見つめていると偽者の自分と本物の自分がわかるようになる。
 
忙しいとは心を亡くすという意味だそうです。
 
いくら忙しくても、一日に一回は自分を省(かえり)みることが大切です。
 
 
このことを反省という。


追伸・・・しかし反省ばかりをして反省し過ぎる人がいます。もう終わってしまって消えたものをいつまでも追っかけていたら、潜在意識の中にまたインプットされて再現されてしまいます。

反省の省は少な目とも書きます。

漢字って凄いですね!

 

如是我聞3(想いは重い)





思う通りに生きようと思うのなら、まず想いをなくすことだ。


 

解釈

 

私のメンター(人生の師匠)は

私が想いから言葉を発すると
 
「思うのはいくらでも思えるのです。思いは重いのです」 とおっしゃっていた。
 
確かに人がしゃべっているのでも、

「私はこう思います」、「思うのですけど」、「思ったからです」

そして私が嫌いな言い方(笑)

「・・・したいと思います」等を連発しているのを聴くとこちらまで重たくなってきます。
 

心から出ている言(ことば)は爽やかだけど、頭で混乱した中から出た枝葉の言葉(ことば)は同じようで全然違うものになっている。

 
想いをなくした 「空」 の状態が本心から出た、真(まこと)の言であり、姿であり、行動なのです。
 
 
人は普通想ってから行動する。

 
しかし本当は直観で行動してから、後から考えが付いてくるのです。
 

少し難しいですよね?

 
でも、近い将来、人間はこうなっていきます。


如是我聞2 (分別心はいらない)





現れて来た事柄、想いをつかまえて、いい悪いと分別しているうちは、心の平和は得られない。



 
解釈

もしかしたら私が調和波動気功を学び始めたのはこのことだったのかもしれない。
 
どんなときにも平常心でいたかった、不動心になりたかった。
 
正義感のようなものが良い悪いを分別して自分で勝手に苦しんでいた。
 
W先生は 「ジャッジしないこと、分別心をなくすこと」 を教えてくださいました。
 

おっしゃられる通り、分別する気持ちが少なくなってから幸せを感じることが多くなりました。

2017年4月27日 (木)

“見ざる 聞かざる 言わざる” の意味とは?



  

すごく長い文章なんですが、私の心に響いた素晴しい内容です。


この内容を理解出来れば、人生の達人?になれると思います。(笑)

そして大切なことは、実践することですね!(世界平和の祈りを祈る)

 


五井昌久  把われないこと
 

昔からいわれていることですが、見ざる聞かざる言わざるということはどういうことかというと、見た想いに把われず、聞いた想いにとらわれず、いった言葉に把われず、すべてのものにとらわれないのがいいのだ、ということです。

大体、道とか宗教の教えというものは、すべて想いがとらわれないということを主としているわけです。

想いがとらわれなくなると、神さまからそのままくる行いが出来る。

この世の中では、テレビ、ラジオはいつもいろんなニュースを報道している。

どこどこで強盗があった、火事があった、殺人があった、と嫌なこと暗いことを聞くまいと思ったって聞こえてくる。

新聞を見れば、誘拐があった、事故があった、アメリカがどうだこうだ、見まいと思ったって見えてしまう。

ともかく、見ざるも聞かざるもありゃしない。

今は、文明文化が発達して、マスコミというものが発達してますと、こちらが好むと好まざるとにかかわらず、強制的に見せられる、聞かされる、いわされる。

だから見ざる聞かざるいわざるというのは、本当はいいかもしれないけれど、実際問題としては適用しないわけです。

そこで、私は見てもいい、聞いてもしかたがない、いってもしかたがない。

しかし、あらゆるものはいいことであれ、悪いことであれ、それは消えてゆく姿なんだから、その想いにとらわれてはいけない。

いくらいい言葉をいって、それに人が感動したとしても、それにいつまでもとらわれていたんじゃ進歩がないんだし、また悪い言葉をいっても、しまったと思って

「しまったしまった、私はなんて悪い人間だろう、何でこんなことをいったんだろう」といつまでもとらわれていたんでは、それはかえって業が積もるんだから、いってもしまった悪いことはしかたがないから

「あー悪かったな、これは消えていく姿なんだ、もう再びいいますまい、ああこれで業が一つ減ったんだ」という風に思いながら

“世界人類が平和でありますように、あの人の天命がまっとうされますように” というようにいいなさい。

そういうように想いが出た時、想いにとらわれそうになる時に、それを消えてゆく姿として、平和の祈りの中に入れさせてしまうような教えに転換させたんです。

それはどうしてかというと、私は昔とても短気でしてね、ものすごい感情家だったんです。

私は大体、本質は芸術家ですから、いいものはいい、悪いものは悪い、嫌いなものはもう我慢が出来ないように嫌だったりね。

青年の頃はそういう性質をもっていました。

だから、これじゃいけないな、こういうことじゃいけない、なんとかしてこの短気を押え、この感情に負けないようにしなきゃいけない、というような気持ちが随分強くありました。

なんとかして立派になりたい、感情にとらわれない人間になりたい、愛一念の人間になりたい、と思い続けていたわけです。

それで聖書も読めば、仏教の経典も読んだり、宗教の書、修養書など手当たり次第に読んだり、座禅観法をしたりいろんなことをやったのです。




とらわれを消してくれるもの


そのうちに、とらわれまいとらわれまいとしたんじゃ、かえってとらわれるんだなということがわかったのです。

短気だから短気をなおそうだけじゃだめなんだ。

感情にとらわれちゃいけない、とらわれちゃいけないというと恐怖心が起ってしまう。

それではだめなんだから、どうしたらいいかというと、とらわれを消してくれる何かがなければいけない、それを見つけることだと思った。

それは神さまだと思ったのです。

短気が出たら出たでいい、臆病が出たら出たでしかたがない。

感情が出たらしかたがない。

その時はどうしようもないんだから、そういう時に、ああこれは消えてゆく姿だな、ああこの世に現れているものは、みんな変化変減していく。

常時そのまま変わらないものは一つもない。 みんな変っていく。

自分はだめだ、だめだと思っているうちはだめだいけないという業がまた入ってくるわけですから、いたずらにだめだだめだと思うより、いけなかったな、しまったな、と思ったら

『あッこれは消えてゆく姿だ、どうか神さま消してください、一日も早く消して下さい、どうかあの人の天命がまっとうされますように、私の天命がまっとうされますように、世界人類が平和でありますように』

順序はどうでもよいから、そういう祈り言にして、神様のみ心のなかへ、想いをどんどん送りこんでしまうのです。

神さまは完全円満なんだし、善なんだし、大光明なんですから神様に消せないものはないわけです。

善いものは善いものでそのまま生きるし、悪いものはそのまま消えていく。

だから善悪ともども神さまの中に送りこんで、消してもらう。

そういう風に自然に教わったわけです。

それで消えてゆく姿で世界平和の祈りという教えが出来たわけです。

ああ消えてゆく姿んだなあ、ありがとうございます、世界人類が平和でありますように、私がますます立派になりますように、愛深き私にならしめたまえとか、いろんな言葉で自分の願望をつけ加えてもいいから、みんな神さまの中に入れてしまうわけです。

すると、神さまのほうで、その人に一番適当な生き方をさせるのです。





肉体人間は無力なもの




肉体を持っている人間というものは、罪悪甚重(ざいあくじんじゅう)の凡夫(ぼんぷ)でして、親鸞がつくづく、心は蛇蝎(だかつ)の如くなり、罪悪甚重の凡夫だ、と嘆いていたのがよくわかる。

もう相当悟りすましたような立場にいても、何やかやといろんなことがひっかかってくる。

まして一般の人はひっかかり通しなんです。

何かしらに心がとらわれている。

だから肉体を持っている人間というものは罪悪甚重の凡夫だ、ダメなものだ、ということがわからないとだめなのです。

いつもいっていることですが、心臓を動かすことも、肺臓を動かすことも、肉体の頭では出来得ない。

心臓の止まった死骸に向かって、心臓よ動けといったって動かない。

肉体から魂がぬけたら、どうしようもない。

自分のことも人のことも何事もなし得ない。だから肉体をもった人間というものは無力なものだなあ、ということがハッキリわからないと、悟りにはいかないのです。

自分でなんとか出来るんだ、という想いがあるところからは、本当の悟りも生まれてこないし、安心立命も生まれてきません。

肉体は不完全だからです。不完全なものがいくら力んだって、完全になりっこはないのです。

だから不完全な肉体というものを、一度、肉体人間じゃどうしようもないんだな、とあきらめる。

さてそれでは、なし得るのはどなたかというと、守護霊さんであり、守護神さんで、大神様であるわけです。

そこで、守護霊さん守護神さんお願いいたします。

世界人類が平和でありますように、私共の天命がまっとうされますように、と素直に自分では出来ないことを、みんな神さまに差し上げてしまう。

それがいいことも悪いこともですよ。

よいことは俺がしたんだ。悪いことは人のせいだというのじゃない。

善いことも悪いことも自分ではなし得ない。

肉体人間として生まれてきたその前から、分け生命(いのち)として分かれてきたその時からの因縁、想念や行為がまわりまわって、今日ある肉体の生活として現われている。

ですから、今日ある姿は、今つくったものではなく、今の自分が作ったものでもないのです。

今食べたものが今すぐ栄養になるのではなく、ある時間がたって栄養になってくる。

それと同じように、あらゆるものは、過去世からズーッとつながってきて、今現われてくるんで、今いいことを想えば将来に現われるんです。




今のあなたが悪いのではない



今自分の想念が悪いとする、自分の生活が悪いとする、環境が悪いとする、体が悪いとする。

それは過去世からつながってきた、原因結果がそこに現われて、病弱に現われているのかもしれない。

気が弱く現われているいるのかもしれない。

短気に現われているかもしれない。

貧乏な環境に現われ、不幸な環境に現われているかもしれない。

しかし、それは今の自分そのものじゃないのです。

過去世からの自分の想いがそこに現われて、消えていこうとしているんですよ。

それを掴まえて、私がいい悪いとか、立派だとか立派じゃないとか、悲しいとか憎らしい、とやっているわけです。

過去世のものが流れて来て、現われてくるんだから、いくら掴まったって、現われてくるものは現われてくるんです。

結果として現われてくる。だから現われた結果にとらわれたってしょうがない。

今の自分はどうしたらいいかというと、今思ったこと、今やったことが後の自分の運命を良くするか悪くするかなんですから、今までの悪いくせ、悪い環境があるその上に、私はダメなもんだ、私の環境はなんて不幸なんだろう、私は病弱だ、とつかんでいたら、また悪い同じ波が重なってしまう。

その想いの波からぬけなければならない。

ぬけるためには、それにとらわれてはいけない。

想いにとらわれてはいけないわけです。

そこで、空とか無為とかいうのです。

見ざる聞かざる言わざるもそうなんです。

  
しかし、そういうことをいっても、なかなか普通の人には出来ないから、ここに現われてきたものは、過去世の因縁の結果として出てきたもので、現われたら消えるんだから、今消えてゆこうとしているのです。

そして神さまが処理をして消してくれるんですよ。

だから、現われたら、ああこれは消えていくんだな、と消す先を神さまのなかへ持っていく。

神さまといってもどこにあるかわからないから、人類の一番の目的であり、願いである

“世界人類が平和でありますように”

 という言葉に働く大光明圏、救世の大光明のなかに、祈り言葉とともに持っていってしまうのです。

守護霊さん守護神さんお願いします、と持っていってしまう。

すると、ハイヨ引き受けたと、もともと人は完全円満なんだから、その悪いと思っている想いを、みんな消してくれるわけです。

そうすると、それだけ消えちゃうわけです。

それだけ消えると未来に現われる悪いものが減ってくるのです。

ああこれは消えてゆく姿だな、自分はこんな悪い想いのくせがあるけれども、こんなわがまま、こんな怒り心があるけれども、それはみんな消えていったんだな、あ、出てきた、けれど消えたんだな、また出た。消えたんだな、と世界平和の祈りと共にやっていくうちに、どんどん減って、未来に向かっては悪いものが出て来ない。





輝く未来が約束されている
 



未来へ向かってこんど出てくるものは、何かといったら

“世界人類が平和でありますように” というような尊い人類愛の想いが、そこにいっぱい、溢れ出てくるわけです。

愛の想いは完全円満なのだから、完全円満な姿がだんだん出てくるわけです。

消えてゆく姿で世界平和の祈り というのを、つづけて実行していればいるほど、その人の現在の心も明るく輝いてくるし、未来も完全になってきます。

しまいには絶対完全な人間になるのです。

たいがいの場合、それをいくら教わっても自分はだめなものだ、しゃくにさわる、とか、こんな不幸になって、こんな貧乏になって、こんな病弱になって、とこういうように思う。

思うなといっても、思ってしまうのだから、しかたがない。

思うのも因縁因果なので、思うように出来ているのだから。

だから、思ったら、すぐその場で、ああ先生に教わったのはここだな、と、消えてゆく姿だ、世界人類が平和でありますように、神さまお願い致します、と素直にやると、それだけ減ってゆくのです。

この教えは実にやさしくて、人をとがめるわけでもなければ、自分をとがめるわけでもない。

人間を自然の姿に還そうというわけです。

自然の姿は何かというと、春になれば芽がふき花が開き、夏になれば緑しげり、明るく太陽に照りはえる、というように自然に運行しているんです。

その運行を自然にさせないものは何かというと、神さまから離れた想いなんです。
 

その想いが勝手に自分の運命を作っている、神さまの次元としての運命と、自分の想いで作った運命とが、別々になっちゃってる。
 

だからみんな神さまにまかせて、消えてゆく姿で、世界人類が平和でありますように、とやっていけば、だんだん自分勝手な想いが消えてしまって、光一元の生命そのものの自分と、生まれかわってくるわけです。


生命一元の自分になりきってしまえば、なんにも悪いことは出てこない。

とらわれることもなくなってくる。
 

そうすれば、その人は平和になります。
 

一人の人間が本当に平和になれば、その影響は地球界に及ぼします。
 

宇宙に及ぼすのです。
 

そういう人が多くなれば、世界はいやでも平和になるんです。
 

その先達として、皆さんが世界平和の祈りを一生懸命やっていらっしゃるわけなんですね。
 

だから、皆さん一人一人が平和な気持ちになれば、それだけ世界平和に役立っているんです。
 

自分が平和な気持ちにならなければ、世界平和に役立っていないのです。
 

もし平和な気持ちがなかったら、ますます、一生かけて、二生かけてもいいから、消えてゆく姿で世界平和の祈りをやり続けるのです。
 

必ず平和な気持ち、平和な心が得られます。




                  おしまいです わーい(嬉しい顔)


  

2017年4月26日 (水)

老子の “無為に為せ” (正しい軌道に乗るメソッド)

  


無為とは一言にして申しますと、為にしない、ということなのです。何をしよう、かにをしよう、というように、肉体人間の頭脳でとやかく想いめぐらさないことが無為なのです。
  
そう致しますと、無為を為すとは一体どんなことをするのかという疑問が当然起こってまいります。
 
頭脳で考えないで一体なにができるのであろう、普通の人はこう考えるのが当たり前であります。
 
ここが凡夫と聖者との違いであり、道に乗った人と外れている人との相違なのであります。
 
凡夫は当然のように、この肉体をもった人間を、唯一無二の人間と想っています。
 
しかし聖人は、人間とは生命そのものであって、肉体は一つの生命の道具であり、生命の現れる一つの場所であることを知っています。
 
それは頭で知っているのではなく、事実として承知しているのです。
 
そして自己という一つの生命の流れは、奥深いところから、浅い狭いところまで、無限の段階において働きつづけていることも知っているのであります。
 
ですから、浅い狭い肉体頭脳という場所だけを駆け巡っているような想念や知識をいくら振りまわしていても、大宇宙の法則に乗り切ることはできない。
 
大宇宙の法則に乗って生きてゆかなければ、この狭い肉体世界での生き方さえ正しく行じてはゆけない。と自らの体験で昔からの聖者たちは知っていたのです。
 
そこで、老子は無為と説き、釈尊(お釈迦様)は空(くう)と説き、イエスは神のみ心のごとく、といって全托を説いていたのであります。
 
無為を為し、空になり、全托の境地になりますと、肉体頭脳と奥深い大宇宙の根源の心、つまり宇宙のみ心が一つにすっきりとつながりまして、宇宙の智慧や能力が、そのまま肉体頭脳の智慧能力となってまいりまして、超越的な力を発揮してくるのです。
 
聖人とか達人とかいう人たちは、皆こうした超越能力をもっていたのであります。
 
それ程にならぬとも、人間が真剣に物事にぶつかった時には、瞬間的に想念が統一して、日頃は出もしない力がでてきたり、超越した能力がでたりしてくるのです。
 
これも無為や空の境地に瞬間だけでもなったことになります。
 
地球人間がいつまでも宇宙の法則に乗らずにいたら、いつかは滅び去ってしまいます。
 
ですから、出来るも出来ぬもない、絶対に宇宙法則に乗らねばならぬ時がくるのです。
 
その為に古来から各聖者が肉体頭脳の小智才覚に溺れずに、奥深い神のみ心に波長を合わせろと説きつづけていたのであります。


                    「老子講義」 五井昌久 

 

私が大好きな本「老子講義」の一節です。

本当の人間の壮大さ、奥の深さ、素晴らしさが書かれています。

私たちは肉体が自分じゃない、宇宙そのもの、神そのものなんだってお釈迦様もキリストも聖者たちは言っていたんですね。

それを人間が知ってしまっては民衆を統制しにくい、コントロール出来ない。

だから神は外にあると言った、私の言うことに従っていればいいのだという人に服従してしまっていた。

従っていればいいのだから、楽だから、そこに甘えていた
 

でも、それは違っていたのです。


五感に感じない、奥の世界に入っていくと本当の自分に出会えるのです。

五感に、感じる世界に惑わされてはいけません。

これからは師匠もいらない、宗教もいらない、お金もいらない、自分だけで気づいていけるのです。

向上していけるのです。


  

過去(過去世)の波動がここに現われている

今、アイソン彗星が話題になっていますが(2013年11月30日のブログ)、星というのは不思議であり神秘的でもあるのです。

私たちが今、観ている星は遠い星だと何万光年も離れた星です。

つまり今観ている星の光は、何万年も前の光だったりする。

その星はもう存在していないかもしれない、だからその光は仮の光なのです。

それと同じように、今肉体界に写ってきているものは、過去世の残像です。

自分自身もそうだし、他人もそうだし、景色や建物もそうなのです。

現われては消えてゆくものなのです。

過去世において済んでしまったものが走馬灯のようにフィルムのように現在に写し出されているのです。

仏教において現世のことを写し世というのは、過去世、潜在意識の世界である幽界が時間を経て現世(肉体界)に現われて来ているということです。

「今は今じゃないか? 今は今でしょ(笑)」 とほとんどの人はそう思っています。

しかし真実は、肉体界、現在、今とは過去の残骸です。

仮の世界です、写し世です、写し出されたら後は消えてゆく姿です。

最後に最後に残るのは、魂であり心なのです。

自分という存在も100年もすれば跡形もなく無くなります。

今の景色も100年もすればその面影もありません。

形のあるものはすべて消えてゆく姿なのです。

だったら残るものはなにかというと

心です。

心がすべてのすべてなのです。

そして心は未来永劫、永遠に生き続けるのです。

心が主で肉体が従

肉体、肉体界は過去世のものが写って来ているだけでいつかは消えてゆく姿

そのことが本当にわかったとき、肉体や肉体界への執着が無くなって

本心のある神界へと意識が向くのです。

そのときが本当の自分に出会えるチャンスなのです。


本文

私という肉体は5尺2寸(約157センチ)というもので、この肉体というのは皆さんの目に見えていますね。

目に見えているけれど、実はこれは本当にあるんじゃないんです。

過去の因縁をたどって、ここに現わされているんですよ。

だから今、生活して、今なんか考えている。 今、病気なら病気をしたとする。 それはみんな過去のものが現われて、いわゆる消えてゆく姿なのです。

この肉体生活を営んでいるということは、神さまのみ心を全うする、天命を果そうとすると同時に、過去世の因縁を果している、消えてゆく姿にしているわけです。

両方が同時に肉体として現われているんです。

ですから、今、現われている事柄に対して、なんだかんだと心配したって、苦労したって、なんにもならないわけです。

それはもう過去のものだから、単に消えてゆくだけなんですよ。

それもお腹が痛い、どうしようどうしようと、一生懸命おさえている。

不幸だ不幸だといっている。 しかしそれはどうしたって、心配したってどうしたって、それはもう過去にあるもんだから、過去のものが出てきただけだから、どうしようもないわけです。

映画の撮影を終わってしまって、フィルムが出来ている。 映画館やテレビで上映する、というところになっているわけです。

じゃあ、なんの打つ手もないのか、というとそうではなく、ただ一つあるのです。

それは何かというと、肉体の自分の力でやるのではなくて、守護霊さん守護神さんお願いします、と守護の神霊のほうにフィルムの修正を頼む ━ それだけしかないわけです。

だから我々がしなければならないことは、常に寝ても覚めても、守護霊さん守護神さん有難うございます、神さま有難うございます、といって、神さまの中へ入りこんでしまう、神さまと一つになってしまう。

一つになりながら、一生懸命、日常生活の消えてゆく姿をやっている。 それ以外にないんです。

それをハッキリと観念して純粋に純朴にそれを信じて、行なってゆくということが悟りなんですよ。

そうすると、今まで感じてなかった世界、神霊の世界もハッキリわかってくるし、いろんなことがわかってくる。




       
「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版

 

 




       

地上天国は成るに決まっている



 
最近、また五井先生のご著書を書き写しているのですが(2013年9月21日のブログより)、私の感覚としては、

「こんなに凄いことを、世の中のほとんどの人が知らないことを、サラッと文章にしている本は他にはない。 これが世の中に広まっていないのはあまりにも勿体ない、自分がこれらの本の存在を伝える役割にあるとしたら喜んでその役割を果たしたい」 なのです。

人間の潜在意識の奥の奥で眠っている真理(宇宙の摂理)をひも解いた本があるのに、多くの人はその本に手を延ばして取ろうとはしない。(大きな本屋さんにも置いてあります)

それは、五井先生のご著書は、神界の波動なので、肉体人間波動には合いにくいからなのです。無限なる愛!

真理が高過ぎて、シンクロ(共鳴)しないのです。

あと数年もすれば、肉体人間の波動(エネルギー)が細かくなって「五井先生ブーム」 がやってくるそうなのですが、今は時期尚々なのです。

では、ブームが来るのを待っていればいいかといえばそうではなく、このブログで真理に慣れ親しんでもらって


本を手に取りやすくなったり、いざ本を読んだときにストンと腑に落ちるように準備が必要です。

「こんなにわかりやすく今まで謎に想っていたことを教えてくれる本はないですよ」

「これを読めば、目からウロコ??????あらゆる不安が無くなりますよ」

「自分が何者で何処から来てどこへ行くのかがわかりますよ」

「いのちが永遠であることがわかりますよ」

「死が怖いことではなくなる」

「今までマイナスに思っていたことが実はプラスであったことがわかりますよ」・・・・・・・・・・・・・・・

言いたいことはたくさんあるのだけれど

こうしてみなさんに私が本を読んで特に響いた箇所のダイジェスト版を掲載することで、五井先生や真理に興味を持って頂けたなら幸いです。

今回も凄いことが書かれています。

地球はもうすぐ素晴らしい星に生まれ変わろうとしているのです。(かなり近未来に)

しかし、安倍総理も宗教家も学者も誰も言ってはいません。(マスコミには出ていない)

だからみんなそんなことが起るとは思ってもみないのです。

しかしみなさん夜空に浮かぶ星を見てください。

宇宙(人間も)が進化し続けているのはわかりますよね。

無数にある星の中には、地球よりもずっと進化している星がある。

地球が今、なんらかの節目を迎えていることも感じておられる人も多いと思うのです。(天変地異などで)

自分の目を意識を自分や家族など狭い範疇で向けないでください。

自分や家族の幸せだけではなく、日本や世界が平和になること

そして地球だけではなく宇宙にも目を向けてください。

そうすれば、いろんなことがわかってくるのです。

意識を拡げるだけで、人間は無限大に大きくなれるのです。

そのことがわかる五井先生の文章をご紹介します。


 

 

 地上天国は成るに決まっている 


 

今、世界を見渡しますと、私たちが出てこないで、世界平和の祈りもやらないで、なんにもやらないでこのままいけば、二年ともちません。

この地上世界は武力と武力との争いとなり、あらゆる兵器を使っての戦いとなるでしょう。

平和の祈りもなく、守護霊守護神が働かなくて、そのまま放っておけば大国同士の戦いとなり、終りです。

ところが、一巻の終わりになるようには出来てないんです。

過去世、何べんも何べんも地球界は滅びているのです。

天変地異や戦争で滅びて、今、七劫まで来ているんです。

七というのは完成の意味ですからね。 七劫で完成して、地球が天国になることになっているのです。

これは神さまのみ心では成っているんです。

そのために守護神が働いていて、地球に働きかける訓練を重ねて、今日に至っているんですね。

それで私たちも何べんも何べんも生まれ変わって、神様に楽に使えるような、一番使いやすいような肉体要素を作らされているわけです。

私ばかりじゃないですよ。

いろんな人が何べんも生まれ変わって、肉体要素が霊要素とピタッと合致するように、微妙に働けるように、細かい神様の光と同化するような、そういう想いの人たちが随分出来ているんです。

皆さんも世界平和の祈りを毎日重ねてやっていますと、知らないうちに霊化していって、神様の心がすぐわかる、あるいは知らなくとも神様のみ心の中へ入ってゆくんです。

たとえば自動車が来ても、フッとよけてしまうとか、災いを自然に避けられるような動きになってくるのです。

その一番の達人が植芝盛平先生です。

合気道は宗教の極意です。 先生が言っていることで、いい言葉があるんです。

「私は相手の目を見ない。 なぜなら見ると相手に吸収されてしまうから。 私は相手の身体を見ない。 身体に想いがとらわれるから。 私は相手の剣を見ない。 見るとその中に吸収されてしまうから」 というのです。

では何をしているのかというと

「私は相手を見ない。ただ後ろをむいて立っているだけだ。 相手が私の中にみんな吸収されてしまうんだ」 というんです。

大変な、すごい言葉ですよ。

それを実際にやっているでしょ。 相手がエイッとやっただけで、相手がすっ飛んでしまう。

なんのことはない。 それは何故かというと、自分の中にみんな同化してしまうからです。

敵なんかないんですよ。 自分の中にすべてが入ってしまうんです。 向こうは相手と見てやってくるでしょ。 ところが、こっちは大きくなって宇宙大に拡がってしまうわけなんです。

拡がってしまう、ということは問題にならないというわけでしょ。

けし粒がいくらぶつかってきたって、なんでもないでしょ。

あなたにホコリの小さいのが一つぶつかってきたって、なんでもないでしょ。

ホコリがついて倒れちゃう人はないです。

それと同じことです。いくら押したって、突いたって、何にもならない。

片方は宇宙大に拡がっちゃっているから、みんな吸収しちゃうわけです。

そして天地一体になって、宇宙一杯に拡がっちゃうわけですから。

宇宙一杯に拡がるというのは、想いがない、ということなんです。

この世は相対的でしょ。

陰陽に分かれて相対的です。

この地球界はその相対がさらに細かい相対に分かれたわけです。

それが元の相対、イザナギ、イザナミの昔に還ると二つだけです。

それをもっと昔に還れば大神様一つになるでしょ。

それと同じように、地球界において要するに絶対者になれるわけです。

それは全部想いをなくしてしまう。

空になってしまう。

神様の中に入れてしまうということです。

植芝先生はそれが出来たんです。

だから相手がかかってきた時に、後ろを向いていたって、どこを向いていたって同じことです。

私がこうやっていて、向こうから誰が来ても 「ああ誰が来た」 とわかります。 後ろも前もありゃしない。

遠くのほうにいるタロベエさんはどんな人か、わかっちゃうでしょう。

アメリカにいる人のことを見るのに、目で見ているわけじゃない。

何も見ていない。 それからあなたの後ろについている人は、こういう人だ、とすぐにわかります。

何故わかるかというと、宇宙全体に拡がるという意味と同じなんです。

時間、空間がなくなってしまう。 それはどういうことかというと、元の世界に還っているということです。

神様の中に入っている。 神道的に言えば天御中主大神の中に入っているわけですね。

大神様の中に入ってしまうわけです。

大神様からいろいろ分かれた神々があります。 神々があって、要するに金星の長老のように、地球界の救済のためにいろんな聖者を送っている元締めがいます。

その元締めと、この地球界で働いている人と差があるか、というとないんです。

差があるようでないんです。

金星の長老と五井先生とには差があるかというと、ないんです。

同じものなんです。

金星の長老と大神様と違うかというと、同じものなのです。 わかりますね。

難しいみたいだけれど、難しくないですよ。

五井先生と斎藤さんと違うか、といったら違わない。

斎藤さんとあなた方が違うかといったら違わない。 全く違わない。 みんな神々なんです。

これが真理なんですよ。

神々というものはそういうものなんです。 私とあなた方と違いやしない。

一つも違わない。 違うのは何かというと、想いだけなんです。

想いが勝手に 「違う」 と思っているんです。

その想いを全部、世界平和の祈りの中へ投げ出してしまえば、同じになってしまいます。

全部、五井先生になっちゃう。 全部、金星の長老になっちゃう。

全部、天之御中主大神になるんです。 それが神道の極意なんです。

それを私が一生懸命説くわけです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

  
     
 「神様にまかせきる」 五井昌久 白光出版


  

如是我聞(にょぜがもん)1

 

仏教の経文の最初は如是我聞で始まっているそうです。
 
つまり悟りを開いた仏様のお言葉らしいのですが、先日のセミナーでこの如是我聞という本を読むように先生に言われました。
  
言葉は言霊(ことだま)と云って、エネルギーがあり、
真実、真理を語っているものは人の心を打ちます。
 
私が心に響いた言葉を書き写して、私なりの解釈をしてみたいと思います。
 
文章にすることは、文の意味を理解する上で非常に有効なので、どうかお付き合いください。
 


自分の立場から見て行動するを 「我」 といい、他人の立場をのみ想って行動するを   「愛」 という。それさえも超越してすべて神さままかせにするを 「空(くう)」 という。



人間において美しい行為は2番目の 「愛」 だと思いますが、最初は純粋な愛であっても、見返りを期待したり、執着の愛、情が絡んだ愛情になると人の心を苦しめる、醜いものへと変化していきます。

最初の 「我」 へ戻ってしまうこともよくあることです。
 
そこが愛の難しさであり、本物の愛とは一切、相手に期待しない(ありがとうの言葉さえも)チャリティー、慈愛だと云われています。
  
しかし愛がもっと深くなると自分が愛を行っていることさえ意識をしていない、つまり 
「空」の状態がそうです。
 
まったく自然に何も考えていない状態で、知らない間に愛の行為をしていた。
 
 
そしてたとえ、感謝されたとしてもそのことにも把(とら)われない。 
 
 
そんな人になれたら、どんなにか素晴らしいだろうなぁと思います。


  

お粗末な政界の姿



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

政界をごらんなさい。 与党と野党に分かれていますが、野党がダメだダメだとさかんに突ついています。


どうして人のアラばかり突ついて、人の足を引っぱらなきゃいけないんでしょう。

そうしなきゃ自分が偉くならないと思うんでしょうかね。

自分の政権がとれないと思うんでしょうかね。

人間のみじめな低劣な姿を現わしています。

足ばかりを引っぱらなくて、自分たちのいい政策をかかげて、これでどうかって出せばいい。

人間はもっと立派になって、お互いにほめ讃(たた)えあって、お互いに尊敬し合って生きるべきものなんです。

それが国会を見ているとまるで引っぱりあいです。

長々と国会の討議をやっているのをテレビでみていますと、時間の浪費だし、国民の税金の浪費だなあと思います。

ああいう姿をだんだん改めるためにも、われわれ一人一人が立派になって、本心の世界の、神の救う姿をわれわれ自身が現わして見せなければならないわけです。

その先達として皆さんがあるんです。

世界平和の祈りの同志というのは、神さまの光の柱の中に入っているわけです。

神さまの光の柱の中に入って、永遠の生命の道にすっかり乗り切った人が、平和の祈りのあなた方なんですよ。

皆さんは他の人より立派で輝いています。

中には一般大衆の中に立派な人がいます。

けれどお粗末という人も随分あります。

何がお粗末かというと、心が我欲に満ちている。 自分のことばかり、自分の肉体生活のことばかり、損得勘定ばかりしか考えられない、そういう想いがお粗末というのです。





  

          「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版




いつもでしたら、私の思想を書いてそれから五井先生のご著書を抜粋した文章を載せるのが今までのパターンだったのですが、今回は先に五井先生の文章を読んでいただくことにしました。

この文章は今から40年から50年前のものですが、驚くことに今の国会、政治の姿となんら変わっていないのです。

国民の代表と言われる人たち、公僕でなくてはならない人たち、自分の損得勘定(感情)があってはならないひとたち、自分の保身よりも国民のことを想う人たち、日本のことだけではなく地球世界を俯瞰的に観て、宇宙的視野に立って物事を決めて行ける人たちでなければならない人たちなのに、国民は真逆なひとたちばかりを選んでしまっている。

それは政治家だけではなく、私たち一人一人に責任でもあるのです。

どうすれば日本は善くなるのか? 他国のお手本として、リーダーとして立派な国民になり国になってゆくのかは、私たち一人一人にかかっているのです。

政治家に期待してもだめなのです。

国民の中から、一般大衆の中から天と地を結ぶ光の柱になる人が現われて、その光(無限のプラスのエネルギー)を日本中に、世界中に、いや宇宙中に流してゆけるような人が、本当のリーダーなのです。

まさしく、お釈迦様やキリスト様のような人です。

そのためには、我欲を捨て、宇宙と一体とならなければなりません。

宇宙と一体となるということは、万物と調和するということです。

愛に溢れた人になるということです。

そのような人が現われると周りは一変します。

その人が放つ光でみんなが目覚めるからです。

光を浴びた人々は、我欲くを剥ぎ取られるからです。

地球上に、たくさんのお釈迦様、キリスト様が現われれば、たくさんの光の柱が立つのです。

お釈迦様、キリスト様が現われるというのは、ある日突然、宇宙天使が降り立つと言う意味ではないのです。

一人一人普通の人間が真理に目覚めて、世界平和に祈りを祈り、印を組み

本来の自分の姿に近づいてゆくということです。

人間は本来、神の子なのです。

その姿に戻るだけなのです。

そうなれば自然と政治も善くなってゆきます。

経済も人間関係も、他国との関係も善くなってゆきます。

だから目に見えることに意識を向けるのではなく、目にみえない心を調えることに意識を集中することが大切です。(調和波動気功法)

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


 





 

調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/



  

2017年4月24日 (月)

プラスのエネルギーとマイナスのエネルギー、どっちが強い?

