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2015年12月 3日 (木)

『神と人間』について 夢はなぜ見るか?3




感想


 

私の友人(女性ですが)で、ご主人を突然死で亡くされた方がおられます。

子どもさんがまだ小さく、随分とご苦労されたのですが、これなどは、悲劇そのもので、奥さ
んや子どもさんがかわいそう、どうしてこんな目に遭わなければならないんだ、旦那さんは
さぞ無念だっただろうと周りの人は言うのだと思うのですが、私は冷たい奴だと思われて
も、そうは思わないのです。

だって自分で死を選んだ(自殺)でない限り(自殺も寿命ですが)、肉体の死は、守護霊守
護神のご計画によって行なわれるからです。
守護霊さんは、何度も述べているように、私たちのご先祖です。私たちをこよなく愛し、幸
せになるように一生懸命に施し、応援してくださっています。

だから私たちを不幸にすることは絶対にないのであります。

ご主人の突然死も、ご主人が肉体界よりも霊界、神界に行って働いたほうが良かったから
かもしれないし、残された家族が以前よりもより協力して素晴らしい人間になるためにベス

トの運命だったかもしれないのです。それはご家族が薄々感づいていると思うのです。

「お父さんは死んでしまったけれど、僕たちはしっかりと自立し、幸せに生きています」・・・
と。

もちろん、守護霊、あるいは守護神になったご主人が、霊界、神界からご家族をしっかりと
見守っていることは間違いないと思うのであります。







本文





そこでこうした人を守るためには、先程の二例のように、他の人に送念して、他の人から注
意や、助太刀をしてもらうことにする。
 

この時の相手は、必ず過去世において、守護霊同志、または、肉体人間同志が、因縁浅
からぬ者でなければ駄目なのである。
 

しかし時には、その被守護体の人間が、あまりにも業因縁が深く、迷(無明)で分霊の光を
ほとんど覆ってしまっている場合には、いかに守護霊が全力を挙げて浄めたり、奔走した
りしても、通じない。
 

仕方がないので、守護霊は、守護神に救援を願うのである。
 

すると守護神はこの願いを聞き入れて、大いなる神の光を、その肉体人間に放射する。
 

この光は業因縁を通して、分霊に通じ、分霊の光の力が増してくる。
 

この時、なんとなくこの肉体人間の心(脳髄)に宗教の関心が湧いてくる。
 

この場合、たんにご利益信心的な心であるかも知れない。
 

それでもよいのである。
 

この人間にとっては、その気持ちの起こったことが、一歩も二歩もの進歩なのである。
 

その時、守護霊は、その機会を逃がさず、その人間に適当する宗教に、その人間を導くの
である。
 

また、ある場合は、守護神の光によって、一挙に幽界に転出してしまうことがある。
 

いいかえれば、急死してしまうことがある。
 

それは、そのほうが、この人間の進歩に都合が良いからである。
 

以上のように守護霊は肉体人間と一つになって、人間を善導しているのである。
 

人間が、自己の運命を改善し、幸福になりたいとするならば、ただ、守護霊に自己の運命
を委せればよい。
 

守護霊さん、ありがとうございます、守護神さん、ありがとうございます、神様、ありがとうご
ざいます、と常に感謝していればよい。
 

この心が神への全托なのであり、守護霊の活躍を充分にさせる一番よい方法なのである。
 

この心でいれば、その人の行動はおのずから、調和した整ったものになり、生活は楽しく
楽になるに決まっているのである。
 

何故ならば、守護霊、守護神、と真っ直ぐにつながり、そのつながりによって、その光に
よって、業生の因縁因果の渦巻からいつの間にか離脱でき、分霊本来の光が直霊(神)
につながり、肉体をもったままで、人間神の子の実観を、真に体得できるのである。
 

守護霊を知らず、守護神を知らず、ただいたずらに、精神統一法をしたり、坐禅を組んだり
した場合、その精神統一で、やや空になった肉体に、幽界の魂魄が感応してくる場合があ
る。
 

こうした場合、守護霊により、自然法爾(しぜんほうに)整った、生活態度、いわゆる明るい
楽しい雰囲気とは違って、何か、非常識な、他人に不快を感じさせるような雰囲気を持つ
人間になる。
 

私はただ、素直に、守護霊、守護神に感謝してその人、その人の生活の業に励んだほうが
楽に、自然に、神につながり、悟れる、と信じている。
 

いかなる困難な事態がその人の前に起ころうとも、守護霊の守りを信じ得る人は、必ず、
その事態は光明に転ずるのである。
 

この場合、守護霊はいったいいかなる人か、などとその人の生前の戸籍調査などしなくと
もよいので、ただ、誰方(どなた)か知らぬが、自分に関係の深い祖先の一人が、神様につ
ながる強い力で、守って下さるのだと、素直に思っていればよいのである。
 

もし迷う事柄があったら、心の中で守護霊さんを呼びながら、その裁断を願えば、必ず、な
んらかの形で、その答をしてくれる。
 

それは前に述べたように他の人に逢って、その人の口から聞かされるかも知れぬ。
 

あるいは、ピン、と直感的にひらめくかも知れぬ。
 

ただ、この場合、前者なら、最初の直感が、その答である。
 

その答がいかに、現在の自分に都合が悪いように思えても、それは後によくなる方法に違
いないのである。
 

それを信じなければならぬ。
 

第二直感で出てくることは業因縁の答であるから、よくよく注意せねばならぬ。
 

業因縁の答は常に甘い。
 

都合のよさそうな答が多いので、つい、この答にひきずられることが多いものである。
 

だから、常日頃、守護霊を信じ、感謝の想いを抱いていなければいけない。
 

弘法大師が、同行二人(どうぎょうににん)といったのは、この人間生活は自分一人で生き
ているのではなく、守護霊と二人連れなのだ、神様と一緒に生きているんだ、ということで、
キリストの、神常に汝とともにあり、という言葉と同じである。
 

ただ、一般の人たちに、神、という風に、あまりに大きな、高い感じのものより、守護霊とい
う、自分自身と直接つながりを持つ、祖先のしかも力ある霊が背後で常に守ってくれてい
る、と思うほうが非常な親近感で、念じやすく、かえって神に統一する環境になりやすい。




             『神と人間』 五井昌久 白光出版









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