« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »

2014年9月28日 (日)

悩みを紙に書き出して 頭の中をスッキリさせよう



悩みの“ジャグリング”をやめる


アンドリュー・カーネギーという人がいます。アメリカの有名な実業家で、

鉄鋼王カーネギーと言えばご存知の方も多いと思います。


ある夜のことです。彼は、あまりに多くの悩みを抱えてノイローゼのようになり、

自殺まで考えていました。

「不倫相手の女性から連絡が入り、子どもを認知して欲しいと言ってきた」

「親戚の全員が問題と起こしていてもみ消さなきゃいけない」

「ろくでなしの甥っ子が警察沙汰の事件を起こし、身柄を引き取りに行かなくちゃいけない」

「政治家からの不当な圧力で、会社が存亡の危機に陥っている」

「妻から今夜食事に付き合ってくれなければ離婚すると言われてしまった」

身の周りのことから仕事まで、すべての危機が同時に頂点に達していた瞬間だったのです。




その時のカーネギーの行動


もうダメだ、限界だ、とカーネギーは思いました。

遺書を書いて自殺しよう。

そうカーネギーは決心し、机の引き出しを開けました。引き出しにはもちろん護身用の

拳銃が入っていたのですが、その下には自分の名入りの立派な便せんセットが

ありました。

「ああ、自殺するんだったら遺言を書かなくちゃ」

カーネギーはそう思って苦笑します。

まったく、自殺する前にもひと仕事しなきゃいけないのか・・・。


遺書をかく段になってカーネギーは考え込んでしまいました。

「死にたいぐらいに悩んでいるんだから、さぞかし自分には深い悩みが多いんだろう。

いったいいくつくらいあるんだ?」


わかんなくなっちゃったカーネギーは、黄色い便せんと鉛筆を持ち出し、思いつく問題や

悩みをすべて書き出したそうです。


当時、カーネギーは 「世界で一番忙しい男」 と言われていました。

仕事だけでなく、家族関係を含めると、悩みは絶対に何百もあるに違いない。 

ひょっとしたら 1000個ぐらいあるんじゃないか?

ところが、箇条書きにしてみると、60個ぐらい書いたところで、鉛筆がピタリと止まった

そうです。

思い出して考えて、とりあえず 「もっと悩みはあるはずだ」と些細な問題まで書き出

します。

しかし、あんなにたくさんあると思っていた悩みは、結局、70いくつぐらいしかなかった

のです。


普通の人でも70も悩みがあれば多いと思います。

でも自分の問題や悩みは何百もあると思っていた彼は、あれ?と思ったわけです。

結局、70個の悩みを順繰りに次から次へと考えていたことで、自殺をしようと考えるほど追いつめられていたのです。


悩みを書ききった瞬間、今夜中に解決できることはほとんどないことに気がつきました。

カーネギーは悩みを書いた便せんを、問題ごとにちぎってカードみたいにし、それを仕分

けし始めました。


「明日できること」

「来週以降に着手できること」

「来月で間に合うもの」

「解決できないこと」

という4つの山に分けて、その4つ目の山(解決できないこと)はそのままくず箱に入れて

しまいました。

残った3つの山、自分の悩みを書いた便せんの切れ端をカーネギーは大事に机の

引き出しにしまい、そのまま彼は奥さんと夕食へと出かけたそうです。


もうすっかり、けん銃や自殺のことは忘れて。






苦しさの本質に気づく


私がこのエピソードを読んだのは、もうずいぶん昔のことです。

それでもその時、頭を殴られたようなショックを受けました。

そうか、悩みの本質、苦しさの本質というのは、「複数の問題を頭の中でグルグルと回

している状態」から生まれるのだと気付きました。



これを私は 「頭の中でジャグリングしてる」 と呼んでいます。

ノートをとらずに悩むことは、悩みをジャグリングのように空中で回しているのと同じこと

です。


本来、悩みの解決に使うべき脳の容量をジャグリングに使っている。

だから、あんなに悩むのは疲れるんです。だから、悩んでも答が出ないんです。


悩みが多くなると、一度にすべてを考えることは不可能です。

だから、いくつかの概念やアイデアを、同時に何個かずつ組み合わせては、

ぐるぐる回すことになります。

悩んでも答が出ないと、次は別の組み合わせでぐるぐる回します。

その次も、その次も、回し続けます。

組み合わせが変わると違って見えるので、悩みは無限にあるように気がします。




    

         スマートノート 岡田斗司夫 文芸春秋 



  

世界平和の祈り以外に個人も人類も救われる(幸せになる)道はない


 

 

以前の私は、ブログに世界平和の祈りのこと、守護霊守護神のことばかりを書きなぐって
いましたが(笑)

今は、他の日常生活のことなどを散りばめながら時々、書くようになっています。

真理とは、肉体がこの世を去っても魂(心)は未来永劫ずっと生き続けるのですよ。

と、いうのはいくつかある真理の中の一つであり、実は他にもあるのです。

 
 
 

それは


自分は何者であるか?(我即神也)

他人は何者であるか?(人即神也・人類即神也)

私たちはどこから来たのか?(宇宙・他の星(金星等))

死んだらどこに行くのか? (幽界・霊界・神界・・・)

なんのために生まれて来たのか?(真理を識って天命をまっとうするため)

自分一人で生きているのか? (守護霊・守護神によって守られている)

目の前の現象はどこから来ているのか? (過去世の想念行為が今現われている)

未来は変えられるのか? (未来を明るく想像することで創造される・・・果因説)

世界平和の祈りしか個人も人類も救われる道(メソッド)はないというのはどういうことか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お伝えしたいことは山ほどあるのです(笑)

今日はそのうちの一つをご紹介します。

 
 



 

【守護霊・守護神】


 
祈ると


・守護霊守護神の中に、世界平和の祈りの中に全部入ってしまうと、今度は肉体の自分がやっていると思うけれど、実は守護の神霊がそのままスースーと、動かしてくれているのがわかって来ます。



・私どもの加護の力を、大生命である神の人間の面への守護の力、つまり守護神と、祖先の子孫を守り通したいという守護の想い、つまり守護霊との2つに分け、感謝を捧げる行をしているのであります。

そうしますと肉体人間と守護霊守護神との、障害のないまっすぐなつながりが出来て、肉体内の霊魂(神の分生命)と、外面的な力(神)、大生命との一体感が次第に出来てきて、安心立命の生活を、地上界においても霊界においても出来るようになるのであります。


・守護霊守護神さんの中に、自分の消えてゆく姿の想いを、みんな投げ入れてしまいなさい。

そうすれば守護霊守護神さんの方で、その想いを全部すくい取って消して下さるのだ、というわけです。

守護霊守護神の中に、自分の想いを入れてしまう。それを一歩深めて、守護霊守護神と共に、世界人類の幸せを自分たちのものにしよう、世界を平和にしようという菩薩の心になって、世界平和の祈りをする。そうすると業生の自分がいつの間にか守護霊守護神と一つになり、世界平和の祈りをしている。

それをくり返していると、いつの間にか自分の潜在意識にたまっていた悪い想いが、どんどん消えてしまって、知らない間に神の子である本当の自分が、そこに現われてくる。

そして光り輝くわけです。



2014年9月27日 (土)

肉体は無くなっても、魂(心)は永遠に生き続けるのです。



ほんとうの幸せってなんだろう?

と考えたときに

宝くじが当たって3億円が手に入ったからといって幸せになるわけでもありません(笑)

健康で、人よりも長生きが出来る薬をもらったからといって嬉しいわけでもない

仕事で成功し、みんなから尊敬され、賞賛されている自分をイメージしてみてもそれが生き

目的だとも思えない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だったらなにがいったい幸せだというのだろう?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長く生きてたかだか120年の肉体生活だけを限定して

「人間死んだら終わりなのさ」

「肉体と同時に魂(心)も燃えてなくなってしまうのさ」 

「だから感情のおもむくまま好きなように生きればいいんだ」

と、真理から外れた考え方、刹那的な生き方をしていると絶対に幸せになれないと思います。

今こそ、私たちは真理を知るときにきているのです。

不安を超越して、安心立命までいかないと人間は安らかに死ねないようになっているのです。

無事に他界(霊界、神界)に行けないようになっているのです。


『不安をこえるには』


(『日々の祈り』 五井昌久著 高橋英雄編 白光出版)

 職がなくなったらどうしよう、病気になったらどうしよう、親が死んだらどうしよう、

夫を失ったらどうしよう、老人になったらどうしよう・・・・・

思えばきりのないほど恐怖の種はあります。

それはいずれも自己の生命存続のための恐怖なのです。

...

