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2013年12月 6日 (金)

「私は100%悪くないんだ」 は違うのです。

 
 
今起こっていることというのは、過去や過去世からの自分の想念(想っていたこと)行為(していたこと)が時を経て、自分に返ってきているのです。

ただ自分では記憶がないので、一方的にやられていると想うのであります。

よく事件や事故などで

「なんの罪もないのに」 とか 「たまたまそこを通りかかっただけなのに災難を受けた」 とか言いますが、実はその背後には、過去世の自分の想念行為があったのです。


私事で言いますと(私は九州の大分出身です)、私は小学4年生のときに大阪に父の転勤でやってきました。 それまでの大分での生活は非常に楽しいものであり、学校が終わった後の我家には、いつもたくさんの友だちが訪れ、遅くまで遊び回り、天国のような生活を送っていました。

ところが大阪に来た途端、陰湿ないじめに遭い、子ども心に 「なんで自分がこんないじめに遭わなければならないんだろう? 自分がいったい何をしたんだろう?」 と何度も自問したものでした。

その答がわからないまま、月日が流れ、40歳くらいになった或る日、突然同窓会の開催を伝える手紙が来たのです。

「誰がそんな同窓会なんかに行ってやるものか! 絶対に行かないぞ!」とその手紙を破り捨てたのですが、なにか気持ちが釈然としません。

そしてある人(人生の師匠)にいじめられていた当時のことをお話しすると

「あたり前です、あなたは前世でその人たちを散々いじめていたのです、ひどいことをしてきたのです」

と言われたのです。

ハッとしました。

そして、気持ちが一挙にスッキリとしてきたのです。

30年間トラウマになっていたことが消えていったのです。

私は破り捨てた手紙をつなぎ合わせ、同窓会に参加することにしました。

自分の行為が正しくて、相手の行為が悪いのだから、自分が怒るのは当然だというような場合が随分ありますが、私のようにその人その人の過去世からの想念所業の判るものからみれば、その時には、確かにその人の方が正しく、相手方が100%悪いとしても、過去世からのお互いのやりとりを通算してみれば、正しいと思っている方にも、悪いところがたくさんあったので、相手方がその人に悪く当ってくる理由も随分とあるわけなのです。

    
          『老子講義』 五井昌久 白光出版



 

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