  


「1000人の人にパンを配るより、ほんの一瞬でいいから冷静でいなさい」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、イエス・キリスト様のあまりにも有名なお言葉ですが

私はこのお言葉を思い出すたびに

「ああ、感情的になってはいけないな」

「くだらないことに意識をもって行ってはいけないな」

と思うのです。

目に見える肉体界(この世)においては

貧しい人たちに食べるものを与える人は

素晴らしい人とされています。

しかしその人の心の中が

「恵んでやっているんだ、ありがたいと思え!」

と思っているならば

それはとんでもないマイナスの汚れたエネルギーです

私たちはどうしても目に見える物質に、目も心も行ってしまいますが

心が大切なのです

目にみえないエネルギーが大切なのです

目にみえないエネルギーが未来を創るのです

次のブログでエネルギーとはなんぞや

プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーについてわかりやすい文章を今読んでいる本から抜粋します。



カリヴァン

エネルギーというのは、イコール中立、つまりニュートラルで、そこには全く何もなくて無ですけれども、私たちの意識とか認識とか意思がエネルギーに働きかけることによってそこからプラスのものも生まれるし、マイナスの否定的なものも生まれると思います。

エネルギーを光という視点で考えてみたいと思います。

エネルギーの最も根本は光ですけれども、これはスペクトラム、周波数とも呼べるかもしれません。

ガンマからもっと上のレベルまで、さまざまな周波数があるのですけれども、周波数の最も高いものにおいて、最もエネルギーが充満しています。

愛とか慈悲とかいったポジティブなエネルギーの周波数のほうが高くて、恐れとか報復といったマイナスの感情のエネルギーは低い周波数になっています。

ですから、実際、私たちは今、この世界がいろいろな問題を抱えていて、ともすると非常にネガティブな世界だというふうに感じがちですしもしかすると恐れが充満しているのではないか、暗黒が非常にパワフルでそれに覆われているのではないかと思いがちなのですが、そこに存在するエネルギーというのは周波数も非常に低いし、エネルギーのレベルも低いのです。

ということは、暗黒というものはそれほどパワフルではないということなのです。

暗黒というのは実際は空(くう)で、そこには全く何も存在せず、エネルギーも全くありません。

ですから、私たちの慈悲とか愛の周波数をもっともっとバイブレーションを上げていけばマイナスのものに打ち勝つことができると思います。

たった一人の人の発する無償の愛の周波数のエネルギーのほうが、100人、1000人の人が発する恐れとか報復といったマイナスの周波数のエネルギーよりもはるかに大きいと思います。

 

 
 

西園寺

これこそ初めて世に出す、人類に対する本当の意識改革です。

すばらしい。 私はアグリー・ユー(同感)です。

私は物理とかはわからないけれども、直感として全く正しい論理というものをこの世に打ち出してくださったと思います。

私はいろんな本を読んだり、いろんな人と出会いますけれども、ここまではっきりおっしゃってくださった方は、いらっしゃいませんでした。

私は大変すばらしいと思います。

 

 「ハーモニック・地球ヒーリング」 西園寺昌美 ジュード・カリヴァン共著


 

自信を持ち、強くなるにはどうしたらいいか?




自信のある人ってどんなことがあっても絶対に大丈夫なんだという確信のある人だと思うのです。

絶対に大丈夫とは、明るい未来は必ずやって来る。

そのプロセスにおいていろんな障害があったとしてもそれは一過性のもの(消えてゆく)であって、光を消すものではない。

その未来の姿がハッキリクッキリと見えているから大安心しているのです。

しかし自信のない人は未来だけでなく今も不安であり、おまけに過去まで引きずっている。(無限なる光)

自信のない人が自信をつけるには

自信のある人(光の、真理の伝道師)が未来が明るいことを伝えてゆくしかないと思うのです。

そしてそのメソッドを伝えてゆく。

自分が神の子だと思いたくても思えない人は、我即神也の印を組んでいけば、自分は神であったことを想い出すのです。 (神であることを確信できたなら絶対に大丈夫だとわかる)

光明思想徹底行をすれば、自分が光輝いている存在であることがわかる。

感謝行をすれば、どんなことがあっても感謝の気持ちが湧いてくるようになる。(すべてのことに感謝出来るようになる)

神様は、人間が不幸になることを望んでなどおられない。

地球人類を含めた宇宙全部が幸せ、平和になることを望んでおられます。

その神様の願いに波長を合わせたのが

世界平和の祈りなのです。

宇宙の波長に意識を合わせると

肉体意識を超えて宇宙意識(神意識)へと宇宙大に拡がってゆきます。

宇宙の中に自分がいるのではない、自分の中に宇宙があるのです。

すべてのものは自分の中に入っているのです。



 
世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 

今、最も大切なことは、意識を天に向けること

 

人間の頭のてっぺんは、百会(ひゃくえ)と言って、赤ちゃんのうちは柔らかくてペコペコしています。

大人になるにつれ、固くなっていきます。

宇宙からのエネルギーはここから入って来るのです。

そしてそのエネルギーは60兆の細胞に行き渡り、細胞に活力を与えて、地球の中心へと流れてゆきます。

この流れがスムーズにいっている状態が健康体であり、すっきり爽やか輝いている姿なのです。

だから私たちは意識を天(本心)に向けて、天地を貫く光の柱であることを意識して、本心が肉体に降りて来るようにイメージすればいいのです。

だがしかし私たちは、意識を天、縦 ┃ に向けずに横 ━ に向けている、縦どりせずに横取りしているのです。

だから┃━交差せずに、横 ━ ばかりが拡がっているのです。

これがマイナスです。

天を意識すると縦にエネルギーが流れます。

すると縦横と十字に交差するのです。

これが十字架であり、プラスです。

縦横が交差する点はどこかというとへその下3.5センチにある下丹田(かたんでん)です。

ここに本当の脳(腹脳ともいう)があるのです。

肉体の頭は本当の脳(考える)ではないのです。

人間は肉体の頭で考えるからおかしくなるのです。

気を鎮めて、気(意識)を下丹田に集中させると頭が空っぽになって、スッキリしてきます。

そして天の気(エネルギー・叡智)が入りやすくなるのです。

私たちは、今こそすっきりさわやか、シンプルになることが大切なのです。

調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/

  

自分の想いを投げ出して、運命を神様に任せたとき、光輝く



大人の人間がなぜ幸せになれないかというと絶対なるものがないからです。

赤ちゃんやものごころがついていない幼子が幸せそうに見えるのは、絶対なるものがあるからです。

赤ちゃんや幼子は、自分では何も出来ない、だから母親にすべて全託なのです。

朝起きて、食べることから、おしめを代えてもらうこと、あやしてもらうことまですべてやってもらえる、泣きわめいても、うんちをもらしても、ミルクが遅いと怒っても

「かわいい、かわいい」 と笑顔で接してくれてすべての我儘を許してくれるのです。

こんな楽なことはない(笑)

赤ちゃんは信じ切っている、「この母親に任せておけば自分は絶対に幸せになる」・・・と

本当は、そんなことは想わないのだけれど(笑)

赤ちゃんの心境を代弁するとそうだと想うのです。

「私のいのちはすべてあなたにお任せしました、どうぞお母様のお好きなようにお使いください」

なにも出来ない赤ちゃんにとって、母親は神様なのです。

オールマイティ(完全)なる存在なのです。

だがしかし、赤ちゃんが成長し、物ごころが付いてくるようになると

母親がオールマイティ(神)でないことに気づき、頼ろうとすると 手のひらを返したように

「甘えるな、いい加減でもう自立しなさい」 (笑)

と言われるようになる。

あの幸せだった日々はなんだったのか? と途方に暮れるのです。

そして完全なるもの、絶対なるものを失った人間は、不安になるのです。

「これからどうしよう」

「自分はこれからどうなるのだろう?」

「私は誰かに愛されているのだろうか?」

そんなとき、幼い時に居た母親のように

「あなたは絶対に大丈夫よ、だって完全なる私がついているんだから、私はあなたにどんなことがあっても必ずあなたを愛し、守り続けます」

と言ってくれる人がいたら、どんなに精神的に楽になるでしょう。

守護霊様、守護神様とははそんな存在なのです。

自分の運命は神様は知っていらっしゃるのです。

だから自分でどうにかしよう、どうなるんだろう? とじたばたすることはないのです。

神様にすべてをお任せすればいいのです。


 

本文

神様は絶対なる愛なんです。

これを信じなきゃダメです。

私なんかこうなる間に、随分神様の愛を知ってきました。

ことごとに神様(守護神)の愛をよーく知り素晴らしいなァと思っています。

守護神は危うくなれば助けてくれる。 

溺れそうになれば引き上げてくれる。

まいりそうになったら絶対に助けてくれる。 

神様に全託して不幸になることは、絶対にないことを、私は自分で確信しています。

また私のところへ来ている人たちも、皆そうです。 

だから第一番になさねばならぬことは、神様は愛なんだ、神様は絶対に人間を不幸にすることはない、と断固として思うことです。

神様は絶対に人間を不幸にすることはないんだ。 

だから神様にすべてをあずけて、世界平和の祈りをしていればいいんだ。 

自分の運命は神様が知っていらっしゃるんだから、神様に協力して、世界人類の平和を願おう。 

そういう気持ちになると、その人はダーンと高くなってしまう。

どうか病気を治して、子どもの運命を・・・・とやっているのが、世界人類が平和でありますように、私どもの天命がまっとうされますように、と祈ると、ダーンと上にあがっていっちゃうんですよ。

世界人類の幸福を願う想いと、自分一人の運命の幸福を願う想いと、どちらが広いか、これは一目瞭然わかりましょ。 

世界人類が平和でありますように、という想いは崇高なる想いです。

その想いの中に、全部自分の運命を委ねるんですよ。 

そうしますと、自分の体から後光が射します。 

光り輝くのです。

 

        「自分も光る 人類も光る」 五井昌久 白光出版

2017年4月23日 (日)

交渉事は鯉取りまあしゃんに学べ!


 

私は今、営業(自営)の仕事をしています。

そして毎日のように

「仕事ってなんだろう?」

「どうしたらうまくいくのだろう?」

と考えているのです。

難しく考えれば考えるほどわからなくなります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんなとき、「孫正義名語録」 という本に載っていた

「鯉取りまあしゃん」 の実話(うそのような本当の話)を思い出すのです。

仕事や営業(交渉)はテクニックではない

自分がスッキリすることと(爽やかであること)

相手の人に受け入れられる(慕われる)かなのだ

と原点に戻るのです。

時代の寵児である孫正義さんが交渉の極意は

「鯉取りまあしゃんである」 と言っておられることに初めはびっくりしましたが

なるほど、「流石は孫さん」 と納得したのでした。






 

交渉は 「鯉取りまあしゃん」に学べ。

 

「鯉取りまあしゃん」 とは、上村政雄氏という実在の人物だ。

孫正義の出身県である佐賀県と福岡県の県境を流れる大河・筑後川で、独特の漁法によって鯉を取る名人である。

火野葦平や開高健の小説やエッセーの題材に取り上げられたことでも知られている。

鯉取りまあしゃんが、真冬の筑後川でどのようにして鯉を取っていたのかを紹介しよう。

まず、漁をする数日前から肉やうなぎなど栄養価の高いものを摂り体調を整える。

当日はまず河原で焚き火をして、そこで体から汗が噴き出るくらいまで体を温めるのだ。

その後に川に入り、水底にもぐり横たわる。

すると体の温かさを求めて、鯉が横にやってくるのだ。

まあしゃんはそれを優しく抱き、そしてそのまま陸に上がってくる。

これが鯉取りまあしゃん」の漁法だ。

この方法で、一度に両手と口で3匹を取ることもあったという。

孫正義は社員に交渉の極意を説くときに 「鯉取りまあしゃん」 のようでなければいけないと説いていた。

交渉の前に、じっくりと準備をし、交渉相手が自然とこちらと合意したくなるように交渉するのだ。

孫正義にとって交渉とは、相手を説得することではない。

相手から慕われるためのプロセスなのだ。


  

     「孫正義名語録」 三木雄信著  ソフトバンククリエイティブ
  
 
 

「孫正義名語録」関連ブログは下記をクリックしてください。

http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-7dda.html



  

コーヒーをただで配ったらどうね、みんな飲みにくるばい


 

商売を始めようとする人でなぜか多いのは、宣伝の仕方が下手なのです。(ごめんなさい)

地元の情報誌に載せるのでも安くても3~5万円はかかります。

それだったら5万円分をただ(無料)にして、近所の人に配ったほうがいいと思うのです。

コーヒーだったら1000杯も配れます。(原価50円として)

チラシだったら存在を知ってもらうのに3年かかるところを
一瞬で広めることが出来ます。

どこでお金をかけるか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お金に綺麗な人っていますよね

金放れが良いというか

スパッとタイミングよくお金が使える人

そんな人って “魅力的” だと思うのです。


 

 

コーヒーをただで配ったらどうね。みんな飲みにくるばい。

 

孫正義の父である孫三憲氏は、孫正義を小さなときから一人前の人間として扱い、経営的なことも質問していたという。

あるとき孫三憲氏は、街のメインストリートから一本入った路地に開店した喫茶店の集客に悩んでいた。

そのことを聞かれた少年時代の孫正義が、父親に向かって語った言葉だという。

孫三憲氏が実際にこの言葉通り、コーヒー一杯無料にキャンペーンを行ったところ、たちどころに店は客で満杯にあり、しかも客は、コーヒーを飲むだけでなくトーストやケーキなどの追加注文を当然のようにしたのだった。

この結果、喫茶店の経営は順調に軌道に乗ったという。

この話を私が聞いたのは、ソフトバンクがブロードバンド事業で最大2ヵ月間の無料キャンペーンを検討しているときだった。

孫正義にとっては、コーヒーがブロードバンドに変わっただけだったのだ。

このように、無料サービスでユーザーを増やし、付加価値のある高度なサービスを有料で提供するのは、現在では 「フリーミアム」 というマーケティング手法として知られている。

しかし孫正義は、その手法を何十年も前に独自に生み出し、実験し、成功を収めてきていたのだ。

 

     「孫正義名語録」 三木雄信著 ソフトバンククリエイティブ

従来の仕事がなくなるのなら、自分で創っていけばいい


  
 
自動化が進んで人手をかけてやっていた作業が必要なくなったり、人材採用がグローバル化
する中で業務が外国人に置き換わったり、IT化やデジタル化によって事業や産業そのものが “突然死” したりする。

そうした予測に危機感を募らせているサラリーマンも少なくないだろうが、それは発想が逆である。

もともと仕事というのは 「自分で見つける」 ものだからだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

従来の仕事がなくなるなら、それに代わってこれから必要とされる仕事を見いだし、自分で

仕事を創っていく━そういう発想こそが、求められているのである。
 





     「稼ぐ力」 大前研一 小学館 仕事がなくなる時代の新しい働き方



 
 


「自分も日本も将来どうなるんだ」 と心配してもしかたがない仕事がなくなっていくのだったら、雇ってくれるところがないのだったら、自分で知恵をしぼって

「仕事を創り出せばいい」 のです。

仕事とは、与えられるものである。

だから給与という。

以前、ブログにそう書いたのですが、私たちは従来からあるもの、既存であるものでしか仕事はないと思い込んでいます。

仕事は人から与えられるものではなく、天から与えられるのです。

だから天が望んでいる仕事がきっとあるはずです。


「サムシング・グレート(神)はどんな仕事を人間にさせたがっているのだろう?」

「今、人は何を求めているのだろう?」

「これからはどんな仕事が喜ばれるのだろう?」

ヒントや答はいくらでもあります。

「これだ!」 と ヒラメイタ のならば

忘れないうちに思いつくことを ノートに書きまくるのです。

イメージが浮かんだこと

アンテナにひっかかってきたこと

突拍子もないこと

・・・・・・・・・・・・・・・

頭で考えずに、直観を信じる

そういう癖、習慣をつけていけば

きっと、天(宇宙)が喜ぶ、新しい仕事が見つかります。

これからは個人が仕事をクリエイトしてゆく時代になるのです。

 

参考図書
 

「宇宙が味方する経営」 伊藤忠彦著 関西アーバン銀行頭取


   


私たちの本質は『霊体』である

 

またまた、宇宙が味方する経営からの抜粋です。

この本は正しい経営のあり方も教えてくれるのですが同時に人間とは何かについてもすごいヒントを示してくれています。

私たちは自分をこの肉体だけだと思っています。

心も肉体の一部であって肉体の死はイコール心の死であると 本当にそうでしょうか?


本文


私たちの祖先は、けっして物質偏重の価値観を持っていたわけではありません。

むしろ、大昔の人々は、霊的な感受性に優れていました。

古代の人は自然現象やことばといった目に見えないものに霊的な存在を見出していましたし、世の中のすべてのものに魂が宿っていると認識していました。

それと霊的交流をして感動を覚えていたのです。

しかし、今の時代はこの感動を失い、ものがすべてであると考え、お金や地位といった物質社会における価値観にとらわれるようになってしまいました。

とはいえ、少し発想を変えるだけで、たとえ物質世界に生きていても、物質を超えた価値観を持って生きることができるのです。

それにはどうすればいいかというと、次のように悟ることです。


「私たちの本質は『肉体』ではない。

私たちの本質は『霊体』である」

つまり私たち自身においてもっとも重要なのは、形ある「肉体」ではなく、形のない魂や精神である「霊体」であるということです。

すなわち私たちの実在は見えない「心」であるということです。・・・終



私たちの実在は見えない「心」であるといわれてもすぐにそうかとは思えません。

でもそう思ったほうが自然に自由に生きられます。♪

肉体は心を纏(まと)っている器であって服のようなものです。

服がボロボロになってもこころ(生命)は永遠に生き続けます。

スターバックスコーヒー



宇宙が味方する経営を読んでずっと前に聞いたスターバックスコーヒー(以後SBと表示)の話を思い出しました。(2006年11月6日のブログより)


SBはアメリカで生まれましたが、ある時期経営がうまくいかず倒産寸前でした。

そのような状態にもかかわらず経営者は残ったお金で従業員の給料を上げてあげたそうです。

そして社員だけでなくアルバイト、パートに雇用保険をつけたり(アメリカでは異例のこと)最後の最後に出来るだけのことをしました。

すると店は急にはやりだしてたくさんのお客さんが来るようになりました。

なぜはやりだしたかというと働いている人たちが大事にしてくれたことにうれしくなって生き生きと明るく働き始めたからです。

お客さんはその明るさ(良い波動)に引き寄せられて店に入って来たそうです。

お客さんを大事にする前にまず働いてくれる人に感謝して大切にする。


私の大好きなお話しです。



  

宇宙が味方する経営とは?



  

これから自分は独立したい、会社を立て直したい、大きな目的を持って進んでいきたい、生きがいのある生活を送っていきたいなどのうちどれかは、すべての人が持っている望みだと思います。

けれども自分の努力が正しいのか?願望が叶うだけでなく心を満たすにはどうすればいいのか?わかりません。

物事は物質(目に見える)的なものと精神(目に見えない)的なものの両方が整わないと真の達成感(幸福感)は得られません。

私たちは目に見えるものばかりに心が奪われてその後ろにある偉大な力を忘れてしまっています。

偉大なものとは宇宙の原理、法則のことです。

宇宙の目的は人類の幸せです。

人間が目覚めて幸せになることが目的です。

私たちが子供に幸せになってほしいと願うのと同じことです。

だとすれば企業は人を幸せにする企業になれば、個人も人が喜んでくれることをすれば宇宙が喜んで力を与えてくれます。

与えて戴いて状況が好転することを奇跡といいます。


バブル期に破綻寸前になった関西銀行(現関西アーバン銀行)を宇宙の法則を実践して優良銀行に再生させた人が本を出版されました。画期的な本です。

これからは宇宙の法則を無視した経営は成り立たないと思います。


「本書によって人生や仕事に悩んでいる多くの方々を少しでも勇気づけることができれば、これほど幸いなことはありません。」  ご本人まえがき

 

宇宙が味方する経営 関西アーバン銀行頭取 伊藤忠彦  講談社インターナショナル

  
  

お年寄りはなぜ、アクセルとブレーキを踏み間違えるのでしょうか?

私が不思議に思っていることで

「お年寄りのアクセル、ブレーキの踏み間違いがなぜ起きるか?」がありました。

今日、自動車保険のプロの人に聞いてみると

「お年寄りは足が弱っているので、アクセルに置いた足がブレーキにスムーズに移動出来ないのだと思います」とおっしゃっていました。

自分では、足が浮いてブレーキに移っていると思っているのに、アクセルに乗せたままだったのです。(絶対にそうだとは言えないかもしれませんが)

近未来に自動運転の時代がやってきて、事故はかなり減るようになると思います。

しかしそれまでは、お年寄りの足を強くする(鍛える)しかないのです。

以前私が書いた記事で、「正しい足の鍛え方」があります。

お年寄りで運転をされている方、足が弱っていると実感している方、ご家族の方、是非、読んでください。

                           『正しく足を鍛えましょう』
 

少し回りくどい説明になりますが(笑)

私たちは、肉体しか目に見えないので、肉体のみが存在していると思っています。

しかし肉体以外に、幽体、霊体、神体と4つのボディ(体)を纏っているのです。

それは同時に、幽界、霊界、神界が存在していることを示しています。

この中で私たちが最も影響を受けるのは、幽体です。

みなさんは「オーラ」という言葉を聞かれたことがあると思います。

オーラは肉体とくっ付いているエネルギー体です。(雰囲気がそうです)

オーラの大きさは大体普通の一軒家くらい、大きい人で百貨店1軒分くらいあります。

だから百貨店などの人ゴミに行くとそこに居る人すべての幽体と重なり合うのです。

その時、どっと疲れます。(疲れるとは取り憑かれるということ)

そして、重なった人の想いも移って来ます。

想いは相手の心と書きますよね。

そして

想いのエネルギーは重いのです(笑)

重いので、足元に漂っています。

足が疲れやすいはそういうことです。

年齢を重ねていくと足から弱っていくのは重い(想いの)エネルギーを溜めるからなのです。

昔の人は外出先から家に帰ると必ず足を洗いました。
 
悪いことをした人が

「足がつく」「足を洗う」と言ったのは真理を表しています。

足がマイナスのエネルギー(人の想い)で汚れていることがわかっていたのです。

水虫が出来るのもこのエネルギーが原因です。(水虫は足をよく洗うことで治る)

とにかく足を鍛える、強くすることが大切です。

足には全体の筋肉の70%があるそうです。

そして下半身に溜まった血を上へ上げて血流を良くするポンプの役割があります。

足を鍛えるには、スクワットが有効です。

ただ、間違った鍛え方をするとかえって膝や腰を痛めてしまいます。

私はこの本で正しい “腰割り” をしています。

お相撲さんの“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密 元一ノ矢じっぴコンパクト新書


  



 

2017年4月22日 (土)

相手の考えていることなど知る必要はないのです




私のメンターであるう先生は

「相手の人の考えていることがわかることではなく、相手の本心が何を望んでいるのかがわかるようになることが大切です」

とおっしゃいました。

私たちは、関わった人が今、何を考えているのか?

何を想っているのか?

私のことをどう想っているのか?


を知りたがります。

知ろうとします。


でもその人が今想っていることとはその人の本心ではないのです。

想うとは相手の心と書きます。

つまりその人が想っていることとはその人の本心ではない、まったく違う人の想念が入って来たものなのです。


マイナスの集合意識もたくさん入って来ます。 (空が一つであるように意識も繋がっている)

縁のある人の想いも移って来ます。


だからその人の言っていることは本心ではありません。

その人の考えていることも想っていることも本心からではありません。


あなたに対する態度も本心ではありません。

あなたのことが好きなのか?嫌いなのか?

も、その人の本心ではないのです。
 

本心ではないものを (一般的に言われている本心とほんとうの本心は違います)
 

誰かの考えに惑わされているその人の考えをつかまえて
 

ああだ、こうだ

あの人は自分のことをこう想っている

こう想われてしまっている

と考えを巡らせても何の意味もないのです。


だから


「人の言っていること、考えていることを気にしないようにしましょう」


「とらわれないようにしましょう」

「人の考えを探らないようにしましょう」


「表面に現われているその人が本当のその人ではないことを信じましょう」


「その人の悪い面が出てきたら、今悪いものが出たんだからこれから善くなるんだとその人の天命を祈って差し上げましょう」


「どれだけひどいことを言われてもそれはその人の考えではないし、本心でもない、その人はマイナスの想念に今、とわわれてしまっているんだと許してあげましょう」



そうすると人がどう想っているか?にとらわれなくなります。

どうでもよくなってくるのです。


人間どうしがココロとココロで繋がってテレパシーで話せるようになるまではもう少し時間がかかります。

本心と本心が繋がるまではあと数年かかるのです。


それまではマイナス想念とマイナスの想念が繋がってしまっているのです。

相手の考えを知ろうとするのはそういうことなのです。


だから


人の考えていることはわかる必要はない!


のです。



 
 



今こそ真理を学びましょう!


 

人は今生きている現在しか存在しないと思っています。

でもこの自分が過去世や前世がなく、ポッとボウフラのように湧いて出たなんて思いますか?
 
過去があり、現在があり、未来があるのです。(自由自在心になると時空を超えるのですが)
 
夜空の星を見ているとわかるのですが、今私たちが観ている星は、今光っているものを観ているのではなく、何万年も前に光っていた光を今観ているのです。

それと同じように今私たちの目の前に起こっていることはすべて過去の影絵なのです。

前世で自分のやったことが返って来ているのです。

私は小学生の頃、九州の田舎から大阪に父の転勤で転校して来ました。
 
そこで凄まじいいじめに遭いました。

どれだけ好かれようとしてもどれだけ我慢していてもそのいじめは無くならなかったのです。

そのことがずっとトラウマになっていました。

いじめた人をずっと恨んでいました。

そしてそのことをW先生に話すことがあったのですがその時にW先生に言われたのです。

「当り前です、あなたが散々過去世でその人たちをいじめていたからです」

・・・・・・・・

スコーンと詰まっていたものが抜けました。

その瞬間、私をいじめた人への恨みが消えたのです。

そしてわかったのです。

「そうか~自分がやったことが返って来ただけだったんだ、その人たちは昔の恨みを晴らしてスッキリしたかったんだ、ここで自分が恨み返さなければ消えてゆくんだ」

そうなのです、今あなたが色んな人にひどいことをされていたら、それは自分が過去においてやっていたことがそっくりそのまま返って来ているのです。

そんなことが次々に起こるのは早く現われて消えてゆこうとしているのです。

それも大難が小難になっています。

自分が相手を殺していたかもしれないのに一発殴られるくらいで済んでいるのです。

相手を深く傷つけていたのに嫌味の一つくらいで済んでいるのです。

だから相手を恨むのは筋違いで

「これくらいで済ませていただいてありがとうございます」 泣き顔

なのです。

守護霊様、守護神様が因縁生を消したり小さくしてくださっているからなんとか生きて行けているのです。

それを自分は悪くない相手がすべて悪いのだと思うから自分が不幸になっているのです。

不幸を呼び込んでいるのです。

だから真理を知らないと全然逆のことをしてしまったり思ったりしてしまうのです。

みなさん真理を学びましょう。

それが幸せになるためのメソッド(方法)なのです。

それしか方法はないのです。





  
真理を学ぶのに最適な本
 

 

『愛すること』  『真の幸福』  『神と人間』  『生きている念仏』  『神様にまかせきる』  五井昌久 白光出版

思考のすごい力 ブルース・リプトン PHP

幸せになる生き方 アレクサンドラ・ストッダード 

幸せになる秘訣は〇〇に素直になることである

「神と人間」 という本があるのですが、この本には、今のほとんどの人たちが知らないこと知っておかねばいけないこと(ねばならないは言いたくないのですが)がたくさん書かれているのです。

これだけ情報の時代になっているのに、私たちはほんとうのこと(真理、真実)はまったくと言っていいほどわかっていないのです。

私たちは目に見える世界(3次元)は、目に見えることで解決出来ると思っています。

表面だけを見て、表面だけで判断して、表面だけで決めつけている

目に見える世界だけしか存在しないと思っているので

霊の眼でみたり、霊の耳で聴いたり、霊の心がわかったり出来ないのです

そして

目に見えるもののほとんどは、目に見えないものの影響を受けているのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目に見えないものとは、幽界であったり霊界、神界の世界のことです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 


これから人間が真っ直ぐに(素直に)生きていくためには目に見えない世界を
知ることが重要だと思うのです。

そして、肉体界を整えるために幽界を浄めてくださり、個人的にも24時間プラスアルファで私たちを見守ってくださっている守護霊守護神の存在を知ることです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんなこと(守護霊さんのこと)を書くと宗教臭いって思われるかもしれませんね(笑)

しかし、宗教嫌いの人だって守護霊の存在は多くの人が感じ、認めているのです。

私もまともな宗教以外の邪な宗教は大嫌いです(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これから私たちの周りにはいろんなことが起こって来るのです。

肉体人間には1分先のこともわからないのです。

わかっているのは、霊界、神界にいらっしゃる守護霊さん守護神さんだけです。

目にみえる肉体界、3次元のことは、自分で一生懸命にやっていきましょう

そして目に見えない世界のことは

守護霊さん守護神さんにお願いしましょう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それが 障りなく、真っ直ぐに素直に生きてゆく “正しい生き方” なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



本文

 

誰にでも幸福になりたくて働き努力するのだが、なかなか幸福にならない。

幸福になる秘訣は素直になることである。

素直とは肉体の人間に素直になれというのではない。 

真理に素直になれというのである。

いいかえれば、神に素直になれというのである。

神というと何か遠い気がするし、つかみにくい気がするだろうから、守護霊に素直になれというのである。

守護霊とはおおむね祖先の霊である。 

お祖父さん、お祖母さんが、自分の背後にいて
霊の眼で、霊の耳で、子孫である自分の運命を予見し、悪い運命への道から、善い運命の道へ、導いて下さるのである。

それはちょうど、父母が小さな子どもの手を取って、あちらだ、こちらだと、引き廻して
くれるのと同じことなのである。

しかし、肉体の父母にはその子の将来の運命は一分後のこともわからない。

が、守護霊はその子の将来に起こる出来事をよく知っていて、その子孫の運命を

幸福へ、幸福へと導こうとしているのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

  「神と人間」 五井昌久  白光出版



 

悩みごとを紙に書き出す(アウトプット)と頭がスッキリする


 

私は結構、メモ魔です。

そして、投稿するのにも、なるべく一度ノートに書き出してから、記事にするようにしています。

めんどうだから直接打ち込んじゃえとも思うのですが、それでは客観視出来ないのです。

今、いろんなことで悩んでいる方はたくさんいらっしゃると思います。

では悩みとはなんなのか?