 金がなくとも、職がなくとも、食べなくとも生きていられる、という道があったら、

どれほど心安まることでありましょう。

ところが現実の生活ではそうはいかない。

しかしこれを裏返しに考えてみると、金があり職があり何の不自由がなくとも、

死病にでもなったらどうでしょう。

心の安定はほとんどの人が失ってしまいます。

心の安定を得るということは、金でも職でも体の自由でもなく、永遠の生命を得る

ということにあります。






 





2014年9月26日 (金)

病気を治す3つの方法 (病は気からはほんとうだった)




このブログは2010年6月今から4年ほど前に書いた文章ですが、今読んでも非常に

大切なことが書かれています。

よかったらお付き合いください。




  先日の調和波動気功法のセミナー で于先生が

病気を治す3つの方法を言っておられました。



1.手を触れない

2.いつどうなるかを考えない

3.今日一日しかないと思う




1.の手を触れないとはそこに(悪い場所)に意識を持っていかないということです。

そこを意識するとエネルギーを与えて大きくして しまうからです。


2.はどうしても結果を気にします。
早く治って欲しいとそればかり思うのです。

病気を想うとまたそれを潜在意識に入れてしまうのです。

病気は時期が来れば必ず治ります。その時期を人間はコントロール出来ないのです。

だからどうぞ神様、お任せしますのでよろしくお願いしますと預けてしまうのです。


3.はここが一番大切ですね、これが出来れば、1と2は自然と出来ているのです。

もう今日しかないんだ、明日は無いんだ、だから今日を一生だと思って大切に生きようと

思うことなのです。

そう思ったら、病気よりももっと気になることがあるのです。


「いつもは、嫌いだからと避けていた人に挨拶をしておこう」(笑)

「明日死ぬとして、他の人が部屋に入って来たらかっこ悪いからかたずけをしておこう」

「読みかけの本を読んでしまおう」

「もう明日がない」 と思えばいつもよりもやる気、勇気が出てくるのです。



私の病気を治す3つの方法の感想は以上なのですが、そのことについて五井先生

の本から抜粋したものがあります。

よかったら読んでみてください。


  







個人指導の時、五井先生が 

「今日は病気が治る秘訣を教えてあげましょう。三つの約束が出来ますか?」

とおっしゃいました。




あなたは患部を触って、こんなに大きくなって、一体どこまで大きくなるんだろうか、

と心配ばかりしている。

だからいけない。


明日から絶対に患部に触ってはいけない。


それが一つ。




二つ目は私がお浄めで病気の想いを消してあげても、あなたは病気だ病気だと、

家に帰ると思う。


私は病気だからいつ頃死ぬのかな、とカレンダーを見れば、私の命日はいつかなと思い、

先生が消せば、そばから病気だ病気だと思っている。


それではいくら消しても限りがない。


もう明日から、決して病気だと思っちゃいけない。





三つ目は、あなたはあと一ヶ月で死ぬか、三ヶ月で死ぬか、と思っているけど、

人のいのちは神よりほかに知らない。



丈夫で歩いている人だってあと五分後のいのちかもわからない。


今夜にも自動車にはねられたり、ガス中毒で死ぬかもわからない。


そうかと言って、今、寝ている人が十年二十年生きるかもわからない。


だから、もう今日一日のいのちだ、と思って、半年後だの三ヶ月後だのと考えることは

絶対にやめなさい。


あなたは今日一日、夜までだと思いなさい


先生に言われて、約束しますと申上げました。


そうしたら翌日から、何か皮がむけたような気がして、花も星もみなきれい、犬も猫も子ど

もたちもなんて可愛いんだろう、と思えるようになりました。


何か仕事をするんでも病気なんて思わないんです。


晩までのいのちなんだから、一生懸命にやろう、という気になりました。







感想

・・・・・・・・・・・文章はずっと続いていき、とうとうこの方の病気は治ってしまうのですが、

プロセスとして、ご自分が病気のことを忘れてしまって、そして今日一日で自分のいのち

は終わりだと思うことで一日一日を一生懸命に生きるようになって、心が寛容に優しくなっ

て、人格が変ってしまったのです。



心の持ち方が以前と変わったのですね。


そして病気や色んなことに対する捉われが無くなったので、身体の中を流れるエネルギー

がサラサラと流れるようになった。


人間は、光のエネルギー(気)体で出来ているので、エネルギーが正常(健康)になった

のです。


そして気(エネルギー)が滞って病んでいた状態が治ったのです。


世間で言われる

「奇蹟が起こって、癌細胞が消えた!」


というのは癌を持っている人の心境が変化したことをいうのです。


自分で自分のエネルギーを整えたのです。(これを波動調整といいます)



だから奇蹟でもなんでもないのです。



病気とは何か?


なんとなくわかっていただけましたか?


そして病気を治すことよりも心の持ちようがいかに大切か


心の持ちようが現象(病気)に現われてくるのです。


だからやっぱり 病は気から なんですね。



  
 


参考図書

『みんな救われている』 五井昌久 白光出版




  

 

霊障というものを知ってください

 

 

すいません、ここ最近ずっとブログをサボっていました(笑)。

しかし怠けていたわけではなく、ツイッターの方に行っていたのです。

ツイッターはショートブログ、短い文章で真理を伝える

いろんな方面から真理とつながっていただければいいと思うのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところでどうしてもここで(ブログ)書きたいことがありました。

それは、病気というのは、西洋医学、東洋医学だけでは解決出来ないということです。

霊障(れいしょう)というのですが、亡くなった人がさ迷って、肉体界にいる人に憑依する現象です。

病気になっている人でこういう人は結構おられるのです。

しかし、簡単に

「あなたの病気は、霊障かもしれませんよ」

なんて言えません。

それは、心が把われてしまうからです。

恐怖心を植え付けることにもなるからです。

変な霊媒師のところへ行ってしまう可能性もあるからです。

よほど、ひどい霊障でなければ、今なら祈りで取れるのではないかと思います。

病気は、人に治してもらうものではなく

自らの波動調整によって治すのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その前に霊障というものがどういうもの(こと)なのかを知ってください。






  

霊障というもの

 

もう一つの質問 「霊障(れいしょう)の病いと長いこといわれてきましたが、どういうものなのでしょう」 という」問いに答えましょう。

霊障というのは、迷った想念が肉体にかかり、おぶさっている状態をいうのです。

余計に荷物(迷った人の想い)を背負ったようで、そこだけ重いわけです。

それが頭に来れば頭が変になるでしょう。 肺へ来れば肺病になるでしょう、というようにさわっている。 それが霊障というのです。

どうしてそのようなことがあるかというと、自分の肉体などない、死んだ後の世界などあるものか、人間は肉体があるうちが生きているので、肉体がなくなれば死んでしまうのだ無になるのだ、死んだ者に魂などあるものか、と思って死にます。

要するに、いかにも仏教を説いているようだけれど、そういう人は唯物論者で、実は何も知らない。 

本当のことは何も知らない人が死にますと、死んだら生命(いのち)がないと
思っているのに、実際に生命があるでしょう。 

想いが返ってくるのだから。

そうするとああ俺は死ななかったのかと思うわけです。

じゃ生きかえったのかナと思う。 

けれどももう肉体はないわけです。

幽体があるけれど肉体はない。 

だから体は肉体感覚とは違うわけです。

なんだかしっかりしないんだナ。

そうすると思い出すのはどこかといと、自分が昔住んでいた所とか、親しい人とかを思い出すのです。

それでスーッと親しい人の所へ来るわけです。

自分の妻なり夫なり、子孫なりの所へ来るのです。

そして一緒にくっついてしまうわけです。

くっつかれた人は重くなってしまう。 

そういうのが何人もあれば大変です。

重態になるわけです。

私たちがそれを見ますと、ああ誰々がいるな、というので気合をかけたり、拍手を打ったりして浄めるわけです。

ところが執念深く何十年来もついているのは、一遍や二偏ではとれない。

うっかりすると、その人まであの世へ逝ってしまうことになるのです。

だから少しずつ少しずつはなし浄めてゆくのです。

新しくついたものなら、パッと浄まります。

そういうものなんですよ。

 

あの世のためにもなる生き方

 

