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2016年1月14日 (木)

「神と人間」について 正しい宗教と誤れる宗教 8




  


感想



自分が 「これは絶対に正しい」 

そして 「これを実行することでみんなが幸せになるんだ」 という大確信があるのなら、どれだけ非難や誹謗中傷を受けようと前に進んでゆく人が真の人だと思うのです。

「こんなことを言ったらみんなはどう思うだろう?」 「損かな?得かな?」 と他人の顔色ばかりをうかがいながら生きている人にどうして世の中を変えることができるでしょう。

「このままでいいんだ」 「自分が金持ちで家族が健康、円満ならば、よその人や日本、他国はどうなろうと知ったことじゃない」と思っている人ばかりなら、地球は破滅の一途をひた走ります。滅亡します。

己の幸せは、自分と人類(地球人類、宇宙人類)とが同時に幸せにならないと何の意味もないと思うのです。

一人だけお金をかき集めて、他の人がみんな貧乏になったとして、それでいいのでしょうか?

自分だけ健康でみんなが病気になってもいいのでしょうか?

自分のほんとうの喜びとは、相手の人が幸せになって喜んでくれることです。

相手の人の魂(本心)を喜ばせることほど、尊いことはないのです。

自分が正しいこと、善いことをして(宇宙法則に則ったという意味です)、その反動で自分に都合の悪いことが起きたとしても、死んだ後でその功績が認められたとしても、やるときはやらねばならぬのです。

私は真理の伝達を何が何でもやって行こうと思っています。




  

本文



かくて、幽界において、ある程度浄化されると、また肉体界に誕生し、また異なる生活の経験を得て、再び、三度、両界における体験を繰りかえし、しだいに、高度の生活に導かれ、ついには、天界にいたり、神格を得て、神界に住し、あるいは、覚者(仏)となって、肉体界、幽界の指導者となるのである。


結局、人間はその人自体が、すでに蓄積した悪想念をいかに巧みに消し去ってゆくかによって、その人の運命の度合が高度になってゆくのである。


桶が汚水で一杯になっていたら、人は必ず、その水をこぼして、新しい水に汲みかえるであろう。


しかし人間は、自分の運命の汚水(悪想念)をそのまま流さずにおきたがるものなのである。


何故ならば、その汚水(悪想念)がこぼれると、その場が汚くなる(その人の生活に起こる不幸や病気をいう)からである。


といって、次から次へと汚水(不幸や病気への恐怖、恨み、怒り等の悪想念)を出しつづけたら、その桶からは常に汚水がこぼれつづけ、その場は、汚水でいたたまれなくなるであろう。


この汚水を消すには、まず清い水をその桶にそそぎこむ(善い想念、愛と感謝)ことが第一であり、それと同時に、その場のふき掃除をすればよいのである。


人間はその忍耐力と勇気が必要である。
  




『神と人間』 五井昌久 正しい宗教と誤れる宗教 白光出版


   





  


   

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