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2015年12月26日 (土)

「神と人間」について因縁因果を超える法 5



感想


私は占いが大嫌いです。

人生を悟ったような顔や態度をして、上から目線で

「あなたの過去世はこうだったから今こうなっているんだ」

「あなたの人生を変えたいのなら私の言うことを聞きなさい」などと横柄な対応をする。

もちろん最初は相手の心を摑むためにいろんなテクニックを使うとは思うのですが、人の人生をもて遊んでいることには違いありません。

そこには愛がないと思うのです。(本人は愛だと思っているかもしれませんが)

人生を正しく導いてくれるのは、守護霊さま守護神さまだけです。

それはほんとうの親だからです。

心の親、魂の親、ちなみに肉体界の親はほんとうの親ではありません。

もちろん相手の人への愛がほんものならば守護霊と同等となりますが、肉体界の親には愛だけではなく愛情という“情”が絡むのです。

愛を語っているつもりでも、そこに自分の欲望が入っていたり、甘やかしたりすることを愛だと錯覚している。

愛情は愛の中でももっとも低いレベルの愛です。(愛から出た情もありますが)

人間の魂を成長させるものではありません。

そのことが心の奥底ではわかっている(これでいいのか?と自問自答する、後悔する)ので親は苦しむのだと思います。




 

本文




しかし、これは一回の肉体世界即ち、五十年や六十年だけの想念をいうのでなく、三回、五回、十回と生まれ変わった数百年、数千年、数万年間の想念の蓄積が順次縁となり、果となり、また因となり縁を生じ果となって現われているので、この現在の肉体の三十年、五十年の心の想念だけを自己の想念だと思って


“私はそんな悪いことを思わないのに、こんなに悪いことばかりある” という人がある。

また “私はお嫁に行きたい、といつも思っているのに、いつまでたっても嫁がれない、だから自分のままになるなどという法則は嘘である”等々現在の肉体界だけの想念で判断すれば、なかなかうなずけない。


しかし、この法則は、自然の法則の、物は上から下へ落ちる、ということや、電流の法則と同じように、絶対なる法則なのである。


想うことは必ず現われる。


この法則を知っただけでも、知らぬよりは進歩が早く運命改善ができやすいがこれを逆に応用し、反対に考えると、かえってその人自身や人を傷つけ、痛めてしまう。


想ったことは必ず現われる。 

この言葉を真剣に考えている人で、自分は恐怖心が非常に強い。

自分のように恐れる心の多い者は、この心の法則の通り、必ず恐れる事態が起こるに違いない。


恐れることはみな来るのだ、と、その法則を知ったことがかえって仇となって日夜恐れつづけている人がある。


またある人は、他人のために常に真剣になって心配苦労し、そのためいつも貧乏している人に向かって、

 “あなた貧乏したい心があるからいつも貧乏しているのですよ。富む心を起こしなさい。

あなたが貧しい心があるから、貧しい人ばかり側によってくるのですよ” と説教した。


このため、この人は善事をなすことに対して、大きな疑いを抱き、それ以来、愛行が乱れていった。


これらの例に見られるように、心の法則(因縁)だけ思ったり、説いたりすると、実に間違った逆効果になりやすい。


“あの人は、あんな心を持っていたから、あんなになったんだ” 式に、なんでも悪く現われている場合は、その人の心のその悪い原因があるんだと、決めつけられたり決めつけたりしていたら、まことに愛も情もない人生になってしまう。


法則を知ったために、人を傷つけたり、自分を痛めたりするのは神の本性を知らない無知から起こるのである。


神は愛である。 

愛であるから、守護神を我らにつかわし、守護霊を任じて、人間世界の悪因縁を消滅し去ろうとしているのである。


守護霊を信じ、守護神を想い、神に感謝しなければ、いくら因縁の転回や、心の法則を知ったところで、人間は永久に救われない。


こちらが知らなくとも、守護霊はただ、黙って人間を守っていてくれる。




                    つづく


 


神と人間 因縁因果を超える法 五井昌久 白光出版





 

2015年12月25日 (金)

近未来の日本、そして地球人類 4

 
 
病気が無くなり、みな健康になってゆく、医者、薬が要らなくなる


  
病気そのものに関しては、良心に目覚めたお医者様が

「今の医学(西洋)では人を救えない」「無力である」

と気づき、患者さんの立場に立って真実を述べ始めています。

ガンの治療には、三大療法(手術・抗がん剤・放射線治療)がありますが

どれもダメだとわかっている(根本治療ではない)

そして、人間には自然治癒力(無限なる力)があり、僅かの人ではある

けれども、どう見ても死期が近い末期ガンの患者が奇跡的に完治して

いる姿を見て

「人間には偉大な力が宿っている」と気づいているのです。

ただそれを証明できない。

だから証明できることだけを間違っている(最良ではない)と思いつつ続

けているのです。

人間には神秘的な偉大な力が宿っている!それを人間が心から信じることが

できれば、すべての病気が消えて無くなるのです。


そして何事もそうですが、基本的なこと、原理原則が大切ですね。

人間は光のエネルギー体(波動体)で出来ていて、エネルギーは血管の中

を通っています。

健康な状態とは、血流がスムーズに流れている姿です。

血流がすべての病気の元凶だったのです。

だから血流というエネルギーがスムーズに流れるようにしてやればいい。

そしてそれは自分で十分メンテナンスできる。

お医者様や薬に頼らずに、です。

自分を癒すことが出来るのは自分自身しかないのです。

自分が主でお医者様や薬は従です。

それも99%が自分です。

そのことを立派なお医者様はおっしゃっています。

ご自分の仕事(職業)が無くなってしまうことを覚悟しています。

これからの医療は、「人間には自然治癒力(無限なる力)があり、どんな病気も

治ります」「治すのはあなたです」と教えるアドバイザー的な仕事に変わってゆく

のだと思います。


ここまで読んでまだ?信じられない人は下記の本を読んでみてください。

私の述べていることが真実だとわかっていただけると思います。

 

 
推薦図書

「免疫を高めると健康になる」 福田稔・安保徹監修 マキノ出版



「神と人間」について因縁因果を超える4

 

感想
 
 

私たちの住んでいる世界が肉体界だけであるのなら、守護霊守護神、宇宙の神様も必要ないと思うのです。

ただほんとうにそうだとしたらすべてのことを肉体の自分がやらなければならなくなります。

子どもを産むのも男と女が作り上げる?

「目はどうやって作るのか?」 「血管や細胞はどこから取っ
て来るのか?」

「心臓、肺、頭、足・・・・・・・」・・・・とてもじゃないけれど神様や守護霊守護神のお力を借りないと作れるわけがない。

それどころか人間は樹に生茂っている葉っぱ一枚さえ作れない。

空気も水にもすべて、なにかとてつもない偉大な力(サムシング・グレート)が働いているのです。

ましてや空や宇宙(大自然)なんてどうなっているのかわからないことだらけです。

そのことからも目にみえる肉体界しかないわけがない。・・・・・とわかりますよね。

目に見える肉体界のことでさえ悩みに悩んで迷って、まともに生きていけないのにあちらの世界(幽界、霊界、神界)からやって来る未来のことなんてわかるはずがないのです。

そんな私たちに「これからこうなるのだよ、だからこうしたらいいんだよ」とインスピレーションで教え、導いてくださっているのが、守護霊さま守護神さまです。

私たちは自立なんてしてやしない。

よちよち歩きもいいところです。

それを一端に 「俺は自分の力で生きているんだ」 とつっぱっている。

背後にいる神霊たちは、「バカだなあ」と思いつつも愛の心で見守ってくださっているのだと思います。



 
 

本文

 


お祖父さん、お祖母さんが、自分の背後にいて、霊の眼で、霊の耳で、子孫である自分の運命を予見し、悪い運命への道から、善い運命へ、導いて下さるのである。



それはちょうど、父母が小さな子どもの手を取って、あちらだ、こちらだと、引き廻してくれるのと同じことなのである。


しかし、肉体の父母にはその子の将来の運命は一分後のこともわからない。


が、守護霊はその子孫の将来に起こる出来事をよく知っていて、その子孫の運命を幸福へ、幸福へと導こうとしているのである。


個人の運命とはまず幽体に各自の想念が記録され、その記録された想念を現界に実現さすべき、各種の材料(環境)が自然に整い、幽界に一応原形ができあがり、やがて時を経て、肉体界の想念が縁となって、この幽界の運命がその人の現実の環境に浮び出てくるのであって、守護霊の修正がなければ、その想念の誤りは、誤りのままに現界の運命として現われる。


守護霊を一応考慮の外において考えれば、その人の想念のままの環境が現象に現われるので浄まった想念の人は浄まった環境、汚れた想念の人は汚れた環境、憎しみに充ちた想念の人は憎しみに充ちた世界を、盗み心の想念は盗み盗まれる世界を、淋しい想念の人は淋しい環境を、それぞれその人の運命として現わしてゆくのである。


これは業生(ごうしょう)の法則なのである。



                 

                  つづく



 

  『神と人間』  五井昌久 因縁因果を超える法 


  


 

2015年12月24日 (木)

「神と人間」について 因縁因果を超える法3




感想
 

話は全然違うのですが、今、小学校や中学で勉強についていけなくなって、そのまま高校生になってしまった子供たちに過去にさかのぼって基礎からを徹底して教えようという学校が出来ているのです。

その授業とは、モジュール授業というのですが
 

モジュール授業とは 

授業を15~30分に区切って集中して学習の基礎を徹底反復する時間をいいます。



私はこのやり方は 「非常にいいなあ」 と思うのです。

人間はどこかでつまずくと理解不能(わからなく)になり、先へ進めなくなります。

そしてみんな(世間)から遅れを取り自己嫌悪に陥り自暴自棄になります。無限なる愛!