だから私はよくいうのです。 

この肉体に生きている間は何もしなくてもいいから、あの世
へ行ってまで人の世話かけるな。

あの世へ行ってまで世話かけるのが一番いけないことです。

この世でなんにもしなくていいから、せめてあの世にも生命があるんだナ、死んでも生命があるんだナ、という気持ちをもって、守護霊さん守護神さんにすがっていなさい、

というのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「空即是色」 五井昌久 白光出版



  

 

2014年9月17日 (水)

個人も人類も同時(一緒)に幸せにならないと意味がないと思うのです。



ちょっとマジメな話をしますが、私たちの幸せとは個人の小さな幸せと地球人の幸せ

そして、もっとグローバルに言えば宇宙の幸せがあってほんとうの幸せの完成があると

思うのです。

日常生活に追われ、仕事に追われ、人間関係に疲れ、自分のことで

「いっぱい いっぱい」 なのが現状だとは思うのですが(私もそうです)

しかし、人間として生まれてきたからには、地球人であるからには

宇宙の一員であるのならば

もっともっと視野を拡げて 宇宙単位で物事を観てみるのも必要だと思うのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いや今こそ、私たちは宇宙意識にならなければいけないのだと思います。

下記の文章を読んでそう思ったのでした。






 
UFOと塩漬けリンゴ


 

1947年6月24日、ワシントン州、レーニエ山で、K.アーノルドによって目撃された9機の飛行

物体は、「皿が飛んでいるようであった」という事から、Flying Saucer(フライング ソーサー)

と言われるようになりました。

それ以後、世界中至る所で目撃者が増え始め、ペンタゴン(米国国防総省)も調査に乗出

しました。

その時に付けられたUFO(未確認飛行物体)が世界的に公式名となり、一般にも広まって

いったのです。

 さてUFOは、現在に於いてのみ現れている現象ではなく、地球の歴史と共に、太古の

昔より目撃されている事実が、古文書等を調べれば分ります。

UFOは攻撃したり、人々を困惑させる為に、地球を訪れている訳ではありません。

私達、全地球人にとって、心して見上げなければならない、“天よりの使者”なのです。

 私達は、地球がこれから迎えなければならない大進化の為に、私達に、心からの援助の

手を差延べてくれている事を知っています。

最近とみに、“世の終わり”という事が言われていますが、終わりではなく、始まり(新時代

の到来)なのです。

地球は未だ波動が粗く、完全なる姿を現してはいませんが、今こそ、地球人類一人一人

が“国”を超越して、 真の平和な心で助け合い、強い絆で結ばれる時なのだと呼掛けて

いるのです。

 “目覚めなさい、塩漬けリンゴ達よ!”という、宇宙からの最初のメッセージを受取りました。

これは、地球にいるキリスト族と呼ばれる、ある使命を持った集団に届けられたメッセージ

です。

天孫降臨(神道)、地湧の菩薩(仏教)、天孫降臨(神道)、地湧の菩薩(仏教)、又、宇宙では

塩漬けリンゴ、清掃人夫と言われている彼等は、他の天体から地球に移住して来た人々

を導き、元の天使の姿(本来の姿)に返そうという、大きな使命を持って地球に来ている、ある

宇宙的な集団の事を指していると言われています。

 この集団は、遊星から遊星へ、太陽系から太陽系へと移り歩いて行く、“宇宙の放浪

者”(ワンダラー)とも呼ばれている特殊な人々なのです。

宇宙の中の進化の遅れている星に赴き堕落した同胞に援助の手を差延べて、一日も早

く、彼等を目覚めさせようとしている“菩薩”なのです。

いよいよ時が近付いて来ました。地球が、ハイ・バイブレーションの新しい星に生れ変わる

時が間近になっているのです。

一人一人が目覚めて、“地球天国”を作る為の使命を果たそうではありませんか。

 大天命体(宇宙神、創造主)は、イマジネーション(想像)する事によって、宇宙をクリエイト

(創造)しました。

そのように、想像は創造する力を持っているのです。

今こそ私達一人一人が、心の中に真の平和を描く事によって、地球に永遠の平和を築い

て行きましょう。

地球は今迄に6回、進化に失敗して来ました。

今が7回目の大進化の時なのです。

その転換を成功させるのは、地球人類一人一人の意識に掛かっているのです。

大いなる使命を全うしようではありませんか。

光の奉仕人には 果たすべき大いなる使命がある。

呼掛けが来る時には 私達の用意が 整っていなければなりません。

そして、その呼掛けは 親愛なる友よ。 そうです。 本当にやって来るのです。






      ー開かれる生命の書ーOXAL

2014年9月15日 (月)

ありのままの自分を愛する

 



私たちはほんとうによく自分と他人とを比較をします。

そしてちょっとでも他人に劣っているところがあれば落ち込み

優位に立っていることがあれば優越感に浸る

その姿は自分では見えないけれど

とても醜い姿だと思うのです。

もっとスッキリ、もっと素直に、もっと無邪気に

ありのままに

比較なんてしなくてもいい自分になれたらどんなにいいだろう

と思います。

ありのままの自分をそのまま愛せたら

そしてありのままの相手をそのまま愛することが出来たなら

きっと素晴らしい世の中になると思うのです。





ありのままの天命

季節はずれなお話ですが、この間、セミについて考えていました。

よくセミは儚(はかな)い命だと言われます。

何年も土の中にいて、地上に出てきたら一週間で死んでしまう。

可哀想にと。

私も、以前そのお話を聞いて、本当にそうだと思いました。

たった一週間しか地上で生きられない短命さに憐れを感じていました。

でも、その時ふと、人間は本当にいろいろなものと自分を比較する生き物だなと実感

したのです。

人間同士で比較しては、悲しい気持ちになったり、羨ましく思ったり、あるいは時に

優越感にも浸る。

人と比べて幸せとか、不幸せなどはあり得ないのに、どうしても比較して自分の立ち位置

を勝手に計算してしまう。

自分と同じ人なんて一人もいないのに、その人の置かれた立場や考え、感じ方なんて

体感することすら出来ないのに、何をもって比較し、何をもって優劣を付けられるので

しょうか。

そのように考えていると、そもそもなぜ人間がセミの生き方を儚いなどと感じられるのか?

・・・・・・という素朴な疑問が湧いてきました。

例えば、2千年生きる肉体を持つ宇宙人がいたとして、ある時

「地球の人間はたったの百年で生涯を終えるらしいぞ」 と知った彼らが

「それは悲しいことだ、可哀想だ、哀れだ」 と思ったとしても、人間にとってはこの百年が

素晴らしい。 

むしろ2千年行き続けられることが良いことなのか、とさえ思えてしまいます。

要は比較して得られるものは、本物でも事実でもないのだと思います。

人と比較して、自分には価値がない、あるいは劣っていると思ってしまいがちですが、

誰も他の人とは比較できないと思いました。

一番大事なことは、すべては自分の体験するために、自分の選択と決断で、この姿で

この世に生まれてきたということ。

確かなことは、すべては導かれていて、守られているということ。

そして、それぞれの天命が完うされることを願い、祈り、信じることなのだと改めて実感

いたしました。

それぞれが、それぞれの立場で、状況で、完璧に導かれていて、見守られている。

それをしっかりと掴むことが出来たら、人や他と比較することによっての優劣は

生まれず、ありのままの自分、そしてすべてがありのままの姿をもって

幸せと感謝が溢れてくるのだと思いました。

すべての生命の天命がまっとうされますように



          西園寺 由佳




 

 

 

霊能力を得たいという欲望を捨てることが大切です。




「お医者さんが頼りにならない」

「西洋医学では、限界がある、病気を治せない」

などと言われて、神秘的なもの、霊的なものに頼ろうとする人が増えていると思うのです。

そして、幽界のおばけちゃんに取り憑かれた、明らかに “変な人” を先生と呼び

頼り、人生を狂わせてしまった人たちがいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「人生指導にあたる人というのは、聖者(霊覚者)でなければいけない」

というのは私の持論なのですが

他人の人生を預かるというのは大変なことなのです。

なぜならばその人の人生とは、今生で生きてきた30年や50年ではないからです。

前世から見ると何万年、何十万年という輪廻転生して来た人生を観なければならない

俯瞰的に宇宙的に診ないと口を出すことは出来ないのです。

その人の守護霊守護神が

「この子にこう言ってやってください」 と言われても

もう一度自分の本心(神)の中から出てくる言葉を審神(さにわ)して

そこで初めて人生指導が始まるのです。

私は、巷であまりにも多くの人が・・・、いい加減な人が・・・、幽界のおばけちゃんに

取り憑かれた人が・・・・

占いであるとか、相談を受けたりだとか、指導者になったりだとかしているのを見て

恐ろしくなっているのです。

しかし、頼るほうにももちろん責任があるわけです。

自分の人生を簡単に相手に引き渡しているからです。

「自分の人生は自分で切り開け!」

厳しいかもしれませんが

私はそう思うのです。

ある人が先生のところに来て、「どうしたら先生のように、なんでもわかる力を早く得られますか?

