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2014年1月31日 (金)

強い集中力は岩をも通す

 
ものになるかならないか? 成功するか失敗するか? 突き抜けるか抜けないか?

一人前になるか、半人前で終わるか?

は、最後の最後、土壇場での集中力だと思うのです。

神さまが

「お前は本当にこのことに生命(いのち)を懸けているのか?」

「我欲を捨てて無心でやっているのか?」

と試しておられる

そして本当に真剣であることがわかったとき

奇跡を起こさせてくれるのだと思うのです。

しかしその奇跡とは神さまがやってくれたのではないのです。

自分の神性が顕われて

神通力が生じたのです。

自分で自分の力で奇跡を起こしたのです。

奇跡って特別な人にしか起こらない

めったにないことだと多くの人は思っています。

しかし、命を懸けて真剣にやれば誰にでも奇跡は起こせるのです。

物事が進まずに滞っているときは

頭を空っぽにして必死で神様(守護霊・守護神)を呼んでみましょう、

神様とは外にあるのではなく

自分の中にあるのです。

自分の中の神を自分で呼び起こすのです。(我即神也)




1.世の中には、人より目立とうという人、人より抜きん出て先頭に立とうとする人が案外多い。こういった人達に対して、何らかの嫉妬心や羨望の眼で見ている人達もまた案外多い。

人を羨ましがる必要は毛頭ない。 あえて世の先頭に立とうとする人達は、我々が想像も及ばない程の激務と多忙さに追われている。

その間に我々は自らの内なる精神、才能をじっくりと磨きあげることが出来、「本当の価値あるものとは何か」 がはっきりわかってくる。 永遠に変らないものを求めつづけていく生き方こそ尊い。

 

2.ここでどうしてもやり遂げなければならない時、もう少しですべてが終わろうとしている時、この仕事に生命をかけている時に、突然、病気や事故や災難に出会ったら、人は一体どうしたらよいだろうか?

こういった時こそ、自分本来の持てる力を充分に発揮出来るチャンスなのである。

必ず精神で肉体をコントロールすることが出来る。 必ず精神力でやり遂げることが出来る。

それは果さなければ、やり遂げなければ、と自分の責任を多大に感じる程、人はその力を大いに発揮することが出来、現に果し終えてしまうものなのである。

だがその時、少しでも自分の仕事の肩代わりをしてくれる人がいたり、まわりの人の援助で何らかの対策を見出そうと、自分の心が他に依存することを希望した時には、中からの力は発揮出来なくなり、自分の仕事を中途で断念せざるを得ない。

 

        「日々の指針」 西園寺昌美 白光出版

 

宇宙の中に私たちは組み込まれている

 
 
みなさ~ん小学校(高学年)か中学で円周率って習いましたよね。

その定義を読んでみたのですが、さっぱりわかりません(笑)

ただいろんな分野で共通する大事な定数であることは間違いなさそうです。
 

円周率(えんしゅうりつ)は、周長の直径に対する比率として定義される数学定数である。通常、ギリシア文字 π(パイ)で表される。数学をはじめ、物理学工学といった様々な科学分野に出現し、最も重要な数学定数とも言われる。

円周率は無理数、つまりその小数展開は循環しない。小数点以下35桁までの値は次の通りである。

円周率は、無理数であるのみならず、超越数でもある。


π = 3.14159 26535 89793 23846 26433 83279 50288 …


難しい話は置いておいて、この上の3.14・・・・・・・の無限に続く数字の中になんと自分の生年月日が必ず並んで存在するそうなのです。

私の場合は、1958年4月9日だから 195849という続き番号があるらしいのです。

これって凄くないですか?

私は6ケタですが、8ケタの人もいるわけです。

これは、個人の生年月日だけではなく、ありとあらゆる宇宙に存在するものを数字に置き換えると必ずこの数式に当てはまるのだそうです。

奈良県にある桜の木の一枚の花びらの番号が 198375649109473(デタラメな数字です)だったとするとこの数字は円周率の数字の中に必ずあるということです。

円周率(円・縁)が宇宙そのものってことですよね。

このことを知って私は、この世(あの世も)に存在するもので無駄なもの、必要のないものなんて一切ないんだと思ったのです。

たとえ、肉体界を去ったとしても、不幸にも自らの命を絶ったとしても

宇宙には永遠に存在しつづけるのです。

わたしたちは、宇宙にとってかけがえのない存在なのです。

なんだかグローバル(宇宙的)な心境になったような気がします(笑)。



 

 

出来るだけエネルギーの良い場所に身を置きましょう

  

私の書いているブログを読んで、セミナーに参加してくださったり、私に会いに来てくださる人は、間違いなく真理に興味があるか? 調和波動に興味があるか? 私に興味があるか(笑) のどれかになります。

それ以外の人は、まったく関係がないということはないのですが、縁の薄い人や今すぐに会う必要のない人とは絶対に共鳴しないようになっています。

それが宇宙の法則です。 エネルギーの法則なのです。

そして、自分が持っているエネルギーと波長の合う人や場所がその人にとって一番居心地のいい環境なのです。

しかし、そうはいきませんよね(笑)

家には、嫌な姑や小舅が居る、職場にもウマの合わない上司や同僚がいる、ご近所でも、PTAでも人間関係で苦労している・・・・・・・

みんな多かれ少なかれ、同じような状況だと思います。

だからみんな、自分の波長と少しでも合う人を、家庭や職場、知人以外で求めるのです。

似通った波動の人は、お互いの気持ちがわかるので、通じ合えるので、魂が安心するの

です。

ところで

仕事はどうやって選べばいいか?

お給料も大事です、仕事の内容も大事です

でも職場の雰囲気もたいせつだと思うのです。

明るくて、働いている人が笑顔である (ポジティブな人が多い)

出来たらそんな職場がいいです。

「自分が暗い職場を明るくするんだ」 というバイタリティのある人はいいけれど

実際はそんなに甘いものではありません。

沁みついたエネルギーの場(磁場)なんて簡単に変わるものではないのです。

それよりも居心地のよい、波動の少しでも良い所に身を置いて

そこで思う存分、プラスのエネルギーを振りまく方がいいのです。

そのエネルギーはやがて暗い磁場にも浸透していきます。

空間のエネルギーはみなつながっているからです。

ネガティブなエネルギーの場所は、自分の波動体(エネルギー体)をも傷つけるのです。

自分をいたわる意味でも、なるべくエネルギーの悪い場所には行かないようにしましょう。

それは直感で教えてくれます。(守護霊さまが)

なんだか行きたくないような気持ちになるからです。

無理に汚い泥をかぶることはやめましょう。

 


だれを対象に仕事(ビジネス・商売)をやりたいのか

 

あなたのお客さんはどんな人がいいですか? お金持ち、それともお金のあまりない人?健康な人? それとも病気の人? この質問には笑う人がいるかも知れませんが、たいせつです。

病気の人といると、元気とやる気が出てくるという人もいるのです。

いっしょにいて楽しい、うれしいと思えない人を相手に仕事をするのは、苦痛以外の何ものでもありません。

どんな人を対象に仕事をすれば、いちばん自分が生き生きできるのかを知っておくのは、仕事の内容よりもたいせつなほどです。 

というのも、仕事で得られる最大の喜びは、お客さんとのいい関係だからです。

逆に言うと、仕事内容や、給料などのほかの条件が最悪でも、お客さんや同僚との人間関係が最高なら、楽しく仕事ができるものです。 

それくらいたいせつなものとして考えてください。

 

     「ライフワーク」で豊かに生きる  本田 健 GOMA BOOKS



 


 

人脈をつくるコツ

 
 
今の自分のこの状況があるのは、3日前にあった友人Aくんの影響を受けている

そして明日、Aくんに紹介してもらった人、Bさんに会うことになっている

昨日会った人Cさんとは、このブログで知り合いになった人であり、もうお付き合いは5年ちかくになる。

そしてCさんにもDさんを紹介してもらって、Dさんにはいろんなことを教えて頂いた・・・・・・・・・・・・・・

今の私があるのは、ほとんどすべて、人の縁から発生したことだと言っていいと思うのです。

なぜ、人脈が広がってきたのかを思い返すと

手前みそではありませんが、無理をしないで自分に出来ること、相手の人にとって善かれと思うことはしてきたと思うのです。

人を助けるとか、相談に乗るとかそんなたいそうなことではありませんが

気になったときに、電話やメールをするとか、その人にメリットがあって喜こんでくれそうなちょっとしたことを躊躇せずにやっていると、心と心がつながってゆくのが実感としてわかるのです。

そんな見えない糸がたくさんあると安心します。

「自分は一人ではない、孤独ではない、淋しくなんてない」 と思うのです。

それは同時に相手の人もそう想ってくれていると思います。

目にはみえないけれど人と関わっているんだという安心感

それが絆なのではないでしょうか?

そして私が困ったとき、「どうしよう」 と悩んでいるときには、それらのネットワークが稼働を始めるのです。

ネットワークって言葉はあまり好きではありませんが(笑)

インターネットも同じですよね

本当の人脈なんてそう簡単に出来るものではありません。(ローマは一日にしてならず)

相手の人の魂が喜んでくれることなら、喜んでやらせていただく

物事を損得で考えない

それをやっていれば、いつのまにか素晴らしい人脈(財産)が出来ていると思うのです。








人脈をつくる


 


どんな分野であれ、人脈をつくることはとってもたいせつです。

最終的には、人から最高の情報やチャンスがやってくるからです。

人脈を軽視する人は、短期的には成功するかもしれませんが、長期的にはほぼ間違いなく没落していきます。

どのように人脈をつくればいいのかまでは、紙数の関係で書けませんが、そのうち一冊の本でまとめようと思っています。

いまは、人脈づくりがいかにたいせつなのかだけ知っておいてください。

人脈をつくるコツは一つだけ。 「知り合う人を全力で応援できるかどうか」 だけです。

もし、あなたが知り合うすべての人を心から応援しようという態度で生きれば、彼らも同じような態度であなたに接するでしょう。

人脈というと、すぐに名刺をたくさん集めることだと勘違いしたり、人を利用することばかりを考えがちです。

でも、親しい人間関係は、とっても人生を楽しく豊かにするものの一つです。

すこしずつ、いまつきあっている人との親交を深め、仲間を増やしていくのが人脈つくりの基礎です。

この人と一生つきあいたいと思ったり、思ってもらったりするような関係を築くことを心がけてください。

 

    「ライフワーク」で豊かに生きる 本田健 GOMA BOOKS





 

答は天にある

  

何故いつまでもそうイジイジしているのだ。 何故いつまでもそうくよくよしているのだ。 もっと問題点から心を離せ。 何故もっと大きく物事を考えられないのか。 何故もっと広く物事をみられないのか。 いつも小さな下らないことにこだわりつづけ、暗く沈んでいるなんてナンセンスだ。

だからこそ、いつまでたっても問題が解決しないのだ。 本当の解答は天にある。天に心を向けた時、すでに問題は解決されている。


  

        「日々の指針」 西園寺昌美 白光出版


 





先ほどの日記(忙しいと心を亡くす)には、頭を使って徹底的に考えろと言っていたかと思えば、今度は問題点から心を離せと言う、考えるなと言っている

一体グッドムーンは何を言っているのか? 言っていることが先ほどとは違うではないか、支離滅裂ではないか と思われているか思います。

これはどういうことかと申しますと、頭を使うことは悪いことではないのです。

物事を善い方向にもっていくために、改善策を一生懸命に真摯に考える

企業であるならば、売り上げをあげるため、成績を上げて家族を食べさせていくため、余裕のある生活を送って充実させるため

そのためには知恵を絞らなければなりません。(これは人間の仕事です)

しかしそのための知恵を出したならば、その後は、それ以上の余計なこと、よこしまなこと、ずるいこと、計算高いことなどを考えずに運命を神さまに預けなさいということなのです。

それは人事を尽したならば、やることを一生懸命にしたのならば

その後は神様の仕事だからです。

人事を尽して天命を待つ

天命を信じて人事を尽す


どちらも正しいと思います。

人に頼ると自分の力が失われる

 

精神的に辛いときというのは、なにかに逃げているときです。

他人に頼っているときや、甘えているとき、怠惰になっているときは、なんともいえない辛い気持ちになるのです。

それは私たちを見守ってくださっている守護霊様が

「甘ったれるんじゃない」 という強烈な光を、どんよりしたマイナスのエネルギーに当てているからです。

暗雲が消えようとしたときに気持ちの悪い状態にさせられる

これが辛いとか、スッキリとしない正体なのです。

しかし私たちはこのエネルギー状態をそのままにしておくのがたまらなく嫌なので、なんとかしようとする

素直な人はすぐに行動に移し、軌道修正するのです。

そしていつの間にか

宇宙の法則に乗っているのです。






1.なぜ、君は人を頼るのか。頼ったからこそ裏切られたのだ。人に頼るものではない。又人に頼ったところで何の解決策もありはしないのだ。 あるように思えるのは、結果が一時的に解消されたにすぎない。 永遠の解決ではない。人に頼っただけ自分の力が失われてゆくのに、君は気づかないのか。 人に頼る心が湧いたら何故自分自身に頼るように持っていかないのか。それだけ自分に自信が持てないからか。依頼心ほど人間を駄目にすることはない。自分の本心に頼れる自分になれ。

 

2.さあいつまでも甘ったれてばかりいないで、少しはシャンとしろ。いつまでもクヨクヨしてばかりいないで、スッキリしろ。

まわりが何でも御膳立てしてくれると思ったら大間違いだ。 いつまでたってもこの状態から抜け出すチャンスは来ない。 自分の力で乗り越えるのだ。 乗り越えようとする心が大事なのだ。 乗り越えられると思いこむのだ。 いつまでも自分を甘やかしつづけると、自分が損をする。

 

3.あなたを心から必要としている。頼りにしている。なくてはならない人。素晴らしい。明るく輝かしい。 優しい。 美しい。 頭がいい。 才能がある。 寛容な心。 思いやりがある・・・・・こういった積極的な言葉をどんどん子どもや夫や妻に向かって使いなさい。すると、相手はどんどんそのような言葉にふさわしい人となってゆく。

 

4.人生とはいろいろな人が出会い、交わり、多種多様な模様を織なしてゆくようなものである。 だからこそ、人生は素晴らしいといえる。 

人と人との出会いによって、あらゆる可能性が生じ、自分独自の人生模様を描いていけるからだ。

今からでも決して遅くはない。 新しい人との出会いを心から楽しむのだ。

彼らは何かを与えてくれる、新しい何かを。 今までに無かった何かを。

いつまでも人を避けていては、よい人生が切り開かれるはずはない。 さあ億劫がらず、面倒がらずに、何も躊躇せず、思いきって突き進んでゆくのだ、素晴らしい明日にむかって。

常に新しいものを求めつづけて。

 

       「日々の指針」  西園寺昌美 白光出版

 

2014年1月30日 (木)

忙しいと心を亡くす

 
  
仕事などで効率よく無駄のない動きをしていて、なおかつ成果が上がっている人は、仕事をかる~くこなした上でプライベートの時間もしっかりと取っています。

一方、「ああ忙しい忙しい」 と言いながらドタバタしている人に限って成績もあがっていないし、効率が悪いので自由になる時間を持てない

例えば、成績の上がっていない営業マンは、売り込みをするのに戦略を練らずに無闇に飛び込み営業をしてしまいます。

優秀な営業マンは、行動を起こす前にしっかりとマーケティングをします。

自社の商品はどのような人に受け入れられるか? 求められているか?

男か女か? 年齢はいくつくらいか? 独身か既婚者か? 

どこへ行けばその人たちに会えるのか?

どのようなプレゼンをすれば成約できるか?

効率よく動くにはどうすればいいか?

そして自分がなぜこの商品を売りたいのか?(これが一番大切です)

人に受け入れられるには自分はどのような人間になる必要があるのか?(これも大事です)

そこまで練って行動すると成功するのです。

いつも忙しくしていて成果の上がっていない人というのは、よく練っていないと思うのです。

以前にも書きましたが、なぜを充分に追求していない

なぜ売れないのか? なんで受け入れてもらえないのか? どうしてプレゼンが失敗するのか?

このなぜ、なんでか、どうしてを十分に追及すると

ということは、するとどうなる、 こうすればいい、は自然に浮かび上がって来るのです。

頭の中を整理して(紙に書き出して)

頭をスッキリさせていないと無駄に時間を送ることになります。

バタバタと無駄に時間を過ごす人のことを忙しい人というのです。

どんなに時間に追われていても

仕事をたくさん抱えていても

自分自身と向き合う、対話する時間は絶対に必要です。

たとえ一時間でも・・・・・

自分自身と向き合うと自分を客観的に観れるようになるのです。

   



ふだん忙しくて、自分の人生を生きる時間がないという人には、いつも同じ逸話を話します。

あるきこりの話です。

あるところに、慌ただしく働く 「きこり」がいました。 通りがかった人が覗いてみると、きこりが持つのこぎりの刃はぼろぼろで、まったく仕事が進んでいないように見えました。

そこできこりに、 「のこぎりの刃を研いでから仕事をしたほうが、もっと能率よくできますよ」 と話しかけました。 すると、きこりはこう言いました。

「うるさいな。ほっといてくれ。俺は木を切るので忙しいんだ。のこぎりの刃を研ぐなんて時間はないんだよ」。

私たちも、このきこりに似ています。

 

      「ライフワーク」 で豊かに生きる   本田 健




 
  

2014年1月29日 (水)

調和波動気功法トレーニング 5


調和波動気功法の本の中には、『人間と真実の生き方』 という凄い文章が掲載されているのです。

人間とは一体なんであるか? 

そして私たちの目の前に現われる苦悩とはなんであるのか?

 どうすればその苦悩は無くなるのか?

そして私たち個人と地球人類が幸せになっていくにはどうすればいいのか? が

短い文章の中に端的に書かれているのです。

これからみなさんはこの文章をいろんなところで見ることになると思います。

この文章こそがこれから私たち人間が目指す本当の 「生き方」 だからです。

 





            人間と真実の生き方


 

人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。

この世の中のすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる過てる想念が、その運命に現われて消えてゆく時に起こる姿である。

 いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起こし、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す。

 愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得できるものである。

                     「老子講義」(五井昌久著)の一節より

 



『人間と真実の生き方』 とは、世界平和を主眼となさっておられる「老子講義」(五井昌久著)の中で述べられているお言葉です。

調和波動気功法を行っている私たちはもちろんのこと、全世界、地球の未来にとっても最も大切なことであり、これを抜かしては、何事も真(神)髄に到達することはできません。

世界平和の祈りの中には、調和な波動がいっぱい入っています。

祈れば祈るほどに湧いてまいります。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 

 

おもいわずらうな!

 
何をそんなに思い煩っているのだ。 なにもかも自分一人で背負うとするから混乱してしまうのだ。 あなたは一番根本なることを忘れている。

それはどんな人にも守護霊様守護神様がついておられるということだ。

そしてその守護霊様守護神様が必ずその人の運命をよくしようと、日夜努力し導いて下さっておられることだ。

あなたのすることといえば、ただその人の為に、その人の天命を祈ってあげさえすればよいのだ。

夫のために妻のために、愛する子供たちのために、友人知人のために、両親、祖父母のために、ただそれだけでよい。

だがあなたはその人の心をあまりにも思うあまり、その人のためをあまりにも考えすぎるために、すべての責任を自分一人で背負うことが正しいと思いこんでしまっているのである。

その人の運命はその人でなければ切りぬけられないものである。

思い違いをするな! 思いあがるな!

        「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版

 

感想

なんという厳しいお言葉でしょう、特に最後の 思い違いをするな! 思いあがるな! は強烈です、身が縮み上がるようです。

私はこの指針を何度読み返したことか・・・・

と言いますのは、私は息子のことで心配することがありましてずっと思い煩っていたのです。

そして、息子自身が自分で解決しなければいけないことなのに

親である私が

「どうしよう どうしよう 自分がなんとかしてあげなければ」 と右往左往していたのです。

そしてこうなったのも親である自分の責任であると本気で思っていました。

そして息子の将来を案じていたのです。

でもそのときに思い知りました。

肉体人間の親ではどうにもこうにも出来ないことを・・・・・・

どれだけ心配しても、どれだけ手を貸そうとしても カラ回りするだけでした

かえって心配し過ぎて息子にマイナスのエネルギーが行ってしまい、息子の心をがんじがらめにしてしまうのです。

「親は子の心配をするのは当たり前だ だから少々干渉が過ぎてもいいのだ」

というのは、とんでない間違いなのです。

エネルギーとしてイメージすればよくわかります。

そんなことに労力(エネルギー)を費やすのではなく

肉体人間の親よりも

数倍、いや数十、数百倍、数千倍 子どものことがわかっていて

数万倍助けることのできる守護霊さん守護神さんにお願いすることのほうが

ずっとずっと賢明なのです。

それが真理なのです。

霊界から守護霊さん 神界から守護神さんが

潜在意識の世界である幽界と肉体界を浄めてくださるからです。

子どもの守護霊様守護神様に感謝をしお願いをするとその光は肉体の子どもに行くことになり

マイナスのエネルギー(業・カルマ)から光のバリヤで守られることになるのです。

だから自分の力ででなんとかなると思うのはやはり、思い上がりなのです。





 

 

2014年1月28日 (火)

どうにもならないことをどうにかしようとするから 苦しいのです 2

 
4. 神さまはこうおっしゃっている。

 「何故あなたは一人でそんなに嘆き苦しんでいるのか。 あなたのその小さな心では到底その重荷を背負いきれるものではない。 あなたの器が大きくなり、自分一人で背負いきれるようになるまで、私が肩代わりしてあげよう。

さあ、すべてを私に任せなさい。 あなたはもうその悩みについて、その悲しみについて、その苦しさについて一切忘れなさい。 考えることを一切放棄しなさい。 私がみんな背負ってあげよう。 その代り必死で真剣に世界平和の祈りを祈りつづけなさい。

朝から晩まで今日一日、心の中に迷いが生じないように一生懸命祈りつづけなさい。

明日は大分楽になっている筈である。 一筋の光があなたの行く手を照し始めたのです。 安心なさい。」
 


 

5. 神さまはこうおっしゃっている。

 「あなたの強い熱い願いは私に届いている。 あなたの心は誰よりもよく知っている。 人に理解されずともよい。 人によく思われずともよい。 私はあなたの心の奥底をわがことのように知っている。

 必ず近い将来、あなたの思う通りのことがこの世に現われる時がくるであろう。それまで時の経つのを待つがよい。 あなたの笑顔の甦える日は近い。」


 

6. 神さまはこうおっしゃっている。

 あなたは、今この瞬間、すべての束縛から解き放たれた。 そして完全に自由の身になった。 私はあなたのすべてを識る。 今までのあなたの苦しみもあなたの傷みもあなたの悲しみも、またあなたのなして来た誤てる行為も。

 だがすべて私はここに許す。 あなたのすべてを許す。

 さあ、あなたは自由の身になった。 自分自身からの束縛から解き放たれた。

 心より喜びなさい。」


 

7. あわてることはない。 焦ることもない。 そう深く心にかける必要も全くない。すべては守護神によって順調にうまく運ばれてゆくのだ、ということを強く信じるだけでよい。

 自分の力で、一人の力で、自分自身がやるのではない。 常に神と一体となってはじめてすべてが運ばれてゆくのだ。 ということを心より知ることのほうが大事だ。

 すると思いもかけず、すべてのことはスムーズに運ばれ完成してゆくものである。

 

       「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版

 

どうにもならないことをどうにかしようとするから 苦しいのです 1

 

苦しんでいる時というのは、どうにもならないことをなんとかしようと必死でもがいている時なのです。

どうしていいのかわからない、どれがいいのかもわからない、なにがなんだかわからない・・・・・

ということはこれ以上考えてもしかたのないこと、自分ではどうにもならないということ、

そんなときは無理をしないで 神様に預けてしまえばいい

頭の中を神様でいっぱいにしてしまえばいいのです。

そして肉体人間の自分にわかること、出来ることだけを一生懸命にやっていけばいいのです。

それを 他人と比較して

「自分は怠惰だ」、「能力がない」、「根気もない」、「ダメな奴なんだ」

 「他の人がやっているんだから自分も頑張らねばならない」

と今迄の自分を反省し、今までのダメな自分を繰り返すまいとして無理をするのです。

しかし、その人も簡単にやっているわけではない、苦しいのです、本当はやりたくないのです。

人間は50歩、100歩・・・・どれだけ凄いと言われる人でも出来る人でも、たかがしれているのです。

肉体人間にできることなんてたいしたことではないのです。

西園寺昌美さんの「日々の指針」 を読んでいると肩の力が ふーッと抜けていきます。

自分と他人を比べることの愚かさを教えてくれます。

厳しい言葉が多いのだけれど、真理の言葉は 慈愛の響きがあるのです。

肉体人間の弱さを神様はわかってくださっている

「自分を苦しめるのはやーめた」 「神さまに助けていただこう」 と思えるのです。

 
 
 

1.あなたはどんな人から侮られ、馬鹿にされても平気です。 人は皆勝手気ままなもの、いつも自分のご都合次第に、機敏に動くものということを知っています。

人がどう思おうと、自分自身が信念をもって生きていさえすれば、どんな些細なことにでも心を動かされることはありません。 世界平和の祈りこそ、どんな人にも絶対に文句のつけようのない素晴らしい生き方です。 誇りをもって生きることです。

 

2.現在のあなたが、今どんな人であろうと、神から忘れられることなく慈しまれ、愛されつづけていることを、決して忘れてはならない。 あなたが神を否定し、神を思わずとも、守護神のほうから、常にあなたの無事を、あなたの幸せを、あなたの平安を守り、導いて下さっておられるのである。

あなたの心が少しでも守護神のほうに向けられたら、どれだけあなたを守りやすく、導きやすくなることかしれない。

それこそ、今までの苦しみは半分以下になるに違いない。 

あなたは永久に神に抱かれており、愛されているのである。

 
 

3. 神さまはこうおっしゃっている。

「あなたが私から顔をそむけても、それでよい。 また私を無視し、私をけなし、私を否定しつづけてもかまわない。 それでも私はなおもあなたを愛し、あなたをいとおしみ、あなたに心から幸せになってもらいたいと欲している。

私はただ黙って、ひたすら宇宙に遍満する光のエネルギーを、絶大なるパワーを、あなたの心の中に注ぎこみ

私とあなたとの次元を深い絆で固く結んでいるのである。」

       「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版

 

2014年1月27日 (月)

調和波動気功法トレーニング 4

  

気功とは何ですか?

幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の 「気を付けて」 は英語で 「Good bye」 = 「God by you」 であり

スペイン語で 「Adio’s」 の dio’s は神の神の意味である。 

「気」 とは神の意味である。 
 



調和波動気功法と他の気功との違いは?

調和波動気功法は神気であり、真理の気、宇宙根源の気である。




上記の文章は 無限なる癒し・無限次元への誘い・無限なる幸せを体得する方法・無限なる勇気 于寿明 星湖舎に掲載されています。

気功とは気(エネルギー)の働きのことであり

気とは神様のことだったのですね。

つまり神様の働きのことを気功というのです。

 

1.本の中で丹田(たんでん)奥深く 光り輝け(P28)とあります、これはどういうことかと申しますと

宇宙からのプラスのエネルギーを横に流して真理そのものである十字架になるためには下丹田(へそ下 3.5センチ)から後ろ(背中側)に意識を引いていくことが必要なのです。


宇宙からのエネルギーは頭のてっぺんの百会(ひゃくえ)に入り、体の60兆の細胞にエネルギーを与え、そして地球の中心へと流れていくことは前回に述べました。

そして体の中心である下丹田(へそ下3.5センチ)に意識を置き、次は下丹田から意識を後ろ(背中側)に奥深く引いていくのです、イメージするのです。

そして30センチほど引いた後ろに天地につながった細い光の糸をイメージしてください。(30センチがイメージ出来たら1メートル10メートル30メートルと深く距離を伸ばしてやって、みてください)

実はそこにも神様はおられるのです。(神様はあらゆるところにおられるのが正解なのですが)

そして神様と宇宙のエネルギーが合体したら、そのエネルギーは前へ向かうのです。

天から縦に ↓ エネルギーが流れる

下丹田で止める ・

そのエネルギーを後ろに引く → 

神と一体となったエネルギーは前へ出る ← 

エネルギーは綺麗に交差するのです。 十

これで初めてプラスのエネルギーになる

プラスのエネルギーと十字架は同じ意味だったんですね。

そして

奥深く入るとはどういうことなのか? 