なんだったのか?

悩みの本質、原因がわかれば、かなり楽になると思います。



悩みの“ジャグリング”をやめる



アンドリュー・カーネギーという人がいます。アメリカの有名な実業家で、鉄鋼王カーネギー

と言えばご存知の方も多いと思います。


ある夜のことです。彼は、あまりに多くの悩みを抱えてノイローゼのようになり、自殺まで考

えていました。

「不倫相手の女性から連絡が入り、子どもを認知して欲しいと言ってきた」

「親戚の全員が問題を起こしていてもみ消さなきゃいけない」

「ろくでなしの甥っ子が警察沙汰の事件を起こし、身柄を引き取りに行かなくちゃいけない」

「政治家からの不当な圧力で、会社が存亡の危機に陥っている」

「妻から今夜食事に付き合ってくれなければ離婚すると言われてしまった」

身の周りのことから仕事まで、すべての危機が同時に頂点に達していた瞬間だったの

です。




その時のカーネギーの行動


もうダメだ、限界だ、とカーネギーは思いました。

遺書を書いて自殺しよう。

そうカーネギーは決心し、机の引き出しを開けました。引き出しにはもちろん護身用の

拳銃が入っていたのですが、その下には自分の名入りの立派な便せんセットがありま

した。

「ああ、自殺するんだったら遺言を書かなくちゃ」

カーネギーはそう思って苦笑します。

まったく、自殺する前にもひと仕事しなきゃいけないのか・・・。


遺書をかく段になってカーネギーは考え込んでしまいました。

「死にたいぐらいに悩んでいるんだから、さぞかし自分には深い悩みが多いんだろう。

いったいいくつくらいあるんだ?」


わかんなくなっちゃったカーネギーは、黄色い便せんと鉛筆を持ち出し、思いつく問題や

悩みをすべて書き出したそうです。


当時、カーネギーは 「世界で一番忙しい男」 と言われていました。

仕事だけでなく、家族関係を含めると、悩みは絶対に何百もあるに違いない。

 ひょっとしたら 1000個ぐらいあるんじゃないか?

ところが、箇条書きにしてみると、60個ぐらい書いたところで、鉛筆がピタリと止まったそう

です。

思い出して考えて、とりあえず 「もっと悩みはあるはずだ」と些細な問題まで書き出し

ます。

しかし、あんなにたくさんあると思っていた悩みは、結局、70いくつぐらいしかなかったの

です。


普通の人でも70も悩みがあれば多いと思います。

でも自分の問題や悩みは何百もあると思っていた彼は、あれ?と思ったわけです。

結局、70個の悩みを順繰りに次から次へと考えていたことで、自殺をしようと考えるほど

追いつめられていたのです。


悩みを書ききった瞬間、今夜中に解決できることはほとんどないことに気がつきました。

カーネギーは悩みを書いた便せんを、問題ごとにちぎってカードみたいにし、それを仕分

けし始めました。


「明日できること」

「来週以降に着手できること」

「来月で間に合うもの」

「解決できないこと」

という4つの山に分けて、その4つ目の山(解決できないこと)はそのままくず箱に入れて

しまいました。

残った3つの山、自分の悩みを書いた便せんの切れ端をカーネギーは大事に机の引き

出しにしまい、そのまま彼は奥さんと夕食へと出かけたそうです。


もうすっかり、けん銃や自殺のことは忘れて。






苦しさの本質に気づく


私がこのエピソードを読んだのは、もうずいぶん昔のことです。

それでもその時、頭を殴られたようなショックを受けました。

そうか、悩みの本質、苦しさの本質というのは、

「複数の問題を頭の中でグルグルと回している状態」から生まれるのだと気付きました。

これを私は 「頭の中でジャグリングしてる」 と呼んでいます。

ノートをとらずに悩むことは、悩みをジャグリングのように空中で回しているのと同じこと

です。


本来、悩みの解決に使うべき脳の容量をジャグリングに使っている。

だから、あんなに悩むのは疲れるんです。だから、悩んでも答が出ないんです。

悩みが多くなると、一度にすべてを考えることは不可能です。

だから、いくつかの概念やアイデアを、同時に何個かずつ組み合わせては、ぐるぐる回

すことになります。

悩んでも答が出ないと、次は別の組み合わせでぐるぐる回します。

その次も、その次も、回し続けます。

組み合わせが変わると違って見えるので、悩みは無限にあるように気がします。




    

         スマートノート 岡田斗司夫 文芸春秋 

人の態度に一喜一憂してしまう人へ・・・




私はこれまでに神秘的?なことを中心に記事を書いて来ました。

そして、世界平和を祈ることで、光の溶鉱炉へ自分の全想念を投げ入れることで、新しいポジティブな想念に入れ替わって返って来ると

だから余計なことを考えずに神様(守護霊様)に全托したらいいですよ、と述べてきました。

理屈はそうなのですが

どうしても頭が邪魔をするのです。

「気にするなと言われてもどうしても消えない想念がある」

・・・・・・・・

そうだと思います。

それくらい3次元を爽やかに生きてゆくことは大変なのです(笑)

ここでは、2011年3月6日のブログから客観的に解決するメソッドをご紹介します。



私たちは他人の態度が気になります。

気にします。げっそり

その人の感情は自分が動かしているように思い込んでいます。

だから相手が自分に対して怒った場合などは

「ほとんどの責任は自分にある」 と錯覚をするのです。

でも、本当にそうなのでしょうか?

自分の感情は自分でコントロールするしかないのと同じように

他人の感情もその人がその人自身でコントロールし解決すべきことなのです。

でも、そこまで割り切れない

割り切る方法をしらない

私もそうでした。

余計なことにエネルギーを使わないで済む方法はないのか?


今読んでいる本( 「1ヶ月」で新しい自分に生まれ変わる方法 )にそのメソッドが書いてありました。


問題点があるときは頭で堂々巡りをするのではなく、紙に書き出して客観視することが有効です。


みなさんも参考にされてみては? わーい(嬉しい顔)



本の中から抜粋します。




 
  

 「5つのマス」 で問題を正しくとらえ直す

 


「友達の態度に一喜一憂してしまう・・・・・」

 

K乃は、今朝、電車を降りた駅で友達に会ったので、

「おはよう」

と声をかけました。 いつもなら、

「あっ、おはよ~ぉ、いま電車から降りたんだぁ」

と返事が返ってくるのに、友達からは不機嫌そうに (と感じた)

「おはよう」 としか返事がなかったので

「私のこと、何か怒っているのかな、私と話したくないのかな」

と考えてしまいました。

友達から
 「嫌われたに違いない」 という考えが浮かびます。

「あの態度は絶対そうだ」 と確信します。

「私って、誤解されやすいのよね・・・・・。でも私に何か悪いところがあったのね きっと」

そう考えていると、暗く、イヤな、自分を責めるような気分にさえなってきます。

学校に行くのも気が乗らなくなってきます。 授業もなんとなく楽しくありません。

昼休みも友達からできるだけ離れています。

一人で机に向かって座っていると、朝の考えがまた浮かんできます。

行動はますます消極的になってしまいます。



空気が読めないのは困りますが、K乃のようにあまり相手の言動に左右されてたのでは、自分らしくのびのびと快適に生活できません。

相手の態度に振り回されないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。

まず、今の状態が心地良くないとしたらどう変わりたいか目標をしっかり持つことが必要です。

そして自分の問題に気づいたら、今度はどうなりたいかを考えてみます。


「相手の態度に一喜一憂しないようになりたい」

「何か事が起ったとき、パニックにならないようになりたい」

「ゆううつな気分から抜け出したい」

などでしょうか。 

人は、

「こんな状態では心地良くないからイヤだ」

と思ってはいても、

「では、どういう状態になりたいのか」

と聞かれると、具体的に言葉にならないことが多いものです。

漠然と、「心身ともに快適な生活がしたい」 というのでは、どうしたらそうなるのかわかりませんね。


第一章で触れたように、あなたの反応パターンは、感情と思考と行動が密接につながって、セットで動きます。



ですから、 物事をどのように考え、それをどのように感じ、そしてそれに対する反応はどのようになりたいかを、具体的に考えることが重要 です。



では考え方を見直し、もっと新しく生まれ変わるその方法をご紹介しましょう。



( 書き込むだけで冷静な判断ができる )


相手の態度に一喜一憂しないようになりたいと考えているK乃の場合を例に考えてみましょう。


紙を出して広げてください。 紙に5つのマスを作ります。


1番上のマスに、今朝起こった状況を書きます。


2番目のマスに、そのとき頭に浮かんだ考えを書きます。


3番目のマスにそのときの気分を書きます。


その気分が最悪のときを 100 とすると、いくつくらいか書いておきます。


4番目のマスには、2番目のマスに浮かんだ考えに反対する言葉や、別の考えがないかを書きます。

この別の考えと、はじめに頭に浮かんだ考えを見比べて検討します。


どちらが客観的で合理的、あるいは常識的な考えでしょうか。


場合によっては親しい人に聞いてもらって意見を聞いてみましょう。


5番目のマスに、いろいろ思い、考えを巡らせた結果、いまの気持ち、感情について書き入れます。
 

その気分は最悪の状態を 100 とするとどのくらいかも書きます。


K乃は1番目のマスに、今朝、友達に声をかけた状況を書きました。


「おはよう」 と声をかけたのに友達は不機嫌そうに 「おはよう」 と言っただけでした。


2番目のマスに、そのとき頭に浮かんだ考えを書きました。


それは、


「嫌われたに違いない」


「私のこと怒っているのかしら」


「私が何かしたのかな」


「私は誤解されて嫌われやすい」


などでした。


3番目のマスに、そのときの気分を書きました。


とても不快な気分で、さらに 「寂しい」 「悲しい」 でした。


その気分は最悪の状態からみると70くらいでしたので 70くらいと書き入れました。

 
4番目のマスには、2番目に書いたはじめに頭に浮かんだ考えとは別の考え方、反対の考え方などを書きました。
 

「疲れていたのかな」

 
「友達は今日提出するレポートのこととか、何か考え事をしていたのかもしれない」

 
「家で何か不愉快なことがあったのかな」
 

「体調が悪いのかもしれない」

 
・・・・・そして2番目と4番目の2つのマスに書かれたさまざまな考えをじっくり見てみると、どれにいちばん信憑性がありそうでしょうか。

 
最後のマスに、検討した結果、今の気分を書きます。


「そうか、別に私は何かした覚えはないし、友達はたまたま気が乗らない気分だったんだわ、きっと。 誰にでも機嫌の良くないときってあるものだし」


という結論から、今の気分は最悪のときの 100 と比べると、40くらいになっていました。


もし、 「やはり何か嫌われることがあったのだ」 とどうしても思ったのであれば、それを解決する方法を考えましょう。

相手にそれを聞いてみることもできますし、信頼できる人に意見を聞いてみるのもいいですね。



このように、物事のとらえ方を客観的に正していくことを繰り返していくうちに、


「相手の言動に一喜一憂する」 から 「物事を積極的に考えて自分の考えに自信を持つ」


ように、前向きに変わっていきます。


K乃のように、相手の言動に一喜一憂するのも、たまたま作り出した反応パターンのせいかもしれないのです。


こうした方法ではネガティブな反応を修正して脚本を書き換えることもできるのです。




 
 「1ヶ月」で新しい自分に生まれ変わる方法 中村延江 すばる舎




  

2017年4月21日 (金)

霊波動とは?




私たちの体は波動の粗い物質波動でできている。

それに対し、心は目にはみえない霊波動でできています。

目に見えない霊波動(魂、心)に目に見える肉体波動を重ねているのです。

目にみえない細かい波動と目に見える粗い波動の間に隙間ができる。

この隙間にいろんな想念エネルギー(業・カルマ)が溜まるのです。

この隙間の世界のことを幽界といいいます。

人間の想いがつくった潜在意識の世界です。

この潜在意識が肉体の頭の中をグルグルと廻っている。

頭で考えるとは潜在意識に溜まったものが出てくるか

人の想いが移って

さも自分の考えのように想ってしまうかです。

想うとは相手の心と書きます。

自分の本心(奥深いところから)から出て来たものではなく

肉体界にくっついている幽界(地球人類の潜在意識)から来るものがほとんどです。


ですから

「なんでこんなことを想ってしまうのだろう?」

「こんなことを想うなんて自分はなんて愛薄い嫌な奴なんだろう?」

と情けなくなるときがあります。(しょっちゅうですよね)

愛の薄い人を指して非難することもあれば

自分を責めることがある


そして

「人間なんてどうしようもない動物だ」

と結論付けてしまうのです。

そうではないのです。

どちらも本当の本心からきているものではない。

表面的なマイナスの想念エネルギー(幽界)に巻き込まれて

いるだけなのです。

海が荒れていて波が高くなっている、嵐のように荒れ狂っている

その波を見ているのです。

海の底深いところは、深海(神界)といって海面の荒波になにが起ろうともびくともしません。

この海の深海にあたるのが、本当の私たちが住んでいる神界(宇宙)なんです。(心の奥深いところにあります瞑想、統一はこのためにします)

だから意識を神界に合わせていると肉体界の粗い波動(物質波動)と共鳴しないのです。

波動の粗いものと細かいものは絶対に共鳴しない。


例えば、交通事故に遭いそうになったとき、トラックがぶつかって来た時

思わず、とっさに

「神様助けて!」

と叫びます。

すると意識は神様の居る神界につながります。

そして波動の粗い肉体は、波動の細かい霊波動になるのです。

H2Oの水は固体の氷にも液体の水にも水蒸気にもなりますよね。

肉体が氷(物質)だとしたら

神界へと意識がつながった瞬間に体は気体(波動の細かい)になるのです。


奇跡とは

肉体人間が神霊波動(神意識)になったときに起るのです。

神霊波動になった体は物質と共鳴しないのです。

物質で出来たトラックと共鳴しません。

だから車はペシャンコになったとしても

体はかすり傷で済んだり

奇跡的に助かったりするのです。

しかし

「あッもうダメだ死ぬ」

と神界につながらなければ

そのままトラックと共鳴してしまうのです。(大けがや死にいたる)

とっさに神様と叫ぶ人は普段信じていなくても助かることがあるのですが

普段から神様を信じている人は特に難を逃れるわけです。(不幸にならない)


人間はいざというとき、土壇場に立たされた時、絶体絶命のときには自然と神様を思います。

それはいざというときには想念が停止して神界からのメッセージが通じやすくなるからです。

頭でごちゃごちゃ考えていると、このメッセージが入りにくい。





波動とはエネルギーのことです。

自分がどういうエネルギー体になっているかが

大切なのです。

いつも神霊波動になっている人は常に神界(天国、宇宙)とつながっていることになります。

それはいつも意識を神界に向けていないとだめなんです。

器は肉体界にあっても心は神界に通じている

これが悟ったキリストやお釈迦様のような状態です。

これから地球の肉体人間は、霊波動なっていきます。

世界平和の祈りを祈る人が増えてくるからです。

増えて来ると宇宙からの神波動(プラスのエネルギー)が地球に降りやすくなる。

肉体の器を通して神波動が降りて来るからです。

光が降りて来るとその周りの人は光を浴びて急速に目覚めていく。

器がなければ光を降ろすことは出来ません。

天地を貫く光の柱になれる人間を神様は求めておられます。

地球と人類を救うには真理に目覚めた人(霊止)の器が必要なんです。

この人(霊止)たちのことを神人(しんじん)と言います。

地球上に10万人の神人ができたとき

アセンションが起ると言われています。

今増えつつあります。

でもまだまだ足りないのです。

霊波動になるということは

宇宙意識になることでもあります。


霊波動になって宇宙意識になる。

宇宙意識になるとは人間の本来の姿に戻るということです。

人間の幸せは本来の姿を取り戻すということなんです。


それには祈り、印、マンダラの3つの3種の神宝が必要なのです。



 

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




 

追伸 

   
下記の書籍は宇宙天使からの贈り物です。 本
 
祈り、印、マンダラの3種の神宝についても載っています。


 

調和波動気功法 于寿明 三晃書房


「無限なる癒し」 于寿明 星湖舎

「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎

「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎

「無限なる勇気」 于寿明 星湖舎





 



人間とは実に神秘的です。




夢はなぜみるのかといいますと、実はみているのではなく、みせられているのだそうです。

実は私は今朝方、車を運転していて、人を轢いてしまった夢をみたのです。

ハッとして目が覚めたのですが、そのとき感じたのは

「ああよかった現実でなくて、これは多分夢で消してもらっていなければ本当に起きていただろう」

だったのです。

そして、消していただいたから(守護霊守護神によって)と安心するのではなく、警告と受け取り、運転には十分気をつけようと思ったのでした。

だから夢をみたのではなく、みせられたのであります。

夢をみているときの人間は、肉体から意識が離れ幽界、霊界、神界へと行っているそうです。

そしてそれらの世界で働いている、寝ている間にも魂は働いていて、起きると肉体に意識が戻ってくる。

しかし起きたからといって、魂(生命)は肉体だけにあるのではなく、やっぱり幽界にも霊界にも神界にもいるのです。

だけど、私たちは肉体界だけしかないと思っているから、他の世界のことがほとんどわかっていないのです。

私は、これから大事なこととは、私たち人間は、肉体だけではない、肉体界だけに生きているのではない、幽体、霊体、神体という体があるんだ、幽界、霊界、神界という世界があるんだ、本当の自分は神界にいて、そこから霊界、幽界を経て、肉体界に移って来ているんだ、ということをハッキリと知らなければいけない時期に来ていると思うのです。

もちろん3次元的なことも大切です。

仕事のこと、家庭のこと、人間関係のこと、お金のこと・・・・・・

しかしこれら目にみえることは、目にみえない世界の影絵なのです。

目にみえないものが見えるという形になって現われているのです。

みえないものが主で、見えるものが従なのです。

だから目にみえない世界が整えば、自然と見える世界は自然と整ってくるのです。

だから、目にみえない世界、本当の世界、未来永劫に消えない世界のことを知らなければならないのです。

目に見える世界だけを知ったところで、それは幻をみているようなものです。

消えてゆく泡をみているようなものです。

目に見えるものはすべて消えてゆきます。(肉体もあらゆる物質も)

今まで私たちは、目に見えるものだけを信じてきた

目に見えるものだけが実在しているもの、本物だと思ってきた

しかし、それは違うのです。

目にみえるものだけをみていたら必ずゆき詰まります。

説明がつかなくなる

わけがわからなくなる

それは宇宙全体のほんの一部を見ているにすぎないからです。

しかし、下記の文章にあるように

人間を形と考えないで、波動体、意志、意識、想念であると考えるとすべてのつじつまが合ってくるのです。

先に意志(心)があって、肉体があることがわかります。

意志がなければ肉体は動かないからです。

ちょっと難しいですか?(笑)

でも、とても大切なことだと思うのです。

 




人間は肉体だけのものではない

 
 

人間は神の分生命であり、太陽のような光そのものなのであります。

その光のエネルギー波動が、様々な階層をつくりなしていったのであり、その世界は神界と呼ばれる界もあり、霊界と呼ばれる世界もあり、幽界という波動の世界もあるのです。

そして、皆さんご存知のこの肉体界があるのです。

ですから、私共は肉体の世界に住んでいると同時に霊界にも神界にも住んでいることのなるのであります。

人間を形と考えないで、意志であり、意識であり、想念であると考えてみてください。

肉体自身は、意志をもち想念波動によって、動かされてゆくことは事実でありまして、意志も想念も無く、活動するということはありません。

人間はあくまで生命そのものであり、生命の働きが光の波になり、想念の波動となって、形の世界や運命をつくってゆくのであって、肉体はあくまで、光の波や想念波動によってつくられたものなのです。

それをどう間違えたか、肉体が人間だと思うようになってしまったのです。

    「神は沈黙していない」 五井昌久 白光出版

 

2017年4月20日 (木)

生まれ変わり


 

 



男性が、女性に生まれたり、女性が男性に生まれ変わったりすることが、あるものでしょうか、お教え下さい。








そういうことは随分多い。


それは、前世において、女性としての苦しみを味わいつくし、男に生まれてくればよかった、と固く思いこんだ人、または、その反対の場合、あるいは、因縁解脱への経験を積みやすくするために、守護神が、性別を変えて再生させる。


男性でいて女性らしい人や、女性でいて男性の性格をもっている人などはほとんど前世と今生との性別が変っている人たちである。


霊そのものには男女の別はないので、男女の別のあるのは、魂魄の世界だけである。


観世音菩薩は男か女か、とよく問われるが、観世音菩薩、すなわち神の化身、男女を綜合した現れで、陰陽合体の絶対身である。






  『神と人間』 問答篇 五井昌久 白光出版 






 
感想


霊そのものには男女の別はないので、男女の別のあるのは、魂魄の世界だけである。


とありますが


魂とは幽体のことであり、魄(ぱく)とは肉体のことなのでつまり男女という陰陽にわかれているのは幽界、肉体界だけなのです。


もうすぐ地球は次元上昇して、幽界が無くなって、神界(天国)が現われて来るので、男女というものも無くなるのです。



 

 神界(天国)
 ↓
 霊界
 ↓
 幽界(迷いの世界)
 ↓
 肉体界





あと数年で男女というものが無くなる?


ちょっと信じられないですよね。


アセンション(次元上昇)を別の角度で観てみると、2元対立していたものが、つまり陰と陽に分れていたものが一つになることなのです。


セパレート(分離)されていたものがユニティー(合一)される。


あなたと私は別のもの、敵と味方に分れていたものが統一されるのです。


そのことを 愛(合い)といいます。


地球はセパレートとユニティーを13000年毎に繰り返してきました。


宇宙は、集合離反(しゅうごうりはん)、波動が交わり、離れていったり、またくっついたりしているのです。


その繰り返しで成長していくのです。(前回の集合離反よりも進化している)


男女も同じなのです。


地球上で男と女に神様は分けられました。


でもそれはいつかは合一するためのご計画だったのです。


その時期が来ているのです。


私ごとですが、私は今、高校の同窓会の幹事をしています。


そこで男女が集まっているのですが

お互いに異性を意識しない、相手を人として接していることがあるのです。

そのときには、なにかしら不思議なエネルギーが流れるのです。


心が一つになったような感動を覚えます。

エネルギーが対立、陰陽、壁、2元を超えて融合しているのです。


私はこの融合が 愛 だと思うのです。


今、巷では草食系男子とか肉食系女子とか言ってますよね(笑)

この傾向は、融合するための前段階、プロセスなのです。

男の動物性が無くなって、つまり男女関係の感情が少なくなってきている。(性を意識しなくなっている)

狭い空間に二人で居ても何もしようとしない(笑) (もちろん、その人の前世での経験や意識の段階によってかなりの個人差がありますが)


これは一昔前では、無かったことなのです。


アセンションとは感情が無くなるということです。


感情とは欲のことです。


金銭欲、物欲、食欲、そして性欲


段々と欲が無くなって行くのです。


その中で一番やっかいなのが性欲、色欲と言われています。


最後まで残るのがこの欲なのだそうです。


この欲を超えて地球が完成します。


とりとめのないことを書いてきましたが


男女の垣根を超えて人(霊止、つまり神)として尊敬できる関係が本当の真実の世界なのです。


そんな時代がもうそこにやってきている


なんだか嬉しくなりませんか わーい(嬉しい顔)









補足


近未来にはセックスもしなくなるのです。


そしたら、赤ちゃんはどうやって生まれるんだ?


という疑問が湧きますよね?


それは男女関係なく3人寄って子どもが欲しいと唱えれば


生まれるようになるそうです。


イメージしたことが形になる世界になるのです。(人間は創造主)




わけがわからないですか?


でも、それがもうすぐ現実になるのです。




  

オーラ写真(幽体)など取ってはいけない!




私の日記で肉体とか幽体、霊体、神体とかをよく書いていますが、ほとんどの人は肉体しかないと思っています。


空気は見えないけどあるとわかっているのに、なぜか自分のこと(見えないボディのこと)になると信じられなくなるのですね。

別に、あると信じなくてもいいのですが、あるかもしれない・・・くらいの大らかな気持ちで目にみえない世界をイメージしていけばいいのではないかと思います。


という私も霊的なものは見えないのです。


でも神さまとか守護霊さま、守護神さまの存在は、 ある と確信しているのです。




では、質問コーナーに移ります。


   



 人間には、肉体の他に幽体があるといわれてますが、幽体はどのような役をしているのでしょう。







幽体とは、人間の想念(おもい)や、行為の記録体とでもいうべき体で、肉体に重なり合って、肉体のような形をもったガス体である。


このガス体の大きさや、色によって、その人の霊性の高低や、性格、運命がよくわかるのである。


よく魂を見たというが、それは、霊を見たのではなく、この幽体(念体を含めた)を見たので、魂とは、幽体に分霊が乗っている状態、いわゆる、分霊が幽界にいる状態をいうのである。


幽体はその人、その人によって、大きさや色(想念、行為の集積が色になる)が違うので、幽体の大きな人が、主に宗教に熱心になったり、やたらに神詣りしたりするのである。


人の想念を受けやすかったり、幽界からの念波に感応しやすい人は、おおむね幽体の大きな人で、その幽体に蓄積されている想念の汚れている人は、低級な想いに憑かれやすく、幽体が浄まっている人は、高級な霊の感応を受けることができる。


幽体の色は軽い色ほど、澄み浄まっていることになるので、金色に輝いている時は、すでに幽体はなく、神の光、そのものが、輝いていることになる。


そして重い色になるとほど、汚れが多いということになる。


紫や青系統の色をもった幽体などは、高級な人格といえるのである。


普通会っていて、その雰囲気が澄み切ったように感じられる人は、大体高級な人格者であると思って間違いあるまい。


とにかく、常に、善なる想念、愛の行いをすることを心掛けていれば、ついには、特別に心掛けなくとも、自然な素直な形で、愛行のできる人間になってゆくのである。


人間は肉体生活が、すべてでなく、幽界の生活、霊界の生活が、肉体生活の後に待っていることを、よくよく考えて、肉体生活のうちに、自己の想念を浄め、行ないを直しておかなくてはいけない。




               おしまい





『神と人間』より 問答篇 五井昌久 白光出版



 



感想


この幽体を特殊なカメラでキャッチしたものがオーラ写真なのです。

でも巷で行われているものは

「あなたのオーラは濁っています」

「形が崩れています」

「この先、身体の具合が悪くなります」

または

「綺麗なオーラですね、良かったですね」

「大丈夫、普通の人より綺麗ですよ」

と良い意味でも悪い意味でも

ただ写した結果を教えてくれるだけで

アフターフォローがないのです。

お医者さんに身体を診てもらって

「あなたは癌です」

「えッ先生どうしたらいいんでしょう?」

と聞いても

「さぁ、私は検査をしただけですから」

と言われても困りますよね。(笑)


オーラも近未来のことはわかるのです。

潜在意識に溜まったものが顕在意識に出て来るからです。(オーラは潜在意識が写る)

幽界が肉体界に写って来るのです。

だからかなりの確率で当るのです。(占いよりは)

でも良い事だったらいいけど、悪いことを言われてもどうしようもないのです。(実は良い事を言われたら安心して努力をしなくなるのです、だから占いと同じくオーラ診断なんてしない方がいいのです)

なぜなら、幽界の汚れたエネルギーを浄化する方法を知らないからです。(写真を撮る人が)

せいぜい、インチキの石や壺を売りつけられて少しは気が休まるかもしれません。

でも近未来のことがわかってもちっとも良い事ではないのです。

悪いことを言われると気にします。

「そうなったらどうしよう」 と動揺します。

そしてそこにエネルギーが注がれるのでイメージした通りになりやすいのです。

自分のエネルギーは他人や物に浄化してもらうものではないのです。 (自分で波動調整することが正解です)

念力で多少はエネルギーが動いて改善されたように思えることもあるのですが、それは宇宙(神)からのものではなく、肉体界や幽界の念力だからです。


治療する人が宇宙に通じている人なら治りますが、そんな人はこの世ではいないと思ってください。


宇宙に通じる人とは神と一体となった人です。


愛そのものの人です。ぴかぴか(新しい)


キリストやお釈迦様の意識を持った人を言うのです。


あなたを治療してくれるという人(お医者様以外)でそんな聖者、霊覚者の人がいますか?

病気を治すのでも本当にその人にとって、病気を治した方がいい場合だけ治ることがあるのです。

その人の守護霊、守護神に

「助けてやってくれ!」

と頼まれた場合だけ

霊覚者の人は治すのです。(霊覚者とは、霊能者ではなく宇宙に通じていて悟った人のこと)


そして、誰でも彼でも治すことはしないのです。


それは病気になることがその人にとって必要なこともあるからです。


深い、深~い洞察力がなければ人の運命を変えることをしてはいけないのです。




これから時代が混沌としてくると、自分ではどうしようもないと思ってしまって、目に見えない力に頼ろうとする人が増えてきます。

占いやオーラ診断等がもてはやされることも増えて来るでしょう。

しかしそんなところへ行ってしまうと多かれ少なかれ影響を受けます。

そんなところでは、何の解決にもならないどころか

取り返しのつかない事態になる可能性があることを知ってください。

今はそんなことをしている時ではないのです。

世界平和の祈りを祈って、本心、守護霊、守護神、宇宙神に通じていれば、何の心配もいならいことをつけ加えておきます。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます




きつねとたぬき(興味本位で神社仏閣に行ってはいけない!)


 

私たちはよく疲れたと言いますよね。
 

でもいくら身体を使ったり、睡眠不足気味であったとしても疲れないこともあります。

逆にたいして動いたり、神経を使っていなくても疲れることもある。


いったいどうなっているのだろう?


それは、疲れるとは憑かれるということなのです。


自分は人の影響は受けていないと思っています。


でも人間は例えば、170㎝、65㌔だけがその人ではなく、もっと大きいのです。


肉体とくっついて幽体があります。


これはオーラ写真などを撮ったらわかるのですが、人間は肉体の中からエネルギーを放っているのです。


大きい人ではビル一棟分の大きさがあるのです。


ということはビル一棟の中に人が百人居ると百人の人とエネルギーが重なり合っていることになります。


百人の中で3人ひどく落ち込んでいる人がいると、その3人の人のエネルギーを受けることになるのです。(もちろん良いエネルギーをもらうこともあります)


これが憑かれるということです。


人ごみの中に行くと疲(憑か)れるのは、そういうことなのです。


幽体の大きさがビル一棟もあるのなら


霊体、神体ってどれくらいあるのだろう?


本当の自分(本心)は神体のある神界にあるのです。


本当の自分がとてつもなく大きくて偉大な存在であることがわかります。


自分のことを知れば知るほど自分も他人も尊い、素晴らしい存在であることに気づくのです。


前置きが長くなってしまいました。(笑)



神と人間の中からとり憑かれるというのはどういうことか?



