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2017年2月27日 (月)

間違いないからおやりなさい



間違いないからおやりなさい

                          五井昌久

(一)


人間は神の分霊であり

神そのものであるのです

昔 常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という人がいました

すべての人にむかって 

あなたは仏さまです 菩薩さまです

と拝んで歩きました

すると拝まれた人たちが

何 オレが仏菩薩であるものか!

と怒って 石をぶつけたり 棒で打ったりした

石をぶつけられ 棒でなぐられ 逃げながらも

あなたは仏さまです

あなたは菩薩さまです

と本当の人間の姿を拝んだということです

お釈迦様の前生だということになっています

ほんとうはこのように

人間を神さま! と拝めるようにならなければいけない

ところがそんな奴を神さまと拝めるか というのが多い

顔をまともに見ては 神さまと思えない

それは相手の消えてゆく姿の部分を見ているんです

それを見ていてはいつまでたっても神さまには見えない

そこで私はどうさせるかというと

人間を見る場合

その人の肉体を見ない

肉体のうしろにいる守護霊さん守護神さんを見させる

息子が不良でしようがない とすれば

息子のうしろの守護霊さんに

“守護霊さん有難うございます

息子の天命をまっとうせしめ給え” とやる

夫が道楽者だとすれば

“夫の守護霊さん ああご苦労さまですね

こういう業の固まりをよく守って下さいまして

有難うございます

どうか夫の天命をまっとうせしめ給え” とやるんです

そうすると 知らないうちに

相手の守護霊と自分の守護霊と一つになり

守護霊の力が 夫なり子供なりに働いて

業を消してゆくのです

夫が祈らず

子が祈らず 

妻が祈らないとするならば

自分だけでいいから

世界平和の祈りをするんです

その時に

迷っている夫

迷っている子供の名を呼んで

そのうしろの守護霊さんに頼むのです

それをつづけることです

そうしますと いつの間にか立派になります

必ず立派になりますよ

私のやり方は易行道(いぎょうどう)なんです

むずかしいっていう人があるけれど

むずかしいといえば何だってむずかしい

人間悟ろうとするのはなかなかむずかしいです

むずかしいけれど私のやり方は一番やさしいんです

何故かというと

悩みをとってから拝め というのではない

悲しみをとってから拝め というのではない

汚れを清めてから拝め というのではないのです

汚れたままでいいんだ

悩んでいるままでいいんだ

そのままで世界平和の祈りの中に飛びこめば

世界平和の大光明がそんなもの問題にしなくて

消してくれるのだ

そう信じておやりなさい と教えているのです

 

神の子の人間なのだから

神さまが絶対に救わなきゃいけない

全部救うために

守護霊を遣わし 守護神を遣わしているんだから

救うのは当り前

救われるのは当り前なんです

ただ、消えてゆく姿ということが本当にわかれば

みんな救われちゃうのです



(二)


“世界平和祈る忽ち祈り人の姿光につつまれてあり”

という私の歌があります

どんなに悪いことを想っていても

自分がどんな業想念につつまれていても

あいつ嫌いな奴だ 死んでしまえばいい と思っていても

世界人類が平和でありますように といったらば

自分は光につつまれているのか

という質問がありました

どんなに悪い想いが片方に出て来ても

世界人類が平和でありますように

という想いがあれば

それは光につつまれているのです

光につつまれているけれども

自分の中の光と

外の守護霊守護神の光 救世の大光明と

ぴたっと一つにならないと安心しないのです

やっぱり揺れているような気がするのです

ところが

世界平和の祈りをやっていると

中のものが世界平和をやるんだから

外の救世の大光明と合体してゆくわけ

合体してゆくうちに

だんだん光がひろがってゆく とともに

業想念がだんだんへってゆくのです

へってゆけば

なんか安心立命した

心から ああ私は救われているんだなァ

ということが

貧乏なら貧乏なりに 病気なら病気の中で

ああ私は神の子なんだな

ということがハッキリわかってくるのです

だからやらなければだめです

どんな悩みの中にあっても

どんないやな想いの中にあっても

貧乏の中にあっても

病気の中にあっても

世界平和の祈りをしていれば

その人の問題はズーッと光につつまれているのです

これは間違いもないことです

だから安心して世界平和の祈りをやればいいのです

(『大決意』所収)



  

2017年2月26日 (日)

物には魂が宿っている2


 

物にこもる想念と、直観力
 



すべての物は想いが込められている

 

人は物に生命(いのち)を込めます。

 

母親は料理をつくる時、子供や夫を思って一生懸命つくります。

 

自分のつくる料理を通して自分の真心を伝えてゆきます。

 

もっと大袈裟に言えば、生命を込めるのです。

 

また、自分の大切な宝石に自分の生命を託します。

 

結婚指輪などには、お互いの心や生命が込められています。

 

また死んだ人の形見には、その人の想いや生命が込められているのです。

 

我々は日常生活において、多くの人々の真心や想いや生命が託された物を使用していま

す。

 

絨毯(じゅうたん)、机、椅子、鍋、花瓶、置物、洋服、茶碗・・・・・。

 

人の手でつくられた物すべてに、その人の想念が入り込んでいます。

 

自動車、電車、飛行機、バス、自転車・・・・。

 

こういった乗り物も多くの人々の想いや心が込められているのです。

 

それらの乗り物をつくる人々がみな、感謝と喜びを込めてつくるならば、事故などを起こす

頻度も少なくなるはずです。

 

だが、つくる人々が毎日、激しい恨みや怒り、不平不満、悲しみなどの否定的想念を出し

ていたならば、それらの否定的想念の波動が乗り物にも入り込んで、事故を誘発します。

 

 

ですから人々は、その想念の在り方を認識して買い物をする必要があります。 宝石を買

う時、仮にその宝石が新しいものならともかく、人の所有するものであったならば、その所

有者の想念や因縁がそのまま波動として宝石に蓄積されています。

 

どうしても宝石を手放さなくてはならなくなった人たちの怨念や執着、苦悩や悲しみが刻み

込まれているのです。

 

そういった宝石を身につけた人は、それらの宝石によって、運命が操られてゆきます。

 

次から次へと不幸や災難に出会ってゆくのです。

 

宝石にそういった多くの人々の暗黒的な想念がこもり、蓄えられているからです。

 

また、絵画や置物も同じです。 絵や置物の中に作者の気迫が込められているものがあり

ます。

 

作者が真の芸術を理解できずに自らの名誉欲、金銭欲、権力欲などの想念によって作品

を作り上げていくことにより、その作品は真の芸術性からはずれた不調和な荒々しい波動

を蓄えてゆきます。

 

こういった強い波動のものを気の(想いの)弱い人が買うと、負けてしまうときがあるので

す。

 

絵の強さ、置物の気迫に翻弄(ほんろう)されやすく、この絵のかかっている部屋、置物の

置かれている場では、常に金銭や虚栄心などが原因となって争いが絶えなかったり、夫婦

喧嘩や親子の対立が生じたりして、調和が乱されていってしまうのです。

 

なぜならば、それらの持つ波動につい巻き込まれていってしまうからです。

また家を買う時、マンションを借りる時なども同じです。

 

そこに、土地や家の因縁、前に住んでいた人たちの想念波動が宿っているからです。

 

運命が順調で幸せであった人たちでさえ、こういった土地や家にまつわる想念の強い、

因縁の深い物件を買うと、それらの想念に操られ、翻弄されて、運命が乱されてゆきます。

 

突然、病気になったり、失敗や挫折に追い込まれたり、不幸に見舞われたりするのです。

 

それらは、そういった想念のなせる業(わざ)です。

 

だがしかし、こちら側に常に祈りがある場合は、必ずそれらの想念を祓い浄め、決して悪

い運命へと巻き込まれることはないのです。

 

 

逆にそれらの因縁を超えて素晴らしい運命へと転換させるだけの力が祈りには備わって

いるのであります。

 

真理を知らないが故の不幸

 

今まで、人類の多くはみな、こういった想念の法則を知らぬまま、人々の想念に巻き込ま

れ、翻弄されながら人生を歩んできました。

 

もし人々がそれらの物を手に入れたいと思った時、その物の持つ因縁や想念、怨念を知る

ことが出来たならば、あるいは感じることが出来たならば、自らの人生をなまじ不幸へと導

かれないですむのであります。

 

真理を知らない人々はみな、こういった執着や怨念、否定的想念が刻み込まれた物を所

有することによって、知らないうちに自分の人生を狂わせてしまっているのです。

 

真理を知っている人たちは、それらの物を無意識に拒否する直観力が培われています。

 

それらの物を手にした時、無意識に自分の心が波立つのです。

 

気持ちが悪い。 何か暗い感じがする。 ゾッとする。 不安に陥る。 急に腹立たしくなっ

たり、怒りたくなる。 淋しくなったり、悲しくなる・・・・・など、自分の心の変化に気づくので

す。

 

すると、自分の本心がこれらの物を買いたくないとか、必要ないとか、もっとよいものが後

で見つかる・・・・・等と拒絶してしまうのです。

 

だがしかし、真理を知らない多くの人々は、利害損得に振り回され、手に入れたり、買った

りしてしまいます。

 

買ったあとでも、おかしい、嫌な感じがする、不吉な感じがする、といったメッセージが自分

の感覚を通して届いているにもかかわらず、高いお金を払ったのだからとか、いまさら返す

わけにもいかないとか、姑息な心で自らの運命を誤らせていってしまうのであります。

 

このように、自分たちの周りのすべての物には、種々様々な人類の想念が込められている

のです。

 

もちろん、土地の因縁、動物や植物の因縁、水や食物の因縁も同様です。

 

人類は決して自分一人では生きてはいけない存在なのです。

 

多くの人々、大自然、生きとし生けるものと調和し、共生して生きていくことこそ、真に生き

る意味、価値があるのであります。

 

昨今、大地の汚染、空気や水の汚染、自然破壊、種の異変、病原菌の発生・・・・等、様々

な現象が起こっています。

 

これらも突きつめてゆけば、すべて人類一人一人が放った無責任な想念波動の結果に相

違ないのです。

 

いよいよ人類一人一人がどうしても真の真理に目覚めなければならない時にまで至ってい

るのです。

 

目覚めなければ滅びる以外にないのです。

 