私は自分が謙虚になって無になって前へ出ることをせず、出しゃばらず、神さまに働いていただく器になることだと思っています。

これは私の勝手な解釈ですが、間違ってはいないと思うのです。

神通力とは、神さまが通る道(力)のことです。

そこには自分がという我はないのです。 欲望はないのです。

肉体人間の自分が働くのではない

神様が働くのだ

自分はただ神様が働きやすい場を提供するだけでいいのです。

器になればいいのです。

ちょっと難しいですよね、長くなったので今回は1.で終わります。




 

    
「調和波動気功法」 于寿明 星湖舎




 

 
 

 

2014年1月26日 (日)

反省は少な目に


悔い改めは永々と時間をかけてするのではない

 

いつまでも悔いてばかりいては、悪を把えていることになるのですから、その人の神性が表面に表われることが出来ないのです。

悔いも改めも同時に瞬間的にするのであって、永々と時間をかけてやるのではありません。

自分が悪い悪いといつまでも思っていることは、けっして神様のお喜びになることではありません。

神の世界には悪はないのですから、自分の悪でも、人の悪でも、悪い悪いといつまで掴んでいるようでは、その人は神の世界から遠ざかっていることになるのです。

悪を掴むのは自己なり人なりからその悪を消し去るために、一度掴むだけなのです。

それが自己の場合には悔い改めとなり、他人の場合には赦しということになるのです。

 

   「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 


感想

 

反省は必要だと思いますが、字のごとく反省の省は少な目と書きます。

そして本文には、悔い改めは瞬間的にするのであって、とあります。

つまり 「悪かった」 と思えば後は

「もうすまい」 と瞬間思えばそれでいいのです。

他の人がすぐに許してくれなかったとしても

その人の前では、懺悔の姿を見せなければ恰好がつかなかったとしても

自分の心をいつまでも悔いで縛りつけてはいけないのです。

自分を赦し人を赦し の教義にあるように(人間と真実の生き方)

まずは自分を解放してあげるのです。

それは自分を甘やかすことではないのです。

 

マイナスをつかまないためには


魂力を自分のものにせよ

 

自分の生命は神様からきているのであり、自分の運命というものはすべて神様のみ心の通りに動いてゆくものである。

神様というのは全知全能者であり、絶対な力を持たれている絶対者なのであり、大愛者であるのだから、自分の生命を分けて働かしている人間のために、悪いようにしっこないのだ ━ ということをつねに想いつづけて生活してゆくことです。

そして神様をいつでも心に思いつづけているのです。

そういたしますと、不安や恐怖の起こるべき事態が現われても、すぐその想念が神のみ光のほうに吸い込まれていって、次第に魂の力、すなわち勇気がわきあがってきて、ついには、何事に処しても、不退転の気持ちになってくるのであります。

 

      「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 



感想
 

先ほどのブログ、調和波動気功法にも書いたのですが、宇宙もありとあらゆるものが波動で出来ているのです。

人間も、もちろん波動体で出来ています。

肉体を物質波動、心を精神波動といいます。

人間はこの2つの波動が調ったとき、調和したときにほんとうに望んだものが得られるのです。

波動(エネルギー)というのは目には見えないし感じにくいのですが、魂をマイナスのエネルギーで覆っていたのなら不幸な心境になり、光で照らされていたのなら幸せ感を得られるのです。

ほんとにシンプルなのです。 エネルギー(波動)がすべてです。
  
だから心を曇らせないようにしてやること、そして光で満たすようにすることが大切です。

プラスのエネルギーを意識的に注入していかないといつの間にか心は暗雲で覆われてしまうのです。

感謝をしたり感動したり、祈ったり光明思想徹底行を唱えたり、印を組んでいると宇宙(神)と共鳴し無限のプラスのエネルギーが入って来ます。

そういたしますと、本分にありますように
 

不安や恐怖の起こるべき事態が現われても、すぐその想念が神のみ光のほうに吸い込まれていって、次第に魂の力、すなわち勇気がわきあがってきて、ついには、何事に処しても、不退転の気持ちになってくるのであります。



 

 

 

人間は肉体界を去っても未来永劫に生きつづけるのです

 
  

今、たまたま3次元で成功している人、お金持ちになっている人、仕事がうまくいっている人、人間関係が良好な人、健康で何の悩みもない人がいるかと思えば

人生で失敗ばかりして、貧乏な人、体が弱くて病気ばかりをしている人・・・・・がいて、世の中が不公平であるとか、自分はツイていないとか、自分はダメな奴なんだ、と自暴自棄になっている人がいます。

そして悲しいかな私の知人で自ら命を絶った人もいます。 

その人は自分の存在価値を自ら否定したのだと思うのです。

しかしこの世でもし仮に50年、60年苦しいことの連続だったとしてもそれは、未来永劫つづいている生命からみれば、ほんの一瞬にしか過ぎないのです。

そして肉体を持ってこの世に生まれてくるというのは奇跡なのだそうです。

幽界でうごめいている無数の迷える霊たちは、肉体界に生まれ変わりたがっている、それは肉体界の方がずっと苦痛は少ないし、運命の修正が出来て、魂の成長をさせやすいからです。

幽界は波動の動きが早いので、マイナスを想えばすぐにそのマイナスが返ってくるのです。(それは想像を絶するような苦しみだそうです)

だから肉体を持って生まれてくるというのは超ラッキーなんです。(天文学的な確率だそうです)

明石家さんまの娘さん(いまるさん)ではないけれど、生きているだけで まるもうけ です。

神様は、価値のない魂を人間界に送り込むようなバカなことはしないのです。
 
生まれて来た幸運に感謝をし、自分を生み出してくれた神様に感謝をするようになれば、運命は一変します。

そのことに気づくために、私たちは生まれてきたからのです。

決して自分を卑下しないでください。

あなたは誰がなんといおうと 素晴らしい!人 なのです。

 


天命が与えられている


 

自分の生命は一体どこからきたのか、それはわからない。 そのわからないということを素直に認め不可思議な力(神)の一つの生命としての自分が、この世にあることを知らなければなりません。

わからないのに、わかったような顔をすることこそ、人間の堕落の第一歩なのです。

わからないと正直に自分が認めた時が神を知る第一段階であり、そこから自己の天命がわかってくるのです。

神様が自分をこの世に出して下さった以上、必ずなんらかの使命があるのに違いないと信じることは、神の存在を信じ得る者の容易に肯定し得ることです。

全知全能の神が、一人の人間でも誤ってこの世に生むことはないからであります。
 

       「日々の祈り」 五井昌久  白光出版

   
   おススメ図書 「我即神也」 西園寺昌美 白光出版 (自分が何者であるかを知ってください)




 


 

調和波動気功法トレーニング 3

   

書いているうちに気付いたのですが、書くことが泉のように湧き出てきます。

このままだとエンドレスできりがないので、この辺で今日は終わります。 

このトレーニングは簡単そうで、面白そう、出来そうだからやってみようと一つでも実践出来れば上出来です。

全部をやろうとはしないでください。

そして余裕があるときにさかのぼって読み返していただけたら幸いです。

 
 


1.目線は下を向かず、地面と平行よりやや上を向くのが好ましい(マイナスのエネルギーは下に溜まり、プラスのエネルギーは天から降ってくるから)
 

2.人と話をしていないとき、電車に乗っている時などは、膝の上で如来印を組んで(結んで)舌先を上顎(うわあご)につけて背筋を伸ばして座りましょう。 そして天地を貫く光の柱を意識すれば最高です。(舌先を上あごにつけることで天と地がつながります、マイナスのエネルギーは口の中からも入ってくるのです)
 

3.自己に宿る生命エネルギーと宇宙の波動を共鳴させることにより、肉体の緊張を和らげると同時に、自然治癒力が高まり、物事に集中する力が湧き上がって、発想の転換、やる気、疲労の回復ができる( 調和波動気功法 P23に掲載 )

 
 
4.世界平和の祈りをしましょう、宇宙と共鳴するには宇宙(神)の願い言と意識を合わせるのが一番なのです。そして守護霊守護神に対し、四六時中守ってくださっていることに感謝しましょう。感謝は光なので、自分の波動体が輝いていくのです。そして調ってゆくのです。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます




 

 

調和波動気功のトレーニング 2

 

一番大切なことを忘れていました。それは天と地を意識することです。

そして、頭の上に白一文字、足の下に白一文字を意識しましょう。(書道では黒ですが)

頭のてっぺんを百会(ひゃくえ)といいます。ここから宇宙のエネルギーを受取るのです。

そして60兆の細胞にエネルギーを行き渡らせ、足の裏(湧泉)を通って、地球の中心へと流れていきます。 物は天から地上に落ちていきます。これが引力です。 だからすでに私たちは天地を貫いているのです。

そして下丹田を意識すると、宇宙からの無限のプラスのエネルギーは下丹田から横に流れていきます。

天と地を意識する、頭の上に白一文字、足の下に白一文字、そして自分が縦横十字の波動体になると 王 という字になりますね。

王、王様というのは、宇宙からのエネルギーをたくさん受取って、そのエネルギーをそのまま横に流せる人のことを言っていたのです。

精神的なこと、物質的なことが調った人でないとまつりごと(政治)は出来ないということだったんですね。

では、トレーニングに入ります。

 

 

1. 足の裏(湧泉)が意識しずらい人は、 湧泉に1円玉をセロテープで貼ってください。

がぜん、意識しやすくなります。 これも気を鎮める(静める、沈める)トレーニングです。

頭というのは、テレビジョンのようなものです。受信器なのです。頭の中をいろんな想い、想念が去来しています。人の想いももらいます。 想いとは相手の心と書きます。 自分の本心と人の想いが交錯するから、頭で考えれば考えるほどわけがわからなくなるのです。

本当の頭は下丹田(腹脳)にあります。 ここに意識を集中させましょう。(無限小)

 

2.手をこすって(何度も)から、体を触ってあげましょう。手の平の労宮(ろうきゅう)という場所からは、湧泉(足の裏、ゆうせん)と同じように気(エネルギー)が出ています。

昔の人は、手(労宮)から出るエネルギーで本当に病気やけがを治していたのです。

これが本当の手当てです。

そして特に足は身体の中でも特に傷みやすい、衰えやすい箇所です。60キロの体重を支えているからです。そしてマイナスのエネルギーを受けやすい場所だからです。

手をこすって足を中心に体中を触ってやりましょう。服の上からでも充分です。

60兆の細胞が喜んでいます。 ひまさえあれば手をこすり頭の先から足の先まで

「肉体さんありがとう!」 と心の中で唱えながら行なえば最高です!

 

3. 静・止・爽  深呼吸は何も考えずに行なってもそれなりに効果はありますが、宇宙からのプラスのエネルギーを戴くとイメージして、静かに吸うのです。 そして徐行していた車が止まるように、静かに息を止める、そして息を吐く時は光り輝いた小さな星がたくさん出ていくことをイメージしましょう。

吐く息を特に意識をしましょう。細く長く、息を吐き切るまで吐いてください。





 
         「調和波動気功法」 于寿明 星湖舎 




 




    


調和波動気功法トレーニング 1

 

突然ですが、私が実践している調和波動気功法のトレーニング(レッスン)を今日、今から始めます。

調和波動気功法は私のメンターである于寿明先生が創始者なのですが、私なりに解釈したことをブログに発表して親しんでいただくことも意義のあることだと思い立ちました。

レッスンというのは、于先生に対しておこがましく失礼なので、ほんの初歩の段階という意味でトレーニングと名付けました。


順不動、そのときに ヒラメイタ ことをアトランダムに自由自在、箇条書きにして書いていきます。

意味をわかってもらおうという意識はありません。

自分と極一部の人だけが共感してくれればいいというスタンスです。

毎日書くことは出来ませんが、なるべく時間を作ってやっていきたいと思っています。

波動や気功に興味のない人には、ちんぷんかんぷんなのかもしれません。

そういう方は、違うタイトルのブログをこれまでのようにご愛読いただけたら幸いです。

では、スタートします。




 

1.まず宇宙は波動で出来ている、星も宇宙の空間も目に見えるものも、見えないものも全部、すべてのものが波動で出来ているのです。 波動はエネルギーでもあり気でもあります。
 

2.幸せとは心の中が調和して、目に見える現象面が調って、2つが揃ってはじまて幸せ感を味わえるものです。 初めに目にみえない心が調って、そして時間を経て現象面が調うのが正解です。

心が調っていないのに(調和していないのにということ)現象が調っているというのは偽物です。 やがて崩壊していきます。
 

3. 何事も焦ってはいけません、焦ると焦げ付きます。焦げついたものを元に戻すのは大変なのです。(エネルギー的に)

 

4. 意識が上(頭)にあがっているから、フラフラするのです。 一番落ち着く場所は、下丹田(かたんでん)といって、へそ下3.5センチから肛門にかけての中間にあります。

下丹田は、腹脳(ふくのう)と言われ本当の脳のある場所が下丹田なのです。

お釈迦さまはここを意識するように弟子たちに言っていたのです。

ここを意識すると、余計なことを考えなくなります。 頭がスッキリしてきます。 直感力が鋭くなっていきます。

 



5.座っているときは、お尻の肛門、立っているときは足の裏を意識してください。体の最下点が頭から離れて一番落ち付ける場所なのです。(意識の出来る人はずっと下丹田でもかまいません)

 

6.足の裏(まん中あたりのくぼんだ所)には、湧泉(ゆうせん)というエネルギースポットがあります。 そこから宇宙から入ってきたエネルギーが出てゆくのです。マンガ鉄腕アトムはこの湧泉からエネルギーを出して空を飛んでいました(笑)

この湧泉から地球の中心に向ってエネルギーが向かっていること をイメージしましょう。

気持ちが今までよりもずっとずっと落ち着いてきます。





 


      
「調和波動気功法」 于寿明 星湖舎 




 

   

 

死んでしまえばそれでお終いなのか?


 
今、たくさんの情報が流れているの中で、自分に必要な情報だけを選ぼうとすると長い文章(ブログ)は敬遠されるのだそうです。

だからツイッターがショートブログ(140字以内)が流行るのだそうです。

私もそれにならって
 

1.短い

2.わかりやすい

3.スッキリする (読み切り)


を目標に、これからはなるべく短い文章を心がけていきます。

それからタイトルの付け方も大切だと、ハーモニーのNさんに助言を頂きました。

思わず読んでみたくなるような タイトル!

キャッチフレーズ!
 
それも大事な要素ですね。

では、これからご紹介する五井先生のご法話も手短に述べます。

私が調和波動気功法につながり真理を追究するようになったのは

「自分はこのままでいいのだろうか? なにか大切なことを忘れてはいないか? その大切なことをしないうちは心が満足しないのではないだろうか?」

というジレンマがずっと心の中を占めていたからです。

人生を真剣に考えている人はきっと私と同じような心境になっていると思います。

まずは、みなさん自分の心の中の棚卸しをしてみてください。

何が自分をモヤモヤさせているのかを ハッキリ とさせてください。

そこから次のステップが始まるのです。


 


死んでしまえばそれまでか
 



人間とは50年、60年、この社会に生存していて、あとは灰になり無になってしまうものと思っている。 死んでしまえばそれまでのもの、と思いこんでいる。

果して人間は肉体の滅亡をもって、最後の終止符になるのであろうか。 私は即座に、いな、と答える。

なんとなく偶然にこの世に生まれ出て、食べたり飲んだりして肉体を維持し、ただなんとなく、社会生活を営んで、妻をめとり、夫に嫁し、子を生み育て、そして死んでゆく。

人類の大半はこのような生活を繰り返して繰り返して、今日に至っているのであるが、このような生き方ではあまりにも無意義であり、無目的でありすぎる。

これではすまない。 と何か漠然とした不安定の想いが、その大小にかかわらず、人々の胸の中に去来しているのではなかろうか。

 

        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版

 

2014年1月24日 (金)

カウンセラーの極意は 「アドバイスを一切しないこと」 2

 

阿川さん・・・

私は単なる聞き手です。 相手の心の悩みを聞くことが仕事ではありません。

しかし、インタビューの仕事をしていると、ときどき、

「あー、なんかアガワさんに話したら、自分の頭の中の整理がついた」 と言われることがあります。

あるいは、「こんなこと、ずっと忘れていたのに、今日思い出した」 と驚かれることもあります。

決して私が相手の頭の中を整理してあげようと意図したわけではありません。

「ほらほら、他にもなんか思い出すことがあるでしょう、ええ?」 なんて、無理やり思い出させたりしたこともないはずです。

にもかかわらず、お相手は、最後にふっと、そんな言葉を吐いてくださる。

「今、気がついた。 私って、そう考えていたんですね」

話を聞く、親身になって話を聞く。

それは、自分の意見を伝えようとか、自分がどうにかしてあげようとか、そういう欲を捨てて、ただひたすら 「聞く」 ことなのです。

相手の話の間に入れるのは、 「ちゃんと聞いていますよ」 という合図。

あるいは、「もっと聞きたいですねえ」 という促しのサインだけ。

そうすれば、人は自ずと、内に秘めた想いが言葉となって出てくるのではないでしょうか。

冒頭にお話しした通り、私は週刊文春の対談ページを始めるにあたって、城山三郎さんのような、『名相づち打ち』 になることを目指してきました。

でもときおり、それだけでは大事な話を引き出すことができないのではと、迷ったこともあります。

しかし、文春対談を始めて4年後、河合隼雄さんに出会い、

「ただ聞くこと、それが相手の心を開く鍵なのです」

そう教えられ、後ろ盾を得た気持ちになりました。

 

     「聞く力」 阿川佐和子 文春新書

 
 

感想
 

自分の意見を伝えようとか、自分がどうにかしてあげようとか、そういう欲を捨てて、ただひたすら 「聞く」 ことなのです。

ここが一番大切な部分だと思うのです。

聞くというのは、気(エネルギー)が来るという意味、気来(きく)です。

だからそのエネルギーをどうやって受けとめるのかが肝心です。

相手の心に対し、自分がスッキリしていればいるほど、綺麗な鏡になれる

綺麗な鏡であると相手の心がそのまま相手に伝わって

答が見つけやすくなるのです。

自分がスッキリして鏡のような存在になる

それが調和波動気功法なのです。







調和波動気功法 (2月23日(日)に調和波動気功法のセミナー 健・美・食の会があります今月はこのブログの読者の方が参加してくださいました。調和波動気功法に興味を持っていただき次回も参加されたいとおっしゃっておられました、詳しくはホームページのセミナー案内をご覧ください) 

http://www.harmony-wave.jp/
 



オーラ・オーラ(セミナーに参加してみたいけれど波動って何なの?と素朴な疑問がある人はオーラ・オーラに行ってみられたらどうでしょう?ここでも波動のことについてわかりやすく説明してくれます、波動調整の仕方も教えてもらえるのです)

http://auraaura7.com/
 



ビッグ・ハート (ここのところyuka姉さんのブログがストップしています、お仕事が忙しくて書いている時間がないそうです、しかし波動のレッスンとなれば疲れ知らず、お近くの方は是非、連絡をしてみてください。調和波動と並行してヨガも教えてくれますよ)


http://big-heart51.com/




尚、調和波動気功法についてのご質問は

グッドムーンこと 篠崎 朗(しのざき あきら)が承ります。ご遠慮なくご連絡ください。

 携帯 080-1444-0018


 

 

カウンセラーの極意は 「アドバイスを一切しないこと」 1

 

人から相談を受けたときに、私たちは自分の中から答を出そうとします。

自分の経験や本を読んで知った知識などでアドバイスをしようとします。

そしてそのアドバイス(ヒント)が適切で、相手の人の役に立ったと知ったとき

感謝されたときに、無上の喜びに浸るのです。

しかし、それがとんでもない思い上がりだったことに気がつきました。

答というものは、外から見つけるものではなく

自分の心の中から見つけ出してゆくものなのです。

どんなに素晴らしいアドバイスであっても、どれほど的を得た完璧な答を言ったとしても

それは違うのです。

まったく違うのです。

そのことがわかっていながら、私は人にアドバイスをし続けています(反省)

これから私は、アドバイスを一切しない真理カウンセラーになることを誓います。

 

 

相づちの極意

臨床心理学者の河合隼雄さんにお話を伺ったときは、人の話を 「聞く」 ことの大切さを改めて認識させられました。

河合さんは文化庁長官も経験なさいましたが、基本的には 「セラピスト」 のような仕事がご本業。

心にさまざまな傷を抱えるたくさんの方々のカウンセリングをしておいででした。

そこで私はさっそく、

「患者さんに、どんなアドバイスをなさるのですか」

と伺いました。 すると河合さん、

「アドバイスはいっさいしません」

え、アドバイスをしないの? 意外でした。

じゃ、カウンセラーは何をするのかしら。

「僕はね、ただ相手の話を聞くだけ。 聞いて、うんうん、そうか、つらかったねえ、そうかそうか、それで? って相づちを打ったり、話を促したりするだけ」

とおっしゃる。

「どうしてアドバイスをなさらないんですか」

それには理由がありました。

かつて河合さんはある若者の悩みを聞いて、それに対して、「こうしたらどうだろう」 という提案をなさったことがあるそうです。

若者は素直に河合さんのアドバイスを受け入れて、その後、実行した。

それからしばらくのち、若者は再び河合さんのところに訪ねてきて、

「だいぶ元気になりました。 先生のアドバイスのおかげです」

よかったよかった。 じゃ、また何か心配なことが起こったら、いつでも相談にいらっしゃい。

河合さんは安堵して若者を見送ったのですが、さらにしばらくのち、若者が河合さんのところへ、今度は怒ってやってきた。

「先生の言う通りにしたら、ひどいことになった。どうしてくれる」 と。

「つまり、他人のアドバイスが有効に働いたときはいいのですが、何かがうまくいかなくなったとき、そのアドバイスが間違っていたのだと思い込んでしまう。 すべての不幸をアドバイスのせいにして、他の原因を探さなくなってしまうのです」

カウンセラーの責任逃れのように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではない。

本当に心の病を治そうとするならば、地道にその原因となるものを探し出さなければならない。

にもかかわらず、他人の指示に頼ってしまうと、うまくいかないのは全部、そこに原因がある、こうしろと言ったアイツのせいだと勘違いしてしまう恐れがあるのです。

だから僕はアドバイスをしない。

病気の治療には役立たないからですと、河合さんはそんなふうにおっしゃいました。






     
          
「聞く力」 阿川佐和子 文春新書





 

聞く力 3

 
 
浜口選手の話でもう一つ、胸を打たれたことがありました。 それは、京子ちゃんのお母さんの言葉です。

もし私が母親の立場にいたとして、自分の子供が京子ちゃんのように、どうしていいかわからなくなっているときに、いったいどんな言葉をかけるだろうか。

「気にするな」 と言ったら、「お母さんにとっては他人事だろうからそんなこと言えるんでしょうけど、そんなに簡単にはいかないのよ。わかりもしないで勝手なこと言わないで」 と反論されるかもしれない。

「頑張りなさい」 と肩を叩けばきっと、「もうじゅうぶん頑張っているわよ。そんなありきたりな言葉しか出ないわけ」 と子供が逆に怒り出すかもしれない。

ああ、とても私には、最適な言葉を選ぶことはできないだろうなあ・・・・。

そう思うと、京子ちゃんのお母さんが選んだ言葉が、どうして 「それ」 だったのか。そして、その母親の言葉が、どうして京子ちゃんの胸をピンポイントで射止めたのか。

まるで宝くじのように当る確率の低い難問に思われて、「お母ちゃん、お見事!」 と拍手を送りたい気持ちになりました。

でもきっと、それは互いに互いのことを熟知して、深くて大きな愛情が通じ合っているからこそ、為せる業だったのだと思います。
 





          「聞く力」 阿川佐和子 文春新書

 

 感想

阿川さんが言いたかったのは、気の利いた言葉を発するとか、テクニックを言っているのではなく、日頃のコミュニケーションや意志の疎通(愛の交流)が出来ていたなら、言葉以前の相手を思い遣るエネルギーで充分に癒すことが出来るということなのだと思うのです。

聖パウロのお言葉で

「言葉に愛がなければどんなに美しい言葉も相手の胸に響かない」

とあるのですが、これは言葉に愛が込められていなければ上っ面でどれだけ美辞麗句を述べたところで意味がないんだということです。

先日、調和波動気功法のセミナーで、于先生のお知り合いの方(Aさん)の義理のお子さんが若くして(26歳)亡くなられたという話をされていました。

Aさんは、今の旦那さんと再婚をされており、旦那さんには3人の連れ子がいたのだそうです。(旦那さんとの間にも一人の子供さんがいます)

亡くなられたのは連れ子のうちの一人なのだそうですが、コミュニケーションが取れていなかったそうです。

「あのときにもっと語り合っていればよかった」

「嫌われていても、こちらから歩みよればよかった」

と思ってみても後の祭りなのです。

浄化されていない想念エネルギーは、人が亡くなった後も残りつづけるのです。

思い残すことなく(少なく)、肉体界を去るというのは一番大切なことなのです。

気になっているけれど、ついつい連絡を取らずにいる人

いませんか?