 どうしたら霊能力がパッと開けますか?」ときいていました。

「それには得たい得たいという欲望と、あせりを捨てなければだめです。

そういうことより先に、あなたがまず浄まって立派になることです。

日常生活において、愛と真の行いを現わしてゆくことです。

世界平和の祈りを日常生活の中に行じてゆくことだけですよ。

それ以外の特別なものはありません」と先生は答えていらっしゃいました。

...

「肉体人間の想いなどというものは、しょうもないもんですなア」と或る時、

村田正雄さんがしみじみといった。

「そうですよ、肉体人間は罪悪深重の凡夫なんです」五井先生はうなづきながらいわれた。

「肉体の想い、痛いとか苦しいとかいうのは、修行によってなくすことが出来る。

しかし、そのために人々の苦しみ痛みというものがわからなくなってしまうということがある。

例えば病気をして苦しんでいる人、痛がっている人にも

『なんだそのくらい』と全然同情がなくなってしまう。相手の立場になってあげることが出来ない。

私の場合は、あゝかわいそうだな、とその人にすぐ同情してしまう。といって、

その人の業の渦の中に巻きこまれることは絶対ない。

業の渦のしんがりにぴったりついて、相手の渦の通り動きながら、その業を浄めているのです。

その姿は業にふりまわされているように見える時があるかもしれない。

しかし私は業の渦の中にまきこまれることはないのです。

ちょっとでも渦にまきこまれたら、私は一瞬として生きていられませんよ」

一人一人の指導に、五井先生は本当に命をはっていらっしゃるわけだ。

人を真実に指導することの、なんとむずかしいことよ。






  

2014年9月14日 (日)

幸せになる秘訣は素直になることである



「神と人間」 という本があるのですが、この本には、今のほとんどの人たちが知らないこと知っておかねばいけないこと(ねばならないは言いたくないのですが)がたくさん書かれて
いるのです。

これだけ情報の時代になっているのに、私たちはほんとうのこと(真理、真実)はまったくと言っていいほどわかっていないのです。

私たちは目に見える世界(3次元)は、目に見えることで解決出来ると思っています。

表面だけを見て、表面だけで判断して、表面だけで決めつけている

目に見える世界だけしか存在しないと思っているので

霊の眼でみたり、霊の耳で聴いたり、霊の心がわかったり出来ないのです

そして

目に見えるもののほとんどは、目に見えないものの影響を受けているのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目に見えないものとは、幽界であったり霊界、神界の世界のことです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これから人間が真っ直ぐに(素直に)生きていくためには目に見えない世界を
知ることが重要だと思うのです。

そして、肉体界を整えるために幽界を浄めてくださり、個人的にも24時間プラスアルファで私たちを見守ってくださっている守護霊守護神の存在を知ることです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんなこと(守護霊さんのこと)を書くと宗教臭いって思われるかもしれませんね(笑)

しかし、宗教嫌いの人だって守護霊の存在は多くの人が感じ、認めているのです。

私もまともな宗教以外の邪な宗教は大嫌いです(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これから私たちの周りにはいろんなことが起こって来るのです。

肉体人間には1分先のこともわからないのです。

わかっているのは、霊界、神界にいらっしゃる守護霊さん守護神さんだけです。

目にみえる肉体界、3次元のことは、自分で一生懸命にやっていきましょう

そして目に見えない世界のことは

守護霊さん守護神さんにお願いしましょう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それが 障りなく、真っ直ぐに素直に生きてゆく “正しい生き方” なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


本文
 

誰にでも幸福になりたくて働き努力するのだが、なかなか幸福にならない。

幸福になる秘訣は素直になることである。

素直とは肉体の人間に素直になれというのではない。 

真理に素直になれというのである。

いいかえれば、神に素直になれというのである。

神というと何か遠い気がするし、つかみにくい気がするだろうから、守護霊に素直になれというのである。

守護霊とはおおむね祖先の霊である。 

お祖父さん、お祖母さんが、自分の背後にいて
霊の眼で、霊の耳で、子孫である自分の運命を予見し、悪い運命への道から、善い運命の道へ、導いて下さるのである。

それはちょうど、父母が小さな子どもの手を取って、あちらだ、こちらだと、引き廻して
くれるのと同じことなのである。

しかし、肉体の父母にはその子の将来の運命は一分後のこともわからない。

が、守護霊はその子の将来に起こる出来事をよく知っていて、その子孫の運命を

幸福へ、幸福へと導こうとしているのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

  「神と人間」 五井昌久  白光出版



 
 

 

相手の “ものさし” を理解する

 



わたくしごとですが、昨日中学、高校時代の友人と “飲み会” をしました。

私にとってこの飲み会(2、3ヶ月に1回開催)は、気心の知れた仲間たちと過ごせる至福のときなのです。

同じ時期に同じ中学同じ高校に通っていたというのは、確率的にも

奇跡であり、その人たちとは縁が深いのです。

親子や兄弟よりも縁が深い人たちもいるそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな友人たちも 当然違う人生を歩んでいます。

考え方、感じ方、思っていることも全然違います。

違って当たり前なんだけれど

なぜか

同じ考え方だったり、感性が似ていると嬉しくなるのです。

「やっぱりお前は親友だ、オレの気持ちがわかってくれる」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

“自分のものさし” と “相手のものさし” が同じことが良いことなのだと思ってしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だけど そうじゃないですよね

違いを認めて

「ああ、そんな考え方もあるんだ」

育った環境、生きてきた道程を聞いて

「そうか、そんなことがあったのか、だからそう思うのか?」

・・・・・・・

お互いに判り合えて

気持ちが一つになれる

そんな “飲み会” をこれからも続けて行きたいと思っています。

 



相手の “ものさし” を理解する




インターネットである話を目にしました。

ある老人が物置で昔の物をいろいろ見ていたら、自分の古い日記と、当時小学生であった

息子の日記が出てきました。

たまたまその日記の時期が重なっていたので、老人は、自分の日記と息子の日記を

照らし合わせて読んでみるのです。

すると、自分の日記には

「息子と釣りに行った。 何も捕まえられなかった。一日無駄にした」 と書かれていました。

しかし、同じ日の息子の日記を見てみると、そこには

「お父さんと釣りに行った。 今日は人生で最高の日だった!」 と書かれていたのです。

それを見た時に、老人は自分の感想とは全く違う息子の純粋な日記に胸を打たれた、

というお話でした。

それは、私の中でもとても印象的なお話でした。

私たちは皆、自分の “ものさし” を持って生きてます。

その “ものさし” で私たちは自分の悲しみ、喜びなどを計ったり、あるいは、それを

自分の頑張り、努力の基準にしたりするのです。

この “ものさし” という基準が存在しているから、自分はこういう場合悲しむから

同じく人も悲しむだろうとか、自分だったらこれくらい努力するのに、

あれくらいで弱音を吐いている部下はまだ甘っちょろいとか、あるいは

私はこうされたらとても嬉しいから相手にもそうして喜ばせてあげようなどと

私たちは思うのです。

しかし、私たちが忘れてならないのは、この “ものさし” は、自分の性格や実体験が

基となった自分自身の “ものさし” であるということなのです。

いくら自分の “ものさし” で人を計り、喜ばそう、理解しようとしても、人が違えばその

“ものさし” も変わってくるということなのです。

大切なことは、自分の “ものさし” を通して人を見るのではなく

相手の “ものさし” を理解して、それに合わせた行動を取るということなのだと思います。

最初の例で言うと、老人は自分の “ものさし” では釣りを重視している。

だから魚が釣れなければ一日が無駄だということになったのだと思います。

しかし、だからといって、息子も無駄だと思っただろう、ということにならないのです。

息子の “ものさし” では、父親と釣りに行けることが喜びだったのです。

その “ものさし” で見れば、魚が釣れようが釣れまいが、全く関係なかったのです。

自分の “ものさし” がすべてだと思ってしまうと、多くのズレや誤解が生じる原因に

なってしまいます。

人と向き合う時、相手がどのような “ものさし” で世界を見ているのか。

喜びを感じているのか。

物事を理解しているのか。

それに向き合うことが大切なのだと思います。

人類即神也

         西園寺 由佳




 

 

2014年9月12日 (金)

聖者ってどんな人?