真理に目覚めた者は必ず救われます。

 

なぜならば、そういった否定的想念、暗黒的想念の波動を見極める直感力が大いに養わ

れているからです。

 

そればかりではなく、自らが放つ波動が神の波動、光の波動であり、強力なるパワー、エ

ネルギーを持ち、宇宙神の光の一筋そのものであるため、いかなるマイナス波動からも決

して影響を受けないのです。

 

自らの放つ想念、光、エネルギーにより、自らの運命が悪くなるのを見事に完璧に防げる

のです。

 

さらに、究極の真理、我即神也、人類即神也の宣言をし、印を組む者は、自分を取り巻くい

かなる想念さえも浄めてしまう偉大なる力を発揮していくのであります。

 

だからこそ、彼らの人生はよくなるのです。

よくならないわけはないのであります。

 

必ずよくなる、もっともっとよくなる。 もっと完璧に、幸せにに、平和になる。そして何事も

調和してゆくばかりです。

 

だがしかし、周りを見てみると、気の毒にも、不幸せな人々ばかりです。

 

彼らは不幸や災難、苦悩に取りつかれ、もっともっと悪くなり、もっともっとひどくなる一方で

す。

 

いかにもがこうと、あがこうと、そういった想念から脱け出すことの出来ない状況に追い込

まれてゆくのです。

 

彼らは真理を知らないがために、自ら不幸な人生を選んでいると言えるのであります。

 

            「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版



  


物には魂が宿っている1


私が、これからは、経済はもう発展しない、物質文明から精神文明へと移行すると思っている
のは、

物を粗末にして、壊れたからとか型が古くなったからという理由ですぐに新しい物に買え換え

るという考えは、日本人の性質(性格的)に合っていないように思うからです。

「もったいない」 

という感覚は、ほとんどの日本人に沁みついていて、

その原点には

“物には、魂(心)が宿っている” ということがわかっているからです。

長年お世話になって自分や家族をいろんな場所に安全に運んでくれた愛車(あいしゃ)が、

耐用年数が過ぎて、走ることが車にとって苦痛なんだと感じることがあり、

新車と入れ替えるときなどは

「長い間、ありがとう、ご苦労さまでした」 

と車に向って手を合わせたくなるのです。

動物など生き物だったら、家族同然に思っている人も多いのだけれど、物に対しても自分

の体の一部に感じるのです。

それは、自分が手に触れ体に触れることでその物にもエネルギーが入るのです。

それも自分と同じエネルギーなので、持っていて心地がいいし、愛おしくなるのだと思います。

高度成長の好景気のときは、“消費は美徳” などといわれ、使い捨ての時代でもありました。

しかし、根底ではそんな考え方、時代が おかしい と思っていたのです。

だからいくら政府や国が

「もっと物を買ってください」 「お金を使わないと経済が停滞します」

と言っても

「それじゃあ」、と 

物を粗末にしたり、捨てたりは心情的に出来ないのです。

それは今迄の反省があるからです。

「あのときにもっと大切に扱えばよかった」

「簡単に捨てて申し訳なかった」

私は、物を大切にしていく文化になり、それに伴った経済発展はよいと思うのですが、

無理に経済、消費を動かすことは違うと思うのです。


今はもうすでに供給過多になって、物をたくさん作り過ぎています。

余り過ぎています。

「近い将来、お金は無くなる」 

というのが私の持論なのですが、そのことについては、又違う機会に述べるとして、

今日は、物には魂が宿るについて、西園寺昌美先生の
ご著書から抜粋していきたいと思います。


 

悩みごとを紙に書き出すと頭の中が整理される



私は結構、メモ魔です。

そして、投稿するのにも、なるべく一度ノートに書き出してから、記事にするようにしています。

めんどうだから直接打ち込んじゃえとも思うのですが、それでは客観視出来ないのです。

今、いろんなことで悩んでいる方はたくさんいらっしゃると思います。

では悩みとはなんなのか?

なんだったのか?

悩みの本質、原因がわかれば、かなり楽になると思います。



悩みの“ジャグリング”をやめる



アンドリュー・カーネギーという人がいます。アメリカの有名な実業家で、鉄鋼王カーネギー

と言えばご存知の方も多いと思います。


ある夜のことです。彼は、あまりに多くの悩みを抱えてノイローゼのようになり、自殺まで考

えていました。

「不倫相手の女性から連絡が入り、子どもを認知して欲しいと言ってきた」

「親戚の全員が問題を起こしていてもみ消さなきゃいけない」

「ろくでなしの甥っ子が警察沙汰の事件を起こし、身柄を引き取りに行かなくちゃいけない」

「政治家からの不当な圧力で、会社が存亡の危機に陥っている」

「妻から今夜食事に付き合ってくれなければ離婚すると言われてしまった」

身の周りのことから仕事まで、すべての危機が同時に頂点に達していた瞬間だったの

です。




その時のカーネギーの行動


もうダメだ、限界だ、とカーネギーは思いました。

遺書を書いて自殺しよう。

そうカーネギーは決心し、机の引き出しを開けました。引き出しにはもちろん護身用の

拳銃が入っていたのですが、その下には自分の名入りの立派な便せんセットがありま

した。

「ああ、自殺するんだったら遺言を書かなくちゃ」

カーネギーはそう思って苦笑します。

まったく、自殺する前にもひと仕事しなきゃいけないのか・・・。


遺書をかく段になってカーネギーは考え込んでしまいました。

「死にたいぐらいに悩んでいるんだから、さぞかし自分には深い悩みが多いんだろう。

いったいいくつくらいあるんだ?」


わかんなくなっちゃったカーネギーは、黄色い便せんと鉛筆を持ち出し、思いつく問題や

悩みをすべて書き出したそうです。


当時、カーネギーは 「世界で一番忙しい男」 と言われていました。

仕事だけでなく、家族関係を含めると、悩みは絶対に何百もあるに違いない。

 ひょっとしたら 1000個ぐらいあるんじゃないか?

ところが、箇条書きにしてみると、60個ぐらい書いたところで、鉛筆がピタリと止まったそう

です。

思い出して考えて、とりあえず 「もっと悩みはあるはずだ」と些細な問題まで書き出し

ます。

しかし、あんなにたくさんあると思っていた悩みは、結局、70いくつぐらいしかなかったの

です。


普通の人でも70も悩みがあれば多いと思います。

でも自分の問題や悩みは何百もあると思っていた彼は、あれ?と思ったわけです。

結局、70個の悩みを順繰りに次から次へと考えていたことで、自殺をしようと考えるほど

追いつめられていたのです。


悩みを書ききった瞬間、今夜中に解決できることはほとんどないことに気がつきました。

カーネギーは悩みを書いた便せんを、問題ごとにちぎってカードみたいにし、それを仕分

けし始めました。


「明日できること」

「来週以降に着手できること」

「来月で間に合うもの」

「解決できないこと」

という4つの山に分けて、その4つ目の山(解決できないこと)はそのままくず箱に入れて

しまいました。

残った3つの山、自分の悩みを書いた便せんの切れ端をカーネギーは大事に机の引き

出しにしまい、そのまま彼は奥さんと夕食へと出かけたそうです。


もうすっかり、けん銃や自殺のことは忘れて。






苦しさの本質に気づく


私がこのエピソードを読んだのは、もうずいぶん昔のことです。

それでもその時、頭を殴られたようなショックを受けました。

そうか、悩みの本質、苦しさの本質というのは、

「複数の問題を頭の中でグルグルと回している状態」から生まれるのだと気付きました。

これを私は 「頭の中でジャグリングしてる」 と呼んでいます。

ノートをとらずに悩むことは、悩みをジャグリングのように空中で回しているのと同じこと

です。


本来、悩みの解決に使うべき脳の容量をジャグリングに使っている。

だから、あんなに悩むのは疲れるんです。だから、悩んでも答が出ないんです。

悩みが多くなると、一度にすべてを考えることは不可能です。

だから、いくつかの概念やアイデアを、同時に何個かずつ組み合わせては、ぐるぐる回

すことになります。

悩んでも答が出ないと、次は別の組み合わせでぐるぐる回します。

その次も、その次も、回し続けます。

組み合わせが変わると違って見えるので、悩みは無限にあるように気がします。




    

         スマートノート 岡田斗司夫 文芸春秋 



  
  

死を恐れる時代は終わった


ある日の日々の祈り


人間世界におけるすべての不安の根底は死の恐怖にある。

いかなる種類の苦しみに直面したとしても、死への恐怖を超越した人にとって、その苦しみは心の痛みにはならない。

死は人間にとっての終りなのか、転移なのか。この謎に解けることによって、人間の進歩は一段と早まるに違いあるまい。

人間は肉体消滅によってなくなってしまうものではない。

死とは幽界、霊界への転出、誕生なのである。

死ぬことを往生(おうじょう)といったのはこのことを昔の人は知っていたからなのである。

人間とは肉体ではなく、霊そのものをいう。

肉体とは霊の容物(いれもの)であって、霊の心のままに行動するものなので、ちょうど自動車が運転手によって走っているように、霊の運転によって種々の行動をするのが肉体なのである。




   
        『日々の祈り』 五井昌久 白光出版


 


 
感想


最後の霊の運転によって行動するとありますが、

車(肉体)が無くなっても、運転する人(心、魂)は残る(生き続ける)わけです。

肉体の消滅(死)とは、この車(器)が無くなることであり

今迄は車の中でしか行動できなかったのが、そのよろいから開放されて色んな世界へ行ける自由な体になれるのです。(どこへでも一瞬で行けるのです)

体とは肉体だけでなく、幽界には幽体があり、霊界には霊体があり、神界には神体があります。

肉体以外の体とは、目にみえないエネルギー体のことです。

波動体ともいいます。

私たちは目にみえないものは存在しないと決めてかかっているのです。

しかし、空気がみえないように、心というエネルギー体も見えませんがある(存在する)のです。

死とはなにか?をハッキリ知っている人は、

死を、自由自在心になれる、肉体という鎧(よろい)からの脱皮だとわかっているので、悲しいことどころか嬉しいこと、喜ばしいことだと思っているのです。

真理を知っているのと知らないのではそれこそ雲泥の差です。

しかし、他の人が人の死を悲しんでいるのに平気にしているというのではなく

他の人と同じように悲しんではいるのですが(涙も流します)

心の中ではその人が無事に

幽界を経て、霊界、神界に行くことを祈って差し上げているのです。

悲しみの中にあってその渦の中には入っていない。(感情に振り回されてはいない)

冷静に相手の人の魂にとって一番いい方法をとっている

そんな人が霊覚者であり、聖者、賢者です。


アセンションとは肉体の死とは何か?