ちょっと電話するだけでいいのです。

「お元気ですか?」

の一言でいいのです。

心の淋しい人は

「ああ自分のことを気にかけてくれているんだ」

と思えるだけで、心は十分に満たされるのです。

 

 

聞く力 2

 

レスリングの浜口京子選手にお会いしたのは、彼女がアテネ五輪に出場した直後。

準決勝のときに電光掲示板にポイントが正しく表示されず、浜口選手が延長戦だと思っているうちに、負けの判定が下される、というアクシデントのあったあとでした。

結局、その五輪では3位決定戦に勝利し、銅メダルを獲得できたのですが、そのインタビューではなんといっても、あの不可解な判定に焦点が絞られます。

あの瞬間、浜口選手はどう思ったのか。 悲しかったのか、悔しかったのか。 涙は出なかったのか。 ヤケを起したくならなかったのか。

なにより、どうやって、その後の3位決定戦までに、気持ちを切り替えることができたのか。

「私という性格の女がもし、あんなことをされたら、悔しくて腹立たしくて、きっとそばにいるコーチとかトレーナーとかに八つ当たりをするだろう。 同じ日に3位決定戦なんか出たくないと暴れるかもしれない。 だって気力も体力も完全に失っているもの」

そう思いました。 実際、浜口選手もあの瞬間、何が起こったのか理解できないほどボーッとして、とりあえず審判に抗議をしてみたものの、取り合ってもらえず退却する。

その後、選手村に戻り、6時間後の3位決定戦までに気持ちの切り替えをしなければいけないと頭のどこかで気にしながらも

「なんでこんなことになったんだろう」 という思いから抜けきれない。

そこで、浜口選手は携帯で家族に電話をするのです。

「母が電話に出て 『京子は世界(世界選手権)でゴールド取った女なんだぞ。堂々と戦いなさい!』 と言われた瞬間、『あ、そうだ。 こんなところで落ち込んでいる場合じゃない』 と目が覚めました」

さらにお母さんは、「私は今まで勝てって言ったことはないでしょ? でも、今回は勝ちなさい。 銅メダルを取りなさい」 と。 そして同時に 「お前はよくやった」 と娘を評価する。

その一言で、それまでただ呆然とするだけで泣くこともできなかった浜口選手が初めて涙を流し、試合場に戻ったときは、

「あ、また試合ができるんだ! 嬉しい! と、笑顔になるくらい、元気が出てきたんです」。

 はああと、私はじわじわ溢れくる涙をぬぐいつつ、ひたすら嘆息してしまいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

完全に他人のせいで、金銀のメダルを取り損なったのに、彼女はそのことを恨むことなく引きずることもなく、お母さんの一言でシャキッと立ち直る。

落ち込んでいる場合じゃないぞ。 そして次の試合では、「クソー、審判め!」 なんて睨みをきかせたりもせずに、満面の笑みで 「マットの上で試合ができることが嬉しくてたまらない」自分を取り戻すのです。

             「聞く力」 阿川佐和子 文春新書




  

聞く力 1

 
今、阿川佐和子さんの著書「聞く力」を読んでいるのですが、人の話を聞くことの大切さ、それも真剣に耳を傾けて、心を合わせることの素晴らしさを実感しています。

今までに阿川さんがインタビューした中で心に残ったお話しが書いてあったのですが、人の人生には感動があります。

読んでいて涙が出てくるのです。 「自分も頑張ろう!」 と勇気が出てくるのです。

ここに私が感動したお話しを2つ抜粋します。

よかったらお付き合いください。




ヤンキー先生で知られる義家弘介さんにお会いしたときのことです。

不良時代からようやく立ち直り、これから真面目に社会で生きていこうと勉強に励んでいた矢先、オートバイ事故に遭う。

生死の境をさまよいながら

「ああ、俺はやっぱりダメなんだ」 と自暴自棄になりかけていたヤンキー先生のもとへ、高校時代の恩師、安達俊子先生がお見舞いに来て、朦朧(もうろう)としたヤンキー先生に語りかける。

「死なないで。 あなたは私に夢なんだから」

その一言で、ヤンキー先生は、生きる意欲を取り戻すのです。

決して計算して出てくる言葉ではないでしょう。でも、その瞬間、恩師の安達先生が、どうしてそういう言葉を選んだのか。 そして、それを耳にしたヤンキー先生の心に、どういう作用をもたらしたのか。

奇跡のような言葉の威力に圧倒されて、二人が向き合っている病院の一室の光景がまざまざと浮かんできて、私はたしか、オンオン声を出して泣いた覚えがあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




       
 「聞く力」 阿川 佐和子 文春新書




 

 

2014年1月23日 (木)

人事を尽せば、神さまが助けてくれる

 
 
“人事を尽して天命を待つ” ではなく “天命を信じて人事を尽す” がほんとうなのだそうです。(真理に照らし合わすと という意味です)

後者は、「天(神様)が絶対に善くしてくださるのだから、人間はこの世的なことを一生懸命にすればいい」

ということです。

スピリチュアルなことをしている人の中には、神頼みばかりをしていてこの世的なことを疎かにしている人がかなり多いのです。

お坊さんなども人の魂を救う、亡くなった人を成仏させるのが仕事なのですが、この世的なことに挫折をして出家した人も随分いるそうです。

そんなお坊さん(尼さん)が人生に悩んで掛け込んで来た人に対してどんな説法ができましょう。

そこにはなんの説得力も響くものもないのです。

人事を尽し、一生懸命に生きている人にしか天命(運命)は開かないことを

ここに断言致します。

 

 
 
人間よ 勇気をもて
 

汝の運命を、汝のうちにある神(守護霊、守護神も含めた)に一任すべし。

人事を尽した時、神はその人の運命をひらいてくれるに決まっているので、いろいろ恐れおののいて、自己の運命をのぞいてみたりしてはいけない。

自己に課せられた運命なら、いさぎよく受けよう、という勇気こそ、その人の運命を切りひらく最大の力なのである。

人間よ、勇気をもて である。

自己を信ずることの出来ぬ人は毎日数多く、守護霊守護神の加護を心に念じて、行動していれば、自然に自己の運命に信念がついてくるものである。

神常に我と供にあり、の信念を植えつけることである。
 

        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版

 

死とは決して暗いものではないのです

  

人間は死んでも想い(心)は残るのです、意識がある、生きているときと同じように考えることも悩むことも出来る

ただ違っていることがあるとすれば、それは肉体がないということなのです。

肉体を離れてどこへ行くかというとまず幽界へ行く

そしてそのときの心境によって、幽界に留まるか、霊界や神界へ移行するかが決まるのです。

肉体界への執着がなく、霊界や神界(守護霊・守護神)の存在を知っていれば、そのままスーっと移行するのですが


肉体界、肉親、知人などへの執着、思い残しがあると、せっかく素晴らしい世界(天国)へ連れて行ってくれるのに、それを拒否することになります。

そしてその執着は、肉体界の人々へ多大な迷惑をかけることになるのです。

五井先生は、肉体界ではたいしたことをしなくてもいいから、死んでから人間に迷惑をかけるようなことだけはするな! と厳しくおっしゃっています。

その人が癌で亡くなったとしたら、取り憑かれた人も癌になってしまうのです。

今、ガンになる人が非常に多いのもそのことが関係しているかもしれませんね。

だから真理(真実)を知ることはとてもとても大切な重要なことなのです。





死とは霊界への誕生である

 

人間世界におけるすべての不安の根底は死の恐怖にある。

いかなる種類の苦しみに直面したとしても、死への恐怖を超越した人にとって、その苦しみは心の痛みにはならない。

死は人間にとっての終りなのか、転移なのか。

この謎が解けることによって、人間の進歩は一段と早まるに違いあるまい。

人間は肉体消滅によってなくなってしまうものではない。

死とは幽界、霊界への転出、誕生なのである。

死ぬことを往生(おうじょう)といったのはこのことを昔の人は知っていたからなのである。

人間とは肉体ではなく、霊そのものをいう。

肉体とは霊の容物(いれもの)であって、霊の心のままに行動するものなので、ちょうど自動車が運転手によって走っているように、霊の運転によって種々の行動をするのが肉体なのである。

 

       「日々の祈り」 五井昌久 白光出版






  

2014年1月22日 (水)

私たちは本心というものを誤解している

 
私たちは本心というものを誤解しています。

ほんとうの本心とは、イエスキリストやお釈迦様のような慈愛そのものの心をいうのです。

キリストさまが弟子に裏切られて磔(はりつけ)になってもその弟子を恨まない心

お釈迦様が逆恨みをされて殺害されそうになっても相手の人を一切憎まない寛容な愛・・・

どんなことがあってもどんな人であっても

人の心を溶かしてしまうような深~い愛

そんな崇高な愛のことを本心と呼ぶのです。

だから相手の人の言動に崇高な愛が見られなければそれはすべて業なのです。

カルマなのです。

カルマとは本心を覆って愛の心を隠してしまっているマイナスの業想念エネルギーのことです。

今、ほとんどの人はほんとうの意味での本心を発信していません。

「今この人は本心(愛)を顕わしてはいない、業想念エネルギーに巻き込まれている、だからマイナスを発するのはしかたがないんだ」

「でもこの人の心の奥には必ず本心(愛)がある」

「時々垣間見られる本心(愛・長所)だけを見つめていこう」

と思えば随分と気持ちが楽になるのです。

本心(愛)と業想念の区別をする

そして業想念は消えてゆくものだからその人のせいではないのだから把われない、許す

本心(長所)の部分だけを見つめてその人の天命がまっとうされることを祈る

それが人間関係を円満に行なってゆくコツだと思うのです。

 
 

真愛の持ち主になろう


 

自己の心に感ぜられてくる相手のマイナス面、嫌な言語動作、それはすべて業(カルマ)の消えてゆく姿であって、相手自身の生命(本心)から発しているのではない、ということが、瞬時に理解出来るようになれば、その人は深い真愛の持ち主ということになります。

愛の心とは、人間の業想念行為を把える心でも、相手の誤りを把える心でもなく、また、自分自身の業想念感情の満足や利点のために、相手と融合し、仲良くすることでもないのであって、ただ純粋素朴に、自己の生命が相手の生命と一つになることなのであります。

イエスキリストは全くこの愛を行じ得た聖者であったのです。

                        ※

真実の力は肉体自身にあるのではなく、神のなかにある。




   

          
「日々の祈り」 五井昌久 白光出版





 

 

2014年1月21日 (火)

不幸って消滅するの?



不幸を消滅する生き方

 

人間の不幸も世界人類の不調和も、それはすべて、人間の生命の根源である全能者から想念が離れていることから起ったのだから、ひとたび自己の想念をすべて神様のみ心にお返ししてしまいなさい、お返しするといってもどうやってよいかわからないだろうから、悪い想念つまり自己を責める想い、自己の不幸を嘆く想い、他を責め裁く想い、他を妬み羨み、恨む想い等々が起るたびに、その想念のままでよいから、「神さま」 と心の中で呼びなさい。

ただ神様と呼ぶだけでは、何か消極的だと思う人もあるだろうから、人類すべての悲願であり、神の念願でもある 「世界平和の祈り」 をかかさずやりなさい。

そうすると心がひろびろとなってゆき、神様の愛を知らぬ間に感じてくる、と説いている。

 

      「日々の祈り」 五井昌久  白光出版

 

感想

先ほどの “想いが不幸なのだ” を読まれた方は、もう何の説明もいらないと思うのですが

想いが天に送られてそこから新しい想いになって還ってくることを

往相(おうそう) 還相(げんそう) というのです。

悪い想いと善い想いの入り交ざった想い(マイナスのエネルギー)が天に往って、

天で綺麗に洗濯されて、ピッカピッカの美しい想念(無限のプラスのエネルギー)になって還って来るという意味なのです。

仏教でいう般若心経で有名な

色即是空(しきそくぜくう)が往相で、空即是色(くうそくぜしき)が還相なのです。

色即是空の色と、空即是色の色とは全然違うんですね。

色とは物のことです。

最初の色は、汚れたものが交ざった色、天に往って還って来た色は、光そのものの美しい色・・・・・

あっ話がややこしく難しくなってきましたか? ごめんなさい(笑)

とにかく早い話が、自分の中の嫌な想いをすべて宇宙(神)に投げ出してしまえば

綺麗にして返してもらえるということなのです。

よっていつの間にか 不幸が消滅してしまう ということなんです。

そのメソッドが世界平和の祈りなんですね。
 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

 

不幸だと想っている心が不幸なのです

 

想いが不幸なのだ

 

不幸と思うその想念がなければその人は不幸ではないので、その人の想念が不幸だとか不満だとか思っているだけなのである。

だから、同じ条件下においても、悟った人には不幸ではなく、凡夫には不幸に感ぜられるのである。

想念のもってゆきどころによって、不幸も不幸でなくなるのだから、いつでも不幸や不幸の渦巻きの中であえいでいる人は、本当に不幸な人であるので、その不幸や不満を感ずる想念を、常に世界平和の祈りのような大乗的な、深い広い意味をもつ祈りの中に投入していれば、その人はその時間は不幸が薄らいでいると共に、知らぬ間に神様の大光明がその人の心の中に差しこんできて、その人の潜在意識にたまっている業想念を浄め去ってゆくのである。

    

         「日々の祈り」 五井昌久 白光出版

 

 感想

ほんとに気の持ちようとはよく言ったもので、どんなに周りの環境に恵まれている人でも自分自身のことを 「私ってなんて不幸なんだろう」 と想っている人は不幸なのだし

誰が見ても、「あの人は不幸な人だ」 と思えるような人も 「私ってなんて幸せなんだろう」 と思っている人は、幸せなのです。

だから、不幸や幸せは自分が決めるものなのです。

ただ自分が不幸なのか?幸せなのか?

悩むのもバカバカしいですよね、ジャッジしても意味がない(笑)

だったら自分の脳裏にどんな想念が浮かんできても

それを宇宙の中に投入してやれば

すべての想いが全プラスそれもバージョンアップして還って来るのです。

なんだか幸せになったような気がする 

なんだか気持が明るくなったような気分になる

それが世界平和の祈りの特長です。

醍醐味です。

祈るとは、宇宙の波動に波長を合わせるということなのです。



 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 

 

法然・親鸞の教え方

 
法然・親鸞の教え方


人間という者は欲望をなくせ、といわれても、なかなかなくせるものでなく、恐怖するな、怒るな、哀しむな、執着するな、といわれても、その性情が容易なことで直せるものではありません。

法然、親鸞は、そうした性情を直せなどとは少しもいいません。

私たちもあなた方も、そうした肉体人間の想念感情においては、同じことなのだ、そのような想念はどうでもよい、怒ったら怒ったまま、泣いたら泣いたまま、ただひたすらに南無阿弥陀仏と称名なさい、称名さえすれば、あなたがたは、極楽浄土に救われてゆくのだ、と教えているのです。

これは法然、親鸞が肉体想念(業生)と本心(仏心)とをはっきり区別して知っていたことを現わしています。

  
 

            「日々の祈り」 五井昌久 白光出版


 

感想
 
 

人間の想念というのは、自分も他人もほんとに複雑極まりないものであって、曲がりくねってつかみどころがない、自分で自分の心をコントロールしようとしてもできるものではないんだ と、昔の偉い悟ったお坊さんである法然さん親鸞さんが言っておられたのです。

「人間の心は、まるで蛇のようだ」 とはお釈迦様の有名なお言葉ですが、それは今も昔もちっとも変わっていないのです。

それで法然さんは、人間智では、悟ることも安心立命することも幸せになれることも絶対にあり得ない

仏さま(神さま)にすべてを投げ出さないと、つまり全託しないとどうしようもないのだ、汚れた想念のまま、雑念が出ている状態のままでいいから、そのまま

南無阿弥陀仏の念仏の中に入ってしまいなさい

そうすれば、仏さまが綺麗な想念に戻して返してくれますよ、という教えなのです。

それで、「そのままの美しくなった想いを出来るだけ保ったままの状態で、肉体界を生きていきなさい」 と いう教えだったのです。

そして、その念仏で救われた人も昔は大勢いたんですね。

しかし今はほとんどが南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経もお葬式でお坊さんが唱えるだけになってしまった

仏さま(本心)と一体となる方法がほとんどなくなってしまったのです。

念仏が時代にも合わなくなった

それにつれて、人間がますます神様や仏様(つまり自分の本心)から離れていってしまったのです。

不安が増していったのです。

そこで五井先生が誰にでもわかる易しい念仏に代わるものが必要だ、ということで世界平和の祈りが生まれたのです。(理由はそれだけではありませんが)

さきほどの日記にも書きましたように

この肉体界を障りなく、滞ることなく、安心して、穏やかに、幸せに生きてゆくためには、人間の知恵だけでは絶対に無理なのです。

肉体の頭だけの知恵ではだめなのです。

自分の本心につながって、神様や仏様につながって宇宙からのプラスの無限のエネルギーを戴かないと生きていけないように出来ているのです。

つながると、自分の本体(本心)と業想念(マイナスのエネルギー)がいつかは、はっきりとわかるようになっていきます。

そうしてはじめて 人間は安心立命するのです。

法然さん、親鸞さんは、そのことがはっきりとわかったお坊さんだったのです。
 

 

 世界人類が平和でありますように

 日本が平和でありますように

 私たちの天命がまっとうされますように

 守護霊さまありがとうございます

 守護神さまありがとうございます

 

 

 

自分の意識を変えなければ何も変わらないのです



まず己の心を平和に
 

自己の心が乱れていては、社会のためにも、国家のためにもありません。

乱れた心をもった人の活動は、どうしても片寄った極端な行動になりやすく、かえって社会を乱し、国を乱すことになってくるのです。

世界の平和を欲するならば、まず己の心を平和にしなければなりません。

己の心を平和にするためには、その乱れたり悩んだりする想念の世界をぬけださなければならないのです。

そうした想いのない世界は神様の世界の他にはないのです。

どこからどう廻っても、人間はついには神に還らなければ救われようのない者なのです。

神を度外視して人間を救い、人類を救うということは絶対に出来得ません。

 

          「日々の祈り」 五井昌久 白光出版

 

感想

上記の文章で

己の心を平和にするためには、その乱れたり悩んだりする想念の世界をぬけださなければならないのです。
 
とあるのですが、私たちが今、住んでいるのはもちろん肉体界、3次元です。

そしてこの肉体界が今、地上天国であり、なんの申し分のない平和な、調和な、愛に溢れた世界であればよいのですが、そうではありません。

確かに素晴らしい部分が現われている瞬間(とき)もあります。浄された場所もあります。

波動の細かい人(天につながっている)が行なったコンサートでは

その場が感動で、次元が上がり澄み切った場所になることもあります。

しかしそれは、ほんの一部だけであり、ほとんどの場所はどす黒い人類のマイナス想念エネルギーで覆われています。 (無限なる光!)

だから、どこへ行っても心は曇っていき、心が晴れ晴れとすることは少ないのです。(無限なる太陽!)

肉体界とは、波動の細かい光の世界である神界と、神界よりも少し波動が粗い霊界(霊界には幅があります)、肉体界にくっついて影響を与えまくっている潜在意識の世界である幽界の大きく分けて4つの世界が玉石混交した世界なのです。

そして私たちは神界に意識を向けずに幽界にばかり意識が向いています。

感情の世界、おばけちゃんがひしめいている世界、誘惑の世界、隙あらばと人間をおとしめて喜んでいるヤカラの住んでいる世界・・・・・・

その世界が幅をきかせているから肉体人間がおかしくなっているのです。(無限なる光!)

自分の直観もそうです。

「これは天(本心)から来たものに違いない」

「守護霊からのメッセージに間違いない」

と思っていても

「あれっおかしいぞ」

ということが多いのです。(そうではありませんか?)

それは、天につながったり幽界につながったりを交互にしているからです。

天につながった状態を常にしていないと

幽界のおばけちゃんがすぐに、つけ入って来ます。

それを “間(魔)が差す” といいます。

ほとんどの人が、つながっていないので

魔に刺された人ばっかりなのです。(笑いごとではありませんよね)

でもそれでもほんの一部(一万人くらいだそうです)の人が

祈ったり、印を組んだりして

神界からの光を地上に送りつづけているのです。

しかし、その人たちも幽界のおばけちゃんに取り憑かれることがあるのです。

天下からの直観なのか? そうでないのかがわからないときがある

それくらい幽界のエネルギーは あなどれない のです。

今、地球のエネルギーはそうなっているんだ ということを理解してください。

そして

「これではいけない」

と思われたら

是非、世界平和の祈りを祈って

宇宙からの

神界からの

無限の プラスの 愛に溢れた エネルギーを

降ろすことを手伝ってください。

意識を変えることで、宇宙意識になることで

あなたの人生もきっと変わっていきます

どうか よろしく お願いします。


 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 

2014年1月20日 (月)

不安な心 暗い心の多い人たちは天を仰ごう!

 
 
不安の心多い人の為の祈り

 

不安の心多き人、暗い心の人たちは、常に天を仰ぐことを実行するがよい。 天からはいつも陽気が降ってくる。 たとえ雨や曇りの日であっても、天に心をむけることが大事である。

天に心をむけると、いつの間にか軽く明るくなるものである。

そして次のように祈るとよい。

“神様、どうぞ私の心に愛を充実せしめ給え、どうぞ、私を愛深い私にならしめ給え” と。

その祈りを毎日かかさずつづけていることは、細かい種々な願い事をする神まいり、仏まいりより、はるかにはるかに、その人を高い境地に導いてくれるものである。

祈りとは、まず自分の心を空っぽにすることである。

それまでの自分をひとまず捨てて、神だけを自分の心に住まわせることである。

願いごとは、すべて後まわしにすることである。

神だけを自己に住まわせれば、その人の願いごとは、すべて叶うのである。
 

        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版

 

 感想

 

天を仰ぐとなぜ元気が出てくるのか?

それは、天(宇宙)は無限のプラスのエネルギーで溢れているからです。

天(宇宙の中心)と地(地球の中心)を意識して、天地を結ぶ光の柱をイメージし

その光の柱の中に自分がいることをイメージすると、ほんとうに宇宙のエネルギーが入ってくるのです。

イメージは想像、想像は創造だからです。

イメージが現実になる

そこが人間の凄いところです。

人間は創造主(神)なのです。

そして宇宙の中心には誰がおられるかというと宇宙神なんですね

そして地球の中心には地球霊王がおられる

どちらにも神がおられるのです。

だから自分は神様と神様にはさまれて(守られて)いるのです。
 

それから下を向くことはやめましょう。

地面近くにはマイナスの想念エネルギーが流れています。

人の否定的な想いが溜まっているのです。

想いは重いので下にうごめているのです。

私たちは、叱られたり、怒られたり、批判、非難されたときに気持ちが落ち込んで下を向きます。

そして益々マイナスのエネルギーと共鳴してしまうのです。

落ち込んだときこそ、暗くなりそうになったときこそ

上を向きましょう

天を仰ぎましょう

それだけでなんだか明るくなっていきます。

宇宙のプラスのエネルギーをタダでいただけるのです。

こんなにありがたいことはありません。

そして頭を空っぽにすれば

宇宙の叡知も入ってきます。

直観力も冴えてきます。(守護霊・守護神からのメッセージ)

座っているときも立っているときも視線は、地面より並行かやや上を向くと良いのです。

それだけでかなり違ってきます。

そして上を向いても安全なときは、時々空(天)を仰ぐようにしましょう。




  



  

 

2014年1月18日 (土)

自分に付加価値さえあれば、天(みんな)が味方する 2



「全員が勝者になる方法を考える」 ことが、大切なポイント
 



ほとんどの商売人なら、このように魅力的なオファーは即座に 「承諾」 するはずです。

サプライヤーがこのチャンスを蹴るのなら、話のわかる別のサプライヤーのところに行けばいいだけ の話です。

もともと取引きをしていた2000万~3000万と、これから確実に増える見込みの2500万円、合わせて 「5000万円」 を失うわけですから、サプライヤーも、承諾しないわけにはいきません。

ですから、年間2500万円規模の取引が増える権利を、50万円で買えるという魅力的なオファーを、連続5回断られるということはあり得ません。 私は言いました。

「きちんとした契約書を作り、金額、数量、品質などに関して、お互いが納得する条項を文書で取り交わす必要はあるけれども、基本的には単純な取引だよ。 君がすることは、『競合業者を参入させないという権利』 を売ること、それからまず50万円を前金で払ってもらうことだ」

考える必要がまったくない、単純な取引です。 私は続けました。

「次に君は、引退する店主のところに行ってこう言うんだ。 『あなたのお店を買わせていただきたいのですが、今、あなたに200万円支払うよりお得な話があります。理由はこうです。私がお支払いした200万円を、あなたが銀行に預けたとしても、今の金利なら12か月後の利子は、せいぜいコーラ一本とピザが一切れ買えるくらいです。ですが、25%の利子が確実につく預け先を、どこか知っていますか? 私のところです。 私はあなたに200万なんて払いたくはありません。250万円払いたいのです。 そのうち50万円を前金でお支払いしましょう。残りの200万円は、お店が繁盛したのちにお支払いします、いかがでしょうか?』」


つまり、マットはサプライヤーからもらう 「50万円」を、店を買うための手付金にするわけです。 そして、譲り受けた店を開いた後、売上げを上げて、増えたキャッシュフローから、200万円を捻出するのです。 非常にシンプルです。

勝ったのは誰でしょう? 全員です。 ポイントはここ、つまり、『全員が勝つこと』 が大切なのです。

・ サプライヤー・・・・毎年2500万円のビジネスを50万円で手に入れた

・ 引退する店主・・・・売値の25%のお金を手に入れた。12か月の利子として前金でもらえる。しかも万一、1年以内に200万円が支払われない場合、店を取り戻すことができるという条件付きです。

・ お客さん・・・・マットのサービスを受けられる店が2店になった

・ マット・・・・自宅を抵当に入れる必要がなくなった。迅速に行動したので、競争相手に先手を打たれることがなかった。誰かに借金を願い出る必要もなかった

「デメリット」 は一つもなかったのです。

非常に単純な戦略です。 ただ2つのことをしただけです。

1 「自分に必要なのは現金ではない」 と認め、

2 「どうすれば自分は 『価値』 を加えることができるか?」 と質問しただけ

 なのです。

 




    「自分を超える法」 ピーター・セージ著 ダイヤモンド社

 

 

自分に付加価値さえあれば、天(みんな)が味方する 1

  


世の中には、実力があるのに “発揮する場” がないために、いや場を見つけることが出来ない、いや見つけることがへたな為に、宝の持ち腐れをしている人がたくさんいると思うのです。(なんともったいないことか!)

たとえば、自分には好きなことがある、自信があって、そのことに関しては誰にも負けない熱意(これが大事)もあるとする

「ケーキ屋さんをやりたい」 と思っている人がいるとします。

もう充分に修行は積んだ、腕もある

しかし資金がない、身内は誰も貸してくれない、銀行も貸してくれない、とにかくお金がないのでどうしようもない状態・・・・・

しかし


「好きなこと」、「やりたいこと」、「自信のあること」、「熱意があること」、「みんなが喜んでくれること」 

その5つあれば、なんとかなる、なんとでもなる のです。

しかしそこには工夫が必要です。

視野を広げて、あらゆる可能性を見出すのです。

そして自分だけではなくみんなが喜ぶ方法、みんなが損をしないで得をする方法を考えるのです。

それだけでずっとプラス思考の視野が大きくなります。

可能性が拡がるのです。

自分がアクションを起こすことによって喜んでくれる人は誰か? 得をする人は誰か?

悩んでいる人は、自分の目線でしか物事を見ていない

自分が得すること、儲かること、自分の感情(勘定)が喜ぶことしか見えていないのです。

今自分が考えている方法からちょっと先に進んで突き抜けてみるとそこには大きな可能性が拡がっています。(ものは考えよう)

お金は無くても 「よりよい考え方(戦略・智慧)」 があれば、どうにかなるのです。

視野を大きく拡げて智慧を絞ってみましょう。





「お金VS戦略」 の典型例

 

ここからは、「成功の実例」 を細かく紹介していきます。

「考え方」 を学んでください。

成功に役立つヒントがたくさんあるはずです。

最初は、「お金VS戦略」 という概念の典型的な例です。 非常に単純な発想です。

説明を聞けば、なぜ 「お金VS戦略」 と呼んでいるかがわかるでしょう

私が 「起業家」 として独立後、何年か経ったある日、一本の電話がかかってきました。

故郷のイギリスのレスターという町で 「花屋」 を営んでいる友人のマットからでした。

店は立地がよく、繁盛していて、マットは成功していました。

私がはじめてマットに出会ったのは、数か月前、ふと立ち寄った彼の店で花を買ったときでした。 彼の親切な対応がとても印象的でした。


「どんな花をお探しですか? どなたへ贈るものですか? どんな記念日ですか?」 など、こちらが求めているものを丁寧に聞き出し、「叔母へのプレゼント」 に最高の花束を作ってくれたのです。

彼は 「付加価値を高めよう」 としていました。

サービスに感銘を受けた私は、その後も彼と連絡を取りました。


彼は電話で 「200万円(約2万ポンド)貸してくれないか」 と言ってきました。 理由はこうです。

町の反対側にライバルの花屋があり、その店のオーナーがもうすぐ引退する。

店を誰かに売り渡したいと言っている。 その金額が200万円で、「銀行の融資相談」には断られ、今は200万円の現金は持っておりません。

「自宅を担保」 にした場合、融資申込みの手続きに時間がかかり、その間に誰かにチャンスを取られる可能性がある。

もし、その店を買えたら、町でもっとも繁盛している2軒の店が自分のものになる。

そうすれば市場を 「独占」 して成功すること間違いなし。

だからどうしても今、200万円が必要なのだ・・・・・・。

という話でした。 彼の話には 「説得力」 があります。

ところが、私には 「絶対にお金を他人に貸さないというポリシー」 があります。

お金は必要ない、必要なのは 「よりよい戦略」

私はマットに言いました。

「マット、お金は必要じゃない。 必要なのは、よりよい戦略だよ。 マット、一つ質問するよ。 この店を君が手に入れたら、何人が得をする? リストアップしてみて」

「当然、僕は得をする。 売り上げはぐんと増えるからね。 それから、お客さんも得をするな。 その店のファンにとって、買える店舗が2箇所になるわけだからね。 あとは、引退するその店主も得をするよ。 店を売ってお金が手に入るからね」

「なるほど、他には?」

こんなふうにして、マットは 「得をする人」 の名前を片っ端からリストアップしていき

ついにこう言いました。

「もちろん仕入れ先のサプライヤー(卸業者)も得をするよ」

「なるほど、それだよ、マット。ビンゴ!」

私は続けました。

「もう一つ質問するよ。 君の店では、仕入金額ベースで、今どれくらい花を購入している?」

「年間2000万~3000万くらいだね」

「オーケー。 では、もう一件の店のほうだけど、その店の花も、すべて君の今のサプライヤから仕入れたとしたら、追加でどれくらいの仕入金額になりそうかな?」

「だいたい同じくらい、2500万くらいだと思うよ」

「わかった。 そしたら、こうするんだ。まず、君のメインサプライヤーに連絡して、こう言うんだ。 『あなたの会社から仕入れを2倍にするチャンスがあります。つまり現在の2500万円の仕入れを5000万にできる、という話です』」

さて、サプライヤーにしてみれば、魅力的なオファーです。

マットはサプライヤーに対してさらにこう言えばいいのです。

「私は御社と、その追加仕入れに対する独占契約を結んでもいいと思っています。 そしてその権利を50万円で売ってもいいと思っています」

さて、マットの店への売り上げが 「2倍になる」 というのは卸業者にとっても大金です。

実際、その業者が広告やマーケティングに50万円をかけたとして、12ヵ月間で売り上げを 「2000万円 → 5000万円」 に増やすことができるでしょうか?

