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2014年6月29日 (日)

お酒について

 

私がブログの中で 「アルコールは最も危険な薬物」 と書いたのは結構反響を呼んだ

みたいです。

テレビでも宣伝している、居酒屋でみんなが飲んでいる

少し飲むのは 「百薬の長」 と言われている

そして

飲む人は、まったく飲まない人のことを 「人生の半分を損してる」 とまで言う(笑)

そこまで支持されているお酒ですが、お釈迦さまは「絶対に飲んではいけない」

と戒めた

私は、最近お酒を飲む場に同席することがあってその意味がわかったように思うのです。

いつも言っていますように私たちは肉体界の他(他界)に幽界、霊界、神界にも同時に

住んでいます。

幽界とは、生きているうちに悟れずに霊界(綺麗な世界)、神界に行けず、さ迷っている魂

たちがいる世界のことです。

(霊とは神霊(神様)のことであり、よって幽霊といういい方は正確ではありません)

幽界(幽体)は、肉体界(肉体)にくっついています。

人間は、死んでも魂は残るのです。

永遠に生きつづけます

しかし、肉体が無くなると魂(心)も同時に無くなると思っている魂たちは自分が死んだこと

を自覚出来ずに、肉体界に居る肉親や親しい人に取り憑いたりするのです。

感情霊、不良霊とも言います。

悟とは感情の世界(幽界)を超えることを言います、だから感情霊とは霊界、神界に行けな

い未熟な
魂たちなのです。

守護霊守護神は、人間を幽界に行かさないように行かさないように光を送りつづけています。

幽界にどっぷりと浸かってしまうと幽界のおばけちゃんの格好の餌食になるのです。

憑依して感情的になります。

怒りっぽくなります、悲しくなります、急にテンションがハイになります。

お金(勘定)に大雑把になります。

相手に対する気配りがほとんど出来なくなります。

「オレはお酒に飲まれていない」 と豪語している人もやっぱり幽界に行っています。

お酒を飲んだ時点で、もう幽界なんです。

それが証拠に、家に帰って仕事の続きをしようとしても無理です。

気が大きくなって、「どうでもよくなる」 からです。(時間を無駄に過ごしてしまう)

肉体界に居ても、幽界のおばけちゃんに襲われそうになる

なのに自分から理性の利かなくなる世界になぜ行こうとするのか?

私は近い将来お酒を飲む人が激減すると思うのです。

自分の波動が細かくなると(霊化される)とお酒という波動に合わなくなります。

霊界神界の波動は幽界と交わらないからです。

「昔、お酒をいう危険な薬物を人間は飲んでいたそうな」

そう語られるようになる時代も、もうすぐそこに来ているのです。

お酒業界は大打撃を受けると思います。

しかしそれも地球が進化してゆくためのプロセスになるのでしょう

お酒業界だけではありません

これからいろんな業界が消えていきます

これからは精神世界(ほんものの世界)へと移行してゆくのです。

 
  

コンセントレーション(集中力)


 

コンセントレーション・・・・なんともいい響きですよね

集中力、集中力と言うよりも私は

コンセントレーション、コンセントレーションと言う方が好きなのです(笑)

理屈ではなく、響きが心地良いんですよね

私たちは、集中力さえあればどんなことも達成、実現出来ることを知っています。

太陽の光を一点に集中させると紙が燃え上がるのと同じです。

だがしかし、集中出来ずに、他のことに意識が行ってします 

そうですよね

集中出来ないほとんどの原因は感情だと思います

「そんなこと言ったって出来っこない」

「自分はバカだから」

「あの人に絶対に無理だと言われた」

だったら邪魔をしているこれらをすべてポジティブに変えてしまったらどうか?

「自分には絶対に出来る」

「自分には無限の可能性がある」

「絶対大丈夫、必ず善くなる 大成就!」

マイナスの感情が出るたびにそれをポジティブな言葉で覆い尽くす

それしか善くなってゆくメソッド(方法)なんてないのです。

宇宙はシンプルです

宇宙は完璧です

だから宇宙のプラスの言霊を唱えるとすべては完璧に調ってゆくのです。


一つのことにエネルギーを集中させることが大事です。

太陽の光を一ヵ所に集めるには、凸レンズを使えばそれは紙を燃やすほどの高エネルギ

ーになるでしょう。

あのように集中させる。

エネルギーは分散してはいけません。

そのエネルギーを、疑いではなく自分を幸せにするほうに使うのです。

 
 

                   西園寺昌美

 




宇宙のプラスのエネルギーがすべて入っている言霊です。

この言霊を繰り返し7回唱えると理屈抜きに気持ちが明るくなっていきます(笑)。

 
  


世界人類が平和でありますように

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

無限なる光

無限なる力

無限なる英知 

無限なるいのち
 

世界人類が平和でありますように

無限なる幸福

無限なる繁栄

無限なる富

無限なる供給

無限なる成功

無限なる能力

無限なる可能性
 

世界人類が平和でありますように

無限なる健康

無限なる快活

無限なるいやし

無限なる新鮮

無限なるさわやか

無限なる活力

無限なる希望

 

世界人類が平和でありますように

無限なる自由

無限なる創造

無限なるひろがり

無限なる大きさ

無限なる発展

無限なるエネルギー

無限なる感謝

 

世界人類が平和でありますように

無限なる喜び

無限なる美

無限なる若さ

無限なる善

無限なるまこと

無限なる清らか

無限なる正しさ

 

世界人類が平和でありますように

無限なる勝利

無限なる勇気

無限なる進歩

無限なる向上

無限なる強さ

無限なる直感

無限なる無邪気

 

世界人類が平和でありますように

無限なるゆるし

無限なる栄光

無限なる気高さ

無限なる威厳

無限なる恵み

無限なる輝き

無限なる包容力

 

病気をすることは必ずしも悪いことではない


「病気をすることは必ずしも悪いことではない」

このタイトルを読んでほとんどの人は

「なにを言っているんだ、病気になることが良いことであるはずがないじゃないか」

とおっしゃると思うのです。

しかし、病気になって生死の境をさまよった人の中には

「ああ、あのときに病気になって良かったなあ、今の自分があるのはあの時の病気の

お陰だなあ」

と思っている人が案外多いと思うのです(私もその一人ですが)

過ぎ去ったときの苦しみは案外忘れています

「そういえば辛かったなあ」 とは思うのですがそのことをいつまでも覚えていて

苦しむことは、まあありません。

それよりも魂が立派になった、謙虚になった、人の気持ちがわかるようになった

自分が強くなった・・・・これらの方がずっとずっと魂的には嬉しいことなのです。

病気になることが良いのではありません

ガンになること、なったことを恐れるな と言っているのでもありません

ただなるのには、必ず神様(守護神)さまの計画があるということです

魂を立派に、成長させるために病気などの現象は起こっています

それは間違いないことだと思うのです

「神様は、この自分の病気を通して私に何を学ばせようとされているのだろう」

そう考えてみることが大切だと思うのです。






病気になって、その苦しみの中から魂が立派になることもずいぶんあります。

ですから病気をすることは必ずしも悪いことではありません。

過去世の因縁の消えてゆく姿として病気するかもしれない。

あるいは人の想いを受けて病気するかもしれない。

どういう形で病気するとしても、病気になったらなったことがいいんですよ。

病気をしている間に何かを悟る、魂が練磨される、ということが大事なんです。

そこで、病気も貧乏も、あるいは友人知人から悪く思われたりすることも━いい行いをして

人のために尽したのに、かえって恨まれたりする場合があります━すべて過去世の因縁

の消えてゆく姿として、いろいろと現われてきます。

そう現われた時が大事なんです。

自分の生活にいやなことが現われた、そこが一番大事なのです。




     「内なる自分を開く」 五井昌久 白光出版




 

 

自分の人生を創るのは、感情

  

私事ですが、昨日、斉藤一人さんのファン(まるかんの代理店をされている方)の人

久しぶりに会って、その方に 「最近、お仕事とかどうですか?」

と聞かれたので、いつもの調子で

「まあボチボチですね」 と答えると

その人は

「そんなこと言っちゃダメ、どんなときでも絶好調って言わなきゃ」

と叱られました(笑)

その通りなのです。

ボチボチと思っていて、それを口に出しているから宇宙の法則の通りに

その通りになっている

現象は、言葉のエネルギー、心の中の想念エネルギーによって創られる

そんな大事なことをうっかり忘れていたのでした

人間はうまくいかないことがあるとつい

マイナスを掴んでしまいます

無意識にマイナスの感情の中に入ってしまいます

そこから脱するには意識的にプラスを掴まなければならない

そこから奇跡(善い現象)は生まれるのです

 

自分の人生を創るのは、感情です。朝起きてから思うこと━嫌だ、つまらない、ダメだ

という感情が自分の人生、人格を創っているのです。

逆に感謝、愛が入っていくと、その感情が人生を大きく変えてゆくのです。

だから自分の感情の奴隷になってはいけない。

          西園寺昌美



   参考図書 「果因説」 西園寺昌美 白光出版






 

 

 

2014年6月27日 (金)

幸せの原点とはなにか?


私たちはときどきふと、「自分は幸せなのか?」 なのかと振り返ってみたり

相手の人に

「あなたは今、幸せですか?」 と聞いたり、聞いてみたくなります。

しかしその定義や根拠は、ハッキリとはしておらず

お金に困っていない

病気ではない

自分や家族が順調に行っている

仕事が面白い

周りに善い人がいる(環境に恵まれている)

心配事が少ない、たいしたことはない

そのくらいのことで幸せを計っているのかもしれません

だから、 「幸せですか?」 と聞かれたときに

「まあまあ」 という中途半端な答が返ってくるのだと思うのです。

私は

幸せってそんな現象的なことであるはずがないと思うのです。

幸せってどんなことが起きたって揺るぐものではないと思うのです。

そんな薄っぺらい底の浅いものではないと思うのです。

幸せとは心の中の状態を言います。

不動心であること

いつも心の中に愛が溢れていること

感謝の気持ちに溢れていること

これだけだと思うのです

それ以外はなにもいらない

西園寺昌美さんの文章を読んでそう感じました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


幸せの原点は何か。心が外の現象にかき乱されることなく、嫉妬することなく、怒り

不満がなく、生かされていること、人を愛することが出来ることに感謝が湧いてくる、

その状態が本当の幸せです。

そのような状態になれば、他に何も要らないと思えるほど、心は充実し、平安に満たされ

るのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



             
西園寺昌美 白光誌7月号より




 

 

子育て四訓

 

子育て四訓


1.乳児はしっかり 肌を離すな

2.幼児は肌を離せ 手を離すな

3.少年は手を離せ 目を離すな

4.青年は目を離せ 心を離すな

  

感想
 

私の一人息子はもう24歳で社会人ですが、時々妻と息子の幼児の頃を

振り返って 「あの頃はかわいかったなあ」 と親バカぶりを発揮しています。

親にとって子どもはいつまでも子どもであり心の片隅ではありますが、しっかりと

生きています。

私は親としては未熟でしたが、なんとか人並みに育ってくれたのは上記の子育てが

自然と出来ていたのではないか?