五井先生がわかりやすく説明されています。



  




問   俗に、キツネとか、タヌキが憑くといわれているが事実あることでしょうか。







答 


狐、狸といっても、動物の狐狸のことをいうのではないので、幽界に住む、感情霊、動物霊ともいう、霊魂のことなのである。


医学でいう精神病や、行者の一部には、こうした感情霊に憑依されている場合がたくさんある。


神詣りばかりしている人が、突然、種々の予言をするようになったりすることがあるが、この場合にも、この感情霊の作用が多い。


この感情霊は、霊と普通にいわれているが、実は魂(因縁の波の集り)つまり、迷いの念の波の中に生まれたもので、迷いの念の一つの現われともいえる。


すべて、興味本意、感情本意に行動していて、人間のように、愛(神)を内部に持っている霊魂ではないのである。


従って、人間の本体(本性)とは、まるで違った生物なのである。


いいかえれば、人間にとって一番大事な心、愛と知性を取り除いた、その他の念(おも)いでできているものである、といっても間違いではない。


人間の中にも、愛も知性もなく、利害や、感情のみで、敵になったり、味方になったり、やたら褒めたり、けなりしたりする徒輩(やから)があるが、こうした人たちは、人間というよりは、動物霊に近いというべきで、こうした念の人が、幽界に行くと、今度は、これらの動物霊と、一つになって、迷信家や、低い念の行者に憑依して、肉体の人間を面白半分に迷わせるのである。


形の世界は、すべて、想いが写ってできているので、狐のような想いは、そのような形に、蛇のような想いは、蛇のような形に霊眼に見えたりするのである。(心霊家や、研究家の一部では、天狗、狐、狸などを、自然霊と呼んでいるが、私はただたんに感情霊と呼んでおく。何故ならば、私の説明は自然霊と呼ぶ広範囲の説明ではないからである)



こうした感情霊の憑依を受けぬためには、私の最も主張する、守護霊、守護神への感謝と、愛と真心の行動をしていればよいので、いたずらに奇を好み、霊力を欲するような態度は、厳に戒むべきである。



懸命に信仰をしているように、自分も思い、人にも思われていながら、不幸が絶えぬ人や、信仰していることが、かえって家庭の調和を乱している人や、信仰しているその信仰のしかたや、日常の行動が、奇矯に流れているようでは、その信仰のしかたのどこか誤りがあるので、そうした家庭には憑依霊作用が多いのである。



興味本位の神廻りや、ご利益本位の信仰は、実に危ない気がするのである。


まず、よく自己の本心を顧みて、一生はおろか、神と真に一体になるまで、導いてくれる良い師に出会うよう、守護霊、守護神に祈るべきである。


守護霊は、自己と全く一つの者であるともいえるので、心の中で、常に守護霊、守護神を念じていれば、必ず、その人を邪道から引き出してくれるのである。


そうした心で、入った信仰や、集まりなら、たとえ、その入会の動機が、ご利益からであっても、ついには、真の浄まりにまで、その人を高めてくれるに違いない。


そうなれば、憑依霊の心配は勿論ないのである。




 

    『神と人間』  問答篇 五井昌久



 



感想


神秘的なものを求める人や神社仏閣詣でをするのが好きな人が世間にはたくさんおられます。


でも目にみえない世界のことを知ったら、

  
興味本位の神廻りや、ご利益本位の信仰は、実に危ない気がするのである。



五井先生のお言葉のように簡単には行動しないのです。



おどかすつもりはないのですがもっと慎重に行動してください。


この世(3次元)もあの世(4次元よりも上の世界)も波動の世界です。


良い意味でも悪い意味でも共鳴します。


簡単な気持ちで、欲を持ってそのような場所に行けば、幽界の不良霊のかっこうの餌食になるのです。


知らず知らずのうちにとり憑かれのです。


そうならないためには、自分自身でもある守護霊守護神と一体となる。


それが一番大切なことなのです。



 




 参考図書


ある方にもお薦めしたのですが、目にみえない想念の世界を描いたマンガがあります。劇画家されているのでリアルでわかりやすいのです。
 

幽界だけでなく、生霊(いきりょう)のことにも興味のある方は知ってください。



あなたの側にいる人も当然エネルギーを放っています。



だから、恨まれるようなことをすると、すぐに還って来るのです。


『陰陽師』 岡野玲子作 安倍晴明 の物語です。
 

近くの公立図書館に置いてあったのにはびっくりしました。



 

2017年4月19日 (水)

一生懸命な人は輝いている



「私は真剣に一生懸命にやっているんだ」

と主張していても輝いていない人がいる。

ほんとに一生懸命な人とはそこに命を懸けているわけだから

命を捨てているわけです。

すごい集中力で余計なことなんてこれっぽっちも考えていない。

だから心も身体もスッキリと澄み渡っている

すると奥のほうから光が出て輝いてきます。

目に見えて実際に光ってなくても

魂が光輝いているのが雰囲気でわかるのです。

この状態を仏教では 空 といいます。

人間本来の美しい姿です。

一生懸命になるとは この 空になるということです。

私たちは一日のなかでどれくらい

一生懸命になれているか?

空になれているか?

美しくなれているか?

そして光輝いているか?

光輝くにはどうしたらいいか?

今、読んでいる本の中から抜粋します。




 



赤ん坊を見て、憎らしい、なんて思う奴はいない。

ニコニコと赤ん坊に笑われてごらんなさい、もうとても嬉しくなっちゃう。

それはなぜか?

赤ん坊は何もしないですよ。

ただニコニコとやっているだけで、おぎゃあと泣いただけで、みんな周囲の者が、ああよかったなァ、嬉しいなァと、みんなの中から光が出るんです。

喜びが出るんです。 

喜びが出た時はそこが光なのです。

喜びは光です。 

そこで愛らしいなァという愛情がみんなに出ます。

それは光です。


赤ん坊が一人いることが、周囲の何人もの人をみな輝かすことになる。

赤ん坊が寝ていて、おしっこをしていて(笑)。

それでもってみんなを喜ばせ、輝かせている。

それは赤ん坊がいのちそのままむき出しに現わしているからです。

だからその生命(いのち)の光に打たれる。

生命というのは神様ですから、神様の光にみんなが打たれるわけです。

それで愛情が湧いてくるわけなのです。

だんだん大人になってくると、輝かせていないのだ。

くもらせちゃうのだ。


どういう姿が生命の輝いている姿かというと、それは素直な明るい姿ですよ。

柔かな穏やかな平和なものを、自分が持っていると、何も話さなくたって、持ったものが出てくる。

そうすると会っている人は、なんだかいい気持ちだな、なんだか輝かしくなってくる。

そういう人間というものは、肉体だけの存在ではないのです。

肉体から出るのではなく、神様のみ心が、神様の光がこの肉体を通して出てくる姿ですよ。

それにみんながふれるわけなのです。


そうするといい気持ちになる。



空の心が愛になり、光に変わる


だから理論的に 「汝自身を知れ」 といっても、解剖学的に皮をはいだってわからない。

どこに汝があるのか?

本体はどこか?

と頭を叩いても、心臓を切り開いても本体はありませんよ。

どこに本体があるのか。 

それはわからないのです。

しかしわかる方法が一つある。

肉体的な想念というものを、自分というものをなくせばいいわけ。

自分というものをなくすと、サアッと神様が現われてくる。

空になると、パッと現われてくる。

ところが空、空と言ったって、簡単には空にはなりはしません。

空になるという方法は何かというと、ふつうは仕事に打ち込んでいる時よ。

どんなつまらない仕事でも、一生懸命、仕事に愛情をもって、お裁縫ならお裁縫でも、この仕事によって、着る人が幸福になりますように、という気持ちでやっている。

愛の心ですね。

それが空です。

空即是色です。

空の心がたちまち愛になって光輝いている。

どんな仕事でも愛をもって、そのまま一生懸命、愛に托して仕事をしている場合には、それは空即是色になって、空がそのまま光になって出ている姿です。

ただ坐っているだけで空になるというのではないのです。

それだけじゃない。 

それだけで空になれる場合も随分あります。

皆さんが統一会で、坐って統一していると、スーッと空になる。

空即是色の光が出てくる場合もある。

それは勿論いいことです。

しかし年中、坐ってばかりいられない。

お母さんが朝から晩まで坐っていては、子どもは食えなくなっちゃう。

空じゃない、おなかが空だと言っちゃう(笑)。

それじゃダメです。

当り前に、日常生活の中で空になれる方法は何か、といったら仕事に熱中することです。

たとえば天才的なピアニストがいる。あるいはオイストラッフほどのヴァイオリニストがいる。

彼らだって、練習に練習をつづけて、空の状態になって弾いているのですね。

なにか気が入ってごらんなさい。

そうすると、早い曲だったら間違えてしまうもの。

それが空になって、一生懸命になって勉強したものが、光になって出ている。

空になった時にはじめて、光が出てくるわけなのですね。

すべてそう。

だからどんなにつまらない仕事も、たとえ廊下をぞうきんで拭くのだって、部屋を掃除するのだって、いい加減な心でやるのだったら、空には一生なりません。

どんなつまらない仕事でも、一生懸命やれる、本当に愛をもってやれるようになると、それは空の状態なのです。






「自分も光る 人類も光る」 五井昌久 白光出版




2017年4月18日 (火)

睡眠にはどういう意味があるのでしょうか?

 

起きているときは、肉体界だけにしか働いていないが、寝ている時は、霊界でも働いている。

だから脳は、起きているときよりも眠っているときの方が活発に使われているんだ。

何~んてなんのこっちゃわかりませんよね(笑)。

それから霊要素・・・・、人間は固形の食物(物質)を食べなくても、宇宙からのエネルギー(霊要素)があれば生きていけるのです。

というより、3日寝ないで霊要素が入って来ない状態を続けると、人間は死んでしまうのだそうです。

食べ物なら、7日食べなくても水さえあれば、なんとか生きていられます。

それくらい霊要素は人間にとって無くてはならないものなのです。

仙人がエネルギーの高い水(カスミ)を食べて生きていたというのもうなずけます。

断食をして、腸を休めると、人間は霊化(神さまの体に近くなる)するのです。

すると、精神も落ち着いてくるし、体調も良くなってくる。

エネルギーが食べ物を消化する方に向かわずに、精神と体を整えることに使われるようになるからなのです。

無理に断食をしたり、食べる量を急に減らすのは危険ですが、徐々に少食にしてゆくのは、これからの精神文明への移行を考えると必要なことだと思うのです。(ダイエットにもなり理想的な体質になる)

私たちは寝ることで疲れが取れたり、元気を取り戻すことから睡眠の大切さはわかっています。

しかし、どういう仕組みになっているかは、ほとんどわかっていないのです。

それは目にみえるところからしか睡眠を捉えていないからです。

目にみえる肉体界からだけをみていたら、わからないことだらけなのです。

死とはなにか、死の状態と睡眠の違いはなにか?

寝ているときは私たちは肉体を離れてどこへ行っているのか?

起きている時の脳と、寝ている時の脳とはどういう働きをしているのか?


興味深いですよね。



 
本文

睡眠、死の両方共に、霊魂の肉体離脱には変わりありません。

睡眠と死とは、霊線で肉体と霊魂が結ばれているか否かで区別されるもので、両方共にその状態が誠によく似ているものであります。

眠りの方は、肉体の後頭部より、肉眼では見えませんが、霊眼でみると極めて細い、一本の絹糸のような透明で伸縮自在な霊線で、霊魂と肉体とが結ばれていて、そして魂が肉体を離脱して、遠く離れた友人や縁者に会いに行ったり、また霊界のいろいろな階層に行って、働いたりなどするものです。


肉体を離脱した魂は、その人の現在の霊位に相応した、霊界の修行の場へ移行します。霊界で霊波動を受けて、現世で付けた想念(よごれ)を洗い落とすのです。

そしてその生命の洗濯と同時に、引き替えに与えられるものは、霊要素であります。この霊要素は三日連続で与えなければ、たいていの人は死んでしまいます。

霊界での働きを終えて、夜明けと共に霊体身に、霊体波動の中に記録された状態が、未明の夢として、私たちの意識の中に、明らかに残る場合もあります。


学者たちの研究によると、夢の時間の方が、昼間のたいていの時間より、頭脳が活発に動いていたとか、海馬溝といわれる脳の部分が、夢の時間にはいちじるしく働いているといい、その海馬溝は記録の場といわれる、等の発表がしてあるのは、

私が守護の神霊に教わったことと、一脈相通ずるものがあるのです
それはどういう事かといいますと、頭脳というものは、人間の進化にとっては、一番大事な所であることは誰でも知っております。

その大事な頭脳の働きが、夢を見ている時が、最も活発に働いているということは、人間の進化のための一番大きな働きを、夢の時間にしているということになって来ます。

そしてもう一つ面白いことは、脳の海馬溝といわれる部分が記録の場であって、しかも夢を見る時に、最大の働きをしているということです。

これは私の説の裏づけをしてくれたようなものであります。過去からの想念波動の蓄積は、その脳の海馬溝といわれる所にあるので、この海馬溝は幽界霊界神界という、他の階層との波動の交流点であるのです。

ですから想念波動の記録は、その交流点を通して幽界から肉体頭脳に、肉体頭脳から幽界に、あるいは霊界神界にと、交流してゆくのであります。

そして眠らされている時の肉体意識は、この交流の妨たげをしない無意識状態なので、神霊界の光明を肉体頭脳に流し入れ、肉体頭脳に蓄積されている業想念波動の記録を、夢と画いて消し去ってゆくのであります。

そういう働きが急速になされるので、その時その働きを司る肉体頭脳の一部、つまり海馬溝が活発に働くということになるのです。

こういう作業を行なっているのは、守護の神霊方なのであります。このように睡眠というものは大事であり、夢という状態で業想念波動が浄められてゆくことのありがたさは、とても筆舌にはつくせないご恩であるのです。




     

                   五井昌久



 


補足です。(祈っている人限定ですが)

寝る前にスッキリして寝ると、守護霊守護神は、守っている人間を専属で浄めなくてもいいので、よそで働けるから、親(魂の)孝行をしていることになる。

人類へ貢献していることになる。

と聞いたことがあります。

みなさん、寝る前には、祈り込んでスッキリして寝るようにしましょう。

自分の波動(エネルギー)は自分で整えるようにしましょう。(波動調整)





調和波動気功法



http://www.harmony-wave.jp/



 

目に見える世界(3次元)にはほんとうの幸せはない

 

最近、3次元での生活を謳歌しています。(2009年8月27日のブログより)

同窓会をして友と語らい、交流を深めてほんと楽しいです♪

「私ほど恵まれた人間はいない」 で自分で思っているくらいです。

でも同窓会が終わった後や楽しい飲み会が終わった後には

祭りの後の静けさ、寂しさ、虚しさがあるのです。

花火が打ち上がっているうちは綺麗で楽しいけど

終わると途端に現実に戻るのと同じです。

人はこの世での生活の中に幸せを求めます。

目に見える物の中に喜びを見出そうとします。

死ぬのが怖いのはそのすべてが無くなってしまうからです。

死んだら友と語らうことも交流することも出来ない。

死んだら美味しい物を食べたりお洒落や贅沢も出来ない。

今まで積み重ねて来た努力がすべて水の泡となる。


本当にそうでしょうか?

幸せは目にみえる3次元の世界にあるのでしょうか?



私は同窓会が終わった後や3次元で楽しかった後で急にむなしさを覚えたとき自分の心の奥に入っていくことをすると(これを統一といいます)


3次元の喜びとは違う安心に充ちた心境を得ることが出来るのです。


それは自分の本心に繋がっているのです。

自分の心の故郷である宇宙と繋がっているのです。

人間は死ぬとそれでおしまいではなく

心が残って、その心は永遠に生き続けるのです。

だからこの世(3次元)を去っても幸せになる術(すべ)を知っていないとあの世に行ってから右往左往するのです。

お釈迦様はそれがわかっていたので座禅観法をして統一する方法を伝えました。

今こそ、消えてゆく3次元の現象に惑わされるのではなく自分の本体、本心に入っていく統一行をすることが大切なのです。


統一するとそこには不動心の自分が居ます、感情想念や目に見えることにも動じない素晴らしい自分がいるのです。


今回のう先生の本には統一についての注意点や、正しい統一の仕方、なぜ統一が必要なのか?がわかりやすく書かれています。

今の人間にとって真の幸せをつかむメソッドが書かれているのです。

まさしく宇宙天使からの贈り物なのです。
 

みなさんも自分にとっての本当の幸せってなんだろう?

どうしたら幸せになれるのだろう?

目にみえることだけで幸せになれるのか?

を考えてみてください。

今までに考えた事もないことかもしれません。

でも、それを真剣に考えないと真の幸せはやって来ないのです。


 

『無限なる幸せを体得する方法』

 ~無限なる幸せの波動とは何か~

宇宙神からのメッセージ

大天使からのメッセージ

あなたはどんな時に幸せを感じますか

于 寿明 星湖舎






高い志の目標を持つことはなぜ大切なのか?

 
このテーマについては、もう何度も書いてきましたが

目標は高ければ高いほど、そして人類愛に溢れていればいるほどよいと思うのです。

ソフトバンクの孫正義さんの究極のビジネスの目的とは

「地球の裏側に住んでいる小さな女の子を笑顔にすること」 だとおっしゃっています。

笑顔にするというのは、幸せにする、平和にすることだと思うのです。

自分や自分の周りだけが幸せになったとしても小さい小さい(笑)

自分の波動圏を広げて地球の裏側や地球全体、そして宇宙全体の平和を祈る・・・・・

実は、世界平和の祈りとは、地球世界人類だけではなく宇宙人類全体の平和を願う祈りなのです。

そんなことを願う人って、神様か宇宙神しかいませんよね(笑)

だから世界平和の祈りは、宇宙神と共鳴する言霊なのです。

世界平和の祈りは究極の大きな、とてつもなく大きな目標だと思うのです。

だから、それに比べたらどんなことでも小さく感じます。

ハードルが低いので乗り越えていけるのです。

私の場合は、小さな目標もあります。

ビジネスを成功させる、友達をたくさんつくる、果因説を実践する、感動する出来事をたくさんつくる・・・・・しかしこれらはすべて世界平和の大きな目的の中に入っているのです。

世界平和の目的の中に個々の目的がある

だから諦めることがありません

個々の目的を諦めるということは、世界平和を諦めることになるからです。

事業で大成功をしている人は、大きな目的、ビジョン、目的意識を持っています。

そこからスタートしているのです。

ゴールを決めて、決意をして

孫さんの場合は

「地球の裏側に住む人たちを幸せにも出来ないで、どこにビジネスをやる意味があるのか?」

そこまで思われたかどうかはわかりませんが、強固な意志を貫こうとするのならば半可な決意(目的意識)では成就しないのです。

これから成功しようとしている人

お金持ちになりたいと思っている人

大きな仕事を成し遂げようとしている人は

なんのためにそれをしようとしているのか?

目的を達成した後には、何が残るのか?

その先にもっと大きな目標があるのか?

それを真剣に考えてみる必要があると思うのです。




  

守護霊さんほど頼りになる人?はいない

 


迷う時は守護霊さんを呼ぼう
 

もし迷う事柄があったら、心の中で守護霊さんを呼びながら、その裁断(さいだん)を願えば必ず何らかの形でその答をしてくれる。

それは他の人に会って、その人の口から聞かされるかもしれぬ。(この場合最初に会った人)

或いはピンと直感的にひらめく人かも知れぬ。(第一直観がその答)

その答がいかに、現在の自分に都合が悪いように思えても、それは後によくなる方法に違いないのである。

それを信じなければならぬ。

第二直感で出てくることは業の答えであるから、よくよく注意せねばならぬ。

業因縁の答は常に甘い。 都合のよさそうな答が多いので、ついこの答えにひきづられることが多いものである。

だから、常日頃、守護霊を信じ、感謝の想いを抱いていなければいけない。

 「日々の指針」 五井昌久 白光出版


  

 
感想

 

かなり以前になるのですが、田舎道で土砂崩れがあり、ある車がその下敷きになりました。

その車には母子3人が乗っていて、母親、5歳の娘、2歳の息子だったそうです。

残念ながら運転席の母親は亡くなっていて、幼い姉弟が生き残った・・・・・

土砂の中は不安定で車の中だけが安全でした。

守護霊は、この姉弟に必死でメッセージを送った

「そこを動くな絶対に動いてはいけない」

守護霊はもうすぐ救援隊が助けに来ることを知っていたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして助かったのは2歳の弟だけでした。

弟は守護霊からのメッセージに忠実だったのです。

何事が起ったのかもわかっていない

母親が亡くなったことも知らない

暗いところに居るけれども恐怖感もない

ただ素直に心の中に入ってくるメッセージを聞いてじっとしていたのです。

しかし姉は怖くてしかたがなかった

お母さんはどこに行ったの?

ここはどこなの?

なんでこんな暗いところに私は居るの?

と泣きじゃくり、空いていた窓の外に出てしまったのです。

そして

一気に土砂が姉の上に崩れ落ちてきた。

感情(恐怖心)がメッセージをかき消してしまったのです。

弟は、救援隊に助けられたこともわかっていない

そして救援隊の人に抱きあげられたとき

無邪気に笑っていたのだそうです。

弟が、この悲劇の出来事(真実)のことを知り、頭で理解出来るのは

ものごころがついた後の

もう少し先になるのでしょうね

  

 

2017年4月16日 (日)

常に祈れ!(祈れば祈るほど現象面が整って来る)

                
                 『常に祈れ!』


 
人間は肉体の他に幽体とか霊体とか神体とかいう体をもっていて、想念波動が常にどの体の中に一番多く時間を巡っているかということによって、その人の人格が定まり、運命が定まってくるのであります。

その人の想念波動が常に神体の中を巡っている人は、高い人格者であり、神人合一の境地のいわゆる霊覚者にもなり得るのです。

そこで、いつでも守護霊守護神さんに感謝を捧げつつ、世界平和の祈りをしていなさい、と私は教えているのです。

いつでも守護の神霊の加護に感謝の想いを向けていれば、その人の想念はいつも霊界神界に往っていて、肉体界に神界霊界の光明波動を導き入れ易くなってくるわけです。

ですからその人の人格は自然と高くなってくるし、その人の運命もよくなってくるのです。



   

           日々の祈り』より 五井昌久 白光出版






感想
 

私たちはなぜ眠るのかというと寝ている間に肉体界を離れて、幽界、霊界、神界に行っているのです。

なぜ行けるかというと、文章にあるように肉体の他に幽体、霊体、神体という体をもっているからです。

そして寝ている間に守護霊さん守護神さんが必死になって汚れた魂を洗ってくださっています。

夜、疲れ果てていても朝目覚めてスッキリしているのは、肉体から魂を離して霊界神界で浄化していただいているからです。

私たちは起きているときは色んなことを考えて悩み苦しんでいます。

しかし寝ているときはその悩みや苦しみはないですよね。

つまり起きているときは肉体に意識があるから悩み苦しむのです。

怪我などをして

「痛い!」 という意識があるのは、肉体に意識があるからです。

寝てしまえば、不思議と痛みはなくなっています。

意識が肉体から離れるからです。

つまり寝ている間に私たちは守護霊守護神によって軌道修正され正常に戻していただいている。

霊界、神界につながっているのです。

寝ているときだけまとも?

霊覚者になっている?

お釈迦様やキリスト意識になっている?

・・・・・・・・・・・・・・そうなんです。

私たちは寝ている間にみそぎをして、また起きてドロドロに汚れ

寝て、きれいにしてもらい、起きて汚れ、寝てきれいになり・・・・・・・を繰り返しているのです。


私たちはお気楽に寝ますが、守護霊守護神さまは寝ずに私たちを守りに守り、守り通してくださっています。


ですから五井先生は、常に私たちを守ってくださっている守護霊守護神に意識を向けて感謝しなさいとおっしゃっておられるのです。


感謝は光なので、守護霊守護神はとても守りやすくなるのです。


肉体の頭で考えなくても、霊界神界とつながっているので守護霊守護神からのメッセージが届くのです。

マンガ一休さんが、座禅観法をして意識を神界(本心のあるところ)に合わせてピンチを乗り越えていたのは守護霊守護神からのメッセージを受取っていたのです。


だから私たちは守護霊守護神の加護がなければまともには生きていけないのです。




世界平和の祈りを祈っていると、そして守護霊守護神に感謝していると天と地を結ぶ光の柱の中に入ってることになります。

光のバリヤが私たちをマイナスのエネルギー(業想念)から守ってくれるのです。

神界、霊界と真っ直ぐにつながっているので自然(頭でどうのこうのと考えなくても)とやるべきことが出来て行くのです。

それが本来の人間の姿です。

進化した宇宙人はみんなそうなっている(笑)



でも私たちには、世界平和に祈りを祈るというツール(道具)がいるのです。

幸せになるためのパスポートです。


世界平和の祈りを祈ると意識が変わります。


想念も変わっていきます。



人間の想念が奇跡をも起こすのです。


宇宙意識、神意識が奇跡を起こすのです。


祈り、印、マンダラによって早く地上天国を顕すことが出来るのです。


祈れば祈るほど早く天国は現われる。


そして、当然、私たち自身にも奇跡は起こるのです。
(現象面が整って来る)


 


世界人類が平和でありますように 

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 

霊能者と霊覚者は違うのです

 


霊能者によって奇跡的に病気が治ったとしても、それが自分の中の心の変化から来るものでなければ、また同じ病気をくり返します。

病気というものは、読んで字のごとく、気(エネルギー)が病んでいる状態なのです。

人間とは光の波動体(エネルギー体)なので、きれいな川の流れのようにエネルギーが滞ることなくスムーズに流れている状態が健康であり正常なのです。

それがなにかに把われて、想いで煩っている(これをストレスという)とエネルギーの流れが悪くなるのです。

ちょうど川の流れの中に大きな石を置くのと同じです。

流れは次第に悪くなり、せき止められた川の水は汚れ腐ってきます。

霊能者はその石を外したり、一時的に流れを良くしたりする(出来る)ので、スッキリした気分になったり、一時的に病気が治ったような状態にもなるのです。

しかし時間が経つと、想いの把われ(根本原因)がなくなったわけではないので、また同じことが繰り返されるわけです。

ここで霊能者の人が

「私に頼ってはいけない、病気は自分の気(エネルギー)で直すものです」

「そのためには、光を放たなければならない、天地を貫く光の波動体にならなければならない、だから祈らなければならないのです」・・・・・と

一時的に症状が治ったことの理由(わけ)を説明し、

後は「自分でやりなさい」 と言えば申し分ないのですが

ほとんどの霊能者は

自分の力を誇示し、自分に頼らせるのです。(そしてお金をむしり取る)

五井先生がご生存のときに

たくさんの人の病気を治したのですが

それは、決して自分に頼らせたのではなく

世界平和の祈りを祈り続けることでやがて不調和な状態(病気)が治っていくことを教えていたはずなのです。

でなければ、病気を治すことは、お医者様の範疇(テリトリー)であり、神様は認めておられないからです。

インターネットの時代になって

「霊能力なんて信じない」 という人がほとんどだと思っていたのですが

案外、霊的なことを信じる人も多いのです。

今を一生懸命に真剣に生きている人は、このようなあやしい霊的なものには興味を示さないのです。

安直に、何でもいいから

「治りさえすればいいんだ」 と考えている人は、ひっかかりやすく

「なにかあやしいな、おかしいな」 と思っても自分に自信がないために

ずるずると通ってしまうのです。

大切なのは目的意識だと思います。

霊能者の人に

「なんの目的があって病気直しをされているのですか?」

と聞いてみればいいのです。

病気とは不調和な原因となっているものに気づくために与えられた

守護霊守護神からのメッセージです。

だから、守護霊守護神の許可がなければ

勝手に無責任に治してはいけないのです。(本心開発、魂の成長が遅れる)

神の意思に反したことをしてしまっているのです。

神の願いとは

「世界平和の祈りを祈ることです」

だから祈り(真理)を教えない病気直しはあくまでも邪道なのです。


  

 

霊能者と霊覚者とは違う
 



霊能者とは一般の人々には見えもしない聞こえもしない姿や声を聞いたり、人の想いがわかったり、運命がわかったり、過去世における状態がわかったり、医薬を使わないで人の病気を治したりする人々をいうのです。

そうした人々はその人の人格の高い低いにかかわらず、霊能者といわれます。

だから運命の予言や病気治しは上手だが、人格としては頂きかねるという人もあるわけです。

人の想いがわかったり、運命の予言ができたり、病気治しが上手だったり、肉眼で見えない世界が見えたり、という能力があったとしても、その能力がかえって相手の本心開発を遅らせる、自我欲望達成の具となるだけだったら、その霊能者も相手の人も不幸であるばかりでなく人類の進歩にもよくないことになるのです。


  

 

     「日々の祈り」 五井昌久 白光出版


2017年4月13日 (木)

朝食は少しの糖分を採るだけで十分なのです

この記事は、今から6年前に書きました。

朝は食べなくてもいいというのは、正しいのかどうかはわかりません。(人によって違います)

3食を少しずつ食べた方がいいという考えもあります。

それは間隔を空けると血糖値が上がりやすいという理由です。

糖も一切採ってはダメだという説もあります。

ですからあくまでも参考までにお読みください。

 

「朝はしっかりと食べなさい!」

「食べないと力が出ないよ!」

「朝しっかり、夜は控え目」

これが正解だと思っていました。

しかしそれも違っていたようです。

この本(男が病気にならない生き方)を読んでいると次々にカルチャーショックに遭うのです。

現代人は食事を摂りすぎている

空腹のときの方が頭も体も冴えている

納得することばかりです。

みなさんも食生活を見直してみませんか?

● 朝抜き食生活を実行する

 
食事は朝昼晩のどれを抜いてもよいが、よりダイエット効果を高めるなら朝食抜きが最適だろう。

朝起きたときの体は、いわゆる 「断食明け」 の状態にある。

睡眠中は食事を摂らないため、前日の最後の食事から数時間は断食状態にあるからである。

寝起きは誰もが、目ヤニや鼻クソがたまり、吐く息は臭く、おしっこの色も濃い。

これはまさに、断食をして老廃物をいっぱい出しているときの状態そのものである。

朝食は英語で 「breakfast」 と書くが、fast は「断食」、 break は「やめる」 であるから

朝食とは 「断食をやめて、すぐにとる食事」 を意味している。

つまり朝から胃に固形物を入れるのは体にとって大きな負担となる。

とはいえ、脳と細胞を動かす栄養素は 「糖」 しかない。

朝食をまったく食べないと、糖分が脳に回らないため 「低血糖状態」 となりエネルギー不足を起す。

完全に朝食を抜いてしまえば脳をはじめ体内の種々の細胞が十分に覚醒せず、午前中は頭も体もぼうっとして働かないということになりかねない。

したがって固形の朝食ではなく、生姜紅茶もしくはニンジン・リンゴジュースのような 「糖分」 補給のできるものを体に入れてやるのがよい。

これであれば食べ過ぎにならず、生姜とニンジンの効果で体も温まるのでダイエットには一石二鳥である。

  
「男が病気にならない生き方」 石原結實 Wave 出版

   
  

霊障というものを知ってください(なぜ死後の世界を知らなければいけないのか?)




