反省は少な目に
悔い改めは永々と時間をかけてするのではない
いつまでも悔いてばかりいては、悪を把えていることになるのですから、その人の神性が表面に表われることが出来ないのです。
悔いも改めも同時に瞬間的にするのであって、永々と時間をかけてやるのではありません。
自分が悪い悪いといつまでも思っていることは、けっして神様のお喜びになることではありません。
神の世界には悪はないのですから、自分の悪でも、人の悪でも、悪い悪いといつまで掴んでいるようでは、その人は神の世界から遠ざかっていることになるのです。
悪を掴むのは自己なり人なりからその悪を消し去るために、一度掴むだけなのです。
それが自己の場合には悔い改めとなり、他人の場合には赦しということになるのです。
「日々の祈り」 五井昌久 白光出版
感想
反省は必要だと思いますが、字のごとく反省の省は少な目と書きます。
そして本文には、悔い改めは瞬間的にするのであって、とあります。
つまり 「悪かった」 と思えば後は
「もうすまい」 と瞬間思えばそれでいいのです。
他の人がすぐに許してくれなかったとしても
その人の前では、懺悔の姿を見せなければ恰好がつかなかったとしても
自分の心をいつまでも悔いで縛りつけてはいけないのです。
自分を赦し人を赦し の教義にあるように(人間と真実の生き方)
まずは自分を解放してあげるのです。
それは自分を甘やかすことではないのです。
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