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2015年12月19日 (土)

 『神と人間』について 守護霊、守護神 4

  

感想 



人間には、いろんな人がいて、神さま仏さまのような素晴らしく、光り輝いている人がいるかと思えば、極悪非道で動物以下(動物さんごめんなさい)の人もいて、同じ人間なのにどうしてこうも違うのだろう?

そして神性を顕している人を見ると、人間は本来、善であるという「性善説」だと思い、狂った人を見ると人間は悪魔だ悪の心を持ったどうしようもない生き物(性悪説)が本当だと思うのです。

おそらくほとんどの人は、あるときは人間神の子、またあるときは、悪魔の子と人間観が二転三転していると思うのです。

だから自分のことも、「自分は素晴らしい!」と自画自賛することもあれば(あまりないか)、「自分はなんて駄目な奴なんだろう」(無限なる可能性!)と卑下をする自分がいる。

「神様、いったい自分(人間)とは何者なんですか?教えてください」 と聞きたくなりますよね・・・・・。

その答えがズバリ下記の本文(これから先の文章に)には書かれているのです。



 

本文


 
   
この幽界における分霊を霊魂といい、肉体界にいる期間を魂魄(こんぱく)という。


いいかえれば、霊とは神であり、神性であり、魂魄を因縁性とよぶのである。


従って、分霊は、霊界に本住する神でありながら、因縁世界に降っては魂魄(こんぱく)であるといえるのである。


人間の本性としては、霊(神)であるので完全円満であり、行き通しであるが、分霊の念波から生じた業生は、業因縁となり、幽界、肉体界を輪廻転生して生まれ変わり死に変わりするのである。


仏教でいわれる、人間本来仏性なり、とは、どんなに業因縁の迷路にいる人間でも、その中味はすべて仏のいのちである。


私流にいえば、分霊の光であり、直霊の光であり、宇宙神そのものの光(いのち)である、というのである。


人間の性は善なるや、と今までに多くの人びとが、性善説、あるいは性悪説を唱え、論じあってきたが、人間の本来性には善も悪もない。


人間はただ無限の光(神)の創造性を行動に移し、神の姿を客観的に現わそうとしている者であって、悪といい善というも、全面的に神が現象界に現われるまでに織りなす光と影の交叉であり、悪(影)と現われている姿、行動も、より大いなる善(光)を現わさんとする一瞬であり、善と現われている姿、行動すらも、より偉大なるすべてを含めた善(光)を現わさんとする過程の一瞬である。


初めに分霊が、宇宙神の創造を顕現するため、その創造性を光の線と彩なして、幽界肉体界を創造してゆく過程において、みずから発した念波の業因の中に、しだいに自己の本性を見失っていったことは、前章においてすでに説明したのであるが、これは一見、無限の智慧の持ち主である神の行為の失策の如く見え、この点を疑問に思う人々が多数あると思うので、この点についてちょっと説明してみよう。



                  
                  つづく





『神と人間』 守護神守護霊について  五井昌久 白光出版



  

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