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2014年1月11日 (土)

嫌いな相手でも、その価値は否定しない

  

今読んでいる本のタイトルは、「面倒だから、しよう」 です。

タイトルだけを読むと面倒くさがりの人がお気楽に生きていることを書いている本なのか?と思ってしまいますが、実際に本を読んでみてその違いに驚かされたのです。

面倒くさいことが起こる そこでまず損か得かを考える

面倒くさいことが起こる やりたいかやりたくないかを考える

面倒くさいことが起こる ・・・・・結局 楽な方に逃げる

そして私たちは、「今日一日、つまらない日を送ってしまった」 と嘆く(反省する)のです。

「これ面倒だな? どうしようかな?」

だれでも悩むと思うのです。

しかし、「ウーン?」 と考えている時間はそんなにはありません。

ほぼ瞬間で判断しなければならない

今だったらどちらでも選べる・・・・

だったら少々損なことであっても

楽な方に逃げたいと思っても

怠惰な自分が襲って来たとしても

人に喜ばれること

後から 「自分って案外にいい奴だったんだな」

と思えるようなこと

気持ちがスッキリするようなことを選べばいいと思うのです。

それはちっぽけな選択かもしれません。

しかしその選択がその人の心の中をつくっていくのだと思います。

この本の中で、教室を出て行った学生が戻って来て

机の上にちらかした消しゴムのカスをティッシュで綺麗に拭き取って帰って行ったという文章がありました。

この学生も迷ったと思うのです。

「あっしまった消しゴムのカスをふき取るのを忘れていた、どうしよう、面倒くさいな、今から戻ったらみんなどう思うかな? 恰好悪いかな?止めようかな?」・・・・・

しかしそこでスッキリすることを優先させるのです。

モヤモヤすることより スッキリさせることを大切にする

自分の中の神性(美しい部分)に焦点を合わせる

それが 心の美しさ をつくっていくことであると著者の渡辺さんは述べておられるのです。

怠惰になりそうな自分

面倒くさがり屋の自分は

誰もが持っているもの

そこで小さな勇気を出すかどうか?

「面倒だから、 やめよう」

ではなく

「面倒だから、 しよう」

・・・・・・・・・・・・・・

雲泥(天と地ほど)の差がありますよね!


追伸・・・今私が書いた内容と下記の渡辺さんの文章とはあまり関連性がないことをお詫びします。別物として読んでください(笑)









嫌いな相手でも、その価値は否定しない

 



私が教えている大学には、児童学科があります。

その学科の学生たちに、なぜその学科を選んだかと尋ねますと、「子どもが好きだから」 と答えます。

それに対して私は、「それも結構です。 けれども、好きなだけでは子どもたちと接することはできません。好きだけではなくて愛してください」 と話します。

私たちは、「好き」 と 「愛する」 の違いを知らないといけないのです。

愛するということは、対象の価値に惹かれていくということです。

例えば、暑い時は日陰に惹かれ、寒い時は日向に惹かれていくように、自然に惹かれていくもの。

誰かを愛するということは、その人に魅力を見つけて、それに惹かれていく。

つまり、相手の価値を知ってそこに惹かれていくことなのです。

私にも、食べ物の好き嫌いはあります。

私はピーマンが好きではありませんが、他の修道女たちの中には、ピーマンが大好きな人もいます。

ピーマンは色とりどりで栄養価も高く、その割に安価というように、さまざまな価値があります。

私には、その価値を否定する権利はありません。

それと同じことが、人間関係でもいえます。

どうしても肌が合わないひとがいます。

しかしながら、もしそうだとしてもその人の存在価値を否定することは許されないのです。

嫌いな相手でも大切にする、否定しない、価値を認めることをやめてはいけないのです。

もう一つ、愛について間違えがちなことがあります。

学生が 「シスター、彼はとても優しいんです」 と私にいいますので、「どう優しいの」 と聞くと、「携帯で連絡すれば、どこでも迎えに来てくれるし、欲しいというと、大抵のものは買ってくれる」。

しかし一人に優しくて、他の人に冷淡だとすれば、それは本当の優しさではありません。

そんな優しさは愛と呼べないのです。

自分の好きなものだけを愛するのであれば、それは自己愛です。

本当の愛は、全世界とのかかわりとしての愛です。

マザー・テレサはとてもいいお手本を示してくださいました。

何の報いも見返りも求めず、人々が見捨てておく孤児、ホームレス、人々が嫌がる病人、貧しい人々に愛を注がれました。

そうした愛が心の中に育っていくことが大事だと思います。

本当の愛と呼ばれるものは厳しいものです。

ドイツの社会心理学者である エーリッヒ・フロムは、「愛というものは、単なる情熱ではない。それは一つの決意であり、判断であり、約束である」 と述べています。

私は相手の何を愛しているのか、私の何が愛されているのか、それがなくなった時も相手を愛し続けることができるのか、という醒めた眼で客観的に判断する。

そのうえで忘れていけないのが温かい心、相手を許す心なのです。

 

 「醒めた眼」 と 「温かい心」 を持つ。

愛は時に盲目にする。 冷静な判断と、相手を受け入れる優しさの二つがあってこそ、愛に満ちた人生を送れる。

      「面倒だから、しよう」 渡辺 和子  幻冬舎



 

 

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