と思うのです。

乳児の頃は、ヒマさえあればくっついてスキンシップをしていました。

幼児の頃は、手をつないで危険なものから守っていた(本人は嫌がっていましたが)

少年の頃は、何をしていたのかを把握しようとしていました(完全ではありませんが)

そして青年となった今は、大阪を離れて東京に住んでいます。

距離は離れているけれども心が離れることはありません。

それは親だけではなく子もそうだと思うのです。

それは手を抜かずに1.2.3をやってきたからかもしれません

このうちのどれかが欠けていると子どもは寂しさを残したまま成長してしまうと思うのです。

この四訓、素晴らしいですね

短い文章の中に真理が隠されています

ある人が散歩をしていたときにあるお寺の前に掲げられていたのを見たのだそうです。

読んだ人はきっと心が洗われた気持ちになったと思います。

さりげなくこのような教えを示している日本という国は素晴らしい国だと思うのです。

 

 

コンテンツ(内容)とコンテクスト(背景)

 

この世の中を生きていく上で一番難しいのは人間関係です。

同じことを言っても同じことをやっていても、受け取り方が人それぞれ全然違う

良かれと思って言ったことが人を傷つけることもあれば、誤解されることもある

もちろん言葉はエネルギーなので、どういう心境で話したか?で結果も違ってくるし

相手のそのときの感情にもよるのです。

相手の人の機嫌が良いときは何事もなく通り過ぎ、機嫌の悪いときは何を言っても悪い方

に取られてしまう

相手がどう受け取るかは、自分ではコントロールすることはできません

しかし、自分が今どの境地いるのかは自分で決めることが出来るのです。

感情の渦の中でカリカリした状態でいるのか?

高い次元のパーフェクトな世界(神界、宇宙)にいるのか?

肉体は地球界(肉体界)にいながら意識は、高いところに居ることができる

そこが人間の素晴らしさなのです。

そのことを感じさせてくれた素晴らしい文章をご紹介します。
 

 

コンテンツとコンテクスト

 


私が大好きで尊敬するリン・ツイストさんという女性が先日、来日されました。

彼女は20年間、アフリカの飢餓をなくすために奮闘し、活動しています。

彼女はその中で、裕福な人とも、一日一ドルで生活する人とも接し、多くの人が

お金との良い関係性を築けていないことに気づきました。

そして現在、本当に心も満たされる持続的な生き方、在り方、お金との関係性についての

メッセージを発信しています。

彼女の話の中でとてもわかりやすい例があり、ご紹介したいのが、コンテンツ(内容)

とコンテクスト(文脈/ 背景)についてです。

例えば人差指で一本指をつくり、天井を指すとします。

コンテンツ(その内容=指の形)は、コンテクスト(文脈や背景)によって、全く違う意味

をなすということでした。

例えば、指の形を方向という文脈の流れで見れば、指は上を指しているということに

なります。

また、数という文脈の流れで見れば、その形は1という数字を表わすことになります。

あるいは身体という文脈の流れで見れば、それは手の指ということになります。

このように、同じ形、内容であっても状況が違えば、全く違うものになるということです。

そして彼女は、自分が辛い時や仕事をしていて苦しい時、目の前の仕事の内容だけに

焦点を絞って考えると一層大変になるので、そういった時は、何故自分がこの仕事を

やっているのかという文脈や背景に意識を広げると、その瞬間、苦しい仕事も幸せに

変わると話してくれました。

彼女にとって日々の仕事は、ただこなすことではなく、次の世代に素晴らしい地球を

残していくことでした。

その使命を思い出す流れの中に入ると、苦しいと思っていた目の前の仕事が全く違う

ものに見え、感謝が溢れてくるというお話をしてくださいました。

私も本当にそうだと思うのです。

私たち一人一人にはそれぞれの人生があります。

その人生をどういう文脈で囲み、どのような意味をもたらすかで、生き方も在り方も

全く違うものになってきます。

人生は辛いものなのだ。

そういう文脈の中に入ってしまうと、目の前で起きることがすべて苦しいものになってしま

います。

でも、同じ人生でも、人生は学びと成長なのだという文脈の中に入れてしまうと、どんな

苦しみも学びの視点で見ることが出来、その時は辛くとも長い目で見れば、きっと良い

学びになるのだという希望を生み出すことが出来ます。

人生は自らの神性を引き出すことであり、個人人類同時成道を歩むのだという文脈や

背景に入ると、人生は全く違うものになっていきます。

同じ私というコンテンツ(内容)がコンテクスト(文脈や背景)によって変わっていく。

自分の生命が最大限に生かされる文脈に自分を入れること。

シンプルなことなのですが、とても重要なことだと思いました。
 

我即神也 人類即神也 

 

     西園寺由佳  「WORDS of WISDOM」





  


 
 

2014年6月17日 (火)

相手と自分しか見えていない人を小人という 3

 

「大人」 の目で見れば、「大人」 ですから。そうしたら、「大人」 としての地位も

社会的なものも、ついてくると思います。

 

どうしてこんなこというんですか?って。

実は私、この前、ホントに嫌なものを見ちゃったんです。

ガソリンスタンドに行って、ガソリンを入れてもらったんです。

そこのガソリンスタンドで、10代後半ぐらいの男のコが働いてたんです。

その彼が他の車に給油していたとき、外車が入ってきて、彼がその外車にちょっと

当たっちゃったのです。

そうしたら、その外車からオジサンが降りてきて、ものすごい勢いで、彼のことを

怒鳴りつけたのです。

あれを見たとき、私は思ったんです。

「このオジサンも、ナツメが半分しか入ってない袋をサッともらって、悠然と歩いている

中国人を見習ったほうがかっこいいのにな・・・・・」。

全部が全部、中国人になれ、っていうんじゃないんですけど、少し、大人の目で

見たほうがいいのに、って。

そのオジサンは、自分とガソリンスタンドの男のコしか見えないから、怒鳴りまくっている

けれど、私も見ているし、他にも周りに人がいるんです。

そういう周りの人たちが見ていて

「なんだ、こいつ」

って思っちゃうようなことって、あるじゃないですか。 だから・・・・・。

話が変わっちゃうんですけど、以前、私が講演したときのことなんですけど。

講演の前に、「まるかん」 の人たちが、会場の人たちに

「ケータイの電源を切ってください」

ってお願いしたんです。 でも講演中に、ケイタイの着メロが鳴っちゃったんです。

でも、私は、何とも思わなくて

「いやぁ~ このヘンで音楽が欲しいと思っていたところだから、すごく助かりますよ」

 なんていったら、会場が大爆笑で。 それで、私は気にしてなかったから

そのことを忘れてたんです。

ところが、その後で、講演会の感想文が私のところに来て、それを読ませてもらったら

「もし、自分のケイタイが鳴っちゃったら、たぶん、私はハラハラしたと思います。

でも、一人さんがジョークにしてくれたので、あの人はスゴク助かったと思います」

って書いてあったんです。

この感想文書いた人、スゴイなぁと思いますよ。

自分が真剣に講演を聞いていて、着メロが鳴っちゃった。そのとき、たいていは

「うるさいな。ちゃんと電源切るのがマナーでしょ!」

とか、いいたくなるものなんです。

でも、この人は、着メロを鳴らしてしまった人の気持ちを思いやって、なおかつ

私のことを立ててくれている。

この人、 「大人」 ですね。

それでこういうふうに、みんながフワッとなれる。自分と相手だけではなく、その周り

にいる人にも気持ちいい。

両方が気持ちよくなれる言葉を発した人が、「大人」 なんです。

話がまわりくどくなってしまいましたが、ガソリンスタンドで怒っていたオジサンに

必要なことは、そういうことなんだ、といいたかったワケです。

だから周りも見ないで

「オレが正しいんだ」

って、自分の感情でいっているのは、体だけ大きくなった子どもです。

「大人」 の目で、ちゃんとものを見るようなクセをつけていないと、外へ出て

恥をかくよ、って、いうことなんですね。

それで、「大人」 の目で見れば、「大人」 ですから。

そうしたら、「大人」 としての地位も社会的なものも、ついてくると思います。

いつまでも、小学生、中学生、高校生じゃないんですよ。

だから、「大人」の目。

自分は 「大人」 だろうか。

ということで、見てください。 そして、それに向けて、一歩ずつ歩いていきましょう。

私も、「大人」 になれるよう、がんばります。 ありがとうございました。
 

 

  「変な人が書いた人生が100倍楽しく笑える話」 斉藤一人角川書店





 



 

相手と自分しか見えない人を小人という 2

 

 
「あの人は大金持ちだから、ナツメ半分くらいでいいんだ」 と思っている。

それで、だまされたお金持ちのほうも、そんなこと、知っているんです。

だけど、ナツメ半分ぐらいで、ギャーギャー騒がないんです。

 

ちっちゃい子どもって、オモチャ屋へ行くと、親の財布の都合なんて考えない。

だから、自分が欲しいオモチャが見えると、もう、それしか見えないから

「買って、買って」 ってワァーワァーやるんです。

でも私たちぐらいの年の人でも、それと近いことをやっている人って、案外、多いんです。

たとえば

「オレは正しいんだ、正しいんだ」

って、ずっといっている人がいますよね。 あれ、周りから見ていると

「何て、こんなちっちゃいことで、ケンカしているんだろう」

って見られることがあるんです。

「いい年をした大人が、子どもみたいなことを・・・・」

っていわれるのは、嫌じゃないですか。 だから

ちゃんと 「大人」 の目で見る。

そうしたら周りも見えるはずなんです。

これは、余談なんですけど、お国柄って違うじゃないですか。 ホントに

大きい目で見ると、お国柄って違うんです。

たとえば、日本って、まとめ買いしたとき

「10個買うから一個おまけして」

「ちょっと安くして」

とかっていうと、おまけしてくれるんです。

ところが、中国などに行くと、違うんです。

まとめて買える人は、お金持ちだからって、おまけしてくれないんです。

たとえば、一個しか買えない人が

「おまけして」 っていうとお金がないから、おまけしてあげるんです。

でも、うんとお金持ちが、一個10円の商品を50個買うときには、お店の人は

「じゃあ、単価11円にしてください」 っていうんです。

なぜかというと、お金持ちは、お金のない人に恵むのが当然である、という考えなんです。

ところがほとんどの日本人って、そういうことを知らない。

自分がどこに行こうが、そこは日本だと思っているんです。 だから

「いろんなことで、お金を援助してあげているのに、誰も感謝しない」

って、いったりする人もいるんですけど、向こうの国の人は

「お金持ちはくれるのが当然である」

と思っている。 そういう国も、この地球上にはあるのです。

だから、これは中国の大人(たいじん)の話ですけど、ものすごい大金持ちがいる。

そういう人間が、たまに縁日みたいなものに出てくる。

そこで、ナツメを売っている店があって

「ナツメちょうだい」 っていうと店の人は

一皿分のナツメを袋に入れるフリをして、半分しか入れない。

そういうことが、ざらにあるんです。

でも、大金持ちの人は、ちゃんと一皿分のお金を払い、半分のナツメをもらって

悠然と歩きながら食べる。

そういう場面を日本人が見ると、何か、ズルイことをしているなって思っているけど

向こうの感覚では

「あの人は大金持ちだから、ナツメは半分でもいいんだ」 

と思っている。それでだまされたお金持ちのほうも、そんなことを知っているです。

だけど、ナツメ半分ぐらいで、ギャーギャー騒がないんです。

それで、そういう人のことを

「大人の金持ちだ」 と思っているんです。 感覚が違うんですね。

もちろん、日本でそれをやれといっているのじゃないんです。

でも、私は、ちょこっと見習ったほうが、いいことがあるかもわかんないなぁ、と

思ったりするんです。
 

「変な人が書いた人生が100倍楽しく笑える話」斉藤一人角川書店





 

相手と自分しか見えない人を小人という 1

  
 
今、斉藤一人さんの本を読んでいるのですが「なるほど!」 とすごく納得した文章があっ

たので抜粋したいと思います。

大人でも精神的に子供(小人)の人がいます。

子供でも精神的にしっかりとした大人の目、感性を持った人もいます。

年齢は関係ないですね

私たち大人は、体や年齢だけが成熟しているのではなく子供から尊敬されるような人

にならないといけないと思います。

では、大人とはどんな人なのか?