 
私のブログによく出てくる五井昌久先生ですが、日本にはこれまでにたくさんの聖者

賢者が進化した星(金星など)から地球に天下って来られました。

五井先生は、大正5年生まれ、昭和24年に神我一体を経験され、覚者としてたくさんの

人々に真理を伝え、世界平和の祈りを伝承されました。(昭和55年帰神(逝去))

私も多大な影響を受けているのですが、最近つくづく思うのは

「人間は物体ではないのだなぁ」 ・・・・なのです。

それは目でわかるのではなく、エネルギーでわかるとでもいうのでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

みなさんも自分は170cmの体ではないんだ

自分のほんとうの身体(霊体、神体)は宇宙大にとてつもなく大きいんだ

と思ってみてください。

そうすれば世界が拡がっていきます。

自分のことをたのもしく思えてくるのです。




 

五井先生の言葉

「面白いネ」と先生はおっしゃって、私の顔をごらんになった。

「ここに五井昌久という五尺二寸そこそこの人がいるでしょう。ところが私の本体はものすごく

大きく、宇宙一杯にひろがっているんだ。けれど私はその本体を必要に応じて少しづつしか

現わしていない。

もしいつも本体のまま現わしていたら、みなさんとつきあっていけませんよ。子供がくれば子

供と一つになって遊び、老婆がくれば老婆のグチを親身になってきいてあげる。苦しんでいる

人があれば同情して共に苦しみ、共に悩む。

...

しかし苦しんだり、悩んだり、泣いたりしているからといって、私はそれに把われているわけで

はないから、本当に悩んだり苦しんだりしてはいないのです。

といってお芝居をしているのではない。その時は本当に悩み苦しんでいるんだ。

わかるかな……

私はつねに光明の中にいて、そして相手と一体になっているんです。

相手の欲望のまま、想いのままに動かされているのではなく、相手の欲望、想いを浄めてい

るんです。

そこのところは外形を見ただけではわからないかもしれないね。けれどそういうもんなんだ

よ……」

「先生は個人指導をしていらっしゃるそうですが、ご指導の言葉は相手の守護神さんのいう

ことをお聞きになって、その人にお伝えなさるのですか?」とある人が尋ねた。

「相手の守護神さんがぜひその人に伝えてくれ、と頼むときはその人にいいますけれど、

いちいちきいて指導しているのではありません。

内よりわいてくる神のひびきを必要に応じて話しているのです。

いちいちこの肉体の頭で考えているのではありません」

「統一していますと、高く高くのぼるというのは想いが先でしょうか?」

「そう、想いのほうがのぼります。それと体がズーッと宇宙一杯にひろがる時もありますよ」

「ひろがるとき自分の想いはどこにありますか?」「ひろがるその中心におりますよ。……人間

はまず想いを限りなくどんどん高めることです

。高め高めていけば、神のみ心に到達します。

そうすると、この肉体界にそのまま、さわりなく神のみ心を伝えることができるのですよ」







 

叡智

 
 


  
 
    


私たちはもう情報だけでは、膨大な知識を集めただけではなにも解決できないことが

わかっています。

それが証拠に、私たちは膨大な情報が入ったスマート(賢い)な箱状の機器を持っています。

しかし、便利さはあるものの、すぐに答えはわかるものの、その先の大切な世界へは

行こうとはしなくなったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その世界とは心の奥底にある、素晴らしい叡智が潜んでいる未知なる世界です。

いえ未知ではありません。

行こうとすればいつでも行ける門戸が開かれている素晴らしい世界なのです。

その素晴らしい叡智を使おうとはせず、簡単に手に入る情報から得た知識で

自分を取り繕うとする

だから薄っぺらい人間になってしまうのです。 無限なる叡智!

私たちは神性(神聖)に溢れているのです。

叡智だけではなく

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

無限なる光

無限なる生命

無限なる美

無限なる若さ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このまま顕在意識(あらわれているもの)だけで生きていてはもったいないのです。

下記の文章を読んで

そう思ったのでした。



 

    叡智

 

 

先日、ある教授の講演会に行きました。

その中で教授は、田坂広志氏の言葉を引用されながら、情報・知識・知性・叡智の違い

についてお話をしてくださいました。

今はまさに情報化時代であります。

私たちはさまざまな情報が行き交っている中で生きています。

お話によると、それらの情報を組み合わせることによって知識が生まれ、情報を知識に

変える力、答えを出す力が知性なのだそうです。

そして叡智とは、集団やコミュニティにおける知性を言うそうです。

現代社会はそれらがピラミッド状になっていて

一番下層で多く存在しているのが情報。

その上の層が知識。 さらにその上にあるのが知性。

そして一番上の最も少ない部分が叡智となっているそうです。

そして 「受験」 とはまさに情報と知識を問うものだと、その教授はお話してくださいました。

子どもたちは一生懸命、情報と知識を詰め込んでいるのです。

そして、下層部分が広がる一方で、最上部の叡智はどんどん領域を狭めている現状を

危惧されていました。

叡智がどんどん衰退してしまっているのです。

情報や知識というのは、知っている世界、答えのある世界ではとても有効なものです。

しかし答えのないものが多く出ている時代になり、昔はこうやっていたから、こうすればいい

という知識では解決できない複雑化した、今までにない出来事に遭遇するようになりました。

未知の世界や答えのない世界では、情報や知識には限界があり、私たち一人一人の

無限なる叡智を引き出す必要性を多くの人々が実感するようになってきたと思います。

表面的な解決ではなく、より良い道、より良い方法、可能性を探り、深い部分をも解決

できる能力が求められているのだと思います。

逆に言えば、過去になかったこと、未知なるものに向かっていけるのは、まさしく叡智で

あるということです。

そしてその叡智は、どのように引き出されるのかと言えば、まさしく神性を理解することが

とても重要になってくるのだと思います。

人間本来の生き方とは? 在り方とは? その真理に内在する無限なる叡智とつながり

個人人類同時成道の道を進んでいくことなのだと思います。

そして一人一人が自らの叡智を発揮するとともに、集団やコミュニティの中からも叡智を

引き出していく。

それが神性復活なる生き方、そして未来なのだと感じています。

無限なる叡智

無限なる可能性

無限なる成就

 

             西園寺昌美





  

 

2014年9月 9日 (火)

プライド(虚栄心)が人生を台無しにしている




モーパッサンの 『首飾り』・・・私は一年に数回、定期的にこの物語を思い出すのです。

それは、人にプライドの高さを見たときです。

プライドがあるのは悪いわけではありません。

自信を伴うものであれば、自信がないよりあるほうがいいに決まっています。

しかしプライドとは虚栄心なのです。

「自分を美しくみせたい」

「自分を偉くみせたい」

「自分を素晴らしい人だと思ってもらいたい」

・・・・・・・・・・・・・

これらの虚栄心には限度がありません。

限界がありません。

いくらでも大きくなり、いくらでも醜くなるからです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

老子の言葉に

「足るを知る」 があります。

私たちは、足らない状態であるのではなく

すでに、すべてが整っているのだ、完璧なのだ

満たされているのだ

「足りない」 という気持ちが不幸にしているのだ

ということです。

どんな状況であっても

「自分は満たされている」

「ありがとうございます」

と神さまに感謝が出来る人

それがほんとうに幸せな人なのです。

今現在のあなたの状況で決めるのではないのです。

・・・・・・・・・・・・・・

私はこの物語を読むと自分がいかに恵まれているか

幸せであるかを再確認出来るのです。

みなさんはこの物語を読まれて何を感じるでしょうか?