少し神秘的ですが、大切なことなので恐がらないで読んでください。(笑)



病気というのは、西洋医学、東洋医学だけでは解決出来ないということがあります。

霊障(れいしょう)というのですが、亡くなった人がさ迷って、肉体界にいる人に憑依する現象です。

病気になっている人でこういう人は結構おられるのです。

しかし、簡単に

「あなたの病気は、霊障かもしれませんよ」

なんて言えません。

それは、心が把われてしまうからです。

恐怖心を植え付けることにもなるからです。

変な霊媒師のところへ行ってしまう可能性もあるからです。

よほど、ひどい霊障でなければ、祈りで取れると思います。

今は、次元も上昇し、守護霊の守りのパワーも強くなっているからです。

守護霊、守護神への感謝、世界平和の祈りで浄化、浄霊できるのです。

病気は、人に治してもらうものではなく

自らの波動調整によって治すのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その前に霊障というものがどういうもの(こと)なのかを知ってください。



 

霊障というもの

もう一つの質問 「霊障(れいしょう)の病いと長いこといわれてきましたが、どういうものなのでしょう」 という」問いに答えましょう。

霊障というのは、迷った想念が肉体にかかり、おぶさっている状態をいうのです。

余計に荷物(迷った人の想い)を背負ったようで、そこだけ重いわけです。

それが頭に来れば頭が変になるでしょう。 肺へ来れば肺病になるでしょう、というようにさわっている。 それが霊障というのです。

どうしてそのようなことがあるかというと、自分の肉体などない、死んだ後の世界などあるものか、人間は肉体があるうちが生きているので、肉体がなくなれば死んでしまうのだ無になるのだ、死んだ者に魂などあるものか、と思って死にます。

要するに、いかにも仏教を説いているようだけれど、そういう人は唯物論者で、実は何も知らない。 

本当のことは何も知らない人が死にますと、死んだら生命(いのち)がないと
思っているのに、実際に生命があるでしょう。 

想いが返ってくるのだから。

そうするとああ俺は死ななかったのかと思うわけです。

じゃ生きかえったのかナと思う。 

けれどももう肉体はないわけです。

幽体があるけれど肉体はない。 

だから体は肉体感覚とは違うわけです。

なんだかしっかりしないんだナ。

そうすると思い出すのはどこかといと、自分が昔住んでいた所とか、親しい人とかを思い出すのです。

それでスーッと親しい人の所へ来るわけです。

自分の妻なり夫なり、子孫なりの所へ来るのです。

そして一緒にくっついてしまうわけです。

くっつかれた人は重くなってしまう。 

そういうのが何人もあれば大変です。

重態になるわけです。

私たちがそれを見ますと、ああ誰々がいるな、というので気合をかけたり、拍手を打ったりして浄めるわけです。

ところが執念深く何十年来もついているのは、一遍や二偏ではとれない。

うっかりすると、その人まであの世へ逝ってしまうことになるのです。

だから少しずつ少しずつはなし浄めてゆくのです。

新しくついたものなら、パッと浄まります。

そういうものなんですよ。

 

あの世のためにもなる生き方

 

だから私はよくいうのです。 

この肉体に生きている間は何もしなくてもいいから、あの世
へ行ってまで人の世話かけるな。

あの世へ行ってまで世話かけるのが一番いけないことです。

この世でなんにもしなくていいから、せめてあの世にも生命があるんだナ、死んでも生命があるんだナ、という気持ちをもって、守護霊さん守護神さんにすがっていなさい、というのです。



「空即是色」 五井昌久 白光出版


  
  

2017年4月12日 (水)

人は食べなくても大丈夫になるのです



人は食べることが大好きです。

食欲は、他の欲(金銭欲、物欲、性欲、独占欲・・・)と比べても一番強いと言ってもいいと思うのです。

人間は、空腹の極限状態になったとき

目の前に1億円を積まれても

絶世の美女が現れても(ハニートラップか?)

空腹を満たす方を選びます。

それは死と直結すると思っているからです。

では、人間は食べなくても死なずに生きていけるのか?

生きていけるとしたら、お金を稼がなくてもよくなるのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人は、「食べて行くため」に働いている人がたくさんいると思うのです。

もちろん生活するには食費だけ掛かるわけではありませんが

住む場所が無料で提供されるとして、食べ物も与えられるとしたら

真面目に?働く人は減るかもしれません(親に経済力があると子どもはニートになるのも頷けます)

それくらい食べることは人間にとって大きな問題なのです。


ここから

神秘的な話しをます。

ズバリ、これから人間は食べる量が減っても大丈夫になっていきます。

これまで人間は食べ物からのエネルギーで空腹を満たしてきました。

車で言うとガソリンで動いていたのです。

しかしこれから人間は宇宙からのエネルギーで生きていけるようになります。

宇宙からのエネルギーを霊要素と言います。

樹をイメージしてください。

樹は宇宙(空・天)に向かって真っ直ぐに伸びています。

宇宙からのエネルギーと地面、土からの肥料、栄養を摂って育っていくのです。

人間も同じです。

頭のてっぺんの百会(ひゃくえ)に宇宙からのエネルギーが入っているのです。

これまでは、百会のチャクラがほぼ閉じていたので、ほとんど霊要素が入っていなかったのです。

その足りない分を固形の食べ物から摂っていたのです。

しかし、地球が5次元に突入したということは、この霊要素が強く、多くなっているのです。

自然と人間の食欲は減っていきます。(すでに少食になったり断食をしても平気な人が増えています)

そして、断食が健康を保つ為に必要だとわかってきているのです。

食べ過ぎが病気の原因になっていることもわかってきました。(癌は三つの口で山のように食べるから)

前に書いたブログで、「食品業界が淘汰される」と書きました。

それは、人間が食べなくなることも影響されるのです。

お金が無くなり、食べることが難しくなったとしても

食欲じたいが減っているので苦しくないのです。

これから人間は欲が少なくなるのです。

金銭欲、そして食欲です。(性欲は最後まで残るそうです)

アセンション(次元上昇)に向けて

準備は進んでいるようです。


  

 

一人一人に出来ること(宇宙神からのメッセージ)




21世紀、世界を変えてゆくのは私達一人一人の選択なのです。

政治家、科学者、聖者が世界を平和に導いてくれるのではないのです。

私達一人一人が、対立、競争、物質主義、病気などのマイナスを無意識に選択するという過去の古い習慣から脱却し、祈り、感謝、愛、調和、赦し、健康を意識して選択し続けることによって、世界の流れは平和、調和、幸せへと大きく変わってゆくのです。

そして、世界平和の創造は、宇宙神と人類の共鳴によって進められてゆきます。

宇宙意識に同調し、宇宙神と共鳴出来るまで意識を高めた人達の数が臨界点に達した時、生きとし生けるもの全てが一つに結びつき、調和、進化創造、次元上昇が果されてゆくのです。

宇宙神と共鳴出来るまで、意識を高める方法、それが印、祈り、マンダラなのです。

地球完成のため、まさに今、宇宙神より降ろされた神事なのです。


印、祈り、マンダラによって高揚した精神の目覚めが、チャクラを自然に開き、活性化させてゆきます。


「世界人類が平和でありますように。日本が平和でありますように。私達の天命が全うされますように。守護霊様ありがとうございます。守護神様ありがとうございます。」

という世界平和の祈りは光に満ちていて、自分が救われるとともに、人類の光明化、調和に大きな力を発揮します。


そして呼吸法を伴う「人類即神也」の印を特別なものです。

この印の深く特殊な呼吸法により自ら神性意識である魂と、物質である肉体エネルギーが一つになり、宇宙究極の生命エネルギーから全く新しいエネルギーを創り出してゆくのです。

そのエネルギーにより、自ら七つのチャクラが次々に開かれていくと同時に、人類の精神的目覚めに作用してゆくのです。

この印を組むことによって、知らず知らずのうちに宇宙の法則に則っているのです。

今現在、宇宙神と共鳴出来る意識の人が世界中で一万二千人います。

この数が三万人に達した時

が臨界点となり、加速度的に世界は上昇してゆくのです。


 


『無限なる勇気』 宇宙天使からの贈り物O大使とM大使お言葉から~「大元の光」 「天命について」 調和波動気功法 Ⅴ 于寿明



調和波動気功法とは

http://www.harmony-wave.jp/



  


  

   



  

人と人間の違いは?




「あの人は・・・」

というのと

「あの人間は・・・」

というのでは

響きが全然違いますよね。

人の場合は、やさしい丁寧な感じがしますが わーい(嬉しい顔)

人間っていうと冷たい軽蔑に似た感じがする ふらふら

その響きを感じ取って、私たちは知らず知らずのうちに使いわけているのかも知れません。

でも、ハッキリとその違いはわかっていない



実は人とは霊止(ひと)のことなのです。

霊(神)が止まる。

つまり神様が宿っているという意味です。

霊は広く使われていますがその根源は神様です。

神様は神霊(しんれい)とも言われます。


 
神界(神霊)

霊界

幽界(幽霊)

肉体界(人間)

  

幽霊は肉体界にくっついている低い界層の霊です。

動物霊、感情霊ともいわれています。

霊界、神界に行くに従って魂の高い霊になるのです。

人(霊止)の場合の霊は神界の霊のことです。

だから人とは、神そのものなのです。

 

一方、人間とは何か?

人(霊止)と動物の間という意味です。

この動物とは、神から分けられた分霊ではなく

被造物のことです。

神様が創ったのだけれど、神は宿っていない。

つまり霊性はなく、感情で生きている動物という意味です。(犬のように霊性のある動物もいますが、ほとんどはそうではない)

神様と動物の狭間で生きているのが人間ということなのです。

地球には今、人間が住んでいる。

本当の意味の人(霊止)はほとんどいないのです。

だから地球は太陽系の中で最も遅れた星なのです。

何が遅れているかというと精神的に幼いのです。

金星がいつも冷静でしっかり者のお兄さんとすれば、地球はすぐに感情的になって、ケンカばかりをしているバカな弟なのです。(ごめんなさい泣き顔地球さん)


でも地球もいつまでもバカをやっているわけではありません。(笑)

アセンションとは、幼い星(地球)から立派な星に生まれ変わるということなのです。


これは一人一人の人間が本当の意味の人(霊止)になることをいうのです。

そしてアセンション(次元上昇)するためには宇宙神(神様)と共鳴出来る意識の人が3万人必要とされています。


3万人でないと人間の意識が変らないのです。

臨界点に達しないのです。(今、宇宙意識の人が1万2千人だそうです。)


そのことについては『無限なる勇気』に詳しく載っています。


この後に『無限なる勇気』から

一人一人に出来ること の文章を抜粋します。(宇宙神からのメッセージです)

大切なことが書かれていますので

是非、読んでください。わーい(嬉しい顔)


  

無であり「空」(空即是色)になることが人間の最終目標なのです!



 
感想

スポーツや身体を動かすと、なぜ清々しい爽やかな気持ちになるかというと精神が無、空になって何も考えていないからなのです。

何かに集中すると肉体(頭)から意識が外れます。

すると頭で考えているどうでもいいこと、どうにもならないこと、つまり 「どうのこうの」 が無くなるのです(笑)

そして川の流れである血流も良くなり、その一瞬だけでもストレスが無くなり、病気のような症状も緩和されるのです。

人間ってつくづくエネルギー体なのだなあと思うのであります。

本来の健全なる人間とは、エネルギー(血流)がサラサラと流れている状態を言います。

スポーツだけではなく、それが仕事でも、趣味、芸術をやっているときも一生懸命に集中しているときとは、素晴らしい波動体になっているのです。

光っているんですね!

がしかし(笑)、これを覆って邪魔をしているのが、過去世からの想念であり、現在のストレス、周りの人のマイナス想念(集合意識)です。

これらを仏教では業(ごう)と言ったり、キリスト教ではカルマなどと言います。

カタチで例えると黒雲でしょうか、この黒雲が心と体にもくっついてくるのです。

理由もなく気分がすぐれない、訳もなく腹が立ってくるなどは、あまり良い状態ではないのです。

下記に出てくる五井先生は、個人指導で個人や人類の暗雲を取り去っておられるのです。

なぜそんなことが出来るのか?

それは五井先生が無であり空である聖者だからです。

心の中にな~んにも無いので、相手の人の重たい荷物を持ってあげられるのです。

そしてもっと素晴らしいことは、五井先生は黒雲(カルマ)を取るだけではなく、自分で取る方法を教えておられるところです。

取る方法とは、世界平和の祈りです。

世界平和の祈りは宇宙神の理念なので、光輝いています。

この言霊を唱えると、みな光の波動体になるのです。

「自分のエネルギーのメンテナンスは自分でしなさい」(波動調整)、

甘えさせるのではなく、人間をほんとうの自立へと導いてゆく、それが本当の愛だと思います。





世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

May peace prevail on earth

無限なる愛 無限なる調和 無限なる平和



調和波動気功法 

http://www.harmony-wave.jp/



本文




相手と向かい合って座る。

私の心には相手の分霊の光と、その分霊が過去から放ちつづけている想念の波が種々なる波長をもって、幽体を流れているのが観じられる。
 

即ち、因縁の波を観じるのである。
 

私はすでに光体になっている私の中に相手の因縁の波が吸いこまれて、しだいに浄まってゆくのを感じる。
 

ちょうど吸い取り紙のようなもので、吸い取り紙は吸い取ったインキを消すことはできぬが、私は、その人と対座を止めると、ほとんど同時に、その人の因縁の汚れを消滅できる。


私に来ている本源の光が汚れを消滅するのである。


私と対座した人は、なんだかわからぬが、体が軽くなり、清々しくなる、と異口同音にいう。


これはその人たちの業因縁が浄められたことによるもので、いかなる言葉の説教よりも、はるかに早くその人たちを救いの道に導くことになるのである。




                  つづく


『神と人間』 私の祈念法 五井昌久 白光出版


 

  

  

いざというとき守護霊さんは助けてくださるのです。

  

以前、田舎道で土砂崩れがあって、運転をしていた母親と、7歳の女の子、3歳の男の子が生き埋めになったことがありました。

現場は少しでも動くと土砂が降り注いでくる状況です。

そんな中、窓ガラスが突き刺さって虫の息だった母親は死んでしまいました。

女の子はいくら呼んでも応えてくれない母親の死を知り、泣き叫び、後部座席の窓から車の外に飛び出て、その瞬間に土の雨を被って死んでしまいました。

幼い弟は、守護霊からの「今、外に出るな!」というメッセージを素直に受け取り、その場でじっとしていて助かったのです。

そして迎えに来た父親に抱かれ無邪気に笑っていたのだそうです。

私たちは、先のこと、未来のことは、わかりません、そして今この瞬間もどうすればいいのかもわからないことの方が多いです。

そんなとき、守護霊さんに感謝の念を向けていると助けてくれるのです。

メッセージであったり、人からの助言を通してであったり・・・私たちは一人で生きているのではない、生かされて生きているんだと知るべきだと思います。

あーやんが頼れる守護霊さん守護神さんについて教えてくれています。

よかったらお付き合いください。

 


 

「もっと自分を愛してみよう」  頼れるのは守護霊さん守護神さん



 
http://akemi51.blog.fc2.com/



  

お金が無くても、無くなっても大丈夫!



頭で納得すること(論理的)と、心で納得することは違うと思うのですが、小さい子供から、頭の堅い大人まで誰でもが「なるほど」とわかって戴けるように書いていこうと思っています。

 

そうでないと私の考えが熟していない、本ものではないということです。

 

まず、神秘的なことから書きます。

 

地球は今、5次元に突入し、時期はハッキリとは言えませんが近い将来地上天国が訪れます。

 

近い星では金星がお手本(完成された愛の星)なのですが、金星には「お金」というものが存在しないのです。(正確には無くなった)

 

ですから(詳しくは別の機会に書きます)、これから地球はお金が無くなる方向へと向かって行くのです。

 

物々交換の時代になります。

 

では、現実的な話です。



現在、あらゆる産業が淘汰されつつあります。

 

近い将来淘汰される、激減する産業とその理由

 

1.食品業界・・・真実が明らかになって、発がん性のある食品、糖質が多く病気の温床となっている食品、乳製品、お肉、炭水化物(主食)などの食品が敬遠され、飲食産業、お店も成り立たなくなる。(ネットでは凄いことになっていますね)

 

2.「薬は毒」は、常識になりつつあり、医療に頼らない生活があたり前になる、よって医療関係(病院、ドラッグストア)はかなり消える

 

3.AI(人工知能)やM&A(企業の合併・統合)によって仕事、職が激減する

 

4.人口減少によって、現在820万戸の空き家が加速する(東京、大阪などの大都会でも不動産が大暴落する)

 

以上は主な産業ですが、これから時代は確実に私たちから職を奪って行きます。

 

お金を稼ぐ、儲ける手段が無くなって行くのです。

 

一方では、格差が広がり、現在でも4人だったかな?8人だったかな?

 

少数の大富豪が世界の貧困層の半分のお金を独占しています。

 

お金は、均等に拡がることが難しくなっていきます。

 

私たちはお金を稼いで生活することから

 

お金無しで生活する方法を探し始めます。

 

お金はエネルギー(価値・効力)を失い、無くなる方向へとシフトします。

 

非常に簡単に書いてきましたが

 

今、すぐに起こることではありません(笑)

 

今、現在はお金は必要です。

 

しかしお金が無くなる方向へと進んでいることは確かです。

 

「お金はいずれ無くなるんだ」

 

「お金が無くても生活出来るんだ」(みんなが持っていないのだから恐くない)

 

「お金に代わるエネルギーってなんだろう?」



「物々交換に匹敵する価値が自分にはあるのかな?」

 

と考える時代に来ているのです。

 

 

 

お金が無くても大丈夫、食べなくても大丈夫、仕事がなくなっても大丈夫、病気になっても大丈夫(死んでも大丈夫)・・・

みなさん今、漠然とした不安、いくつかの不安、たくさんの不安を抱えておられると思います。

不安があるときは、ほんとうは他にもっと大切なことがあるのに、そこに意識が行かず、中途半端におなざりにされていることがあると思うのです。

自分や日本や地球にたとえ何が起こったとしても

「絶対に大丈夫なんだ」

という確証? 安心感があれば

どれほど嬉しいことでしょう♪

これから私はタイトルにある問題点?がなぜ大丈夫なのか?という根拠を毎日個別に少しずつ書いていきます。

お楽しみに


 

 

2017年4月11日 (火)

頭で考えることは違うのです。心の奥から答えは出て来るのです!




感想
 

私たちは、頭でものを考えることがあたり前だと思っています。

熟考し、長考して出した答えや結論は、一瞬でヒラメイタ直観よりも、重みもあり、正しいとさえ思っています。

しかし、実は私たちは考え過ぎて出した答えよりも直観で動いていることのほうが多いのです。(知らず知らずのうちにそうしている)

そしてなぜか人間関係、恋愛関係、仕事、その他のことも自分がほとんど考えていなかったり忘れているときに事はうまく行っている(進んでいる)のです。

あたかも自分の知らない所で、誰かが万事を整えてくれているかのように・・・・・・。

頭でどうのこうの、計算しているとほとほと自分が嫌になってきますよね(笑)

「あいつがあんなことを言ったから辞めておこうかな?」 「あっちの方が得そうだからこっち

はやめよう」 「効率のよいのはどっちかな?」 「相手の人はどう想うかな?」・・・・

どうでもいいことを感情(勘定)で判断しようとします。

すると考えすぎた結果、ほとんどが上手くいかないのです。(宇宙法則を外れているから)


子どもがかわいいのは?猫や犬によって癒されるのは、大人の人間のように思惑がないからです。 

思慮分別がないからです。 

計算しない、ジャッジしないからです。

天真爛漫に直観のまま素直に生きている、宇宙法則のまま天(神様)のみ心のままに自然体で生きている。


五井先生は、自分という我を無くし、天智(天から送られて来るメッセージ)のままに生きておられました。

お釈迦様もそうですし、キリスト様も、その他の聖者たちは、みんなそうです。

エネルギーの無駄使いが一切無かった、潜在意識に潜んでいた潜在能力を100%出しておられたのです。

私たちは頭で余計なことばかり考えているので、潜在能力の一万分の3~5しか出せていないのだそうです。 

なんともったいないことでしょう!


どうすれば、無駄なくほんとうの自分の力(無限なる叡智)を発揮出来るのでしょうか?

それはこれまでもこのブログでかなり書いてきたつもりですが(笑)、これからの本文(五井先生の祈祷法)を読んでいかれたら、きっと判られると思います。

楽しみにしていてください(笑)


 


私の祈念法

 

私は現在、毎日多数の人びとの相談に応じて、寧日(ねいじつ)ない有様であるが、ほとんど疲れが残ることはない。
 

業因の深い人と対座する瞬間、相手の業因が、電波の如く、私の肉体身に感応いしてくるのだが、それもほんの瞬間に消えて、疲れがそのまま残っているようなことはすくない。
 

私の肉体の頭脳は常に 空 なのである。
 

私は肉体の頭脳でものを考え出すことはない。
 

必要に応じて必要を充たす智慧が、私の本体から自然と肉体に伝わってくるのである。

 
私は霊媒ではないから、霊動したり、霊言したりはしない。


普通の肉体人間となんら変わらぬ平々凡々たる人間に見えるし、常識を一歩も越えぬ生活をし、行動をしている。
 

しかし、根本的にはまるで違っている。
 

それは私の本体が光であることを体験として知っていることであり、私の言動が、すべて神(本体)から直接に支配されていることをはっきり認識しているからである。
 

普通、人間は、常になんらかの想念が頭脳を駆け巡っているのだが、私の肉体頭脳を駆け巡る想念は何もない。
 

私はかつて、一切の想念を断絶する練習を私の守護神から強制的にやらされたのである。


それは、普通の座禅や、精神統一の類ではなく、二十四時間ぶっつづけの練習なのである。(このことについては、自叙伝“天と地をつなぐ者” を参照されたい)苦しいといえば、これほど苦しいことはない。


ものを想わぬこと、念を停止すること、即ち、空になる練習なのである。

寝ても起きても、歩行していても、全時間、すべてこの練習なのである。

この期間約三ヶ月、自我を全部滅却して、神我に変えたのである。


霊媒ならば、肉体を、その支配霊に他動的に委ねて、自己の我はねむっていればよいのだが、私の場合は、自己意志で、自己の我を消滅し去ろうとするのである。


いいかえれば、因縁の流動を超えて、自由自在心になるために練習なのである。


原因結果、原因結果と果てしなく輪廻する業因を超えるためには、その業因をつかんでしまってはいけない。


いかなる業因縁が果として現われようとも、果として現われれば、その因縁はそのまま消えるのだから、消えてゆくという念と、これで善くなる、という善念だけ出せば、運命はその時、新しい善因を記録する。


そうした方法を根よくつづけて行けば、その人の潜在意識は、しだいに善因縁に変化してゆき、顕在意識の善なる想念と正しく交流して、その人の運命は好転する。


私は人びとに、そのような方法を教え、練習させながら、私自体は、私の想念をすっかり停止して、相手の業因縁を、私自体の生命(心)の中に吸い込んでゆく黙想をする。


これは苦しい想念停止の練習によって、到達し得た空即実相の黙想なのである。


                       
                         
                     つづく




      『神と人間』より私の祈念法 五井昌久 白光出版




追伸・・・上記の『神と人間』は、人間が生きていく上で必要不可欠なこと、知っておかなければ生きていけないことが、淡々と書かれています。(易しくはありませんが)

この文章はシリーズになっていてさかのぼって読むことが出来ます。

ご興味のある方は、2015年12月末から2016年2月にかけてお読みください!


 

 

どこに意識を合わせるか?(チャネリング)が大切です。



 
私たちは今、地球に住んでいるのですが

肉体は同じところに存在していても心、魂は人それぞれ、違うところにいるのです。

肉体界の他に大きく分けて幽界、霊界、神界があります。(真実はもっとたくさんあります)

目に見える世界は肉体界だけです。

幽界は人間の想念がつくった潜在意識の世界です。

この世界が人間のマイナス思考により汚れに汚れてしまっているのです。(無限なる赦し)

ここには、死後に霊界や神界に行けなかった迷える魂たちがたくさんいます。

そして肉体界の人間に憑依して悪さをすることがあるのです。


私たちは人ごみに行くと


“疲れます”


この疲れるとは取り憑かれるの意味です。

幽界のオバケちゃんだけではありません、生きている人からもエネルギーはいくらでも受けるのです。

そしてその人の想念エネルギーと幽界の影響を受けて私たちは肉体界を生きている。

目にみえないからなんとか暮らして行けていますが

これらの霊、エネルギーがもし見えたとしたらぞっとしますよね。げっそり

一方、霊界はこれらの(マイナスエネルギー)波動とは違い、かなりスッキリした綺麗な世界なのです。(守護霊さまがおられます)

そして神界(天国)はなんのけがれも無いプラスのエネルギーで充ちた調和な平和な愛に溢れた世界なのです。(ここに守護神様、そして本当の自分が居る)

私たちは、肉体界の他に幽界にも霊界にも神界にも同時に住んでいるのです。

しかし肉体にしか意識を向けていないから他の世界がわからない。

無意識のうちに幽界の世界に入ってしまってもわからないのです。

私たちが幽界の世界に入ってオバケちゃんにもてあそばれていると、守護霊守護神からの光(メッセージ)が入ります。

「おいおいそこは、あなたが住む世界ではないよ」

というメッセージです。


でも守護霊守護神の存在を知らない、知っていても信じない人は


霊界や神界に意識を向けないのです。(守護霊守護神は守りにくくてしかたがない)



そうすると肉体界と幽界(迷いの世界)だけの世界にいることになります。

だからこの地球はおかしくなっている(無限なる光明)

肉体界と幽界だけをグルグル廻っている。

私たちはマイナスのエネルギー、人のマイナス想念エネルギー、幽界のオバケちゃんに波長を合わせてはいけなのです。

本当の自分がいる神界に意識を合わせ続けないと違うエネルギーの世界に入ることによって本来の自分とは違う人になってしまうのです。

本当にそうなってしまっては大変です。

だから宇宙神が人間を守るために守護霊様と守護神様を付けてくださった。

人間一人に守護霊は2体、守護神は1体ついてくださっています。 (人によってはもっと多い)

この守護霊守護神が私たちが寝ているときも何をしているときも守りに守ってくださっています。

そして人間が神界(本心)に意識を合わせることを待ち望んでおられます。


アセンションとは、守護霊守護神の協力と人間の祈りによって神界につながることをいうのです。

神界に意識がつながると神そのものの自分が肉体界に降りて来るのです。

これを神我一体といいます。

今、地球の波動は荒れに荒れています。

個人も人類も本来の姿を見失いかけています。(無限なる真理)

だから真理がわかった人が神界とつながり続けることが大切なのです。(天と地がつながることで光がたくさん降りて来るからです)


私はある人から

「グッドムーンさんはチャネラーですね、どんな世界にもチャネリングしてしまう」

と言われたことがあります。

これは笑事ではないのです。げっそり

高い意識にもなるし、油断をしているといくらでもマイナスのエネルギーを受けてしまうということです。

だから意識をいつも本来の自分がいる神界(宇宙)に合わせていないといくらでも業(ごう)や、地球上の汚れた想念波動を受けてしまう。(これを病気と言います)

みなさんも気づいていないだけで

そうなんです。

だからしんどい

スッキリしない

いつも重苦しい (無限なる光!)



自分のエネルギーは自分で整えていく ことが大切です。(波動調整)

これが本当の自己責任です。

アセンションとは自分の放つエネルギーに責任を持つ時代が来たということです。

だから本ものの時代と言われています。

本ものしか残らないからです。

本ものしかこれからの地球の波長(今、地球は5次元に突入しています)に合っていかないからです。

誤魔化しは利かなくなる。

そういう意味では厳しい時代になって行きます。

精神的にも経済的にも・・・・・・・。




 
  
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます





  



 

2017年4月10日 (月)

時間は未来からやって来る(果因説)

 

私たちは、時間とは過去から現在、そして未来へと流れていくものだと思い込んでいます。

それは、人間が勝手に考え出した時間の流れの概念なのです。

私たちが住んでいる宇宙には、時間はないのです。

過去も未来も現在もない(時空を超えています)

だとしたら時間を未来から現在へと自由に流すことができるのです。

イメージトレーニングがあります。

スキーなどで自分がうまく滑っている姿をイメージし続けて

現地に着く、そしてそのイメージのまま滑ると、イメージ通りに滑れている

格段に上達しているのです。

これは、上手に滑っているという未来の形を先に創ってしまうということです。

宇宙は、人間の想像した通りに創造されていくという法則があります。

人間は創造主(神)であるからです。

思った通りの自分になれるのです。(マイナスなど邪魔をするものを入れなければ)

これからは時間の概念が変わっていきます。

それによって、みんなすばらしい未来を想像(創造)するようになります。

病気の人は、健康をイメージし、貧困の人は豊かさをイメージし、人間関係がうまくいっていない人は、みんなが調和している姿をイメージする

そんな素晴らしい世の中がやってくるのです。

果因説については、もう何度もここに掲載しましたが、今回も載せることにしました。

人間がこれから明るく生きていくためには、絶対に必要な考え方だからです。

みなさんも是非、明るい未来をイメージしてください。

時間は未来から今へとやって来るのです。

 

世界人類が平和でありますように
 

 

因果律と果因説の違い━過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か

 

次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを持って)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

    

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版


  

瞬間移動(思いは現実化する)




少し神秘的な話をします。(2007年7月のブログより)
  
昨日、オリエンタルウインドでの勉強会(定期的におこなっている)があった。
  
そこで、意識が違うところにあれば、肉体(身体)も移動するという話を出席していたある人から聞いた。
   
その人は17歳の頃が非常に霊的になっていて、高校生だったある日、彼女は学校で授業を受けていた。
   
なのに家に帰るとお母さんに 
「あんた、あの時間に〇〇にいたけど、あそこで何をしていたの?」 と聞かれたそうだ。
   
その時間は間違いなく学校にいたのだが、その時の彼女は意識がぼんやりしていてどこかへ飛んでいた感覚があったらしい。
  
その後も度々、言われたことがあって、ついに父親にも言われた時にはさすがに驚いたそうだ。
    

私たちはよく意識が飛んでるとか、心ここにあらずとか、ワープするとか言うが、どういうことかというと、意識に伴ってまず、エネルギーが移動する。
   
エネルギーだけが移動しただけでも霊感の強い人はその気配(けはい)を感じ取ったりする。
  
そのエネルギー(気配)を感じて肉体があるように思うのだろう。
    
もしかして、本当に肉体も移動していたのかも知れない。
      

この話で人間がエネルギーで出来ていて、肉体はその器であることが判る。
   
意識(心)があって、心がエネルギーになって、エネルギーが物質化する。
  
物質化したものが人間の肉体だ。
    
だから、人間が死んでも、肉体がなくなってても意識やエネルギーは残る。
   
将来的に人間はどこへでも瞬間移動できるようになるそうだ。
   

そうすれば、一瞬にして行きたいところへ行ける。
  
違う星に行くことも出来る。
  
そんな日が近い将来やってくる

   
みなさん、すごくロマンがあって、想像しただけでも楽しくなると思いません?




   
参考書籍、 光の十二日間、フォトンベルトの謎 



  

 

取り越し苦労はやめよう!




取り越し苦労ほど無駄なエネルギーの使い方はない。
   
心配のし過ぎが取り越し苦労につながっていく。
   
ものごとを悪い方悪い方に考えていくと想いはエネルギーなので実現されるようになっていく。
   
海外へ旅行に行った子供たちが親の心配のし過ぎで体調を崩して、つまらない旅になってしまったと聴いたことがある。
   
付き添った人がエネルギーのわかる人だったので、それはもう大変だったそうだ。
   
親の心配するマイナスのエネルギーはすさまじかったらしい。
   
エネルギーは目にみえないので過度の心配が体調と関係があるだなんて思いもしないだろう。

それも親自身の体調だけでなく子供に影響しているとは・・・
  
心配するのは親の愛情、当たり前だと思っている。
  

心配とは心を配る、つまり思いやりという意味でマイナスのエネルギーをばら撒くことではない。

人はもっと、目にみえないもの、目にみえない力に意識を向けて、自覚を待っていかなければならない。


マイナスのエネルギーは自分、家族だけでなく、あらゆる人たちにも影響している。

心配だ、心配だの言霊(ことだま)をだいじょうぶ、だいじょうぶ、良くなる、良くなるに変えよう。


  

脳裏に浮かんで来る想念はどこから湧いて来るのだろう?



 
感想
 


「なぜこんなことを言ってしまうのだろう?」 「なぜこんなことを想ってしまうのだろう?」・・・と私たちは自分で自分の言動行為、そして想念をコントロールすることが非常に難しい状態にあります。

言動行為はある程度、理性で抑えることもできますが、脳裏に浮かんでくる想念は

「いったいどこから湧いてくるのだろう?」 と思うほど絶え間なく続くのです。

そしてこれは自分の本心なのか?本心ではないところから来ているのか?