私は親という言葉に惹かれます。

親という字は、木の上に立って見るという構成になっています。

自分の子だけではなく、他の子(人)も客観的に観れるような心境の人

俯瞰的に観れる人

そして、全体を観ながら調和を保ち愛の立ち振舞いの出来る人 

ではないでしょうか?

そんな人(大人)でありたいですね。

 

大人の目で見ると、誰でも成功者になれる
   

「何だ、こいつ」って顔に出ちゃった、と。

なぜ、顔に出ちゃうかというと、相手と自分のことしか見えないから。

それで、相手と自分しか見えない人のことを

「小人」というんです。

「大人の目と、子どもの目がある」

私は、いつもそういうのです。

大人というのは、日本人では20歳になると、大人といわれますが

私がいっている「大人」はそういう意味じゃありません。

中国では、「大人」 って書いて 「たいじん」 って読むんですけど、そういう

ちゃんとした、「大きい人」 という意味の 「大人」 ですよ。

そういうと、カンのいい方は、

「ああ、いい年をした子どももいるもんだ」

と、お察しくださると思うんですけど。 これから、ちょっとその話をしますね。

たとえば、何かのパーティがあるとします。

何かのお祝い、「日本一のお祝い」でも、何でもかまわないのだけれど、仮に

通販会社を経営しているAさんが、すごくがんばって、事業を成功させたお祝いに

かけつけたとします。

それで、Aさんのお祝いパーティーだから、本来は、

「Aさん素晴らしいですね。おめでとうございます」

ってその人をたたえるのが常識ですけど、出席者全員が、常識あるとは限らないんですよ。

なかには、こんな嫌味をいうヘンな人もいるんです。

「いやぁ、キミ、うまく当てたね。実はボクも、前から通販を狙っていたんだよ」

なんて。こんなふうに、人のパーティーに来て、自分のことを自慢している人も

いるんですよ。

すると、それをいわれたAさんが、

「だったら自分でやればいいじゃない」

とか言い返します。 明らかに、そこまでいわなくても、

「何だ、こいつ」 って顔に出ちゃったりします。

なぜ、顔に出ちゃうかというと、相手と自分のことしか見えてないから。

それで、相手と自分しか見えない人のことを 「小人(しょうじん)」 というんです。

でも、パーティー会場って、大勢人がいるんですよね。

Aさんの一挙手一投足、立ち振舞いから話まで全部、周りで見ている人がいるんです。

何をいいたいかというと、そんなときでも、Aさんはその人が納得し、その周りの人が

納得するような答えをしなきゃいけないんだ、っていうことです。

たとえば、

「そうでしょうね、あなたほどの人だったら、そうだと思いますよ。今度、何か

いいアイディアがあったら、教えてくださいね」

とかっていうと、周りの人は、

「Aさんは大人だな。オレだったら、あんなこといわれたら、ムッとしちゃうのに、

スッとかわしたよ」

って思うんです。 こんなふうに、自分が何をいったら、周りの人にどう思われるかを

考えて行動する。 要するに、自分のことも、周りの人のことも見えている人のことを

「大人」 っていうんです。

 

   「変な人が書いた人生が100倍楽しく笑える話」 斉藤一人 角川書店




 



 

 

2014年6月16日 (月)

完全円満なるものに意識を合わせる 2

  

 幸せを呼ぶ果因律

・・・・・・・・・・・・・・・

たとえば、お金があれば私は幸福になれる。愛する人にいつも寄り添っていられれば

私は一生幸せである。

この場合、因果律でいくと、お金があれば、が原因で、その結果が幸福である。

愛する人にいつも寄り添っていられれば、が原因で、その結果が幸せである、ということ

になる。

しかし、お金や恋人はこの世では有限なるものである。

どこかで、少数のお金持ちたちがたくさんのお金を所有してしまうと、当然残りの全体の

お金の量は減ってくる。

そのため、いくらお金が欲しいと思ってみても、なかなか自分のところへは廻ってこない。

となると、お金があれば幸福なのに、お金がないから不幸だ、ということになる。

恋人も全く同じで、自分の恋人はとても素敵である。

だが、素敵だからこそ他の女性にもモテる。

モテれば、恋人は他の女性のところへも通うようになる。となると、いつも自分に寄り添っ

ていてもらうことは不可能になるので、自分は不幸せである、ということになる。

同じような素敵な恋人が、この世に無限に存在するのであれば問題は生じないが、

恋人もお金と同様に有限であるから、そうはいかないのである。

このように因果律でいうと、不幸の原因は、いつも周囲の状況の中にある。

原因はそれらが有限であることにある。

もっとわかりやすくいえば、原因は常に物質の世界にあるのである。

あるいは、人間関係の中に起因しているのである。

財産があれば、権力があれば、美しければ、家があれば、一流会社に勤めていれば、

家柄がよければ・・・・と数えあげればきりがない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところが私の説くところの果因律は、原因である物質世界を超えたところに、

その端を発しているのである。

ということは、先に、結果を創り出すことによって自ずと原因がそれに従っていくと

いう法則による方法なのである。

この法則でゆくと、結果は自分自身の心の中にあるということになる。

有限なる物質世界に焦点を合わせてゆくのではなく、すでに心の中にある、

無限なる心を合わせてゆく方法なのである。

あなたにとって、結果を先に創り出すほうがずっと簡単なのである。

なぜなら、それらはあなたの心の中にすでに存在しているものであるから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 



「幸せの種の育て方」 ━ 果因説について━ 白光小冊子

 

完全円満なるものに意識を合わせる 1


  
先日、人間とは完全円満なんだ、パーフェクトなんだ、だから意識を完全なるものに

合わせていれば、完全なものが 「天から降りて来るんだ」、と書きました。

これに対してすごい反響がありました。

みなさんも人間とはパーフェクトなものなのだ、神そのものなんだと思っていた、

思いたいのだと思うのです。

性悪説よりも性善説の方がずっと夢があります、希望が持てます。

しかし現実を見ていると、とてもじゃないけれど人間が神だなんて思えない

それは、上辺だけを見ているからです

消えてゆく姿を見ているからです

人間の本質を見抜く洞察力を持った人は、人間は神であることを知っています。

光り輝いた存在であることを知っています。

そして業にまみれて玉石混交、神と動物(感情)が入り混じった人間と

神と一体となって悟った人間との違いをハッキリと区別出来るのです。(このような人は聖者ですが)

だから迷っている人間を責める気になれない

ハッキリとわかっていない人間はどれだけ頭が良くてもどれだけこの世的に偉人であって

も人間の部類に入るからです

人間とは神と動物(感情を伴ったという意味)間にあるということです。

人間と人とはちがうのです

人とは霊止(ひと)と書きます

霊は神様のことなので、神様が止った(宿った)状態が人なのです。

だから私たちが

「あの人は」

と言うのと

「あの人間は」

と言うのでは全然響きが違うのがわかります。

今の人間はやがて進化して人(霊止)になってゆくのです

いや、最初は人間は人だった

それが感情、喜怒哀楽を持つようになって動物のようになっていった(動物は神が造った被造物です)

そして時期が来て

また元の人(霊止)になろうとしている

なんだ、だったら振り出しに戻っただけではないか?

進化していないのではないか?

と思いますよね(笑)

そうではないのです

迷った後で元に戻るから値打ちがあるのです

素晴らしいのです

人間から人へ目覚めてゆくところに感動や奇跡やドラマや愛があるのです。

肉体界は有限です

だから不自由極まりないのです

肉体というガンジガラメの鎧を着ているようなものです

しかし真理に目覚めて霊界や神界のあることを知ると

翼を得た鳥のように自由に空を飛べるようになります

そして自分が何者であるのかを知るのです。(我即神也)

答は肉体界という3次元にあるのではありません

宇宙という多次元にあるのです

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

無限なる健康

無限なる富

無限なる繁栄

無限なる若さ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すべて自分の心の中に入っています

だから私たちはもう、有限の肉体界に意識を合わすことをやめなければいけません

でないと翼(宇宙の宝)があるのに空を飛べないのです

翼があることにすら気づかないのです

次のブログに果因説の文章を抜粋します

自分の心の中にすべてのものがパーフェクトに揃っていることを知ってください

ご自分の素晴らしさを知ってください






  
 

強い意志があればどんなことも可能になる

  

自分の思い通りに行かない時は必ず想いが足りないときです。

「お金がもっとあればいいなあ」

「貧乏は嫌だなあ」

「健康になりたいなあ」

「病気は嫌だなあ」

「もっといい仕事が見つかればいいなあ」

「この仕事は嫌だなあ」

「友だちが欲しいなあ」

「孤独は嫌だなあ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どれもこれも弱いのです、中途半端なんです

これらの心の中には

「お金が無くてもいいや」 (お金持ちはいやらしいから)

「今の仕事でもいいや」  (慣れているから、新しいところへ移るのは大変)

「病気のままでもいいや」 (みんなが同情してくれる)

「友だちはいなくていいや」 (自分は案外孤独が好きなのかもしれない)

という意思が含まれているのです。

みんな今の状況がまんざらでもないと思っているのです。

そんな心境では、宇宙は動きません

神様は動いてくれません

奇跡は起きません

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だから何にも変わらないのです

今の状況を真剣に絶対に変えようと思うのなら

周りに変わってもらうのではなく自分が変わるのです

今までの中途半端な自分から

強い信念を持ち、断言し、決断を下せる自分に変わるのです

それしか変わることも変えることも出来ないのです

すべては自分の内にある

なぜならば、自分(人間)は創造者だからです。

 

人間の進化創造は強い意思決定にあり!
 

人間が奇蹟を起こす瞬間、苦しみを乗り越える瞬間、進化創造を経験する瞬間

というのは、強い意思決定が自らの内で下された瞬間に起こるのではないかと

私は思うのです。

危機的状況から救われた経験をした人の話を耳にすると、どの人も

「絶対に自分は救われる。必ずここから脱出する! その選択しか自分の中にはなかった」

と言います。

要するに、「絶対にこの状況は嫌だ! 必ず幸せになる! 必ずこの状況から脱する!