をハッキリとわかる人が増えるということです。

真理を理解出来る人が多く現われます。

たくさんの人が死という恐怖を超越するようになります。






世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)


  


2017年2月25日 (土)

宇宙法則に乗った生き方



今、私が楽しみに観ているテレビドラマは、「就活家族」ーきっとうまくいくーです。

三浦友和、黒木瞳、前田敦子、工藤阿須加、の4人家族全員がいきなり同時に職を失ってしまう。

毎回めまぐるしい展開で、みんながそれぞれ何度も危機に立たされる・・・

けれど職を失っても決してマイナスばかりではなく、新しい発見や生きがい、そして今までとは違った愛が生れる。

『人間万事塞翁が馬』はもう使い果たされていますが、

う~ん神様は私たちに人生というゲームをさせながら修業をさせ、成長させてくださっているのだなあと思うのであります。

私たちはいったい何を基準に、何を物差しに生きて行けばよいのでしょうか?




1.人は自分の都合のよいことを “善” と考え、自分にとって都合の悪いことを “悪” と考える傾向を持っている。

が宇宙の法則にのっとっておれば、悪でさえ良しと見なされるし、またそれと反対に善でさえ許されない場合もある。

要するに肉体をもった我々が善だの悪だのと批判するものではないのだ。

 

2.世の中の人々のすること、なすことに対して、いちいち気にするな。

あなたが今、一番気にしなくてはならないことは、神に対して己のとっている態度が善いか悪いかのみである。

神に対して、宇宙真理に照らしてみて、今自分がとっている態度が正しいと思えば、人が何と思おうと、人が何と言おうと気にすることはない。

自信を持って堂々と生きてゆくことだ。


自分に自信がないからこそ、人の言うこと、なすことがいちいち気になるのである。

 

               『日々の指針』 西園寺昌美



  



 

2017年2月23日 (木)

人生は自分の手によって開く




発展途上国に教育が遅れているからと、鉛筆を送った人がいたそうです。

すると、その国の教育者は送り主に

「後先を考えず安直に援助などしないで欲しい」

と言ったという。

どういうことかというと鉛筆をもらった子供たちは、なんの努力もせず普段手にしない物を得た。

しかし次にそれを得ようとするとき何の手段も見出せない。

だったらずっと鉛筆を送り続けたらよいのか?というとそれも違うのだ。

自立をさせることのみが相手を幸せにする。

助け合いが慣れ合いであってはいけない。

依存を助長させるようではいけないと思うのです。



          「人生は自分の手によって開く 1」


外部からの援助は人間を弱くする。自らの手で自らを励まし、何事にも屈することなく、勇気づけようとする精神こそ尊いものである。
人の為によかれと思って援助の手を差しのべる時は、余程の読みが必要である。
相手の自立の気持ちを失わせるようであっては、かえって援助がマイナスとなって働いてしまうからである。
人生は自分の手によってしか開けないものである、ということをよく知ることである。




これからは学歴とか、肩書きなどが一切通用しない、つまり本ものの時代へとなって行きます。(もうすでになっているのですが)

大学に行くよりも専門学校、専門学校よりも

即、人に役立ち、経済性もあり、社会性のあるもの、

それを産み出す人が評価されていきます。

学校教育のありかたも見直す時期にきていると思うのです。

          
            「人生は自分の手によって開く 2」

学生時代には優秀で、すべてトップでいたが、実社会に入ると平凡な人生に埋もれてしまう人もいれば、学生時代、何一つ期待されていなかった劣等性が、実生活に入るやいなや、その本来持てる力量を立派に使い果たし、人の上に立つ人になる場合もある。

若い頃の利発さは、忍耐や努力をしなくても結構なんでも手際よく覚えてしまう。

だがそれだけ忘れることも早い。着実に物事を自分のものとしてゆく方法が一番よい。


人生プロセスにおいて簡単に善い悪い、成功失敗と決定は出来ない。

すべて結果によって判断すべきことである。

すると早い遅いは全く関係ないことになる。




            『日々の指針』 西園寺昌美著



2017年2月22日 (水)

ゆる~い繋がりが安心感を産む


Facebookをやっていて、特に感じるのは、人と人との繋がり、絆が出来つつあるなということです。(偉そうな分析ですが)

それがゆるい繋がりだとしてもインターネット、SNSが現れる前には考えられないくらいの人の数と出会っています。

みんな結構、困ったときに相談して、即、解決しています。

そしてみんなが親切で

「そういう場合はこうしたらいいんだよ」

と教え合っている。

助け合っている。

自分だけがお世話になっているのではなく、

「次は自分が誰かの役に立ってみせる」

と思っているのでひけ目には感じない。

これってすごくいい関係だと思うのです。

「遠くの親戚より近くの他人」・・・

近くではないかもしれませんが、ネットは距離を感じさせません。

近くに居る人と変わらないくらいの距離感です。

だから孤独では無くなっているのかな?と思います。

安心感に繋がっているのかな?とも思います。

現実世界とバーチャルな世界をうまく使い分けたら、

きっと素晴らしい未来が待っていると思うのです。


  

犯罪は減っている



嬉しいニュースです。

ここ数年、あらゆる犯罪が減少しているそうです。

でも

「テレビで放送しているじゃないか?」

と思われるかもしれませんが、減っている、少ないからニュースになるのだそうです。

そういえば車のクラクションをめぐり、言い争いをしている人を見かけなくなった。

路上で大声を上げて怒っている人を、ほとんど見なくなったような気がします。


それよりもなによりも、自分が以前に比べ、穏やかになったような気がするのです。

みなさんもそうではないですか?


一年で一番犯罪の少ない日、

ご存知ですか?

・・・・・・・

それは

12月24日

クリスマスイブの日だそうです。

犯罪を犯そうとしている人が

「今日はやめておこう」

と思う日。

そしてその日は、

一年の中で

地球の波動、エネルギーが一番良い日だそうです。

そうかきっと今のみんなの心境は、


「毎日がイブなんだ」・・・・・。



 



自分が変われば、まわりが変わる

言葉は言霊(ことだま)でエネルギーが宿っていると最近、よく聞かれます。

言葉の言を横にすると 口|||| 

口から波動が出ていることがわかります。


プラスの言葉も

マイナスの言葉も

発すると2倍になって返って来るそうです。

 

         「人生は自分の手によって開く」


今、自分に与えられている境遇から逃げ出すことができたとしても、また同じ境遇が追いかけてくるものである。

というのは、自分自身の心が変わらない限り、その人の住む環境、境遇は変わらないということである。

今、自分に与えられている環境、境遇こそ、今まで長い間自分自身の心で描いてきた通りの世界であり、自分の思っていた通りの世界の展開なのである。

人間は往々にして、自分のまわりに起こる出来事は、すべてまわりの責任のように思うのであるが、実はそうではない。

自分のまわりで展開する出来事は、すべて自分の発している想念波動から成り立っている。

想念波動が常に素晴らしい明るいものであるならば、あなたのまわりは常に幸せと笑いに充ちあふれている世界に違いない。

あなたの発する想念波動が暗くじめじめしたものであるならば、あなたを取り囲む雰囲気は常に暗く嫌なものに違いない。

まわりが変わったならば、自分が変わるのではなく、自分が変わるならば、まわりが変わるのが原理である。



           「日々の指針」 西園寺昌美著




  

2017年2月21日 (火)

味は素材だけではないのです


 
この世(肉体界)もあの世(幽界・霊界・神界・宇宙など)もすべては、エネルギー、波動で出来ている。

そのことは疑いの無いことだと思います。
 
食べ物という物体も素材の良さ(新鮮)、悪さは当然あるとしてもやはりエネルギー体です。

例えば、朝、卸売市場で最高に活きのいい魚を仕入れてきたとします。

そのまま調理されれば、お客さんは、最高に美味しい料理を楽しむことができる。

しかし仕入れが終わった後、料理長は家で奥さんと大喧嘩をしてしまった。

怒りが収まらないまま、店に行き、イライラした状態で調理をした。

・・・出された料理は果たして美味しいのでしょうか?

「いつもと違うな」

「あれっ、ネタは良さそうなのに味が変だな?」

「料理長代わったのかな?」

「俺の舌がおかしいのかな?」

たぶんそんな感想になると思うのです。

目の前に現れている
現象は、すべて目に見えないエネルギーが写っているだけ、物質化しているだけです。

日頃の想念波動が現実をつくっている。

だから私たちは、常に良い波動を発するためには、心穏やかであること、プラスのみ、ポジティブのみと共鳴するよう心がけなければなりません。

アウトプットしたものが2倍になってインプットされて帰って来るのです。

それが宇宙の法則です。

未来永劫変わらない普遍的な法則なのです。

最高に良い波動を発するために祈りがあります。

世界平和の祈りは、宇宙の理念と一致するのです。

宇宙の波動は、すべて無限のプラスのエネルギーです。

宇宙の理念は、宇宙すべてが調和すること、平和であること、愛そのものであることです。


世界(宇宙)人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和


 

