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2014年9月15日 (月)

ありのままの自分を愛する

 



私たちはほんとうによく自分と他人とを比較をします。

そしてちょっとでも他人に劣っているところがあれば落ち込み

優位に立っていることがあれば優越感に浸る

その姿は自分では見えないけれど

とても醜い姿だと思うのです。

もっとスッキリ、もっと素直に、もっと無邪気に

ありのままに

比較なんてしなくてもいい自分になれたらどんなにいいだろう

と思います。

ありのままの自分をそのまま愛せたら

そしてありのままの相手をそのまま愛することが出来たなら

きっと素晴らしい世の中になると思うのです。





ありのままの天命

季節はずれなお話ですが、この間、セミについて考えていました。

よくセミは儚(はかな)い命だと言われます。

何年も土の中にいて、地上に出てきたら一週間で死んでしまう。

可哀想にと。

私も、以前そのお話を聞いて、本当にそうだと思いました。

たった一週間しか地上で生きられない短命さに憐れを感じていました。

でも、その時ふと、人間は本当にいろいろなものと自分を比較する生き物だなと実感

したのです。

人間同士で比較しては、悲しい気持ちになったり、羨ましく思ったり、あるいは時に

優越感にも浸る。

人と比べて幸せとか、不幸せなどはあり得ないのに、どうしても比較して自分の立ち位置

を勝手に計算してしまう。

自分と同じ人なんて一人もいないのに、その人の置かれた立場や考え、感じ方なんて

体感することすら出来ないのに、何をもって比較し、何をもって優劣を付けられるので

しょうか。

そのように考えていると、そもそもなぜ人間がセミの生き方を儚いなどと感じられるのか?

・・・・・・という素朴な疑問が湧いてきました。

例えば、2千年生きる肉体を持つ宇宙人がいたとして、ある時

「地球の人間はたったの百年で生涯を終えるらしいぞ」 と知った彼らが

「それは悲しいことだ、可哀想だ、哀れだ」 と思ったとしても、人間にとってはこの百年が

素晴らしい。 

むしろ2千年行き続けられることが良いことなのか、とさえ思えてしまいます。

要は比較して得られるものは、本物でも事実でもないのだと思います。

人と比較して、自分には価値がない、あるいは劣っていると思ってしまいがちですが、

誰も他の人とは比較できないと思いました。

一番大事なことは、すべては自分の体験するために、自分の選択と決断で、この姿で

この世に生まれてきたということ。

確かなことは、すべては導かれていて、守られているということ。

そして、それぞれの天命が完うされることを願い、祈り、信じることなのだと改めて実感

いたしました。

それぞれが、それぞれの立場で、状況で、完璧に導かれていて、見守られている。

それをしっかりと掴むことが出来たら、人や他と比較することによっての優劣は

生まれず、ありのままの自分、そしてすべてがありのままの姿をもって

幸せと感謝が溢れてくるのだと思いました。

すべての生命の天命がまっとうされますように



          西園寺 由佳




 

 

 

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