 
 

安月給の家庭などに案外垢ぬけした美しい娘さんがいるものだが、彼女もそんな一人

だった。

持参金もなければ、遺産の目当てもあるわけではない。

いわんや、金持ちの立派な男性に近づき、理解され、愛され、求婚される、そんな手づ

るのある筈もなかった。

結局、文部省の小役人と結婚してしまった。

もとより着飾ることなど出来ようもなく、簡単な服装で間に合わせていたものの、内心で

は、零落(れいらく)でもしたような気がして、自分が可哀想でならなかった。

彼女は自分がどんな贅沢をしても、どんな洗練された生活をしてもいいように生れつい

ているのに、と思うにつけ、いつもいつも寂しくて仕方なかった。

今の自分の住まい、環境、一切が気にいらなかった。

彼女には晴れ着もなければ、装身具もなかった。

実際、何一つ持っていなかったのだ。

そのくせそんなものばかりが好きだった。

自分はそんなものをつけるために生まれついているような気さえしていた。

それ程までに彼女は人に喜ばれたり、羨まれたりしたかったのだ。

人を惹きつけ皆からちやほやされたかったのだ。

ところがある日の夕方、夫は妻を喜ばせるために意気揚々と帰ってきた。

手には大きな角封筒を握っている。

それは大臣官邸で行なわれるパーティの招待状であったのだ。

だが夫の期待に反して、彼女は、喜ぶどころか、さもいまいましいげにその招待状を

放り投げ、不平そうに言った。

「これ、あたしにどうしろとおっしゃるの! 私に何を着て行けとおっしゃるの!あたしに

はよそ行きがないでしょう。だからそんなおよばれには行けないわ」

夫は、途方にくれ、それでもなお妻が喜ぶことを考え、彼の貯めてあった貯金を全部は

たいて新しい洋服を買ってあげたのであった。

ところが、喜んでいた妻が、パーティが近づくにつれて浮かない顔になってきた。

夫は妻にそのわけをきいてみた。

「だって、あたしつらいわ、装身具ひとつないなんて、宝石ひとつないなんて、身につけるも

のが一つもないなんて、あんまりだわ、考えたってみっともないじゃないの。

あたし、いっそそんな宴会なんて行きたくない」

と応えたのであった。

夫はきらびやかな宝石よりも、美しく咲いている本物の花でも差すように言ったが、

彼女は聞かなかった。

そこで思案した揚句、彼女のお金持ちの友達から借りることに気がついた。

早速彼女は友達の家へ行き、事情を話した。

友達は、大きな宝石箱を取り出すとそれを彼女のところへ持ってきて、蓋を開け、

「さあ、好きなものを選んで」

と言った。

彼女は見た、まずいくつかの腕輪を、つぎに真珠の首飾りを。 それについで金と宝石

をちりばめた見事な細工のヴェネチア製の十字架を。

そして彼女はダイヤをちりばめた首飾りを選んだのであった。

宴会の当日になった。 彼女は大成功だった。

彼女は他の誰よりも美しかった。 上品で、優雅で、愛嬌があり、歓喜に上気していた。

男という男が彼女に眼をつけ名前を尋ね、紹介してもらいたがった。

大臣官房のお歴々も彼女と踊りたがった。

彼女は快楽に酔いしれながら、男たちから受けるお世辞、賞讃、彼女の身うちに目ざめて

きた欲情、女心にとってはこの上もなく甘美なこの勝利、こうしたものから生まれた一種の

至福につつまれながら、彼女は夢うつつで踊るのだった。

家に帰って、首飾りが失くなっているのに気づき、二人は驚愕した。

彼女が行ったあらゆる所を二人で探しまわったが、とうとう首飾りは見つからなかった。

二人は女友達から借りた首飾りと同じものを見つけ出すため、あらゆる宝石店を探し廻

った。

ついに、同じ首飾りがみつかった。 値段は三万六千フランだった。

彼女は手紙を書き、ありったけの品物を担保に入れ、高利貸をはじめあらゆる金融業者

と関係を結んだ。

こうしておのれの余生を台なしにし、果ては自分たちの身に襲いかかる暗たんたる生活

を思うにつけ、今更ながら空恐ろしい気分になるのであった。

彼女が首飾りを返しに行くと、金持ちの女友達は、

「困りますわ、もっと早く返していただなくては。だって、あたし入用だったかもしれない

でしょう」

だが、彼女はその首飾りが替え玉であることに気づかなかった。

二人は住まいも屋根裏に間借りをし、貧乏暮らしの辛さを思い知らされるのであった。

美しかった肌も爪も荒れ放題、長屋のおかみさんみたいな格好で、どこへでも出かけ、

そのつど恥ずかしい思いをしても、なるべく値切っては、苦しい財布から一銭でも守ろ

うとした。

かくしてこのような生活が十年間続いた。

十年目に高利の利息から利に利を積んだ借財まで一切合財返済した。

美しかった彼女はまるでおばあさんみたいに変身してしまった。

貧乏所帯が身について、骨節の強い頑固なおかみさんになっていた。

髪もろくろくとかさず、スカートがゆがんでいようが平気であった。

さて、ある日曜日のこと、彼女がシャンゼリゼを散歩していると、相変わらず若くて美し

い子どもづれの金持ちの女友達に出会った。

彼女が声をかけると、昔の美しい面影をまるで失ったその変わりように、友達は初め

は真実、彼女とは気づかなかった。

「貴女ずいぶん変わったわね」

それから彼女は、借金も返し終わったことだし、思いきって今までのいきさつを一切

友達に話した。

すると友達は、

「貴女は新規にダイヤの首飾りを買ってわたしのとかわりにしたとおっしゃるのね。

まあ、どうしましょう、わたしのは模造品(まがいもの)だったのよ、せいぜい五百フラン

くらいのものだったのよ・・・・」

                  モーパッサン『首飾り』より



 

2014年9月 6日 (土)

時間は未来から現在へと流れて行く (果因説)





今 私は

「心の持ちようが(想念)が大切なんだ」 と痛感しています。

“想念” が自分の人生も地球人類の運命を創ると言っても過言ではありません。

しかし

人類のマイナスの想念エネルギーは容赦なく

私たちの脳裏を襲ってきます

「ポジティブでいよう!」

「絶対に負けずに成功させよう!」

「モチベーションを保ち続けよう!」

と決意しても

「あーやっぱりダメだ」

「出来るわけがない」

「やる気がしない」

・・・・・・・・・

など、エネルギーを明るい未来だけに向けることは難しいのです。 無限なる可能性!

・・・・・・・・・・・・・・・

そしてエネルギーは未来だけに向けられず

過去の失敗したことや挫折したことに向けられ

「以前ダメだったら どうせ今回もうまくいかないんだ」

になってしまうのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そしてほとんどの人がまたマイナス思考に陥ってゆく。 無限なる光!

これらの考え方は

過去があって今の自分がいる

今の状況があるという考え方です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だから時間は時空を超えているのに

過去も現在も未来もないのに

過去→現在→未来

という時間の流れを自分で勝手につくってしまうのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だがしかし

考え方を変えることによって

未来から現在に時間を流している人たちがいるのです

同じとき(瞬間)を過ごしていると思っていたのに

人によっては、時間をまったく逆に流すことが出来る

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしたち人間は時間をも自由自在にあやつれる

時間だけではなく すべてのことをコントロール出来る

とてつもなく

素晴らしい存在なのです

人間の叡智は無限です

これからは

過去→現在

ではなく

未来→現在

に物事は流れていくんだという考え方が主流になっていきます

・・・・・・・・・・

「あらッ あなたまだ因果律の考え方をしていたの?遅れているわねえ」

と言われる時代がやってきます。

「時空を超える」

時代がやって来るのです。







因果律と果因説の違い━過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か




次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対し
て、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体
の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決
まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結
果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結
果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ
手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれ
ば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来な
い以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが
出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるよう
に書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていって
しまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを見て)、投げる
のです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだそ
の希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千
枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、
必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い
描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」

 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すこと
により、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来につい
て思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、

それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、

過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に
向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質
が目覚め、人生は好転するのです。

    

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版





 

2014年9月 5日 (金)

魂の親はあなたに訴えかけている



私は、守護霊守護神の存在を信じています。

それは、ほんとうに困ったとき、にっちもさっちもいかなくなったときに

目には見えない力に助けられ 救われているからです。

それがどこのどなたなのか?

姿形を見たわけではありません

しかし、きっと守護霊さま守護神さまだと思うのです

肉体界の親はまだ健在です

肉体界の親も大切な存在です

しかし私たちには 守護霊さま 守護神さまというほんとうの親がいるのです。

肉体界の親とは肉体界に居る時だけのお付き合いです

死んでしまえば 切れてしまいます (なんだかかぐや姫みたいですね)

守護霊守護神は、肉体界に生まれるずっとずっーと前からのつながりなのです

そして24時間プラスアルファで見守り続けてくださっています

今、守護の神霊は私たちに何を伝えようとされているのでしょう?