いったいなにが言いたいのか?と申しますと(笑)

私が述べておりますこの 『神と人間』 の感想や本文はシリーズ化しています。

だから最初から全部を読まないと意味がない、つじつまが合わなくなる

ゆえに、理解出来ないから「面白くない」と思われると思うのです。

確かにそうです、そうなんですが、どのページをめくっても面白い、各頁(ページ)は各ページで完結していると思っていただければ嬉しいのです。(そのつもりで作っています)。

現代人は忙しくて短い時間で悟ろうとしています。

悟るというと大げさかもしれませんが、腑に落ちることは嬉しいものです。

嬉しいことを連続させてゆくと幸せ(真理)につながります。


また本文の内容からまったく外れてしまいました。ごめんなさい。
 

ところで下記の本文にはとてつもなく凄いこと、素晴らしいことが書かれています。

人間の基礎がわかるとでも言うのでしょうか?

冒頭に述べたモジュール授業ではないですが

是非、人間の基礎(ルーツ)を知ってください。それが幸せになるメソッドになります。






本文




現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


それ故私は、その人、その人に最も適切なる指導をしているものであるが、その指導は次に説明するような原理、法則を元としているのである。


この現界は潜在意識(ひそんでいる心)、と顕在意識(あらわれている心)とがぐるぐる廻っているので、顕在意識(普通いう心)に想ったことは、すべてそのまま潜在意識(幽体に属する心)に記録され、その記録された想いが、表面の心、顕在意識に記憶として浮かびあがり、ある時は、直接行動として、言動に現われる。


そして、その現われた言動がまた再び潜在意識に録音される。


こうした、ぐるぐる廻りが、その人、その人の運命となって現われているので、その理をまず知った上、幽界、肉体界を通して各人の運命を修正している守護霊の働きを観じなければ、運命を善くすることはできない。


人間が普通、心は一つよりないと思っているようだが、心は、宇宙神の心から始まって直霊(人間界における神)の心、分霊の心、幽体界の心、肉体界の心の他に、直霊と位を同じくする守護神の心、それに各個人個人に常に附き添っている守護霊の心との七つの心があるのである。


この守護霊に素直である人が神に素直であることになり、その人の進歩を非常に促進させるのである。


が、今までにこのことを知っている人はまことに少ない。


人の進歩は、ただ精神分析や、心の法則の活用だけではなかなかむずかしい。


まして、精神分析や心の法則はおろか、神も仏も何もなく、ただ肉体の自我だけで生活している人が多い世の中で、真に素直な自分になることにはかなりの努力がいる。


誰でも幸福になりたくて働き努力するのだが、なかなか幸福にならない。
 

幸福になる秘訣は素直になることである。
 

素直とは肉体の人間に素直になれというのではない。
 

真理に素直になれというのである。
 

いいかえれば、神に素直になれというのである。


神というと何か遠い気がするし、つかみにくい気がするだろうから、守護霊に素直になれというのである。


守護霊とはおおむね祖先の霊である。


お祖父さん、お祖母さんが、自分の背後にいて、霊の眼で、霊の耳で、子孫である自分の運命を予見し、悪い運命への道から、善い運命へ、導いて下さるのである。



                    つづく


  

『神と人間』 五井昌久 因縁因果を超える法 




 

2015年12月23日 (水)

「神と人間」について 因縁因果を超える法2



感想


私は、小学3年生まで九州の大分県のある町で過ごし、そこから父の転勤で大阪に移り、大阪の小学校に転校しました。

大分にいる頃の私の生活はなんの不満も不足もなく仲の良い友達が毎日のように私の家に遊びに来て、夕方遅くまで楽しい時を過ごしていました。

ところが大阪に拠点が移ったとたん魔のような日々が待っていたのです。

クラスメートたちによる言葉に出来ないような陰湿ないじめです。

嫌がらせは6年生の卒業式まで続き、それまで後ろの方に並んでいた背が最後の学年にはほぼ最前列になっていたのです。

精神的なことによる発達障害だったと思います。

私はいじめられる所以(ゆえん)が子ども心に

 「方言にあったのだ」 と思っていたのですが、そうではなかったのです。

随分大人になって、W先生にその頃にいじめられていたことを話すと、

「あたり前です、あなたが前世で散々その人たちを痛めつけていたからです」

と言われたとき、私の中のトラウマがスーッと消えてゆくのがわかりました。

「そうだったんだ、私が酷いことをしていたことが返ってきていたんだ」・・・・

それからしばらくして「誰が行くものか!」と頑なに拒否していた小学校の同窓会に参加することにしました。

そこに来ていた元いじめっこ達は、私を不思議そうな目で見ていたことを覚えています。

という私も喧嘩両成敗のような心境で彼らを見ていました(笑)

「逃げないでここに来て良かった」 と思いながら・・・・。








本文

 


幽界や霊界においては、その想念は直ちに現われ、その念は、すぐに自分自身にかえってくるので、どういう念が、どういう風に自分にかえるのかが体験としてわかるのであるが、それでさえも、なかなか、その業因縁の念を消すことができがたいのである。


まして非常に粗い波の体をもつ肉体世界の人間の、

しかも、その人間と相手の間にある業因縁の種類さえも知らず、ただたんに一般論の心の法則だけを利用して、指導しようとすることは実に危険なことであって、かえって相手の進化を妨げ、浄化を乱すことになるのである。

 

“人を審(さば)くなかれ”

“愛はすべてを癒す”

“神は愛なり”




私はキリストのこれらの言葉をその人びとに与えたい。


自己の功名心の満足や、知識に偏した愛薄き人びとによる人間指導ほど逆効果なものはないのである。


愛深き人のみ、人間心理の指導者たり得るのである、と私は強くいいたい。


業想念は過去世の過去世から流れつづいている波の連続である。


この五十年、六十年の肉体にのみあるものではない。


まして、各人の肉体的環境(病気や幸、不幸)がその間の二年や三年に起こした念(おもい)の現われとして、できあがったり現われたりしたものではない。


誰が見ても立派な心の人が不幸になっており、どこから見ても悪いように見える人が、人も羨む幸福を得ている例は枚挙にいとまがない。


だから簡単に人を責めたり、審(さば)いたりすることはできないのである。


人間はそれぞれ、各種各様の因縁の心を持っていて、Aの善なる生き方を、Bが必ずしも真似られるものではなく、Bが何気なくできる善行為をAがその通りにできるものでもない。



一字、一線においてさえ百人百様、千人千様なのである。


ただ、非常に似通った心の人とはなはだ異なる心を持つ人とがある。


これを想念の類似、あるいは因縁が合う、合わぬ、ということになるので、こんなためになる本をあの人は何故読まぬか、といって、その人が、自分の薦める本を読まぬ、という理由で、その人を低級視する人があるが、それは低級視するほうが間違っている。


バッハや、ベートーベンの曲は素晴らしい音楽である、と思う人が、それらの音楽に無関心で、流行歌謡に熱中している人を、ただそれだけのことで軽蔑したら、これも誤りである。
 

宗教に入って現在熱心な人であっても、その熱心さが利己心から発している人もあれば、今、宗教に無関心のように見えている人の心が純粋な愛に燃えている場合もある。


現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


それ故私は、その人、その人に最も適切なる指導をしているものであるが、その指導は次に説明するような原理、法則を元としているのである。


                   

                      つづく





 『神と人間』 因縁因果を超える法 五井昌久 白光出版

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2015年12月22日 (火)

「神と人間」について 因縁因果を超える法1

 
感想

  

テレビ等で、お坊さんが難行苦行を行なっている姿等を観たりしますが、周りの人たちは

「私たちにはとても耐えられない」

「私たちの代わりにやってくださっているんだ、ありがたや、ありがたや」

と拝んでいます。

しかし私には、生命を削っているように映るのです。(魂は喜んでいない)

だからといって、有名な神社仏閣の関係者の人たちが夜な夜な飲み屋街に繰り出している姿も「それはおかしいだろ!」と思うのであります(笑)

特に気になるのは前者のお坊さんたちですが、前世の辛い修行が原因(因果)となって生まれ変わった今生では、ヤクザ屋さんになったり無法者(言い方が古いですね)、怠惰な人になっている場合が随分多いそうです。

うっぷんが溜まりに溜まっていた、ほんとうは女の人と遊びたかった、自由に生きている人が羨ましかった、心底ではこんなことしたくないんだと思っていた。


人は思いを残して死ぬとその想いは録音されたままで生まれ変わって来るのです。

占いなどは、その想いの残像で、手相や星占いで前世で何をし、想っていたのかが判るんですね、だから80%は当たると言われています。  


だがしかし20%は変えることが出来る、いや20%から120%に膨らますことが出来るのです。

私は前世に翻弄される振り回される人生なんてまっぴらごめんですね。

どうすれば、過去、過去世の因縁因果を超えれるか?

