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2014年1月22日 (水)

私たちは本心というものを誤解している

 
私たちは本心というものを誤解しています。

ほんとうの本心とは、イエスキリストやお釈迦様のような慈愛そのものの心をいうのです。

キリストさまが弟子に裏切られて磔(はりつけ)になってもその弟子を恨まない心

お釈迦様が逆恨みをされて殺害されそうになっても相手の人を一切憎まない寛容な愛・・・

どんなことがあってもどんな人であっても

人の心を溶かしてしまうような深~い愛

そんな崇高な愛のことを本心と呼ぶのです。

だから相手の人の言動に崇高な愛が見られなければそれはすべて業なのです。

カルマなのです。

カルマとは本心を覆って愛の心を隠してしまっているマイナスの業想念エネルギーのことです。

今、ほとんどの人はほんとうの意味での本心を発信していません。

「今この人は本心(愛)を顕わしてはいない、業想念エネルギーに巻き込まれている、だからマイナスを発するのはしかたがないんだ」

「でもこの人の心の奥には必ず本心(愛)がある」

「時々垣間見られる本心(愛・長所)だけを見つめていこう」

と思えば随分と気持ちが楽になるのです。

本心(愛)と業想念の区別をする

そして業想念は消えてゆくものだからその人のせいではないのだから把われない、許す

本心(長所)の部分だけを見つめてその人の天命がまっとうされることを祈る

それが人間関係を円満に行なってゆくコツだと思うのです。

 
 

真愛の持ち主になろう


 

自己の心に感ぜられてくる相手のマイナス面、嫌な言語動作、それはすべて業(カルマ)の消えてゆく姿であって、相手自身の生命(本心)から発しているのではない、ということが、瞬時に理解出来るようになれば、その人は深い真愛の持ち主ということになります。

愛の心とは、人間の業想念行為を把える心でも、相手の誤りを把える心でもなく、また、自分自身の業想念感情の満足や利点のために、相手と融合し、仲良くすることでもないのであって、ただ純粋素朴に、自己の生命が相手の生命と一つになることなのであります。

イエスキリストは全くこの愛を行じ得た聖者であったのです。

                        ※

真実の力は肉体自身にあるのではなく、神のなかにある。




   

          
「日々の祈り」 五井昌久 白光出版





 

 

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