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2013年12月 8日 (日)

謙虚であることが一番なのです。

 

 
真理の本を読んだりしてると今までにわからなかったことがわかったり(すぐに又わからなくなるのですが)して自分が賢くなったような錯覚に陥ることがあるのです。

そして生意気にも、テレビで評論家の人などが言っていることが違うんだよなあ、ピントがずれているんだよなぁと批判してしまうことがあるのです。

しかしそのような心境になっている自分というのは、決して善い状態(まともな)ではなく、邪な歪んだマイナスのエネルギーの渦の中に巻き込まれているのです。

そしてなにか自分自身が嫌な奴で、嫌なエネルギーを放っているのを感じるのです。(モヤモヤしたような感覚)

人と接していると、この生意気な自分がつい、出そうになりそうになるのです。

「あっそれ知ってる、それ違ってる、正しいことを伝えなくちゃ」 自分の中にある自我が顔を出そうとします。

そのままの自分(自我)を出していたとするのなら、それは凄く嫌な奴です(笑)。

聞かれてもいないことを唾を飛ばしながら得々としゃべっている。

得々としゃべった後では

知らないことでも知っているような顔をしないと今更カッコがつかなくなる。

そのうち自分で自分を騙すようになってゆく・・・・

日頃から真理のことを書いていると、つい書き過ぎてしまったり、自分でしっかりと把握出来ていないことも、調子に乗って憶測で書いてしまいそうになります。

そんなことをしても、ブログ(インターネット)もエネルギー(波動)なので、読み手の人には伝わらないのです。

不思議なもので私が理解している歩合でしか、みなさんには伝わらない。

私が100%理解して書いたことならば、かなりの割合で伝わり、真理の言葉を書き写しただけの30%しか理解していない文章なら、どれだけ素晴らしい文章でも読み手の人は、何が書いてあるかわからないつまらない内容になってしまう。

つくづく、波動(エネルギー)だなぁすべてはエネルギーだなぁと思うのです。

人と接する時も特に注意が必要です。

人よりも少し知っているだけでほとんどわかっているような態度(見栄を張る)は相手の人には、わかってしまうのです。

それはその人が出しているエネルギー(波動)でわかるのです。

これからは、目に見える姿、形(見た目)よりも、言っている言葉や内容よりも、醸し出すエネルギーで判断される時代がやってきます。

みんな目に見えないエネルギーがわかるようになってくるからです。

だからいつも謙虚であることが大切ですよね。

私も下記に書いてあるような上等な人になりたい(笑)と思っています。

 
 






知りて知らずとするは、上なり。 知らずして知れりとするは、病なり。 夫れ唯病を病む。是を以て病あらず。 聖人は病あらず。 其の病を病むを以て、是を以て病あらず。

 

知りて知らずとするは、上なり。 知っていることでも知らないような態度で、人々に接するにことはなかなかむずかしいことです。

知っていることは、ひょっとした時につい言葉に出てしまったり、その態度に現われてしまうものなのですが、上等な立派な人という者は、学問も見識を高いものをもっていながら、人々の話をよく聞き、人々のやっていることに少しの口出しもせず、真面目な態度で見ていて、当然自分の方がその話の内容もその仕事の事柄も、大きくは宇宙観についても、話している人や、仕事をしている人たちよりも、ずっとよく判っていながらも、判らないような態度で、素直にまともに、その人々に接している、というのであります。

これはできそうでできにくいことです。 知っている事柄には、つい口出ししたくなるのが人情でして、つい自分の見識をみせてしまいがちです。

それを素直に真面目に聴聞したり見聞したりしていて、その態度の中に、私は知っているのだが黙っているのだ、というような偉ぶった態度を少しも持たぬ、というのが上等な立派な人であるわけなのです。

その反対に

知らずして知れりとするは、病なり。 の人がこの世にはたくさん存在するわけです。

俗にいう知ったかぶり、のことですが、これは一つの病気であり、欠点である、というのであります。

ところがこの世の中では知らないことでも知ったようなふりをして、得々と演説してまわるような人が、意外に地位や権力や、金力を得てしまうようなことが多く、知ったことでも知らないように、自己を現わさない、いわゆる立派な人の方が有名にならないでいたりするのです。

政界に乗り出そうとするような人には、知らずして知れり、とする人が多いのでありまして、自分が出さえすれば、必ず政治が善くなるようあなことを言う人も随分あります。

こういう人は、一つ知っていることをあたかも十も二十も知っているように話したり、知らぬことでも決して知らぬとは言わずに、知ったような顔をして頷いたりするものです。見る人から見ればすぐに判ることなのですが、一般の人々は、こういう、いわゆるハッタリの人をやれる人とか偉い人とか思ってしまって、代議士に選んだりしてしまうのです。

人間というものはおもしろいもので、自分で知ったような判ったようなことを言いつづけているうちに、自分自身も騙してしまいまして、事実はたいして判っていないのに、もう深くわかってしまったように、自分自身も思いこんでしまうのです。

そうするとそれで自信がつきまして、自分は深い洞察力があり、実行力もある人物であると、自分に信頼感を抱いてくるのです。

そう致しますと、その態度に自信からくる落ち着きというようなものが備わってきまして、堂々たる人物らしくなってくるのであります。

ところが真実は、そう智慧も知識をあるわけではなく、自己欺瞞からきた自信なのですから、一寸むずかしい問題にぶつかってきますと、心が乱れてきまして、その本質がはっきり表面に出てきてしまうのです。

こういうような、自己欺瞞とその時々の運勢とに乗って世に出た人たちは、やがては必ず地に落ちる運命になってしまいまして、老後は悲惨な生活になってしまったりするのであります。

ですから老子は、知らずして知れりとは、心の病気だ、大きな欠点だというのです。

 

  

              
「老子講義」 五井昌久 白光出版




 

 

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