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2014年3月10日 (月)

与えられ生かされている

 
恥ずかしい話をします。

私は、与えられていること、生かされていることに対して感謝の気持ちはあることはあった

のですが、身に沁みて心の底から感じていたわけではありませんでした。

真理を語っている立場から言えばなんともお粗末な心境、境地だったのです。

その原因とは、人を神と見れなかったことがあったように思うのです。

人間は神の子で間違いないのですが、業、カルマを被った人間を見るとついそのままの姿

を信じてしまっていました。

その人の奥には、光り輝いた素晴らしい神性があるのに

雲の向こうには太陽があるのに

覆っている黒雲を見て、黒雲をその人の本性(本体)だと思っていたのです。

それが最近、人間とは神様の光から分かれた分霊(わけみたま)だと思えるようになって

きました。

すると、業で覆われた人も、悪いことをした人も

「お役目ご苦労さま、みんなの業を引き受けてくれて悪役を演じてくれてありがとうございます」

と思えるようになったのです。

そしてそれからは自然といろんなものに感謝の気持ちが湧いてくるようになりました。

感謝の気持ちが湧いてくることがまた有り難いのです。

感謝とは光であり、愛なのです。

いつまでもこの気持ちを忘れずにいたいと思うのであります。


 
与えられ生かされている
 

生れてくる不思議さ、育ってゆくことの不思議さ、考えることの出来る不思議さ。

水といい、空気といい、食物といい、人間を生かすに必要なすべてが自然に備わっている

不思議さ。

自分たちを生かしている周囲のすべてのものに敬虔な感謝の気持ちの湧き起らぬような

人間に、どうして真実の幸福をつかみ得ることが出来ましょう。

この肉体人間は、すべての力を内外から与えられて生かされているのだ、と知らねば、

真実への道の第一歩を踏み出したことになりません。

神なる力に対して、感謝を持ち得ぬ人間は、真理を知ることのとうてい出来得ぬ人間なの

であります。

 

        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版







 

 

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