 この環境は嫌だ! 拒否する!」 

という強い意思が腹の底から湧き出た時に、状況は絶対に変わるということです。

人間は自分がNO! と断言した時に、そこから脱出できます。

しかし中途半端な、曖昧な気持ちで宣言しても変わらないものです。

腹の底から、すごいエネルギーで、強く思った時に、必ずその状況から抜け出し、

自らが選択し、決断した事柄を成就することが出来るのだと思うのです。

人間はその時に初めて、自分が自由であることに気づくのかもしれません。

多くの人たちは、「自分が望んでいることは叶わない」 と思い、自分には幸せを

経験する権利は与えられていないと思い込んでしまいがちです。

その思い込みは、本来の創造力豊かに生きる力をどんどに低下させてしまいます。

自分が何を望み、どのように生きたいのか、自分の生命をどう輝かしていきたいのか

を見つめる機会さえ奪ってしまうのです。

私たちは生命を輝かせるためにここに生きています。

固定観念の世界、常識の世界の中で、窮屈に生きるためではありません。

人生の一瞬一瞬に、自らの内在する無限なる創造力、内に広がる宇宙そのもの、

魂が経験したいと思うこと、渇望していることを現わすために生きています。

人間は、失敗と言われていることから素晴らしいことを生み出し、苦しみと言われて

いる経験から奇跡を生み、醜いと言われている姿から神の姿を発見し、不可能と言

われていることを可能とする力を神様から与えられています。

私たち一人一人が自らの本質を見つめ、自らに本当の自由を許した時、自分の経験

したいことは何でも経験でき、現わすことが出来るのだと思います。

「自分は無理だ」 と思っている人は苦しい環境という名のもとで、勇気を持って創造力

豊かに生きることを断念してしまっているのかもしれません。

この渦の中に留まっていれば、未知なる世界に飛び込むことや、創造力豊かに幸せを

掴むことをしなくても許されると思い込んでしまっているのかもしれません。

私たちはすごい能力を内に秘めていると思います。

私たちには、本来自由であることを経験させてくれる方法が与えられています。

自由に自分の人生の主導権を握り、創造力豊かに生きることが出来るのだと思う

のです。

意識を一心に集中させ、

私はこの苦しみを味わうことは二度と選ばない!

私はこの孤独を経験することは二度と選択しない!

私はこの執着を引き寄せることは二度としない!

私は絶対に幸せになる!

私はどんな状況からもポジティブを掴む!

私は必ずこの不可能を可能にしてみせる!
 

私は、私の言葉、想念、行為を通して、我即神也を必ず顕す!

こう宣言し、断言し、決断した時、必ずそのままの生き方が出来るはずなのだと

思うのです。

きっと私は自分の人生に起こるあらゆる出来事を通して、本来の姿を現わすために

必要な強い意思を養わせてもらっているのだと感じます。


 

     白光出版 『いとおしい生命~私たちは天国からの使者』より

           西園寺里香

      おススメ図書 『果因説』
 西園寺昌美 白光出版

   

      『目標を達成する技術』 マイケル・ボルダック著 フォレスト出版
  
       この本には目標を達成するための方法がたいへんわかりやすく書かれて

       います。

       一方果因説は高い高~い教えなので頭で理解は出来ても実践は難しい

       です。(無限なる可能性!)そこでこの本(『目標を達成する技術』)と併せて

       読むことにより、より果因説を実践しやすくなります。どうぞご活用ください。

 
   
  
     

 

 


 

2014年6月14日 (土)

人間は完全円満なんだ

  
 
人間の不幸って

「自分なんてダメな奴なんだ」

「人間ほど愚かでバカな生きものはいない」

「人間の本質は悪魔だ」

と完全に誤解をしてしまうことだと思うのです。

ほんとうにそうであるならば

生きていてもなんの意味もありません

死んで違う世界(幽界、霊界、神界)に行ったほうがましです(笑)

しかしその幽界、霊界、神界とやらもわからない

そちらの方がいいのかどうかもわからない

そんなふうに生きている意味が見出せない人がたくさんおられるのではないかと

思います。

そこでお釈迦さまやキリストさま、その他聖者たちが地球に降り立って

真理を伝えたのです。

宗教ってそこから始まりました。

お釈迦さまやキリストさまは進化した星(金星)の高い教えを地球人類に説いたのです。

宗教って、宇宙を示す教えという意味なんです。

地球を救おうとするのなら地球の低い意識では救えない

金星の、宇宙の高い次元の意識でないと救えないのです。

私は、宇宙=宗教=真理だと思っています

真理とはおおもと、宇宙の教えです。

ここに五井先生のご著書からおおもとの教えについて抜粋します

よかったらお付き合いください。

 

おおもとの教え

 

人間は完全円満なものから現われたんだ、ということを身にしみて覚えることが大事です。

それを教えるのが宗教なんです。

それがなくなってしまうと宗教じゃないんですよ。

お前に因縁が悪いんだ、お前の先祖が祟っているんだ、そんなの宗教じゃないんですよ。

それは因縁教です(笑) 

宗教というのはおおもとの教えということです。

おおもととはどこかというと神さましかないんだ。

初めに神があっただけなんです。

神は即ち言(コトバ)なんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

自他の不完全を把えてはいけない
 

一番大事なことは、神さまは完全円満である。

この世の中は神さましかいないんだ、ということ。

人間は神さまの子なんだから、完全円満なんだ、ということです。

間違いなく完全円満なのです。

そういう風に先生いうけれど、戦争になったり、年中争っているのは完全円満じゃない

でしょう?

それは想いなんです。 

神さまを離れた想いがそこにあって、それが映って現われているだけなんです。

現われている中で、完全円満じゃない不完全なものを把えて、争いの波の中で、

いくら良くしようと思ってもだめなんです。

争いの波を本当だと思って、それでよくしようと思ったってだめなんです。

たとえば一家なら一家を見ても、夫を悪い夫と見ていて、いつまでも夫が悪いんだと

思っている以上は夫はよくならない。

子供なら子供もよくしようと思って、子供が悪いんだ悪いんだ、と思っている内は子供

はよくならない。

なぜならないかというと、自分が悪いものを掴んでいるからです。

袋をかぶせて縛っておいて、袋をぬげぬげというのと同じで、袋を脱げないでしょう。

真っ暗のところで、暗いぞ暗いぞ、と言っていたって明るくなりはしません。

電気をつければ明るくなります。

だから夫なら夫の悪いものを掴んでいたら、絶対に夫はよくならない。

病気を掴んでいればよくならない。

なんでも掴んだらよくならない。

つかんだらだめなんです。

なぜダメかというと、つかんだら離せないからです。

金が欲しい時に、金、金、金と金の想いばっかりつかんだらダメです。

金のほうで逃げます。

なぜかというとそれは恐怖だからね。 

完全円満を認めてないんだから。
 

   「素直な心」 五井昌久 白光出版




 

 

どれだけカッコよくても自分でモテたいと思っている人はモテない

   

宇宙の法則とは、「自分の思っているようになる」 というのですが

実際には、「自分は異性にモテたい」 と強く思っている人はモテません(笑)

では、法則が違っているではないか?

という疑問があがりそうですが

実は法則の通りになっているのです

それは、モテたいと思っている自分になっている ということです。

それと同じように

「健康になりたい」 「お金持ちになりたい」 「成功したい」

という願望も健康になった、お金持ちになった、成功したという結果ではなく

健康になりたがっている自分

お金持ちになりたがっている自分

成功したいと思っている自分で留まっているのです。

健康になりたいのであれば、中途半端に思うのではなく

健康体の姿を強くイメージしなければなりません

健康になって走り回っている

登山をしている

海で泳いでいる

野球やサッカーをしている自分をリアルにイメージするのです。

それに比べて

「健康になればいいなあ」 くらいの願いでは

神さまは迷ってしまうのです

では、「健康にならなくてもいいのか?」 と宇宙は受け取ってしまうからです

そこで宇宙は

「健康になりたい」 と思っている姿で折り合いを付ける(何ら変わりがない)

「おいおいそんなわけがないだろう」

「健康になりたい」は 「健康になる」 という意味なんだ

と叫んでみても言い訳に過ぎないのです

言葉は言霊(ことだま)、神さまが宿るエネルギーなので中途半端な言葉、想いは中途半

端なままで成就するのです。

では、自分は 「モテるんだ」 「健康なんだ」 「お金持ちなんだ」 と強く唱え続けたら

ほんとうにその通りになるかというとエネルギーは確かにその通りになろうと働きます。

それが宇宙の法則だからです。

しかし、いきなり結果が現われて来るのではなく

過程(プロセス)が現われるのです。

「あの人素敵な人みたい」 と女性が近づいて来るとする

そこで

「やったあモテたぞ」 と有頂天になって、焦って

元の 「モテたい」 という気持ちが出てしまっては終わってしまうのです。

目をギラつかせて

「ぼ、ぼくとデートしてくれませんか?」

と言ってしまっては元の木阿弥(もとのもくあみ)なのです。

中にあるエネルギー(雰囲気)は必ず外に現われます。

病気だった人が果因説に基づいて

健康な姿を強くイメージ(想像)したとします

エネルギー(宇宙)は健康になるように創造してゆく

だがそのプロセスで試練はあるのです

寝たきりで足が動かなかった人が動いて歩けるようになり、走れるようになるには

ベットから起き上がることから始まります

起き上がると足を地につけます

人に支えてもらって立ち上がろうとします

立ち上がって壁づたいに歩こうとします

その合間には、当然激痛が走ります

痛さで諦めそうになります

「やっぱりダメかもしれない、お医者さまも99%無理だと言っていた」

しかし、そこで諦めなければ

もう一度強く「健康体」をイメージしたのならば

エネルギーは必ず健康な姿に流れるのです

そのことを信じることが大切です

自分の中に 「無限なる健康があるんだ」

「それを引き出すだけなんだ」

と強く信じることです。

キリストが

「信じる者は救われる」

とおっしゃったのはそういうことです。

人間には、「無限なる治癒力」 があるのです。

肉体界とは、目に見えない世界と目に見える世界が混合した世界です。

だからどちらにも手を抜いては成就しないのです。



 

 参考図書
 

  「果因説」 西園寺昌美 白光出版

   

 

祈りながら仕事をする

 

私たちは目に見える世界、つまり肉体界だけが存在していると思っています。

しかし空気は見えないけれど存在しているのと同じように、目に見えない世界、幽界

霊界、神界(天国)も存在しているのです。

私たちはそれを知っている。

だって人が亡くなった時に 「ああ、あんな善い人はきっと天国に行ったんだろうな」

と言うではありませんか(笑)

目に見えないものが存在しないとなったら心はどうでしょう? 

心も見えないからないのでしょうか?

そう考えると目に見えるものは、見えないものの影であることがわかります。

見えるものとは、目に見えないものが見える世界に映って来ているのです。

だから目に見えない言葉であるとか、心を大切にしなければならないのです。

それならば目に見える私たちは、一体どこから来たのでしょうか?

まさかボウフラのように湧いて出たわけではありません

どこから来たのか?

