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2016年1月11日 (月)

「神と人間」について正しい宗教と誤れる宗教5

感想

 

人間の一番の苦しみは、ズバリ死への恐怖ではないかと思います。

貧乏の恐怖も食べていけなくなったら飢え死にしてしまう、路頭に迷ってのたれ死をしてしまう、病気の恐れも間違いなくその先には死があります。

生きていることの感動や喜びさえも「いつかは死んでしまうんだ」という恐怖で割り引きされてしまうのです。(なんともったいないことか)

巷の話題も、「〇〇さんがガンになった」 「△△さんが自殺した」 

「□□さんの店、会社が潰れた」(ごめんなさい暗い話ばかりで)・・・などと結局は死と直結するような内容が多いのです。

死への恐怖がある限り人間は常に死という不可解(理解していない)なものと戦っていかなければならないのです。

人間のほとんどは、死は永遠の死だと思っています。

肉体の中に心(魂・精神)があると思っているので、肉体の死は、魂の死を意味します。

肉体が無くなればほんとうに心も消えてしまうのでしょうか?

これだけインターネットが普及し、真実が知られるようになったのに、肉体の死は永眠ではないとかなり多くの人がわかってきている(それでも少数ですが)にもかかわらず、それを信用しようとしない。

今の自分の魂(心、気持ち、精神)は永遠に生きつづけるんだと思った方がずっとずっと嬉しいことだし、恐怖心も消えるにもかかわらず、どうしてネガティブな方を信用しようとするのか?

どちらかわからないのであればポジティブな方を選択すればいいのにと思うのはおかしいでしょうか? 多数決で決めているのでしょうか?

私が人間とはなんとも不可解な生き物なのだなあと思う一番の要因なのです。

と言っても、肉体の死というものが何を意味するのかがわかっていたとしてもこの世的な別れは確かに辛く悲しいものです。

あの世(霊界・神界)でその人が生きているんだとわかっていてもこの世(肉体界)で会えなくなるのは確かに辛いのです。

そこでこう思ってはどうでしょう?すごく仲の良かった友だち(親子でもいい)が急に遠くへ転校することになった、連絡先を聞けずに去って行ったので、どこでどうしているのかがわ

からない。(今はネットの時代なので判らないというのは現実的ではありませんが)

ただ風の便りで 「新らしい地で元気にしているらしい」 と聞いた

「いつかまた縁があれば会うこともあるだろう」 くらいに死を理解していればいいと思うの

です。

かなり前になりますが、映画(邦画)で『よみがえり』という作品がありました。

自殺した男子学生や亡くなった夫、恋人、知人があの世から現世に帰って来たという内容です。

この世(3次元)とあの世(4次元、多次元)はらせん状で繋がっていて、ほんとに近くにあるのです。

ただ目にみえないだけです。

現に私たちの祖先(悟った)である守護霊さんや守護神さんたちは24時間プラスαで守り続けてくださっています。

守護霊や守護神のご加護がなければ私たち人間はとっくに死に絶えているのです。

では、目にみえないもの(霊も含む)が見えるようになったほうがいいのか?

幸せになるのか?と言うとそうでもありません。

守護霊守護神の姿も見えると同時に幽界のオバケちゃん(悟り切れなかった浮遊霊たち、汚いものも)も見えてしまうからです。

相手の人の心もはっきりとわからない方がいいのです。

霊的ではないけれど、神仏の存在をわかっているし、知っている、そして真理(人間神の子であること)を識っていることが一番良いのではないかと思うのであります。

 
下記の本文では、五井先生が肉体の死についてわかりやすく説明してくださっています。

一人でも多くの人が肉体の死を正確に理解されることを願っています。



本文

 


私は肉体生活がある限り、肉体生活の利害を全然思わぬ、というような教え方は無理であると思うので、肉体生活の利害も認め、その利益もあり、幽体の存在を認め幽界を知らせ、幽界における死後の生活の方法を教え、さらに一番大事で、肝腎な、人間は神そのものである、ということを悟らせる方法が、前者の各方法よりさらによいのではないかと思う。


私はここで、第三章で書き漏らした、死後の世界、即ち、幽界について、述べておきたい。

死後の世界をここで説明しておかぬと、誤れる宗教について述べる時に読者にわかりにくいことが多いと思うからである。


人間世界におけるすべての不安の根底は死の恐怖にある。


いかなる種類の苦しみに直面したとしても、死への恐怖を超越した人にとって、その苦しみは、心の痛みにならない。


死ほど、人間の関心をそそる出来事は他にあるまい。


死は人間にとって終りなのか、転移なのか、この謎が解けることによって、人間の進歩は一段と早まるに違いあるまい。


人間は肉体人間の消滅によって失くなってしまうものではない。


これは先章から私が説いていることなのである。


死とは幽界(以後は霊界を含めて)への転出なのである。


肉体の死とは幽界への誕生なのである。


死ぬことを往生(おうじょう)といったのはこのことを昔の人は知っていたからなのである。


肉体が死ぬ、ということは、その中の神につながる分霊が(後にはただ霊という)幽体をつけたまま、肉体を抜け出た後の状態をいうのである。


先きの章と重複するが、人間とは肉体ではなく、霊そのものをいうのである。


肉体とは霊の容(い)れものであって、霊の心のままに行動するものなので、ちょうど自動車が運転手によって走っているように、霊の運転によって種々の行動をなすのが肉体なのである。


ただ先きの章で述べたように、直霊(神)から分かれた分霊が、まず幽体を創り、その幽体を下着やシャツのように着け、その下着をつけた上に、肉体という上衣(うわぎ)を着けた姿を、普通は人間と呼んでいたので、その肉体の消滅を、人間の消滅、と残された肉体界の人びとは思いこんでしまっていたのである。




『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版


 




 

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