自分の発するエネルギーを調えることが自分の幸せ、人類の平和に繋がる



聴き上手になるのは素晴らしいことですが、人の話を聴くというのは、

気(エネルギー)が来る(聞く=気来)ということであり、

話を受ければ受けるほど、自分のエネルギーは重くなっていきます。

「気が重い」という状態です。

話の長い人、ネガティブな人、暗い人の話を聞き続けると、どっと疲れるのは、そういうことです。

相手のエネルギーをもらってしまう、相手の想念エネルギーが取り付くのです。

取り憑かれるから疲れるというのです。

一方、話す(放つ)ことで自分の重たいエネルギーを離した相手の人は軽くなります。

ルンルンになります♪

その代わりにあなたはマイナスのエネルギーを受け取ることになる。

エネルギー処理をしないと病気のような状態(病気ですが)になるのです。

気が詰まって流れない状態ですね。

エネルギーの法則(宇宙の法則)はシンプルです。

一方が軽くなれば、片方は重くなる。

自分に付いたマイナスのエネルギーを取ることを除霊と言います。

しかし除霊では、自分は楽になるのかもしれませんが、消えたわけではないでどこかで又、

悪さをします。

別の人が重くなってしまうのです。

それでは、世の中は明るく、良くはなりません。

お釈迦様やキリスト様は、除霊ではなく浄霊をしたのです。

マイナスのエネルギーを消した、しかもそれをプラスのエネルギーに変えた。

相手も楽になり、自分も楽になる、そうでなければほんものではありません。

人間には波動調整が必要なのです。

自分に付いたマイナスのエネルギー、又は、地球上に充満しているマイナス想念エネルギー

を消して(浄化して)、プラスに変え、そのプラスのエネルギーを発心(発信)してゆく。

私は調和波動気功法で、自分のエネルギーを調えています。



  

2017年2月19日 (日)

話し上手より聴き上手になろう 2



 

インタビュア 阿川佐和子さん・・・


私は単なる聞き手です。 相手の心の悩みを聞くことが仕事ではありません。

しかし、インタビューの仕事をしていると、ときどき、

「あー、なんかアガワさんに話したら、自分の頭の中の整理がついた」 と言われることがあります。

あるいは、「こんなこと、ずっと忘れていたのに、今日思い出した」 と驚かれることもあります。

決して私が相手の頭の中を整理してあげようと意図したわけではありません。

「ほらほら、他にもなんか思い出すことがあるでしょう、ええ?」 なんて、無理やり思い出させたりしたこともないはずです。

にもかかわらず、お相手は、最後にふっと、そんな言葉を吐いてくださる。

「今、気がついた。 私って、そう考えていたんですね」

話を聞く、親身になって話を聞く。

それは、自分の意見を伝えようとか、自分がどうにかしてあげようとか、そういう欲を捨てて、ただひたすら 「聞く」 ことなのです。

相手の話の間に入れるのは、 「ちゃんと聞いていますよ」 という合図。

あるいは、「もっと聞きたいですねえ」 という促しのサインだけ。

そうすれば、人は自ずと、内に秘めた想いが言葉となって出てくるのではないでしょうか。

冒頭にお話しした通り、私は週刊文春の対談ページを始めるにあたって、城山三郎さんのような、『名相づち打ち』 になることを目指してきました。

でもときおり、それだけでは大事な話を引き出すことができないのではと、迷ったこともあります。

しかし、文春対談を始めて4年後、河合隼雄さんに出会い、

「ただ聞くこと、それが相手の心を開く鍵なのです」

そう教えられ、後ろ盾を得た気持ちになりました。

 

     「聞く力」 阿川佐和子 文春新書

 
 

感想
 

自分の意見を伝えようとか、自分がどうにかしてあげようとか、そういう欲を捨てて、ただひたすら 「聞く」 ことなのです。

ここが一番大切な部分だと思うのです。

聞くというのは、気(エネルギー)が来るという意味、気来(きく)です。

だからそのエネルギーをどうやって受けとめるのかが肝心です。

自分がスッキリ、爽やかでいればいるほど、綺麗な鏡になれる

自分が綺麗な鏡になることに徹すると相手の心がそのまま鏡に写って

その人は答が見つけやすくなるのです。

自分がスッキリして鏡のような存在になる

それが調和波動気功法なのです。

話上手より聴き上手になろう 1



人から相談を受けたときに、私たちは自分の中から出した答を相手に伝えようとします。

自分の経験や本を読んで知った知識などでアドバイスをしようとします。

そしてそのアドバイス(ヒント)が適切で、相手の人の役に立ったと知ったとき

感謝されたときに、無上の喜びに浸るのです。

しかし、それがとんでもない思い上がりだったことに気がつきました。

答というものは、外から見つけるものではなく

その人本人が、自分の心の中から見つけ出してゆくものなのです。

どんなに素晴らしいアドバイスであっても、どれほど的を得た完璧な答を言ったとしても

それは違うのです。

まったく違うのです。


これから私は、聴き上手な真理カウンセラーになることを誓います。

 

 

相づちの極意

臨床心理学者の河合隼雄さんにお話を伺ったときは、人の話を 「聞く」 ことの大切さを改めて認識させられました。

河合さんは文化庁長官も経験なさいましたが、基本的には 「セラピスト」 のような仕事がご本業。

心にさまざまな傷を抱えるたくさんの方々のカウンセリングをしておいででした。

そこで私はさっそく、

「患者さんに、どんなアドバイスをなさるのですか」

と伺いました。 すると河合さん、

「アドバイスはいっさいしません」

え、アドバイスをしないの? 意外でした。

じゃ、カウンセラーは何をするのかしら。

「僕はね、ただ相手の話を聞くだけ。 聞いて、うんうん、そうか、つらかったねえ、そうかそうか、それで? って相づちを打ったり、話を促したりするだけ」

とおっしゃる。

「どうしてアドバイスをなさらないんですか」

それには理由がありました。

かつて河合さんはある若者の悩みを聞いて、それに対して、「こうしたらどうだろう」 という提案をなさったことがあるそうです。

若者は素直に河合さんのアドバイスを受け入れて、その後、実行した。

それからしばらくのち、若者は再び河合さんのところに訪ねてきて、

「だいぶ元気になりました。 先生のアドバイスのおかげです」

よかったよかった。 じゃ、また何か心配なことが起こったら、いつでも相談にいらっしゃい。

河合さんは安堵して若者を見送ったのですが、さらにしばらくのち、若者が河合さんのところへ、今度は怒ってやってきた。

「先生の言う通りにしたら、ひどいことになった。どうしてくれる」 と。

「つまり、他人のアドバイスが有効に働いたときはいいのですが、何かがうまくいかなくなったとき、そのアドバイスが間違っていたのだと思い込んでしまう。 すべての不幸をアドバイスのせいにして、他の原因を探さなくなってしまうのです」

カウンセラーの責任逃れのように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではない。

本当に心の病を治そうとするならば、地道にその原因となるものを探し出さなければならない。

にもかかわらず、他人の指示に頼ってしまうと、うまくいかないのは全部、そこに原因がある、こうしろと言ったアイツのせいだと勘違いしてしまう恐れがあるのです。

だから僕はアドバイスをしない。

病気の治療には役立たないからですと、河合さんはそんなふうにおっしゃいました。






     
          
「聞く力」 阿川佐和子 文春新書



  

病は気から、を忘れている


確かに病気になる原因は、食べ物、薬の乱用などもありますが、精神的なことが、ないがしろにされていると思うのです。

心の弱さが起因していると思ってもなぜかそこには誰も触れない。

病人も

「病気だから仕方がない」

と甘やかされるものだから、余計に医者や薬、そして家族に頼ろうとする。

居心地が良いものだから、「このまま病人のままでいい」と思っているのではないか?

と疑ってしまうのは、言い過ぎでしょうか?

私も病気になったときは、家族に甘えていました。

すごく、ワガママになっていました。

ちょっとしたことですぐに怒っていました。

自戒、反省を込めて以下の文章をかみ締めました。


   
           「肩の力を抜け」


薬も、運動も、食事療法も、鍼も灸も、マッサージも健康を維持してゆく為には、ある程度必要かもしれない。

が、一度び不安や恐怖心が湧き上がって来たら、果たして今まで続けて来た健康療法で乗り越えることが出来るであろうか?

身体を鍛える前に、心や精神を鍛えることが先決である。

つねに小さな些細なこと、取るに足らないことにさえ、いちいち自分の心が傷つき、イライラさせられ、心配や不安にかられていたならば、健康法などなんの意味もなさない。

まず、どんなことが身のまわりに起こっても、自分の心を痛めず、傷つけず、それに対して常に適切な対処ができるように、心を養う必要がある。

心が常に一定し、明るく光明に輝いてさえすれば、身体はいつも何もしなくても健康そのものなのである。

肉体のコンデションはまず、心に起因しているものだということを知ることが大事である。



             「日々の指針」西園寺昌美著



 

2017年2月17日 (金)

これからはお百姓さんになる時代です


今、ビジネス(商売)をしている人と決まって話すこととは、

「もう本業だけではやってはいけない、何とかしないと・・・」

なのです。

これは余程特化した仕事、職業の人以外は共通の悩みだと思います。

インターネットは加速度的にいろんな職(食)を奪っていきます。

本業を一生懸命にやっていても利益の上がる(旨みがある)ところには群がってきます。

隙間産業にもみな目を光らせている。

大手も多様化し抱き合わせ、セットで売ろうとする。

限りあるお金をみんなで取り合っている状態です。

・・・・・・・・・・・・・

では、私たちはどうしたらいいのか?

核になる本業のスキルは磨き続けながら、SNS等を利用し、出来るだけリアルに人に会うようにし、情報交換ならび、共通点を見つけて、仕事を回し合うようにする。

自分中心のコミュニティーを作ってそこでお金や情報、サービスを回す、価値観をシェアする。

常にアンテナを張って、チャンスを見逃さず、自分に出来ることは自分のものにしてゆく。
 

これしかないように思うのです。

そのためには、肩書きは多数になります。

昔のお百姓さんになるのです。

百姓とは、農業だけをやっている人ではありません。

畑を耕すだけでなく、草鞋(わらじ)を編み、薪(たきぎ)を拾い、行商をし、庄屋さんの手伝い(便利屋)に行き、閑散期には出稼ぎに行く。

この時代のお百姓さんは、仕事をたくさんもっており、周りの人は何をしている人かわからなかった。

「百の姓(名前)を持っているようだ」・・・・から百姓という言葉は生れたのだそうです。

自分で出来ることは限られてる。

だから自分の分身のように動いてくれる人、人の役に立ってくれる人を探す。

ただ、そこには信頼関係がなければいけません。

 

本業をいい加減にしている人を紹介したら、自分の信頼を失うからです。

これからはたくさんの人と繋がることが安心感、安定感を得ることになります。

最初はゆる~いつながりから始まります。

ゆるい細いつながりをどれだけ太いつながり(信頼関係)に換えていけるか?