それは、宇宙なのです

宇宙が大元で神界があり霊界があり幽界があり肉体界という世界がある

(ほんとうはもっと細かくある)

そして私たちは、先っぽの肉体界しか見ていないし、見えていない

お釈迦さまやキリストさま、その他悟った人というのは大元の宇宙とつながった人たち

なのです。

だから宇宙意識が肉体に入ってきた

そして肉体意識(低次元意識)が宇宙(神)意識に入れ換わったのです。

私たち肉体は肉体界にいるけれど意識を宇宙に向けていれば

宇宙にいるパーフェクトな自分を肉体界に現わすことが出来るのです

今、病気であるのも、貧乏であるのも、悩みや苦しみ、悲しみ、怒りがあるのも

すべて宇宙から離れた不完全な肉体界に意識があるからです

感情(勘定)の世界、不調和な世界である肉体界に意識があっては

低次元の意識のままでは、いつまでたっても今の状況から抜け出ることは出来ないのです。

そして、ほとんどの人がこのままだったら地球も幼いままの星で終わってしまいます。

(無限なる光!)

どうすれば、私たち個人、そして地球が調ってゆくか?

進化向上してゆくのか?

それは、生活の中に祈りを入れてゆくのではなく

祈りの中で生活をしてゆくのです。

宇宙意識にどっぷりと浸かった中でしか完璧な宇宙(神界)は現われないのです。

祈り込んでゆくことで、点を線にすることが出来ます。

マイナスのエネルギーが入る隙を与えないのです。

私たちハーモニー(調和波動気功法の教えを受けている仲間たち)は、

「24時間プラスαで祈り続けなさい!」

と言われて育ちました(笑)

個人も人類も救われるのは祈りしかないのです。


私たち人間は祈ることを目的に生まれて来たのです。

 




祈り以外に方法はない
 

祈りより他に方法はない。祈りとは何かというと、人間の命を神さまのもとにお返しする

ことです。

神さまと合体させるということです。

神さまと一つになる、天地一体となる。神我一体となる、そういうことが祈りなんです。

そういう祈りなくして他のことをどんなにやってもダメです。

祈りの他になんにもない。祈りから始まって祈りに終わるんです。

祈りながら仕事をする。祈りながら政治をする、祈りながら事業をする、そうすると

本当の世界がこの地上界に出来てくる。

もうそれは絶対なのです。

何故絶対かというと、この世の中は神さまきりないんだから。

だから神さまだけを求めればいいものを、それを神さまでない業の世界にみんな入って、

ワアワアと、ああじゃないこうじゃない、とやっているんですよ。

    

 

        「素直な心」 五井昌久 白光出版

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 

調和波動気功法
 


http://www.harmony-wave.jp/





  
 

 

2014年6月13日 (金)

仕事をうまくやろうとするのであれば守護霊さんに頼もう

  

先日、守護霊さんは3人も私たち人間についてくれていると書きました。

守護霊さんとは先祖の悟った人であり、ものすごく頼りになるのです。

3人の中には仕事のスペシャリストの人が必ず居て、適切なアドバイスをくださるのです。

しかし、肉体人間が

「自分一人だけでやろう、頼れるのは自分自身しかいないんだ」

と自分の殻の中に
閉じ籠ってしまうとせっかくのアドバイスも届きにくいのです。

私たち肉体人間は、一秒先一分先、一週間、一年先のことも何が起こるかわかりません。

今起こっていることとは、潜在意識の幽界という世界が肉体界に映って来ているのです。

だから幽界のことがわかっている霊界の守護霊さんでないとこれから起こることがわからないし運命の修正も出来ないのです。(守護霊さんは私たちが感謝をし祈ることで光が強くなると幽界のマイナスを消すことが出来るのです)

ヒラメキ!って 「明るい未来がわかる!」 ということですよね

過去、過去世の終わってしまったことの延長?

これから起こる嫌なこと(このことを占いと言う)

がわかっても意味がない(笑)

未来に対して光が灯るから、プラスに変わるから意味があるのです

そのことが直観でわかればどれだけいいか!

その暗い未来を明るい方向へ修正してくれるのも守護霊さんなんです

守護霊さんは、守っている人間にこれからどんなことが起こるのかを知っている

そして、未来を修正して、善い方向へ導くためにメッセージを送ってくれているのです

「そっちに行ったら車に轢かれるよ」

「この人に会ったら仕事がうまくいくよ」

「その人とは関わらない方がいいよ」

守護霊さんの指示に従っていれば宇宙の法則に乗ったも同然なので

何をやっても上手くいくのです

「そんなレールに乗ったような人生、まっぴらだ、オレはオレで自分の思った通りに生きるんだ」

といきがる人がいるかもしれません

では、あなたは、一秒先、一分先がわかりますか?

わからないままで生きて行けますか?

暗闇の中を灯りも無しで歩けますか?

自分一人で勝手に生まれて来て、自分で勝手に生きているのではありません

今の現状が崖っぷちだったとしても、切羽つまった状態だったとしても

「何も良いことなんてないや」と思っている人生であったとしても

今こうしてなんとか

生きていられるのは

守護霊さん守護神さんのお陰なのです(大難が小難で済んでいる)

「ああ有り難いなあ」

「生かされているんだなあ」

「守られているんだなあ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その気持ちが湧きあがって来たら

「どのお方かは知りませんが、私の大切なご先祖様、守護霊さま、私は今、大事な仕事をかかえております、この仕事はなんかして成功させたいのです

どうかよろしくご指導の程(笑)お願い致します」

と仕事の合間でも、ヒマな時にでも唱えるとよいのです

守護霊さんというのはもの凄い人たちです

この世的にどれだけ仕事の出来る人であっても守護霊さんには絶対にかなわないのです。

それは、肉体界で守護霊さんクラスになっている人は肉体界に居る必要がないからです。(修行は終わっている)

私は印を組んでいる時に次々にインスピレーションが湧いてきます

その出先は、守護霊さんなのです

「自分は守護霊さんに守られているんだ、だから百人力だ、いや千人力だ」

という自信が平常心、不動心に代わってゆくのです。

守護霊さん守護神さんへの感謝は世界平和の祈りの中に込められています。

世界平和の祈りは完璧(パーフェクト)な祈り言霊なのです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます


 

 

 

2014年6月11日 (水)

守護霊さんにくっついていれば一週間先も一年先もうまくゆくんです

 

ちょっとタイトルが長くなってしまいましたが、私のブログでは守護霊守護神について

かなりの頻度で書かれています。

それは神さまは信じていなくても、「自分は守られているような気がする」 

「守護霊さまはおられるように思う」 と答えている人が多いからです。

目に見えない守護霊さんを信じるのであれば、その上におられる守護神さんも信じら

れるでしょう(笑)

そして宇宙の神さま(宇宙神)も徐々にイメージ出来るようになると思うのです。

私はなにも神様を信じなさいと言っているわけではありませんが(笑)

信じる信じないで人生がまるで違ってくるので、信じた方がお得ですよと言っているのです。

お得だなんて言うとなんだか安っぽいかなあ(笑)

ただそれに代わる適切な言葉が見つからないのです

どうせ、守護霊さんの存在を信じているのならもっと強く信じてみませんか?

そして

もっと感謝してみませんか?(そうすると守護霊さんが守りやすくなるのです)

ただ、守護霊さんが感謝に値する人?たちなのか?それが問題ですよね

そこで今読んでいる本の文章から守護霊さんがどれほどありがたい存在なのかを

抜粋します。

よかったらお付き合いください。
 
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間は肉体に生きておりますけれど、一分一秒、短い最小単位の時間でも、守護霊に

守られていないものはないのです。

中に内部の生命があります。 分霊、分け命があって肉体を動かしている。

ところが動いているものは、一秒先のこと、一分先のこと、一日先のことがなんにもわ

からないんです。

わからないで無我夢中で動いているわけでしょう。 霊能的な人以外はわかりません。

わからないけれども、一秒先、一分先、一時間、一週間先のことはみんな決まっている

ことなのです。

もう出来ていることなのです。 それが現われてくる。

現われてくるのを見ぬいてくれるのは何かというと、うしろについている守護霊なんです。

守護霊というのは、先祖の中の悟った霊です。

何百年か前に亡くなった人たちが、霊界で浄められて悟り、自由自在になって子孫の

うしろについて、守っているのです。

その他に二体ついて大体三人ぐらいの守護霊が守っております。

その上に守護神が守っているのです。

そういう風になって一人の人間を守護しています。

その守っているものの通りに動いていれば、一週間先のことも、一年先のこともチャン

とうまくゆくんです。

 
 

       「素直な心」 五井昌久 白光出版





 

 

強くイメージしたことが現実を創ってゆく

   
成功する人と成功しない人との差はどこにあるか?

私は、この両者を最近まざまざと見せられたのでした

どちらも理想に燃えていた、強い信念を持っていた

だがAさんは成功し(今のところですが)Bさんは失敗はしてはいないのだけれど

かなり危機的状況に陥っています

どちらも大差がないようにも見える

しかし店、会社(店とします)の中に入った時の雰囲気がまったく違うのです

Aさんの店は明るい、ビシッとしている、そして活気がある、愛がある

Bさんの店は暗くはないのだけれどオーナー店長の落ち着きがないのです

みんなオーナー店長の顔色を見てビクビクしている

「どうして客が来ないんだ」

「どうしたらうまくいくのか」

「なぜ理想通りにいかないんだ」

「このままの状態が続くと潰れてしまう」

「私の理念をわかってもらうにはどうしたらいいんだ」

声には出してはいないけれど、表情からハッキリと読みとれます

理想が高いだけに理想と現実のギャップが大きいのです

そこには、お客さんの感情よりも自分の感情(勘定)の方が勝ってしまっている

「すぐに結果が出ないのはわかっている、だけどもっとたくさんの手ごたえが欲しい」

最初はAさんもBさんも理想の姿を強くイメージしていたと思います

しかし、途中からBさんのイメージは変わってしまったように思うのです

周りの人たちが喜んでいるイメージから

自己満足のイメージへ・・・・・

主役がみんなから自分に代わってしまっている

自分がの我を満たそうとすると

しんどいのです

調和が取れないからです

みんなが喜んでくれて幸せになるためにはどうしたらいいか?

そう考えると俯瞰的に余裕を持って物事を見ることが出来るのです

しかし、自分という狭い範疇に入ってしまうと余裕がなくなるのです

焦るのです

感情を満たそうとしてしまうのです

その雰囲気が伝染して周りは息苦しくなる

とうの本人も「今のままの自分ではいけない」と薄々感じているのだけれど

どうしていいのかわからない

誰も言ってくれない、教えてくれない(オーナー店長なので)

強くイメージすることは大切です

イメージしたことが現実を生み出します

しかし現実になろうとしたときのプロセスもまた大切なのです

謙虚になって、素直になって、常に改善策を考える

しかし人を縛りつけない、リラックスさせる

自分一人でもやるんだという決意

人を頼りにしない

感謝の気持ちを持つ

焦らない

常に自分をリセットする

調和を保つ

それをやりつつ、またイメージし続ける

成功するプロセスにはたくさんの要素が必要です
 

イメージするのも人類愛が一番いいですね

絶対にめげることがありません(笑)

小我の自分を大我の自分に広げることが出来ます

私の強くイメージしていることは世界の平和です

 

世界人類が平和でありますように
 
May Peace Prevail on earth.