これから先の本文を読むことが楽しみになって来ました!








本文


 
次にはいかにしたら一日も早く、業因縁の波を解脱し得るかを説くこととする。
 

解脱するためにあらゆる難行苦行をした昔の求道者は、その意思において偉大なるものがあったが、私は現代の人にそれを求めようとは思わない。
 

また、山に入り、滝にあたり、断食をする等の行は、今日の人びとには生活環境からいってなかなかむずかしいことであって、ほとんど大半の人びと実行し得ないことである。


業因縁、即ち、物質(肉体を含む)を実在と観ている誤びゆうからくる、物欲、色欲、執着欲、これら種々の欲望を消滅し去ろうとして肉体に与えた苦行も、方法が誤っていれば、効果が少ない。


私は肉体に敢えて特別の苦行を与えず、与えられた生活環境をそのまま生活として行じてゆく普通人にでき得る解脱の道を説きたいのである。


その道は私自身を現在に成し得た道なのであるから。


“悟ろうとすればまず欲を捨てよ” とか、“あなたは短気だから、その短気をなくせばよい”とか、“その執着を断つのですよ” 等と簡単にいう人があるが、この人は人間の業因縁というものが、いかに根深いものであるかを知らぬ人であって、指導者にはなり得ない。


また、人間の世界とは思う通りになる世界である、という念の法則を、現在だけの肉体界の念と解釈して、

“相手を拝まないから、相手が悪く現われるのですよ。あくまで拝みつづけるのですよ。”

とか、


“夫がなんといおうと、あなたはあくまで、素直に夫に従うのですよ。ぶたれても、叩かれて

も素直に従うのですよ。みんなあなたの心の影なのです。” とか、


病気で苦しんでいる人に向かって、


“あなたの心の中に休みたい心、楽をしたい心があるから病気になったんですよ。

真剣に働く心になればなおりますよ。” とか、


“ぶつぶついうからおでき(腫れもの)ができるのですよ。”


“刺すような心があるから神経痛になるのですよ。”


等々、すべての想念は、その想念のごとき形を現わす。悪を想えば悪を生じ、善を想えば善を生ず、という心の法則を、人を責め、審(さば)くことにのみ使っている人びとが、宗教や修養をやっている人たちに非常に多数ある。


私は、これは実に困ったことだ、と思うのである。



   
                   つづく

2015年12月21日 (月)

「神と人間」について守護霊守護神 5




感想

 

最近、特に感じてることなんですが、もし自分の中で、この人騙せそうないい人だから、ちょっとくらい誤魔化したり、嘘を言ったり、

大げさに言って大丈夫かな?と邪な気持ちでその人と接したりすると、

その人の肉体は気づかないとしても、その人を守っている守護霊さん守護神さんがちゃんとその後ろに控えていて

「うちの大事な孫になにしてくれてんねん!」(なぜか大阪弁)

と言っているような気がするのです。

そして邪なことをしていると後で必ずしっぺ返しがあります。

つけは必ずなんらかのカタチで帰って来ます。

ビジネスや商売には綺麗ごとは通用せえへん、デメリットを言ってしまったら収入が無くなってしまう。(特に自営業は)

会社にもいられなくなってしまう、とも思うのですが、正直にデメリットの部分を言ってもそれでも相手の人が信頼してくれる、認めてくれる、契約してくれるのがほんものだと思うのです。

そんなデメリットの多い商品やサービスだったら辞めてしまった方がいい。


そう思うのです。




 


本文


 
初めに分霊が、宇宙神の創造を顕現するため、その創造性を光の線と彩なして、幽界肉体界を創造してゆく過程において、みずから発した念波の業因の中に、しだいに自己の本性を見失っていったことは、前章においてすでに説明したのであるが、これは一見、無限の智慧の持ち主である神の行為の失策の如く見え、この点を疑問に思う人々が多数あると思うので、この点についてちょっと説明してみよう。


これはさきの述べた光と影、善がそのまま善ならず、悪がそのまま悪ならずの説明と同じ原理である。


即ち、分霊は、一度びは、肉体の業因縁の中にもてあそばれ、自己の本性を見失ったかのように見えるが、これは、直霊が分霊に命じて、宇宙神の創造を現象界に写し出そうとしている過程にすぎないものである。


しかし、かかる過程にあって苦悩している分霊を救い、肉体界を浄め、宇宙神の意思そのものの世界とすることが、直霊の最初からの計画であった。


そこで、各直霊は自己の光を分けて、分霊たちの守護神となし、守護神は、最初に肉体界の創造にあたった分霊たちを、業因縁の波から救いあげた。


この分霊たちは、守護霊となり、守護神に従って、ひきつづき肉体界に働く後輩の分霊たち、いわゆる、子孫の守護にあたることになった。


そして分霊の経験の古いものから、順次に守護霊となり、ついには各人に、必ず一人以上の守護霊がつくまでになって、今日に及んでいる。(第三図参照)






 宇宙神


 神界 (守護神、直霊)


 霊界 (守護霊、分霊)


 業因縁の世界 (幽界、魂)

 業因縁の世界 (肉体界、魄)


  第三図


 


従って、原始時代より、闘いにつづく戦い、苦悩につづく苦悩の歴史が、繰り返されて、現代にいたってもまだ、戦争への恐怖、老病貧苦の地獄絵の時代はつづかんとしているが、この間、種々と人類に貢献せる聖者、偉人が数多(あまた)あったことは、分霊である人間が守護神、守護霊の働きを悟り、これらと協力して、活躍したことを物語るものである。


この力は精神文化、物質文明の発展に寄与することが大きく、守護神、守護霊と、分霊の
交流が、更に著しくなってくれば、この世界が真の発展に進むことになるのである。


しかし、現在はまだあくまで過程であって、この段階を過ぎた未来において、肉体人間の世界が、神の計画通りの、完全調和せる光明世界になることは必至である。


それ故、現在の状態が、いかに破壊に瀕せんとする如く見えようとも、決して悲観することも、絶望することもないのであって、各人はひたすら自己の本分をまっとうしていさえすれば、必ず、自己も救われる日が来るのである。

私は、その日の近いことを確信してやまない。



『神と人間、守護霊、守護神最終章』五井昌久著 白光出版



  


             


2015年12月19日 (土)

 『神と人間』について 守護霊、守護神 4

  

感想 



人間には、いろんな人がいて、神さま仏さまのような素晴らしく、光り輝いている人がいるかと思えば、極悪非道で動物以下(動物さんごめんなさい)の人もいて、同じ人間なのにどうしてこうも違うのだろう?

そして神性を顕している人を見ると、人間は本来、善であるという「性善説」だと思い、狂った人を見ると人間は悪魔だ悪の心を持ったどうしようもない生き物(性悪説)が本当だと思うのです。

おそらくほとんどの人は、あるときは人間神の子、またあるときは、悪魔の子と人間観が二転三転していると思うのです。

だから自分のことも、「自分は素晴らしい!」と自画自賛することもあれば(あまりないか)、「自分はなんて駄目な奴なんだろう」(無限なる可能性!)と卑下をする自分がいる。

「神様、いったい自分(人間)とは何者なんですか?教えてください」 と聞きたくなりますよね・・・・・。

その答えがズバリ下記の本文(これから先の文章に)には書かれているのです。



 

本文


 
   
この幽界における分霊を霊魂といい、肉体界にいる期間を魂魄(こんぱく)という。


いいかえれば、霊とは神であり、神性であり、魂魄を因縁性とよぶのである。


従って、分霊は、霊界に本住する神でありながら、因縁世界に降っては魂魄(こんぱく)であるといえるのである。


人間の本性としては、霊(神)であるので完全円満であり、行き通しであるが、分霊の念波から生じた業生は、業因縁となり、幽界、肉体界を輪廻転生して生まれ変わり死に変わりするのである。


仏教でいわれる、人間本来仏性なり、とは、どんなに業因縁の迷路にいる人間でも、その中味はすべて仏のいのちである。


私流にいえば、分霊の光であり、直霊の光であり、宇宙神そのものの光(いのち)である、というのである。


人間の性は善なるや、と今までに多くの人びとが、性善説、あるいは性悪説を唱え、論じあってきたが、人間の本来性には善も悪もない。


人間はただ無限の光(神)の創造性を行動に移し、神の姿を客観的に現わそうとしている者であって、悪といい善というも、全面的に神が現象界に現われるまでに織りなす光と影の交叉であり、悪(影)と現われている姿、行動も、より大いなる善(光)を現わさんとする一瞬であり、善と現われている姿、行動すらも、より偉大なるすべてを含めた善(光)を現わさんとする過程の一瞬である。