そこに生き残る道はかかっています。



お薦め図書


 『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』 岡田斗司夫著




 

2017年2月15日 (水)

守護霊、守護神様は私たちを必死で守ろうとされている


もう3年ほど前のことですが、私の妻の親友の夫が先日、自らの命を絶ちました。

私は一度お目にかかっただけですが、ちょっと線の細い(気の弱そうな)優しい目をしたおとなしそうな人でした。

仕事がうまくいかず、お酒に逃げてアルコール中毒になって暴れて、奥さんや子どもさんは家を出て離れたところから見ていたそうです。(離婚はしていませんでした)

自暴自棄になって、何度も 「死ぬ!」 と言っては助けられたりして、今回も狂言だと思っていたらほんとに死んでいたのだそうです。

とうぜん 奥さんは相当なショックを受けていた。

親友だった妻は、なんと言って声をかけていいかわからず言葉を探していました。

そのショックの大きさは私にも伝わってきました。

人間にはいろんな亡くなり方がありますが、自らが命を絶つとはどういう意味があるのでしょう?

そして、魂の親である守護霊さまは、そのときどうしていたのでしょう?

なにもせずにただ見ていたのでしょうか?

いいえそうではないのです。

必死に光を送ってなんとかやめさせようとしていたのです。

思い止まらせようとしていたのです。

だがしかし、魂を覆っている業(カルマ)があまりにも厚過ぎて光が届かなかったのです。

 守護霊さまとは、悟った先祖の霊であり、亡くなったお祖父さんやお祖母さん、またはその上の曽祖父、曽祖母であったりするのです。

肉体界を去った後で霊界や神界で修行をして、ほんとうの悟りを得てからやっと守ることが許されるのです。

守護霊様は孫たちがかわいくてしかたがないのです。

誰よりも孫たちの幸せを願っている

その孫が自ら命を絶とうとしている・・・・・

もし 光が届いていたのなら

「あれっ俺はなんてバカなことを考えていたのだろう」 と我に帰るのです。

そして思いとどまる・・・

しかしその人の思いがあまりにもネガティブであるとその光も届かないのです。

ネガティブな想いが、業(カルマ)を益々覆ってしまうからです。

いかに日頃の想念が大切であるかということです。

日頃何を想っているかで 人の人生は、運命は決まってくるのです。

そして、私たちを二十四時間プラスαで夜も寝ずに見守ってくださっている

守護霊さま守護神さまに感謝を念を向けることが大切です。

守護霊さまは私たちに真理(人即神也)を伝えようとされています。

私たち人間は、宇宙の法則や目にみえない世界のことを知らなさ過ぎるのです。

あまりにも無知なのです。

下記の文章を読んでいるとジーンとしてきます。(27の言葉から2つを抜粋しました)

私たち人間は、誰一人として守護霊守護神に守られていない人なんていないのです。

守護霊は3体 守護神は1体 必ずおられるのです。

  



20、

あなたは常に幸せを願うのだ。
 
あなたは常に神の無限なる能力を信ずるのだ。
 
あなたは常に調和を愛するのだ。
 
私はあなたのその望みにむかって全精力を傾けて、その実現のためにわがエネルギーをフルにあなたの心の中に注ぎこんでいるのだ。
 
だが、あなたの望みが常に暗く悲しく絶望的であるならば、その方向にむかってわがエネルギーを注ぎ込むことは、不可能である。
 
あなたの考えが明るく積極的な希望に満ち溢れたものに変わるよう、エネルギーを注ぎこむのであるが、そのエネルギーの消費量は並大抵ではない。
 
もともと+(プラス)の考え方を更に+(プラス)の方向に導き、この世に実現可能にせしめることは、宇宙の法則通りに実に簡単で無駄なエネルギーを消失しないものであるが、-(マイナス)の思考を+(プラス)に方向転換させることは、前者の何万倍ものエネルギーが消失されるものである。
 
 
常にあなたの考えを+(プラス)の方向に向けて生きて下さい。



 

24、

あなたの長い間にわたる苦しみは私にはわかっている。
 
あなたの悲しみや痛みも私にはすべてわかっている。
 
そして更に今あなたの上に投げかけられている不安恐怖、今のあなたの立場ではどうしようもないのもわかっている。
 
私はいつでもあなたの心の叫びを聞き、訴えを聞き、その問題解決が一刻も早からんことを願い奔走しているのである。
 
だがあなたはこの私の心を知ってか知らないでか、常に自分自身の肉体の力でのりこえようともがいている。
 
だがよく聞いて欲しい、もはや肉体界でトラブルが現われはじめたということは、もう何年も、いや何千年も前に幽界で現れていたことを。

幽界で浄めることが全くできなかったが為に、この肉体界に現れはじめたのであるということを。

そのためにはまず幽界を浄め去るのが先決である。

それが出来るのはこの私である。

霊なる力で、霊なる光で、幽界を浄めれば、自ずと肉体界のすべてのトラブルは自然に解決されるものである。

私に頼りなさい。私を信じなさい。あなたが夢をみているその時ですら、私は闇を光に変える働きをあなたの為にしているのです。

あなたはあなた一人で生くるに非ず、私の生命と共にあって生くるなり。




 

   「守護霊守護神に代わってあなたに語る」より  西園寺昌美 



 


できる営業マンは会社にいない

 
私の仕事は広告関係の自営業なので、自分のペースで動けるため、家でパソコンの前に座ろうが、スマホをいじっていようが、のんびりとテレビを観ていようが全くの自由です。

誰にも束縛されないし、監視されてもいません。

そこそこの成果を上げたなら、ちょっと気を抜いて、SNSでつながった人との情報交換も楽しいし、仕事をした気分にもなる。

しかしそこから大きなもの、大切なものは生れない、言い切れませんがかなり難しいと思うのです。

私は自営業であるが、営業マンでもあります。

そして多かれ少なかれ、人はみな営業マンであり、営業ウーマンであると思うのです。

現実世界とSNS世界との折り合いのつけ方、

ある本を読んで痛感しました。

『IT企業はなぜ渋谷に集まるのか』

IT企業の人たちに話を聞くと、必ずと言っていいほどこう言う。

「直接顔を合わせることは本当に大事ですよ。

直接会うと交換できる情報量がまったく違う。

雑談の中から新しいビジネスが生れることもあるし、一緒にやろうという話になってその場でプロジェクトが生れることもある。

僕らは、すぐに顔を合わせられるように意識的に近くに集まっているんですよ」

・・・・・・・・・・・・・・・

あなたがSNSだけをやっていればいいと思っていたら、それは間違いだと断言する。

リアルがベスト。

会えない間はソーシャルメディアで繋がろう。



『ソーシャルメディアを武器にするための10カ条』 徳本昌大+高橋暁子著

 

2017年2月14日 (火)

赤ちゃんは頭の上の守護霊様を見ている

 
赤ちゃんの目は、生後2ヶ月くらいでものや色を認識するようになるそうですが、何を見ているかというと相手の人の頭の上を見ています。

赤ちゃんは天使と言われているように、頭のてっぺんにある、百会(ひゃくえ)というチャクラが全開で天(神界)と繋がっています。

だから肉体の私たちを見ているのではなく、私たちの少し上におられる守護霊の光を見ているのです。

そして、うれしそうに安心したような目をしています。

守護霊の光(エネルギー)は愛そのものだからです。

このチャクラは幼い頃まで開いているのですが、ものごころがつくようになると閉じてきます。

そして、神界(天国)とはいったん離れて、肉体界だけの接触になるのです。

それからその赤ちゃんの前世での想念と行為していたことが徐々に現われてくるのです。

考えることも前世での潜在意識と今生での出来事や人類の集合意識が重なって、色んな想いが交錯するのです。

大人と変わらなくなります。

頭の中には色んな考え、想いが駆け巡っているのです。

チャクラが閉じて、生意気になってしまった子どもを、

「餓鬼(がき)」と言います。

赤ちゃんがかわいいのは、このごちゃごちゃした想いがないからです(笑)

無邪気、邪気が無いといいます。

お釈迦様が「空になれ」、キリスト様が「幼子のようになりなさい」、老子様が「無為に為せ」(何々のためにしようとするな)とおっしゃったのは、自分の意識を自分の本体、本心のある神界と繋げなさいということです。

目に見えるものは幻であり、実体の無い消えてゆくものであり、過去世の現われに過ぎない。

仏教では、肉体界は過去世からの写し世(現し世)、過去世が写っているのだと言っています。

その奥にある、霊界、神界が本当の実在する世界です。

だから人を見るのでも肉体に現われている、本心から離れている、さ迷っているダメなその人を、そのまま見てはいけないのです。

その人の本来の姿(神)ではないからです。

五井先生は、

「相手の人の肉体を見るのではなく、その奥の光を見なさい」

とおっしゃいました。

赤ちゃんが私たちの守護霊を見るように・・・・です。

目に見えるものだけを見ていたらその人の本質はみえません。

肉体だけを見ていたら必ず感情的になります。

どんな姿が現われていても、その人の奥には素晴らしい光が輝いているのです。

アセンション(次元上昇)とは奥の素晴らしい世界(神界)がこの世に現われるということです。

今はその直前なのです。

夜明け前が一番暗いのです。

しかし、もう夜明けは近いのです。


 

今、一番?稼いでいる仕事とは?

  
先日、大手広告会社の知人に

「今、駅に広告を出すほどの一番引き合いの多い景気の良い業種は何ですか?」

と質問をしたら

「生前整理、遺品整理業ですね」

と言っていました。

なるほど、今のお年寄りは、物を大切にするし、バブル期に欲しいものをたくさん買っているので家の中は物で溢れている。

それを見た子どもや孫が

「今のうち(死ぬ前)にキチンと整理(処分)しておいたら」と言っていると思うのです。

遺品の中には、アルバムや想い出の詰まったものがたくさんある。

その時に辛い思いをするのなら、今のうちにスッキリしておきたい。

そしてついでに感情と勘定(お金)の交換をしておきたい。

お金って感情を処理するツールであることがつくづくわかります。

断捨離が流行るのも、ミニマリスト(持たない暮らしをする人)が増えるのも、これらは感情をスッキリさせたい、重たい荷物を減らしたいという思いです。

これから感情をお金に換える商売が益々増えていきます。

「面白い!