私はできると思いません。



     
「自分を超える法」 ピーター・セージ著 ダイヤモンド社



 

 

かなり神秘的です・・・・



東大の学生さんたちに

「何の目的で東大に入ろうと思ったのですか?」

という質問に対し

「そこ(東大)に行くと感動することや神秘的なことがあると思ったから・・・・」 という答がたくさん返ってきたそうです。

人間にとっての一番の喜びとは、魂(心)を喜ばせること、物事の本質を深く追求すること(神秘的なことにつながる)なんですね。

私たちは、それを目的として人生の進む道を選んでゆくのもいいと思うのです。

ちなみに私のブログのメインテーマ、目的も感動すること、神秘的なことを書いてゆくことなのであります。

さて、話はがらりと変わりまして、UFOもかなり神秘的です。

だがしかし、私は巷に流れているUFO情報にはまったく興味がありません。

見えても見えなくてもどちらでもいいと思っています。

普通の人(一般の人)に見えているUFOは、幽界のおばけちゃんが肉体人間を驚かせるためにつくった偽物なのだそうです。

驚かせて、みんなが騒ぐのを見て楽しんでいるのです。

それならば、UFOは存在しないかというと存在するのです。

ほんとうのUFOは、神界(宇宙)という波動(エネルギー)の非常に細かいところから来ているので、肉眼では見えないのです。

意識の高い、お釈迦様やキリスト様クラス?の人でないと波長が合わないので、見えるはずがないのです。

私たちの意識レベルが、神界まで達して覚醒したとき、はじめて本物が見えるのです。

さて下記に書きましたのは、本物のUFOの話です。

本物のUFOに乗っている人?たちは宇宙天使であり、金星や金星よりもずっと進化(精神的に)した星からやって来ています。

そして私たち地球人一人一人の心の中をずっと観ていて、魂が向上する手伝いをしてくれているのです。

まるで、守護霊守護神さまのようですね。

私たちはなんのためにこの地球に天下って来たのか?

その答がここには書かれています。

私たち(特にこのブログを読んでくださっている方)は、地球を救うため、汚れた地球を掃除するために進化した星からやってきたのです。

ただ記憶を消されているので、まだピンと来ていないかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あっいけない いけない、これ以上書くと変な奴だと思われてしまいます(笑)

それでは、下記の本題へどうぞお進みください。

 

UFOと塩漬けリンゴ


1947年6月24日、ワシントン州、レーニエ山で、K.アーノルドによって目撃された9機の飛行物体は、「皿が飛んでいるようであった」という事から、Flying Saucer(フライング ソーサー)と言われるようになりました。それ以後、世界中至る所で目撃者が増え始め、ペンタゴン(米国国防総省)も調査に乗出しました。その時に付けられたUFO(未確認飛行物体)が世界的に公式名となり、一般にも広まっていったのです。

 さてUFOは、現在に於いてのみ現れている現象ではなく、地球の歴史と共に、太古の昔より目撃されている事実が、古文書等を調べれば分ります。UFOは攻撃したり、人々を困惑させる為に、地球を訪れている訳ではありません。私達、全地球人にとって、心して見上げなければならない、“天よりの使者”なのです。...


 私達は、地球がこれから迎えなければならない大進化の為に、私達に、心からの援助の手を差延べてくれている事を知っています。最近とみに、“世の終わり”という事が言われていますが、終わりではなく、始まり(新時代の到来)なのです。地球は未だ波動が粗く、完全なる姿を現してはいませんが、今こそ、地球人類一人一人が“国”を超越して、 真の平和な心で助け合い、強い絆で結ばれる時なのだと呼掛けているのです。

 “目覚めなさい、塩漬けリンゴ達よ!”という、宇宙からの最初のメッセージを受取りました。これは、地球にいるキリスト族と呼ばれる、ある使命を持った集団に届けられたメッセージです。天孫降臨(神道)、地湧の菩薩(仏教)、天孫降臨(神道)、地湧の菩薩(仏教)、又、宇宙では塩漬けリンゴ、清掃人夫と言われている彼等は、他の天体から地球に移住して来た人々を導き、元の天使の姿(本来の姿)に返そうという、大きな使命を持って地球に来ている、ある宇宙的な集団の事を指していると言われています。

 この集団は、遊星から遊星へ、太陽系から太陽系へと移り歩いて行く、“宇宙の放浪者”(ワンダラー)とも呼ばれている特殊な人々なのです。宇宙の中の進化の遅れている星に赴き堕落した同胞に援助の手を差延べて、一日も早く、彼等を目覚めさせようとしている“菩薩”なのです。いよいよ時が近付いて来ました。地球が、ハイ・バイブレーションの新しい星に生れ変わる時が間近になっているのです。一人一人が目覚めて、“地球天国”を作る為の使命を果たそうではありませんか。

 大天命体(宇宙神、創造主)は、イマジネーション(想像)する事によって、宇宙をクリエイト(創造)しました。そのように、想像は創造する力を持っているのです。今こそ私達一人一人が、心の中に真の平和を描く事によって、地球に永遠の平和を築いて行きましょう。地球は今迄に6回、進化に失敗して来ました。今が7回目の大進化の時なのです。 その転換を成功させるのは、地球人類一人一人の意識に掛かっているのです。大いなる使命を全うしようではありませんか。



光の奉仕人には
果たすべき大いなる使命がある。
呼掛けが来る時には
私達の用意が
整っていなければなりません。
そして、その呼掛けは
親愛なる友よ。
そうです。
本当にやって来るのです。
      ー開かれる生命の書ーOXAL



(生前公開許可を得ております、故、恩師エディさんからの貴重な情報を再度投稿させて頂きました。)



 

学校のせんせ~い、是非この話を聞いてください!

  

ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。

その先生が五年生の担任になった時

一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり

皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。

先生はどうしてもその少年を好きになれず

いつからかその少年を

毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを

記入するようになっていた。


ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。

そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
勉強もよくでき、将来楽しみ」とある。

間違いだ。他の子に違いない。

先生はそう思った。

二年生になると

「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では

「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には

「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると

「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、

深い悲しみを生き抜いている

生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
わからないところは教えてあげるから」。

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから

感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。

届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母親の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。

先生は嬉しくて涙が止まらなかった。


僕は、このお話を日本中の先生に読んでもらいたいです。

日本中の大人に読んでもらいたいです。

ダメな人なんていない。

可能性のない人なんていない。

僕たち大人が、ダメだと決めつけてしまう考え方があるだけで…。


  





感想


2年前に掲載したお話しなのですが私の以前の感想と今回は違っているようなのです。

面白かったので両方載せてみます。


2年前


友達がfacebookをしていてそこに紹介されていたのをシェア(共有)させてもらいました。

この生徒が誰なのか? 誰の作品なのか?を探すのは止めました。

私も人を結果(今の状態)で判断することがあります。

相手を知ろう、理解しようとするのならば点ではなくグローバルな視野で観なければならない

そしてかりに過去がどうであったかは観えなくても、大きな愛の心で包み込まなければいけない! と感じました。

ほんとこんな先生ばかりだったら世の中はすぐにでも善くなりますよね。





世界人類が平和でありますように







この先生は、たぶん自分が生徒を嫌っていることに危機感があったのだと思うのです。

「これではいけない どんな子でも愛せる自分にならなければいけない」 と

だから愛するきっかけを探していた

アンテナを張っていたんですね

「求めよ さらば 与えられん」 (イエス・キリスト)

だから引き寄せられるように 一年生のときの記録に目を通すことができたのです。

偶然のように見えるけれども実は必然だったんですね。

そして同じようにこの少年も

「自分はこのままではいけない、このままだとダメな人間になってしまう」

という危機感があった

だから先生と同じようにきっかけを探していたのだと思います。

  
 

2014年1月17日 (金)

天命以上の仕事は出来ない



天命以上の仕事は出来ない
 

人間には天から与えられた、定まった天命というものがあります。

どんなに努力しても、どんな方法をとっても、その天命以上の行為をすることはできません。

天命以上の仕事をしたように見せようとすると自ずからそれが虚勢となり、虚飾となって、そこに嘘の生活がくりひろげられてゆきます。

嘘が嘘を呼び、自分で自分の心をがんじがらめに縛ってしまい、ますます虚勢を張るようになってしまいます。

有名になればなるほど、身をつつしみ、謙虚にならないと、人間は自然とだめになってしまうものなのです。

神様のほうから自然と行われてくることを真っ直ぐに受けて、日々の行為をしていけばよいのであります。

 

          「日々の祈り」 五井昌久 白光出版

感想
 
 

知人のある人が

「これだけたくさんのブログを書いているのなら本でも出したらどうですか? そうすればハクがついてもっと真理が伝わりやすくなりますよ」 

とか

「有名になって講演(セミナー)で食べて行けるようになりますよ」

とか言ってくれるのですが

私は全然興味が無く、本を出したり、セミナーをするというのは自分がやりたいからするというのではなく周りから 

「素晴らしい生き方をされていますね、その生き方はみんなを鼓舞するものです、本に出して是非、広めてください、講演をしてください」

と言ってもらってはじめて “カタチになる” のであって

自分からアピールしてするものではないのです。

機(樹)が熟して、なっている果実が熟しすぎて樹から落ちそうになっている

そんなときにやってはじめて効果があるのです。

意味がある 意義があるのです。

それは人の声が天の声であるからです。

人はつい自分を過大評価をしてしまう

「自分なら大丈夫だ、自分の器は大きいのだ」

それは自信ではなく、過信です。

器以上に見せようとしても

そんなものはすぐにバレてしまうのです。

大きな器なのに、内に秘めたもの(神秘的なもの)は素晴らしいのに

それを見せようともしない

見せようとしないのだけれど、オーラ(生命力)が醸し出されてくる

目にみえないエネルギーは隠していても、謙虚にしていても

わかるものなのです。

器以上に頑張ることはないのです。

焦ってはいけない

焦ると焦げ付きます。

内から溢れ出るエネルギー(オーラ)を自分なりに出していけばいいのだと思うのです。

 



 


 (自分の出しているエネルギーを知るとエネルギーを調えることの大切さがわかります、オーラ・オーラは、どうすればいいのかを教えてくれるのです)

 http://auraaura7.com/

 

  
調和波動気功法 (ブログの読者の方が今月19日に行われる調和波動気功法のセミナーに参加してくださることになりました、ありがとうございます、お目にかかるのを楽しみにしています)

http://www.harmony-wave.jp/

 


ビッグ・ハート(ホームページのコンテンツ 調和波動気功法とはをクリックしてください、自分と守護霊守護神、聖者、宇宙神が縦につながっていることがわかります、天と地が意識出来ます)

http://big-heart51.com/




 

 

悪い夢を見たのは、実はありがたいことだった・・・

  

夢はなぜみるのだろう?

どういう意味があるのでしょう?

その前に私たちは、何回も何十回も何百、何千、何万回も生まれ変わり、死に変わりをしています。(輪廻転生)

そして現界(この世、肉体界)は過去の想念行為(潜在意識)が顕われてきている世界なのです。

私たちは過去世でいろんなことを想い、いろんなことをしてきました。(想念行為)

今はとても穏やかで善い人であったとしても、前世ではとんでもない悪人だった場合があるのです。

死ぬ前に反省して

「もう悪いことをするのはコリゴリだ、生まれ変わったら真人間、愛の人になろう」

そう決意したものの、散々悪事を働いてきたので 現世では恨まれることが多いのです。

そして宇宙の法則として “殴られば殴られる” “やったことは必ず返ってくる”

過去世で人殺しをしていたら本当は殺されるのです。

しかし、それでは今生をまっとうすることは出来ない、ミッションを果すことが出来ない

そこで守護霊の出番なのです。

人間が寝ている間に想念を休止させ、肉体から意識を離脱させる、そして脳裏に殺される場面を映画のように映し出す(劇画化させる)、そして何事もなかったかのように記憶を無くさすのです。

「怖い夢を見たけれど内容は覚えていない」

「殺される夢だったけど、すぐに忘れてしまった」

そして、その記憶は幽体(潜在意識)にインプットされることはないので、2度とアウトプットされないのです。

「あの夢はどういう意味だったんだろう?」 などと分析したり思い起こす必要などまったくないのです。

これは守護霊さんのありがたいお働き、ご加護です。

だから、私たちは怖い夢をみたときには守護霊に感謝しなければなりません。
  
 

夢は業の消滅する姿

  

夢とは、人間の業因縁の消滅する姿である、と私はいう。

業因縁の感情を、肉体脳髄の念の休止している間に、たくみに夢として肉体世界と離して、描き出してしまうのが守護霊の偉大なる一つの仕事なのである。

現われれば消えるのが想念の性格であるので、夢として描き出されてしまえば、その想念は消えてしまう。

肉体世界に現われた場合は、その現われがまた頭脳にキャッチされて、再び同じ想念を幽体に記録してしまうが(それでも現われれば幾分づつか消えてゆくのである)

夢の場合はその想念がたくみに劇画化されていて、一体なんの想念であるか判然としないので、醒めた後で、いくら肉体頭脳で思ってみても、その夢に現われた想念は、再び幽体に記録されることはない。

 

             「日々の祈り」 五井昌久 白光出版

 

2014年1月16日 (木)

陰の力がある


  

ここ最近、ずっと守護霊さん守護神さんのことについて書いているのですが、書いている私本人が非常に嬉しくなるのです。

それは、書けば書くほど

「守護霊さん守護神さんに守られているんだ、だから安心なんだ」 という思いが強くなるからです。

私たちは幼い頃が一番幸せだったのです。(そうでない人もいますが)

悩みがない

好きなことだけをしていればいい

危ない時は親が守ってくれる

無条件で愛してくれる

誰も見返りを求めない

泣いても笑っても喜んでくれる


だがしかし、10歳(ピークだそうです)を越える年齢になると


「勉強しなさい」

「ダメって言ってるでしょ 何度言ったらわかるの!」

「男のくせに 泣くんじゃない!」

「遊んでばかりいるとろくな人間にならないわよ」

「お兄ちゃんなんだから 甘えるんじゃない!」

・・・・・・・・・・・・・・・

と言われだんだんと気持ちがすさんでくるのです(笑)。

そして自分は本当に愛されているのだろうか?

と思うようになる

ほんの少し前まで無条件で愛してくれていた頃を懐かしむようになる

そして思春期になり、異性を愛するようになる

愛する代わりに愛して欲しいと思うようになる(見返りを求める)

二人の愛は永遠だと誓いあう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だがしかし しばらくして

振られる

孤独感にさいなまれる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちは人間は、愛されたい生きものなのです。

それも自分を無条件に愛してくれる人を求めます。

バカな自分も、ダメな自分も、弱い自分も、悪い心を持った自分も、ずるい自分も、劣等感をたくさん持った自分も、どうしようもない自分も・・・・・・

他人にそんなところを見せたら絶対に許してくれない、嫌われる

親にも 情けないところを見せたら 「しっかりしろ」 と言われる

自分の弱さをわかってくれて、それでもまるごと愛してくれる人・・・・

それが守護霊さんなのです。

それも守護霊さんは、自分が生まれるずっと前から自分のことを知っていたのです。

肉体人間の親は 「かぐや姫」ではないけれど 仮の親なのです。

だからいつも、いつまでも愛してくれるとは限らない

しかし守護霊さんはどんなときでもどんな自分でも愛してくれる、そして守って助けてくれる

守護霊さんの前では自分をさらけ出すことができるのです。

そして、決して見放されることはありません

肉体人間の自分はそんなに強い生き物ではないのです。

だからその存在を知っただけでも ありがたいのです。

 

 

陰の力がある
 

守護霊は霊界、幽界、肉体界と三界を通して働ける者なので、幽界においてできつつある運命あるいはすでにできあがって、時間の経過につれて、自然に肉体界(現界)の運命として現われるようとする悪想念の結果(因果)を、あらゆる手段をもって、その人間の運命として現われぬように修正してゆく。

この守護霊の働きを知っている人、感じている人は実に少なくて、肉体人間の大半がこの影の働きを知らないのである。

守護霊はその肉体人間が、守護霊の力を知ろうと知るまいと、それは問わず、ただひたすら、運命の修正に全力を挙げているのである。

いわゆる菩薩行なのである。




        
「日々の祈り」 五井昌久 白光出版







 

物には想念(想い)が宿っている 3

 

真理を知らないが故の不幸

 
 

今まで人類の多くはみな、こういった想念の法則を知らぬまま、人々の想念に巻き込まれ、翻弄されながら人生を歩んできました。

もし人々がそれらの物を手に入れたいと思った時、その物の持つ因縁や想念、怨念を知ることが出来たならば、あるいは感じることが出来たならば、自らの人生をなまじ不幸へと導かれないですむのであります。

真理を知らない人々はみな、こういった執着や怨念、否定的想念が刻み込まれた物を所有することによって、知らないうちに自分の人生を狂わせてしまっているのです。

真理を知っている人たちは、それらの物を無意識に拒否する直観力が培われています。

それらの物を手にした時、無意識に自分の心が波立つのです。

気持ちが悪い。 何か暗い感じがする。 ゾッとする。 不安感に陥る。 急に腹立たしくなったり、怒りたくなる。

淋しくなったり、悲しくなる・・・・など、自分の心の変化に気づくのです。

すると、自分の本心がこれらの物を買いたくないとか、必要ないとか、もっとよいものがあとから見つかる・・・・等と拒絶してしまうのです。

だがしかし、真理を知らない人の多くの人々は、利害損得に振り回され、手に入れたり、買ったりしてしまいます。

買ったあとでも、おかしい、嫌な感じがする、不吉な予感がする、といったメッセージ(守護霊からの)が自分の感覚を通して届いているにもかかわらず、高いお金を払ったのだからとか、いまさら返すわけにもいかないとか、姑息な心で自らの運命を誤らせていってしまうのであります。

このように、自分たちの周りすべての物には、種々様々な人類の想念が込められるのです。

もちろん、土地に因縁、動物や植物の因縁、水や食物の因縁も同様です。

人類は決して自分一人で生きてはいけない存在なのです。

多くの人々、大自然、生きとし生けるものと調和し、共生して生きていくことこそ、真に生きる意味、価値があるのであります。

昨今、大地の汚染、空気や水の汚染、自然破壊、種の異変、病原菌の発生・・・・等、様々な現象が起こっています。

これらも突きつめてゆけば、すべて人類の一人一人が放った無責任な想念波動の結果に相違ないのです。

いよいよ人類一人一人がどうしても真の真理に目覚めなければならない時にまで至っているのです。

目覚めなければ滅びる以外にないのです。

真理に目覚めた者は必ず救われます。 なぜならば、そういった否定的想念、暗黒的想念の波動を見極める直観力が大いに養われているからです。

そればかりではなく、自らが放つ波動が神の波動、光の波動であり、強力なるパワー、エネルギーを持ち、宇宙神の光の一筋そのものであるため、いかなるマイナス波動からも決して影響を受けないのです。

自らの放つ想念、光、エネルギーにより、自らの運命が悪くなるのを見事に完璧に防げるのです。

さらに、究極の真理、我即神也、人類即神也の宣言をし、印を組む者は、自分を取り巻くいかなる想念さえも浄めてしまう偉大なる力を発揮していくのであります。

だからこそ、彼らの人生はよくなるのです。 よくならないわけはないのであります。

必ずよくなる、もっともっとよくなる、もっと完璧に、幸せに、平和になる。

そして何事も調和してゆくばかりです。

だがしかし、周りを見てみると、気の毒にも、不幸せな人々ばかりです。

彼らは不幸や災難、苦悩に取りつかれ、もっともっと悪くなり、もっともっとひどくなる一方です。

いかにもがこうと、あがこうと、そういった想念から脱け出すことの出来ない状況に追い込まれてゆくのです。

彼らは真理を知らないがために、自ら不幸な人生を選んでいると言えるのであります。

        
          「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版






 

 

物には想念(想い)が宿っている 2



物にこもる想念と、直観力
 

すべての物には想いが込められている

人は物に生命(いのち)を込めます。 母親は料理をつくる時、子どもや夫を思って一生懸命つくります。

自分のつくる料理を通して彼らに自分の真心を伝えてゆきます。

もっと大袈裟に言えば、生命(いのち)を込めるのです。

また、自分の大切な宝石に自分の生命を託します。結婚指輪などには、お互いの心や生命が込められています。

また死んだ人の形見には、その人の想いや生命が込められているのです。

我々は日常生活において、多くの人々の真心や想いや生命が託された物を使用しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・

ですから人々は、その想念の在り方を認識して買い物をする必要があります。

宝石を買う時、仮にその宝石が新しいものならともかく、人の所有するものであったならば、その所有者の想念や因縁がそのまま波動として宝石に蓄積されています。

どうしても宝石を手放さなくてはならなくなった人たちの怨念や執着、苦悩や悲しみが刻み込まれているのです。

そういった宝石を身につけた人は、それらの宝石によって、運命が操られてゆきます。

次から次へと不幸や災難に出会ってゆくのです。

宝石にそういった多くの人々の暗黒的な想念がこもり、蓄えられているからです。

また、絵画や置物も同じです。絵や置物の中には作者の気迫が込められているものがあります。

作者が真の芸術を理解できずに自らの名誉欲、金銭欲、権力欲などの想念によって作品をつくり上げていくことにより、その作品は真の芸術性からはずれた不調和な荒々しい波動を蓄えてゆきます。

こういった強い波動のものを気の(想いの)弱い人が買うと、負けてしまう時があるのです。

絵の強さ、置物の気迫に翻弄されやすく、この絵のかかっている部屋、置物が置かれている場では、常に金銭や虚栄心などが原因となって争いが絶えなかったり、夫婦喧嘩や親子の対立が生じたりして、調和が乱されていってしまうのです。

なぜならば、それらの持つ波動につい巻き込まれていってしまうからです。

また、家を買う時、マンションを借りる時なども同じです。

そこに土地や家の因縁、前に住んでいた人たちの想念波動が宿っているからです。

運命が順調で幸せであった人たちでさえ、こういった土地や家にまつわる想念の強い、因縁の深い物件を買うと、それらの想念に操られ、翻弄されて、運命が乱されてゆきます。

突然、病気になったり、失敗や挫折に追い込まれたり、不幸に見舞われたりするのです。

それらは、そういった想念の為せる業です。

だがしかし、こちらの側に常に祈りがある場合は、必ずそれらの想念を祓い浄め、決して悪い運命やと巻き込まれることはないのです。

逆にそれらの因縁を超えて素晴らしい運命へと転換させるだけの力が祈りには備わっているのであります。


 

     「次元上昇」 西園寺昌美  白光出版



 

 

物には想念(想い)が宿っている 1

 
 
私たちは、気持ちが荒立っているときに、物にあたってその想念をぶつけたりします。

時には投げつけて壊したりします。

ということは、物に自分の怒りのエネルギーが宿って、そのエネルギーに物は壊されるということです。

仮にその壊れた物が携帯であった、彼氏と喧嘩をして思いっ切り壁にぶつけた、その携帯には、彼氏からの別れを告げられる屈辱的なメールが送られてきたので、もう続けて使う気がしなくなった。

それで修理をして、中古ショップに売ったとします。

さあそれでショッピングに来ていた仲の良いカップルがその携帯を見て

女性 「ねぇ見て見て、この携帯かわいくない?まだ新しいタイプだよ、安いし買っちゃおうか?」

と手に取って買おうとしています。

でも男性の方が

「中古なんてやめとけよ、なんだか気持悪いよ 誰が使っていたのかわからないんだし」

女性 「なにを神経質なことを言っているのよ、安く買えた分で美味しい物が食べれるじゃない」

男性 「それもそうだな、じゃ買っちゃえば」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、この二人に何事もなければいいのですが・・・・

物には人の想念が宿るのです。

想念というのはエネルギーです。

人間の想いも波動です、目にみえないエネルギーです。

一方、携帯などの物質も目に見えるエネルギーなのです。

想念の方が波動が細かいので、波動の粗い物質に入っていきます。

そしてその想念エネルギーは浄めない限り、ずっと携帯に宿り続けるのです。

話が長くなったので次の日記でもっと詳しく物にこもる波動について、西園寺昌美さんのご著書から抜粋して書いていきます。

よかったらお付き合いください。

  

運命を改善する

 

運命を改善する

 

人間が、自己の運命を改善し、幸福になりたいとするならば、ただ守護霊に自己の運命をまかせればよい。

守護霊さん、ありがとうございます、守護神さん、ありがとうございます、神様、ありがとうございます、と常に感謝していればよい。

この心が神への全託なのであり、守護霊の活躍を充分にさせる一番よい方法なのである。

この心でいれば、その人の行動は自ら、調和した整ったものになり生活は楽しく楽になるに決まっているのである。

なぜならば、守護霊守護神とまっすぐにつながり、そのつながりによって、その光によって業生の因縁因果の渦巻からいつの間にか離脱でき、分霊本来の光が直霊(神)につながり、肉体を持ったままで、人間神の子の実観を真に体得できるのである。

 

          「日々の祈り」 五井昌久  白光出版




 
感想

 

守護霊さんというのは先祖の悟った霊(神様)で支配霊・コントロール霊ともいわれ、必ず正守護霊さんが一人、副守護霊さんも一人付いてくれているのだそうです。(肉体界での役割が大きい人はたくさんの守護霊さんがついている)

「俺は生きていても良いことなんてちっとも起こらなかった運に見放されている、俺には守護霊さんはついてくれていないのではないか?」

と、ある霊能者に相談したら

「そうですね、あなたには守護霊はついていません」 とその霊能者は答えたのだそうです。

これはとんでもない話で、守護霊の存在もわからない知らない霊能者は失格だと思います。

ただ意識を守護霊さんに向けていないので光が届きにくいのです。

ところで副守護霊さんは、仕事を司る霊で、仕事に関するエキスパートだそうです。

きっと肉体界にいるときに大活躍したのでしょう。

ですからいい仕事をする人は副守護霊さんから的確なアドバイス(メッセージ)を受けているのだと思います。

私たちもよい仕事がしたいのであれば、自分に合った仕事を見つけたいのであれば

「守護霊さんどうぞ私に人類に役立つような素晴らしい仕事をさせてください、そして良いヒントを是非よろしくお願いします、いつもありがとうございます」

とお願いをし感謝をしていればいいのです。

歴史上の人物で奇跡的な超人的な活躍をした人は守護霊の存在を知っていて絶大なる協力を得ていたのだそうです。

 
 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 

2014年1月15日 (水)

素直になろう!

 

幸福になる秘訣

 

誰でも幸福になりたくて働き努力するのだが、なかなか幸福にならない。

幸福になる秘訣は素直になることである。

素直とは肉体人間に素直になれというのではない。 真理に素直になれというのである。

いいかえれば、神に素直になれ、というのである。

神というと何か遠い気がするし、つかみ難い気がするだろうから、守護霊に素直になれというのである。

守護霊とはおおむね祖先の霊である。 お祖父さんお祖母さんが自分の背後にいて、霊の眼で、霊の耳で、子孫の運命を予見し、悪い運命の道から、善い運命の道へ導いて下さるのである。

その子孫の将来に起こる出来事をよく知っていて、その子孫の運命を幸福へ幸福へと導こうとしているのである。

            「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 
 

感想
 

自分の子どもたちはまだ幼く、これからも関わって大事に育てていきたい

しかし自分は今、ガンに侵されていて余命いくばくもない

「このままでは死ぬに死に切れない」
 

だがこの母親は真理を知っていて

守護霊守護神たちが絶えず人間を守ってくれていることを知っていた

だから自分が肉体界を去ったら

「私が守護霊となって、この子どもたちを守るんだ!」 と思い、決意している
 

実際には、守護霊は悟った祖先の霊なので簡単に守護霊になることはできませんが

この母親の熱意と悟りの段階によっては、肉体の死、即守護霊のなることも可能なのだそうです。

自分の愛する子どもたちを霊界から見守って四六時中かかわっていくことが出来る。

そのことをこれから肉体界を去るお母さんたちが知ったらどれだけ嬉しいことでしょう。

どれだけ勇気づけられることでしょう。

そして最後のお別れのときにきっと言うと思うのです。

「おかあさんはいなくなるけれどおかあさんは守護霊になって他の世界からずっと見守っているからね、だから困ったことがあったらおかあさんを呼びなさい、絶対に助けてあげるから・・・・・」

真理を知るというのは

生きている人も死んでいく人も安心して生きていけるようになるということです。(生命は永遠なので死というものはないのです)

真理を知らなければ

真っ暗の道を光を灯さずに歩いていくのと同じです。

私たちはもう真理に目覚めなければいけない時期にきているのです。

 

 

迷う時は守護霊さんを呼ぼう

 

  迷う時は守護霊さんを呼ぼう
 

もし迷う事柄があったら、心の中で守護霊さんを呼びながら、その裁断(さいだん)を願えば必ず何らかの形でその答をしてくれる。

それは他の人に会って、その人の口から聞かされるかもしれぬ。(この場合最初に会った人)

或いはピンと直感的にひらめく人かも知れぬ。(第一直観がその答)

その答がいかに、現在の自分に都合が悪いように思えても、それは後によくなる方法に違いないのである。

それを信じなければならぬ。

第二直感で出てくることは業の答えであるから、よくよく注意せねばならぬ。

業因縁の答は常に甘い。 都合のよさそうな答が多いので、ついこの答えにひきづられることが多いものである。

だから、常日頃、守護霊を信じ、感謝の想いを抱いていなければいけない。

 「日々の指針」 五井昌久 白光出版


  

 
感想

 

かなり以前になるのですが、田舎道で土砂崩れがあり、ある車がその下敷きになりました。

その車には母子3人が乗っていて、母親、5歳の娘、2歳の息子だったそうです。

残念ながら運転席の母親は亡くなっていて、幼い姉弟が生き残った・・・・・

土砂の中は不安定で車の中だけが安全でした。

守護霊は、この姉弟に必死でメッセージを送った

「そこを動くな絶対に動いてはいけない」

守護霊はもうすぐ救援隊が助けに来ることを知っていたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして助かったのは2歳の弟だけでした。

弟は守護霊からのメッセージに忠実だったのです。

何事が起ったのかもわかっていない

母親が亡くなったことも知らない

暗いところに居るけれども恐怖感もない

ただ素直に心の中に入ってくるメッセージを聞いてじっとしていたのです。

しかし姉は怖くてしかたがなかった

お母さんはどこに行ったの?