初めに分霊が、宇宙神の創造を顕現するため、その創造性を光の線と彩なして、幽界肉体界を創造してゆく過程において、みずから発した念波の業因の中に、しだいに自己の本性を見失っていったことは、前章においてすでに説明したのであるが、これは一見、無限の智慧の持ち主である神の行為の失策の如く見え、この点を疑問に思う人々が多数あると思うので、この点についてちょっと説明してみよう。



                  
                  つづく





『神と人間』 守護神守護霊について  五井昌久 白光出版



  

2015年12月18日 (金)

『神と人間』について守護霊、守護神3

 
感想

 

すごい、すご過ぎます

この下に書いてある文章を読むと(何度も読み返すと)

人間とはなんぞや? ということが端的に、明確にわかる

真理を長年勉強し、わかっているつもりの私でさえ、改めて「そうだったのか」と頷くの

です。

肉体というのは物質です。

死というのは、肉体という固体が液体を飛び越えて気体になるとでも表現すればいいので

しょうか

水が形を変えただけでH2Oには変わりはない。

固体(肉体)の世界から気体(幽・霊・神)という他の世界へ行った。

仏教では肉体界を去ることを他界というのはそういう意味だったんですね。

下記の本文では死のことを、上着に例えています。

上着(肉体)を着る必要が無くなったので、シャツ一枚になった(幽界へ行った)

そして上着は必要が無くなったので焼かれた、

だがその人(霊・心)自身は滅びていない(死んではいない)。

・・・・・もう感想は止めます(笑) どうぞ、本文をお読みください。

 

  
本文


肉体が消滅した、ということは、肉体細胞の分離をいうのである。


肉体は何兆という細胞が種々の要素が仲介として組織体となっているもので、いいかえれ

ば、分霊の放射した光波(念)が、宇宙の物質要素と結合して、創りあげたもので、分霊の

光波(念)がそれらの物質要素に働きかけなくなれば、自然にこの組織体は解体してしまう

のである。


もっと端的にいえば、分霊が上衣である肉体をぬぎ捨てたのであり、着手のなくなった上

衣は、もう必要がなくなって焼かれてしまった、といえるのである。


上衣が破れたからといって、着手が滅びてしまったという人はいない。


ただ着手であり中味である分霊が、下着である幽界を着けたまま、別の界層に移転した、

ということなのである。


いいかえると、真の人間は死滅したのではなく、肉体界を離れた、のみである。


私はこの肉体要素を魄(はく)とよんでいる。



肉体を離れた分霊は、ある期間、幽界において生活する。


ここの生活は、肉体界の波動より細やかな波動の世界で、大体肉体界と同じような生活を

営む。


ただしこの世界は想うことがすぐに現われる世界であって、肉体界のように、念じたこと

が、なかなか現れぬ世界とは違う。


想うことが直ぐ現われるということは、ありがたいようでなかなかありがたくなく、よほど心

が整い、浄まっていないと、非常に苦労するのである。


何故ならば、肉体界においては、相手を憎んでいても、顔に現わさねば、なかなかわから

ないし、ちょっとだましても、すぐにはわからない。


一生わからないこともある。


しかし幽界においては、喜怒哀楽ともに、すぐにその結果が起こり、憎む人はすぐに憎み

かえされ、だます人は、すぐにだましかえされる。


憎み、悲しみ、恐れ、不正直、こうした想念は、すべて直ちに苦しみの種となり実となる。


こうした体験を経て、肉体界から持ち越して来た悪想念、悪行為の習慣(業因縁)、これは

すべて幽体に記憶されてあり、記録されてある。


これらを浄めるべく努力することにより、その昔より、高い人格となり、よい因縁をなって、

肉体界に再生する。


今度は以前より立派な生活が肉体界において、営まれるのである。


かくして何度か再生し、悪想念、悪習慣を矯正して、やがて直霊と一つになってゆくので

ある。


この幽界における分霊を霊魂といい、肉体界にいる期間を魂魄(こんぱく)という。


いいかえれば、霊とは神であり、神性であり、魂魄を因縁性とよぶのである。


従って、分霊は、霊界に本住する神でありながら、因縁世界に降っては魂魄(こんぱく)で

あるといえるのである。



                     つづく




『神と人間』 守護神、守護霊について 五井昌久 白光出版




  

2015年12月17日 (木)

「神と人間」について 守護霊・守護神2




感想

  

“人は死んだらどうなる?”
 

“生まれる前にはいったいどこにいたのか?”



 
本文の中にあるこんな基本的なことさえわかっていない・・・・。

これだけ科学が発達し、いろんなことがわかってきているとみんなが思っていると思うので

すが、実は、目に見えるほんの先っぽの僅かなことが解明しただけで、目に見えるほんの

ちょっと奥の世界(幽界)のことさえ、ほとんどの人がわかっていないのです。

だからみんな不安になる、これからの自分や日本、世界がどうなってゆくのか?

日本や他国のことは置いておいて、やっぱり自分のことが一番不安ですよね。

仕事のこと、病気のこと、人間関係のこと、お金のこと・・・・。

考えれば考えるほど悩みが拡がってゆきます。

根っこの部分、つまり真理(宇宙法則、原理原則)がわかっていないから、

または間違って解釈しているから

頭の中は

??????????????? だらけです。

どれだけ想いを巡らせても堂々巡りです。

みなさんが真理のバイブル『神と人間』を読めば、心の中のモヤモヤはスッキリするのに、

目に見えるすべての現象の正体?がわかるのに、と思うのですが、

読みたくなる時期がありますよね。

本題からかなりズレてしまいました。

『守護霊、守護神の存在を知ること』、これが幸せになるためのショートカットだと思いま

す。
 



  

本文
 


守護神は常に多くの守護霊の上にあって、守護霊に力を添えていた。
 

各正守護霊はしだいに一人の肉体人間に専属し、その主運を指導してゆくようになり、副

守護霊は、おおむね、仕事についての指導を受け持つようになっていった。

 
直感とか、インスピレーションとかいうのは、これら守護霊からくる指導の念である。

 
これは普通は自然的行動のように行われ、何気なくある家を尋ねたら、よいことがあった、

とか、ふと左に歩を運んだとたんに車がすれ違って、危うく難をのがれた、とか、というよう

に日常茶飯事の何気ない行為として守護している場合が多い。


このような組織状態が現代までつづいているのである。
 

人間とは一般の人びとが思っているような肉体だけのものでなく、このように複雑な組織を

もつ者なのである。
 

ここで私は肉体の生死について述べてみたいと思う。
 

“人は死んだらどうなる?”
 

“生まれる前にはいったいどこにいたのか?”

 
この二問題は今まで述べてきたことによって、大体わかっていただけるとは思うが、さらに

詳しく具体的に述べたほうが、因縁因果を越えて、神性を顕現する道に近づきやすいと思

うので述べることにする。
 

現代人大半は、死んでしまえばそれまでである、と肉体消滅によって人間の生活は終了す

る、と思いこんでいる。
 

この考えほど、人間の神性を隠ぺいするものはないのである。
 

肉体が死ねば確かに肉体は人間の原形をとどめず、灰になってしまう。
 

肉体という形は消滅し去る。
 

肉体人間の眼の前から、その人の姿は永遠に消え去ってしまう。
 

しかし、はたしてその人は再びこの肉体界に現われることはないのであろうか。


                  
  つづく             




『神と人間』 守護神、守護霊について 五井昌久 白光出版



  

2015年12月15日 (火)

近未来の日本、そして地球人類 3


  
  
世界経済の破綻

  

私は経済に関して専門家ではないので、あくまでも地球は近い将来アセンション(次元上昇)
する。
 
次元上昇した星(金星)には、お金という媒体は存在しないという観点から述べていきます。

ゴールを先に設定、イメージするわけですね。

まず、インターネットが出来た、インターネットは世界をショートカットした。

地球の裏側と一瞬で繋がるようになった。

生産者と消費者が、需要と供給が、サービスが、それまで何段階も経てたどり着いていたものが、そこで利益を得ていたものが、ただに近い値段で流通し始める(価格破壊)。

ネット競争により儲かっていたものが、少ししか儲からなくなり、まったく儲からなくなり、ほとんどの産業が無くなってゆく。

仕事が無くなるということもそうなのですが、環境もそうなのです。

日本は今、820万戸の空き家があるそうです。

東京でも空き家が急増している、都心から少し離れたところでは土地や賃貸の暴落が始まっています。

中国の経済は破綻しているにもかかわらず国際通貨になった。

にせ札が出回っている。

そのにせ札をつかんだ人が本物に取り替えようとしても受け付けてくれない。

政府が調整せず(コントロールせず)、お札を刷りまくっている。

今、出回っているお金(お札)が紙くず同然(円も含めて)になるのは、想像にかたくない。

総合的に観ても、地球世界経済の終焉は確かだと思うのです。

それは何も悪いことではなく、自然の流れなのです。

ある意味、宇宙の法則に乗っているのです。


  
  

近未来の日本、そして地球人類 2

 

近未来の日本、地球、そして人類がどうなってゆくのか?