と思った私は、ネットオークション、リサイクルをしている後輩に得意気に言うと

「先輩、その仕事はもうたくさんの人がやっていますよ」

との返事・・・・。

「そうか、いいと思ったんだけどもう遅いのか」

しかしやり方次第では決して遅くはないと思うのです。(私はやりませんが)

自分が「やりがい」を感じるのであれば、成功の(稼ぐ)道はあると思います。

ただ、

これから何か稼ぐこと(仕事、商売)をする上で

「やり方とやる気次第でどうにかなることと、ならないことがある」

その見極めも大切ですね。


  

2017年2月12日 (日)

下丹田にほんとうの脳がある


人間には7つのエネルギースポットがあります。(ここでは詳しく述べませんが)

その中でも最も需要なのは、下丹田(かたんでん)です。

場所は、へそ下3.5センチと肛門を結んだあたりにあります。

私たちは頭の脳に考える場所?があると思っている。

しかしほんとうの脳は、下丹田にあるのです。

腹脳(ふくのう)とも言われています。

私たちは気が上がった状態で頭で考えようとする。

頭というのはテレビで言えばあらゆるところから電波(念波)が飛んで来るのです。

NHKもあれば読売、朝日、BS・・・それこそ玉石混交、インターネットと同じです。

その入って来た情報?(人の想い)をすべて自分の考え、想いだと思ってしまう。

だから混乱する、自分がわからなくなる。

間違った判断をする。

一方、下丹田の腹脳は、本心と繋がっているのです。

天と宇宙と神界につながっている。

だから下丹田に意識を鎮めていると天智(正しいインスピレーション)が降りて来る。

必要なメッセージだけが入って来るのです。

これから人類は、下丹田でものを考えるようになります。

それがあたり前になる。

なぜならば、肉体人間の頭では解決できないことがたくさん起きているからです。

肉体の頭は、肉体意識(3次元)

 

下丹田の腹脳は、宇宙意識、神意識(5次元、多次元)

次元を上げなければ、自分が進化しなければ

 

肉体意識ではどうしようもないところまで来ているのです。

まだ、下丹田の重要性に気づいている人は少ないですね。

極少です。

下丹田が万能、であるという本が出ています。

ご興味のある方は、読んでみてください。


 
『女は胆力』園田天光光平凡社新書


 

善人よ強かれ



世界中に良い人が多勢いながら

悪い行の人々が常に幅をきかせ

戦争をしたくない人が一杯なのに

世界は大戦争の危機をいつもはらみつづける

こんな不合理なことはないのだけれど

事実は少数の悪に多勢の善が追いまくられる

こうした人類の狂いを直さないで

何んで世界が平和になることができようか


善人というのは人に悪をなさぬというだけではない

自分の生活だけを守ろうとする

心の弱い善人たちが

いくら多勢集まったところで

強力な少数の悪人の迫力に敵するものではない

真の善人とは

人間の本心開発の為に

天の理想を地に現わすために

人類の完全平和達成のために

少しでも積極的に働きかけている人のことをいうのだ


国が焼けつくして

地球が燃えつくして

一体人間はどこへ逃げようとするのか

善人たちが勇気を出さないでいて

地球の危機が救われるとでもいうのか

善人たちが分れ分れの心でいてはいけない

一つの目的に心を合わせてこそ

誤れる人々を浄める力が現われる

悪党に世界を渡してはいけない

善人が天と直通して

大光明力を発揮しなくては

地球世界を救うことはできない
 

世界平和の祈りは

そうした心から生れでた祈りだ

悪は人間の本来性ではないのに

善人は悪を恐れ

悪の前に自己の前進を止める

そういう想いはすべて消えてゆく姿

世界平和の祈りの中で

神の大光明の中で

善人は逞しく生れかわり

地球世界を浄めさり

真実の理想世界を現わさなくてはならない

善人よ

心正しき人々よ

神のみ心に結集して

さあ 天と地をつなぐ光の柱となろう

      『純白』 より  五井昌久



 

日本語の本来の数字が持つ意味 2




「八」 イコール発心する

「九」 イコール究める

「十」 イコール充分に満ちる

「十一」 イコール士(武士、サムライ)

「十二」 イコール十二分



以上です。

あなたは、「一」~「十二」のどの立ち位置に居ますか?

私は位置 「一」 から出直します(笑)

ところで感想ですが、「八」の発心は、発信と同意語ですよね。

自分が言葉であれ、文章であれ、もちろんSNSでも発信しているのは、心の中を出しているということです。

いいかげんなことは書けないと思います。

あとは、「十一」が士(サムライ)であることに驚きました。

ほんとうの武士とは、戦い争う士ではない

戈=戦を止める人であると聴いたことがあります。

数字は奥が深いですね。

 
 

日本語の本来の数字が持つ意味 1

 

日本語、漢字だけではなく、私たちが普段使っている数字にも真理があります。

一昔前の人たちが一日の始まりの朝一番に、ラジオ体操を習慣にしたのも意味がある行動だったのだと思います。

「いち」「にぃ」「さん」「しっ」・・・数字は繋がっているようで、それぞれに意味があったのですね。



位置確認イコール 「一」

立ち位置を決める。

「二」 イコール荷役を負う

「三」 イコール参じる(参加)

「四」 イコール仕える(仕事をする)

「五」 イコール伍する(進める)

「六」 イコール禄を食む(稼ぎを得る)

「七」 イコール質が決まる

で始めて社会に打って出るところに立つ。

 

この後「十二」まであるのですが、ここで一旦区切ります。

 

私はこの中で「六」の禄、稼ぎを得るに興味を持ちました。(禄は給与のこと)

儲けることと稼ぐことの違い

仕事に対する姿勢などに悩んでいたからです。

どうも仕事(自営業)に身が入らない

他のことに価値観や興味を持ってしまう(気が散る)

こんなことではいけない!

そう思っていたときでした

この記事を読んだのは・・・・

「六」の数字の意味? なぜ稼ぎを得ることが「六」なんだろう?

首をひねっていると、


しばらくして、ある人が教えてくださいました。

稼げない、稼がない男は

「ろくでなし」 「ろくでもない」 「宿六」

「四の五の言わず、黙って働いて、稼いで来い!」


であることを・・・・。

能書きや理屈はいいから

とにかく

お金を稼いで来る (しかし、まっとうなやり方で)

そして

子どもや奥さん、周りを楽にさせる

それが「六」の真理だと思いました。




  
 

2017年2月10日 (金)

僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない(愛されニートの時代)

 
私は、決してニートを奨励しているのではありませんが(笑)

時代の流れは確実に「働く場」を奪っており、肉体(体)を使った仕事、その他一部しか残らなくなります。

企業のM&A(企業の統合・合併)、インターネット、AI(人工知能)の普及、・・・・

もう偏差値の高い人は要らなくなった。

わからないことがあれば、スマート(賢い、天才)フォンがなんでも教えてくれる。

運よく?就職したとしても、今の平均的企業の寿命は5年だそうです。

22歳で就職したとして27歳で失業者、その時、かなりの力を付けていなければ、どこも雇ってくれない(力のある人は独立しますが)

もう、就職にこだわる時代は終わっているのです。

就職しなければ、自営するか?起業するか?ニートになるか?

ニートでも、人に喜ばれる、愛されるニートになればいいと私は、思うのです。


ここからは妄想です(笑)

ある若い女性が地方から東京に出て働いている。

弟も東京の大学に入学したが、中退し、就職せず姉と同居している。

母親は、「弟の面倒を見させて悪いねぇ」と言っているが、あながち迷惑でもない。

負い目を感じてか、朝晩、食事を作ってくれる(これが美味しい(笑))

洗濯、掃除もこなし、平日にしか行けない銀行や役所へも嫌な顔一つせず、行ってくれる。

そして社会人の経験もないのに、職場の人間関係の悩みを聴いてくれる。

弟にかかる費用?は月1万円のお小遣いだけ。

最近、近所で知り合いになったおじさんの手伝いをするようになり、

その1万円も

「要らない」・・・・

と言い出した。

・・・・・もう少し発展すると

最近弟は、SNSで朝カフェ(午前6時半集合)に行くようになった。(500円玉を握り締めて)

 

ほとんどは社会人、営業マン、他は自営業者、定年を過ぎたおじさん、おばさんで、みんなかわいがってくれる。

そこで先ほどのおじさんに「人手が足りないので手伝ってくれないか?」と言われるようになった。

人脈も出来て、「おい〇〇で困っているのだが、誰か知らないか?」と相談もされるようになった。

「ありがとうお陰で助かったよ」と言われると、今までに味わったことのない喜びを感じる。

そして

「働くって、こういうことなんだなぁ」

と思うようになった。

・・・・・・・・・・・・・・・

この後はみなさんが妄想してください(笑)

・・・こんなにうまくいくかはわかりませんが、これからはSNSの時代、

たくさんの人と

「ゆる~くつながる時代」

そして、そこから強くつながっていく時代になると思います。

ニートであっても立派に生きていけるのです。

そのためには、「愛されるニート」になる必要はありますが・・・・。



参考図書 


「僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない」岡田斗司夫著
ソーシャルメディアを武器にするための10カ条(人生を変えるなんて簡単だ!)徳本昌大+高橋暁子著


どちらもめっちゃめちゃ面白いです。


 

2017年2月 9日 (木)

お金は天からの贈り物



「金は天下の回り物」という言葉には、諸説いくつかの意味があるようですが

私はお金は天からの贈り物だと思っています。

サラーリーマンの人たちが戴くお金のことを給与と言います。

与え給ふ、神様から与えられるものです。

一方、儲けるという言葉がありますね。

地上にあるお金は有限です。 限りがあります。

だから奪い合いになる。 その姿は横取りです。

そして怒りや妬み、嫉妬が起こる。

感情=勘定=お金

 一方、天で回っているお金(お宝)は無限です。

無尽蔵に溢れ出てくる。

神様から認められ、天から縦取りしたお金は天と地を巡回します。

これがほんとの「金は天下の回り物」です。

マネーゲーム、株、ギャンブル、宝くじ、これらは横取り、儲けると言います。

一方、回り、はた、を楽にさせることを働くと言う。

働いて稼いだお金と横取りをして儲けたお金、

同じお金でもエネルギーが全然違うと思うのです。

今、流行っているネットビジネスのお金

これは横取りでしょうか?

