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2016年1月 9日 (土)

「神と人間」について 正しい宗教と誤れる宗教4



 
感想

 

私は奇跡というものについてそんなに大げさには思ってはいません。

日常生活において自分と相手の人との心が通じ合えたり、年賀状を書きながら長らく会っていなかった友人のことを「あいつどうしているのかなあ?」と思い出していたら突然その人から電話がかかってきたり

ふとした瞬間に 「自分はなんて幸せなんだろう」 と思えたり・・・・・等々、予期せぬ嬉しい出来事が起こったときはたとえそれが小さな出来事であっても神様からのご褒美(それが奇跡)だと思うのです。

小さな嬉しい奇跡をたくさん起こすにはどうしたらいいか?


それは、自分の意識(精神)を高めてゆくことだと思います。(調和波動気功法)

目に見えるもの、みえないもの、この世もあの世もすべて波動の世界なので、自分の波動(エネルギー)を高めてゆくと感度(精度)が上がっていきます。

そしていろんな波動と共鳴するのです。(善いものとだけ共鳴するとは限りません、悪いものを消すために共鳴することもあります)

いろんな波動の中には人との出会いもあり、自分が乗り越えてゆくための試練の波動もあります。

自分のエネルギーを高めてゆくと(祈りや印を組むこと、真理の勉強をすることによって)、そのエネルギーに触れたいと待ち望んでいる人たちが目の前に現われてきます。

縁に触れ折にふれ人は人と出会い、触れ合い、魂を磨き合うことによって互いに成長してゆくのです。


話は突然変わりますが(笑)、

精神が調う(悟る)のと現象、物質面が整うのが同時であれば良いのですが、ほんとうの意味での物質面が整うのは、心の変化が起こってから後なのであります。

どういうことかといいますと、目に見えるものは、目にみえない精神面で、ある気づきがあり、そこでその気づきを実践した後にやっと整ってくるからです。

ほとんどの人は、実践をしている途中で挫折
するのです。無限なる成功!

モチベーションを保ち続けるのが難しいからです。無限なる可能性!

なぜ、モチベーションが下がるかというとそれは本心(心の奥底、魂の叫び)から出たものではないからです。(志が低い)

邪な宗教はその辺の心理状態をうまく利用しているのです。
 

感想が長くなってしまいました。

それでは本文をお読みください。





本文





人間は古代から奇蹟を求め、新しい世界を求めつづけた。


人間の力以上のもの、知識以上の出来事、こうしたことを待ち望む心は、本来の神性、自由自在性の顕れの一部であり、常に新世界を求める人類の心の底には、神の国が蔵されていたのである。


この求むる心、希求する心が、一方では科学精神となり、眼に触れ、手に触れる物質から物質へと探求してゆき、ついには現代のように物質波動説にまで進展し、一方では求むる心をそのまま五感の世界を超越して、波動の世界にいたり、さらに超越してあらゆる波動を発する本源の世界に突入した覚者を生んだのである。


そして、この二つの方法が必然性をもって近代の文化を開き、理想世界樹立を目指してゆきつつあるのである。


先覚者釈尊は、自己の肉体を超越して本源の光に達した時、自己そのものが、光明身そのものであることを悟ったのであり、それ以来、自由自在に神の力を駆使して、数多の奇蹟を行い、その弟子たちも、霊界の守護神の力を借りて、それぞれの神通力を発揮した。


仏教学者は釈尊の偉大さを、その哲学的な説教におき、その奇蹟の面は、釈尊の偉大さを称えるための一つの物語的に解釈している向きが多いが、あの奇蹟があったればこそ
仏教哲理が現在のように拡がったのであり、この点、キリストの奇蹟も真実そのものであることを私は明言する。


奇蹟なき宗教は、あまりに広まらないし、人間を魅力しない。


といって奇蹟のみを喧伝(けんでん)する宗教には邪(よこ)しまなものが多い。
 

説教のみの宗教は、宗教の形骸に流れやすく、奇蹟のみの宗教は、かえって、人間を不安動揺せしめる。


近代における既成宗教の大半は形式を教うるのみで魅力なく、新興宗教の大半は、奇蹟的現世利益を説くが、人間の不安動揺の心を根底から救ってはくれない。


その場、その場の現世利益があったからといって、そのことだけで正しい宗教とはいえないが、宗教とは現世の利益など、どうでもよく、死後や未来がよければよい、というのも片寄っている。


また、宗教に現世利益を求めることは間違いで、人間の本体を仏であると観ずること、色即是空、空即是色(ものは即ち空であり、空の中にすべてのものがある)である悟りに入ることのみが宗教なのだ、という人びともある。


これは真に正しい教えなのであるが、現世のように、肉体生活への執着の非常に深い時に、ただ、肉体は仮想であって、実相ではない、と、全然、肉体生活の利害を無視したように見られては、一般大衆との距離があまりにも遠く、これによって真に救われる人は僅少のほんのわずかであると思う。




 
『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版


 

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コメント

そら様  そうだったんですか? 私も忘れていました(笑)
時々、私のブログを読んでくださっているのですね、ありがとうございます。
今後ともよろしくお付き合いください。

こんにちは。

そらと申します。

2013年末に二度もコメントをいただいて
いたにも関わらず、今気がつきました><;
申し訳ございませんでした。

今年もよろしくお願い致します。

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