どこから説明しようかと迷っています

人間の苦しみとは、生老病死ですが、老・病気・死は暗いので(笑)

まず、生きることに関して述べていきます。

生きてゆくためには何が大切か?それは目標、目的を持ってそれに向けてエネルギーを

注ぐことだと私は思います。

目的が明確であればブレません。

余計なこと、どうでもよいことに意識がいかないのです。

そしてエネルギーが集中されるので、成功しやすい、成就しやすいのです。

だがしかし、何を目的にすればよいのか?ほとんどの人がわからない。

わからないから、先で困らないように取りあえず勉強し、よい学校に行くように言われる。

そして給料をたくさんもらえる会社に入社するとそれで目的を達成したかのように思ってし

まう。

・・・・だがしかし、魂はそんなことでは納得しないのです。

それはミッション(天命)ではないから・・・。


話を元に戻し、近未来に人間がどのように変化するかと言うと

 “自分のミッションに気づく”  のです。

なんのために生まれ、何のために生きてゆくのか?そしてどこに行くのか?

なぜ気づくようになるのかというと、これから地球の波動が霊(神霊)波動になってゆくから

です。

霊(神霊)波動になるとエネルギー(光)が強くなり、本心が顕われてきます。

覚醒するのです。

わかりやすく言うと、たくさんの人がお釈迦様やキリスト様の様な魂になるのです。

悟った状態です。

人は悟ることで、ほんとうの幸せを手に入れます。

心の中のマイナスが消えるのです。

至福感を絶えず感じるようになる。

しかしそれはただ覚醒するのを待っているのではなく、宇宙のエネルギーと共鳴(合体)す

るように努力するのです。

それが祈りです。

祈りとは生命エネルギーが活き活きすること、命がのり出すことが祈りです。

宇宙エネルギーと地球のエネルギーが合体(融合)し、地球の汚れたエネルギーが宇宙の

素晴らしいエネルギーに同化する。

それが近未来に個人や国、地球に起こるのです。

祈りなくして、個人、人類の幸せはないし、地球の完成はないのです。




世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

2015年12月14日 (月)

 『神と人間』について守護霊、守護神1

 

感想
 

神様の存在を信じない人もなぜか、守護霊さまや守護神さまの存在は信じる人が多いよう

です。

これは九死に一生を得たり、どう考えても奇跡としかいいようのない出来事があって

「助けられた」 「守られている」 と実感したことが少なからず誰にでもあるからではないか

と思うのです。

自分をかわいがってくれたお祖父さんやお祖母さんが死んだ後であの世(霊界、神界)に

行って上から見守ってくれていることが実感してわかったのなら、どれだけ心強いでしょう。

私たち人間は、明日のこともわからない、一年先や十年先に何が起こるのかなんてもちろ

んわからない。

しかし、守護霊さまや守護神さまはちゃんとわかっておられるのです。

それはいつも言っていますように、私たちが住んでいる世界は肉体界だけではなく、幽界、

霊界、神界も同時に重なっているからです。

過去世の想念や行為したことが幽界に溜まり(潜在意識)、それが肉体界に現われて来る

のです。

霊界は肉体界、幽界を包括した世界なのでこれから肉体界で起こることが手に取るように

わかるのです。

だから、かわいい孫たちにメッセージを送り、孫たちが正確に受け取ったならば、文字通

り、守護することが出来るのです。

では、守りやすい孫たちとはどんな孫であるのか?

それは、守護霊、守護神にいつも感謝をし心を向けることです。

感謝は光、守護霊、守護神も光そのものなので、波長が合うのです。

「守護霊さまありがとうございます、守護神さまありがとうございます」と絶えず、祈っている

と十二分に守ることが出来るのです。

過去において偉大な働きをした聖者、賢者たちは、この守護霊、守護神の存在を知ってい

たことを最後につけ加えておきます。







本文


前章において人間本来神性であることを説明したが、現実として一番問題になるのは、

人間ははたして業の輪廻を越え得るか、越えるためにはいったいどうしたらよいのか、

ということなのである。

 
本来性でないといっても一度び生まれた業因は、縁となり果となり、また因を創り縁と結び

果となって、はてしなく転回して、この現象は業生の世界と成り終わせているように見え

る。


確かに分霊が肉体の因縁の中に閉じこめられた現在、各分霊だけの力でこの因縁を越え

ることはなかなか容易なことではない、というより不可能に近いことを思わせる。
 

何故ならば、一度発した念は必ず、その出発点に還る法則になっていて、この発した念、

即ち業因は還って果となり、因果の波は時を経るにつれてしだいにその層を厚くし、分霊

の肉体我を牢固としてぬくべかざるものにしていったからである。
 

肉体我は粗い波動が起こしている自我であり、肉体という物質によって、自己と他とを区

別しているものであって、まず各自が己れを守ろうとする意識を起こすため、どうしてもお

互いの利に反することが陰陽に分裂して男女となり、肉体人口が増えるにつれて、肉体我

は自己と自己の一族のみを守ろうとし、いよいよ業因を深めてゆき、この業因の隙間から

神の光が差し込まぬ以上、人間は本来の神性に目覚め得ぬような状態になっていった。

 
この時、神(直霊)はこれを知って、分霊の救いのために新たなる光を放射した。

 
これを守護神と呼ぶ。
 

この守護神の光によって、最初に幽界、肉体界を創った分霊は救われ、各子孫の守護の

任についた、これを守護霊(支配霊・コントロールともいう)と呼んだ。
 

この守護霊の中には正守護霊と副守護霊とが定められた。



               つづく


2015年12月13日 (日)

近未来の日本、そして地球人類 1

 
  
私がこれまでにずっと温めていて、いつ書き始めようかと思案していたことを、今日から書き
  
述べてゆくことにします。

地球は今、七劫目を迎え、物質文明から精神文明へと大きく変化しようとしています。

7は宇宙の完成した数字であり、地球は精神的に幼い星から大人の星へと生まれ変わろうと

しているのです。

それはある日突然起こるのではないのですが、徐々に、しかしかなりのスピードで移行しよう
 
としています。

これから私たち個人、日本、他国、地球人類がどのように変化してゆくか?そして最終的にど

のようになってゆくのか?

これらのことはみなさん非常に興味を持っておられると思うのです。

にわかには信じられないことを書くかもしれませんが、今の日本、世界の状況を観ていれば、

 「なるほど」 と納得されることも多いと思います。


では、近い将来にどのように変化してゆくのか?述べてゆきます。


  

1. 世界経済が破綻し、お金そのものの価値が無くなってゆく

2. 病気が無くなり、みな健康になってゆく、医者、薬が要らなくなる

3. 食欲という欲も無くなり、一日二食、一食があたり前になる

4. インターネット(ネット社会)が成熟期を迎え、たくさんの仕事が消え、淘汰される

5. 物質文明から精神文明への移行

6. 3次元(目に見える世界、肉体界)と4次元(目にみえない世界、霊界・神界)が融合し  
    
   亡くなった人に会えるようになる

7. 人間が愛に目覚め、神(か~あ み~い)そのものになる

8. 宇宙人(天使・神)が目の前に現われ、真理に目覚めてゆく

9. 自分の中に内在している叡智を自覚し、次々に奇跡を起こしてゆく

10.人(国)と競い争うことが無くなり、地球世界が平和になる

  


明日から、個別に出来るだけわかりやすくその根拠?を述べてゆきます。

よろしくお付き合いください。




  

「神と人間」について 実在界・霊界・幽界・肉体界 最終章


   
感想
 

人間とはいったい何者であるのか?
 