縦取りのお金でしょうか?

横取りはどこまで行っても ━ にしかなりません。

縦取りは━とクロスして 十 になります。

 

2017年2月 8日 (水)

病気を治す3つの方法(病は気から)



 
病は気からと言いますが、もちろん気持ちだけですべての病気が治るなんて、私は思っていません。


昔と違って現在は、食べ物の中にも病気になる要素がたくさん含まれているからです。


しかし、「なぜ病気になるか?」という原点をみたとき、やはり気の持ち方、日頃の考え方が大きいのではないでしょうか?


病気になってからでも遅くはありません。

 

これまでの 「生き方」 を省みてはどうでしょうか?

 

個人指導の時、五井先生が 


「今日は病気が治る秘訣を教えてあげましょう。三つの約束が出来ますか?」

とおっしゃいました。

あなたは患部を触って、こんなに大きくなって、一体どこまで大きくなるんだろうか、と心配ばかりしている。

だからいけない。


明日から絶対に患部に触ってはいけない。


それが一つ。


二つ目は私がお浄めで病気の想いを消してあげても、あなたは病気だ病気だと、家に帰ると思う。

私は病気だからいつ頃死ぬのかな、とカレンダーを見れば、私の命日はいつかなと思い、先生が消せば、そばから病気だ病気だと思っている。


それではいくら消しても限りがない。


もう明日から、決して病気だと思っちゃいけない。



三つ目は、あなたはあと一ヶ月で死ぬか、三ヶ月で死ぬか、と思っているけど、人のいのちは神よりほかに知らない。

丈夫で歩いている人だってあと五分後のいのちかもわからない。

今夜にも自動車にはねられたり、ガス中毒で死ぬかもわからない。

そうかと言って、今、寝ている人が十年二十年生きるかもわからない。

だから、もう今日一日のいのちだ、と思って、半年後だの三ヶ月後だのと考えることは絶対にやめなさい。


あなたは今日一日、夜までだと思いなさい


先生に言われて、約束しますと申上げました。


そうしたら翌日から、何か皮がむけたような気がして、花も星もみなきれい、犬も猫も子どもたちもなんて可愛いんだろう、と思えるようになりました。

何か仕事をするんでも病気なんて思わないんです。

晩までのいのちなんだから、一生懸命にやろう、という気になりました。


 
  

一日一回、自分と向き合おう



一日一回はどんなに忙しくても、自分と向き合って、「反省」することが大切だと昔、尊敬する会社の上司に聞いたことがありました。

わかるような気はするのですが、なかなか出来るものではありません。

では、なぜ自分自身(本心)と向き合うことが必要なのでしょうか?

私はある人からこの話を聞いて「なるほど」と納得したのです。


とある会社が事業好調で業績を伸ばすために最新式の機械を導入したそうです。

これまでの旧式のなんと7倍の速さだそうです。

しかし新機は、定期的に決まって何度も故障を起こした。

この機械は、A・B・C・D・E・F・Gの7つの工程を一度にやってしまい元の定位置に戻っていた。

そして、戻ったときにほんの少しのズレが生じた。

0.000001ミリだったのかもしれません。

しかし回数を重ねるたびにそのズレは大きくなり、とうとう定位置から外れてしまった。

そして機械全体にも歪が生じていた(傾いた)。

どれだけ修理をしても動かない状態になったそうです。

一方、昔の機械は、A→定位置、B→定位置、C→定位置・・・・G→定位置を繰り返し、ズレが生じることはなかった。

私たちは今、猛烈に忙しく、この最新式の機械のようにたくさんの工程をこなしています。

その中で大事なことを端折ったり、簡単に済ませたり、疎かにしている。

反対に、どうでもいいことに時間を使っている。

本末転倒している。

優先順位を間違えている。

そしていつの間にか違う自分になっている。(ズレがブレになっている)

そうならないためにも

どんなに忙しくても、一日一回、スマホの電源を切って、自分とキチンと向き合いたいと思います。

また、メンター(人生の師匠)から次の言葉をいただきました。(かなり前ですが)

 

反省→努力→勇気



う~ん、最後の勇気ってどういう意味なんだろう?

どんなときに勇気を使うんだろう?

わかる人いますか?(笑)

 

2017年2月 7日 (火)

座右の銘?


 
私の中で、特に肝に銘じている言葉、座右の銘はないのですが、いつも心のどこかに残っている2つの文章があります。

魅力的な人とは、鬼(魔、業、マイナス)を未(消し)てくれるような人なんだと以前書きましたが、光っている文章は、私の中の何かを浄化してくれるようです。

 

正岡子規は 「さとりとは、いかなる場合にも平気で死ぬことかと思っていたのはまちがい

で、さとりとは、いかなる場合にも平気で生きていることであった」 といっている。


 

全くその通りであって、完全に生を完うすることによって、はじめて死をも完う出来得るものである。

生を逃避することによって、死への恐怖を拭い去ることは不可能である。

生への恐怖を乗り越えることによって、死への不安はまったく無くなる。
 

生と死は別なものではなく全く一つのものである。



 
 
私は釈尊(お釈迦様)の次の言葉が好きである。

 

「沈黙しているものも非難され、多くを語るのも非難され、少しを語るのも非難される。世に

非難されない者はいない」

 

この世に生ある限り、何をしても人は非難の目、嫉妬の目をもって他人を見つづけるのである。

人の目を気にして生きていたならば、自分の身が持たない。

天の目を気にして生きてゆくことだ。

 

 

     
                       「日々の指針」 西園寺昌美著

人は死なない

 

最近、特に思うのですが、あらゆる恐怖の元になっているのは明らかに死ですよね。

だから死と直結すると思い込んでいる病気が怖い、病気の原因となる食べ物や精神的なことに異常に反応する。

びくびくしてのんびりと大らかに生きられない。

決して病気=死ではないのだけれど、いつの間にか人は病気で死ぬことになってしまった。

120歳まで長生きした大往生の人にもなんらかの病名が付く。

老衰なんて言葉、久しく聞いたことがありません。

だけど、達観している人達にとっては、死は恐怖ではないんですよね。

死をゴールとするのか?

または死は終わりではなくプロセスであり、魂、心は永遠に生き続けるものとするのか?

によって、
ものの見方が全然違ってくると思うのです。

景色が違うと思うのです。

ちなみに私は後者のほう、生命は永遠だと思っています。

そのつもりで記事も書いています。

どちらが正しい!はこの際、置いといて

「死んだら終わりだ、なにもかも無くなるんだ」

と思っている人も思っていない人も

この本(人は死なない)を読んでみてはいかがでしょうか?

宗教家や怪しい人が言っているのではない、立派なお医者様です。

信憑性はあると思います。

人間は死生観を超えないと解決出来ないことが多過ぎるのです。
 


「人は死なない」矢作直樹著

 

2017年2月 6日 (月)

正しく足を鍛えましょう!

 

少しまわりくどい説明になりますが(笑)

 

私たちは、肉体しか目に見えないので、肉体のみが存在していると思っています。

しかし肉体以外に、幽体、霊体、神体と4つのボディ(体)を持っているのです。

それは同時に肉体界、幽界、霊界、神界が存在していることを示しています。

この中で私たちが最も影響を受けるのは、幽体です。

みなさんは「オーラ」という言葉を聞かれたことがあると思います。

オーラは肉体とくっ付いているエネルギー体です。(雰囲気がそうです)

オーラの大きさは大体普通の一軒家くらい、大きい人で百貨店1軒分くらいあります。

だから百貨店などの人ゴミに行くとそこに居る人すべての幽体と重なり合うのです。

その時、どっと疲れます。(疲れるとは取り憑かれるということ)


そして、重なった人の想いも移って来ます。

想いは相手の心と書きますよね。

想いのエネルギーは重いのです(笑)


重いので足元に漂っています。

足が疲れるとはそういうことです。


年齢を重ねていくと足から弱っていくのは重い(想いの)エネルギーを溜めるからなのです。

昔の人は外出先から家に帰ると必ず足を洗いました。

足がマイナスのエネルギー(人の想い)で汚れていることがわかっていたのです。

水虫が出来るのもこのエネルギーが原因です。(水虫は足をよく洗うことで治る)

とにかく足を鍛える、強くすることが大切です。(足も丁寧に洗ってください)

足には全体の筋肉の70%があるそうです。
 

そして下半身に溜まった血を上へ上げて血流を良くするポンプの役割があります。

足を鍛えるには、スクワットが有効です。

ただ、間違った鍛え方をするとかえって膝や腰を痛めてしまいます。
 

私はこの本で正しい “腰割り” をしています。

 

お相撲さんの“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密 元一ノ矢じっぴコンパクト新書


2017年2月 5日 (日)

裏がないので占い

 



占いについてもう少し、詳しく書いたほうがいいと思い、述べていくことにします。

占いとは過去世があると信じている人にとっては受け入れられやすいものです。

過去世という根拠がある、目に見えない証拠?がある、だから裏はない、占いというのです(笑)

ある人の今の現状があまり良くないとします。

自分は頑張っている、努力している、だけど報われない、他の人は自分よりもサボっているのに評価され、良い暮らしをしている。

人間関係、家族関係もうまくいっていない、自分の努力だけではどうしようもない何かがあるような気がする。

過去世の存在を信じているので、そこに問題があるのではないか?

