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2013年12月19日 (木)

“今日は死ぬのにもってこいの日だ” 2


 

 
病気と共に生きるという、宇宙の法則に則った古代人の死生観

古代人たちは、病気になっても 『病気=死』 とは結びつけませんでした。 何故ならば、病院等が存在しなかったからです。 その代わり、メディスンマン(呪師 まじないし)や部族の酋長や祈祷師が、その病気の乗り越え方を教えていたのです。

彼らは病気を抱えながらも、自分で出来ることは出来る限り、自分で行なっていました。

食べることも、トイレに行くことも、また、外出することも・・・・・・。

病気の程度に把われることなく、自分で出来ること、働けることは、何でも自分でしていました。

病気と共にありながら、生活を送っていたのです。

全治する、しないにかかわらず、いわゆる病気と共存していたのです。

そして多くの場合、彼らは自然死を迎えてゆきました。 自らの死を悟った時、自然に食を断ち、水を断ち、そして自然に移行していったのです。

自らの死への意志が、自分にも家族にも周りの人々にも自然に伝わってゆき、当然のごとく受容されていたのです。

彼らの直接の死因は病気そのものではなく、その人の寿命で死んでいったのです。

人によっては、外出中に事故で死ぬ人もあれば、災害で死ぬ人もありました。

しかしいずれにせよ、昔の人は病気を抱えながらも自分の家で、自分に出来ることをしながら生活していました。

よほどの重病人でない限り、今ある病院のように、一日中寝かされっ放しではなかったのです。

死ぬ瞬間まで出来る限り人に依存せず、迷惑をかけず、何もかも一人で果していたのであります。

そして、そこには家族や社会とのコミュニケーションが、死ぬ瞬間まで存在していたのです。

それが、その当時の生き方においては、当然であったのです。

それ故、誰もがそれを当たり前のように行なうことが出来たのです。

そして死の二、三日前、あるいは一週間ほど前になると、みな自分の死の到来を直観していました。

そして、自らの肉体自体が自然と食を欲しくなくなり、遂には水さえも拒否するようになってゆきました。

彼らの意識は死ぬ瞬間まではっきりしていました。

大人も子供も淡々と死を受容していました。

精神的な苦悩が伴わなければ、肉体の死、それ自体も決して苦しいものではないのです。

その上、自らの肉体や家族に執着を持たなかったから、なおのことでありました。

このように、人の生死は、宇宙の法則の中で自然と行なわれていたのです。

それこそ、ネイティブアメリカンの教訓にあるように

“今日は死ぬのにもってこいの日だ” という心境だったのです。

     病気と生死について 『病気=死』の観念を覆す 西園寺昌美著


 



 

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