動物とは何が違うのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・

本文に
 
ただ大いに異なることは、山海草木も動物も創造されたるものであって、自己意識、我(知

性)を持たぬが、人間は、創造者である分霊そのものが、肉体にあって、たゆまざる自己

創造をつづけていることである。
 
・・・・・・・・・・・・・・・

とあります。

人間は創造主の神の光(心)が分かれた分霊であり(太陽の光が分かれたように)、神そ

のものであり、動物や山海草木、人間以外のすべてのものは、創造主が創った被造物で

あり、神そのものではないとここで述べられています。

しかし、一般の人間は、「自分は神なのだ」「あの人もこの人も神そのものなのだ」とはどう

しても思えないのです。

それは、自分や他人が神性(神そのものの姿)を顕していないからです。

極々僅かの人々や赤ちゃん、真理に目覚めて光輝いている
人(キリスト・お釈迦様等)以

外は、みなマイナスのエネルギーを被って、とても神様とは言えぬ、

醜い姿(ごめんなさい 無限なる美!)を見せているからです。

そして自分のことを「ダメな奴だ!」又は、人のことを「あいつは最低だ!」と言い、思ってし

まうのです。

真理を知らないと雲泥万里の思考の差が出てしまうのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし安心してください。すぐそこに自分が何者であるのかを気づく時期がやって来ている

のです。




本文

 
 怒ろうとせぬのに怒ってしまい、不幸になろうとせぬのに、不幸になってしまう等々、すべ

て潜在意識(幽体、幽界)からの意識の流れによるのである。
 

この波が常に転回し、不幸の念の蓄積は不幸を呼び、喜びの念の蓄積は喜びを呼ぶとい

う風に、輪のように転回してゆくので、これが業の因縁、因果と呼ばれている。
 
このことは後の章において述べるとして、また分霊の説明にうつる。

分霊が最初に幽体、肉体を創造したのは、神が天地、山、海、草木を創造し、動物の創造

を司る神霊が動物を創造した、その創造過程が、霊、幽、物質としだいにその光波を物質

化した。


いいかえると、エーテル、微分子、原子(電子、電磁波)としていったと同じ原理で、直霊が

各分霊に自己の光を分け与えて、肉体人間の創造を山霊、海霊、木霊、動物を司る霊等

と協力して、なさしめたといえるのである。


従って人間(霊)が光波ででき、肉体が原子からできていることと、自然の法則とは範疇

(はんちゅう)の異なった、等しい原理によるといえよう。

ただ大いに異なることは、山海草木も動物も創造されたるものであって、自己意識、我(知

性)を持たぬが、人間は、創造者である分霊そのものが、肉体にあって、たゆまざる自己

創造をつづけていることである。
 

これは重大なることであって、釈尊(お釈迦様のこと)の言葉に“人身得難し(じんしんえが

たし)”とあるのは真である。


動物は神に隷属されたる物、人間は神そのものの分霊であること、本来自由自在なる者

であることを、よくよく考えて感謝しなければならない。

 
さて霊・魂(幽体のこと)・魄(肉体のこと)として三界に活動している分霊はしだいに肉体人

間そのものになってきて、肉体外の六官(直感)直覚(神智)の衰えを見せ、すべてを五官

の感覚のみ頼ることが習慣づけられ、五官に触れぬものは無いものと思うようになり、人

間とは肉体であり、心(精神)とは、肉体の機関が生み出した働きであるとして、分霊その

ものとしては感じられぬようになっていった。


しかし、分霊と分霊とが本来は神において一つの者であったことが幽体に記録され、記憶

されているのが意識を超えて思われ、肉体においては、はっきり個々に分かれていながら

も、お互いが、お互いのことを思いあう感情、愛は消えることはなかった。


この愛の狭い範囲の働きは、親子、夫婦、兄弟の間に、ひろくは、人類、社会の範囲に及

ぼされている。
 
愛こそ神へつながる道であり、光であり、本来の自己を見出すただ一つの感情、行為で

あった。

分霊は物質の世界、形の世界において、己れ自身の本来身、光(神)を忘れかけながら

も、心の底から湧きあがってくる、人間本来一つの光の理念が、愛の思いとなり行為となっ

て、わずかにその光を保っているのであった。
 
神の心を愛と呼び、業因の働きを執着、と呼び、この二つの心が、人間の生活を、幸、不

幸とに分けていこうとしているのである。



 

『神と人間』 より五井昌久(実在界・霊界・幽界・肉体界)の章はおしまいです。 


  

2015年12月10日 (木)

「神と人間」について 実在界・霊界・幽界・肉体界 3

  
感想

自分の思ったことが録音され、時を経て再生される

 “思いが現実になる” とは本当のことで真理です。

しかし思いの集積場(思いの図書館のようなところ、潜在意識)はだだっ広いところで思
いが浸透し現実になるにはかなりの時間を要するのです。

「私はプラスを思い続けている、これだけ願っているのだから、もうそろそろ結果が出てもいいのではないか?」 と結果を望む

しかし、

「あなたは確かに思いましたね、ではすぐに想い(願い)を叶えてあげましょう」

とはならないのです(笑)

なぜならば、過去世というものがあってどんなに今生でプラスを思い続け、陰徳を積み続
けても
すぐには運命は変わりません(個人差があります)

しかしそれでは、人間は途中で諦めて、努力をしなくなります。

「生きている間に夢が叶わないと意味が無いだろう」 「想いは現実になるなんて嘘だ!」 

「神も仏もいないんだ!」

自暴自棄になって悪いことをやり始めたりします。

真理(真実)は、過去世のマイナスの想念エネルギーを消さないことには運命は好転しな
いのです。

だがしかし、肉体人間は、過去世があることや運命を修正し、早く好転させてくれる守護霊、守護神の存在を知らないのです。

つまり真理を知らない、知らなさ過ぎる、誰も教えてくれないのだから、知らないことはしか
たがないかもしれないけれど、知るチャンスがあるのに、それをミスミス見逃すのは、それ
はあまりにももったいないと思うのです。

それで私は真理のバイブル 『神と人間』 を世に広めようとこうして書いているのですが、

一朝一夕には、伝わりません。(無限なる希望!)

「ローマは一日にして成らず」「千里の道も一歩から」・・・・これらのことわざ?を信じて、書
き続けていこうと思うのです。

いつかわかっていただける人が現われる日を信じて・・・・・・・・・・・・・。




  本文

 

 
現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


それ故私は、その人、その人に最も適切なる指導をしているものであるが、その指導は次に説明するような原理、法則を元としているのである。


この現界は潜在意識(ひそんでいる心)、と顕在意識(あらわれている心)とがぐるぐる廻っているので、顕在意識(普通いう心)に想ったことは、すべてそのまま潜在意識(幽体に属する心)に記録され、その記録された想いが、表面の心、顕在意識に記憶として浮かびあがり、ある時は、直接行動として、言動に現われる。


そして、その現われた言動がまた再び潜在意識に録音される。


こうした、ぐるぐる廻りが、その人、その人の運命となって現われているので、その理をまず
知った上、幽界、肉体界を通して各人の運命を修正している守護霊の働きを観じなければ、運命を善くすることはできない。


人間が普通、心は一つよりないと思っているようだが、心は、宇宙神の心から始まって直
霊(人間界における神)の心、分霊の心、幽体界の心、肉体界の心の他に、直霊と位を同
じくする守護神の心、それに各個人個人に常に附き添っている守護霊の心との七つの心
があるのである。


この守護霊に素直である人が神に素直であることになり、その人の進歩を非常に促進させ
るのである。


が、今までにこのことを知っている人はまことに少ない。


人の進歩は、ただ精神分析や、心の法則の活用だけではなかなかむずかしい。


まして、精神分析や心の法則はおろか、神も仏も何もなく、ただ肉体の自我だけで生活している人が多い世の中で、真に素直な自分になることにはかなりの努力がいる。


誰でも幸福になりたくて働き努力するのだが、なかなか幸福にならない。
 

幸福になる秘訣は素直になることである。
 

素直とは肉体の人間に素直になれというのではない。
 

真理に素直になれというのである。
 

いいかえれば、神に素直になれというのである。


神というと何か遠い気がするし、つかみにくい気がするだろうから、守護霊に素直になれというのである。


守護霊とはおおむね祖先の霊である。


お祖父さん、お祖母さんが、自分の背後にいて、霊の眼で、霊の耳で、子孫である自分の運命を予見し、悪い運命への道から、善い運命へ、導いて下さるのである。



                    つづく

  

『神と人間』 五井昌久 因縁因果を超える法 


  

「神と人間」について 実在界・霊界・幽界・肉体界 2





  
感想


人間とは一体なんなのか?

という疑問に対して、答えは神である 神の子である

そして神は、か~あ み~い

なので、愛を顕す存在である、人間は愛を学ぶために生きているのだと哲学的な文章にするとわかったような、わからないような気がするのです(笑)


それよりも下記の文章の中に

 “人間は本来、神からきた光である ”


とあるように 「人間は光である」  のほうがイメージしやすいと思うのです。

「あの人は光っている、光り輝いている」・・・とは誰にも通じる感覚です。

実際に光は目に見えます。

人間の放っている光(オーラ)は目には見えない部類の波動(エネルギー)ですが肉眼には見えなくても、見えるに近い感覚です(だから理解しやすい)

肉体は物体です 目にもはっきりと見える、しかし心は見えない 波動が粗いものは見える 細かい波動はみえない

肉体人間の波動は粗いのですが、愛に溢れてくると細かい波動(神霊波動)
になってゆくのです。



人間=光=心=神






人間は本来、神からきた光である。
 
光は即ち心である。
 
神は、すべてのすべてであり、無限の知慧、無限の愛、無限の生命であるけれども、神そ
のものが、神そのままの姿で動いたとしたら、形の世界には何ものも現われてはこない。
 