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そこで松下幸之助さんは有名なダム式経営の話をされた。ダムを持たない川というの

は大雨が降れば大水が出て洪水を起こす一方、日照りが続けば枯れて水不足を生じ

てしまう。

だからダムをつくって水をため、天候や環境に左右されることなく水量をつねに一定に

コントロールする。

それと同じように、経営も景気のよいときこそ景気の悪いときに備えて蓄えをしておく、

そういう余裕のある経営をすべきだという話をされたのです。

それを聞いて、何百人という中小の経営者が詰めかけた会場に不満の声がさざ波の

ように広がっていくのが、後方の席にいた私にはよくわかりました。

「何をいっているのか。その余裕がないからこそ、みんな汗水たらして悪戦苦闘してい

るのではないか。

余裕があったら、だれもこんな苦労はしない。われわれが聞きたいのは、どうしたら

そのダムがつくれるのかということであって、ダムの大切さについていまさらあらためて

念を押されても、どうにもならない」

そんなつぶやきやささやきが、あちこちで交わされているのです。やがて講演が終わ

って質疑応答の時間になったとき、一人の男性が立ち、こう不満をぶつけました。

「ダム式経営ができれば、たしかに理想です。 しかし現実にはそれができない。

どうしたらそれができるのか、その方法を教えてくれないことには話にならないじゃ

ないですか」

これに対し、松下さんはその温和な顔に苦笑いを浮かべて、しばらく黙っておられました。

それからポツリと

「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけども、ダムをつくろうと思わんと

あきまへんなあ」 とつぶやかれたのです。

今度は会場に失笑が広がりました。

答になったとも思えない松下さんの言葉に、ほとんどの人は失望したようでした。

しかし私は失笑もしなければ失望もしませんでした。それどころか、体に電流が走る

ような大きな衝撃を受けて、なかば茫然と顔色を失っていました。

松下さんのその言葉は、私にとても重要な真理をつきつけていると思えたからです。

 

寝ても覚めても強烈に思いつづけることが大切

 

思わんとあきまへんなあ━この松下さんのつぶやきっは私に、「まず思うこと(イメージ

すること)」の大切さを伝えていたのです。

ダムをつくる方法は人それぞれだから、こうしろと一律に教えられるものではない。

しかし、まずダムをつくりたいと思わなくてはならない。

その思いがすべての始まりなのだ。

松下さんはそういいたかったにちがいありません。

つまり、心が呼ばなければ、やり方も見えてこないし、成功も近づいてこない。

だからまず強くしっかりと願望することが重要である。

そうすればその思いが起点となって、最後には必ず成就する。

だれの人生もその人が心に描いたとおりのものである。

思いはいわば種であり、人生という庭に根を張り、幹を伸ばし、花を咲かせ、

実をつけるための、もっとも最初の、そしてもっとも重要な要因なのである━。

・・・・・・・・・
 

    
         
「生き方」 稲盛和夫  サンマーク出版

       おススメ図書 「レストランは小さなビジネススクール」山下春幸著



  



 

2014年6月10日 (火)

自分を出そうとすればするほどしんどくなるのはなぜ?

 
 
セールスで嫌われる人は、自分を出そうとするからです。

「これを買ってください、買ってもらえないと私、会社をクビになってしまうんです

これですか? これはお客さんにとって善いものなのか、必要なものなのか?

それはわかりません、そんなことはいいんです、それよりもこれ買ってください」

こんなことを言われて(言っていないにしても顔に出ている)買う人なんていませんよね(笑)

しかしこれに近いことや雰囲気を出している人って結構いると思うのです

人は、言葉というエネルギーの他に雰囲気というエネルギーを出しています

言葉にしなくても目に見えないエネルギーが口ほどにモノを言うのです

爽やかな、人に好かれる人になろうと思うのなら

自分という我の気配を消さなければなりません

心の中で想っている想いを消さなければなりません(それが出来るのが祈りであり印です)

それがスッキリ、爽やかになるということです

顔は笑って善人そうに見えるけれど

もの凄くイヤなエネルギーを出している人がいます

それは、内(心)と外(表面)が違うからです

信用できない人とはこういう人をいいます

しかし私たちは、外面に騙されることがあります

白衣を着ていたらお医者様だと思ってしまう

スーツをビシッと着ていたら

「出来るビジネスマンだ」 と一瞬思ってしまう

しかしよく観察をしているとその人の本質って見えてきますよね

それでもわからないというのは、自分の中の洞察力がたいしたものではない

ということです

騙すほうがもちろん悪いのだけれど、騙されるほうも悪い

というのは、洞察力が欠如しているということです

ビシッと筋を通して真っ直ぐに生きている人は人に騙されることはないと思うのです

そんな人には騙そうとしている人が寄ってきません

違う波動を出しているからです

決して共鳴しないのです

自分の内深くにあるほんとうの自分を出すには、まず表面に現われている

ウソの自分を消さなければなりません

ウソの自分を消すことによって内にあるほんとうの素晴らしい自分が出てくる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんなとてもとても大切なことを、あーやんが語ってくれています

どうぞお付き合いください。


もっと自分を愛してみよう!
 

内なる世界を現す


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充実している人は自分を見せようとはしない

  

この人は見るからに、集中して仕事をしているな、自分を見せようとしていないな

と思える人はソーシャルメディア(facebook、twitter、mixi)はやっていないことに気づ

きました。

これらのメディアは、自分を主張する場、アピールする場、売り込む場、感情を発散させる

場であるので、リアルに生きている人や、現実世界だけで充分に満足している人は

バーチャル(不透明)なインターネットの世界にまで自分を広げる必要はないのです。

流行っていて、固定客を大事にしているラーメン屋さんが無駄な広告費を打たないのと

同じかな(笑)

その店主は、どうしたらもっとお客さんに満足してもらえるかが課題なので店の

ホームページには意識はいかないのです。

口コミの評価やランクを気にしたり、宣伝方法にエネルギーを注ぐのだったら

店の中身を充実させようとする、味を向上させることに神経を注ぐ

だから店のホームページは、超シンプルに作ってある

流行っていない店ほど、ホームページにお金をかけたり、上位にランクされることに

やっきになるのです。

友だちをたくさん作ることやイイネ!をたくさん付けてくれることにやっきになっているの

と同じです。

私は、「この人凄いな」 「輝いているな」 と思った人に

「facebookやっていますか?」 と聞いて

「いえやっていないです、どうもああいうものは苦手で」とか

「登録はしているのですが、ほとんどやっていません」 いう返事が返ってくると

なぜか嬉しくなるのです。

それは自分と向き合っている人は自分を主張するヒマはないと思うからです。

見せようとすると、外にエネルギーが注がれます

外に漏れると内が整いにくくなるからです。

家に帰って自分に向き合い内省する時間が削がれるからです。

それでなおかつ他人の評価を気にしていたならば大切な時間はいくらでも流れて

いきます。

優先順位はあくまでも自分の波動(エネルギー)調整です。

自分のエネルギーが調っていないのに、外に意識を向けることは

結局はその不調和なエネルギーは自分に返って来るのです。

自分の中のエネルギーが外に現われる

これは宇宙の法則なのです

今、スマホでほとんどの人が自分を見失っています 無限なる光!

スマホで自分の世界(内)に入っているのではなく

迷いの世界、幽界に入っている人がほとんどだと思うのです

だから一心にスマホを見つめている人の様子は何か異常です

目がうつろです

どこかおかしな世界にいるような感じがします

ながらスマホをしている人は

人とぶつかったり、溝にはまったり、周りが見えなくてケガをしたりしています

スマホが悪いわけではない

しかし、そんなに熱心になるほど必要な情報ってあるのでしょうか?

私たちは、いらない情報に振り回されていないでしょうか?

いらない情報を発信してはいないでしょうか?

感情のはけ口に使っていないでしょうか?

私は時々西園寺昌美さんの言葉を思い出します

「情報において大切なことは、その量ではなく、情報に振り回されないことである」



 
  

  

 

2014年6月 7日 (土)

目的意識のあるものだけが生き残れる


  

マイナスのエネルギーが渦巻いている昨今において、生き残ってゆくのは

それに負けないだけのパワーのある人たち

「絶対にやってやるんだ」 「私一人でもやり通してやる」

という強い信念を持った人だけだと思うのです。

なんとなく

「成功すればいいなあ」

「お金が欲しいなあ」

「今よりのいい生活が出来たら満足だなあ」

と思っているだけではすぐに負けてしまいます

負けてしまうとは、怠惰なエネルギー、もやもやとした不調和なエネルギーにと

いうことです。

それを打ち破るのは

確固たる信念しかないのです

モチベーションとかコミットメント(責任を持つ)など、やる気を起こさせるメソッドは

学校や職場などでも使われているけれど

どれも弱いと思います

要は本人がほんとうに目覚めなければなりません

それも自分と戦う前に周りのエネルギーに勝たなければならないのです

周りのエネルギーをあなどってはいけません(笑)

ポジティブな人は1人で、ネガティブな人が5人いたとしたら

ポジティブを維持するためには、人の五倍のプラスのエネルギーが要るわけです

生半可な、思い付きのモチベーションでは勝てるわけがないのです

やる気を起こさせるセミナーなどでそのときのテンションは最高だったのに

次の日の朝にはすっかり冷めていたというのは、マイナスのエネルギーに負けている

わけです。

マイナスのエネルギーに負けないようにするにはどうしたらいいか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それはとてつもなく強い信念を持つしかありません

世界中を敵にまわしても、自分は絶対にやってやるんだ

ほんのレイコンマ数パーセントの確率だって問題にしない

それくらいの根性? 信念? がないと途中で挫折します (無限なる可能性!)

ではその不屈の根性、信念はどこから来るか?

それは、人類愛ではないでしょうか?(世界人類が平和でありますように)

自分だけの私利私欲だけではとてもそんな強い意志は築けません

なぜなら宇宙の応援を仰げないからです

私利私欲は完全にマイナスのエネルギーです

どれだけ野心に燃えていてもプラスのエネルギーにはならないからです

とてつもないマイナスのエネルギーに勝つにはどうしたらいいか?

それは、信念プラス祈りと印しかありません(断言します)

信念だけでもダメだし、祈りや印だけでもダメなのです

信念の伴った精神とそれを強固にしてゆく、完璧なものに創りあげるための

メソッドが祈りであり、印です。
 

これから当たり前のことが当たり前に出来ない人や

途中で挫折する人が増えてきます

しかし、その人たちを責めるのは違うのです

ほとんどの人はエネルギーの正しい扱い方を知らないからです

極一部の人たちだけが知っている・・・・・・

だけどここで言ってしまったから

少しの人たちが知っていることになります(笑)

「あなたは世界を変えられる」 ・・・・西園寺昌美さんのご著書を思い出しました。

たった一人でも強い信念があれば地球も変えられるのです

ならばあなた自身の人生もきっと変えられるはずです。


  

祈りと印を組むことで、否定的な想念から発した悪しき習慣から、光明想念から発する

良き習慣へと自然に変わってゆくのです。

今は個人個人が、本当に変わらなければいけない時期に来ています。

人々とって、マイナスの感情想念で生きるよりも遥かに、プラスの感情想念で生きる

ことが、どれほどの良い人生を創れるかは計り知れないのです
。(あーやんブログより)




 

「もっと自分を愛してみよう」


意識して習慣を変える

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2014年6月 4日 (水)

調和波動気功法、セミナーのお知らせ


  
みなさんこんちには、今日は調和波動気功法のセミナーの開催お知らせです。

今月はゴールデンドア、ゴールデンとは黄金という意味の他に

4次元、多次元という意味があるのだそうです。

だから無限次元への扉という意味ですよね。

私たちが今しんどく苦しんでいるのは、マイナスの中に入ってしまっているからです。

肉体界とは3次元、マイナスのエネルギーと宇宙からのプラスのエネルギーが混合して

いる世界なのです。

残念なことに今、肉体界はマイナスのエネルギーがかなりの部分を占めています。

だから無意識でいるとネガティブになってしまうのです。(無限なる意識!)

