『神と人間」について正しい宗教と誤れる宗教6
感想
肉体界には、つまり現世には、ほんとにいろんな人が生きていると思うのです。
日本人だけではなく他国の人もそうですが、一番不思議なのは、心の美しい人、普通の人、心の醜い人(無限なる光!)たちが同じ家族で同居していたり、学校であり、職場、会社に同時にいるということです。
同じ意識の人たちが同じ場所に集まることもあれば、違う人が入って来ることもある。
美しい心で調和が取れていれば、その場は愛であり平和であり、一方汚れた想念で一体感がないところには二元対立が生まれ、不調和な関係になる。
この世を生きてゆくのに一番難しいのは言うまでもなく人間関係です。
“コミュニケーション力”の大切さは、仕事が出来るよりもなによりも、どんなことよりも必要であると言われています。
人と人とが判り合える、愛し合えるにはどうすればいいか?
それは人間の永遠のテーマであったわけですが、実は真理を知ると以外と簡単でシンプルであることがわかります。
それは、自分が何者であり相手の人が何者であるかを知れば解決するのです。
人間とは一体何者であるのか?
それは“神の子”であるということです。
創造主である宇宙神と同じ、神様仏様(キリスト様やお釈迦様)と同じ、そして自分は守護霊、守護神でもあるということが判れば、自分とは神性(神聖)なるものだとわかります(我即神也)。
そして自分自身が神ならば相手の人も神そのもの(人即神也)であることがわかるのです。
自分も神、相手の人も神、神性なるもの(善なるもの)だとわかれば、自分のことを尊敬し、相手の人をも敬うことが出来るのです。(たとえ今は、神性を現わしていないとしても)
問題はどこに意識があるか?なのです。
自分を神の子と意識しているのか?
自分や他人をどうしようもないバカな悪魔の子と認識してるのか?
意識した通りの自分になれます。
思った通りの自分が自分を顕すのです。
それが創造主であるという証です。
正しい宗教とは、人間神の子、仏の子であることを示す教えであるのです。
本文
これを物理学的にいうと、霊体は非常に細かい周波数をもつ波長の体であり、肉体は粗い周波数をもつ波長の体であり、幽体はその中間の周波数をもつ波長の体である、ということになり、分霊はその三つの体を自己の体としているのであるが、肉体に入るには必ず幽体をつけてゆかねばならぬのである。
それは霊体から肉体に移るには波長の周波数があまりに違い過ぎて合わぬからである。
幽体は霊と肉体を結ぶ役目をもっているのであり、霊の念と肉体人間としての脳髄の想いとを、その体に録音しておく役目をもつのである。(この場合幽体を念体ともいう)
肉体人間の死によって人間(霊)は幽体をつけたまま幽界において生活する。
この幽界にも肉体界(現界)と等しく、種々な生活があり段階がある。
その生活は幽体に蓄積されている想念の通りに実現されてゆく。
この人の想念が憎しみに充ちていれば、憎しみに取りまかれた生活をする、というようになるのである。
従ってその蓄積された想念の種々相であるように、幽界の段階は細かくいえばかぎり無いほど分れているが、大別して、天界、人界、地界というように三段階に分けられる。
この段階の上位は天界で、愛深き人、物質欲少なき人、執着少なき人、等々、神の心に近い人びとが住み、この界においてもさらに細かい段階がある。
人界とは、この肉体界における普通人であり、平均点の人びとの圏であるといえよう。
地界は、愛に背くもの、物質欲深きもの、執着強きもの、自我心強きもの、怠惰なるもの、等々、神の心、すなわち本源の心に遠いものが、その業因縁を消滅せらるるために住む世界である。
『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版
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