無限はいつまでも無限であって、有限にはならない。
 
一つがいくら動いてもやはり一なのである。

無限が幾つかの有限になり、一が自己分裂して二になり、四にならなければ、形の世界は
創造されない。
 
この光そのものである神がある時、突然その統一していた光を各種、各様相に異なった光
として放射した。
 

この時から神の創造活動が始められたのである。
 

神まず天地に分れ、そして、その一部の光は、海霊(うみだま)、山霊(やまだま)、木霊(こ 
だま)と呼ばれ自然界を創造し、活動せしめ、その一部は動物界を創造し、後の一部の光
は直霊とよばれて人間界を創造した。
 

ここにおいて神は、一であり、多であることとなり、一即多神となるのである。
 
さて、人間の直霊、即ち神の一部の光こそ、私が前章より書きつづけている人間そのもの
なのであって、この時にはいまだ業因は生じていないのである。
 
この直霊が動き出でて各種の光の波を出だし、霊界を創り、各分霊となり、各分霊が直霊
より分けられたる光(心)により創造力を駆使して幽界を創り、肉体界を創造して、ある時
は幽体という衣だけを着て幽界に生活し、ある時は幽体をつけたうえに、肉体という衣をつ
けて肉体界の創造活動を営んだ。
 

霊体が中味とすれば幽体はシャツであり、肉体は上衣である。
 
この三つの体はいづれも光の波動でできているのであるが、肉体はその光の波が非常に
粗く、流れる速度も遅く、その波は重い。
 
分霊は、精妙な光であり、本来自由自在に動きうる波動をもっているのであるが、肉体界
に出入りするうち、いつとはなく肉体の鈍い動きに同化されてきて、しだいにその精妙さが
失われてきた。
 

始め、肉体界をつくり、そこに神の創造を形づけようとして活動をつづけていた各分霊は、
さながら繭(まゆ)をつくって、その中に閉じこめられた蛹(さなぎ)の如き状態に陥り、しだ
いにその光波が濁っていったのである。
 


それはちょうど、流れの早い川は澄み、流れの遅い川は濁っている、のと同じ原理である。
 




                   つづく

2015年12月 8日 (火)

「神と人間」について 実在界・霊界・幽界・肉体界 1


 
感想
 

私たちは、肉体界だけが実在しているのであり、目にみえない世界は無いと思っていま

す。

実際にみえないのだから「存在しないのだろう」と思うのも無理からぬのですが、人間の中

にもほとんどの人にはみえないけれど霊能力があって幽界やその他の世界がみえる人も

いるのです。

だから多数決を取って「みえない人がほとんどだから、そんな世界は無い!」と言うのはあ

まりにも幼稚だと思うのです。

自分にはみえないけれど、みえるという人がいるのだから真剣に調べてみよう」というのが

科学であり、大人の対応だと思います。

実際、私は霊能力はありません。

これだけ霊だの神だのと書いているのだからさぞかしハッキリとみえるのだろうとみなさん

は思っておられるかもしれませんが、みえないけれど、神の存在を信じているのです。

(理屈ではなく、直観で)

さて下記のタイトルに 実在界・霊界・幽界・肉体界 とあります。

私がいつも述べているのは、肉体が一番波動が粗く、細かくなってゆく(エネルギーが浄ら

かであること)に従って神界(天国)に近づいてゆく、

順列すると 肉体界→幽界→霊界→神界 ですが、

ここでは神界を実在界と述べているのです。

つまり、ほんとうに実在しているのは、神様の世界だけであって、後は消えてゆく幻の世界

であるということです。

なんのことかわかりませんよね(笑)しかし読み進むに従いきっと謎は解けてゆくと思いま

す。では、次の章に進みましょう。









『神と人間』 より


実在界・霊界・幽界・肉体界


さて前章においては、総括的にやや抽象的に人間の説明をしておいたが、この章では、

具体的に突き進んで、人間とはいかなる者かを述べてゆきたい。


ある一部の宗教家は、人間業生説、因縁説を説き、人間は常に因縁因果の世界から抜け

きれぬとしているが、私はここではっきりと、人間は本来業生(ごうしょう)ではないといい切

りたい。

業生である以上、人間はいつ迄も輪廻転生しなければならぬことになり、一向に救われぬ

ことになってしまう。

これでは人間として生まれてきたことがまことに不幸であり、神とか仏とかの存在価値がな

くなってしまう。

現象(あらわれ)の世界は確かに因縁因果で動いているようだが、その底を流れている強

い神への憧れ、仏への思慕を思うとき、人間の本性の中に明るい光明をみないわけには

いかない。

私は人間の霊性を深く追求して、人間と神との一体を観じ得た。

即ち人間は神の子であり、神そのものでさえあるということである。

私が霊覚で悟り得た人間の発生について説いてみたいと思う。

人間は本来、神からきた光である。


光は即ち心である。




  ぴかぴか(新しい)

2015年12月 6日 (日)

『神と人間』について 夢はなぜ見るか?(最終章)

“現実”・・・と私たちは言いますが、今、目の前に現われているもの、起こっている出来事

は、すべて幻、つまり幻影なんだと言ったら、みなさんはどう思われるでしょうか?

「何を言っているんだ、夢は幻かもしれないが、目の前のことは全部本当だろうが」とおっ

しゃると思います。

しかし、夜空に浮かぶ星を見てください。

その星の光は数億年前に光った光が数億年後を経て今、私たちの目に飛び込んで来てい

るのです。・・・・と言う事は、今起こっていることは、過去世で起こったことがフィルムのよう

に映し出されている(再現)されているのだということがわかるのです。

過去世の想念行為が、今現実だと思っている自分の目の前に映し出されているのです。

今、お金持ちだったとしたらそれは過去世のおかげ、病気だったとしたら過去世が原因、

いじめられているとしたら、過去で自分がいじめていたから、何故か人生のすべてが上手く

いっているのなら、過去世の陰徳のお陰・・・・・

では、今の自分の努力とか思っていることとか行為していることはまったく関係ないのか?

と言えばそうではないのです。

80%は過去世のこと20%はこれから変えれることなのです。(過去世を観て(調べて)現

在や未来を予想する占いが8割方当たるのはそのためです)

「なんだ20%しかないのか?だったらほとんどは運命なんだ、決まってしまっているのか」

と諦めることはありません。

20%は“窓口”であってそこからグッと押し開いてゆくことが出来るのです。

運命は変えられる。命を運ぶことが出来る。

しかし運命を変えるには肉体人間の自分一人の力、努力だけでは変えられない。

肉体界は、肉体界だけで出来ているのではないのです。

幽界、霊界、神界の目にみえない世界が影響している。

だから霊界を司っている守護霊さん、神界(天国)を司っている守護神さんの助太刀が絶

対に必要なのです。
 

 

本文


また、現象に現われた、病気や、不幸を、これはいかなる過去の心の現われか、と精神分

析して反省するよりは、現われた悪い事態は、すべて、過去の業因縁が、形に現われて、

消えてゆく姿なのだから、この苦しみが済めば、必ず、一段善い環境になると信じ、それと

同時に、守護霊さんが守っていてくださるのだから、必ず善いほうに、善いほうに向かって

いるに違いないと信じることである。
 

過去の因縁を分析すると、自分を痛めやすいし、気持ちが暗くなって、神から離れがちに

なってしまう。
 

神は光なのだから、常に明るい心の人を喜ぶ。
 

神は愛なのだ、光なのだ、私は常にその愛と光の中に生きているだ、しかも守護霊さんに

守られながら生きているんだ。

 
過去はない。

 
過去は消えてゆく。
 

どんな苦しみも必ず消えてゆくんだ   と、過去の心の誤りなぞ、ほじくり返さずに、ただ、

ただ、光明のほうに、心を向けていることが、自分を救い、人を救う、一番大切なことなの

である。
 

愛と許(ゆるし)の世界をみんなで創ることが大切だ。
 


自分を愛し、人を愛し
 

自分を赦し、人を赦す、
 

これが業を越える最大の道
 

みんな、いたわり合い、励まし合い、
 

足りない智慧や力は、守護霊さんにおまかせしよう
 

守護霊さんがきっとうまくやってくれるに違いない。

 



              終わり





  『神と人間』より 五井昌久  白光出版

2015年12月 3日 (木)

『神と人間』について 夢はなぜ見るか?3




感想


 

私の友人(女性ですが)で、ご主人を突然死で亡くされた方がおられます。

子どもさんがまだ小さく、随分とご苦労されたのですが、これなどは、悲劇そのもので、奥さ
んや子どもさんがかわいそう、どうしてこんな目に遭わなければならないんだ、旦那さんは
さぞ無念だっただろうと周りの人は言うのだと思うのですが、私は冷たい奴だと思われて
も、そうは思わないのです。

だって自分で死を選んだ(自殺)でない限り(自殺も寿命ですが)、肉体の死は、守護霊守
護神のご計画によって行なわれるからです。
守護霊さんは、何度も述べているように、私たちのご先祖です。私たちをこよなく愛し、幸
せになるように一生懸命に施し、応援してくださっています。