そこまで下準備?心の準備をして占いを受ける人も少なからずおられると思います。

占いの怖いのは、どういう答え?または、アドバイスであっても本人にとって良い状態にならないからです。

仮に

「あなたはこれから良くなる来年は最高だ!」

と嬉しい診断?予言?(適当な言葉が見つかりません)が下されたとしても、占ってもらったことは忘れ、精一杯努力をすればいいのですが、運命に甘えて力を抜くことになる。

そして「そうならなかったじゃないか?」と問い詰めたとしても

「せっかくいい未来が待っていたのに努力を怠ってはダメに決まっているでしょ」と説教をされる、言い逃れをされる。

反対に

「今、悪い状況にある、それはあなたの過去世が原因している」

・・・・大概はこちらのほうです。

夫婦仲が悪くなったのは、

「過去世で貴女は男で、ご主人は女で逆だった、今浮気をされているのは、貴女が過去世で散々浮気をしていたその報いがきているのです、仕返しをされているのです」

と言う、そこで自分を責め、自分の過去世を責め、理不尽な扱いを受けても我慢をする。

でも生身の人間はそう簡単に割り切れるものではない。

悶々とする。

 

またある人には

「あなたは一年後に大病を患うことになる、気をつけなさい」

・・・言われたほうは気が気ではない。

心が縛られエネルギーが停滞します。

元気が無くなり、生気を失う、ほんとうに病気になる

過去世が仮にほんとうにそうだったとしても知らないほうがよいことが多いのです。

守護霊は指導霊としての役割がありますが

「どこそこの占い師のところへ行って指導を受けなさい」ということなど絶対にありません。

なぜならば、占い師のほとんどは、神霊とは次元の違う低い幽界に棲む感情霊、動物霊だからです。(霊とは本来神霊のことであり、低級な魂には霊とは付かないのですが)

占い師に取り憑いて人間の心をもてあそぶ不良霊です。

きつね霊とも言います。

地球が浄化される前の段階では、これらの霊がはびこっています。

今は特に世の中が混沌としているので悪さをする絶好の時期なのです。

地球が浄化されるといづれは消えて無くなるのですが、今は注意が必要です。

あなたがそのような低い霊に惑わかされないか?

テストされる、試されることもあります。

とにかく占いに関するもの(自分で占うことを含め)には近づかないことが賢明です。


 


 


  

占いは絶対にやってはいけない 2

 

占う側も占ってもらう側も大事なことがわかっていない。

運命はその人の守護霊様、守護神様が司っている。

仮にAの運命が今、悪かろうと良かろうとすべて守護霊が導いているのだ。

病気であろうと倒産しようと、人間関係がうまくいっていなかろうと、それは大切なことを自分(あるいは守護霊が頼んだ人間を介して)で気づかせるための守護霊の愛である。

守護霊はAの運命を改善させる為に試練?を与える。

その導きはあまりにも細部に渡っているので占い師などにわかるはずはない。

目先の利益よりもほんとうの幸福を手に入れさせようとしている。

幸福にさせるための守護霊の大きな目的として 「自立」 があるのです。

それを間違った方向へ向かわせようとするのは、守護霊からすれば

「なんてことをしてくれるのだ」

になるのです。

占う側は、相当の代償を背負うことになる。

人一人の人生を狂わせるとしたらその代償はあまりにも大きい。

占った側もAも不幸にする。

人の心を変えるには、愛をもって変えなければならない。

神の愛(守護霊、守護神)と同等の愛でないと導いてはならない。

これは占い師に限ったことではない。

人と接し、導く立場の人は、常に

「神様だったらどうするか?」

で判断しなければならない。

結論を言うと、占いは絶対にやってはいけない。

占ってもらう側は、道しるべ的に参考程度で済ませられるのなら私は完全否定はしないが、信じきってはいけない。

あくまでも自分の判断(常識的な、あるいは直観)を大切にしてほしい。

問題なのは占う側である。

占い師の雰囲気、エネルギーは限りなく、くすんでいる。

暗く怪しげだ

スッキリ爽やかからほど遠い。

そんな状態でどうして人を導くことが出来る?

占えば占うほど、重たいエネルギーを背負うことになる。

取り憑いた負のエネルギーは尋常ではない。

その後憐れな人生を送ることになる。

特に興味本位、仕事のサブで占いを利用することはとんでもないことだとつけ加えておきます。


 

 

占いは絶対にやってはいけない 1

 
混沌とした今の世の中において、占いは、商売の絶好の格好の武器になる。

専門でやらなくてもコンサルなどのサブとして利用しようとしている人たちもいる。

では、占いとはそもそも何なのか?

どういう仕組みになっているのかを簡単に説明しよう。

手相占い、トランプ、星占い、今流行のタロット・・・種類は数々あるが、前世を元に占うことに変わりはない。

例えば、手相には、その人の過去世の想念行為が刻まれている。

過去にどんな人だったのか?(職業など) どんな境遇の人だったのか?

過去世でどんなことを考えていたのか?

・・・それが手の相(顔)に表われているのだ。

現在は過去の延長なので、その人が余程意識改革をしないかぎり、過去→現在というベクトルで現在の様子はおよそ予想が付く。

ただし今述べたようにその人に心境(想念)の大変化があり人生観が変わるとベクトルが変わり全然違う運命を歩むことになる。

当たるも八卦、当たらぬも八卦というのは、そういうことだ。

占いに頼ろうとする人は、自信がない人がほとんどなので、当たる確立は高い。

占い師が今の現状、心境(心の中)を言い当てると、

「えっなんでわかるのですか?」とびっくりする。

この時点で占い師は、先生、人生の師となる。

こうなるとしめたもの、占い師のペースになるのだ。

どうしても自分のことを占いたいのなら本を買えばおなじ結果になるのにそれをしない。

面倒臭いのか?

どこまで人を頼る人たちなのか

そして占い師はなぜそうなのか?の原因を過去世にあったことを告げる。

だが、過去を変えることが出来ないと思っているAは、頭が混乱する。

そこで、「どうしたらいいのですか?」と聞く

・・・・・その後は物(過去世を変えるパワーのあるもの?)を売りつけたり、ずっと通わせるようにしたり、他の輩(やから)と組んでAを振り回し、金銭をむしり取る輩(同じやから)も出てくるのだ。・・・つづく


 

 

2017年2月 4日 (土)

魅力的な人とは?


人によってそれぞれ「魅力」のとらえ方は違うと思うのですが、

ほんとうの意味の魅力的な人とは、会っていてスッキリする人、

話をしていて爽やかな気持ちにさせてくれる人を言うのです。

魅力の魅は、鬼を未(消す)と書きます。

相手の人の鬼(魔、マイナスの想い)を吸い取ってくれると言えばよいでしょうか?

そういう意味では聞き上手の人も魅力的な人になります。

聞くというのは、気(エネルギー)が来るという意味なんです。

だから聞く人は、覚悟が要ります(笑)

相手の人のエネルギーを受けてしまうのですから、

相手の人は話すことで自分の中のエネルギー(ほとんどはマイナス?)を放ってスッキリします。(話の長い人は、かなりストレスが溜まっているのです)

ここでも話すということは放すと同じことなのだとわかります。

言葉というのは真理をあらわしているとつくづく思いますね。

このとき、聞き手の人は相手の想い(エネルギー)をもらってしまうのでどっと疲れます。

疲れるとは取り憑かれるということなんです。(またか(笑))

受けるばかりの人は、重たい荷物を背負っているのと同じですから、荷物が極限状態になればパンクをして病気のような状態になります。

では、どうすれば、相手の想いを消し、自分もしんどくなく、自分も相手の人もすっきり爽やかになるのか?

そし真の強くやさしい「魅力的な人」になるにはどうすればいいか?

それにはエネルギーを

 流す(話を聞き流すという意味ではありません)

 外す 

 消す

 というやり方?が必要です。

これを波動調整といいます。(調和波動気功法)

 

自分の中のエネルギー、放つエネルギーを調えるのです。

そのことについては少しずつ述べていくことにします。


  

2017年2月 3日 (金)

今日は節分

  

お金は感情(勘定)と以前書きましたが、

世界のマーケティングは「・・・しい」「・・・・い」が語尾になるよう、あらゆる手段で誘導しているそうです。

「欲しい」 「美しい」 「おいしい」 「うれしい」 「うらやましい」 「くやしい」・・・・

なるほどこの先にお金が見える(笑)


では、「・・・い」は、「つらい」 「やめたい」 「なんとかしたい」 「めんどくさい」 ・・・ちょっとネガティブな言葉が多いですね。


どちらも感情(勘定)を顕わにするする言葉です。

 

「今日は節分」


鬼(邪気)を祓うのが目的です。

 

鬼は心の中にいる。

 

鬼のように心がいやしく餓えた子ども

無邪気なかわいい盛りを過ぎて生意気なり

悪さをする子どもを昔は

「この餓鬼(がき)~」 と呼び、近所の雷おやじは叱りつけました。

一昔前は、怖いおじさんがいて叱ってくれたものです。


私たち大人は

どこかで間違えて、餓鬼になってしまってはいないでしょうか?

今現在、餓鬼になっていないでしょうか?

「節分」は自分への問いかけの節目だと思うのです。


 


  

2017年2月 2日 (木)

体がかたいと頑固になる

 

心と体はつながっている。

なんとなくそんな気もするのですが、実感としてわかることはあまりありません。

私の妻は、あるスーパーのテナントとして入っている花屋さんで働いているのですが、レジでいつも怒り出すおじいちゃんがいるそうです。

妻は、「なにかストレスがあるのかなぁ?」 と言うのですが、

私は、「そのおじいちゃん体が硬いのかなぁ」 と思うのです(笑)

実は

体が硬くなる=頑なになる=頑固になる

同意語なんです。

一方、体が柔らかい人は、心も柔軟です。(断定してはいけませんが)

病院に入院しているおじいちゃんも元気に体操している人は、治りも早く、退院も近いと思います。

体が柔らかいと血管も柔軟になる、血液も流れやすくなる。

夏場にゴムホースをしばらく外に出していると、硬くなり曲げるとヒビが入り割れそうになります。

体が硬いとは血管がそんな状態なのです。

体の調子が悪くなるとイライラします、ちょっとしたことで腹が立ちます。

呼吸も浅くなりますね。

血圧も上がる、そして体が硬くなっています。


その逆をするのです。

体が柔らかくなる(血管が柔らかくなる)→心も柔らかくなる、穏やかになる。

きつい言葉を言われても、体が健康で、体が柔軟であれば、身体全体で受け止めることが出来るのです。(とげがとげでなくなる)

流すことが出来るのです。

「うちのおじいちゃん最近、頑固で困るのよ」という方、

ヨガや体操教室を勧めてみてはどうですか?

それもいいですが

私はこれをお薦めします。


「どんなに体がかたい人でもベターと開脚ができるようになるすごい方法」Eiko

まず、自分が実践してみる、ほんとだと思う、人に勧めるだと思います。



  


  

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