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2013年12月15日 (日)

12月15日のつぶやき(中庸でいいんだ)

 
 
「あなたは○○さんのことが好きですか?」

「嫌いですか?」

「あなたは○○さんがいい人だと思いますか?」

「思いませんか?」

「あなたは□□のことに賛成ですか?」

「反対ですか?」

「あなたは△△の考え方を支持しますか?」

「支持しませんか?」

「あなたは、どっちがいいと思いますか?」

「AですかBですか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私たちは毎日のようにいろんな選択を迫られています。

人に聞かれることもあるけれども、心の中で

「どちからに決めなければならない」

と思っています。

特に誰々が好きなのか、好きではないのか?

なんて考えたところで

「どうなんだろう?」 が正直なところだと思うのです。

例えば、思春期の男子が付き合っている女子に対して

「キスをしたい」 という衝動にかられるとします(笑)

雰囲気を察した女子は相手の気持ちを確かめようと

「私のこと好き?」 と聞きます。

そのときに正直に

「わからない」

と答えとしたら

100%キスは出来ない(笑)

そこで男子は

「あ、あたりまえじゃないか、す、すっ好きだよ」

と答える

しかし、それは目的を遂行するための嘘、誤魔化しであり

自分の気持ちなんてハッキリとわかっていない

「神との対話」という本(世界中でベストセラーになった)で、男女の恋愛関係は

「商取引と同じだ」 と神である守護霊が言っているのもうなずけるのです。


「○○さんと私とどっちが好きなの?」

「□□をしようとするのは、私を愛しているから?」

「私と仕事とどっちが大切なの?」

そういう質問をされたとき

答える時には

「どう答えたら、この商談はうまくいくだろう?」

と計算しています。

感情に対しては勘定を持って対処するのです(男も女も)

私たちは、自分の思考に対してもハッキリと決めようとするし

相手にも白黒つけさせようとする

しかし、自分でもはっきりと気持ちが決まっていることの方が少なく

だいたいが

「好きなところもあるし、嫌なところもある」

「いい人だと思うところあるし、ずるい人だと思うこともある」

「基本的には賛成だけど、すべて賛成かと聞かれるとそうではない」

「他に支持する人がいないので、しかたなく支持する」

「どちらがいいともわるいとも思わない」

が本音だと思うのです。

しかし、そんなことを言ってしまっては

「おまえは自分というものがないのか?」

「優柔不断だ」

「決断力がない」

「どちらなんだ、はっきりしろ、はっきりと」

と言われダメな奴だと思われてします。

だから、無理からでもどちらかに決めてしまうのです。

私は昨日、古くからの友人と人生を語り合っていたのですが、話し込んでいけばいくほど、相手の考えがわからなくなるのです。

「この人と自分の考えはまったく違う、だから判り合えない」

と感じたかと思っていたら

次の会話では

「すごく似ている、近いものがある」

と感じることがある。

友人との距離を遠くに感じたり、近くに感じたり

共感したり、反発したり

話せば話すほど

この友人は

「いったい、どういう人なんだろう?」 とわからなくなるのです。

だいたい人の心を心理学者のように切り刻んで分析することは意味のないことだと、私は思っているのですが

それにしても人の心の中というものは複雑で、いろんな想念が入り混じっていると思うのです。

それをその極一部分だけをみて

「あの人はこんな人だ」 と決めつけてしまうのは、非常に危険だと思うのです。

ほんの一部をみて全人格がわかったかのように決めつけ

そこに感情まで乗せて(好きか嫌いか)

相手に接してしまう、批判、非難、評価をしてしまう

無視をしたり、いじめたり、反対にすり寄っていったり、相手を絶賛したり

その人を神か悪魔かのように決めてしまっているのです。

物事の本質(真実、答え)は、中庸にあるのです。

好きと嫌いの間にあると思うのです。

賛成と反対の間にある

善い人と悪い人の間にある

AとBの間にある

決めなくてもいい、ジャッジ(判断)しなくていい、白黒つけなくていい、優柔不断と思われてもいい、「日本人はイエス・ノーがはっきりしない」 と思われてもいいじゃありませんか?

真実は中庸にあるのに、決めつけてしまっては心が不自由になるのです。

決めてしまっては、取り返しがつかなくなることがあるのです。

もともと、はっきりしたことの方が少ないのです。

「わからない」 ものは「わからない」 でいいと思うのです。

わかっていないものをわかったようなふりをする

いい恰好をする

しかし、わかったようなふりをして、無理にどちらかに決めた後で、実はそうではなかった、間違っていたのなら

そのほうがずっと恰好わるいのです。

「あんなに悪い奴はいない」 とみんなに吹聴した後で

「あんなにいい奴はいない」 ということがわかった

その反対もあります。

政治家を見ているとコロコロと変っているのがわかります。

まるで蝙蝠(こうもり)のようです。

コウモリも自分が鳥なのか、獣なのかをはっきりさせようとして墓穴を掘ってしまった。

どちらでもよかったのです。

ところで

今、中性の人がモテているようです。

男性的でもあり、女性的もある

男性的でもないし、女性的でもない

草食系でもなく肉食系でもない

たぶん、バランスがとれているので接している人は安心するのだと思うのです。

菩薩様は、男でも女でもないのだそうです。

これからは善いも悪いもなくなってゆく

二元対立がなくなってゆく

男と女もなくなってゆく

中庸なものだけが残って

すべてが融合されてゆくのです。

それが本当の平和なのだと思います。

平和とは心の中が平穏なことをいうのだと思います。

  

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