そこから抜け出すには、意識を変えなければなりません

自分の中の次元を変える(上げる)ことによって俯瞰的に宇宙的に今の世界(3次元)を観

ることが
出来るのです。

そうなると楽になって余裕を持って生きてゆくことができるようになるのです。

ゴールデンドアのセミナーでは、きっとあなたを無限次元へと誘ってくれるでしょう。

みなさんが参加されることをハーモニー 一同お待ちしています。

 

      『ゴールデン・ドア』
 

開催日時: 2014年6月22日(日)

食事    12:00 ~ 13:30

レッスン  14:00 ~ 16:00

開催場所: 中国料理 大成閣 (大阪市中央区東心斎橋)

詳細は開催場所ページにてご確認ください

会   費: 10,000円 (小学4-6年生は5,000円)

申込方法: 3日前までに下記郵便貯金口座にお振り込みください

(記号)14620 (番号)14862351

口座名義: ニューハーモニーの会

初めて参加される方、お子様が参加される方は下記までご連絡の上お振込みください

連絡先:ハーモニー TEL  06-6245-5457  / FAX 06-6243-7896

     または 金治智子  E-mail:kanaji@jp.bigplanet.com


グッドムーン 篠崎朗 携帯 080-1444ー0018(お気軽にご質問ください)


  

調和波動気功法
 


http://www.harmony-wave.jp/



 
 

 

自分の心の奥にある宇宙に意識を合わせる

  

自分の心の奥深く入って行くとそこは、宇宙とつながっているのです。

宇宙の中に自分がいるのではなく、自分の中に宇宙があるのです。

自分を物質(肉体)だと思ったら、確かに宇宙の中のほんの小さな存在ですよね

しかし、霊的なもの、神の子だと思えば自分というものがとてつもなく大きな存在

であるということが理解出来ます

ドラえもんではないけれど、自分の中には、宇宙のありとあらゆるものが入っている

のです。

意識をどこに合わすかです

有限の物質世界(3次元)に合わすのか?

無限なる精神世界に合わせるのか?

私たちは、目に見えるものしか存在していないと思っているので

どうしても物質世界(肉体界)に意識を合わせてしまうのです

物質世界は有限です

お金は、決まった量しかありません

素敵な異性も限られている

成功する可能性もほんの少ししか残されていない

その有限なものに意識を合わせているから苦しくなるのです

「自分がお金持ちになれるはずがない」

「誰か他に素敵な異性が現われたなら恋人に捨てられてしまう」

「あの人は特別な人だから成功したんだ、ごく普通の私がうまくいくはずがない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらは、人間は性悪説、悪魔の子、どうしようもない生きもの

という発想からきています

夢も希望もない  (無限なる可能性!)

しかし人間はほんとうにどうしようもないつまらない生きものなのでしょうか?

そうではありませんよね

人間には創造する力があります

そこが動物とまったく違うところです

動物は、神さまがつくった被造物です

しかし、人間は、神さまの霊力が宿った、創造主なのです

神=人間

であるので

意識を神である自分に合わすことによって

宇宙の叡知がすべて現われるようになっているのです。

無限なる富も無限なる成功も、無限なる健康、無限なる美、無限なる幸福・・・・

今まで私たちは、有限なもの、ネガティブなものにばかり焦点を合わせてきました

だからその通りのものが創造されていた 無限なる光!

しかし、これからは、無限なるもの

無限なる光明なるものだけに意識を集中させるのです

すると、ドラえもんのポケットのように

宇宙からの無限なるものが溢れ出てきます

人から奪うのではないのです

自分の中にある宝の山から取り出すだけです

誰も困ることはない(笑)

誰にも迷惑を掛けるのではない

奪い合うのではない

だから消えることはないのです

それがほんものということです

宇宙はほんものなので

そこから現わされたものは

消えようがないのです

人間には無限の叡知、可能性が溢れている・・・・・・

自分本来の姿を顕わすために

祈りがあり、印(我即神也)があるのです
 

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 

参考図書

「果因説」 西園寺昌美 白光出版

「我即神也」 西園寺昌美 白光出版

「無限なる癒し」 于寿明 星湖舎

「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎


 

 

 

2014年6月 3日 (火)

守護霊守護神と宇宙神との関係 2


守護霊というのは祖先の悟った霊、いいかえれば、分霊魂の親です。

魂の親であり、魂のおじいさんでもあるわけです。

その守護霊さんにつながれば、守護霊さんから段階的に守護神さんにつながって、

大神さまのほうに想いがいくから、大神さまのほうから光りが流れてきて、業を消し

ながら、自分が光一杯になって、知恵も力も充分に入ってくる。

だから一番身近な守護霊さんに感謝して、守護霊さん守護神さんをいつも思いなさい、

と簡単に教えているわけです。

ところが、守護霊守護神をいわない宗教では、神は唯一神だ。

だからそんな他のものに頼むことは何もない、創造主であり、造物主である神様だけ

にお願いしろ、というのだけれども、神さまのみ心というのは、微妙な微妙な波動で、

奥の奥の奥の深いところにあります。

だからなかなか想いがそこまでとどかないのです、邪魔があって。

会社組織でも大きな会社になればなるほど、新入社員がい、古い社員がい、主任とか

係長とか、課長、部長がいる。

長がつく役がたくさんあって、社長がある。

ですから、初めからハンをください、と社長のところへは行けません。

行ったとしたって、社長はハンを押しません。

主任なり係長なりが押して、部長が押して、そして社長となるでしょう。

この世の中でもそうです。

それと同じように、なかなかすぐ大神さまにつながるわけではないのです。

そこで身近なものからいくわけです。

守護霊や守護神には、人間の課長や係長と違って、人間感情というかそういう

業想念がありません。

だから素直に想いを向ければ、一遍に光がスッとくるのです。

ちょうど光りの梯子が降りているようなもので、あるいはエレベーターが降りている

ようなもので、守護霊さんというエレベーターに乗り、守護神さんというエレベーター

に乗れば、想いがそのまま大神さまのところへいく。

そうすると大神さまにつながるわけです。

神は唯一神なんだ、と自分でがんばって、大神さま、宇宙神さま! なんていって、

自分の中の神さまを出せばいいとか、意気ばっていても、なかなかそのようには

いかない。

いかないからこそ、今まで世界がなかなかよくならなかったのです。

理想論になってしまって、現実にはなかなかみのらない、そこで私は、あらためて、

そうやって一遍に行こうと思っても無理だから、祖先の悟った霊が守っている、

祖先のおじいさんおばあさんが守っているんだから、その守護霊さんに自分の想い

を向けていれば、守護霊さんと一つになり、守護霊さんがうまくやってくれるんだ。

守護霊さんの光が足りなければ、守護神さんが手伝ってやってくれる。

そうして、大神さまの力がズーと通ってきて、間違ったことをしない。

間違ったことをしてもすぐ気がつくようになる、という人になれるんだ、というわけです。

そうなると実に頼り甲斐がある。

例えば誰にも会わない、一人ぼっちであっても、ああ自分は守護霊さんに守られて

いるんだな、祖先の霊が守っているんだな、その上に、守護神さんがいらっしゃる

んだな、それで大神さまにつなげてくださるんだな、ということがわかります。

感覚的にわかる。 それで気持ちが楽になる。

 

    「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版







 

 

守護霊守護神と宇宙神との関係 1


悟とは、宇宙に居る本当の自分(本心)と地球に居る肉体の自分が合体した姿を

言うのです。

地球に居る自分が、宇宙に居る自分とくっつくなんてとてつもなく遠いし、難しいこと

だと思います。

簡単に合体出来るわけがない (無限なる可能性)

しかしお釈迦さまやキリストさまはそれをやってのけた

お釈迦さまやキリストさまでなくても、地球上で悟った人は何人か居ました。

ただその数があまりにも少なかった

宇宙からの無限のエネルギー、光は、悟った人の下にたくさん降りて来ます。

光の柱が降りるのです

その地は、観光地と言われ人々の魂を浄める場所となりました。

日本には他の地(外国)と比べて多くの悟った人が居たので

波動(エネルギー)が善いのです

暮らしやすいのです

業(カルマ、マイナスのエネルギー)を被っている量も少ない

だから、日本人は他の国から尊敬され慕われているのです。

しかし、日本人の素晴らしさはまだ充分発揮されたわけではない

それは、悟っていないからです

悟とは冒頭に書いたように宇宙とつながるということです

宇宙神とつがなるということです

ほんとうの幸せとは、本心のある宇宙とつながることなのです(ですから宗教とは

宇宙を示す教えと書くのです)

お釈迦さまやキリストさまは宇宙とつながるためにそのメソッドを説きました

お釈迦さまは、空になれ、頭を空っぽにするために下丹田(へそ下3.5センチ)に

あるエネルギースポット(チャクラ)に意識を合わせて余計なことは何も考えるなと

おっしゃった

キリストさまは、み心のままにと説いた

み心のままにとは、神の中に入りなさいということです

しかし

どちらも遠すぎて弟子たちの中で悟ったのは極々僅かの人だったのです

それは、いくらイチローが強肩でもセンターの一番深いところから矢のような球を

ホームまで返せというようなものです(笑)

ホーム(宇宙)はあまりに遠い

そこで、現われたのが、助っ人の守護霊守護神です。

イチローとキャッチャーの間に入ってイチローを助けたのです。

お釈迦さまやキリストさまも守護霊、守護神の存在は言っておられたようです

しかし、簡単に悟られては自分たちの立場がなくなるとどちらの弟子たちも

正しく伝えなかった

もしくは、その頃の弟子達には、守護霊守護神たちの存在は感じ得なかったかも

しれません。

今、地球上には、お釈迦さまやキリストさまに匹敵するような魂の人たちが

たくさん天下っているのです

真理を伝えればすぐに真理に目覚める人たちがたくさん生まれているのです

その人たちは守護霊さま守護神さまの存在を知っています

「自分は守られているような気がする」

と言ったり、わかったりしている人たちです

だから私が守護霊守護神のことを書くと急にアクセス数が上がるのです(笑)

これから意識的に守護霊守護神について出来るだけたくさん書いていくつもりです。

どうぞよろしくお付き合いください。

  

2014年6月 1日 (日)

運命を修正するには守護霊への感謝 2

  