ここはどこなの?

なんでこんな暗いところに私は居るの?

と泣きじゃくり、空いていた窓の外に出てしまったのです。

そして

一気に土砂が姉の上に崩れ落ちてきた。

感情(恐怖心)がメッセージをかき消してしまったのです。

弟は、救援隊に助けられたこともわかっていない

そして救援隊の人に抱きあげられたとき

無邪気に笑っていたのだそうです。

弟が、この悲劇の出来事(真実)のことを知り、理解出来たのは

ものごころがついた後の

もう少し先のことでした・・・・・・・・

 

 

2014年1月14日 (火)

太陽はつねに雲の上で輝いている

  

君は僕の太陽だ!」 という歌が昔あったような気がしますが、君だけではなく人間はみんな太陽なのです。

宇宙神の光から分かれた分霊(わけみたま)が人間(肉体)であり、太陽でいえば、太陽光線の一筋が人間(肉体)なのです。

その光線は、木々を照らすものもあれば、海や山も照らし、動物や植物、鉱物を照らす光もある。

同じように宇宙神から分かれた私たちも日本に住む者もいれば外国に住む者もいる

職業でいえば、お医者様になる人もいれば、会社員、公務員、トラックの運転手さんになっている人もいる

みんなそれぞれに違った国に住み、違ったミッション(仕事)を担っているけれども、元は一つなのです。

そして、それぞれ目の前に現われる現象、場面は違うけれど、どんな現象も現われては消えてゆく光の影なのです。

私たちは一体何者なのか?

光の一筋がほんとうの自分なのか?

いえ違うのです。

光の一筋(肉体人間)は、本体のほんの一部に過ぎません。

ほんとうの私たち(本体)は光の筋の元である太陽なのです。

星なのです。

そして今自分の前に現われている悪や不幸は、目の前を通り過ぎてゆく雲なのです。

下記にも書いているように、どんなに雲がかかってきても、暗雲が覆ってきてもそれは地上から見れば、太陽に影響を与えているようには見えますが

とうの太陽は一向に傷んではいません。

なんの影響も受けてはいません。

交わっていないからです。

太陽はただ雲を平然と客観的に俯瞰的に見ているだけです。

私たちは太陽なのです。

太陽(神)そのものなのです。

だから、目の前の雲(悪や不幸、悩み)に惑わされるのは違うのです。

自分が太陽(神)であることを知ることが


自由自在に生きてゆくためのメソッドなのです。

 

太陽はつねに雲の上で輝いている
 

悪や不幸の想念は、あくまでも本ものではありません。 それは過去世からの因縁の消えてゆく姿で、つかみさえしなければ、おのずから消え去ってゆくものであって、その姿が現われた時、心で痛んだり、悩んだりするのは、あなたの本心が痛み悩むのではなく、消え去ってゆこうとする業想念が、本心に照らされて、おのずから痛み悩むのであります。

そしてある時間経過すれば、太陽の前を過ぎゆく雲のごとく、いつしか消え去ってしまうのです。

太陽を、一時、雲が覆ったとしても、太陽は一向に傷つきも悩みもしないのです。

本心はただ照り輝きつづけているのであり、本心そのものが業想念をつかんで責め裁いたり、傷めつけたりすることは絶対にないのです。

      「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 
 

 

運命を変えるために必要なこと

  

今はイメージ(想像)することが大切であるといわれており、想像することが創造(クリエート)していく原動力になるんだということは、今や常識になりつつあります。

後はそこに

「イメージしてみたものの、やっぱりそんなにうまくいかないような気がする」 といったネガティブなエネルギーを注がないようにしていくのが肝心であり

せっかくの創造にブレーキをかけてしまうのです。

このイメージすることをもっともっと高い理論に高め上げたのが「果因説」です。

この「果因説」はイメージすることは同じですが、この説は潜在意識を浄めることを述べています。

人間とは複雑な生きもので、今自分が想っていることは、たった今想ったのではなく過去や過去世からの自分の想念行為が元となって浮かび上がってくるのです。

過去(現在も含む)や過去世においてネガティブな想いを繰り返していたのなら、今においてはその想念通りの運命が現われるのです。

その量は膨大な量なのかもしれません。

すると悪いネガティブな想いばかりが浮かんでくるので、いくらいいことをイメージしても追いつかないのです。

ですから溜まりに溜まった過去の想念の集積場(潜在意識)を浄めなければならないのです。

それが出来るのは、いわずと知れた守護霊守護神です。

霊界や神界(浄った世界)から潜在意識の世界である幽界を浄めていただくのです。

そして自分自身も祈りや印によって過去を浄めてゆく

他力と自力の共同作業

それと果因説を実践してゆくことで運命は変わってゆくのです。

みなさんも是非、ネットなどで果因説を調べてみてください。

巷では果因説の素晴らしさが理解され、それに加えて西園寺昌美さんの思想が一流誌である『ザ・フナイ』の編集長の目に止まり絶賛され、※去年の12月号に紹介されたそうです。


今迄の因果律から果因説へと人々の思想が変わり、いよいよ人間が創造主(クリエーター)であることが常識になっていきます。

運命も世界も果因説によって変えられるのです。(『あなたは世界を変えられる』西園寺昌美・アーヴィン・ラズロ著)

それには守護の神霊のご加護が不可欠なのです。



 


 
運命を変えるための原理


 

まず自分というものは、自分自身で生きているものではなく、何かの大きな力に生かされているものである、という謙虚な心になることが第一であります。

謙虚になった心で、日々神への感謝を行じなければいけません。

自分が現在おかれている不幸とは全く別に、神への感謝に心をこめてゆく練習をするのです。

今、自分がおかれている不幸な環境は、過去世から現在までの誤った想念行為のためなのであって、これからもその運命がつづくと限っているわけではないのです。

ですから、不幸の中にあっても、この不幸は、今迄の間違った想念行為が消え去ってゆくためのものであって、これからは善くなるのだと思いつづけるのです。

そしてその想いと共に守護の神霊への感謝をつづけるのです。

そうすれば必ず運命は善い方向に変ってゆきます。

 

    
       「日々の祈り」 五井昌久 白光出版
 

 

※ 『ザ・フナイ』の高岡良子編集長からの原稿添付状・・・「 『白光』(毎月刊行されている月刊誌) の中の昌美先生のお話しがやはりとても力強く、読んでいると魂が揺さぶられ、燃えてきてしまいます。

宗教の垣根を超えて、一人でも多くの方に読んでいただきたい内容と思い、この数カ月間に記載されたものから抽出いたしまして、まとめさせていただきました。・・・・・・

また、昌美先生が他の宗教の方と異なるのは、宗教に固執されないことで、宗教がなくなる日が来てほしいという昌美先生のお言葉を知った方は意外に思い、ビックリなさる方も多いかと思います。 このような昌美先生やこの教えに対し、さらなる興味を抱いていただければ、私としては嬉しい限りでございます」。



 



  

2014年1月13日 (月)

運命を決定づけるもの

   

言(ことば)と言葉は違うのだそうです。

「言はすなわち神なりき」 とはイエス・キリスト様の有名なお言葉ですが

言とは、神様から直で降りてきた神性そのもののエネルギーなのです。

人間が地球に降り立ってすぐはこの神性そのものの美しい言(ことば)を発していたのですが、肉体という器を持つことによって二元対立が生まれたのです。

肉体という物質を纏うことによって波動が粗くなったからです。

あなたと私は違うんだ

敵なんだ

対立して争い戦うものなんだ

という間違った想念が生まれ

対立によって言も乱れていったのです。

そして自分を守るために相手を攻撃する汚いことばを使うようになっていった・・・・

ことばはエネルギーです。 そして目には見えないけれど、ことばのエネルギーは消えずに周辺に残って漂っているのです。

そして人間は、頭の上で漂っているマイナスのエネルギーの枝葉を掴まえて、言葉を発するようになったのです。

そして言から言葉に変化していったのです。

だから言とは神聖な美しいもの

言葉は、玉石混交した美しいものも汚れたひどいものも相手を攻撃する激しいものも入り交ざったものなのです。

ほとんどの人はこの言葉を使っています。

だから今の世の中は乱れに乱れているのです。(ごめんなさいマイナスのことを言ってしまいました 無限なる光!)

言葉はエネルギーです。

想念もエネルギーです。

だからこの両方を美しいものに、神性なるものに変えて(戻して)いかないと私たちの運命も人類の運命も善くなってはいかないのです。

まずは、自己の人生の棚卸しが必要だと思います。

今まで自分は、どんな言葉を使ってきたか?

どれだけ地球の、そして宇宙のエネルギーを汚してきたか?

この棚卸しは結構辛いものになるのかもしれません。

しかし、この棚卸しをキチンとして、検証し反省し、直していかないことには明るい未来は開けていかないのです。

運命は好転していかないのです。

今からでも決して遅くはありません、今からいくらでも取り返すことが出来るのです。


※ これまでの自分を含めた人類の間違ったマイナスの想念エネルギー、潜在意識を消してゆくことが出来るのが世界平和の祈りであり、印を組むことなのであります。

 

 

運命を決定づけるもの

 

不幸や苦悩、そして悲劇などは、人間には本来、刻印されているものではありません。

人間の魂に刻印されているものはただ一つ、神性そのものです。

人生を左右する苦しみや悲しみ、不幸は、誰もが無意識の内に発する否定的想念によって創り出されているに過ぎないのです。

ほとんど無意識に近い、種々さまざまな感情想念でさえも、自分がいったん心に想い、その想いを外に向けて発するや否や、それがほんの些細な日常生活の想念にしろ、周囲に影響を与えつつ、自らの人生を決めていっているのです。

それによって、自分の人生の上に不幸や悲劇や苦悩が現われてくるし、幸せや喜び、不安も訪れてくるのです。

人類一人一人はみな、自らの日常生活を通して発する感情想念そのものが織りなす無数の糸によって、運命が決定づけられていきます。

ほんの些細な感情想念の積み重ねが、出来事として現われ、その繰り返しが、これから先の自らの運命の予兆として、はっきりと刻印されていくのです。

このように人類はみな、自らの潜在意識によって運命づけられていると言えるのです。

人類の潜在意識は、常に否定的観念に裏づけられています。

不安感、不信感、疑惑感・・・・・。

ただ人間の悪い方面にのみ心が奪われ、ひきつけられてしまっています。

人間の否定的な暗い方面ばかりに気を取られ、それのみに時間が奪われています。

そしてそれ以外のこと、例えば、人間の性善説、神性説、光明説・・・・・などは、今でも自分たちとは関わりがない、と思い込んでいるのです。

人類は、自らの天性の崇高な心、神々しい魂、無私の愛の感情などをなかなか素直に受け入れないし、それらの方面に時間を割くこと自体が皆無に近いという、悲しい性を持っています。

だが、人間一人一人みな、無垢までに美しく、純粋にして気高き神意識を持つ者なのです。

 

        「果因説」 西園寺昌美 白光出版





 

過去には何の力もないのです


   

人間のほとんどの苦しみの原点とは何でしょうか?

それは過去に把われ、過去に縛られ、過去に振り回されていることだと思うです。

もし記憶がなくなって、それも嫌なこと辛かったこと思い出したくないこと、マイナスのことだけを忘れて、

大切なことや必要なことプラスのことだけを覚えていることが出来たとしたらどんなにか幸せでしょう♪

「そんなことできるわけがないじゃないか!」

「できないことを書くなよ!」

とおっしゃるかもしれません。

しかし都合よく忘れることが出来なくても

私たちが過去に意識を向けずにそこに振り返らずに過去の出来事に力を与えなければ、過去は、力なくただ過ぎ去ってしまうはずなのです。

「そんなことはわかっている だけど過去は潜在意識の中から消えないではないか!」

「次から次へと頭の中は走馬灯のように過去からのマイナス想念が駆け巡っているではないか!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちは 忘れることは出来ないと思い込んでいる

消すことなんて出来るはずがないと思っている

それはなぜか?

それは自己を否定しているからです。

自己限定をしているからです。

あまりにも自分を非力な者だと信じているからです。

それが大きなとんでもない間違えをしてしまっているのです。

自分は、過去なんかに振り回されないんだ

なぜならば、自分は崇高で気高い存在なんだ

どんなマイナスとも共鳴しない強い存在なんだ

パーフェクト(完全・完璧)なんだ

なぜならば、我即神也だからだ!

自分が何者であるかを知って、そしてはじめていろんな有限なマイナスのエネルギーに勝てるようになるのです。

過去を掴んでしまうマイナスの想念エネルギーは肉体人間がつくったものだから有限です、一方神である自分が秘めているエネルギーは無限なのです。

だから

自分が何者であるかがわかれば簡単に勝負はついてしまうのです。

反対に、自分を知らなければ、偉大さがわからなければ

どんな相手にたいしてもオドオドしてしまうのです。

戦う前から負けてしまっているのです。

西園寺昌美さんのご著書で ズバリ 「我即神也」 白光出版 があります。

それを読まれたらいいと思うのです。

 



過去には何の力もない


 

大切なことをお話しします。

皆様方はまだ過去を掴んでいます。

過去というものはなかなか忘れられないのです。過去の苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、悔しいこと、恨みの言葉、皆、いろいろな過去を掴んでいます。

しかし過去の出来事が、今に向って飛び込んでくることはないのです。

過去の出来事というのは、もう過ぎ去ったことなのです。 

悔しかったこと、苦しかったこと、いじめられたこと、失敗したこと、悲しかったこと、その過去の出来事は、今生きているこの自分の中に飛び込んできて、自分の人生をストップさせることはないのです。

過去には何の力もないのです。 ここが大事です。

過去のあらゆる苦しみ、悲しみ、傷み、悩み。

それらは物であれ、想念であれ、出来事であれ、何の力もないのです。

それを思い出す自分が、その過去の物や想念や出来事に力を与えてしまって、それで自分で取り込んで、その取り込んだ過去の想念を思い返して自分を不幸にしているのです。

だからこそ、五井先生は消えてゆく姿を説かれたのです。

消えてゆく姿とはそのことなのです。

過去のあらゆる出来事に自分の想いが行かなかったら、そこには何の力も禍いもない。

過去には、今の自分の現実や自分の未来にストップをかけ、ダメにする力など何一つないのです。

何一つないのです。

過去、どんなに相手が自分を苦しめたとしても、その過去の出来事には何の力もないのです。

では、なぜ自分が苦しむのでしょうか。 それは我即神也でない自分が、過去に味わった苦しみや恨み、憎しみ、嫉妬心、そして競争相手に負けた悔しさ・・・・・・といった自分の想いに把われ、その過去の出来事を改めて掴んで、それに力を与えてしまっているのです。

過去一切 ━ それがどんなに酷くて凄くて辛いものでも、今の自分に災いする力など何もないのです、それらには。 何一つないのです。

ですから過去を離した人は、即、未来を創っていくことが出来るのです。

しかし、我即神也がわからなければ、また過去を掴んでしまいます。

この人類の苦しみや悲しみや闘争や、宗教対立も人権差別も殺し合いも、すべて過去でしょう。

みんなが過去を掴まなかったら、あるのは未来だけです。

多くの人類には、それがまだわからない。

でも、皆様はもうわかっておられるはずです。 それだけの力があるのです。

大きな地球のカルマを防ぐことが出来るのです。

なぜ出来るのですか?

それは皆様が我即神也を掴んでいるからです。 次元上昇が出来たからです。

 




           「果因説」 西園寺昌美 白光出版




冷たいものが歯にしみても大丈夫なのだそうです

 

よい本というものは、そこに書いてあるすべてをみなさんにご紹介は出来ないのですが、2~3ヶ所はどうしてもお伝えしたくなるのです。

そしてそのヶ所とは自分が体験として実感していて力がこもるところなのです。

私にとってのダイジェストですね!

昨日も歯のことを書きましたが、もう少し述べてみたいと思います。

さて、みなさんも歯を磨いた後で口をゆすいで冷たい水が沁みることがあると思うのです。

「あれっやばいぞ 虫歯かな? シソーノーローかな? どちらにしても放ってはおけないな、でも忙しくて行けないし どうしよう?」

そして結局は、放置したままになるのですが、頭の隅には不安や心配が残っているのでこれがストレスになるのです。

誰かが明確にどうすればよいかを教えてくれたらいいのですが、ネットで調べてもその答が合っているのかわからない、信じていいのかわからない

私はそんな状態でした。

そんなときにタイムリーに于先生からこの本をご紹介して頂いたのです。

人間の自然治癒力って凄いですね。

たとえば小さなケガをして皮膚が傷ついても消毒をしていれば、放っておいても細胞が活動して修復しようとする、そしてその皮膚にばい菌が入らないようにかさぶたをつくって守ってくれます。

それと同じような働きが口の中でも行われているのです。

傷んだ歯肉に壁塗りをしてくれてその壁のことを第二象牙質というのだそうです。

象牙というくらいだからかなり丈夫なものだと思うのです。

とんだ取り越し苦労をしていました。

もっと人間は自然治癒力を信じた方がいい

心配した分だけもったいないです。

歯医者さんに行かなくても心も歯も復活出来るのです。

これがほんとの敗者復活!

な~んてね(笑)

 
 

冷たいものがしみる (体が無料で、削らずに治してくれる)

 



・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

冷たい風がしみる、冷たいもので痛いのは、ほとんどの場合、正常な反応と考えてよい。

痛みとは、生体の防衛反応のひとつであって、なにか危険がせまっていることを知らせる警報である。

それまで感じなかったのに、冷たいもので痛みをおぼえるのは、たしかに歯が健康そのものの状態にないことを意味している。

歯肉が退縮して、それまでかくれていた、正常であれば露出すべきでないセメント質が口の中にさらされたためとか、エナメル質が歯ブラシや食物によりうすくなったのであろう。

しかしありがたいことに、このくらいの変化にたいしては、歯の中の神経が上手にカバーしてくれる。

歯に自然治癒なしというが、冷たいもので痛む場合には、歯髄の中にある細胞が、一生懸命はたらいて、感じやすくなったところを内側から壁塗りをしてくれる。

こうしてできた壁を第二象牙質という。

しばらくすると痛みをおぼえなくなる。

なにも体が無料で、削らずに治してくれるものを、歯医者が有料で削ることはない。

とくに秋から冬にかけて、気温が下がり、水温が下がる時期には、体の変化でなく、外の条件が変わっているのだから、口をゆすぐ水は湯をさして調整しておきなさい。

春になっても水もぬくむころには、なんともなくなっていることが多いのだ。

どうせ削るのであれば、熱いものでしみるようになってからでもおそくはない。




 

  「歯は一日で治る」 谷口 清著  ルネッサンス・アイ






 

 

2014年1月12日 (日)

愛のある雰囲気を


  
「人は見た目で判断してはならない」 というのは、見た目だけでは間違って判断してしまうこともあるということであり、五感(感じるものだけ)ではその人の想念はわからないのです。

しかし目にみえないエネルギー(波動、雰囲気)というものは、誤魔化しようがないものであり、隠しようもないのです。

そしてこの年齢(55歳)になると、相手の人に会って雰囲気を感じただけでその人が日頃何を考えどんな日々を送っているのかはだいたいわかるのです。

そしてまず当っていると思うのです。

人と会っていて一番気持ちのよい人というのは、何の想念も伝わって来ない、スッキリ爽やかな人をいうのです。

何かを隠しているような 「何を考えているのかわからない」 というような暗くl陰湿なものではなく

滝の側にいるような、周りに居る人たちの汚れた想念までをも浄めてくれるような、爽やかなエネルギーをその人は放っている

そんな人はめったにいませんが、その人は自分の想念を常に天に投げ入れているのであり、天で綺麗に洗濯され浄化されたエネルギーは自分の器(肉体)に帰って来ているのです。

だからその人は頭でどうのこうのと考えていない(計算をしていない)

頭は空っぽ 天(本心)の命ずるままに生きている

常にさっぱりとしている

しかし光に闇が寄って来るように、周りの人や縁のある人たち、そして人類の汚れた想念が、光った瞬間に次々と襲って来るのです。

だから

汚れてはまた天に返し、また汚れては天に返し、綺麗になったエネルギーで器が曇らないようにしているのです。

このいつも綺麗なエネルギーに保つメソッドが世界平和に祈りを祈ることであり、印を組むことなのです。

このようなことを行っている人たちは、日常生活の合間に祈っているではなく、祈りの中に生活を入れているのです。

それが素晴らしい雰囲気として現われてくるのです。

しかし見た目ばかり外見ばかりを気にしている人には、雰囲気というものがわかりにくいのかもしれません。

だから私たちは相手を肉体という物質、塊、形、見た目で見るのではなく、エネルギー体(雰囲気)として、その人をみてみれば冷静に判断できると思います。

ただあまり相手のことがわかるのも考えものです。

それは相手の想念がもろにわかってしまうと人間不信になるからです(笑)

いくら汚れた想念を持った人でもその奥の本心は光り輝いた神性があるのです。

私たちは汚れた想念、業、マイナスのエネルギーを見るのではなく、相手の神性(神)を見なければなりません。

ですから

「この人は信じてよいのだろうか?」という決断に迫られたとき以外は、あまりナーバスにならない方がいいのかもしれません。

雰囲気を相手を判別することに使うのではなく

自分が爽やかな人間になるために使うのです。

 

愛のある雰囲気を

 

  
人間の想念というものは肉眼には見えませんが、各種の液状をえがいて、その人の周囲から流れ出ているもので、その人の長い間(過去世からの)想念の集積が、その人の雰囲気となって他に伝わり、あるいは様々な運命を創り出しているものなのです。

そうした雰囲気が霊眼者には、光とみえたり、黒雲のようにみえたりするのです。

ですから、そうした想念の波動をみれば、その人がどの程度の魂的高さをもっているか、常にどのような行為をしているかがわかるのです。

常日頃から愛念で生きている人の魂は光を放っています。

愛が深いということは、本心が顕われている証であるのです。

    「日々の祈り」 五井昌久 白光出版

 

 

科学と宗教の行き着く先は同じ 2


 

疑うことと信ずること


 

科学はあくまでも “証明” が本命です。 人類のすべての内に無限なる可能性、無限なる能力が存在すると理論では突きとめても、現実にそれを証明することが出来ません。

そのため、生涯をかけて証明してゆかなければなりません。

ところが宗教の道は、ただそれを “信ずる” ことのみで成り立つ世界です。

科学の道のように、初めから物事を疑ってかかるものではないのです。

だがしかし、その疑いこそ、人類の進化、発展の原動力でもありました。

科学の道を通して、究極的には、自らの存在そのものに行き着くのであるし、宗教の道を通してもまた、自らの存在そのものに目覚めてゆくのです。

どちらを行くのも、人間の自由です。 それぞれ好きな選択ができるように、各人に任されているのであります。

だがしかし、人類にとって “疑う” ことと “信ずる” ことのどちらが容易でしょうか。

圧倒的に、人類の多くは疑うことのほうを優先し、疑いなしに素直に信ずることは、なかなか出来にくいものです。

疑うということは、まず物事を否定してかかることであり、信ずることは、物事を積極的に受け入れてゆくことであります。

ですが、ここでいう “信ずる” とは、無知ゆえに信ずるという意味ではなく、無限なる直観、叡智を通しての信への道を指しているのです。

20世紀の人類の闘争、戦争、紛争、飢餓などの歴史は、すべてがこの疑いから生じ発生してきています。

他の人種、民族の血を疑い、それぞれの神を疑い、能力を疑う。

そしてさらに、自分自身に対しても疑いの目が向けられてゆく。

自分の才能、能力、資質、性格、人柄、血統を疑う。

自分自身に向けて発せられる疑いは、次々と周りに影響を与え、周りを汚染してゆきます。

両親や子ども、親戚、友人、知人、さらに民族、人種、国家へと広がってゆきます。

疑いこそ、暴力、闘争、紛争、戦争の原点です。

その反対に “信” ほど素晴らしいものはありません。 人間の不信、疑いを超えて、我々の内面の奥深くに平安、静けさ、平和、愛、安らぎの源があり、その源から幸せや感謝が溢れ出てくるのです。

自らが自らを信じられるからこそ、他を信じ、他を受け入れることが出来るのです。

この自らが自らを信ずることが出来ることは、究極の醍醐味です。

私にとって、科学も宗教も共に、“人は常に、他に一切頼ることなく、すがることなく、求めることなく、自らの内にある神、即ち無限なる能力をいかに引き出してゆくか” にあります。

私は、この両面のバランスを考えながら、究極のところに導いてゆくのです。

  

             「果因説」 西園寺昌美 白光出版





 

 

科学と宗教の行き着く先は同じ 1

 

最近の私は、守護霊守護神であるとか幽界、霊界、神界、そして宗教など目にみえない世界や心の世界のことを随分と書いています。

ところで世の中には、

「目にみえるものしか存在しないんだ、だから神様なんていないんだ」

という人と

「私は見たわけではないけれど、神様や自分を守ってくださっている神霊は必ずいる、自分はそう信じている」

という人に分かれると思うのです。

大雑把に分けると科学的な思想の人と神秘的な思想の人でしょうか?

私はもちろん後者の方ですが

信じていない人と議論するつもりはないですし、信じなくても全然いいと思うのです。

でも私が信じて書いている以上は、わかってもらえないよりもわかってもらえた方がいい

そうに決まっていますよね!