知る由もありません。

想念とは、潜在意識から来るものであり、潜在意識とは、つい最近思ったことが消えなくて潜んでいるものもあるのですが、生まれる前、つまり前世、過去世で思ったことも含まれるのです。

ですから仲の良かった友だちのことが急に疎ましくなったり、腹立たしくなったりするのも、前世での不仲(因縁)が蘇ることがあるのです。

今生(この世)で会うということは、前世無しではありえません。

「初対面ですね!」 は無いのです。

「以前(前世)でどこかでお会いしていますね!」 なんです(笑)

そしてやったことは必ず自分に返って来るというのが宇宙の絶対法則です。

今、いじめられているのは、過去世で自分がいじめていたからです。


・・・これは真理なのですが、この法則で言えば、加害者はすべて許されることになります。

被害者は、 「しかたがないよ」 で済まされることになります。

警察も刑務所もいらなくなってしまいます(笑)

争いも喧嘩も戦争も過去世の想念が消えないので起こっているのです。

・・・では、どうすればいいのか?

自分(個人)の、そして人類に代わって、人類に溜まった潜在意識(つまり幽界)を浄化するしかないのです。

忌まわしい過去を消し、許し(自分も相手も)、愛で包み込む、それしか地球が素晴らしい星になる術はありません。

理性(頭)で相手を許すことは、難しいです。

それは元が残っているからです。 感情が消えていないからです。

真理(やったことが返って来ている)を知ったとしても、ひとときの慰めにしかなりません。

次に過去の自分を責めるからです。

浄化するとは、元を空(くう)・クリスタルにする、ということです。

記憶を消すことでもありません。

自分と他人という二元対立を無くすということです。

自分は他人であり、他人は自分である、

一つの太陽から分かれた光が人間です。 元は一つなんです。

分霊(わけみたま)といいます。

自他一体感を感じられたとき、感情が消えるのです。

愛の気持ちが湧いて来たとき、過去は消えるのです。

潜在意識(幽界)は消えるのです。

世界平和の祈りは、自分を浄化し、その他すべてのもの(人類の想念)を浄化するのです。
 



世界人類が平和でありますように


May peace prevail on earth






本文



因縁を説いたら、必ず、その因縁の消え去る方法を教え、その本体の神仏であるところまで説かねばならぬ。


これは、因縁を、想念(心)の法則と説いても同じである。


この不幸は、この病気は、みんなあなたの心の影ですよ、と指摘する類である。


形の世界の運命は、みんな心の影であるのは真理であるが、現在そこに現われた、病気や不幸が、その人にとって記憶のある悪想念の現われであることは少なく、大半は、記憶に出て来ぬ過去世からのものも含めた潜在意識にあったものであり、あるいは祖先や縁者の悪想念に感応している場合も多いのである。


この理を考えずに、ただ、あなたの心の影だと説くことは、その人を救うというより傷つけ痛めることが多いのを私はよく知っている。


これは愛の不足ということで、知識が智慧と離れた状態である。


心の温かい人、愛の深い人はどうしても相手の心の傷や痛手に、ぐさっと突きささるような言葉は吐けないもので、まずその不幸にたいして、同情せずにはいられなくなるものではないかと思う。


いかに真理の言葉であっても、聴く人の心が、その真理の言葉に遠い境界にあったり、空腹に喘いでいる人に、高遠な理想を説いても、ほとんど効果はあるまい。




真理の眼玉よ  降りて来い

おまえがあんまり高すぎるから

世の中は暗いのだ




と歌った詩人がいるが、これこそ肉体人間一般の叫び声であろう。


この声を無視した教えでは人類を救うことはできまい。







『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版

2017年4月 9日 (日)

守護霊さんに感謝の気持ちを向けているとすべてが上手く行く

 
先日、守護霊さんは3人も私たち人間についてくれていると書きました。

守護霊さんとは先祖の悟った人であり、ものすごく頼りになるのです。

3人の中には仕事のスペシャリストの人が必ず居て、適切なアドバイスをくださるのです。

しかし、肉体人間が

「自分一人だけでやろう、頼れるのは自分自身しかいないんだ」

と自分の殻の中に
閉じ籠ってしまうとせっかくのアドバイスも届きにくいのです。

私たち肉体人間は、一秒先一分先、一週間、一年先のことも何が起こるかわかりません。

今起こっていることとは、潜在意識の幽界という世界が肉体界に映って来ているのです。

だから幽界のことがわかっている霊界の守護霊さんでないとこれから起こることがわからないし運命の修正も出来ないのです。(守護霊さんは私たちが感謝をし祈ることで光が強くなると幽界のマイナスを消すことが出来るのです)

ヒラメキ!って 「明るい未来がわかる!」 ということですよね

過去、過去世の終わってしまったことの延長?

これから起こる嫌なこと(このことを占いと言う)

がわかっても意味がない(笑)

未来に対して光が灯るから、プラスに変わるから意味があるのです

そのことが直観でわかればどれだけいいか!

その暗い未来を明るい方向へ修正してくれるのも守護霊さんなんです

守護霊さんは、守っている人間にこれからどんなことが起こるのかを知っている

そして、未来を修正して、善い方向へ導くためにメッセージを送ってくれているのです

「そっちに行ったら車に轢かれるよ」

「この人に会ったら仕事がうまくいくよ」

「その人とは関わらない方がいいよ」

守護霊さんの指示に従っていれば宇宙の法則に乗ったも同然なので

何をやっても上手くいくのです

「そんなレールに乗ったような人生、まっぴらだ、オレはオレで自分の思った通りに生きるんだ」

といきがる人がいるかもしれません

では、あなたは、一秒先、一分先がわかりますか?

わからないままで生きて行けますか?

暗闇の中を灯りも無しで歩けますか?

自分一人で勝手に生まれて来て、自分で勝手に生きているのではありません

今の現状が崖っぷちだったとしても、切羽つまった状態だったとしても

「何も良いことなんてないや」と思っている人生であったとしても

今こうしてなんとか

生きていられるのは

守護霊さん守護神さんのお陰なのです(大難が小難で済んでいる)

「ああ有り難いなあ」

「生かされているんだなあ」

「守られているんだなあ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その気持ちが湧きあがって来たら

「どのお方かは知りませんが、私の大切なご先祖様、守護霊さま、私は今、大事な仕事をかかえております、この仕事はなんかして成功させたいのです

どうかよろしくご指導の程(笑)お願い致します」

と仕事の合間でも、ヒマな時にでも唱えるとよいのです

守護霊さんというのはもの凄い人たちです

この世的にどれだけ仕事の出来る人であっても守護霊さんには絶対にかなわないのです。

それは、肉体界で守護霊さんクラスになっている人は肉体界に居る必要がないからです。(修行は終わっている)

私は印を組んでいる時に次々にインスピレーションが湧いてきます

その出先は、守護霊さんなのです

「自分は守護霊さんに守られているんだ、だから百人力だ、いや千人力だ」

という自信が平常心、不動心に代わってゆくのです。

守護霊さん守護神さんへの感謝は世界平和の祈りの中に込められています。

世界平和の祈りは完璧(パーフェクト)な祈り言霊なのです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


 

自分自身が光る観光地になりましょう




斎藤一人さんの 「観光旅行の話」 というのがある。 この観光旅行とは、名所や史跡を観にいくことではない。

では、なにか。 文字通りである。

つまり 「光」 を観るための旅行なのだ。

光とは、光り輝いている人のことを指す。 みずから輝き、光を発している人だ。

こういう人は、まわりの人々に元気を与える。 そのエネルギーが欲しいから、その人に会いにいくということなのだ。

会社にそういう人がいれば、所属するチームは明るく、楽しい。 そして成功する。

お店にいれば、お客さまがどんどん来店する。 明るいところに人が集まるのは当然のこと。

お店は繁盛になっていく。

人間には、太陽タイプと、月タイプがいる。太陽タイプは、みずから光り輝き、みんなを照らしだす人である。

一方、月タイプは、太陽の光に照らされることによって輝くことができる人をいう。

この人たちは太陽タイプがいることで、はじめて輝くことができる。

残念なことに、太陽タイプの人は圧倒的に少ない。 多くは月タイプである。

みんな輝きたい。そのためには太陽タイプが必要だ。

だからそんな人のまわりに観光旅行に出かける、ということなのだ。

 

斎藤一人さんが教える驚くほど「ツキ」をよぶ魔法の言葉ノート 池田光 [著]



 



感想

観光地というのは、昔の聖者や悟った人がその場所にいて、その地を浄めていたのです。

悟った人は、天につながっているので天地を貫く “光の柱” shine になっていました。

そしてその地は素晴らしい光の波動体になっていた

人が行くと、光のシャワーを浴びたように、汚れた想念(業・カルマ)が浄化されたのです。

“生命(いのち)の洗濯” が出来たんですね。

観光地とは、光を観に行く地という意味なのです。

ところで

観光地に行かないと私たちは、いのちの洗濯が出来ないのか?

心を清くすることは出来ないのか? 光り輝くことは出来ないのか?

そうではありません、そのために祈りがあるのです。

祈りとは、いのちがのり出すという意味です。

祈ると自分が光の柱になります。

聖者や悟った人と同じような波動体になるのです。

 



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 

 

人間は神の子か?それとも悪魔の子か?





人間は一体何者なのか? 

類人猿、動物(チンパンジー)が進化して高い知能を持つようになっただけなのか?

それともキリスト教や神道にあるように人間神の子なのか?(解釈の仕方は違いますが)

また、タイトルにあるように神と人間の関係はどうなっているのか?

神の子ならば、どうして病気や死や生きること、老いることの苦しみがあるのか?(生老病死)

神は完璧(パーフェクト)なはずなのに、どうして神の子である人間はこうも不完全なのか?無限なる力!

だがしかし、一方では、神性を顕わした人を見て、「あの人は神様のようだ!」と絶賛される人もいるのです。

神性を顕した人が少なすぎるので 「人間悪魔の子」 が勝っているだけで、

お釈迦様やキリスト様、マザーテレサ様のような光そのものの人が次々に現われてくれば、 

「人間はやっぱり神そのものだったのだ」 と証明されると思うのです。

ダイヤモンドに例えると、今は光が現われていない、原石の状態です。

汚れや煤に覆われて光を放っていないのです。

しかし時間をかけて磨いて(魂を)いけば、

そして宇宙からの光が強くなれば、素晴らしい光を放つようになる。(一部の人は強くなっています)

玉石混交(ぎょくせきこんこう)という言葉があるのですが、玉が神性です、石が業想念、汚れた潜在意識です。

業想念(カルマ)が消えて、本来の姿を思い出せば、人間はみな

“神の子”

になれる

、いや、なるのではない、元々神の子なのだから思い出す作業をすればいいのです。

その思い出すメソッドが神(宇宙神)と共鳴する祈り(世界平和の祈り)であり、印であるのです。

本来の自分は素晴らしいんだ、神そのものなのだと強く信じてください。

信じた通りの自分になるのです。





推薦図書 「無限なる癒し」于 寿明 (著)

調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/


 



本文




現代のように唯物知識の盛んな時代に、ただ、人間は仏性であり無礙心ある、ということや、そのような実相論、本体論だけで、近代人を救いに導くことはほとんど不可能である。


本体論、実在論、実相完全論を説きつつ、人間因縁論をも同時に説き、肉体界、幽界、霊界、神界(仏界)を知識として認識させ、本体はこうなのだが、因縁としては、こうこう、このように種々な界を経巡っているのであるから、本体を実際に確認し、実相界にて仏となるにはいかにしたらよいか、ということを、教え導くようにするのが、宗教家であり、指導者でなければならない。


その意味では、心霊学者や、心霊研究家の仕事も、大事であり、善い意味の霊媒者も必要である。


また旧来の仏教や道教、キリスト教も役立っているが、その一つに捉われてしまうようだと、到底悟りに入ることはできないし、現象の生活環境すら真実の善さを現わしては来ない。


であるから、各自、自己の因縁(性格を含めた)を知ることに努め、長所(善因縁)を見出して、それを伸ばして行くことに真剣になることで、悪因縁(短所)はそれを知った上で、それに捉われずに放してゆくことである。


宗教家や指導者はその人の長所、短所を認識し、その認識の上に立って、長所が伸びてゆくように導き、短所は何気なく打ち消し、打ち消し、してやって、消し去るように指導してやるべきである。


因縁を説いて、その因縁を消し去ることを教えぬ宗教家は人を救えない。


それは、因縁、因縁と因縁を想う念に捉われさせて、人間の本来の自由自在性を失わせてゆき、安心立命どころか、不安心の生活にその人間を追いこんでしまうからである。


因縁を説いたら、必ず、その因縁の消え去る方法を教え、その本体の神仏であるところまで説かねばならぬ。


これは、因縁を、想念(心)の法則と説いても同じである。


この不幸は、この病気は、みんなあなたの心の影ですよ、と指摘する類である。





『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版



追伸・・・これらの真理は、『神と人間』でシリーズで説明しています。人間が持つ疑問にすべて答えています。2015年12月末から2016年2月にかけて投稿していますので真理に興味のある人は是非、さかのぼってお読みください。



  


  

地球は今、七劫目完成の時期を迎えている


 

私の話で、もうすぐお金が無くなるだとか、病気も無くなるだとか、食べ物を少ししか食べなくなるだとか、天変地変(自然災害)が無くなるだとか、不思議なことばかり?

を書いていることに関し、ほとんどの人は、グッドムーンという人はイカレテイルと思っていると思うのです(笑)

私もここ(ブログ)では真理を思いっきり書いていますが、家族や友人、周りの人には言っていません。

社会生活が出来なくなるからです(笑)

それが常識です。

ただ、嘘八百を書いているつもりはなく、今は信じられないだろうけれど、近未来では当たり前になることを書いているのです。

ただ、信憑性がなければ信じる人は少ないと思うので、それも困りものです。

書いていても張り合いがありません(笑)

科学的?ではないにしろ、納得できる説明をしたいと思います。

まず、無限宇宙の一角に太陽系があり、その中に地球があるのはご存知だと思います。

そして、同じ太陽系でも金星のように進化した星もあれば、地球のように幼い星もあるのです。

進化した星とは、精神的に大人、愛深い人たち(魂たち)が住んでいる星です。

(金星もかかつては地球のように幼い星であったことをつけ加えておきます)

幼い星とは、真理(我即神也・人類即神也)がわかっておらず、自分と他人は別者であり、2元対立をしている精神的に幼い魂たちが住む星のことです。

宇宙は無限の進化をし続けています。

時間は悠長に流れ、大人の星(完成)を目指し、何億年、何十億年・・・を掛けて進化しています。

地球は今、7劫(こう)目を迎え、大きく変化する時期にきているのだそうです。

そして幼い星から大人の星へ移行するときなのだそうです。

7は完成した数字、7劫目になるというのは、地球の完成を意味しています。

これは、宇宙の法則なのです。

決まっていることなんです。

節目の時代を劫(こう)という。

劫の説明を読んでください。





刧とは


五井先生の話で

「今は宇宙の運行が変わる時で、第7劫(こう)と呼ばれる地球世界が完成する時期である」という話が繰り返し出てきます。

劫とは、宇宙が大きな変動をきたす時間のこと、地球人類の波動が一段上昇する波動の変化のことを言うそうです。



なんとなくわかっていただけましたか?

 地球を宇宙の一員だと思えば理解できると思うのです。

私は難しくは考えていません。

幼い星から大人の星になると、どのようなことが起きるのか?

どういうプロセスがあるのか?(一番興味がありますね)

無事にソフトランディングするには、私たちは何をすればいいのか?

・・・それよりもなによりも自分には、天命(ミッション)があります。

仕事の天職だとか生きがいだとか、目標、目的そんなことではありません。

人間として、地球人として生まれて来たからには、なんらかの大きなミッション(役割り)があると思うのです。

私のミッションは、真理(我即神也、人類即神也)の伝達だと思っています。

出来るだけ多くの、縁のある人たちに、真理を伝え、最後の一人まで、見事に神界(進化した大人の世界)へと移行できるようにする。

そのために、最高の伝達手段としてブログを書き続ける、それが私のミッションなのです。

それもわかりやすく(笑)・・・・ですね。


 

   

2017年4月 7日 (金)

ほんとうは悟った人でないと、指導者にはなれないはずです。

感想 




私の義父が亡くなって、6年ほど経ちますが、近くのお寺の住職さんが、節目節目にお経を唱えに来てくださっています。

最初は住職さんが唱え始め、途中から私たち家族、親族が一斉に同じお経を唱えます。

お経を唱えるのは、亡くなった義父の魂を浄化させるためにして戴いていることは理屈ではわかっているのですが、その時に唱えている経典の意味であるとか、なぜ唱えることが必要なのか、今、義父はどこでどうしているのか?だとか

肝腎なこと一切がクエスチョン????なのです。

家族たちも、「このお坊さんに聞いてもたぶん知らないだろう」 と思っているし、お坊さんも一応は質問を受けたときの準備をしているのでしょうが、

「お父さんは今、帰って来られていますよ」

 とは言うものの、普段は?どの世界(幽界?霊界?神界?)で何をしているかなど、ご存知ないと思うのです。(すいません決めつけて)

私たちは、死後の世界のことやこの肉体界、今生を安心立命して、活き活きと生きてゆくにはどうしたらいいのだろう?などといったことをどこで教えてもらえばいいのでしょうか?


最低限

私たちはどこからやって来たのか?

何のために生きているのか?

肉体を去ったらどこへ行くのか?

聞いてみたいし、知りたいですよね

「そんなこと知らなくいいんだ、今を一生懸命に生きてゆくことが何よりも尊いんだ」 と大人は言うのかもしれません(笑)

しかし生きてゆくための基本(原理原則・真理)は知っておくべきでしょう?と私は思うのです。

でないと必ずどこかで行き詰るからです。
 

しかし誰も教えてくれない。


大きな本屋さんに行くと、人生の指南書や宗教、哲学書がたくさん並んでいます。

頭で理解することももちろん大切なことです。

たくさんの人が良書に出会い、覚醒(安心立命)されることを祈ります。

いや、本に出会うことよりも、人生の師匠(メンター)に出逢うことのほうがずっとずっと大切でした。

みなさん、守護霊さんにお願いして、真のメンターに会わせて戴くことをお願いしましょう。

あくまでも本は従、人との出会いは主だと思います。






本文




なんでもまず、自己の心の指導者、行動の守護者である、守護霊に念じてみることである。


必ず現界における、善き相手をその人の前に現わしてくれるのである。


自己の内に神があるのだから、他の誰の教えを受けなくとも良いのだ、と思いこんでいる人が、友人たちに向かって

“君たちは、君たちの内部に神性があって、ひとりでに君たちを善きように導き給うているのだから、どこの誰に教えを受けたり、浄めてもらったりする必要はないよ” と忠告しているのを時々耳にする。


これは真理の言葉のようで、非常に誤っているのである。


内部の神性は、常に人間や事柄をもって、その人を導いているのであって、ある指導者に逢ったことが、内部神性の導きである場合がたくさんあるのである。


人間は真理に素直であることが、実に大事なことであり、その素直さは、常に内部神性(守護霊を含めた)の導きに心を傾けている真剣な祈りの念に根柢を置くべきである。


内部の神性とは、常に守護霊、守護神を含めたものであることを忘れてはならない。


宗教教団そのものが立派で正しくあっても、その教えを説く人が正しくない場合がたくさんあるので、その点も注意が肝要なのである。


また、その教えが、実に立派で、教えそのものとしては、それ以上の高さには誰にも説き得ないほどのものであっても、その教えのままをこの肉体世界に実現せしめ得ぬようでは、その教えが生(なま)である、といい得よう。


例えば、人間は本来形なく、姿なきものであり、神、仏と一つのものであって、光明そのものである。


実相身、無礙身であるから、幽界があるとか、死後の霊魂が生きているとか、いうことは全然必要ないことである。


ただ、ひたすら仏を憶念すればよい。


といわれた場合、その理は真であって、返す言葉はないが、ただ、ひたすら仏を憶念するだけで、安心の境界に入り得る人がいったい何人あるであろうか。


また、ひたすら仏だけを憶念できる人があるであろうか、という実際問題となるのである。


現代のように唯物知識の盛んな時代に、ただ、人間は仏性であり無礙心ある、ということや、そのような実相論、本体論だけで、近代人を救いに導くことはほとんど不可能である。







『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版



  
追伸・・・冒頭で真理を識るには本よりも良き指導者がに出会うことが必要だと書きましたが、人生の指南書『神と人間』には、人生を生き抜く上でのヒント、答え、ズバリ真理が書かれています。
この本の解説が出来る人があなたの良き指導者になるのかも知れませんね。


 



 

2017年4月 6日 (木)

アセンションのほんとうの意味は?


  

アセンションについては色んな本が出ているのですが、どれを読んでも一番肝心なことが書いていないのです。

それは、今の肉体意識から宇宙意識(キリスト意識ともいう)に変わるということです。


変わるとどうなるか?


その変化は何を意味するか?


が大切なのです。


実は宇宙意識こそが、かの、お釈迦様のおっしゃっている


空 そのものなのです。


般若心経でいう、空即是色ですよね。


私たちは肉体が自分だと思っています。


99.9999%の人がそうだと思っていると思うのです。


だから肉体の力しか出てきません。


しかし本当の人間とはそんな薄っぺらいものではなく宇宙とつながっているのです。


いや宇宙そのものなのです。


だから空になるということは肉体界を飛び越えて幽界、霊界も超えて、神界まで行けるということです。


神界とは天国であり、本当の自分(本心)が居る所なのです。(宇宙と神界は、ほぼ同じだと思ってもらっていいと思います)



ここ(神界)とつながることを悟るといいます。


本心と吾(肉体人間のこと)が一緒になるということですね。


肉体の限定された自分から、空になって意識は宇宙大に拡がっていく


こんな素晴らしいことはないのです。わーい(嬉しい顔)指でOK


意識が宇宙に拡がると肉体がここにあっても、宇宙のどこへでも瞬間移動出来るのです。


その意識は、当然、相手の人をも包み込むので、相手の想念(考えていること)が写って来て、手に取るようにわかるようになるのです。


相手のことがわかるということは、空にならないと、宇宙意識にならないと本当はわからないのです。


それから宇宙意識になるということは、宇宙の心がわかるということです。


実はこの宇宙の心のことを神と言っているのです。


宇宙とつながるとは神とつながること


いつも言っているように 神 は愛です。


か~あ

み~い


つまり愛そのものの人になるということです。


宇宙意識になると宇宙心(神)そのものになる。


我即神也とはこうことなのです。


人間は神そのものである。


人間とは神であり


とてつもなく素晴らしい存在です。


どんな人にも物に対しても愛おしく感じるようになるのです。


それが本来の自分であり、本来の人間の姿です。

 

自分が宇宙そのものであり、神そのものであることを実感するにはどうしたらいいか?


宇宙と一体になればいいのです。


こちらから宇宙に近づいていけばいいのです。


そのために祈りがあり、我即神也の印があり、統一をするのです。



 

世界人類が平和でありますようにぴかぴか(新しい)


無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和



我即神也

人類即神也



  

“気” とはいったいなんなのか?




下記の本文と関連しているのですが、


「今日は、どこそこへ行かなければならない」ということが一日の中でも必ずあります。

何度もあります。

そこで、「よし行こう!」を腰をあげようとするのですが、どうも行く気がしない、気が進まない、それどころか行くと嫌なことが起こりそうな気がする・・・・。


これらのことにはすべて

“気”

という文字が付きます。

気とは一体何なのか?

 目にみえないもの、エネルギーに関するもの、気持ちを表すものにはこの、気がすべて付くのだと言っても過言ではありません。

なのに私たちは気とは何なのか?本質的なことは、何もわかっていないのです。

于 寿明先生のご著書の中に(私は調和波動気功法を20年間実践しています)



気功とは何なのか?が説明されています。
 


幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の 「気を付けて」は英語で「Good bye」=「God by you」であり、

スペイン語で「Adio's」の「dio's」は神の意味である。気とは神の意味である。



気とは神様からのエネルギーなのですね、

であれば私たちの感じる?

“気がする”

はすべて正しいと判断していいのか?


信じていいのか?
 

それは、神様からのメッセージ(直観)か、もしくは感情のどちらか、だと思ってください。

あまり深く追求すると、どちらなのかわからなくなってしまいますが、潜在意識の中で、

「あの人嫌いだからなあ」とか「行ってもなんの得にもならないしなあ」

などと感情(勘定)で迷っているのは、神様(守護霊)からのメッセージではありません。


人間というものはほとんどが損得勘定(感情)で動いているので、度々、誤った判断をしてしまうのです。無限なる叡智!
 

正しい判断力を身に付けるにはどうしたらいいか?

それは以下の本文を読んでください(笑)

きっと、ヒントが隠されていると思います。




 

本文



 
それから、未来の予言をして、人を恐怖させ、それを入信の手段としているような宗教もま
た誤れるものである。


宗教とは人間を安心立命させることが本意なのであるから、その日常生活が、宗教に入ったために、かえって不安になったり、乱れたりしては、宗教が人間に害を及ぼすことになる。


真の宗教とは、業生を超えて神仏に直通する道を指し示し、導き上げてくるものであり、真の信仰とは愛と真をますます深め高め、人類大調和創造のために、偉大なる勇気を湧き上げさせるようなものでなければならない。


宗教に入って、不安動揺するならば、その宗教が間違いか、その人の信仰が間違いかのどちらかである。


いかなる正しい宗教に入っても、直ちに安心立命の境地に入れるわけのものではないが、それは、その人、その人の信仰の深さ、信行の真剣さによって、時間の短縮はいくらでもできるのである。


真の宗教家を求めるならば、まず自己の守護霊、守護神に心を傾けて熱心に頼むべきである。


守護霊、守護神は、必ず、その人を一番適当な宗教家や指導者のもとに送りこんでくれるのである。


その時は、何か、安心に似た感じか、懐かしい、嬉しい感じがするものである。


いかに高い教えを説く宗教に誘われても、守護霊、守護神に念じてみて、行きたくなかったり、行っても心が不安であったりしたら、その時は、その人の心境に、その教えが適さないのであるからである。


なんでもまず、自己の心の指導者、行動の守護者である、守護霊に念じてみることである。


必ず現界における、善き相手をその人の前に現わしてくれるのである。



『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版



追伸

正しい直観は、守護霊様(霊界)からもたらされます。

ですから、24時間プラスαで見守ってくださっている守護霊様に感謝(感謝は光)をしていると必ずなんらかのメッセージを戴けるのです。

世界平和の祈りの中には、守護霊様、守護神様への感謝の言葉が入っています。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます

  



2017年4月 5日 (水)

親は子に淋しい想いをさせてはいけないのです。


 
先々週に終わったテレビ番組で「とんび」というドラマがありました。(2013年4月1日の日記より)

妻がずっと観ていて

「すっごく感動するよ、お父さんも観てみたら」

というので一緒に観はじめたのですが

ほんとにそうなのです。何度録画を観直しても涙があふれてくるのです。

なにが感動するのかといえば、親の愛、人間愛です。

お父さん役の内野聖陽さんの人柄かもしれませんが温かいエネルギーが伝わってくるのです。(つくづくドラマはキャストだなと思います)

物語の内容は割愛しますが、最終回で内野さんが旭(あきら)という一人息子に語った言葉が、最高に感動しました。

 

親は、子よりも偉いものでもなんでもない

ただ子よりも先に生まれてきただけなんだ

子育てをしようなんて思わなくていい

俺の子育てなんて間違ってばかりのことをやってきた

だけどありがたいことに子どもは自分の力で立派に育ってくれる

お前は自分の力で育ったんだ


お父さん役の内野さんである「やっさん」はそう言っていました。

ほんとその通りだと思うのです。

私も息子に対して子育ては失敗ばかりをしていたと思うのです。

しかし、息子は私の知らないところでいろんな経験をして

しっかりと育ってくれています。

子に影響を与える期間というのは、限られた極短い時間だと思うのです。

その短い時間の間に

親は子になにをしてあげればいいのか?

「やっさん」 はそれを教えてくれたのです。

「やっさん」の愛は、親子愛だけでなく

人類愛に通じると思うのです。

私がそう感じた「やっさん」の台詞をご紹介します。

「やっさん」が子育てに悩む息子あきらに話す言葉です。


 

「一つだけ親がどうしても子にしてやらなければいけないことがあるんだ、それは子どもに淋しい思いをさせないってことなんだ」

「淋しいっていうのは、雪みたいにチロチロチロチロ降り積もって、いつの間にか心をガチガチにするんだってよ」

「だから親は海にならないといけねえ、海になって笑ってなきゃいけないんだ」

「海には雪は積もらねえから・・・・」



追伸

文章だけではあのドラマの感動は伝えられないのが残念なのですが、心が寂しさでガチガチになった人は心が固まったままで凍ったままで人生を歩いていけなければならないのです。

また別の番組で、小さい頃にお母さんに愛されていないと感じたまま大人になった女優が出演していました。

お母さんは有名な作家で忙しくて、子どものことをかまってやれなかった。

褒めてもらおうとテストでとった100点をみせても、お母さんが喜んでくれそうなプレゼントをしても冷たく反応される。

しかし母は決して娘を愛していなかったわけではなく、影では見守っていたのです。

応援もしてくれていた、もらったプレゼントも大切にしていた。

ただそれが娘には通じていなかった。

心に雪が積もった後でそのことを知っても遅いのです。

娘は後でそのことを知ったが冷え切った心を溶かしてくれる親はもういない(亡くなっている)。

だから自分で自分を温めるしかないのです。

人間の不幸って自分を温めてくれるものがないこと、温めてくれるのが何であるかを知らないことだと思うのです。

人間のほんとうの親は、肉体界の親ではありません。(肉体の親は仮の親です)

肉体界では親であっても

魂(心)の親、本当の親は、守護霊守護神なのです。

だから守護霊守護神のことを知れば、肉体の親への執着はなくなります。

親への感謝の気持ちはあっても恩は感じても

親から 「愛してもらいたい」 「温めてもらいたい」 という気持ちは薄れてくるのです。

しかしそのことがわかる前は

やっぱり海になってくれる人が必要なのです。

親は、子になにが出来るか?