過去の波動がここに現われている
 

私という肉体は、五尺二寸というもので、この肉体というのは皆さんの目に見えてい

ますね。

目に見えているけれど、実はこれは本当にあるんじゃないんです。

過去の因縁をたどって、ここに現されている。

現されているだけのもので、過去のものなのです。

というのは、私ばかりではなくて、あなた方も過去の波動がここに肉体となって現わ

れているだけなんですよ。

だから今、生活して、今なんか考えている。

今、病気なら病気をしたとする。

それはみんな過去のものが現われて、いわゆる消えてゆく姿なのです。

この肉体生活を営んでいるということは、神さまのみ心を全うする、天命を果そうと

すると同時に、過去世の因縁を果している、消えてゆく姿にしているわけです。

両方が同時に肉体として現われているんです。

ですから、今、現われている事柄に対して、なんだかんだと心配したって、苦労した

って、何にもならないわけです。

それはもう過去のものだから、単に消えてゆくだけなんですよ。

それをお腹が痛い、どうしようどうしようと、一生懸命におさえている。

不幸だ不幸だといっている。

しかしそれはどうしたって、心配したってどうしたって、それはもう過去にあるもんだ

から、過去のものが出てきただけだから、どうしようもないわけです。

映画の撮影を終わってしまって、フィルムが出来ている。

映画やテレビで上映する、というところになっているわけです。

じゃあ、なんの打つ手もないのか、というとそうではなく、ただ一つあるのです。

それは何かというと、肉体の自分の力でやるのではなくて、守護霊さん守護神さん

お願いします、と守護の神霊のほうにフィルムの修正を頼む━それだけしかない

わけです。

だからわれわれがしなければならないことは、常に寝ても覚めても、守護霊さん

守護神さん有難うございます、神さま有難うございます、といって、神さまの中へ

入りこんでしまう、神さまと一つになってしまう。

一つになりながら、一生懸命、日常生活の消えてゆく姿をやっている。

それ以外にないんです。

それをハッキリと観念して、純粋に純朴にそれを信じて、行なってゆくということが

悟りなんですよ。

そうすると、今まで感じてなかった世界、神霊の世界もハッキリわかってくるし、いろ

んなことがわかってくる。
 

     「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版

  

運命を修正するには守護霊への感謝 1

 
     
一番大切なことは、今を一生懸命に生きること、それをしていれば土壇場のところで

神様(守護霊さま)がきっと応援してくださる

そのギリギリのところまでは、応援は入らないです

ただいくら一生懸命にやっていてもなかなか善い状況が現われない場合があります

それは、前世の因縁が消えていないからです

前世で、仕事を怠けていた、怠惰な生活を送っていた、みんなに迷惑ばかりをかけていた

としたのなら、今はそのツケが回ってきているのです

今生の過去だけではなく前世(過去世)までが今に影響しているのか?

それは、不可解なことなのかもしれません

しかし、今やっていることが未来に現われるのと同じように

過去の結果が現在なのです。

過去世の結果が今ならば

いくら健康に気をつけても病気はなかなか治らないのか?

いくら一生懸命に働いても生活は楽にならないのか?

いくら人間関係を善くしようとしても前世でその人に辛く当たっていたとしたら

今生で仲良く出来ないのか?

前世のことを出されたらもうお手上げですね

自暴自棄になってしまう人もいるかもしれません

それでも一生懸命に頑張らなければならないのか?

それは理不尽ではないのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうではありません

運命を修正する方法があるのです

それは守護霊さんに過去の修正をお願いするのです

守護霊さんは、霊界におられます

肉体界→幽界→霊界→神界

肉体界に今、現われているのは幽界なのです

幽界とは人間の潜在意識が溜まったところです

過去世からの想念行為が録音されている場所です

そこが汚れているから今肉体界に汚れた様子が写って来ている

幽界を浄めて、フィルムを修正出来るのは、肉体界、幽界を網羅している

守護霊さん守護神さんなのです。

守護霊さんは人間の運命を修正するために私たちが寝ている間にも

働いてくださっています

夢を観させて、劇画化させて潜在意識から消そうとしているのです

私たちは寝ますが、守護霊さん守護神さんは四六時中寝ずに

見守って運命の修正をしてくださっているのです

もし私たちが守護霊守護神に意識を向けて

感謝をすれば、もっともっと守りやすくなるのです

そして運命の修正も早くなります。

世界平和の祈りは守護霊、守護神への感謝も含んだ完璧(パーフェクト)な

祈りなのです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 

 

 

とことんプラスを!

何かをしているとき、何かに熱中しているときはいいのですが

ふとしたときに、マイナスのエネルギーは入って来ます

そしてネガティブな方へ、よりネガティブな方に追いやられてしまうのです

自らが命を絶つ人というのは、自分だけではなく自分を取り巻くマイナスの

エネルギーにやられてしまったといっていいのです

だから私たち全員の責任でもあります

私たちはみなつながっています

私たちは、宇宙から分かれた分霊(わけみたま)なのです

太陽の光線はありとあらゆるものを照らすけれど

その元を辿ってゆくと太陽に行き着きます

それと同じように私たちの原点を辿ってゆくと宇宙神になるのです

宇宙神→守護神→守護霊→人間 

なんです。

私たちの故郷は宇宙にある

だから宇宙に意識を合わせると宇宙からの叡知がすべて入って来るのです

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

無限なる光

無限なる健康

無限なる富

無限なる美

・・・・・・・・・・

私たちはパーフェクトな宇宙に意識を合わせずに

不完全な肉体(3次元)にばかり意識を合わせている

目に見えるものだけを信じ

横ばかりを見て横取りすることばかりを考えている 無限なる光!

縦(宇宙)に意識を合わせれば、横(3次元)は自然と調って来るのに・・・・

キリスト様は真理を説きました

神さまに意識を合わせれば ┃

肉体界は調ってくるよと ━

それが十字架の意味だったのです、プラスの意味だったのです

それが真理だったのです

人間は神の子なので、宇宙神に意識を合わせると

宇宙からの無限のプラスのエネルギーが肉体に降り注いで来ます

プラスのエネルギーを受け入れる器になるためには

受け皿である私たちがプラスに共鳴する器になっていなければなりません

そのためには、いつもプラスを意識することが大切です

いくら周りはマイナスのエネルギーに溢れていると思っていても

必ずプラスはあるのです

マイナスの裏にはプラスがあるのです

いやマイナスに見えているけれども

それはプラスなんです

自分に都合が悪いものはマイナスだと決めつけているからです

宇宙には一切のマイナスはない

宇宙の一部である地球にもマイナスはない

あると思うのは人間の想いです、人間が勝手につくったのです

プラスを探すくせが付いてくると

マイナスがないことがわかるようになります

マイナスと思っていたのは錯覚だったと気づきます

人間が幸せになるのは、一切のマイナスが無くなったときです

あーやんのブログには、とことんプラスが書かれています


 

「もっと自分を愛してみよう」
 

とことんプラスを

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宇宙から見ると日本もアメリカも同じなんだ 2



器をダーッと大きくする
 

この肉体は本当に場なんです。

自分の肉体は神の受け器だ、神さまの働き場所だ、とそう思いこむと、その器はダーッ

と大きくなる。

俺の感情を害してなんだ、とか、自分が自分が、と自分を見せようとしていれば、小さく

なっちゃう。

この私の肉体が素晴らしいとするならば、それは自分を見せようとはしないことです。

神さまに捧げて、神さまの仕事をより多くしよう、とやっているわけ。

そうするとみんなが先生、先生って慕ってくれる。

皆さんも自分をなくすことです。

自分を世界平和の祈りの中に入れてしまって、自分をなくした時、初めて自分が宇宙大

に大きくなるんです。

それをやらなければ、どんな理屈をいったって、そんなものは大したことはありません。

理屈など何百万遍いったって、そんなものはなんにもならない。

百知は一真実行に及ばず ━ 一つの実行が一番いい。

世界人類が平和でありますように、みんなが幸せでありますように、私の天命がまっとう

されますように、神さまありがとうございます ━ この実行です。

それがあなた方を偉大な人間に仕立てあげるのです。

それを根本にして、日常茶飯事のことをおろそかにしないで働いてくださることを、私は

切望いたします。(昭和47年4月)


 

   「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版





 

 

   

宇宙から見ると日本もアメリカも同じなんだ 1

 

最近、書いていることが3次元的過ぎて自分でもこじんまりとまとまってしまっている

のではないか?と危惧しております(笑)

かと言って

あまりにもグローバルな宇宙的なことを書き過ぎると現実離れ(ではないですが)するし

身近なことを書き過ぎるとありきたりな誰もが書いていることと大差がなくなります。

ほんとうに自分が書きたいこととは、宇宙、大自然、神、宇宙天使、守護霊、守護神・・・

・・神秘的なことなんですね

自分が肉体人間の小さな個体になりそうになったときは、五井先生のご著書を読んで

「違う違うそうじゃなかった自分は宇宙大に大きな存在なんだ」 と気付き、再認識する

ようにしているのです。

みなさんも時々、自分という存在を客観的に見直してみることをおススメします。

そのためには自分は何者で、なんのために地球に居るのかを知る必要があります。

それが真理を識るということです。

真理とはなにか、簡単にいうと、人間は神の分生命である、しかし想念の世界に

おいて生まれ変わり死に変わりするけれども、本心は光り輝き自由自在なものなのだ

ということです。(「永遠のいのち」五井昌久著 より)

ここに五井先生のご著書から抜粋した文章を抜粋します。

よかったらお付き合いください。




宇宙の中の地球が単位です

考えてみますと、宇宙の中の地球です。

宇宙は何百億光年という大きさで、無数の星が輝いています。

月からみても日本とアメリカだって、日本とヨーロッパだって距離などありません。

一瞬です。

宇宙の中の地球の単位だから、ただ単なる日本だけではダメなんです。

宇宙の中の地球の平和をもたらすために、われわれは来ているのです。

宇宙天使と協力してわれわれは平和をつくるのです。

宇宙天使はとても心配しているのです。

総がかりでわれわれを応援してくれています。

宇宙天使というのは偉いのです。 皆さんには守護神がいます。

その守護神よりも偉いのですから、神様なのです。

老子やお釈迦さまやイエスより位が上の人がいるんですから。

ふつうは神さまの両脇にお釈迦様とイエスさんがいると考えるでしょ。

ところがそれより古い霊がいるのです。

大神さまは一つです。

その宇宙神から分かれた中で一番古い霊がいるわけですよ。

そういう方々が宇宙天使になっているんです。

そういう方々が応援してくれて、このマンション(神様が働く場のこと)を

使っているわけです。

私も年中交流しています。

それは素晴らしい権威があります。

その神々がまともに降りてきて、いろんなことを私に教えます。

この世的にいえば、お前を頼りにしているから一生懸命やってくれ、

とそんなところです。

釈尊(お釈迦様)にしても、イエスにしても、地球においては最大級の聖者だ

けれども、宇宙からみれば最大級じゃないんですよ。

宇宙は広いです。 宇宙は高いんです。

無限の広さ、無限の高さ、宇宙天使の一番偉いといったら

どれほど偉いかわからない。

ただその方々は地球では地球の人間を使わなきゃ働けない。

それで私たちを名指ししてきたわけです。

私たちを使って宇宙子科学もつくるし、それを地上に完成させるようにやっていらっ

しゃるんです。

皆さん方もそうした方々の応援を受けているわけです。

宇宙天使および守護の神霊方の大光明を浴びて、みんな世界平和の祈りをしてい

るのです。

ですから、自分の小さなろくでもない肉体でやると思いなさるな。
 

「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版

 

 

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