私には、「目に見える肉体界ばかりに執着するな、目にみえない世界、霊界

神界に意識を向けろ、私たちに意識を合わせなさい、そうすれば自由自在心になれる

ほんとうの幸せをつかむことができる」

と語っておられると思うのです。

そして肉体界と霊界の間にある幽界の存在も知らせようとされています。

今日は、「守護霊守護神に代わってあなたに語る」 から特に強く強調されている

文章を抜粋しました。

どうぞ、魂の親の叫びをかみしめてください。

20、

あなたは常に幸せを願うのだ。
 
あなたは常に神の無限なる能力を信ずるのだ。
 
あなたは常に調和を愛するのだ。
 
私はあなたのその望みにむかって全精力を傾けて、その実現のためにわがエネルギーをフルにあなたの心の中に注ぎこんでいるのだ。
 
だが、あなたの望みが常に暗く悲しく絶望的であるならば、その方向にむかってわがエネルギーを注ぎ込むことは、不可能である。
 
あなたの考えが明るく積極的な希望に満ち溢れたものに変わるよう、エネルギーを注ぎこむのであるが、そのエネルギーの消費量は並大抵ではない。
 
もともと+(プラス)の考え方を更に+(プラス)の方向に導き、この世に実現可能にせしめることは、宇宙の法則通りに実に簡単で無駄なエネルギーを消失しないものであるが、-(マイナス)の思考を+(プラス)に方向転換させることは、前者の何万倍ものエネルギーが消失されるものである。
 
 
常にあなたの考えを+(プラス)の方向に向けて生きて下さい。

 

 
 

24、

あなたの長い間にわたる苦しみは私にはわかっている。
 
あなたの悲しみや痛みも私にはすべてわかっている。
 
そして更に今あなたの上に投げかけられている不安恐怖、今のあなたの立場ではどうしようもないのもわかっている。
 
私はいつでもあなたの心の叫びを聞き、訴えを聞き、その問題解決が一刻も早からんことを願い奔走しているのである。
 
だがあなたはこの私の心を知ってか知らないでか、常に自分自身の肉体の力でのりこえようともがいている。
 
だがよく聞いて欲しい、もはや肉体界でトラブルが現われはじめたということは、もう何年も、いや何千年も前に幽界で現れていたことを。

幽界で浄めることが全くできなかったが為に、この肉体界に現れはじめたのであるということを。

そのためにはまず幽界を浄め去るのが先決である。

それが出来るのはこの私である。

霊なる力で、霊なる光で、幽界を浄めれば、自ずと肉体界のすべてのトラブルは自然に解決されるものである。

私に頼りなさい。私を信じなさい。あなたが夢をみているその時ですら、私は闇を光に変える働きをあなたの為にしているのです。

あなたはあなた一人で生くるに非ず、私の生命と共にあって生くるなり。





   
「守護霊、守護神に代わってあなたに語る」 西園寺昌美

20、24を含む 「守護霊、守護神に代わってあなたに語る」

http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-20b3.html




  


 

 

続きを読む "魂の親はあなたに訴えかけている" »

2014年9月 4日 (木)

コーヒーをただで配ったらどうね。みんな飲みにくるばい。




商売を始めようとする人でなぜか多いのは、宣伝の仕方が下手なのです。(ごめんなさい)

地元の情報誌に載せるのでも安くても3~5万円はかかります。

それだったら5万円分をただ(無料)にして、近所の人に配ったほうがいいと思うのです。

コーヒーだったら1000杯も配れます。(原価50円として)

チラシだったら存在を知ってもらうのに3年かかるところを
一瞬で広めることが出来ます。

どこでお金をかけるか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お金に綺麗な人っていますよね

金放れが良いというか

スパッとタイミングよくお金が使える人

そんな人って “魅力的” だと思うのです。


 

 

コーヒーをただで配ったらどうね。みんな飲みにくるばい。

 

孫正義の父である孫三憲氏は、孫正義を小さなときから一人前の人間として扱い、経営的なことも質問していたという。

あるとき孫三憲氏は、街のメインストリートから一本入った路地に開店した喫茶店の集客に悩んでいた。

そのことを聞かれた少年時代の孫正義が、父親に向かって語った言葉だという。

孫三憲氏が実際にこの言葉通り、コーヒー一杯無料にキャンペーンを行ったところ、たちどころに店は客で満杯にあり、しかも客は、コーヒーを飲むだけでなくトーストやケーキなどの追加注文を当然のようにしたのだった。

この結果、喫茶店の経営は順調に軌道に乗ったという。

この話を私が聞いたのは、ソフトバンクがブロードバンド事業で最大2ヵ月間の無料キャンペーンを検討しているときだった。

孫正義にとっては、コーヒーがブロードバンドに変わっただけだったのだ。

このように、無料サービスでユーザーを増やし、付加価値のある高度なサービスを有料で提供するのは、現在では 「フリーミアム」 というマーケティング手法として知られている。

しかし孫正義は、その手法を何十年も前に独自に生み出し、実験し、成功を収めてきていたのだ。

 

     「孫正義名語録」 三木雄信著 ソフトバンククリエイティブ




   

交渉ごとは鯉取りまあしゃんに学べ



私は今、営業の仕事をしています。

そして毎日のように

「仕事ってなんだろう?」

「どうしたらうまくいくのだろう?」

と考えているのです。

難しく考えれば考えるほどわからなくなります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんなとき、「孫正義名語録」 という本に載っていた

「鯉取りまあしゃん」 の実話(うそのような本当の話)を思い出すのです。

仕事や営業(交渉)はテクニックではない

自分がスッキリすることと(爽やかであること)

相手の人に受け入れられる(慕われる)かなのだ

と原点に戻るのです。

時代の寵児である孫正義さんが交渉の極意は

「鯉取りまあしゃんである」 と言っておられることに初めはびっくりしましたが

なるほど、「流石は孫さん」 と納得したのでした。






 

交渉は 「鯉取りまあしゃん」に学べ。

 

「鯉取りまあしゃん」 とは、上村政雄氏という実在の人物だ。

孫正義の出身県である佐賀県と福岡県の県境を流れる大河・筑後川で、独特の漁法によって鯉を取る名人である。

火野葦平や開高健の小説やエッセーの題材に取り上げられたことでも知られている。

鯉取りまあしゃんが、真冬の筑後川でどのようにして鯉を取っていたのかを紹介しよう。

まず、漁をする数日前から肉やうなぎなど栄養価の高いものを摂り体調を整える。

当日はまず河原で焚き火をして、そこで体から汗が噴き出るくらいまで体を温めるのだ。

その後に川に入り、水底にもぐり横たわる。

すると体の温かさを求めて、鯉が横にやってくるのだ。

まあしゃんはそれを優しく抱き、そしてそのまま陸に上がってくる。

これが鯉取りまあしゃん」の漁法だ。

この方法で、一度に両手と口で3匹を取ることもあったという。

孫正義は社員に交渉の極意を説くときに 「鯉取りまあしゃん」 のようでなければいけないと説いていた。

交渉の前に、じっくりと準備をし、交渉相手が自然とこちらと合意したくなるように交渉するのだ。

孫正義にとって交渉とは、相手を説得することではない。

相手から慕われるためのプロセスなのだ。


  

     「孫正義名語録」 三木雄信著  ソフトバンククリエイティブ
  
 
 

「孫正義名語録」関連ブログは下記をクリックしてください。

http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-7dda.html



 





 

幸せは歩いてこない 2


 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宋国の農民が農作業をしていたところ、一匹うさぎが猛スピードで走ってきて、畑の中