ただ私がここで書かなくても今の優秀な科学者の人の中には、非常に宗教的な考えの人が増えて来ているそうです。

宗教というのは、ここのブログで何度も述べていますように、宇宙を示す教えという意味があります。

宗(もと)の教え、すべての根幹の根っこの部分、原点の教えという意味なのです。

科学を追求していろんな壁を乗り越えて究極に迫っていくと結局は原点に帰ることになり、そこは神秘的な世界であり、やっぱり宇宙があるのです。

人間も神秘的な存在なので、人間(自分)も追及していくとそこにも宇宙があるのです。

目に見えるものの先には目にみえないものがあり

目にみえないものをずっと奥深く辿って行くとそこは宇宙なのです。

宇宙しかないのです。

だから人間は、科学的な人も宗教的な人も最後は宇宙(神)をみることになる。(肉眼で見るわけではありません)

ただそれは、物事(人生)を真剣に捉える努力をした人にしか与えられない特権です。

とことん追求した人にだけみることが出来るのです。

目に見える世界(3次元)の終りは、4次元です。

4次元は神界や宇宙につながっています。

ということは3次元(肉体界)を一生懸命に生きて

何かを極めようとしている人にしか4次元は見えないのです。

4次元以上は本物の世界です。

いくら宗教的な人であっても、神を信じている人であっても

3次元をいい加減に生きている人は

宇宙は見えないのです。

神にも会えないのです。

もうすぐ科学と宗教が合体する時代がやってきます。

ほんと、もうすぐです。

そうなると宗教は無くなるのです。

自分(人間)が何者かがわかったとき

宗教の役割りは終わるからです。

宗教は、自分(人間)が何者であるかということ、真理とは何か?を伝えるために存在していた。

だがしかし、それがわかった以上存在する意味がないのです。

宗教とは、人間一人一人の心の中にあるのです。

 

  

科学と宗教の行き着く先は同じ

 

そもそも神とは何でしょうか。

昔から、人類は神を信じ、その存在を証明しようと躍起になってきました。

なぜ人類は、こんなにも神に憧れ、神に魅せられるのでしょうか。

それは、神の存在そのものが人類の生命に宿っているからです。

人類は、誰しもが意識を持っています。 心も持っています。 

感情も持っています。 思考も持っています。

だが、神を自らの生命の中に宿していることに対しては、誰も気づきません。

判ってはいないのです。

今日まで人類は、神秘なるものを内に見出さずして、外に向って求めつづけてきました。

宗教も科学も、外に外に、さらに外に向って探究しつづけてきました。

しかし、もっともっとさらに追及しつづけていくと、結局は内に到達してゆくものです。

内なる宝庫に到達し、科学が求めつづけていたものと、宗教が探究しつづけていたものが一致するに至るのです。

科学も宗教も本来、人間が無限なる可能性を持っている事実に行き着くためのものです。

そして人類は皆、すべての能力を初めから与えられていたことに気づくのです。






       
「果因説」 西園寺昌美  白光出版




 

 

肉親的愛情をもった神(守護霊、守護神)

   

肉体人間の私たちが守ってくださっている守護霊、守護神さまから充分な光をいただいていたのなら、受取っていたのなら

幽界からのオバケちゃんに振り回される、惑わされることはないのです。

守護霊守護神さまは、私たちの想いを消すことが出来るのです。

マイナスの想いが襲いそうになった瞬間(とき)

光を当てて、スッと消してくださるのです。

先日、妻の親友のご主人が自ら命を絶たれたという話をしましたが、そこまでいってしまうのは守護霊(以下は守護神は省きます)からの光が届いていないのです。

幽界のおばけちゃんとは霊界神界に行けずに迷っている霊たちです。

霊というのは本来は神さまのことなので、幽界の霊たちもほんとうは神霊なのですが、悟っていないためにその段階にないためにそのような姿になっているのです。

幽界のおばけちゃんは、自分たちの力を強めたいために肉体界にいる人間たちを自分たちの世界に呼びこもうとしています。

悟らないうちに、迷っているうちに引っぱりこもうとしているのです。

もちろん守護霊たちはそのようなことをさせないように必死に光を送っています。

しかし、本人が守護霊たちに意識を向けていないので非常に届きにくいのです。

光が弱い、逆にいえば幽界の力が勝っていたことになります。

今は業想念、カルマのエネルギーが幅をきかせていて闇が深くなっています。

悲しいかな私たち肉体人間だけの想いの力(念力や根性論など)では肉体界を明るくすることはできないのです。

完全無力です。

今の時代は、文明が最高に発達した時代なのかもしれません。(進化した星から観ればまだまだ幼いのですが)

科学だけで充分幸せに生きていけると思っているのかもしれません。

しかし霊界神界から観れば、肉体界はとんでもなく幼稚(精神的に)な世界なのです。

そのことが人間にはわかっていない

人間はもっと謙虚になって

自分たちの無知、無力を認めて

「守護霊さま守護神さま助けてください私たちでは自分のことも肉体界全体のこともどうにもすることはできません」 と素直に求めればいいと思うのです。

今までは、守護霊さん(親しみを込めてさんづけでもいいと思います)の存在をよく知らなかった、感じていても確証がなかった(確証なんてものはいりませんが)

目には見えなくても

いらっしゃると思ってお願いをすればいいのです。

感謝をすればいいのだと思います。

そうしているうち守護霊さんたちの存在がきっとわかってくると思います。

見えないものを信じられる人は、幸せな人なのです。


 




肉親的愛情をもった神

 



守護霊、守護神とただいっただけでは、やはり実感としてピンとこない。

この守護霊や守護神が、自分たちと同じように人間的愛情をもった、しかも自分とつながり深い親の親、つまり祖先の悟った力のある人、あるいは生まれる前から自分につききりで観ているくれる愛情をもった神、でなければならない。

何があっても自分をまっさきに救ってくれる肉親的愛情の所有者である神が必要なのである。

私はこうした神を、守護神として改めて民衆に発表した。

そしてその下に真実肉親として系図を見ればわかるような祖先を守護霊としてははっきり認識させるように教えている。

今まで何となく漠然としていた守護神、守護霊を各自が、自分のものとして暖かい想いでつかり得るように示したのである。

 

    

         「日々の祈り」 五井昌久 白光出版






 

歯は一日で治る

 



 
目からウロコとはこのことです。

私は歯に対して不安を持っていました。

“歯磨きをすると出血することが多い”

“冷たいものを飲むと沁みることがある”

“歯がグラグラとグラつくことがある”

“歯磨きも丁寧にやっているとはいえない”

“歯垢も取っていない定期検診も受けていない”

これに加えて私の父は歯が弱く私の年齢(55歳)のときには総入れ歯でした。

私はそこまでひどくなく虫歯の治療を5本ほどしたくらいで抜歯は一本もしていないのです。(かなりましかな?)

でも不安はありました。これらの症状が時々現われて歯に対して自信がなかったのです。

けれど于先生(私のメンター)に薦められて読んだこの本にすべての答が書いてあり

ました。

「血が出ても大丈夫なんだ、健康な証拠なんだ」

「自然治癒で歯の痛み(冷たいと感じる)は治るんだ」

「歯間ブラシと指先マッサージで充分なんだ」

「シソーノーローも怖くない、自分で手入れ出来るんだ」

「歯垢は一日で取れるそれ以上の日をかける歯医者にはいかなくていい」(自分の時

間の都合で短時間に分ける場合は別ですが)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

などなど、他にもいろいろとよい情報、腑に落ちる情報?安心する情報が書かれてい

るのですが、後はご自分でこの本を買って読んでください。

とにかく歯を抜くなんてとんでもないことだということがわかりました。

しかし巷の多くの歯医者さんは、残すよりも抜こうとする(今は歯科医師会も残そうと

いう考えに変わっているそうですが)

それはなぜか?

抜くと儲かるからだそうです。

そして保険医が保険のきかない保険外治療を勧める歯医者さんはとんでもない

藪医者だそうです。

患者さんの幸せよりも健康よりも、自分の儲けを優先させる歯医者さんは今後淘汰

されていくと思います。

悪徳業者、悪徳医はインターネットによって徐々に無くなっていくのです。

それは、これらの人たちが非難されるからではありません。


私たち患者、消費者が賢くなって、それらの人たちに近づかなくなるからです。

良い情報はどんどんネットに流れるべきだと思います。

歯に関して 「何の不安もない」 という人はほとんどいないと思います。

ご家族の方、知人の方で歯のことで困っている人は周りにたくさんいらっしゃると

思います。

あなたが読んで是非、教えてあげてください。

きっと感謝してくれると思いますよ。

下記に本の中から響いた文章を抜粋します。

よかったら参考にしてください。




  

あなたもシソーノーローといわれたことがありませんか?

「シソーノーローですな、すぐ抜きましょう」

竹内和子(30歳・愛知県)は、いきなりこういわれて仰天した。

「先生、私は歯石をとっていただきたくて来たのですが」 おずおずときく和子さん

にたいして、歯科医は急に怒りだした。

「歯垢がつくのはシソーノローだから、シソーノーローを治すのは抜歯。歯を抜いち

まえば、歯石なんかつかないんだ」

そりゃそうだ、そりゃそうだけれど、自分の歯をたいせつにしたいから、こうしてグラ

グラする前に、治療を受けにきたのではないか。

抜かれたくない、どうすれば抜かれずにこの椅子をおりられるのだろう。 なんとか

時間をかせいで焦るのに追いうちをかけて、

「アンタ、歯を磨くと血が出るだろう。朝起きたとき、口の中ネバネバしてるだろう。

それがシソーノーローの何よりの証拠なんだ。レントゲン写真でも骨がなくなっている。

早めに抜いたほうが、それだけ入れ歯に早く慣れて総入れ歯になったとき楽なんだ」

こわいですネェ。まだ全部、自分の歯があるのに、総入れ歯の話がでてくる。

「あのう、なんとか抜かないで治す方法はないんでしょうか」

「手術がある。たいへんな手術だョ。痛いし、時間がかかるし、費用も一千万だ。

アンタそれだけの額を用意できるかネ?」

抜きたくない。だけど一千万円なんて、とても支払いきれない。思いあまった末、

知多半島から長野の在所(実家)に、生後一年の子どもを預け、東京駅前の私の

診療室を訪れたのが、昭和52年のことであった。

シソーノーローだから歯石がつくのではない。歯石がつくから歯肉が正常でなくな

るのだ。

私のところでは、歯垢をとりのぞいただけ。そのあと毎日、ヒマをみつけては、自分

の指で歯肉をこすってもらうことにした。

これはリンゴの皮を指先でこすったとき “キュッ、キュッ” と音がする、あのくらい

の感じになるまで、よくマッサージに並行して、食後の掃除をしてもらう。

歯を磨いたときに血が出るのは生きている証拠なのだ。

歯を磨いて歯肉から出血するのをすべて健康とは申しかねるが、出血したらシソ

ーノーローというのも短絡すぎる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この名古屋のご婦人は、あれから6年すべての歯を一本も抜くことなしに、もちろ

ん手術らしい手術もせず、指のマッサージと歯ブラシと定期検診だけで爽快に噛

んでいる。

いったいあのシソーノーロー抜歯のご託宣は、なんだったのだ。

自分の指先一本の手当てによる全快の例は、私の診療室ではゴロゴロ転がっ

ている。

 

 「歯は一日で治る」 谷口 清著 ルネッサンス・アイ (自分の歯を守る驚異の根菅治療法)

 
 

関連ブログ 「目は1分で良くなる!」
 

http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-8a73.html


 
 



 



 

 
  


  




  

2014年1月11日 (土)

宗教の極意


 
タイトルにスバリ宗教という文字を書いてしまうとその言葉だけで拒絶反応を起こす人もいるようです。

そういう私自身もお釈迦さまやキリストさまは大好きなのですが、お二人が亡くなられた後の弟子たちによってつくられた今の宗教には納得してはいないのです。

それは宗教という宗(もと)、根本の教えが違うものになってしまっているからなのです。

宗教戦争や争いなどは、その間違った者どうしが

「私たちの宗教が正しいのだ」

「そちらの神は本物ではない」

と言い争っているのであって、どうにもこうにもしようがないのです。(すべての宗教がそうではありませんが)

それらの邪教とお釈迦様の仏教、キリストさまのキリスト教が一緒に考えられているのだから一般の人が宗教嫌いになるのは当然なのです。

宗教とは、先ほどにも書きましたが宗(もと)の教えという意味です。

宗(もと)というのはすなわち宇宙のこと、宇宙の法則を示しているのが本当の宗教です。

お釈迦さまもキリストさまも地球よりももっともっと進化した星である金星の高い意識(エネルギー)を地球に降ろしてきたのです。

四次元、五次元、いや多次元の高い教え(意識)でしか地球の低い意識(3次元)を救うことなど出来なかったのです。

そして宗教とは、私は真理という言葉に置き換えられると思うのです。

真理も宇宙の理念であり、高い教えなのです。

話が長くなりましたが、少し不思議な話をします。

今私たちの目の前に現われている現象は、今のものではなく過去(過去世)の想念や行為したことが時を経て現われているのです。

つまり過去世のことが映像になって目の前で流れていると思ったらいいでしょう。

たとえば、今私たちが見ている空に輝いている星は、今の瞬間光った星の光ではなく過去に光った光を見ているのです。

その星はもう無いのかもしれません。

この肉体も実は過去の残骸、幻影なのです。

想いのエネルギーでつくられたものです。(過去世を含む)

では、自分が今想っていること、行為していることはいつ現われるのか?

それはもちろん未来の世界です。

だから過去や現在に現われていることなどはどうでもいいのです。

私たちがこだわっている過去や現在にとらわれるのは、消えてゆくもの幻をつかんでいることになるのです。

本当の現在は未来(神界)にあるのです。

世界平和の祈りは未来に波長を合わせる時空を超えたエネルギーの言霊です。

だから過去(潜在意識)が早く消え、素晴らしい未来がすぐにやって来るのです。


 

 
 宗教の極意

 

人間は現在現われているすべての状態を、実際に起こっている状態と思いがちですが、今、現われている状態というのは、過去において、人間の心の波のなかにあった状態が、今消えてゆこうとして現われているので、そうした消えてゆく姿を把えて、どうのこうのといっていることは、ちょうど幻影をつかんで騒いでいるのと同じことなのです。

この真理を知ることが宗教の極意でもあるのです。

今、私たちが想念し、行為していることは、未来の世界にその結果が現われてくるのですから、過去の現われである現在の状態は、すべて消えてゆく姿と観じて、今、世界平和の祈り一念で生きてゆくことこそ、唯一無二の賢明なる生き方となるのです。





        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版





  

 

調和波動(宇宙天使からの贈り物)


 

今日は私の実践している調和波動気功法をご紹介します。

私は、日常生活の中で意識が下がったとき、ネガティブになったとき、マイナス想念の渦の中に入りそうになったときに

真理の本を開くようにしています。

その中でもエネルギーの強い本、意識がすぐに上がる本が『調和波動気功法』 于寿明著 三晃書房 なのです。

この本を読むと、自分が天地を貫いていることをすぐに意識(イメージ)できるのです。

イメージした時点ですでにそうなっている、貫いています・・・・・

貫けばその瞬間に宇宙からの無限次元のプラスのエネルギーが自分の肉体に入ってくる。

枯渇した空っぽになってしまった心身共に疲弊した肉体という器にいきなり溢れんばかりのプラスのエネルギーが入ってくるのです。

それも タダ(無料)で 

こんなお得なことはありません(笑)

ここに調和波動気功法の本の中から宇宙と共鳴するメソッドが書かれた箇所を抜粋してご紹介します。

読まれていて、意味がわかるところとわからないところがあると思います。

無理に理解する必要はありません。

読み流すだけでよいです。

それだけでも充分に波動(プラスのエネルギー)はあなたの器を流れていきます。

 




《 調和波動 》
 


天地を貫く光の柱(波動)に感謝することにより、穏やかな、平和な、静かな、調和のとれた気持ち(波動)に修正する。

無限小に、消えてゆく姿に感謝し

無限大に、光り輝く光に感謝する。

     過去     現在   未来

現在、調和波動に感謝し、祈りをすることによってのみ

過去の、因縁を消すことができ、そのことによってのみ

未来を、輝かしいものに変えることができるのである。

したがって、現在という時点での、想念行為の積み重ねが重要になってくる。

祈りにはいろいろあるが、調和波動気功法では、人類に願いでもある、世界平和の祈りを取り入れている。

世界平和の祈り

 世界人類が平和でありますように

 日本が平和でありますように

 私たちの天命がまっとうされますように

 守護霊様、守護神様、ありがとうございます。
 

祈りが深くなると、太い光の柱に入れる。

①  入ったとイメージする。

②  守護霊様、守護神様に感謝する。

③ 世界平和の祈りをする。


祈りの場所はどこでもよいが、エネルギーを貯めておくことにより、疲れたときなどは、そこに居るだけで浄まることができる。

 

1 祈り

○ 時々、祈る。

○ 気がついたら祈る。

○ 祈り続ける。

○ すべてに感謝して祈る。

○ 守護の神霊に祈る。

○ 世界平和の祈りをする。

○ 四次元の言葉を唱える。

   無限なる愛

   無限なる平和

   無限なる調和 など。

 

2 リラックスする。

 

○ 水浴びをする。

○ 自然に親しむ。

○ 気が鎮まる所へ行く。

○ 音楽を聴く。

○ 平常心を保つ練習を行う。

○ 不動心を身につける。

○ とらわれない心を身につける。

○ 息を細く、長く吐く。

○ スポーツをする。 体をもみほぐす。

○ 毎日、朝・晩・寝る前に、徹底的に祈る。

○ 食べすぎず、時には、絶食をする。

○ 物事を、宇宙的に・人類的に考える。

○ 人を喜ばすことを考える。

○ 偉人の本を読む。

○ 静かな人(暗い人ではない)と付き合う。

○ 自己を常にチェックする。(考え方、爽やかさ、目的 etc)

○ 自らを信じるが、すべて自分が正しいとは思わない。

○ 自分一人に負担をかけない。(自分を大切にする。)

○ 機が熟すのを待つ。

○ 未来の夢・希望など、明るい、素晴らしい状態をイメージする。

○ 肉体的感情だけを満たすことに焦点を合わせず、魂的成長も加味して物事を決める。

○ 本も、未来のためになるものを選ぶ。 人に害を与えないもの、宇宙の真理・人間の真理を説いたものなど。

○ 自由自在心になる。

○ 直観力を養う。 そのために、常に気持ちをスッキリさせる。

  不動心、平静心、良くなるという善念をもつ。

○ むやみに自分の気・力を出さない。

○ 何事が起きても、感謝の気持ちを忘れない。
 

   『調和波動気功法』 于寿明 三晃書房   

 

調和波動気功法(1月19日(日)調和波動気功法セミナー(ゴールデンドア)が行われます詳しくはHPをご覧ください)  http://www.harmony-wave.jp/

 


オーラ・オーラ (波動調整の方法を指導してくれます)

http://auraaura7.com/

 


ビッグ・ハート (yuka姉さんのブログ更新もうしばらくお待ちください)

http://big-heart51.com/




 



 

“の” の字の哲学



私が勤めているノートルダム清心女子大学では、卒業間近の学生が神父さまのお話しを

聞く時間があります。

弁護士の資格も持つ神父さまは 「僕は神父で結婚していませんが、弁護士としてさまざ

まなご夫婦の相談を受けます。

 そこで、あなた方に夫婦円満の秘訣を教えます」

と話し始められました(30年ほど前ですから、今と違って早く結婚する人が多かった頃で

す)。

「もし、夫が仕事から帰って 『あぁ 疲れた』 といったら、『疲れたの?』 といってあげてく

ださい。

夏 『暑かった』 と帰宅したら、『暑かったの?』 といってください。

これが “の” の字の哲学です」 とおっしゃいました。

「相手が 『疲れた』 といった時に 『私だって疲れています』 とか、

『暑かった』という言葉に

 『夏だから当然よ』 といえば喧嘩になります。

まず、相手の気持ちを受け止めてください。自分の言い分もあるでしょう。

しかし、その気持ちを少し抑えて相手の気持ちになる。

それがとても大事なのです」 と、おっしゃっていました。

これは私たちにとっても大切なことです。

例えば、友だちの話の途中で、自分が話し始めていませんか?

これは “の” の哲学をしていないことになります。

時には、それなりの応対をしなければならない場合もありますが、相手の気持ちを思いや

り、ぬくもりのある応対をしましょう。

“不親切ではない” ことに甘んじないで “親切” を心がけましょう。

“冷たくない” だけでは不十分です。

“ぬくもりのある” 応対が求められています。
 




自分の言い分を少し抑えて、まず相手の気持ちを受け止める。

「の?」 というひと言で相手の気持ちに寄り添う。

気持ちが寄り添えば、二人の間に 「ぬくもり」 が生まれる。
 

  「面倒だから、しよう」 渡辺和子(ノートルダム清心女学園理事長)幻冬舎




 

 

嫌いな相手でも、その価値は否定しない

  

今読んでいる本のタイトルは、「面倒だから、しよう」 です。

タイトルだけを読むと面倒くさがりの人がお気楽に生きていることを書いている本なのか?と思ってしまいますが、実際に本を読んでみてその違いに驚かされたのです。

面倒くさいことが起こる そこでまず損か得かを考える

面倒くさいことが起こる やりたいかやりたくないかを考える

面倒くさいことが起こる ・・・・・結局 楽な方に逃げる

そして私たちは、「今日一日、つまらない日を送ってしまった」 と嘆く(反省する)のです。

「これ面倒だな? どうしようかな?」

だれでも悩むと思うのです。

しかし、「ウーン?」 と考えている時間はそんなにはありません。

ほぼ瞬間で判断しなければならない

今だったらどちらでも選べる・・・・

だったら少々損なことであっても

楽な方に逃げたいと思っても

怠惰な自分が襲って来たとしても

人に喜ばれること

後から 「自分って案外にいい奴だったんだな」

と思えるようなこと

気持ちがスッキリするようなことを選べばいいと思うのです。

それはちっぽけな選択かもしれません。

しかしその選択がその人の心の中をつくっていくのだと思います。

この本の中で、教室を出て行った学生が戻って来て

机の上にちらかした消しゴムのカスをティッシュで綺麗に拭き取って帰って行ったという文章がありました。

この学生も迷ったと思うのです。

「あっしまった消しゴムのカスをふき取るのを忘れていた、どうしよう、面倒くさいな、今から戻ったらみんなどう思うかな? 恰好悪いかな?止めようかな?」・・・・・

しかしそこでスッキリすることを優先させるのです。

モヤモヤすることより スッキリさせることを大切にする

自分の中の神性(美しい部分)に焦点を合わせる

それが 心の美しさ をつくっていくことであると著者の渡辺さんは述べておられるのです。

怠惰になりそうな自分

面倒くさがり屋の自分は

誰もが持っているもの

そこで小さな勇気を出すかどうか?

「面倒だから、 やめよう」

ではなく

「面倒だから、 しよう」

・・・・・・・・・・・・・・

雲泥(天と地ほど)の差がありますよね!


追伸・・・今私が書いた内容と下記の渡辺さんの文章とはあまり関連性がないことをお詫びします。別物として読んでください(笑)









嫌いな相手でも、その価値は否定しない

 



私が教えている大学には、児童学科があります。

その学科の学生たちに、なぜその学科を選んだかと尋ねますと、「子どもが好きだから」 と答えます。

それに対して私は、「それも結構です。 けれども、好きなだけでは子どもたちと接することはできません。好きだけではなくて愛してください」 と話します。

私たちは、「好き」 と 「愛する」 の違いを知らないといけないのです。

愛するということは、対象の価値に惹かれていくということです。

例えば、暑い時は日陰に惹かれ、寒い時は日向に惹かれていくように、自然に惹かれていくもの。

誰かを愛するということは、その人に魅力を見つけて、それに惹かれていく。

つまり、相手の価値を知ってそこに惹かれていくことなのです。

私にも、食べ物の好き嫌いはあります。

私はピーマンが好きではありませんが、他の修道女たちの中には、ピーマンが大好きな人もいます。

ピーマンは色とりどりで栄養価も高く、その割に安価というように、さまざまな価値があります。

私には、その価値を否定する権利はありません。

それと同じことが、人間関係でもいえます。

どうしても肌が合わないひとがいます。

しかしながら、もしそうだとしてもその人の存在価値を否定することは許されないのです。

嫌いな相手でも大切にする、否定しない、価値を認めることをやめてはいけないのです。

もう一つ、愛について間違えがちなことがあります。

学生が 「シスター、彼はとても優しいんです」 と私にいいますので、「どう優しいの」 と聞くと、「携帯で連絡すれば、どこでも迎えに来てくれるし、欲しいというと、大抵のものは買ってくれる」。

しかし一人に優しくて、他の人に冷淡だとすれば、それは本当の優しさではありません。

そんな優しさは愛と呼べないのです。

自分の好きなものだけを愛するのであれば、それは自己愛です。

本当の愛は、全世界とのかかわりとしての愛です。

マザー・テレサはとてもいいお手本を示してくださいました。

何の報いも見返りも求めず、人々が見捨てておく孤児、ホームレス、人々が嫌がる病人、貧しい人々に愛を注がれました。

そうした愛が心の中に育っていくことが大事だと思います。

本当の愛と呼ばれるものは厳しいものです。

ドイツの社会心理学者である エーリッヒ・フロムは、「愛というものは、単なる情熱ではない。それは一つの決意であり、判断であり、約束である」 と述べています。

私は相手の何を愛しているのか、私の何が愛されているのか、それがなくなった時も相手を愛し続けることができるのか、という醒めた眼で客観的に判断する。

そのうえで忘れていけないのが温かい心、相手を許す心なのです。

 

 「醒めた眼」 と 「温かい心」 を持つ。

愛は時に盲目にする。 冷静な判断と、相手を受け入れる優しさの二つがあってこそ、愛に満ちた人生を送れる。

      「面倒だから、しよう」 渡辺 和子  幻冬舎



 

 

2014年1月10日 (金)

ありがたいもの


 

苦しみが教えてくれる幸せ


 

ある卒業生が、三年ほど入院し、ようやく外出許可がもらえた時、

「今の私はあたりまえがすべて輝いて見えます」 という手紙を書いてくれました。

その人は苦しみを通して、あたりまえはあたりまえではなく、ありがたいものであることに気付き始めたのです。

飽食の時代、ものが溢れる中で生きている私たちは、ものがあるのはあたりまえだと思っています。

「いつまでもあると思うな親と金」 といいますが、失ってしまう前に、あたりまえの価値に気付いてほしいのです。

今、有るものは有り難い、あることはむずかしいものだと気付いてほしいのです。

そうすると人間幸せになります。

幸せとは、よいものに囲まれている時に存在するからです。

そして幸せは、客観的に何があるか、どういう状況にあるかだけではなくて、それをありがたいと見るかどうかにかかっています。

あたりまえではなくて、ありがたいものだと気付けば、幸せの度合いは高まります。

往々にして苦しみは刺激となって、それまでの弛んでしまった自分に、あたりまえを輝いたものとして見せてくれる効果を持っています。

苦しみそのものを決していいとは思いません。

しかし人間は不完全です。

不完全な者には必ず苦しみがあります。

強い(本当に芯の強い、雪がどれほど積もっても、たわみこそすれ、折れない竹のような)人間になるためには、逃げないで苦しみを受け止め、それを土台として、苦しみさえも愛せる愛への成長を遂げていくことが大切なのです。


 

 「面倒だから しよう」 渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)  幻冬舎




 

 

小さなことに大きな愛をこめて

小さなことに大きな愛をこめて




「愛は溢れゆく」 といわれています。

一人の長距離トラックの運転手が、自分の体験を新聞に投書していました。

「その日は、自分で夜通し運転し続けて、あと少しで目的地に到着するはずでした。

朝の七時頃だったでしょうか、目の前を一人の少年が、黄色い旗を手にして横断歩道を渡り始めたのです」

運転手は疲れもあってでしょう。 いまいましく思い、急ブレーキをかけてトラックをとめました。

ところが、その小学生は渡り終えた時、高い運転台を見上げて、運転手に軽く頭を下げ

「ありがとう」といったのだそうです。

「私は恥ずかしかった。 そして決心したのです。 これからは横断歩道の前では徐行しよう。 そして、もし道を渡る人がいたら、渡り終わるまで待ち、笑顔で見送ろう」

ほほえみ、優しさ、愛は、このようにつながってゆき、溢れてゆくのです。

運転手に笑顔で見送られた人は、嬉しくなって、多分、言葉も、態度も、その日一日優しくなったことでしょう。

マザー・テレサがいわれました。

「自分がしていることは、一滴の水のように小さなことかもしれないが、この一滴なしには大海は成り立たないのですよ」

さらに、「自分は、いわゆる偉大なことはできないが、小さなことの一つ一つに、大きな愛をこめることはできます」。

小学生の笑顔と、 「ありがとう」 の一言は、それ自体は小さな行いです。

しかし、それが次の人につながっていって、相手の心を優しくし、その優しさが溢れていって、社会に、家庭に、平和を作り出してゆくのではないでしょうか。

 

 「面倒だから、しよう」 渡辺 和子 (ノートルダム清心学園理事長) 幻冬舎




 

 

心に響く文章


    
インターネットが出来た目的は何かというと世界を一つにするということ

「世界を平和にするためだ」 とビルゲイツは言っています。

世界中に網羅されたネットワークをバラバラになった人類を一つにすることが創始者の理念だったのです。

人間とは、宇宙の一つの光から分かれた分け御霊(みたま)なのです。

元を正せば、一つだった

海がつながっているように 空が一つであるように 私たちも同じ光から分かれて地上に降りて来たのです。

そしてあなたと私は違う人だと思い込むようになってしまった

自分を守るために相手を攻撃するようになってしまった

二元対立してしまった

そして地球も人間もおかしくなってしまった・・・・・

しかしインターネットが出来て

また本来の人間の姿に戻ろうとしているのです。

セパレート(分離)からユニティ(合一)の時代に・・・・・

だがしかしインターネットには、玉石混交、キラリと光る本物もあれば、汚れきった偽物もある。

いやマイナスのことを述べているものや騙しのものの方が多いかもしれません。

そしてたくさんの情報が氾濫し過ぎているのです。

私たちはこの中から自分に必要な情報だけをチョイスして

真理のエキス(本物の宝石、光)だけを身に付けて

余分なものは排除していかなければなりません。

そんなこと出来るのだろうか?

汚いもの(業、カルマ)まで合わせ飲んでしまっているのではないか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・

でも大丈夫です。

私たちの肉体は徐々に審神(さにわ)出来るようになって来ているのです。

審神(さにわ)とは、それが本物か偽物が正しいのか間違ったものなのかを見抜く力です。

審神とは

神界から来たものか?

