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2013年12月19日 (木)

12月19日のつぶやき(今日は死ぬのにもってこいの日だ)

 

ネイティブアメリカンの人たちは、死ぬことをまったく恐れず、それどころか死の直前の当日に「今日は死ぬのにもってこいの日だ」 と言ったのだそうです。

死を喜んで受け入れていたのです。

しかし、私たち日本人は、死を必要以上に恐れている、そして死に一番直結していると思っている病気も極度に恐れるのです。

病気=死 しかし人間は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬのです。

なぜならば、私たちは生きている間に何度も病気をするからです。

風邪などを含めると50年生きてきたとして100回くらいは病気になっているでしょう。

その100回とも死には結びついていない、次の病気で死んだとしても101回に一回の確率です。あまりにも低いですよね(笑)

どれだけ重い病気に罹ったとしても死なない人もいるし、風邪などの軽い病気から死に至る人がいることからいうと病気は死の領域にはないのです。

反対に生の領域にあるのです。

 病気になったときに、なぜ自分は病気になってしまったのだろう?と自問自答する。

身体を酷使して大切にしなかったからか?

精神的にまいっていたのか?

抵抗力が弱っていたのか?

探せば見つかるはずです。

お医者さんにも家族にも見つけられなくても自分では思い当たるふしがあるはずです。

そして自分で自分の病気は治していく?

健康食品などを試してみる?

または病院に行く

昔の人は、医者もいない、病院もないという環境の中でどうやって暮らしていたのでしょう?

ほとんどは、自分の中にある自然治癒力で治していたと思うのです。

今は、熱が出たらすぐに解熱剤を飲む 熱で身体に溜まった毒素(マイナス)を消そうとしているのに、対処療法ですぐに熱を下げてしまう。

身体は楽にはなるけれど、根本から治ったわけではない、毒素は溜まったままだからです。

そしてその毒素は今度は違う病気(不調和な状態)になって現われる。

そうやって先送りしながら誤魔化しながら生きている

昔の人は、熱が出ても放っておいて3日間ほどうなされたとしても、次の日には復活して元気になっていたのです。

だから病気を生の領域だと捉えていた。

生きて成長していくために必要不可欠な試練と捉えていたのです。


私たちは、死を迎える心の準備が出来ていなければ、生を生き切ることはできないと思うのです。

病気になるたびに、死を直結させ怯える

死ぬことの意味もわかっていないので、病気になることが不安なのです。

死んだらどこへ行くのだろう?

死んだらおしまい、心(意識)も一緒に無くなってしまうと思っているので自分という存在が全く無くなってしまうと思っている

ほとんどの人はそうだと思うのです。

次の日記で古代人の死観について書いてみたいと思います。


そしてこれからも死について時々述べていきたいと思っています。

よかったらお付き合いください。



 
 

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