だから私たちを不幸にすることは絶対にないのであります。

ご主人の突然死も、ご主人が肉体界よりも霊界、神界に行って働いたほうが良かったから
かもしれないし、残された家族が以前よりもより協力して素晴らしい人間になるためにベス

トの運命だったかもしれないのです。それはご家族が薄々感づいていると思うのです。

「お父さんは死んでしまったけれど、僕たちはしっかりと自立し、幸せに生きています」・・・
と。

もちろん、守護霊、あるいは守護神になったご主人が、霊界、神界からご家族をしっかりと
見守っていることは間違いないと思うのであります。







本文





そこでこうした人を守るためには、先程の二例のように、他の人に送念して、他の人から注
意や、助太刀をしてもらうことにする。
 

この時の相手は、必ず過去世において、守護霊同志、または、肉体人間同志が、因縁浅
からぬ者でなければ駄目なのである。
 

しかし時には、その被守護体の人間が、あまりにも業因縁が深く、迷(無明)で分霊の光を
ほとんど覆ってしまっている場合には、いかに守護霊が全力を挙げて浄めたり、奔走した
りしても、通じない。
 

仕方がないので、守護霊は、守護神に救援を願うのである。
 

すると守護神はこの願いを聞き入れて、大いなる神の光を、その肉体人間に放射する。
 

この光は業因縁を通して、分霊に通じ、分霊の光の力が増してくる。
 

この時、なんとなくこの肉体人間の心(脳髄)に宗教の関心が湧いてくる。
 

この場合、たんにご利益信心的な心であるかも知れない。
 

それでもよいのである。
 

この人間にとっては、その気持ちの起こったことが、一歩も二歩もの進歩なのである。
 

その時、守護霊は、その機会を逃がさず、その人間に適当する宗教に、その人間を導くの
である。
 

また、ある場合は、守護神の光によって、一挙に幽界に転出してしまうことがある。
 

いいかえれば、急死してしまうことがある。
 

それは、そのほうが、この人間の進歩に都合が良いからである。
 

以上のように守護霊は肉体人間と一つになって、人間を善導しているのである。
 

人間が、自己の運命を改善し、幸福になりたいとするならば、ただ、守護霊に自己の運命
を委せればよい。
 

守護霊さん、ありがとうございます、守護神さん、ありがとうございます、神様、ありがとうご
ざいます、と常に感謝していればよい。
 

この心が神への全托なのであり、守護霊の活躍を充分にさせる一番よい方法なのである。
 

この心でいれば、その人の行動はおのずから、調和した整ったものになり、生活は楽しく
楽になるに決まっているのである。
 

何故ならば、守護霊、守護神、と真っ直ぐにつながり、そのつながりによって、その光に
よって、業生の因縁因果の渦巻からいつの間にか離脱でき、分霊本来の光が直霊(神)
につながり、肉体をもったままで、人間神の子の実観を、真に体得できるのである。
 

守護霊を知らず、守護神を知らず、ただいたずらに、精神統一法をしたり、坐禅を組んだり
した場合、その精神統一で、やや空になった肉体に、幽界の魂魄が感応してくる場合があ
る。
 

こうした場合、守護霊により、自然法爾(しぜんほうに)整った、生活態度、いわゆる明るい
楽しい雰囲気とは違って、何か、非常識な、他人に不快を感じさせるような雰囲気を持つ
人間になる。
 

私はただ、素直に、守護霊、守護神に感謝してその人、その人の生活の業に励んだほうが
楽に、自然に、神につながり、悟れる、と信じている。
 

いかなる困難な事態がその人の前に起ころうとも、守護霊の守りを信じ得る人は、必ず、
その事態は光明に転ずるのである。
 

この場合、守護霊はいったいいかなる人か、などとその人の生前の戸籍調査などしなくと
もよいので、ただ、誰方(どなた)か知らぬが、自分に関係の深い祖先の一人が、神様につ
ながる強い力で、守って下さるのだと、素直に思っていればよいのである。
 

もし迷う事柄があったら、心の中で守護霊さんを呼びながら、その裁断を願えば、必ず、な
んらかの形で、その答をしてくれる。
 

それは前に述べたように他の人に逢って、その人の口から聞かされるかも知れぬ。
 

あるいは、ピン、と直感的にひらめくかも知れぬ。
 

ただ、この場合、前者なら、最初の直感が、その答である。
 

その答がいかに、現在の自分に都合が悪いように思えても、それは後によくなる方法に違
いないのである。
 

それを信じなければならぬ。
 

第二直感で出てくることは業因縁の答であるから、よくよく注意せねばならぬ。
 

業因縁の答は常に甘い。
 

都合のよさそうな答が多いので、つい、この答にひきずられることが多いものである。
 

だから、常日頃、守護霊を信じ、感謝の想いを抱いていなければいけない。
 

弘法大師が、同行二人(どうぎょうににん)といったのは、この人間生活は自分一人で生き
ているのではなく、守護霊と二人連れなのだ、神様と一緒に生きているんだ、ということで、
キリストの、神常に汝とともにあり、という言葉と同じである。
 

ただ、一般の人たちに、神、という風に、あまりに大きな、高い感じのものより、守護霊とい
う、自分自身と直接つながりを持つ、祖先のしかも力ある霊が背後で常に守ってくれてい
る、と思うほうが非常な親近感で、念じやすく、かえって神に統一する環境になりやすい。




             『神と人間』 五井昌久 白光出版









2015年12月 2日 (水)

『神と人間』 夢はなぜ見るか?2 



感想


ほんとうの親である守護霊さまはどうやって子どもであり、孫である人間を守っているか?

そこには涙が出るほどの守護霊さまの有り難い慈愛があるのです。

私たちは、夜になり、疲れれば横になり、眠りに付きますが、守護霊さまは四六時、眠ることなく守り続けてくださっているのです。

さあ、ここで

そんなに守ってくれているんだったら、

「どうして自分は事故に遭ってしまったんだ、守ってくれていたはずじゃなかったのか?」

「神も仏も守護霊もあったもんじゃない、自分の人生は最低だった」

 という声もあると思うのです。

それは、守護霊の愛は、その人の魂の成長を最重点項目に置いており、本人にとって都合のいいような守り方はしないのです。

そして本文にもありますが、守りたくても本人が

「守護霊なんているものか?」

と無視?し続けていれば、非常に守りにくいのです。

「守護霊様、ご先祖様いつも守っていただきありがとうございます」

という感謝の気持ちが大切です。

感謝は光であり、愛の気持ちです。

その心は、守護霊、そして守護神(守護霊に解決出来ないことは守護神の役割となる)

に通じ、九死に一生を得ることになるのです。

地球界で活躍した聖者、賢者は守護霊の存在を知っていて偉大な功績をあげたことをここにつけ加えておきます。

下記の本文は、五井先生が守護霊様のお働きをわかりやすく述べておられ
ます。




本文



いったいどういう風に守護霊が運命を修正してゆくかというと、種々の方法がある。

例えば、転覆した汽車に乗るべきを、忘れ物をして乗り遅れたため、生命の危機を逃れた。

という場合、物を忘れた、この忘れ物に守護霊の働きがあるので、守護霊の念が、その人の肉体頭脳に働きかけ、その人の頭の回転を瞬間的に阻止して物を忘れさせるのである。

また他の人を使って、自分の守護する人間を助ける場合もある。

例えば、ある人が、何か急に友人Aを訪ねたくなり、別段に用事もないのに、急用でもあるような気持ちで、その友人を訪ねる。 

と、友人A一家は、事業に失敗して、今まさに一家心中の手前であった。

驚いたある人は早速この友人Aのために人肌(ひとはだ)脱いでやること

になった。

この場合、Aの守護霊は、Aを助けるため、Aと波長の合う友人のある人に、念を送り、Aの家へ引き寄せたのである。

この友人なら、Aを救ってくれる、ということを、守護霊は、はっきり知っているのである。

この二つの例のようなことが、常に人間世界の生活の上に起こっているのである。

守護霊はその被守護体の眠っている時から醒めて働いている時、休んでいる時、いついかなる時間にも、この人間を守りつづけているのである。

そして、この人間の発する悪想念の蓄積を浄めるために、たゆまざる努力をつづけているのである。

もっとも、肉体界(現界)の救いとしては、この人間にでき得るかぎりの努力、経験をさせつつ、いざという時に助けるのである。

ここで大いに考えなければならないことは、守護霊にとって、一番働きやすい、肉体人間の状態は、常に守護霊のほうに心を向けていてくれることである。

守護霊の存在のいかに重大であるかを知って、常に守護霊に感謝を揚げている子孫ほど、守りやすい肉体はないのである。

もっとも守護霊の生前の氏名など知る必要はない。

守護霊が懸命に、浄めの念を肉体に送っても、その肉体の心が、全然他をむいていて、一向に守護霊のほうに心を向けなければ、守りにくくて仕方がない。

やっと眠りの世界に肉体が入った時、無心になった肉体脳髄から、悪想念の蓄積(その時々の因縁)を夢として消すことより仕方がない。





神と人間』 より 五井昌久  白光出版

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