幽界のオバケちゃんがいたずらしたものなのかを判別するということです。

ただし、この力(審神力)を持つ人には個人差があります。

早く持てる人と後から持つ人とに分かれるのです。

宇宙と直結している人はすでに持っている人です。(お釈迦さまやキリストさま)

世界平和の祈りを祈って宇宙と共鳴し始めた人も直観として審神力が与えられます。

しかし、縦(天)につながっていない人は、一番最後に与えられるのです。

だから幸せは最後にやってくることになるのです。

早く幸せになるためには

キラリと輝いた宝石のようなページ(サイト)とつながることが不可欠なのです。

そことつながると安心感が生まれてきます。

そこを訪問するだけで幸せな気持ちになれるのです。

それはそこが波動(エネルギー)が良いからです。

一日に何度も訪れたくなるようなサイト

心が洗われるようになるようなサイト

ポジティブになれるようなサイト

マイナスがプラスに転換するようなサイト

そんなサイトが増えれば、たくさんの人が元気になってゆくのです。(そして真理に目覚め縦につながっていく)

そしてネガティブなマイナスを書いている、掲載しているサイトは淘汰されてゆくのです。

これからはそんな時代になっていきます。

私は最後まで残っているようなそんなブログを書いていきたいと思っています。

なんだか話が長くなってしまいました(笑)

下記の2つの文章は私が大好きで何度も何度も掲載しているものです。

くじけそうになったときや

わかってもらえなくて

自暴自棄になりそうになったときに

自然にひも解いています。

死を考えている人、絶望感に打ちひしがれている人は

是非、読んでください。

辛いのはあなただけではないのです。

今はみんなが苦しいのです。


 

 

1.正岡子規は 「さとりとは、いかなる場合にも平気で死ぬことかと思っていたのはまちがいで、さとりとは、いかなる場合にも平気で生きていることであった」

といっている。

全くその通りであって、完全に生をまっとうすることによって、はじめて死をもまっとう出来得るものである。 

生を逃避することによって、死への恐怖を拭い去ることは不可能である。

生への恐怖を乗り越えることによって、死への不安はまったく無くなる。

生と死とは別のものではなく全く一つのものである。

 

 

1.私は釈尊(お釈迦さま)の次の言葉が好きである。

「沈黙しているものも非難され、多くを語るのも非難され、少しを語るのも非難される。 世に非難されない者はいない」

この世に生ある限り、何をしても人は非難の目、嫉妬の目をもって他人を見つづけるのである。 人の目を気にして生きていたならば、自分の身が持たない。

天の目を気にして生きてゆくことだ。

 
 

   「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版

 

 

2014年1月 9日 (木)

守護霊さまは私たちを必死で助けようとされている

 

わたくし事ですが、私の妻の親友の夫が先日、自らの命を絶ちました。

私は一度お目にかかっただけですが、ちょっと線の細い(気の弱そうな)優しい目をしたおとなしそうな人でした。

仕事がうまくいかず、お酒に逃げてアルコール中毒になって暴れて、奥さんや子どもさんは家を出て離れたところから見ていたそうです。(離婚はしていませんでした)

自暴自棄になって、何度も 「死ぬ!」 と言っては助けられたりして、今回も狂言だと思っていたらほんとに死んでいたのだそうです。

とうぜん 奥さんは相当なショックを受けていたそうです。

親友だった妻は、なんと言って声をかけていいかわからず言葉を探していました。

そのショックの大きさは私にも伝わってきました。

人間にはいろんな亡くなり方がありますが、自らが命を絶つとはどういう意味があるのでしょう?

そして、魂の親である守護霊さまは、そのときどうしていたのでしょう?

なにもせずにただ見ていたのでしょうか?

いいえそうではないのです。

必死に光を送ってなんとかやめさせようとしていたのです。

思い止まらせようとしていたのです。

だがしかし、魂を覆っている業(カルマ)があまりにも厚過ぎて光が届かなかったのです。

 守護霊さまとは、悟った先祖の霊であり、亡くなったお祖父さんやお祖母さん、またはその上の曽祖父、曽祖母であったりするのです。

亡くなった後で霊界や神界で修行をして、悟ってからやっと守ることが許されるのです。

だから孫たちがかわいくないはずがないのです。

誰よりも孫たちの幸せを願っている

その孫が自ら命を絶とうとしている・・・・・

もし 光が届いていたのなら

「あれっ俺はなんてバカなことを考えていたのだろう」 と我に帰るのです。

しかしその人の思いがあまりにもネガティブであるとその光も届かないのです。

業(カルマ)を益々覆ってしまうからです。

いかに日頃の想念が大切であるかということです。

日頃何を想っているかで 人の人生は、運命は決まってくるのです。

そして、私たちを二十四時間プラスαで夜も寝ずに見守ってくださっている

守護霊さま守護神さまに感謝を念を向けることが大切です。

守護霊さまは私たちに真理を伝えようとされています。

私たち人間はあまりにも宇宙の法則や目にみえない世界のことを知らなさ過ぎるのです。

あまりにも無知なのです。

下記の文章を読んでいるとジーンとしてきます。(27の言葉から2つを抜粋しました)

私たち人間は、誰一人として守護霊守護神に守られていない人なんていないのです。

守護霊は3体 守護神は1体 必ずおられるのです。

私たちが守護霊、守護神に意識を向け、感謝の気持ちを送っていると非常に守りやすくなるそうです。


 

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

  



20、

あなたは常に幸せを願うのだ。
 
あなたは常に神の無限なる能力を信ずるのだ。
 
あなたは常に調和を愛するのだ。
 
私はあなたのその望みにむかって全精力を傾けて、その実現のためにわがエネルギーをフルにあなたの心の中に注ぎこんでいるのだ。
 
だが、あなたの望みが常に暗く悲しく絶望的であるならば、その方向にむかってわがエネルギーを注ぎ込むことは、不可能である。
 
あなたの考えが明るく積極的な希望に満ち溢れたものに変わるよう、エネルギーを注ぎこむのであるが、そのエネルギーの消費量は並大抵ではない。
 
もともと+(プラス)の考え方を更に+(プラス)の方向に導き、この世に実現可能にせしめることは、宇宙の法則通りに実に簡単で無駄なエネルギーを消失しないものであるが、-(マイナス)の思考を+(プラス)に方向転換させることは、前者の何万倍ものエネルギーが消失されるものである。
 
 
常にあなたの考えを+(プラス)の方向に向けて生きて下さい。



 

24、

あなたの長い間にわたる苦しみは私にはわかっている。
 
あなたの悲しみや痛みも私にはすべてわかっている。
 
そして更に今あなたの上に投げかけられている不安恐怖、今のあなたの立場ではどうしようもないのもわかっている。
 
私はいつでもあなたの心の叫びを聞き、訴えを聞き、その問題解決が一刻も早からんことを願い奔走しているのである。
 
だがあなたはこの私の心を知ってか知らないでか、常に自分自身の肉体の力でのりこえようともがいている。
 
だがよく聞いて欲しい、もはや肉体界でトラブルが現われはじめたということは、もう何年も、いや何千年も前に幽界で現れていたことを。

幽界で浄めることが全くできなかったが為に、この肉体界に現れはじめたのであるということを。

そのためにはまず幽界を浄め去るのが先決である。

それが出来るのはこの私である。

霊なる力で、霊なる光で、幽界を浄めれば、自ずと肉体界のすべてのトラブルは自然に解決されるものである。

私に頼りなさい。私を信じなさい。あなたが夢をみているその時ですら、私は闇を光に変える働きをあなたの為にしているのです。

あなたはあなた一人で生くるに非ず、私の生命と共にあって生くるなり。




 

   「守護霊守護神に代わってあなたに語る」より  西園寺昌美 




   

過去を浄化しなければ明るい未来はやって来ないのです。


明るい未来がやって来ようとしているのを阻んでいるのは、まぎれもなく過去への執着なのです。

過去をしっかりと掴んで放さないのです。

“昨日、嫌なことがあった、嫌なことを言われた、あいつを赦せない、過去において辛いことがあったそのことが忘れられない、あの忌まわしいことがなかったのならば今頃私は幸せになっていたのに、学生のときにもっと勉強をしていればもっといい生活が出来たのに、あのときにあの人を選んでいたらこんなに貧乏はせずに済んだのに・・・・・・・”


想うこと、考えることのほとんどは過去のことばかり、過去を悔んで生きている

考えてもしかたがないことはわかっている

前を向いて未来に意識を向けなければいけないこともわかっている

だがしかし、脳裏に浮かんでくるのは過去のことばかり

想わないようにしよう 考えないようにしようと想っても

なぜか消えていかないのです。

それはそうです、潜在意識の中にインプットされたものが今、顕在意識として顕われて来ているのです。

止めようとしても止められないのです。

しかし止めてもダメなのです。

消さないとまた今想ったことも録音されて後で出て来る

その繰り返しです。

人間は、過去をすべて消していかないと絶対に幸せにはなれないのです。

はたして肉体人間に消すことは出来るのか?

出来ません!

消すことが出来るのは、幽界(潜在意識の世界)の奥にある霊界にいらっしゃる守護霊さまと神界におられる守護神さまです。

守護霊さまは霊界から守護神さまは神界から幽界を浄めることが出来るのです。

守護霊さまと守護神さまのご加護は他力です。

そして肉体人間の自分に出来るのは、世界平和の祈りを祈ること、印を組むことです。

世界平和の祈ること、印を組むことで宇宙神とつながります。

すると宇宙からの無限のプラスのエネルギーが肉体界の肉体(自分)に入って来るのです。

宇宙のエネルギーは時空を超えています。

だから過去の潜在意識も消えてゆくのです。

これは自力です。

自力と他力の両方があって初めて、過去、過去世の因縁生(悪想念)が消えてゆくのです。

綺麗に消えてしまうと人間は未来の方に意識を向けるようになれるのです。

過去のことは消え去ったので想い起すことは無くなるのです。

想いはエネルギーなので過去へ向かっていたエネルギーは消滅するのです。
 




世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます

我即神也

人類即神也

印の組み方

http://www.byakko.or.jp/4_method/in.html



 

 

1.人間は誰でも等しく、二十年前、十年前、数年前に為してきた行動にたいしては、今日もまたその責任を持たねばならない。

時がすでに過ぎ去ったとしても、過去のその行動は、決して消え去ったわけではない。

が もうすでに過ぎ去ってしまった過去の行動に対して、一体どのようにして責任を持てばよいのであろうか。

タイムトンネルの如く、過去の時代に戻り、そこで改めて犯した言葉や行動を悔い改め、反省し、新しく作り変えて現在にもどって来られれば一番よい方法なのであるが、今の時代ではそうもゆかない。

それでは、本当に過去の罪を消し去る方法がこの世のあるものだろうか?

それはある。

それは祈ることである。

過去の消えてゆく姿として世界平和の祈りの中に、すべてを投げ入れ、徹底的に祈れば、タイムトンネルで過去にもどり、自らの手で罪を消し、新しく出発出来ると同じように、祈りの力で、祈りの光で、祈りのエネルギーで過去の罪や行動はすべて消すことが可能なのである。

その効果は絶大である。 驚くほどである。

祈らなければ永遠に過去の罪や行動は消えず、現在、未来までもなおその尾は引きつづいてゆく。

世界平和の祈りはすべてのすべてである。

      
2.人の心、人の身は常に不安定である。 心が安定しなければ、それにともなう肉体も不健康である。確固たる信念が無いから、心はつねに揺れ動く。また確固たる信念が無いから、どうやって生きてよいかがわからない。まず第一に人は強くならなければならない。

人の意見、人のうわさ、人の生き方にまどわされずに、自分自身のはっきりした信念でもって、自分自身の生き方を見出してゆかねばならないのに、いつも人の生き方を真似しようとする。
十人十色、どだい人と同じ生き方が出来るはずが無い。何事も自分自身の力によって決定出来る心、決断を下せる心を養うことが大事である。







         「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版



 

超ポジティブな真理の言霊 3


 

1、「弱き心」 とは、自ら問題から逃げ出そうとする、あるいは、誰か他の人が解決してくれるだろうと望む心である。
 

 

1、闇を恐れることはない。闇を照らす光になりなさい。


 
 

1、自分が自分の人生の主人公であることを忘れるな。 人生とは決して人真似ではない。

 



1、21世紀の人類は、自らの生活を限りなく簡素化し、深化させることだ。 21世紀、これからは与えることのみを意識して生きるべきである。

 

1、自分に起こる現象(出来事)のレベルを高めたいのなら、自分の意識(愛の大きさ、深さ、高さ)を高めればよい。

 

1、人間、他と関わって生きていない者は一人も存在しない。

 

1、人を赦す時、実際に赦しているのは自分自身である。

 



1、時の運も、素晴らしき人との出会いも、自らがそれ相応の意識レベルに達した時、それは生じる。

 

1、自分を無くすと、全宇宙が自分である。

 

1、一瞬一瞬に真心と愛を込めて生きてみよう。 すべての状況が輝いてくる。

  

       「日々の指針2」 西園寺昌美  白光出版




 

 

2014年1月 8日 (水)

超ポジティブな真理の言霊 2




1. 他人の言動をコントロールすることは出来ないが、それについての自分の反応をコントロールすることは出来る。


 

1.人間の真の喜びは、自立にあって依存にはない。

 

1.人は本来あるものありのままで満足し、しかもそれで充分なはずである。

 

1.人生に不幸な出来事などはない。 すべては成就に至るまでのプロセスなのだ。 ただし、自分の前に現われた現実を自らが不幸と思うことによって、それは不幸な出来事になってしまうのである。

 

1.逆境にあってこそ、決して他に依存してはならない。 それは自らの内なる神に、そして無限なる可能性に目覚める千載一遇のチャンスである。

 

1. 誰もが予期せぬ出来事を恐れている。 未だ現われていないことを・・・・・。

これらの不要な不安な恐れに 自らの生命エネルギーを注ぎ込むことほど愚かなことはない。



 

1.人生に試練などというものは決してない。 試練と思えばそれが試練となる。 人生の通過点と思えたならばそれは通過していってしまう。
 

1.いかなる状況に立たされても必ず選択の余地はある。

 

1.人は目の前に現われた険しい道を見るのではなく、その延長線上に必ず見え隠れしている 希望と光に満ちた道を目指して歩むべきである。
 

 

1.私は失敗しつつあるのではなく、成功しつつあるのだと考えること。

「自分は成功するだろう」 と考える時、あなたの心は不思議に成功するための解決法を見出してゆく。

 

1.自分をあるがままに受け入れることは大切なこと。 思いきってあるがままの自分になってみよう。


 

 

          「日々の指針 2」 西園寺昌美 白光出版



 

 

 

超ポジティブな真理の言霊

 


 
今の世の中(肉体界)はネガティブなエネルギーが充満しているので知らず知らずのうちに気持ちが落ち込んでいきます。

そして追い打ちをかけるように暗く不安になる情報ばかりが流れてきます。

そんなとき私は、超ポジティブな真理の言葉を聞いて元気を出すようにしています。

真理とは、宇宙からやって来る無限のプラスのエネルギーなのです。 

真理とは、神界(守護神・本心)からのメッセージなのです。

あなたの亡くなった祖先(お祖父さん お祖母さん)、つまり守護霊からの伝言なのです。

ここに選りすぐりの言霊を述べていきます。

みなさん、ネガティブな波動に負けないようにしましょう♪

宇宙(素)と共鳴して素晴らしい日々を過ごしましょう♪

宇宙(素)と直につながって素直に生きていきましょう♪


 




1. 私たちはどんな状況にあっても、最後の一瞬まで人生を創造してゆくことが出来る。

 

1. すべてのすべては、みなつながっている。 一つたりとも孤立したものは存在しない。

 

1. すべての人類は、愛に溢れた言葉、自らを鼓舞する言葉、称賛する言葉、寛容に満ちた言葉、それらの高次元の言葉だけを使うことによって完璧なる輝きと美の世界を創り出すことが出来る。

 

1. 「出来ない」 「もうだめだ」 「でも」 「だって」 「無理だ」 「不可能だ」 「今度する」・・・・などというマイナスの言葉自体に不運を導く力が潜んでいる。

「ありがとう」 「今、すぐしよう」 「必ず出来る」 「絶対大丈夫」 「成就」 「なんて素敵」 「天使のよう」 「神様のよう」 「あたりに輝きを放っている」 「身体中、愛のみの人」・・・・などというプラスの言葉自体に強力な運を導く力が宿っている。

1. 常に光明なる言動を為せば、輝かしい人生が創造されてゆく。

 

1. 自らが一番知らなければならないこと。 それは、自分自身が神性そのものであるということである。

 

1. 自分というものは、他に譲り渡すことが出来ないほどの尊厳と、自分史を魂に刻んで生きる、世界に二人といない尊い存在なのである。

 

1. たとえ未熟な自分、至らない自分であったとしても、真実の自分は完璧な光り輝く存在である。


 
 


1. 貴方は何事も乗り越えられる。

 

1. 人間は、自己の中にすべてが存在し、究極的に必要なすべてが内在しているものなのである (我即神也)。

 
 

1.思いやり、感謝、優しさは人間の本性。

 

 


          「日々の指針 2」 西園寺昌美 白光出版

 

山を愛する人とはどんな人なのでしょうか?

  

私の友人で山を愛している人がいます。

彼はとても穏やかで優しい人なのですが、人に対して寛容(愛深く)になろうとするのなら、その裏返しとして自分に厳しくしないと出来ないと思っているのかもしれません。

彼を見ているとそんな気がするのです。

一歩踏み違えたならそこは谷底で命を落とすかもしれない

判断を誤ったらそこは死への通り道なのかもしれない

そんな生死の境をあえて行くなんてなにかの目的がなくては行けるはずはありません。

その目的とは、言葉では云えなくても 頭ではわかっていなくても

心の奥底ではわかっているのです。

それは、自分を徹底的に見つめて鍛え上げようとしているのだと思うのです。

だから無事登り終えて地上に降りて来たときには

一皮も二皮もむけた ピッカピッカに魂の輝いた彼がいるのです。

「生きているだけでありがたい」

「これからどんなに辛いことや嫌なことがあったとしても生きていける」

そんな心境になっていると思うのです。

そんな彼が愛の薄い人であるはずがありません。

自分に怠惰であるはずがありません。

弱いはずがありません。
 

環境は人を育てるといいますが

まさしく彼の性質は 山が創ったものだといえるでしょう

海には海の役割りがあり

山には山の役割りがある

大自然はただ存在しているだけではなく

私たちの心にも多大な影響を与えてくれているんですね。


海に感謝 山に感謝 大自然に感謝 宇宙に感謝 あらゆるものに感謝 そして 自分に感謝・・・・・

私も

都会の喧騒を忘れて

海や山の波動(エネルギー)に浸ってみたいと思うのであります。

 

山をこよなく愛する人もいます。

山のどんなところが彼らを惹きつけるのでしょうか?


 

山に惹かれる人たちはちょっと独特の価値観を持った人です。

彼らは世俗的な喜びだけでは満足できず、自らを高めるためにあえて自らに困難を貸そうとするのです。

彼らが山に登るのは、究極的には自我を捨て去り真の自己に出会いたいという強い願望からくるのです。

高い山に登るのは、決して容易ではありません。不注意で軽率な態度を取れば、転落の憂き目に遭うことにもなりかねません。

たった一歩の過ちが命を危険にさらします。

すべての細胞を覚醒させて慎重に足を運ばねばなりません。

全身の神経を研ぎ澄まして一歩一歩に意識を集中するということは、一歩一歩山を意識するということでもあります。

自ずと山に対する畏敬の念が芽生えます。

山の波動はいつも峻厳であり、人を慈しむ海や太陽のような暖かく包み込む波動ではないのです。

慈しむあいも峻厳なる愛も、共に大切な愛です。

人類にとって、慈しみの愛だけでは足りません。

また峻厳なる愛だけでも不十分です。

慈しみの愛と峻厳なる愛とが互いに作用し合い、調和してはじめてこの世の愛は完成するのです。

山の持つ峻厳なる愛の響きは宇宙の調和に深く寄与しています。

自然界のものすべては神の法則に色分けされた働きをしながら宇宙法則の秩序の中に組み込まれています。

海も、大地も、風も、雨も、みなそれぞれに違う神の法則のもとに動いているのです。




 

   『地球を癒す人のハンドブック』 西園寺昌美




 

 

2014年1月 7日 (火)

人はなぜ海に惹かれるのでしょうか?

 

 
私たちは海へ出掛け、波の音を聞くと安らぎを覚えます。 人はなぜ海に惹かれるのでしょうか。

 

それは海が私たちに生命の波動、宇宙根源の響きを思い出させてくれるからです。

寄せては返す波の音は、宇宙の響きそのものを伝えています。

私たちがすっかり忘れ去っていた、しかし心の奥では求めつづけていた響きがそこにあるのです。

波は自然の動きそのもので、人工的なものは一切加えられていません。

海自体が自然のエネルギーそのものであり、そのエネルギーが波の動きや音となって私たちに伝わってくるのです。

そのリズムは私たちの肉体の中にも存在しています。

今日、ほとんどの人が、多くのストレスや心配事を抱えて生きています。

その中で心や体のバランスを保ってゆくのは容易なことではありません。

もし、私たちが自分たちの力だけで傷ついた肉体や心を癒そうとすれば、それこそ途方もない努力を積み重ねなければならないでしょう。

しかしそんな時、海に行けば、海は人々をその胸に抱き取り、宇宙が奏でる調和の響きに戻してくれます。

それが海の持つ役目の一つであるのです。

たとえるなら私たちは大海の一滴。 大宇宙の営みの中に一つの生命です。

どんな一滴でも海より生じ海に還るように、人もまた宇宙より生じ宇宙に還ります。

そう考えると、今の人類は宇宙と一つであるという感覚を失ったまま生きているといえます。

宇宙の律動を忘れ去ってしまったのです。

でも、波の音を聞くだけで人は心の故郷に帰ることが出来ます。

心の故郷、それは宇宙の律動、そして神の響きそのものなのです。

人は波の音を通してそれを思い出すのです。

私は宇宙の一員、神から分かれた生命だったのだと。

宇宙にはさまざまな波動が流れています。

しかし、宇宙本来の根源の波動は平和と調和に満ちたものです。

そして、この世のいろいろな宗教がその宇宙根源の波動を伝えようとしています。

たとえばキリスト教の聖書には 「太初に言(ことば)あり」 というくだりがありますが、この言とは宇宙根源の波動のことです。

アメリカインディアンの教えの中にも同じものがあり、彼らの打つ太鼓のリズムにその響きを感じ取ることが出来ます。

    『地球を癒す人のハンドブック』 西園寺昌美





 

働き方のくふう

 

働き方のくふう
 

 

額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。

それは東海道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようにテクテク歩いている姿に等しい。

東海道五十三次も徒歩から駕籠へ、駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと、日を追って進みつつある。

それは、日とともに、人の額の汗が少なくなる姿ではあるまいか。

人より一時間よけいに働くことは尊い。 努力である。 勤勉である。

だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。

そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。

それは創意がなくてはできない。 くふうがなくてはできない。

働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。

創意がほしいのである。

額に汗することを称(たた)えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。

怠けろというのではない。

楽をするくふうをしろというのである。

楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。

そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。

 

     「道をひらく」 松下幸之助  PHP





 

感想

今、東京の大学に行っている息子が正月休みで帰って来ているのですが、私が疑問に思っていること、知りたがっていることを口にすると、すぐに答が返ってくるのです。

それは息子が考えて答えているのではなく、スマホで瞬時に答を出し、それを見て言っているのです。

便利と言えば確かに便利です。

たとえば

「何が食べたい?」 「ラーメンがいいな」 「どこが美味しい?」 「東京にも支店があるんだけど博多一風堂が美味しいよ」 「この辺ではどこにあるの?」 ・・・・・・(調べる)・・・「高槻と箕面(いずれも大阪です)にあるよ」「箕面店が近いね」 「今日やってるかな?」 ・・・・・・・(電話する)・・・・・「やっているって」

「じゃあ行こう!」 ものの3分でした。

無駄がない、確かに決断、行動が早くなります。

こういうもの(文明の利器)は大いに利用すればいいと思うのです。

しかし、これは東京・大阪間が新幹線や飛行機になって時間短縮になったことと同じであって

早くなっただけであって

時間を有効に使えているかは別なのです。

時間短縮によって余った時間をただぼんやりと怠惰に無駄に過ごしているのなら、なんの意味もない、せっかくの恩恵にあずかっていないことになります。

電車でスマホをやっている人を見ていると意外とゲームをやっている人(大人)が多いのに驚かされます。

子どもだったらまだわかるけれど、大人がゲーム?

私の考え方が古いのかもしれません(笑)

一昔前、電車でマンガの本を読んでいる人は、馬鹿にされていました。

今では市民権を得てマンガも立派な文化だと理解されるようになりましたが

やはり異和感があったのです。

「マンガは子どもの読み物だろう」 

「大人だったら、小説か新聞を読め!」

「みんなが見ている中でみっともない」

・・・・と

凄い偏見なのかもしれません。

何をしようと勝手なのかもしれません。

しかし人間は、その人の一部を見て全体像を把握しようとするのです。

ゲームをやっている人を見たら家でもどこでもずっとやっていると思う

マンガを読んでいたら、この人はマンガしか読んでいないのではないかと思ってしまう

それは思う人の勝手だ、自分はそんなの気にしない

どう思われたってかまわない

って言うかもしれない

だけど、電車の中に知っている人が乗っていたらどうします?

あなたの奥さんのご両親にばったりと会ったらどうします?

会社の上司や親せきのおばさん、おじさんと会っても

マンガ本は隠しませんか?

ゲームやるのを止めませんか?

それは、自分が怠惰なことをやっているという後ろめたさがあると思うのです。

時間を有効に使っていないという負い目があると思うのです。

子どもの頃は、親が

「いつまでマンガ読んでいるの? 勉強しなさい!」

「また、ゲームばっかりやってェ やることはやったの?」

と注意しました。

する時間が決められていました。

しかし大人になるとやり放題です。

誰も止める人はいない

マンガは置いておいて(いいマンガもあるので)

ゲームをして充実感はありますか?

生きているという実感はありますか?

時間を有効に過ごせていますか?

やった後で虚無感(むなしくなること)はありませんか?

こんなこと書いたらすごい反発がきそうだな(笑)

先ほど書いたように文明の利器は大いに利用すればいいと思うのです。

しかし利用が終わればすぐに現実世界に戻らなければならない

今私たちが生きている現在、今です。

今を疎かにすると後で必ず後悔するのです。

一瞬一瞬の積み重ねが人生です。

人間と動物の違うところは

創意工夫が出来ることです。

日々改善していくことが出来ることです。

「どうすればよくなるんだろう?」

「どうすればもっとみんなが幸せになるのだろう?」

「どうすれば人が喜んでくれるのだろう?」

人間の考えることってそれしかないと思うのです。

無駄な時間を過ごしている暇はないと思うのです。

 

 

 

2014年1月 6日 (月)

亡くなったお祖父さんお祖母さんが守護霊なのです。

  
目にみえないものしか信じない人でも、神秘的なものに興味のない人でも

「亡くなったお祖父さんお祖母さんが守護霊となってあなたを守ってくれているんですよ」

とか

「霊界から24時間プラスα見守って、危ないところを助けてくれているんですよ」

と言われると

余程の無神論者でない限り、唯物論者でない限り、天の邪鬼(あまのじゃく)でない限り

「確かに守られているような気がする」

と答えると思うのです。

私もハッキリとその存在を見たわけではないのですが、いつも土壇場、きわどいところ、切羽詰まったギリギリのところで何回も何回も奇跡が起きたように助けられていると

なにか目にみえない力が働いてくれているとしか考えられないと自然と思うようになったのです。

それも派手な奇跡ではなく

後から思うと 「不思議だなぁ」 というようなことが起きた後で

心の奥底からじんわりと心が温かくなって来るような

手を合わせて

「ありがとうございました」 と感謝が湧いてくるような、そんな地味な奇跡なのです。

私の守護霊は、「まだわからないのか!」と雷を落とすような

気の短いビシッと厳しいタイプではなく

私が大切なことに気づくことをじっと待ってくれている人?のようなのです。

だからかなり忍耐強い人なのかもしれません。(愛は忍耐!)