の切り株にぶつかり死んだ。

この意外な収穫に喜んだ農民は、この日を境に農作業をやめ、ひたすら株の傍らにいて

うさぎを待ち続けたという。

ここまで書いて、日本の 「幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね~」という歌が

耳にこだました。

中学3年の娘と大学1年の息子を持つ母親として、食べたい物を食べ、おしゃれだと思う

服を着、ほしいと言えば、親が躊躇なく新発売のゲーム機も高いパソコンも買ってくれると

いう幸せな子どもたちを眺めていると、成人するまでは、幸せ━株にぶつかり死んだうさぎ

━が歩いて、いや走って来てくれるのが当然と感じているのかもしれない。

しかし社会に出て、まわりの同僚や上司も、親のように甘やかしてくれるだろうか。

社会が暖かくて友だちが素晴らしい、という昨今流行の感動番組を日本のテレビでよく見る。

番組の司会者の 「信じていれば奇跡は起きるよ」 のセリフを耳にするたび、私には

そのセリフが 「株の傍で待っていれば、うさぎは必ず走ってきてぶつかって死んでくれるよ」

のように聞こえてしまう。

感動すべきところに涙を流し、温厚そうな丸顔に滴った涙を拭いながら司会を務めるおっさん

の 「信じてさえいれば」 の言葉に頷き、テレビの画面をじっと見つめる私の子どもに

「そんなの嘘よ。努力もしないで奇跡なんて起きるわけがないでしょ。 

幸せは歩いてこないって」 と声を張らずにはいられなくなる。

いつもそんなことを言う私は、言うまでもなく子どもに悪人扱いされている。

それでも放っておけない、こういう悪人になることこそ、親としての務めなのだと割り切って

日々頑張っている。

母親同士であれば、話が通じるだろうと思い、歳が近い子どもを持つ知り合いにこの

“悪人話” を打ち明けると、「ええっ楊さんってロマンのない人だね」 と言われてしまった。

その瞬間、なぜか孤立するわが身を顧みずに、ふと株の傍でうさぎを待ち続ける農民

のことを、不遇に思った。

あの農民が、もし21世紀の日本で再び生まれたら、きっとテレビで

「奇跡を起こした人」 として、スターになっていただろう。

そして2千300年の年月が流れて、 「守株待兎」 (中国のことわざ) という奇跡が

本当に起きたことに驚くのだろう。

しかし今でも奇跡が起きることを信じて待つよりは、日々コツコツとやっていくほうが

私の性にはあっている、と改めて感じている。

 

    『中国のことわざばなし』 楊 逸(ヤン・イー) 清流出版





 

 

幸せは歩いてこない 1


全米オープンの錦織選手のテニスを観ていると最後まで諦めない精神力が

あって初めて、物事は成就するのだとつくづく思うのであります。

しかし私たちは根底ではわかっていても

それではあまりにも夢がない(確率が低すぎる)ために

「やれば出来る」 「努力は報われる」 「努力は決してうそはつかない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

などととりあえず頑張ることを奨励する

そしてダメだったら

「やるだけやったんだからしかたがない」

「運が悪かっただけさ」

「次に頑張ればいいじゃないか」

と自分を慰めたり、慰められたりするのです

・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし原因は自分が一番知っているのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「こんな弱い気持ちではダメだ」 って

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、人間には徹底的に物事をやり遂げることが求められていると思うのです

「中途半端は無いに等しい」

「人と同じことをやっていては自分の望む成果は得られない」

それがほんとうだと思うのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「果報は寝て待て」

はやるだけやった、徹底的にやった後は

忘れてしまいなさい

という意味です

努力もしないでのんびりしていたら棚から牡丹餅が落ちてくる

ではないのです

中途半端に生きること

中途半端に仕事をすること

中途半端に考えること

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それはもう止めにしましょう

自分を甘やかすことはやめましょう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が今読んでいる本にはそんなことが書いてありました。

次のブログでご紹介します。

『中国ことわざばなし』 楊逸(ヤン イー)清流出版





 




 

 

 

2014年9月 3日 (水)

焦ってはいけない(ローマは一日にして成らず)



どんな奇跡も一瞬のうちに起こるのではなく、目にみえないエネルギーが少しずつ

動いていたのです。

小さいことからコツコツと積み上げていたものがあって

最後に目に見えるものが動いた

だから私たちは焦ってはいけません

焦ると焦げ付くからです

焦げ付くと取り返しのつかないことになります

今までやってきたことが台無しになります

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

毎日少しずつ積み上げてきたものは

いつかはきっと実を結ぶ

そのことを信じて

毎日少しずつ 前進しましょう




毎日小さなことを改良していけば、やがて大きなことが起こる。

毎日少しずつ身体を調整すれば、やがて大きな改良が見られる。

それは明日ではない。翌日すぐに起こるわけではない。

だが、いずれ大きな進歩が訪れる。

大きな改良を早急に期待してはいけない。

日々、小さな改良を求めるのだ。それが変化を起こす唯一の方法だ。

こうして変化が起きれば、それは持続する。(ジョン・ウドゥン)




   





  

2014年9月 2日 (火)

思いが現実を創る



人間の想念って凄い力があって思ったことが現実になるのです。

当たり前のことを言っているようですが、あまりにもたくさんの人がわかっていて

否定的なことを思ったり、言葉に出して言ってしまっています。

「そんなこと言ったって 思うものはしかたがないじゃないか?」

「心の中のものは出してしまわないとストレスが溜まって病気になってしまうんだよ」

と言う人がいるかもしれません。

しかしそれは違うのです

思ったことは現実になり

言ったことは自分に返って来る

それも何倍にもなってです

ただ 時間が経たないと返らないことがあるので

まさか何年も前に思ったことや 言ったことが返って来るなんて思ってもいないんですね

肉体界は時間差があるけれど

死んだ後の 幽界 霊界 神界は

思ったこと したことがすぐに返って来る世界なのです

「あいつ腹が立つなあ殴ってやろうか?」

と思った瞬間

相手からパンチが飛んでくる(笑)

思っただけなのになぜわかるんだろう?

他界(幽界 霊界 神界)では、思いが相手にバレバレだからです

・・・・・・・・・・・・・・・・・

もし肉体界もそうなったらどうします?

心の中を綺麗にしようと思いますよね(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これから地球界(肉体界)は、幽界(想いの世界・潜在意識の世界)が浄まって

霊界・神界が現れるようになります。

そのときに、心の中に邪な汚れた思いがないようにしなければ

自分が生きにくくなるのです

次元上昇をしたけれど

地上天国はやって来たけれど

これだったら元の肉体界のほうがよかった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんてならないように

今から自分を清めて

心を美しくしておきましょう

自分の想念を浄化させるには

世界平和の祈りがいいのです

祈りとは、想念を浄化するためにあるのです。


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます






世の中が不況のときや、悪い実績が続いたりすると、このままでは倒産してしまうのではな

いかという否定的なことを思い、それを気に病む人がいる。

しかし、そのようなことが心を占めていると、その心が本当にその否定的なものを招き寄せ

てしまう。

すべて人生は心に描いた通りになる。どのような厳しい状況に置かれようと、否定的なこと

を心に浮かべるべきではない。

まじめに前向きに努力していけば決して悪いことがあろうはずがないと確信して、常に

堂々と明るく進まなければならない。(稲盛和夫)





 

2014年9月 1日 (月)

健康になるための気功教室明日開催です!

みなさんこんにちは

お陰さまで、グッドムーン気功教室は少しずつ生徒さんも増え

順調に発展しています。

これからの時代は、お医者様や薬に頼るのではなく

自分の身体(精神も)は自分でメンテナンスをすることが大切です。

身体がなにを求めているか?

精神(本心)がどのようにしたいと願っているのか?

それを自分で見つけるのです

レッスンを受けていると

それが自然とわかってくるようになります

とにかく身体を労わってあげることです

身体が喜ぶことをすることです

癒して優しくしてあげることが大切です

すると

お医者様や薬に頼らなくてもいい自分になる

素晴らしいことではありませんか!





日時:9月2日(火)午前10時30分から12時まで

場所: レターズ  大阪府 茨木市 真砂2-13-10

レッスン料: 1000円(税抜) 3~10人のグループレッスンになります


連絡、問合わせ先(担当 関): TEL072-665-5634

 
      篠崎(グッドムーン) 080-1444-0018

レターズホームページ

http://wp.ibaraki-letters.com/70217/





 

調和波動気功法セミナーのお知らせ




みなさ~ん 今日からいよいよ9月ですね

秋ですね

秋が来るとなんだか物悲しくなります 

それは 我に帰るチャンスだと思うのです

暑い夏の間は 物事や人生をじっくりと考えることをしなかった

自分を省みることをおろそかにしてきた

自分はいったいなんのために生きているのだろう?

幸せとはいったいなんなのだろう?

日頃考えないことを

秋の夜長にじっくりと考える時期だと思うのです

調和波動気功法のセミナーに参加されるときっとその

ヒントが見つかると思うのです(答えは自分が見つけるものです)

さあ、今が行動のときです。

みなさんのご参加をお待ちしています。








   
森の会


★日時 9月21日(日) 

12:00~13:30 会食

14:00~  于先生講演

★ 大成閣(中華料理)06-6271-5238(禁酒・禁煙)

★ 会費 8、000円(小学生4~6年生4、000円)




参加されたい方はご遠慮なくグッドムーンにご質問、ご連絡ください。


篠崎携帯 080-1444-0018





調和波動気功法

http://www.harmony-wave.jp/






 

« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