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2016年1月 6日 (水)

「神と人間」について 正しい宗教と誤れる宗教1







感想

 

正しい宗教と誤れる宗教へ進む前におことわり、訂正があります。

 

前回に書いた因縁因果を超える法4の文章の続きは、去年12月4日に書いた夢はなぜ見るか?になっており、「夢はなぜ見るのか?の最終章」をもって因縁因果を超える法を終了します。

同じ文章の繰り返しになりますので、続きを読みたい方は、申し訳ありませんがさかのぼってお読みください。


では、宗教とは何か?に移ります。みなさん宗教というと仏教、キリスト教、イスラム、ヒンズー教・・・それから巷に溢れる新興宗教を思い浮かべると思います。

そして熱心に宗教をやっている人をなんらかのメガネをかけて見ようとします。

「胡散臭い人、あやしい人」 「心の弱い人」 「変な人」 「自分をわけのわからない世界へ巻き込もうとする人」 「偏った考えを持った人」・・・・・ろくな人には見られないですよね笑)

私も真理の話をすると「それって宗教やん!」と言われたことがあります。

それくらい宗教ってダーティなイメージがついているのです。

しかしここで宗教の良し悪しについての議論をしてもしかたがない、時間の無駄です。

それよりも宗教って一体なんぞや?正しい宗教と間違った宗教ってどこが違うのだろう?

と理解することの方がずっと建設的だと思います。

宗教なんて知らなくていい、そんなことを追求するくらいなら他のことに時間をかけた方がいいとおっしゃる人もおられると思います。

だがしかし、宗教を知るということは自分を知ることでもあるのです。

それもほんとうの自分を識ることになります。

自分のことがわからないのに他人のことを理解することなんて出来ません。

ここはじっくりとお付き合いください。





本文



宗教とはいったい何か、ということが最初に問題になる。


宗教とは、神仏(絶対者)と人間との関係を説き教え、明らかにする道であると、私は解釈する。


この原理に沿って、正しい宗教と、誤れる宗教とを区分し考えてみることにする。


神とは、人間理念の根本であり、智慧(創造力)、愛、生命の根源である。


従って、完全にして、円満、調和せる象徴である。


この完全円満なる力を内にもちながら、業因縁の渦巻きの中で、その渦巻、そのものが自己であると誤認し、悩み、苦しみ、もだえながら、その渦を脱しよう、逃れようとしているのが肉体人間の姿である。


そして、その業因縁の渦を脱して、内なる神性を完全に輝かせた人を、解脱者、仏陀といった。


釈迦はそうであり、イエス・キリストもそうである。


他にもそのような完全神性を現わした覚者がいたわけである。


最初にそうした人たちが、神と人間との関係を説き、人間は完全円満な神性であることを明かし、行じて、人びとを安心立命の境地に導いていった。


自己が完全円満なる神性であることを悟ったら、この人間は業生を越えて救われたことに間違いない。


この導師は、神の使徒たちであって、真の宗教家である。




 


『神と人間』 五井昌久 (正しい宗教と誤れる宗教) より



  


 

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