それは、淋しい想いをさせない

心を凍らせないように

冷えないように

目を離さず観ていることです。

そして

言葉はいらない

抱きしめてあげればいいと思うのです。

人間は愛されていることがわかれば、それだけでたくましく生きていけるのです。

 

地球に降り立った気高い魂たち

 


今、地球上にいる人間は、いろんな星からやって来ている人たちがいるのだそうです。

進化した星である金星(お釈迦さまやキリストさまがそうでした)の場合もあるし、地球よりも精神的に遅れた星から来た人たちもいる。

今の幼い子供たちやこれから生まれて来る子供たちは、地球の大人たちを目覚めさせるために金星よりもずっと進化した星からやって来ているそうです。

だから今の大人たちとは魂の高さが違うのです。(霊位という)

不思議ちゃん 宇宙人 と言われる人たちがそうです。

「この子たちは、自分たちと全然違う なんてピュアなんだろう?」 と光を浴びてショックを受けるのです。

この子たちは、進化した星から光をたくさんたずさえてやってきたからです。


そして進化した星からやって来る魂たちは、自分たちの意志で宣言をして地球にやって来ている。

宇宙というのは、波動の世界です。 

同じような意識(心)を持った魂たちが共鳴して同じような魂たちが集まっている。

高い魂たちが住んでいる星は、素晴らしい人(霊止)が集まっている、愛の深い善い人(霊止)ばかりが集まっている。

だから地球のような争いも嫉妬も妬みも怒りといった感情がなく、非常に居心地がいいのです。

ずっと温泉に浸かってるようなものです。

そこを天国(神界・天界)というのです。

しかし、その天国での生活が嫌で脱け出したい魂たちもいるのです。

「こんな刺激のない安心し切った生活はもううんざりだ、どこか遅れた(精神的に)星に行ってその星の進化に貢献したい」

そして

「そのためにはどんな苦労、試練も覚悟の上だ」

と決意し宣言するのです。

金星からやって来たお釈迦さまやキリストさまもそうでした。

その頃(中世)の地球は今よりもずっと人間の心が荒んでいて、目覚める人も少なく、教育も行き届いていなかったで高い教えを理解出来る人も僅かだったのです。

それでも懸命に真理を説いて回った。

このような聖者たちがいたから今の地球はまだもっているのです。

お釈迦さまやキリストさまは、同じ金星の魂たちから一目も二目も置かれているのだそうです。尊敬されているのです。

霊位というのがあるのですが、金星の中でも別格なのです。

それは、「あんなに汚れた地球に行った」 という勇気を讃えているのです。

誰もが嫌がるような苦労を承知で、それでもあえて行った

そのままずっと金星にいてもいいのに・・・・・

きっと

「あっぱれ!」

なんでしょうね。

そして今、お釈迦さまやキリストさまのような魂たちが地球上にたくさん降りて来ているのです。

それもやっぱり宣言をして

だから

今、私たちが悩んでいること、苦労していること、苦しいこと、嫌なことがたくさんあることは全部織り込み済みなのです。

わかっていたことなのです。

ただ、記憶を無くしているからわからないだけなのです。

もちろん地球上の人間が全員が全員そうではありません。

地球で何回も輪廻転生をして、神様がわからない人もいる

地球よりも遅れた(精神的に)星からやって来ている幼い魂たちもいる

そして、地球よりもずっと進化した星からやって来ている高い魂たちもいる

地球上には、このようないろいろな段階の魂を持った人たちが一緒になって暮らしているのです。

意識が違う、考え方が違う、感性が違う

だからすぐには判り合えないのです、噛み合わないのです、共鳴しないのです、理解出来ないのです、二元対立するのです、判り合えないからいらだって怒り狂う(感情的になる)のです。

でも進化した星からきた魂たちはそれをそのままにはできない

それは対立した魂を融合させて、愛に進化(変化)させることがミッションだからです。

だから人を愛そうとします。

どんなにひどい目にあっても、人を愛そうとすることをやめないのです。

そして安定を求めません、それは今まで居た星でもう散々経験したことだったからです。

もちろん、不安定な状態、不調和な状況を喜んでいるわけではない

誰でも苦しいのは嫌です、貧乏も嫌です、病気になるのも嫌です。

そんな状態のときは誰でも安定を求めます。

しかし、魂の奥底では、不安定(変化)を望んでいるのです。

不安定の中から何かを学ぼうとしているのです。

そして不安定を克服して、やっと安定になったとき(心も状況も)

至福のときを迎えるのです。

「地球に来てよかった」

試練や苦悩は過ぎ去ってみれば懐かしい思い出です。

「あの頃は確かに大変だったけど、結構楽しかったよなぁ」

と振り返ることが出来るのです。

だから今受けている試練をそんなに深刻に受取らないでください。

すべては、善くなるためのプロセスです。

魂を成長させるための神様からのプレゼントです。

プラスから出たマイナスです。

「自分は今の状況になることがわかって、受け入れて生まれて来たんだ」

「今の状況は自分にとってベストなんだ」

「魂が成長することが本当の幸せなんだ」

「だから必ず乗り越えることが出来るんだ」

と思うことが大切だと思うのです。

 

 

    岐路にたちつつ
 

動物園の動物は、食べる不安は何もない。 他の動物から危害を加えられる心配も何もない。

決まった時間に、いろいろと栄養のある食べ物が与えられ、保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。

しかしそれで彼らは喜んでいるだろうか。

その心はわからないけれども、それでも彼らが、身の危険にさらされながらも、果てしない原野をかけめぐっているときのしあわせを、時に心に浮かべているような気もするのである。

おたがいに、いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく、したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない、そんな境遇にあこがれることがしばしばある。

しかしはたしてその境遇から力強い生きがいが生まれるだろうか。

やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたちつつも、あらゆる力を傾け、生命をかけてそれを切り抜けてゆく ━ そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある生活ともいえよう。

困難に心が弱くなったとき、こういうこともまた考えたい。

 

        「心をひらく」 松下幸之助  PHP


  

 

どうにもならないことを、どうにかしようとするのはやめよう




宇宙は目にみえないものが99.9999999・・・・・・・%なのです。

だから目に見えているものなんて無いに等しい

肉体の自分もこの地球もそうです。

目に見えるものも突き詰めていけば目にみえない分子や原子、素粒子・・・つまり波動で出来ているのです。

だから目に見えるもの(現象)、みえないもの(人の心)を変えようとするのは肉体人間の力だけではどうしようもないことがわかります。

人間は肉体界(目に見える世界)だけに生きていると思っているけど、見えない世界、すなわち、幽界、霊界、神界の方がずっとずっとずーっと桁、いや次元違いに大きいのです。

肉体界に起こっていることは、幽界、霊界、神界の影響を受けているのです。

だから肉体の自分で、我でなんとか現象を変えようとしたり、人の心を変えようとしてもまったく無駄なことなのです。


もし変えようとしたら、霊界を司っている守護霊さん、神界で働いておられる守護神さんにお願いするより方法はないのです。


守護霊さん守護神さんに感謝して、自分の意識を合わせると肉体の自分が溶けてきて(固体が液体を通り越して気体になってゆく)、霊界、神界にあるボディ、霊体、神体と融合するのです。


すると霊界のことがわかったり神界の世界へいけるようになるのです。


そうなればもう自由自在心


どんなことでも創造(クリエイト)出来る宇宙神と同じエネルギー体になれるのです。


どうにかしようなんて気持ちも無くなってしまいますよね わーい(嬉しい顔)





  

霊界、神界と一体となる祈り言霊




世界人類が平和でありますようにぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


 

宇宙にいる自分(本心)と肉体の吾が一体となる、悟ることを統一と言う




統一というのは、自分の本心と一体となることです。

本心はどこにあるのか?というと心、魂の故郷である宇宙なのです。

宗教とは何を教えているかというと宇宙を示す教えということなのです。

だからお釈迦様は宇宙観、宇宙と一体となることを説いたのですね。

坐禅観法して空になることも統一することも同じです。

頭を空っぽにして意識を宇宙に合わせるのです。

空っぽにするとは何も考えないこと、何も想わないこと

無念夢想です。

ふだん私たちが考えていること、想っていることとは

本心(宇宙)からでなく、他人の想いであるのです。

想いとは相手の心と書きます。

だから自分の今考えていることは違うんだ

自分の本心ではないんだ

どんなに素晴らしいという想いも

反対にどれだけくだらないという考えも自分ではないのです。

本当のこととは空にならないと統一しないと出て来ないのです。

今、自分の考えに自信のない人

何でこんなことを考えるんだろうと悩んでいる人

どこからこの想いはやってくるのだろうと不思議に思っている人

もう悩まなくていいのです。

想わなくていいのです。

考えなくていいのです。

そして人の考え方がおかしいと批判しなくていいのです。

自分の考えも人の考えも本心から来たものではないので

おかしくて当たり前なのです。

無理に正そうとしなくていいのです。

統一すればすべてが解決するのです。

統一して自分の本心と繋がらないと本当の人としての第一歩は始まらないのです。

空になったとき初めて人間はまともになるのです。わーい(嬉しい顔)



正しい統一の仕方が書いてあります。

スポーツをする人も勉強や仕事をする人も大切なのは集中力です。

無念無想にならないと本当の集中は出来ないのです。

天と繋がらないと天からの無限の能力、可能性が降りて来ないのです。

天からの無限のエネルギーを使えた人を天才といいます。

人間は誰でも天才なのです。

宇宙からの無限のエネルギーを戴くことが出来るのです。


 (2009年9月11日のブログより)

  


  
『無限なる幸せを体得する方法』

 ~無限なる幸せの波動とは何か~

宇宙神からのメッセージ

大天使からのメッセージ

あなたはどんな時に幸せを感じますか

于 寿明 星湖舎



  

  



人と接することが苦手な人へのメッセージ

この世の中は人と人との交わりです。

ですから、人とうまく付き合うコツを学んでおくことも大事ではないかと思います。

まず人と接する場合、一番頭に思い描かなくてはならないことは、自然体に振る舞うことが出来るかどうか、ということです。

自然体ということは、簡単なようで、これほど難しいことはないのです。

自然体とは、自分自身を何も包み隠さず、相手の思うがままに見てもらおう、という態度です。

自分を大きく見せようとか、優秀な人に思われたいとか、誠心誠意の人に思われたいとか、心にそういう魂胆があると、初対面の人に対して自然体に振る舞えなくなります。

そうなると、相手に自分のことを正しく評価してもらえず、せっかく相手が自分の人生において欠かせぬ人物であったとしても、その人とのつながりを失ってしまうことになります。

ですから、人と付き合う場合、一番心がけなければならないことは、裸の心になってあるがままの自分をさらけ出すということです。

これが出来る人は大勢の友、いろいろなタイプの友を得ることが出来るのです。

友だちが多いとあらゆる面で助けを得ることが出来ます。

自分が困難な事態に直面したり、悲惨な状況に陥った場合、心から助けてくれるのは真の友なのです。

有能で知識欲のある人や、人を指導する立場の人は往々にして、慢心や偏見があり、どうしても自然体で人に接することが出来ないものです。

自分を偉そうに見せてみるとか、博学のように見せてしまうとか、自分がどういうものであるかを主張したがるものです。

それも自分のことを正直に語れば、相手の心を魅了するものですが、そこに偽りや虚飾があると、誰もその人を心から尊敬しませんし、友だちになることを嫌がります。

自分がどう思われたいかを気にする人は、もうその時点でいい友を得ることが出来ないし、自らの人生に自信を持って生きることが出来ない人と言えるのであります。

自分に信念があり、自分に実力のある人は、人からよく思われようとか、人にどう思ってもらいたい等という姑息な考え方が心に浮かばないのです。

大抵の人は、人と接した場合、無意識のうちに自分と比べてしまいます。

学歴や才能や知識などで、自分が優れていると思ったら、突然威張りたくなったり、自分が劣っていると思ったら、自信がなくなります。

そういう人はまだ人間が出来ていないのです。

本当に人間が出来ている人というのは、自分と人との比較を決してしません。

また自分に自信があるから、人の良い面をみようとします。

人からどんなふうに思われても、“自分はそれでいい” と弁解もしなければ、取り繕うこともしません。

取り立てて自分のやっていることを人に知らせようともしません。

“ただあるがままの自分を人に見てもらうだけで十分だ” と思っているのです。

ですから人間というものは、自分に対していい意味で誇りを持ち、威厳を持ち、自分を尊び、神の子としての自覚をもって生きなければならないと思います。

人間は誰も彼も、最終的には神の子の姿を現わします。

それが遅いか早いかの違いです。

前生の因縁によって遅い人も早い人もいますが、現在、自分が生きてゆく上で、一番戒めなければならないことは、自分自身を飾らず、裸の心をもって人と接することです。

どうぞそのように心掛けて人との尊い結びつき、縁を大事になさっていただきたいと思います。

   

       「明日を明るくするメッセージ」 西園寺昌美著


 

親、兄弟は分かり合えないと思え!




なんか偉そうなことをタイトルで書きましたが、親子とは?兄弟とはお互いに理解するために存在しているのではないのです。

それはどういうことかと申しますと人間として生まれて来るときに、親子、きょうだいは、お互いの因縁生を消しやすくするために、近い場所にいたり、血縁関係でつながっているわけです。

もっと詳しくいえば、前世では、一番仲の悪かった犬猿の仲であっただりとか恨みを持って殺し合いをしたような関係の人が現世では親子になるのです。

なぜそうなるか?

それは因縁生が深ければ深いほど、過去世での摩擦が多ければ多いほど魂が磨かれやすいからです。

ダイヤモンドの原石を磨くのにそれよりも硬い(厳しい)ダイヤで削るようなものなのです。

親や子やきょうだいが、自分のことを理解してくれて支持をしてくれる人ばかりであれば居心地は良いのでしょうが、そこで摩擦がなければ、魂の成長は少ないのです。

そしてその相手とは、過去世で恨みを持っているのでいつかは想い出し、そのときの恨みつらみをぶつけて来るのです。(初めは仲が良い関係でも後から悪くなることがあります)

それが反抗期になることもあるでしょうし、ちょっとしたことがきっかけで断絶したりもします。

しかしそこでかわいさ余って憎さ百倍になったりだとか目には目をなどの仕返しをしたのでは、魂を磨くことにはならないのです。



*愛のキャッチボール* という文章から
抜粋してみます。


肉体を持った人間から愛されなくては心がすまない、というのではなく、そうした想いは捨てきらなくてはいけません。


実に厳しい文章ですが、その通りなのです。

他人に自分のことを愛して欲しい、わかってもらいたい、と望むことは真理から外れているのです。

人と人とは愛していくことはもちろん大切なことなのですが、自分の方から愛してもらうことを望むのは間違っているのです。

それは、本当の愛とは、因縁生を超えたところにあるからです。

因縁生、つまり過去世で起こったことのお互いのあらゆる出来事、もつれあい、恨みつらみ、どろどろとした感情、それらのことをすべて許して、おまけに相手に尽して、過去世であったことを大きな包み込むような慈愛にかえてしまわなければ因縁生は消えていかないのです。


そこで相手は因縁生を消してもらおうとあなたにぶつかって来る。

感情的になって怒りを露わにしてくる。

他人にはみせない潜在意識に溜まった面をあなただけに見せてくる。

それはあなたがその因縁生を受け止めて消してくれることが本能的にわかっているからです。

それは、あなたの方が魂が古いからです。

立派だからです。

真理がわかっているので、精神的に強いのです。

だから相手の業想念を受け止めることが出来るのです。


時々会う友人や知り合いなら業をぶつけることが少ない

親子やきょうだいなら毎日、魂のぶつけ合い、磨き合いができる。

だからそのようになるよう、守護霊様、守護神様が組み合わせて天界から降ろして下さったのです。

ですから、親子とはきょうだいとは

お互いを理解するために生まれてきたのではないのです。

魂の磨き合い、削り合いと言った方がいいのかもしれません。

それも正確にはお互いではなくどちらかが一方的にぶつけて、ぶつけられた方はそれに耐えて、そこから真理を学んで、それから相手を赦すというのが真実なのです。

真理を理解した人は、神さまの心境、つまり菩薩心になるので、光輝いてくる。

その光を浴びて相手も真理に目覚めてくるのです。(覚醒する)

キリストのように自分が張り付けになっても相手は真理をしらないのだから許してやってくれという心境になってはじめて、本当の愛になるのです。

自分がこんなに愛しているのにあの人は私を愛してくれない

などは、厳しいようですが、本当の愛ではないのです。

テレビのニュースなどを観ると親子で殺し合いがあったりだとか、きょうだいのいさかいが絶えません。

それくらい肉親の関係は因縁生が深いのです。

現世だけでは、理解できないことがたくさんあるのです。

親子、きょうだいが仲良くやっていけることに越したことはありません。

もちろんその方がいいに決まっています。

でもそれは真理を理解した上でのことです。

親子、きょうだいは因縁生を消すために、魂を磨くために生まれあわせてきた。

だから・・・・

お互いを理解しなければならない

仲良くならなければならない

分かり合えるようになりたいとか

は違うのです。

それは、無理なことなんだ (自分とは違う人格者だと思うことです) と一旦、あきらめてしまうことです。 (あきらめるとあきらかになる)

一旦、あきらめてしまうと、不思議と楽になっていきます。

ねばならないが無くなるからです。

それよりも相手を赦す

相手を大きな愛で包み込むことに意識を持って行った方がよいのです。

あなたを本当に理解してくれるのは肉体の人間ではないのです。

あなたの守護霊、守護神様だけなのです。

なぜなら守護霊、守護神様は本当の魂の親だからです。

肉体界(この世)の親子やきょうだいは仮の親子であり、仮のきょうだいなのです。


 

すべての人の救われの道


【 すべての人の救われの道 】

どうして世界平和の祈りが、すべての人の救われの道かといいますと、世界平和の祈りの教の中には、何人をも責め裁くところがない、自分の心も責め裁かないと同時に何人の想念行為をも、消えてゆく姿として、責め裁かない、という重要な教があるのです。悪いことをしている人を、そのまま神の子として拝めというのではない。神の子の現われるための、業想念の消えてゆく姿として、その人の不都合な想念行為をみてやる、そういう想いでみようとしても、自己の心に憎しみや妬みや怒りの想いが強くて消えてゆく姿と思うことが出来なかったら、そうしたすべての想いのままで、世界平和の祈りをなさい、というのです。

この世界平和の祈りは、祈り言そのものが業想念を浄める大光明を放っているので、信じようと信じまいと、その大光明によって、その人は浄められているのです。そして、この祈りをつづけていますと、知らぬうちに、祈りに真が入ってくるし、真が入ってくるに従って、自己の性癖や運命が知らぬ間に善くなってくる。これは多くの人々の体験ですから科学的な立証なのです。

自己の為にも人の為にも、その業想念を把えてとやかくいうより、まず世界平和の祈りの中に、そのような業想念をそのまま投げ入れてしまう日常生活にしてゆくことが第一です、と私は説いているのであります。

( 五井昌久著『生きている念仏』、白光出版 )

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

人 間 と 真 実 の 生 き 方

人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。

HOW MAN SHOULD REVEAL HIS INNER SELF

Man is originally a spirit from God, / and not a karmic existence. /
He lives under the constant guidance and protection / provided by his Guardian Deities and Guardian Spirits. / 
All of man 's sufferings are caused / when his wrong thoughts / conceived during his past lives up to the present / manifest in this world / in the process of fading away. / 
Any affliction, / once it has taken shape / in this phenomenal world, / is destined to vanish into nothingness. / Therefore, / you should be absolutely convinced / that your sufferings will fade away / and that from now on / your life will be happier. / Even in any difficulty, / you should forgive yourself / and forgive others ; / love yourself / and love others. / You should always perform / the acts of love, / sincerity and forgiveness / and thank your Guardian Deities and Guardian Spirits / for their protection / and pray for the peace of the world. / This will enable you / as well as mankind / to realize enlightenment.

世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます

PRAYER FOR THE PEACE OF THE WORLD

May peace prevail on earth.
May peace be in our homes and countries.
May our missions be accomplished.
We thank you, Guardian Deities and Guardian Spirits.


 

下丹田は心身ともに大切なところ



【あーやんブログより抜粋】 http://akemi51.blog.fc2.com/


私はランニングが趣味で、時々マラソン大会にも出ています。市民スポーツの中で一番、裾野が広いのがマラソンなのです。ブームとあってたくさんの本も出ていますが、最近では有名なコーチが下丹田で走ることをすすめている本もあります。下丹田は臍下3.5㎝の奥に点としてあるとイメージしてください。感覚が分からなくてもイメージするだけで意識がそこにいきます。他にも“気ランニング”というのもあり、アメリカのコーチが太極拳から影響を受けて名付けています。これは生命エネルギーの働きで走る走法で、生命エネルギーは体の中を循環しており、リラックスすれば気の流れが良くなり活力が得られます。心を空にして下丹田に気を集中して、リラックスして走るので、ケガが少なく効率のいい走り方ができるのです。



 初め聞いた時は、ランニングまで気を意識するのかと驚きましたが、考えてみれば武道、相撲はもちろんのこと、あらゆるスポーツで下丹田の重要性を説いてる選手は多く見られます。なぜ重要かと言うと、体の中心、重心になる所だからです。ランニングも同じように、脚でなく下丹田を意識して走るのが良いのです。個人的な感覚ですが、下丹田に意識をおくと、ここから全身にエネルギーを放射し、下丹田が腕や脚を動かしているように感じます。自分で動かそうとすると力みが出て疲れるので、下丹田に集中すると、中心以外は力みがとれて柔らかな動きになり、自然体で走れているような気がします。



 下丹田は体を動かすのに、とても重要な所ですが、同様に精神にとっても重要なところでもあります。下丹田は宇宙の中心(宇宙神)と地球の中心(地球霊王)とを結ぶところであり、全てのものを調和な波動に変えるという大変重要な働きがあります。下丹田を中心に、息を吸いながら無限小(少)に周りの良いもの悪いものを吸い込むと、その瞬間それらは光に変わり、息を吐くと無限大(拡)に下丹田から光だけが放射されます。不調和なものを下丹田で消すことができるのです。無限小に消えていく姿に感謝、無限大に拡がっていく姿に感謝ですね。地球霊王というのは、地球の真ん中におられて古代人には知られていた存在で、地球霊王の引力の気でもって私達は地球に立っていられるわけです。

 

 このように下丹田は、宇宙と波動交流するところであり、共鳴させることで、体の緊張を和らげ自然治癒力が高まり疲労回復にも繋がります。また物事に集中できるようになり、発想の転換、やる気などが起きて活力が漲るようになります。下丹田は人の原点なのです。日常の中でイライラしたり、悩んだり、落ち込んだり、心配したりとマイナスの感情に覆われた時には、下丹田で消して明るくしてもらいましょう。そして下丹田で世界平和の祈りをすると、中からパワーが充満し、マイナスで覆われてたものが、プラスで覆われるようになり光が強くなってきます。常に下丹田に意識があると、何事にも捉われない、何が起こっても不動心の強い自分に変われるのです。


 
 これほどの大事な下丹田を使わないわけにはいきませんね。下丹田を中心とした気功法は、調和波動気功法の本に書かれています。とてもシンプルですが、とても奥が深いのです。もっと詳しく知りたい方や、下丹田を有効に使いたい方、不調和な波動を変えたいと思う方は、一度本を手にとってみてはいかがでしょうか。


調和波動気功法―宇宙天使からの贈り物




  
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于 寿明

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2017年4月 4日 (火)

自分、守護霊、守護神が合体すると物凄い霊力が出る、これを三位一体と言う




1.自己の希望を実現しえないで人生を終わってしまう人の何と多いことか。

彼らは私の存在を少しも認めようとはしなかった。

私はどんな時でさえも常に彼らの側にあり、彼らの望みを達成し得んが為に彼らを見守り導いてきたつもりでいる。

希望の成就は肉体個人一人で出来るものではない。

常に守護霊、守護神と共に歩んでこそ成就する路なのだ。

それが真実の人生の路なのだ。



『守護霊、守護神に代わってあなたに語る』 西園寺昌美




解説


 

人は潜在能力の万分の一も出していないという。
 
それは自分の存在を肉体だけだと限定しているので肉体人間としての力しか出ないのだ。
 
ところが人は同時に幽界、霊界、神界にも存在している。
 
そう、目にみえない霊力が使われていないのだ。
 
霊力を整えてそのエネルギーを外界に出してくれるのは守護霊、神である。
 
一般的にも何か物事を成し遂げようとする時、誰かの協力や助けを必要とする。
 
守護霊、神は、全知全能の強力な助っ人だと思えばいい。
 
過去に於いて、偉業を成し遂げた賢人たちは常に守護霊、守護神と共に歩んでいた。



   

私は宗教が嫌いです!



感想

これまで散々、宗教のことについて書いてきましたが、私は俗にいう「宗教」というものが大嫌いです(笑)。

今までの経験で邪な宗教に勧誘されかけたことが何度かあり(すぐに見破ったのですが)、その時のその人たちの態度が好きになれなかったのです。無限なる愛!

その人たちの様子は、まさしく何かおかしな霊魂(不良霊)に取り憑かれているようでした。

不快感だけが残りました。

だから新興宗教=宗教だと私も思っていたのです。

ですからほとんどの人は、宗教という文字があるだけで敬遠されるのだと思います。

このブログが宗教シリーズに入ってからアクセス数が激減していることがそれを物語っています(笑)。

しかし、神と人間(真理)を語る上で、宗教を外すわけにはいかないのです。


そもそも宗教とは、自分の心の中に存在するものであり、そこは聖域です。

誰も踏み込んで来ることのできない、いや踏み込ませてはいけないのです。

自分なりに魂を磨いていけば、心の奥底に入っていけば自ずと悟るようになっています。

だから宗教が心の外に存在することがおかしいのです。

だがしかし、誰も頼らずにたった一人で本心とつながることは至難の業です。(本心と繋がることを悟るといいます)

ほんとうに悟った人はお釈迦様、キリスト様、その他数名しかおられません。

しかし仏教、キリスト教でさえも、多くは弟子たちによって経典は改ざんされ、本来のものでなくなってしまったものもあります。

それを信じた人たちは迷いの世界へと行ってしまう。

また教えがほんものであったとしても伝達者が邪な人ならば、濁ったものになってしまいます。

私たち人間は、本心(神性)と繋がらなければ本当の幸せをつかむことはできないのです。

 

では、どうすればいいのか?

もう私たちは正しい宗教を探すことはやめましょう、宗教に頼ることもやめましょう。

人に依存することもやめましょう。

これからは自分の中(聖域、神性)に入ってゆき、ほんとうの自分と繋がる時代になっていきます。

つまりお釈迦様やキリスト様のような人が次々に現われるのです。

そうなればその人たちの波動(エネルギー)に触れて、周りの人の意識が変わってゆくのです。

肉体(欲望)意識から宇宙(神)意識へとシフトしていきます。

人類がみな神性を顕わすときがもうすぐやって来るのです。(神性復活)





神性復活については、下記のホームページをご覧ください。
 
  
富士宣言

http://fujideclaration.org/ja/
 


本文



この種の宗教の教祖はおおむね、女性や、学問的知識のすくない人が多い。


何故ならば、知性のある人びとは、相当素直な人でも、その言葉や態度に批判の眼(まなこ)をむけずにはいないので、肉体を使おうとして憑く霊魂にとって、自由に使いにくいからである。


この種の教祖や宗教家は、非常に尊大ぶった態度を取ったり、下卑た口をきく。


または知ったらかえって不安動揺するような予言をする。


予言されて、その通り防げば、防げる態(てい)の事件の予言ならよいが、その難を絶対除かれようもない未来の予言をするようなことは神の心に適うはずはない。



これらの霊魂は幽界の生物であって、神から来る守護神、守護霊ではないので、ただたんに面白半分に、肉体人間を驚かし、畏敬させて得々としているのである。


肉体人間でいえば、不良青年のようなものである。


ただ、予言が当ったり、人の心を見抜いたりするだけの奇蹟で、その人間を神が使っている、とか、神様だとか、思ったりしてはいけない。


たとえ、その霊魂(宗教家)の言葉で事業や、商売がよくなった、としても、そのことだけで、その人が救われの道に入ったのではない。


現世利益だけの目的で神にすがりつこうとするその姿(心)は、神の道をかえって見失ってしまう恐れがある。


生命を活かさず、心の汚れたままで、神に救ってもらおうとする人間たちの、卑しい心を助長するような働きをする宗教は、誤れる宗教という他はない。


それから、未来の予言をして、人を恐怖させ、それを入信の手段としているような宗教もまた誤れるものである。

 



『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版


2015年12月末~2016年2月にこのブログに掲載




  


 

近い将来、夏と冬は無くなるのです。

 

今の3次元が4次元、多次元に次元上昇するということは地球上に天国が顕れることを意味する。
 
天国には夏や冬がない。

過ごしやすい春と秋しかないのだ。
  
なぜ暑い夏や残暑があるかというと人間の業想念が吹き出ているに他ならない。
  
人間は自分の想念やストレスを自己浄化(波動調整)できないので身体中からマイナスのエネルギーが溢れ出ているのだ。
  
今やその量たるもの、すさまじい規模になっているらしい。

地球は、このままだと破滅するので臨界点に達したとき


自然の摂理として

大掃除を行なう
 
 
台風、大雨、地震などの天変地変は人間の感情想念を浄化しているのだ。

例えば、地震は、地球が人間の業想念で汚れているので

天から強烈な光で一気に暗雲を消し去ろうとする

直接人間に降りては、ショック死するので(雷が落ちるのと同じ) 

地面を割ってそこに光を入れている

それが地震なのです。(科学で解明できるわけがない)
 

後、数年先には、人は自分の想念をコントロールできるようになる。
 
すると浄化する必要がなくなるので、台風、大雨、地震などの天変地変がなくなる。
 
そして、季節の激しい変化もなくなる。
 
ただ、その日が来るのを指をくわえて待っているわけではない。
 
一日でも早くその日が来るようにするには人々の祈りが必要となる。

 
地球だけでなく宇宙全体が平和で愛に溢れるような言霊(ことだま)

宇宙と共鳴する超プラスの言葉のエネルギー

宇宙神の理念


それは
   世界人類(宇宙人類)が平和でありますように


  

考えない努力をするのです

 

一日のうちで意識=気持ちが落ち込む瞬間(とき)がある。
  
その日に誰かに批判されたこと、何かの出来事で自己嫌悪に陥ったことかもしれない。
 
そのまま放っておくと、どんどん大きくなって

相手か自分を責めてしまう。
  
そんな時はそこから意識を外して、プラスの波動に入っていけばいい。
  
気づいていないが、私たちの周りはプラスのエネルギーで溢れている。
  
宇宙、風、自然、花、みんな自分をやさしく包み込んでくれるプラスの波動ばかりだ。
  
 

まず、最初にやることは考えない努力をすること。(ここが重要ポイントです)
 
気になっていることから意識を外すのだ。

その方法とは?
 
意識を頭、つまり上から足の裏=下にさげる。

すると
 
何も考えられない、何も浮かんで来ない状態となる。
 
そして今度は足の裏に行った意識を風(その他なんでもいい)に合わせる。
 
合わせ続ける。
  
すると、段々と自然に気持ちが晴れて明るくなってくる。


なぜ、明るくなったのか?なんて理屈はいらない。
 





素直な人はお得です。

いいと感じたら考える前に実行している。 

考えない努力をしていると思わぬご褒美を戴ける。(考え過ぎているときは、たいがいマイナス思考になっている)

それは無欲になったことに対するご褒美。

欲を無くしたときにプラスのエネルギーが流れる。

プラスのエネルギーが流れ続けると

やがてプラスが具現化(ぐげんか)=現実化される。

それが、宇宙からのプレゼント。

マイナスを吐かなくなると 夢が叶う 

吐(ひく-は)叶




調和波動気功法


http://www.harmony-wave.jp/




  
  

自分の発するエネルギーに責任を持ちましょう



ある科学者が実験をしました。

平静な人、笑っている人の息を凍らせ、その息を液体にしてモルモットに注射しても何ともなかったが、

怒っている人の息を凍らせ、その息を注射すると

即死してしまったとのことです。
 
怒っている人の息は毒を含むとのことでした。

さわやかな息を吐いている人が繁盛店をつくり、

毒を含んでいる息を吐く人が不採算店をつくるということがわかりました。

お客さまは、敏感に空気の良し悪しを察せられるのでしょう。

当然、毒を含んだ空気を吸えば、もう一度その場所へ行こうとはだれも思わないでしょう。



  

この文章は私が今読んでいる本から一部抜粋したものです。

目にみえないエネルギーのことがわかり易く書かれています。

自分の発しているエネルギーに責任を持つこと、とても大切なことだと思います。




  
思いをカタチに変えよ! 渡辺 美樹 PHP研究所


調和波動気功法 http://www.harmony-wave.jp/



   

あなたは先祖の代表です!

