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2015年12月23日 (水)

「神と人間」について 因縁因果を超える法2



感想


私は、小学3年生まで九州の大分県のある町で過ごし、そこから父の転勤で大阪に移り、大阪の小学校に転校しました。

大分にいる頃の私の生活はなんの不満も不足もなく仲の良い友達が毎日のように私の家に遊びに来て、夕方遅くまで楽しい時を過ごしていました。

ところが大阪に拠点が移ったとたん魔のような日々が待っていたのです。

クラスメートたちによる言葉に出来ないような陰湿ないじめです。

嫌がらせは6年生の卒業式まで続き、それまで後ろの方に並んでいた背が最後の学年にはほぼ最前列になっていたのです。

精神的なことによる発達障害だったと思います。

私はいじめられる所以(ゆえん)が子ども心に

 「方言にあったのだ」 と思っていたのですが、そうではなかったのです。

随分大人になって、W先生にその頃にいじめられていたことを話すと、

「あたり前です、あなたが前世で散々その人たちを痛めつけていたからです」

と言われたとき、私の中のトラウマがスーッと消えてゆくのがわかりました。

「そうだったんだ、私が酷いことをしていたことが返ってきていたんだ」・・・・

それからしばらくして「誰が行くものか!」と頑なに拒否していた小学校の同窓会に参加することにしました。

そこに来ていた元いじめっこ達は、私を不思議そうな目で見ていたことを覚えています。

という私も喧嘩両成敗のような心境で彼らを見ていました(笑)

「逃げないでここに来て良かった」 と思いながら・・・・。








本文

 


幽界や霊界においては、その想念は直ちに現われ、その念は、すぐに自分自身にかえってくるので、どういう念が、どういう風に自分にかえるのかが体験としてわかるのであるが、それでさえも、なかなか、その業因縁の念を消すことができがたいのである。


まして非常に粗い波の体をもつ肉体世界の人間の、

しかも、その人間と相手の間にある業因縁の種類さえも知らず、ただたんに一般論の心の法則だけを利用して、指導しようとすることは実に危険なことであって、かえって相手の進化を妨げ、浄化を乱すことになるのである。

 

“人を審(さば)くなかれ”

“愛はすべてを癒す”

“神は愛なり”




私はキリストのこれらの言葉をその人びとに与えたい。


自己の功名心の満足や、知識に偏した愛薄き人びとによる人間指導ほど逆効果なものはないのである。


愛深き人のみ、人間心理の指導者たり得るのである、と私は強くいいたい。


業想念は過去世の過去世から流れつづいている波の連続である。


この五十年、六十年の肉体にのみあるものではない。


まして、各人の肉体的環境(病気や幸、不幸)がその間の二年や三年に起こした念(おもい)の現われとして、できあがったり現われたりしたものではない。


誰が見ても立派な心の人が不幸になっており、どこから見ても悪いように見える人が、人も羨む幸福を得ている例は枚挙にいとまがない。


だから簡単に人を責めたり、審(さば)いたりすることはできないのである。


人間はそれぞれ、各種各様の因縁の心を持っていて、Aの善なる生き方を、Bが必ずしも真似られるものではなく、Bが何気なくできる善行為をAがその通りにできるものでもない。



一字、一線においてさえ百人百様、千人千様なのである。


ただ、非常に似通った心の人とはなはだ異なる心を持つ人とがある。


これを想念の類似、あるいは因縁が合う、合わぬ、ということになるので、こんなためになる本をあの人は何故読まぬか、といって、その人が、自分の薦める本を読まぬ、という理由で、その人を低級視する人があるが、それは低級視するほうが間違っている。


バッハや、ベートーベンの曲は素晴らしい音楽である、と思う人が、それらの音楽に無関心で、流行歌謡に熱中している人を、ただそれだけのことで軽蔑したら、これも誤りである。
 

宗教に入って現在熱心な人であっても、その熱心さが利己心から発している人もあれば、今、宗教に無関心のように見えている人の心が純粋な愛に燃えている場合もある。


現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


それ故私は、その人、その人に最も適切なる指導をしているものであるが、その指導は次に説明するような原理、法則を元としているのである。


                   

                      つづく





 『神と人間』 因縁因果を超える法 五井昌久 白光出版

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