これからは肉体人間と守護霊との距離がかなり縮まって、私たちが守護霊さまに心を向けているとその存在がわかるようになるそうです。

今まではほとんどの人がその存在を知らなかった

感じなかった

しかしこれからは感じるようになるのです。

守護霊とつながると守護神とつながります。

すると神界からの強い守りも入ることになります。

そして

守護神の上には宇宙神がおられるのです。

宇宙法則の神です。

神界よりも大きな世界が宇宙なのです。

宇宙とつながるとすべてのすべてが自分の中に入ってきます。

宇宙そのものになります。

そのきっかけになるのが守護霊なのです。

私たちは守護霊の存在を知ることが安心して生きていくためのメソッドであり、幸せに生きていくためのパスポートであることを知らねばなりません。

知ってその存在に感謝すると、守護霊は守りやすくなるのです。

光(大切なメッセージ)を送りやすくなるのです。

感謝は光だから守護霊と共鳴するのです。


守護霊さまありがとうございます。

守護神さまありがとうございます。

陰の力がある

 



守護霊は霊界、幽界、肉体界と三界を通して働ける者なので、幽界においてできつつある運命、あるいはすでにできあがって、時間の経過につれて、自然に肉体界(現界)の運命として現われようとする業想念の結果(因果)を、あらゆる手段をもって、その人間の運命として現われぬように修正してゆく。

この働きを知っている人、感じている人は実に少なくて、肉体人間の大半がこの影の働きを知らないのである。

守護霊はその肉体人間が、守護霊の力を知ろうと知るまいと、それは問わず、ただひたすら、運命の修正に全力を挙げているのである。

いわゆる菩薩行なのである。



 

守護霊につねに心を向けよ



一体どういう風に守護霊が運命を修正してゆくかというと、いろいろの方法がある。

たとえば、転覆した汽車に乗るべきを、忘れ物をして乗り遅れたため、生命の危機を逃れた。という場合

物を忘れた、 この忘れ物に守護の働きがあるので、守護の念が、その人の肉体頭脳に働きかけ、その人の頭の回転を瞬間的に阻止して、物を忘れさせるのである。

また他の人を使って、自分の守護する人を助ける場合もある。

このような実例は、常に人間世界の生活の上に起こっているのである。

しかしここで大いに考えなければならぬことは、守護霊にとって一番働きやすい肉体人間の状態は、常に守護霊のほうに心を向けていてくれることである。

      
        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版






 

 

なぜ?を追求すると答が出てくる

   


  なぜ

 

こどもの心は素直である。

だからわからぬことがあればすぐに問う。

“なぜ、なぜ” と。

こどもは一生懸命である。 熱心である。 だから与えられた答を、自分でも懸命に考える。

考えて納得ゆかなければ、どこでも問い返す。

“なぜ、なぜ” と。

こどもの心には私心がない。 とらわれがない。 いいものはいいし、わるいものはわるい。

だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。

こどもはこうして成長する。

“なぜ” と問うて、それを教えられて、その教えを率直に自分で考えて、さらに “なぜ” と問い返して、そして日一日と成長してゆくのである。

大人もまた同じである。 日に新たであるためには、いつも “なぜ” と問わねばならぬ。

そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。

素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、“なぜ” と問うタネは随所にある。

それを見失って、今日は昨日のごとく、明日も今日のごとく、十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩は止まる。

社会の進歩も止まる。

繁栄は 、“なぜ” と問うところから生まれてくるのである。



       

      「運命をひらく」 松下幸之助 PHP

 
 

私たち大人は、“なぜ” を追求しなくなったのです。

「今の仕事を辞めたい」

と思う

「仕事が嫌だ」

と感じる

しかし  “なぜ、なぜ” と深く考えない

そしてすぐに どうする? どうすればいい? に飛んでしまうのです。

どんな仕事だったら自分に合っているのか?

今は何をすれば儲かるのか?

自分はどんなことが好きなのか? 好きなことを仕事に出来るのか?


どうする?を考えてもいいのだけれどそれは

“なぜ、なぜ、なぜ” と何回も問い返した後なのです。

なぜならば

辞めたいと思っているだけ、嫌だと感じているだけでは

頭の中でボヤッと漠然としているだけだからです。

頭の中に霧がかかっている状態・・・・・

カタチになっていない 

考える一歩手前の状態なのです。

霧の奥に何があるのかを明確にしないと次の一手は現われてこないのです。

なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?

ノルマに縛られるのが嫌だから

今の仕事に情熱が湧かないから

人間関係に疲れたから

女性(男性)ばかりの職場が嫌だから

時間が不規則で体調を崩しやすいから

人(お客さん)を騙すようなことはしたくないから

給料が安くて、余裕がないから

長く勤めて、ここでの役割り(やること)は終わったと感じているから

いろんな人ともっと交わりたいから

休み(有給休暇)が取りづらいから

会社の将来に不安あるから

他のことをしてみたいような気がするから

・・・・・・・・・・・・・・

これらのことは頭でグルグル廻っていて

なんとなく 辞めたい

なんとなく 嫌だ

になっている

しかしなぜ?なのかは紙に書き出してみないとわかっているようでわかっていないのです。

そしてなぜ?を徹底して客観的に観てみると

どうする? どうしたい? どうすればいい?

という答は、自然と浮かび上がってくるのです。

土台、基礎(なぜ?)がしっかりわかっていないと

その上の建造物はグラつくのです。(だからどうする?が弱くなってしまう)


基礎工事がしっかりと出来ていないビルに高層ビルを建てるようなものです。

子どもはこの 

“なぜ?” を徹底的に追及しているから

スッキリしているのです。

“なぜ?” をぶつけているから 吐き出しているから

エネルギーが活き活きと動いているのです。

なのに 私たちは

なぜ? を追求せずに

すぐに答を探す

焦っているのです。

時間をかけていいのだと思います。

少なくとも

なぜ? を出し切った後で

ゆっくりと考えればいい

そう思います。





 
    おススメ図書  「スマートノート」 岡田斗司夫著 文藝春秋




 




 

 

 

2014年1月 4日 (土)

調和波動気功法


 
私は調和波動気功法を実践しているのですが、教科書である「調和波動気功法」(于寿明著)を読んでいると、改めてその奥の深さ、素晴らしさに驚嘆するのです。

「こんな凄い真理が、ほんの一言、数行で凝縮されて書かれている・・・・」

そして、私は並行して、3次元的な成功本(心が豊かになる、幸せな金持ちになる)等も読んでいます。

いいことは書かれているのですが、真理(真実)に近いことは述べているのですが

まわりくどいのです。

わかりにくいのです。


それは突き抜けていないからです。 (無限なる光!)

天と地を貫いていないと心の奥底まで響いて来ないのです。

要(結論)は、自分が何者であるかを知り(我即神也)

何者であるかがわかったならば、自分の内部に宿っている神性(真・善・美)を認めて外に現わしていけばいいということなのです。

実にシンプルです。

そして自分(人間)も動物も植物も鉱物も大自然も、空気も天象も宇宙も、目に見えるもの、目にみえないものもすべてが波動(エネルギー)で出来ていることがわかります。

その波動を、自分の目的に合った必要な波動を正確にキャッチする(直観力)ことが幸せに生きて行くためのメソッドなのです。

正確にキャッチ出来ると次々に真理があきらかにされていきます。

真理がわかれば余分なものが取れて、どんどんとシンプルになっていく

物事がわかりやすくなっていく

子どもでもわかるようになっていく

真理とは、物事の原点とは、実にシンプルでわかりやすいのです。

それは

みんながわからないと伝わらないからです。(シンプル・イズ・ベスト)

それをわざわざ複雑にして、わけがわかないようにしているのは

私たち人間なのです。

もっとシンプルになりましょう♪

そして

宇宙とつながりましょう♪

宇宙につながればいろんなことがわかってきます。

わかると嬉しくなります。

楽しくなっていきます。

そして

もっと明るくおおらかに自由に生きていきましょう♪

 

 

・ この世で一番の才能はもともと人間の内部に収められている宇宙の神秘、生命の 真・善・美 に気づき素直に現わしていくことである。

・ 心を爽やかに素直に波動をキャッチ。(直観力)

自分の前に起こったことだけ見ずに自分の周り360°を見回してみる。

そして角度を変えて、自分をみてみる。(知性)

優しく、キメ細やかに、静かに。

人間は爽やかが一番いい。 そして、目標をもつ。

自分を活かすことに努力する。

なぜ、目標・希望をもつのか?

  人間を活き活きさせるためである。





         「調和波動気功法」 于寿明 三晃書房





    お知らせ



   調和波動気功法(1月19日(日)にセミナーがありますセミナー案内をご覧ください)


    
http://www.harmony-wave.jp/


   ビッグ・ハート

    yuka姉さんがブログを更新しました。(楽しくてためになります)

    

    http://big-heart51.com/


   

    
オーラ・オーラ(自分が出しているエネルギーが分れば、どうすればいいのかがわかります)

    http://auraaura7.com/




 

 

2014年1月 3日 (金)

素直に生きる

私事ですが、私の息子は今年大学を卒業して、4月から社会人になります。

一人息子なので甘やかして(恥ずかしながら幼い頃、欲しがるものは買い与えていました)育ててしまったこともあり、まだまだ未熟なところもあるので、いろんな意味で

「社会に出たら頭を打つだろうなぁ」 と予想しているのです。

私の心の中では、子どもに何事もなく順風満帆に行って欲しいという部分と

「男だから苦労するのは当たり前だ、逆境に耐えてこそ強くなる」

「若い頃の苦労は買ってでもするものだ」

と厳しいことを歓迎したい部分と両方の想いが交錯していたのです。

しかし、本音をいうと出来るだけ苦労している姿は想像したくはないのです。

出来るだけ、順調に行って欲しいのです。

なのに、なぜ苦労することが大切だと思うのかというと

苦労をしないと弱い人間、自立出来ない人間になってしまのではないかという先入観があったのです。

ちょっとしたプレッシャーに負けてしまうのではないか

嫌な思いもしてそれに耐えていかないと強くなれないのではないか

それらの逆境を経験し乗り越えないと大きな器の人間になれないのではないか?

と思ってしまっていたのです。

でも大切なのは経験することではなく

与えれたどんな運命にも感謝し、素直に生きることだったのです。

そのことが下記の文章を読んで気づきました。

これで安心して祈れます。

 

息子の人生が順調に滞ることなく流れていきますように、幸せになりますように

息子の天命がまっとうされますように

息子の守護霊さまありがとうございます

息子の守護神さまありがとうございます


 

素直に生きる

  
逆境━それはその人に与えられた尊い試練であり、この境涯にきたえられてきた人はまことに強靭である。

古来、偉大なる人は、逆境にもまれながらも不屈の精神で生き抜いた経験を数多く持っている。

まことに逆境は尊い。 だが、これを尊ぶあまりに、これにとらわれ、逆境でなければ人間が完成しないと思いこむことは、一種の偏見ではなかろうか。

逆境は尊い。 しかしまた順境も尊い。 要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。

謙虚の心を忘れぬことである。

素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚れを生む。

逆境、順境そのいずれをも問わぬ。

それはそのときのその人に与えられた一つの運命である。

ただその境涯に素直に生きるがよい。

素直さは人を強く正しく聡明にする。

逆境に素直に生き抜いてきた人、順境に素直に伸びてきた人、その道程は異なっても、同じ強さと正しさと聡明さを持つ。

おたがいに、とらわれることなく、素直にその境涯に生きてゆきたいものである。

 

         「道をひらく」  松下幸之助 PHP




 

2014年1月 2日 (木)

ビッグハートをよろしくお願いします!

 


みなさ~んお知らせがありまーす。

私と同じ調和波動気功を実践されている大野由香里さんという方がビッグハートというホームページを立ちあげられました。

そして昨日(1月1日)からブログを書き始められたのです。

大野さんは、私と同い年、とてもエネルギッシュ(元気溌剌)で若々しい素敵な人です。

真理を広めるため、同時に調和波動気功を知ってもらうために活動を始められました。


ご自宅で個人レッスンもされるそうです。

私も近い将来、セミナーなどを一緒に出来たらなと思っています。

ホームページは立ちあげたばかりなのでアクセス数が少ない状態です。

みなさんときどき訪問してブログなどを覗いてみてください。

今日も素敵なブログを書かれています。

応援よろしくお願いしまーす。

 


 


http://big-heart51.com/


yuka 姉さんのブログは未分類のところに入っています。(未だ完全にHPが出来ていないようです)わからない方はここをクリックしてください。そして未分類下の新年あけましておめでとうございますをクリックしてください。全文が読めます。
                     ↓

http://big-heart51.com/category/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/

  
 

人間の幸せとは、自分の想いがどこから来ているのかを知ることなのです!

 
 
かなり長いタイトルになってしまいましたが(笑)

人間が幸せになるためのメソッドとは、自分が想っている想い、他の人が想っている想いというものがいったいどこからやってくるのかを知ることにあるのです。

私たちはよく相手に対して、本心であるかどうかを確かめようとします。

例えば理不尽なひどいことを言われたとします。

「今、あなたの言ったことは本心ですか? 本心ではないのですか?」 と尋ねたり、聞かなくても心の中で思ったりします。

そして本心でないのならば赦し 本心であったとしたのなら赦さなかったりするのです。

しかしその人が本心で言ったことなのか? そうでないかなんてわからないのです。

自分においてもそうです。

「今私が想ったことは本心なんだろうか?」

「本心ではないのだろうか?」

なんてわかりません。

それに本心以外に別の心があるのかどうかもわかっていないのです。

つまり目にみえない心の中のメカニズムなんて誰もわかっていないし知らないのです。

心理学がそれを解こうとするのですが、ほとんどが支離滅裂です。

分析できるほど、人間の心は浅くないからです。(過去世のことなんて分析できるはずがありません)

自分のこともハッキリとわからないのに相手のことがわかるはずもありません。

だがしかし、五井先生はいとも簡単?にその仕組みを解いてくださっています。

それが下記の文章なのですが

私たちは本心と業想念(本心とは違う心)を2つにわける必要があるのです。

「今私が想ったことは本心だった」

「今想ったことは、本心ではない、業想念なんだ」

とハッキリわかれば、人間関係はすべて上手くいくのです。

それは、業想念で言った言葉をすべて赦すことが出来るからです。

業想念は、本心ではないからです。

想いとは相手の心と書くように相手の人の想い(考え方)が移って

自分の本心と混同してしまうのです。

混同してしまった人を責めることなんて出来ないからです。

これから地球人類は、本心と業想念の区別がつくようになっていきます。

そしてあらゆる争いが無くなっていくのです。
 
 

世界人類が平和でありますように

我即神也

人類即神也

 





 本心と業想念

 

普通の人は、心は一つしかないと思っているのですが、私は一つの心、つまり神の直霊分霊として働いている心を本心と呼び、その本心の周囲を何重にも巡っている波動、ひびきを想念と呼んでいるのです。

たとえば、本心の働きによって生命が滞りなく素直に活動していて、肺臓も心臓も胃腸も丈夫でいたとします。

そこへ癌で死んだ知人があったりすると “ああ私も癌になりはしないか” とふいっと思います。

このような本心の働き生命の働きを ちょっと疑うような心の動き、そうした心の動きを、私は心とは呼ばずに業想念と呼んでいるのです。

もっと端的にいえば、神のみ心に素直につながっている心だけを、心と呼び、神のみ心を離れた心の波動は、すべて想念と呼んでいるのです。

 

         「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 

 

食べていけさえすれば仕事は何をやってもいいんだ!

 

タイトルにあるように

「食べていけさえすれば仕事は何をやってもいいんだ!」 と割り切れることが出来たならばどれだけ精神が安定するでしょう。

「生活するためのお金は心配するな! その代わり仕事を辞めてはいけない 仕事は何をやってもいいのだ 好きなことをしてもいいし 嫌いなこと、苦手なことに挑戦してもいい

嫌だったら辞めてもいい、 しかしできるだけはやく 次にやる仕事を見つけるのだ」


こう言われたらどんなにか嬉しいでしょう!

ほっとするでしょう!

ほとんどの人は生活のために仕事をしているのです。(お金持ち以外は)

そして、生活のために仕事をしている人は、頭の中は仕事のことでほぼ一杯です。

「どうやって契約を取ろうか?」

「どうすれば職場の人間関係はうまくいくのか? 人間関係がうまくいかなければ仕事もうまくいかない」

「仕事を辞めたい、でも辞めても行くところの目星もついていない、辞めたら即生活に困ってしまう だったらこのまま我慢しよう そして宝くじが当たったらすぐに辞めよう」・・・・・

いずれも、仕事に追われ仕事に振り回されている状態です。

それもこれも 仕事の代償=生活費 になってしまっているからです。

だから他の大切なことに意識がいかない・・・・・

子どもの心が荒んでいる

共働きなので、「妻が家事を手伝って欲しい」 と言っている

親が同居を望んでいる

友だちが相談に乗って欲しいと言ってきている・・・・・・・・・・・・・・・

プライオリティ(優先順位)の一番が仕事だから、ダントツで一番だから苦しくなってくるのです。

余裕がないのです。

仕事を一生懸命にすることは大切です。

しかし仕事以外にも一生懸命に取り組まなければならないことはあるのです。

しかしすべてにいのちを懸けていたら自分の身が持たない・・・・・・

それには自分の心を解放してやることです。

仕事というしがらみを解いてやることです。

仕事は自分の心の中のほんの一部なんだ、仕事は主ではなく余技なんだ

仕事以外にもっと大切なことがあるんだ

仕事なんて おちゃのこさいさい で こなすものなんだ

仕事に貴賎(きせん)はないんだ

自分のミッション(天命)はこの仕事をすることだけではないんだ

どんな仕事でも自分の心が祈り心で満たされてしていればそれでいいんだ

という気持ちになればぐっと楽になるのです。

人間はもっと自由でもっと楽しく生きていいのです。


祈っていれば、仕事は余技に変わってゆくのです。


私は祈る(世界平和の)ことが自分のミッション(天命)だと思っています。

 

 

 世界人類が平和でありますように

 日本が平和でありますように

 私たちの天命がまっとうされますように

 守護霊さまありがとうございます

 守護神さまありがとうございます



食べるための生活は余技

 



人の嫌がる仕事や、人類のためにならぬような仕事についていたとしたら、仕事そのものが人類のためにマイナスになるとしても、その人がその仕事を通して、人類の平和を祈る心になって、その職場に生きていたならば、他の人がやれば害になるような仕事も、祈り心の光明波動によって、そのマイナスが極度に小さくなってゆくのであります。

これは人類の借財を減らしてゆくようなもので、やはり、その行為はこの世にプラスとなってゆくわけなのです。

                  

                      ※
 


人間の天命は、地球世界を大宇宙世界の一環として、精神と物質との融和を計り、完全なる平和世界とすることの働きをなしつづけてゆくことにあります。







          「日々の祈り」 五井昌久 白光出版




 

 

 

正月だからと気を抜いてはいけない!


  

安易なるものを退けよ

 

今、自分が読んでいる本が、はたして自分の魂を喜ばせ、精神を純化させてくれるものであろうか、今、聴いている音楽は自分にいかにプラスにしてくれているか、ということを、若い世代の人々は常に思考してみる必要がある。

自己の精神問題に怠惰なる人は、知らず知らずに、自己を地獄の世界、不幸の世界に陥れている。

口あたりのよいもの、耳ざわりのよいもの、そうしたものには安易に飛び込んでゆけるものだが、安易に読めるもの、安易に聴けるものこそ、一応気をつけて、自己の心に訊きただしてみるとよい。

自分の精神にプラスになるか、マイナスになるか。 

肉体欲望(五感)の満足だけで、精神(魂)に不満足のものは、これは退(しりぞ)けてみることが必要である。





           「日々の祈り」 五井昌久 白光出版

 


お正月早々、「おまえは真面目か!」 と突っ込まれてしまいそうですが(笑)

私もついつい、普段あまり見ないテレビの前に座って、みかんやお菓子を食べながらのんびりしているのです。(妻と2人暮らし、妻は正月出勤で仕事です)

そして気がついて見るといつの間にか時間が経っていて

「えっ もうこんな時間、あーっやってしまった」 と後悔するのです。

正月は有意義に過ごそうと計画を立てていたのですが、正月気分に負けてしまったのです。

まるで竜宮城に行った浦島太郎のような心境です。

大袈裟かもしれませんが、人間一旦怠惰になるとそこから戻すのは結構パワーがいるのです。

浦島太郎が竜宮城で何をしていたかというと明らかに感情(五感)を喜ばせることに夢中になってしまったのです。

綺麗な若いお姉さん、美味しい食べ物、タイやヒラメが踊りなど、もてはやされてもてなしてくれる

お金がふんだんにあればこんな生活も夢?でないかもしれません

こんな生活は自分が気づかない限りずっと続いてしまうのです。

そして気づいたときには時すでに遅し、取り返しのつかないことになってしまっている

竜宮城での生活は何か自分のためになったのか?

魂の成長に役立ったのか?

世のため人のためになったのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すべて NO! なのです。

なんのプラスにもなっていない

肉体欲望(五感)を喜ばすことは決して悪いことではありません。

人間として生まれて来て、この世的な喜びを味わうことは大切です。

喜びを知らないと人と分かち合いない

分り合えないからです。

だがしかし、感情を喜ばせることでは魂(心)は喜ばないのです。

感情と感動は違うからです。

私は今、感情を喜ばせながら、それを感動まで持っていけないかなあ

と考えているのです。

最初は、感情(五感)が喜んでいた

しかし途中からそれは感動へ変わった

そんなことが出来ないかなぁと思っているのです。

入り口は広いほうがいい・・・・・

それが真理を伝えてゆくためのメソッドになりそうな気がするのです。




 


 

2014年1月 1日 (水)

素直が一番いい

 
 
物事を行なうときに、AかBかを決めなければいけない決断のときがあるとすると先々の損か得かを考えて、自分ではBがしっくりくる、スッキリするとは思いつつもAを選択してしまいそうになることがあります。

そして最後はやっぱり自分の気持ちに素直で正直な方を選ぶ

「あーっ やっちゃったかなぁ 絶対にAの方が得だよな、でもAを選ぶとずっとモヤモヤした嫌なエネルギーが残るんだよなぁ」

「もういいや 後のことは後で考えることにして今は自分の気持ちに素直に動こう」

ときっぱりとBを決断して、そのことはしばらく忘れるのです。

そして流れのままに任せているとかえってAを選んだときよりもBの方がいい状況に変わってくるのです。

それは直観に従ったために 正解 だったわけです。

しかし、直観や良心に従わずに損得で選んで墓穴を掘ってしまう人のなんと多いことか・・・・

直観とは、自分を守ってくださっている守護霊、守護神からのメッセージなのです。

守護霊には未来のことがわかる(霊界にいるから肉体界で何が起こるかがわかる)ので、その人の人生にとって一番いい方を選ばそうとするのです。

だから

自分の気持ち、直観(第一インスピレーション)に素直に従っていればいいものを

それを無視して損得で選んでしまう人が不幸になってしまうのです。

直観に対して素直に生きている人は、いつも楽しそうにしています。

いつも明るく生きています。

幸せとは状況ではなく

心がどれだけ晴々としているか? なのです。


そして

自分が悪いと思ったら、変な意地を張ったり損得やプライドとか、ずるいことを考えずに

直観が

「謝れ!」 と言っているのなら

本心が謝りたがっているのだから

そうした方がいいのです。

直観とは自分の本心でもあるのです。

素直とは神界(宇宙)にある本心に、肉体人間の自分が直接つながっているということです。

素(もと)とは原点、源いう意味があります。

素とは宇宙のことなのです。

だから素直とは宇宙と直接つながっている人のことをいうのです。

私たちは宇宙とつながっていれば

迷うことも悩むこともなくなるのです。

何も迷うこと悩むこともない人生

それが本来の自分の姿です。

なんと素晴らしいことではありませんか!

 

  自分の非

 

人間は神さまではないのだから、一点非のうちどころのない振舞いなどとうてい望めないことで、ときにあやまち、ときに失敗する。

それはそれでいいのだが、大切なことは、いついかなるときでも、その自分の非を素直に自覚し、これにいつでも洵(じゅん)するだけの、強い覚悟を持っているということである。

昔の武士がいさぎよかったというのも、自分の非をいたずらに抗弁することなく、非を非として認め、素直にわが身の出処進退をはかったからで、ここに、修業のできた一人前の人間としての立派さが、うかがえるのである。

むつかしいといえばむつかしいことかもしれないが、それにしても、近ごろの人間はあまりにも脆すぎる。

修練が足りないというのか、躾ができていないというのか、素直に自分の非を認めなどころか、逆に何かと抗弁をしたがる。

そして出処進退を誤り、身のおきどころを失う。

とどのつまりが自暴自棄(じぼうじき)になって、自分も傷つき他人も傷つけることになる。

これでは繁栄も平和も幸福も望めるはずがない。

自分の非を素直に認め、いつでもこれに殉ずる ━ この心がまえを、つねひごろからおたがいに充分養っておきたいものである。

          「道を開く」 松下幸之助 PHP



 
 

松下幸之助さんは凄い!(明けましておめでとうございます)



みなさんあけましておめでとうございます。

今年もブログのご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。

今年の私のブログへの挑戦は

できるだけ短い文で、わかりやすく、しかも深い内容で、ためになり、読み終わった後でみなさんがスッキリ爽やかになるような文章を目指していきたいと思っています。

ところで話は変わりまして

先日大阪梅田の紀伊国屋さんに行くとなんと松下幸之助さんの「道をひらく」が山積みにされていたのです。

発売(何度か再販しています)されてから一年以上も経っているはずなのに、まだ売れ筋の中に入っている。

一年前に買った本の帯には480万部突破と書いてあったので今はもっと売れていることになります。

凄い数だと思います。

哲学的、宗教的な文章で堅い内容なのにそれだけ支持されているのは、現代人は心の底では真理を求めているのだと思うのです。

幸之助さんは、商売を極めた人でありますが、同時に真理も求めた人だったのです。

それは、商売だけではなく物事の奥には真理、真実が隠されているからです。

商売を真剣に行なってゆくうちに真理に辿り着いたのだと思います。

「一芸に秀でる者は多芸に通ず」 と、ことわざにもありますがどんなことでも突き抜けてしまうとそこは、すべてがつながっている世界(宇宙・神界・天界)があるのです。

3次元の奥には4次元があります。

商売を突き抜ければ神界がある

宗教も突き抜ければ神界がある

芸能でもスポーツでもほんとうに極めればそこには神界があるのです。

神界とは肉体界から幽界、霊界を通ってまだその奥にある

本当に実在する世界、本当の自分がいる世界なのです。

私たちは肉体界だけにしか住んでいないと思っている

目に見える世界しか ありとあらゆるものは実在しないと思っている

しかし目にみえる世界は消えてゆく世界なのです。

消えてゆくものは、実際にあるように見えてはいるのですが

幻の世界です。

仏教でこの世(肉体界)のことを現し世といいますがそれはこういう意味なのです。


この世界のことを「うつし世」と言うことがあるが、五井先生の宇宙観によれば、私たちが生きている物質的世界は、神界・霊界・幽界という目に見えない霊的世界が三次元の世界にうつし出されて成立している世界である。


つまり霊的な神界(一番浄った世界)が本当の実在する世界であり、霊界や幽界そして今私たちが住んでいる肉体界は、人間たちの魂が浄化されれば消えて無くなる世界なのです。

このことは私たちが死んで肉体界を去った後に幽界や霊界、神界へ行くことからもわかります。

だから目に見える世界にばかり固執してしがみついていてはいけないのです。

しがみつけばつくほど、本当の世界から離れていくからです。

離れていくと肉体だけのほんの僅かな力しか使えないのです。

この世は、幽界、霊界、神界が入り混じった世界です。

だから霊界や神界の力(守護霊、守護神)を借りないと肉体界をうまく滞ることなく、安心して生きてはいけないのです。

突き抜けた人というのは、頭ではハッキリとはわからないとしても、これらの世界のことや守護霊守護神の存在は薄々感づいていたと思うのです。

おそらく松下幸之助さんは、気づいておられたのだと思うのです。



 

商売の尊さ

 

長い人生、迷わずに歩むということは、なかなか容易ではない。 その迷いの人生に、ひとすじの光明を与え、心ゆたかに生きる喜びを与えるのが、いわゆる宗教というもので、過去の歴史においても、人を救い、世を浄化し、そして数々のゆたかな精神文化を生み出してきた。

宗教の力は偉大である。 人々を救うという強い信念のもとに、世間の求めるものを進んで与えてゆく。

だからこそ、心から感謝され、そしてその喜びにふさわしい寄進(きしん)が集まる。 浄財(じょうざい)が寄る。

まことに宗教は尊い。 だがしかし考えてみれば、商売というものも、この宗教に一脈相通ずるものがあるのではなかろうか。

商売というものは、暮らしを高め、日々をゆたかに便利にするために世間の人が求めているものを、精いっぱいのサービスをこめて提供してゆくのである。

だからこそ、それが不当な値段でないかぎり、人々に喜んで受け入れられ、それにふさわしい報酬も得られるはずである。

それを心ならずも値切られて、正当な報酬も得られないままに苦しむということであれば、これははたしてどこに原因があるのであろう。

おたがいに、宗教の尊さとともに商売の尊さというものについても、今一度の反省を加えてみたいものである。

       「道をひらく」 松下幸之助 PHP




 

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