 

あなたが今、病気をしたりして家族に迷惑をかけているとします。

あなたは、申し訳ない気持ちで一杯になります。

でもね、今、心が病んでいる人、原因不明の病気などで苦しんでいる人、病名はついていなくても精神的に辛い人は、先祖の業(ごう)、業因縁、カルマとかを背負って生まれてきているのです。

アセンション(次元上昇)して一気に浄まるこの時期に先祖の代表として先祖が溜めてきた業(ごう)を消す役割りとして生まれて来ているのです。

だから先祖の霊たちは、あなたに感謝しても感謝しきれないくらいなのです。

あなたしかそれが出来ない、他の家族の人にはきつくて耐えることが出来ない役割りなのです。

だから家族の人に対してそんなに卑屈にならなくていいのです。

家族の人の守護霊、守護神たちはあなたの守護霊守護神に拝んでいます。

「辛い役割りを受け持ってもらって申し訳ない!」・・・・と

「こんな役割りなんて嫌だ、やりたくない」

とあなたは思っているかもしれませんが

あなたは

「よし引き受けた、私がやります」 

と潔く引き受けたのです。(生まれて来る前に)
 

だから素晴らしい魂の持ち主なのです。 

先祖が散々悪いことをしたり、人をないがしろにしてきたそのつけを、本当はその先祖の人が受けなければならないのに

耐えることが出来ない。

消すことが出来ない。

だからあなたにお願いしたのです。

そして、先祖がしてしまった相手の恨みつらみが病気になって現われたりしているのです。 (すべての病気がそうだとは言えませんが)

しかし先祖とはあなたと関係のない人ではないのです。

なぜならあなたもその先祖の一員だからです。

だから自分の分も含めた業因縁なのです。

何も知らないまま生きていたら多分その重荷に押し潰されていたでしょう。

でも、守護霊、守護神はそんなことにはさせないのです。

真理を教えてくれて、その先祖の分を含めた業(ごう)因縁を消してくれて、そして自分で自分のことを浄化できる方法を教えてくれるメンターに導いてくださるのです。

私の場合は、U先生だったのです。

死にかかって死の寸前まで行った私を救ってくださいました。

私が今ここで真理をお伝えしているのは、私が受けた恩をお返ししているのです。

U先生に導いていただいた素晴らしい真理を少しでも他の人に還元したい それだけです。

そして縁のある人が私とつながってくるのです。

そしてその業因縁を消すメソッド(方法)が世界平和の祈り、印、マンダラです。

今、自分を責めている人

どうぞ自分を責めないでください。

自分を責めることは他人を責めることと同じです。

心優しいあなたは人を責めることは出来ません。

だったら自分を責めることもやめてください。

そして自分は、

「先祖の業因縁を浄める大きな器を持った素晴らしい存在なのだ」

ということを理解してください。
 

世界人類が平和でありますように 

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

死んでから迷惑をかけてはいけない!


 

感想
 

「人間、生きている間に多少の迷惑はかけてもいいが、死んだ後には生きている人間に対して迷惑をかけるな」 と五井先生はおっしゃっておられます。

真理を知らないと死んだ後に残された家族、知人などに多大な迷惑をかけてしまうのです。

それは死んでも人間は、意識は生きているときのままだからです。

肉体が無くなって意識だけが残る状態をイメージしてみてください。

きっと 「私はまだ死んでいない、生きている」 と思うはずです。

しかしどれだけ家族等に話し掛けても気づいてくれないのです。

そこで執着の強い人は、生きている家族の人に憑依します。

その時取り憑かれた人は、なんだか重苦しい状態になるのです。

そして死んだ人がガンを患っていた場合には、憑かれた人は病気まで背負ってしまうのです。(病気は遺伝ではないことがわかります)

もちろんほとんどの人がそうなるわけではなく、守護霊さん守護神さんが

「あなたの次の世界はこっちだよ」 と、霊界、神界にひっぱっていこうとします。

しかし肉体界に「まだ生きたい!」と強く思っている人は、肉体界にくっついている幽界(迷いの世界)に留まって、知らず知らずのうちに悪さをしてしまうのです。
 
 
ところで、日本には仏教信者の人が多いですよね。

仏教では、肉体界の死を、往生(おうじょう)と言います。

生きて往くという意味です、そして他界すると言います、これは生きて他の世界である幽界、霊界、神界へ行くという意味です。

ちゃんと魂は死なないことを語っているのですが、真理(真実)を説いて、死者を成仏させたり、遺族を安心させないといけないお坊さん(宗教者)が、真理をわかっていない、死後の世界を知らない人が多いことも、いたずらに死を怖がらせる原因になっていると思うのです。

私は生きている間に死とは何か?死後はどこに行くのか?をしっかりと学習、予習して旅立つ準備をすることがとても大切なことだと思っています。

真理(真実)を知らないと人間は不幸になるのです。

身内、知人で死の恐怖に襲われている人がいたら、魂は永遠であること、肉体界を去ったあとは、幽界、霊界、神界に行くこと、霊界、神界は素晴らしい世界なんだと言ってあげてください。

あなたに確証がなくてもいいのです。 

死後の世界を見たことがなくてもいいのです。

それで、肉体界を去ろうとしている人が安心し、真の世界、霊界、神界に行けるのなら・・・・・

そしてあなたがほんとうの確証を得たいのならば、是非、真理の書 「神と人間」 を読んでください、それも何度も何度もです。

読むたびに腑に落ちてゆくと思います。 

本心に響くのです。

それは初めて聞く話ではないからです。

魂の奥では知っていることなのです。

記憶が消えているので忘れているだけなんです。

読み返すたびに思い出します。

そしてほんとうの確証を持って誰かに言ったならば、きっと心を打つはずです。



一日も早くあなたが真理に目覚めますように 
 


世界人類が平和でありますように



本文




さて話を幽界に戻して、幽界において肉体界に悪影響を及ぼす、生物の話をしてみよう。


幽界には、肉体界を離れながら、いまだに肉体界に生活しているものと思いこんでいる人間たちがいる。


この人たちは、肉体の死が人間の消滅である、と思いこんでいる人たちで、肉体への執着が非常に強く、病気あるいは傷害で、肉体的に死にながら、われわれが通常夢みているような工合に、自分の肉体界当時の周囲の人びと、近親や、子孫の人びとを想念し、その人びとの肉体の背後に密着する。


それは、自分自身の肉体が、すでに無いのに有る、と思いこんでいるので、幽体だけが想念を包んで、肉体界をさまようのである。


この幽塊が肺病で死んだならば、肺病の念(おも)いを、そのまま持ちつづけているのでその幽塊に密着された人は、しだいに、その肺病の念に禍され、その人もついに肺病になってゆくのである。


それは親しい人や血筋ほど禍されやすいのである。


その他の病気や傷害も同じである。


生前の恨みを晴らそうとする場合も、恨まれた人は難を受けやすい。


また、幽界に転移しながらも、肉体界に異常に興味を寄せている霊魂と、幽界のみに生存する感情霊、あるいは動物霊という、人間のような倫理観や道義など持ち合わせぬ生物がいる。



これらの霊魂や生物は悟りから程遠いのであるから、俗事に非常に興味があり、自己の神性を探求することよりも、何か、事件を起こして、騒ぎたかったり、崇められたかったりする心が強いので、肉体人間が、あまりに自己の欲望達成のための神頼みや、奇蹟に頼ったりしているのを見て(ある程度の幽界人は、肉体界がよくわかるのである)茶目気を出し、ある種の霊媒素質のある(これは肉体の下衣である幽体の大きい人、霊魂が出入りしやすい人)人たちに送念して、あるいは肉体を借りて口をきき

 “我々は何々の神であるぞ” 

式に現われ、種々と肉体世界の出来事の予言をするので、これはなかなか当るのである。


低い宗教、誤れる宗教にはこの種類が非常に多い。





『神と人間』 五井昌久 正しい宗教と誤れる宗教 白光出版




追伸・・・上記の『神と人間』には、人間とは何か?どう生きるべきか?など、人間として知っていて当然のことが書かれています。

しかし私たちはそんな基本的なことさえも知らずに生きてきました。

このシリーズは、2015年12月末から2016年2月にかけて書かれたものです。

ご興味のある方は是非、さかのぼってお読みください。

   
 


  

2017年4月 2日 (日)

勉強は世のため人のためにするのです

 

年をとって、老人とよばれるような年齢になったときに

自分は何のために生まれてきたのだろう?

自分は世の中に対し、人に対し何をしてきただろう?

残りの余生をどう過ごしたらいいのだろう?

自分は肉体を離れたときに、どうなってしまうのだろう?

などというような疑問を持ったまま死んでしまうのは

なんとも情けないことだと思うのです。

確かに家族は守った、仕事もそれなりにして会社にも貢献した

友だちも何人かはいる

経済的にもなんとか老後もやっていける

人間としては平均点はいっていると思う

しかし、厳しい言い方かもしれませんが

この人たちが素晴らしい最後(死)を迎えるとは

どうしても思えないのです。

それなりに真剣に生きてきたかもしれない

誰に迷惑をかけることもなく

精神的にも経済的にも自立していたかもしれない

しかし、それだけでは神さまは合格点はくださらないのです。

死後に、霊界、神界(天国)には、導いてはくださるけれど

霊界、神界の光は眩し過ぎて耐えられないのです。

それは、魂が美しいまま移行したわけではないからです。

肉体の死は、まだプロセスだからです。

魂は永遠に生きつづけているので死ぬ直前であっても魂を磨こうという意思がなければ

霊界や神界につながっていかないからです。

3次元的に当り前のことをやっていただけでは

3次元と4次元、多次元はつながっていかないのです。

3次元と4次元多次元はらせん状につながっています。

3次元の終りは4次元の始まりであり

4次元につながるような “生き方” をした人でないと安らかに移行はできないのです。

それは、死後の世界を知っていなければならないということではありません。

人として、人間として

「この生き方でいいのだろうか?」

「もっと自分のことだけではなく、社会や世界に貢献できることはないだろうか?」

「自分はこの世のこともあの世のこともほとんどわかっちゃいない、もっと知るにはどうしたらいいのだろう?」

こういった自分自身に対する疑問に逃げず避けず

向上心を持って、正面から挑んでゆくことが大切だと思うのです。

目標を持つこともそうですよね。

なんのために勉強をするのか?

なんのために自分は生きているのか?

そのためには自分はどうすればいいのか?

ただ平々凡々に生きていただけでは絶対に魂が満足しない

本心が満足しないようになっているのです。

それまでは、肉体の死は訪れるようにはなっていないのです。

私たち人間は今、真剣に死や “生き方” を考える時期に来ているのではないでしょうか?

ある本を読んでいて

そのことを痛切に感じたのでした。



 原文

  

一軒の家を守る者あれば、過分の働きをなしたる手柄もののやうに称すれども、この人はただの蟻(あり)の門人というべきのみ。

生涯の事業は蟻の右に出づるを得ず

学問の道を首唱して天下の人心を導き、推してこれを高尚の域に進ましむるには、

特に今の時をもって好機会とし、この機会に逢ふ者は、すなわち今の学者なれば、学者世のために勉強せざるべからず

 

 

訳文

マイホームを持ち、守る者があれば、並以上の働きをした立派な人のように言うが、この人たちはただ蟻の弟子というくらいのものだ。

生涯やったことも、蟻を超えることはできない。

学問の道を先頭に立って唱え、天下の人心を導いて、さらにこれを進めて高いレベルに持っていくには、とくにいまの時期が大きなチャンスである。

だとしたら世の中のために努力しないわけにはいかないだろう。

 

蟻のような一生で満足してはいけない

第九編にあたるこの文章は、福沢諭吉が故郷の友人に送ったものだ。

「蟻の門人となるなかれ」 とは、ただ働いて死ぬだけの蟻のような一生を送るな、という意味である。

もちろん自分の家族を持って、その人たちのために一生懸命働くことは尊いが、それだけのために生きるのだとしたら、人間に生まれたかいがない。

人として生まれたからには、世の中をよくするような生涯の事業に、自分の一生を賭けることがあってもいいのではないか、と福沢は言っているのだ。

人はどこかで自分の力を世の中に役立てていくことが、生まれてきた使命ではなかろうか。

私はNHKでやっていた 『 プロジェクトX 』  という番組が好きで、子どもと一緒によく見ていた。

黒部ダムや青函トンネルをつくった人たちのすさまじい記録や新幹線を開発した人の血がにじむような努力など、無名の人たちが一生懸命自分たちの職務に尽し、そのおかげで今の日本が出来上がっていったのがよくわかる。

『 プロジェクトX 』 のようなDVDを見て、刺激を受けるのもいい。

実際、『 プロジェクトX 』 を見て、「病気で苦しむ人たちを救うためにお医者さんになるんだ」 と決意し、一生懸命勉強を始めた子どももいた。

勉強する目的が 「自分だけいい生活をする」 「自分だけいい会社に入る」 「自分だけ高い給料をもらう」 というだけでは、今ひとつ盛り上がらない。

「世の中の役に立つ人になる」 → 「そのために勉強するんだ」 という動機づけは、奮い立つきっかけになる。

      
       おとな 「学問のすすめ」 斎藤 孝 筑摩書房



 
  

インターネットの世界は現実ではない


かつて

ケイタイ電話も インターネットも 電子ゲームも

ネットから生まれた善意の革命も ツイッターも ネット犯罪も サイバーテロもなかった

それらは今 善い面も悪い面も 国境を超えて広がっている

かつて

家族皆で夕食を囲み

今日一日あったことを共に語り合い 慰め合い 励まし合い

時には笑いくずれる瞬間があったことが懐かしい

そのころ皆誰でもが

真剣に仕事や勉学に励み

辛い経験を乗り越え

知恵と体験と自信を身に付けた

自らの尊い人生を築いてゆくために 切り開いてゆくために・・・・

が 今日は汗と労働力なくして

ゲーム感覚でお金を儲け

億万長者となる者もいるし

顔が見えないため犯罪が横行する

知恵なし コミュニケーションなし 労働なし 良心なし

まるで無機質

朝から夜中まで

インターネットの中に存在する

金、カネ、 金‼ の世界

一見富者でも心は貧者、いや極貧

夢も希望もなく

真の喜びも幸せも失い

ただ孤独あるのみ

インターネットの世界は

現実ではない  永遠でもない

すぐに風化する 陳腐化する 役に立たなくなる

もっと有意義で価値あるものに

自らの生命エネルギーを注ぎ込むべきものを・・・・・

自らの選択、決断、決定により

自らが下す価値のな人生

生きる意味のない人生

不毛の人生

人は誰でも

自分自身にとって最高の生き方を

目指して生きるべきもの

もっと真剣に自分と向き合う時間を取るべきもの

自分をごまかしてはならない

自分を裏切ってはならない

もっと自分自身を大切に

自分を信じるのだ

すると自分の中にこそ

すべて存在することに気づくのだ

人は誰でも

人と人とのつながりの輪の中でこそ生きられるもの

決して孤独の世界では生きられるものではない

バーチャルの世界にどっぷり浸り切ると

そこに真の人との結びつきは得られない

勇気をもって実世界へと脱け出すことだ

大金は奪えても

知恵や経験 自信や信念は

決して誰も奪い取ることは出来ない

正しい選択、判断を下し

失敗を恐れず 安易な道を選ばず

知識より知恵を身に付けることだ

神意に沿った大道を生きることこそ

今生に生れてきた

生きがいというものであろう

人類即神也

  西園寺昌美 

 

7年前の調和波動気功法セミナー




昨日、私の実践している調和波動気功法のセミナーがありました。

そこで、于先生がご講演をされて私たち(ハーモニー)にレッスンをしてくださいました。

心に響く素晴らしい講演でしたので、その中のいくつかをご紹介します。

于先生はポイントを短くおっしゃるだけであまり細かくはご説明されません。

講演の後の質問コーナーでお答えになるのですが、ほとんど質問は出ないのです。(出たとしたらそれは的を得た善い質問になります)


それは、于先生の波動(エネルギー)が私たちに心地よく伝わっているからだと思うのです。

言葉以前の素晴らしい響き(波動)ですよね。



 



1.世界平和の祈りは国連が認めた世界共通の祈りなのです。 (以下は私の感想) 


 
地球という星が調和するために生れた祈りなんですね。


そして地球だけでなく宇宙全体の祈り言(ことば)でもあるのです。


日本では、世界人類が平和でありますように ですが


英語では、


May Peace Prevail on earth.



フランス語では


Que la paix Soit en  france (クラ ぺ ソワ タン フランス)


外国人の人にその国の言葉でその国が平和でありますように と言うと大変喜ばれるそうです。
 




 

2.肉体界には修行に来ている

肉体を持っているということは非常に楽なんです。

幽界、霊界、神界で怒りの感情を持ってしまったらそれがすぐ自分に返ってくる。しかし肉体は遅鈍なので、その間に祈りで消すことが出来るのです。

「死んでからもずっと修行です」

でも、ここには(肉体界)には修行に来ているんだ、魂を磨きに来ているんだと思えば楽になるでしょ」

  


とおっしゃいました。

確かにそうですよね。

辛いことがあっても

「これは修行なんだ!」と思えば納得するし、あきらめ?もつく。(笑)





 

3.「自分に気合いをいれてください。」

「気とは神さまのこと、神さまと一体となることが気合いなんです。」



 

そうなのです。気とはエネルギーのことなんですが実は神様のことなんです。

于先生のご著書にはそのことが書かれています。


気功とはなんですか?

幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の 「気を付けて」は英語で 「Good bye」 = 「Godby you」であり、スペイン語で 「Adio’s」のdio’sは神の意味である。

「気」 とは神の意味である。




ここぞ、というときはやっぱり気合いですよね パンチ

気合いを入れるとなんだか勇気が湧いてくる

マイナスのエネルギーが吹っ飛ぶような気になります。

神さまが働いてくださっているのですね。







 
4.「自分にやさしくしてください」

自分以外に誰も自分のことを癒してはくれない。





人間は生れて来るときも死んで行く時も

そして星になってもやっぱり最後は一人なのです。

人と仲良くなるより自分と仲良くなる

人を愛するより前に自分を愛する

人を赦す前に自分を赦す

自分にやさしく出来ない人は人にもやさしくできない

そうなんだと思うのです。


 





5.「プラスの気持ちになるまで祈り続けてください。」

   「プラスは自分で創るものです。」




 
そうなんですね、私たちは誰かがプラスを運んでくれるのを待っています。

祈ること(光明思想徹底行)でプラスのエネルギーを創っていくことが出来るのです。



 


  
6. 自力と他力で整えていく、天命を信じて人事を尽す



地球上には、神さまだけを信じて祈っていればすべては善くなる、整うと思っている人たちがいます。だから3次元的なことをおろそかにする。(無限なる力)

また、一方では、「神さまなんているものか?」と目に見えるものだけが実在していると信じ、物質の豊かさだけを追求している人たちや地域があります。 (無限なる叡智)

私たちは神の子です。でも肉体という器を持っています。

ですから神さまを信じて3次元的なこと(日常生活)を手を抜かずに一生懸命に行なっていくことが大切だと思うのです。

神さまを信じるとは、「本当の自分は完璧(神)なんだ、創造者なんだと信じ、だからどんなことがあっても絶対に大丈夫なんだ、そして神さま(守護霊守護神)に守られている、今の現象、状況は悪いものが消えて善くなって行くプロセスなんだ」という確固たる信念を持つことなのです。



3次元で一生懸命にやっている(自力)と神さまの加護が入ります。(他力)

それは3次元と神さまの世界がつながった現象なんだと思います。

 









7.巨人になった自分をイメージする、そしてフワッとリラックス




私たちは肉体だけが自分だと思っています。

だからその奥にある本来(神体)の力が出て来ない。

大きくなった自分をイメージすると肉体意識を超えてどんどん大きくなっていくのです。

心は宇宙大にも拡がるのですが、そこまではイメージしにくい

だからイメージ出来る大きさまで自分を広げてみる。

すると客観的に自分を観れるようになるのです。

自分に力(無限の)があるんだということがわかります。

でも力まないでくださいね。

力むと肉体波動が強いので神波動が動かなくなるのです。

だから、フワッ と リラックス。







  

8. 3次元にとらわれない


前に出る、止まる、引くを意識する

すぐに行動に移さない

洞察力とは?




私たちは今、言うべきなのか?  いや違う、 黙っていた方(静観)した方がいい?
と二者選択を迫られることがあります。

そんなときには心を静めて(止めて)心の中を客観的に観てみる。

そして心の中に愛と赦しがあればそれが本当の自分なのです。

するとその後の行動は自ずと自然に行なわれていく。


前に出る、止まる、引くを意識する

の止まるが大切なのです。

心が止まっていないと(不動心)

正しい判断が出来ない。


  


  

9.武士道とは、いかに死ぬかということ、それはいかに生きるかということ・・・・・・。


 
昨日、竜馬伝を観ました。ラストサムライは戦いを好まなかった。(竜馬は生涯で一人の人も切らなかった、殺さなかったそうです。)

武士の武とは  戈ほこ(武器のこと)を止めると書きます。

つまり戦いを止めるのが本当の武士なんですね。

それが竜馬の生き様だったような気がします。

すべては平和につながっていく

人と人との平和、地域の平和、国の平和、星の平和、宇宙の平和
 

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




 

10.幸せな波動を感じることが幸せなのです。


 
どれだけお金があっても、健康な身体があっても、自分のことを認めてくれる、尊敬してくれる人がいても、友だちがたくさん居ても

心が幸せを感じていなければ、心が納得していなけば、それは本当の幸せではないのです。

本当の幸せとは、本当の自分を知ることです。神である素晴らしい自分に出逢うことです。

そして本来の自分の波動(エネルギー)であり続けることです。

そしてその本来の神の姿を顕しつづけることです。

そして光輝いた光でたくさんの人が目覚めていくことです。





  

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)



 

孤独になりたくなければ・・・


 

久しぶりに『日々の指針』 という本を読んでみました。

なんだか心がスッキリしていなかったので読み始めると 「ドキッ」とすることや「ハッ」とすることの連続です。

心が洗われる想いがしました。

いくつか書いてみますね、よかったらお付き合いください。






・ 一人でいるから孤独なのでない。家族の中にあっても友人の中にあって、恋人といてさえも孤独な人は結構いる。 孤独とは心が充たされない状態をいう。一人で住んでいても何らかの人の為に役立っている人々は、心にいささかの孤独感もない。孤独になりたくなければ、どんなことでもよい、人の為に尽すことだ。




・あなたはどんな人から侮られ、馬鹿にされても平気です。人は皆勝手気ままなもの、いつも自分のご都合次第に、機敏に動くものということを知っています。人がどう思おうと、自分自身が信念をもって生きていさえすれば、どんな些細なことにでも心を動かされることはありません。世界平和の祈りこそ、どんな人も絶対に文句のつけようのない素晴らしい生き方です。誇りをもって生きることです。



・神さまはこうおっしゃっている。

「何故あなたは一人でそんなに嘆き苦しんでいるのか。あなたの小さな心では到底その重荷を背負いきれるものではない。あなたの器が大きくなり、自分一人で背負いきれるようになるまで、私が肩代わりしてあげよう。
さあ、すべてを私に任せなさい。 あなたはもうその悩みについて、その悲しみについて、その苦しみについて一切忘れなさい。
考えることを一切放棄しなさい。私がみんな背負ってあげよう。その代わり必死で真剣に世界平和の祈りを祈りつづけなさい。
朝から晩まで今日一日、心の中に迷いが生じないように一所懸命祈りつづけなさい。 明日は大分楽になっている筈である。一筋の光があなたの行く手を照らし始めたのです。 安心なさい。」




・心の中を全開せよ。 一分の隙もなく全開せよ。 隠し事は一切認めるな。汚い心も、醜い心も、憎しみの心も卑しい心も、すべて持ったまま大きく全開せよ。 そうそれでいいのだ。 安心するがよい。 他の人の心をみてみよ。あんなによい人だと思っていた人が、あんなに立派な人だと思っていた人が、あんなに多くの人から尊敬され慕われていた人々が、心のすべてをオープンにしたら、皆どうということはない。
多かれ少なかれ、誰しも同じ醜い心を持っているものだ。
どんぐりの背くらべだ。
貴君だけが劣等感にさいなまれる必要もない。 人間はみなそんなもの。
強いていうならば、自信のない人達のほうが善人なのかもしれない。



・あなたはあなたの持てる全エネルギーを、くだらない競争心や野心などに浪費せず、自己完成にむかって全面的に使用すべきである。あえて人の上に立とうとせず、自らの才能を磨き、それを完成させるようにもってゆくべきである。



・いくら素晴らしいからといっても、他人の脱ぎ捨てた衣服を着て、果たして自分にピッタリと似合うであろうか? やはり自分自身の体型にあった衣服を着るのが一番好ましい。物真似は愚の骨頂である。自分の心からしたいこと、好きなことをやる。それでよいのである。何故、他人の目を意識しなければならないのか。自分自身に確固たる自信を持て!
自分に自信がないから、人の物真似をしたり、他人の目を恐れるようになるのである。自分とはこの世にたった一人しかいない存在なのである。神様が降してくださった尊い生命なのである。本来の自分自身にもどろう。





  

             『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版




すべてが遊び、すべてが仕事



 
仕事をしている人にとって仕事とは何か?

なんのためにやっているのか?

お金を得る、稼ぐことってどういうことなのか?

仕事とは楽しいものなのか?

それともお金をいただくのだから

楽しくなくて当然なのか?


結構考えちゃうんですよね~

最近、仕事って一生懸命にやらないと面白くないことには気づいてきました。


一生懸命にやる、すると要領をつかんだり、精度があがってきたり、失敗が減ってきたり・・・・そこに面白さが見えて来る。

面白くなると楽しくなる♪

だったら仕事って辛いものではなく楽しいものなんじゃないか? って。

楽しくなるように自分で持っていくことがいいんじゃないかな?

と思い始めていたのです。

自分の世界なんだから

楽しくやろうと嫌々ながらやろうとそれは自分で決めればいい。

どちらでも自分で自由に選択できるなら

人に遠慮しないで人がどう考えているかは気にしないで

自分の思う通りにしたらいい。

そうですよね。

そこで

『そうなんだ!』わーい(嬉しい顔)電球

と頷く本のある文章を発見しました。

この本の著者は、仕事のプロです。

だから厳しくもあり、鋭くもある。

そんな人がこんなことを言っているんだという驚きもありました。

みなさんはどう想われますか?

本文から抜粋します。









ぼくにもやらせてもらえませんか?


さて、今年も海の家が始まり、さっそく入り浸ってますが先日ある出来事を見ていて、ビジネスの本質を学ぶことができました。

その日も、さる海の家でビールジョッキを片手にぼんやりしていたとき、あるお客さんのお子さん、小学校高学年と低学年らしき男の子2人がビーチサンダルを取り合うゲームを始めました。

砂浜にサンダルを立てて埋めます。

これがゴールです。 10メートルくらい距離を置いて、ゴールとは逆に向いて腹ばいになります。

「よーい、ドン」の合図で腹ばいから立ち上がり、一気にゴールに向かい、ビーサンを取れば勝ち。

弟の方が得意らしく、何回やってもお兄ちゃんは勝てません。

単純なルールなのに、見ているこちらも楽しくなってくる、面白いゲームです。

と私と一緒に笑いながら見ていた店のオーナーが、「ぼくもやらせてもらえませんか?」と子どもたちに話しかけ、許可をもらいました。

やってみると、当り前のことですが、大人のオーナーの1人勝ちです。

一切手抜きをせず、しかも何回もやって、そのたびに勝っています。

要するに、兄弟に対して何か教育的なことをしてみせる、ということではなく、自分がやって楽しみたいのでした(笑)。

ひとしきり楽しんだ後は子どもたちと一緒に海に入り、身体全体についた砂を落とします。

そしてオーナーはそのままバーカウンターに入って、仕事に戻りました。

よく見てみると、このお店、他のスタッフも、暑くなってくると、定期的に海に入って身体を冷まして、また仕事に戻ります。



 
すべてが遊び、すべてが仕事


これを見ていて、思いました。

ビジネスの本質はここにあるなあ、と海の家をやっている彼らのとって、ビジネスの目的は、お金ではなく、自分たちが楽しむことである、と。

もちろんガソリンとしてのお金は必要です。

仕入れなきゃいけないし、スタッフに給料を支払わなければならない。

でもそれは結果であって、目的ではない。

お金儲けなら、もっと効率的なやり方があります。

来客もその日のお天気次第、しかも夏の2ヶ月だけの営業、ビジネスとしてはあまり良い条件とはいえません。

それでも彼らにとって、この店にいてやることは、すべてが遊びであり、同時に、すべてが仕事なのです。

これが彼らのモチベーションであり、ビジネスの目的となっているのです。

そしてこのことは、海の家に限ったことではなく、すべてのビジネスの目的だろうと思います。

まず、やっている自分たちが楽しまなければ、楽しくJOYを感じることができなければ、ビジネスをやる意味なんて、ないと思います。



 
ビジネスチャンスに気づく57の法則 阪本啓一 日経ビジネス人文庫

2017年4月 1日 (土)

守護霊様は、真上だけではなく背後にもいらっしゃるのです!


 
先日の調和波動気功のセミナーで子どもに対してどうやって対処したらいいか?というお話を于先生がされました。

“子どもは親の背中を見て育つ” といいます。

それはそこに親の生き様がみえるからです。

こどもには、たとえ遠くに離れているとしても親のエネルギーが行っているのです。

こどもがなんとなくする仕草にハッとしたことはありませんか?

それは、親のエネルギーに子どもが同化しているのです。

親が立派になれば子も自然と立派な人間になる。

立派な人間とは、奉仕をする人のことです。

人の為に自分を無くして一生懸命に生きる

それは3次元的に尽すことだけではないのです。

自分が発しているエネルギーを調えることで

周りを調和させることをいうのです。

それは世界の人類の平和を祈ることなのです。

そして守護霊様は後ろにピタッとついてくれています。

見守ってくださっています。

守護霊守護神に感謝しているとその守りが強くなるのです。

すると背中は光輝いて行きます。

その後ろ姿を見ている子どもは守護霊様をみているのです。

守護霊様はこの世のどんなに立派といわれている肉体人間よりも素晴らしいのです。

肉体人間として生まれてくるとは

何らかの課題があってそれを克服するために転生して来たのです。

だから欠点もたくさんあります。

しかし、守護霊様は悟った先祖の霊です。

すべてのことを判っておられるのです。

その守護霊様と一緒にいることが安心立命になる方法です。

その安心感が背中に顕われてくるのです。

于先生は、私が息子のことで心配しているときにおっしゃいました。

「あなたがちゃんと祈っていれば、息子さんは大丈夫です」

・・・・・と

その意味がやっとわかったのです。
わーい(嬉しい顔)手(チョキ)電球



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  

  



  

今、目の前で起きていることは、過去、過去世のことなのだ

 

「今、見ている星の光は過去の光なんだ」 ってなんのことかわかりませんよね(笑)

どういうことかと申しますと、地球から見た星というのは、近い距離のものもあれば遠く離れた星もあります。

その星が放った光はすぐに地球に届くのではなく、何時間後のものもあれば、何万年も後になって届く光もあるのです。

つまり私たちは、過去の光りを見ていることになります。

それと同じように今、私たちが見ているもの、心の中で想っていることそれらはすべて過去(過去世)で見ていたものや、過去世で想ったことがテープレコーダー(古いですね)に録音されていて再生されているところなのです。

「はじめて来た場所なのに、過去に来たことがあるような気がする」

ということはありませんか?

それは過去世で来ていたのです。

懐かしいと感じるのは

その土地に住んでいたのです。

今、一生懸命に努力をしているのに

なかなか生活が善くならない

健康になろうといろいろと気をつけているのに

病気ばかりをしてしまう

こんなこと想いたくないのに

悪いことばかりを想ってしまう

それらはすべて過去世でやっていたこと、想っていたことが(潜在意識)

顕われて来ているのです。

肉体界とはそういう世界なのです。

過去世が現ってきている世界、だから仏教では肉体界のことを

現し世(うつしよ)というのです。

ほんとうの現在はどこにあるのかといえば

霊界にあるのです。

未来はどこにあるのか?

それは神界です。

話がちょっとややこしくなってきましたね(笑)

私たちが住んでいるのは、目に見える肉体界だけでなく

目に見えない(見える人もいますが)

幽界(潜在意識の世界)、霊界、神界(天国)にも同時に住んでいるのです。

肉体界というのは、今、幽界が映って来ていると理解してください。

だから幽界を浄めないと肉体界

つまり私たちの生活、環境は善くならないのです。

そのために霊界にいらっしゃる守護霊さん

神界におられる守護神さんのご加護が必要なのです。

そして私たちは、世界平和の祈りを祈ることによって

汚れた想念の世界である、マイナスの業がたくさん溜まった世界である

幽界を挟み打ちで、浄化するのです。

とにかく今、起こっていること

自分が想っていることは

過去の消えてゆく姿です。

把われずに

「消えてゆくんだ」

そして世界平和の祈りを祈って

守護霊さん守護神さんに感謝をしていれば

きっとこれから善くなるんだ

幽界が消えて

素晴らしい未来

つまり、神界(天国)が現われて来るんだ

神界が現し世になるんだ

と思ってください。


 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 
 

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